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【NHKスペシャル】巨龍中国 大気汚染 超大国の苦闘~PM2.5 沈黙を破る人々~

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【NHKスペシャル】
「巨龍中国 大気汚染 超大国の苦闘~PM2.5 沈黙を破る人々~」

(NHK総合・2017/2/5放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 中国の天安門広場周辺の映像をみてもPM2.5の影響と思われるスモッグのひどさが分かります。これではマスクを付けていてもちょっと近づきたくなくなるのが正直なところです。

 ただこの問題を単純に中国を揶揄したり批判するだけで片付けるのは簡単ですが、根本的な問題の解決にはならないと思いますね。何しろお隣の国ですからPM2.5は飛んできます。他人事では済まないでしょう。

 また日本もかつては工場地帯はスモッグで青空もなく喘息に苦しむ人々は大勢いました。川や海は排水で汚れ、中には大変な公害病も引き起こしました。さらに国や行政が被害者を救済するのではなく、逆に企業を庇うような姿勢をとっていた、そんな過去があります。

 事実上の一党独裁体制の国を相手になかなか一筋縄ではいかないでしょうけども、お隣の国としてやはり一定克服してきた公害除去のノウハウなどを輸出することはできないものだろうかと思ってしまいます。特に子どもたちが苦しめられている姿を見ると、人道的にも何とかしてあげたいと思わざるをえないですね。

 「人間は倹約からぜいたくには簡単に移れるが、ぜいたくから倹約に戻るのは難しい」という言葉は印象的でしたが、経済発展と環境保全は両立できるし、環境を軽視すれば巡り巡って経済も発展しないということを分からせる…しかないのかな。NGOの人たちの地道な活動が実を結ぶことを願うばかりです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

立ち上がれ 毒の被害を受けた住民たちよ
溢れんばかりの血潮はもう沸騰している


・共産主義をたたえる革命歌の替え歌を叫ぶ男性。工場が排出する煙で呼吸疾患となる住民が相次ぎ、立ち退きを訴えていた。

工場をたたきだそう
これできれいな空気が吸える


・世界の工場として急激な経済成長を成し遂げた中国。その代償として深刻化した大気汚染。今、中国では大気汚染物質PM2.5の影響で年間100万人近くが死亡しているといわれる。
・インターネット上に投稿されるようになった「私たちは沈黙しない」という訴え。環境汚染を巡る民事訴訟は今や年間およそ8万件。国民の不満は頂点に達しつつある。共産党の政権基盤をも揺るがしかねない事態。国は汚染に宣戦布告すると宣言した。

環境汚染は民生の患い、民心の痛み、全力で取り組む(李克強首相)

・更なる経済成長の旗を掲げながら、同時に大規模な汚染対策も迫られる中国。中国14億人の命を脅かす大気汚染を克服できるのか。3年にわたる闘いの記録。

<ゴミ処理会社の煙害に苦しむ住民たち>
・2014年3月、全国人民代表大会で中国の今後を決定づける重大な目標が掲げられた。それまで国の根幹に関わる最重要課題は貧困の解消だった。そこに環境汚染の撲滅が加えられたのだ。

PM2.5対策などを突破口に貧困と闘うのと同様に、環境汚染との闘いも全力で行う(李克強首相)

・中国全土を覆うPM2.5の濃いスモッグ。国民の不満の高まりに国は対策の強化を打ち出さざるをえなくなっていた。中国中部の中心都市、人口1000万の武漢。この街の住民たちが沈黙を破る口火を切った。
・2014年3月、中国最大手のゴミ処理会社の操業停止を求める住民たちが24時間体制で監視を続けていた。ゴミを搬入するトラックを阻止しようとする住民たち。

ゴミ処理会社、出て行け(叫ぶ住民たち)

・しかし地元政府の治安当局は住民たちの排除に乗り出していた。住民が地元政府に連行される事態が続いていた。中国でここ十数年、急速に進む都市化政策。市の中心部に程近い住宅街に分譲マンションが出来たのは2005年のことだった。
・市の人口が急増する中、ゴミの量も増えた。2008年に一般ゴミの処理会社、2012年に医療廃棄物の処理会社が相次いで進出した。経営するのは、いずれも中国有数の巨大企業。ゴミ処理は成長著しいビジネスだという。
・マンションに暮らすのは700世帯、会社員や自営業など経済成長を享受してきた人たちだ。しかし煙と強烈な異臭に苦しめられるようになった。
・王さん一家はこの1年前、一人息子の成さんを亡くしていた。24歳のときに突然、急性白血病を発症。3か月後、亡くなった。医者からはゴミ処理会社の煙に発がん性物質が含まれていたのではないかと告げられた。

永遠の眠りにつく我が子よ。生きたいというお前の願いはどうしてかなわなかったのか。なぜ私たちよりも先に逝ってしまったのか(父親)

・2つのゴミ処理会社が操業を始めてから、白血病やがんで亡くなったマンションの住民は20人以上。呼吸疾患に苦しむ住民は700人に上っていた。しかし会社は、煙と住民の健康被害の因果関係は認めていなかった。
・中国全土でも環境汚染への抗議行動が起こるようになっていた。その困難な闘いを担っていたのは、小さな子どもを持つ母親たちだった。

首を絞められて頭を殴られた(女性)

・住民代表の一人、任瑞さん(34)。5歳になる一人息子が病に苦しんでいた。任さんは30万元(約450万円)で購入した3LDKのマンションで夫と子ども、母親と4人で暮らしている。
・一人息子の嘉宸くん(5)は3歳のとき、咳を繰り返すようになった。気管に2つの大きな腫瘍が出来ていた。医者から大気汚染が関係しているのではないかと告げられた。中国全土でも嘉宸くんのように気管に重い病気を抱える子どもが増えていた。

闘いの目的は全てのお母さんのためです。子どものために母親なら誰でも立ち上がると思います。子どもが咳をすると耐えられません。こんな目にあって家庭はむちゃくちゃです。色々と不妊治療をして、ようやく授かった子なんです(任瑞さん)

・会社の操業停止や立ち退きの権限は地元政府が持っている。この日、地元政府は任さんたちが半年以上求めてきた話し合いの席に初めて着いた。

他の場所に移転させると言いながら、もう2年も経っているではないか(住民)

武漢市では毎日60トンの医療ゴミが出ている。それをどうすればいいのか?(地元政府担当者)

(健康被害は)ゴミ焼却が原因ではないという証拠を出してほしい。あなたは責任逃れをしているのでは(住民)

責任逃れをしているわけではない(地元政府担当者)

・武漢では経済成長による消費の拡大で、処理しなければならないゴミが急増していた。担当者は上司に報告するという言葉を繰り返すだけだった。
・中国政府の汚染への宣戦布告。しかし経済を優先する地元政府は、その方針を徹底することができずにいた。
・任さんとともに活動の代表を務める張細コウさん(38)(※コウは「女」に「交」)。地元の警察に5日間拘留され、体調を崩していた。拘留の理由は張さんが、ゴミ処理会社の塀に李克強首相が語った言葉を掲げたことだった。

李克強:貧困と闘うのと同様に環境汚染との闘いも全力で行う

・武漢ではこの頃、他のゴミ処理場でも抗議活動が起きていた。治安当局から「社会秩序を乱す」と告げられた。

(腕の痣を見せながら)今の地方政府は腐敗しています。諦めることはできません。このままだと企業に違法行為を続けさせることになります。こんなことでは子どもたちに何も教えることができません(張さん)

・2014年4月、任さんたちマンションの住民がゴミ処理会社の前で抗議を始めてから1か月。この日、住民たちはがんや白血病で亡くなった人の追悼式を開いた。企業や地元政府に圧力をかけるためだった。

<国への陳情を妨害する地元政府>
・国は排出してはいけない危険物リストを厳格に定めている。そして地元政府と企業は、その徹底と市民への情報公開を求められている。
・任さんたちはゴミ処理会社の排出データを公表するよう地元政府に訴えてきた。しかし、社会の安定を揺るがすという理由でその情報は公開されることはなかった。
・地元政府との交渉に限界を感じた任さんたちは国に直接、窮状を訴えることにした。しかし路上で男に呼び止められた。北京から1200km離れた地元・武漢の役人だった。

皆さんが北京に来ても、ここは問題を解決する場所ではない。帰って何とか問題を解決する方法を考えますから(役人)

誰も対処しません(任さん)

そんなことはありません。地元政府を信じないのですか(役人)

あなたたちは中国共産党が指揮する政府なのか知りたいのです(任さん)

李克強首相の標語を掲げただけで私は拘留されました。掲げた場所が悪いというのなら、どこに掲げればいいのですか(張さん)

李克強首相の標語を掲げてはならないと、あなた方が言ったのです。新聞でしか使ってはいけない標語なのですか(任さん)

日常生活で首相の標語を使えないのは大変なことです(張さん)

そういう言い方は良くないです(役人)

私は断固として陳情を行います(張さん)

では自ら責任を取りなさい(役人)

主婦がここまでやるのは、あなた方に追い詰められたからです。農村出身の私たちがここまでやるのは、本当に追い詰められたからです(張さん)

・地元政府にとって住民が国に陳情することは、自分たちの評価に関わる重大事だった。しかし任さんたちは地元政府の忠告を受け入れることはなかった。

後ろの2人を撮って。あの2人ずっと尾行してくる(任さんたち)

<国の窓口も対応しなかった>
・国の環境政策を取り仕切る環境保護省。中国政府は地方の住民たちの不満を解消するために陳情を受ける窓口を設けている。

長い間、違法操業を続けています。何回も地元政府と交渉しています。でも解決方法がなく、病気になる人が後を絶たないのです(任さん)

・しかし陳情の数が急増し、窓口は殆ど機能していない。任さんたちの訴えも聞き入れられることはなかった。

地方の問題は私たちの管轄ではない(担当者)

地方の環境保護局は問題を放置するだけでなく企業をかばう(任さん)

地方政府に報告すればいい(担当者)

・環境汚染を訴える陳情や投書は年間100万件近くに上っていた。

<APEC開催のため北京を「青空」にしたが…>
・中国政府が大気汚染に宣戦布告してから8か月。北京の空は晴れ上がっていた。APECアジア太平洋経済協力会議開催のため、周辺の工場数千社に一時操業停止命令などを下していた。

今の北京は青空、APECブルーだ。会議が終われば消えるといわれるが、絶えず努力すればこのブルーは保てると信じている(習近平国家主席)

・しかしAPECの閉幕から1週間後、北京は再びPM2.5の濃いスモッグに覆われた。インターネット上では大気汚染を嘆く歌が流れていた。

<汚染対策の強化を迫られる鉄鋼産業>
・2015年1月、中国政府は更なる汚染対策の強化を打ち出した。環境保護法を25年ぶりに改正、違法企業に対し罰金の上限を撤廃した。
・この頃、汚染対策が進まない大きな要因となっていたのが、経済成長を牽引してきた鉄鋼産業の排出だった。国内に1万社以上ある鉄鋼関連企業。その多くが集まる河北省、北京の大気汚染の元凶とされている地域だ。
・鉄鋼メーカーは利益を追求しながら、同時にコストの負担が大きい汚染対策も迫られていた。国内最大手の首都鉄鋼もその一つ。国が定める環境基準を満たすため、新たに導入したコントロールルーム。これまで環境対策に80億元(約1200億円)を投じたという。

私たちには大きなプレッシャーがかかっている。環境対策には多大な資金が必要だ。他の部分で削減しても環境対策コストは下げることができない。給料を減らしてリストラするぐらいしか方法がない。もう後へは戻れないのだ。だから大変なんだ(首都鉄鋼担当者)

<世論を喚起するNGO、対策に追われる企業>
・汚染対策を急ぎたい中国政府。市民の環境問題への意識の高まりとともに活動するようになったNGOも容認している。最も積極的に活動しているNGO自然大学。国内の賛同者などから資金を得るとともに、国の協力も受け活動している。
・NGOは世論を喚起するために、SNSに企業が排出する汚染の実態を投稿し続けている。この日、河北省のある鉄鋼メーカーについて投稿した直後、電話がかかってきた。

あれを削除するようお願いできないか(企業関係者)

SNSの投稿を削除するということですか(自然大学担当者)

そうだ(企業関係者)

なぜ削除しなければならないか、正当な理由を教えてください(自然大学関係者)

・NGOは鉄鋼メーカーと交渉し、その情報を市民に伝える役割も担っている。

私たちにも問題はありますが、指摘されたらすぐ改善します。積極的に取り組みます(企業の環境対策責任者)

・今、企業は汚染を巡る市民の厳しい目を無視できなくなっている。SNSで情報が拡散すると汚染企業のレッテルを貼られ、銀行の融資が受けにくくなるという。

問題を隠すわけではありません。私には部下が大勢います。上司に問題が発覚したら、みんなの評価に影響するのです。これは会社にとって大きな問題なのです。だから誠心誠意をもって皆様にお願いします。問題を小さくしてください(同上)

・大気汚染を巡って高まる国民の不満。経済成長と汚染対策をどう両立させていくのか。中国は難しい舵取りを迫られていた。

<環境対策が軽視されている現実>
・武漢でゴミ処理会社の操業停止を訴えてきた任さん。この日、環境に関するシンポジウムに招かれていた。この頃、ゴミ処理会社による汚染への激しい抗議活動は中国全土で40近くに上っていた。任さんたちの活動はそのシンボルとして注目を集めるようになっていた。

環境保護法が改正されましたが、以前も厳しい規制があったにも関わらず、なぜ誰も有効な処罰を下せないのですか。私たちは理解できません(任さん)

・シンポジウムには、国の環境保護省直下で汚染対策に当たってきた元幹部も参加していた。

汚染に苦しんでいる人たちに本当のことを教えるべきだとずっと悩んでいました。だからもうこの問題を隠しません(元幹部)

・元幹部は中国政府が厳格に適用するとしている環境影響評価について言及した。環境影響評価とは企業が工場を操業する際、地元政府の認可を受けるために提出するものだ。工場が周辺の環境にどれくらい影響するのか、企業が評価機関に依頼して調査を行う。

今の「環境影響評価」は無秩序です。安易に合格させます。ゴミ焼却の問題だけ考えても全てのゴミ処理会社の報告書を調べてください。ほとんどがウソです。環境影響評価を良くするために、企業は多額の金を払います。評価機関は厳しいことが言えず基準が緩み、企業は認可がもらえるのです(同上)

・任さんたちは、改めて環境対策が軽視される現実を突きつけられた。

<裁判での闘いを模索する住民たち>
・任さんたちは新たな戦略に乗り出した。健康被害に苦しむ人たちを原告とし、地元政府と会社を裁判に訴えることにした。しかし何度訴えても裁判所に受理すらされなかった。
・その一方で地元政府はゴミ処理会社に最も近いマンション3棟を買い取り、住民運動の広がりを抑えようとした。しかし立ち退きなどの抜本的な対策を打ち出すことはなかった。
・住民代表の任さんの生活は一変した。入退院を繰り返す息子のために、会社勤めだった夫が休みの都合がつきやすいと飲食店を始めた。任さんはゴミ処理会社から離れた店で、夜遅くまで息子とともに過ごす。任さんたち住民は、一向に改善されない状況に疲れ果てていた。
・2015年4月、会社を訴える裁判を模索する任さんたちのもとに新たなニュースがもたらされた。司法制度改革に乗り出した中国政府が、裁判所に全ての訴えを受理するよう求めたのだ。
・任さんたちのように環境汚染を訴える市民が急増。国も対応を迫られていた。汚染と闘う全国の人々はSNSで繋がるようになっていた。
・仲間たちの先頭に立ちたいと任さんたちはこの日、ある行動をとった。それまでは会社に対し操業停止と70万元(約1300万円)の賠償金を求めようと考えていた。しかしこの日、任さんたちは賠償金の金額を7元(約130円)に変えた。

何としてでも立件させるためです(任さん)
(7元では問題解決にならないのでは)
私たちの怒りを表に出すためです。お金のためではない(同上)

・任さんたちの訴えは1年間、受理すらされてこなかった。

財産損失を求めるなら根拠となる書類を提出してください(裁判所職員)

はっきり書いてますよ(任さんたち)

損失の原因は…環境汚染としか書いていませんよ(裁判所職員)

しっかり損害根拠を読みなさいよ。環境汚染で賃貸にも出せない、家も売れない(任さんたち)

それでは7元の明細を出しなさい(裁判所職員)

7元の明細?どうしようもないからこうしたんだよ(任さんたち)

・この日、任さんたちの訴えが初めて受理された。子どもたちのために苦しい闘いに身を投じた母親たち。訴えが受理されたという知らせを聞いた全国の仲間から、自分たちも後に続くという声が次々と寄せられていた。

2015年4月17日は記念すべき日です。武漢市のゴミ焼却汚染民事賠償は1年かけて多くの困難を乗り越えて、やっと受理されました。国と最高裁判所の制度改革に感謝します。これからの審理と最後の解決まで困難があると見込んでいますが、第一歩を踏み出してよかったです。

・裁判所が初めて受理した訴え。しかしその後、住民たちが環境影響評価を行った機関も被告に加えようとしたところ裁判所が拒否。結局、審議されることはなかった。

<生産過剰で操業停止になっても環境汚染だけが残る>
・中国政府の汚染への宣戦布告から1年。企業の操業停止を実行する地方政府も出始めていた。しかし河北省の汚染は改善されていなかった。鉄鋼産業は利益の追求と環境対策の両立に苦しんでいた。
・鉄鋼メーカーを調査してきたNGO自然大学。この日、河北省で意外な光景を目にした。河北省秦皇島市、濃いスモッグに覆われていたこの村に青空が広がっていた。大気汚染の原因となっていた工場が2か月間、生産停止していた。景気が減速し、資金繰りが厳しくなったという。
・NGOのメンバーが村を訪ねると皆、不満を訴えかけてきた。この1年近く前から労働者3000人に給料が支払われず、生活が限界に達しているという。思わぬ理由で汚染対策が進んだ村。NGOのメンバーが住民たちの窮状を見かね、地元政府の幹部に改善を訴えた。

河北省は給料の遅配状況を公表すべきなのでは?(NGOメンバー)

いいえ、しません。このデータは社会に悪い影響を与えますから。給料の遅配率が高ければ高いほど社会に影響しますから。公表するわけがないでしょう(地元政府)

・村の人たちは豊かさを手に入れるために。大気汚染被害にはあえて目をつむり懸命に働いてきたという。

昔は畑が元気だったんだ(鉄鋼メーカー労働者)

・この村に鉄鋼メーカーが進出してきたのは2007年、北京オリンピックの1年前だった。オリンピック直後に起きたリーマンショック。苦境に陥った先進各国を尻目に中国が打ち出したのが、4兆元(約57兆円)に上る巨額な景気対策だった。
・不動産ブームが起き、河北省の鉄鋼メーカーも設備を増強。鉄の生産量が急増していく中で、大気汚染はより深刻になっていった。
・しかし不動産の開発ブームも終わり、鉄は生産過剰になった。工場が生産停止したことで再び広がった青空。村の人は汚染された大地だけが残ったという。

これまでは全ての工場が稼動していたので空は灰色でした。青空は全く見えませんでした(鉄鋼メーカー労働者)
(生産すると大気汚染を引き起こし、生産を止めたら労働者たちの生活に影響が出る?)
そうです。人間は倹約からぜいたくには簡単に移れますが、ぜいたくから倹約に戻るのは難しいです。豊かな暮らしに慣れてしまうからです(同上)

経済発展は生活をある程度向上させますが、環境を犠牲にして経済発展を追求してもこの村のように思ったほど発展できず、環境も汚染されます。政府のこれまでの経済政策は無責任です。結局、被害を受けるのは環境とそこに暮らす人々です(自然大学の田静さん)

<中国政府は産業構造の転換を打ち出したが…>
・大気汚染への宣戦布告から2年が経過した去年3月。環境汚染と鉄鋼などの生産過剰問題を同時に解消する。中国政府が打ち出したのが産業構造の大転換だった。

鉄鋼などの経営困難な業種の解消に取り組み、生産能力については古いものを断固廃棄し、過剰なものは順次解消する(李克強首相)

・その一方、経済成長を持続させ2020年までにGDP(国内総生産)を倍増させるという目標を堅持した。しかしある地方政府の幹部は、産業構造は簡単には変えることはできず、環境対策も二の次であるという本音を語った。

中国経済は一隻の船のようなもので、その船は動き出すと止められない。船を止めるには大きな代償が伴う。人は生活の中で飯を食うか部屋をきれいにするかといったら、まずは飯を食う。これが現実だ(地方政府の幹部)

<今なお環境対策はおざなりの現状>
・環境NGOのメンバーたちは、汚染を克服するために気の遠くなるような地道な調査を続けている。この日の調査の途中…。

爆発だ…工場が燃えてる(NGOメンバー)

また爆発だよ、1か月前も爆発があった。

・農薬メーカーの工場が爆発。安さを武器に欧米の企業からの委託を受けて生産を拡大させていた。危険な物質が住宅街に撒き散らされた。
・工業団地には企業の納税ランキングが掲げられていた。環境対策はおざなりにされてきた。

<子どもたちの未来のために闘い続ける母親たち>
・住民が健康被害を訴える武漢のゴミ処理会社は今も操業を続けている。母親たちの先頭に立ってきた任さん。一人息子が発作を起こさないよう店にベッドを持ち込み、暮らすようになっていた。

こことマンションどちらが住みやすい?(任さん)

ここ(嘉宸くん)

どうして?(任さん)

煙がないから(嘉宸くん)

・母親たちが子どもたちのために立ち上がって3年。何度退けられても訴訟を起こし続けている。子どもたちの未来のために、終わりのない闘いが続く。

・世界経済の命運をも握りながら豊かさを求め、果てなき膨張を続ける巨龍・中国。命を脅かす大気汚染に沈黙を破り、声を上げた人々。この冬、北京の空はまたいつものようにPM2.5の濃いスモッグに覆われている。

(2017/2/8視聴・2017/2/8記)

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【にっぽん!歴史鑑定】戦国の世をつくった女帝 日野富子

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【にっぽん!歴史鑑定】
「戦国の世をつくった女帝 日野富子」

(BS-TBS・2017/2/6放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 室町幕府の屋台骨を支えようと奮闘し、そして結果として彼女の失脚によって室町幕府滅亡への道を進むことになったといってもいい日野富子。今回の特集も、とても面白く視聴しました。

 おそらく彼女には個人的な野心はそれほどなかったのではないかと思います。名家に生まれ将軍家に嫁ぐことになってから、その血筋を守りたいという一心だったのでしょう。金の亡者、守銭奴というのも、余りにもルーズだった男どもに代わって幕府の財政を支えたいという思いだったのでは。そして敵の敵は味方というような形で手を結ぶ相手を変えていったのも、利己的なものではなかったのではないかと思います。

 鎌倉の北条政子、室町の日野富子、戦国の世ではお市の方か淀君でしょうか。こういう歴史を彩る女性たちの存在はとても興味深く感じられます。ぜひ日野富子もNHKでドラマ化を…と思ったら、1994年に既に大河ドラマになっていたのですね(「花の乱」)。なかなか錚々たるキャスティング、観たくなりました。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・時は室町時代後期。未曽有の災害や民衆の暴動が相次ぎ、世は乱れに乱れていた。足利将軍家の権威は地に落ち、遂には将軍暗殺事件まで起きた(6代・足利義教)。
・そんな中、影の権力者として君臨することになる女性が現れた。8代将軍・足利義政の妻、日野富子。強欲・淫乱・独裁者など後世に伝わる悪名の数々。本当に彼女は悪女だったのか。
・将軍の後継者を巡る富子と側室との壮絶なバトル。その裏に隠された陰謀とは。
・京の都を壊滅させた応仁の乱、その張本人といわれる富子。定説が覆り、仕掛けた人物が別にいた?
・金銭に執着し、守銭奴そのものだった富子。莫大な財産をどのように築いたのか。その使い道と応仁の乱との関係は?
・室町幕府の女帝・日野富子の生涯を辿る。

<日野富子vs今参局 女の戦い>
・代々、朝廷に仕えてきた日野家は将軍の正室を輩出する中級公家の一つだった。中でも富子の叔母にあたる日野重子は6代将軍・義教に嫁ぎ、8代将軍・義政を出産。将軍の生母として権力をほしいままにしていた。
・ところが義政が側室に今参局を迎えると彼女にご執心となり、母の重子より今参局の意見を聞き入れるようになってしまった。

「このままでは日野家の権勢が奪われてしまう」

・そう案じた重子は姪の富子を嫁がせることで今参局から義政を取り戻そうと画策。日野家の女性を母とする世継ぎを生ませようと考えた。
・康正元年(1455年)8月27日、富子は16歳のとき将軍・義政の正室となった。このとき義政は20歳、大層な美男子で芸術にも通じた教養ある人物。富子もすぐに気に入ったという。
・しかし富子を待ち受けていたのは屈辱的な結婚生活だった。夫・義政には既に数人もの側室がいて、中でも今参局にいまだ夢中。富子は見向きもされず孤独な日々を送ることとなった。
・しかも義政は政治に全く関心がないダメ将軍。昼間から酒を飲み、趣味の庭づくりなどに莫大な金をつぎ込む始末。富子は耐えるしかなかった。自分の権威を高める手段はただ一つ、正室として世継ぎを生むこと。
・しかし側室・今参局も黙ってはいない。親族の若い娘を新たに側室に迎え富子に対抗。まさに将軍の子種争奪戦ともいえる女の戦いが繰り広げられた。
・そして富子が将軍家に嫁いで4年目の長禄3年(1459年)待望の男子を出産。義政の後継者となる男子の誕生は富子の勝利を意味していた。
・ところが喜びも束の間。富子の子は生後まもなく亡くなってしまった。このとき都じゅうに不吉な噂が広まった。当時の記録(「安位寺殿御自記」)にはこう記されている。

彼の仁の調伏と称し
若君腹中にて死去せらる


・今参局が自分の地位を守るため若君を呪い殺したというのだ。この噂を信じ込んだ義政は怒り心頭。大した取り調べも行わず、今参局を流罪に処した。今参局派の側室やお付きの侍女たちも全員都から追放。今参局は身の潔白を証明するため、まもなく自害したと伝えられている。この今参局事件によって富子は将軍正室としての権威を回復。女帝への道を歩み始めることとなった。
・実はこの事件にはある陰謀が隠されていた。この噂を流したのは日野重子だった。世継ぎの死というピンチを逆手に取り、噂をでっち上げて義政に告げ口。一気に今参局の勢力を将軍御所から一掃したのだ。
・今参局の失脚で権勢を振るうことになった富子だったが、まだその立場が安泰というわけではなかった。「世継ぎを産んでその子を次の将軍に」という使命をまだ果たしていたわけではなかった。

<義政の隠居計画と2人の世継ぎ候補が>
・長禄3年(1459年)夏、日本全土を天変地異が襲った。豪雨に地震さらにはその後、3年にも及ぶ日照り。これにより大飢饉が発生。死者は都だけで8万人以上と伝えられている。この国難に際しても将軍・義政は対策を施さなかった。

「将軍なんて今すぐにでも辞めてしまいたい」

・将軍の職を譲り、自分の好きなことに没頭したいと願っていた。しかし正室である富子にはまだ世継ぎとなる子がいなかった。そこで義政は一刻も早く隠居を実現するため、富子に相談せず自分の跡継ぎとなる養子をもらうことに。
・白羽の矢が立ったのは当時仏門に入っていた弟の義視。しかし兄の優柔不断な性格を知り尽くしていた義視は、養子になることにこんな条件を付けた。

「後に男子が生まれてもその子は出家させ、決して跡継ぎにはしないでください」

・義政はこの約束を受け入れ、義視を還俗させ養子として迎える準備を進めた。義視の後見人には幕府の実力者で将軍を補佐する管領職にあった細川勝元が就任。義政の隠居計画は順調に進んでいた。
・そんなとき富子が懐妊。もし男子が生まれてくれば本来ならこの子が世継ぎとなるはずだと彼女は考えた。そして願い通り男子を出産(足利義尚)。将軍・義政の当時の心境を室町・戦国時代の歴史に詳しい静岡大学名誉教授の小和田哲男氏はこう推測する。

義政は富子になかなか子どもが生まれなかったから早く政治から身を引きたいと義視を次の将軍に考えた。自分に子どもが生まれたことで窮地に立たされた(小和田氏)

・将軍の世継ぎ候補が2人。これが幕府を揺るがす大事件へと発展していった。

<「応仁の乱」が勃発 その真相とは>
・応仁元年(1467年)室町幕府は日野富子が男子を生んだことで、次期将軍の座を巡り大混乱をきたしていた。候補は2人。8代将軍・義政と富子の間に生まれた義尚に、義政の弟・義視。
・それぞれの後ろ盾に幕府の実力者・細川勝元(義視側)と山名宗全(義尚側)が付き対立。そこに有力大名の畠山氏が内部分裂して加わったことで、一触即発の事態に陥っていた。
・そして5月26日、遂に両者が京の都で衝突、戦いが始まった。世に言う「応仁の乱」。激しい戦いが繰り広げられ、当初は山名氏が率いる西軍が細川氏率いる東軍を圧倒したが、やがて東軍が将軍御所と朝廷を掌握。権力の中枢を押さえたことで形勢が逆転した。
・我が子・義尚を将軍とするため西軍に肩入れしていた富子だったが、将軍御所が東軍に包囲されると為す術も無く戦いを見守るしかなかった。
・総勢27万もの兵が動員されたともいわれる応仁の乱。京の都は瞬く間に灰燼に帰し、その争いは全国へと広がった。将軍家のお家騒動が大乱に発展してしまった。
・戦が始まってから6年の文明5年(1473年)長引く戦況に嫌気が差した義政は、ようやく決断した。後継者に9歳になった息子・義尚を選び、将軍職を譲り正式に隠居した。幾万もの命そして京の都の被害と引き換えに、遂に富子は我が子・義尚を将軍の座に就けるという望みを果たした。

実は後継者争いが起きる前に既に細川対山名の対立構造はあった。もはや武力衝突は避けられなかったので、日野富子が応仁の乱の張本人とはいえない。むしろ細川、山名は戦いのきっかけを探していた。そこで後継者争いを戦の口実として利用したのではないか。むしろ張本人は細川勝元で、彼にとっては富子や義尚は邪魔な存在だったのではないか(小和田氏)

<富子が応仁の乱で大儲け その使い道とは>
・長引く戦に将軍・義政の政治への無関心。お陰で室町幕府の財政は逼迫していた。そんな中、富子は応仁の乱で莫大な富を蓄えたという。諸説あるが現在の金額にして約70億円。どうやってそんな財産を築いたのか。

【富子の蓄財法(1)米の買い占め】
・戦によって米相場が急騰すると読んだ富子は、米を買い占めた。こうして価格を吊り上げて売り抜いて大儲け。

【富子の蓄財法(2)関所を設ける】
・戦のための物資の運搬が多くなると、京の七口といわれる町の入口に関所を開設。人や物資に通行税にあたる関銭を課した。

【富子の蓄財法(3)商人から税金を徴収】
・将兵に酒を売る酒屋や高利貸しなどが儲かっていると聞けば税金を徴収。そればかりか幕府に入る金を着服していたという噂も。

【富子の蓄財法(4)大名同士の訴訟に介入】
・更には大名たちが用地問題などで訴訟を起こした際、判決を有利にする見返りとして賄賂を受け取っていたとも言われている。

・彼女は強欲な金の亡者、守銭奴と言われるようになった。

富子の権力の源泉が財力にあるということで、頼りない夫に代わって蓄財に励み幕府の財政を支えていた。富子は稼いだ金を大名などに貸し付け、利息で財産を増やした。金利が高く返済が滞ると貸し剥がしも行っている。財産を差し押さえて力づくで取り立てた。まさに富子は金融資本主義の先駆けとも言えるのでは(小和田氏)

・足利義尚が9代将軍となっても、なお収束をみせない応仁の乱。京の都はすっかり荒廃し、公家や役人も多くが家を失って路頭に迷っていた。
・すると富子は貯め込んでいた財産を活用。焼け出された公家や幕府の人々を将軍御所で室町第に迎え入れ、食事や物資などを振舞った。
・そしてもう一つ富子が莫大な財産をつぎ込んだのは、戦をしている大名たちにだった。

戦いに参加した大名たちは領地を留守にしていたため、領地は荒れて戦費はかさんでいた。京都で多額の借金をしながら戦いを続けていて、そんな状況から早く抜け出したかった(小和田氏)

・例えば富子は戦費がかさみ財政が逼迫していた西軍の畠山義就に1千貫(約1億5千万円)という大金を貸し与えた。資金を得た義就はすぐさま京の都から引き揚げ、領国である河内国に帰っていった。
・富子が大名たちに金を貸したのは利息で儲けるためだけでなく、彼らに国許に帰る費用を与えて早く戦を終わらせようという狙いもあった。
・大名たちは富子から資金を得たことで、まるで潮が引くかのように次々と自分の領地へ戻っていった。こうして文明9年(1477年)11月11日、応仁の乱が収束。戦いが始まってから10年もの月日が流れていた。
・その後も富子は荒れ果てた京の都を復興させるため、寺社などに対し多額の寄進を行った。富子は決して強欲な女ではなかった。

<富子と天皇の密通疑惑の真相とは>
・応仁の乱のさなか、将軍御所である室町第で大きなスキャンダルが持ち上がった。富子が時の後土御門天皇と密通しているというのだ。
・将軍の正室と天皇との密通疑惑。応仁の乱の混乱を避け、天皇が富子が暮らす室町第に御座所を移したことで一気に噂が広まった。
・宮中に仕える女官たちが記した「御湯殿上日記」には二人が「御ひしひし」(ぴったり寄り添って)と記されている。つまり天皇が風呂あがりの富子を呼んで親密に酒を酌み交わしていたというのだ。これはただならぬ関係。噂はあっという間に広まり、夫・義政の耳にも入った。
・しかしこの密通疑惑はデマであったことが、やがて明らかになった。実は天皇の相手は富子ではなく、富子に仕えていた侍女だった。彼女が天皇の子を身ごもったことで富子の疑いは晴れた。

<息子・義尚のその後はどうなったのか>
・応仁の乱のさなか、息子の義尚に将軍の座を譲った義政。その後も相変わらず大酒を飲み、遊びに夢中。銀閣を建てたのも隠居後のことだった。
・そんな夫ではあてにならないと富子は幼い将軍を支え、幕府を取り仕切るようになっていた。これが独裁者といわれる所以だった。
・富子は義尚の教育にも熱を入れた。父親のような将軍にはならないでほしい。我が子を立派な将軍に育たねばと身を削って働き続けたが、次第に彼女が思い描いたシナリオが崩れ始めた。
・幼い頃は富子の言うことなら何でも聞いていた義尚が、成長するにつれコントロールができなくなっていた。そして父親同様、酒に溺れるようになった。しかもすっかり反抗的になり、気に食わないことがあったとき自分の髪の毛を切り落としてしまったという。富子は大いに悩んだ。
・しかしある出来事が変化をもたらした。長享2年(1488年)義尚が病に倒れたときのこと。1か月の闘病の後、奇跡的な回復を遂げた。すると死に直面したことで心を入れ替え、酒を断ち武芸にも励むように。将軍としての自覚が芽生えた。
・そして翌年、義尚は戦に出陣。幕府の権威を取り戻すため、近江国の六角高頼が寺社の所領を横領しているという訴えに応じ、1万の兵を率いて攻め込んだ。それは富子が夢にまで見た将軍の雄姿。
・ところがこの戦が長期戦となったため、義尚は陣中で酒を飲むことが多くなり再び体調を崩した。富子が駆けつけ懸命に看病したが、義尚は25歳の若さでこの世を去った。
・将軍に代わり、毅然と幕府軍撤退の指揮を執ったのが富子だった。我が子の亡骸とともに京に戻った富子は、ここでようやく人目を憚らず涙を流したという。

<最愛の息子が死去 富子の次なる作戦とは>
・将軍としての将来が嘱望された矢先、義尚は病死。悲しみに暮れる富子だったが、幕府安泰のための工作も怠ってはいなかった。
・実は義尚に万が一のことがあった場合に備えて、かつて義尚と将軍の座を争った義視の子・義材を義尚の養子に迎えていた。夫の義政には一言も相談しなかった。

何とか室町幕府を続けていくには自分がかつて争った相手ではあるが、義視の子どもの義材を養子にして丸く収めるしかないと思った(小和田氏)

・足利将軍家を絶やさないための富子の苦渋の決断だった。富子の勝手な行動に怒った義政は、自らが将軍に復帰すると主張。しかし翌年の延徳2年(1490年)1月、長年の不摂生がたたり、息子を追うように息を引き取った。
・義政の死を機に出家した富子は、相変わらず影の実力者として義材を10代将軍に就けるため暗躍した。その甲斐あって義材は将軍の座に。ところが富子はまたもや疎んじられた。将軍となった義材は富子に対しこう言い放った。

「今後政治への口出しは無用に願いたい」

・義材は富子を権力の座から引き摺り下ろすため、幕府の財政を管理する権利を剥奪。更に将軍が政治を行う室町第の近くにあった富子の住まい・小川殿を破壊。義政の別荘だった東山山荘に追いやった。

「こんな仕打ちを受けるとは」

・延徳2年(1490年)6月、富子の怒りに火をつける事件が起きた。親しい人たちを招き、観世座を呼んで能を楽しもうとしたときのこと。義材の実父の義視が観世座に圧力をかけ参加を止めさせた。集まった人々は散会することになり、富子の面目は丸潰れとなった。

義材の父・義視が大御所的な存在で裏で糸を引いていたことも考えられる。義材を養子にし将軍にした富子は読み誤ったのではないか(小和田氏)

・屈辱的な仕打ちに対し復讐に燃える富子は、義視のライバルであった細川政元と共謀し反撃の機会を待った。そしてチャンスがやってきた。大御所の義視が亡くなった。

これを機に義材は強権を発動した。自分に従わない大名を武力で制圧しようと河内国の畠山氏を征伐するために京都を離れた。それを知った富子が一気に動き出した。突如として義政の異母兄である政知の子・足利清晃(のちの義高)を担ぎ出して新たな将軍であることを発表した(同上)

・留守中に将軍を取り替えてしまうという大胆な奇策。これに諸国の大名が従ったため、義材は降伏を余儀無くされた。こうして権力の座に返り咲いた富子は観世座を招き盛大な祝賀会を開いたと伝えられる。
・クーデターによって再び権力を手にした富子だが、これも誤算だった。新たな将軍となった義高(義澄)は、かつて富子が義材に肩入れし将軍としたことを根に持っていた。富子に東山山荘から立ち退くように命じた。
・さらに富子の協力者だった細川政元も、自分が義高の後見人になると掌を返したように富子と敵対した。幕府で女帝として君臨した彼女は明応5年(1496年)失意のうちに生涯を終えた。57歳だった。
・富子が応仁の乱を終わらせようとしていた頃に詠んだ歌がある。

偽りの
ある世ならずは
ひとかたに
たのみやせまし
人の言の葉
(偽りが全くない世の中であれば、これほど人の言葉を頼みにしないでしょう。裏切りや偽りが多いからこそ私は人の言うことを大切にしたいのです)


・そう望んだ富子だったが結局、最後まで裏切られ、失意のうちにこの世を去った。富子の死後、今度は11代将軍・義高と後見人だった細川政元が対立。
・弱体化する幕府に代わって、諸国の実力者たちが台頭。いよいよ群雄割拠の時代に突入していった。皮肉にも室町幕府の安泰を願い続けた富子の死が、戦国の世の幕開けとなった。

(2017/2/8視聴・2017/2/8記)

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【歴史秘話ヒストリア】新発見!ヒーローはこんな人だった?!歴史NEWS一挙公開

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【歴史秘話ヒストリア】
「新発見!ヒーローはこんな人だった?!歴史NEWS一挙公開」

(NHK総合・2017/2/10放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 昨年発見された歴史上のニュースをいくつか紹介した今回の「ヒストリア」。今川義元を演じる春風亭昇太さんの出演は大河ドラマの番宣でしょう。しかしあの無言の演技はなかなか面白いので、まあよしとしましょう。

 この中で一番興味深いと思ったのは、坂本龍馬の刀でしょうか。陸奥守吉行の展示は「龍馬没後150年展」としてこの間、京都→長崎と行われていて、いよいよ江戸東京博物館で4月から行われる予定です。ぜひとも鑑賞したいですね。最近は「刀剣好きの女子」が増えているということなので、混雑必至かな(苦笑)

 それと斎藤一さんの写真。これも昨年話題になりましたね。「斎藤一」とネットで検索を掛けると二次元創作物がまだ山のように出てきますが、どうも私には付いていけない世界ですね。早くご本人の写真が最上位に出るようになってもらいたいものです(苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<新発見!秀吉が手紙でパワハラ!?>
・豊臣秀吉のイメージを変える発見。それは思わぬ形で見つかった33通の手紙。秀吉の手紙といえばこれまで約7000通が発見され、その生涯についてはもう知り尽くされているといっても過言ではなかった。
・しかし今回、水浸しになった古文書を東京大学史料編纂所が1年半かけて修復してみると、秀吉がある一人の家臣に対してかなり過激な言葉を繰り返し送りつけていたことが分かった。
・送った相手は賤ヶ岳の七本槍の一人、脇坂安治。賤ヶ岳の戦いは秀吉がライバル柴田勝家を倒し、ポスト信長の地位を磐石にした戦いだった。
・脇坂はその重要な戦で、勝家の甥を打ち破るという大手柄を立てた人物。いわば腹心中の腹心への今ならパワハラととられかねない言葉。2人に一体何があったのか。
・今回発見された手紙の半数以上は、天正12年から13年にかけて送られたもの。天正13年といえば、秀吉が天下統一を成し遂げる5年前。天皇から関白に任じられ一番勢いがあった時期と言ってもいいかもしれない。
・当時、脇坂は今の三重県西部、伊賀国に派遣されていた。脇坂は秀吉から領主たちの城を破壊するよう命じられていたが、抵抗が激しくはかどらなかった。苦戦続きの実情を訴えてきた脇坂に秀吉はこんな手紙を送った。

書状を読んだ。領主たちの城はとにかく徹底的に壊せ。数日のうちにそちらに見回りに行く。それまでに城の破壊が済んでいればよし。もし遅れているようであれば、お前を処刑する。
※以前から確認されていた手紙も含めて再構成している。

・しかし手紙で命じたからといって、城の破壊が進むはずもなかった。2人の間を手紙を持った使者が何度も行き来した。やがて秀吉の手紙は少々キレ気味に。

伊賀の城の破壊が今もって終わっていないなどもってのほかだ。これくらいのことも果たせず、大げさに何かと言い訳してくるのはけしからん。

・これほど厳しく部下を叱る秀吉の手紙がまとめて見つかったのは初めてのことだった。

秀吉は33通の中にもあるんですけど、昔から仕えていた家臣の神子田正治を追放した。それは自分に対する態度がなっていないということで、周りにも顛末は伝わっていた。ひどいのは俺は信長と違うぞ、信長ほど甘くないぞと、この手紙では信長を呼び捨てしている(東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏)

・今回の秀吉のような手紙を今、上司が部下に送ったらどうなるのだろうか。これまで何度もパワーハラスメントの裁判を手がけてきた弁護士の佐々木亮氏はこう話す。

業務命令まではよい。懲戒や配転などの不利益告知は受け止め方によってはパワハラになる(佐々木氏)

・しかし秀吉は結局、脇坂を処罰することはなかった。そうした場合には、秀吉の気持ちが脇坂に伝わっていたかどうかがポイントだと佐々木氏は言う。

あまり対応がうまかったとは思えない部下が最終的には出世するというのは、秀吉は脇坂がかわいかったのでは。だから思いのままをぶつけた。ただ部下に伝わるかは別。よくあるのがそういうパターンのハラスメント。愛情のつもりでも相手には嫌がらせということも(同上)

・キツい物言いは愛情ゆえか、はたまたパワハラか?今回発見された手紙をもう少し紹介する。天正13年、天皇から関白に任命された秀吉は朝廷との関係を更に強くするため、天皇の住まいである内裏の造営に取りかかった。そのため大量に必要となる材木を伊賀国から切り出すようにと脇坂に命じた。
・自分は戦でこそ実力を発揮できると考える脇坂は配置換えを直訴した。しかし秀吉はなぜか却下。モチベーションが下がってしまったのか、脇坂は木材の調達が遅れがちになった。そんなときに届いた秀吉からの手紙だ。

おまえの出陣を免除し内裏に用いる材木の切り出しを命じておいたのに、いい加減にしているとは何事だ。

・大慌てで材木を送ったであろう脇坂に秀吉のキツい手紙は続いた。

材木を少し送ったそうだが当然のことだ。しかし送った材木の数が書かれていない。今後は板を何枚、柱を何本と書いて送れ。細かく書かなければ分からないではないか。粉骨砕身やるように。そのために出陣を免除してやったのだぞ。

・こうした秀吉の言葉を脇坂がどのように受け止めていたのか。その気持ちを綴った手紙などはまだ見つかっていない。

<新選組 斎藤一が愛されるワケ>
・新選組は幕末の京都で活動した今の警察のような組織。幕府の命を受け、治安維持のためには相手を斬ることもいとわなかった。
・局長の近藤勇、鬼の副長といわれた土方歳三などと並んで今も歴史ファンを魅了してやまない隊士の一人が斎藤一。彼は新政府が誕生した後も、恩義ある旧幕府のために命を懸けて戦った。そのため新選組ファンから「義を貫いた男」と呼ばれている。
・最新作の中で斎藤一を登場させたベストセラー作家の今野敏氏は、斉藤についてこう語っている。

実在の人物で圧倒的におもしろいのが斎藤一。かくしゃくとした、侍ぜんとした頼もしい人物として書いた(今野氏)

・しかしその生き方や行動に比べ斎藤一の顔については、これまではっきりとはしなかった。例えばネットなどには肖像画が出回っているが「イメージとちょっと違う」というファンも。
・明治の世を警察官として生きた斎藤一。これまで映画やドラマに登場してきた斎藤は、ファンのイメージを裏切らない俳優が演じてきた。また斎藤は今、若い女性が夢中になっているゲームでも大人気だが、そこでも美男子に描かれている。
・今回発見された写真は明治30年、53歳のときのもの。今回彼の写真を発見した子孫の方は、これまで出回っているものとかなり違っていたので本当の姿を知ってもらいたいと公開に踏み切ったという。
・公開されたもう1枚の写真が家族写真。妻の時尾はかつて一緒に戦った会津藩士の娘。やっと訪れた穏やかな日々を大切にしたいと思ったのだろうか。明治になってからの斎藤は名前を変え、一人の庶民として生きていた。

<新発見!天才絵師 北斎の絵>
・葛飾北斎の幻の肉筆画が100年ぶりに発見された。公開されたのは去年11月。東京・墨田区にあるすみだ北斎美術館には多くの人が訪れた。この絵は100年ほど前にフランスで競売にかけられたのを最後に記録が途絶え、長らく行方が分からなかった。
・しかし数年前イギリスのオークションに出品され、ある画廊が落札。それを墨田区が約1億5000万円で購入(寄付金で購入)した。
・この絵は北斎が長年暮らした隅田川沿いの風景を7mの絵巻に描いたもの。両国橋の辺り、舟に乗ろうと並ぶのは吉原に向かう若旦那だろうか。人々の賑わいを生き生きと描いた筆遣いは、まさに北斎のもの。100年ぶりに里帰りした北斎の絵。この北斎にとってどのような意味を持つ絵なのだろうか。
・北斎が絵を描き始めたのは19歳のとき。浮世絵や本の挿絵といった版画を中心に、生涯で約3万点の作品を生み出した。
・「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は海外で「Great Wave」と呼ばれ、その斬新な構図が後世にも大きな影響を与えた。北斎は作品の数だけでなく、クオリティーも世界レベルだった。
・今回発見された絵は北斎46歳のときのもの。「冨嶽三十六景」などの版画と違って、これは本人が直接描いた肉筆画。90歳まで描き続けた北斎は、晩年になればなるほど肉筆画を重視するようになった。その変化はこの絵を描いた頃から始まったのではないかと研究家の浅野秀剛氏は考えている。

版画は版元から注目されて描く。版元の意向がかなり反映される。彫り師や摺り師の手も加わる。そういうのが嫌になる。絵について指図されたくない。肉筆画は全部自分1人で仕上げられる(浅野氏)

・北斎はその生涯を通して絵がうまくなりたいと願い続けた人だった。自分一人で勝負する肉筆画こそ、その大切な精進の場だったのかもしれない。北斎は後にこんな言葉を残している。

70歳までの絵など、どれもとるに足らない。
73歳で生き物の骨格や草木の形をいくらか悟った。
80歳になったらさらに上達するだろう。
90歳で奥義を極め、
100歳で神業の域にいたる。
110歳のころには一点一画まで
生きているような絵になるだろう。


・北斎が90歳で亡くなる3か月前に描いた肉筆画「富士越龍図」。富士山よりも高く天に昇る一匹の龍。今よりもっとうまくなる。この龍は死の間際まで北斎がそう信じていた証しなのかもしれない。

<今川義元の“新事実”>
・大河ドラマ「おんな城主 直虎」。柴咲コウさん演じる井伊直虎が動乱の世に果敢に立ち向かう物語。このドラマで殆どしゃべらない、ある登場人物が話題になっている。井伊家の前に立ちはだかる駿河の太守・今川義元。
・演じるのは春風亭昇太。初登場の場面では一言も発することなく、宇梶剛士さん演じる井伊直満の命を奪ってしまう。
・そして第7回放送(「検地がやってきた」2月19日放送)でも一言も喋らない。井伊家の人々に直虎の結婚について無言の圧力をかける。

今川義元は戦国大名で最も誤解されている。織田信長という日本史の中のヒーローがいるので、この人を引き立たせるために格好の材料になってしまっている。今までのドラマや映画で出てくる義元の扱いが雑。今川義元の生涯をずっと追っていくと、なよなよとした大名のイメージは全く浮かんでこない。最も厳しい時代に最も領土を拡大したすごい戦国大名(春風亭昇太氏)

<龍馬暗殺!抜けなかった無念の刀>
・幕末の英雄・坂本龍馬。暗殺されたときに持っていた刀が遂に本物と判明した。
・慶応3年(1867年)11月15日。この日、龍馬は風邪気味だったと伝えられている。盟友・中岡慎太郎とともに精をつけようとしていたのか、しゃも鍋を食べようとしていたところを襲われた。記録にはこうある。

「龍馬はその背面なる刀掛けの刀を取りしも、鞘を払うのいとまなく、しばらくそのまま防闘せり」

・その瞬間を今に伝える写真がある。明治になって開かれた展覧会に出品された龍馬の遺品を撮影した一枚。暗殺されたときに持っていた刀の鞘。記録の通り、相手の刀を鞘ごと受けたあとが生々しく残っている。
・そしてこのとき抜けなかった無念の刀が今回の新発見。もともと坂本家からの寄贈を受け、京都国立博物館で保管されていたものだった。しかしそれが本物かどうか定かではなかった。
・刀を特定するには、焼き入れによってできた刃の模様・刃文を調べるが、以前の調査では刃文がはっきりしなかった。しかし去年、博物館が最新の機械で調べ直したところ、刃文の撮影に成功。龍馬の刀・陸奥守吉行の特徴と一致した。
・龍馬ファンをはじめとした多くの人の長年のモヤモヤが解消した瞬間だった。

(本物と分かり嬉しかった?)
びっくりしましたね。ああ、そうなんだと思ってね。でも逆に言えば本物だと分かったことで全てが繋がった(龍馬通である予備校講師の金谷俊一郎氏)

・繋がったのは龍馬の行動力と故郷への愛情。明治という新しい時代を目指し故郷の土佐を脱藩した龍馬は、この刀を手に入れようと実家の兄に熱烈な手紙を送っている。

今回、兄上にお願いしたいことがあります。いにしえの人も言うように武士が国家の難題に取り組むときには、必ず先祖伝来の宝刀などを与えられるものです。どうか兄上が私にふさわしいと思われる家宝の刀をお与え下さい。そうすれば私が死ぬときも兄上のそばにいるような思いでいることができます。

もともと龍馬は子どもの頃は泣き虫で弱虫。子どものときのコンプレックスがある。家族に認めてもらいたい、坂本家を背負って立つ人間になりたい、ここまで頑張ったよっていう思いがあるんじゃないか(同上)

・手紙を読んだ兄は龍馬の望む通り、家宝の刀を送った。龍馬はよほど嬉しかったのだろう。すぐさまお礼の手紙を書いている。

先日、兄上から贈って頂いた吉行の刀のことですが、いつも腰に差しています。最近、友達が京都に出てきたのですが、この刀を見てしきりに欲しがります。これは兄上から頂いたものだと私も自慢しています。

・兄からもらった刀を抜けずに志半ばで暗殺された龍馬。その命日には今も墓前にしゃも鍋が供えられる。国のため、ふるさとのために最後まで一生懸命だった坂本龍馬。その熱い日々をこれまでより身近に感じられた今回の新発見だった。

<新発見!龍馬の手紙 死の直前まで考えていたこと>
・今年1月、龍馬の更なる新発見があった。暗殺される5日前に書いた手紙が出てきた。

先頃申し上げた三岡八郎の上京の件を急ぐよう、上に働きかけて下さい。三岡の上京が1日遅れると新国家の財政も1日遅れを取ってしまいます。

・手紙は龍馬が新政府に欠かせないと見込んだ人物の上司に宛てたものだった。龍馬が推薦した三岡はその後、明治新政府の一員として財政を確立。今回の手紙は、龍馬の志が同時代の仲間によって受け継がれていたことを改めて教えてくれた。

<次はどんな新発見が私たちに届けられるのか>
・歴史の新発見は手紙や写真ばかりではない。去年5月、戦艦大和の潜水調査が行われた。水中カメラが捉えたのは、直径5mもある大型のスクリュー。そして日本海軍の戦艦であることを示す菊の紋章。
・沖縄の古い城跡から発掘されたのは、古代ローマ帝国でつくられた銅貨だった。私たちの想像以上に世界は昔から繋がっていた。
・奈良・平城京跡で発見された木管には「破斯清通」という名前が書かれていた。「破斯」とは古代中東の国ペルシャのこと。平城京にはなんとペルシャ人の役人がいた。
・毎年、新しい発見によって変わり続ける歴史の姿。次はどんな新発見が私たちに届けられるのだろうか。

(2017/2/10視聴・2017/2/10記)

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【ドキュメント72時間】別府 百年の温泉で

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【ドキュメント72時間】
「別府 百年の温泉で」

(NHK総合・2017/2/10放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

【先日の放送の感想 追記】
伯爵邸

 まず今回の感想の前に1月27日放送「なぜか大宮 喫茶店は待っている」の舞台となった喫茶「伯爵邸」に先日訪問したので、その報告を写真付きで。

伯爵邸

 番組の放送直後のランチタイムというのもあって店の前に何人か行列が出来ていましたが、少し待つとすぐに店内に入れました。映像にもあったおしゃれな置物たち。

伯爵邸

 お砂糖入れなどの小物も凝っていますね。ちなみに喫煙可のお店なので煙もくもくだったらイヤだなと思いましたが、ちょうど吸っている人も多くなかったせいか余り気になりませんでした。

伯爵邸

 連れ合いが注文したオムライス。やっぱりサービス盛り。

伯爵邸

 私はナポリタン。行きつけのお店が神保町にあるのですが、そことはまた違った味わい。どちらかと言うとややあっさりしている感じで、シーフードが入っているのが特徴でした。

 あと特筆すべきなのはコーヒーが大変美味しかったです。都内でそれなりのお値段がする珈琲店のものと遜色ない本格的な味。ランチタイムで+200円で飲めたのは、ある意味ラッキーだと感じました。

 何しろ24時間営業ですから大宮にいつ着いても立ち寄れるのがいいですね。モーニングも食べてみたいし、東北方面に旅行に行くときに途中下車してみようかなと思いました。


 さて今回の感想です。別府は「ブラタモリ」でも先週、今週と登場している中(→【ブラタモリ】#62 別府温泉~別府はなぜ日本一の温泉に?~)、「ドキュメント72時間」の舞台も別府温泉。NHKによる「別府強化月間」なのでしょうか(笑)

 それはさておき、昔ながらの共同浴場です。地元の人たちにとっては内風呂のようなものなのでしょう。観光客でマナーに違反する人は容赦なく怒られて当たり前。完全アウェーの世界ですね。それを覚悟のうえでなければ近寄れません。

 でも私も別の温泉の共同浴場には何度かお邪魔したことがありますが、そんなにビクビクしなくてもフレンドリーな人たちが多いものです。挨拶をちゃんとするのと、話好きな人の聞き役をすれば仲良くなれます。番組でも1日3回も入っているというお喋り大好きなおじさんがいましたね。まあ、そういう方に出会ったら、とにかく話を聞いてあげましょう、湯あたりしない程度にね。

 温泉は昨年も冬の津軽のがありましたが(→冬・津軽 100円の温泉で)、やはりこの季節が一番盛り上がるのでしょうか。昨年末に栃木の山奥に行きましたが、またゆったりと浸かりに行きたくなりました。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今日の舞台は湯煙が立ち込める街・別府。日本一お湯が湧く温泉地。その一角に街のシンボルといわれる建物がある。のれんをくぐると小さな湯船が一つあるだけ。昔ながらのスタイルを100年以上守り続けるこの温泉で別府の人たちの人生をのぞいてみた。

・1月9日(月)14時。昼下がりの男湯はたくさんの人で賑わっている。
・今どき珍しいシャワーのない洗い場。湯船のお湯で豪快に流すのが別府流らしい。
・無断で写真を撮る観光客を注意する地元の男性。
・昔からお風呂がない家も多いという別府の街。45度近い熱々のお湯に、たった100円で入れるんだって。
・脱衣所から賑やかな声が聞こえてきた。威勢のいいおじさん。朝昼晩と1日3回入る。病気の治療を兼ねて福岡から移り住んだという元牛乳メーカー勤務の67歳男性。業界が不祥事に揺れた15年前、働きすぎて倒れてしまった。今は温泉に通い、元気を取り戻す日々。
・19時。洗い場に若者の姿。日本一周中の25歳男性。ネコと一緒に旅を始めてもう半年。資金の300万円はコツコツ働いて貯めたそう。外国からのお客さんも多い別府で人気の秘密を探っているそう。節約のためずっと車で寝泊りしているらしい。相棒の黒猫は青森で出会った人から貰ったんだって。
・夜、温泉の周りに光がともり始めた。
・男性2人に声を掛けると「温泉入りに来た、高級な」。
・実はすぐ裏は戦前からある歓楽街。湯に引き寄せられるように人が集まり、街が作られてきた。
・22時。一人の女性が駆け込んできた。営業は22時半まで、ちょっと急いでいる。15分後、さっぱりした表情で戻ってきた。ボディケアの仕事をしているという31歳女性。普段は大分空港で旅行客の体をほぐしているらしい。今夜は自分の体もちゃんとほぐれたかな。
・最後のお客さんを送り出し、温泉は眠りについた。

・1月10日(火)6時20分。まだ暗い中、地元の人たちが集まってきた。お目当ては一番風呂。まだ誰も入っていない熱々のお湯がたまんないんだって。
・一日の初め、風呂端会議に花を咲かせるのも別府ならでは。
・不動産業の77歳男性、これから仕事に向かうらしい。近頃話題の二酸化炭素の排出権取引。山あいの土地を安く買い、排出量を減らしたい企業に売っているんだって。豪快な別府の男たちを温泉が支えている。
・11時47分。迷い込むようにやって来た女性がいた。東北の鉄道会社で運転士をしているという26歳女性。久々の休日も大好きな電車に乗って旅しているそう。九州の電車からはどんな景色が見えるのかな?
・18時10分。昨日会った元牛乳メーカーのおじさん。今日も何だかご機嫌。湯船からどんどん声を掛ける。こうやって誰かと話す時間が本当に大好きみたい。毎日この温泉で友達をつくってきたおじさん。以前は家族3人暮らしだったけど、別府に来る前に離れ離れになってしまったそう。小さな声で「男をつくって逃げられた」と言う。
・いろんな事情を抱え、湯の街にたどり着いた人たち。
・1人1人の疲れを洗い流し、また新しい湯が客を迎える。

・1月11日(水)7時6分。今日も一番風呂は地元の人たち。
・9時。若者のグループが入ってきた。車の販売をしている会社の先輩(28歳)と後輩。お客さんとして知り合った看護師さん(23歳)を誘って遊びに来たんだって。実は今回の旅行、彼女のことが気になっていた先輩が企画したらしい。先輩、どうにも興奮が隠しきれない。だけど彼女の方は…。道のりは険しそうだけど頑張って。
・18時12分。近所の男性が一人でやって来た。財布に女性の写真が。聞けばモデルをしていた娘さんの写真だという。無理なダイエットとお酒が原因で9年前に亡くなった。男性は中国生まれ、妻は日本人で別府がふるさとだった。今は夫婦で小さなお惣菜屋さんを営む毎日。仕事の後、2人で温泉に通い少しずつ心を整理してきた。温泉でさっぱりして向かう先は、奥さんの待つ我が家。
・37年通い続ける常連。最初は4人、女房がいなくなり3人、子どもが独立して1人になったという。
・横浜から車で沖縄へ向かう途中、立ち寄った夫婦。男性は去年12月で仕事を辞めたという。温泉で汗を流し、2人で新たな土地へ。

・1月12日(木)6時30分。いつもと変わらない1日が始まる。

(2017/2/11視聴・2017/2/11記)

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【ブラタモリ】#63 別府~巨大温泉都市・別府はどうできた?~

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【ブラタモリ】
「#63 別府~巨大温泉都市・別府はどうできた?~」

(NHK総合・2017/2/11放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 NHKの「別府・強化月間」(→【ドキュメント72時間】別府 百年の温泉で【ブラタモリ】#62 別府温泉~別府はなぜ日本一の温泉に?~)ともいえるブラタモリの別府特集。

 温泉という観光資源を生かした町づくりの様子が大変よく分かりました。熱海の町づくりのときにも登場した京都府立大の松田先生の再登場(→#27 熱海~人気温泉地・熱海を支えたものは?~)。私も覚えていましたが、美人好きのタモリ氏も嬉しそうでしたね(笑)

 遊園地ラクテンチにあるケーブルカーは「犬型」「猫型」というユニークなもので、番組で紹介されるかなと思ったのですが…取材当時、メンテナンスのため休園していたのですね(2017年2月28日まで休園)。それでパスされてしまったようです。タイミングがよくなかったですね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今日のスタート地点は別府の「海地獄」。
・別府で「地獄」とは高温の蒸気や温泉が自然に湧き出す場所のことをいう。地獄にも様々な特徴がある。海地獄は含まれる鉱物に光が反射して青く見える。温度は約98度。
・旅のお題は「巨大温泉都市・別府はどうできた?」
・案内人は前回に引き続き別府市教育委員会の永野康洋さん。
・大分県第二の都市・別府。市内から湧き出る温泉の量・種類はともに日本一。街には大きく分けて8つの温泉地があり、これらを総称して別府温泉、「別府八湯」ともいう。
・中でも観光の目玉となっているのが「地獄巡り」。いくつもある地獄を回って楽しむことができる。永野さんオススメの地獄は「鬼山地獄」。ワニが約70頭いるという。
・江戸時代の別府と言われていたのは海外沿いの小さな村だった。別府八湯はそれぞれ別の村にあった。しかも当時は大分市に近い隣の浜脇村の方が温泉地としてよく知られていた。

・早速一行は海岸近くの「別府村」と呼ばれた場所へ。
・2人目の案内人は去年の熱海以来、2度目の登場。京都府立大学専任講師(都市史)の松田法子さん。学生時代から温泉町別府の成り立ちを研究している。
・港につくられた防波堤の痕跡(石垣)が残されている。明治4年、別府村の海岸に大きな船が泊められる近代的な港が完成。温泉を楽しむため遠くから客が来るようになり、海岸沿いには旅館や共同温泉がつくられた。
・更に港が完成した2年後の明治6年、大阪との定期航路が出来た。関西と直接つながった別府村は急速に発展していった。
・港の隣には砂湯もあったという。
・江戸時代までは小さな温泉地だった別府村。港が出来たことをきっかけにたくさんの人が集まり発展していった。

・続いて一行は港から山に向かって1km、現在の別府の中心地。明治の終わりに浜脇村を合併して町になった別府がその後どう発展していったのか探る。
・急激に観光客が増えた別府町。明治の終わりには海岸沿いを中心に約300軒の旅館が建ち並んだ。更に町を拡大するために碁盤の目のような道をつくり、市街地を整備した。別府は海側から山側へと広がっていった。
・古い道の下には流川という川が暗渠となって今も残っている。江戸時代の別府の地図を見てみると「湯ノ川アリ」と書かれている。お湯が流れていた。
・流川沿いは掘れば温泉が湧く場所だった。明治以降、港にも近いため温泉の開発が進み、たくさんの旅館が建ち並んでいった。
・明治40年代にまちを整備する際、まちづくりの軸に選んだのが当時一番賑わっていた流川沿いだった。ここに真っ直ぐな道を通して「流川通り」と名づけた。
・暗渠を辿っていくと僅かに川が見える場所が残されていた。

・続いて一行は街の軸となった流川通りの突き当たりへ。ここで別府の街が温泉都市として大きく発展していく戦略が分かるという。
・市街地の整備が完了した昭和の初め。温泉都市を目指す別府では様々な観光娯楽施設がつくられた。「九州の宝塚」と呼ばれた華やかな少女歌劇団の舞台。高さ24mで当時東洋一の大きさを誇った別府大仏。
・そして昭和4年、子どもも楽しめる施設としてつくられたのが遊園地(ラクテンチ)。山の上にあるアトラクションまで当時最新のケーブルカーで観光客を運んでいた。
・遊園地になる前に何があったのか、一行は裏山を登っていく。古い地図を見ると流川通りの先にあるのは金山。明治36年、この山でとても質の良い鉱脈が見つかり金や銀の採掘が始まった。別府金山は最盛期には年間20kg近くの金が採れていたが、温泉が出てしまい坑道がサウナ状態になってしまったため閉山しなければならなくなった。
・金山として使えなくなったこの山に温泉都市・別府のシンボルとして遊園地をつくった。

・続いて一行は別府エリアから鉄輪エリアへ。鉄輪は長期間滞在する湯治客向けの温泉地として人気だ。部屋だけ貸して自炊をしてもらう貸間のスタイル。今は別府の他の温泉地では殆ど見られない。
・温泉から出る高温の蒸気を使って食材を蒸すのが鉄輪温泉名物の「地獄蒸し」。
・別府には湯治ができるエリア、観光名所「地獄」を持つエリア、湯の花がとれるエリア、美しい眺めが楽しめるエリアなど様々な魅力を持つ温泉地がある。
・昭和10年の大合併により別府エリアをはじめ8つの温泉地の魅力がひとまとめになった。こうして日本一の巨大温泉都市・別府が誕生した。

(2017/2/12視聴・2017/2/12記)

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#44 会津磐梯山~会津磐梯山は“宝の山”?~
#43 会津~会津人はアイデアマン!?~
#42 横須賀~なぜ横須賀は要港(ヨーコー)っスカ?~
#41 お伊勢参り~人はなぜ伊勢を目指す?~
#40 伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~
#39 志摩~志摩の宝は絶景が生んだ!?~
#38 横浜~横浜の秘密は“ハマ”にあり!?~
#37 京都・伏見~伏見は“日本の首都”だった!?~
#36 京都・嵐山~嵐山はナゼ美しい!?~
#35 水の国・熊本~“火の国”熊本は“水の国”?~
#34 熊本城~熊本城は“やりすぎ城”?~
#33 那覇~那覇は2つある!?~
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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第6回 初恋の別れ道

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第6回
「初恋の別れ道」

(NHK総合・2017/2/12放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 亀之丞帰還→元服して直親に→次郎法師が還俗→めでたく結婚とトントン拍子にはいかない。次郎にとってはちょっと切ない回でしたね。井伊家を守り抜くために自分は直親の「竜宮小僧」となる決意を固めたことが、後々に効いてくることになるわけです。

 ところで気になったことが2つ。一つは南渓和尚が次郎にした趙の道威が2人の大臣に饅頭を渡した話は元になる話があるのか、それとも創作なのでしょうか。ネットで調べても今のところ出てこないので後者なのかなあ…。

 それから後々に徳川家康という人になる竹千代さん。これまた後々に彼の正室(築山殿)になる瀬名姫の前でスズメを飼い慣らすシーンがありましたが、あれも元ネタがあるのかな。戦国史に詳しい小和田哲男先生がドラマの監修をされているので、こういう話は何かの文献に残っているのかと思えてしまいます。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・行方知れずだった許婚・亀之丞と10年ぶりに再会した次郎。

・亀之丞(三浦春馬)は次郎(柴咲コウ)に還俗して夫婦になろうと言う。
・そして亀之丞は元服し井伊直親と名を改める。
・井伊直盛(杉本哲太)、井伊直平(前田吟)たちも次郎を還俗させたいと考えたが、小野政次(高橋一生)からまずは直親の帰参を今川家に許してもらうことが先決だという。
・そこで直盛は義兄の新野左馬助(苅谷俊介)に今川の様子伺いを依頼する。しかし今川は戦のさなかで、直親の帰参は了承してもらえたとしても次郎の還俗まで申し出るところまで言い出せる状況でなかった。
・それでも直親は諦めずに、密かに直平に相談して次郎を死んだことにして隠れて夫婦になろうと申し出る。
・しかし次郎は井伊家の行く末を案じ、直親とは一緒になれないと言う。自分は直親にもしものときがあったとき、井伊の家を守るための存在として控えていたいというのだ。
・意を汲んだ直親は奥山朝利(でんでん)の娘・しの(貫地谷しほり)と祝言を挙げた。
・直親が戻ってきたことは止まっていた時を動かし、井伊のそして次郎法師の運命を大きく突き動かすことになる。

<直虎紀行>
・直親が妻に迎えたのは、奥山という地を拠点としていた奥山朝利の娘だった。今もその辺りは奥山と呼ばれている。
・みかん畑が広がる奥山氏居館跡。秋には豊かな実りを見せ、この地を彩る。
・居館跡から更に山奥へ進むと現れる奥山方広寺。奥山氏が建立し、600年以上の歴史を持つ寺だ。参道の五百羅漢が長い時を超えて参拝者を見守り続けている。
・井伊と奥山、両家の結びつきが井伊家の未来に光をともした。

※奥山方広寺(JR「浜松」からバス「奥山」下車 徒歩15分)
※奥山氏居館跡

(2017/2/12視聴・2017/2/12記)

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おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」完全ガイドブック (TOKYO NEWS MOOK 591号)

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」完全読本 (NIKKO MOOK)

おんな城主 井伊直虎と井伊直政の真実 (別冊宝島 2528)

井伊直虎と謎の超名門「井伊家」 (講談社+α文庫)

※関連ページ(おんな城主 直虎)
第5回 亀之丞帰る
第4回 女子にこそあれ次郎法師
第3回 おとわ危機一髪
第2回 崖っぷちの姫
第1回 井伊谷の少女

※関連ページ(井伊直虎関連)
【にっぽん!歴史鑑定】井伊直虎はなぜおんな城主となったのか?
【歴史秘話ヒストリア】おんな城主 直虎のイロハ
【歴史秘話ヒストリア】それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~

【明日へ―つなげよう―】“奇跡”の子どもたちはいま~津波を生きのびた中学生~

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【明日へ―つなげよう―】
「“奇跡”の子どもたちはいま~津波を生きのびた中学生~」

(NHK総合・2017/2/12放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 東日本大震災が発生したとき、釜石東中学校の生徒たちは学校にいた全員が迅速に避難を完了させて無事だったという話は、当時から大変有名になりました。日頃の避難訓練が本当に大切であるのと同時に「津波てんでんこ」という言葉(「海岸沿いで大きな地震が起きたら各自で高台に避難すること」という教訓)が生かされたということにほかなりません。

 そんな「釜石の奇跡」とも呼ばれた中学生が成人式を迎える年齢になったのですね。そりゃそうです、震災から今年で6年になるのですから。そういえば阪神・淡路大震災の年に生まれた子どもが成人したという話もありました。年寄りくさい言い方かもしれませんが、本当に年月が経つ早さを感じます。

 そして中学生という多感な時期に震災を経験した子どもたちが、その経験と将来の進路を重ね合わせていく。3人の若者たちのまさに三者三様の姿がとても真っ直ぐに感じられ、観た後の清々しさを感じました。

 どうしても復興を担うのは若い人たちが中心にという期待感があるかと思いますが、決して若者だけに押しつけていいわけではありません。決して風化させることなく、みんなが力を合わせて復興を進めていくことが大事です。私も微力ながら今年も東北にお伺いして復興のお手伝いができればと思っています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

「フォックスという名の白鳥の物語」。突然のことでした。誰もが安らぎに満ちていた湖、それが荒々しく波立っています。たくさんの仲間の鳥たちがその渦に飲み込まれてしまいました。

・この絵本を描いた狐鼻若菜さん(21)。自分が体験した東日本大震災を物語で伝えようとしている。

いざというときに身を守れないかもしれないから、絵本を通して感じてほしい(狐鼻さん)

・“奇跡”の中学生――狐鼻さんはそう呼ばれていた。2011年3月11日、東日本大震災。彼女のふるさと、岩手県釜石市。通っていた釜石東中学校は津波に飲み込まれてしまった。学校にいた子どもたち570人は全員が無事だった。「釜石の奇跡」とも呼ばれている。
・あれから6年、自分の将来を決める年齢になった。成人式を迎えた岡道一平さん(20)。津波に流された町に戻るか悩んでいた。

被災地出身だから、被災地にいかなきゃいけないのか。(地元に)残ったらいいのか、自分の好きな分野にいけばいいのか、揺らいでいるところで(岡道さん)

・地元・釜石で介護士として働く佐々華波さん(21)。迷いながら、ふるさとのためにできることを探している。

他の道を選んだとしても楽しいのは一瞬かな。満たされれば、そこで捨てちゃうかもしれないけど(佐々さん)

・津波を生き延びた子どもたち、それぞれの今を見つめる。

<生き残った意味を考える>
・5年ぶりに集まった中学校の同級生。

ただいまより釜石東中学校、平成24年度卒業生同窓会を開会します。

・あの日、津波を生き延びた中学2年生は20歳になった。大学生や会社員、これからふるさととどう向き合っていくか決めようとしている。

東京でやりたいことがあって行ったから、今のところ(釜石に)戻る予定はないです(大学生の女性)

(釜石に)残る気ですね。震災を受けた町、地元で働いているので頑張らなきゃなって気持ち(会社員の男性)

・でもまだ答えを見つけられない人いる。岡道一平さん(20)。

自分が20歳前後になって、就職とかいろいろ考えなきゃなくなった中で、被災地出身だから被災地にいかなきゃいけないのか。ずっと育ってきた場所だし、やっぱり。残ったらいいのか、自分の好きな分野にいけばいいのかっていうのは、揺らいでいるところではありますね(岡道さん)

・釜石市から車で2時間離れた岩手大学。工学部2年生の岡道さんは、入学した頃は復興に役立つ仕事をしたいと思っていた。でも今、自由に自分の将来を選びたいという気持ちとの間で揺れている。ふるさとを離れて初めての一人暮らし。大切にしている写真がある。

中学3年生の中総体の最後の大会のときの写真です(同上)

・バスケットボール部では、どんなときでもみんなをまとめようと頑張るキャプテンだった。岡道さんもあの津波を生き延びた中学生。
・3月11日、岡道さんたち釜石東中学校の生徒は自分で判断で避難を始めた。近くの小学校の子どもたちの手を引いて、高台を目指して走った。

これは生きるか死ぬかってすごい思ったし、生きなきゃって思って一所懸命走ったことはすごい今でも覚えてます。ただ怖かったです(同上)

・1km先の避難場所に着いたその時。学校と坂の下に広がる町が津波に飲み込まれていった。避難した子どもたち全員が助かり「釜石の奇跡」と言われた。でも暮らしていた町では大勢の人が亡くなった。死者・行方不明者は1063人。
・間もなく大学で専攻する学科を決めないといけない岡道さん。生き残った意味を考えてしまいます。

何か自分たちだけ助かったわけじゃないですか。結構近かった人たちが亡くなったり。友達の親族であったり友達であったりとか。しかも大勢亡くなったので。人だけじゃなくて物も家もなくなってしまったので、そういう後ろめたさというのは感じますね。他の人が亡くなって自分たちが生き残ったから。自分たちしかいないんじゃないかなっていう思いは、ちょっと引っ掛かるところでは多分あると思うんですよね(同上)

<震災後、九州に引っ越した>
・津波を生き延びた中学生の中には、ふるさとを離れて苦しんできた人もいる。長崎の大学生、狐鼻若菜さん(21)。アルバイトをしている絵画教室、小さい頃から得意だった絵を子どもたちに教えている。
・あの日、狐鼻さんは中学3年生。震災で暮らしが大きく変わった。中学校を卒業してすぐ母親のふるさと、九州に引っ越した。暖かい部屋で温かい食事を食べていると、ふるさとの友達を思い出した。

こっち来る直前まで一緒に避難所で友達と生活してたから。その友達を置いて、この普通の生活に戻るっていう…罪悪感じゃないけど(狐鼻さん)

まだすごい大変な状況の中で食べるものもない状況で、自分だけ逃げるような(母・幸子さん)

・でも釜石を離れた狐鼻さんは「奇跡の中学生」のままでした。当時の新聞記事がある。震災を奇跡的に生き延びた中学生が引っ越してきたとニュースにもなった。
・あの日、4階建ての校舎を飲み込んだ津波。狐鼻さんたちは偶然生き延びることができたわけではない。小学校の学芸会では津波をテーマに劇を演じた。

大変だ。波がどんどん引いていっている。おっきい津波が来るぞ。早く高台のお堂のそばに逃げろ!

津波が来るぞ!早く、早く逃げろ!


・何度も津波に襲われてきた釜石市。小さな頃から命を守る大切さを教わってきた。

奇跡っていうよりは、それだけ防災教育も盛んだったし。偶然の奇跡じゃなくて。「釜石東中学校出身」って言ったときに「あ、釜石の奇跡の中学校でしょう」って言われたら、知ってもらえてるんだっていう嬉しさはありますけど。何か実際、釜石市内でも犠牲者は多いし。そうやって奇跡って、こう称賛されるのには違和感あります(狐鼻さん)

・どこまでもついてくる「奇跡」と、ふるさとを離れてしまった後ろめたさ。いつの間にか友達にも震災のことを話せなくなっていた。

高校で知り合った友達には、それまでの自分のことを隠しているっていうか。違う自分をつくっているような。何か釜石に住んでたときと福岡に引っ越してからの自分が別物みたいな感覚があって。何かどんどん元の自分を自分でも忘れてきてるような感覚がありました(同上)

<地元に残るか出るか悩む>
・将来、ふるさとの役に立つ仕事をするか悩んでいる岡道さん。冬休み、親友が盛岡を訪ねてくれた。青森大学に通っている阿部祐弥さん(20)。彼は小学校からの幼なじみ、将来のことを思い切って聞いてみた。

将来は?(岡道さん)

自分は決まってるの?俺はお前のちゃんとした将来の夢は聞いたことないけど(阿部さん)

未定だけど、まずは戻るか出るか問題だ(岡道さん)

そこから?まずそこから?(阿部さん)

そこからじゃん。世の中の風潮として何か、若者は(地元に)残って頑張れみたいな風潮あるじゃん、多少(岡道さん)

気にすることはないでしょ(阿部さん)


・甲子園出場の夢を叶えるため、釜石を出て野球が強い高校に進学した阿部さん。大切にしてきたことがある。

ひとつだけ俺が曲げられないのは、やれることやるわけじゃなくて、やりたいことをやればいいじゃん。そう学んできたんだよ、俺は(阿部さん)

地元とかそういう概念はないと。地元に残るとかないんだね(岡道さん)

地元に残るかどうかはさ、やりたいことがそこで出来るかどうかだ(阿部さん)


・言っていることは分かる。でも…。

(地元を離れる)後ろめたさとかない?(岡道さん)

どんな形であってもさ(地元に)貢献はできるわけだ。自分の好きなとこでさ(阿部さん)

なるほど(岡道さん)

だってそこで働いて、釜石で働くことだけが釜石に貢献することではない(阿部さん)


・阿部さんの言葉を聞いて、岡道さんは半年ぶりにふるさとに戻った。津波で流された町には、ようやく家が建ち始めている。懐かしい場所を見つけた。

ここでずっと野球の練習してました。防波堤なんですけど、角度が絶妙で投げると返ってくるんですよ。ここでずっと投げてました。野球ばっかしてたんで(岡道さん)

・岡道さんの自宅も津波に流されてしまった。

家の跡だと思います。ここら辺ですね、たぶん。たぶんこの辺だと思いますね。塀とかあって分かりやすかったんですけど、もう無くなったので(同上)

・両親は自宅を建て直して、ここで暮らすと決めている。でも元の暮らしを取り戻せるかは分からない。震災前この地区には700人が住んでいたが、今は500人を切っている。

やっぱ、やりたいことやろうかなってずっと思ってたんですけど、こういうの見ちゃうとやっぱりちょっと残った方がいいのかなというのは。後ろ髪引っ張られるような感じがしますね。心配だなというのはちょっとあって。まあ、僕一人でそんな変わるかどうかっていうのはあれなんですけど、出ることによって何か、うーん…このままなんじゃないかなというのは、ちょっと脳裏をよぎるんですよね(同上)

<震災の経験を話そうと決意した>
・ふるさとを離れて震災のことを話せなくなった狐鼻さん。そんなとき自分を変えてくれたのが、大切な友人たちとの出会いだった。もうすぐ狐鼻さんの誕生日、内緒で用意したケーキでお祝いしてくれた。

なんかこういうハッピーバースディ初めて(狐鼻さん)

・出会ったのは大学1年生のときだった。関西の学生が開いた東北の若者との交流会。地元の友達に会えるならと参加した。そこでは同じ世代が自分の体験を精一杯伝えようとしていた。

ただ津波が自分の家をもっていったっていうだけで、その悲しみとか怒りを誰にどこにぶつけたらいいのか分からない(女性)

いっぱい考えて言いたいことはあるのに、震災のことを話そうとすると悲しくないけど涙が出てくる(女性)

・「自分も話したい」ふるさと釜石を離れて初めてそう思った。

同じ東北組の子がこんなにつらい思いして自分たちが伝えなきゃって言ってるのに、何かもう考え方が全然変わって。今まではどう周りに心配かけないようにするかとか、気を遣わせないようになるべく思い出さないようにと思ってたけど、私はもう被災したし九州にも大事な友達いっぱいいるのに、何で話してこなかったんだろうって。でもすごい後悔して話そうと思いました(狐鼻さん)

・どうやって自分の体験を伝えよう。思いついたのは、子どもの頃から得意だった絵。災害でふるさとをなくした白鳥の物語。自分の体験をもとに絵本をつくろうとしている。

これは地震があったときに逃げているところです。始めから、これ震災の話ですよって言ったら構えてしまうし、自分も話しづらいところもあるから。絵本を通して、こういうことを伝えたかったんだなって分かってもらえたら嬉しいです(同上)

・あの日の自分のように、一人でも多くの人に命を守ってほしい、絵本に込めるメッセージ。

こう描かなきゃと思ったら、すごい余計プレッシャーっていうか…(同上)

・絵本を発表するのは2か月後の朗読会。思いはきっと伝わる。

<釜石で生きることを決めた>
・津波を生き延びた中学生。その中には釜石で生きることを決めた人もいる。佐々華波さん(21)。

春の朝5時の空と、秋の朝5時の空だと違うんですよ、その季節で。そういう変化が好きだったりする(佐々さん)

・佐々さんは釜石市内の介護施設で働いている。認知症の祖父を家族が苦労して看取った姿を見て介護士になった。震災の後、町の若い世代は減り続けている。3人に1人が65歳以上の高齢者。佐々さんは、おじいちゃんおばあちゃんの人気者。彼女には釜石に残る理由がある。

中学生のときに、中3の夏かな。優からもらったTシャツです(佐々さん)

・一番の親友、佐々木優さん。あの日、体調を崩して学校を休んでいた優さん。釜石東中学校の生徒でただ一人、津波の犠牲になった。

6年近く経つけど、やっぱ何年経ってても忘れない日はないし。でもやっぱ、その優のこととか亡くなった人とかのことを考えると、何かもう苦しくなるんですよね(同上)

・高校を卒業すると、同級生は殆ど地元を出ていった。でも佐々さんは、この町に残ることを決めた。自分で選んだはずのこの町。ずっとこの町にいることの意味を考えてきた。
・休憩時間、佐々さんが勉強を始めた。もうすぐ介護の国家資格の試験に挑戦する。でもふと気持ちが揺れ動くことも…。

(震災がなかったら違う人生だったかなとか)
思います、思います。めっちゃ思います。たぶん何かそういう他の道を選んだとしても楽しいのは一瞬かな、うん。満たされればそこでもう捨てちゃうかもしれないけど。自分は(釜石に)残っていることで、つらいこととかそういうのに向き合わないと、ずっとずっと逃げてく人生になるのかなって思ったりとか。やっぱり忘れたくないし。忘れたくない(同上)

<完成した絵本 そして朗読会>
・自分の体験を伝える絵本を描いていた狐鼻さん。いよいよ朗読会本番の日。会場は長崎大学の講堂。スタッフとして支えてくれる友人や後輩たち。そして協力したいと言ってくれた演出家や声優が集まった(演出家・脚本家の宇井孝司さん、声優の山田栄子さん)。
・「フォックスという名の白鳥の物語」。何とかこの日に間に合わせることができた。会場には40人近くのお客さんが集まった。
・主人公の白鳥フォックスの声は狐鼻さん。朗読会が始まった。物語はフォックスが災害でふるさとの湖をなくす場面から始まる(物語:宇井孝司さん 音楽:佐田詠夢さん)。

たくさんの仲間の鳥たちがその渦に飲み込まれてしまいました。そのフォックスが、お母さん白鳥に追い立てられるように空に舞い上がります。白い羽根と薄茶の羽根が舞い散り、フォックスは悲鳴を上げます。でも、その声は地のごう音と湖の波音にかき消されてしまいました。

ある日の夕刻のことです。一羽の白鳥の成年が水面を滑りやって来ると…。

・物語の中盤、白鳥の男の子に出会ったフォックス。ある日の晩、思い切ってふるさとをなくしたことを打ち明ける。誰にも話せないまま、押し込めていた記憶と感情。狐鼻さんが描いたのは、月の光が照らす孤独なフォックスの姿だった。

フォックスは思い切ってスカイに話し出しました。穏やかな毎日。楽しい毎日。でも、その中でも話せないあの日のことが、深いとげのように刺さったままでいたのです。

「私、私ね。みんなを見捨ててきたの。幸せになんかなれない。いいえ、なっちゃいけないの」(声・狐鼻さん)

・自分の思いを吐き出したフォックス、ある決意をする。

「でも、私は忘れない。忘れられない。ううん、忘れちゃいけないの」(同上)

それからです。フォックスはあの日のことを仲間たちに精一杯伝えるようになりました。あんなことが二度と起こってほしくないという祈りを込めて。ひと言ひと言、大切に大切に話すようになったのです。

・物語はフォックスがもう一歩、前に踏み出す場面で終わる。近くの湖で災害が起きたことを知って、フォックスは叫ぶ。

「私、行ってくる。あの南の森と湖が、きっとあの日みたいに。あの日は渡り鳥のみんなに助けてもらった。だから今度は私が。私にもきっと何かできるから」(声・狐鼻さん)

改めて考えるいい機会になりました(高校生)

こういうことを話していることはすごいことで、とても強い人だなと思いました(別の高校生)

・狐鼻さんの思いは届いたみたいだ。

白鳥が主人公の物語だから、なじみやすかったかなって思った。震災の話よりは。これからまた県外でもこういう公演開きたいと思ってて。神戸とか南海トラフの高知、四国とかそこら辺で開きたいです(狐鼻さん)

<中学時代の先生からのアドバイスは…>
・釜石に戻るか、やりたいことをやるか悩んでいる岡道さん、どうしても話したい人がいた。中学校の担任だった佐々木俊先生。あの日からずっと自分を支えてくれた先生に悩みをぶつけた。

復興の進み具合とか見てて、結局いろいろ壊して土を盛って新しい建物とか建ってても、人が戻らないとどうしようもないのかなと思ったりしていて(岡道さん)

戻らなきゃっていうふうに(佐々木先生)

義務感っていうか、後ろめたさっていうか(岡道さん)

・ふるさとを離れる後ろめたさ。佐々木先生は自分も同じ気持ちだったと話してくれた。

釜石のことが気になってしょうがない。その場にいないことが後ろめたさっていうか(佐々木先生)

・岡道さんが卒業した後、暫く転勤で釜石を離れていた先生。やり場のない気持ちのまま、必死に目の前の生徒と向き合った。

だからこそ生かされた命っていうか、自分もそうだったし、みんなもそうだったし。だからこそ特別なことじゃなくて、自分の出来ることを精一杯。それ以上のものはないんじゃないかなって。そういう気持ちで過ごしてきたのはあるかな(同上)

・先生は岡道さんの卒業文集を持ってきてくれていた。

いい事も悪い事も成長させてくれた大切な思い出。

・あの津波の後でも、岡道さんは家族や友達に支えられながら自分の成長を感じていた。

すごい心の支えだったし。起こりえないようなことが起きた後でも、普段感じない人のありがたみがありましたね。今考えれば(岡道さん)

・その自分の力を信じてほしい。先生の思いだ。

やっぱりね、可能性は無限大だと思ってるんですよ。今、若いし。俺的にはあまりこう縛りすぎないっていうか。絞りすぎずに本当に自分がやりたいこと(佐々木先生)

・悩みながら自由にやりたいことを探していけばいい。

いろんな視点で自分の将来を思い描いて進んでいくのが…進んでいってほしいなというふうには思いますね。本当、可能性の塊だよねと思う(同上)

(相談を終えて)
後ろめたさっていうのは、やっぱり震災があれだけでかいものだったので、ずっとあるとは思うんですけど。実際、先生も大人ながらにあったって言ってたし、ここから忘れることとかはないと思うんですけど。逆にそういうのも頭に入れながら、どんな形であれ、どこかで震災にその気持ちを持って復興とかに貢献できていけたらなって思いました(岡道さん)

<あの日の記憶と向き合いながら生きていく>
・2017年1月末。釜石市で介護士の仕事をする佐々さんは試験会場に向かっていた。あの日の記憶と生き延びた自分、向き合いながら自分の人生を生きていく。

つらい思いもたくさんしてきたし、でもその分、いい思いもたくさん21年間してきて、人の痛みとか心の痛みとか、だんだん自分の中で人の気持ちを考えられるようになってきたので、やりたいことはやる。最後まで貫き通すっていう精神で(佐々さん)

(2017/2/13視聴・2017/2/13記)

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【NHKスペシャル】見えない“貧困”~未来を奪われる子どもたち~

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【NHKスペシャル】
「見えない“貧困”~未来を奪われる子どもたち~」

(NHK総合・2017/2/12放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 以前、NHKが相対的貧困状態にある子どもの実態を取り上げた番組に対して片山さつきとかいう政治屋が難癖をつけたことがありました。「貧困ソムリエ」という造語もできましたね。片山ほど卑しい俗物までいかなくても「こんなの本物の貧困ではない」「これは本人の金の使い方が悪い」「家族が生活設計してないのが悪い」など揚げ足を取り、問題の本質が分かっていない声も散見します。

 今回のNHKスペシャルはそうしたバッシングを極力回避しつつ、出て来る用語のきちんとした解説、取り上げた家庭のケースを詳細に伝えるなど丁寧なつくりになっていて実態がリアルに伝わってきました。高橋みなみさんの実体験の告白も大変鋭い問題提起になっていたと思います。

 今の日本社会の現実の姿をみるにつけ、これから結婚して子どもを持とうという気持ちを積極的に抱けない人が増えているのも頷けます。私も配偶者はいますが、子どもは持たないと決めています。老いたときのリスクは極めて高いのですが、覚悟のうえです。少子高齢化を進める側に立っているのは承知しています。社会に対して申し訳ありませんが、考えを改めるつもりはありません。

 ただそういう考えに至った過程についていえば、社会の隅々にまで蔓延した「自己責任」「自助努力」という風潮があります。子どもを持っても自分に何かあったときのことを考えると不安で仕方ないですね。社会は決して助けてくれないと思っていますから。

 これを広めたのは2000年代初頭の小泉・竹中などの新自由主義者たちにほかなりません。雇用の不安定化、福祉の切り捨てなどによってセーフティネットは穴ぼこだらけになりました。そのうえ人々の間に広がったのは「助け合いの精神」ではなく「分断と対立」です。ごくごく一部の不正受給者を槍玉に挙げて、生活保護受給者全体に対して見下すようなバッシングが起きているのが最たるものです。

 子どもが親の懐具合を心配し、進学するにあたって学費のことを心配しなければならないような社会は異常を通り越して狂っていますよ。内乱か戦争でも起こっている国なのかと言いたい。高橋みなみさんが仰った「『子どもが子どもとして生きる権利』『親が親として生きる権利』を守るのは国だ」という言葉は、まさに正鵠を射ていると思います。

 今すぐ出来ることは「奨学金」という言葉に値しない「教育ローン」を返済不要のものを拡大する、高い学費を下げる、児童扶養手当の増額などたくさんあります。将来への投資と考え国がきっちり予算をつければ即可能です。さらに中長期的な対策として雇用の不安定化の解消、社会保障の充実などセーフティネットをきちんと確立させていき、社会的に蔓延した過度の「自己責任論」を克服して「共助」の精神を広げていくことです。

 若者たちも18歳になれば、選挙という社会を動かすための直接的な行動ができます。どこがいい誰がいいと断定できる人や政党はなかなかありませんが、それでも自分の目や耳で見極めて行動してほしいと思いますね。大人も然りです。「自分は関係ない」と思っている人も自分を守ってくれる社会(会社)などないと思った方がいい。油断しているとある日突然、下層に叩き落されますよ。そのときに途中で掴める網(セーフティネット)がなければ底までまっしぐら。それまで一生懸命に税金を納めてきたのに「自己責任」と割り切れますか?

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・タレント・歌手の高橋みなみ氏(以下、高橋氏):NHKスペシャル、今日のテーマは「見えない貧困」です。
・鎌田靖解説委員(以下、鎌田氏):徹底して、見えない貧困を解き明かします。

・今、子どもたちに見えない貧困が広がっている。千葉県内の公立高校。一見、どこにでもいる生徒たち。しかし生徒にアンケート調査を行ったところ、教師たちにも見えていなかった実態が浮かび上がってきた。アルバイトをしている生徒の半数以上が、その理由を「生活費のため」と答えた。
・ある高校2年生の女性生徒もその一人。非正規の仕事をする母親を助けるために、2つのアルバイトを掛け持ちしている。平日は4時間、休日は8時間、働きづめの日々だ。

ちゃんと自分で稼いで、少しでもお母さんが楽になればいいなって(女子生徒)

・スマートフォンを手に、着飾って街を行き交う子どもたち。今、日本ではこの中の6人に1人が貧困状態に置かれている。しかし子どもたちが具体的にどのような困難に直面しているのか、殆ど分かっていなかった。今、各地の自治体では貧困状態にある家庭の中の細かい状況まで聞き取る、これまでにない調査を始めている。
・小学5年生の女の子。小学生になってからお下がりばかりで新しい服を買ってもらったことがない。働く母親に代わって毎日、家事をしている。

お母さんが忙しいから、さみしい(女子児童)

・中学3年生の男子生徒。塾や習い事に通えず、高校進学後に部活動を続けることも諦めたという。

お母さんがどんだけ頑張っても収入とか大体分かってるってのもありますし、自分も我慢できることなら我慢せなあかんなって(男子生徒)

・調査からは、子どもが当たり前に持っているはずの物、人との繋がり、教育の機会などが奪われていることが分かった。私たちは、子どもたちの未来のために何をしなければならないのか考えていく。

<子どもの6人に1人が「相対的貧困」に置かれている>
・鎌田氏:日本の子どもの6人に1人が貧困状態にあるとよく言われるんですけども、実は具体的にどんな状態に置かれているかっていうのは分かっていない。つまり見えてこなかったんですよね。今、実は言われている貧困というのは「相対的貧困」ということなんですが、これ聞いたことありますか?

・高橋氏:聞いたことなかったですね。この相対的貧困というのは、どんなものなんでしょう?

・鎌田氏:その人が暮らしている社会の普通の生活水準と比較して下回っている状態のことを言うんですよね。その水準というのは、国ですとか地域ですとか、あるいは時代によっても異なるので、だから絶対的ではなくて相対的ということなんですね。
 具体的にこれどんな数字化といいますと、収入(可処分所得)の少ない人から収入の多い人まで並べていって、真ん中の人(中央値)の収入を基準にして半分より以下の人が貧困層ということです(16.3%・国民生活基礎調査・2012年)

・高橋氏:6人に1人ですか。

・鎌田氏:日本の場合には6人に1人が貧困状態にあるということなんです。

・高橋氏:これ年収だとどれぐらいになるんですかね?

・鎌田氏:実際の金額にすると基準となる1人世帯の場合には122万円。そして両親と子ども2人の場合には244万円というのが基準です。月収すると20万円以下だと貧困状態だということなんです。

・高橋氏:20万円というふうに聞くと、ギリギリどうにか生活できるんでしゃないかなというのも少し思ってしまうんですけども。

・鎌田氏:そうですね、そう思いますよね。ただ困っている人というのは現実にいるわけなんですよね。だからこそ、これ「見えない貧困」というふうにいわれているということなんですね。しっかりこれを調査して、子どもたちが具体的に何に困っているのか可視化しよう。つまり見えなかったものを見えるようにしようという実態調査が、全国の自治体で今年度始めて行われている大規模な調査。

・高橋氏:これは大事ですよね。

・鎌田氏:そうなんですよね。国の補助金で行われているものだけに限ってみても62の自治体で調査が行われて今、次々に結果が分かってきているということなんですね。その中でも最も規模の大きい調査を行っているのが、大阪府なんですね。

<大規模調査 見えてきた実態>
・今年1月、大阪で実態調査の中間報告が行われた。

非常に困っている世帯の方が声を上げられているかというところが、非常にやっぱり大事だろうと思います(調査を行った専門家)

・回答したのは全市町村の小中学生と保護者、約5万世帯。全国最大規模の調査だ。世帯の手取収入の中央値の半分未満、相対的貧困にあたる「困窮度1」の世帯は今回の調査では12.3%に上った。
・この調査では、生活の実態を明らかにするために「剥奪指標」という新たな指標が使われた。経済状況が標準的な家庭と比べ、貧困状態に置かれた子どもたちは何を奪われているのか調べた。

一番しんどい層の人たちがどれぐらい支援に届いていないのか。どこに重点的に(支援を)手厚くしていかないといけないのか。すごく子どもの姿が見えてくると思う(大阪府立大学の山野則子教授)

・約200の質問項目から剥奪状況を調査。見えない貧困の実態が初めて浮かび上がってきた。「病院に行かせることができない」という指標では標準的な世帯が0.6%に対し、困窮度1の家庭は7.7%。困窮度1の家庭が高くなっていた。
・関西地方に暮らす母子家庭の4人家族。高校生の長女(18)、中学生の長男(15)、小学生の次女(11)そして母親の陽子さん(仮名)。
・週に5日、病院でパートをしている陽子さんの収入は月におよそ14万円、児童扶養手当などを含めても(収入約20万円で)相対的貧困の状態だ。家賃や光熱費などを引くと殆ど手元に残らない。
・一見、不自由なく見える暮らし。しかし家具や家電、ピアノなど殆どが譲ってもらったものだという。

サッカーしよったらビリって(彰くん)

・中学3年生の彰くん(仮名)が持っている運動靴は一足のみ。

お姉ちゃんが中学校のときに使ってたやつで、女子のなんでボタンの方向が違う。みんな気づきませんし、全然大丈夫なんですけど(同上)

・中学校の制服は3年間、姉のお下がりで通した。「子どもに新しい服や靴を買えない」という家庭は困窮度1で27.6%。
・その一方「スマートフォンやタブレット機器(がある)」は困窮度1の家庭の子どもの61.5%が持っていて、標準的な家庭を上回っていた。高校3年生の姉の舞さん(仮名)は、中学3年生のときからスマートフォンを渡されている。
・陽子さんはパートの仕事で殆ど家にいない。スマートフォンは、母親が子どもの安全を確認するためのライフラインになっているという。

連絡手段とか。やっぱり月々(料金)で言ったらお母さんのと2人分だから大変とは(お母さんが)言ってました(舞さん)

・調査からはある傾向が浮かび上がった。「ゲーム機がない」「自転車がない」「テレビがない」。子ども同士の付き合いやコミュニケーションに欠かせないものについては、殆ど違いはなかった。その一方で、彰くんは本を殆ど買ってもらったことがない。

僕のお母さんのお兄ちゃんが子どものときに使っていたやつで、動物とか好きやったんでそれで貰って。おじさんが子どもの時だから40年とかそれぐらい前なんで(彰くん)

・子どもの知識を深めるために必要な本。困窮度1では29%が「本がない(教科書やマンガは除く)」と回答した。
・更に部活動で使う運動用具。これも28.3%の家庭が「運動用具がない」と回答。彰くんは中学校の3年間、バスケットボール部でキャプテンとして活躍してきた。しかし高校で続けることは諦めた。

正直入りたかったんですけど、家のこと見たらしかたないかなって。かといってお母さんがちゃんと仕事をしていないとかじゃなくて、やってくれてるんで、それは自分も我慢できることなら我慢せなあかんなって(同上)

申し訳ないっていうのが大きいんですけど、やっぱり金銭面で気を使わせているのは子どもなのに大人にしちゃっているので(母の陽子さん)

・彰くんは家庭の経済的な事情を友達に話したことはないと言う。

難しいんですけど、なんか人より劣ってるっていう言い方はたぶん変なんですけど、やっぱあの、友達みたいに欲しいもんすぐ買ってもらえんかったりとか、やっぱそんなん(家の事情)はあんまり言いたくないですね(彰くん)

・小学5年生のなつみさん(仮名)。放課後、同級生と遊ぶこともなく、すぐに家に帰る。朝早くから夜遅くまで働く母親に代わって家事をするためだ。家族4人分の洗濯。しかしなつみさんは小学校に入ってから、新しい服を買ってもらったことはない。

お母さんが忙しいから。朝の7時半に出て6時半か7時に帰ってくる。けっこうさみしい(なつみさん)

<大規模調査 “繋がり”の剥奪>
・今回の調査では、子どもたちから奪われているのが物だけではないことが分かってきた。人との繋がりの剥奪だ。家族や人との繋がりは、子どもたちがこの社会で生きていくために必要な土台だ。
「学校から帰っても家に親がいない」子どもは標準的な家庭が37.7%に対し、相対的貧困にあたる困窮度1の家庭で50.1%。親子の大切な思い出になる「家族旅行ができなかった」と答えた世帯は困窮度1で46.2%に上る。
・なつみさんの母親が帰ってくるのは夜7時頃。それまで兄の小学6年生の大樹くん(仮名)と子どもだけの時間が続く。母親の真弓さん(仮名)は日中の仕事と宿直の仕事を掛け持ちして、子どもたちを育てている。真弓さんの仕事は手当を入れて月に約20万円。

私の帰ってくるまでの時間が長いから、何かなかったり何かせんかったら、やっぱりおれないんでね(真弓さん)

~お母さんへ~
アイロン■があしたかけるからやらなくていいよ。


・大樹くんが書いてくれた置き手紙を写真に撮って、いつも持ち歩いている。戸建ての住宅は亡くなった父親が買ったもの。病気の母親への仕送りもしているため、1日の食費を家族全員で1000円ほどに抑えている。

(お母さんの料理で何が一番好きなの?)
お好み焼きとオムレツ。3センチぐらいの太さのオムレツ(なつみさん)

・お金や時間を家族旅行に使う余裕もない。

うちは(家族旅行に)行ったことがない。一度も行ったことがないです。(子どもたちが)行ってきたってお土産もらうんですよ。お土産がやっぱり返せなくてね。貰うばっかりで毎回いろんな人から貰うけど、私は全然返せないって言って。夏場も海に行きたいってすごく言われたんですけど、休みが取れないのとお金がないのと、行けなくてそれで(真弓さん)

<大規模調査 “教育・経験”の剥奪>
・外からは見えにくい物や人との繋がりの剥奪。最も深刻なのが子どもの成長にとって不可欠な教育や経験の剥奪だ。困窮度1で「学習塾に通わせられなかった」「習い事に通わせられなかった」家庭はそれぞれ30%以上(学習塾35.7%、習い事31.1%)。
・更には「誕生日を祝えなかった」「学校行事などに参加できなかった」家庭も標準世帯の10倍以上(誕生日6.6%、学校行事7.3%)。子どもにとって、ごく普通の経験も失われていることが分かってきた。
・なつみさんたちも塾や習い事に通いたいと考えている。しかし母親の真弓さんは、子どもの将来について考える余裕はないと言う。

下の子はプール習いたい。プールとそろばんと習字習いたいって言ってるけど、やっぱりね月1つの習い事で5000円。行くのに交通費かかったら大きいんですよ。お米が買えたりするなあとか思ったり(真弓さん)

・夜9時、真弓さんが再び宿直の仕事に出かける時間。母親が帰るのは翌朝7時。この日も子どもたちだけで眠りにつく。大規模調査から見えてきたのは、子どもたちの未来が奪われかねない現実だった。

<有識者・専門家はどうみるか>
・高橋氏:見えない貧困は、見えないようにしているんですよね。私自身も母子家庭なので、すごく分かることがたくさんあったんですけども。本当に子どもながらに我慢を知らない間に覚えてしまうんですよ。
 中学校に行く前に中学校の運動会に行くと、前の子が使っていた制服も売ってるんですよね安く。そこで手に入れて入学式の時に着ていくんですけど、やっぱりブレザーとかもここの名前の刺繍が違ったりとかするんですけど。まあ、開かなければ見えない。ちょっと肩幅広くてもバレないっていう我慢を覚えてしまうっていうの、すごく今ふと思い出しました。

※大阪「子どもの生活に関する実態調査」
「新しい服や靴を買えなかった」困窮度1で27.6%。

お母さんも言ってらしたんだけれども、仕事の厳しさ。それからお金がないこと、それから時間のなさね。この3つというのはとてもよく重なっているというふうに的確に表現されていたんだけれども、そういう親たちが日々暮らしをしていると、子どもに言葉がけをしたり「お前はかわいい子で頑張れよ」っていうような余裕って失うんですよね。その辺りのところは、貧困という問題の奥深さといいますかね。単にお金がないという問題でない重要なポイントではないかと思いますよね(内閣府 子どもの貧困対策 有識者会議座長の宮本みち子氏)

※大阪「子どもの生活に関する実態調査」
「学習塾に通わせることができなかった」困窮度1で35.7%。
「誕生日を祝えなかった」困窮度1で6.6%。

・大阪の実態調査でも人との繋がりや教育の機会を失うことで、子どもたちが健全に成長する環境が剥奪されることが分かってきた。経済的な側面にとどまらない貧困問題の根深さだ。

・鎌田氏:今の調査で多分具体的に貧困状態に置かれた子どもの状況というの分かってきたような気もするんですけれども。

実は私も小学校6年生のときに母親を亡くしていて、父子家庭で育ったんですね。今思うとお父さんやお母さんや、そういった親や大人と一緒に過ごしたかった夜の時間が一人で過ごさなきゃいけない(貧困の子どもを支援する団体 事務局長の村尾政樹氏)

※大阪「子どもの生活に関する実態調査」
「学校から帰っても家に親がいない」困窮度1で50.1%。

・高橋氏:そうですね。本当にお母さんだったりお父さん、頑張ってくれてることは子どもながらにすごく分かるので、何か甘えちゃいけないなとか、一緒にいてほしいっていうのを言っちゃいけないなというのを子どもながらに悟っちゃうんですよね。

・鎌田氏:こうした子どもたちの支援を進めようと実態調査を行ってきたのが東京の大田区なんです。その調査結果からは、当たり前の権利が奪われることによって子どもの精神面にも深刻な影響を及ぼしているということが分かってきました。

<子どもの心にも及ぼす影響>
・大田区では区立小学校に通う全ての5年生と、その保護者を対象に剥奪指標を用いた調査を実施。約3500世帯から回答を得た。子どもが当たり前に持っているはずの物や経験14項目を選び、経済的理由で3つ以上剥奪されている世帯を支援の対象とした。
・更に剥奪で子どもの心にどのような影響を及ぼすかも詳しく調べた。区が支援が必要だとした世帯は21%に上った。中には相対的貧困にはあたらない子どもも含まれていた。

世帯収入だけではなくて生活のしがたさという声をきちんと受け止めていくことが必要。そこをスタート地点として私たちに何ができるか考えていきたい(大田区福祉部 子ども貧困対策担当の石川里香副参事)

・調査に答えた親子。小学5年生の修くん(仮名)、両親はどちらも非正規の仕事をしている。14項目の剥奪指標のうち「毎年新しい洋服・靴を買う」「毎月おこづかいを渡す」「年に1回家族旅行に行く」「自宅で宿題をする場所がある」の4つが出来ないと回答した。
・物流倉庫で夜勤の仕事をしている夫は腎臓の病気で入院を余儀無くされることもある。そのため仕事ができず収入が夫婦合わせて20万円程度の月もあり、不安定な生活だ。
・医療費がかさみ、借金せざるをえないときもあった。国民健康保険の保険料も滞納している。

仕事のことと家事育児のことと余裕がなくてイライラしたりとか、経済的なゆとりと時間的なゆとりがないというのが直結してるのが原因とは感じます(修くんの親)

・子どもの心の調査からは、物や経験などの剥奪が子どもから自己肯定感を失わせていることが明らかになった。「頑張れば報われるかと思うか?」という質問に対し、区が支援が必要だとした子どものうち23.7%が「そう思わない」と答えた。
・更に「自分は価値がある人間だと思うか?」については、46.8%が「そう思わない」と答えた。
・修くんは忙しい両親に遠慮して、自分のしたいことや言いたいことを我慢することが多いという。

時間を作って欲しいのはありますけど、それが無理なので。それが分かってるのでどうしても言えなくて。(お母さんは)ものすごく大変そうだな。帰ってきたときにイライラしてると、今日は忙しかったんだなって(修くん)

「頑張れば報われる」「自分は価値のある人間だと思うか」という問いには「そう思わない」と答えた。

どうしても自信が持てないので、なぜか。自分の将来は楽しみじゃないって答えました。お母さんが色々疲れたり、お父さんがいつも疲れて帰ってきたり、大人になるのは大変だな。もしも無事に大人になれても、大人になったあとも大変だと思うので(同上)

<雇用環境の悪化も原因のひとつに>
・高橋氏:いやー、苦しいですね。自分の将来が楽しみとはなかなか言えないなっていうふうに、子どもが思わず言ってしまうっていう。本当にインタビューに答えたお子さんが、すごく発言が大人びてましたよね。もっと子どもらしくいていいんですけども、どうしてもやっぱり親が苦しい状態にあると、何で自分はお父さんとかお母さんの力になってあげれないんだろうっていう苦しさが、すごくあるなっていうのは思いましたね。私もやっぱり母がそうなったときに、早く家庭にお金を入れたいって思いましたけど、それは難しい。じゃあどうしたらいいのか分からないっていう。未来をもうちょっとね希望あるものにするためにはやっぱりある程度、環境も必要じゃないですか。夢を見れる環境が必要なんですけど、今のVTR見てるとそこがやっぱりちょっと足りないというか、苦しい状況だなと思いましたね。

※大田区「子どもの生活実態調査」
「頑張れば報われると思うか?」
→支援が必要な子どもの23.7%が「あまり思わない・思わない」と回答。

就職氷河期といわれた世代がいますが、そこがまた今、親御さんの世代になっているという中で、やはりもう自助努力とか自分で頑張んなきゃいけないっていう価値観、この日本の中ですごく強いですけれども、自助努力の限界だと私はつくづく本当に思います。これはもう個人の頑張りを超えていますね。非正規で稼ごうと思ったら、夜間の方が時給は高い。でもそれは子どものために頑張っているのに、子どもと過ごす時間、子どもをケアする時間が奪われるっていう負のスパイラルに置かれると、保護者の方も経済的なストレスってすごくあると思うんです(立教大学教授/自治体の貧困調査を分析 湯澤直美氏)

・鎌田氏:親の余裕のなさというのが来てるということが分かったんですけども、実は親世代の状況を生み出しているのが雇用関係、雇用環境の悪化といいますか、よくないということだと思うんです。平均給与を見てみますと、ここ数年は回復傾向にはあるんですけれどもそれでも420万円前後で推移していると。

従来は基本的に大企業正社員が給料を貰うとそこに全部、付加給付(企業が支払う賃金以外の手当)といいますか住宅手当もあり、配偶者手当、家族手当があり、医療保険制度も全部あると。だからそれで家族がもち、子どもがちゃんと教育を受けられたんですけども。今後はたとえ非正規雇用であろうともですね、今のような全くの無権利状態、裸の状態のまま放り出されるようなことはあってはならないと(宮本氏)

・鎌田氏:夫婦と子ども1人の世帯で見た場合ですが、子どもにかかる費用は小学校、中学校と高くなって高校生になると月平均およそ8万円くらいになるわけなんですね。こうした負担を全て親に頼れずに高校生がアルバイトで家計を支えているという、こういう実態が分かってきました。私たちは千葉県の高校で行われた調査に注目しました。

※子どもの教育関係費【月額】
(制服代・給食費・通学定期代・クラブ活動費)
・小学生:1万6020円
・中学生:5万6377円
・高校生:7万9795円
(総務省「全国消費実態調査」2014)

<高校生アルバイト調査 家計を支える実態>
・千葉県内の16校が生徒のアルバイトの実態について行ったアンケート調査、2515人から回答があった。アンケートからは、高校生がアルバイトで家計を支えている実態が見えてきた。アルバイトをしている人のうち、週4日以上働いている人は44%、平日4時間以上働いている人も46%に及んでいる。
・調査を分析した首都大学東京の阿部彩教授。アルバイトの収入があることで、高校生の生活の厳しさが見えにくくなっていると指摘する。

高校生というのは今は若者に移行していく時期であり、アルバイトですとか大人の世界に半分入りかけている年代かというふうに思うんですけど、社会に送り出すという態勢ができていないと、これは貧困の再生産につながりますので(阿部氏)

・学校では友達と明るく過ごし、悩みがないように見える高校2年生の理恵さん(仮名)。アンケートの自由記述欄には「働く事が多くて、少ししんどいです」と書いていた。高校入学と同時にアルバイトを始めた理恵さん、休日は朝7時から働く。休日は1日8時間、平日は4時間働く。
・シングルマザーの母親の収入は、手当も含めておよそ月18万円。理恵さんはそれには頼らず、自分で生活費を賄っている。アルバイト代は月におよそ7万円。生活費や通学費用、さらに進学のための積み立てに充てている。理恵さんの収入を合わせると、世帯収入は25万円近く。アルバイト代が家計の支えになっている。
・高校のアンケート調査で働く目的を聞いたところ「生活費のため」(携帯代や食費、衣服など)と答えた人が51%。更に「進学費用のため」が18%に上った。
・ファミリーレストランでの仕事を終えると、すぐに次のアルバイト先へ向かう。コンビニのアルバイトを掛け持ちしているのだ。

ちゃんと自分で稼いで、少しでもお母さんが楽になればいいなと(理恵さん)
(このあとは?)
帰って風呂入って寝ます。ほんとにすぐ、ばたんと倒れちゃうくらい(同上)

・働きづめの週末が終わり、迎えた月曜日。疲れがたまり学校を休むことも増えた。アルバイトをしている生徒のうち「学校をやめたくなるほど悩んだことがある」と回答した人は31%に上っている。

朝から学校に行くのがしんどくなって、みんなにも気をつかうし。学校を休むくらいなら行かなくてもいいじゃないかと悩んだ時期もあったんですけど。やっぱり学校をやめたら今ここでやめたら、この先何もできなくなるかもしれないし(同上)

・理恵さんの担任は今回のアンケート調査を行うまで、生徒たちの実情は分からなかったと言う。

ふだんの学校生活の中では外見上同じですし、スマホなんかみんな持っていますし。日常の生徒の生活の中から、生活に困っているという雰囲気を感じさせることは殆どない(理恵さんの担任)

・間もなく高校3年生になる理恵さん、今の一番の悩みが進路の選択だ。理恵さんは専門学校や大学に進学したいとアルバイト代を貯めている。しかしその貯金だけでは進学することはできないと言う。

就職だとそんな学費もかからないから、本当はお母さんは就職だと嬉しい感じだと思う。自分がもし就職しないで専門学校に行くというと驚くと思うし。「そんなお金ない」と言われそうだなと、そういう面では怖い気持ちはありますね(理恵さん)

<進学のために…高校生に重い負担>
・アンケートでは「進学費用をどう払うか」という質問に対し、親が全てを払えずアルバイト代や奨学金で賄うという人が半数を超えた(親45%、一部自分40%、全て自分15%)。
・今、2人に1人が奨学金を借りて大学に進学している。奨学金の借り方や返済の仕方まで教える高校もある。

大きなお金を借りている、借金であることは踏まえておいてもらいたいなと思います。

・大学進学を目指している高校3年生の真央さん(仮名)。英語の教師になりたい真央さん、成績は学年トップクラス。真央さんは両親と3人暮らし。高齢の父親は定年退職しているが、年金があるため相対的貧困にはあたらない。しかし住宅ローンの返済などで余裕がない。
・パート収入で家計をやりくりしている母親に負担はかけられないと思っている。進学費用は親に頼らず、奨学金を借りることにした。

無利子なのと二種の有利子なんで、合わせて12万円。月12万円です。嫌やけどまあ、しかたないですよね。自分の夢なんで。かなえるために借りているんで(真央さん)

・しかし奨学金を借りても進学が危ぶまれる事態に直面していた。受験まで2か月を切ったこの日、真央さんは進路を相談するために先生を訪ねた。
・このとき問題となったのが、入学金など78万円。奨学金の支給が始まる前に払わなければならない。真央さんは教育ローンを借りるしかないと説明された。

ここでもう借りられたら、全然本当に心配いらんねん。もちろん親戚に借りられたらそれはいいかもしれへんねんけど、もしも借りられなかったら、本当にお金なかったら…(奨学金担当の教員)

受かっても…(真央さん)

そやねん。それを心配しているだけやねん。いけるかな?しんどいね。高校生やもんな、まだ(教員)

しんど…嫌や、もう嫌や(真央さん


(面談後、教員が話す)
本当やったら今からもう合格を目指して頑張るっていう時期ですよね。何かこう追い込んだみたいで、ちょっと罪悪感を持ってしまうというか(教員)

(帰宅後、真央さんが話す)
金降ってこーい。(パンフレット表紙に写っている笑顔の高校生の写真を見ながら)何笑ってんねん。夢ちりばめている感じするけど。笑っている場合じゃないんですよ、これを借りるってことは。合格は頑張ればできるけど、行くのは自分が頑張っても難しいですよね。なかなかしんどい(真央さん)

・今、社会への入口で子どもたちが大きな負担を背負わされている現実が見えてきた。

<子どもの貧困の実態をどうすればいいのか>
・鎌田氏:世代的にも近いわけで、高橋さんどうご覧になりました?

・高橋氏:その先々の返済できるのか、どうなのかも不透明なところに「やります」「お金借ります」っていうジャッジを求められるっていうのは、かなり厳しいなっていうのはすごく思いました。

・鎌田氏:子どもの相対的貧困というのを仮に放置したりした場合ですけど、こんな数字があります。そうなると進学率が下がっていって、そうすると非正規雇用にしか就けなくなる。そうすると多くの人たちの収入が減っていくわけですから結果的に42.9兆円という社会的損失になるという試算も出ているんですよね(日本財団試算)。

・高橋氏:すごい数ですよね。数値ですね。

・鎌田氏:このまま放置していると、こういうことになるおそれがあるという。

・高橋氏:本当にだから一人一人の問題っていうよりも、社会で本当に考えていかなければいけない問題ですね。

・鎌田氏:大事なのは、この実態調査をきちんと分析してそれを対策に生かすということが大事ですよね。

自治体でできること、自治体だからこそできること。早期予防とか発見とかそういうこともありますが、国でなければできないことというのは明確にありますから。そこで税制や社会保障や雇用の問題もそうですし、そこを何も手付かずで子どもの貧困対策というふうになったときには、やはり傷ができた所に絆創膏を貼るというようなことで終わってしまうという側面もありますから、両輪で進めていかなきゃいけない(湯澤氏)

親がどうであれ、どんな子であれ教育保障ということが、この社会をもたせるためには重要だということをみんなが感じること。そして社会資源をそのために投入するという合意にたってですね、やるということをぜひここで力を入れる段階にあるんだと思いますよね(宮本氏)

・高橋氏:村尾さん、若者の一人としてもこういう実態を放置せずに改善するにはどうしたらいいっていうふうに思いますか?

よく、やっぱり今、自立が大事だと。本当に大事だと思うんですけど、でも僕そういうふうに今の子どもたちの置かれている環境って、自立じゃなくて孤立を生み出していくんじゃないのかなっていうのをすごく感じますよね。声を上げられない(村尾氏)

・鎌田氏:助けを求めない。じゃあ実際に子どもが声を上げようとすると、例えばネット上でバッシングを受けたりするということが…。

しんどいってことを言ってることに対して、やっぱり寄り添うっていうのか大事にしていってほしい。子どもたちの声をやっぱりつぶさないってことが大事なのかなっていうふうに(村尾氏)

・鎌田氏:私10年以上、貧困をテーマにした番組にずっと関わってきたことがあるんですけど、子どもの貧困をそのままにしていくと次の将来、未来にわたる貧困とも関わってくるわけですから、その意味ではここを突破口にして貧困の問題全体を俯瞰して考えるというところまでトータルに考えるという、こういうことが重要なんじゃないかという気がしますけどね。

・高橋氏:そうですね、世間の一般的に見ると、どうしても手を挙げて厳しいですっていうところに国自体も目を向けて助けようと…目に見えるものを助けようとしますけど、やはり声を上げれず苦しんでる人たちもいるんだというのを改めて感じました。「子どもが子どもとして生きる権利」「親が親として生きる権利」が確実にあるんじゃないかと。そしてそれを守るのは国なんじゃないかなというふうに思いました。この番組を本当に一人でも多くの方に見ていただいて、何か感じていただけれたら嬉しいなっていうふうに思います。

<子どもたちの声を大人はどう聞くのか>
・今回の取材で出会った子どもたちの声。

同じ高校生でも見ている世界や将来の夢は様々です。しかしその100通りの違いが格差であってはいけない(女子・親友が経済的理由で夢を断念)

本当にやりたいことが奪われるのってどうなんだろう。すごい不安になる。学費の問題で苦しんだりだとか、本当に相続したくなくなってくるぐらい怖い(男子)

兄と自分とお母さんで、みんなで泣きながら寝たりした日々、送ってたんですけど。自分がそんな立場だからこそ社会に訴えて、貧困問題とかも自分から自ら取り組んで、こんな社会、こんなクソみたいな社会、変えてやりたいって思ってて(女子)

オリンピックとか高齢化とか、そんなところは目が行くのに、実際支えていく、こういう高校生とかが苦しい現状にちゃんと目が行ってますかって。もっと見てほしい(女子)

(2017/2/14視聴・2017/2/14記)

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【NNNドキュメント’17】お笑い芸人VS.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日

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【NNNドキュメント’17】
「お笑い芸人VS.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」

(日本テレビ系列・2017/2/6放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 直接内容の感想と離れますが、正直“尺”が長かったです。出来ればNNNドキュメントは30分でまとめてほしいです。構成も色々飛ぶので「視聴メモ」も書きづらかったです(正直言って今日1日で視聴したわけでなく何日かに分けて少しずつ視聴して、今日仕上げました)。

 それはさておき福島第一原発事故以降、東京電力の記者会見にずっと出席し追及してきた「夫婦お笑い芸人」が本業のフリージャーナリスト「おしどり」さん。福島第一に関する文献やネット上の情報を結構多く読んでいたつもりだった私ですが…申し訳ありません。この番組まで存在を知りませんでした。

 なのでこの番組で紹介されている限りでしか情報がないので、その範囲での感想になります。事故発生当時から地元の人たちと連携して先方がなかなか出さない情報を引き出したり、また現場の声を汲み上げて追及する姿は誰にも真似できないものだと思います。

 私たちは常に情報が得られなかったり知識に乏しいため、どうしても専門家の言葉が全てだと思ってしまいます。だからゆえ「おしどり」の2人のように様々な角度から問題提起をする人たちが必要だと番組を通じて感じました。

 福島の現状について、甲状腺がんの2巡目調査に対する評価は番組で指摘されていたものと異なる意見もあると聞いています。これから検証がもっと必要だし、その間で風評被害が広がらないようにする配慮も必要だと思います。別の科学者の取り組みもあります(→事態を侮らず過度に恐れず~“福島プロジェクト”の挑戦~)。

 私たちも福島を注目しつつ、様々なところから出てくる情報を自分自身がどう判断するか養う必要があると思います。まあ、もちろんIOC総会で「完全にブロックされている」と抜かした人の真贋鑑定は明らかですが。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・あなたは誰?
・原発事故に関する東京電力記者会見。

マコ:この対策というのは具体的に何でしょうかというのを質問していたのですが、ご回答いただけますでしょうか?

東電:特に具体的には考えておりません。

マコ:なぜ4月の段階でそれを公表されなかったかということに対して、お答えお願いします。

・(ケンのナレーション)東京電力に鋭い質問をするこの女性。大手の新聞記者さんでもテレビの記者さんでもありません。実は僕の奥さん、マコちゃんなんです。僕とマコちゃんは夫婦お笑い芸人(「おしどり」(マコ・ケン))
 僕と出会う前、マコちゃんは超売れっ子アコーディオンの流し。僕はしがない針金職人。お得意はエロシャンソン。
 僕たちが初めて東電に行ったのは、原発が爆発してひと月後(2011年4月19日)

・その映像が残っていた。マコは誰も聞いてくれないある質問をぶつけたかった。

マコ:おしどりです。4月18日のカメラで白煙がはっきり上がっていたんですけれども、これはどういった現象なんでしょうか?

東京電力原子力・立地本部長代理(当時)の松本純一氏:おそらくですね、3号機もしくは4号機の方の使用済み燃料プールの蒸発水、蒸発してくる水蒸気が凝縮してですね、湯気のような形で映っているんではないかと思っています。

マコ:なるほど、その湯気には揮発性の放射性物質とかは含まれてはないんでしょうか?

松本氏:はい、あの、完全にはゼロというわけではございませんけれども、含まれていると思います。

・その後、どのぐらい放射能が出ているか問い続けて3か月(2011年7月25日の記者会見)。

松本氏:現在1・2・3号機、原子炉建屋から3台合わせて約10億ベクレルパーアワー、毎時10億ベクレルパーアワーということで、セシウム134、137が放出されているというふうに評価しております。

マコ:4月の分も、遡った分も公表していただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか?

松本氏:4月4日の午前9時から4月6日の午前0時ですと、2.9×10の11乗ベクレル/時間というような評価結果が出ていますので。

・「1時間ごとに2900億ベクレル」。4月に東電はこう言っていた。

「完全にはゼロというわけではございませんけれども、含まれていると思います」

・マコは原発は爆発した後も途切れることなく、放射能を出し続けていることを東電に認めさせた。数字という目に見える形で。

おしどりさんの場合は、やはり地元の特にお子様が放射線を受けたかもしれないだろうお母様方と直接コンタクトを取られて。そういったご懸念をしっかり背景に持って、いろいろ質問されていたことが非常に印象に残ってまして(原子力安全委員会・当時の加藤重治氏)

相手に緊張感を与えるんですよ。ごまかせない、逃げられない。既成のジャーナリストともまたちょっと違う(ドイツテレビZDFの西里扶甬子氏)

マコさんはすごくネットでもTwitterとかでもよくぞ言ったと(週刊SPA!の山崎元氏)

(取材者:芸名で質問したのは?)
本当はフリーランスの吉岡ですって記者会見に入った方がバッシングされないし炎上しないし、気分的にも楽だったんですけど、おしどりですって質問して芸人で取材を始めたのは、いつでも誰でも調べればいいと心底思ったんです(マコ)

・出会って1週間で結婚した不思議な2人。今日も向かう先は東京電力。これまで何度通ったことか。

500回は超えたよね?もっとだよね(ケン)
数えきれないよね(マコ)

・雨が降ろうが槍が降ろうが、暑い日も寒い日も今日もゆくゆく東京電力記者会見。

(取材者:あなたは反原発芸人?脱原発芸人?)
うわー、いや、違います(マコ)

・(ケンのナレーション)マコちゃん、手挙げるのいっつもキレイなんです。

<なぜ原発事故の取材を始めたのか>
・昨年夏、福島市で「おしどり」マコ・ケンが講演会を開いた。

マコ:皆さんこんにちはマコです。
ケン:ケンです。
2人:おしどりです。よろしくお願いします。
マコ:芸人になる前は鳥取大学医学部生命科学科というところに行っておりまして、優秀な成績で3年で中退いたしまして。何で原発事故を取材し始めたかっていうのをちょっとだけお話しした方が…。
ケン:自己紹介の代わりにねさせていただきましょう。
マコ:東京に引っ越して3か月で地震に遭ったんですよね。
ケン:そうです。引っ越してすぐですよ、2011年ね。
マコ:で、その…東京にいてテレビでは直ちに影響がありませんっていうことをバンバン言ってるんですけど。
ケン:よく言ってましたね。
マコ:何となく、これちょっとテレビで直ちに影響ないって言ってるの、ちょっとおかしくない?と思って、いろいろ調べ始めたんですよね。
ケン:マコちゃん、テレビ見ながらぶつぶつ怒り出したもんね。
マコ:インターネットでやってる東京電力の記者会見をずっと見始めたんですよね。
ケン:記者会見の様子ですけども。
マコ:初めはね、3月はずっと記者会見を書き起こしていて。
ケン:状況が分からないからね。
マコ:原子力工学とか全然分かりませんからね。東京電力の説明と質疑応答になったら、ずっと書き起こしていたんです。1回の会見でノート1~2冊になってね。
ケン:最初は長かったですからね。
マコ:一番前でずっと手を挙げてても全然当たらない記者さんがいて、そうすると何で指名してくれないんですか、ちゃんと公平に質問を受け付けてくださいとか言って怒ってるんですよ。

・珍しく質問するチャンスが来ると…。

(会見場)
記者:申し訳ありませんが確認させていただければと…
記者のヤジ:ひとりよがりの質問はヤメろよ!ひとりよがりの質問は!

マコ:めったに当たらない人が当たると、他の記者さんが「お前の質問なんかいいんだ」とか。

(会見場)
記者のヤジ:あなたの質問だけじゃないからさあ。

マコ:私が記者会見を見ていて知りたい質問をする人はめったに当たらない記者さんで、その人がたまに当たるとみんなから攻撃されるっていうことが分かったので、これは記者会見を見ていてもダメだと思って。だからその時にケンちゃんともう、うちら記者会見行こう。またこの人が指名されて「お前の質問なんかいいんだ」って言われたら、私たちが後ろから「私たちが聞きたいんですよ」って言い返してやろうと思ったんです。
 2001年記者会見に行き始めたとき、すごい悔しかったんですよ。黒田さんですよ、覚えてますよ。東京電力エースっていう(当時・原子力設備管理部課長の黒田光氏)。「どうせね、女の人には分からないと思いますけどね」って言ったんですよ。それを後ろで聞いて「何だこの野郎。この中で一番詳しくなってやる」と思って見てて。

(取材者:どのくらいの本読みましたか?何冊とか)
えー、何冊かな。本めっちゃ読む人って本を並べた場合の背表紙の幅で数えるらしいんですけど、15mぐらいは読んでると思いますね(マコ)

・(ケンのナレーション)でもここで難関が待ち受けていました。会見に入るには署名記事を半年に2回以上書かなければならないことに。

・助けてくれたのは、東電会見に出ていた記者だった。

当時はちょうどTwitterがドンっと広がったときだったんで、ネットで東京電力のあそこでの会見の模様を全国の人が生で見ている人たくさんいて、こいつはいい質問したと。この社は何やってるんだというので、すごく盛り上がってた時期だったんですよね。新聞社とかテレビ局とか、もちろん雑誌もフリーの人もたくさん入ってたんで。その中で一番グサっと刺さるような質問してたのがおしどりだった。福島県と宮城県の県境の淡水魚がどれぐらい影響が出てるかとか(週刊SPA!編集主任の山崎元氏)

(2011年6月1日 政府・東京電力統合対策室合同記者会見)
マコ:福島県の北部の方で淡水魚の汚染があるんですけれども、宮城県での淡水魚の汚染状況は調べてらっしゃるんでしょうか?

水産庁:まだ調査は行われておりません。

当事者でも分からないことを引っ張り出して来るんですよね。それでぶつけて行くんで。だから下準備とかすごいしてるんですよね。名うてのジャーナリストが集まっている中で、なかなかすごいなと。なので、ちょっと書いてくださいってことでお願いしましたね(山崎氏)

・「お笑いが何しに来てんだ」とバッシングも。

確かそういうのありましたね。会社に所属した記者ジャーナリストの人とフリーの人との嫌な軋轢っつうか。見てていいもんじゃないっていうか(山崎氏)

(おしどり家のリビング)
マコ:初めはそう考えるとうぶだったね。よく泣いてたよね。
ケン:そうやね。今、考えるとね。
マコ:何でこんなことされるんやろとかって、よく泣いてたもんね。帰りしなとかもね。
ケン:帰りしなもやっぱり込み上げるときあったかな。
マコ:あった、あった。隙間に入って泣いた。
ケン:ねっ、ホンマやね。
マコ:ビルとビルと隙間に入って。何かいつの頃からか全然何か全く気にならなくなっちゃって。

<飯舘村の子どもたちの検査結果を通知させた>
・(ケンのナレーション)会見に復帰できたマコちゃん(2011年5月末)。やりたいことがありました。

(会見場)
マコ:3月30日に飯舘村の小児甲状腺サーベイの検査ですけれども、先程も電話して確認したんですけども、直接お母様方はご存知でないということで。これは人体実験だったのかと怒ってられるんですけれども。それぞれお子さんの値がいくつだったかを知りたいということで、それも教えてください。

※小児甲状腺サーベイ:子どもの甲状腺の被ばく線量を喉元で測定器により測る。

原子力安全委員会審議官(当時)加藤重治氏:現地対策本部では行った直後もですね、全体の結果の発表はされております。

マコ:その発表というのは、皆さん基準値以下だったという発表なだけで、そのお母様方がどの基準値だったかっていうのも、どれくらいの基準値だったかっていうのもご存知ないんですね。

・マコが会見場から電話で確認した相手は(飯舘村で)小学校職員(当時)の愛澤卓見さん、飯舘村の友人だ。

飯舘村役場の議会議場で子どもたちを呼んで甲状腺検査をしたわけですね。で、そこで甲状腺にサーベイですね、それを当てて、大丈夫ですよっていうような話で帰されるということがあって、保護者からすると大丈夫ですよとは言ってもらってるんですが、検査は何なのか?検査の数字が何なのか?ってことは一切発表されないわけです。本人に知らされてないわけですよ。もし何年後かにそれが翻ったときに、それはちょっとお気の毒でしたが、これはこう…補償しましょうっていう話になるんであればいいんですが、ノーデータっていうのは、やっぱり、ちょっとこう引き下がれないと思いまして(愛澤氏)

・マコの要求で確認した安全委員会は…。
(会見場)

加藤氏:その時の発表資料には数値は書いてございませんでしたので訂正させていただきます。

・小児甲状腺検査を行って5か月後(2011年8月18日・飯舘村)。
(子どもの甲状腺被ばく説明会)

担当者:本来であれば早く結果を通知すべきところではございましたけれども、遅くなってしまいまして大変申し訳ございません。おわび申し上げたいと思います。

・母親たちにようやくデータが示された。

ゼロじゃなかったから大丈夫っていっても、結局ゼロじゃないし(女性)

特にお子様中心に甲状腺の被ばく線量の調査をやりましたけども、その結果を保護者の皆さんにちゃんとお伝えしてなかったということが、おしどりさんの質問で明らかになって(加藤氏)

あのデータの開示そのものは、本当に彼女がいなければなかったでしょうね(愛澤氏)

遅れて来るときもね、いつもアコーディオンの大きい鞄を抱えてやってらっしゃってたから。あれはやっぱし身から離せないものでしょうね。大体、毎回前の方に陣取っておられて、いつおしどりさんから安全委員会に質問飛んで来るのかなって。実際、毎回緊張して臨んでましたけども(加藤氏)

・記者の中で一番勉強して会見に臨んでいたと語る加藤氏。

・(ケンのナレーション)でもね、どこでもいっつも勉強してて、ちょっとだけ寂しかったな。

<福島県の「県民健康調査」会議にも毎回足を運ぶ>
・おしどりは、福島県の「県民健康調査」検討委員会にも2011年から毎回足を運んでいる。

(講演会)
マコ:非公開で会議をやっていて、地元の県政記者クラブにだけ通達してぶらさがり取材ができるっていう状態だったんですよ。で、私県庁に電話して、しつこくしつこく電話してね、第4回からオープンになりました。そのときに東京から取材してるメディアいなかったんじゃないかな。傍聴する地元の方々も10人もいなくて、5人前後でした。2011年はずっとね。記者会見場なんですけど本当に少ないんですよね。報道席が少ないのに、あれ?今日は皆さん来ないのかしらみたいな。検討委員会、今はどんな感じかっていいますと。
ケン:これは一番最近の6月6日の23回。
マコ:もう取材しているメディアの方々は50人を超えていて、そして傍聴する地元の方々が100人を超えていて。それで本当に地元でちょっと親戚で病気が増えてきたから心配になったとか、お身内に甲状腺がんの方が出たとか。すごくいろんな…何ていうか、それぞれいろんな気になることを抱えて、栃木に避難されてる方、埼玉に避難されてる方、あちこちに避難されてる方が、この検討委員会の傍聴だけを聞きに朝から車で走って来られている方が本当に増えてきました。
 私がちょっと最近気になったのは、運動部と文化部でちょっと病気の割合が違うんじゃないかと、近所とか親戚見てて思うから、それを割合を出してくれって言ってくれないかと。お互い絶対に知り合いじゃない3人の人から同時期に同じこと言われたので、ちょっと気になって。
ケン:そういうことが、やっぱり心配になってるんですよね。
マコ:割とね、皆さんご自分で県庁とか福島県立医科大に問い合せてるんですけど、全然それは答えてくれないので。
ケン:なるほど。
マコ:聞いてくれないかっていうことを言われました。私もちょっとそのことを結構気になっていて。というのは2011年の4月に文科省が出した「(福島)県内の学校の校舎校庭等の利用判断における暫定的考え方について」という資料なんですけど。これを見ると2011年は校庭園庭が毎時3.8マイクロシーベルト未満だったら校庭園庭等、平常通り利用して差し支えないっていうことになってるんですね。この考え方を基に例えば2011年のね、甲子園大会の福島県大会はグラウンドが毎時2.2マイクロシーベルトだったので、この厚労省の通達以下だから通常通り開催しますということで開催されていました。

(福島県郡山市 開成山野球場)
(アナウンサーの声)今日は最大でも1時間当たり2.2マイクロシーベルト。基準の3.8を下回り開催となります。

・プレーすれば土ぼこりも舞い上がる。3.8(マイクロシーベルト)は、どういう数字か?これは年間20ミリを根拠にした数字だ。国は事故時の現存被ばく、年間0から20ミリという国際基準の最大値を採用した。子どもが1日8時間外にいたとすると1時間当たり3.8マイクロになる。

※現存被ばく:事故が収束する過程で定着した放射能による被ばく線量。

・これは病院などの放射線管理区域よりはるかに高い環境で暮らしていたことになる。

子ども:20ミリシーベルト/年
放射線管理区域:5.2ミリシーベルト/年

(講演会)
マコ:びっくりしたのは次の年です。次の年、厚労省が事業者から労働者を守るための法律をつくりました。特定線量下業務というのは2.5マイクロシーベルトパーアワー以上なんですよ。

※特定線量下業務:建設業務に伴う測量、運送など。

・つまり特定線量下業務をする人の下限が、子どもたちが校庭を使っていい上限より低かったのだ。

2.5マイクロシーベルト以上→作業員は保護される
3.8マイクロシーベルト以下→子どもは校庭使用OK

(講演会)
マコ:成人男性で毎時2.5マイクロ以上であれば特定線量下業務として健康診断してください。線量測ってくださいとか出るんですけど、その前の年は子どもたちが3.8マイクロパーアワーで問題はないということになってたんですね。だからその…厚労省と文科省の違いとはいえど。
ケン:このことについて、その後ね。
マコ:本当に。
ケン:何も言われてませんよね。
マコ:本当に、本当に。

・文部科学省はこの頃「20ミリシーベルト以下」を「1ミリシーベルト以下を目指す」と変更している。
・2013年9月、全国の科学者が集まった福島第一の廃炉に関する会合で。

(講演会)
マコ:そのミーティング1時間ぐらい終わった後にA4 1枚の紙を配って、このリストに載っている人物とか団体が近づいてきても一切コンタクトを取らないようにって言ったんですって。そのリストには菅直人とか小沢一郎とか書いてあるんですけど、最後の方に「おしどり マコ ケン」って書いてあって。
(笑いと拍手)
マコ:いやいや全然、拍手じゃないです。すでにそこに参加してた研究者と何人か仲良かったので電話がかかってきて「一人だけ平仮名で書いてたから目立ってた」って言われて。「みんな“おしどり”だけ覚えたと思うよ」って。

(講演会が終わってから)
(取材者:今日は急いで帰って…)
マコ:原稿、帰りながら書きます。

・(ケンのナレーション)収入は雑誌などの原稿料と僅かばかりの本業のギャラ。いっつも火の車です。

<二人の家庭でのやりとり>
 正月飾り、針金で作りました。

(おしどり家のリビング)
マコ:ケンちゃんが書き起こしをして、私が原稿を書いてっていうか。

・(ケンのナレーション)値段の張る専門書、お母様方の寄付で買いました。それからよくあるんですけど、国際会議から帰るとガス止められてました。

ケン:マコちゃんに怒られたら台所にこもるときもあります。
(取材者:どんなときに叱られる?)
ケン:大体、早とちりするんですよ。メチャクチャ怒られるのは、同じこと2回、3回やったときですかね。
マコ:2回、3回じゃない。10回20回同じこと繰り返していても…ごめんで済まんやろって。

・(ケンのナレーション)もともとはマコちゃんが料理してたけど、事故後はマコちゃんに時間をつくってあげたくて、料理を覚えて全部僕がやるようにしました。

ケン:誕生日プレゼントに何がほしいと言われて、圧力鍋を買ってもらって。結構いろいろ沖縄料理とかトルコ料理とか何でもやってみたくなるんですよね。
マコ:ケンちゃん、コンニャクいっぱい入れてね。
ケン:本当はね、手でちぎった方がいいんですけど、時間短縮を。圧力容器を冷却してます。

・出来上がったのは手作り味噌が隠し味の牛すじ煮込み。

マコ:ありがとう。
ケン:マコちゃん、この一番大きいの。
マコ:味は、しゅんでないけど美味しい。
ケン:うん。
マコ:明日ぐらい、おいしなるかな。

<マコがお笑いに入ったきっかけ>
・マコがお笑いに入ったきっかけは阪神・淡路大震災。医学部生命科学科で学んでいたマコは、ふるさとに戻って驚いた。「被災者にとって医学は無力。笑いだけが癒してる」「これや!」と医大をスパッと中退しお笑いの道へ。そこでケンと出会った。

・(ケンのナレーション)そして2003年におしどり結成。

・家の壁にはこんなメモが…。

「3.11からうんっと忙しくなってるのに僕の相手してくれてかんしゃです」

<国際的な会議にも取材して言われたことは>
・国際的な原子力機関もたびたび取材(2012年10月1日、第3回放射線防護における科学と価値に関するワークショップ及び第6回放射線防護体系の進展に関するアジア会議)。

(講演会)
マコ:シンポジウムに出席して、しれっと懇親会に潜り込んでビールつぎながら「どうですか?最近」って聞くのが割と得意なんですけど、世界の研究者の人たちがそういう飲みの席でふらっと話す福島原発事故の後の話というのが、私は本当にひどいと思っていて。これ2012年の国際会議、3日間朝から晩まであって。最終的にすごく仲良くなって、いろんな国の研究者から「今日のシンポジウムの本当の目的を教えてあげようか」とかよく言われるんですよね。
ケン:声掛けられますね。どんな記事書くの?って。
マコ:そうそう。で、びっくりしたのが福島の原発事故が起きるまで「原発は事故が起こらない」といってセールスしてきたと。でも日本で福島第一原発で3機事故が起こって、もう事故が起こらないというセールスはできなくなったと。でも今後、アジアやアフリカで50基原発をつくることは世界で決まっていて、どういうセールスをしていくかというと「事故が起こっても大丈夫だ」というセールスをすると。私びっくりして「このことを踏まえて記事を書いてね」って言われたので「分かりました」って言って、私一言一句それを書いたんですよね。「そんなこと言っていない」「あれ?そうですか、ICで取ってあるので聞き直してみます。あれ?おっしゃってますよ、間違いじゃないですよ」って返事したら、何も返ってこなくなったんですけど。私それを言われてショックだったので、他のIAEAの国際シンポジウムとかOECDの国際会議に「あの人にこんなこと言われたんですけど本当ですか?」って結構聞いたんですよね。
ケン:別の専門の方にね。
マコ:そしたら何人かの方は「その通りだよ」って言われて、さらにショックなことを言われました。原発事故の後、汚染地域の住民の方々が自分の手で除染をして住み続けるというモデルケースをつくることが大切だと。で、それを世界に発信することに、とてもこのシンポジウムの意味があると言われました。

・現在、福島では除染したエリアへの住民の帰還政策が急ピッチで進められている。

<水俣病の患者さんの思いは>
・当時、自分は物知らずだと痛感したマコは原発事故と重なる部分があると思い、熊本県水俣へ。自分もお腹の赤ちゃんも水俣病となった坂本フジエさんを訪ねた。

(取材者:数年前に飯舘の方と一緒に福島第一原発を取材している、おしどり・マコさんという女性が水俣のことを勉強されに来たと思うんですけども…)
何か見た顔じゃあるね。被害者が動いて頑張らんと、他の人は誰も国も誰もやってくれんから、やっぱ被害者の自分たちが頑張らんといかんでしょうねっちゅうことは言うたろうと思う。同じだから。水俣だってやっぱ60年も70年も続いとっとだから。
 水俣病よりは辛い。ものすごい福島はひどいと思う。どうしようもなかですもん。水俣の人たちは海の品物を食べずにおれば畑とか山とかは別に関係ないから。食べさえせんば病気にならん。でも福島の場合はどうしようもなかですもん。みんなでしょうが、畑にしても山にしても田んぼにしてもな。本当に元に戻すっちゅうことはあり得ないと思う、私は。人を頼ってもあてにならんから、被害者の自分たちがどがんしてもやっぱ頑張らんといかん(坂本さん)


(講演会)
マコ:辛いことだけど怒ってほしい、助けてって言ってほしい。そうすることが、その後の未来を守ることだから。それを福島の方々に伝えてほしい。

・(ケンのナレーション)最初はピンと来てなかったけど、行ってみてすごい大事なことを教えてくださったんだなって思いました。

<「おかしい」と指摘する2つのグラフ>
(おしどり家のリビング)

(取材者:一番これおかしいやろって思ってることはありますか?)
マコ:うわ、それいっぱいあるんですよね。やっぱりまず原発事故があって、その後の健康調査のやり方。検査デザインももちろんおかしいですし。

・県民が書き込む健康調査票には、内部被ばくに関する項目が不十分だとの指摘も。さらに長崎大学の山下俊一放射線健康リスク管理アドバイザーは、事故直後の講演会(2011年3月20日 いわき市「福島原発事故の放射線健康リスクについて」)で…。

放射線の実は健康影響は、ほぼゼロに近いくらい小さい(山下氏)

・山下氏は「100ミリ以下の被ばくは全く問題ない」とその後も語り続けた。しかし事故2年前の学会誌(2009年3月 日本臨床内科医会会誌)で「主として20歳未満の人達で10ミリから100ミリシーベルトの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません」と語っている。
・もう1人のアドバイザー、高村昇氏も…。

皆様方、健康の心配ってのは全くない(高村氏)

・ある2つのグラフは高村氏が論文に載せているもの。甲状腺がんになった子どもたちが何歳のときに原発事故が起きたかを示している。チェルノブイリと福島。「パターンが違うので福島での甲状腺がんは放射線の影響ではない」という説明に使われてきた。
・しかし縦軸も違えば、年齢幅もやり方も違う。事故当初、チェルノブイリでは測定機器が僅かしかなかった。しかも日本のグラフは4年間のもの。チェルノブイリは計16年のグラフなのだ。異なる条件のグラフを比べる不自然さは、検討委員会でもたびたび指摘された。

(おしどり家のリビング)
ケン:11月にもこの資料を使った説明を見ましたよね。
マコ:避難解除される地域で農業を再開される人向けの農業と放射線防護の説明会で、このグラフがまた出てきてね。ちょっと私、確信犯だと思うんだよね。「配布資料には入ってないですけど、このグラフを皆さんにお見せしたいから説明します」。
ケン:後で確認できないもんね。
マコ:確認できない。「ほら見てください。チェルノブイリと福島の甲状腺がんのグラフの形がこんなに違うということは、傾向が違うんですよ」っていう説明をやっぱりされてたので。

・福島県立医大の「甲状腺通信」最新号(2016年8月)でもこのグラフを使って、5歳以下が福島では少ないと今も説明。放射線の影響ではないとする根拠に使われている。

<茨城県北茨城市の甲状腺検査では>
(おしどり家のリビング)
マコ:あと放射性物質は県境で止まるわけではないので、福島県以外の汚染地域で健康調査がきちんと行われていないこともおかしいし。

・福島との県境、茨城県北茨城市。3号機が爆発した後、放射性プルームは16日、南へ。県境を越え茨城側へ侵入した。北茨城の母親たちは署名を集め、子どもの甲状腺検査を求めた。市は18歳まで無償での検査を決めた。

国がだって原発安心だって言ってて、安心じゃなくしたんですもの。国が悪いんですよ。私ははっきり申し上げて、国の責任においてやらなくちゃいけないですよ、周辺地域はね。でもそれを待ってたんじゃ、子どもたちが母親たちが本当に安心なんだろうかという。3月16日このデータを見ますと16マイクロシーベルトあるわけですよね。国がやろうとやるまいと市民を守んなくちゃいかん(北茨城市の豊田稔市長)

・その検査で3人が甲状腺がんと診断された。もし福島と同じように2巡目で悪性や悪性疑いが増えたとしたら?

1回目のときに健康そのものである。しかし2回目がそうなったということは、若干なりとも放射能の影響あるんだろうというふうに考えざるをえませんよね(同上)

<首相のIOC総会の発言について>
(MBS「報道するラジオ」2013年11月1日OA)
マコ:オリンピックのIOCブエノスアイレスの総会の翌日の記者会見がめちゃめちゃ面白かったんです。
(どうだったんですか、あのとき?)

(2013年9月8日 ブエノスアイレスでのIOC総会)
汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内の中で完全にブロックされています(安倍首相)

・東電会見の常連記者たちは開いた口がふさがらなかったという。

(2013年9月9日 東京電力会見)
記者(テレビ朝日):この発言に関しては東京電力としては事実関係含めて、こういうこと何かございますでしょうか?

東電 原子力・立地本部長代理(当時)今泉典之氏:今のご発言について政府のほうに確認をいたしました。

記者(テレビ朝日):これについて東京電力が政府に問い合わせたということですね?

今泉氏:はい、結構です。

記者(テレビ朝日):東京電力が、ないとは思うんですけど、事前に政府のほうに行ってこうですよと説明したという事実はないわけですね。

今泉氏:ございません。

(「報道するラジオ」)
マコ:東京電力といたしましても安倍総理のご発言のご趣旨を国に確認いたしましたっていう。
(確認しました?)
(聞いてなかったらしい、彼らも)
(安倍さんがそうおっしゃると俺らも知らんがなという状態ですか、東電が)

(2013年9月9日 東京電力会見)
記者(東京新聞):どの部分を捉えてコントロール下にあるというふうに言われたという理解をされてるでしょうか?

今泉氏:あの、その点については私どもも、ちょっとそれ以上は承知はしてございません。

記者(毎日新聞):コントロール下にあるっていうふうにお考えでしょうか?東電さんは。

今泉氏:あの…私どもとしましては先ほど申しました通り、この汚染水対策については今、国のご指導をいただきながら一生懸命対応しているところでございます。

記者(毎日新聞):コントロール下にあると考えているのか、考えていないのかという質問なんですけど。

今泉氏:私どもとしては、この状況を1日でも早く安定した状態に持っていきたいと。

(「報道するラジオ」)
マコ:影響は無いんではなく、影響は小さいと考えておりますみたいな言い方をされてましたね。
(影響は小さい?)

(2013年9月9日 東京電力会見)
マコ:告知濃度より低いけれども、影響はあるということですね。分かりました、ありがとうございます。

今泉氏:影響は少ないと。

<排気筒の倒壊の恐れを指摘>
(取材者のインタビューに)
私、漫才の突っ込みなんで、すごく臨機応変に割とたぶん突っ込むんですよね。いろいろ左右に振って怒らせてみるとか。突っ込むっていうのは、ポロって本音が出たり、ポロって教えてくださったりするので。これも芸人の癖なんですけど、終わった後すぐに仲良くなりに行くんですよ。「すいません、さっき私ちょっと突っ込み過ぎちゃって」みたいな感じで謝りに行くと「いいよ、いいよ」みたいな感じで仲良くなって(マコ)

(おしどり家のリビング)
マコ:どんどん今、情報が出なくなっているので。昔から出てなかったんだけど、さらに出ていなくなってるので。大気中にどれくらい放射性物質を出しているのか、っていう質問に関しては3か月かかりましたね。
 1・2号排気筒の切れ目のその後の写真を撮っているんだから公開してくれっていうのは、半年かかったかな。

・排気筒の写真とは2013年9月、東電は1・2号機排気筒の中ほどに複数の亀裂があると発表した。地上66mの高さに東西南北に破断5か所、変形3か所。水素爆発の影響とみられている。亀裂より上の重量は120トン。倒壊すると使用済み核燃料プールを直撃する恐れが。
・マコは倒壊の危険があるので、劣化の状況を確認するため写真を出すよう要求し続けた。6か月後、ようやく写真を東電は出した。その危険性を地元の議員にも伝え、事態は少しずつ動いていった。
・原子力規制委員会も東電に対し、排気筒が倒壊したらどれくらいの放射能を放出するかリスクの評価を求めた。昨年4月、東電は上半分の解体を2018年度に着手すると発表した。

<作業員からのメールで追及したことも>
(おしどり家のリビング)
ケン:東京電力の会見中にマコちゃんの携帯が鳴るときあるよね。
マコ:あるある。
ケン:ホットラインというかね。
マコ:そう。記者会見を見ている作業員の方から連絡が来て、今の東京電力の発表間違ってるから、こうやって質問したらいいよっつって。

・作業員からメールも届く。

「両足骨折」「一人がタンク内に落ちたということみたいです」(福島第一の作業員からのメール)

マコ:結構ね、作業員の方ね、記者会見見てる。
ケン:見てるの?
マコ:うん、言ってた。作業員の人たちに私たち有名になってた。

・マコはいつもパソコン越しに東電と向き合う(ケンが必要な資料を即座に出す)。

(2013年10月9日 東電会見)
東電 原子力・立地本部長代理(当時)の尾野昌之氏:11名のうち6名に身体汚染があり、今「F」と書いている最後の1名、これは除染を現在やっているところということでございます。

(おしどり家のリビング)
マコ:作業員の方からメールが来て、いやいや東京電力は問題ないって言ったけど、1人だけかっぱがねレインコート、防水のね。防水の作業服、かっぱがなくて頭から汚染水をかぶって。で、もうその放射性物質の汚染が上半身にこびりついてしまって、汚染が取れなくて今も半泣きでずっとたわしでこすって除染をしている人がいるよっていうことを、メールで作業員の方から聞いたんですよね。
ケン:会見中にね。
マコ:会見中にね。

(2013年10月9日 東電会見)
マコ:現場に確認しますと頭からかぶったということだったのですが、全面マスクの上からかぶったという状況だったんでしょうか?

尾野氏:ちょっと、どういう程度かということはありますが、その飛沫を浴びてるということになります。

マコ:鼻口部のスミア試料などは取られたんでしょうか?

※スミア試料:放射能検査するためにこすって採取した試料。

尾野氏:顔面への汚染がございませんから、特にしてないかと思います。

(おしどり家のリビング)
マコ:いや、あの何も問題がないっておっしゃいましたけど、1人だけ作業員の方にかっぱがなくて、それで頭から汚染水をかぶって今も汚染が取れていない方がおられますよね?って言ったよね?マスクはしてるんですけどね。結構、何かやっぱり隙間から入って、歯ブラシで鼻の穴とかを掃除しないといけなくって、すごい大変だったって。そしたら東京電力は、水を使う作業は確実にかっぱを着ないと作業できないことになっておりますので、そのような方はおりませんって言い切ったんだよね。で、それを東京電力に言うと、ちょっと待ってください、確認しますみたいになって。それで2日後の記者会見で…。

(2日後の東電会見)
尾野氏:先日11名の作業者全員がアノラックを着てるというふうに私、申し上げましたけれども、正確に確認してみますと工事担当者、こちらの方がアノラックを着ていなかったということでございますので。

(おしどり家のリビング)
マコ:でもそれ作業員の方からメールが来なかったら、何事もなかったで済ますつもりだったよね。
ケン:そんな感じやったもんね。
マコ:うん。

<作業員から辛い生の声を聞くことも>
(おしどり家のリビング)
マコ:私、取材のいろはとか全然分かんないんでオリジナルでいろいろ開拓していって、まあいろいろ…あれですけど。散髪屋さんに紹介してもらえるのが一番いいです。作業員の方がが散髪にね理容院、理髪店行くと結構話すでしょ?めっちゃいろいろ話すから、理髪店の人がすっごい詳しいの。で、理髪店の人と仲良くなって、この人と話できるから紹介してあげるよっていうルートは堅い。そうそうそう…いろんな人と知り合える。
 20歳代の作業員の方は「もう結婚できないだろうな」とか「結婚しても子どもは持たないな」とか…。
ケン:そうやね。
マコ:言う方もおられて…。
ケン:ホンマやね。
マコ:それは…すごい辛かったね。

<招かれたドイツの国際会議で言われたのは>
・2014年、ノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師会議に、なぜかおしどりがジャーナリストとして招かれた。

(おしどり家のリビング)
マコ:「すいません、私芸人ですよ」って言って。「I am a comedian」って返事したんですよね。そしたらドイツ側から、ドイツの方から「知っています」と。おしどりはアコーディオンと針金を使う漫才師だということをよく知っていますって来たので、ちょっとびっくりしたと思って。

・ドイツでインターネットの東電会見を見ていたドイツ人がおしどりを人選したのだ。

(講演会)
マコ:ドイツの連邦放射線防護庁の役人の方に取材したんですよね。原発事故の後の住民の帰還のレベルが年に20ミリシーベルトでは問題ないということになって、みんな戻りたい人は戻ってもいいということになりましたと言ったら、とても驚いていました。「本当か?それは事実か?」と。で、何でかっていうとドイツの法律では、年20ミリっていうのは原発作業員の年間線量限度なんですね。なのでドイツでいったら、小学校に原発を作るのと同じ意味になると。「本当に年20ミリか?子どもも妊婦もか?」って何度も聞かれました。「本当です、本当です」って言うと、その次に彼に言われたのは「日本の国民はそれを受け入れたのか」って言われました。「ドイツの国民はそんなこと許さない」と。

<ローマ教皇から手紙を貰う>
・旅先ドイツからマコはローマ教皇に手紙を書いた。

ローマ教皇様
子どもの被ばくを危険だと考える母たちは、科学的でないとなじられます。


(おしどり家のリビング)
マコ:教皇様からお返事をいただきまして。びっくりした。

「ジャーナリストとして真実を追究し、伝え、より平和な社会に貢献されてください」

<みんなで情報をシェアできたらという思い>
(講演会)
マコ:何で取材し続けているかが分からないから、想定外だから厄介だと。で、いろんな圧力をかけてもあまり潰れないからややこしいって思われてるんですって。
ケン:純粋な思いに弱いんですね。

(おしどり家のリビング)
ケン:会見が終わって前にぶらさがりで出て、他の方が質問しているときにマコちゃんはこういうメモを見つけんのよね。

※ぶらさがり:記者が取材対象者を取り囲んで行う取材。

マコ:「マコちゃんは適当なとこでカットして下さい」って書いてあったんだよね、びっくりした。質問するときは「おしどりさん」って当たることもあるけど、あんまり名前呼ばれたことないでしょ?私、東電内部でマコちゃんって呼ばれてるんだっていうことにちょっとビックリした。あれ、マコちゃんってそんな面と向かって呼ばれたことないよと思って。

・(ケンのナレーション)この6年で東電の会見を担当された方も引き継がれて全部で9人。皆さん、マコちゃんのことをどう見てたんでしょうね?

(講演会)
マコ:誰かが情報を教えてくれるから、誰かが知識を教えてくれるからじゃなくて、本当にその情報は正しいんですか、その知識は正しいんですかって自分で判断できないといけないからね。それはとても面倒くさいことなんですけど、でもやっぱりやって行かないといけないしね。
ケン:全部自分でやるのはちょっと難しいですけど、みんなで分担しながらね。
マコ:みんなで、それぞれの分野でものすごい想定外が増えて、いろいろシェアできたらいいなっていうのが理想。
ケン:自分はこれが得意やから、こっちやっとくねみたいなね。
マコ:私、原発事故のプラント状況やるんで。あっ、じゃあ私、貧困やるんで。ああ私、高江やるみたいな感じで。
ケン:僕、家でごはん作るからね。
マコ:あっ、ありがとうございます。
ケン:そういう感じ、そういう感じですよね。

<2巡目の検査で甲状腺がん疑いが増えた事実>
・今から6年前の事故当初、初期被ばくの検査は県民のストレスになるなどと、行政は測定は殆ど行わなかった。チェルノブイリで初期被ばく調査がいかに大切か経験したにも関わらずだ。その結果、放射線による健康への影響は深いベールに包まれた。

(おしどり家のリビング)
マコ:2011年、12年、13年、14年ぐらいまでは原発事故の影響は出ない。でも不安解消のために健康調査をしましょうっていうスタンスだったんですけど、大きく雰囲気が変わってきたのは、子どもの甲状腺検査の2巡目の結果がどんどん増えていったから。
 2巡目の検査でまた甲状腺がんの悪性ないし悪性疑いが数十人をね超えたから(62人)。1回目で何ともなかった人が甲状腺がんになっていってるんだっていうことが分かってきてから、すごい雰囲気が変わって。

※1巡目検査:不安解消のために精密検査が必要な子どもたちを探し出す。
※2巡目検査:長期にわたって健康をチェック。

・甲状腺は進行の遅いがんと説明してきたのに、1巡目で何でもなかった子どもが短期間に62人も悪性ないし悪性疑いに進行した重い事実。

※検査2巡目で増えた悪性または悪性疑いの人数:68人
※そのうち先行検査で何でもなかった:62人

(おしどり家のリビング)
マコ:検討委員会の委員の中でも、これはひょっとしたら放射線の影響は考えにくいっていう、あらかじめ何か先入観で調べるんじゃなくて分からないっていうスタンスで調べないといけないっていうふうになってきたよね。

<市民が選ぶジャーナリストの賞を受賞>
・昨年の暮れ、おしどりマコ・ケンの2人は晴れやかな場で照れくさそうだった。市民が選ぶジャーナリストの賞を受賞したのだ。おしどりをこの賞に推薦した都留文科大学講師の丸浜江里子氏はこう言う。

かつて井上ひさしが「難しいことを優しく、優しいことを深く、深いことを面白く」と言った言葉がありますけど、あの2人を見てるとすごくそいうふうな感じ。それからお2人がとってもオシドリでね(丸浜氏)

・心に決めていることがある。この子(アコーディオン)を売らなくてはならなくなったら、原発からすっぱり手を引く。

・(ケンのナレーション)福島から帰って大泣きした日もあったね。当てられなくても手を挙げ続けたね。これからもいろいろあるんだろうね。

・6年が経って、原発事故のこと、放射能のこと、忘れようという空気が強い。しかし半減期30年のセシウムは、まだ9割弱残っている。6年が経って、原発事故の集団訴訟の原告が、願いが届かないまま何人も亡くなっている。6年間、取材してきたマコはその裁判を傍聴した帰り…(泣いている写真)。

(取材者:最後にひと言)
はい。自分で知って調べて考えること、それはいつでもどこでも誰でも出来ることだと思います。大切なのは中立ではなく独立すること。そういう方が増えてくださったらなと思います(マコ)

1人増えたよ、僕(ケン)

(2017/2/15視聴・2017/2/15記)

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【NNNドキュメント’17】遠ざかる島影~北方領土と安全保障~

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【NNNドキュメント’17】
「遠ざかる島影~北方領土と安全保障~」

(日本テレビ系列・2017/2/13放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 昨年の日ロ首脳会談後、NHKで放送された北方領土問題の番組を2つ取り上げました。
【ETV特集】北方領土 重い扉を開く ゴルバチョフが明かす日ソ交渉舞台裏
【NHKスペシャル】スクープドキュメント 北方領土交渉

 その感想でも領土問題の解決は非常に困難だということを書きましたが、今回の「NNNドキュメント」を観て、それがもう絶望的に厳しいことを痛感しましたね。

 それはロシアにとって千島列島が東の「防衛線」であり、さらに仮に北方領土を返還して四島が日本領になったとき『日米安保条約』に基づいてアメリカが基地を置きたいと申し出たときに日本がどうするのか。断れるはずがありません。そうなればロシアにとって最大級の「脅威」を与えることにほかならないからです。

 昨年の首脳会談前の下打ち合わせで日米安保が問題視され、日本が手詰まりだったわけです。会談直前にミサイルが配備されたのも、これで合点がいきました。首相がいくらプーチンをファーストネームで呼んで友情アピールしたって1ミリたりとも進むはずもなかったのです。そうした水面下の交渉を掴んだNNN系の方が文字通り「スクープ」でした。それに比べてNHKはあまりにも楽観的過ぎましたね。

 元島民の皆さんにとってはビザなし訪問や墓参などの条件が緩和されるようなところが現状での落とし所かもしれません。非常に厳しいですが海峡の「3.7kmの距離」は思った以上に遠いようです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・全てはこの一言から始まった。2012年3月、大統領に復帰直前のロシア、ウラジーミル・プーチン首相(当時)。

ヒキワケ!(プーチン氏)

・「ヒキワケ」それは両国が受け入れ可能な解決策への強い意志。北海道根室市と北方領土の間、僅か3.7kmの海峡には事実上の国境線が引かれている。
・海上保安庁の巡視船、そしてロシア国境警備隊の船がにらみ合う。数年前まで日本漁船に向けて容赦のない銃弾が降り注いだ海。この海に平和が取り戻せるかもしれない。去年、そんな期待が高まった。しかし…。

解決にはまだまだ困難な道は続きます。何といっても70年間、解決できなかった問題でありますし…(安倍首相)

・落胆する元島民たち、また期待が裏切られた。日本とロシアの領土交渉の真相。島はなぜ返ってこないのか。

<国後島から強制送還されてきた男性>
・北方領土を望む根室・納沙布岬。日ロ首脳会談直後の去年12月26日、北方領土資料館がオープンした。小学校3年のとき国後島を追われた古林貞夫さん(78)。

昔はこういう茶碗でした。木のしゃもじ、懐かしいな(古林さん)

・古林さんが生まれ育ったのは国後島を代表する火山の一つ、羅臼山の麓にある瀬石という地区。

(写真を見ながら)これ(国後島)瀬石の小学校だからね。非常に自然環境に恵まれた地域で水蒸気が出ている所がありまして、樽をふせて物をふかして食べたりした記憶があります(同上)

・北海道の北東に位置する北方領土。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島。ここに突如、ソ連軍が攻めこんできた。日本が無条件降伏した13日後、1945年8月28日。
・古林さんは2年間ソ連兵などとともに島で暮らしたが、突然行き先の分からない船に乗せられ日本に強制送還された。

(強制送還されたとき)おふくろは2番目の子を、僕は終戦後に生まれた弟をおぶって、本当に着の身着のままで手荷物しか持ってくることができませんでした(同上)

・あれから72年、今もロシアによる実効支配が続いている。以来、古林さんはいつかふるさとで暮らすことを夢見ながら根室で漁業を営んでいる。古林さんはこれまで2回、ビザなし訪問で国後島を訪れた。しかし訳あって家があった場所には行けなかった。

(ビザなし訪問は)本来自分が生まれたふるさとに行って、ここに学校があった、家がこの辺だと散策できる仕組みなんですけど(私の場合は自宅の場所に)軍事施設があり日本人はダメですよと言われた(同上)

・北方領土で日本人が最も多く暮らしていた国後島。終戦時には7512人がいた。今はそれを上回る7817人のロシア人が住んでいる。4年前にロシア政府の活性化対策が出されてから道路や港などの整備が急速に進み、今ではすっかりロシアの風景。

<駐留するロシア軍 仮想敵国は日本だと語る>
・北方領土には今、ロシア軍およそ3500人が駐留し、日々実践的な訓練を繰り返している。司令部で行われていたのは軍事シミュレーション、攻めてくる敵の位置を確認していた。見据える先には北海道知床半島があった。

仮想敵国は隣接する国・日本です。わが部隊は国境の警備にあたり、人々と領土を守るため国後島にいるのです(コシツィン・ヒョードル司令官)

・仮想敵国・日本。なぜロシア軍はこれほどまでに北方領土の防衛に力を入れるのか。日本の専門家は、その位置に意味があると指摘する。

ロシアからするとオホーツク海っていうのは、自分たちが軍事的に確保しておきたい縄張りのような所だと思ってますから。そういう意味においてオホーツク海と太平洋を隔てる千島列島、それから北方領土というのはフェンスの役割をしていると(防衛省防衛研究所の兵藤慎治地域研究部長)

・北方領土周辺の海、特に国後と択捉の間は水深およそ400m。ロシア軍の原子力潜水艦は、この海峡を潜ったまま通り抜けることができる。そして真冬でも凍らない。

仮に国後島と択捉島を日本に引き渡すということになってしまうと、この千島列島、フェンスの中にぽっかりと穴が開いたような形になってしまうという懸念がロシア側にはある(同上)

<北方領土はロシアにとって防衛線となっている>
・ロシアの極東、太平洋艦隊の司令部がある街を訪ねた。およそ61万人が住むウラジオストク。中心部のピョートル大帝湾へ向かうと巨大な軍艦が見えてきた。ここがロシア海軍太平洋艦隊の司令部だ。
・ロシア太平洋艦隊は対アメリカ、対中国の最前線とされる。核兵器を搭載する原子力潜水艦、大型のミサイル巡洋艦など多数の軍艦が配備されている。
・太平洋艦隊のビクトル・セミョノフ元海軍大佐に話を聞くことができた。オホーツク海はアメリカなどを想定した重要な軍事拠点だと語る。

オホーツク海には外国船を入れない。諜報活動を認めない。ロシアの国益に反する行為は認めていません(セミョノフ氏)

・ウラジオストクに所属する艦船の多くは「ロシアの内海」と呼ばれるオホーツク海を活動の拠点とする。太平洋に向かう場合、千島列島と南に連なる北方領土が通り道となる。つまり北方領土は防衛ラインの一角を担う。
・また近年、地球温暖化で北極の氷が溶け始め、北極海航路というヨーロッパへの新たなルートが注目されている。こうした中、北方領土を手放すとオホーツク海に外国船が入り込む危険性が高まる。

北方領土はロシアにとっての防衛線です。ロシアに対して敵意を持っている国から守るという意味では防衛ラインになります(同上)

安全保障の観点から北方領土問題を議論しない限りは、なかなかこの帰属問題っていうのをですね、ロシア側と交渉を進めていくということは難しい部分っていうのがあると(前出の兵藤氏)

<ロシアの態度の硬化に日米安保が>
・北方領土を簡単には手放せないロシア。それでも日本では去年、返還への期待が高まっていった。
・2012年、大統領に復帰する直前のプーチン首相(当時)。領土問題の解決を問われ、日本語でこう答えた。

ヒキワケ!(プーチン氏)

・安倍総理も領土問題の解決に強い意欲を示してきた。

ウラジーミル、私たちの世代が勇気を持って責任を果たしていこうではありませんか(安倍首相・去年9月)

・去年9月、首脳会談の会場となる山口県長門市で今井尚哉首相秘書官とエフゲニー・アファナシエフ駐日ロシア大使が水面下の接触。安倍総理は側近を使い、様々な手立てでロシアとの交渉を繰り返した。
・プーチン大統領との直接会談も来日まで15回にも及んだ。しかし期待通りにはいかなかった。来日1か月前、記者の問いにこう答えた。

大きな一歩を進めることはそう簡単ではない。着実に一歩一歩前進をしていきたい(安倍首相)

・実はこの少し前、国家安全保障局の谷内局長がロシアを訪問。ロシア側から「島が返還された場合、日米安全保障条約は適用されるのか?」と問われ、谷地局長が「guess(たぶんそうだ)」と答えたと、ある政府関係者は語る。政府は公式に認めていないものの、これがプーチン大統領にも伝わり態度を硬化させたとの見方がある。
・1960年に締結された日米安全保障条約。アメリカの守るべき対象地域は「日本国の施政の下にある領域」とされている。つまり北方領土が返還された場合、そこにもアメリカは基地をつくることができる。1960年に結ばれた日米安全保障条約がロシアとの交渉で再び注目された。
・かつて「ヒキワケ」という言葉で領土問題の解決に意欲をみせていたプーチン大統領。首脳会談の直前、我々の取材に領土問題の存在すら否定した。

ロシアには領土問題は全くないと思っています。ロシアとの間に領土問題があると考えているのは日本です(プーチン大統領)

・さらにプーチン大統領が日本に公式訪問する直前、ロシア太平洋艦隊の司令部は国後・択捉の二島に最新鋭の地対艦ミサイルを配備したと発表した。国後に配備されたバルは射程130km、択捉のバスチオンは300km。北方領土周辺の海に入る外国船を狙える。

<日米安保の壁とともにロシア側の事情も>
・去年12月15日、プーチン大統領は11年ぶりに日本を公式訪問した。到着は予定より2時間以上遅れた。2日間で6時間余り、最後は膝を突き合わせ2人だけの会談。しかし、北方領土問題の結論は会談が始まる前に出ていたのかもしれない。

解決にはまだまだ困難な道は続きます(安倍首相)

日米関係、特に安全保障条約を考えたとき、我々はどう関係構築ができるというのか。日本の皆さんにはあらゆる事情、ロシアが抱く懸念を考慮してほしい(プーチン大統領)

・日米安保の壁。共同経済活動の協議開始は決まったが、領土交渉での具体的進展はなかった。

日ロが平和条約を結び友好関係をつくると(アメリカ軍)基地の問題はどうなるだろう?日本政府は北方領土にアメリカの基地を配備することを断れるのだろうか?(前出のセミョノフ氏)

・領土問題解決を阻んだもう一つの理由。ロシアは原油安、そして欧米の経済制裁で不況に。プーチン大統領の力は、日本政府が思っていた以上に弱まっていた。
・実は5年前、大統領選挙の年、返り咲きを狙うプーチン大統領に国民が反発。今回も恐れたのは世論だった。来年3月に再び大統領選挙がある。プーチン大統領にとって領土問題の譲歩は、命取りになりかねない。

<日本政府の交渉姿勢の“揺れ”もあった>
・日ロ首脳会談から1か月後、国後島出身の古林さんはふるさとを見つめていた。

羅臼山の下の方に(国後島)瀬石がある。あの辺ですね、山の北寄りね。殆ど麓に近いんですけど(古林さん)

・かつて北方領土に住んでいた日本人は約1万7000人。既に1万人以上が亡くなり、残された人の平均年齢は81歳を超えた。

とにかく年ですから、ふるさとに行って住んで、生まれた所で命を落としたい(同上)

・再び停滞した領土交渉。遠ざかる、ふるさと。その裏にもう一つ揺れ動いてきた日本政府の交渉姿勢がある。戦争に敗れた日本は1951年、アメリカやイギリスなど48か国とサンフランシスコ平和条約を結び、国交を回復した。
・このとき日本は千島列島の領有権を放棄。手放した島の中には国後と択捉も含まれるというのが当時の日本政府の見解だった。
・さらに5年後、日ソ共同宣言でも「平和条約が締結された後、色丹・歯舞を日本へ引き渡す」と記されているが、国後・択捉の記述は一切ない。
・戦後、一時は二島返還という方針を打ち出した日本。それに異議を唱えたのがアメリカ。当時のトルーマン大統領だった。日本とソビエトの接近を警戒したアメリカは、日本が国後・択捉を放棄するなら沖縄は永久に返さないと脅したという。
・アメリカに屈し、国後・択捉も含む四島一括返還へと方針を転換した日本。これに対しプーチン大統領は、返還交渉はあくまで二島を引き渡す日ソ共同宣言がベースだと強調してきた。

共同宣言には二島について書かれていますが、首相が四島の問題を提起しました。つまり共同宣言の枠をこえています。これは全く別の話で別の問題提起です(プーチン大統領)

<元島民たちに忍び寄る老い 島影は遠のく>
・すれ違いを繰り返してきた日本とロシア。ふるさとを奪われてから、もう72年が過ぎた。2月7日、今年も北方領土の日が訪れた。

北方領土を返せー!(住民大会のシュプレヒコール)

・首脳会談の前は控えていた「島を返せ」という言葉が蘇っていた。その中に古林さんの姿はなかった。先日まで入院していたという。

参加して「返せ!」とやりたかった。毎年ずっとやってきましたから。体調不良で(返還運動に)参加できず、非常に残念に思っています(古林さん)

・元島民に忍び寄る老い。

はっきり言ってロシアは四島を全部返す気は最初からないと思っていますけど、でも何らかの形で我々の希望が少しでも叶えられるように、返還運動を続けていきたい(同上)

・「ヒキワケ」の答えを見い出せる日は来るのか。島を追われた人たちの願いを置き去りに、北方領土の島影は遠ざかっていく。

(2017/2/15視聴・2017/2/15記)

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【空から日本を見てみよう+】奈良県橿原~明日香~室生寺

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【空から日本を見てみよう+】
「奈良県橿原~明日香~室生寺」

(BSジャパン・2017/2/14放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 1週分を見逃してしまったようです。今週は奈良県橿原から明日香村を通って室生寺までの旅。

 明日香村の遺跡群はぜひ行ってみたいと思っているところですが、移動手段がやっぱりレンタカーでないと不便かなと思っていたら小型自動車「MICHIMO」なんていう便利なものがあるのですね。調べてみたら1日借りても8000円(2016年2月現在)、リーズナブルでいいですね。

 町に眠っているかもしれない文化財を保護し、景観を守るという確固とした姿勢も素晴らしいと思います。人口が減ってしまっているのは残念ですが、その価値の理解が広がるときは必ず来るように思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<奈良県橿原市周辺>
・人口:123,644人(県2位)面積:39.56平方キロメートル(県22位)(2016年12月1日現在)
・古代のチーズをイメージした「飛鳥の蘇」が有名。
・今井町(重要伝統的建造物群保存地区)。寺内町(寺院を中心とした防衛都市)として形成。江戸時代は商工業で発展「大和の金で今井に七分」といわれた。
・今西家住宅。惣年寄筆頭として司法権・行政権を委ねられた。

<奈良県明日香村周辺>
・人口:5,470人(県27位)面積:24.10平方キロメートル(県27位)(2016年12月1日現在)
・長い名前で有名な「飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社」がある。
・明日香村は飛鳥時代の遺跡が数多く埋まっているため町並みが守られている。

【明日香法】(大規模な開発の抑制と住民基盤整備のための支援からなる法律)
※開発抑制の具体例
■地区により住宅などが建てられない。
■屋根は日本瓦。
■壁は黒・白・茶など指定された色。
■住宅などの高さは10m以内。

・古民家を改装したカフェや宿泊施設が増加。
・MICHIMO(2人乗り小型モビリティレンタルサービス)
・高松塚古墳。1972年、極彩色の壁画の発見により注目された。
・キトラ古墳。石室の中には四神と呼ばれる4つの神様(北・玄武、東・青龍、南・朱雀、西・白虎)が描かれている。
・キトラ古墳壁画体験館「四神の館」。四神を高精細映像で実物の最大100倍で鑑賞できる。
・石舞台古墳。
・「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として世界遺産登録を目指している。
・藤原京。大宝律令の制定、条坊制の町並みの整備等を行った。
・亀形石造物。何らかの祭祀に使われていると考えるが詳細は不明。
・飛鳥寺。596年創建、日本初の本格的な寺院といわれる。
・飛鳥大仏。609年完成とされ、現存する日本最古の仏様。一般的に「旧国宝」といわれる。1950年の文化財保護法制定で、かつて国宝だったものが全て重要文化財と呼ばれその中から特に価値の高いものが国宝に指定されることに。しかし飛鳥大仏は現在、重要文化財のまま。造立当初から残っているのは顔の一部と右手指の一部のみというのが定説とされてきた。2016年6月、大阪大の調査で顔の殆どと右手の殆どが造立当初のもという結果に。国宝の再指定が待たれる。

<奈良県桜井市周辺>
・人口:56,730人(県8位)面積:98.91平方キロメートル(県11位)(2016年12月1日現在)
・「相撲発祥の地」ともいわれる相撲神社がある。
・安倍文殊院。645年創建。「三人寄れば文殊の知恵」で有名な文殊菩薩が本尊。パンジージャンボ干支花絵。本堂の中にある渡海文殊、2013年に国宝に指定。
・箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命の墓)。卑弥呼の墓という説もある。
・三輪山本本社。1717年創業、手延べそうめんメーカー。桜井市は手延べそうめん発祥の地。
・森井食品。1937年、日本で初めてはるさめの開発に成功。
・長谷寺。本堂は清水寺と同じ懸造り。2003年再調査した結果、国宝に。五重塔(1954年完成)。四季を通じて花が見られる「花の御寺」。
※くもじいの選ぶ長谷寺の見どころベスト3
1位:鐘楼。時の貝。毎日正午にほら貝を吹く。
2位:本堂。本尊大観音尊像特別拝観がある。
3位:登廊。1039年着工、現在のものは1894年再建。

<奈良県宇陀市周辺>
・人口:30,330人(県12位)面積:247.50平方キロメートル(県6位)(2016年12月1日現在)
・特産品は磨き丸太。
・宇陀松山地区。
・森野吉野葛本舗。日本最古の私設薬草園を併設。
・室生寺。「女人高野」の別名がある。横顔がイケメンの弥勒堂の釈迦如来坐像(国宝)。金堂の十一面観音菩薩像(国宝)。

(2017/2/16視聴・2017/2/16記)

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【ETV特集】その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人

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【ETV特集】
「その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人」

(Eテレ・2017/2/11放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 先週のETV特集の「次週予告」を観たときに「大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎…誰?」「なんだろう、面白いのかな、これ?」という半信半疑の気持ちでで視聴しました(今から考えれば大変失礼でしたが)。

 86歳でパーキンソン病を患いながらも、街頭で舞踏をみせるということに執念を傾けるギリヤークさん。正直言ってその芸術的な部分は私のような者が理解するのは難しいほどのものがありますが、それでも一際驚いたのは「10月10日の新宿公演」という目標に向けて、それが近づくにつれて歩くことが覚束なかった彼が徐々に体が仕上がってきていること。それは以前、楽屋でベッドに横たわり点滴を打ちながらもステージに立った美空ひばりのような“プロ”としての魂と同じようなものを感じました。

 そして圧巻だった新宿での公演。長年応援してきた人たちもそうだし、たまたま偶然立ち寄った人にとっても心揺さぶられるような公演だったのでしょうね。画面を通しても迫力が伝わってきました。

 そんなギリヤークさん。50周年を迎えるあと2年頑張るという決意表明をされていました。私も機会があれば観てみたいです。どうかそれが叶うためにも、お元気でお過ごしいただきたいと切に願います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

その男
職業・大道芸人
昭和5年生まれ
およそ半世紀
世界の路上で
変わることなく
踊り続けてきた
伝説
投げ銭で生きる
日本最高齢の大道芸人
人を惹きつける狂気

<高齢の大道芸人 原因不明の病気に>
・2016年7月1日
・東京世田谷・都営住宅
・ギリヤーク尼ヶ崎、85歳

もう舞踏家の体っていうもんじゃないですよ。今年になってね、こんなに骨が曲がってるの。そして手の震える病気で、つばが流れるんですよね、唾液が。どこの大学病院に行ってもね病名がね、どうしてこうなるかがね分からないそうです。はっきり言って治療の方法がないって。なんでこんな病気になったのかね。踊りだけやってきた人間だからね。不思議でしょうがないんだけど。去年は調子よかったんですよ、まだ。10月の体育の日に東京の新宿の広場でね、それまでにね踊りたいな。昭和53年から今まで一回も休まないで踊ってきたからね(ギリヤーク尼ヶ崎、以下「ギ」)
(ギリヤークさん、復活できそうでしょうか?)
ちょっと無理だろうなと思うんだけどね…(弟・はるさん)

・3か月後の新宿公演へ
・炎天下で1時間

しなやかに僕が手を振ると風が吹いているね。ギリヤークさんが踊ると風の音がするって。全然そういう動きが消えちゃったわけ。だけどね、人を感動させるには命がけで踊るっていうか、捨て身の踊りっていうか。捨て身の動きをまた取り戻したいんだよ。ギリヤーク尼ヶ崎、今、沈没するわけにはいかない。選挙じゃないけど、まだがんばるよ(ギ)

<海外公演 映画の出演も>
・ギリヤーク尼ヶ崎 伝説の大道芸人
・北海道函館生まれ

白鳥の湖(踊るギリヤーク尼ヶ崎)

街頭で踊って投げ銭もらって生活してきた(ギ)

・ニューヨーク
・フランス
・ブラジル
・中国
・ロシア
・海外でも路上公演

じょんがら!じょんがら!(踊るギリヤーク尼ヶ崎・1982年 パリ)

すばらしい、こんな踊り見たことないよ(見物人の男性)

(映画「さらば箱船」寺山修司監督・1984年に出演)
(映画「マルサの女」伊丹十三監督・1987年に出演)

つまり、秩序の外にいる人だから。ものすごくナイーブで人のよさそうな顔と…同時、何ていうのかな、こちらの秩序の世界に属さない暗黒の外側からやって来たみたいな。何かを讃えてますね、あの人はね。そういうものに惹かれるわけでしょうね、我々は(故・伊丹十三氏)

<兄弟と2人で暮らす>
・2016年7月21日

病院行くんだ(ギ)

・6人兄弟の次男と末っ子

兄貴は昭和5年に生まれてさ。俺は末っ子で生まれたから昭和15年だから(はるさん)

・85歳と75歳の兄弟

この間、日大千葉病院に行ってきたんですけど(病名が)分からなくて(ギ)

今まではね、せいぜい新宿まで連れて行くぐらいで(はるさん)

やっぱり、よだれ出てくるわ(ギ)

踊れるのか踊れないのかはあるんだけど、環境はつくってあげようと思って(はるさん)


・整体院

それ痛い。それです、それです(ギ)

<86歳の誕生日を迎えた>
・2016年8月18日

狛江ますで治療院に行ってきた帰りで、今買い物しながら帰ってきたんだ。もうおなかすいちゃったっちゅうから(はるさん)

今日は僕の誕生日なんですよ(ギ)

(何歳になったんですか?)
86歳になったばかりですけど(ギ)
(今日は何を?)
今日はね味噌汁にね、お刺身とコロッケかな(はるさん)
(今、ギリヤークさんと住まれてどれぐらいなんでしたっけ?)
ここに来て7年ぐらいになるんじゃないかな(同上)
(お仕事はずっと何をされてたんですか?)
タクシーの運転手してたんですよ(同上)
(今、生活はその…)
タクシー時代の年金で(同上)
(細かく切られるんですね)
噛めないからね、細かく切っといてあげないとね(同上)

・好物ばかりの誕生日のメニュー

おいしそうだなあ。僕の大好きな生ハムだ(ギ)
(生ハム好きなんですね)
パリで踊ったときに泊まったホテルでね、生ハムを出してくれたのがやみつき(ギ)

今日はうまいわ(ギ)

今日はうまいって、いつもおいしいんだよ(はるさん)

腰は曲がるし、顔にしわはできるし、激しく動くこともできなくなった場合、それをどう乗り越えていくかはね。死ぬまで(ギ)

猿でも犬でもさ、みんな命があるんだよ。その地球生命体として命として、どういう生き方をするかっちゅうのがさ(はるさん)

年をとって100歳になっても、華のある芸人でいたいなっていう思いだけはあるんですよ。毎日を一期一会を大事にして。人生観に関しては(弟とは)違うねえ(ギ)

(どこが違うんですか?)
考えとか生き方も現実的ですよね。具体的なんだけど、僕はね芸人でしょ。芸人っていうのは、みんな一生懸命働いた人のお金からいくらかいただいて生活してるようなもんだから。結構ロマンチックなんですよ。そうするとね、弟と話してると僕のほうが負けちゃいますね。負けたって一切言わないけど、腹の中でね(ギ)

(…だそうですけど?)
ハハハハ!くそみそ言いやがって(はるさん)

現実的なそういうふうには生きられないかもしれないけどね、ロマンっていうのは絶対、人間に必要なの。そして僕はそのロマンっていうかね、夢を与える人間。それが大道芸人だと思う。僕のできることは“踊り”しかないから(ギ)


<21歳で上京 38歳で大道芸人に>
東京に出てきてから舞踊の研究所へ行って、それ以来、今日まで踊りをやってきたんですけどね。(ギ)

・本名 尼ヶ崎勝見 1930年8月18日生まれ

僕、函館に生まれて、うちお菓子屋でしょ。そうすると映画館の売店からね「お菓子届けて下さい」とかって来るでしょ、お客さんに売る。そうすると配達にね僕も行って、映画見たりなんかしてるとね、僕もああいうふうになりたいなって思う憧れはあってね。東京へ行って俳優さんでもなりたいなとかね(ギ)

・1951年 21歳 上京
・舞踊の研究所へ

だけどね、駄目だ駄目だってね言われてね。僕はアルバイトにね、ビルの掃除夫をやったりなんかして自分の発表の場ないでしょ。だから大道芸人になって、それで食べていこうと(ギ)

・38歳で大道芸人へ

(どういうことから街頭で踊りを始められたんですか?)
私は創作舞踊を長年やってきましたけど、例えば舞台で発表するとしましても1人ですとなかなな大変なんですよ。それでもっと自分の身近なところで多くの人に舞踊というのを見てもらいたいと。で考えついたのは、やっぱり街頭だったんです。私はお客さんにただ楽しんでもらうだけでなく、今の時代で特にみんな不安やいろいろ、あらゆる人間感情を内に込めて爆発できないでいるようなところで、人と人との心のふれあいっていうか、あるいは時には時代に対する抵抗っていうかいろんなものを含めて、見る人と演ずる人との葛藤といいますか、その中で自分を見つめていきたいっていう(1973年・43歳のギリヤーク)

・目が離せぬ“異物”

これだけのエネルギッシュな踊りを、常にほんとに力を抜かないで見せてくれるっていうのはね、すごいなって(観客の女性)

・理解は不能

踊りはよく分かんなかったけどね。別に大道芸人やって生きていけるってことはよく分かりましたんで、また生きるのが楽になりました(観客の男性)

・なぜか揺さぶられる

僕の中にも、もしかしたらそういうものが眠ってんのかもしれないなっと思わされちゃうのね。そうすると、ふだん自分がいかに怠けてるかっていうとさ、逆に突きつけられてる気が(観客の男性)

南無阿弥陀仏!(踊るギリヤーク尼ヶ崎)

こういうのが受け入れられる時代じゃないと思うんですよね、今。それでもやっぱりこういうのを見て惹かれるところがあって、わーって拍手をするっていうのがちょっとびっくりしました(観客の女性)
(拍手しました?)
しました、思わず。よかったと思います(同上)

<10月10日の新宿公演に向けて>
・2016年8月23日

今ちょっとごはん食べてね、またあそこに行って。いつもだと、もう少し早く起きて練習に行ってるんだけど(ギ)

兄貴とケンカなんですよ、もう(はるさん)
(何かあったんですか?)
(在宅)ケアの人が来て話しててさ、食事をちょっと食べてみななんてさ、スプーンで(口に)こうやったらさ、すごく嫌がってさ。人前でそういうふうに動けないようなあれを見せられるのが嫌だったのかどうか知らないけどさ、ガラスの器バーンと投げて壊すしさ、参っちゃったよ、もう(同上)

(ああ…そんなに震えるんですね)
こりゃ大変だ(ギ)

今の僕のね、こういう体調なの。こんなに体調悪くてね、踊りを(10月10日の)発表会やったほうがいいと思う?(ギ)
(どう思ってるんですか?自分では)
なぜ迷いが出てくるかっていうとね、プロとしての意地なの。プロでなければね、今の体調でやればいいんでないの。だめだったらお話でもすればいいんじゃないの。ギリヤークさんだから、あっちこっち外国行って面白いお話たくさんあるからって。やっぱりね、プロとしての意地あるもんだから、かっこいいとこ見せたいの(ギ)

どうしたらいいのかな、なんてさ。まだまだできる自分を追っかけてね。老いることを理解してないんだよ。そこのところが心配(はるさん)

10月の新宿公演までの兄貴の人生の目的に近いものになると思うんだけど。体が動かなくなっても、そういう姿でも踊りたいっちゅうようなさ、何なんですかっちゅう。人は動きには動くだけの、働くには働くだけの願い目的があって働いているわけですよ。人によっては金のためもあれば名誉のためもあれば、いろいろなものもある。そこまでして人生をかけて踊る願いは何ですかっていうのはさ(はるさん)

すぐに出てこないな(ギ)

何でそういう状態で新宿に行って踊りたいのかなって、そこのところをさ(はるさん)

弟の今言った質問っていうのはね、やったことのない人間の言いぐさなの。そういうことを語りきれたら、みんな小説家になって本もどんどん売れてますよ。これやった人間からでなく、やらない人間だったら、いっくらでもかっこうのいいことしゃべるわ(ギ)

ごめん(はるさん)


<母の存在が大きかった>
※仏壇に手を合わせるギリヤーク

母さん、今日も精一杯生きていきます。お守りください(ギ)
(改めてですけど、お母さんの写真こうやって飾ってるのはなぜですか?)
僕をこんなふうにしたのはね、亡くなった母がいたりして、できたあれで。うちの母さんいなかったらね、今のギリヤーク尼ヶ崎の大道芸人、生まれてこなかったかもわかんないね。母さんと一緒にね生活してたのは長いんですよ。東京に出てきたから二人で(ギ)

・30年一緒だった

嫁さんもらってちゃんとしているんなら何の心配ないけど、あの人に向いてる仕事だから諦めているけども。元気でいればいくつになってもね、踊って金も取れるしね。だからいいだろうけども。足がいつどういうふうになるかと思って、それだけね(生前の母・静枝さん)

自由にさせてくれましたよ。僕が「ニューヨーク行きたいけどお金がない」って言ったらね、自分の生命保険をおろしてね。それでニューヨークへ行って踊れたの(ギ)


・1978年 初めてNYで海外公演をした

どこへ踊りに行くにもね「勝見ちゃん、体だけは気をつけて頑張りなさいよ」って。「頑張りなさいよ」って言葉だね。この言葉が一番ね好きだったよ。元気もらってたの(ギ)

・1991年 83歳で亡くなった

(やっぱり、ギリヤークさんにとってお母さんの死っていうのは大きいものでしたか?)
そうですね。あのね、いざ踊りのね、最後の演目なってね、頼りにするのは神様じゃないんですよ。母さんの気持ち。「母さん、これから最後の踊りやるよ。これで投げ銭もらうんだよ。頑張るからね」ってね。「母さん応援して」っていうね。必ずその祈りの気持ちが一瞬だけどね、ちゃんと気持ちの中にね入ってますよ。それでやっていけたの(ギ)

・代表作「念仏じょんがら」
・残されたものの“嘆き”

南無阿弥陀仏!母さん!(踊るギリヤーク尼ヶ崎)

<体調が厳しい中、練習を続ける>
(結局、検査どうだったんですか?10月10日のは、できそうな感じなのか…)
あの、無理でしょ。本人はさ、そのつもりでいるんだけど、もうあちこち立てないんだから(はるさん)

あんまりかまわすな!(ギ)


・2016年8月24日

こんにちは(大道芸人仲間・きのさん)

お疲れさまです。今日はこれから練習に行ってきます(ギ)


(はるさん、練習はノータッチなんですね)
全然ノータッチ。やりたいようにやってくださいって(はるさん)

(きのさん、これお手伝いしたことあるんですか?)
これ最後にきゅって引っ張るぐらいしか手伝ったことない。今まではね全部自分でやってらしたから(きのさん)

立てない。おっかなくて座れないわ。普通に立ちたいんだけど、片方ずつ。痛い(ギ)


<公演の方法を巡って支援者とぶつかる>
腫れてっちゃ(10年来の大道芸人仲間・おちゃっぴいほりこしさん)

足袋はけないわけよ(ギ)

でしょ?それじゃ踊る以前の問題じゃない(ほりこしさん)

それでね10月10日の、いろいろ考えたんだよ。車椅子で(ギ)

車椅子で入る?例えばその場にいる人たちで、まあ俺も行くし、みんなで入場でいいんじゃないですか?(ほりこしさん)

いや、あんまりそういうふうにたくさん…しないほうがいい。それを、きのさんに出てもらう。きのさんに手伝ってもらって。きのさんをデビューさせるならいいチャンスだと。きのさん、でしゃばらなくてもきれいな人だから目立つの。あれでいいの。大道芸っていうのは目立たなかったらだめなの(ギ)

それは分かるんですよ。だから俺が言いたいのは、みんなギリヤークさんを見に来るんで、きのさんを見に来るわけじゃねえから(ほりこしさん)

何、何、何が反対なわけ?だからそれ以外のことは、きのさんには頼んでないの(ギ)

分かりました。いいですよ、ギリヤークさんのいいようにしてもらって。私、帰らせていただきます(ほりこしさん)

行っちゃった(ギ)


※追いかけるはるさん
何とか踊る方向では本人がいるみたいだから、それはそれで構わないんですけどね(ほりこしさん)

だけど踊れるのか踊れないのか(はるさん)

今日はそれをチェックしに来るわけだったんだけど。歩けなくても、やるんだったらやれるように当日みんなで荷物持ってくよ、椅子でも座れるように。例えば歩いて行きたいんだったら両脇抱えてでも、みんなで手伝っていくよって。だけどステージの上っていうか、観客の前に立ったらもう1人なんですよね。今までずっと1人でやってきたわけだから(ほりこしさん)

人生には終わりがあるし、終わりをきちっとするにはさ、病気になったっていいじゃないかとかさ、僕は思うんだけどね(はるさん)

そうなんですよ。だから結局、今の状態の中で自分がどう生きてくかなんですよね(ほりこしさん)

そうそう(はるさん)


<パーキンソン病に罹っていることが判明した>
・2016年9月2日

今ね、公園に行ってるみたいよ(はるさん)

(練習してるんですか)
いや、今ね…(ギ)
(すごい動いてるじゃないですか!)
きのう病名分かりました。パーキンソンだか何とかって病気だって。あんまりいい病気じゃないんだけど(ギ)

※パーキンソン病:脳が出す運動の指令がうまく伝わらず、体が次第に動かなくなる難病。

その薬、割といいですよ。それまでよだれ出てたの。みっともなくていたのね。水飲んだりしても唾も出てこなく、よだれ止まるようになったから。ただね、震えが止まらないんですよ。もうそんなこと、くよくよ言っていられないよ。片足だけでやるの大変だな(ギ)

(打ち鳴らす音)
力出てきたんでない。やればできるんでない。生きているかぎり踊り狂って、踊って踊って死にたい、街頭で。それ以外の生き方はしたくない(ギ)

10日できんのかね、あんなんで。まあ、それは人のことだから分かんないけど(はるさん)


<渾身の新宿公演>
・2016年10月10日 東京 新宿
・昭和53年から休んだことのない新宿公演

1時っていうのはあっという間にくるから(ギ)
(あっという間に来ますね。今12時15分です)

※自分でメイクをするギリヤーク
※車椅子で登場するギリヤーク

待ってました!ギリヤーク!(観客)

・できないことはお客にしてもらう“演出”

念仏!念仏!「念仏じょんがら」だ!(ギ)

・最後に踊ったのは「念仏じゃんがら」

南無阿弥陀仏!(ギ)

ギリヤーク!頑張れ!ギリヤーク最高!(観客)

母さん、今86歳になった。あと87、88歳の2年の50周年公演まで頑張るよ。母さん、応援してね…母さん。母さん、また踊るよ(ギ)

※鳴り止まない拍手
※公演を遠くから眺めるはるさん

不思議なもんだな。自分のやりたいことだけで、そこには人の輪っちゅうものがあってね。それに支えられてるっていうこと(はるさん)
(不思議な兄貴ですか?)
不思議なっちゅうか、自分の生きたいことを貫くっちゅうものを見してもらったね(同上)

まだやれる。まだ僕は大道芸人として投げ銭で生きていきます。投げ銭で生きていく大道芸人の大先端としてこれからも希望の明日を(みなさんも)どんどんどんどん自分の生き方をしてください。どうもありがとうございました(ギ)

※鳴り止まない拍手

<一生懸命踊ってきた そして今後も…>
・2016年10月19日

あの日だけはね、帰ってきてから朝方までね全然疲れなかった。それと皆さんからの励ましのご祝儀とかカンパとかあって嬉しくて、今ぽーっとしてるの(ギ)

だいぶ(おなか)減ってるみたいだからね。筋子もあるでしょ、かぼちゃもあるでしょ、塩引きもあるでしょ。何といっても、やっぱりどさんこだもんね(はるさん)


・生まれ故郷 北海道づくしのメニュー

うまい。それにしても病気はよくなったり悪くなったり…手が震えるね(ギ)

何にもしてないんだよ(はるさん)

ありがたい、それでいいの。それがすごいの、はるさんの。分かってきた。何にもしていないようで、ちゃんとしてくれてたの。ほんと、はるさんいてくれなきゃ今日まで僕、踊れたかどうか分かんなかった(ギ)

やりたいこと一生懸命やってるんだから、いいんじゃないかい(はるさん)

そうだ、今はるさん言ったとおり、僕の芸の特徴は、一生懸命ただ踊ってきただけです(ギ)

(それは何のために踊るとかそういうことじゃなく、ただ一生懸命…)
いや、その中に生きるっていうこと全部含めて(ギ)

一生懸命生きたっちゅうことですよ(はるさん)


(2017/2/16視聴・2017/2/16記)

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【にっぽん!歴史鑑定】今川義元は本当に愚将だったのか?

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【にっぽん!歴史鑑定】
「今川義元は本当に愚将だったのか?」

(BS-TBS・2017/2/13放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 「海道一の弓取り」と呼ばれた今川義元。今、放送されている「大河ドラマ」は井伊サイドからの視点ですから「悪役」となっていますが、彼自身が「愚将」「凡将」と呼ばれたのは明らかに間違いであり「歴史」というものが勝者の都合によってつくられている側面を如実に表していることだと思います。

 今回は義元の功績を丁寧に追った内容でしたが、彼自身の為政を語る上で欠かすことができないのは太原雪斎という軍師の存在だと思います。これについては、ちょっと古いですが2年前に歴史秘話ヒストリアで取り上げられていたので、改めて再放送か何かで紹介してほしいですね(→【歴史秘話ヒストリア】師匠、オレは戦国大名になる!“やられ役”今川義元の真実)。

 しかし今川義元を再現するときに必ずといっていいほど出てくる、あの「公家メイク」…本当にしていたのかな?何だかこれも後世の創作のような気がするのですが。春風亭昇太さんが演じる義元では相当キャラが立ってますが(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・永禄3年(1560年)5月19日、織田信長率いる2000の兵が今川軍の本陣を奇襲した(桶狭間の戦い)。このとき2万5000の大軍を率いていたにも関わらず、討ち取られてしまった戦国大名こそ今川義元。
・トレードマークは白塗りにお歯黒の公家風メイク。しかも戦場では輿に乗って進軍。やはり義元はダメダメな軟弱武将だったのか?
・愚将といわれた男の領国経営はいかに。直虎の井伊家との因縁、その外交戦略も徹底検証。
・五男だった義元はなぜ今川家の当主になれたのか。熾烈な家督争いの裏にあった母・寿桂尼の裏切りとは。
・義元の野望を打ち砕いた男・織田信長。桶狭間で信長に大敗したのは、義元の油断だったのか。それとも異常気象のせいか。義元最後の戦いの真相にも迫る。

<今川義元の生い立ち>
・今川家は足利将軍家から分かれた名門。その始まりは室町時代初頭。暦応元年(1338年)今川範国が駿河国守護職に任ぜられ、やがて隣国の遠江国も治める守護大名となった。
・時を経て7代当主となったのが今川氏親。その5番目の男子として永正16年(1519年)に生まれたのが義元。6歳のときに父が亡くなり、長男の氏輝が家督を継ぐことに。しかしまだ14歳だったため、母・寿桂尼がその後ろ盾となり政務を執ることになった。
・義元の母でもある寿桂尼は京都の公家の娘だったが、今川家の政務を執ったことから「女戦国大名」と呼ばれた。義元は五男であったため早くに出家させられ「栴岳承芳」と名乗っていた。
・そんな義元の教育係となったのが太原雪斎。義元は雪斎とともに京に上り、建仁寺などの禅宗の寺院で学識を深めていった。今川家の歴史に詳しい静岡大学名誉教授の小和田哲男氏にこの頃の義元について伺った。

京都にいて知識人、公家たちと交流していた。若い頃から相当教養を身につけていたのではないかと思われる(小和田氏)

<熾烈な家督争いを制して当主となった義元>
・一僧侶として生涯を終えるはずだった義元だが事件が起こった。天文5年(1536年)義元18歳のとき、偶然にも同じ日に兄である氏輝と彦五郎が病死した。氏輝には跡継ぎがいなかったため、残った兄弟の中から次の当主を決めることとなった。
・残った4人のうち四男(象耳泉奘)は家督争いに名乗りを上げなかった。そして尾張今川家の養子となっていた六男・氏豊は既にそちらの家督を継いでいたため家督争いには加わらず、残るはともに出家していた三男・玄広恵探と義元になった。
・恵探の母は側室で有力家臣・福島氏の娘だった。義元の母は政務を執っていた正室・寿桂尼で順当に義元で決まるかに思われたが、福島氏から猛反対があった。
・武田家の家臣・駒井高白斎が記した日記にこんな記述がある。

氏照(輝)ノ老母(寿桂尼)福嶋越前守宿所へ行
花蔵(玄広恵探)ト同心シテ
(「高白斎記」)


・義元の母である寿桂尼が対抗する福島氏の宿所へ行き、敵方である玄広恵探に味方したというのだ。果たして寿桂尼は義元を裏切ったのか。

「高白斎記」の文面をみると寿桂尼が裏切ったと読めるが、それはないと思う。寿桂尼が裏切ったわけではない史料も実際にはある(小和田氏)

・その史料は家督争いが落着した後に義元が家臣に送った書状。

大上様(寿桂尼)注書お取り花蔵(恵探)参りなされ候処
(母・寿桂尼が注書を持って恵探のもとへ参られた)

注書というのは義元が家督を継ぐことを将軍・足利義晴が承認したことを示す覚書のこと。このとき既に義元側は先手を打って将軍の承認を得ていたことになる(同上)

・寿桂尼が恵探のところへ行ったのは、次の家督は既に義元に決まっているのだと注書を見せて説得するためだった。しかし問題が起こった。注書が恵探側に奪われてしまった。小和田氏はこのとき寿桂尼も抑留されてしまったと考えている。駒井高白斎はこうした事情を知らなかったため、同心したと勘違いしたのだろう。
・将軍から家督相続を認められたことを示す注書だけでなく、母・寿桂尼まで奪われたことを知った義元はすぐさま恵探派の拠点を襲撃した。天文5年(1536年)5月、今川家を二分する内戦(花蔵の乱)。
・義元軍は恵探方が籠る方ノ上城を攻撃。すると恵探軍は難攻不落といわれた花倉城へと逃げていった。しかし義元の家臣・岡部親綱によってその鉄壁の守りは破られ、母と注書を奪還。恵探は城を捨てて逃げたが、その途中で最早これまでと自刃した。
・恵探の死によって熾烈な家督争いは終わりを告げた。こうして義元は今川家9代当主となった。

<外交手腕に長けた戦国武将だった>
・駿河・遠江2国の守護職だった今川家は3代当主の頃、同じ足利の流れを汲む戦国大名・斯波氏に遠江を奪われてしまった。それ以来、遠江奪還は今川の悲願。その鍵を握っていたのが井伊家だった。
・井伊家は遠江・浜名湖北岸に位置する井伊谷を治めていた国人領主。後に「おんな城主」となる井伊直虎の代まで今川と井伊の因縁の関係は続いた。
・遠江を取り戻そうと奮闘する今川に対し、井伊は斯波氏の味方となって激しく抵抗した。しかし永正10年(1513年)井伊家の支城・三岳城が今川軍に落とされると抵抗を諦め屈服。ただしそれは表面上のことで、その支配はまだ安定していなかった。
・そんな中、今川家の家督を継いだのが義元。まず井伊家支配の強化に動いた。しかしそこには遠江奪還以外の狙いもあったという。

この時点で義元は西の三河へ進出するため、井伊家を取り込み利用したかった(小和田氏)

・井伊家を確実に支配下に置くため、義元はアメとムチの策を講じた。まず奪い取った三岳城を返却。井伊谷に駐留していた兵を引き上げ、国人領主としての地位を保証。
・温情をみせた一方で当主・井伊直平に娘を人質として差し出すよう命じ、手綱を引き締めた。ちなみにこの娘が生んだ子が、後に徳川家康の正室となる築山殿だった。
・こうして井伊家の支配を強化した義元は、戦の先鋒として井伊家を利用していった。

井伊家は今川にとって外様なので、合戦の際には最も危険な場所を任せられた側面がある。井伊家の方も出来るだけ早く手柄を立てて、今川家に忠誠を認めてもらうことが重要だったので戦功を挙げようとしていた側面はある(同上)

・井伊家を配下に置くことに成功した義元は、更に西の三河へと侵攻していった。天文15年(1546年)東三河の今橋城を陥落させた。
・この今川の三河進出に刺激されたのが尾張の織田信秀だった。さっそく西三河にあった岡崎城への攻撃を開始。自力で織田と戦う力がなかった岡崎城主・松平広忠は、義元に援軍を要請した。
・義元はその状況を巧みに利用、援軍と引き換えに広忠の嫡男・竹千代を差し出すよう命じた。このとき今川の人質となった竹千代こそが後の徳川家康、まだ6歳だった。
・こうして義元は松平家の後ろ盾として参戦。三河から織田方を排除することに成功した。人質を取られていた松平家は今川の支配下に入るしかなく、西三河も義元のものに。
・したたか、かつ巧妙な外交手腕により、義元は三河・遠江・駿河の3国を有する大名となった。着実に領土を拡大していく義元。しかしその陰には一人の軍師の存在があった。

義元の教育係を務めた太原崇孚(太原雪斎)。武田方の「甲陽軍鑑」にも記述があり、他国からもそのようにみられていた。雪斎は京都での修行時代にいわゆる「武経七書」を習得していた。そして実際に兵を率いて合戦にも参加している(同上)

・太原雪斎の支えもあり東海3国を制した今川義元は領土拡大のため、さらに西への進出を目論んだ。しかしそのためには背後を安全にしておかなければならなかった。北には甲斐の武田、東には相模の北条がいたからだ。
・義元は彼らとの同盟締結を画策。天文21年(1552年)11月、義元はまず自分の娘を武田信玄の嫡男に嫁がせた。このとき信玄は、宿敵であった越後の上杉謙信との戦に備え背後を安全にしておく必要があったため、今川との同盟は願ってもないことだった。
・次に武田が同じく打倒上杉を掲げる北条と姻戚関係を結び、同盟を締結。これにより間接的に今川は北条との間に同盟が結ばれたことになった。
・通常であればこれ以上の同盟は不要だが、義元は万全を期した。天文23年(1554年)7月、自らの嫡男と北条氏康の娘を結婚させ北条家とも同盟を結んだ。
・こうして出来上がった三国同盟は単なる不可侵条約ではなく、合戦の援軍も出し合うというものだった。たとえば弘治元年(1555年)の第二次川中島の戦いでは今川の家臣が武田の援軍として出陣している。

(合戦が膠着状態になると)義元が和平案をあっせんした。このとき義元は信玄、謙信と肩を並べるだけの力があったということが分かる(同上)

・信玄、謙信に匹敵する力を持つようになった義元は、やがて「海道一の弓取り」(東海道一の武将)と呼ばれるようになった。

<先駆的な領国経営を行った>
・武田、北条との同盟を画策していた頃、義元は新たに制定した領国の法令に決意表明を盛り込んだ。天文22年(1553年)「仮名目録追加」21ヵ条を制定。

自分の力量を以て
国の法度を申し付け
静謐する事なれば
守護の手 入る間敷事
かつてあるべからず


・この頃、義元のような地方を治める守護大名は室町幕府から任命され、その指示を受けて領国経営するのが習わしだった。義元はそういった幕府の支配から離れ、戦国大名となることを宣言したのだ。

当時、室町幕府の力は衰退してきているので、義元は自らの領地は自らの力で運営していくという決意表明。これは戦国大名としての自信がみられる(小和田氏)

・外交戦略が軌道に乗り自信に満ちあふれた義元は、自らの裁量で次々と政策を実行していくことになった。

【領国経営(1)検地】
・まず義元は田畑の広さと収穫量を調べる検地を徹底させた。検地には土地の良し悪しを判断し、年貢の推定収穫量を算出できるという利点と、検地をすると増分(表向きの収穫量より多い部分)が出て収入増に繋がった。
・しかし山地が多く平地が少ない今川領は年貢収入が少なく、3国合わせても50万石ほど。1国で50万石あったとされる尾張と比べるとその差は歴然だった。

【領国経営(2)課税】
・そのため別の方法で収入を増やす必要があった。その一つが税金だった。田畑1反ごとに決められた額を納める段銭や、家屋ごとに課税する棟別銭など。現在の固定資産税のような税金を農民から徴収し、安定した財源を確保した。

【領国経営(3)金山開発】
・安倍川上流にあった金山に義元はいち早く目を付けた。静岡市梅ヶ島の日影沢金山跡には、金鉱石を採るための横穴がいくつもあったという。今川領にはこうした金山が無数に点在しており、そこから産出される豊富な金は大きな収入源となった。

義元は領国経営のモデルとなるような施策を先駆的に進めた武将だったといってもいい(同上)

・先駆的な領国経営によって石高は50万石から100万石ほどにまだ増大。義元はこれを戦の資金にして西を目指した。
・そして駿府に今川文化の華が開いた。それは京風で、現在の静岡市に清水寺や愛宕山など京都と同じ名前のスポットが数多く残っている。
・義元の京好みは、駿府に多くの公家が滞在していたこと、母・寿桂尼が公家出身だったこと、義元自身も幼い頃に京都にいたということなどが関係していたようだ。能や茶の湯も嗜み、中でも和歌は今川家のお家芸。今川家の歌会始は一族や重臣だけでなく公家たちも招かれ、とても華やかだったという。

<西へと進軍した義元の本当の狙いとは>
・永禄3年(1560年)5月12日、今川義元は2万5000の大軍を率いて、自ら陣頭指揮を執って駿府を出発。東海道を西の尾張へと上っていった。
・このとき義元が動員した2万5000という数は、当時としては桁外れの勢力。迎え討つ織田信長は推定で最大でも5000ほどの兵しか集められなかった。
・実は全勢力を注いで西へと上った義元には大きな野望があったという。通説によれば義元は、このとき京に上って(上洛)衰退した室町幕府を立て直そうと考えていたという。

通説では上洛目的だと言われているが、その根拠になる史料は江戸時代になって書かれた「甫庵信長記」などに出てくるので信ぴょう性としては低い。また義元自身、上洛だとすればもっと手を打っておかなければならないことがあるが、それが全くみられなかった。義元は尾張から西へは進むつもりはなかったのではないか(小和田氏)

・5月18日、今川本隊は尾張との国境にあった沓掛城に入った。このとき輿に乗って優雅に進軍する義元を見た人々は「足が短いから」「太りすぎているから馬に乗れない」と嘲笑。義元は後世まで軟弱武将のレッテルを貼られることとなったが…。

馬に乗れなかったという話は間違いで、輿に乗れるのは守護大名の中でもごく僅かしか室町幕府から許されていなかった。自分はそれだけの身分だということを尾張の織田信長や家臣たちに圧力をかける、権威を見せつけるために輿に乗って出陣したのではないか(同上)

<義元はなぜ桶狭間の戦いで負けたのか>
・5月19日、沓掛城を出た義元は最前線にある大高城に向かった。そこを足がかりに那古野城を攻めるつもりだった。
・午前11時頃、義元本隊は桶狭間山の陣所で昼休憩をとることに。するとそのとき織田方2000の兵に正面から奇襲をかけられ大敗を喫してしまった。

【敗因(1)天気】
・「信長公記」にはこの日、沓掛で楠の木が倒れるほどの大雨が降ったと記されている。つまり豪雨によって視界を妨げられ、今川軍は織田軍の接近に気づくことができなかったと考えられる。

【敗因(2)油断】
・「信長公記」には休憩中の義元の様子も記されている。

鷲津・丸根攻落し満足これに過ぐべからずの由候て
謡を三番うたはせられたる由候


・この日の早朝、今川軍の先鋒・松平元康(後の徳川家康)らは作戦通り、進軍の障害となる織田方の鷲津砦・丸根砦を落としていた。
・戦況が有利に進んでいることに気を良くした義元は、休憩中に謡を歌う余裕までみせていた。しかしこの一刻の油断が命取りとなった。

【敗因(3)参謀の喪失】
・桶狭間の戦いから遡ること5年。弘治元年(1555年)義元を支えていた軍師・太原雪斎が亡くなった。強力な参謀の喪失もまた大きな痛手だった。

【敗因(4)兵の数】
全体で2万5000だが、そのうちの2万は別の方に進んでいた。義元のそばにいた本隊は少なくて5000程度と言われている(小和田氏)

・しかもそのとき昼休憩をとっていた今川本隊はバラバラになっていて、義元の周囲にいたのは5000のうちの僅かだったという。「信長公記」によると…。

初めは三百騎ばかり真丸になつて
義元を囲み退きけるが


・つまり300ほどの兵から周りに居なかった。その後、次々と倒されていき残りは50ほどの兵に。まもなく大将である義元が織田方に取り囲まれてしまった。しかし義元は逃げることなく果敢に応戦した。
・義元に一番槍をつけたのは織田方の服部小平太だった。義元は何とか小平太を交わすと、その膝頭を斬りつけた。そこに襲いかかったのが毛利新介。義元を突き倒し首を取ろうと組み伏せた。
・すると義元は新介の左指を噛みちぎり必死に抵抗。しかし遂に首を取られてしまった。最後まで果敢に戦い、夢半ばで逝った「海道一の弓取り」今川義元(享年42)。
・その首は清須城に運ばれ翌日、信長の面前で首実検が行われた。本来なら敵将の首を返す必要はなかったが、義元の首は駿府に送り返された。
・実は尾張攻めの最前線にある鳴海城に家臣の岡部元綱が踏みとどまり、主君である義元の首の返還を願い出た。信長は主君を思うその忠義を汲み、鳴海城の明け渡しを条件に義元の首を返還。駿府に戻ったその首は、今川家の菩提寺に葬られた。

・義元亡き後、今川家は義元の嫡男・氏真が継いだ。しかし桶狭間の戦いの後、配下の者たちは次々と離れていき、今川家はかつての勢いを削がれるばかりだった。
・これを好機とみた徳川と武田が申し合わせ、東西から攻め込んで戦国大名・今川家は滅亡した(永禄12年・1569年)。桶狭間の戦いから僅か10年足らずだった。
・その風貌などから後世「軟弱武将」とレッテルを貼られた義元だが、実際は戦略にも領国経営にも長けた戦国武将だった。義元亡き後の今川家をみれば、この一人の男の大きさがどれほどのものだったかよく分かる。
・「軟弱武将」「愚将」そう呼ばれてしまったのは、敗者の悲しい宿命だったのか。

・京都市北区にある建勲神社。ここに大切に保管されているのが名刀・義元左文字(重要文化財)。桶狭間の戦いで義元が使っていた愛刀。義元を討ち取った後、この刀を手にした信長は茎(なかご)にこう刻ませた。

織田尾張守信長
永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀


・義元を討ち取り歴史の表舞台に出ていった信長。桶狭間の戦いはまさに天下取りの夢への第一歩。それゆえこの刀を信長は終生、大事にしたという。戦国の世を自らの力で切り開いていった義元への敬意とともに。

(2017/2/17視聴・2017/2/17記)

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【歴史秘話ヒストリア】これがスピード出世の真実だ!井伊直政 人生名場面ベスト5

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【歴史秘話ヒストリア】
「これがスピード出世の真実だ!井伊直政 人生名場面ベスト5」

(NHK総合・2017/2/17放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 井伊直政の立志伝を紹介する今回の番組。昨年は「真田丸」効果でどちらかと言うと西軍推しという内容の番組が多かった感じでしたが、今年は一転して東軍サイドからの歴史推し。15歳で徳川家康の家臣になった井伊直政がどうやって徳川家の重臣となっていったのか、非常によく分かる内容でした。

 そしてそのバックボーンにあったのは、やはり直政が井伊直親の子であり、通説によれば井伊直虎が事実上の養母のような存在として、井伊家の繁栄を願って直政を立派な武将になるべく育て上げたということなのでしょうか。その辺りは直虎の特集で取り上げていたので、そちらをご参照いただければ思います。

おんな城主 直虎のイロハ
それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~

 番組の最後で取り上げられていた、近江牛と直政との関わりというのは非常に興味深いですね。肉食系男子(?)である私としてはぜひ彦根城見物の折には直政に思いを馳せながら近江牛を堪能したいです(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・去年7月、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主演者発表が行われた。俳優の菅田将暉さんが演じるのは井伊直政という人物。

直政は調べれば調べるほど、いろんな一面がある。部下には厳しく、軍事も内政も外交もできた。有名だからこそ役作りのしがいがある。キレッキレッでかっこいい直政を演じたい(菅田氏)

・井伊直政は僅か15歳で徳川家康の家臣になった。徳川家の家臣として生まれ育ったわけではない、いわば中途入社組。その人生は菅田将暉さんがおっしゃるようにまさにキレッキレッ。家康の下に中途入社した後、僅か1年で給料が10倍に。5年で家康に次ぐナンバー2にまで上り詰めた。

<井伊直政 人生の名場面 第5位【キレッキレッ度75点】>
・新人時代の直政:が家康を喜ばせた、ある夜の大活躍。
・直政が子どもの頃、井伊家は悲惨な状況だった。戦乱や裏切りで一族の男子は直政以外、死に絶えていた。
・その頃、作られたという井伊家に伝わる四神旗。「四方から押し寄せる災難より守ってください」という神頼みの言葉が書かれている。井伊家存続のために直政が受けたプレッシャーは、想像を絶するものだったに違いない。
・そんな直政が家康に仕え始めて1年。「井伊家傅記」にはこう記されている。

権現様殊之外御悦びにて
即ち十倍の御加増にて
三千石に仰せつけらるなり


・家康がたいそう喜んで直政の石高を10倍にしたという。一体何があったのか。史料の続きにはこう記されている。

権現様陣小屋の内に
御休息遊ばされ候所に
夜中忍びの敵を
直政公次之間にて
御討取りなされ候


・この場面をドラマ風に再現してみると、ある夜。家康を暗殺しようと寝室に忍び込んだ敵を直政が討ち取ったというのだ。主君の命を救って給料が10倍に。今のサラリーマンにはなかなかマネのできない、直政10代の頃の大活躍だった。

※命の危険がありますので決してマネをしないでください。

・でも新人が組織の中で目立ってしまうと何かとつらい目に遭うことも多い。直政の場合、こんな心ない噂を立てられたと記録にはある。

万千代(直政)近年家康の御座をなをす(「甲陽軍鑑」より)

・「御座をなをす」とは夜のお相手をつとめるという意味。「おんな城主 直虎」の時代考証を務める静岡大学名誉教授の小和田哲男氏は、この噂の背景をこう読み解く。

中途入社組、直政の異例の出世には何かあるという勘ぐり。しかも直政は結構なイケメンだった(小和田氏)
(噂は本当だったと思いますか?)
家康はどちらかというと衆道(男色)よりも女色なので、男は果たして相手にしたかなというのは私は疑問に思っているので、そういう関係は2人にはなかったのではないかと思っている(同上)

・この噂に対して直政がどんな行動をとったのか。記録は何も伝えていない。

<井伊直政 人生の名場面 第4位【キレッキレッ度88点】>
・家康のライバル、秀吉もほれ込んだ戦場での名台詞。天正12年、大坂では秀吉が巨大な城を築き、朝廷とも距離を縮め信長の後継者としての地位を着々と固めていた。
・これ以上、水をあけられてはまずい。家康は宿敵・秀吉との直接対決を決意した(小牧長久手の戦い)。直政も3000の兵を引き連れ出陣。身につけていたのは家康から貰ったばかりの真っ赤な鎧。絶対に手柄を立てる、固い決意の出陣だったに違いない。
・しかしそんな気持ちが焦りになってしまったのだろうか。直政は兵を率いる大将としてあるまじき行動に出ようとした。愛馬にまたがり、単身敵の真っ只中に打って出ようとした。
・慌てたのは家臣たち。ある家臣は「無理働きはなされるな。ご自重あれ!」と槍に取りつき、ある者は兜を掴み「大将が備えをすてられては(軍勢を離れては)下知(命令)する者なし。我らをいかがなされるご所存か!」と叫んだという。
・「戦場で大将らしく、どんと構えて指示を出して下さい」と部下に諌められた直政は、聞く耳を持たずにこういった。

「我に負けたる士は重ねて男させまじ」(「井伊年譜」より)

・「自分に後れをとる者は今後、男と名乗ることを許さない」。そして言葉通り、単身攻め込んでいってしまった。しかし直政のこの行動「ちょっとやりすぎ?」と思われた方もいるのではないか。見方によっては部下の進言を聞き入れない身勝手な上司のようにも思える。
・実はこの無茶な行動には、若くして異例の出世を続ける直政のしたたかな計算があったのではないかと、直政と縁の深い龍潭寺19代目住職・武藤全裕氏は言う。

三河の生え抜きの武将は直政を「この若造が」と見ていた。直政が威張って大将のように後ろで座っていたら、陰口や場合によっては戦のどさくさで鉄砲で撃たれるかも。真っ先に突進して行った(武藤氏)

・敵を倒すだけでなく、味方のやっかみまでねじ伏せる。直政にとって小牧長久手は、誰もが納得する形で活躍しなければならない戦場だった。その直政の赤い鎧の戦いぶりは、敵方・秀吉の武将たちにも強い印象を残した。

伊井兵部(井伊直政)をあか鬼と上方侍は申せしなり(「甲陽軍鑑」より)

・直政のことを「赤鬼」と呼び恐れたというのだ。
・滋賀県彦根市、直政がその礎を築いた町。駅前には彦根市民の寄付により直政の銅像が建てられている。そしてキャラクター「ひこにゃん」の被っている兜は直政の兜にルーツがある。
・彦根はまだ豊臣方と激しく対立していた頃の家康が戦略上、特に重要だとして直政を配置した場所。豊臣方が関東の家康を攻めようとすると、必ず通る場所が彦根だった。
・町には敵を迎え討つための工夫が、いまだに至る所に残されている。例えば城に向かって延びている道を真っ直ぐ歩いていくと突然行き止まり。「どんつき」と呼ばれる町のつくりだ。彦根市内の古い町並みが残っている地域には、このどんつきがまだあちこちに残っている。
・そして城そのものも鉄壁の守り。町のシンボル、国宝・彦根城。この城は標高139mの山を丸ごと要塞化。攻める側からすると、これほど大変な城も滅多にない。

門が建って通せんぼしていた。両側の石垣もまもりの固めになっていた(奈良大学教授の千田嘉博氏)

・石垣の高さは10.5m。切り立った崖のように見える。天守に攻め上がるにはこの道を駆け上がるしかないが、敵から見下ろされたままかなり遠回りしなければならない。
・やっと天守に辿り着いても、これがまた難攻不落。「破風」と呼ばれる三角形などの飾り屋根が18か所もついているが、この破風こそが防御の要になっている。
・天守を飾るための破風の内側には隠し部屋があった。天守まで攻めてきた敵を鉄砲や弓矢で攻撃するための「狭間」という穴があいている。

この部屋を使うのは最終手段。残っているのは天守だけという緊迫した状態で使う。外からは華麗な天守だが、攻撃力も強いのが彦根城の特徴(同上)

・井伊家に伝わる宝物の数々が保管されている彦根城博物館。400年以上前に作られた直政の鎧。保護のため環境の変化を避け、数年に一度しか展示しない。直政着用と伝えれる鎧「伝井伊直政所用 朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」。手の甲から足、頭まで全てが鮮やかな赤で統一。兜についた「天衝脇立」という飾りは長さ約80cm。戦場のどこにいても直政だと一目で分かる。前に立ってみると、頬当ての奥から直政の鋭い眼光に射すくめられているような威圧感を感じる。

直政本人に会っている印象。赤備えの鎧には徳川の代表という意味もあった。敵に一番に進軍するその決意が鎧から伝わってくる(同上)

<井伊直政 人生の名場面 第3位【キレッキレッ度90点】>
・負け戦で敗走中、やっと見つけた握り飯を食べなかった訳とは。ある史料に珍しい記述があった。戦上手と言われた家康が命からがら逃げ帰っている場面。

家康何れの戦にや、軍破れて
主従五六人にて引く時、皆飢えに疲れたり。
(「名将言行録」より)


・家康を含む5~6人の一行はみな飢え疲れていたとある。古い神社で休憩をとっていたときのこと。一人が握り飯が供えられているのを見つけた。皆、喜んで食べ始めた。しかしふと見ると、直政一人が握り飯に手をつけようとはしなかった。そんな直政を家康は叱ったと史料は続く。

倅なればとて、
時にこそよれ、飢を凌がぬ馬鹿者
(同上)


・「飢えをしのがぬ馬鹿がどこにいる!若者の遠慮も時と場合によるぞ」。家康に珍しく言い返した直政、お供えを食べなかった訳とは。

私は遠慮して食べないわけではありません。
いまに追っ手が参ります。
私はひとりでここに踏みとどまり
討ち死にしますので
どうかその間にお逃げください
死んだ後
家康の一行は飢えに負けて
供え物のにぎりめしまで食べたと言われては
武士として無念です


・戦国時代は、敵に討たれると首をはねられるのが常だった。握り飯を十分に消化できないうちに敵と遭遇し討ち死にした場合、無様な死に様になることを直政は心配したと言われている。
・この逃避行は3日続き、後に家康最大の危機と呼ばれるほど苦難の連続だった。無事に地元である今の愛知県、三河国に帰り着いたとき、家康は直政にある特別な褒美を与えている。孔雀の羽根で作った陣羽織(孔雀尾具足陣羽織)。当時の孔雀の羽根は大変貴重なものだった。逃避行で命を懸けてくれた直政への感謝がいかに深かったかを物語る褒美だ。

<井伊直政 人生の名場面 第2位【キレッキレッ度98点】>
・直政の頭の良さを物語る名台詞。家康が秀吉と直接対決した小牧長久手の戦いは引き分けに終わった。しかしその後の両者の主導権争いは、諜報活動や心理戦へと姿を変え水面下で激しさを増していった。
・そんな中、秀吉が驚くべき裏技を仕掛けてきた。実の母親・大政所を半ば強引に家康のところへ人質として差し出してきた。自分はここまでしたのだから家康も誠意を見せろという、弱みを相手に握らせることで逆に心理的に有利に立とうという秀吉捨て身の作戦だった。
・家康はさぞかし困ったに違いない。大政所は人質というにはあまりにも大物すぎる人物だった。その身に何かあったらただでは済まないからだ。
・このとき家康から大政所を世話するよう命じられたのが直政だった。直政はお菓子や美味しい食べ物を持って頻繁にご機嫌を伺った。記録にはこう記されている。

大政所はじめ女中たちも
皆 井伊殿 井伊殿と奔走す
(「三河後風土記」より)


・大政所も女中たちもみんな直政の名を呼びながら後を追いかけ回したという。
・一方いつまでも大政所を預かるわけにもいかない家康は、今後のことを話し合いに京に向かった。そこでの秀吉と家康の会話が記録に残っている。

そなたの留守中
母・大政所の面倒は誰が見ているのか?

井伊直政という者です

その名は聞いたことがある
あの赤鬼ではないか
(「名将言行録」より)


・秀吉は感激して続ける。

そなたが京にいる間は
我が母になにかあれば そなたの命もない
つまり直政は我が母ではなく
そなたの命を番しているようなものよ


・このときの感激もあってか、後に秀吉は家康に対し直政の領地を増やしてやってくれと口添えした(6万石から12万石へ)。そして直政を招き、恩着せがましくこう言った。

おまえの領地が増えたのは
わしが徳川殿に勧めてやったからだぞ


・直政は感謝の言葉を述べた。

殿下の御厚意
身を終るまで忘るべからず
(秀吉様の御恩は一生忘れません)


・しかし会話はこれで終わらない。秀吉は意地の悪い質問を始めた。

恩を忘れないというなら直政
もしわしが徳川殿と
再び戦をすることになったら
おまえはどちらに忠義を尽くすのか?


・周りは秀吉の家臣ばかり。下手な答えは命取り。どちらに付くのかと問われた直政はこう答えた。

臣命を擲ち死を誓て
両家の御和睦を成さん
(私の命に代えましても両家の仲直りを果たしてみせましょう)


<井伊直政 人生の名場面 第1位>
・強敵にかけた優しい言葉。慶長5年(1600年)9月15日、関ヶ原。家康率いる東軍と豊臣家の重臣・石田三成を中心とした西軍。この天下分け目の戦いは僅か6時間で決着がついた。豊臣家に仕えていた武将が次々と寝返ったためだ。しかし直政は戦の趨勢がはっきりした後も、敵が残っていると聞けばどこまでも追いかけていった。
・鹿児島県にある尚古集成館。ここには今も一丁の火縄銃が大切に保管されている。銃は直政が最後に追った西軍・島津義弘の家来の持ち物。迫ってくる直政に、その家来は狙いを定めた。井伊家の史料にはこう記されている。

弾は赤鎧の右脇に当たったが、頑丈だったため貫通せずはね返り右腕に当たった(「井伊家慶長記」より)

・命は助かったが重傷だった。しかし残された史料は意外な事実も伝えている。関ヶ原の戦いの後、重傷を負ったはずの直政の書いた手紙がたくさん見つかっている。その多くは負けた西軍の武将の処遇についてだった。

関ヶ原の戦後処理は負傷した体で直政がやった。島津の処置、毛利の処置あるいは長宗我部の処置、全部直政がやったんです。関ヶ原の後は直政の屋敷に行列ができたほど。直政には大局を把握する能力があった(長年、井伊家の歴史を研究している京都井伊美術館館長の井伊達夫氏)

・家康は直政を使って敗れた大名たちに過酷な条件を次々とのませていった。毛利家(中国地方)は120万石から37万石に、長宗我部家(四国地方)は22万石から取り潰しに。
・一連の交渉の中で最も難航したのが、直政に重傷を負わせた島津家(57万石)との交渉だった。家康は島津に対し上京して西軍に付いたことを詫びるよう求めたが、島津は本拠地・鹿児島から動こうとしなかった。
・一旦、上京してしまえば何をされるか分からない。島津はそんな不安と不信でいっぱいだったに違いなかった。そんな島津は直政はこう書き送っている。

ご上洛くだされば
私が手を尽くして
島津のために奔走しましょう


・自分たちが大怪我をさせた相手からの思いがけない言葉。罠か、それとも信じてもよい心からの言葉なのか。島津は迷った。そして迷える島津に送った直政の更なる言葉。自分に重傷を負わせた相手にこう言ったのだ。

関ヶ原からの退却は
比べるもののないくらい
見事でした


・たとえ勝者の立場になっても相手の誇りを大切にする。名将の風格さえ出てきた直政41歳の時の言葉だ。
・直政の尽力もあってか、島津は関ヶ原で敗れた大大名の中で唯一、本領安堵を許された。

<近江牛と戦国武将の意外な関係>
・日本屈指の黒毛和牛・近江牛。実はこれは直政が残したものだ。彦根藩では赤備えの鎧など武具を作るため、牛を加工することが特別に認められていたため、牛肉を食べる習慣が広まった
・地元の近江牛を扱う人たちの間では直政は特別な存在。近江牛肉専門店専務取締役の上田勝之さんも本業のかたわら、直政に扮してボランティアで観光案内をしているという。

(2017/2/18視聴・2017/2/18記)

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【ドキュメント72時間】横須賀 軍艦の見える公園で

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【ドキュメント72時間】
「横須賀 軍艦の見える公園で」

(NHK総合・2017/2/17放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 横須賀のヴェルニー公園には以前行ったことがあります。ちなみに戦艦三笠が保存してある三笠公園というのも近くにあって、やはり横須賀が軍港だということを意識しましたね。

 トランプ政権が誕生し、これからどうなるのか分からないという極めて混沌とした情勢ですが、番組の最後に出てきた女性の言葉ように軍艦から何も発射されずに済むような平和な世であってほしい。散歩していた女性の息子さんも、制服を着て外出していた防大の女の子たちも戦場で殺し殺されることがないように、切に願うばかりです。「綺麗事」でも「平和ぼけ」でもなく、戦争を望まない考えこそ真っ当なものですからね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・その街の公園には、いつも少し違う空気が流れている。巨大なアメリカの軍艦に日本の護衛艦。その目の前を様々な人が行き交う。世界が揺れた1月。日常と非日常が隣り合う公園で3日間過ごしてみた。
・神奈川県横須賀。アメリカ海軍や海上自衛隊の基地に囲まれた公園が今回の舞台。

・1月19日(木)12時。大きな船が港に入ってきた。散歩に来た夫婦は艦船のことに詳しい。さすが地元の人。
・寒空の下、ひと休みする90歳のおじいさん。冬でも毎日公園を散歩しているそう。青春時代からずっとこの街で過ごしてきたという。
・戦前から軍港として栄えてきた横須賀の街。旧日本軍の拠点が戦後、アメリカ軍の基地となった。
・軍艦のある風景は、いつしか日常の一部に。
・何かをじっと見つめている54歳の主婦。水鳥を眺めているという。横須賀に暮らして20年。マイホームを建てるため引っ越してきたそう。夫が突然の病気で帰らぬ人に。心にあいた穴を埋めるように公園に通っている。
・16時1分。43歳主婦。息子さんは東日本大震災をきっかけに陸上自衛隊に入隊。でも心配事もあるという。海外派遣にあったら嫌で阻止したいという。
・20時27分。仲良く歩いてくる2人。付き合って2日という中学2年生女子と3年生男子。彼は中学のラグビー部に入っていて、試合会場にいた彼女に一目惚れし猛アタックしたという。今の彼の目に軍艦はあまり見えてないみたい。

・1月20日(金)6時。夜明け前、船にはもう人の姿。
・朝の公園に長い列ができていた。その先にはアメリカ軍基地のゲート。
・35歳のアメリカ人男性(海軍 爆発物処理)。もう15年以上、軍で働くベテランだという。2001年9月11日に海軍に入った。あの日に起きた同時多発テロが理由だという。イラク戦争ではこの港から派遣された兵士もいたという。
・世界中に基地を持つアメリカ軍。夫の任務に付き添って転々とする家族も多いらしい。赤ちゃんを抱いた母親は数日前に日本に来たという。慣れない異国での暮らし、でも午後の公園はどこかのんびりした雰囲気。
・16時6分。夕方、基地の仕事を終えた人たちが戻ってきた。ここからはみんな自由な時間。
・実は今日、アメリカでは新しい大統領が就任する。
・22時。コンビニの袋を持った49歳男性。今夜は久しぶりに古い友人と飲んできたそう。子どもを叱ってしまった愚痴をしていたという。父親らしく振る舞いたいけど、ついつい行き過ぎちゃうんだとか。
・深夜の公園に現れた気さくなおじさん。船員(料理人)の68歳男性。明日は休みなのでのんびり夜更かししてたみたい。
・金曜の深夜、公園はからっぽに。
・港近くの飲食街は軍関係者でにぎわっていた。
・バーのテレビでは大統領就任の中継が。

アメリカが団結すれば誰もアメリカを止めることはできません。文明社会を結束させ、過激なイスラムのテロを地球から完全に根絶します。私たちはアメリカを再び偉大な国にします(トランプの演説)

・祝杯をあげる人に女性が「トミー、あなたのことは大好きだけどトランプなんてクソくらえよ」と言う。母親が日本人だという女性。
・夜の街に期待と不安が入り交じる。

・1月21日(土)12時57分。名物の遊覧船が湾内を回っていた。みんな楽しそう。
・けん騒から離れた公園の片隅。初日に出会った鳥を見に通う女性がいた。旦那さんが亡くなって、もうすぐ1年。日常はまだ戻ってこない。
・19時43分。夜の公園に制服姿の4人組がやって来た。防衛大学校に通う女の子たち。将来、自衛隊の幹部になるための訓練を受けているという。笑顔で話しているけど、悩むこともあるみたい。誰かの役に立ちたくて志した道。次第に公園の景色も違って見えたという。彼女たちが現場に出るのは3年後。一体どんな世界が待っているんだろう。

・1月22日(日)10時22分。
・12年前に横須賀に引っ越してきた女性。「ここの景色が一番好き。軍艦の中で働いている人のこともいろいろ想像して、いつも停まってるだけにしてねって。あそこから発射しないでねって声かけてる」と言う。

(2017/2/19視聴・2017/2/19記)

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【ブラタモリ】
「#64 神戸の港~神戸はなぜ1300年も良港なのか?~」

(NHK総合・2017/2/18放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 交通の要衝ともいえる地形に加えて「良港」としての条件が揃って繁栄していった神戸港。そして六甲山地の水の美味しさの秘密まで解き明かす、なかなか面白い内容でした。

 ところで4月改編期をもうすぐ迎えますが「ブラタモリ」はどんな感じになるのでしょうか。アシスタントの近江アナウンサーが続投するのではという「噂」は聞いていますが、個人的にはそうなってほしいと思いますね。昨年末でグループとして解散してソロ活動になったナレーションの「彼」は…うーん、ナレーター向きには思えないんですよね。ファンの方には申し訳ないんですが…。

 それはそうと、4月以降も番組は続くんでしょうね。いきなり終了とかいったらそれこそ土曜夜の楽しみがなくなってしまいます。全国制覇する勢いで頼みますよ、NHKさん。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・スタート地点は神戸港。
・旅のお題は「神戸はなぜ1300年も良港なのか?」
・案内人は神戸港の歴史を研究して40年、神戸海洋博物館参事の森田潔さん。
・神戸港は西洋に向けて開港して150年目を迎えるという。しかし歴史はもっと古く、740年頃から港として1300年続いている。

・神戸の中心部から船で出発した一行。まず向かったのは大型客船が着くターミナル。神戸港がいかに良い港なのか、船の上から探る。
・神戸港には年間3万5000隻もの船がやって来る。今まで入った一番大きな船が16万8666トン。全長348m、定員5500人。こんなに大きな客船が客船専用のターミナルに接岸できる。
・神戸が良い港と言われる理由の1つ目は、巨大な船が接岸できる水深がある

・続いて向かったのは港の沖合。そこで神戸が良い港と言われる理由があと2つ分かるという。
・理由の2つ目は、六甲山地が風を防いでくれるということ。そして3つ目は和田岬が潮流から守ってくれる
・この3つの条件に恵まれた天然の良港・神戸港。だからこそ1300年も繁栄した。

・一行は神戸の中心から南西3kmの場所へ。
・2人目の案内人は神戸の町の歴史に詳しい神戸学院大学非常勤講師(地域学)の谷口義子さん。神戸が舞台のドラマ「べっぴんさん」の考証も担当している。
・目の前の橋の名前は「大輪田橋」。1300年前の奈良時代、この辺りは大輪田泊と呼ばれていた。平安時代この港に目を付けたのが平清盛。中国・宋との貿易の拠点となった大輪田泊は、国際的な港町として更に栄えていく。その後「兵庫津」と名前を変え、江戸時代に最盛期を迎えた。

・続いて一行が向かったのは大輪田橋から歩いて5分、運河に架かる橋の上。江戸時代、兵庫津は一体どんな姿だったのか痕跡を探す。
・江戸時代の絵図に記された町名「船大工町」「磯之町」から現在の運河が内海の一部に当たることが分かる。町名から内海を中心とした港の姿がよみがえってきた。
・京都から九州方面に向かう西国街道が兵庫津の辺りで直角に折れている。街道は兵庫津が出来る前は山側をまっすぐ通っていたが、兵庫津が栄えたためそこを通るように曲げられた。船で多くの人や物が着く内海。京都から西へ向かう街道。兵庫津はこの2つが交わる物流の交差点だった。

・次に向かったのは六甲山地の西の端。神戸港が1300年も栄えた秘密、実は全て立地にあるという。
・ロープウェイは火曜日が休業だったが、特別に運行してくれるということで(タモリはイヤイヤながら)乗車する。
・展望台の屋上に上る一行。眺めてみると、この場所で六甲山地は海にせり出している。そのため東西に行き交う人や物は絶対にここを通る。
・「畿内」とは都の周辺の特別な場所のこと。つまり神戸は西から畿内に出入りする人や物が必ず通る重要な場所だった。
・3人目の案内人は六甲山地を歩くこと40年、神戸親和女子大学教授の觜本格さん。
・岩石に両側から圧力をかけるとX型に亀裂が入る。六甲山地ではこの現象と同じような力が働いたと考えられている。こうして北東から南西にかけて傾斜の急な山が出来た。
・六甲山地と淡路島はもともとひとつながりだったが、X型の真ん中付近の亀裂によって分断された。
・潮流が速くなり砂嘴(岸近くの海流で運ばれた砂がくちばし状に堆積してできた地形)が出来たのが和田岬。
・また大阪の場合、大きな淀川が大量の土砂を運んでくるため海は遠浅になる。一方、神戸は小さな川しかないので土砂はあまり溜まらない。そのため神戸港は水深がある状態が保たれる。

・さらに一行は新神戸駅の北側にある山の中へ。再び森田潔さんが登場。大きな貯水池に注ぐ川の上流。神戸が良い港だと言われるもう一つの理由、世界の船乗りが愛した「神戸の水」の秘密が分かる。
・六甲山地を水源とする水。明治から昭和にかけて航海中の生活用水として使われた。当時、灼熱の赤道を越える船にとって腐らない水は何よりも有り難いものだった。
・神戸市水道局の松下眞さん、清水武俊さんに説明を受ける。物質は動物や植物などをつくる有機物と、石や鉄などの無機物の2種類に分かれる。有機物が含まれれば含まれるほど水は腐りやすくなる。
・単純な話でいえば不純物が少ないということ。実際に有機物がどのぐらい含まれているのか実験してみるとゼロに近い結果が出た。
・また神戸の水は程よいミネラルが含まれていて美味しいと評判だという。ミネラルとはカルシウムやマグネシウムなどのこと。
・普通、急峻な山では川の流れが速いため水に有機物やミネラルが溶け込みにくい。世界の船乗りが愛した神戸の水、六甲山地が急峻だったおかげで生まれた。
・さらにこの大切な水、明治時代につくられた驚きの仕組みに守られている。
・洪水になると大量の土砂が貯水池に流れ込む。土砂には有機物が含まれていて、水は腐りやすくなる。そこで考えられたのが、川の流れを2つに分ける仕組み。普段、水は手前の石の構造物で堰き止められ、向かって左にあるゲートの方から貯水池に流れる。
・一方、洪水が来たときには左側のゲートを閉める。すると濁った水は向かって右側の構造物を乗り越え、別の水路を流れていく。つまり貯水池に絶対に濁った水を入れない仕組みになっている。

・展望台に昇るときにタモリが乗車した「カーレーター」。日本で神戸にしかないという。

(2017/2/19視聴・2017/2/19記)

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【NHKスペシャル】プラネットアースⅡ 第3集 新天地への挑戦

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【NHKスペシャル】
「プラネットアースⅡ 第3集 新天地への挑戦」

(NHK総合・2017/2/19放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 全3回にわたって放送された「プラネットアースⅡ」。いずれも迫力ある映像で楽しませてもらいました。中にはどうやって撮影したのか?と思うような近接撮影があったり、長期間カメラを据えての撮影と思われるものがあったりして十分堪能できる内容だったと思います。

 今回の放送のテーマは「新天地」だったのですが、驚きの映像がいくつもありました。ニューヨークのハヤブサ、フランスのオオナマズがハトを捕食するシーンも凄かったですし、インドの街中ではサルたちが縄張り争いの激しいバトルを繰り広げていました。

 そして極めつけは同じくインドの街中に現れるヒョウ。ていうか、夜中にヒョウが歩いている状況をなんで放置しているのと思いましたよ。酔って家路についている途中で遭遇したら、一気にシラフに戻るしダッシュで逃げますよ。しかも襲撃するのはブタだけ?人間は襲わないの?と思いましたね。ムンバイに行く機会は無いかと思いますが、仮にあったとしたら…外出したくないなあ(苦笑)

 あと、アライグマが都市で急増しているというのが映し出されていました。テロップでは「森の愛きょう者」となっていましたが、アライグマは今、福島の原発事故による避難指示区域で急増していて民家を荒らす存在として別番組で取り上げられていました。彼らにとっては野生動物なりの自然な行動なのですが、被害を受けている人たちのことを考えると彼らを「愛きょう者」と評すのは、私にはちょっと同意できませんでしたね(これは難癖に近いと自分でも分かっていますが)。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・大海原に浮かぶ絶海の孤島。大陸からはるか離れたこの地は、選ばれた者しか命を繋げない特別な場所だ。この新天地へ辿り着けるのは翼を持つ者。そして流木などに乗って命からがら流れ着いた者。
・隔絶された島は、他では見られない独特の生きものを生み出す。更に限られた食べ物を巡って熾烈なサバイバルが繰り広げられる。しかしひとたびここで生きる術を見い出せば大繁栄し、この新天地を自らの楽園とすることができる。
・そして今、生きものたちは更なる新天地に挑み始めている。それは私たち人間が作った都市だ。大自然とは全くかけ離れた人工的な環境。しかし彼らはここに驚くべき世界を築き上げている。
・大自然のスペクタクルを極上の映像で描く「プラネットアースⅡ」。最終回は新天地への飽くなき挑戦を繰り返す驚異の生きものたちに迫る。

<不毛の島に挑む生命>
・太平洋に浮かぶガラパゴス諸島。その中の一つ、フェルナンディナ島は見渡す限り不毛の大地が広がっている。こんな不毛の地でも大繁栄している生きものがいる。
・ウミイグアナ、この島には7000匹が暮らす。祖先は偶然この地へと流れ着いた。本来は豊かな森に暮らすイグアナ。食べ物の限られた島で驚きの進化を遂げた。なんと海に潜る。岩についた海藻をむしり取って食べる。陸とは対照的にこの辺り一帯には世界屈指の豊かな海が広がる。彼らはその恵みを得られるように進化した。
・ウミイグアナがこの地で暮らすことで支えられる命もある。近づいてきたのはカニ。古い皮膚をつまんで食べている。小さなトカゲが狙うのはウミイグアナに寄ってくるハエだ。

<衝撃!恐怖の逃走劇>
・不毛の地で命を繋ぐウミイグアナ。ある日、驚くべきドラマを目撃した。顔を出したのは、卵からかえったばかりのウミイグアナの赤ちゃん。岩場に向かって歩き出す。
・この時を待っていた者がいる。ヘビだ。高い岩によじ登り、なんとか助かった。年に一度の孵化は、ヘビにとって生きるためには逃せないチャンス。ウミイグアナにとっては、誕生と同時にやって来る命の危機だ。
・赤ちゃんが歩き出すと、動きを察知して近づいてくるヘビ。何十匹のヘビがそこら中で待ち構えている。彼らの襲撃を逃れられなければ、ここでは生きられない。じっとしていれば気づかれにくい。だが留まったままでは、いずれ見つかってしまう
・生死を分けるのは運だけだ。逃げ場のない閉ざされた島。それゆえに生存競争も壮絶だ。

<隔絶した島が生んだ巨大生物>
・隔絶された島は、そこでしか見られない独特な生きものを生み出す。インドネシアの島(コモド島)に太古の姿をとどめた巨大な肉食動物が暮らす。コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)。大きなものでは体長3m、世界最大のトカゲだ。この島にはライバルとなる動物がやって来なかった。そのため姿や暮らしぶりを変えず数百万年間、生きてこられた。
・彼らが暮らすのは島を覆う森、およそ2000頭が暮らしている。彼らの獲物はシカ。だが全ての者の空腹を満たすには十分ではない。食べ物を巡って日々、仲間同士が争う。

<最大の敵はコモドドラゴン>
・奪い合いが起きるのは食べ物だけではない。繁殖相手を探すオス、メスを見つけた。メスは拒絶しない。どうやらオスを受け入れてもいい様子だ。
・しかしその近くに別のオスがいた。メスを巡る争いが勃発する。筋肉質な尾は相手を打つための強力な武器。鋭い歯はナイフのような切れ味。相手を地面に引き倒した方が勝者となる。この島を支配するコモドドラゴン。しかし仲間同士の厳しい競争を勝ち抜かなければ生きられない。

<最果ての孤島で輝く命>
・地球上にあまたある島。その中でも辿り着くのが最も困難な場所の一つ、大西洋に浮かぶザヴォドフスキー島。火山の活動によって海の真ん中に現れた島。最も近い大陸からでさえ2000kmも離れた絶海の孤島だ。
・南極に近いにも関わらず、活発な火山活動のおかげで比較的暖かい。更に大陸からあまりにも離れているため、肉食動物はやって来られなかった。

<圧巻!150万羽 ペンギンの大コロニー>
・この島に辿り着き大成功を収めた者がいる。ヒゲペンギン。ここは世界最大の繁殖地。夏になると150万羽が一斉にヒナを育てる。

<荒れ狂う海との戦い>
・しかし大繁栄の裏には乗り越えなければならない壮絶な試練がある。それは荒波。親鳥たちは毎日、ヒナのために食べ物を捕りにこの海へ向かう。
・タイミングを誤れば、波に弾き飛ばされ岩に叩きつけられる。まさに命懸けだ。それでも親鳥たちは果敢に海へ飛び出していく。
・巣ではヒナたちが空腹に耐えながら親の帰りを待ち続ける。親鳥たちが帰ってきた。島の周りに広がる豊かな海。おなかいっぱいに魚やオキアミを抱えている。
・島に戻るときにも荒波と戦わなければならない。波にあらがい、必死に持ちこたえる親鳥たち。岩場を掴むために発達した鋭く頑丈な爪。一歩ずつ前に進む。

<家族の待つ巣へ 驚異の大移動>
・なんとか上陸した親鳥たち。ひどいケガを負った者もいる。それでもみんな3kmの道のりを歩いて自分の巣を目指す。ようやく営巣地に到着。今度は大勢の中から自分の家族を捜して歩き回る。
・ヒナに付き添っていた母親が声を上げる。ペンギンは自分のパートナーの声を正確に聞き分けられる。父親は声を頼りに家族と再会した。おなかに蓄えた食べ物を吐き戻し、ヒナに与える。そして今度は母親が出発。荒れ狂う海と家族が待つ巣。驚異的な往復を繰り返し、ヒゲペンギンたちは命をつなぐ。
・そこに生きるチャンスがある限り、生命はどんな過酷な新天地へも挑み続ける。それは試練を乗り越え成功した暁には自分たちの楽園を手に入れることができるからだ。

<新天地 都市に挑む>
・私たちが暮らす都市。一見、生きものとは無縁に見える世界だ。しかし今、ここに新天地を見い出す者たちがいる。彼らは都市ならではの条件を巧みに利用しながら、この地で生きている。

<ローマの空に巨大群集 出現!>
・イタリアのローマ。冬、大群を成して現れる生きものがいる。1日10トンものフンを落としていく。犯人はホシムクドリ、冬を越すため北欧からやって来る。
・40年ほど前から膨大な数がローマに集まるようになった。都市は周辺部よりも気温が高い。この暖かさに引かれてやって来るのだ。
・夕暮れ時、大群が街の空を埋め尽くす。仲間が集まってくるのを待っているのだ。100羽もの大群になると不思議な光景が現れる。群れが固まりになり、形を変えながら飛び回る。なぜこのように飛ぶのか、詳しいことはまだ分かっていない。
・幻想的な曲芸飛行が終わると、群れは街中へ降りていく。暖かい街は、彼らにとって寒い冬の夜を過ごすのに最適な場所なのだ。

<大都会に君臨 最速のハンター>
・ニューヨークの摩天楼。世界有数の大都市も生きものたちの新天地となっている。空の王者ハヤブサ。警戒心が強く、生きた獲物だけを捕らえるハンター。ここに現れたのは30年ほど前だ。
・実はニューヨークには、暮らすのに格好の条件が揃っていたのだ。もともと切り立った崖に巣を作るハヤブサ。高層ビルの壁はその代わりにうってつけだ。高くそびえる建造物は風に乗って飛び立つ時にとても便利。そしてビルの壁に風がぶつかることで発生する上昇気流。それに乗り、高く舞い上がり獲物を探す。

<ニューヨークの空中戦>
・更にここには獲物が豊富にいる。それは昔、人間が持ち込み住みついたハト。追跡が始まった。時に時速300kmを超える速さで急降下し獲物に迫る。
・人工物の近くに逃げるハト。ハヤブサが激突を恐れて、飛びかからないことを知っている。だがハヤブサは都市の構造を知り尽くしている。街と隣接する水辺へハトを追い立てた。開けた空間なら得意とする攻撃が可能になる。上空高くから猛スピードで襲いかかる。失敗。再び挑戦。見事、仕留めた。
・現在ニューヨークは16つがいが住む、世界一のハヤブサ密集地帯。自然界との共通点を都市に見い出し、新天地で成功したのだ。

<アライグマ 都市で急増中>
・今、世界各地の都市で数を増やし続けている生きものがいる。アライグマ。カナダのトロントでは、この70年で20倍にも増えた。家主が寝静まる頃、屋根裏の巣から家族みんなで姿を現す。
・普通の野生動物は警戒心が強い。しかし彼らはそれよりも好奇心が勝る。それが都市で大繁栄を続けている秘密だ。人の家の庭で堂々と食べ物を探し回る。新たな食べ物にも積極的に挑戦するアライグマ。鳥の餌に目をつけた。都市は森よりもはるかに豊かな生活を送れる場所なのだ。

<都市の川に潜む 巨大怪魚>
・フランス南部の街アルビには新たな環境を生き抜くため、短期間で暮らしぶりを激変させた生きものがいる。ハトの群れが水浴びにやって来た。突然、1羽が川に引きずり込まれた。
・水浴びをすると羽根の脂分が流れ出す。それを感知し、ある生きものが狙いに来る。ヨーロッパオオナマズ、体長は3mにもなる。40年ほど前、人が放したものが今、この川で大繁栄している。
・もともとは夜に活動し、魚を捕らえるオオナマズ。10年ほど前からハトに目をつけ、昼間狩りをするようになった。これまで水中から襲われることがなかったハト。いとも簡単に捕まってしまう。獲物も活動時間も劇的に変化させることで、この川の主となった。

<都市への進出が生んだ衝撃の世界>
・生きものたちの都市への進出。それが極度に進行すると何が起こるのか。衝撃の世界が広がるのがインド、かつての王国の首都ジョードプル。

<神の使者といわれるサル>
・街中を我が物顔で闊歩するのはハヌマンラングール。ヒンズー教の神ハヌマーンの使いとされ、人々から崇拝されてきた。街中にいても追い払われないことを彼らは知っている。それどころか寺院では食べ物が捧げられる。
・新天地での豊かな食生活はベビーブームをもたらした。都市のメスは森で暮らすメスの2倍の数の子どもを産む。自然界では殆ど見られない双子も珍しくない。食べ物を探すための時間やエネルギーが減り、遊びの時間がたっぷりある。森から都市へと移り住むことで、その暮らしぶりが大きく変わったのだ。

<都市で勃発 激しい縄張り争い>
・ところが爆発的に数を増やしたことにより、縄張りを巡る争いが激しくなった。徒党を組んで現れたのは若いオスたち。迎え討つのは群れを率いるリーダーのオス。挑戦者たちから縄張りを守るのが役目だ。
・若者たちに負ければ、これまでの豊かな暮らしは全て失われる。更にメスが奪われ、子どもたちは殺されてしまうかもしれない。相手は15匹、リーダーは1匹で侵入者を追い出しにかかる。
・気迫に押され、逃げ出す若者たち。リーダーは縄張りを守り切った。しかし挑戦者は毎日のようにやって来る。都市は今や大自然の森以上に熾烈な戦いの場となっている。

<都市への進出が生んだ衝撃の世界>
・都市への進出を加速する野生動物たち。インド最大の都市ムンバイでは、ついにこんな者まで姿を現すようになった。夜のとばりが下りると、そいつが姿を現す。

<闇夜に忍び寄る獰猛なハンター>
・ヒョウが30年ほど前から街中で頻繁に目撃されるようになった。闇に紛れて歩き回るヒョウ。一体何が目的なのだろうか。
・周囲より温度の高いものを明るく映し出すサーマルカメラを使って暗闇での行動を探る。(ヒョウが)現れた。日中は街の周りに広がる森で暮らすヒョウ。しかし毎晩のようにやって来る。その狙いは家畜のブタだ。
・人に飼い慣らされ警戒心が薄いブタ。寝床に押し入り、子ブタをさらった。狩りはあっさりと成功。街の喧騒に紛れ、天敵を知らない獲物を襲う。都市の環境を利用した新たな狩りを見い出したのだ。
・生態系の頂点に立つ肉食動物の出現。都市はもはや人間だけのものではないと告げているかのようだ。

・生命が誕生したおよそ40億年。生きものは地球上のあらゆる環境に進出してきた。
・飢えと渇きの世界、砂漠に生きる者。食べ物と水を手に入れるため、命懸けの攻防を繰り広げる。
・天空にそびえ立つ高山に生きる道を見い出した者。限られたチャンスに懸け、子孫を残す。
・豊かな熱帯の森で繰り広げられる熾烈な生存競争。その中で驚きの技を磨き上げ、生き抜く。
・大地の姿を激変させる自然の猛威。生きものたちはたくましくしなやかに試練を乗り越える。どんな場所にも生きる道を見い出し、そこで命を繋ごうとするひたむきな姿がある。
・私たちが暮らす地球。たくさんの命が今、この瞬間も壮大な営みを続けている。

(2017/2/20視聴・2017/2/20記)

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【空から日本を見てみよう+】兵庫県たつの~相生~赤穂

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【空から日本を見てみよう+】
「兵庫県たつの~相生~赤穂」

(BSジャパン・2017/2/21放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 久しぶりにリアルタイムで視聴しました(普段は録画視聴が多いのですが)。あまり馴染みのない所ですが、手延べそうめんで有名な揖保乃糸。素麺神社があるというのは恐れ入りました。

 あと映像的に衝撃だったのはアース製薬さんでしたね。「G」駆除の製品開発のために実験用に飼育しているお部屋は…ちょっと直視に耐えられないというか、もしそこにいるGたちが脱走したら思うだけで身の毛がよだちます。研究員の皆さんも日々、生のGたちを扱っているわけで大変ですね(汗)

 もう一つ、こちらはビックリしたのですが赤穂市の学校や会社が赤穂浪士の討ち入り日である12月14日が休みになるということ。よく学校の創立記念日や自治体でも「県民の日」などで休みになる話は聞きますが、歴史上の出来事で休みにするというのは珍しいのではないでしょうか。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<兵庫県たつの市周辺>
・人口:76,808人(県14位)面積:210.87平方キロメートル(県13位)(2016年12月1日現在)
・2005年、龍野市・新宮町・揖保川町・御津町の1市3町が合併。
・犬猫用のオーラルケアガムを製造しているダイワ。牛皮の繊維質が歯の隙間に入り込み汚れをかき落とす。たつの市は成牛革の生産量が日本一。全国の約40%を生産。皮革素材は脱毛した生皮を裁断機で表皮と裏皮に分ける。表皮はバッグや靴などのレザー製品に、裏皮は美容製品や犬猫用のオーラルケアガムに。
・レリップ。2010年設立した革工房。
・末廣醤油。揖保川の伏流水は鉄分が少なく色の薄い醤油を造るのに適していた。
・揖保乃糸資料館そうめんの里。手延べそうめんの生産量は兵庫県が全国一。
・素麺神社。
・西播磨の地域では揖保乃糸を作っている約430軒の生産者を一つの組合が一括管理し品質を守っている。原料の小麦や麺の太さなどの違いにより5種類以上に分類。
・新舞子海水浴場。冬場の日の出時の干潟の砂と水面が織りなす景色が人気。
・現在の中国・四国・九州の大名が江戸に向かう際、明石海峡付近は潮の流れと風の向きによって船で渡れないこともあった。海峡に近い天然の良港であった室津が選ばれた。

<兵庫県相生市周辺>
・人口:29,911人(県32位)面積:90.40平方キロメートル(県29位)(2016年12月1日現在)
・相生はかつて「おお」と読みアルファベットでは「O」で世界最短の地名だった。
・JMUアムテック。1907年、当時の相生村村長を中心に播磨船渠を設立。入り江になっている相生湾は穏やかで造船所を造るのに適していた。石川島播磨重工業相生工場として昭和30年代後半には単一工場としては建造量世界一。現在はJMUアムテックとして稼働を続けている。主に作業船や商船の建造・修理などを行っている。

<兵庫県赤穂市周辺>
・人口:48,014人(県18位)面積:126.86平方キロメートル(県25位)(2016年12月1日現在)
・討入りの日の12月14日には多くの学校や会社が休みになる。
・アース製薬 坂越工場。ごきぶりホイホイを製造。
・銀波荘。特別客室 天空。温泉も開放感抜群。
・赤穂市立海洋科学館・塩の国。赤穂は遠浅の浜を持ち日照時間が長いことを生かし、古くから塩作りが盛ん。
・揚浜式塩田。砂の上に海水をまき水分を蒸発させ塩を作っていた。
・入浜式塩田。干満の差を利用し海水を塩田に送り込む。潮が引くと引浜を行い水分の蒸発を早め、塩の結晶を砂に多く付くようにした。塩のついた砂を沼井に集め海水をかけ塩分を溶かす。
・流下式塩田。海水を何度も循環させながら流し、徐々に水分を蒸発させて濃度を高める製法。赤穂では昭和48年まで流下式塩田が用いられていた。
・日本海水赤穂工場。イオン交換膜透析槽。1基あたり4200枚のイオン交換膜が並んでいる。装置の両端の電極に伝記を流すことで塩の成分を集め濃い塩水を作る。低い圧力の真空缶の中で効率よく水分を蒸発させ塩を採取。
・赤穂緞通。
・赤穂城。本丸を二之丸が囲む輪郭式に加え、二之丸の北側に三之丸が続く梯郭式の配置で変形輪郭式。石垣や堀は複雑に折れ曲がり合わさる角度も不均一にすることで、敵がどこから攻めてきても迎撃できるようにした。櫓を10か所、門を12か所も設け防御を固めた。
・赤穂大石神社。敷地内には大石邸長屋門。参道には赤穂四十七士の石像がある。
・忠臣蔵問屋わたや。忠臣蔵の専門店。商品の大半がわたやオリジナル。完全オーダーメイド討ち入り装束・大石内蔵助(864,000円)。
・毎年12月14日に赤穂義士祭を開催。
・旧赤穂上水道をモチーフにしたオブジェ。赤穂は三角州上の低地に開かれた城下町であったため、井戸を掘ると海水が混ざり飲料水には使えなかった。城下から7km北にある西山に隧道を開き取水した。取水口から総延長30kmに渡り水路を張り巡らせ給水。旧赤穂上水道は1944年まで実際に使用。赤穂城大手門前の橋の下には昭和初期の改修以降使われていた水道管が残っている。

(2017/2/21視聴・2017/2/21記)

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【NNNドキュメント’17】“夢の原子炉”は夢だった もんじゅ廃炉の内幕

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【NNNドキュメント’17】
「“夢の原子炉”は夢だった もんじゅ廃炉の内幕」

(日本テレビ系列・2017/2/20放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 夢の原子炉は夢のまま終わったということです。いくら嘆いても投入した莫大な税金は返ってきません。にも関わらずまだ原子力ムラの面々はこりもせず「第2もんじゅ」などと寝言を言っているようです。

 何百億だの何兆円だの決して自分の懐が痛む話ではありません。ましてや結果に対して何ら責任を負う必要がないから言えるのでしょう。高速炉開発会議とかいうメンバーの5人組。全ての職と全財産を懸けてみろ、そこまで出来るだけの覚悟もないくせにふざけんなと言いたい。原子力利権に群がる面々のみるどうしようもない「夢」は、国民にとっては「悪夢」以外の何物でもありません。

 じゃあどうしたらいいのか。簡単な話です。全原発の廃炉とそれに関連した事業も即時中止。福島第一の廃炉作業に全ての科学技術を傾注すべき状況のもとで、他のことにうつつを抜かす暇などないはずです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・真冬の北陸・若狭湾。荒波の先に見渡せるのが去年の暮れ、廃炉が決まった高速増殖炉もんじゅ。そこにはいつもと変わらない風景があった。
・国は、もんじゅは廃炉にするも新たな高速炉いわゆる第2のもんじゅの開発を行うことを決めた。もんじゅの元所長で原子力ムラの重鎮は憤りをあらわにする。

矛盾しているのは「もんじゅはやめるけども、高速炉はやります」っていったら、そっちの方にお金が掛かるわけですから(菊池三郎元所長)

・もんじゅ廃炉、第2もんじゅの計画。そこに至るまでの間、官僚や政治家が様々な駆け引きを行っていたことが取材から明らかになった。
・発電しながら、使った以上の燃料を生み出すといわれる夢の原子炉。それはなぜ夢に終わったのか。もんじゅ廃炉の舞台裏を追った。

<夢の原子炉と呼ばれたが事故などで殆ど稼働しなかった>
・福井県敦賀市。原発銀座と呼ばれる敦賀半島には7つもの原子炉がある。その半島の一番奥にあるのが高速増殖炉もんじゅ。もんじゅとはJAEA(日本原子力研究開発機構)が運営。国策と位置づけられ、夢の原子炉と呼ばれてきた。
・もんじゅの燃料は通常の原発の使用済み燃料から取り出したプルトニウムなど。この燃料をもんじゅの原子炉で使うと使った以上にプルトニウムが増殖し、これを繰り返せば半永久的に資源が確保できるといわれている。もんじゅが夢の原子炉といわれたゆえんは、ここにある。
・昨年9月、日本テレビのカメラがもんじゅの中に入った。案内されたのは原子炉を見下ろせる場所。

この中央部分に直径7mの原子炉容器があります。今もプルトニウムの燃料が装填されているということです。中は液体ナトリウムで満たされているということです(日本テレビ報道局原発班の中村洋介記者)

・通常の原発は炉心を冷やすのに水を使うが、もんじゅはナトリウムを液体にして使う。しかし水や空気に触れると激しく燃える性質があるので取り扱いが難しく、もんじゅの大きなリスクとなっていた。
・運転開始翌年(1995年)にはナトリウム漏れ事故が発生。事故現場の映像を隠していたことも発覚した。以降も原子炉内の装置の落下や1万点を超える機器の点検漏れが見つかり、原子力規制委員会が運転禁止を命じるなど運営組織であるJAEAの体質が問われていた。

アラームが鳴ってすぐ対処しないっていうのは、ちょっと想像を絶するんですよね。安全文化は根本から欠けている(原子力規制委員会の田中俊一委員長)

・22年間で実際に稼動したのは250日。しかしこれまでに1兆円を超える事業費が掛かり、廃炉が決まった今も1日5000万円もの維持費が掛かる。

<廃炉を巡る政府の方針決定まで何があったのか>
・もんじゅを廃炉にする政府の方針決定までに何があったのか。一昨年11月、原子力規制委員会は文部科学省に対して半年をめどに運営組織の見直しなどを求める勧告を出した。
・しかし期限になっても結論は出ないままだった。通常の原発の所管は経済産業省だが、もんじゅは研究段階と位置づけられているため文部科学省が所管している。
・日本テレビの記者が取材したメモ。記者会見から1対1の個別取材まで記者が足で稼いだ情報だ。もんじゅ廃炉を巡っては、官僚や政治家が様々な駆け引きをしていたことが取材から明らかになった。

「新しい運営組織を作れば電力会社などからの協力を得られる」(文部科学省)

・文部科学省は当然のごとく、もんじゅ存続を主張。

「電力会社は原発の再稼働に精一杯で、もんじゅに協力する余裕はない。新たな高速炉開発を行うべきだ」(経済産業省)

・それぞれ省の利益を優先する発言。ある政府の高官は呆れてこう嘆いた。

文科省もこうしたい、経産省もこうしたいと、自分に都合のいいことばかり言う(政府高官)

・その潮目がはっきりと変わったのは、再稼働のためのコスト試算だった。今後16年間で少なくとも5400億円以上の費用が掛かることが分かった。

どう考えてもあれはもう動かせないでしょう。廃炉にするしかない。あとはどのタイミングで誰が言うのかということ(自民党幹部)

・こうして、もんじゅの廃炉が正式に決まった。

<地元の人々は全く蚊帳の外に置かれた>
・もんじゅの地元に住む橋本昭三さん(88)。地元は全く蚊帳の外だったという。

廃炉のときは一言の説明もないというのが、我々の納得のいかない一番の原因だと思うんですよ(橋本さん)

・福井県敦賀市白木、20世帯ほどの小さな集落。橋本さんは白木地区の元区長で、もんじゅがナトリウム漏れ事故を起こしたときは敦賀市議会議長を務めていた。
・橋本さんが書き記した墨書きの記録。白木地区での暮らしと、もんじゅ建設受け入れからの出来事や思いが和紙にびっしりと綴られている。20歳から書き始め、今年で68年。その数は4万7000枚にも及ぶ。
・白木集落に夢の原子炉の誘致話が持ち上がったのは、日本が高度経済成長に沸いていた1970年。農業と漁業で暮らしてきたが道路整備は遅れ、街に出るには険しい峠越えを余儀なくされてきた。そんな半島の先端で、もんじゅの建設が始まった。今から36年前の橋本さんの映像が残されている(1981年撮影)。

うちは絶対に金で誘致したということはない。この村がよくなるように過疎から抜け出す(橋本さん・当時)

・過疎から抜け出し、白木の集落を発展させたい。特殊な原発、高速増殖炉への不安が交錯する中、国策に協力することを選んだという。
・事故やトラブル、金食い虫として大きな批判にさらされる中、もんじゅと共存してきた集落。もんじゅ廃炉が決まり、橋本さんのところに国の職員が説明に訪れたのは年が明けてからだった。

年末、山野に雪全くなし。穏やかである。しかし高速増殖炉の廃炉問題で廃炉が決まり、当区にとっては誠に残念な年であった。

納得がされてね「ああ、それならやむを得んな」という話なら、そんでええんですけど。何にも予告なしにいきなり頭から廃炉ということは、本当に地元民にとってもどれだけ大きなショックになるんやなかったかなという、そう思うことを書いたと思うんですよ(橋本さん)

<元所長も廃炉の決定に疑問を唱える>
・東京・虎ノ門。ここにも国の決定に疑問を唱える人がいた。ナトリウム事故後の1995年からもんじゅの所長を務めていた菊池三郎さん(75)。今月上旬、菊池さんとともにもんじゅの地元に向かった。
・菊池さんは別名ミスター・プルトニウム。50年以上、日本の原子力政策に関わり、高速増殖炉の開発が自らの使命と言い切る原子力ムラの重鎮。もんじゅの正面ゲートには警備員の姿が。

(今、行って入ることは?)
それは事前に申し込まないと無理ですね。「よう!」ってはできませんから。核物質を扱うということよりも、やっぱりテロでしょうね(菊池氏)

・テロ対策が強化され元所長といえども許可なく中に入れない。

もんじゅが一番悔しがっていると思うんです。ものを言えないからね。本当はこうやって聞いてみたいぐらいですけどね(同上)
(「もんじゅ」は金食い虫と言われているが?)
金食い虫というのが何を基準にしているかということであってですね、ですから国家予算でアバウト年間200億円といったものが高いか低いかっていうのは、いろんな価値判断があるんだろうと。私から見れば、将来のエネルギー資源を海外に頼らず確保できる可能性を持っている技術を年間200億円で買っていけば、見方によっては安いもの。今、何兆円という油を買ってることを考えればですね(同上)

・菊池さんは原子力政策を推進する側の立場。年間200億円の費用が高いか低いかは、価値判断の違いだと語った。
・この日、菊池さんの後輩たちが集まった。もんじゅで働く現役職員やOB。

もう少し先のことを考えて結論を出してほしい。

残念でしかたない。先輩方に100%出力をぜひ見せたかった。

生かしてほしい。あれだけのモノがあるのだから。

せっかくここまで100年先、見越してやっているのがもったいない。


・もはや何を言っても夢の原子炉は夢に終わった。

<一方で「第2もんじゅ」の計画が>
・去年暮れ、政府はもんじゅ廃炉とともにもう一つの発表をした。それは新たな高速炉の開発。いわゆる「第2もんじゅ」計画。

高速炉開発の方針を決定しました。今後、実証段階の研究開発を進めるべく、2018年を目途に戦略ロードマップの策定をいたします(菅官房長官)

・原発の開発は技術の基礎を確認する実験炉、発電技術を確立するもんじゅのような原型炉、経済性を確認する実証炉、そして実用化した商用炉の4段階で進んでいく。国はもんじゅは廃炉にしてもフランスの計画に参加して、次の実証炉の研究開発が可能との結論を出した。

核燃料サイクルの開発については維持をする。高速炉開発会議を立ち上げて、年内にまとめていくことが今日決定されました(世耕経産相)

・その会議のメンバーは経産大臣(世耕弘成氏)文科大臣(松野博一氏)の両大臣と、もんじゅの運営組織であるJAEAの理事長(児玉敏雄氏)、電事連の会長(勝野哲氏)と三菱重工の社長(宮永俊一氏)。原発政策を推進する原子力ムラのそうそうたる顔ぶれ。この5人で今後の高速炉開発の方針を決めていくことになった。

年末までに集中的に議論をいただきたい。腰を据えて将来を見据えた議論を進めていただきたい(世耕経産相)

一歩前に出る姿勢を示していただいていると(電事連の勝野会長)

リーダーシップを取っていただける決意表明と受け止めた(三菱重工の宮永社長)

ここでプレスは退出願います(世耕経産相)


・会議は4回行われたものの、1回目から3回目の会議は45分間。最後の4回目は僅か20分で終了。合わせて2時間35分の議論で、もんじゅの総括と新たな高速炉開発の方針が取りまとめられた。

矛盾しているのは「もんじゅはやめるけども、高速炉はやります」っていったら、そっちの方にお金が掛かるわけですから。もんじゅをきちんと仕上げなければ、同じこと繰り返すじゃないですか(もんじゅ元所長の菊池さん)

もんじゅでいかんもんがフランスの会社と協力して果たして成功するのか。私は腑に落ちない(もんじゅ地元に住む橋本さん)

・さらに国は、もんじゅのある周辺地域を高速炉開発の拠点の一つに位置づけるとした。突然の発表に地元敦賀市長はこうコメントする。

廃炉しながら研究開発するというふうにいわれています。よく分からないというのが正直なところです。廃炉しながら研究開発、この安全性が守られるのか。で、1000人雇用するからいいでしょうみたいな。何か天秤にかけられたような。安全と雇用を天秤にかけられたモノの出方に憤りを感じる(渕上隆信敦賀市長)

・地元軽視とも受け取れる今後の動き。プルトニウム燃料を取り出し、どこに持っていくのかなど課題は山積みだ。

<高速炉開発を続ける理由(1)国際社会にプルトニウムの使い道を示すため>
・ここで一つ、素朴な疑問にぶつかる。もんじゅは廃炉にするのに、なぜ国は高速炉開発を続けるのか。理由の一つは、日本が保有しているプルトニウムの使い道だ。
・プルトニウムは核兵器に転用できる物質のため、国際的に厳しい管理の下に置かれている。国は「余剰プルトニウムは保有しない」と国際公約し、もんじゅで使う前提で保有していた。もんじゅがなくなったとしても、国際社会にプルトニウムの使い道を示す必要がある。

<高速炉開発を続ける理由(1)再処理しなければ使用済み燃料の行き場がない>
・実はもう一つ、高速炉を開発する理由がある。

「核燃料サイクルの中心はもんじゅというが、実働的には青森の再処理なんです」(取材メモ)

・青森県下北半島にある六ヶ所村。ここに建設中の施設が核燃料サイクルの中心だという。日本の原子力政策が目指すのは核燃料サイクル。それは使用済み燃料を再処理しプルトニウムを抽出、新しい燃料に加工する。それを使って高速炉で発電、そのサイクルを繰り返す仕組みだ。
・しかしこのサイクルが完成していないため、プルサーマルという別の核燃料サイクルを行っている。それは再処理工場で加工した新しい燃料を通常の原発で使うやり方だ。しかしこの仕組みでは、高速炉のように大量のプルトニウムを消費できない。
・六ヶ所村の再処理工場はプルサーマル用。これまでに2兆2000億円が投入されたが、20年近く完成の延期を繰り返しまだ稼働に至っていない。そのため全国の原発から使用済み燃料が運ばれてきても、新しい燃料に加工できず溜まっていく一方だ。燃料プールも99%が埋まっている。さらに全国の原発の燃料プールも満杯に近づいている。
・なぜ高速炉開発を続けるのか。それは使用済み燃料の問題。高速炉を開発し、プルトニウムを大量に消費しなければ使用済み燃料の行き場がないのだ。

<専門家から核燃料サイクル見直しをとの声も>
・もんじゅの廃炉が決まり再処理工場の稼働も見通せない中、国がこだわる核燃料サイクルは一体どうなるのか。国の原子力利用のための政策を決める原子力委員会の委員長代理でもあった専門家はこうコメントする。

核燃料サイクルというのは、あくまでも高速炉、特に高速増殖炉のためにあるわけであってですね。高速増殖炉のない核燃料サイクルはいずれ破綻する。研究開発続けましょうってことはあり得ると思うんですけども、もんじゅが今廃炉になったわけですから当然、核燃料サイクル全体を見直すのが筋(前原子力委員会委員長代理の鈴木達治郎氏)

・今、もんじゅを廃炉にし新たな高速炉の開発が始まろうとしている。国は来年度をめどに今後10年間の工程表を示すとしている。そこに幾らの金をつぎ込むのだろうか。その金額は分かっていない。国の原子力政策に関わる関係者は、今後の高速炉研究についてこう答えた。

「うまくいくとは誰も思っていない。それでもやる、やらなきゃいけない。ということだ」(取材メモ)

(2017/2/22視聴・2017/2/22記)

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第7回 検地がやってきた

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第7回
「検地がやってきた」

(NHK総合・2017/2/19放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 日曜に録画した分を木曜まで寝かしてしまいました。というか大河ドラマの本編とは別に「5分で分かる~」というダイジェスト番組があるのですが、それをうっかり先に観てしまいました。

 オチが分かった状態で観たせいもあるのですが…今回のお話は間延び感がありましたね。今川からの検地に来た役人から「脱税」がバレないように皆で隠しました。成功しました。という話。

 うーん、こんな感じで井伊家を巡る大きなエピソードだけでは持たないということで小ネタで引っ張るような話を挟んでいくのでしょうかね。ちょっと飽きてしまいそうですよ。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・次郎法師(柴咲コウ)は井伊の行く末を考え、幼少よりの許婚・井伊直親(三浦春馬)との夫婦約束を断った。そして直親は奥山朝利(でんでん)の娘しの(貫地谷しほり)との祝言を挙げることとあいなったのじゃ。
・小野政次(高橋一生)と新野左馬助(苅谷俊介)は今川義元(春風亭昇太)のもとに赴き、直親の帰還と家督相続を認めてもらうよう願い出るが、義元は検地を実施して国衆たちの賦役を見直すという。
・しかし井伊直平(前田吟)は自分の治める川名の隠し里があるため猛烈に反対する。
・直親は川名を視察し、直平からそこは井伊家にとって最後の砦となる場所だと知らされ、そこを今川から隠し通すことを決意する。
・さらに直親は、今川の目付役である小野政次(高橋一生)にも川名のことを隠してもらうよう頼む。
・しかし今川の検地奉行・岩松(木村祐一)は厳しく調査を進めていき、川名の隠し里を見つけてしまう。
・追及する岩松に政次は、南朝の皇子が隠れて住んでいた里で井伊の領地ではないと説明する。さらに駆けつけた次郎法師が岩松の妻の月命日の供養をさせてほしいと言い、無事に検地が終わる。
・直親と次郎法師が親しくしていることに傷ついたしのの気持ちを察した井伊直盛(杉本哲太)と千賀(財前直見)は、直親に夫婦で山向こうの祝田村へ行き、子をもうけるよう勧める。
・また政次の弟・小野玄蕃(井上芳雄)に、しのの妹のなつ(山口紗弥加)が輿入れすることとなった。小野を親族に取り込み、和を作りたい直盛の策だった。
・同じように今川では三河の旧領主である松平を完全に取り込むべく、後の徳川家康である松平元信(阿部サダヲ)と瀬名(菜々緒)の婚姻が決められた。
・松平元信。このどこかぼんやりとした男がやがて今川の、そして井伊の命運を握ることになろうとはまだ誰も知る由もなかった。

<直虎紀行>
・今川が隆盛を誇った駿府の城下町。今川義元への服従の証しとして各地から差し出された人質たちも暮らしていた。
・幼い頃の徳川家康、竹千代も8歳からこの地で暮らしていた。華陽院の近くに竹千代の屋敷があったといわれている。竹千代の祖母・源応尼は竹千代の養育係として岡崎から招かれた。源応尼は親から離れて暮らす竹千代に深い愛情を注いだと伝わっている。
・弘治元年、竹千代は浅間神社で元服したといわれ、これを取り仕切ったのが今川義元だった。義元が竹千代のために用意した甲冑が伝わっている。竹千代は義元の「元」の字をもらい、元信と名を改め今川家との結びつきをより一層深めていった。

※静岡浅間神社(JR「静岡」からバス「赤鳥居 浅間神社入口」下車すぐ)
※華陽院
※源応尼の墓

(2017/2/23視聴・2017/2/23記)

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※関連ページ(おんな城主 直虎)
第6回 初恋の別れ道
第5回 亀之丞帰る
第4回 女子にこそあれ次郎法師
第3回 おとわ危機一髪
第2回 崖っぷちの姫
第1回 井伊谷の少女

※関連ページ(井伊直虎関連)
【にっぽん!歴史鑑定】井伊直虎はなぜおんな城主となったのか?
【歴史秘話ヒストリア】おんな城主 直虎のイロハ
【歴史秘話ヒストリア】それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~
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