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【ETV特集】アンコール 原発に一番近い病院 ある老医師の2000日

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【ETV特集】
「アンコール 原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」

(Eテレ・2017/1/21放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 2016年10月8日に放送された番組のアンコール放送。前回の感想はこちらに書いています(→原発に一番近い病院 ある老医師の2000日)。

 2016年12月30日夜、高野英男院長はご自宅の火災でお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 原発事故という過酷な状況の中、地域の医療にその身を捧げ続けた高野先生。あらためてそのお姿を観るにつけ涙が溢れてきました。これは私見ではありますが、きっと体の限界に近いところまでお疲れになってしまったのではないでしょうか。もし神様がいるのだとしたら「もうこれ以上、頑張らなくていいよ」とお連れになってしまったのではないか。そのように思います。

 そして高野先生亡き病院は、有志の医療関係者の皆さんのご尽力によって患者さんへの医療が続行されています。ただこの記事を書いている時点で、長期的に常勤する医師の確保について目処が立っていないということです。どなたか高野先生の志を引き継ぐような方が現れることを心から願うばかりです。

 それとともに、そうした地方の医療を志す若者を支援するような体制をもっと強めてほしいと思います。もちろん全く無いわけではありませんが、例えば永住するまでいかなくても一定の期間、医師や医療従事者が不足している地域に派遣するような公的団体をつくってもいいのではないかと思います。

 この番組の再放送は1月28日(土)0時~放送されます(1月27日深夜)。日本の医療と厚生行政に携わる関係者は全員が視聴すべきです。。そして一民間病院の出来事としてではなく、これが日本の医療のリアルな現状だと肝に銘じろと言いたい。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・毎朝6時半きっかり。ログハウスから出てきた男性が向かう先は隣にある病院。高野英男さん(81)は、この病院の院長で今も100人の入院患者を診て回る。お相手は平均84歳、みんな長い付き合いだ。
・高野病院を取り巻く環境を大きく変えたのは、5年前の原発事故だった。病院は原発から南に22kmの場所、双葉郡広野町にある。ここが、この地域で診療を続けるただ一つの病院となった。
・他の病院が休止しているため、救急車が次から次へとやって来るようになった。復興作業に携わる「新たな住民」、居場所を失ったお年寄り、病院はその最後の砦だ。

災害後ここに残って、双葉地域の医療を実際的にやっているのはここだけでしょ。総合的に診られるっていうのは私しかいないですから(高野病院の高野英男院長)

・この5年半、一人踏ん張ってきた老医師。その日々を見つめる。

<福島第一原発のある双葉郡で唯一診察を続けている病院>
・36年前に広野町に根を下ろし診療を行っている高野院長。専門は精神科だが、地域の人たちのあらゆる声に応えてきた。今も注射やレントゲン撮影を自ら行う。馴染みの患者さん、痛みも苦しみも知っている。

ここの外来は昔からの農村ですから、肩とか膝とか腰とかペインクリニック(痛みの緩和)みたいなの多いんですよ。だから本当に何でもやるようになってしまうわけですね(高野院長)

・院長がいつも座る席、後ろに何か書いてある。

これ災害が起きた日です。なんとなく消さないで、そのままです。ちょっと惜しいような、消すのはですね(同上)

・思えば、あの日から何もかも一変した。事故によって原発周辺の町に避難の指示が出された。その中でいち早く戻ってきたのが病院のある広野町だった。続いて少しずつ避難指示は解除されていったが、双葉郡に6つあった病院のうち5つが今も閉鎖されたままだ(20床以上の医療機関)。高野病院だけが診察を続けてきた。
・「復興の前線基地」と呼ばれる広野町。早朝、原発に向かう国道は出勤する作業員の車で埋め尽くされる。この地域で除染などを行う作業員は約2万6000人。広野町で暮らす作業員の数は住民を上回っている。作業員が急増した町で、高野病院はこれまでにない対応に追われている。
・原発事故前まで殆ど受け入れていなかった救急搬送、今は院長を支える非常勤の医師を中心に対応している。作業員宿舎から来た2人の男性、大事には至らなかった。
・隣町の宿舎で嘔吐して倒れたという作業員、熱中症だった。炎天下、マスクをつけて長時間働いていた。症状が重いことから双葉郡の外にある大きな病院に転送することになった。
・住民の方々も深刻な体調不良を訴えている。環境の変化によるストレスが心と体をむしばんでいた。避難生活を続けてきた男性、物忘れがひどくなっていることに不安を感じていた。震災後、脳梗塞やうつに苦しむ住民が増えているそうだ。
・避難生活に耐え切れなくなった人たちもいる。他の病院が休止しているため請け負うことになった死体の検案。死因の半数が自殺。立ち入りが制限される自宅に戻り、命を絶つ人が後を絶たない。震災と原発事故が影響したとみられる自殺。その数は福島県で85人に上る。

完全に自分が大事にしたものがなくなる。いわゆる私らの言葉で言えば“喪失体験”というんですけども、それが自殺の引き金になって、それで不幸にして死なれると。辛いですよ、本当に(同上)

<81歳の院長、盆も正月もなく働いてきた>
・毎週水曜日は院長が入院患者を診て回る日。早朝、91歳の入院患者が院長を待ち構えていた。

今日水曜日だから必ず朝、オロナミンCドリンクと煎餅1枚賄賂に持ってくるんです。今の時間、欠かしたことないんです(高野院長)

先生にご苦労ってやっているわけ。どうしてって聞かれても、これはね私の気持ちだから(入院患者の女性)

・回診の時間。この夏、内科に60人、精神科に48人が入院していた。他の病院が休止しているため、いつもいっぱい。患者さんに比べれば院長はまだまだ若いはず。
・原発事故後、最も必要とされているのが、こうした入院患者の受け入れだという。

あの地震のときが行くところなくて、あっち行ってこっち行って、よその病院は3か月で追い出されるから。ここだけだよ、何年もいれるの(入院患者)

なんせ私らは幸せです。先生が優しいから、みんな優しくなれるんだね(別の入院患者)

・優しい先生はこの5年、盆も正月もなく働いてきた。

あくまでも相手があるから、臨床医としての仕事をしていると、それだけのことじゃないですかね。やっぱり人が好きなんですよ。専門は何かと言われると本来は精神科医ですけども、いろんなことを勉強してきましたから、いわゆるヒト科です。人間(高野院長)

<患者に寄り添うことを理念に長い間続けてきた病院>
・病院の歴史は36年前に始まる。医療空白地だったこの地域を支えたいという思いからだった。目指したのは、地域の人たちに必要とされる病院。何よりも患者に寄り添うことを理念に掲げていた。
・未曽有の大災害に襲われた5年前、「患者に寄り添う」というその理念が問われることになった。全町避難を呼びかけた広野町、町から人が居なくなった。このとき入院患者101名を避難させるか留まらせるか、難しい判断を迫られた。
・当時の状況を記録したメモ。県の医療チームや警察などから患者を全員避難させるように何度も迫られた。しかし院長は患者たちの容体を見て、病院に留まるという判断を変えなかった。

いったん自分が診ている患者さんたちが、たとえば搬送によって容体が変わると、あるいは亡くなられるかもしれない。そういう予測はすっかり立ってますから、だから外からは非難轟々だったですけど避難しないと。臨床医としての私の勝手かも知れませんけども(高野院長)

・その結果、病院に留まった患者は一人も亡くならなかった。
・しかし原発事故は深刻な爪痕を残した。避難のため職員の退職が相次ぎ、33人いた看護師が5人にまで減ってしまった。
・さらに大きな打撃となったのは、当時もう一人いた常勤の医師の退職だった。ただ一人、常勤の医師となった院長の負担が格段に重くなった。去年は夜間の救急に対応する当直を年130回も務めてきた。81歳になった今年、急激に体調が悪化している。
・回診の後の午後、看護師から報告を聞く時間だが院長の姿がない。10分後、寝過ごしていたようだ。本来、時間に厳しい院長。今年に入るまでこうしたことはなかった。

(お疲れですか、回診の日は?)
回診は疲れます。本当この5年は疲れましたよ。歩くとき時々よろけたりする。あれは今年5年たってからですよ、急に。ああって、もちろん年齢も年齢ですけどね、当たり前なんでしょうけど。それまでは平気で動いていたわけですから(高野院長)

・高野院長の娘・己保さん、病院の事務長だ。今年に入って当直を月2回まで減らすなど負担を軽くしようと努めている。掃除や洗濯など、一人で暮らす院長の身の回りの世話も引き受けてきた。
・己保さんは物心ついたときから、父と暮らした記憶がない。家族より患者、あくまで医師として生きる姿。それが父だった。

そこまで医者として生きようと思わせるものが一体何だったろうなというのを見てみたいなと思って。やっぱり最後まで医者としての人生を全うさせてあげたいなというのが、今の私の目標でもあるんですね。なかなか厳しいんですけども、常勤のドクターが1人でもいいから来てもらえないかなっていうところで、手を尽くしているところですかね(己保さん)

・現在は病院が独自に集めた9人の非常勤の医師に救急や当直などを日替わりで任せている。今も求人を続けている。苦境を知って来てくれる看護師なども現れた。

今年の4月11日からです。もし何か私でもできることがあったらという感じですかね(看護師)

私は2年前です。人も足りないということで働きたいなと思ってここにしました(別の看護師)

(2014年)8月からここで働いています。あんなすごい大きな災害が同じ日本で起きたのに、それまで札幌に住んでましたけど、全然関わるようなことをしてなかったですし。時間たってきて自分何やってるのかなみたいな感じもあって、こっちに来ることを考えるようになったという感じですね(別の看護師)


<若い住民が戻ってこない町、その一方で高齢者の行き場が…>
・震災の翌年から再開した広野町の花火大会。今年は震災後、最も多い6000人が参加。若い人たちの姿も数多く見られた。しかしその多くは一時的な立ち寄り。

もともと楢葉(隣町)です。お墓参りに行ってきたので今、その帰りに寄りました(若い夫婦)

避難している。いわきにいて、いわきからこっちに来てる(別の夫婦)
(将来、広野に戻ってくるお考えは?)
今のところはまだ考えてないですけど(同上)

・住民が戻ってこないのは、放射線への不安だけが理由ではない。コミュニティーが壊れ、買い物など生活する環境が整わないことも帰還を躊躇させている。
・一方で、家族では支えられないお年寄りがふるさとの病院に帰っている。病院内を徘徊する入院患者。

(認知症の患者さんですか?)
認知症(看護師)
(夜の消灯後も歩かれたり?)
そう(同上)

<病院の状況を行政に訴えても…>
・この日、病院を訪れたのは医療計画を取りまとめている県の幹部。今後の体制について現場の意見を聞きに来た。住民の帰還が見通せないとして、病院への支援は遅れていた。院長は診察があるため、話し合いを途中で退席。事務長は福島県立医大から常勤の医師を派遣してもらえないかと訴えた。医師の派遣について県からは病院が独自に交渉してほしいと言われたという。

課長「自分は人を納得させるのは苦手なものですから、なかなか(医師の派遣は)うまくいかなくて」なんておっしゃって「むしろそちら(高野病院)からお話を通してもらった方が自分通すより全然早いと思いますよ」なんて。課長にはお話したんですけども、結局ある意味ネグレクトのようだと。皆さん(国・県)ここ(双葉郡)の現状は分かっていらっしゃる。ただそれがどうしていいか、まだ分からない状態のまま来てしまっている。まだ何も描けない状態が続いているのが今のここの現状なんですね(己保さん)

<容体が悪化した入院患者にどう向き合うか>
・入院中の患者の容体が悪化した。避難のさなかに倒れ、病院を転々としてきた女性。近頃、おしっこの量が減って体がむくんできたため、確認することにした。肺に水が溜り呼吸しづらい状態になっていた。
・家族に連絡を取るよう指示を出す。高齢患者を受け入れる高野病院では、最期の時間に立ち会うことも少なくない。

もしご家族の方とか親族の方とかですね、面会しておくのであれば今のうちに面会していただいた方がいいかなという状態なんです。ちょっと確認なんですけども、呼吸が止まったとか心臓が止まったときに、口から管を入れて呼吸させるとか心臓マッサージをするとか、そういう処置は高野病院ではあまり行わないようにしているんですけども、自然に見送るという形でよろしいですか(電話する看護師)

・2時間後、隣町に住む娘が仕事を抜けて駆けつけた。家族の承諾を得て胸水を抜くことに。水を抜き過ぎると状態が悪くなることもある。

よくなりました。少し楽になったような、呼吸の仕方が。病院に入れてもらったからよかったです。先生もご高齢だからしゃべるのも丁寧で小さい声で聞き取りにくいんですけど、頑張ってますよね(家族の女性)

私はその患者さんのいわゆる「生きたい」という「生きていきたい」と。こういう体になっても「生きていきたい」という。患者さんが瞬き一つにしろ、仕草の一つ一つについて生きているんだなということを感じとってあげると、それをこちら側が感じとって、それで治療するという。やっぱり命というものをどんな風に重く見るか大事にするかじゃないですか。大事にするかという(高野院長)

・水曜日、院長回診の日。肺に水が溜まっていた女性の容体は悪化していた。

(胸水が)とれればいいんだけどね。なんとも出来ないな(高野院長)

・心臓に近い左側の肺から水を抜くことが難しく、手の施しようがなくなっていた。

<院長がこれから先への思いを語るが…>
・命の輝きと厳しさを見つめ続けてきた日々。震災後、この病院で退院した患者は289人。命を全うした患者は170人に上る。

本当はもっと早く引退したいんですけども、この災害から今までの現状をみると、これはもう一種の義務感みたいなものが加わりましたね。義務感といえば大げさですけども、体が動くまでやらざるを得ないのではないかと。ただ10年くらいはまだできるだろうと、そう思っているだけですよ。災害から5年でしょ、あと10年たたないと、この地域は元に戻るか分かりませんからね(同上)

本放送(10月8日)の2か月後
高野英男さんは亡くなられました

心よりご冥福をお祈りします

現在 病院では 新たな常勤医の確保など
存続に向けた対応を続けています


(2017/1/24視聴・2017/1/24記)

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第3回 おとわ危機一髪

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第3回
「おとわ危機一髪」

(NHK総合・2017/1/22放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 あれこれ史実と照らして突っ込みを入れても最早どうすることもないと思うので、完全に割り切ったドラマとして観ることにしたいと思いますが、それにしてもおとわ役の新井美羽ちゃん。おそらくウィッグではないように見えるのですが、もし地毛で虎刈りにしていたとしたら、ちょっと気の毒に思います。そして出家の許可が出ましたので、次回は頭を完全に丸めることになるのでしょう。あと出番がどのぐらいになるのか分かりませんが、そう長くはないと思うと…複雑ですね。

 まあ、そんなことも気になりつつ、もう一つ気にしていたのが「今川義元がいつ喋るのか」。今回ようやく台詞がありました、短かったですが。よかったですね。私は義元が公家スタイルだったという説には異論ありですが、それ抜きにして春風亭昇太さんの義元は似合っていると思いますよ(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・時は戦国、ところは井伊谷。井伊家当主の一人娘おとわには、亀之丞という許婚がおった。じゃが、亀之丞は父の企てた謀反の廉で大国今川に命を狙われる身に。
・更に今川は、今川寄りの家老・小野和泉守の嫡男・鶴丸をおとわの婿に迎えるよう命じたのでござったが…。

・おとわ(新井美羽)は鶴丸(小林颯)との夫婦約束を拒むために、自ら髪を切り出家するという。
・その騒ぎは今川義元(春風亭昇太)の知るところとなり、忠義の証として、おとわを人質に差し出すよう命じてきた。
・井伊直平(前田吟)は、もはや戦しかないと言うが、井伊直盛(杉本哲太)は苦悩する。
・南渓和尚(小林薫)は直盛や千賀(財前直見)と相談し、おとわが出家することで人質を逃れる奇策を練る。表向きはおとなしく駿府に行き、その裏で内々に作戦を進める手はずとなり、おとわは駿府の今川館に向かった。
・おとわは井伊からの人質として差し出された佐名(花總まり)と瀬名(丹羽せいら)と対面する。
・南渓和尚は臨済寺で太原雪斎(佐野史郎)と会い、おとわの出家を今川義元に了承してもらうよう頼む。
・同時に南渓和尚は、寿桂尼(浅丘ルリ子)にとりなすよう佐名に文を送るが突き返される。
・しかし打つ手がないまま、おとわは今川館で寿桂尼と対面する。そして義元を待つ間に蹴鞠を見物することになる。
・おとわは、そこで義元の息子・龍王丸(中川翼)に蹴鞠の勝負を申し込む。諦めずに何度も対戦した結果、おとわは龍王丸に勝利する。
・雪斎と寿桂尼のとりなしもあり、義元から「一女とわの出家をもって本領安堵とす」との褒美をもらう。

<直虎紀行>
・静岡県静岡市は今川義元が支配していた地。駿府城は後年、徳川家康が築城したもの。
・今川氏の勢力が拡大していった背景に、軍師・太原雪斎の存在があった。義元は館の近くに建立した臨済寺に雪斎を招いた。義元が幼い頃から養育係として仕えていた雪斎。次第に彼は軍師としての頭角を現していく。
・軍師・雪斎の存在が今川の力を磐石のものにしていった。

※駿府城公園(JR「静岡」下車 徒歩10分)
※臨済寺

(2017/1/25視聴・2017/1/25記)

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【NHKスペシャル】シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第4集

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【NHKスペシャル】
「シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第4集 “地震大火災”があなたを襲う~見えてきた最悪シナリオ~」

(NHK総合・2017/1/22放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 地震火災の危険については、以前のNHKスペシャルで「通電火災」の危険性について警告を発し「感震ブレーカー」の必要性を啓発したものがありました(→【NHKスペシャル】震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~)。それ以来、特に法令で設置が義務づけられたなどありませんので、まだまだこの分野は備えが遅れていると言わなければなりません。

 そして今回の危険性として大きくクローズアップされたのは民家の大規模な延焼とともにコンビナートの大火災。どちらも都市部をはじめ多くの人命が奪われる危険が高い深刻な問題です。そして「これだ」という対策が未だにないというのがネックだと思います。

 私たちは地震が起きたとき、沿岸部であれば津波、そして住宅など建物の倒壊、そして住宅密集地であれば火災、山が近くにあれば大規模な崩落など、危険づくめといってもいいほどのリスクを抱えているわけです。これに原発の近隣地域であればその危険も加わります。もう…どうすればいいのかと途方に暮れてしまいそうですが、それでも命を守るのは自分自身でしかないわけです。想定されるリスクを一つ一つ考えて対策を考えておかなければならないと思います。

 それと同時に科学者や技術者の方々は減災のための技術開発をもっと進めていただきたいですね。津波の威力を軽減する「フレキシブルパイプ」というのはタンクの被害防止に限らず、防波堤と合わせて津波対策のための技術として研究してほしいですね。以前、ある子どもの作文で「巨大扇風機で津波を押し返す」というアイデアがありました。もちろんそれが実用化に直結するわけではありませんが、あらゆるアイデアで被害を軽減していくために知恵を絞ってほしい。そう思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・迫り来る次の巨大地震。揺れが収まった後、更なる試練が追い打ちをかける。地震大火災、その本当の恐ろしさを私たちはまだ知らない。
・平穏な日常が突如、危機へと変貌する。それが私たちの生きる時代。巨大危機「MEGA CRISIS」。
・街が炎に包まれた阪神・淡路大震災、そして東日本大震災。地震火災はどこまで過酷なものになるのか。研究者たちは今、起こりうる最悪のシナリオに迫ろうとしている。
・東京を襲う首都直下地震、想定をはるかに超える死のリスクが浮かび上がってきた。火災から避難しようとした数千人の人が、ある場所で炎に巻かれるおそれがある。
・想定される南海トラフの巨大地震では津波によって大型船が漂流し、コンビナートに衝突。大阪の市街地に大量の油が押し寄せ、炎上する危険性が明らかになった。
・巨大な危機にどう立ち向かうのか、想定外の地震大火災を最新の技術で食い止めようという闘いが始まっている。
・あなたを襲う地震大火災。巨大な炎に挑むその最前線に迫る。

<“地震大火災”が襲う 想定外の巨大リスク>
・有働由美子アナウンサー(以下、有働氏):「シリーズ MEGA CRISIS 巨大危機」都市を襲う地震大火災との闘い。地震で生き延びても火災で命を落としてしまう。まさか自分の身にそんなことが起きるとは思いたくない。でも、ちょっと思い出して下さい。1か月前に新潟県糸魚川市で発生した大火災。たった1か所からの出火が瞬く間に燃え広がって、手のつけようもありませんでした。そうした火災が地震のときには、あちこちで同時に発生して拡大。そんな状況が明日、私たちの身に起きる可能性があるんです。

<“地震大火災”の脅威 見えてきた最悪シナリオ>
・去年11月、東京で開かれた国際会議に各国を代表する火災の研究者たちが集まった。地震火災はどれほど大規模になりうるのか、ある研究者の発表が注目を集めた。

阪神・淡路大震災のときは火災で亡くなった方もいますけれども、避難に失敗する方は条件によって大きく変わってくる(岩見氏)

・建築研究所主任研究員の岩見達也氏。改めて今検証しているのが、22年前に起きた阪神・淡路大震災。震度7の激しい揺れに襲われた神戸の街。地震発生の当日、神戸市だけで109件の火災が同時多発的に発生した。
・火災が収まったのは数日後。約7000棟が全焼し、焼け跡からは400人以上が遺体で見つかった。しかし、ある条件によっては火災は更に深刻化していたという。それは風だ。
・震災1週間前からの風向きと風速のデータをみると、強い冬型の気圧配置によって神戸市周辺では時折、風速10mを超える強風が吹いていた。ところが震災当日、冬型が緩み風速は3m前後まで弱まっていた。
・もし強風が吹いていたら、火災はどこまで拡大していたのか。岩見氏はシミュレーションを行った。コンピューター上に最も被害が大きかった神戸市長田区一帯を再現、出火場所は震災と同じ22か所。震災では風速3m前後の風だったが、シミュレーションでは風速15mの強風を想定。これは関東大震災で記録された風と同じ強さ。台風の影響による強風で大火災となり、死者は9万人を超えた。
・この強風を神戸の地震火災に当てはめるとどうなるか。地震発生の8時間後、火災は震災当時と同じ規模に達する。更に強風によって火災は拡大、離れた場所にも飛び火して次々と燃え広がっていく。24時間後には震災の4倍近くにまで燃え広がった。

当時と比べものにならないくらい広い範囲。速い速度で延焼が広がるということが計算上、明らかになった(同上)

・そのとき、どれほどの人が死傷する可能性があるのか。岩見氏が注目したのは震災後、神戸市の約4000世帯に行ったアンケート。その中に、住民がいつ火災から避難を始めたかを示すデータがあった。火災に気づく前に避難を始めた人は3.7%、火災に気づいてすぐ避難した人は29.3%、残りの66.7%が火災に気づいても暫くは避難しなかった。
・岩見氏はこの避難行動のパターンをシミュレーションに当てはめ、風速15mのときの避難の状況を解析した。その結果をみると、火災が発生した部分が強風で広がっていくが大半の人は自宅の周辺にとどまったまま。
・逃げないのには理由がある。地震発生後、多くの人が家の下敷きになった人を助けたり大事なものを運び出すのに追われていた。気が動転して何もできずにいたという人も3割近くいた。
・その間にも強風によって急速に火の手が迫る。低い建物にいると火災が50mくらいまで近づかないと気づけない。このタイミングでは避難が難しくなる。逃げようとしても行く手には炎が。別の方向を見回しても…。入り組んだ住宅地では、すぐそばまで近づかないと火災に気づけない。こうして逃げ惑っているうちに、火災はますます拡大する。風速15mのシミュレーションでは、この一帯で最大3000人が逃げ惑い、死傷する結果となった。

今後、地震が起こったときに風が弱い、阪神・淡路大震災程度の風であるという保証はどこにもない。じゃあどうすればいいのかというのを深く考えていかなくてはいけない(同上)

・警戒すべきなのは強風だけではない。別のシミュレーションからは多くの人が炎に巻かれる思わぬリスクも見えてきた。東京大学生産技術研究所准教授の加藤孝明氏。注目したのは火災が発生する場所。地震の際、どこで火災が起きるかによって死のシスクが大きく変わる可能性があると考えている。

非常に不運な出火点分布になったときに、もしかすると大量の死者が発生する可能性があるかもしれない(加藤氏)

・解析したのは、約112万人が暮らす東京・世田谷区とその周辺。想定される首都直下地震の火災で、住民がどう避難するかシミュレーションした。風の条件は関東大震災のほぼ半分の風速8m。住民は全て地震発生から1時間以内に避難を始めると想定する。出火場所は100か所と設定。場所を様々に変えて3000通りの出火パターンを計算した。するとその中に、世田谷区だけで数千人もの人が命の危険にさらされるケースがあることが明らかになった。
・避難を始めた人が向かっている先は、各地域で指定されている広域避難場所。避難場所に繋がる住宅密集地では狭い道路に人々が集中。そこへ火災が燃え広がる。狭い道路に取り残された人たちがいる。逃げ惑ううちに炎に巻かれ、死傷する結果となった。避難場所近くの住宅密集地での火災。そのリスクの高さが浮かび上がった。このケースでは他の避難場所の近くでも複数火災が発生。死傷者は約2500人に上った。

避難場所周辺の出火確率を下げる対策、避難場所の周辺の市街地を燃えにくくする対策が必要。次の首都直下地震のときに、東日本大震災で言われたような想定外の状況を生み出さないようにしたい(同上)

<スタジオでの解説(1)>
・有働氏:東京理科大学(教授)の関澤愛さんとともにお伝えします。関澤さんは阪神・淡路大震災をはじめ国内、海外の大規模な火災の調査・分析などもされてますけれども、今のシミュレーションご覧になって、これ本当に起こりうるんですか?

・関澤氏:十分起こりえると思いますね。世田谷区だけでなしに広域避難場所の周辺自体が密集市街地だというケースは結構ありますね。木造密集市街地の中に広域避難場所があるような所で火災が起きると辿り着けなくなる。もう一つは、もし強風で起きた場合には、ごく最近の例でいうと新潟県糸魚川市の市街地火災。地震の場合は、それが更に同時にああいうケースが起きるわけなので。日本には台風が来る。こういった気象条件の中では、強風の中で大規模地震が起きることは十分ありえる。

・有働氏:先ほどのアンケートで言うと、目で見て火事起こってるって分かっても逃げませんでしたという方が7割近くですよね。それはどう考えておいたらいいですか?

・関澤氏:津波の場合は警報があってもなくてもですね、大きな揺れがあれば即時に高台避難ということで割と周知されていると思うんですね。一方、火災のときはまずすぐに避難になるかどうかさえ分からないんですよ。風速によっても近づいてくるスピードが違いますし、風向きがどう変わるか分からないということで、地域ごとに的確な避難情報を出すのが難しい。ですから目で見て判断するしかない。災害報道を見て自己判断で逃げなきゃいけないという要素があるので、なかなか答えが難しいということなんですけども。

・有働氏:自分ですか…できるかな?

・関澤氏:同時多発火災の状況がわかるのは地震発生から1時間後くらい。ですからその時点でテレビとラジオの報道それに注意をしてて、自分が住んでる地域の近くでいくつも火災が起きてるかどうか。これをまず判断すると。そういう情報媒体を持ってないときはですね、少なくとも外に出て周りを見渡す。できるだけ高い所、歩道橋などに立って四方を見渡して、煙が立っていないかどうか、火災が起きていないかどうか、それだけでも判断の目安になる。

・有働氏:「自己判断と言われても経験したこともないし…」と思うんですけど。どの時点でどういうふうに判断して、今逃げ時なのか、あと10分待ったらいいのかっていうのは、どうすればいいですか?

・関澤氏:かなり遠く、まだ近づいていないときも足の遅い人、高齢者、子ども、病気の人はいち早く広域避難場所へ避難する。

・有働氏:もう火の手が見えたら早めの…。

・関澤氏:空振り覚悟の早めの避難が命を救うと。でも全員早く逃げればいいということではなくて、自主防災組織の人とか日頃、鍛えた腕をそこで発揮して地域の防災に少しでも活躍してもらうと。そういう方たちの場合は、もう少し手前に。それこそ50mとか近づいてきたらやはり逃げなきゃいけませんけども。それは足が速いので、火災のスピードよりはずっと早く逃げられますので。

・有働氏:自己判断だからこそどうやって情報を手に入れるのかが大切です。今、将来に向けた新たな取り組みが始まっています。

<“地震大火災”からの脱出 情報が命を救う>
・人々に迫る地震火災。情報の力で命を守ろうと挑む研究者がいる。東京工業大学教授の大佛俊泰氏。特に対策が必要だと考えているのが、地震火災のリスクが最も高い木造住宅の密集地域。耐震性の低い古い住宅が多く、狭い道路を挟んで隙間なく建ち並んでいる。想定される首都直下地震では多くの建物が倒壊。至る所で道路が塞がれ、逃げられなくなるリスクが高まる。
・地震火災から避難する人たちの命を守るために、大佛氏が開発しているのがスマートフォンを使った災害情報共有システム。

火災が発生している。家屋が倒壊している。あるいは道路が閉塞しているなどの状況をみつけたら、投稿画面を開いて情報を送る。このシステムにログインしている全員にこの情報がシェアされる(大佛氏)

・地震が発生した際、システムの利用者は火災や通れなくなった場所などを確認すると、その場所をスマートフォンの地図上に入力する。入力された情報はインターネットを通じて利用者全員で共有される。地図上には周辺のどこで火災が起きているかが示される。
・多くの利用者が情報を入力することで火災の発生状況などを正確に把握し、安全な避難ルートを判断できるようにする仕組みだ。更にそのときの風向きや風速のデータから、12時間後までにどう燃え広がるか予測することもできる。

一般市民の方、あるいは災害ボランティアの方がこういうシステムを使って情報収集するのは、ものすごく効果が大きい。出来るだけ早く、どこでどんなことが起きているのか、そういう情報をより早く全員でシェアして災害にあたる。それが被害の程度を小さく抑えるためのポイントではないか(同上)

<スタジオでの解説(2)>
・有働氏:このアプリ、すぐにでも入手したいと思うんですけど。こうしたITを駆使した技術、アイデアはどう思われますか?

・関澤氏:素晴らしいと思いますね。すごく役に立つと思いますけども。こういったインターネットを使った情報の場合は、欠点もあることを知る必要があると思うんですよね。誰が情報をインプットするのか。しっちゃかめっちゃかなっている中で、冷静に客観的な情報を送るっていうことも必ずしも楽ではないと。情報がミスリードして広がるおそれもなくはない。

・有働氏:そうですよね。例えばテレビ局、NHKも災害があるとヘリコプターで映像流しますけど、それとこうしたITの技術を連動させるということもありえますかね?これから。

・関澤氏:もちろん、それが大事だと思うんですよね。お互いに情報交換して補完し合うという姿が一番望ましいんじゃないでしょうか。

・有働氏:避難以外ではどういうことを心がけておけばいいですか?

・関澤氏:そもそもその地区からの出火を減らすということで、例えば感震ブレーカーのような地域全体に普及させて出火件数をなくすと。そういった対策がいいと思います。

※感震ブレーカーとは地震で大きな揺れば起きると、自動的にブレーカーを落とす装置。電化製品などからの出火を防ぐ効果がある。

・関澤氏:ようやく感震ブレーカーというものの存在が知られるようになりまして、つけて下さるところも増えてきたんですけども、まだまだ数が少なくて数パーセントにも至ってない。特に重点的に対策を施すところには、まずは感震ブレーカーから設置して対策を進めてほしいなと思います。

・有働氏:それが命を守ることになる。

・関澤氏:はい。誰にでもすぐに取り組める対策から、まず一歩を踏み出してほしい。

・有働氏:地震火災の脅威はこれだけではありません。都市に大火災をもたらす最悪のシナリオがもう一つ見えてきました。浮かび上がった新たなリスクです。

<巨大都市が大炎上 科学が予測する最悪火災>
・2011年3月11日、東日本大震災。千葉県市原市の石油コンビナートでガスタンクの大爆発が発生した。爆風は3km以上離れた市街地にも及び、住民8万5000人に避難勧告が出される事態となった。このとき消防などとともに消火に当たった海上災害防止センター、コンビナート火災を専門としている。

まだ生きているタンクが現場にはあると思いましたので、それが熱せられて再爆発すること。これが一番怖いなと(海上災害防止センターの清野成直氏)

・更なる爆発を防ぐため、4隻の消防艇が海から消火活動に当たった。火災が消し止められたのは10日後のことだった。
・この大爆発は思いも寄らないことをきっかけとして始まった。地震発生前、液化天然ガスのタンクの一つに検査のため液化ガスの2倍の重さの水が入れられていた。そこに地震が発生。強い揺れで支柱が重さに耐えられず倒壊、配管から漏れ出したガスに引火。周囲のタンクが加熱され大爆発が起きた。更に周りのタンクも巻き込んで、かつてないほどの規模に拡大した。
・この大火災が更に過酷な事態になっていた可能性を指摘するのが、現場に指示を送っていた海上災害防止センターの萩原貴浩氏。注目しているのはタンクが爆発した方向。映像をよく見ると、タンクの破片が海に落下しているのが分かる。

たまたま(ガスタンクが)割れた方向が海側に爆燃が起こっています。もし反対側に起これば、反対側の陸の施設は様々な石油コンビナートの施設がありますので、その施設が確実にやられていただろうということです。そうするともう手のつけようのない事態になっていたことが容易に想像できます(萩原氏)

・最悪の事態を免れたコンビナート大火災は、都市の間近に潜む新たなリスクを浮かび上がらせた。
・東日本大震災では津波という地震火災を引き起こすもう一つのリスクも明らかになった。宮城県気仙沼市では港に置かれていた燃料タンクが津波で押し流され、大量の油が流出。がれきとともに炎上し、大火災を引き起こした。
・海洋工学が専門の大阪大学名誉教授の加藤直三氏たちの研究グループは、この津波火災がある要因によって更に拡大することを懸念している。

今あのタンカーが出てきましたけれども、こういうタンカーがこのコンビナート地区には多く来ます。津波によって漂流することが十分に考えられるんですね(加藤氏)

・研究チームの一人、大阪大学大学院工学研究科の牧野秀成氏。東日本大震災で津波が船の動きにどのような影響を与えたか、AISと呼ばれる船の位置情報のデータで解析した。
・注目したのは、工場や石油コンビナートが建ち並ぶ茨城県鹿島港。震災当日、港にはタンカーや貨物船など大小様々な船が停泊していた。
・午後2時46分、地震発生。小型の船は次々と沖合に避難を始めたが、タンカーなどの大型船はすぐには動き出せない。地震から約1時間後、津波が襲う。すると大型船が漂流し始めた。津波に押し流され、操縦不能に陥ったためだ。
・あるタンカーは津波で生じた複雑な流れによって迷走。そしてコンビナート前の岸壁に衝突した。牧野氏はこうした大型タンカーがコンビナートの施設に衝突し、大火災を引き起こす可能性もあったと指摘する。

船舶自身が石油コンビナートに乗り上げて、火災に繋がるリスクも考えられる。ひとつ間違えば本当に大惨事に繋がる状態であった(牧野氏)

・次々と浮かび上がる地震火災の新たなリスク。次の巨大地震ではどんな地震火災が起こりうるのか。近い将来、発生が懸念される南海トラフの巨大地震。太平洋側の広い範囲が激しい揺れと巨大な津波に襲われるおそれがある。
・中でも地震火災による大きな被害が想定されているのが、人口880万人余りが暮らす巨大都市・大阪。最大で震度6強の激しい揺れと、高さ5mの津波に襲われると想定されている。
・大阪府が去年3月に発表した石油コンビナートの防災計画。この中で石油タンクから流れ出す油の量を想定している。大阪湾の北部に位置する大阪北港地区。建ち並ぶ小型のタンクは津波で押し流されるおそれがあり、最悪の場合2万7000キロリットルの油が流出すると府は試算している。
・一方、南にある堺泉北臨海地区。タンクは大型で重いため、津波で流されることはないとしている。しかし地震で油が大きく揺れると、最大1万7000キロリットルが溢れ出るおそれがある。
・2つの地区からの油の流出量は合計4万4000キロリットル。東日本大震災のときに気仙沼市で流出した量の4倍近くに達する予測だ。
・流れ出た油はどうなるのか。加藤氏たちの研究グループは油が広がる様子をシミュレーションした。その結果、流出した油は津波に乗って市街地へと広がる。地震発生から約2時間後には、大阪の中心部に達する可能性があることが分かった。

かなり広範囲に市街地に油が拡散するというのが分かった(大阪大学大学院基礎工学研究科助教の高木洋平氏)

油流出が非常に甚大だと想定される(加藤氏)

・今回NHKでは、国や大阪府の想定をもとに火災や海洋工学などの専門家の監修を受け、最悪のシナリオを映像化した(大阪大学の加藤氏、横浜国立大学客員教授の座間信作氏、大阪大学大学院工学研究科教授の長谷川和彦氏)。
・地震の揺れは最大、震度6強。激しい揺れが湾岸の石油コンビナートを襲う。そこに押し寄せる最大高さ5mの津波。コントロールを失った大型船がコンビナートに乗り上げる。船の衝突でガスタンクが破壊され、漏れたガスや油が次々と爆発、炎上する。
・更に津波は小型のタンクを押し流す。流出した油はがれきと混ざり合いながら市街地に流れ込む。漏電などで油やがれきに火がつき、次々と燃え広がっていく。現代の都市を襲う、これまでにないタイプの地震大火災。

住民の生命、それからビジネス街にも火が移れば経済活動も停滞してしまう。大阪湾の工業地帯も機能としては停止してしまう。被害としては大きい。リスクとしては高いわけです(同上)

<スタジオでの解説(3)>
・有働氏:いやーもう、こんなんやめてって、もう絶対起きてほしくないって思いますけど。これもう絶対起きないとは、言えない光景ということですか?

・関澤氏:確かにいくつもの最悪シナリオを重ねての被害想定なので必ず起きるわけではないが、東日本大震災の教訓は想定外を無くすこと。最大の場合はこういう被害が出ることを知っておく必要がある。

・有働氏:日本列島あちこち見ましても各地、沿岸部にコンビナートもありますよね?

・関澤氏:一応どのコンビナート地域でも考える必要あると思いますね。東日本大震災以降、石油コンビナート等災害防止法が改定され(法律に基づく指針では)想定に最悪シナリオも加え検討して、対策を施すべきとなっている。行政も事業所もそれを念頭に置いた対策を施しつつある。

・有働氏:こういった最悪のシナリオというのは、もちろん起きてほしくないんですが、研究現場では新しい技術で立ち向かおうという取り組みが始まっているんです。

<“地震大火災”を食い止めろ 巨大リスクへの挑戦>
・地震大火災の脅威にどう立ち向かうのか、加藤氏らは解決策を模索し始めている。この日、実験したのは火災の拡大を防ぐ新たな方法。油が海に流出したことを想定し、水を入れた容器に油を流す。その上でがれきを燃やすと、油に炎が燃え広がる。
・こうした油の燃料を抑える効果が期待されるのが「油分散剤」と呼ばれる粉末。油を吸収する能力に優れた特殊な成分でできている。油に混ぜて火をつけると、火は油に燃え移らない。炎の大きさや燃焼時間も大幅に抑えられることが分かった。
・加藤氏が描く将来像。強い揺れを感知するとタンクから油分散剤が噴射される。津波が押し寄せると、水面に浮いた油分散剤は波でかき混ぜられ油を吸収。その後、水中に沈んで油が火がつくのを防ぐ仕組みだ。
・さらに津波でタンクが流されるのを防ぐ装置の開発にも取り組んでいる。フレキシブルパイプという、しなやかな棒を何本も並べた装置。タンクの前方に設置し、津波の威力を軽減しようというのだ。
・まずはフレキシブルパイプがない状態で100分の1の大きさのタンクに高さ5mに相当する津波をぶつける。タンクが押し流されて防油堤に引っ掛かり転倒した。ここでフレキシブルパイプをタンクの手前に設置するとどうなるか?実験ではタンクにかかる津波の力が最大で45%軽減された。
・そのメカニズムは、上から見ると津波を受けたパイプの後ろにいくつも小さな渦が発生。この渦が津波の力を分散し、威力を弱める。
・加藤氏の構想では石油タンクの手前、50mの海底にフレキシブルパイプを折り畳んだ状態で設置。強い揺れを感知するとパイプに空気が送り込まれ、僅かな時間で海上に突き出して津波からタンクを守る計画だ。

これまでは津波火災を防ぐ方法はないと、みんなおっしゃっている。新しい技術を持ってこない限りは出来ない。やっぱりエンジニアとして何らかの解決策を出さないと、エンジニアの魂が許さない(加藤氏)

<スタジオでの解説(4)>
・有働氏:フレキシブルパイプという津波そのものの強さを軽減させようという取り組みまで考えてらっしゃるというのに、びっくりしたんですけど…。

・関澤氏:重要なことだと思いますね。他にも色々な方策も考えられると思いますので、研究者の方々あるいは技術者の方々が協力して、いろんな方法を今後も研究していく必要があるというふうに思います。

・有働氏:起こさないためにも…災害を。そして命を守るためにも。

・関澤氏:ただ問題はコンビナートだけではない。東日本大震災では普通の市街地で津波火災が多数起きた。初めての経験だったんですけども、これが新たな地震に起因する火災の問題が突きつけられた。

・有働氏:「コンビナートないから大丈夫だわ」じゃなくて、沿岸部はもうとにかく津波火災については気をつけていかないといけないということ。

・関澤氏:そうですね。

・有働氏:そうすると、津波が起きました。どういう避難をするのが一番正しいですか?

・関澤氏:それはもう「一刻も早く逃げる」という津波避難(の原則)と基本的に一緒。津波浸水域から離れれば、津波からも津波火災からも安全。まずそれを考えてほしいんですね。もし寝たきりの人で遠くに動かせないといった場合には、最寄の津波避難ビルに逃げていただく必要があるんですけども、津波火災まで考えると6階以上あるビルに行くことが安全。

・有働氏:最悪のシミュレーションも見てきたんですけども、途方に暮れるんじゃなくて、やっぱりそれでも諦めずに自分に何が出来るのかっていうのを考えなきゃいけないんだなって、あらためて突きつけられた気がするんですけども。

・関澤氏:火災は対策がとれる災害。規模が小さいときにそれぞれの地域で1件でも2件でも消していけば、それが市街地火災を減らす。消防隊が活動しやすくすることに繋がる。決して諦めずに、まず身近なところから対策を考えるということをしてほしいというふうに思っています。

・有働氏:私たち自身も巨大災害を止めることも減らすこともできる一人になることもできるということですね。

・関澤氏:そういうことですね。

<“地震大火災”を食い止めろ 巨大リスクへの挑戦>
・東京湾に浮かぶ人工島にコンビナート火災の消火技術を学ぶ訓練施設がある(第二海堡消防演習場・千葉県富津市)。次なる危機に備えようと、特殊な訓練が繰り返されている。
・参加しているのは、石油コンビナートの防災担当者や現役の消防士たち。油やガスを大量に燃やして、実戦さながらの状況がつくり出される。大火災に至る前に、どうすれば炎を制圧できるのか。熱や煙を肌で感じながら、技術と戦略を学ぶ。

何百回、何千回と火を消した経験、その能力を高めることが、きっと来るであろう次なる災害の最大の備えの方法である(海上災害防止センターの萩原貴浩氏)

・確実に迫る次の巨大地震。地震火災から命を守るために。最前線では炎との闘いが続く。

(2017/1/25視聴・2017/1/25記)

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【空から日本を見てみよう+】茨城県取手~常総

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【空から日本を見てみよう+】
「茨城県取手~常総」

(BSジャパン・2017/1/24放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

つくばエクスプレス

 つくばエクスプレスと関東鉄道とは数年前に乗車したことがあります。地磁気観測所との兼ね合いで常磐線やつくばエクスプレスが交流電流だったという話は(不覚にも)初めて知りました。「鉄ちゃん」なら知ってなければならない話ですね…ちょっとびっくりポンな話でした(苦笑)

関東鉄道

 そしてこちらは関東鉄道。ディーゼルのいい音がする列車でした。「電車」ではありません「列車」です。さらにいえば「キハ」です。床の下のディーゼル音を聞くと思わず耳を当てて聞いてみたくなってしまいます(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<茨城県取手市周辺>
・人口:105,904人(県7位)面積:69.94平方キロメートル(県33位)(2016年11月1日現在)
・「鳥手羽かくれんぼ」がご当地グルメ(取手は昔「鳥手」と表記されていた)
・東京化研。漁業用フロートのシェア3割、年間約3万個を製造。
・古利根沼。1907年からの改修工事で利根川の流れを現在のように変更。その結果、蛇行部分が古利根沼として残り、小堀地区は取手市のまま川の北側の市街地と川で分断されることになった。
・1655年創業の田中酒造。「君萬代」を製造。
・円匙を製造している矢羽根本家。円匙とは鋼板で先端に刃がついた土農具。
・井野団地。「とくいの銀行」という住人が自分の得意なことを登録し別の人が登録した得意なことを依頼できる取り組みが行われている。団地は約2200戸の1割が空き家。その空き部屋を利用し宿泊型アートイベント「サンセルフホテル」を行っている。
・取手アートプロジェクト。東京藝術大学取手キャンパスがあることから「アートのまち取手」としてまちづくりを展開中。
・日清食品関東工場。
・東京鐵骨橋梁。1914年、清水満之助本店の鉄工所として創業。1928年、五反田駅乗越跨線橋を製作。瀬戸大橋や東京湾アクアライン、高層ビルなど数多くを手掛けている。

<茨城県守谷市周辺>
・人口:65,614人(県15位)面積:35.71平方キロメートル(県41位)(2016年11月1日現在)
・県内一の人口密度(2015年)
・シーフードレストラン メヒコ。中庭にフラミンゴがいる。
・つくばエクスプレス総合基地。TX-1000系、TX-2000系の検査・修繕を行っている。
・レストランのさくら坂VIVACE。イタリアのトスカーナを再現している。
・サクマエンジニアリング。二輪車の横に一輪の車台を取り付けた変則的な三輪車「サイドカー」、3つの車輪が二等辺三角形に配置されたオートバイ「トライク」を製造している。
・古民家松本邸。農業体験のほか宿泊することも可能。

<茨城県つくばみらい市周辺>
・人口:49,941人(県22位)面積:79.16平方キロメートル(県29位)(2016年11月1日現在)
・相撲の立浪部屋がある。
・関東鉄道水海道車両基地。常総線で走行する53両全ての検査や修繕などを行う(2016年12月末現在)。私鉄としてはディーゼル車両の保有台数は日本一。
・関東鉄道は地磁気観測所の観測データに影響を与える可能性があるため電化はしていないという。首都圏を走る電車は通常直流電源。常磐線は取手駅以北では影響を与えない交流電化方式を採用。つくばエクスプレスも観測所に近い守谷駅以北は交流電化方式に対応できる2000系車両のみを使用。

<茨城県常総市周辺>
・人口:60,878人(県16位)面積:123.64平方キロメートル(県20位)(2016年11月1日現在)
・パン・デ・カーザのブラジルパン(50円)が大人気。

(2017/1/26視聴・2017/1/26記)

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【NNNドキュメント’17】拝啓 泣き虫かあさん~阪神・淡路大震災から22年~

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【NNNドキュメント’17】
「拝啓 泣き虫かあさん~阪神・淡路大震災から22年~」

(日本テレビ系列・2017/1/23放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 阪神・淡路大震災から22年。2年前は「節目の年」ということで特集番組が多かったのですが、22年という今年はそういう番組は少なかったような気がします。それは仕方ないと思うべきなのか、それとも嘆くべきなのか…非常に微妙な思いですが、それでも家族を失った人たちにとっては何年経ったとしても、大切な人を失った悲しみを再確認するときであることは間違いありません。

 今回ドキュメントで取り上げられた加藤貴光さん。もしご存命だったら43歳。まさにこのブログ主と殆ど同い年です。何だか22年前のあの時を思い出してしまいました。私は関東にいて震災をテレビの臨時ニュースで知ったわけですが、当時はあれこれと私事がバタバタとしておりまして被災地に駆けつけることも出来ず、ボランティアをしたい気持ちを抑えつつ状況を見守っていたのを記憶しています。

 そんなことを思い出していたら、22年という年月があっという間に感じてしまいます。そして東日本大震災もあり、ますます阪神・淡路大震災の記憶が薄れてしまわないか心配です。神戸の追悼施設にはまだ訪れていないので、まずは「忘れない」という思いを持ちつつ訪れなければと思います。来年の1月17日までにはぜひ…と思います(一応「努力目標」ということで)。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・今年も巡ってきた1月17日、阪神・淡路大震災追悼の日。あの朝と同じ凍てつく寒さの中、祈りを捧げる女性がいた。加藤りつこさん(68)は「かあさん」と呼んでくれる一人息子を失った。
・「将来は国連の職員として働きたい」。大学生だった加藤貴光さん(当時21)は大きな希望を抱いていた。その夢は押しつぶされた。
・来る日も来る日も泣き続けた。心から笑える日はもう二度と来ない。そんな、かあさんが大切にしている1通の手紙。大学へ入学する直前に貴光さんから渡された。

あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。

・手紙が多くの出会いを生んだ。その出会いが希望へと繋がった。泣き虫かあさんが歩んだ22年の記録。

<阪神・淡路大震災で息子を亡くした女性>
・広島市の郊外に夫と暮らす加藤りつこさん。かあさんが毎朝、欠かさないことがある。貴光さんの写真に水を供える。一人息子の貴光さんは、うし年生まれ。優しいけれどしんの強さを持った息子をかあさんは「うしくん」と呼んだ。
・広島から神戸大学に進んだ貴光さん。ある志を持っていた。23年前に開かれたセミナーの映像が残されている。

こんな世の中では、人間せっかく言葉がしゃべれるのにもったいないではないかと思いついたのが、まだ若かりし頃、高校生の頃でして

・高校時代、湾岸戦争の映像に衝撃を受けた。「将来は国連の職員として世界平和に貢献したい」。しかし、この僅か1か月後…。1995年1月17日、阪神・淡路大震災。最大震度7の揺れに街は一瞬にしてがれきと化した。犠牲者は6434人。
・大学2年生だった貴光さんが下宿していたアパート。部屋があった2階部分は完全に押しつぶされた。震災から3週間後。

うつぶせになってた子どもをね、私も見るに見かねて…。うつぶせでしんどそうに見えるんですよね。だから「上に向けてやって」って「あおむけにしてやって」って頼んだんですよ(加藤りつこさん・当時46)

苦しそうな顔に見えましたね。無念そうな顔に見えました(父・宗良さん・当時44)

<亡き息子が通った喫茶店の店主との交流>
・震災後、かあさんが訪れるようになった場所がある。貴光さんが高校時代、通学路で見つけた高台に立つ喫茶店(広島市安佐南区の「赤い屋根」)。ここからの眺めが神戸の街並みに似ていると、大学に通う貴光さんに教えてもらった店だ。店を営む河手靖子さんの目に映ったかあさんの姿。

あのときは、もう自分の生きてることすらどうでもいいっていう姿に表れてましたよね。だからもう、励ますこともできませんよね(河手さん)

・悲しみに沈むかあさんに河手さんは…。

黙って座っていたら、いつもコーヒーカップを2つ揃えてくれる。2つのコーヒーカップに珈コーヒーを注いでくれる。貴光くんと一緒にどうぞと言ってくれる。その言葉が私にとって救いだった(りつこさん)

・河手さんの前なら思い切り泣くことができた。

<息子が残してくれた手紙>
・そんな、かあさんを支えたものがある。貴光さんが大学に入学する直前に手渡してくれた手紙。書き出しは改まって「親愛なる母上様」。

私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること…。
この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
私は精一杯やってみるつもりです。
あなたのそしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。
翼のはえた“うし”より


心が折れて、もう死んでしまいたいって何度も思いましたけど「あなたを母にしてくださった神様に」って、あの子がここまで言ってくれてるのに、私がこんなことじゃいけない(りつこさん)

・うしくんの手紙は思わぬ形で広まることになる。

<息子の手紙が縁で付き合いが始まった友人>
・息子が母に残した感謝の手紙。テレビや新聞で取り上げられ、大きな反響を呼んだ。そして出会いを紡いでいく。この日、かあさんは広島から神戸に住む松本久子さんを訪ねた。
・松本さんの娘・裕美子さんは大学時代、貴光さんと同じ国際交流サークルに所属。被災したものの無事だった。貴光さんの手紙をテレビで知った松本さん、かあさんにこう呼び掛けた。

子ども同士が親友であったんだから、私たちも親友になりませんか?っていう(松本さん)

・互いの家を訪ねるようになった2人、家族ぐるみの付き合いが始まった。松本さんが大きな支えとなる日がある。最もつらい1月17日、松本さんが毎年寄り添う。

神戸の間へ来ると冷たくてすごくつらいんだけど、彼女の温もりがあったから神戸に足を踏み入れることができた。彼女の存在なくして今の私はないと思ってます(りつこさん)

<手紙に歌をつけてくれた音楽家>
・震災から12年、かあさんにとって転機となる出会いがあった。音楽家の奥野勝利さん、貴光さんの手紙に心を打たれて曲をつけた。

一人の亡くなった人の手紙が、生きている今の僕たちに訴えるものっていうのはたくさん意味があると思うんですけど…。生きているんだから出来ないことはない。そういうことをこの手紙は僕たちに教えてくれている気がしちゃってならないんですよね(奥野さん)

・かあさんが奥野さんと一緒に始めたこと、歌とともに全国を巡る講演活動。息子から託された命のメッセージをもっと多くの人に届けたい。

<東日本大震災の被災者と寄り添って>
・阪神・淡路大震災から16年後。2011年3月11日、東日本大震災。かあさんの脳裏にあの日がよみがえる。その翌年、かあさんは生徒2人が津波の犠牲となった福島県立いわき海星高校を訪ねた。

私と同じ苦しみがいちから始まる人がいるということ。それを考えたときに何か出来ないかな、応援が出来ないかなって思い始めたのが、その頃でした(りつこさん)

・同じ苦しみを体験したからこそ寄り添えるはず。かあさんが伝えたかったことがある。

とことん落ち込み、へこんで、立ち上がれない状態に奈落の底に落ちている人間には、どんなものも力にならないんです。私の力になったのは、やはり出会いによって得た感動だったんです。その感動の出来事によって一歩前に進んでた。その繰り返しによって立ち上がったんです(講演するりつこさん)

亡くなった家族の人の気持ちがすごい伝わってきて…。私もちょっと泣いちゃったんですけど(被災した女子高校生)

震災を受けた者同士しか通じ合えないとこもあると思うんで、そういう繋がりはやっぱり大事にしたいです(被災した男子高校生)

・かあさんはチャリティーイベントを開き、収益金を寄付してきた。現地にもたびたび足を運び、被災者の声に耳を傾けた。広がる交流の輪、そこからまた新たな出会いが生まれる。

<高校生との交流で息子の夢が叶う>
・広島県福山市にある盈進学園、生徒たちは東日本大震災の被災地支援や核兵器廃絶に向けた活動をしている。かあさんとは被災地支援で親しくなった。
・核のない平和な世界を目指したい。それは国連の職員を夢見た貴光さんの思いにも重なる。そんな生徒たちが核廃絶に向けたスピーチをするため3年前、初めて国連に向かうことになった。
・この日、学校を訪ねたかあさん。生徒たちに手渡したのは、貴光さんの写真。最愛の息子が夢にまで見た場所へ向かう。その3日後、ニューヨークの国連本部。核兵器廃絶を訴える生徒の傍らには、貴光さんがいた。

ものすごい感動して、念願の国連の中に入れたんだなっていう、そういう素晴らしい思いをさせていただいたのが…(りつこさん)

・貴光さんは生徒たちとともに3年にわたって国連の門をくぐった。

<これまでの思いを綴った本を出版>
・一昨年11月、かあさんが自ら書いた本が完成した。表紙は盈進学園の生徒が描いてくれた。翼の生えたうし、貴光さんが羽ばたこうとしている。本に書いたのは、最愛の息子を失った絶望の日々。息子の手紙が紡いだ出会い。そこから生まれた生きる希望。

希望という言葉さえ、最初は使いたくなかったですからね。以前の私だったら。希望という言葉をこういうふうに使いたいと思う自分がいることが、何かすごい奇跡みたいな気がしますね(りつこさん)

・かあさんは最初の1冊を息子に捧げた。

<「もう一人のお母さん」と言ってもらえる>
・この日、神戸の街にやって来たのは盈進学園の生徒たち。犠牲者の名が刻まれたその場所で見つけたのは加藤貴光さんのプレート。貴光さんへの思いを手紙にしたためた。

親愛なる加藤貴光さんへ
貴光さんも私も母に大切にされていますね
とても幸せなことだと心から思います
私はお母さんが2人いるので
愛が2倍なんですよ
実母とりつこお母さん
それはまさにベリーラッキーギャルなんです
これからも妹として可愛がってくださいね
よろしくお願いします
(盈進学園 松田殊里さん)


・「りつこお母さん」そう呼んでくれる子どもたちが今、ここにいる。

<息子の誕生日と命日 前を向いて生きていく決意を>
・去年12月20日、かあさんは喫茶店「赤い屋根」にいた。この日は貴光さんの43歳の誕生日。テーブルにはコーヒーカップが2つ並んだ。

43歳のあの子に会ってみたいわ(りつこさん)

・またあの日が巡ってくる。1月17日午前5時46分。今年もかあさんの傍らには松本さんがいた。そしてもう1人、かあさんと慕う高校生も。やっぱり涙はこぼれる。それでも前を向いて生きていく。

拝啓 泣き虫かあさん
あれから22年が経ちました


(2017/1/26視聴・2017/1/26記)

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【明日へ―つなげよう―】進め!廃炉ロボット~福島第一原発に挑む若者たち~

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【明日へ―つなげよう―】
「進め!廃炉ロボット~福島第一原発に挑む若者たち~」

(NHK総合・2017/1/22放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 廃炉まで40年掛かると言われている福島第一原発。しかもその方法に目処が立っていないという深刻な状況は変わりません。それだけ原子力発電というものが、ひとたび事故を起こせば取り返しがつかないほどリスクの高いものだということは言うまでもありません。

 NHKスペシャルなどでも廃炉内で活動させるべくロボットの開発を進めている話が出ていますが、それも現状ではなかなか上手くいっていない。そんな中で高専の学生たちによるロボットコンテストがあったというニュースを知り、私は「大人たちの撒き散らしたツケを子どもたちに押しつけるつもりなのか」と最初は懐疑的に思っていました。

 しかし今回のドキュメントを観てその考えが変わりました。ロボットなど科学技術を担うのはもちろん若い世代だということ。そして当事者である学生たちが決してレクリエーション気分でやっているのではなく、福島に思いを寄せ真摯な気持ちで取り組んでいる姿を観たからです。

 そう遠くないうちに創造的なアイデアで原子炉の内部を解明できるロボットが開発され、そして溶けた核燃料(デブリ)が除去できるような道筋が開けてほしい。むろんそれが最優先課題で、日本の技術力の総力を挙げて取り組んでほしい。そう切に願います。他の原発を動かしている場合ではないはずです。

 番組の中で唯一気になったことがありました。学生を福島第一原発の現場に近づかせること自体は私はすべきでなかったと思いました。彼らにリアルに目で見て感じてもらいたいという意図があったかもしれませんが、線量が下がってきているとはいえリスクのある場所です。NHKも「本人の希望」「保護者の承諾」と一言添えていましたが、それがあったとしても主催者はそのリスクを回避すべきだったと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・竜のように身をくねらせて浮かぶ謎の物体。ビルの3階ほどの高さまで伸びる怪しいカメラ。実はこれは原子力発電所を調査するロボット。作ったのは20歳前後の若者たち。去年12月、日本で初めての廃炉創造ロボコンが行われた。
・目的は東京電力福島第一原発の廃炉に役立てるため。原発の内部は放射線量が高く、ロボットに頼らざるをえないのが現状。しかし状況は未だに把握できていない。今後40年以上かかる廃炉を支えるには、若い力が必要。

(事故の起きた)福島第一という廃炉でいちばん難しい問題。困難に立ち向かう技術的な課題に立ち向かえる学生を育てたい(福島高専の鈴木茂和准教授)

・「まずは現実を目に焼き付けてほしい」。バスは福島第一原発に向かう。連日6000人の作業員が終わりの見えない闘いを強いられている。
・大会では高い放射線量を想定して、ロボットは全て遠隔操作。あまりのハードルの高さに、参加を決めたときの気持ちを見失うことも。悩みながらも最後に掴んだ大切なものとは…。廃炉ロボコンに懸けた若者たちの3か月。

<昨年夏、高専の学生たちが福島に集まった>
・2016年8月、福島県いわき市。廃炉ロボコンに参加する若者たちが全国から集まった。技術者を目指し高等専門学校で学ぶ学生たち。本番は12月、その前に廃炉の現状や課題について学ぶサマースクールに参加する。
・ロボコンの会場となるのは、楢葉遠隔技術開発センター。高さ40m、サッカー場がすっぽり入るほどの巨大な施設。原子炉格納容器の模型、実物と同じ大きさだ。ここでは大学や企業が原発で利用するロボットの実験を繰り返している。まさに廃炉研究の最前線。
・廃炉ロボコンでは競技を行う場所を次の2つから選ぶ。一つは原子炉に通じる階段(モックアップ階段)。高さも段の数も忠実に再現されている。
・もう一つは、がれきをイメージしたでこぼこ道(ステップフィールド)。いずれも高い放射線量を想定し、遠くからロボットを操る。
・各チームに与えられる予算は一律20万円。それ以上かかると持ち出しになる。高価な部品に頼らず、斬新なアイデアが求められる。
・メンバーは1チーム3人まで。全国から15チームが参加する。北は旭川、南は熊本。殆どの高専生が福島に来るのは初めてだ。

朝6時に起きて来ました。遠かったです(旭川高専)

思っていたより家とか建っていて都会。人がいっぱい住んでいる(北九州高専)

・参加する動機は様々。こんな学生も…。

テーマを先生が決めていて、それに学生が食いついていく感じ(高知高専)

サッカー部とダンス部なんで、何も知らない状態(高知高専)

・その中にひときわ情熱を注ぐ若者がいた。

この研究がいちばんこれからの日本にとってためになる(奈良高専5年の外山仁大さん)

・実は外山さんはロボコンの世界ではちょっとした有名人。1987年から毎年行われる高専ロボコン。2015年の課題は「輪投げ」。当時、外山さんはロボットの設計を担当。更に部長としてチームを引っ張った。その結果、奈良高専は悲願の初優勝を果たした。
・解決されていない難問にこそやりがいを感じるという外山さん。以前から福島第一原発の廃炉に強い関心を持っていた。

どうしたらこの問題に携われるか。もうこれは絶好のチャンスやと。1日でも早く元の生活に戻っていただきたい。少しでも役に立つロボットを作ろう(同上)

・15チームのうち唯一、1人で参加している学生がいる。富山高専5年の市井紗也加さん。

ますます焦ります。(実物)見て焦ります(市井さん)

・市井さんは何とロボットを作るのは今回が初めて、見るもの全てが新鮮。

スピードを100分の1にするやつみたいで、こっちの入力の軸を100回回したら、こっちのでっかい軸が1回転するというやつらしいです。4万5000円。4万5000円あったら…東京行って好きな服をたくさん買って帰ってきますね(同上)

・本人いわく、どちらかというと勉強よりファッションや旅行が好きなんだとか。でも一昨年10月、友達に誘われて行った福島で人生を変えるほどの衝撃を受ける。

(国道6号線の)この看板見てびっくりしたのが、体が直接出た乗り物だったら通行禁止。今、自分が当たり前のように生活しているというのが、ここでは当たり前じゃなくてというのを考えたら、何かすごい…。涙が出てきちゃいました、初めて見たときは(同上)

・市井さんは復興の力になりたいと、福島で就職することを決意。福島第一原発の廃炉に携わる研究機関から内定をもらった。ところが…。

(周りの人からは)反対しかなかった。お父さんとかにおいては、もう冗談だと思って相手にもしてくれないし。口きかなかった期間とかあった家族と(同上)

・廃炉ロボコンで結果を出して家族を納得させたい。市井さんの秘めた思いだ。
・サマースクール初日の夜。学生たちを集めたのは福島高専の鈴木茂和准教授、廃炉ロボコン発案者の一人だ。

若い高専生だと面白いアイデア、技術者・研究者が考えないアイデアを考えてくれる。現場で本当に使えるような(ロボットの)コンテストにしたい(鈴木氏)

・福島第一原発の廃炉。国が費用を投じ、企業や研究機関がこぞってロボットを開発しているが、内部の状況は詳しく把握できていない。しかも原子炉建屋に投入された約40台のロボットのうち6台は回収できない状態。まだまだ技術革新が求められる廃炉作業。若者たちにその必要性を訴えるのが、廃炉ロボコンのねらいだ。

<福島第一原発の視察で学生たちが感じたことは…>
・いよいよサマースクールの一大イベント。福島第一原発の視察。

ロボットの完成度を高めてもらうというのと、あと福島第一の廃炉に興味を持ってもらう。本物見ないと分からない(鈴木氏)

・今回の視察は高専生たち本人が希望し、保護者からの承諾を得たうえで行われた。いわき市からバスで1時間半、福島第一原発に到着した。一人ずつ線量計を身につけ、被ばく線量を管理する。
・50分のバスツアー。敷地の多くでは除染が進んだが、原子炉建屋の前はまだまだ放射線量が高い状態だ。視察を終えた後、東京電力の社員に疑問をぶつける。

核デブリを除去する方法について、上から穴を開けるか横から穴を開けるか(都立産業技術高専4年の小柏悠太郎さん)

中の状況がどんなことになっているのかということで、ロボットを入れたりあるいはミューオン、宇宙線を使って中を見るようなことをしている(東京電力の田中達氏)

内部の状況が分からない限り、どの工法が最適かというのはまだ判断できない。来年度中には方針を決めていく予定(東京電力の廣瀬大輔氏)

燃料デブリの取り出し以外の用途で、ロボットが活躍する予定はあるか(奈良高専の外山仁大さん)

目的が決まって、このエリアをこう使いたいとなると、遠隔ロボットを使うことがはっきりしてくる(東京電力の小森明生氏)

・企業や研究機関が英知を結集しても解決法を見い出しきれない廃炉問題。壁の大きさを実感し、高専生たちは苛立ちを隠せなかった。

でも結局ここの中の話を聞きたいけど、誰もここの中の何だろう100%正しい情報というのは…自分の目で見たわけではないし、デブリの状況がどうなっているか知らない状態。

それを探索するためのロボットを作る。

いちばん技術を持っている人がそれに立ち向かっていけない。廃炉ロボコンって「君たちのアイデアがほしいんだ」みたいな感じ。若手のアイデアってそこまで重要なのかなって、ときどき思う。

・みんなの議論を違う気持ちで聞いていた学生がいる。地元・福島高専4年の糸井雄祐さん。

廃炉は福島県民の僕らだけの問題だと思っていた。このサマースクールに参加している学生の意見とか聞いてみると、結構その廃炉について興味を持ってくれてて、日本全体の高専生が考える廃炉みたいになっていて結構うれしい(糸井さん)

・いわき市出身の糸井さん、震災当時は中学1年生だった。高さ7mを超える津波は祖父母の家を押し流し、通っていた学校の校舎に迫った。

津波で流されたものがその辺に、このグラウンド一帯に転がってる状態で、本当にこれが四倉中学なのかなと思いました、最初は。全然違ったので、グチャグチャで(同上)

・そして原発事故が発生。以来、福島出身の糸井さんには原発の話題が付きまとう。

高専ロボコンやってると、そういう交流会みたいなのがあるんですけど、そのときにその同級生の友達とか先輩とかに「原発のとき大丈夫だった?」結構ありましたね。大丈夫でしたみたいに言う。5年も経っているので普通に話せたらいいな。言われずに話したいなみたいなのがありますね(同上)

・「廃炉ロボコンが福島のイメージを変えるきっかけになれば」糸井さんの願いだ。

・2泊3日のサマースクールが終了。廃炉ロボコンが開かれるのは12月、福島での再会を誓う。

<ロボット制作を進める学生たち>
・大会まであと1か月、奈良高専の外山さんたちのチームがテスト走行に入る。一昨年のロボコンを制した外山さん、ロボットの仕上がりに自信がうかがえる。
・奈良高専のロボットは、ベルトを回転させるクローラーという仕組みで前に進む。後ろ側には足の動きをするパーツを取り付け、前後の力で推進力を得るアイデアだ。
・いよいよ階段で試すが、1段目が登れない。後ろの足が滑ってしまう。階段を登れない。でも外山さんが悩んでいるのは、それだけではなかった。「福島の復興のために」という気持ちが、いつしか重荷になっていた。

最初このロボコンに参加することで、福島の方々が良くなったらいいなって活動していた。自分の気分が乗り切れなくなって、おかしいところがあるなって思いだした(外山さん)

・人のため?それとも自分のため?外山さんは、ものづくりの目的を見失いかけていた。

・一人で廃炉ロボコンに挑んでいる富山高専の市井さん。彼女も壁にぶつかっていた。設計ミスでロボットが思い通りに動かない。長時間に及ぶ孤独な作業、体も気持ちも追い詰められていた。

最近は10時半まで学校で作業して、家に帰って疲れて寝てみたいな。家帰ってリビング入って「ただいま」って言っても真っ暗。家族とあんまり会わなくなっちゃいました。みんなでご飯とか食べてない。正直、ロボコン早く終わってほしい(市井さん)

・大会が迫る中、市井さんは久しぶりに母と外出した。成人式の写真を撮るためだ。

大人っぽくてびっくりしました。我が娘ながらかわいいです。この前、生まれたような感じで、それがあっという間に大きくなって。何かうん、感激です(母・倫子さん)

・母の倫子さんも福島での就職を反対していたが、娘の頑張りを見て応援する側に。それでも…。

さみしいですね(同上)

・「見守ってくれる家族を安心させたい」。市井さん、初心を思い出す。

面倒くさいこと嫌い。物事が長続きしない。何からも逃げてきて、楽な道ばっかり選んでいた自分とはバイバイ。途中ではやめられない。自分で決めたこと、やり遂げたい(市井さん)

・地元・福島高専の糸井さん、ロボットの最終チェック。特徴は4つのクローラー。360度回転するサブクローラーを段差に引っ掛けながら、メインクローラーでロボット本体を引き上げ階段を登る。機敏な動きを実現した。

いや、よかったです。あの段階でいけば、たぶんずっと登っていける(糸井さん)

・ロボット作りを進める中、糸井さんには気になるニュースが相次いだ。原発事故のため福島県外に避難した子どもが避難先でいじめを受けていた。

本当にそんなことをする人がいるんだなと思って。別にその子が悪いわけではないのに。(被災者に)なりたくてなったわけではない。ちょっと信じられない(同上)

・糸井さんも原発事故の直後、父の実家がある神奈川県に避難した経験がある。家族で悩んだ末の決断だった。

震災で実家帰ってきたときにずっとテレビ見てて。もう原発が煙上がってる、爆発したってなってきたときに、どうするといったときに結局、子どもらに動揺を与えちゃいけないかなと思ってて(父・亮平さん)

どうなっちゃうんだろう、これから先。私たちこれからどうすればいいんだろうって、そういう
不安だけがありましたね(母・広江さん)


・原発事故から5年経ってなお、いじめが起きる福島の現実。「廃炉ロボコンでイメージを変えたい」思いは一層強まった。

廃炉は他の人から見たらマイナスなイメージ。プラスなイメージが全くないので、廃炉創造ロボコンを学生たちがやっているんだと思ってもらって、福島に良いイメージを与えられるようなロボコンにしていきたい(糸井さん)

<大会当日、学生たちの制作したロボットは…>
・2016年12月3日、廃炉ロボコン当日。福島の会場に全国から約40人の高専生が集まった。廃炉ロボコンが開幕された。
・ロボットは放射線量が高い原発建屋に投入されることを想定している。そのため操作はロボットから5m離れたテントの中。ロボットに付けたカメラの映像しか見られない。しかも建屋の中は真っ暗で、ロボットの照明だけが頼り。それに合わせ視野を狭める。この厳しい環境の中、階段の上やがれきの中の物体を調査するのがミッションだ。
・2台のロボットを繋ぐというアイデア。押したり引っ張ったりし合いながら、がれきを越える(大阪府立高専)。
・主催者の意表をつくアイデアも。2階にある物体を調査するのに階段を登るのではなく、上からのぞき込むロボット。高さ8mまで可能(東京高専)。
・一方、アイデア倒れに終わるチームも(仙台高専)(北九州高専)。
・あるロボットはがれきを避け、飛行船のように上空から調査しようというのだが…途中でヘリウムが抜けてしまい万事休す(舞鶴高専)。
・そしていよいよ地元の福島高専が登場。4つのクローラーを使って登り始める。

サブクローラーの動きは非常に良い。またパワーもありそう(実況)

・ところが学校の階段は登れたのに、なかなか上がれない。本番の階段には滑り止めがなかったためだ。

悔しいよ(糸井さん)

・各チームとも思うような結果を出せない中、奈良高専の学生たちはギリギリまで調整を続けていた。後ろ側に作った足をやめ、車輪に替えていた。滑らなくなり、学校の階段はクリアしている。
・しかし本番前のテストでは、手すりを掴みロボットを安定させようというアイデア。設計ミスで高さが合っていない。クローラーにつけた滑り止め、階段との摩擦で剥がれてしまった。
・本番を迎えた奈良高専。着実に階段を登っていく。手すりを掴む高さを調整し、安定させようとする。踊り場まであと少し。しかしクローラーの滑り止めが剥がれてしまった。
・会場からは、この日一番の拍手が送られた。

・最終競技者は富山高専の市井さん。担当教員の金子慎一郎准教授に手伝ってもらいながら徹夜をして、何とかロボットを完成させた。
・市井さんのロボットの特徴は、切り離し可能な無線LAN。厚いコンクリートに覆われた原発内部には電波が届かない。無線LANを建屋内部で切り離すことで、より遠くまで遠隔操作を可能にしようという画期的なアイデアだ。とはいえ作るのに精一杯。操縦の練習は出来なかった。

この画面しか本番では見えないので激ムズですね(市井さん)

・慎重に、慎重に…。しかしロボットが操縦不能に。

・15チームのアイデア勝負が終わった。階段を最も上まで登った奈良高専は優秀賞を獲得。「誰のためにものを作るのか」。考え続けた外山さん、答えは見つかったのだろうか。

自分の満足いくものを作っていきたい。その気持ちが強い。人のためとかじゃなくて、自分たちに最優秀あげられるようなマシンを作っていきたい。(廃炉や復興は)半端な気持ちで突っ込むところでもない。正真正銘その気になれば、いこうと思っています(外山さん)

・クローラーの動きの良さが評価された福島高専の糸井さん。今回のロボコンが福島のイメージを変えるきっかけになっただろうか。

(原発事故の)イメージは払拭まではいかない。いいイメージにもっていけたのかな。廃炉からみんな遠ざかっていく一方なので、やりたくないとか。積極的に廃炉に取り組んでいって、復興という形でやっていけたら(糸井さん)

・無線LANを切り離すアイデアが評価された富山高専の市井さん。

すごい駄賃もらったね。苦労したかいがあった(金子先生)

・ふるさとを離れ、福島での就職。その決意を示そうとしたロボコンだった。

人生は変わっていますよね。180度変わっています(市井さん)
(それはやっぱり良かったことですか?)
うーん、まだ今、仕事に就いていないので、いいか悪いかっていうのは今は分からないけど、現時点ではいいんじゃないか。いろんな人に反対されたけど良かったんじゃないか(同上)
(終わったら何やりますか?)
終わったらバイト。卒研やるけど、平日バイト入らなかった分、巻き返さなきゃカードの請求がやばい(同上)

・初めて行われた廃炉ロボコン。若者たちが踏み出した小さな一歩が、未来へと続く大きな一歩になりますように。

(2017/1/27視聴・2017/1/27記)

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【にっぽん!歴史鑑定】江戸・明暦の大火

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【にっぽん!歴史鑑定】
「江戸・明暦の大火」

(BS-TBS・2017/1/23放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

江戸東京博物館

町人A「おいおい聞いたか?保科正之様が天守再建そっちのけで、町の復興のために随分と力を尽くしてくれているってことじゃねえか」
町人B「ありがてえなあ」


江戸東京博物館

…なんて台詞が聞こえてきそうな江戸の町並み、こちらは江戸東京博物館に展示してある模型です(写真は私が撮影したものです)。最近NHKのBSドラマでも使われてますね。ロケセットとエキストラを使わずに台詞だけ声優さんに当ててもらえばOKですからね(笑)

 まあ、再現VTRにそれほど力を注がなくても中身がしっかりしていれば、それでいいのです。特にこの番組は江戸東京博物館の竹内誠先生の監修のもとで、しかも毎回出演される学者さんたちも錚々たるメンバー(今回は山本博文先生、あと小和田哲男先生や本郷和人先生など)ですからね。全くもって信頼して視聴することができます。

 ということで、今回は明暦の大火。「振袖火事」の逸話も知っていましたが、荒唐無稽とバッサ切りしてくれました。もちろん幕府放火説も論外でしょう。でも「阿部忠秋邸出火説」は、ちょっと怪しい(それっぽい)気がしましたね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・江戸時代前期の明暦3年(1657年)1月18日。江戸の町で発生した火災は3日間にわたって燃え続け、町を人をそして江戸城天守までを炎に包んでいった。江戸の3分の2を焼き尽くし、10万人を死に至らしめた「明暦の大火」。後の関東大震災や東京大空襲などと並ぶ、日本史上最大規模の災害となった。
・一体なぜそれほどまでに甚大な被害をもたらしたのか。当時の気象に、江戸の都市構造、さらに人々の思いやりが仇になった?
・いまだ謎が多い出火原因。うら若き娘たちの祟りか?それとも幕府の陰謀か?不可解な噂を徹底検証。
・江戸の町を蘇らせた驚きの復興プロジェクトにも迫る。名君・保科正之と「知恵伊豆」こと松平信綱がリーダーシップを発揮して推し進めた火災に強い町づくりとは。

<出火元と延焼はどう広がったのか>
・僧侶で仮名草子作家の浅井了意が記した「むさしあぶみ」に明暦の大火の様子が詳しく書いてある。それによると明暦3年1月18日午後1時頃。江戸城の北、本郷にあった本妙寺から出火したとある。現在の文京区本郷5丁目にある本妙寺坂付近。
・火は北寄りの風にあおられて南東へと燃え広がり、湯島から駿河台の大名屋敷を次々と焼いていった。人々の信仰の場でもある湯島天神や神田明神にも延焼。さらに当時、日本橋にあった遊郭・吉原や劇場が集まる地域までもが壊滅状態となった。
・午後5時を過ぎても依然として火が収まる気配がなかった。西からの風に変わったことで、火の手は東方向へ。八丁堀の通りは鍋や布団など家財道具を抱えて逃げ惑う人でごった返した。車長持という大きな台車を押して逃げる人も多く、それが通りを塞いでしまったため、更なる混乱をきたした。
・火の勢いは留まるところを知らず、停泊中の船にまで飛び火。隅田川を飛び越すと、火の手は霊岸島まで広がっていった。島にまつられていた霊巌寺は炎上。更にその先の佃島、石川島も焼き尽くした。
・霊岸島に逃げ込んだ人々は逃げ場を失い、9600人が死亡したという。また浅草橋門付近では2万3000人もの人々が亡くなっている。

<被害が拡大した理由とは>

(1)大気が乾燥し、強風が吹き荒れていた
・火事が起こった旧暦1月18日は新暦3月2日。このときの江戸では80日以上も雨が降っていなかったという。更に小型台風並みの季節風が吹き荒れ、昼間だというのに辺りが薄暗くなるほど砂煙を巻き上げていた。

(2)過密都市
・江戸開府から50年余り。その間に町は人口が急増し50万人を超えていたという。なぜ人口が急増したのか、江戸の歴史に詳しい東京大学史料編纂所教授の山本博文氏に伺った。

一つは幕府の政策にあった。寛永12年(1635年)に参勤交代を制度化して、大名たちは江戸で暮らすことを義務づけられた。大名たちは上屋敷、中屋敷、下屋敷と構えて家臣も常駐するようになった。大きな大名だと他に抱屋敷も取得していた(山本氏)

・これによって武家地は密集化が進み、更に新たな町で一旗揚げようとする商人たちが全国からやって来たため、町人地でも人口が急増。住宅の密集化により木造の建物に次々と火が燃え移って、被害が大きくなった。

(3)情報の錯綜
・さらに情報の錯綜が被害拡大を招いた。火の手が迫った伝馬町の牢獄でのこと。牢屋奉行の石出帯刀は独断である行動に出た。牢に守ると約束させ、囚人たちを解き放った。彼らは石出の処置に涙を流して感激。火災の後に全員戻ってきたという。
・しかしこの人道的措置が2万3000人もの死者を出した浅草橋門での悲劇を生んでしまった。浅草橋門にはこのとき、火災から逃れようと大勢が押し寄せていた。しかしなぜか門が閉じられていた。

浅草橋門の門番が伝馬町の囚人が脱獄したという誤報を信じて、囚人たちを外に逃さないために門を閉ざしてしまった。石出が独断で解放したこともあって、役人間の情報伝達がうまくいってなかった(同上)

・背後から迫ってくる火に逃げ遅れた者は焼かれ、門をよじ登った者は堀に落ちて溺死してしまった。堀は次々に落ちてくる人で埋まり、その上に飛び降りた者だけが助かったという。これが浅草橋門周辺で膨大な犠牲者が出た理由だった。

(4)防火体制の不備
・被害拡大の要因は防火管理体制の甘さにもあった。人口が急増し火災が多発していたにも関わらず、町はまだ火事を見つける火の見櫓も、火事を知らせる半鐘も殆ど無かった。
・さらにこの当時は「破壊消防」と呼ばれる消火方法で、火元の建物を放置して周辺の建物を片っ端から壊して延焼を防ぐというやり方だった。

(時代劇で見られるような)町火消は明暦の大火から63年後の享保5年(1720年)に設けられた。8代将軍・吉宗の時代だった。それが整備されて、いろは四十八組になった(同上)

・これら様々な要因により、甚大な被害をもたらした明暦の大火。その火が収まったのは1月19日午前2時頃。半日燃え続けた火は、四十八町(約5.3平方キロメートル)を焼き尽くしていた。大勢の人々が行方不明者を捜して町を彷徨っていたという。

<本妙寺の出火原因とは>

【「振袖火事」説】
・火事の3年前の明暦元年(1655年)1月16日、ある17歳の娘が亡くなった。両親は娘の死を悼み、生前愛用していた紫縮緬の振袖を本妙寺に納めた。しかしあろうことか、住職はその振袖を古着屋に売ってしまった。
・その1年後、娘の命日に偶然にも17歳の娘が亡くなった。聞けばあの紫縮緬の振袖を古着屋から買った娘だという。再び振袖は本妙寺に納められたが、またも住職は古着屋に売ってしまう。
・するとまた翌年も同じ、その振袖を買った17歳の娘が亡くなった。三度、振袖は本妙寺に。
・さすがの住職も気味が悪くなり、着物を燃やして供養することにした。そのとき突然、竜巻が巻き起こり火の付いた振袖が空に舞い上がって本堂に引火。

非常にドラマチックな感じがするが、後世の作り話だろう(山本氏)

【江戸幕府放火説】
・江戸の町は急激な人口増加によって、環境と治安の悪化が進んでいた。幕府は根本的な都市改造の必要に迫られていたが、大規模な立ち退きに対する補償などが障害となっていた。
・そこで故意に火災を起こし、江戸の町が焼け野原になれば新都市計画が速やかに実行できるのではと考え、時の老中・松平信綱が本妙寺の住職に火をつけさせたというのだ。

実際に大火の前年、松平信綱を中心に江戸の再開発計画が進められていた。そのためにこの説はまことしやかに伝えられているが、幕府自体も大きな被害に遭うようなことをやったとは考えられない(同上)

・出火原因が分からなかったため、様々な噂が飛び交った明暦の大火。しかし調べていくと、火元とされる本妙寺の処遇に不可解な点があった。

江戸時代に火事の原因をつくってしまうと江戸から追放されるなどの処分を受けるのが通例だった。ところが明暦の大火の後、本妙寺は火元だったにも関わらず何の処分も受けていない(同上)

【老中・阿部忠秋邸出火説】
・本妙寺は明暦の大火の後も、本郷の本妙寺坂付近にあった。取り潰しになることはなく、明治時代に現在の巣鴨に移転。出火元である本妙寺に何のお咎めもなかったことで、もう一つの説が囁かれた。

実は火元は本妙寺ではなく、隣接した老中・阿部忠秋の屋敷だったという説がある。火災の原因が老中邸からの出火ということであっては幕府の権威失墜にもなる。だから本妙寺に火元を引き受けさせたと言われている。さらに本妙寺は大火後に寺の格が上がるという厚遇を受けている。また阿部家から供養料が関東大震災までの270年間も納め続けられている(同上)

<新たな火の手が江戸城に迫る>
・48もの町を焼き、半日ほどで自然鎮火した火災。ところが再び火の手があがった。最初の火災が鎮まってから約9時間後の1月19日午前11時頃のことだった。
・火元となったのは、小石川の大番衆与力の宿所。しかし出火原因はこのときも不明とされている。北西の風にあおられ火の手は南下。水戸黄門こと徳川光圀の水戸藩屋敷(今の小石川後楽園)を焼き、外堀を越えていった。
・番町、麹町へと凄まじい勢いで火は燃え広がり、大名屋敷を次々と焼いていった。立派な屋根瓦が崩れる音は100の雷が一刻に落ちたように凄まじく、下敷きになった人たちの叫び声が響き、さながら地獄絵図。また大名屋敷から逃げ出した馬が通りの人々を蹴散らしていったため、多くの死者が出た。
・そして火の手は遂に江戸城へ。北の丸が炎上、炎は天守へと迫っていった。江戸城天守は外壁に銅板を用いるなど耐火建築だったため燃えることはないと誰もが安心していたが、正午過ぎに高さ60mを誇る日本最大の天守は火柱となった。
・猛烈な火災のときに起こる火災旋風という炎の竜巻が発生。これによって天守の窓が開き、そこから炎が入って内側から燃え広がってしまった。
・不運は続いた。近くの弾薬庫が爆発。火の手は将軍の居る本丸御殿へと迫った。幕閣たちは時の将軍・徳川家綱を何処へ避難させるかで議論となった。しかし先代の将軍・家光の異母兄弟で幕閣の重鎮である保科正之はこう言ったという。

「本丸に火が回ったら西の丸へ移ればよい。西の丸が焼けたら本丸の焼け跡に陣を立てればよい。将軍を動かすなど以ての外だ」

・一同、返す言葉もなかった。保科はリーダーである将軍が軽々しく動けば人々が動揺すると考えた。将軍は保科の提案通り、火の手が迫る本丸御殿から西の丸へと避難した。
・ところがこのとき同じ本丸御殿内にあった大奥では、迫り来る炎に女中たちがパニックに。そんな彼女たちを救ったのが老中・松平伊豆守信綱。
・女中たちは大奥以外の部屋に入ったことがなかったため、どうやって西の丸へ行けばいいか知らなかった。そこで信綱は畳を裏返しそれを道標とした。「知恵伊豆」と呼ばれた信綱の機転が大奥の女性たちを救った。
・午後4時頃、風は西風へと変わり、火は西の丸を逸れて東へと向かった。京橋付近では次々と橋が焼け落ち、逃げ場を失った2万6000人もの人々が命を落とす大惨事に。
・第二の火災がまだ猛威を振るっていたとき、現在の四谷駅近くの麹町五丁目の町家から第三の火災が発生。折からの西風にあおられて、火は西の丸下、桜田門一帯の大名屋敷、山王社、日比谷、芝・増上寺の一部を焼き、今の田町駅付近まで迫った。1月20日午前8時頃、火はようやく海岸べりで止まったという。
・3つの火元から出た火災は、3日間で江戸の6割を焼き尽くした。その被害状況は一説によると次の通りで、焼失面積は約25平方キロメートル。死者は約10万人。鎮火したその日の夜から大雪が降ったため、焼け出された人々が凍死し被害者が増えたと考えられている。

大名屋敷:  160軒
旗本屋敷:  770軒
町家  :  800町
寺社  : 350か所
橋   :   60基
倉庫  :9000か所

<被災者を救え 保科正之の決断とは>
・徳川家康・秀忠・家光と3代にわたって築き上げた大都市・江戸。しかし、明暦の大火により僅か3日間でその6割が壊滅。余りにも甚大な被害に対し、すぐさま救済策を打ち出したのが保科正之を中心とした幕閣たちだった。

【救済策(1)情報統制】
・火災が鎮火した1月20日、保科はすぐに老中・松平信綱の名で、関東一円に将軍の無事を知らせる御触書を出す。周辺諸国に正しい情報を伝え、人々を安心させるためだった。

【救済策(2)食料配給】
・そしてその翌日には江戸市中に6か所の仮小屋を建て、粥の配給を始めた。その量は1日1000俵(約52.5トン)。配給は2月12日までの約20日間続けられた。
・さらに焼けてしまった幕府の米倉の米も放出。焦げているとはいえ急場をしのぐ貴重な食料だと民衆は喜んだ。

【救済策(3)金銭援助】
・食料の次はお金。保科は大名から下級武士まで役職や階級に関わらず援助した。さらに町人たちにも16万両(約160億円)もの資金援助をしようとしたところ、幕閣たちは反対した。しかし保科は幕府の金蔵に蓄えがあるのは、このようなときに使って民を安堵させるためだと、庶民への援助を断行。

・保科はこれらの救済策を矢継ぎ早に行っていったが、実はこのとき自身も大火で大きな痛手を負っていた。跡継ぎである正頼が火災が原因で亡くなっていた。しかし保科は数日間、喪に服しただけで政務に励んだ。
・彼が行ったのは被災者支援だけでなかった。焼き尽くされた江戸の復興プロジェクトにも尽力した。安全性と利便性を優先し災害に強く、人々が暮らしやすい町にしたい。そう考えていた保科だったが、他の幕閣は違っていて江戸城天守の再建などを考えていたようだ。
・しかし保科は江戸の庶民たちのため、天守再建の費用を町の復興に回す決意を固めていた。軍備の象徴だった天守など最早、無用の長物。天下泰平の世にあってこの判断は正しかった。以後、江戸城天守が再建されることはなかった。

<江戸復興 そのプロジェクトとは>
・大火から7日が経った1月27日。幕府は町の復興に向け、江戸各地での測量を開始した。その範囲は広く、それまで手付かずだった江戸郊外の本所、深川、赤坂、麻布などにまで及んだ。
・そんな中、江戸の町ではこんな噂が飛び交った。江戸城の再建は3年間延期。材木は徳川の山林から使い、市中の材木商からは1本も買わない。しかも大名屋敷も急いで建て直す必要はないお触れも出た。
・実はこれらは保科が流させた偽の情報。このとき江戸の復興のために大量の木材が必要になると考えた材木商たちは木材の在庫を抱え込み、価格をつり上げようとしていた。
・そこで保科は機先を制して、木材を買わないという嘘の情報を流した。肩透かしを食らった材木商たちは在庫を一気に放出。価格は落ち着き、手に入れやすくなった。
・さらに保科は参勤交代の停止や期間短縮を決行。深刻な食料不足が起きていたため、江戸にいる大名やその家臣たちを国に帰すことで口減らしを図った。
・こうして災害復旧の足場固めをした保科は、いよいよ本格的な江戸の復興に取り掛かった。

【江戸復興プロジェクト(1)過密化の改善】
・保科は被害拡大の原因の一つ、過密化を改善することから始めた。まずは中心部に集まっていた大名屋敷を移転させることに。たとえば江戸城内にあった徳川御三家の尾張、水戸、紀州の3つの上屋敷は、それぞれ外堀の外へ。その跡地には建物は造らず、馬場や菜園などにし火除地とした。今の皇居・吹上御苑にあたる場所だ。
・これにより大名屋敷は玉突き的に郊外へ押し出された。青山、赤坂、麻布などはこのときに整備された居住地だ。また移転に伴い、屋敷の敷地内には以前のように建物をびっしりと建てないよう規制された。
・日本橋にあった吉原遊郭も江戸郊外、浅草の北に移転。新吉原として以後200年以上、賑わうことになった。

【江戸復興プロジェクト(2)道の拡張】
・火事の際、逃げ惑う人々で混乱をきたした通りも拡張した。日本橋通りなどのメインストリートは約2倍に広げられ、万が一に備えて真っ直ぐ道を通した。
・通りに面する商家には、それまで柱が付いた2m近い庇があったが、これを3尺(約90cm)に規制。柱も無くしたことで道がより広く使えるようになった。
・逆に居住用の町家は庇を1間(約180cm)付けることが決められ、3階建ては禁止。火災が起きたとき庇から屋根に登り、破壊消防をしやすくした。

【江戸復興プロジェクト(3)耐火建築の奨励】
・新たに建物を建てるときは茅葺きや藁葺きを避け、燃えにくい牡蠣の殻を屋根に葺いた牡蠣殻葺、外壁は土や漆喰で塗って木造部を露出させないようにした。

【江戸復興プロジェクト(4)橋の増設】
・多くの犠牲者を出したのが、人々が隅田川の東側に逃げることが出来なかったからでもあった。というのも幕府は隅田川を天然の堀としていたため、防衛上の理由から千住大橋より下流に橋を架けることを禁じていた。
・しかし大火後、幕府は橋を架けることに決めた。それが当初は大橋と名付けられた現在の両国橋。橋の西側には火除地である大きな広小路を設けた。後にこの両国広小路は簡易な見世物小屋などの営業が許され、江戸一番の盛り場として賑わうことになった。
・さらに新大橋、永代橋などが次々と架けられたことで、隅田川の東側は大きな発展を遂げていった。

・明暦の大火の復興事業によって一気に拡大した江戸。10年ほどで約1.5倍の63.4平方キロメートルまで広がった。「もはや戦国にあらず」軍事的要素を捨て去った江戸の町は、このとき平和都市へと生まれ変わったのだ。
・生まれ変わった町からは浮世絵や江戸歌舞伎など新たな文化も生まれた。それまでは上方の文化を受け入れるだけだった江戸の人たちが、新しくなった江戸の町を愛し、結束し、つくっていくぞという気持ちが集まり、その町に誇りを持つことで独自の文化を育むことになった。
・被災の悲しみ、苦しみを乗り越える強さ。新たな町をどうつくっていくのか。360年を経た今でも学ぶことは多いのではないか。

・明暦の大火の後に建てられた寺がある。墨田区両国にある回向院。道端に放置されたままになっていた犠牲者たちを目にした心を痛めた保科正之が創建させた。彼らを供養するために。

(2017/1/27視聴・2017/1/27記)

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【ドキュメント72時間】宮崎 路上ピアノが奏でる音は

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【ドキュメント72時間】
「宮崎 路上ピアノが奏でる音は」

(NHK総合・2017/1/27放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 宮崎市の繁華街に置かれた1台のピアノ。誰もが自由に演奏できる、しかも24時間開放されている(イタズラしたり壊すような愚か者など、おそらく宮崎には居ないのでしょう)。それだけ地元の人たちに愛されているんだということが実感できました。とても素敵な光景を観ることができました。

 ピアノは私が幼少期に少しだけ習ったことのある唯一の楽器です。いろいろあって途中で習うのを止めてしまったので、今は全くと言っていいほど弾くことができません。でも今回の「72時間」を観ていたら、今から習い始めても決して遅くないなと思いました。独学で弾けるようになった男性や60歳から習い始めた女性、年齢や環境なんて関係ないんだなと感じました。

 私事のゴタゴタが片付いたら、ぜひピアノやってみようと思います。そのときは宮崎に遠征したいですね。ああ…その前に、今年の年末スペシャルは宮崎のピアノのある広場でやってほしい。松崎ナオさんがあのピアノで生演奏してくれたらいいですね!

 それと、川栄李奈さんのナレーション。とても優しい響きで、吹石一恵さんと同じぐらい好きですね(正直「そっけない語り口」の彼女は私は苦手です)。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・どこからともなく聞こえてくる懐かしい音色。今日の舞台は街角に置かれた1台のピアノ。道行く人が、ぽつりぽつりと吸い寄せられ音を奏でていく。いつでも誰でも自由に弾ける。ストリートピアノ。
・不思議なピアノの前に3日間いたら、どんな音に出会えるんだろう。
・青い空とパームツリーが出迎える南国・宮崎。そのピアノはお店やバス停がひしめく中心部にぽつんと置かれていた。

・12月8日(木)14時。一人の女性がピアノに近づいてきた。童謡を弾き始めた82歳の女性。バスでお孫さんに会いに行く途中だという。
・今度は結構、本格的な演奏が聞こえてきた。神奈川から出張で来たという海上自衛官の42歳男性。このピアノはインターネットで偶然見つけたという。
・人が集まる場所を作ろうと、街の有志が設置したピアノ。4年前に置かれてから密かな人気スポットになっているんだって。
・19時。ギターを背負った男性がやって来た。演奏が始まるとみんな釘付け。普段は介護施設で働いているという理学療法士の34歳男性。もともとギターをやっていたけど、ピアノの優しい音色に惹き込まれ、独学でピアノを学んだという。毎日練習を重ねてこの腕前に。今ではすっかりとりこみたい。
・師走の夜、夜が明けてもピアノは鳴り止まない。
・忘年会帰りの会社員男性が演奏する。誘われて来たのは、犬の散歩中の女性。即席バンドの出来上がり。
・0時。独学で弾いていた彼が戻ってきた。今度は友達と一緒みたい。どうやらここからが彼の本番らしい。声を掛けてきたのは、通り掛かりのクラブのママ。リクエストに応えてもらって喜んでいた。気がつけば周りにはたくさんの人が。この高揚感が病みつきになるのかな。
・2時45分。人通りが途絶えた深夜。女性2人と男性1人、同じ大学に通う仲のいい友達らしい。みんな教員採用試験を受けるという。歌うのは3人の思い出の曲、授業の課題で猛練習したんだとか(「クリスマスソング」back number)。

・12月9日(金)9時30分。朝から地元の人がピアノの手入れをしていた。過酷な場所に置いてあるので傷みもしやすいという。鹿児島の家庭から譲り受けた古いピアノ。季節ごとに調整を繰り返しながら使い続けている。
・調律が終わったピアノを静かに奏でる男性がいた。コールセンター勤務の33歳。小さい頃からピアノを習い、音楽の学校へ。東京で専門の仕事を目指したけど、なかなかうまくいかなかったという。自宅のピアノは処分してしまったため、今はここが彼の大切なステージ。
・一つ一つ音を確かめながら弾き語る男性(「最後の言い訳」徳永英明)。シンガーソングライターの名刺を差し出してきた。プロを目指しながら運送会社で働く49歳。将来を考える恋人もいたけど、夢を捨てきれず別れてしまった。子どもの施設などで演奏することもあるけど、もっといろんな人に聴いてほしくてここに来てしまうんだって。
・21時35分。女性2人がやって来て1人が「子犬のワルツ」(ショパン)を演奏し始めた。3歳のときからピアノを習っていた大学4年生の女性。音大を目指していたこともあったけど、最近はあまり弾いていないんだって。中学校の先生になることが決まったという。
・いろんなことがあった1年の終わり。胸に抱く思いを音に託す。

・12月10日(土)12時40分。奄美大島出身の女子高校生。進学のため一人で宮崎に。いつも弾くのは、ふるさとで繰り返し弾いた曲。
・なぜか弾かずにピアノの蓋を閉じる女性。夫を亡くしたのを機に60歳からピアノを習い始めた。
・ひとりひとりの思いが音となり、街の空気にとけていく。

・12月11日(日)6時45分。若いカップルがやって来た。彼が行っちゃったのに一人で弾き続けている。夜通し飲んでいたという30歳女性。ふと昔習っていたピアノに触れたくなったらしい。ずっと聴いてくれるのが母親だったので、喜んでもらいたくて弾くっていう感じはあったという。5年前の12月15日が命日だという。
・日曜日。街では年に一度のマラソン大会が。
・ランナーの一人がピアノに駆け寄ってきた。初日に出会った独学で練習する男性。

(2017/1/27視聴・2017/1/27記)

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【ブラタモリ】#61 水戸~水戸黄門はなぜ人気があるのか?~

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【ブラタモリ】
「#61 水戸~水戸黄門はなぜ人気があるのか?~」

(NHK総合・2017/1/28放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

水戸黄門

 水戸黄門さん。水戸駅前の像は私も訪問したときに記念撮影しました。

偕楽園

 ちなみに偕楽園にも梅の季節に訪れたことがあります。

偕楽園

 施設の中に「大日本史」の完成記念碑があります。

 徳川光圀さんの生涯については以前に観た別の番組が詳しいのでこちらをご参照ください。彼の功績の一つである笠原水道についても取り上げられていました(→【にっぽん!歴史鑑定】時代劇 水戸黄門の秘密)。

 今回興味深かったのは水戸城跡が現在、高校の敷地になっているということ。だから天守閣が復元されないのかな。しかも高校そのものは、茨城県に多少縁がある人なら誰でも知っている有名校ですね。薬医門が敷地内にあるようですが、静かに見学することは可能なようです。弘道館とともに水戸に立ち寄る機会があればぜひ見学したいと思いましたね。

納豆スナック

 ちなみに水戸といえば「納豆」が有名ですが、こんなお菓子もあります。納豆好きの方で水戸来訪の際にはぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・水戸駅前がスタート地点。水戸黄門像がある。
・すると水戸光圀、助さん格さんが登場。印籠の中にお題が入っていた。「水戸黄門はなぜ人気があるのか?」
・案内人は水戸市教育委員会歴史文化財課の関口慶久さん。水戸で遺跡の発掘や文化財の保護などを行っている。
・「水戸黄門」こと徳川光圀は家康の孫。徳川御三家の一つ、水戸家の2代藩主。生前から大変人気があったらしく、彼が亡くなったとき江戸で詠まれた狂歌がある。

天か下
ふたつの宝つきはてぬ
佐渡の金山 水戸の黄門


・一行がやって来たのは水戸駅からすぐ近くにある水戸城の跡。現在、JR水郡線が通っているのは水戸城の堀だったところ。
・水戸城の本丸跡には現在、茨城県立水戸第一高校がある。校内に薬医門が現存している。この門をつくったのは水戸徳川家の前に水戸を治めていた佐竹氏。それをそのまま受け継いだ。
・水戸藩は「そこにあるものを最大限に活用する」という精神を貫いている藩だという。実は堀や土塁も佐竹氏がつくったもの。
・寛永20年(1643年)初代藩主・頼房の収支記録が残されている。収入8742両(11億6千万円)、支出1万8660両(24億8千万円)で約13億円の赤字だった。
・どうしてそんなに赤字を抱えていたのか。御三家の中でも圧倒的に江戸で暮らす期間が長かった。そのため江戸と水戸両方で家臣や家族が生活することになり、たくさんのお金がかかった。

・続いて一行は本丸から西へ1kmの場所へ。
・2人目の案内人は江戸時代の地図を研究している茨城大学教授(歴史地理学)の小野寺淳さん。古地図を見ながら水戸市内の町歩きをするツアーガイドも務めている。
・水戸城の西側には5本の堀があった。水戸藩がつくった4本目の堀のところにいる。
・水戸城は北は那珂川、南は千波湖に挟まれた東西に延びる台地の上にあった。その台地に刻まれた谷を活用して堀をつくった。もともとあった谷を掘って繋げている。実はこうした光圀の父・初代頼房の業績だった。

・更に水戸藩は城の東側を埋め立てて城下町の拡大を図る。しかしそこには大きな問題があった。井戸を掘っても飲むのに適した水が出なかった。
・いよいよ光圀の登場!一行は城下町から南へ3kmほどにある黄門様が引いた水道の水源へ(笠原水源)。
・3人目の案内人は地質や化石が専門の茨城大学教授(地質学・古生物学)の安藤寿男さん。小学生の頃からの化石マニアだという。
・水が豊富に湧き出るこの場所を光圀はとても大切にしていた。光圀がつくった笠原水道にも「あるものを最大限に活用する」という精神が生かされている。
・笠原水道は湿地帯を通すため当時としては珍しく、石で水路をつくり土に埋めていた(暗渠)。さらに途中の湧き水も取り込んで水量を確保していた。まさにあるものを最大限に活用する水道だった。この水道は昭和7年前で270年間、利用されていた。
・さらに一行は笠原水道の石切場だった場所へ。水戸駅近くの現在は常磐線の線路沿いにある。かつて城下町があった台地の真下。

・続いて一行は弘道館へ。天保12年(1841年)に創設された日本最大規模の藩校。ここで黄門様の人気の更なる秘密が分かるという。
・大日本史。徳川光圀が編纂した歴史書。初代から100代目までの天皇の治世を記した。全部で402巻ある。
・光圀が「大日本史」の編纂に取り組んだ理由は、学問の大切さを強く感じていたためと言われている。
・編纂事業は明暦3年(1657年)に始まり、明治39年(1906年)に完了。
・光圀は編纂事業のために全国に人を派遣して、資料の収集や研究にもあたらせた。「水戸黄門の諸国漫遊」は、大日本史によって水戸藩士があちこちに行って諸国を渡り歩いたのがもとになってドラマに繋がったと言われている(諸説ある)。
・大日本史は幕末に全国50か所以上の藩校で教科書として使われた。こうして光圀が亡くなった後もその名は日本中に広まり、人気も高まっていった。
・実はこの弘道館自体も光圀のおかげでできた教育施設。このことを示す言葉を弘道館をつくった9代藩主・斉昭が残している。

・最後に向かったのは弘道館から西へ3kmほどの住宅街。今や有名な観光地となっている偕楽園。もともとは弘道館で学ぶ藩士たちのための余暇休養の場だった(天保13年(1842年)に創建された大名庭園。日本三名園の一つ)
・門をくぐり、さらに一の門の先に竹林がある。さらに進むと梅林がある。陰と陽の世界を体感することができる。
・弘道館で学問に取り組み、偕楽園で心と体を休める。この水戸藩ならではの教育方針を表す「一張一弛」という言葉がある。
・大名庭園に必ずある池が偕楽園にはない。目の前に千波湖が広がり、広大な湖を偕楽園の池と見立てた。

(2017/1/29視聴・2017/1/29記)

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第4回 女子にこそあれ次郎法師

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第4回
「女子にこそあれ次郎法師」

(NHK総合・2017/1/29放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 まあ、ストーリー的に毎回突っ込みたくなることが多いドラマなんですが…今回はおとわ役を演じた新井美羽ちゃんの体当たりの演技に免じてよしとしましょう。というか、虎刈りも丸刈りも実際に髪の毛を剃ったようです。(回想シーンはもしかしたらあるかもしれませんが)今回の放送でおそらくラストになるというのに、女の子の大切な髪の毛をバッサリ切ったのですから、本当にリスペクトに値します。

 私が読んでいる某新聞の投書欄に「子役の登場回数が多い」というのがありました(確か50代の男性のものでした)。何言ってんだよ、わざわざ新聞に投書することか?と言いたくなりましたね。私が今川義元だったら、そんな投書する奴は、扇子をかざして…「切腹!」(笑)

 美羽ちゃん、本当にお疲れさまでした。いずれもっと出番が多い役を演じてほしいです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・井伊は命令に従わぬことに怒った今川に、おとわを人質として差し出すように命ぜられた。じゃが、おとわの気骨、南渓和尚の策も功を奏し、無事井伊谷に戻れることにあいなった。

・おとわ(新井美羽)が出家することで本領安堵ということになり、井伊直盛(杉本哲太)たちはひとまず安心する。
・南渓和尚(小林薫)は正式に「次郎法師」という名を与える。次郎とは井伊の家督を継ぐ名であった。
・いよいよ龍譚寺へ来たおとわだが、いきなり兄弟子の昊天(小松和重)、傑山(市原隼人)から厳しい目に遭う。
・さっそく修行が始まるが、厳しさに耐えかねて家に戻ってしまうが、母・千賀(財前直見)に追い返されてしまう。
・一方、小野政直(吹越満)は今川の後ろ盾を得てますます力を強めていた。
・そんな中、政直の命を狙う北条の手の者が現れる。しかし直盛が間一髪のところで助けるが、その代わり今川から拝領する予定だった直満(宇梶剛士)の所領の半分を諦めさせる。
・その後、おとわは亀之丞(藤本哉汰)の帰りを待ちながら修行をしながら「竜宮小僧」として村人のために働く。
・しかし亀之丞の生死が分からぬまま、9年の月日が過ぎていき、おとわ(柴咲コウ)は成長していく。

<直虎紀行>
・直虎の曽祖父・井伊直平が建立した寺、龍潭寺。井伊の館とは目と鼻の先の所にあった。黙宗瑞淵。初代住職として直平が招いたと言われている。
・直虎は出家して次郎法師と名乗り、俗世から離れた身となった。この次郎という名は井伊家を継ぐ者に付ける通称だった。
・直虎が生涯にわたって師事した龍潭寺の2代目住職・南渓瑞聞。南渓和尚自らが彼女に次郎という名を授けた。南渓和尚はこの寺で井伊家の受難の時代を支え続けた。
・戦国の荒波はやがて南渓和尚とこの龍潭寺をも巻き込んでいくことになる。

※龍潭寺(JR「浜松」からバス「井伊谷宮前」下車 徒歩5分)

(2017/1/30視聴・2017/1/30記)

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【明日へ―つなげよう―】証言記録 岩手県大船渡市~町よ甦れ!ガレキとの総力戦~

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【明日へ―つなげよう―】
「証言記録 岩手県大船渡市~町よ甦れ!ガレキとの総力戦~」

(NHK総合・2017/1/29放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

大船渡市

 岩手県大船渡市へは震災の翌年から毎年のようにお邪魔させていただいています。三陸鉄道南リアス線が再開し、JR大船渡線はBRTと呼ばれるバスでの仮復旧しました。沿岸部の被害は甚大でしたが、訪ねるたびに嵩上げ工事や防潮堤の設置など復興していく姿が目に見えています。

 そして港を挟んで目立つ太平洋セメントの工場の煙突。操業を再開したという話は震災翌年に聞きましたが、ガレキ処理をそこで行っていたという話は初耳でした。無知だった自分が恥ずかしい思いです。

 以前、石巻の製紙工場が半年で操業再開したドキュメントがありましたが(→証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市~復興の煙をあげろ!製紙工場の挑戦~)、この大船渡のセメント工場の復興“物語”も、もっと光を当てるべきものだと感じました。

 これはまさに市役所の担当幹部、セメント工場の現場責任者、産業廃棄物処理業者、地元の建設業者、電力会社の高圧電線担当者など、それぞれの分野のプロが己の責任から逃げずに、高い使命感を持って取り組んだからこそ成し遂げたものでしょう。本当に素晴らしいことだと思います。

 そして熊本地震のガレキ処理の受け入れも始まっているということです。このノウハウは全国的にも教訓にすべきことかもしれません。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・岩手県大船渡市。あの日、津波に襲われ大きな被害を受けたセメント工場。しかし長さ100mを超す工場の心臓部・キルンが1基、無傷で残った。キルンは1400度の高熱で石灰石などを分解し、セメントを造り出す窯。
・実はこのキルンが津波で発生した大量のガレキを処理する原動力になった。ガレキをセメントの原料にする、かつてない試みが始まった。

災害廃棄物を、世界で初めてだと思いますけれども、セメントの原料にしていくのは初めてなわけですから。全量受け入れ処理することができれば地元のためにもなりますし(セメント工場製造部長)

・この斬新な計画を実現したのは、大阪の廃棄物処理の会社だった。阪神・淡路大震災でのガレキ処理のノウハウを生かせるのではないかと協力した。

われわれ阪神(淡路大震災)の経験もしてますし、何かとにかく出来ることがないだろうかということで、まずはとにかく行こうと(大阪の廃棄物処理業者)

・ところが大阪からやって来た会社の方針に地元から反対の声があがった。

ガレキを集めなきゃないということであれば、スピードが要求されるんですから。であれば、やっぱりそういうことはかまってられないというのが正直なところ(大船渡の建設業者)

・しかし最後には地元の人々もガレキを町のために役立てたいと、進んで参加するようになった。

一つでも不純物を取り除いて、未来の大船渡のために尽くしたいという方は結構多かったですね(ガレキの分別をした住民)

・様々な困難を乗り越え、ガレキを原料にしたセメント工場の再開。世界で初めての試みに総力戦で挑み、再生への第一歩を踏み出した人々の証言。

<大量のガレキ処理に追われることになった大船渡市>
・リアス式海岸の深い入り江の奥に広がる岩手県大船渡市。海沿いの町の中心部には震災前、約4万人が暮らしていた。町のシンボルの一つ、セメント工場の煙突。太平洋セメント大船渡工場は、年間200万トンを生産する東北一のセメント工場だった。
・2011年3月11日。6年前のあの日、大船渡の町は高さ10mを超える津波に襲われた。翌日、町の風景は一変していた。打ち砕かれた家屋や車の残骸などがガレキとなり、町を覆っていた。被災現場を市長が視察に来た。膨大なガレキを早く撤去しないと復興は始まらないと考えた。

行方不明者の方々が、もしかしてガレキの中におるかもしれない。まずそれを捜すのが一番じゃないかなと。それが終わった、このガレキの中にはどうやら遺体はなさそうだ、あるいは行方不明者はなさそうだと確信できるなった区画から撤去していく(大船渡市の戸田公明市長)

・撤去は道路を塞いでいる家屋や障害物を壊すことが始まった。市内のガレキは約85万トン、それを処理する責任者として市長が指名したのは都市整備部長の佐藤守さんだった。

ガレキを処理するということは、ここからどこかに運ぶだけではなくて、運んだ先で分別してそれを例えば燃やすとかですね、再処理をして再使用するとかですね。ガレキを処理するということは、そこまでやる必要があるのだということを最初から思っていました(大船渡市都市整備部長・当時の佐藤守さん)

・佐藤さんがガレキの再処理が必要だと考えたのは、震災の7年前に担当した不法廃棄物処理の経験からだ。県境に埋められていたプラスチックなどのゴミは35万トン、膨大な量だった。
・このとき廃棄物の約7割を処理してくれたのが、太平洋セメント大船渡工場だった。セメントはもともとは石灰石に粘土などを混ぜて造っていた。この粘土の代わりに下水から出る泥などを使うようになり、今では様々な廃棄物が利用されている。
・不法投棄された廃棄物も約7割の24万トンが大船渡の工場でセメントに生まれ変わった。佐藤さんはガレキも同じように処理できないかと考えていた。
・しかしそのためには、一連の仕事を任せられるプロの力が必要だ。県境の不法投棄の処理では、廃棄物の撤去からセメント工場での再処理まで専門の業者が行った。全ての工程を計画し管理した。
・震災から5日後の3月16日、大阪から市役所の佐藤部長を訪ねてきた人がいた。産業廃棄物の処理会社リマテック副社長(当時)の田中靖訓さん。かつて岩手県の不法投棄問題に佐藤さんとともに取り組んだ。

とにかく御無沙汰してますということで、何か自分たちが役に立つことがないかと思って来て。また何かお役に立てることがあったら、いつでも言ってくださいと(産廃処理会社の田中氏)

・まずはお見舞いに訪れた田中さん。佐藤さんと会うのは7年ぶりのことだった。

田中さんの顔を見たときに、何でお前がここにいるんだという、そういう話はしたんですけどもね。そうしたらば田中さんは「何かお手伝いできることはありますか?」みたいなことをおっしゃるのでね、あるよと。どういうふうにしてガレキを整理分別しておけばいいのか、そういうふうなことをですね、最初から最後まで集めるところから処理するところまで計画的にやってきていることを県境不法投棄事案の対応で私たちは承知していましたので、もう捕まえて放さないぞ、その思いだけですね(市役所の佐藤氏)

<セメント工場の被災状況はどうだったのか>
・佐藤さんがガレキの処理先として期待を寄せていた、太平洋セメント大船渡工場。しかし被害は深刻だった。あの日、セメント工場から白い煙が立ちのぼった。押し寄せる海水が高熱を発する設備に接触、水蒸気爆発が起きた。工場は設備の約7割が破壊された。製造現場を率いる小池敦裕製造部長(当時)。津波の被害は小池さんの予想をはるかに超えていた。

ここで当時の立場で暗い顔をしていたりとか、前が見えないような姿っていうのはいけない。そういう姿を見せることはしてはいけないという思いとですね、自分は大船渡出身(地元)ではないですけれども、自分がこの工場で着任したからには、この工場のために一つでもこう何かを残したい(セメント工場の小池氏)

・3月22日、小池さんは市役所に向かった。佐藤部長がガレキの処理を行う関係者を集めた。佐藤さんの一番の心配はセメント工場だった。佐藤さんは小池さんに再建の可能性を尋ねた。

工場長さんと生産部長さんというお二人が会議にはみえたのですが、前向きに取り組んでいずれ復活して一緒にやっていこうというような、そういうふうな意思が強く感じられました。非常にありがたかったですね、一緒にやっていけると。セメント工場さんの可能性がもしなくなるのであればですね、私が思い描いたガレキ処理というのは方向を変えないといけなかったんですね。ですから非常にその意味では力強い存在だったですね(市役所の佐藤氏)

・小池さんたちが工場再開を前向きに語ったのは、5号キルンが無事だったからだ。高台にあり津波の被害を免れた。

5号キルンという10m超のところに設置しているキルンについては、ほぼ損傷なかったものですから、この焼成炉(キルン)を使えば町の復興だとかに使えるんじゃないのかという判断はその時点でもう既にしていましたね(セメント工場の小池氏)

・しかし従業員の中には家や家族を失った人も少なくなかった。何から始めたらよいのか見当もつかない状態だった。電気設備を担当している電気課の外川利博さん。当時、多くの従業員たちが不安を感じていたという。

まだこれから本当に復旧してこうやるっていう思いはなかったので、とにかくこの先どうなるのかなと。このまま片づけだけやって、はい終わりってなるのか。これを復旧する、直す直さない、立ち上げるという感じは全然思えなかったような感じでしたね(セメント工場の外川氏)

・製造部長の小池さんは今、従業員たちに必要なのは明確な目標だと考え、臨時の朝礼を開いた。

従業員を集めて当時の工場と私の方で「この工場は絶対復活するんだ」ということは宣言したと思いますね(セメント工場の小池氏)
(会社の方針はまだ?)
出てません。その当時はまだ出てません(同上)

<地元建設業者が分別作業の協力も得られガレキ撤去が始まる>
・4月になると、市内の各地区で壊れた建物の撤去が始まった。被害を受けた家屋は約5000軒に上った。市内で建設会社を経営する中澤武義さん。撤去を担当した地区は会社のあった町だった。

この辺は結構、波打ち際っていうか津波の最終点が近いので、本当に丸太とか家とか車とかグーッと押しつけられたような状態なんですよね。めちゃくちゃですね(建設業者の中澤氏)

・住民は長年暮らした我が家が目の前でガレキと化していくのを耐え難い思いで見つめていた。

屋根を壊すのにもすごい音がしますので、悲鳴を上げながら泣きながら、やっぱり持ち主さんは見ていましたけどね。とにかく元に戻すのは無理にしても、ちゃんと片づけるのが俺らの責任だろうなっていうことは思いましたね(同上)

・市役所で行われたガレキ処理の会議には、地元の建設業者の代表も参加していた。4月初め、この席でガレキ撤去の手順を示した書類が配られた。そこには解体現場ではガレキの撤去を行うだけでなく、木材、金属、不燃物の3つに分別するよう指示されていた。しかし中澤さんたち建設業者から、現実的ではないと反対の声が上がった。

波打ち際でみんな何もかも押しつけられてしまったと。その中からね、鉄は鉄、コンクリガラはコンクリートガラ、木材は木材っていう拾い方って出来ると思いますか、出来ないですよね。ガレキを集めなきゃないということであれば、スピードが要求されるんですから。であれば、やっぱりそういうことはかまってられないというのが正直なところ(建設業者の中澤氏)

・会議で分別の提案をしたのは、大阪の廃棄物処理会社リマテックの森淳一郎さん。上司の田中さんから大船渡に来てガレキ処理の計画を作るよう命じられていた。
・森さんが立てた計画は、様々な素材が入り交じったガレキを段階的に分別し、最後はセメントの原料にして工場に送る。このとき最初の段階で分別を始めると、その後のスピードが上がる。

本当に被災して、ものがたまっている場所から早くものをどけるというのであれば、あるものをそのまま持っていく、これは早いんですけれども。これをしていったときに、じゃあ町が元の姿に戻るのはこの辺ぐらいですよ何年後ですよ。当然ここも大事なんですよ、当然ここを元に戻す。でもここばかりを見てしまうと、結局その大船渡市が元に戻るスピードが実は後ろに行ってしまいます。これを短くするというのが本来の話だと我々は思っていますので、これをするためにはここでこういうことをしていただきたい(産廃処理会社の森氏)

・森さんの説得に建設業者も理解を示し、分別は次の「仮置き場」から始めることになった。続いて森さんが始めたのは、ガレキの仮置き場の下見だった。

広ければいいっていうものではなかったので、ともかく道の状態。生活している方の邪魔になるかならないか、そこを見て走っていましたからね。阪神(淡路大震災)で我々が感じたこと、こういうところは大事だよねっていうポイントは当然、参考にしています(産廃処理会社の森氏)

・森さんたちの会社は、かつて阪神・淡路大震災のガレキ処理を行った。仮置き場はトラックの騒音やホコリがひどく、周辺の道路にも渋滞を引き起こした。その教訓から森さんは、地元に迷惑をかけないことを最優先した。
・仮置き場の候補地の一つ。現在、仮設住宅が建つこの場所は震災当時、広い駐車場だった。撤去の現場から僅か500mと便利だったが、森さんはすぐに候補地から外した。

もうこの道、狭いじゃないですか。そのまず場所として大型車が来たときに対面通行は無理でしょ。できないですよね。こうは入ってくるとしても、あそこに当然お家がありますよね。生活している方がいらっしゃるので、ここに大きな車が音を出して入ってきて、ここにものを仮に置いたとしても騒音、振動、ホコリっていうのがやっぱりこう出ていきますし(同上)

・下見の結果、森さんは市役所が挙げた19か所の候補地のうち5か所を仮置き場から除外した。

皆さんご不便な生活をされている中で、いくらその「ものを元に戻しましょう」「町を戻しましょう」という掛け声があったとしても、お手伝いしようとして考えている我々が更にストレスを与えるっていうのは、これはどうなんだっていうのがありますから。ですからそういうところを出来るだけ避けましょう、使わないようにしましょうということです(同上)

・4月半ば、仮置き場にガレキの搬入が始まった。地元の建設業者がガレキを木材や金属などに分ける最初の分別を行う。大阪の廃棄物処理会社と大船渡の建設業者がゴールを目指し、二人三脚で走り始めた。

<セメント工場再建の要となったのは電力の復旧だった>
・一方、セメント工場では再建の要となる5号キルンを一日も早く稼動させようとしていた。しかし大きな問題が残されていた。電力がまだ復旧していなかった。工場には専用の高圧線で電気が送られていた。しかし高さ27mの鉄塔が津波でなぎ倒され、電気がストップしていた。
・鉄塔の修理を担当していた東北電力送電課の田村貢さん。震災の翌日、ヘリコプターで上空から被害状況を確認した。震災前は高台にある変電所からセメント工場まで約1.4km高圧線が引かれていた。しかし津波で3本の鉄塔が流されてしまった。

正直なところ、3トン4トンの力を加えても鉄塔材というのは壊れませんので、アングル材というんですけれども、それが引きちぎられたような壊れ方は初めて見ました。これほど壊れたんであれば最初から設計するのであれば、もう1年以上はかかるんだろうなというのは想像はついておりました(電力会社の田村氏)

それでは全く我々のスケジュールに合わないので、市のトップである市長そういうトップどうしの話をですねしていただかないと、ちょっと進まないのかなというふうな状況でしたね(セメント工場の小池氏)

・セメント工場は大船渡市に電力会社への働きかけを要請。市長は3月末、電力会社との交渉に臨んだ。

津波からの復旧、復興の過程の中にはセメントは大量に使われます。ですから、この工場をいち早く稼動していただく。それが非常に大切なんだろうなという思いから、電力を引いていただかないことにはならないと。大変申し訳ないのだけれども、5月の連休までに復旧していただきたいと、むちゃを承知で強くお願いしたんです(戸田市長)

・電力会社はその場では返答をしなかったが、すぐに調査に乗り出した。修理を担当する田村さんは、津波で引きちぎられた鉄塔の残骸に釘付けになった。

非常に大きな力で鉄塔が倒されたものですから、土の中に入っています基礎がそもそも健全だったということが不幸中の幸いでした。ゆっくり構造物が倒れる際は土の中までいろいろな力が入って、土の中まで壊れるものなんですけれども、今回はあまりにも大きな力だったものですから地上にある部分だけが大きな力で引き裂かれたような状態でございました(電力会社の田村氏)

・田村さんは無傷で残った地下の基礎を利用することにした。その上に地上部分を繋ぎ合わせれば、強度を保ちながら工期も大幅に短縮できると考えた。電線の調達や作業員の確保も順調に進み、高圧線の復旧作業は急ピッチで進んでいった。
・セメント工場も5月の復旧を目指していた。中でも被害が深刻だったのは電気設備だった。

海水で全部つかってしまったので、部品は一切使えないんですね。部品だけは全面交換です。使えないです(セメント工場の外川氏)

・部品は全て交換。頼みの綱となる設備の図面も6割が流されていた。

これが拾ってきた図面そのままです。昔の被災した図面。電気係さんの方で全部集めて、だいたいこの線はこっち側に繋がっている。この線はこっち側に繋がっているというのが分かるんで。その通りにまた線を繋ぐということを1個1個、1本1本やるんですね。時間との勝負で、公表した以上はやっぱりきちんと(電気を)受けてやるという感じは思っていましたので(同上)

・震災から約2か月後の5月9日。待ち望んだ電気が高圧線から流れ始めた。通常なら1年以上かかる鉄塔の工事が僅か1か月で完了した。
・最初の難関を乗り越えたこの日、工場が真っ先に行ったのは煙突のライトアップだった。夜空に浮かび上がる煙突は、大船渡復興のともし火として市民の胸に刻まれた。

<ガレキからどうやって塩分除去を進めたのか>
・ガレキをセメントに再生するには、もう一つ大きな課題があった。海水につかっていたガレキには、大量の塩分が染み込んでいた。セメントの原料として許される濃度をはるかに超えていた。

セメントコンクリートですね、いわゆる鉄筋コンクリートということで鉄筋が入るわけですね。鉄筋をやっぱり錆びさせる一つの要素としては塩分ですね。セメントの資源化をするにあたっては、どうしても塩分を取り除かなきゃいけないよねと、そのためには我々もそういう実験をしたことがないので(セメント工場の小池氏)

・大阪の廃棄物処理会社リマテック。ガレキから塩分を取り除く新技術の開発も受け持つことになった。研究所ではガレキのサンプルを取り寄せ、まず水につけて塩分が抜けるまでの時間を測った。その結果は予想外だった。

最初は水につけておいたら落ちるだろうと思ったら、落ちるのは落ちるんですけど2日とかそれぐらい時間がかかったと思うんですね。それでやっぱり常にフレッシュな水で洗わないと駄目だよねっていうことで、長いベルトコンベアの上を通してそこへシャワー設備をつけて、そこで洗い流しながらやろうかみたいな計画をやってみたりとか(産廃処理会社の田中氏)

・研究所で考えられたベルトコンベア式の装置、ガレキが50mのシャワーをくぐるうちに塩分が洗い落とされる仕組み。しかし作業は7時間かかる。

ただとても装置として現実的ではないので、せめて何分で落ちるぐらいの効率のところまで持っていかないと現実的にならないねと。というのは一方でやらなければいけない量といったら1日何百トンとか下手すりゃ1000トンとかそんなオーダーになってしまうので(同上)

・解決の糸口を見つけたのは研究員の北崎淳二さんだった。

これが当初一番初めに実験した機械になります。もともとは土砂の洗浄に使う機械であったんですけれども、それをうまくガレキに使えないかというところでやったというところですね(産廃処理会社の北崎氏)

・北崎さんはこの装置を改良し、セメント工場に持ち込んで実験を始めた。

横型の洗濯機をイメージしていただければ非常に分かりやすいのですが、その横型になった洗濯機というのは円筒のドラムを横にして回転しているものになるのですが、その中に木くずと水を入れていきます。その中でグルグル回っている(同上)

・現場では様々な種類のガレキで効果を確かめた。

水洗いで撹拌効果もありますし、最終的に回転しているものですので遠心力も利用しまして、木の中の繊維にまで入っている塩分を出すことができる。塩素を取ることができる効果が分かりました(同上)

・10月下旬、ついに塩分を除去するプラントが完成した。洗浄の時間は僅か5分、7台で1日500トンを処理できる。実験を始めて半年間で問題を解決した。

<2次選別所が稼働 地元の人々の協力も>
・その頃、大船渡にいた森さんは現場から盛岡の宿まで片道120kmを毎日通っていた。

大船渡に来て大船渡で打ち合わせをやって盛岡に戻って、じゃあその資料を作らなければいけないってやっているときに途中でもう今、寝ているか起きているか分からないっていうときがあるじゃないですか。今これ夢の中で作業をやっているのかな(産廃処理会社の森氏)

・森さんが取り組んでいたのは最後の仕上げ、2次選別の候補地探しだった。仮置き場のガレキ全てを1か所に集めるため、広大な敷地が必要だった。

あの辺りですよ、この辺りじゃないですか(同上)

・大量のガレキをトラックだけでなく船も使って運ぼうと、2次選別所はセメント工場近くの海沿いに決まった。2次選別所では仮置き場で簡単に分別されたガレキを、更に細かく分けてセメント工場に送り出す。
・7月初め、2次選別所が動き始めた。広さ18ヘクタールの敷地に、市内の仮置き場から船やトラックで次々とガレキが集められた。分別には29社の地元建設会社が参加した。
・現場では普段使っている建設用の重機に加え、コンクリートを細かく砕いたり金属だけを取り除いたりする特殊な重機が使われた。それを扱うには東京で2週間の講習を受けて資格を取らなければならなかった。当初、被災現場での分別に建設会社の中澤さんは自ら進んで資格を取った。

私らは一般廃棄物っていう処理をどうしたらいいかというノウハウはまるっきりないので、そういうものをやってきたリマテックさんのノウハウというのは大変役に立ったと思うんですけれども。セメントの原料になるということで、それもね復興の原料になって良かったなという思いですね(建設業者の中澤氏)

いや、うれしかったですよ、そこは。我々が一番やっぱり最初の協議会に入った頃の皆さんとの距離感であるとかいうものは我々なりに感じている部分がありましたし。ただそれが皆さんが自発的にどんどん前に行くっていうパワーというか力というかはすごいなと思ったのは、そのあたりだと思います(産廃処理会社の森氏)

・2次選別所では建設会社だけでなく、地元の人たちが70人ほど作業に加わった。不純物を完全に取り除く最後の仕事は人の手が頼りだったからだ。作業員の中には津波で大切な家を失った人もいた。この作業に携わっていた平岡睦男さん。分別をしているうちに、ガレキに対する見方が変わってきたと言う。

もともと木にしてもコンクリートの塊にしろ、皆さんが使っていた財産であると。それがたまたま津波でそうなっただけで、もしそれがなければ、それはその方の財産としてずっと残っていったものであると思いますね。なので、あの中ではガレキという呼び方はしなかったと思いますね(2次選別所作業員の平岡氏)

・手作業で分別されていくガレキを地元の人たちは、もうすぐセメントになる「製品」と呼んでいた。

女性の方は特にそうなんですけど、流されたりとかですね家をなくしてる方も結構おられましたんで、だから一つでも不純物を取り除いて未来の大船渡のために尽くしたいという方は結構多かったですね。そういった意味では意識は高かったと思います(同上)

・こうして出来上がったセメントの原料の山。手間を惜しまず金属や石などが丁寧に取り除かれた。木材などの可燃物は細かく砕かれてキルンを動かす燃料となる。セメント工場に送られるのは毎日約300トン。セメントの成分の実に4割以上がガレキから再生された。

<セメント工場再開 ガレキが甦り町の再生へ>
・11月4日、セメント工場再開の日。8か月ぶりにセメントの製造が始まる。小池さんたちがキルンに火をともした。

キルンに魂を入れるみたいな、そういう儀式ですけれども、普段なら何気なくみんないつも通り普通に単純に火を入れてしまうのですが、そはりそれぞれの思いがつまった中での火入れ式だったと思います(セメント工場の小池氏)

・人々の思いが紡ぎ合い実現した工場の再開。大船渡市が震災1年目に処理したガレキは約27万トン。他の自治体に比べ、速さも量も群を抜いていた。
・大船渡では現在も道路や防潮堤の工事が続いている。ガレキが甦り、町の再生が進んでいる。

ああいう状況の中でやはり町を早く復旧させたいと、それに向けて努力を惜しまない、協力を惜しまないというその地域の方々の思いというものを非常に熱く感じましたね(市役所の佐藤氏)

計画を作っただけで計画は立てただけじゃ動かないって皆さん言うじゃないですか。じゃあそれを動かすというか、その計画を実行していただいたのは当然あの町の皆さんですから。皆さんのベースにあるのは当然自分たちの手で自分たちの町を取り戻す思いがあるからこそじゃないですか(産廃処理会社の森氏)

ガレキを処理したものでセメントを作って、それを今度は町の復興計画でコンクリート製品として使う。町の復興に生かしていけるんだというところが非常にセメント産業のいいところですし、大船渡はそういうことをやることができた(セメント工場の小池氏)

・大船渡のどこからも見える白い煙。失われたものへの愛惜と復興への願い。セメント工場では去年の暮れから熊本地震によるガレキの受け入れも始まっている。

(2017/1/30視聴・2017/1/30記)

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【NNNドキュメント’17】寺は蘇るか~シルバー世代が挑む地域再生~

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【NNNドキュメント’17】
「寺は蘇るか~シルバー世代が挑む地域再生~」

(日本テレビ系列・2017/1/30放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 和歌山県のある無住寺院(住職のいない寺院)に移住してきた男性が地域に溶け込んで檀家さんたちの信頼を得て、そしてお寺の住職になろうとしていく姿を追ったドキュメント。全国的に過疎や後継者不足でこうした問題が広がっている現実があらためて浮き彫りになりました。

 それにしても「シルバー世代を対象にした出家プロジェクト」という方策というのは、いわば現役世代(特に若者)が仮に僧侶の道を選び、こうした無住寺院へ定住しても生活していけるだけの保障がないということを如実に表しているということでしょう。つまるところ「年金」という生活の充てがなければ、僧侶一本で食べていけない。厳しいことを言わせてもらえば、これでは先細りが解消されるには程遠いと思いましたね。

 しかもこの番組を観ていて痛感したのは「檀家」と呼ばれる人たちが集まってきて心配しているのは、自分たちのこと。限界集落みたいなところにやって来てお寺の面倒をみようという人に対して、言い方が悪いかもしれませんが「他所者がやってきた」と警戒し「自分たちの負担が増えるのか?」と兼務住職に問いただす。はっきりいって、私だったらこんな目に遭ってまでそこに行きたいとは全く思わないですね。

 さらにこれからの世代の人たちの宗教観も変わっていくでしょう。葬儀も無宗教で家族だけ集めて簡素にとか、墓も管理が簡易な共同墓地や散骨など、人々と地域の宗教との関わりが薄れていくことは避けられないような気がします(除夜の鐘がうるさいと苦情が出るようなご時世ですから)。そうなるとお寺や神社は知名度が高かったり文化財としての価値の高いところは生き残りますが、小さいところは無くなる一方になるのではないでしょうか。

 それではあまりにも寂しいと思うのであれば、やはり地域の人たちが他人任せにするのではなくお寺や神社などを物心両面から支えていくことが必要です。初詣や法事、葬儀のときだけじゃなくて人々のコミュニティーの場として生かしていけるかどうかがカギのように思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・今、日本全国で住職の居ない寺が増えている。「無住寺院」の数は、7万5000あるといわれている寺の3分の1にも上る。過疎や後継者不足など原因は様々だが、寺がなくなればその地域の文化もともに消え去りかねない。寺を蘇らせることができるのか。新たな試みが始まった。

<和歌山県の小さな集落にあるお寺>
・和歌山県すさみ町小河内、町の中心から車で20分ほどの所にある過疎の山里。昭和40年頃には300人近い住民がいて、林業を中心に賑やかな暮らしがあった。
・林業が衰退した今では多くの人が町に出てしまい、人口は10分の1の30人余りに減少。残っているのは殆どが70歳以上の高齢者だ。仕事の中心は、20年ほど前から始まった墓や仏壇に供えるシキミなど仏花の栽培。高齢者の貴重な収入源だ。
・イノブタの生産は町が力を入れている産業だが、小河内では人手がなく規模が広がらない。かつての田んぼは今、雑草に覆われている。
・その里の中心にある長泉寺、江戸時代の初めに創建された寺だ。400年にわたって小河内の人々とともに時を刻んできたが、20年ほど前に住職不在の寺になった。
・太平洋戦争では50軒余りの檀家から20人を超える戦死者が出た。今も遺影が飾られている。
・一昨年の11月、長泉寺に留守を預かる人がやって来た。愛知県で暮らしていた中垣勝利さん(62)は定年後、長野の寺で1年4か月過ごした後、この寺にやって来た。静かな暮らしに憧れていたそうだ。

昔から座禅ずっとしてたもんですから、高校時代の時から。だからそういう関係で座禅が…何がいいかはちょっと分からないんですけども、座っていればそれなりに落ち着くというか。ただそれだけで、定年になったらこうやってお寺に入っていればいいなと考えてるときに和歌山に紹介してくれて、いろんな人のおかげでこうやって今いるようになっている(中垣さん)

・しかし寺に入るには、檀家や周辺の寺との関係など解決しなければならない課題がたくさんある。本山から担当の僧侶が説明に来た。

現在、中垣さんのように、こう申し込まれてそれで成功した例はどのぐらいあるのか(檀家)

みんなで少しずつでも良くなっていくように、この長泉寺を第一歩の寺にしたい。そういうふうに考えております(僧侶)

これから長く長泉寺を維持していくためには、出費を少なくしていかないかん…いうもんもあるんで(別の檀家)

この建物でも20年持つかな?その維持費、維持をどうしていくかな?(別の檀家)

・お互いの信頼関係が得られるのか。中垣さんと兼務住職、檀家の間で契約書が交わされ、1年後にそのまま続けるかどうかを見直すことになった。長泉寺を兼務しているのが、隣の白浜町にある天徳寺の住職・中村公信さん。

何か手を打つところがないかなというところに本山からそういうお話いただきましたので、これは渡りに船だなという。私といたしましては当面やはり何かやりませんとうちなんかの過疎地の場合はですね、お寺が朽ち果てていく。ただそれを座視して待つという状態ですので(中村さん)

<シルバー世代を対象とした出家プロジェクト>
・長泉寺と天徳寺は京都にある大本山・妙心寺の末寺。妙心寺は14派ある臨済宗では最大の教団。約3500の末寺があるが3分の1が無住寺院となり、5年前にシルバー世代を対象とした出家プロジェクトを立ち上げた。

これだけお寺が空いているあれば、そこを第二の人生として中高年の方は特にですね一線を引いた後、これからどうしたらいいんだと悩む方が多いので、そういう中に禅の道とか僧侶の道というのを見いだしてもいいんじゃないかと(妙心寺派の栗原正雄宗務総長)

・妙心寺派では年金で生活しているシルバー世代の人たちが僧侶になるためのカリキュラムを作った。1年間、寺に入って生活し、僧侶して最低限必要な知識と作法を身につける。生活費など100万円の費用が必要だ。

この禅宗に非常に興味があったということと、時間的にようやく余裕ができたと。そういうことで、ここでぜひこの中に足を踏み入れてみたいと(瀧田文晃さん)

60歳過ぎて退職金もらって、それはそこそこゆったりと生活はしていけるんですけども。あのやはり何かこの生きてる間にやりたいなというね。このままでは終わりたくないなということがありまして(檜垣善麿さん)

・僧侶と一緒に生活しながら禅宗独自のお経や作法、所作などを覚えていく。雲水が修行する専門道場の内容を高齢者が耐えられるように変えたものだ。

※斉坐:喋らない、音を建てて食べないなど修行の一つ。

・1年後にお経を覚えているかなどの試験に合格すると「看坊職」(住職不在の寺を守り活動を補助する僧侶)という資格がもらえる。

<移住してきた男性と地域の人たちとの交流>
・中垣さんは毎朝6時から座禅と朝のお勤めをする規則正しい生活を続けている。2か月後には6時半に鐘も突き始めた。20年ぶりに鐘の音が響く。

聞いとったらゴーン、ゴーンって鳴ってるのは大変いい感じです(住民の竹村保さん)

みんな夜、明かり、電気ついてるし、喜んでいますけどね。やっぱり留守の家と人がおってくれるので気持ち的に安心できるもんね(住民の藤田富美子さん)

・彼岸には小河内を出た人たちも墓参りに帰ってくる。長泉寺でも彼岸の法要が営まれた。天徳寺の中村住職がやって来てお経を上げる。僧侶の資格がない中垣さんは一緒に供養することができない。静かな生活がしたいだけという気持ちが少しずつ変わり始めたようだ。
・小河内には空いている畑や田んぼがたくさんある。中垣さんは隣に住む柴田米子さん(88)の指導を受けて、野菜を育てることにした。

今までやったら一人で畑しよったけど、話し相手になってくれるし嬉しいなちゅうてて。子どもらも喜びよるんで。一人おるからな、近くに若い人来てくれたら嬉しいわよ(柴田さん)

<過疎で維持が困難な寺も>
・和歌山県の紀伊山地には過疎で維持できなくなった寺が数多くある。古座川町のある地区では13軒あった家が1軒になってしまった。清雲寺は老夫婦だけで何とか管理してきたが、体力が追いつかなくなり寺をなくすことを考え始めている。

二人ではちょっと掃除から始まってね、あの…たいそう(檀家の野口晃さん)

いや、壊す費用がなかなか出てこないので。見ての通り、これだとそのまま壊れていっても迷惑掛けるようなとこないから、そのまま壊れていくまで待とうかって言ってるんですよね(兼務住職の伊藤収工さん)

・寺をなくすには土地や財産をどうするかだけでなく、新聞に3回の告知広告を出すなど手間と費用が掛かる様々な問題がつきまとう。清雲寺をはじめ10か寺を兼務している伊藤住職の寺・寶音寺にも存続の危機が迫っている。檀家は150軒を切った。

なかなか新しい和尚さん迎えるといっても、それだけの財力がありませんし。おそらく私の代で終わりでしょうと(同上)

・寶音寺が無住寺院になれば、兼務している10か寺も路頭に迷うことになる。

<得度して僧籍に入った男性>
・小河内の高台にある共同墓地。これまで町のシルバー人材センターに託していた草刈りを中垣さんが引き受けることになった。寺を管理する以外の仕事にも積極的に関わり始める。
・寺に入って5か月、中垣さんに転機が訪れる。天徳寺の中村住職が得度を勧めに来た。中垣さんが得度すると何がどう変わるのか、檀家の負担が増えるのではないか。疑問や不安に答えるために説明会が開かれた。

悟りを開いて心の平安を得ることを得度と、これが本来の意味であります。私としても一人でもお坊さんといいますか、いま衰退していっておるのが各宗派、現状でございますので、出家していただくということは非常に喜ばしいことがありますので。していただきたいなというふうに考えておるのが今の現状でございます(中村住職)

・得度すれば法要などに参加できる。檀家の負担は殆ど変わらないことが分かり皆、安心したようだ。得度式は7月に開かれることになった。
・本山から役員の僧侶もお祝いに駆けつけた。長泉寺で得度するということは、妙心寺派の僧籍を得ると同時に中村住職の弟子になることを意味する。
・まだ住職にはなれないが、中村住職の許しがあれば檀家のためにお経を上げることも可能だ。長泉寺で営まれたお盆の施餓鬼法要が中垣さんの初めての勤めになった。

<無住寺院再生の先駆けとなった男性
・長野県千曲市にある開眼寺。中垣さんは60歳で退職した後、ここで1年4か月生活した。開眼寺の住職・柴田文啓さん(82)はシルバー世代で出家した人の先駆けだ。16年前、65歳で退職して1年余り修行。荒れ果てていた無住寺院の開眼寺に入り立て直した。

今の日本の仏教界はお葬式が大変忙しいということを聞いておりますのでそちらの方ばかり行って、本当の宗教家の仕事というものが少しなおざりになっているのではないかと。何もしないでこのままですと完全に消滅しますんでね(柴田さん)

・開眼寺には檀家がない。そこで柴田さんはお寺を地域の人に開放し、ともに盛り上げていくことにした。座禅会や得意の英語を生かした英会話教室、彼岸の数珠回し、盆踊りなどを開催し地域に溶け込んでいった。柴田さんの取り組みは無住寺院再生への先駆けかもしれない。

<檀家の人たちの賛成で寺を受け継いでいくことに>
・得度して2か月、中垣さんは夕暮れの鐘、昏鐘を突き始めた。寺を蘇らせるには小河内の過疎化に歯止めをかけるしかない。どうすれば人を呼び戻すことができるのか、中垣さんは地域の人と話し合いを始めた。

人が集まるのは、やっぱりそういう子どもがあって、すさみとしての理想はそうだよね、子どもがあって(中垣さん)

中学校までは何とか行けたけど、高校となったら田辺か串本へ行かな通えんのですね(地域の住民)

3日やなって、3日間おったらあと飽きてくるって、もう。何も無いから(別の住民)

盛り上げていって、あと見守ってくれるいうんかな。そんな方がほんまに来ていただいたらありがたいですね(別の住民)

・かつては誰も居なかった寺が寄り合いの場になった。
・中垣さんが長泉寺に入って1年。契約通り、これからのことを話し合うことになった。檀家さんたちの満場一致で中垣さんがこのまま寺にいることが決まった。
・年末には中垣さんが呼びかけ、長泉寺で餅つきが行われた。帰省した檀家の家族も大勢集まり、久しぶりに境内が賑やかになった。
・中垣さんは今年の夏、長泉寺の住職になるための研修を受ける。寺を中心に里を蘇らせる取り組みは始まったばかりだ。

(2017/1/31視聴・2017/1/31記)

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【空から日本を見てみよう+】茨城県常総~下妻~筑西

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【空から日本を見てみよう+】
「茨城県常総~下妻~筑西」

(BSジャパン・2017/1/31放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

SLもおか

 先週に引き続いて関東鉄道常総線沿線を巡る旅。終点の下館駅は真岡鐵道の始発駅で、週末を中心に運行しているSLもおか号が予想通り紹介されました。私も乗車したことがあります。SLファンでなくても十分楽しめるので、ご興味ある方はぜひ行ってみてはいかでしょうか。

 番組の中で興味深かったのは大宝八幡宮。「大宝」という駅はなかなか縁起の良さそうな駅名だなと思いましたが、宝くじにご利益がある神社があるとは知りませんでした。しかも駅から近くにあるようなので、また下館へ行くときは立ち寄って「7つの数字」を当てていただきたいと思いましたね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<茨城県常総市周辺>
・人口:60,878人(県16位)面積:123.64平方キロメートル(県20位)(2016年11月1日現在)
・うまい棒を製造している会社とキャベツ太郎を製造している会社がある。
・五木宗レンガ蔵。醤油醸造業と廻漕業を営んだ五木田家は水海道河岸の中心的な役割を担った。
・鬼怒川は小貝川に注いでいたが江戸初期に利根川に注ぐ流路に変更。江戸までの距離が短縮された鬼怒川は水運が急速に発展。鬼怒川沿いの各所に荷物の積み下ろしを行う「河岸」が造られた。水海道河岸は久保田・宗道と並ぶ鬼怒川3大河岸の一つ。

<坂東市周辺>
・人口:53,715人(県18位)面積:123.03平方キロメートル(県22位)(2016年11月1日現在)
・お茶の根本園の店主は2015年の全国手揉製茶技術競技大会で日本一。
・洋菓子メーカーのモンテールつくば工場。1954年、鈴木製菓として創業。当初は金太郎飴などを製造していた。1991年チルドデザート市場へ参入。1994年カスタードクリームの内製化を実現。1時間に6000個のシュークリームを製造。50種類以上のスイーツを製造。
・平将門公之像。平安時代中期の豪族。東国に独立国家を作る野望を抱いた。坂東市は平将門の本拠地であり終焉の地(諸説ある)。岩井将門まつり、平将門公の勇姿を現代によみがえらせようと1972年から毎年開催。
・吉野公園。小貝川の旧河道を利用して作られた。旧小貝川を利用したへら釣り場となっている。
・宗道河岸。久保田・水海道と並ぶ鬼怒川3大河岸の一つ。

<下妻市周辺>
・人口:42,986人(県26位)面積:80.88平方キロメートル(県28位)(2016年11月1日現在)
・明治期に茨城県第二支庁が置かれ、県西地区の中心地であった。
・筑波サーキット。ほぼ毎週にわたり様々なレースやイベントを開催。
・オートレーサー(公営競技のオートレースで賞金を獲得するプロスポーツ選手)を養成するオートレース選手養成所には現在男性13人、女性7人の計20人が在籍。2017年7月のデビューを目指し9か月間の訓練を行う。

<八千代町周辺>
・人口:21,879人(県37位)面積:58.99平方キロメートル(県36位)(2016年11月1日現在)
・即席麺の「ニュータッチ」シリーズで有名なヤマダイがある。
・八千代町は白菜の出荷量が日本一多い自治体(2006年)。茨城県は輸送コストのかかる白菜など重い野菜の生産に有利な地域。
・キムチ鍋で町おこしをしている。
・クラインガルテン八千代。年間43万2千円で270平方メートルの土地を自由に利用可能。

<下妻市周辺>
・甲冑型のイルミネーション。毎年冬に栗山商店会がイルミネーションイベントを行っている。
・小貝川ふれあい公園ネイチャーセンター。水族館と特別展示を行っている。オオムラサキをモチーフにした建物。オオムラサキの森では毎年7月にオオムラサキを見られる。
・大宝八幡宮。宝くじの当選祈願を行っている。

<筑西市周辺>
・人口:103,686人(県8位)面積:205.30平方キロメートル(県12位)(2016年11月1日現在)
・菓子處たちかわの「つくばカリーどら焼」が人気(福神漬入り)。
・焼きそば屋の我楽多屋。お店には鉄道グッズが多数存在。具にキャベツを使っただけの潔さが特徴。
・下館は江戸時代には「関東の大坂」とも呼ばれた商業の街。
・SLもおか号。真岡鐵道のSLはC11型とC12型。
・「二葉ごはん」。先代が営んでいた寿司屋の趣を残したお店。人気メニューはチキン南蛮定食。隣にはカフェ「二葉じかん」がある。

(2017/2/1視聴・2017/2/1記)

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【NHKスペシャル】プラネットアースⅡ 第2集 激変の大地に生きる

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【NHKスペシャル】
「プラネットアースⅡ 第2集 激変の大地に生きる」

(NHK総合・2017/1/29放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 素晴らしい「映像美」で生きものたちの姿を映し出してくれる「プラネットアース」。今回もなかなか圧巻の映像ばかりで楽しませてもらいました。

 一番印象に残ったのはサバクトビバッタの大群。正直生では観たくないほどのグロテスクな様子でしたが、圧倒する数で草を食べ尽くしていく姿はまるでインターネット社会の「炎上」を見るかのようなものでしたね。個体そのものはひっそりと暮らしているけど、ふとしたことをきっかけに集団で特定のものを攻撃する姿がそっくりです…なんて言ったら一生懸命生きているバッタの方に悪い気がしますが(苦笑)

 あと興味深かったのはハキリアリ。直接食料を採集するのではなく、草を集めてキノコを栽培してそれを食料とする。まさに農業を営む昆虫。世界中でも唯一の存在ではないでしょうか。それが本能的なものなのか、高い知能に基づくものなのか、非常に面白い存在だと思いましたね。

 次回の特集も珍しい映像が観られそうです。豊川悦司さんと仲間由紀恵さんのナレーションも聞きやすくていいし、楽しみにしています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・大地をのみ込む砂嵐。荒れ狂うすさまじい雨。全てを焼き尽くす大火災。地球には決してあらがうことができない巨大なパワーがある。この星のありとあらゆる場所で生きものたちは激変する大地と闘っている。
・大雨で突然現れる大湿地。水が苦手なライオン、不慣れな状況の中で命がけの大勝負に挑む。
・大雪に埋め尽くされた草原。飢えに苦しむバイソンは力ずくで雪を掘り食べ物を探す。
・その一方で、環境の激変を巧みに利用するという、驚きの生存戦略を編み出したものもいる。
・大地が目まぐるしく変貌し続ける地球。その激変に適応しながら、生きものたちは逞しく命を繋いでいる。
・大自然のスペクタクルを極上の映像で描く「プラネットアースⅡ」。今回は激変する大地。生きものたちを襲う数々の試練。それを乗り切るため、地球は思いも寄らない恵みをも生み出していた。

<大地を一変させる巨大なパワー>
・雨季を迎えたアフリカの草原。地球を巡る大気、その巨大な力が今この地に激変をもたらそうとしている。荒れ狂う雨雲、時に草原が1年間に必要とする雨水をまとめて一気に降らせてしまう。叩きつけるような豪雨、百獣の王ライオンも
為す術なし。この大量の雨水が草原の姿を劇的に変えてしまう。

<百獣の王 ライオンの試練>
・アフリカ南部のオカバンゴ(ボツワナ)。はるか上流で降った雨が一斉に流れ込み、毎年草の大地が巨大な湿地へと変貌する。溢れ返った水がライオンに試練を与える。水に足を取られ、獲物を追い詰めることが難しくなる。
・このライオンの群れは空腹の日々が続いている。獲物を捕らえることができなければ、子どもたちはあと1週間と持たないだろう。
・ある朝、2000頭を超えるバッファローの大群が湿地を目指してやって来た。強靭な体と攻撃的な性格。ライオンが標的にする獲物の中で最も危険な相手だ。しかし今は獲物を選んでいる余裕はない。

<ライオンvs.バッファロー 命がけの大勝負>
・巨大なオスが1頭、逃げずに居残った。ライオンは足が水にどっぷりと浸かってしまい、素早く動くことができない。オスのバッファローの体重は約1トン、メスライオン5頭分に相当する。角で一撃を食らえば一巻の終わりだ。
・だがライオンは命がけの大勝負に出る。背中に食らいつき押し倒そうとするが、振り回されてしまう。足場がぬかるみ力が入らないのだ。怒ったバッファローが反撃に出る。ライオンたちは疲れ切っている。水に浸かりながらの不慣れな狩り。バッファローを押し倒すことはできるのか。
・今回の狩りは失敗に終わった。子どもを無事育てるには、週に1度は狩り成功する必要がある。水が弾くまでの数か月間、苦難の日々が続く。

<死と隣り合わせ 巨大な雪の猛威>
・大地の姿を激変させる様々な自然現象。その最たるものの一つが雪だ。北米のロッキー山脈(アメリカ)。ある日突然、すさまじい雪の力が猛威を振るう。
・雪崩のスピードは時速100kmを超える。膨大な量の雪が山をのむ込む。北米の山々では一冬で数千回も雪崩が起きる。
・しかし、この危険に満ちた雪山をあえて住みかとする生きものがグリズリー(アメリカヒグマ)だ。冬、グリズリーは土の中に巣穴を構え冬眠する。その場所は標高1800mを超える山の斜面。巣穴は冬の間、深い雪で埋もれている。まれにその上を雪崩が通り過ぎる。積み重なる雪は断熱材となり、巣穴の中の温度を一定に保つ。
・そして冬の終わり。目覚めたグリズリーたちが次々と巣穴から出てくる。グリズリーは冬眠中に子どもを産む。この雪崩の多い雪山なら天敵は近づくことはできない。雪という自然の猛威を生き抜くための術に使っているのだ。
・親子は食べ物を求め、雪解けが始まっている麓へと向かう。生まれたばかりの子どもにとっては、初めて見る外の世界だ。つい最近、雪崩が起きたばかりの斜面を親子が横切っていく。もたもたしているわけにはいかない。いつまた雪の猛威が襲いかかるか分からない。雪山で生きるグリズリーの宿命だ。

<豪雪の大地を生きる>
・大地を覆い尽くす大雪も、生きものたちにとっては死活問題だ。北米最大の草原地帯プレーリー(アメリカ)。突然、雪が降り積もり景色が一変した。生きものたちに試練の時がやって来た。
・1mを超えて積もった雪に巨体のバイソンさえ悪戦苦闘する。気温はマイナス40度まで下がる。体温を保つためには食べなければならない。
・この試練にバイソンは力業で立ち向かう。大きな頭で雪をかく。1頭が1日にかく雪は5トンにもなる。こうして埋もれた草を掘り起こし、極寒の地で命を繋ぐ。
・しかし、体の小さな動物はそうはいかない。プレーリーに暮らすアカギツネ、一体何をやっているのか。しきりに耳をそばだてている。雪の下に何かがいるようだ。捕らえたのはハタネズミ。小さいがこれで当分は飢えをしのぐことができる。
・バイソンは力を、キツネは知恵を働かせ豪雪の大地を乗り切る。

<激変の大地を生きる 赤道直下の高山>
・地球上で起こる様々な環境の激変。とてつもない変化が短時間に、しかも極点に起こる場所がある。それは赤道直下の高山だ。

<1日で巡る夏と冬 巨大植物の奇妙な営み>
・標高5000mを超えるアフリカのケニア山。この山では1日のうちに真夏と真冬が訪れる。その激変を生き抜いているのが巨大な植物たち。普通、高山の植物は小さなものが殆どだ。しかしここでは10mを超えるものもある。赤道直下の強い日差しが成長を促す。
・日中は30度ほどの暑さ、ところが日が暮れると状況は一変する。気温は氷点下5度まで下がる。1日の寒暖差は40度近くにもなる。
・毎晩、山は氷の世界へと変貌する。厳しい夜の冷え込みを植物たちは奇妙な営みで乗り切る。キャベツセネシオは分厚い葉を閉じる。こうして成長に大雪な中心部を凍結から守る。
・夜が明けると再び夏が来る。今度は葉を広げ思う存分、浴びる。植物が編み出した不思議な技が今日も繰り返される。

<乾きの大地を襲う ケタ外れの大激変>
・地球上で最も過酷な環境の一つ、砂漠。一見、何も変化が起こらないかのように見える大地。しかし想像をはるかに超える激変がやって来る。砂嵐だ。大気が不安定になると突然、強い風が吹き荒れ、砂を猛烈な勢いで巻き上げる。
・乾き切った大地にもまれに雨が降ることがある。猛烈な勢いで降り注ぐ大雨。せき止めるものがない大地で水が大氾濫を起こす。
・水は数日のうちに大地に染み込み、消える。そして新たな変化を引き起こす。乾燥に耐えていた植物の種が一斉に目を覚ますのだ。

<激変を利用する 驚異の生存戦略>
・この大地の激変を利用して、驚きの生存戦略を編み出した生きものがサバクトビバッタだ。実はこのバッタ、普段は数が少なくひっそりと暮らしている。
・ところが数年に一度、大雨が降り緑がよみがえるとスイッチが入る。特殊なフェロモンを出し、成長を加速させる。そして次々と卵を産み、爆発的に数を増やすのだ。
・大群となったバッタたちは食べ物の草を求めて地面を大行進する。バッタは1日に自分の体重と同じ分量の草を食べる。すさまじい勢いで草を食い尽くしていく。
・すると驚くことが起きる。脱皮を繰り返し成虫になると羽が生える。この成虫は正常な時に比べて、はるかに高い飛翔能力を持つ。バッタたちは更なる食べ物を求めて、空へと飛び出す。
・サバクトビバッタは風に乗って1日に最大100km以上も移動する。そして飛んでいった先で世代交代を繰り返す。そうして大群はますます膨れ上がっていく。
・これほどの大発生が起きるのは約10年に1度。この大群、数は数億匹にも上る。覆い尽くす面積は東京23区がすっぽり入るほど。そしてたった1日で4万トンもの草を食べ尽くす。
・数年に一度の大雨を利用して広範囲に子孫を残す。したたかで驚きに満ちた生存戦略が小さなバッタに秘められている。

<地球の宿命 激変の大地>
・あらがうことができない大地の激変。灼熱の大地も、とてつもない大雨も、大気と水が循環するこの星の宿命だ。そんな地球が多様な生きものが暮らす命の星になったのは、あるものの存在があったからだ。

<驚異の生命体・草 激変する大地の恵み>
・それは草、中でもイネ科の植物だ。この草が地球全体に広がり始めたのは約3500万年前。寒さや乾燥、洪水など環境の激変に対する適応能力が極めて高いのだ。
・乾燥が引き起こす野火、焼き尽くされた草原。しかし灰の下では強靭な根が生き残っている。そのため驚くほどのスピードで復活する。しかも新しい草は柔らかく栄養も豊富。生きものにとってかけがえのない食べ物だ。
・この驚異的な生命力が地球を命の揺りかごに変えた。現在、陸地の約4分の1を草原が覆っている。地球上で最も多くの生きものを育む場所。それは草原だ。

<草原が育む多様な命>
・生きものたちは草を巧みに利用するよう進化を遂げてきた。その一つが草食動物のサイガだ。中央アジアのカザフ草原、1年の寒暖差は70度を超える。
・サイガは奇妙な形の鼻を使って、草の新芽を育む雨の匂いを数十km先でも嗅ぎ取る。サイガは新鮮な草を求めて、大草原を移動しながら暮らしている。

<命あふれる小宇宙>
・何から何まで草の助けを借りて生きるものもいる。草むらはそんな小さな生きものたちの小宇宙。まさに命あふれるジャングルだ。
・姿を現したのはカヤネズミ、体長は僅か6cmほど。ごちそう探しの冒険が始まった。ぐんぐんと伸びる草は揺れやすく不安定。そんな草に合わせて発達させたのが尻尾。草に巻きつけ体を支える。
・この草のジャングルで一番のごちそうは、てっぺんにある。しかしてっぺんで身をさらしてしまうのは危険だ。この草むらにもハンターはいる(メンフクロウ)。
・カヤネズミにとって地面もまた、ヘビなどの天敵が多い危険な場所。複雑に絡み合った草のジャングルをすり抜け、足早に巣へと向かう。ようやく辿り着いた。草で作られた巣の中。赤ちゃんが草のベッドでお休み中だ。カヤネズミにとって草は食べ物でもあり、家にもなる。暮らしの全てを支えている。

<草を利用する奇妙な営み>
・草を思いも寄らない形で活用している生きものもいる。ハキリアリは草刈り鎌のような顎で、次々と草を切り落としていく。でもハキリアリは切った草を食べるわけではない。一体何をしようというのか。巣の中へと次々と運び込む。更に細かく切り刻んでいく。
・実はハキリアリは巣の中でキノコの一種を育てている。草はキノコの栄養となる。そしてそのキノコをアリが食べる。つまりハキリアリは、草を利用してキノコを栽培する農業を営んでいるのだ。

<草原が生み出す不思議な関係>
・激変を繰り返すこの地球で、様々な生きものに大いなる恵みをもたらす草原。アフリカ南部のサブチ(ボツワナ)では、生きもの同士の不思議な関係を見ることができる。
・ミナミベニハチクイは雨季に伸びる草を求めてやって来る。お目当ては豊かな草が養う大量の虫だ。虫が飛び出すと…お見事(捕食成功)。
・しかしなかなか虫が飛び出してこないときもある。そんなときは相棒を使う。アフリカオオノガンだ。大きな体で草むらを突き進む。すると狙いは的中。背中の特等席は取り合いだ。ケンカは両成敗。
・そんなハチクイが最も頼りにしている相棒。ゾウは長い鼻で草を根こそぎもぎ取り虫を追い出す。最強の助っ人だ。ゾウの目の前を飛び回るハチクイ、虫が飛び出す一瞬を見逃さない。
・ゾウの周りはハチクイだらけ。草があるところには、いつも生きものたちの賑やかな営みがある。やがて乾季を迎え、この草原が枯れるとハチクイたちは次の旅先へと向かう。

<極北の大地のスペクタクル>
・草を巡って地球規模の壮大なドラマが繰り広げられる場所がある。それは極北の大地(バレンランズ・カナダ)。夏の訪れとともに南から北へと草原がよみがえっていく。
・カリブー(トナカイ)は新しい草を求めて毎年、長い旅をする。5月、カリブーは出産のピークを迎える。草が次々と芽吹くこの時期に合わせて、子どもを産み育てる。
・子どもは大急ぎで体力をつけなければいけない。生まれて数日で親と一緒に長い旅へと出発するからだ。雪と戯れる子ども。しかしこれから厳しく長い試練が待っている。
・遂に旅が始まった。カリブーは雪解けがもたらす草を追って北へ北へと旅をする。その移動距離は1日に50km、一夏に3000kmになる。陸上で暮らす哺乳類の中で、これほど長い距離を移動するものは他にいない。
・旅の途中、彼らを待ち受けているものがいる。ホッキョクオオカミだ。オオカミは毎年、カリブーが草を求めてここに移動してくることを知っている。
・少しずつ間合いを詰めるオオカミ。オオカミが走り出した。カリブーの群れをパニックに陥れる作戦だ。足の遅いものを群れから引き離す。
・子どもが1頭、群れから離れてしまった。オオカミの走るスピードは最高時速60km、カリブーよりも速い。しかし子どもは走り続ける。生まれたばかりの子どもに驚くべき力が秘められていた。
・夏、カリブーたちは極北の地で過ごす。そして再び雪が大地を閉ざす前に今度は南への旅を始める。こうしてカリブーたちは生涯にわたって草を追い求めながら、長い旅を続ける。

・激変の大地で復活を繰り返す草。生きものは草と出会い、草とともに、この星のありとあらゆる環境へと進出してきた。生きものたちに数々の試練をもたらす地球の巨大なパワー。激変の大地を乗り切るしなやかさと逞しさ。その力こそが命あふれる星を生み出したのだ。

(2017/2/2視聴・2017/2/2記)

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【にっぽん!歴史鑑定】鹿鳴館の華 陸奥亮子

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【にっぽん!歴史鑑定】
「鹿鳴館の華 陸奥亮子」

(BS-TBS・2017/1/30放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>


相思空しく―陸奥宗光の妻亮子
 明治の歴史を学ぶ上で重要人物である陸奥宗光。不平等条約改正に尽力した政治家だということは有名ですが、そのご夫人である亮子さん。お写真を見るだけでも大変お美しい方だと思いました。

 そして波乱に飛んだエピソード。ぜひドラマ化してほしい人物ですね。主人公役は誰がいいでしょうか。その辺りは好きな女優さんによって意見が分かれるかもしれませんね。

 それにしても有名人の方は、ラブレターもこうして後世の人たちの人目に触れてしまうことになってしまいます。ある意味で気の毒に思います。自分がつくづく凡人で良かったと思います。絶対に他人に見られたくないような恥ずかしい手紙(メール)を書いたことが…たぶんあるかもしれません(苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・かつてアメリカで「Brilliant Woman(光り輝く美女)」と讃えられた日本人女性がいた。彼女が生きた時代は文明開化に沸く明治の初め。新橋~横浜間には「陸蒸気」と呼ばれた汽車が走り、ガス灯がともる銀座の街では洋服を着た紳士が闊歩していた。
・急速に進む西洋化、その象徴として誕生したのが日本初の迎賓館「鹿鳴館」だった。毎夜開かれる舞踏会、そこで「鹿鳴館の華」とうたわれた女性が陸奥亮子だった。夫は「カミソリ大臣」の異名を持つ陸奥宗光。日本政府の悲願、欧米諸国との不平等条約改正を成し遂げた第8代・外務大臣。
・芸者からエリート官僚の妻へ。僅か9歳で奉公に上がった亮子。悲しい生い立ちと陸奥との意外な出会いとは。
・玉の輿から一転、夫の逮捕で3人の子を抱えての不安な日々。支えとなったのは、獄中の夫からの手紙だった。
・駐米公使夫人としてアメリカへ。不可能と思われていた不平等条約改正はどのようにして達成されたのか。カギを握るのは亮子の写真。明治のトップレディ、その波乱の人生を辿る。

<陸奥亮子の生い立ち>
・東京・銀座七丁目、金春通り。かつてこの辺りは紅殻格子の芸者屋が軒を連ねる花街だった。幕末には武士たち、明治維新後は新政府の高官たちの贔屓を得て、深川・柳橋を凌ぐ勢いだったという。
・そんな花街の売れっ子芸者だったのが亮子。彼女が芸者となったのは貧しさゆえだった。幕末の安政3年(1856年)11月、江戸に生まれた。
・父は播磨国龍野藩の200石取りの藩士・金田蔀。しかし母の添機が金田の正妻でなかったため、亮子たちは父とは暮らせず姉と3人で苦しい生活を余儀無くされた。昼は町家の娘に踊りを教え、夜は裁縫。生活のため母は必死に働いたが、無理がたたり遂に倒れてしまった。
・亮子は江戸藩邸に住んでいた父を何度も訪ね懇願したが、父から援助を受けることはなかった。母の病は一向に回復せず、日に日に困窮していった。見かねた近所の人が、亮子に勧めたのが芸者屋への年季奉公だった。
・まだ9歳と幼かった亮子だったが、来る日も来る日も掃除に洗濯、炊事とこき使われ、その合間に踊りや三味線、江戸小唄を叩き込まれた。芸事の師匠たちは皆、気性が荒く、激しく罵られたり覚えが悪いといって竹の物差しで叩かれたりした。それでも母と姉のため亮子は耐えた。
・そして時代は明治に。16歳となった亮子は芸者・小鈴(こかね)としてお座敷デビューした。小鈴の名はその美貌とともに知れ渡り、亮子は瞬く間に銀座一の芸者に。しかし花街に染まることはなかった。身持ちが堅く、男嫌いの意地を通した。そんな彼女がただ一人、心を許したのが後に外務大臣となる陸奥宗光だった。

<陸奥宗光の生い立ち>
・陸奥は天保15年(1844年)紀州藩士の六男として生まれたが、15歳で脱藩。江戸に出ると幕臣・勝海舟の奇遇を得て、坂本龍馬の海援隊に加わった。貿易で手腕を発揮する陸奥を龍馬は高く買っていた。

「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは俺と陸奥だけぜよ」

・明治になると陸奥は新政府の重鎮・岩倉具視の推挙によって外国事務局御用掛となった。当時、日本は大きな外交問題を抱えていた。幕末に結んだ欧米諸国との不平等条約改正に苦心していた。
・外国人を日本の法律で裁けない治外法権を撤廃すること、関税を自由に決められる関税自主権を獲得すること。それが明治政府の悲願だった。
・海援隊時代に貿易を担当して外国人との交渉に慣れていた陸奥は、政府の期待の星と目されていた。亮子と出会ったとき陸奥は現在の神奈川県知事にあたる神奈川県令となっていた。

<二人の出会いと結婚>
・上客の一人となった陸奥。しかし男嫌いで身持ちが堅かった亮子がなぜ陸奥にだけ心を開いたのか。亮子についての著書を持つ作家の大路和子さんの伺った。

エリートでハンサム、しかもそれをあからさまに振りかざさない宗光の態度に亮子が惹かれていった。それが段々と相思相愛の二人になっていった(大路氏)

・そして明治5年(1872年)5月、亮子は陸奥と結婚。このとき陸奥29歳、亮子17歳だった。

<妻として、母として尽くした亮子>
・神奈川県令・陸奥宗光の妻となった亮子は、同時に母にもなった。実は陸奥は亮子と結婚する僅か3か月前に前妻を亡くしており、息子が2人いた(3歳の長男・広吉、2歳の次男・潤吉)。結婚の翌年、亮子は長女・清子を出産。18歳にして3人の子持ちとなった。
・さらに陸奥の両親とも同居することに。紀州藩の重役の娘だった姑は気難しい人だった。元芸者の亮子を快く思わず、きつい言葉を投げつけることもしばしば。特に食事の作法や料理の味付けにはうるさかったという。
・しかし亮子は愛する夫のため、陸奥家の嫁としてひたむきに尽くしていった。大蔵省租税頭となり順調に出世の道を歩む陸奥を支えながら。

<夫の下野、そして投獄へ>
・明治7年(1874年)1月、かねてから新政府の状況に不満を抱いていた陸奥は官を辞し野に下った。

薩長が幅を利かせている新政府の中で、紀州藩出身の宗光は肩身が狭い思いをしていた。「日本人」という論文の中で「薩長が政治を独占しているため政治が滞っている」と厳しく批判している(大路氏)

・翌年に政府に戻るが、与えられたのは元老院議官という有名無実なポストだった。
・そんな中、明治10年(1877年)西南戦争が勃発。鹿児島の私学校の生徒らが西郷隆盛を擁して挙兵。薩摩対官軍、1万人を超える死傷者を出す大激戦となった。
・この西南戦争に乗じて土佐の立志社も挙兵を企てているという噂が流れた。立志社は自由民権運動の中心となった政治結社。板垣退助らによって土佐で設立された。
・実はそこに陸奥も通じていた。立志社社員たちが次々と逮捕されていく中、捜査の手は陸奥にも迫った。今日か明日か、いまだかつて感じたことのない恐怖に駆られる亮子。
・そして明治11年(1878年)6月10日、陸奥は立志社の政府転覆計画に加担していると疑われ逮捕・投獄された。

<夫の投獄後、新たな苦難とは>
・陸奥は夜を徹しての厳しい尋問が行われた。彼は結核を患っていて小康状態が続いていたものの、いつ再発してもおかしくなかった。
・尋問は夏になっても続いた。亮子は自分たちだけ安穏と過ごすわけにはいかないと、家中の団扇や扇子を片付けてしまったという。
・陸奥が禁錮5年の判決を受け山形監獄に送られた後も、亮子の心労は絶えなかった。

当時の山形県令は、かつて庄内で起きた農民一揆の訴訟を巡って宗光と対立した人物だった。そのため食事に毒を盛られるのではないかと、亮子は心配したという(大路氏)

・そのためか陸奥は監獄の食事には殆ど手をつけず、山形の知人が差し入れるものを主に食べていたという。収監された翌年、正月だからと餅と黒砂糖が振る舞われたときも、同室の囚人が食べて毒がないのを確認してから手をつけたという。
・亮子はこのとき姑と子ども3人を抱え、東京で陸奥の友人の家に世話になっていた。女子どもだけでは危ないと心配した陸奥が予め手配していた。彼女は姑と子どもたちの面倒をみながらも、こまめに日用品を送るなど懸命に陸奥を支えた。
・しかし山形は遠く面会に行くことは出来なかった。結婚して6年、このとき亮子は23歳。夫の居ないこれからの5年間をどう生きていくのか。不安と寂しさばかりが募った。

<亮子を支えた夫からの手紙>
・亮子は知人の紹介で出会った後藤又兵衛という男に陸奥の世話を頼んだ。山形監獄の近くで旅館を営んでいた後藤は、食事や日用品の差し入れなど秘書官さながらに陸奥の世話をしてくれた。
・その子孫が今も山形市内で暮らしている。当時、陸奥に差し入れた物のリストを大切に保存していた。毒殺を恐れていた陸奥らしく食べ物のリクエストが目立つ。しかし最も多かったのは本。法律や政治に関するものを中心に200冊にも及ぶ。陸奥の勉強熱心は相当なもので、獄中でイギリスの思想家ベンサムの著書を翻訳している。
・そんな中、監獄で火災が発生。亮子に陸奥が焼死したという知らせが届いた。しかしこれはデマ。陸奥と親しかった明治政府の高官・伊藤博文も驚いたようで、陸奥を安全な宮城の監獄に移すよう手を回した(明治12年11月に移送)。
・陸奥は獄中から亮子に何通も手紙を書いた。

多分二、三年は面会出来まじくと思い候
母上は申すまでなく小児のこと
よろしく御たのみ申し入れ候
我ら留守中は何事も
そなたがせねばならぬゆえ
御身は大切に御いとい
何事も天命なりとあきらめ
めでたく再会の時を待つべきなり
(明治11年8月3日付)


今年ももはや
わずかなる日数と相成り
来年8月と申すも
遠くあらぬ月日に候
(明治15年11月17日付)


・再会を心待ちにする亮子に吉報が届いた。明治16年(1883年)1月4日、陸奥は特赦となり放免された。4年4か月ぶりに亮子の元に帰ってきた。そのときの写真が残されているが、頬はこけ目は落ち窪みひどくやつれているのが分かる。

<再び離れ離れに そのとき亮子は>
・出獄から1年後の明治17年(1884年)4月、亮子に家族を託し、陸奥は外遊へと旅立ってしまった。

当時、板垣退助を中心に自由民権運動が広がっていて、それに巻き込まれるのを嫌がったと思われる。そうすれば再び目を付けられるのは明らかだった。もう一つ外遊には目的があった。宗光は欧米諸国の憲法や行政を学びたいと考えていた。実際、宗光は外遊中に猛勉強し、研究ノートは7冊に及んだ。伊藤博文や井上馨が支援をしていたことから、周囲も宗光の政界復帰を望んでいたことが窺える(大路氏)

・2年5か月に及ぶ外遊中も陸奥は亮子に50通を超える手紙をしたためている。

コレラに気をつけよ
箱根などに湯治に出かけるもよい
家の周りを厳重にせよ
兄以外の男は
親族でも泊まらせるな


・また陸奥は亮子にカードも送っている。

此国にてクリスマスと新年とに
婦人などがその友たちに
おくる札に候
新年のしるしにさし上候


・離れていても二人は絶えず心を通わせた。

夫婦は道づれの旅人なれば
晴雨寒暑かならず相共にすべく
このことは同居いたし候も
相別れおり候も
相違なきことに候
(明治17年6月18日付)


<鹿鳴館の華となった亮子>
・どんなときも夫婦は道づれの旅人。その言葉を支えに待つこと2年5か月、遂に夫が帰ってきた。初代内閣総理大臣に就任していた伊藤博文の知遇を得て、陸奥は外務省に出仕。それに伴い、亮子は社交界に華々しくデビューした。
・明治16年(1883年)国賓や外交官を招待するため日本初の迎賓館・鹿鳴館が誕生。外務卿である井上馨が明治政府の悲願である不平等条約改正に向け、国の威信をかけて造った。

当時の欧米諸国では政府高官など身分の高い人は、社交を通じて信頼関係を築いていた。井上は鹿鳴館という社交場をつくって欧米人と信頼関係を築くことが条約改正の第一歩になると考えた(大路氏)

・鹿鳴館で夜ごと開かれた舞踏会。主役はきらびやかなドレスをまとった女性たちだった。当時のドレスはヨーロッパで流行していたバッスルスタイル。腰の後ろを大きく膨らませ、ウエストは胸を豊かに見せるためにきつく締め上げた。見た目は優雅だったが、コルセットなど付けたことのない日本人にはとても窮屈で、動くたびに苦痛が伴ったという。
・その様子に目を留めたフランス人画家ビゴーは「猿まねのような薄っぺらい西洋風俗」と風刺画を描いた。
・欧米人に嘲笑される一方で、鹿鳴館の華と讃えられる女性たちもいた。外務卿・井上馨の妻である井上武子や、岩倉具視の次女・戸田極子、陸奥亮子もその一人だった。
・イギリスの外交官アーネスト・サトウいわく「陸奥の二度目の夫人は若くて大変な美人。涼しい目と素晴らしい眉だ」。サトウは25年間、日本に滞在していたが容姿を褒めた日本人女性は亮子ただ一人だった。
・しかし舞踏会が条約改正に結びつくなどということは当然なく、鹿鳴館を舞台とした井上の外交は西洋諸国の顔色を窺っているだけの媚態外交とまで言われるように。そして明治20年(1887年)井上は外務大臣を辞任。鹿鳴館も国辱的建物として歴史の表舞台から消えていった。

<アメリカに渡った亮子の驚きの行動とは>
・辞任した井上に代わり、明治政府が条約改正の大役を任せたのが陸奥だった。明治21年(1888年)6月、特命全権公使としてアメリカ・ワシントンに赴任。このとき亮子は娘とともに同行した。
・ワシントンに到着した亮子は当時のグロバー・クリーブランド大統領と接見。特命全権公使の妻としての生活が否応なしに始まった。
・公使館では夜ごとパーティーを開催。要人の訪問は数か月で実に1200回にも及んだ。精力的に社交活動を行う亮子はドレスを見事に着こなした。その気品溢れる姿は若々しく、亮子と娘はまるで美しい姉妹のようだったという。
・その評判は現地の新聞に載るほどだった。「the prettiest Japanese Woman(最も美しい日本女性)」(1889年2月10日 サン紙)「Brilliant Woman(光り輝く美女)」(1889年2月26日 ピッツバーグ・ディスパッチ紙)。
・亮子は人気者となり、国務長官や政財界の名だたる家々に招かれた。しかし亮子がアメリカでもてはやされたのは美しかったからだけではなかった。彼女がアメリカで評価を得た理由、謎を解くカギは夫が外遊先から送った手紙にあった。

御身こと読書も定めて
相進み申し候ことと存じ候
もしひまこれあり候節は
新聞の社説など読み習い候ようなされたく
一通り今日の世間の有様をしること
もっとも必要に候
この国の婦女子などは
たいてい新聞紙などを読み申し候につき
浅はかながらにも
いろいろのことを知りおき候につき
話もおもしろくまた話も出来申し候
(明治18年3月6日付)


・教養の大切さを教えられた亮子は夫の期待に応えようと、それから毎日新聞を隅々まで読んだ。読書も欠かさず「八犬伝」「弓張月」などの小説から「日本外史」「十八史略」といった難しい歴史書まで読破した。

宗光は近い将来(自分が)政治の要職に就くと思っていた。亮子には社交界に出ても決して引けを取らないように多くの知識を身につけさせようとしていた。亮子も宗光の期待に応えるべく大変な努力をした(大路氏)

・亮子はただ待っているだけの妻ではなかった。世界で活躍するようになった夫に習い、自らを高めていった。そんな妻を夫は手放しで褒めた。

この頃の亮子からの手紙は
文字もことのほか見事になり
文中に漢字も多く昔に比べて
上達したのが見える
(明治18年6月4日付)


・アメリカで亮子は娘とともに英語を猛勉強。話し上手と呼ばれるようになった。しかし亮子は日本人であることも忘れなかった。公使館でのパーティーでは得意の琴を演奏。日本がいかに魅力的な国であるかをアピールした。さらに日本の文学を英訳し、発表までしている。

毎日2時間ずつ時間をぬって、日本の小説の中から良いものを選んで英訳していたという。日本が文明後進国でないこと、欧米とも渡り合える国であることを証明しようとしていた。亮子は日本公使館の内装を和風にし、日本の美をアピールした。亮子は日本の良いところを紹介し認めてもらうことで、欧米諸国と対等な関係を築こうとしていた(大路氏)

・そんな妻の支えもあって陸奥は条約改正に向け、盛んに駆け引きを行った。その辣腕ぶりは後に「カミソリ大臣」という異名をとるほど。渡米したその年のうちにメキシコと修好通商条約を締結。日本にとって初めての対等な国際条約となった。
・さらに帰国後、第二次伊藤内閣の外務大臣なった陸奥は明治27年(1894年)イギリスとの条約改正に成功。これを突破口にアメリカ、ロシア、ドイツ、フランスと次々と条約改正を実現。不平等条約を結んでいた15か国すべてと条約改正を成し遂げた。
・夫婦は道づれの旅人。亮子はその美しさと聡明さで夫の偉業を支え続けた。

<社交界の華となった亮子の晩年とは>
・明治28年(1895年)6月、亮子38歳。高熱を出して倒れた夫の療養のため、大磯にあった別荘に移り住んだ。陸奥は翌年、外務大臣を辞任。波乱に富んだ亮子の人生で、これが初めて訪れた穏やかな時間だったかもしれない。
・夫と二人でハワイでも療養したが、陸奥の体調が回復することはなく明治30年(1897年)8月24日、54歳で亡くなった。
・そして陸奥の死から僅か3年の明治33年(1900年)8月15日、亮子はその後を追うようにこの世を去った。45歳という若さで。
・陸奥はこんな遺書を残している。

「お国のために尽くすことだけを考えていたので、財産というものを残してやれなかったが、多少の遺産を残すことができたのは内助の功によるものが少なからず」

(2017/2/3視聴・2017/2/3記)

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【歴史秘話ヒストリア】スクープ!1500年封印された感動メッセージ

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【歴史秘話ヒストリア】
「スクープ!1500年封印された感動メッセージ」

(NHK総合・2017/2/3放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 久しぶりにリアルタイムで「歴史秘話ヒストリア」を視聴しました(大体は翌日以降に録画したものを観ることが多いので)。やっぱり放送時間帯が金曜の20時からというのは、ちょっと早い感じがしますね。以前の22時からの方がお風呂上がりで寝る前の一時をゆったりと観るのが好きでした。そろそろ改編期ですから(NHK様がこのブログを見ているか分かりませんが)一応書いておきます(笑)

 さて、榛名山の麓で発見された人骨から古代の「王」の姿を想像するという非常に面白い企画。そして興味深かったのは、見つかったヨロイやはにわの姿から王が騎馬民族のスタイルだったということ。これは以前放送された(→選・コーフン!古墳のミステリー)のときも書いたことですが、古墳の出土物で「騎馬民族=朝鮮半島からの渡来」というものが今後も出てくる可能性があり、そうなると非常に都合のよろしくないと考える某庁が特定の古墳の発掘調査に「待った」をかけているのではないか。まあ、これは私の邪推ですが。

 また隣の国に異常なほどに嫌悪感を感じている人たちは「王」が渡来人だったことすら認めたくないないかもしれませんね。もう状況証拠的に決着ついた感がありますがね。

 それはさておき、もう一つ今回興味深かったのは榛名山麓のヨロイの男(=王?)は何をしようとしていたのか。「祈りを捧げていた」「宝物を持ち出していた」「戦おうとしていた」の3つの説が出ました。これは私の印象ですが「戦おうとしていた説」が何だか魅力的に感じる説に思いました。

 いずれにしても「王」は民を先に逃して集落を守ろうとした。もちろん仮説に仮説を重ねた話だということは十分承知していますが、仮にそれが合っていたとすれば、その責任感や使命感は古代の王の方がはるかに優れていたと言わなければなりません。民が災害で苦しんでいるときに高級天ぷらで舌鼓を打っていた通称「天ぷら野郎」(しかも衣ばかりで中身がない)と大違いですね。しかも仮に奴だったら噴火があった瞬間に誰よりも真っ先に逃げ出すでしょうね。ちなみに誰のことかって?来週「トランプのキング」に千切れるほど尻尾を振りに行く人物のことです(笑)

 まあ、そんなどうしょうもない人物のことはさておいて。最後になかなか見どころのある演技をしてくださった「ヒストリア俳優さん」を紹介しておきます。王さま役:ドヰタイジさん、お妃さま役:上野みどりさん、王子役:松崎隆真さん。大変お疲れさまでした。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・標高1000m以上の高いところにある群馬県の榛名湖。巨大な火山・榛名山の噴火によって出来た湖だ。今から1500年前、雲仙普賢岳の30倍ともいわれる火砕流が山麓をのみ込んだ。実は驚くべきことに、その時の姿が残されていた。
・噴火で降り積もった大量の火山灰や軽石。その下から前例のないものが発掘された。被災した瞬間をそのままに伝える古代人。しかも日本で初めてヨロイを身につけた姿で発見された。
・この「ヨロイの男」は一体何者なのか。一緒に見つかった無数の足跡、金が施された最高級の馬具、更なる手がかりは“はにわ”。そしてトランプのキング。
・謎の古代人・ヨロイの男は、私たちに一体何を伝えようとしているのだろうか。巨大災害に見舞われた古代の人々、そのありのままの姿に迫る。

・西暦79年、火山の大噴火でイタリアのポンペイの街が壊滅、多くの人が亡くなった大災害。その遺跡からは被害に遭う直前までの街の豊かな様子が克明にうかがえる。
・ポンペイ自体とてつもない出来事だが、実は同じようなことが群馬県でも起きていた。かつて榛名山が噴火、目の前の地域一帯が被害を受けていたことが近年の発掘調査で分かってきた。その調査でこれまでにない驚くべき発見があった。

<地中に封じられた悲劇の瞬間>
・榛名山の東側に位置する群馬県渋川市の金井東裏遺跡。2012年11月、道路建設のさなかに大発見があった。これまでバラバラでしか見つかったことのない古墳時代のヨロイ。それが完全な形で出土した。
・ヨロイを土から切り出し研究室に持ち込むと、更に驚くべきことが分かった。ヨロイの下にあったのは1500年前の人骨。つまりヨロイを着たままの姿で一人の人物が土の中に埋まっていたことになる。

とんでもないレアケース。一生に一度あるかないかの感動を覚えた(発掘を担当した群馬県埋蔵文化財調査事業団 主任調査研究員の杉山秀宏さん)

・群馬県立歴史博物館にヨロイの男が出土した状況がより分かる精巧な模型が作られている。

大腿骨から身長164cmと分かった(修復を担当した群馬県埋蔵文化財調査事業団 専門調査役の大木紳一郎さん)

・身長は古代人としては大柄な164cm。ではそれ以外に何が分かるのか。

両膝を地面について、それで前かがみに倒れている。両手が曲がっているから、両手でもってその下にあったカブトを押さえるような姿で発見されている(同上)

・ヨロイの男が見つかったのは、噴火した榛名山から8kmほどの場所。このとき発見されたのは男性だけではなかった。一人は成人の女性、もう一人は10歳に満たない幼児、そして生まれて間もない乳児も見つかった。合計4人の骨が10数mほどの範囲にあった。
・骨は九州大学に持ち込まれ、本格的な分析・調査が始まった。成人の男女は頭蓋骨が良い状態で残っていた。そのため意外な人物像が判明した。
・男性は細面で鼻筋が通っている。朝鮮半島など渡来人の血を引いていると考えられる。一方、女性は顎がしっかりしていてだんご鼻。古代の東日本によくある顔立ち。
・更に男性は40代前半、女性は30代後半と判明。女性の身長も割り出された(143cm)ことから、2人の容姿が浮かび上がってきた。
・加えて大きな手がかりになったのが「歯」。人の歯のエナメル質には10歳ぐらいまでの生育地の地下水に由来する微量が元素が含まれている。つまり歯の成分を調べれば、その人がどこで育ったかが分かるというのだ。

成人男性、成人女性は金井東裏遺跡周辺と違う値が出てきた(分析を担当した九州大学比較社会文化研究員助教の舟橋京子さん)

・2人は榛名山の麓ではなく何処からなのか。

(二人の)ストロンチウム同位体比を示す場所は長野県伊那谷周辺。(そこから)移り住んできた可能性が高い(同上)

・分析の結果、二人は群馬生まれではなく長野県伊那地方で生まれたことが分かった。一方、幼児が生まれたのは榛名山の麓。乳児も同じと考えられた。するとこのように推測できる。
・長野で育った男女は一緒に群馬に移り住んだ。幼児と乳児は群馬で生まれた。4人の骨は10数mの範囲で見つかり、辺りには他の人骨は見つからなかった。つまりこの4人は家族だった可能性が高い。
・実は群馬県は鹿児島・熊本などと並ぶ日本有数の火山地帯。浅間山、榛名山、赤城山の3つの火山が何万年も前から大きな噴火を繰り返してきた。そのため県の大部分が火山灰や軽石で覆われている。
・ポンペイの噴火で人々の命を奪ったのは火砕流だった。高温のガスと火山岩を含む熱風が100km以上の猛スピードで押し寄せる現象。ポンペイでは一瞬の火砕流に見舞われた人や動物たちがそのままの姿で閉じ込められた。時が止まったかのようにその時の様子を知ることができる。群馬で見つかった人骨も火砕流の下から発見された。ポンペイの犠牲者と同じく、当時を物語る歴史の証言者だ。
・発掘現場では人骨以外にも見つかったものがあった。おびただしい数の足跡。その殆どは一つの方向に向かっていることが分かった。かかとから爪先までしっかりと刻まれている。つまり走ったのではなく、歩いたことを示している。

秩序だった歩き方をしている。パニックに陥っていない(群馬県埋蔵文化財調査事業団 専門調査役の原雅信さん)

・以上の発掘調査をもとに噴火当時の様子を再現してみる。最初、噴火は小規模なものだった。火山灰が降り出し時折、雨も降り1か月。人々は噴火から逃れるように避難していく。足跡を残して…。
・人々が避難を終えたこの集落になぜか4人だけが残った。しかも男はヨロイを身にまとい、これから戦いに出るかのような姿。そこにこれまでとは比べものにならない噴火が起こり、一瞬にして4人の命は奪われた。
・これがあの日、起きたと考えられる出来事。しかし新たな疑問が湧いてくる。避難する余裕はあったのに、なぜ4人は集落に留まったのか?男はなぜヨロイを身にまとっていたのか?このヨロイの男とは一体何者なのか?

<ヨロイの男の正体>
・ヨロイの男の正体に迫る手がかりが意外なところに残されていた。男が発見された場所から南へ15km、5世紀後半につくられた保渡田八幡塚古墳。巨大な古墳とともに“はにわ”が復元されている。その姿は様々、帽子のようなものを被ったり、いろいろなデザインのベルトをしたり。
・この中にひときわ立派な姿のはにわがある。あのヨロイの男とそっくり「ヨロイのはにわ」だ。しかも、はにわが作られたのはあの噴火と同時代。これこそ謎を解くカギだ。
・もともと関東地方の古墳から数多く出土していたヨロイを着たはにわ。これまでの研究では、王に仕えた武人だとされてきた。
・ところが近年、古墳の中の調査からその考えは大きく変わってきている。そもそも当時の古墳は「王の墓」。その中から決まってヨロイが出土する。つまりヨロイを着たはにわとは王の姿である。

ヨロイの男は、はにわ研究から見ると地域を代表する“王”のような存在(高崎市文化財保護課課長の若狭徹さん)

・なんとヨロイの男は「王」の可能性があるというのだ。

※トランプの「王」(キング)は誰をイメージしたものか。
・スペード:ダビデ(ヘブライ)
・クラブ :アレクサンドロス大王(マケドニア)
・ダイヤ :カエサル(ローマ)
・ハート :カール大帝(フランク)

・注目すべきはその出で立ちだ。真っ直ぐな剣、宝石、派手なベルト、王冠。はにわの王とそっくり。後の天皇や将軍の装いというよりは、西洋のトランプに似ている。

筒そで、丸首の上着とズボンは騎馬民族のスタイル。日本は朝鮮半島から伝わり、ヨーロッパにも伝わった(京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝さん)

・つまり発掘された男がヨロイをまとっていたということは、騎馬・馬と関係があるのではないか?改めてそのヨロイに注目すると、金属の板をいくつも綴じ合わせて作られている。
・一方、それより前の時代のヨロイ(黒姫山古墳・5世紀)は板を鉄のびょうで固定し頑丈に作られている。しかし馬に乗るにはあまり適していない。
・実際、乗馬してみると上下に跳ね、体に当たって痛い。ヨロイに動く部分がなく、横を向くのが精一杯。一方、騎馬民族から伝わったヨロイは伸び縮みして体もひねりやすい。追いすがる敵に矢を放つこともできる。遺跡から出土したヨロイは、いわば馬に乗るためのヨロイだった。
・2016年11月、人骨が見つかった近くの金井下新田遺跡で3頭の馬の骨がまとまって出土した。子馬の骨も見つかったことから、この地で馬が飼育されていたことが確実視されている。ヨロイの男の力の源泉は馬だったと考えられる。
・ところで、このヨロイの男が長野から群馬に移ってきた説と馬が関わっている可能性がある。古代の馬の生産地は発掘調査や文献によってほぼ分かっている。鹿児島、熊本、静岡、長野そして群馬。火山のそばという共通点がある。
・一般に火山の周りは広大な斜面が広がっている。火山灰や軽石が多く、田畑には適していなくても広い草原が馬を養うにはもってこいだ。

馬の生産が早く始まった地域として伊那谷の地域があり、伊那谷の人が馬の生産の有望な群馬に移ってきた(群馬県立歴史博物館館長の右島和夫さん)

・群馬の地に馬をもたらし集落を治めた王。ヨロイの男の正体が浮かび上がってきた。大腿骨を見ると太くてしっかりしている。これは馬に日常的に乗っていた人物の特徴だという。馬の背から落ちないように、脚をぐっと締めるために太ももの筋肉が発達していたことを示す。
・ヨロイの男は単なる王ではなく、騎馬の習慣や馬の飼育など馬と関わりの深い、いわば「馬の王」。特別な王の姿が見えてくる。

<推理“王”の最期の瞬間>
・ヨロイの男の発掘を担当した杉山さんは、男性と火山との位置関係に注目した。

火砕流は西から東に向かってくる。男の顔は山(西の方)を向いている(群馬県埋蔵文化財調査事業団 主任調査研究員の杉山秀宏さん)

・男の姿勢は膝をついた、いわば四つんばいのような姿。そして頭の向きは噴火した榛名山の方角。

男は山に向かって何かしようとしていた最中、亡くなった(同上)

【杉山説:王は祈りを捧げていた】
・杉山さんの推理によれば人々が避難した後も、王は集落に留まらなければならなかった。王には重要な仕事が残っていたからだ。王は民を治めていればよいわけではない。神をまつることも“王”の務めだった。

不安定な状況の中、山の怒りを鎮めたいという気持ちがあった。ふだん使わない武器・武具をもって山の怒りを鎮めようとした(同上)

・つまり四つんばいの姿勢は“王”として祈っていたという推理だ。

【右島説:王は宝物を持ち出していた】
・しかし群馬県立歴史博物館館長の右島和夫さんの見方は異なる。ヨロイが発見された状況に不可解な点があるためだ。

実はもう一つヨロイがあった。これもヨロイの男の所有物と考えられる(右島さん)

・二つのヨロイ。祈るためなら二つ必要はない。謎を解くカギは当時のヨロイが貴重品だったことにある。右島さんの推理によれば集落の人たちが避難した後、最後にこの家族が避難を始めた。その理由は、王の証である宝物を誰にも触れさせることなく持ち出さなくてはならなかった。

自分の地位を表す大事なものを持って移動しているとき、火砕流に襲われた(同上)

・男の手は何かを抱えているようにも見える。その下にはカブトが埋まっていた。カブトは男が命に代えても守ろうとした宝物だったのかもしれない。

【若狭説:王は戦おうとしていた】
・一方、はにわから古代を研究してきた高崎市文化財保護課課長の若狭徹さん。ヨロイは祈るための装いでも宝物でもなく、やはり戦いのためだったと推理する。

噴火という緊迫した状況の中、戦おうとしてヨロイを着た(若狭さん)

・若狭さんによれば「風土記」など古代の記録の中にヒントがあるという。「常陸国風土記」の中の「弓矢使いの麻多智」という人物、現在の茨城県南部を治めた王。
・麻多智は人々を率いて新たな土地を切り開いていた。するとある日、体は蛇、頭に角がある神が現れ、開拓の邪魔をする。麻多智は大いに怒り、ヨロイを身につけ蛇の神と戦い追い払ったと記されている。

まつってもなお、たたる神に対しては武装して対決するのが王の存在価値。果たせなければ王の位を追われた。王は災害、神から逃げることができなかった(同上)

・若狭さんの推理をもとに王と神の戦いを再現する。噴火が始まって1か月、王が祈りを捧げても神は一向に鎮まらなかった。これ以上、王に神をまつる術はなかった。自らが切り開いた土地も火山灰に埋もれようとしていた。
・王は力の源と信じるヨロイを身につけ、神に立ち向かった。榛名山に向かって前のめりに倒れたその姿。未曽有の大災害を前に最期の瞬間まで王が王たろうとしたことを物語っているのかもない。

<古代人の営みを解き明かす努力は続く>
・古代、想像を絶する噴火に見舞われた榛名山麓。今も発掘調査が続けられている。噴火の後、地下数mに封じ込められた住居の跡。タイムカプセルのように古代の人々の営みを伝えている。
・あのとき先に避難し難を逃れた人々。彼らは噴火が収まった後、再び帰ってきたのかもしれない。火砕流の上の層から新たにつくられた集落の遺跡が発見された(群馬県渋川市の黒井峯遺跡)。噴火から数十年後のこと、この地は復興を遂げていた。
・骨の修復を担当した群馬県埋蔵文化財調査事業団 専門調査役の大木紳一郎さん。調査のさなか、研究者として忘れてはならないことに気付かされたという。

一般の方に公開したときに一人の女性が花を持って、こちらの遺体に捧げてもいいかと言われた。この人物は1500年たって我々にメッセージを伝えようとしているかもしれない。発見した我々は何かの形でそれを受け取らなければならない(大木さん)

・群馬県榛名山の麓。一体何を語り、何を伝えようとしているのか。古代の人の確かな営みを解き明かす努力は続く。

(2017/2/3視聴・2017/2/3記)

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【ドキュメント72時間】選 金券ショップでつかむ幸せは

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【ドキュメント72時間】
「選 金券ショップでつかむ幸せは」

(NHK総合・2017/2/3放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 2015年2月6日放送の再放送。確か初回の放送は観ていたと思います。池袋のコンコースにある金券ショップ。私も店の前に通るときは、ついつい眺めてしまいます。

 ちなみに私も「金券好き」ですね。あるモニターをやっていて商品券が定期的に送られてくるのですが、これは換金せずにスーパーで使っています。あとは新幹線や高速バスの回数券、映画も前売券があるか事前にチェックしますし、本もまとめて買うときは図書カードを購入します。いま財布の中に入っているのは300円で買った某焼肉チェーン店の20%割引券、1500円以上飲食すれば楽に元が取れます(笑)

 逆に金券を売る機会は殆ど無いですね。商品券やビール券など大量に貰う機会もないし、少し貰ったとしても割り引いてお金にするよりも辛抱強く必要な物を買う機会を待って消費しますから。番組でも「買う人」は多く紹介されていますが、「売る人」は殆ど映されていませんでした。やはり後者はカメラNGの「ワケアリ」の人が多いということなのでしょうか。

 まあ、考えつくのはカードローンの限度額を超えた人が回数券などをカードで大量購入して現金化するとか。ちょっと前は政治屋が政務調査費でハガキや切手を大量購入し、金券ショップで「ロンダリング」した疑惑がありましたね。いずれにしてもショップにそれなりの在庫があるということは売る人がいるわけで、その経緯が気になるところです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・都会の片隅に毎日、大量のお金が行き交う場所がある。今日の舞台は金券ショップ。新幹線の切符や映画のチケット、更にマッサージ券やコーヒー券まで。割安なチケットを求め、少しでも得をしたい人がひっきりなしにやって来る。
・格安チケットの向こうに、人はどんな幸せをつかもうとするのか。3日間、見つめてみた。

・1月5日(月)12時。池袋の地下街の一角にある僅か3坪ほどの店舗で撮影開始。
・早速、お客さん。安くなるのは切手で1円、ハガキで6円。77歳の女性は切手と懸賞に出すハガキを買いに来たという。
・テレフォンカードを買いに来た教員の42歳女性。子どもが小学生と中学生で携帯電話を学校に持たせていないので、何かあったときのために買うという。
・バブルの後、一気に全国に広まったといわれる金券ショップ。並ぶ商品は今や100種類以上。不要になった人から安く買い取ったものなので、どれも定価よりは割安。ただし得をするのは殆どが数十円ほど。それを目当てに次々と人が来る。
・13時。派遣社員の33歳女性が買ったのは地下鉄の切符。10円安くなるという。派遣の仕事を転々としている彼女、休日の楽しみはおしゃれなお店が並ぶ通りをぶらりと歩くこと。
・東京から熱海までの新幹線回数券を買った高校生の18歳男性。普通に買うよう199円安い。小学1年からバイオリンを習っていて、熱海まで習いに行っているという。音楽家を目指し、今月難関の音大を受験するという。バイオリンは100万円以上。子どもの夢を叶えてやりたいと、共働きの両親がお金を貯めて買ってくれた。ほんの少しでも負担を減らすため、彼もできるだけ節約する。
・14時40分。大きな荷物を引いた人がやって来た。何だか随分慣れた様子。タクシーチケットを買った女性。通院に使っているという。独り身の64歳、4年前に乳がんが見つかり今も月に数回病院に通う。治療費がかさみ貯金も乏しくなってきたから、いろんなチケットを駆使して節約を心がけているという。決して楽とは言えないはずなのに、どことなく明るいのはなぜだろう。
・18時。仕事を終え、家路につく人が増えてきた。じっとチケットをにらむ歯科医師の36歳女性。迷った末、1000円の商品券を3枚。36円得になる。実は最近、生まれて初めて実家を出て、念願の一人暮らしを始めたという。誰にも干渉されず好きな服を着て、好きな物を食べる毎日。節約するのもぜいたくも自分で決める暮らしが今は楽しい。
・店の営業は21時まで。だけど金券ショップはまだ眠らない。20mほど離れた所にひっそりと立つ自販機。深夜と早朝はここでいろんなチケットを買うことができる。
・スーツ姿の男性がやって来た。買ったのは地下鉄の割引回数券、競馬に行くときに使うという。浮かせたお金でまた一獲千金の夢を買う。

・1月6日(火)開店は朝10時、すぐにお客さんがやって来る。金券を売りに来た人。この時期、ビール券や商品券がよく持ち込まれる。お祝いや挨拶で度々もらうけど、持て余して現金にしてしまう人が多いらしい。これも生活の知恵なのかな。
・16時30分。じっとショーケースを見つめる若い男性。買ったのは10円割引の切符2枚。何だか通い慣れた感じ。実家のコンビニを手伝っている28歳。3年前、現金の入った財布を落としたことで生き方が変わった。10万円入っていたが中身を使われてしまって泣き寝入りしたという。そこからは節約人生。買い物は必ず割安の金券も利用し、毎回きっちり家計簿もつける。欲しい物は殆ど年始の福袋で手に入れ、あとは出費を抑えるそうだ。もう1000万円以上貯まったけど、まだまだ節約だという。
・21時、窓口業務は終了。閉店間際にプリペイドカードをまとめ買いする59歳女性。もうすぐ還暦、夫婦でたまにぜいたくするのが楽しみなんだとか。若い頃、無理したせいで気づけば体がボロボロだったという。今の夫と再婚する前、1人で3人の子どもを立派に育て上げたことが彼女の誇り。かつては生きるため、今はささやかな夫婦の楽しみのための節約。格安チケットの向こうにそれぞれの幸せの形が見えてくる。

・1月7日(水)13時30分。財布を無くして節約を始めたあの若者が再びやって来た。近所の手前があるので顔の部分は放送しないでほしいと言ってきた。
・19時。印象的な一人の男性と出会った。5年前、職を失い節約が当たり前になったというアルバイトの40代男性。失業してからはずっと実家の世話になってきた。だけどそれでは駄目だと最近、清掃のバイトを見つけて一人暮らしを始めた。節約を重ねながらどこまでいけるか。彼は自分の足で歩いていく。

・1月8日(木)10時。今日も金券ショップには様々な人生模様。会社員と二足のわらじのロックミュージシャン。割引切符でライブハウスに新年のご挨拶。
・これから商品券で買い物をするという男性。お目当ては大好きな“たくあん”。

(2017/2/4視聴・2017/2/4記)

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【ブラタモリ】#62 別府温泉~別府はなぜ日本一の温泉に?~

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【ブラタモリ】
「#62 別府温泉~別府はなぜ日本一の温泉に?~」

(NHK総合・2017/2/4放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 湧出量、泉質の豊富さ日本一という別府温泉。私も20年以上前に一度だけ行ったことがありますが、あまり記憶が残っていないのですね(出張のときに立ち寄っただけというのもあったので…)。

 「別府八湯」というバリエーションの富んだ温泉があることは知っていましたが、それが一つの源泉だったということは今回の番組で初めて知りました。そして断層と扇状地という地形が様々な特徴ある温泉を作り上げたということ、まさにお見事です。

 これはぜひ行ったときは八湯制覇したいですね。一気に入ったら湯あたりしてしまいそうなので、のんびりステイしたいですね。ちなみに強酸性のお風呂は私も入ったことがありますが…感想はタモリ氏と同じです(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今日はスタート地点は別府温泉。足蒸しを試してみる二人。
・案内人は別府市教育委員会の永野康洋さん。
・お題は「別府はなぜ日本一の温泉に?」
・別府は湧出量、泉質の豊富さで日本一多いという。
・別府温泉は「別府八湯」とも呼ばれ8つのエリアに分かれている。山に向かって右側が明礬、鉄輪、柴石、亀川。左側が堀田、観海寺、別府、浜脇。これら8つのエリアを合わせて湧き出す温泉の量と種類は日本一。

・一行がいるのは鉄輪エリア。別府に温泉が湧く理由を探る。
・2人目の案内人は別府温泉の研究一筋50年、京都大学名誉教授(地球熱学)で別府温泉地球博物館館長の由佐悠紀さん。調査した温泉の数は延べ1000か所に上るという。
・石垣になっている崖は断層が上下にずれて出来た断層崖。
・温泉にはもととなる「水」、温めるための「熱源」、そしてお湯が地上に湧き出すための「通り道」が必要。その中で通り道となる隙間をつくっているのが別府では断層。
・別府八湯のうち右側にある4つのエリアは1つの断層に沿っている。

・次に一行は観海寺エリアへ。八幡地獄で温度を測ると99度近くある。非常に温度が高い温泉が出ている。
・朝見川断層。高さは30m、1000年で1m以上動いたと考えられる。左側の温泉も1つの断層に沿っている。
・別府は2つの断層に挟まれた沈んだ場所にある。九州にはプレートによって南北に引っ張られる力が働いている。別府はちょうどその裂け目にある。

・続いて堀田エリアへ。いろんな大きさの石が堆積してできた地層。別府の町も同じ地層の上にある。
・扇状地とは川や火山の土石流に運ばれた土砂が扇状に堆積してできる地形。土砂は水を通しやすいので扇状地の地下には大量の水が流れている。
・2つの断層を通って湧き出した大量の温泉が扇状地に広がり、別府全体に流れている。そしてそれをたくさんの人が掘って源泉の数が増え、別府温泉が湧出量日本一になった。

・一行は別府エリアにある共同浴場へ。
・山に向かって右側の断層沿いにはpHの低い酸性の温泉がある。一方、左側の温泉にはpHの高いアルカリ性の温泉がある。
・詳しく見てみると、右側は山から海に向かって酸性度が弱くなっている。左側はpHがバラバラになっている。
・扇状地の地下には温泉の通り道がいくつもあり、複雑に広がっている。地表近くを通って雨水と混ざり、成分が薄くなる温泉や途中で分かれて流れていく温泉。地中深く成分を保ったまま端まで流れる温泉もある。
・更にその通り道となる地層には、それぞれ成分の違う鉱物がある。温泉にはそれらが混ざるので通り道ごとに微妙な成分の違いが生まれる。
・別府温泉は扇状地の地下にある複雑な通り道のおかげで、泉質の種類が日本一となっている。

・最後に一行は別府市と由布市の境にある塚原温泉へ。2つの断層の交わる場所にある。
・やって来たのは伽藍岳、活動中の火山。中腹にある火口からは今も絶えず噴気が上がっている。
・念のためマスクを持って火口の近くへ(専門家の監修のもと安全に配慮し、特別な許可を得て撮影)
・伽藍岳の火口は通常の火山ガスと違い、有毒な塩化水素と亜硫酸ガスは入っていないので近づいても平気だった。
・この辺りの地下にはマグマの熱で温められた大量の熱水が溜まっている。マグマから出る火山ガスの有毒な成分はこの大量の熱水にほぼ吸収される。こんなに火口に近づけたのは、地下に大量の熱水があるから。伽藍岳の地下に広がる大量の熱水が別府温泉の全ての源だった。
・そこに断層と扇状地が加わり、湧出量と泉質の種類日本一の別府温泉を生み出した。

(2017/2/5視聴・2017/2/5記)

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第5回 亀之丞帰る

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第5回
「亀之丞帰る」

(NHK総合・2017/2/5放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 いよいよ次郎法師(おとわ)、亀之丞、鶴丸の3人が子役から大人になって登場です。柴咲コウさんは今回はちょっとコミカルなところをみせ、亀之丞は病弱だった姿からたくましくなっての再登場(でも父には似ませんでした)、そして鶴丸は小野政次となりちょっと父(政直)に似た雰囲気を出していきます。

 史実ではこの3人の友情が壊れてしまう運命ですが、その辺りをどういう形に描くのでしょうね。そして亀之丞のストレートすぎる求愛を次郎法師はどう受け止めるのか。まあ、この時代の恋愛事情は当事者の意向ではないことは分かっていますが、ドラマなのでね。そこはそれとして観ていくことにしましょうか(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・井伊家当主の一人娘おとわには亀之丞、鶴丸という幼なじみがおった。じゃが、いいなずけの亀之丞は今川から命を狙われ行方知れずに。一方、おとわは本領安堵の見返りとして出家をし次郎法師と名乗ることとなった。そして9年の月日が経った。

・次郎法師(柴咲コウ)は修行を重ねながら亀之丞(三浦春馬)の帰りを待っていた。
・この頃、今川義元(春風亭昇太)は武田との同盟を後ろ盾に領土の西方、三河平定に乗り出し今やその勢いは留まるところを知らなかった。
・井伊谷でも今川寄りの家老・小野政直(吹越満)の力がますます強大となっていた。政直は嫡男・政次(高橋一生)を奥山朝利(でんでん)の娘と夫婦にし、その子を井伊家の後継者にしようと画策していた。
・しかし直平(前田吟)たちは猛反発。亀之丞を戻す時期を見計らっていたところへ、政直が倒れて急死する。
・その年の夏、今川義元の息子・氏真(尾上松也)の婚姻とともに駿河、甲斐、相模の三国同盟が成立。これにより今川、北条、武田はそれぞれ憂いなく領土を押し広げていくこととなり、武田は南信州に攻め入った。そしてこのことは井伊に思わぬ波紋を及ぼすこととなった。
・武田の戦火を逃れるため亀之丞を隠れていた信州から戻すことになった。
・井伊直盛(杉本哲太)は政次に亀之丞の帰還とともに縁談も破談にすると告げた。
・そして遂に亀之丞が戻り、一同と喜びの再会を果たす。
・宴を抜け出した亀之丞は次郎法師とも再会する。そして亀之丞は還俗して夫婦になろうと告げる。

<直虎紀行>
・長野県高森町。亀之丞が今川の手から逃れ、およそ10年過ごした地。亀之丞は松源寺に身を寄せていた。
・この地を治める松岡氏の下で弓や武術の稽古に励んでいたと地元では伝わっている。
・ふるさとへの思いを馳せた亀之丞に悲願の時がやって来る。浜松市にある寺野六所神社。亀之丞が幼い頃に訪れた社といわれている。亀之丞は帰還の際、感謝のしるしとしてここに青葉の笛を奉納したと伝わっている。
・亀之丞の帰還。それは井伊家にもたらされた待望の知らせだった。

※松源寺(JR「下市田」下車 徒歩30分)
※寺野六所神社(JR「浜松」からバス「渋川」下車 徒歩45分)
※松岡城跡

(2017/2/6視聴・2017/2/6記)

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おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」完全ガイドブック (TOKYO NEWS MOOK 591号)

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」完全読本 (NIKKO MOOK)

おんな城主 井伊直虎と井伊直政の真実 (別冊宝島 2528)

井伊直虎と謎の超名門「井伊家」 (講談社+α文庫)

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第4回 女子にこそあれ次郎法師
第3回 おとわ危機一髪
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【ETV特集】北方領土 重い扉を開く ゴルバチョフが明かす日ソ交渉舞台裏

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【ETV特集】
「北方領土 重い扉を開く ゴルバチョフが明かす日ソ交渉舞台裏」

(Eテレ・2017/2/4放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 昨年放送されたNHKスペシャルの感想(【NHKスペシャル】スクープドキュメント 北方領土交渉)でも書きましたが、外交交渉の過程が全て明らかになっているわけではないので予断を持っていうわけにはいきません。それでも領土問題は主権の根本に関わる問題ですから「1mmたりとも相手に渡さない」という世界ですから、そう一筋縄ではいかないでしょう。進展を見守るしかありませんね。

 それはさておき今回私が興味を引いたのは、1991年4月に行われた日ソ首脳会談の当事者である海部俊樹元首相、ゴルバチョフ元大統領がいずれもご存命だということ。2人とも偶然にも1931年生まれ。(海部氏は1月生まれの86歳、ゴルバチョフ氏は3月生まれの85歳)。文字通り「歴史の生き証人」であるわけですから、もっと水面下の攻防など生々しい話が聞きたかったですね。できたら対談というのは難しいのかな…NHKさん。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・2016年12月、ロシアのプーチン大統領が大統領として11年ぶりに日本を訪問した。北方領土問題を抱え、戦争状態の終結を意味する平和条約がまだ結ばれていない日本とロシア。両国は北方四島での共同経済活動を目指し、信頼関係を深めることで一致した。

戦後71年を経てなお日本とロシアの間には平和条約がない。この異常な状態に私たちの世代で私たちの手で終止符を打たなければならない(安倍総理)

我々にとって一番大事なのは平和条約の締結です。中長期的な展望に立って関係づくりを進めることができるからです(プーチン大統領)

・アメリカにトランプ政権が誕生するなど今、世界は大きな地殻変動の中にある。領土問題の打開を目指す日本とロシアの動きに世界の関心が高まっている。
・第二次世界大戦の末期、ソビエトの対日参戦による北方領土の占拠。冷戦時代、東西の厳しい対立の中でソビエトは日本との間には領土問題は存在しないと強硬な姿勢をとり続けた。
・変化の兆しが現れたのは1985年。ゴルバチョフがソビエトの最高指導者に就き、西側との関係改善を進めた。しかし欧米に比べて日本との関係づくりは遅れ、訪日の実現までには6年もかかった。日ソ交渉の舞台裏を元ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフが語る。

日ソの接近を邪魔したのは何だったのか?それは日米安保条約ですよ(ゴルバチョフ氏)

・停滞していた日ソ関係を進展させる重要な出発点となったのが、1991年のゴルバチョフ大統領の訪日だった。ソビエトの首脳として初めて北方四島の領土問題の存在を公式に認めた。

言うだけじゃ信用できないから四島の名前を書けと言ったら、彼はしぶしぶ歯舞、色丹、択捉、国後と書いた(海部俊樹元首相)

・この訪日を巡って、ある秘密交渉が繰り広げられていたことが明らかになった。日本とロシアの関係が再び動き出した今、過去の経緯を見つめ直し、領土問題を解決に近づける手がかりを探っていく。

<この間の日ロ関係の経過とは>
・山内聡彦解説委員(以下、山内氏):領土問題が遂に動くのではないか。11年ぶりというプーチン大統領の訪日は、日本中の大きな関心を集めました。
 今回、領土問題そのものについては進展はありませんでした。しかし北方四島の共同経済活動について交渉を始めることになり、これが平和条約の締結に向けた重要な第一歩になりうると期待されています。
 要するに本格的な領土交渉はまだ先の話であり、まずは両国の信頼関係を高める必要があるというわけです。領土交渉の難しさを改めて実感させられた形です。
 今回の訪日の成果をどう見るべきなのか。まずはその経緯を振り返ってみましょう。

・2010年、日本とロシアの関係は冷戦終結後、最悪の状態に陥った。当時のメドベージェフ大統領がソビエト時代を通じて最高指導者として初めて北方領土を訪問。これに日本は強く反発した。
・しかしプーチン大統領と安倍総理が変化の兆しをもたらした。2014年2月、安倍総理がソチの冬季オリンピックの開会式に出席。プーチン大統領がその年の秋に訪日することで合意した。
・交渉を始めようとしたそのとき、思わぬ事態が起こった。新たな東西対立を生んだウクライナ危機だ。クリミアを併合したロシアに欧米諸国が経済制裁を発動。日本も制裁に同調し、プーチン訪日は先送りされた。
・2016年5月、日本は状況を打開するタイミングを掴んだ。アメリカの反対を押し切ってロシア・ソチでの首脳会談に臨んだ。日本側は北方領土の将来像を考えながら、領土問題の解決策を探る「新しいアプローチ」を提案。その鍵となる8項目の経済協力案をロシアに示した。

停滞を打破する、突破口を開くという手応えを得ることができた。プーチン大統領も同じ認識だと思います(安倍総理)

・その後も首脳会談を積み重ね、プーチン大統領が11年ぶりに訪日することになった。安倍総理の故郷・山口県に招いての首脳会談。会談の舞台に選んだのは老舗の温泉旅館。

首脳会談の疲れが温泉につかることで完全に取れることは約束します(同上)

「疲れが取れる」とおっしゃったが、一番良いのは疲れないことです(プーチン大統領)

・首脳同士の個人的な信頼関係を深めることで、難局を打開しようとした。この会談で両国は「北方四島で共同経済活動を『特別な制度』のもとで行うための交渉を開始する」ことで合意。その一方で、領土問題については具体的な合意はなかった。

平和条約の締結に向けた重要な一歩です。北方四島の未来図を描き、その中から解決策を探し出す未来志向の発想が必要です(安倍総理)

我々は経済協力だけに関心があって、平和条約を重視していないというわけではありません。一番大事なのは平和条約の締結です(プーチン大統領)

<首脳会談の結果を識者はどう見るか>
・首脳会談の結果をどう見るか?今回の合意を評価しているロシア専門家の下斗米伸夫氏(法政大学教授)。

今回のプーチンさんの訪問については、まあまずまずのスタートだったと見てます。ですから一足飛びに一段飛びでポーンと飛べるという性格のものではそもそもないので、一挙解決を期待した人には失望だったかもしれませんが、私はそれなりにやっぱり手順を踏んでるんだろうと思うんですね。ホップ・ステップ・ジャンプのホップかなという感じですよね(下斗米氏)

・一方、ロシア専門家の袴田茂樹氏(新潟県立大学教授)は厳しい見方をしている。

四島における共同経済活動。これは成果のように述べる方もいますけれども、これはもともと90年代にロシア側が強く求めたわけで、安倍首相が一番重視した「北方領土の解決」という問題に関してはですね、成果は生まれなかったと言ってもいいと思うんですね(袴田氏)

・ロシア元駐日大使のアレクサンドル・パノフ氏はこう述べる。

ロシアは今回、日本との間で大規模な経済協力について合意しました。それによってロシアはこの地域、そして世界での立場を強化したのです。共同経済活動は四島を巡る緊迫した状況をやわらげます。両国の協力を深め、人の交流を盛んにするでしょう。最終的には、ここに国境があるとかないとか、そういうことが問題ではなくなります。これは間違いなく重要な一歩です(パノフ氏)

<領土交渉で共通している3つのポイント>
・山内氏:ご覧いただきましたように、訪日の結果については専門家の間でも評価が大きく分かれています。ところで、これまでの領土交渉を振り返りますと、共通した問題がいくつかあることが分かります。この番組ではそれを3つのポイントに絞って検証してみることにします。

(1)交渉のタイミング 両国間には領土交渉が大きく進展するチャンスがこれまでに何回かありました。しかしいずれもうまくいかず、解決のタイミングを逃してきました。
(2)領土問題と経済協力の関係
(3)首脳同士の信頼関係

 この3つのポイントについて過去と今回の首脳会談を比べ、今後の領土交渉への手がかりを探りたいと思います。

<(1)交渉のタイミング>
・領土交渉になぜタイミングが重要なのか。それはこの問題が複雑な国際政治の力学の中で生まれたからだ。問題の発端は1945年のヤルタ会談だった。アメリカのルーズベルト大統領は戦争終結を早めるため、ソビエトのスターリン書記長に日本への参戦を要請。その見返りにソビエトに千島列島を引き渡すという秘密協定を結んだ。
・この秘密協定に従ってソビエトは1945年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄し日本に宣戦布告。千島列島に進撃し、択捉・国後・色丹・歯舞の北方四島を占拠した。
・終戦から10年、日ソの国交正常化交渉の中で北方領土問題が協議された。このとき日ソ両国は領土問題を解決し、平和条約を結ぼうとしていた。
・ソビエト側は日本に対し北方四島のうち歯舞・色丹の二島の引渡しを提案。決着を図ろうとした。しかしこれにアメリカのダレス国務長官が待ったをかけた。

日本が二島引き渡しで妥協し国後・択捉を諦めるのなら、沖縄の返還はできないことになる。

・いわゆる「ダレスの恫喝」。アメリカの介入もあり、この交渉では北方領土問題を解決できなかった。そのため日本とソビエトは平和条約を結ぶことができず、日ソ共同宣言という形で国交を回復することになった(1956年10月)。

両国は正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結交渉を継続する。ソ連は平和条約の締結後に、歯舞群島および色丹島を日本に引き渡すことに同意する。

・北方領土問題で日ソ間に火種を残すことをアメリカは意図していたと専門家は指摘している。アメリカの駐ソ連大使を務めたジャック・マトロック氏。

冷戦時代は領土問題で日ソに摩擦が起きることは、アメリカにとって悪いことではなかったのです(マトロック氏)

・1960年、日米安保条約が改定され日本へのアメリカ軍駐留の継続が決まった。するとソビエトは日本にこう通告した。

日本へのアメリカ軍駐留は、日ソ間で合意した二島引き渡しを不可能にする。

・ここからソビエトは、日本との間に領土問題は存在しないとの立場をとるようになった。以来20年以上にわたり、北方領土を巡る交渉は全く動かなかった。
・1985年、転機が訪れた。ミハイル・ゴルバチョフが54歳の若さでソビエトのトップ、共産党書記長に就任。旧態依然とした体制を批判し、改革ペレストロイカを進めた。
・硬直した外交姿勢を改めた新思考外交を打ち出し、西側諸国との関係改善に乗り出した。関係が冷え込んでいた日本にも歩み寄る姿勢を見せた。

日ソ外相の相互訪問が実現し、最高レベル(首脳同士)の訪問も日程に上っている。経済協力に双方が関心を持ち、ソ連沿岸地域では日本企業との実務経験があり共同企業の設立も討議できる(ゴルバチョフ氏)

・これは領土交渉を進展させる絶好のタイミングに見えた。しかし当時の日本はゴルバチョフの呼びかけに殆ど応じなかった。これまで一切の領土交渉を拒絶してきたソビエトへの不信感は根強く、ゴルバチョフの呼びかけにも慎重な姿勢を崩さなかった。
・一方、ソビエト側にも日本に対して大きな不信感があった。元ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフ本人に話を聞くことができた(2016年5月)。

日本側はいつも理由を見つけては、前に進まないようにしていました。日本は半植民地のように他の国に強く依存しているからです。日本によって一番重要なのはアメリカなのです(ゴルバチョフ氏)

・冷戦時代、アメリカは社会主義陣営の勢力拡大を牽制し、ソビエトと厳しく対立してきた。しかしゴルバチョフの登場で、その戦略が変わり始めた。ゴルバチョフとレーガン大統領は毎年首脳会談を行い信頼関係を構築。米ソは核兵器削減を実現した(INF中距離核戦力全廃条約調印・1987年12月)。
・米ソの信頼関係が深まる中で、アメリカはソビエトの改革や外交政策を支持する姿勢を強めた。北方領土問題についても従来の立場を大きく変えた。

日本の北方領土問題の解決はアジアの平和と安定に重要だ(レーガン大統領 1988年5月)

冷戦時代でしたらアメリカは日本がソ連に接近しすぎることに気をもんだかもしれません。しかしゴルバチョフが現れてからは、日ソ関係が進展することを前向きに受け止めていました。将来の平和を確かなものにするからです。日ソ間の緊張がいつまでも続くことは、アメリカの国益にかなうとは思えませんでした(アメリカ元駐ソ連大使マトロック氏)

・米ソの関係が劇的に改善する中で、日本は領土交渉のタイミングを探ろうとソビエトにアプローチを始めた。東郷和彦氏はそのときの外務省ソ連課長だった。

冷戦時代に(日ソが)まともに話をしていないのは間違いない。やはり話をしなくてはいけないと。第一バスケットとして「平和条約」。「領土問題」と言いたいけれど、そうしたら絶対に乗ってこない。当時のソ連の公式的な立場は「領土問題は存在しない」。「平和条約」を投げると、案に相違して彼らは乗ってきた(東郷氏)

・1988年12月、ゴルバチョフの側近として新思考外交を進めていたシェワルナゼ外相が日本を訪れた。ゴルバチョフ訪日を目指し、平和条約締結に向けた作業部会を発足させることで合意した。

総じて会談は好意的かつ充実したものでした(シェワルナゼ氏)

・しかし1か月後の1989年1月、パリでの日ソ外相会談で思わぬ状況に陥った。

ゴルバチョフ(の訪日に向けて)いろいろ建設的に準備しましょうと。ただ領土を置いてきぼりにする訪日になったら困ります。領土をちゃんとやらない訪日は良い訪日になりませんと言った。そうしたら、あのシェワルナゼが怒った怒った。「あなたの今の発言は東京で聞いた話と違う」こういうわけです(東郷氏)

・これによってゴルバチョフの早期訪日に向けた動きは大きく後退した。日ソ交渉が滞っている間にゴルバチョフを巡る状況は一変した。
・1989年5月、ゴルバチョフは長年対立していた中国を訪問。この訪問によってソビエトと中国は30年ぶりに関係を正常化した。
・同じ頃、ソビエトと同盟関係にあった東ヨーロッパで民主化運動が激化。11月、東西ドイツを隔てたベルリンの壁が崩壊した。そこから一気にドイツ統一に向けた動きが加速した。

ベルリンの壁崩壊が起きた後、ドイツの統一問題が一挙に動く。だからソ連の指導部は日本のことを考える時間がなくなる。すべてはタイミング(東郷氏)

・揺れる国際情勢の中、領土交渉のタイミングをはかる難しさ。安倍・プーチンの交渉も様々な局面でタイミングを失いかけてきた。2014年にはウクライナ危機によって日本は欧米とロシアの板挟みになり、プーチン訪日が延期。2016年初めにはオバマ大統領から日ロ首脳会談の中止を強く求められた。
・今年、アメリカではトランプ新大統領が誕生。世界の情勢が更に複雑になっていく中で、交渉のタイミングを図ることがますます難しいものとなっている。
・今回の訪日でプーチン大統領は、北方領土問題がロシアの安全保障に深く関わっていると強調。「ダレスの恫喝」を例に挙げ、アメリカの関与に懸念を表明した。

日本とアメリカは特別な関係で、日米安保条約の義務があります。日本側にはこうした微妙な点やロシア側の懸念を考慮してほしい(プーチン大統領)

・首脳会談の直前、ロシアは択捉島と国後島に新型ミサイルを配備した。北方領土がロシアの重要な軍事拠点であることを示した。ロシア元駐日大使のパノフ氏は、今後の交渉は安全保障問題が重要になると考えている。

もしロシアが日本と平和条約に調印するとすれば、ロシア側にある確信がなければなりません。日本が日米安保条約を政治的にも軍事的にロシアの利益に反するようには利用しないということです。日本側はこの保証を与えるべきです。このテーマは交渉の非常に重要な問題になると思います(パノフ氏)

・下斗米伸夫氏(法政大学教授)は、北東アジアの複雑な情勢を見据えた広い視点が必要だと主張する。

北方領土で基地を今、現実にロシア軍の基地なりロケットなり軍事施設があるわけで、これをどうするか。しかし今度は単に日米ロだけでなく、北極海の問題が絡むと中国の安全保障、エネルギー、中国海軍がここに出てくる可能性も十分あるもんですから。こういったことでのきちんとした詰めが日本側との間でできるかというのが恐らくポイントのもう一つ重要なことなんだろうと思うんですよね(下斗米氏)

・山内氏:訪日の結果、明らかになったのは領土問題はすぐには解決できず、まだ時間がかかりそうだということです。交渉は今後、来年のロシアの大統領選挙をまたいで続くのは避けられない情勢です。
 またアメリカにトランプ新政権が発足し、米ロや日ロの関係がどうなるのかも大きな関心事です。今後いかにして日ロの首脳交渉の勢いを保っていくのか、タイミングを逃さないようにいかに領土交渉を進めていくのかが問われることになります。

<(2)領土問題と経済協力の関係>
・1990年1月、日本とソビエトの交渉がようやく動き始める兆しを見せた。自民党の安倍晋太郎元幹事長が、それまでにない新しいアプローチでソビエトの交渉に臨んだ。領土問題ではなく主に経済協力を提案した。これに対しゴルバチョフも問題解決の意欲を示した。

今度初めて解決という言葉が出た。「英知を持って解決していきましょう」と。お互いにやはり解決の方向をこれから目指していかなきゃならないという、そういう気迫というか気持ちは確かに受け止めることができた(安倍晋太郎氏)

・この頃、日本はソビエトとの交渉戦略を大きく転換していた。それまでは領土問題が解決しない限り経済協力は一切行わない、いわゆる「政経不可分」の立場だった。それを領土問題と経済協力のバランスを取りながら両国の関係を発展させる「拡大均衡」の方針に変えた。日本の対応の変化にソビエトも動いた。ゴルバチョフは日本訪問を今度こそ実現したいという意向を明らかにした。

いま日ソ両国の間には様々な動きが出ている。我々はあらゆる問題を討議する用意がある(ゴルバチョフ氏)

・ゴルバチョフは政権発足から6年後の1991年4月にようやく訪日することになった。日本はゴルバチョフ訪日を領土交渉の大きなチャンスと捉えた。

平和条約を結んで北方領土を取り戻すことが、唯一の当時の目標。そのためには平和条約を結ばなければならない。条約もない国とは話ができない。ソ連との間ではどんなことがあっても平和条約を結ぼうと(海部俊樹元首相)

・ゴルバチョフ訪日予定の半年ほど前からソビエトの高官が次々と日本を訪れ、訪日に向けた準備が本格化した。こうした中、ソビエト側から日本にある極秘の提案が行われた。提案を持ち込んだのは、ゴルバチョフ訪日準備委員会の有力メンバー、アルカージ・ボリスキー氏だった。当時、ボリスキーの交渉で通訳を務めた元ソ連共産党国際部のワシーリー・サプリン氏の証言。

彼(ボリスキー)が大統領からの命令を受けた。日本のお金がたくさんある所は極東経済に関心があるから、そこから経済支援を受けられるから行ってその使命を果たしなさい(サプリン氏)

・当時ソビエトは深刻な経済危機に陥り、食料品など生活必需品も不足する状態だった。日本からの巨額の支援を何としても実現させ、国内経済の立て直しを図りたい。ボリスキーは経済協力と領土問題の解決を結びつけるような姿勢を示した。

彼にとっては、まず国を救うためにお金が必要、経済援助が必要です。その危機的な状態の中では少しでも領土で譲れる範囲があるだろうという彼の考えだった。個人的には少しやりすぎな約束があったのでないか(同上)

・これをきっかけに領土問題の解決と経済支援を結びつけた秘密交渉が始まった。ロシア国立公文書館、ソビエト時代の政次文書を集めたアーカイブにその交渉の記録が残っていた。「1991年1月9日、自民党幹部の特使とソビエト指導部との対話の記録」。
・日本側は「政治的決定が必要なのは領土問題と経済協力問題だ」という基本姿勢を示した後、約260億ドル(3兆8000億円)の経済支援をソビエト側に提示している。これは1956年の日ソ共同宣言にある二島の日本への引き渡しの際に可能になる。歯舞・色丹の返還と引き換えの支援だと明言。更に国後・択捉という残り二島についても解決を求めた。この交渉を実現させるため、日本政府も準備を進めていた。

ソ連側からきた話を小沢(一郎)が受け止めて、金をそれだけ出さないといけないから約束していいですかと。大蔵大臣は反対しないというようなことまで言い含めてモスクワに行かせた(海部元首相)

・北方領土問題が遂に大きく動くのか(1991年3月、ゴルバチョフ小沢会談)。ところがソビエトが態度を急変させた。この会談の通訳がサプリン氏だった。

ゴルバチョフは「こういう取り引きはいけない。ソ連の世論や政界が受け止められない」。経済支援の見返りに(領土を引き渡す)約束はできない(サプリン氏)

・最初に話を持ちかけてきたボリスキーは、急に連絡が取れなくなった。

2日目か3日目に(小沢幹事長から)電話がかかってきて「あの話はなかったことにしてくれ」と。「なぜか」と聞いたら「口裏を変えられてしまった」。だからソ連と話をするのは危ない(海部元首相)

・実はこのときゴルバチョフの政権基盤が大きく揺らいでいた。ある議員がこんな噂を大々的に広めた(ソ連大統領補佐官の日記より)。

ゴルバチョフは2500億ドルで四島を売った。

・交渉していた260億ドルのおよそ10倍、誤った情報だったが「島を金で売るつもりか」と国内の強い反発を引き起こした。

一番まずかったのはソ連の世論との関係。ゴルバチョフが右から左からバッシングされ始めていたところに、新たな火種を日ソで提供した形になった(元外務省ソ連課長の東郷和彦氏)

・秘密交渉は頓挫したが、当時ソビエト側では領土問題の解決に積極的な動きもあった。ゴルバチョフが訪日の際、どんな姿勢を示すかが大きな焦点になっていた。
・領土問題の解決と経済協力の関係は今の日本にとっても大きな課題だ。領土が先か、経済が先か、それとも同時に進めるのか。その選択肢の中で、日本は北方領土でロシアと共同で経済開発を行い、双方の信頼を高める方針を示している。
・専門家はどう見ているのだろうか。

まず経済協力、安全保障上の関係、政治の交流や文化の交流を発展させるべきです。そうすることで、相手の国に対する信頼感や本当の関係が生まれます。ロシアの政権にいる人々がなぜロシアに日本が必要か理解し、日本も領土以外でなぜロシアが必要かを理解するようになります。そうすれば領土問題でもこれまでとは違うアプローチを取れるようになるでしょう(ロシア元駐日大使のパノフ氏)

・まず経済協力などを進めるべきと主張するパノフ氏に対し、袴田氏(新潟県立大学教授)は別の考えを示す。

領土問題の交渉、それと経済協力、私はともにバランスを取りながら進めるという、その考え方に賛成です。どちらかだけが一方的に進むと、領土問題だけこれを解決しなければというかつての政経不可分、これもあまりにも一方的ですし、それから経済協力だけ進めるといっても何の領土問題解決の保証もないならば、これは国民は納得しないと思います(袴田氏)

・山内氏:経済を中心に関係全体を改善し、北方領土の将来像を考える中で領土問題を進展させる。これが「新しいアプローチ」と呼ばれる安倍総理の戦略です。ロシア側の食い逃げを懸念する声がある中、プーチン大統領は「ロシアは経済協力だけに関心があるのではない」と強調しました。安倍総理のこの戦略が果たして平和条約の締結に繋がるのか、問われることになります。

<(3)首脳同士の信頼関係>
・1991年4月16日、ゴルバチョフはソビエトの最高指導者として初めての訪日を果たした。東西の冷戦に終止符を打つなど、戦後の課題を次々と解決してきたゴルバチョフならば領土問題を進展させてくれるかもしれない。日本の期待は膨らんだ。ゴルバチョフを招いて開かれた宮中晩餐会。テレビで生中継され20%近い視聴率を記録している。

(覚えていますか?)
素晴らしい歓迎でしたね。この頃の私は若かったですね(ゴルバチョフ氏)

・東京・迎賓館で日ソ首脳会談が始まった。ゴルバチョフ大統領と海部総理が直接顔を合わせたのは、これが初めてだった。それまで進まなかった領土交渉に首脳同士の会談で突破口を見いだせるのか。
・当時60歳同士の2人の首脳が対峙した。互いの基本姿勢を確認した後、ゴルバチョフは「これまでの姿勢を改め、北方四島の領土問題の存在を認める」と述べた。

今まで何にも存在すら認めなかったものを認めたから、言うだけじゃ信用できないから四島の名前を書けと言ったら、彼はしぶしぶ歯舞、色丹、択捉、国後と書いた。その紙をもらい、これを実際やろうと(海部元首相)

・ソビエトが歯舞・色丹の二島に加え、国後・択捉の名前を挙げて領土問題の存在を認めたのは初めてのことだった。一つの成果を得た日本は、続いて平和条約締結後の歯舞・色丹の引き渡しを定めた日ソ共同宣言の有効性を認めるよう、ゴルバチョフに迫った。しかしゴルバチョフは首を縦に振らなかった。

日本との交渉は簡単ではありません。領土問題を飛び越すことはできないからです。この問題を脇に寄せるか、妥協するか、別のやり方をするかです(ゴルバチョフ氏)

・それぞれの主張を繰り返し、首脳会談は膠着状態に陥った。海部総理は打開の糸口を見いだそうと、晩餐会の場などを利用してゴルバチョフとの関係づくりをはかった。

これはね晩餐会だよ。そして彼はマイクを持って歌を歌ったんだ。終わってから二次会みたいな形で歌った(海部元首相)

海部総理と私でコンサートを開き歌ったのです。それで仲良くなりました(ゴルバチョフ氏)

個人的な信頼関係ができれば難しい話もできるとこっちは思うし、ひとつ付き合ってやろうと(海部元首相)

・ようやく始まった首脳同士の関係づくり。首脳会談の行方は…。外交官として交渉に立ち会ったロシア元駐日大使のパノフ氏が当時の様子をこう語る。

海部総理との一対一の話し合いが終わって、ゴルバチョフ大統領を我々は廊下で待っていました。そこで補佐官が質問したんです。「大統領、共同宣言を認めましたか?」。答えは「いや、認めなかった」。大統領は共同宣言を認める権限は十分にあったでしょう。しかしそうすれば国内で否定的に受け止められ、大きな打撃を受けることを彼は恐れたのです(パノフ氏)

・ゴルバチョフの決断に決定的な影響を与えたのは、国内の反対勢力の存在だった。軍部を中心とする保守派、エリツィン率いる急進改革派など様々な勢力がゴルバチョフを政権から引きずり降ろそうと狙っていた。その動きもアメリカも掴んでいた。

その頃、エリツィンはウラジオストクなどのロシア極東地域を視察していました。その後、彼と話したら「島を日本に引き渡すべきではない」と言ったのです。これは重要です。エリツィンのこのスタンスが原因で、ゴルバチョフは1956年の共同宣言について合意できなかったのです(アメリカ元駐ソ連大使マトロック氏)

・3日間で13時間に及ぶ会談の末、合意した内容。

歯舞、色丹、国後、択捉の名前を明記し、領土問題の存在を認める。

経済協力、北方領土のビザなし交流など幅広く両国の関係を深める。


・しかし歯舞・色丹の引き渡しを定めた1956年の日ソ共同宣言の有効性をソビエト側は認めなかった。

国際約束(日ソ共同宣言)くらいは認めてもいいじゃないかと詰めたけれども、頑として受けなかった。それを受け入れる力がない。ゴルバチョフは権力のイスが危なくなってきたので、ちょっと弱かったな。交渉相手として(海部元首相)

・一方、ロシア国内で絶大な支持を集めるプーチン大統領は、1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めている。ただし歯舞・色丹の二島を引き渡す条件が定められておらず、これは交渉の対象だと主張している。
・強気の姿勢を貫くプーチン大統領と安倍総理は、これまで16回の会談を積み重ねてきた。未来志向で北方領土問題を考える「新しいアプローチ」や大型の経済協力の提案など、様々な形で関係を深めてきた。
・日本のこの戦略を下斗米氏(法政大学教授)は好意的に捉えている。

人間的な関係、これは時代が変わってるといえば当たり前で、今や首脳外交というものが当たり前になってきた。それにしても、やっぱり個人関係の信頼というものをつめれば、おそらくとんでもない誤解だとか思わぬ変化にどう対応するかとか、不信感を持たない、信頼を持つ、これは非常に重要だと思いますね(下斗米氏)

・一方、袴田氏(新潟県立大学教授)は安倍・プーチンの信頼関係に懐疑的だ。

安倍さんは確かに極めて熱心にプーチン大統領にアプローチしています。ファーストネームで「ウラジーミル、ウラジーミル」と、それからロシア語で「ナ・トゥイ」といいますが「君」というような言い方でね。ただプーチン大統領はね、かなりそれに対して「シンゾウ」と言うこともありますけれどもね「首相閣下」とか「安倍首相」とかね、ちょっとね同じ形で親密な態度は示しませんよという雰囲気を示す、そういう状況もありますし。プーチン大統領と安倍首相がね、本当の信頼関係を構築して尊敬し合っているという、そういう関係と言っていいんだろうかと、ちょっと私はその辺には疑問は感じています(袴田氏)

・山内氏:去年7か月で4回にわたった日ロ首脳会談。安倍総理自らがイニシアチブを発揮し、プーチン大統領と何度も直接渡り合ったことは領土交渉史上、前例のないことです。
 日ロの当面の焦点は平和条約締結への重要な一歩とされる北方四島の共同経済活動を実現することです。両国の主権を害さない「特別な制度」を見いだせるかどうかは、今後の領土交渉の重要な試金石となります。
 来年のロシア大統領選挙や国際情勢の激変が予想される中、日本側としては来年以降を見据えた戦略が求められます。

・北方領土を巡る日本とロシアの交渉は、これから重要な局面を迎える。

いま必要なことは、山口や東京での首脳会談で達成された全ての合意を最大限実現することです。そして全ての分野の関係を前進させることです。世界や国内の状況がいかに変化しようとも、今回の交渉のプロセスを始めたところまで双方の立場が大きく後退しないためです(ロシア元駐日大使のパノフ氏)

私はね、主権問題というのはプーチン大統領も、それから一般に国際的にね、はるかに厳しい問題だと認識している。つまりそれは戦争と同じ次元の問題で、本当にきちんと解決するためだったら10年だろうと50年だろうと、きちんと正義は通しますよという。そういうやっぱり覚悟を決めないと、私はこの問題、自ら時期を限るのは間違いだと思いますね(袴田氏)

私は今、戦後の日ロ・日ソ交渉史から考える限り、最高のパートナー同士になりつつあると思いますね。他のリーダーたちがみんな新しいリーダーに替わる、替わりつつあるわけで、世界の中でも日ロ関係というのはある種、非常に重要な関係になってくるだろうと。あるいは中国から見ましてもね、やっぱり日ロ関係というのは非常に注目して見てると思いますね(下斗米氏)

・安倍総理は去年の首脳会談の勢いを今後に繋げようと、2017年の早い時期にロシアを訪問する意向を示している。まず信頼関係をつくり、平和条約を結ぶという新たな戦略。北方領土問題解決への重い扉を開くことができるのだろうか。

(2017/2/7視聴・2017/2/7記)

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今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~
15歳 私たちが見つけたもの~熊本地震3年3組の半年~
漱石が見つめた近代~没後100年 姜尚中がゆく~
路地の声 父の声~中上健次を探して~
わたしのCasa(家)~“日系異邦人”団地物語~
日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~
香港は誰のものか
事態を侮らず過度に恐れず~“福島プロジェクト”の挑戦~
アンコール つかさ18歳 人生を取り戻したい~被虐待児2年間の記録~
原発に一番近い病院 ある老医師の2000日
私たちは買われた~少女たちの企画展~(追記)
私たちは買われた~少女たちの企画展~
ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実~
アンコール 忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦“満州難民”を描く
武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~
関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか
アンコール むのたけじ 100歳の不屈
アンコール 名前を失くした父~人間爆弾“桜花”発案者の素顔~
54枚の写真~長崎・被爆者を訪ねて~
アンコール 水俣病 魂の声を聞く~公式確認から60年~」
母と子 あの日から~森永ヒ素ミルク中毒事件60年~
“書きかえられた”沖縄戦~国家と戦死者・知られざる記録~
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