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【にっぽん!歴史鑑定】井伊直虎はなぜおんな城主となったのか?

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【にっぽん!歴史鑑定】
「井伊直虎はなぜおんな城主となったのか?」

(BS-TBS・2017/1/9放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 井伊直虎を取り上げた番組を視聴するのは、これで3本目となります。それぞれ微妙にエピソードの紹介が異なるので、ほぼこれで大河ドラマのあらすじはコンプリートできたかもといった感じです。「にっぽん!歴史鑑定」はドラマの時代考証を担当している小和田哲男先生が出演していますから、ほぼ断定的に“直虎=女性説”採用での話でした。

【歴史秘話ヒストリア】おんな城主 直虎のイロハ
【歴史秘話ヒストリア】それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~

 興味深いエピソードでいえば井伊家を窮地に追い込んだ小野政直、政次親子のところですね。どちらもドラマでそれなりの役者さんが当てられています。既に政直が井伊直満を死に追いやったところは「おんな城主」の第1話で放送済ですが、まだ政次は直虎や直親の幼馴染み役ということで…今後どういう形でブラック化していくのかちょっと楽しみといえば楽しみなトコロです。

 ということで、とりあえず大河ドラマの中だけは「おとこ城主」説のことは忘れて観ることにしたいと思います。もう今更変えられないし…ね。今後の新発見でお蔵入りになるようなことがあったら、逆に観る機会が得られなくなるかもしれないですしね(苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・江戸時代末期の安政7年(1860年)3月3日。江戸城桜田門の前で幕府を震撼させる暗殺事件が起こった(桜田門外の変)。暗殺されたのは幕閣の最高職・大老の井伊直弼、日本を開国へと導いた人物だ。歴史を動かすほどの存在となっていた井伊家。
・しかしそれほどの権力を持つことが出来たのも、一人の女性がいたからこそ。戦国の世に生きた「おんな城主」井伊直虎。女として生まれながら男の名を名乗ることになった直虎。その人生は悲劇と試練の連続だった。
・許婚が行方不明に。それでも一途に待ち続ける直虎が最後に下した驚きの決断とは。
・2度にわたる家臣の裏切り。城も領地も奪われた直虎、井伊家を守り抜いた奇跡の逆転劇とは。
・井伊家の菩提寺に伝わる秘蔵史料を徹底検証。謎多き直虎の実像に迫る。

<井伊直虎の生い立ち>
・静岡県浜松市は、かつて遠江国と呼ばれていた。ここに井伊谷と呼ばれる地域がある。もともと井伊家はこの辺り一帯で15ほどの集落を治めていた弱小の地頭(国人領主)だった。
・戦国時代、遠江国は駿河の大名・今川義元の領地となり、井伊家は井伊谷の地頭のまま今川の家臣となった。当時の井伊家について戦国史に詳しい静岡大学名誉教授の小和田哲男氏に伺った。

井伊家は本領の井伊谷支配を許されたので、他の地域より恵まれていた。だから安定的な支配が続いている(小和田氏)

・そんな中、天文5年(1536年)頃に生まれたのが井伊直虎。父は井伊家の22代当主・直盛。直虎は唯一授かった子どもだった。井伊家の歴史が記された「井伊家傅記」にはこうある。

女にこそあれ井伊家惣領に生まれ候
(惣領=跡継ぎ)

・当時、女性が当主となることは出来たのか。

江戸時代は家督は男しか継げない決まりがあったが、戦国時代は女の子しか居ない場合は当主になっているのでこの場合も当主になれた(同上)

・父・直盛は一人娘を大事に育てた。礼儀作法や読み書きなどを教え、教養を授けたという。しかし直盛は迷っていた。

「女が当主となれば領民がついてこない可能性もある」

・そこで結局、婿を取りその者に家督を継がせることにする。

養子を迎えてもよかったが、せっかく自分の子どもがいるわけだからその子に婿を迎えれば自分の血が残ると考えたのは(同上)

・直盛が許婚にしたのは、叔父である直満の子・直親だった。幼馴染みだった二人は仲が良く、ともに井伊家を盛り立てていくのだと気持ちを寄せ合った。
・今回は直虎(幼名不明)と直親が同じ年代だという説に基づく。二人が婚約したのは7歳の頃。このまま結婚すれば直虎がおんな城主になる必要はないが、時は戦国時代。彼女は乱世の渦に巻き込まれた。

<井伊家筆頭家老の裏切り>
・井伊家筆頭家老の小野政直が今川義元に対し、直親の父・直満が今川家に謀反を起こそうとしていると讒言した。
・直満とその弟(直義)は謀反の疑いを晴らすため、すぐさま駿府に赴き申し開きを行った。しかし義元は許さず、二人は殺されてしまった。このとき息子である直親にも危機が迫っていた。
・親族らは穀物を入れる袋に直親を隠して間一髪、城を脱出させ長野の寺に預けた。居場所はもちろん生死さえもごく限られた者だけにしか知らせなかった。
・家臣である小野政直はなぜ井伊家を裏切ったのか。江戸幕府がまとめた大名や旗本の記録集「寛政重修諸家譜」に、こんな記述がある。政直は直満と不仲だったため直親が家督を継ぐことを嫌い、今川義元に讒言した。
・小野政直は井伊家を監視するため今川家から送り込まれたスパイだったとも言われている。そのため政直は将来、直親が当主になり反今川色が強くなることを未然に防ごうとした。
・時は下克上の世。政直はあわよくば井伊家を乗っ取りたいとも考えていた。そのため事件後、平然と息子の政次を井伊家の婿養子にしてはもらえないかと持ちかけたという。直盛は当然、首を縦に振ることはなかった。

<直虎の出家>
・直虎も気持ちは同じ。一途に許婚の帰りを待ち続けた。しかし何年経っても帰って来なかった。何度父にその生死を問いただしても答えてくれない。
・すると直虎は出家するという周囲を驚かせる行動に出た。父は思いとどまるよう説得するが、彼女の決心は変わらなかった。
・浜松市にある古刹・龍潭寺。井伊家の菩提寺であるこの寺で直虎は出家した。現住職である武藤宗甫氏はこのときの直虎の気持ちをこう推察する。

直親への一途な思いが出家を決意させた。弔いのため一生涯独身で過ごすという強い思いがあったのでは(武藤氏)

・出家した直虎は「次郎法師」という法名を授けられた。名付け親は当時の龍潭寺の住職で、直虎の大叔父でもあった南渓瑞聞。しかしなぜ男の名だったのか?

井伊家の惣領は代々、備中次郎を付けていた。その次郎を頭に持っていきたいというのが一つの選択肢にあったのかもしれない。その下に法師と付けたのは当時としては男性の方が還俗(一度出家した者がもとの俗人に戻ること)しやすかったからというのが推測される(同上)

・将来、井伊家に戻る可能性を残し直虎は出家したが、何歳で出家したかについて諸説ある。事件後すぐに出家した9歳頃。また20歳ぐらいだったという説もある。

事件後すぐというのは自分で判断できる年齢ではないのではないか。また小野政直が死亡して直親が帰ってきているので20歳というのも遅いと思われる。直虎の出家は事件後5~6年後ぐらいではないか(小和田氏)

<井伊直虎を襲った2度目の悲劇とは>
・弘治元年(1555年)20歳になった直親が井伊谷に戻ってきた。直盛は娘・次郎法師を還俗させ、直親と結婚させようとしたが彼女は還俗する気はないと一度決めたことを曲げることはなかった。
・父は諦めて直親を自分の養子にし、他の女性と結婚させた。俗世間を離れ仏の道を選んだ次郎法師。それでもなお井伊家の安泰、そして想いを寄せた許婚の幸せを祈っていたに違いない。
・そんな彼女に再び悲劇が襲った。今川義元が領土拡大のため織田信長が治める尾張への進軍を開始。こうして永禄3年(1560年)桶狭間の戦いが起こった。
・このとき父・直盛は同じ今川の家臣である松平元康(後の徳川家康)とともに先発隊として出陣。織田軍の拠点を奪取すべく進軍したが、信長の奇襲により今川義元が討ち死に。深手を負った直盛は自刃してしまっった。
・直盛亡き後、井伊家の跡を継いだのが養子となっていた直親。翌年には待望の跡取り・虎松(後の井伊直政)が生まれた。
・こうして井伊家に一筋の光が差したその矢先の永禄5年(1562年)12月14日、直親が今川家の手によって暗殺の憂き目に。このとき28歳。
・事の発端はまたも井伊家家老の裏切りにあった。小野政次が今川に密告した。政次は直親の父・直満を死に追いやった小野政直の子。政次は直親が松平元康(徳川家康)と結んで謀反を起こそうとしていると讒言した。事実、直親は元康と密書を交わし、味方となる誓いを立てていた。

桶狭間の戦い後、跡を継いだ今川の力も衰え、直親も松平元康に付いた方がいいと考えて今川から離れようとしたふしがある(小和田氏)

・家臣・小野家の2度の裏切り。当主・直親を失った井伊家は追い詰められた。直虎の曽祖父の井伊直平が73歳で当主に返り咲いた。
・しかしほどなく直平も今川家によって毒殺されてしまった。このとき残されたのは直親の子・虎松ただ一人だったが、僅か2歳。井伊家滅亡の危機だった。

・浜松市にある城山公園。高さ115mの小高い山の上に井伊家の居城・井伊谷城があった。地頭としてこの地を治めていた井伊家だったが、戦乱の中で次々と当主が死亡。このままでは直親を死に追いやった家老・小野政次が井伊家を操る形となってしまう。
・思い悩む次郎法師に龍潭寺の南渓和尚は、井伊家の家督を継ぐよう伝えたという。仏門に入った身、結婚は出来なくとも当主にはなれる。次郎法師は覚悟を決めた。名を直虎と改め、井伊谷を治める地頭となった。このとき29歳。ここでも直虎という男の名前を付けた。

誰が直虎と名付けたのかは分かっていない。自分が付けたのか、南渓和尚が付けたのか、その辺りではないか。ただ直虎は男として井伊家を継いでいく決意をしたことは間違いない。当主が女性だと知られれば周囲から攻め込まれる危険性があった。また自分は虎松が元服するまでの繋ぎだと考えていた(小和田氏)

<おんな城主となった井伊直虎の政治手腕とは>
・おんな城主となった井伊直虎。その存在を今に伝える貴重な書状がある(「関口氏経井伊直虎宛書状」浜松市博物館蔵)。直虎の署名の下に書かれているのは「花押」と呼ばれるもので、今でいうところのサイン。
・花押は身分の高い男で、土地と民を治める者だけに許されたもの。筆致の力強さから直虎の覚悟と、決して女であると悟られない細心の注意が感じられる。
・しかし直虎が当主となった頃、井伊谷は苦しい状況にあった。井伊谷は今川の領国である遠江の中にあり、今川の支配下にあった。今川が戦をするとなれば、その戦費を捻出しなければならなかった。
・領民からの年貢で賄ってきたが、世は戦国時代。戦の費用は増える一方で台所は火の車。当時、井伊家は地元商人からの借金で何とか持ち堪えていた。そんな中、永禄9年(1566年)今川家から書状が届く。

「井伊谷の農民から不作であるという訴えがあったので、徳政令を出すように」

・徳政令とは借金を棒引きにするという法令。実は農民も生活苦や農具などの購入のため、商人からかなりの借金をしていた。そこに不作が続き、借金を返済できない状態に陥っていた。しかし直虎は徳政令を出すか否か悩んだ。

徳政令を出すと井伊家の借金がなくなり助かるが、商人たちが大打撃を受け借金ができなくなる(小和田氏)

・しかし徳政令を出さずにいたら、困窮する農民が一揆を起こすかもしれない。また今川からは命令に背いたと討伐を受けるかもしれない。どちらにしても井伊家は窮地に。
・実はそれこそが今川家の狙いだった。井伊家を追い込み、井伊谷を奪おうと目論んでいた。商人、農民そして今川家に挟まれ悩む日々。そして決断した。

「井伊家のため徳政令は出さぬ」

・商人を守ることで財源を確保するのを選んだ。そこで直虎は今川家への対応策を講じた。実質的には命令に背くことになったものの徳政令を出さないとは伝えず、商人や農民への説明に時間を要していると時間稼ぎを行った。
・苦境に立たされたままの農民たちに対して直虎がどうしたかという史料は残されていない。しかしこのとき一揆が起こっていないことからみると、徳政令はいずれ出すと言いながら何らかの措置をしていたのではないかと考えられる。
・引き延ばすこと2年。いつまで経っても徳政令を出さない直虎に今川は苛立ち、直虎を非難する書状を送りつけてきた。

「いまもって徳政令を実行しないのは、はなはだ呆れたことだ」

・直虎は今川の圧力に屈し、遂に徳政令を布告(永禄11年・1568年)。しかし直虎はそうなることを見越して策を講じていた。2年の間に商人たちに徳政令免除の書状を出し、徳政令が出てもその命令には従わなくてもよいという特別措置をとっていた。
・戦わずしてお家の危機を救った直虎。実はこのとき直虎が守りたかったものはもう一つあった。出家後に身を寄せていた井伊家の菩提寺・龍潭寺。直虎が南渓和尚に宛てた書状は今も寺に大切に保管されている。そこにこんな記述があった。

「龍潭寺は井伊家の菩提寺である。徳政令によって利益が損なわれることはない」

・当時、寺社には金融業のような役割もあった。お布施などで得た金を貸し、その利子を寺の修繕などに充てていた。そのため徳政令を出してしまえば寺が貸した金が戻らず、商人同様に破たんする可能性があった。

今川が出した徳政令であっても、私が城主なので守りますという文言だった(住職の武藤さん)

・知略を尽くし大切なものを守り抜いた直虎。その切なる思いが書状の最後に記されている。

「子孫繁栄の懇祈」

・全ては井伊家を守るため、それこそが直虎におんな城主となる決意をさせた最大の理由だった。

<井伊直虎はどうやって領地を取り戻したのか>
・しかし今川は直虎には統治能力がないと言いがかりをつけてきた。永禄11年(1568年)直虎は地頭から罷免。領地を奪われ、城を追われた。しかも直虎に代わって井伊谷の支配を任されたのが、かつての許婚・直親を死に追いやった小野政次だった。
・直虎たちが身を寄せたのは龍潭寺。この時点で井伊家は滅びたとも言えるが、直虎は悲観していなかったという。

「きっとこちらに良い風が吹く。憎っくき今川家も風前の灯」

直虎はこの時点で今川が危ないという情報は掴んでいたと思う。武田信玄からも見放され、家康も今川から独立して遠江の国境まで来ている(小和田氏)

・直虎は時代の風を読んでいた。その読み通り井伊家が城を追われて僅か2か月後、徳川が武田が示し合わせて東西から今川領に攻め込んで、今川家を滅ぼした。井伊谷を支配していた小野政次は今川家滅亡の知らせを受けすぐに城を脱出したが、追っ手の手にかかり死亡。
・今川家の支配下にあった遠江の地頭たちは、徳川と武田どちらに付くか選択に迫られた。直虎も同じで、どちらに付くべきか。見誤ればお家再興どころではなくなる。直虎は他の地頭たちの動向に目を配った。しかし徳川、武田に付く者はほぼ同数だった。

直虎が選んだのは徳川家だった。許婚だった直親が家康に付こうとした経緯も知っていたので、そういう選択をしたのではないか(小和田氏)

・直虎は生涯ただ一度の恋の相手・直親の遺志を継いだ。そして直虎の願いは許婚の忘れ形見である虎松を家康の家臣に出仕させることだった。
・しかし井伊家はまだ領地を取り戻しておらず流浪の身。家康にお目通りするのは難しい立場。一体どうすればいいのか直虎は考えた。

<井伊直虎が起こした奇跡の大逆転劇とは>
・天正3年(1575年)虎松15歳。直虎は満を持して行動を起こした。江戸幕府の公式記録である「徳川実紀」にはこう記されている。

鷹狩りの道にて只者ならざる面差しの小童

・家康が鷹狩りに行く途中でたまたま虎松を見掛けたとある。しかし「井伊家傅記」を見てみると、それは偶然ではなかった。実は家康が大の鷹狩り好きだと聞きつけた直虎が、家康の行動を調べ上げ綿密に仕組んだものだった。

「御小袖二つ御仕立て遣わされ候也」(「井伊家傅記」より)

・つまり家康の目に留まるように、自ら仕立てた着物を虎松に着せたという。直虎のこうした努力が報われ、虎松は家康に仕えることになった。
・虎松は家康から万千代という名を授けられその後、目覚ましい活躍をみせた。戦では常に先頭に立って敵軍に突っ込み、多くの戦功を挙げた。その武勇は敵味方を問わず驚かせたという。そして22歳のとき井伊直政と名乗り、井伊家当主となった。
・直虎は自らの役目は終わったと再び出家。男の名を捨てた彼女にようやく平穏な日々が訪れた(祐圓尼)。
・しかしその後、本能寺の変が起こり、家康が従っていた織田信長が自刃。このとき家康は堺に居た。天下を揺るがす一大事。一刻も早く三河に戻って態勢を整えなければならなかった。
・敵軍の目をかいくぐり、伊賀国の山中を抜ける大脱出劇。家康が生涯最大の苦難と語る「伊賀越え」の際、側近中の側近として警護を任されたのが直政だった。
・このとき病に伏せっていた直虎は病床でかつての許婚の子ども、直政の無事を祈ったと言われている。そして直政の無事を聞いた直虎は安堵したのか、その3か月後にこの世を去った(享年46)。
・井伊家はその後、彦根に移り徳川幕府の大大名に。そして大老を輩出する譜代大名筆頭の家柄になった。それは直虎なくして決して成し得なかったことだろう。彼女の一途で真っ直ぐな強さがなければ。
・井伊家の菩提寺・龍潭寺。乱世に翻弄された直虎は、ここに眠っている。かつての許婚・直親のすぐ近くで安らかに。

(2017/1/14視聴・2017/1/14記)

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【空から日本を見てみよう+】長崎県長崎市

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【空から日本を見てみよう+】
「長崎県長崎市」

(BSジャパン・2017/1/10放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 未視聴番組がだいぶ溜まってしまいました。なかなか消化が追いつきませんが、ぼちぼち観ていきます。ということで、今日は先週の火曜日の「空から日本を見てみよう+」から。

 長崎へは10年以上前に一度だけ行ったことがあります。グラバー邸や大浦天主堂、そして中華街で美味しいものを食べた記憶があります。ちなみにカステラは偶然買った「福砂屋」さんのがとても美味しくて、時々お取り寄せで食べています(笑)

 また訪れたいと思うのとともに、軍艦島へのクルーズへはぜひ行ってみたいところですね。あと興味があるのはお盆の時期でしょうか。先日の「ドキュメント72時間」で精霊流しの花火・爆竹の話を初めて知りました(→【ドキュメント72時間】長崎 お盆はド派手に花火屋で)。なかなか個性的な風習で、観てみたいですね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<長崎県長崎市周辺>
・人口:426,433人(県1位)面積:405.86平方キロメートル(県4位)(2016年11月1日現在)
・カステラの年間支出金額日本一。
・世界文化遺産・軍艦島(端島)。戦艦土佐に似ているため軍艦島と呼ばれる。明治~昭和に海底炭鉱で栄えた。最盛期(1960年頃)は人口密度が東京都の9倍以上だった。
・炭鉱員はエレベーター(50人乗り)で地下606mまで降りていた。
・旧端島小学校・中学校。最盛期は生徒数1000人を超えた。
・軍艦島デジタルミュージアムが長崎市内にある。

・高島。軍艦島同様、炭鉱で栄えていた。日本初の蒸気機関を使用した立坑「北渓井坑」がある。
・長崎高島水産センター。「石炭を魚に変えて島おこし」を合言葉にヒラメ養殖を始めた。

・台船。重量物の運搬等に使用される箱船。カーフェリーが無い離島までの車両運搬を毎日行う。台船の接岸は状況に応じて3つの方法で行われる。横抱き着け(船の横に台船を固定して接岸)、プッシャー着け(船の前に台船を固定して接岸)、流し着け(台船を切り離し惰力をコントロールして接岸)。

・長崎市街地。平坦地が限られているため山の斜面を利用して宅地開発した。
・旧グラバー住宅。トーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた現存する日本最古の木造洋風建築。幕末の志士たちを匿ったと言われる隠し部屋もある。
・大浦天主堂。現存する日本最古のキリスト教建築物。
・大浦地区は外国人居留地だった。戦後、道路整備にかかる時間短縮のため川の上に道路を造った。
・オランダ坂。西洋人(オランダさん)がよく通行していたのが名称の由来。市内に複数存在する。
・市内で見る「尾曲がりネコ」は江戸時代、ネズミ駆除のためオランダ船に乗っていたネコが繁殖したと言われている。
・電動手すり。高齢者の階段の上り下りをアシストする。
・長崎新地中華街。角煮まん、ちゃんぽん、皿うどん。「よりより」は小麦粉を使った揚菓子。
・花火専門店の錦昌号。長崎は花火と縁が深く、夏の風物詩・精霊流しでは魔除けとして大量の爆竹が鳴らされ、お墓参りでも花火を使う。幻の花火と言われる「友誼塔」。メーカーが既に生産を中止している。1年で1ケース限定で発売。
・出島。1636年、幕府がポルトガル人を収容しキリスト教布教の防止等の目的で築いた。のちにオランダとの貿易で使われた。長崎市が土地を買収し復元整備事業に取り組む。2050年を目標に海に浮かぶ姿へす復元予定。
・生協の宅配サービス。坂や階段があるエリアの家には背負子を使って宅配する。

・路面電車を使ったレストラン「きっちんせいじ」。実際に走っていた路面電車を譲り受けて建物の一部として利用。看板メニューは長崎名物トルコライス。とんかつ、ナポリタン、カレーピラフを一皿に盛りつけたものが一般的。
・トルコライスの名称の由来は…
(1)ピラフ(チャーハン)=中国、スパゲティ=イタリア、とんかつが中間のトルコ説。
(2)トルコというレストランで発祥説。
(3)3種のメニューを三色旗になぞらえトリコロールが訛ってトルコ説。

・稲佐山山頂展望台からの夜景。「夜景サミット2012年in長崎」でモナコ・香港に並ぶ世界新三大夜景に認定された。
・平和記念公園。
・軒先テントを製造・販売している広井テント。介護者の運搬用器具「ほいさっさ」も製造。

・長崎ペンギン水族館。世界最多9種類のペンギンの飼育・展示を行う。長崎港を基地とした捕鯨船団が1959年にペンギンを持ち帰る。2001年、ペンギンメインの水族館にリニューアル。
・長崎方式という飼育方法。
(1)冬場の日中は屋外飼育で外気と太陽光に触れさせ健康促進。
(2)行進させて運動不足解消と足裏の病気予防。

(2017/1/15視聴・2017/1/15記)

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】天才たち 誕生の裏側SP

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「天才たち 誕生の裏側SP」

(NHK・BSプレミアム・2017/1/11放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/

<感想>

 以前放送した3作品の内容を再編成して1本にまとめるという手法は「アナザーストーリーズ」で結構行われているのですが、正直言ってアンコール放送の方が面白いですね。どうもオリジナルと比べると端折っている感じが否めないです。

 ということで今回は田中角栄、スティーブ・ジョブズ、渥美清の3氏ということで、渥美氏のだけはどういう理由か観ていなかったようで、後の2人のオリジナル版の記事はこちらになります↓
【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】そして田中角栄は首相になった~44年目の証言~
【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】知られざるスティーブ・ジョブズ~伝説のスピーチの真実~

 ちなみに次回(1月18日)放送予定の「事件の裏の名もなきヒーローたちSP」も、9・11同時多発テロ、フェルメール絵画盗難事件、アポロ13号の3本の再編成となるようです。純粋な新作を早く観たいですね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・昭和に風雲を巻き起こした政治家・田中角栄。世界のコンピューターを変えた男・スティーブ・ジョブズ。そして日本で一番愛された男・車寅次郎こと渥美清。誰もが知る天才たちの知られざる物語。

<田中角栄 運と野心が生んだ天才政治家>
・田中角栄は何もかもが異例だった。最終学歴は高等小学校卒業。抜群の実行力と驚くべき記憶力。

日本列島の面積はどうで、日本の鉄道が今何キロあるか。そういう数字が出るんだよ。こんな政治家、今まで会ったことなかった(元番記者の増山榮太郎氏)

・会った人の名前は瞬時に覚えた。それでも、たまに忘れると「君、名前はなんだっけ?…名字は知っとる。下の名前だよ」と。ごまかし方も芸になっていた。
・権力の階段を駆け上がった角栄。しかし総理就任から僅か2年余り、金脈問題によって失脚。その型破りな人生はいかなるものだったのか。
・角栄は大正7年、雪国・新潟の農家に生まれた。角栄はどんな子どもだったのか、3歳年下のいとこの大谷憲雄さん(95)が今も地元に住んでいる。

けんかは負けない。ハッタリも強いんだ(大谷さん)

・成績も優秀だった角栄だが暮らしは厳しく、中学進学を諦めた。15歳で単身上京。住み込みの仕事を転々とし、その後25歳で土建会社を立ち上げた。初めて立候補したのは終戦直後の27歳。角栄の政治家人生につきまとう金脈問題は、既にここから始まっていた。
・その原点を掘り当てた人物がいる。新潟日報社社長の小田敏三氏(66)、角栄晩年の番記者を務めた。角栄が金脈問題で失脚したとき、小田はそもそも田中金脈はいつ始まったのかに興味を抱いた。

なんで政界に出たんだ。角栄を政界に送り出した人物は誰だという問題意識(小田氏)

・小田は、角栄の自伝を読み込んだ。注目したのは1945年(昭和20年)、戦争が終わった直後の記述。進歩党の重鎮・大麻唯男が角栄を訪ねてきたときのエピソードだ。

「君、いくらか出してくれんか」ということであった。私は快く承諾した。それから半月ほどして大麻さんから「今度の選挙に立候補しないか」という話があった(田中角栄著「私の履歴書」より)

(大麻が)田中のところに来たのは「お金があるだろう」って。(お金が)なければ献金のしようもない。かなりの額だったと思います。あとからお礼を含めて「出馬しないか」って言われるくらいだから(小田氏)

・問題はなぜ終戦直後、角栄はこれほどの金を持っていたのか。自伝から浮かび上がる巨大な後ろ盾があった。理化学研究所(通称・理研)。日本の科学研究の中心である理研は戦前その研究成果を生かし、軍需物資を生産する工場をいくつも持っていた。
・昭和19年(1944年)角栄は理研から巨大プロジェクトを請け負った。厳しさを増す本土空襲を避けるため、東京にあった軍需工場を丸ごと朝鮮に移すという仕事だった。
・だが決して大きくない田中土建がなぜこれほどの仕事を手にできたのか。取材を続けた小田は遂に一人のキーマンに行き当たる。理研の幹部として工事を発注した星野一也氏。戦後も角栄と繋がりを持ち続けた人物だ。
・1983年(昭和58年)小田は星野氏に面会、初めて証言を取ることに成功した。星野氏によれば、角栄が請け負ったのは撃沈されるおそれのある海を渡って膨大な物資を運ぶ危険な仕事だったという。誰もが尻込みする中、手を挙げたのが角栄。あらゆる知恵を絞ったという。

(角栄は)たまたま新潟港に停泊していた駆逐艦に積み込んで運ぼうとした。艦長に酒飲ませて、たぶんお金もやったと思いますけど。機械類だけで500台。総額2400万円、今に換算すると150億円の仕事が田中角栄に転がり込む(同上)

・角栄は朝鮮に上陸した。だが請け負った工場建設は幻に終わる。戦争が終わったからだ。急ぎ日本に帰るまでの行動を角栄はこう記している。

私の在鮮全財産と工事材料や現地投資の一覧表を示して「この財産を新生朝鮮に寄付する」ことを宣言して壇をおりた(田中角栄著「私の履歴書」より)

・全財産を寄付したというのだ。

星野さんは「そんなわけがない」と。「あいつが全部置いてくるわけがないじゃないか」と。星野さんも問わず語りで田中から聞いたことがある。「慌てて軍票(戦時中に使用された紙幣)を当時のテジョンからソウルまで車を走らせて銀行に行って現金に換えた」と。軍票で渡してあるので、そっくり落とせば(現在の価値で)約90億円の金。8月15日に(戦争が)終わって、8月26日に(角栄は)東京に帰ってきている。とにかく、すぐ換えてすぐ帰ってきた(同上)

・小田は取材をもとに4ページの記事をまとめた。角栄が政界に出たきっかけの献金、それは朝鮮から持ち帰った工事代金の可能性が高いことを詳しく報じた。その後、小田は東京・目白に角栄を訪れ記事を本人にぶつけた。

「間違いあったら指摘してください」って言うと、じーっと見て「おおむね合ってるな」と言ってるところを見ると、全否定はしないので、まず間違いないんだと思う(同上)

・角栄は記事を否定しなかったという。

運ですよね。もし終戦が1年早ければ、こんな仕事はもらっていない。1年遅ければ(工事)代金はもらっているでしょうけど「濡れ手であわ」ってわけにはいかない。巨額なお金を得たことが大きな転機(同上)

・この運を最大限に生かし、多額の献金と引き換えに地元で立候補。政界進出を果たす。そこからの勢いは凄まじかった。初めて大臣になったのは39歳のとき(1957年・岸改造内閣で郵政大臣)。当時でも異例の若さだった。
・就任後、すぐにこんな問題を解決した。当時テレビ放送開始に向けて建設中だった東京タワー。その工事が建築基準法の高さ制限に引っ掛かり中断していた。担当大臣の角栄は即座に言い放つ。

建築基準法を立案したのは私だ。東京タワーは建物ではなく、広告塔の類い。法律の適用外だ。

・この一言で工事再開、東京タワーは完成。その力を慕い、目白の自宅には陳情客が殺到。そうした実績を引っ提げ、54歳で遂に挑んだのが自民党総裁選だった。
・角栄の対抗馬は福田赳夫。東大卒の大蔵官僚出身、エリート中のエリートだった。当時の総理・佐藤栄作はその座を福田に譲るつもりだったと言われる。福田自身、後継者は自分と自負していた。その秘書としてあの総裁選を戦った佐藤静雄。

(福田の印象は?)
怖かったですよ。目は鋭いしね、官僚出身だけに非常に切れ者という感じがしました(佐藤氏)

(角栄の印象は?)
最初見たときね、背が小さいのでびっくりした。何かをやりそうだっていう感じしましたね。脂ぎって。政治のプロは福田赳夫(を推した)。(角栄は)庶民的な人、庶民の仲間って感じでしょうか。自分たちのために何かやってくれるという感じでしょう(同上)

・福田有利の中、角栄が動いた。突如、佐藤派81人を引き連れ自らの派閥「田中派」を旗揚げした。

新しい時代には新しい政治が必要であります。私は国民の皆様と一緒に考え、熟慮し、断行いたします(記者会見する田中角栄)

どんどん佐藤派の乗っ取りが始まった。ついに田中派を作っちゃった。危ないなと思った(佐藤静雄氏)

・この熾烈な争いは「角福戦争」と言われた。そして迎えた総裁選前日。福田の秘書・佐藤も最後の票固めに入った。

各都道府県から一人(投票権を持つ)代表が来る。各派閥の国会議員が(その党員を)必ず連れて来ようと努力する。自分の選挙区、県から。「福田赳夫に入れるようにしよう」って運動する。総裁選の前の日に(党員たちに)ホテルに泊まってもらう。ホテルに缶詰めにするんですよ(同上)

・佐藤が国会近くのホテルに囲った党員は20名ほど。一方、田中派も向かいのホテルに党員を囲う。佐藤は勝機はあると踏んでいた。だが勝負の朝、事件が起きた。投票を約束した党員たちがごっそり消えていた。

朝起きたら、うちの方の人はもう何にも残ってないんです。みんな向こう(田中派)に行っちゃった。そのとき一人1000万ずつ渡されたんじゃないかっていう噂。「金をやらないからそうなっちゃったんだ」って言われました。いろんな人に(同上)

・総裁選を取材していた記者・増山榮太郎氏。

田中の選挙事務所から(総裁選の)前の晩にトランクを持って運び出す人がいた、何人か。その行き先が三木派のところであったり、中曽根のところに行ったり、相手は福田だから。億という金がトランクの中に入っていたと思う。僕は見たわけじゃない。うち(時事通信)の記者には見たやつもいる。トランクで金を運んだと、前の晩。札束ぎっしり入れて(増山氏)

・そしていよいよ投票。勝負は決選投票にもつれ込んだ。その結果に衝撃が走った。田中282票、福田190票。角栄は100票近い差で圧勝した。天性の勝負師、力ずくで総理の椅子を掴み取った。

・そして総理大臣就任から僅か3か月足らず。偉業を成し遂げる。

日中問題というのはね、時が来ているという感じです。時が来た(記者会見する田中角栄)

・国交が途絶えていた中国を訪問。難航した交渉をまとめ上げ、国交を回復させた。
・さらに「列島改造論」を掲げて、全国の交通網などインフラ整備を推し進めた。
・しかし角栄は僅か2年余りで失脚。戦後の混乱の中で掴んだ運は、金脈という形で最後に牙をむいた。
・あの総裁選から44年。敵陣営にいた佐藤の目に角栄はどう映ったのか。

好きです。好きだったですよ。角栄さんというのは、金ばかりじゃなくて人間的な魅力があって、その上に金がかぶさっていったわけですから(佐藤静雄氏)

・その原点を掘り当てた小田。取材した星野の言葉の中に忘れられないものがあるという。

後に角栄は金権政治家と言われるけれど、決して彼は人の金を騙して何とかとか、それをうんぬんってことはないんだと。それは自分の才覚で、それとあとは運があって、それで得た金を政治活動に後に全部使っている。人に迷惑をかけて金を作るとか、そういうことはしなかったっていうのは、俺は信じているってずっと言っていましたからね。だから許しているんですよ、何十億入ろうが(小田氏)

・政治の天才・田中角栄。雪国から出て運を掴み、野心と愛嬌と剛腕で頂点に上り詰めた。その生き様は彼の死から20年が経っても人々の心を惹きつけてやまない。

<ITのカリスマ スティーブ・ジョブズ>

・パソコンに革命を起こし、音楽から携帯電話まで全ての常識を覆したスティーブ・ジョブズ。そんな彼が赤裸々に自分を語った歴史的スピーチがある。そこに秘められた驚くべきアナザーストーリーとは?
・アメリカ西海岸の名門スタンフォード大学。2万人を集めた卒業式でそのスピーチは行われた。来賓として招かれたジョブズ(当時50歳)、語ったのは自らの人生。過去の傷まで隠さずにさらけ出した。

クビになったんです。一体どうすれば自分で作った会社をクビになれますか?(ジョブズのスピーチ)

・自分が作った会社、アップルから追放されたこと。

1年ほど前にガンの宣告を受けました(同上)

・そしてガンの告白。
・ジョブズはスピーチをこう締めくくった。

「Stay Hungry,Stay Foolish」

・「ハングリーであれ、バカ者であれ」

胸が震えたよ。あのジョブズだって僕らと同じ人間なんだと感じたんだ(2005年スタンフォード大学卒業生のクリス・クラーク)

・スピーチはすぐさま世界中で翻訳された。そんな歴史的スピーチの中に、天才の秘密を明かす言葉があった。

最初の話は「点と点をつなぐ」ということです(ジョブズのスピーチ)

・ひとまずジョブズの人生に刻まれた点を辿ってみる。
・0歳、生みの母親に望まれない子として養子に出された。
・17歳、大学を半年で中退。裕福でない育ての両親に高い学費で負担をかけるのが嫌だった。
・そんな彼が21歳で人生の転機を迎える。親友のウォズニアックとともにアップル社を立ち上げたのだ。創業2年目に作ったマシン、アップルⅡ(1977年発表)。このコンピューターは愛好家の人気を呼び、いきなり7000台も売れた。だがそれで満足するジョブズではない。コンピューターの革命を起こそうと意気込む。その頃の口癖は…。

「マジですごいものを作ってやる」

・新たなマシン作りには新たな才能が必要だ。ジョブズはシリコンバレーを行脚、ヘッドハンティングを開始する。真っ先に目を付けたのがジョブズより10歳年上のエンジニア、ジョージ・クロウ。

確かに私も彼にとっては1つの点だったと思いますよ(クロウ)

・当時クロウがいたのは、全米トップのコンピューター会社。クロウはその設計全般を任されていた、知る人ぞ知るエリートエンジニアだった。「クロウが欲しい」と厳重な警備をくぐり抜け、面識もないクロウのもとにいきなり現れたジョブズ。出し抜けにこう言った。

「俺と一緒にマジですごいコンピューターを作らないか?」

でも彼はそのとき汚いブーツを履いていて、まるで森からやって来たみたいで。もちろん断りましたよ。「こっちでうまくやっていますんで」ってね。だけど6か月後、また来たんです(同上)

・またもアポなし。怪しいブーツの汚れ。ただ何やらコンピューターらしきものを抱えていた。

それがあのマッキントッシュの原形でした。まだだいぶ初期段階でしたが、見ただけでどこまでいくつもりか分かりました。確かに「マジですごい」と思いましたよ(同上)

・この出会いから4年後に発表されることとなるコンピューター、マッキントッシュ(1984年発表)。革命的なマシンだった。特徴は圧倒的な使い勝手のよさ。それまではいちいち「コマンド」という複雑な命令文を打たなくてはならなかった。しかしマッキントッシュでは、マウスでクリックするだけでよかった。

もう彼のとりこでした。すぐに会社を辞めてアップルに行ったんです。あれだけ大胆な決断をしたことは、後にも先にもありませんよ(同上)

・こうしてクロウをはじめ選りすぐりの才能が集結した。「さあ、楽しい仕事の始まりだ!」と思いきや、メンバーの前に現れたジョブズは突然暴君へと変わった。
・ケーブルの色一つとっても60種類以上を用意させ、挙げ句の果てはどれも気に入らず、全て新たに作らせた。
・訳の分からない注文も多かった。「マッキントッシュには親しみやすさが必要だ。そうだ!人間の顔みたいにしろ」。スタッフは思わず「誰の顔ですか?」と聞いたという。

完成形のイメージは彼の頭の中にしかない。しかもそれがどんどん変わる。とにかく「マジですごいものにしたい」という思いだけが彼を突き動かしていたんです(同上)

・その思いは全く意外な点とも繋がっていく。10年以上前、大学を退学した直後の点「書道」。実はジョブズは退学はしたものの、大学の授業にはちゃっかり潜っていた。その一つに書道があった。

「書道には科学では捉えきれない美的な繊細さがある」

・ジョブズはマジですごいコンピューターを作るため「テクノロジー」だけでなく、そこに書道という「アート」を掛け合わせようとした。
・そうして急遽、マッキントッシュ開発に参加することになったのが、新進気鋭の書道家ティム・ガービン。

もう彼はまるで人を機械か道具のように思っていてね。求めていたのは私の腕だけで、ひたすら書かされましたよ(ガービン)

・ジョブズが書道に求めていたものとは?

フォントです。いろんなフォントを揃えたいというのがスティーブから来たリクエストでした(同上)

・当時コンピューターの文字といえば、黒い画面に浮かぶギザギザの文字しかなかった。フォントつまり書体を何十種類も選べるようにしたのは、マッキントッシュが初めてだった。フォントのもととなる文字を作るため、ジョブズはガービンにありとあらゆる書体を書かせる。

どれも50回は書かされましたよ。何度も何度も。本当は1人で集中しなければ書けません。だけどスティーブがそばでじっと見ている。しかも何度書いてもダメ出しされる。どうしたら気に入るんだって、もう分からなくなってもまた書かされる。ドキドキしながら、ただひたすら書き続けましたよ。でも彼と一緒にいると、自分の中に感じたことのない熱を感じるんです。「この人を満足させたい。この身を捧げなくてはならない」というね(同上)

・点と点を強引に繋ぎ、マッキントッシュを完成させようとするジョブズ。しかし最後に最大の危機が訪れる。

一番重要なディスクドライブに不具合が見つかりました。アップルの力だけでは間に合わないので、急遽、日本のソニーと提携することにしました(クロウ)

・「話をつけてきてやる!」。意気揚揚と日本に向かったジョブズ。しかし…。

スティーブはいつも私たちに話すような調子で日本でも上から目線でやらかしたんです。そうしたらソニーの幹部がカンカンになって結局ケンカ別れですよ(同上)

・ディスクドライブはクロウの仕事。マジですごいコンピューターを作るためには、自分独自の判断を迫られた。

もう時間がない。だからこっそりソニーのスタッフをアップルに呼んだんです。スティーブにバレないように秘密の場所へね。そしたらある日いきなりスティーブがやって来たんです。だから急いでソニーの人をクローゼットに押し込みました。もしスティーブがそれを見たら、何を言い出すか分かっていましたから。だって「ソニーと仕事をした奴はクビだ」というお触れまで出していたくらいでしたからね(同上)

・しかし完成品を見たジョブズは一目で見抜いた。

「お前、ソニーと仕事しただろ?」

スティーブにバレちゃって。でも出来栄えには自信があったから、思い切ってスタッフを紹介したんです。そしたら彼「やっと会えましたね」だってさ(同上)

・ただ命令を待つのではなく、自ら動いて輝き始めた点たち。そんなチームの奮闘にジョブズは粋な贈り物をした。

これはマッキントッシュの内側の写真ですが、見て下さい。刻まれているのはチームみんなのサイン(同上)

・コンピューターの内側にチーム全員のサイン。工場で全てのマッキントッシュに刻み込まれた。

スティーブにしか思いつきませんよ、こんなこと。永遠に名前が残る、苦労も報われました。芸術品には作家がサインを入れるものだけど、本当にそんな気分にさせてくれたんです。彼が私の人生をワクワクするものに変えてくれたんです。前の会社にいたら、こんな興奮は絶対に味わえなかったでしょうね(同上)

・こうして迎えたマッキントッシュ公式発表の日(1984年1月24日)。それはまさにコンピューターの革命だった。

マッキントッシュをご紹介します!
マジですごいものが出来ましたよ。
今日は世界で初めてのことですが、マッキントッシュに自己紹介してもらいます(発表するジョブズ)


「Hello,I'm Macintosh.私の父親をご紹介させて下さい。スティーブ・ジョブズです」

・ジョブズがこだわった「点と点」。それを恐るべき執念で繋げることで、この快挙は生まれた。

バラバラに見える「点」も、いつかつながると信じて下さい。信じる根拠は何でもいい。「いつか点はつながる」と信じれば心のままに進む自信が持てます。みんなが行くような道じゃなくてもいい。それが人生に「違い」をもたらすんだ(ジョブズのスピーチ)

・画期的な新製品を発表し続け54歳の生涯を駆け抜けたカリスマ、スティーブ・ジョブズ。自分の力と人々の力、ジョブズはその「点と点をつなぐ」天才だった。

<渥美清“寅さん”はこうして生まれた>
・寅さん演じるこの男、生まれは東京・上野の車坂。不忍池で産湯を使い、姓は田所、名は康雄。あだ名は「やっさん」でございます。
・日本一の人気者・渥美清の少年時代は、決して明るいものではなかった。体が弱く学校も休みがち。何よりの楽しみはラジオから流れる落語や講談。
・やがて渥美は芸事に興味を持ち始め、上野・浅草界隈の芝居小屋や映画館に入り浸った。そして選んだ道がコメディアン。
・浅草のストリップ劇場の舞台に立ち、幕あいのコントで喝采を浴びる。評判は評判を呼び、瞬く間にテレビや映画に進出。そして…。

私、生まれも育ちも葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します。

・40歳のとき人生最大の当たり役・車寅次郎に巡り会った。国民的映画「男はつらいよ」。笑いと涙で日本中から愛され続けた男・車寅次郎。しかしその笑顔の裏で病と闘っていたことをご存知だろうか。
・それは「男はつらいよ」で寅さんを演じる13年前。この頃、渥美は浅草のストリップ劇場フランス座で舞台に立っていた。支配人を務めた松倉久幸氏は、駆け出し時代から渥美を知っていた。楽屋は当時のまま。

目つきが鋭かったね。目つきも鋭いし態度もでかいし(松倉氏)
(初めて渥美さんを見たとき「こいつは売れる」と思いました?)
思わないね。売れるとはとても思わない。下駄みたいな顔してきてね!こんなんものになるかなってね、我々も思いましたよ(同上)

・ところが松倉の予想とは裏腹に渥美は観客をのみ込んでいった。舞台を所狭しと動き回るドタバタ喜劇。時には観客に罵声を浴びせ笑いをとった。自分にも仲間にも厳しい渥美はトップに上り詰める。

渥美が舞台に出るとね、踊り子連中がみんな舞台の袖に来てね、渥美の演技を見てたぐらいね。こんなものにならなかったような男がだね、とにかくウケてるんだ。バカウケなんだってね。ですから我々自身もビックリしましたね(同上)

・喜劇映画のスターを夢みていた渥美。しかし病が襲いかかる。

「おい、あいつおかしいんじゃねえか」って。医者に診てもらったらって。「肺がおかしいじゃねえか」ってんで。渥美結核か。じゃあもう終わりだな。コメディアン人生終わりだな、短い人生だったね!なんて、そんな話をしてたくらいだったですからね(同上)

・渥美は埼玉県の結核専門の病院に入院する。当時、結核といえば不治の病。菌に侵された肺を摘出する手術では、10人中4人が死ぬと言われていた。そしてたとえ治っても著しい体力の低下で、社会復帰は難しいとされていた。その頃、闘病生活を共にした梅村三郎氏。60年前の記憶は今も色褪せていない。

私、最初ね「田所さん」って言ったらね「田所って言いづれえだろ?俺ガキの頃からよ、やっさんって呼ばれてんだよ。やっさんって呼んでくれよ」って。私のことはね、最初7歳下でしょ?最初「坊主、坊主」て呼んでたんですよ。それで「ボンズ」っていうニックネームを付けてもらったんですよ。だから「やっさん」「ボンズ」って具合でね(梅村氏)

・渥美の結核は深刻だった。右肺全てを摘出しなければならないほど進行していた。梅村にだけは手術の不安を漏らしていたという。

もう地獄のようだったですよ。そのとき不安だったんですよ。そういう手術が始まったばっかりでね、成功か失敗か(同上)

・右肺全摘出。梅村は大手術を終えた渥美を出迎えた。

手術後、初めて廊下を歩いたときね、戦場から帰還した兵隊さんのようにね「英雄になった気持ち」だって言うんだよ(同上)

・その後の療養所での生活を梅村はイラストにした。二人が一つ屋根の下で暮らしていたある日、散歩で畑に行ったとき役者人生を懸けた渥美の凄まじさを目撃した。

遠くの方でお百姓さんが野良仕事してたのね。ちょうどこの辺だったね、そこに向かって私はしゃがんでたんだけど、後ろから「農家の皆様、一日お仕事ご苦労さまです!天皇陛下万歳!」って言うからね、私はふざけてるのかと思ったの。そしたら真面目な顔してね。農家の方が立ち上がったんだよ、聞こえて。それで「うっし」って、発声練習。自分の声が届いたって(同上)

・渥美は役者を諦めてはいなかった。自分の声が舞台から観客に届くか試したのだ。そしてもう一つ、この部屋で稽古したものがあった。

「これどうだ!」って最初に言ったのがね、始まりはね「これで買い手がなかったら、私この商売3年の道楽と思って諦めます。四角四面は豆腐屋の娘、色が白くて水臭い。色が黒くて貰い手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり。チャラチャラと浮かんだは、おっかさんの顔だよ。さてそれからってものは博打なんかじゃ手が出ない。デパートでお願いすると300や500取られる品」こんな感じでね聞かせてくれた(同上)

・それはテキ屋の売り口上。右肺を失った渥美、ドタバタ喜劇はもう無理だ。話芸を磨かなければ役者として生きていけない。

テキ屋の役を演じたいって言ってましたね(同上)

・渥美が披露したテキ屋の口上。それは少年時代、上野のアメ横で見て覚えたものだった。その名調子に魅了された渥美少年は「いつかテキ屋の役を演じたい!」そう思っていた。
・そして2年間の療養生活を終え、再び浅草の街に舞い戻る。

帰ってきた!みんな驚いたよ、とにかく「渥美帰ってきたよ!」。退院してきたらガラっと本人の性格が変わっちゃったんですよ。退院する前はね、ものすごい何ていうか厳しさっていうかね。もう目なんかつり上げて怒るような男だったんだけどね。退院してきたら穏やかになっちゃいましてね。なんとなく円熟味が増してきて「へえ、渥美もこうなるんだ」なんてね。病気するってのはありがたいことじゃねえか、なんて。おそらく退院したってそんなに長く生きられないよということを自覚して。それでも退院できたってことは神様のおかげなんだよと。だったら皆さんとうまく協調しながらやってこうという。人間を丸くしてきたんですね(松倉氏)

・闘病中に磨いた話芸で渥美は復活した。梅村は療養所を退院後、偶然渥美と再会した。結核のせいで仕事が見つからず、落ち込んでいたときだった。そのとき渥美がバスの中から声をかけてきた。

「ボンズ!なんてつまんなそうな顔してんだ!」強烈だったね、ズシンときたね。やっぱり結核で手術した人間は駄目なのかな…って言ったら渥美さんがね「何言ってんだ!それは劣等感というものだ!結核で手術をして何が恥ずかしい!俺は今、浅草に出てるから遊びにおいで。正々堂々と生きていけ!」(梅村氏)

・その後、渥美はテレビに進出。そして40歳のとき生涯の当たり役となる車寅次郎と出会う。監督の山田洋次は、渥美と初めて会ったときのことを鮮明に覚えている。

なんて話のうまい人なんだろうということ。それからなんて記憶力がいい人なんだろう。そのときに彼が憧れたテキ屋の話もたくさんしてくれて、そしてテキヤ屋の口上ってのはこういうふうなんですって言って、目の前で僕にウワーッとしゃべってくれたわけです。渥美さんの中から車寅次郎が誕生してきた。彼が何かを演じてるというよりも、彼の中から出てきたって感じだな。寅さんはイコール渥美清なんだなという(山田氏)

・子どもの頃からの夢だったテキヤ屋を演じる渥美を見て、梅村は…。

それ見たときはね、嬉しかったね。やっさん、おめでとう。やったね!俺も頑張るからね(梅村氏)

・「男はつらいよ」は国民的映画に成長。26年間、全48作。病気という逆境をバネに、渥美は日本一愛される俳優になった。
・渥美の死から20年。今は柴又は寅さんのふるさとを訪ねる人で溢れかえっている。だんご屋の奥には寅さんのための予約席。みんな寅さんの帰りを待っている。

本当に年月というのは
夢のように流れていくんだな
と思いましたね
なんか本当に
もう一つの人生を生きたような
長い変な夢を見てるような


(2017/1/15視聴・2017/1/15記)

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【ドキュメント72時間】成田 聖夜の入国審査場

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【ドキュメント72時間】
「成田 聖夜の入国審査場」

(NHK総合・2017/1/13放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 今年最初の「ドキュメント72時間」。成田空港の入国審査場という普段カメラが入ることが滅多にない場所が舞台となり、大変興味深かったです。

 さすがに撮影中に大きな事件は起こりませんでしたが、それでもオーバーステイの前科がある男性が入国許可が下りないシーンがありました。そうした人たちの待合室の落書きも印象的でした。

 10年ぶりに母親に会いに来たというアメリカから来たハーフの3人きょうだい。両親の離婚で離れ離れになった時間をクリスマスという特別な日に埋められることができていればいいなと思いました。

 また同じ空港でも出会いと別れのある場所よりも入国審査場というコアなスポットだからこそ見えてくるものも多くありました。奥さんと一緒に旅行に来ていたのに、チケットを持って先に行かれてしまったという旦那さん。奥さんと喧嘩でもしてしまったのでしょうか。無事帰国できていればいいのですが…(苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・去年2400万人もの外国人を迎え入れた日本。彼らが最初に通るのが入国審査場。パスポートや指紋を調べ、旅の目的を詳しくチェックする。
・セキュリティー対策のため、通常は撮影禁止のこのエリア。今回特別に長時間の密着が許された。
・クリスマス。世界中の人が行き交う巨大な人間交差点で耳を傾けてみた。
・世界各国からひっきりなしに飛行機がやって来る成田空港。旅行者で賑わうこの通路、厳密に言うとまだ日本に入ったとは言えない。その先に待ち受けるのが今回の舞台、入国審査場。

・12月22日(木)12時4分。たくさんのブースにいろんな国の人が並んでいる。審査を受ける前に滞在先や目的をカードに書き込む。
・アジアを旅して回っているというペルー人男性。入国審査に必要な情報が全部スマホに入っていたが、それを無くしたという。飛行機の中ではあったらしいが、ようやく見つかった。
・インドから来たという30歳男性。妻が日本人で、離れて暮らしているが4年越しの挙式をするため来日した。ヒマラヤで厳しい修行を積みながら愛を育んだという。
・審査ブースではパスポートや入国カードの入念なチェックが。テロや犯罪に関わった過去はないか、最新のシステムで指紋や顔写真を照合する。
・突然、審査場の一角にある事務所のベルが鳴り響いた。連れてこられたのはインドネシアから来た家族。ビジネス目的だという男性。でもなぜか家族が一緒だったため、理由を尋ねられたらしい。少しでも不明な点があれば別室で話を聞くのがルールだという(セカンダリ審査)。10分後、特に問題がないと判断され入国が許可された。
・入国した後も更にチェックは続く。旅行者の荷物を検査する税関。係員が気になるものを見つけたみたい。一見、普通のお土産に薬物などが隠されているケースは珍しくないそう。
・13時36分。午後、到着便がピークを迎えた。アメリカで暮らす3きょうだい。ちょっと特別な思いでクリスマスの日本へやって来た。母親が日本人、父親がアメリカ人のハーフで、10年ぶりに母親に会いに来たという。末っ子の彼女は4歳のとき以来。でも記憶はちゃんと残っているそう。大切に持ってきたのはお母さんへのクリスマスプレゼント。
・18時。賑わう審査場の片隅に困り顔の女性たちがいた。アメリカから日本経由でベトナムへ帰るという3姉妹。飛行機の日本到着が遅れたため、3日後まで出発できなくなったらしい。持っていたのはベトナムに帰るためだけに使える特別な証明書。パスポートではないため日本には入れず、行き場がなくなったようだ。待つこと4時間、結局入国は許されず決められた宿泊施設で出発まで過ごすことになった。ふるさとで家族と会うつもりが、とんだクリスマスに。
・この日、2万人が通り過ぎた入国審査場。午後11時、長い1日が終わった。

・12月23日(金)6時4分。クリスマスと3連休の初日が重なり、多くの人出が予想されていた。混雑に備え、入国管理局では綿密なミーティングが行われていた。別人になりすましたり、精巧な偽造パスポートを使ったり、手口は年々複雑化しているらしい。
・早速呼び出しが。中国から来た若い女性。過去に就労資格の申請をしたが認められなかった。今回も就労目的ではと疑われたけど、滞在先などを調べて観光だと確認されたみたい。
・世界が揺れた2016年、様々な事情が審査場を通り過ぎていく。
・ある男性は自分がアフガニスタン人だからいろいろと調べられたと言う。妻はモンゴル人で、平和について学ぶため来日したという。テロリストがアフガニスタンで活動しているけど自分たちも被害者だと男性は言う。
・審査を終えた男性が何かを訴えていた。乗り継ぎの途中で奥さんとはぐれてしまったという。
・幾多のトラブルを乗り越えながら、人は旅をし、交わってゆく。
・20時26分。入国管理局に一報が入った。間もなくトルコからある男性が到着するという。日本で過去4回もオーバーステイした要注意人物らしい。8時半、問題の男性がやって来た。50代のトルコ人、しっかりしたスーツ姿だけど。詳しい聞き取りが必要なため、更に奥の個室へ移動するという(口頭審理)。5年ぶりに来日したという男性、通訳を介して聞き取りが始まった。衣料品店を経営していると語る男性、でも厳しい対応を前に徐々に弱気になってきた。かつて7年以上も日本で暮らしていたという。オーバーステイで有罪判決を受けた過去もあるらしい。過去の有罪判決が法律に触れ、結局入国は認められず男性はそのままトルコへ帰っていった。
・成田空港で入国を拒まれる外国人は年間2500人以上。待合室の壁には彼らのメッセージが残されていた。

「私はここにいた」「お父さんどこにいるの。早く来て私疲れちゃった」

・12月24日(土)12時47分。一人の少年が別室に呼ばれた。台湾から来た男の子、随分若い一人旅だったため事情を聞かれたみたい。14歳の中学生。秋葉原のゲームセンターに行くという。ドキドキしながらも何だか楽しそう。
・夕方、乗り継ぎ便を待つ若者に出会った。ギターとウクレレを持った24歳男性。季節労働を終え、家族のもとへ帰る途中だという。太平洋に浮かぶ人口5万人のマーシャル諸島出身。出稼ぎしながら世界を渡り歩いている。アラスカで買ったウクレレは家族へのクリスマスプレゼント。

・12月25日(日)7時5分。この日も数万人が国境を越えてゆく。東京で働くネパール人。(足立区)竹の塚のカレー屋さん。
・指紋の照合ができず、呼び止められた台湾女性。2015年に台湾で起きた爆発事故が原因で指を怪我したという。不自由でも海外旅行はとても楽しいという。日本で好きなものは親子丼、うなぎだという。

(2017/1/15視聴・2017/1/15記)

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【歴史秘話ヒストリア】きもの 千年のトキメキ

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【歴史秘話ヒストリア】
「きもの 千年のトキメキ」

(NHK総合・2017/1/13放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 着物の歴史。正直あまり興味がある分野ではなかったのですが、それでもまあまあ楽しめたかなといった感じですね。織田信長が戦国のファッションリーダーだったというのは、ちょっと誇張している感じがしましたが。

 友禅染、着物にも疎い私でもその手作業の大変さと出来栄えの美しさ、そしてそれに見合うだけのお値段だということは知っています。大量生産できるものではありませんし、着る人も汚したら大変と気を遣うことでしょうね。ましてや着用してカレーうどんやスパゲティーなんて食べられませんよね(笑)

 まあそんな冗談はさておき、ここ数年で着物を着る機会は一度だけありました。番組でも誰かが言っていましたが、やはり着物を着るとビシっとした緊張感がありますね。ぜひ成人のお祝いで羽織袴姿になる人たちは一升瓶などぶら下げずに厳格な気持ちで式典に臨んでもらいたいものです。ていうか、それが出来ないような輩は「斬り捨て御免」でもいいと思いますよ、本当に。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・お正月といえば初詣に成人式、特別な日はやっぱり着物。日本人と着物、千年の物語。
・一枚の真っ白な着物。実はこれが着物のルーツ。千年の時の流れの中で華やかになっていった。
・着物の進化、その立役者が織田信長。信長の時代、着物は一気に絢爛豪華に。信長は戦国のファッションリーダーだった。
・そして江戸時代。町娘の「かわいい着物を着たい」という願いが究極の技を生み出した。
・さらに明治時代。最新の科学と伝統の職人技が出会ったとき、日本の着物に革命が。
・トキメキに満ちた日本の着物、千年の旅。

<信長の戦国おしゃれ革命>
・日本と言えば着物。伝統の着物といって思い浮かぶのは十二単。平安の女性たちと美しく彩っていた。
・でも現代の私たちが着ている着物とは随分違う。実は日本の着物は歴史上、3回大変身を遂げてきた。その最初、まずは戦国時代。
・織田信長の妹で戦国一の美女と言われるお市の方の肖像画。彼女の着物に日本の着物の大変身のカギがあるという。着物の歴史の第一人者、関西学院大学文学部教授の河上繁樹氏によると、お市の着物を実際に見られるという。
・当時の素材や技法をもとに専門家チームが完全復元した(立涌に丸に菊花模様小袖)。上質な絹が美しい光沢を放っている。天下人の一族しか着ることができない大変豪華なもの。河上先生によると、この着物のポイントは袖。

昔は着物のことを「小袖」というふうに呼んでいます。それはこういうふうに袖口が詰まっていて、袖が小さいんです(河上氏)

・着てみると確かに袖口が狭い。だから動きやすい。着心地がいい小袖。でももともとは意外な用途に使われていた。
・平安時代の絵巻(粉河寺縁起)を見てみると皆、袖口が広くゆったりとした着物を着ている。これは「広袖」、そしてその下に着ているのが小袖。実は小袖は下着だった。
・この小袖を下着から最先端のファッションに生まれ変わらせた男が戦国の英雄・織田信長。教科書でもおなじみの肖像画(織田信長像・長興寺)を衣装に注目して見てみると「肩衣」と言われる紋付きの下に着ているのは、真っ白な小袖。信長は下着扱いだった小袖を堂々と表に着てみた。
・そして更に別の肖像画(大本山大徳寺)には、信長の小袖への並々ならぬこだわりが隠されている。8年前に肖像画を修復したとき、元は別の色だったことが分かった。小袖の右と左は別の色だった。信長は右半身と左半身が色違いの「片身替わり」という派手な小袖を着こなしていた。

信長は片身替わりの着物も着ている戦国のファッションリーダー(同上)

・とにかくおしゃれだった信長。その妹・お市の小袖も素敵なものだった。何色もの糸を生地に織り込むことでファッショナブルな模様になる。
・実際に織るところを見せてもらった。専用の道具、織り機を使って特別な方法で色糸を織り込む。例えばある部分の裏側は複雑に糸が組み合わさっている。
・こうした複雑な糸の上げ下げは現在はコンピューターがコントロール。でも当時は一体どうやっていたのか。複雑な紋様を織り出すための織り機「空引機」が江戸時代まで使われていた。高さが4m近くもあり、2人がかり。上と下とでピッタリ息を合わせ織り上げていた。信長の愛した小袖にはすごい技が使われていた。
・ファッションリーダー信長のおかげで、小袖は一躍大流行。家臣も真似を始めた。後の天下人・秀吉が信長に仕えていた頃、お歳暮に200枚もの小袖を贈り、信長は大満足だったと記録は伝えている。

小袖二百枚を献上。古今に例がない 皆 驚嘆した(「信長公記」より)

・秀吉がこのとき献上した小袖はどんなものだったのか。その手がかりが残っている。秀吉の妻・おねが晩年暮らしていた高台寺(京都市東山区)。そこに伝わる「打敷」。仏像を飾るための大きな敷物のことで、実はおねの侍女が着ていた小袖を打敷に仕立て直したと考えられる。赤と白、あさぎ色の下地に鮮やかな桜が。この桜の幹や花は全て刺しゅう、贅沢な作りだ。

着物をほぼ1枚使って仕立て直したもの(河上氏)

・今は真四角の打敷、模様を手がかりに断片を一から繋ぎ直して元の小袖に再現してみると、1本の桜を背中に背負った大胆なデザインの小袖だった。枝には満開の花が咲き誇る。よみがえった小袖は世にも華やかなものだった。
・下着だった小袖が信長のセンスでファッショナブルに。これが戦国時代の着物の大変身だった。

<究極の美 友禅染 誕生のヒミツ>
・江戸時代の京都。5代将軍・徳川綱吉の時代、再び着物の大変身が始まろうとしていた。主役は裕福な町人の娘たち。夢中になっているのは当時のファッションブック「雛形本」。しゃれたデザインを集めたもの。おしゃれしたいという女心は、いつの時代も同じ。江戸時代になると天下人だけでなく裕福な町人たちもおしゃれな小袖を着るようになった。当時の町の様子を描いた絵(都鄙図巻)。

色々な工夫で着物を美しくし
とてもぜいたくになった
豪華な着物が普段着になるかも
(井原西鶴「日本永代蔵」より)


・しかしこんな時代は長くは続かなかった。江戸城では幕府の偉い人たちがカンカンだった。武士より豪華な着物を着ることは許さない。町人がぜいたくな着物を着ることを禁じるお触れが出た。

金糸などの刺しゅう 鹿の子絞り禁止とする
(「天和3年(1683年)の禁令」より)


・着物の進化、ピンチの時を迎えたが、そこへ救世主が現れた。おしゃれ着物の革命児・宮崎友禅。元は扇に絵を描く名人だった。友禅が描いた扇「扇面蛍図」は夏草に飛ぶ蛍。繊細な自然の情景を写し取る天下一品の技の持ち主だった。
・刺しゅう禁止の世の中で友禅の技が生きてくることになった。生まれたのが友禅のデザインを染めで表現する「友禅染」。京都の上賀茂神社で行われる競馬の様子を描いた友禅染(賀茂競馬模様小袖・復元)。馬の駆ける勇壮な姿が染めで表現されている。
・この友禅染。染めなのに洗っても色落ちしない特殊な技が用いられている。職人の諸頭博さん、博子さん夫妻を訪ね、友禅染の最も大事な工程を見せてもらった。専用の道具で下絵に沿って黒い縁取りを置いていく。これは糊、糸のように見えるので「糸目糊」という。この作業が友禅染の肝。
・詳しく見てみると、まず生地に下絵を描く。その上に縁取りの糸目糊を置いて、間に色を塗っていく。最後に糊を取るときれいな模様が浮かび上がる。

糸目糊が途切れていると、そこから色がにじむ。すごく慎重に、しかしゆっくり過ぎると文様の勢いがなくなる。スムーズに置いていかないといけない熟練のいる作業(河上氏)

・糸目糊には塩を混ぜてある。この塩にもちゃんと意味がある。塩分にはひび割れを防ぐ働きがある。
・糸目糊に縁取りした生地に色を塗っていくのは別の職人さん。この工程を「色を挿す」という。絵の具は江戸時代から使われている天然素材。着物の生地とよくなじむ。
・赤い色はカイガラムシの巣から抽出したもの。青い色は藍染めなどに使われる藍を固めたものが元になる。そして黄色はフクギという木の樹液を固めたもの。この赤青黄の三原色と墨を使ってあらゆる色が生み出されていた。
・色落ちしない秘密は「豆汁」という大豆を搾った汁。絵の具にこれを混ぜる。そして色を塗るとき炭火であぶる。すると大豆のタンパク質が熱で固まり、生地に色が定着する。洗っても色落ちしなくなる。
・こうして江戸時代、色鮮やかな模様を刺しゅうではなく染めで表現する技、友禅染が生まれた。刺しゅうは駄目と言われてもおしゃれな着物を着たい。そんな娘たちの願いが日本の着物に再び大変身をもたらした。

<最新科学と伝統の技 キモノ大変身>
・岐阜県瑞浪市。かつては宿場町として栄えたこの町には、100年以上前の着物など数千枚が受け継がれている。地歌舞伎と呼ばれる歌舞伎に使われ、昔から地域の人たちによって演じられてきた。
・この役者さんたちが着ている着物に3つ目の大変身の秘密が秘められている。100年ほど前に作られた地歌舞伎の衣装。美しい友禅染だが、実は江戸時代のものとは少し違う方法で作られている。値段はこれまでの友禅染の10分の1以下だという。つまり100年ほど前、おしゃれな着物は庶民の手の届くものになっていた。
・秘密のカギは海の向こう、イギリスにあった。1856年、日本の着物に大変身をもたらす運命の発明が。ある若い科学者(ウィリアム・パーキン)が当時問題になっていた熱病マラリアの特効薬を作るため、実験をしていた。すると偶然、色鮮やかな紫色の液体が生まれた。
・それが世界初の化学染料モーヴ。この化学染料が日本の着物を変身させることになった。その後、新たな化学染料が次々発明された。天然染料より安く、大量生産が可能。日本にもすぐ輸入されるようになった。
・そして明治の初め、この化学染料を使って美しい着物を作ることに挑む職人が現れた。京都で生まれ育った広瀬治助、もともと友禅染の名人だった。広瀬は50歳を過ぎてこの化学染料に取り組んだ。
・ところが友禅染に化学染料を使っても結果は散々だった。化学染料は糸目糊の縁取りを越えて広がってしまい、模様にならなかった。更に生地に色を定着させる方法が見つからず、すぐ色落ちしてしまった。
・困り果てた広瀬は、遂に掟破りの行動に出た。商売敵に技を教えてほしい。そんな厚かましい願いに応えてくれたのは、京都で毛織物を染める工場を経営していた堀川新三郎だった。
・毛織物を染める技は友禅染と発想が違う。糊と染料を最初から混ぜ合わせ、生地に定着させる。生地と色がしっかり結びつき、色落ちはない。
・この技を応用できないか、でも問題は化学染料と糊の相性が悪いことだった。化学染料とばっちり合う糊はないか。広瀬は糊の配合を変えては試し、来る日も来る日も研究を続けた。
・商売そっちのけで研究に没頭すること3年。遂に広瀬は化学染料と相性の良い糊を見つけ出した。この方法で広瀬が初めて染めた生地の本物が残っている(縮緬地 菊桔梗に流水文様 型友禅染裂)。菊の花の鮮やかな赤、130年以上経った今も色褪せていない。化学染料に糊を混ぜ定着させる技法「色糊」と名づけた。
・京都市右京区。広瀬の技は今も息づいている。生地の上に型紙を置き、その上から色糊を刷り込んで模様を出す。「型友禅」と呼ばれる技法だ。型紙を変えながら色を足していき、美しい模様を完成させていく(模様を完成させたあと、高温で蒸して仕上げる)。この型友禅も広瀬の発明。筆で色を挿すよりぐっと仕事が早くなり、コストダウンになる。

化学染料を使った型友禅によって量産が可能になり価格も安くなって、普通の人たちが(着物を)使えるようになった、画期的なものだったと思う(武庫川女子大学名誉教授・服飾史の横川公子氏)

・天下人や裕福な町人たちだけのものだったトキメキは、みんなのものになった。科学技術と職人の執念の合体。それが着物大変身の最後のカギだった。

<着物には時代を越えた魅力がある>
・そして今、京都の町は着物を楽しむたくさんの観光客で賑わっている。
・着物を奥深い世界を知りたい人には、こんなお店も。古着専門店。アンティークの着物には今では見られないデザインや色使いが。時代を越えた魅力がある。
・岐阜県の地歌舞伎の衣装部屋では、公演を終え着物の汚れを拭き取ったりほころびを直したり。こちらでは古くなって舞台で使われなくなった着物も大切に保管されている。地歌舞伎の歴史を伝えるのに役立つという。
・着物は千年の時を越え、より美しく変身を続けてきた。そしてきっとこれからも、私たちのトキメキはずっと続いていくはずだ。

(2017/1/16視聴・2017/1/16記)

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【ブラタモリ】#59 さぬきうどん~なぜ“さぬきうどん”は名物になった?~

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【ブラタモリ】
「#59 さぬきうどん~なぜ“さぬきうどん”は名物になった?~」

(NHK総合・2017/1/14放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 四国にまだ一度も行ったことがない私にとっては「うどん県」(香川県)は憧れの町ですね。博多うどん贔屓のタモリ氏も最終的には美味しいと言いましたが、やっぱり讃岐うどんは絶品だと私も思います。といっても、本場のものではなくチェーン店系のものしか食べたことがありませんが…。

 しかしコシの秘密に「塩」があるとは知りませんでした。地元の人からは「そんなの常識だよ」と言われてしまうかもしれませんが、私にとっては「びっくりポン」です。ちなみに茹で汁が塩辛くなるということですが、スーパーなどで市販されている「讃岐うどん」もそういうことなんでしょうか。煮込みうどんなどを作るときに殆ど意識していませんでした。

 次回は「こんぴらさん」。旅行に行くときの“予習”のつもりで視聴したいと思います。今回と同様、楽しみにしています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今日のスタート地点は香川県丸亀のうどん店。博多うどんが好きなタモリは香川のうどんは固すぎると言っていた。
・麺とだしそれぞれ冷と熱が選べるという。
・旅のお題は「なぜ“さぬきうどん”は名物になった?」
・案内人は、さぬきうどんの歴史に詳しいうどんライターの萬谷純哉さん。1日12玉食べても平気な大の「うどん好き」。
・うどんの店(約700軒)がコンビニ(約400軒)より多い香川県。さぬきうどんの食べ方はお店によって様々。共通する特徴は何といっても麺の「コシ」。
・中でもコシがウリの有名店が集中するのが讃岐の真ん中「中讃」という地域。今回はうどん店がひしめくこの地域をブラブラする。
・さぬきうどんの「コシ」とは「しなやかさ」と「弾力」があり、簡単には切れない。「固さ」と「コシ」とは違うという。

・まず一行は丸亀市の南。ここでさぬきうどんが香川の地形や地質と深く関わっていることが分かるという。
・2人目の案内人は、さぬきうどんが生まれた理由を地質からひもとく香川大学教授(応用地質学)の長谷川修一さん。調査のときは必ず、その土地のうどんを食べている。
・香川県の降水量は全国的にもかなり少ない。香川の南には1400万年前からの火山活動で出来た四国山地がある。その後、中央構造線と呼ばれる断層の活動で出来たのが讃岐山脈。実はこの2つが香川の気候に大きく影響を与えている。太平洋から来る湿った空気は、まず四国山地に遮られ手前で雨を降らせる。たとえ乗り越えたとしても、その先には讃岐山脈が。つまり二重の壁に遮られている。
・水不足の香川で人々が生きるために作ったのが、少ない水でも栽培できる小麦だった。中でも上質な小麦が育つ場所として有名だったのがこの地域。江戸時代の書物を見ると「讃岐の丸亀で獲れた小麦は上質で、饅頭にすると色が白い」と書かれている。
・上質な小麦が獲れる理由、実は地形や地質と深く関係している。この地域一帯は川が運んだ石や砂が扇形に堆積して出来た扇状地。石や砂が多い扇状地では川の水は地下にしみ込んでしまう。この湧き水は川の下にしみ込んだ水が再び表に出てきたものだった。
・小麦は根が呼吸するほどよく育つ。水はけが良い扇状地では根に酸素が行き届き、実の詰まった上質な小麦になる。さぬきうどんに欠かせない上質な小麦は、香川の地形がもたらした雨の少ない気候、そして扇状地特有の水はけの良い地質から生まれた。

・続いて一行は瀬戸内海沿岸の宇多津町へ。さぬきうどんには小麦の他にもう一つ欠かせないものがある。
・瀬戸内海に流れる川の河口に、塩田の周りを囲っていた石垣が残されている。江戸時代から塩田による塩作りが盛んだった。
・幼いタモリが丸亀を訪れた頃、沿岸の至る所に塩田が広がっていた。瀬戸内海特有の遠浅の地形を生かして広大な塩田を作ることができた。明治の終わりから塩田が廃止される昭和47年まで香川の塩の生産量は日本一だった。
・実はこの塩こそ、さぬきうどんに欠かせないもう一つのもの「コシ」をつくるカギ。弾力性のあるグルテンというタンパク質が出来るのを助ける。このグルテンのおかげで、さぬきうどんに弾力があり引っ張っても切れない、しなやかなコシが生まれる。
・さぬきうどんの麺には(小麦粉の重量に対して)3%以上の塩を入れるという決まりがある(生めん類の表示の関する公正競争規約)。茹で汁を飲むと塩辛い。実は塩分の殆どが茹でるときに溶け出している。

・一行は当時の塩田を復元している場所へ。
・海水を砂地に撒く「浜飼い」。撒いては天日で乾かすこの作業を3日間繰り返すことで、たくさん塩に付いた塩をつくる。雨が降ると一からやり直し。雨が少ない香川だからこそ出来る塩作りだ。
・たくさん塩の付いた砂から作った濃い塩水。最後は釜で煮て塩を取り出す。
・さぬきうどんに欠かせない上質な小麦とコシを生み出す塩。香川特有の地形と地質のおかげで生まれたことがよく分かった。

・続いて一行は内陸へ10kmほどの綾川町滝宮という場所。実はこの町があったからこそ、さぬきうどんは全国的に知られる香川の名物になった。
・滝宮天満宮にかつてこの町がどんな場所だったのか分かるヒントがある。学問の神様、菅原道真が886年~890年(平安時代)に国司として讃岐に赴任。当時、讃岐の政治の中心は滝宮のすぐ近くにあった。そしてここには道真の別荘があったと言われている。平安時代この辺りは讃岐の中心地だった。
・滝宮の歴史に詳しい綾川町さぬきうどん研究会の村山潔さん。趣味はうどん打ち。年間2000玉以上打つというプロ顔負けの名人。
・滝宮がさぬきうどん発祥の地と言われている。讃岐出身の空海(弘法大師)が関係している。天満宮の隣には龍燈院という、かつて空海の甥が住職を務めたお寺があった。唐(中国)から帰った空海は甥の智泉に小麦粉を練って湯がいたものを伝えた。それが後のさぬきうどんになったという(諸説ある)。
・タモリが博多に「うどん発祥の碑」(承天寺・福岡)があると言う。鎌倉時代、中国から博多にうどんの製法が伝わったという説もある。

・続いてやって来たのは南に1kmほどの川の近く。空海によってうどんが生まれたという滝宮。その地形はうどん作りにもぴったりだったという。
・綾川は丸亀で見た土器川に比べると瀬切れがなく、流れる水の量が多い。川に沿ってつくられた水路、堰で集めた水を利用するためのものだった。水車がつくりやすく、かつては30もあった。滝宮では古くから水車を使って小麦をひき、うどんに使う小麦粉作りが盛んだった。
・川の両側が広い上流と比べ、急激に狭くなる渓谷の入口は水が集まる場所だった。更に水量が多いのはこの辺りの地質が水を通しにくい花崗岩だった。そのため川は瀬切れせず安定している。

・一行は少し下流へ。タモリが注目したのは岩にあいた真ん丸の穴。ちょうど足場になる岩があって橋を架けるにはぴったりの場所。江戸時代の絵を見ても確かにこの場所には橋が架かっている。
・かつて滝宮は高松と琴平を結ぶ金毘羅街道の宿場町として栄えていた。絵図を頼りに宿場町だった痕跡を辿る。江戸時代には宿屋が6軒、うどん屋は11軒あったという。
・交通の要衝だった滝宮がうどん作りに適した地形と地質に恵まれていたという奇跡。そんな場所だったからこそ、さぬきうどんは生まれ、全国へと広まっていった。

・最後に一行は滝宮の人たちが今でも受け継いでいるという、さぬきうどんの原型が見られる場所。研究会のみなさんが集まっていた。
・「どじょう汁」は打ちたてのうどんをどじょうや野菜と煮込んだ郷土料理。その土地で取れた恵みと一緒に味わう香川の伝統的なうどんの食べ方。
・さぬきうどんに対するイメージが変わったというタモリ。鎌倉時代に伝わった福岡と、弘法大師が出てきた讃岐では(福岡が)分が悪いと言う。

(2017/1/16視聴・2017/1/16記)

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第2回 崖っぷちの姫

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第2回
「崖っぷちの姫」

(NHK総合・2017/1/15放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 前回の感想でも書いたのですが、井伊家は随分と子どもの意見を親が聞き入れるという現代的というかリベラルな家風のように思えます。もちろん子どもが親の言いなりになるのが正しいと思っているわけではないのですが、時代考証として戦国時代の武家でそんなことが通用したと思えないので、その辺りが大いに違和感を感じずにはいられませんね。

 またラストで、おとわが髪を切っているシーン。おそらく出家しようとすることなのですが、その動機が「鶴丸との結婚回避のため」というのが、ちょっと釈然としないですね。一度出家してしまえば還俗しても、許嫁だった亀之丞と結婚できない(はず)。なら彼が生存していると分かっている段階での出家はありえないのでは。2話目にして突っ込みたくなるところが幾つも出てきてしまっています(苦笑)


<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・時は戦国、ところは井伊谷。代々、井伊の一族が治めてきたこの地は、そのころ駿河の名門・今川氏の支配を受けていた。
・これなるは井伊家当主の一人娘・おとわ。おとわには亀之丞、鶴丸という2人の幼なじみがおったのじゃが、おとわの父・直盛は亀之丞をおとわの婿とし、家督を継がせる事を決めた。
・じゃが、亀之丞は父の企てた謀反の廉で今川から命を狙われる身となってしまう。その裏では鶴丸の父・小野和泉守が糸を引いておった。
・井伊谷では亀之丞を捜し出すため、子どもたちの人相改めが行われることとなった。

・今川の追っ手に捕らえられた子どもは、おとわ(新井美羽)だった。彼女の捨て身の作戦で亀之丞(藤本哉汰)は逃げることができた。
・井伊直満(宇梶剛士)の葬儀の場に小野政直(吹越満)が現れ、今川からの下知を持ってきた。今後、今川家の目付を政直にするということと、さらに息子の鶴丸(小林颯)とおとわを夫婦にするというもの。
・それに対して井伊直平(前田吟)ら重臣たちは直政が今川に讒言したと思っており激しく反発した。
・井伊直盛(杉本哲太)や千賀(財前直見)は、おとわに鶴丸と結婚するよう伝えるが、彼女は亀之丞との約束を果たそうと考える。
・そんなある日、おとわは家を飛び出し、あばら家で男と出会う。この男は後に井伊家と関わる豪商となる瀬戸方久(ムロツヨシ)だった。
・おとわは家に連れ戻されるが、どうしても鶴丸との結婚に納得できず、考えた末に髪を切って周囲を驚かせたのだった。

<直虎紀行>
・亀之丞の父・井伊直満は謀反の疑いにより討ち取られ、無言の帰国を果たした。井伊谷の人々によって築かれた井殿の塚。直満はここに眠っている。
・亀之丞に追っ手が迫ると、井伊家は今村藤七郎をつけ亀之丞を井伊谷から逃がした。この逃亡劇について多くの言い伝えがある。山中で弓の名手に狙われた亀之丞が間一髪で難を逃れたという話もその一つ。
・井伊谷から約15km離れた場所にある東光院。2人は数日間、この寺に身を寄せたあと北を目指した。
・井伊家にとって更に厳しい時代が始まろうとしている。

※井殿の塚(JR「浜松」からバス「神宮寺」下車 徒歩10分)
※右近次郎の墓(右近次郎が逃亡中の亀之丞に弓を放ったという伝承がある)
※東光院

(2017/1/17視聴・2017/1/17記)

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おんな城主 直虎 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」完全ガイドブック (TOKYO NEWS MOOK 591号)

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」完全読本 (NIKKO MOOK)

おんな城主 井伊直虎と井伊直政の真実 (別冊宝島 2528)

井伊直虎と謎の超名門「井伊家」 (講談社+α文庫)

※関連ページ(おんな城主 直虎)
第1回 井伊谷の少女

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【にっぽん!歴史鑑定】井伊直虎はなぜおんな城主となったのか?
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【NHKスペシャル】シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第3集

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【NHKスペシャル】
「シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第3集 ウイルス“大感染時代”~忍び寄るパンデミック~」

(NHK総合・2017/1/14放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 新型ウイルスによるパンデミック(感染爆発)によって社会が大混乱に陥る恐れがあるという、なかなか衝撃的な「巨大危機」のリスクが紹介されました。インフルエンザによる最悪のシナリオは「日本人の4人に1人、3200万人が感染。致死率を最大2%で死者64万人」。都市部にいたらまず逃れることが出来そうにありません。

 そしてそれを自分たちで防御する手立てがなかなか無いということも浮き彫りになりました。政府や自治体が緊急事態宣言をしたり外出自粛を呼びかけたところで法的に拘束力がない限り、会社などに勤めている人は出勤命令が出たら休めないでしょうね。

 ちなみにあの原発事故による「計画停電」で首都圏の鉄道網がパニックに近い状態になったときも、私の勤めていた会社はどんな交通手段を使っても出勤して顧客のもとへ行けという業務命令が出ました。おそらくインフルエンザが蔓延した状況下でも多くのサラリーマンが通常通りの業務を強いられるでしょう。そのときに命を守るために「辞表」を叩きつけられる人がどれだけいるか。

 まあ、そうなったときのことを考えれば人口が密集するような地域で暮らし、組織に拘束されるような生業に就いていない方が命が守れるような気がします。この記事を書いている今日は阪神・淡路大震災から22年という日でもあります。この地震もそうだし東日本大震災や熊本地震などでも、都市部でライフラインを失うといかに無力になるかということが浮き彫りになりました。かえって田舎に住んで井戸水があり、納屋に玄米と自家発電機があったら、震災のときもそうだしパンデミックのときもサバイバル生活で生き残れる可能性がある。そんな気さえしてしまいます。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今、流行しているインフルエンザ。これがもし毒性の強い新型ウイルスだったら数週間後には街から人が消え、やがて社会機能は麻痺。最悪、数十万の死者が出る未曽有の事態に陥る可能性がある。
・平穏な日常が突如、危機へと変貌する。それが私たちの生きる時代。巨大危機「MEGA CRISIS」。20世紀以降、人類の命を最も多く奪ってきたもの。それは戦争でも自然災害でもない。ウイルスの感染爆発「パンデミック」。新たな危機の可能性が年々高まっている。
・その一つが、強い毒性と感染力を兼ね備えた新型インフルエンザウイルス。最先端の研究は、その最悪のウイルスがヒトからヒトへと感染を広げる能力を持ちつつあることを突き止めた。

たくさんの種類の組み合わせのウイルスが、今までなかったウイルスが出来ている(ウイルス研究者)

・さらに未知のウイルスを世界中に拡散させる新たなリスクも浮かび上がっている。交通網の発展や地球規模で進行する温暖化が拍車をかけている。

無数のウイルスが海や大地、あらゆる場所に存在します。リスクは必ずあります(古代ウイルス研究者)

・危機を乗り越えるための闘いが今、始まっている。アフリカの奥地で自然界に潜む未知のウイルスを探り続ける研究者たち。
・従来の200倍以上のスピードでワクチンを製造する技術の開発も進んでいる。

ウイルスの弱点を見つけて、そこを攻撃する。いかに抑え込むことが出来るかが重要(ウイルス学者)

・人類がこれまで経験したことがない大感染時代。ウイルスとの果てしなき攻防に迫る。

・有働由美子アナウンサー(以下、有働氏):「シリーズMEGA CRISIS 巨大危機」。私たちの生活を脅かす巨大な危機をどう乗り越えればいいのか。その最前線に迫ります。
 第3回、今回のテーマは「ウイルス感染症との闘い」です。この冬もインフルエンザですとかノロウイルスなど様々な感染症が流行しています。ただ今日お伝えするのは、ぜひ皆さんに知っておいていただきたいのですけれども、そうした感染症とは全くレベルの違う死に至る可能性の高いウイルス感染症。その爆発的流行が間近に迫っているというのです。

<かつてない広がり 鳥インフルエンザの脅威>
・今、ヒトへの感染が恐れられているのが鳥インフルエンザウイルス。全国各地で相次いで検出、防護服に身を固めた自衛隊員や自治体職員などが対応に当たった。感染が明らかになった鳥は、この農場では数十羽。しかし感染拡大を防ぐため、全ての鳥が処分された。鳥は袋詰めにされ、地中深くに埋められた。その数100万羽に上る。
・これまでに鳥インフルエンザが検出された農場は7か所、野鳥からの検出は165件、過去最悪の広がりを見せている。この感染の拡大を引き起こしたのが、鳥インフルエンザの中でも最も毒性が強いといわれるH5型と呼ばれるウイルス。
・本来、鳥インフルエンザウイルスは鳥と鳥の間でしかうつらない。しかし鳥からヒトに感染するケースが世界で相次いで報告されている。エジプトではここ数年、感染者が急激に増加。死者は2015年には39人に上った。
・鳥インフルエンザウイルスが人間にうつると重篤な肺炎が引き起こされ、呼吸困難に陥る。更に肝臓や脳なども侵され多臓器不全に陥り死に至る。

<新型インフルエンザ 間近に迫る感染爆発>
・今、最も恐れられているのはこのウイルスがヒトからヒトへ感染を拡大させていく事態。その日が刻一刻と近づいているのではないかという危惧が、最先端の研究現場で広がっている。
・東南アジアで家畜の体内にいるウイルスを調査している農研機構動物衛生研究部門・竹前喜洋氏の研究チーム。世界で初めてインフルエンザウイルスがブタの体内で頻繁に変化することを遺伝子レベルで突き止めた。

今ので15頭、半分ですね(竹前氏)

・鳥インフルエンザが種の違いを超えてヒトの間で感染を広げるには、いくつか壁がある。その一つがウイルスの増殖に適した温度だ。鳥インフルエンザウイルスは鳥の体温に近い42度で増殖する。一方、ヒトの体温は36度。そのため仮に1人の人に感染したとしても、他の人には感染が広がりにくい。
・その体温の壁を乗り越える場として注目されているのが、鳥とヒトの中間の体温を持つブタだ。体温は39度、鳥とヒト両方のウイルスにかかりやすい性質がある。ブタが同時に2つのインフルエンザウイルスに感染したとき、遺伝子が混ざり合う。このときヒトの体温でも増殖しやすい性質を獲得するおそれがある。
・これまでの調査でブタから見つかったウイルスは約400。その8割近くに、鳥やヒトのインフルエンザウイルスの遺伝子が混ざっていることが分かった。

ヒトが持っているウイルスがブタに入っていったりとか、今までなかったウイルスが出来ている。実際に見つかっています。世界中にたくさんの種類の組み合わせのウイルスが今、いろんなところで出来ている(同上)

<新型インフルエンザ 見えてきた感染爆発のリスク>
・実は温度の壁が既に突破されたと危惧されるケースが見つかっている。死者が増加しているエジプトで流行した鳥インフルエンザウイルスを解析した東京大学医科学研究所の河岡義裕教授。ウイルスに深刻な変異が起きていることを突き止めた。
・解析したのはウイルスの遺伝子、増殖温度に関わる部分が変異していた。42度から33度の間の幅広い温度で増殖しやすくなっていた。ヒトの体温でも増殖、ヒトからヒトへの感染が広がりやすい状況が生まれている。

鳥のインフルエンザウイルスにも関わらず、33度というヒトの上気道の温度で増えるようになっています。そういう意味では1つ壁がなくなってしまっている。危機が迫っているということになります(河岡氏)

・しかしエジプトでは、まだヒトの間での感染爆発は起きていない。残された壁は何なのか、河岡氏は更に解析を進めた。注目したのはウイルスの突起、ヒトの細胞と結合する部分。ウイルスがヒトに感染するには体内に入った後、ヒトの細胞と結合しなければならない。ウイルスの突起とヒトの受容体の形が合わないため、結合しにくい。
・河岡氏が解析したウイルスの突起の詳細な構造を見ると、結合に関する遺伝子は僅か4つであることが分かった。この遺伝子が変異すると、ヒトからヒトへの感染能力が一気に高まる。このとき新型インフルエンザウイルスが誕生し、感染爆発が起きるおそれがある。
・ヒトの間での感染拡大を防ぐ残された壁は受容体だけなのか、他にもあるのか。河岡氏は分析を続けている。

(変異までに残された)4つという数は少ない。起きるかどうかというのは現段階では分からない。それに対しての準備は必要で、世界中でパンデミックが起きたときの対策はやられている(同上)

<スタジオでの解説(1)>
・有働氏:スタジオにはウイルス学がご専門の東北大学(医学系研究科)の押谷仁教授にお越しいただきました。よろしくお願いします。押谷さん、今の見てますと本当に最悪のウイルスがヒトからヒトに感染するのは間近なんですか?

・押谷氏:もしかすると今年起こるかもしれないし、10年後であるかもしれないし、20年後であるかもしれない。いつ起こるかということは正確に予測することは出来ませんけれども、おそらく確実に起きてくるだろうということだけは間違いないと思います。
 今、出てきたのはH5N1というウイルスなんですけれども、これ以外にもパンデミックを起こす可能性のあるウイルスというのはいくつも存在していて、例えばH7N9という中国から出てきたウイルスとかも、ある程度ヒトへの適応性を獲得しつつあるんじゃないかといわれているようなウイルスがあったりとかですね、そういうことを考えると今、考えられているうちのどれかのウイルスがパンデミックを起こしてくるということは確実なんだと思います。


・有働氏:今、見たものだけでもすごく怖くなったんですけど、今までも何度かいろんなインフルエンザが冬にはやって、体が慣れているだろうということで新型インフルエンザがきてもそんなに、ちょっと熱が出て少し会社休むぐらいじゃないの?というのとは全く違う?

・押谷氏:季節性インフルエンザは爆発的な流行になるということはなくて、しかも多くの人にとっては2~3日寝ていれば治るというようなものということになりますけれども。もし病原性(ウイルスなどが感染症を引き起こす性質)の高いウイルスがそういうことを起こすとですね、1日から3日ぐらいで発症してきて、それもウイルスがどんなウイルスかによりますけれども、4日から5日、あるいは1週間から2週間ぐらいで多くの人が亡くなっていくというふうに考えられています。

<新型インフルエンザ 感染爆発 そのとき日本は>
・ひとたび日本で新型インフルエンザが発生したら何が起こるのか。国と国立感染症研究所の予測をもとに専門家の想定を加えた最悪のシナリオを映像化した。
・想定したのは東京都内で新型インフルエンザの感染者が1人出たケース。ウイルスは、せきやくしゃみなどの飛まつや空気を通じて拡散。
・感染した人は数日後に、せきや高熱などを発症。感染は人の密集する場で瞬く間に広がる。病院には患者が殺到、入院に必要なベッドが不足する。
・症状は一気に深刻化。毒性が最も強いとされるタイプの場合、感染が特に集中するのは肺。24時間でウイルスは約100万倍に増殖、次々に細胞を死滅させる。さらにウイルスは全身に広がる。肝臓や脳などの細胞も死滅、多臓器不全に陥り死に至る。
・国立感染症研究所の試算では、新型インフルエンザは東京の1人の感染者から、たった2週間で全国35万人に拡大する。自治体は住民に外出自粛を要請。街から人の姿が消える。
・やがて生活を支える社会機能は麻痺、ドライバーの感染などにより物流が停止。食料品の入手も困難となる。
・外国からの支援は期待できない。世界中で感染拡大が起きている可能性が高いからだ。
・最悪の場合、日本人の4人に1人、3200万人が感染。医療関係者も感染し治療現場は崩壊、死者が続出。火葬が追いつかず、遺体は空き地や公園などに埋葬される。
・国は20世紀初頭に起きたインフルエンザの大流行をもとに致死率を最大2%と想定。死者は64万人に達すると推定している。

パンデミックは避けられません。最悪のシナリオで来る可能性はあります。最悪の事態を想定して、それに基づいて事前準備、緊急対応計画を立てておく必要があります(国立感染症研究所 前インフルエンザウイルス研究センター長の田代眞人氏)

<スタジオでの解説(2)>
・有働氏:非常に恐ろしい想定なんですけども、本当にここまでなる可能性もあるんですか?

・押谷氏:パンデミックが起こると、その感染拡大を抑えることはできないと。多くの人が免疫を持っていないということを考えるとですね、病原性が仮にある程度低かったとしても、仮に致死率が0.1%ぐらいだったとしても数万人の人が亡くなる計算になりますので、それが少しでも病原性がそれよりも高くなるとですね、更にその被害が大きくなっていくと。

・有働氏:ワクチンってインフルエンザがはやる前に打ちますよね。ワクチンがあったとしてパンデミック始まっちゃったら効くんですか?

・押谷氏:パンデミックのワクチンというのは、新たにそのウイルスに対してワクチンを開発して製造しないといけないということになります。パンデミックが始まってから開発・製造すると、どうしても数か月はかかってしまう。そうすると初期の段階の流行には間に合わないということがワクチンの最大の問題で、抗インフルエンザ薬もある程度は重症化を防げる。亡くなる人の数を減らすことが出来るだろうというデータは出てきているんですが、これもゼロには出来ないと。

・有働氏:例えば仮にこの冬にそれが起こったときに、本来ならどうすべきですか?国全体、私たち個人含めて。

押谷氏:感染拡大を完全に抑えることは出来ないんですが、ただある程度、感染拡大のスピードをコントロールすることは一人一人の人が、いろんなことに気をつけることによって出来るだろうというふうには考えられています。
 それはですね、皆さんこういう事態になったときに自分が感染しないにはどうしたらいいだろうっていうことに、非常に気を遣うんだと思うんですけど。手洗いをするとかそれだけでは不十分で、感染した人たちがいかにして他の人にうつさないということに、気をつけてもらうということも必要です。
 日本の社会では、なかなか熱が出たりインフルエンザの症状があったりしてもですね、会社に行ってしまうというような風潮がありますけれども、そういうことは感染を周りに広げることになるので、そういうことをいかにして少なくしていくのかということが必要になってきます。


・有働氏:国のその対策は十分なんですか?

・押谷氏:新型インフルエンザ等対策特別措置法というのが出来て、より病原性が高い、相当な被害が見込まれて急速に感染が拡大していくような状況では、国が非常事態宣言というのを出せるように今、法律の枠組みではなっています。ただし必ずしも十分ではなくて、いろんな対策をする実施主体は都道府県になります。そうすると地域でどうやって非常に難しい政策判断をしなきゃいけないことになりますので。

・有働氏:例えば、どんな判断を?

・押谷氏:外出の自粛要請をするというのは非常に大きなインパクトのある対策になりますので、本当に大変な事態になったときにどういうふうに意思決定をしていって、どういう対策をするのかと。そのためにはどういう専門家が必要でというようなことをきちんと考えておくということが必要なんだと思います。そういうことを考えられる専門家というのは、日本では非常に少ないというのが今の現状。

・有働氏:でも一刻も早くしていただかないと。

・押谷氏:いつ起こるか分からない。一刻も早くそういう体制を日本の国内全体で作ることが必要なんだと思います。

・有働氏:ここまで新型インフルエンザについて見てきましたけれども、人類にとって脅威となるウイルスというのは新型インフルエンザだけではないんですね。様々なウイルスの感染症の脅威が加速して、しかも拡散しようとしているんです。

<ウイルス“大感染時代”加速・拡散するリスク>
・重症の呼吸器疾患を引き起こし、致死率40%ともいわれるMERS(中東呼吸器症候群)。初めて確認されたのは2012年、中東から始まり韓国など26か国に拡大した。
・1万1000人以上が死亡したエボラ出血熱。2014年、アフリカからアメリカやヨーロッパなどに広がった。
・今、こうしたウイルス拡散のリスクをこれまでになく高めている要因が浮かび上がっている。地球規模で進む温暖化。中でも気温上昇が進む北極圏で危機が進行している。
・シベリアの永久凍土。温暖化によって凍土が急速に溶け、むき出しになった地層から未知のウイルスが放出される危険性が高まっている。
・フランス国立科学研究所などのチームが3万年前の地層から発見した新種のウイルス・モリウイルス。発見したシャンタル・アベルジェル博士は、その増殖能力に驚いた。アメーバの細胞内に入ると、12時間で1000倍に増殖。アメーバを死滅させ、更に細胞膜を突き破って周りに広がり、ひしめいている。

無数のウイルスが海や大地、あらゆる場所に存在します。永久凍土が掘り起こされ、人間がウイルスに感染する機会が増えます。リスクは必ずあります(アベルジェル氏)

<ウイルス“大感染時代”日本に迫る新たなリスク>
・温暖化によって深刻化するのは、封じ込められていたウイルスが解き放たれるリスクだけではない。温暖化がウイルスの拡散を加速させるおそれがあることも分かってきた。
・その一つが、ここ数年で急速に世界に広がったジカウイルス。ジカウイルスに感染し脳が小さい状態で生まれた小頭症の子どもたち。母親の体内で感染し、脳の細胞が成長しなくなったと考えられている。知的障害などを引き起こし、死に至ることも少なくない。
・ジカウイルスの人への感染が最初に確認されたのは1952年、アフリカ・ウガンダだった。その後、感染は世界中に拡大。2015年にはブラジルで大流行を起こした。更にその後、アメリカ・フロリダ州や東南アジアにも感染が広がった。
・ウイルスを媒介したのは、熱帯地域に生息するネッタイシマカ。蚊が感染した人を刺すと、ウイルスが蚊の体内に取り込まれて増殖。その蚊がウイルスを運び、他の人に感染を広げる。
・これまで感染が拡大した地域は赤道付近に限られていた。ネッタイシマカが生息しているとみられる地域を重ねると、ほぼ一致する。ところがネッタイシマカが生息しない日本でも、温暖化の影響で感染リスクが高まっていることが分かってきた。
・感染症を媒介する蚊について研究している国立感染症研究所昆虫医科学部の小林睦生氏が注目しているのは、ネッタイシマカと同じようにジカウイルスを媒介するヒトスジシマカ。今、温暖化でヒトスジシマカの生息域は広がり続けている。1950年は栃木県までだった。ヒトスジシマカが生息できる年平均11度以上の地域が年々広がるとともに、生息域も北へと拡大している。
・ヒトスジシマカはネッタイシマカに比べてジカウイルスを増殖する能力は低いとされる。そのため感染を広げるリスクはそれほど高いとは考えられてこなかった。
・しかし小林氏は温暖化によってヒトスジシマカの個体数が増加すると、ヒトがウイルスに接触する機会が増えるため感染のリスクが高まると考えている。
・気温が上昇すると蚊の成長は早まる。羽化するまでの日数は、温度が20度では約30日。それが30度に上昇すると半分の14日と短くなる。理論上、蚊の個体数が数十倍になる可能性がある。

数が多いと、新たに感染する確率が高まる。温暖化が進めば、広範にジカ熱のような蚊が媒介する感染症が流行するリスクが高まる(小林氏)

<ウイルス“大感染時代”蚊を絶滅させる!?>
・温暖化がもたらす脅威に立ち向かう取り組みは、まだ始まったばかり。アメリカで検討されているのは、ウイルスを媒介する蚊を絶滅させる方法。用いるのは最新の遺伝子組み換え技術。この研究所で育てられている大量のオスの蚊の幼虫。遺伝子を組み換えることによって寿命が短くなるよう操作されている。
・この蚊を自然界に放出。メスと交尾してできた幼虫は寿命が短くなる遺伝子を引き継ぐ。そのため、次の世代を残す前に死んでしまう。世代を重ねると自然界の蚊の個体数を劇的に減らせるというのだ。しかしこの方法を本当に実施してよいのか、疑問の声も上がっている。

蚊の放出は生態系に何らかの影響を与えるでしょう。蚊が遺伝子の作用に対する耐性を持つ可能性もあります。慎重に進めていく必要があります(ハーバード大学 公衆衛生大学院のフラミニア・カタルチア氏)

<スタジオでの解説(3)>
・有働氏:世界中のウイルスが日本にやってくるかもしれない。なんかどうすればいいんだろうと、ただただ不安になるんですけれども。

・押谷氏:例えばジカウイルス感染症が今、南米で去年から非常に大きな問題になってますけれども、あんなことが起こるということは、たぶん多くの専門家が予測できなかったと。そういう予測不能なことがたくさんあって、今後も予期できないようなこと、いわゆる想定外の事態が起きてくる可能性があるんで。

・有働氏:過去と比べても感染症に関していうと今、これからっていうのは違ったフェーズに入ってくるんですか?

・押谷氏:90年代までは新たな感染症ができてきて、それが航空機に乗って世界中に広がってしまうということがあまり起こらなくて、新たな感染症は出てくるけれども限定された地域で起きてきたとういことがあります。2000年以降、特に2003年にSARSというウイルスの流行がありましたけれども、これは中国南部から始まったウイルスが瞬く間に航空機を介して世界中に広がってしまったと。

<ウイルス“大感染時代”日本に迫る脅威>
・航空機を介して1年間に移動する人は35億人。この15年で2倍に急増している。これまでの特定の地域だけで広がっていた感染症が、国境を越えて世界中に拡散するリスクが急速に高まっている。

<スタジオでの解説(4)>
・有働氏:でも検疫とかありますよね?

・押谷氏:日本から多くの人が住んでいるような地域には72時間あれば飛行機に乗って行けるといわれています。感染症の多くはいわゆる潜伏期間があります。感染してから発症するまでの時間があって、72時間以内に人が移動してしまうということは多くの感染症にとって潜伏期間中に日本に入ってくる。そういうリスクがあるということになりますので、水際対策をいかにやっても、そういう人たちは必ずしも日本に入ってくることを防げないということになります。

・有働氏:それ伺うまで一度もそんなことを考えたことがなかったんですけど、相当甘いですかね。

・押谷氏:新しいウイルスが出現して、さらにそういったウイルスが拡散していくリスクというのが爆発的に増えてきていると。そういうウイルス大感染時代といってもいいような、そういう時代に我々人類は生きているんだということになるんだと思います。

・有働氏:押谷さんは研究者として、どうすれば被害を最小限に食い止めることができるというふうに?

・押谷氏:予測をするというような研究もいろいろ進んでいますけれども、おそらく我々の知らないウイルスもたくさん存在していて、その中に人類にとってどういうリスクを持つウイルスが存在しているのかということも、正確には分かっていないです。

<ウイルス“大感染時代”未知のウイルスに備えろ>
・まだ未知のウイルスが数多く潜んでいるとみられるアフリカ。ここで対策のための挑戦が始まっている。10年前からアフリカ・ザンビアで未知のウイルスを調査している北海道大学人獣リサーチセンターの澤洋文教授。ウイルスの膨大な遺伝子情報を蓄積し、病原性をいち早く解明しようとしている。

文明が進んで、本来だったら動物しか住んでいないような所に人の生活がどんどん接触するようになって、動物とヒトとの接触の機会が増えていったこともあると思う(澤氏)

・澤教授たちの研究チームが調べているのは生物の体内に宿るウイルス。その一つが牛などの家畜。黒く見えるのは牛の皮膚に付着したダニ。自然界に潜むウイルスを人間社会に持ち込むおそれがある。そして蚊などの昆虫。

これヤブカです。ひょっとしたらネッタイシマカ(同上)

・これまでに蚊やネズミ、サルなどから発見した新種のウイルスは20種類に上る。澤教授たちは見つかったウイルスの性質を明らかにするため、遺伝子などの解析を行っている。
・解析したデータは世界の研究者と共有している。ジェンバンクと呼ばれるデータベースに登録されたウイルスは16万種類。一つ一つ病原性を解明し、免疫力をつけるワクチン開発などに繋げようとしている。

たぶん僕らが今、知り得ることは本当に氷山の一角だと思いますんで、今まで分かっていないことを少しでも明らかにしていくことが重要(同上)

<ウイルス“大感染時代”感染爆発を防げ>
・感染爆発の脅威が迫りつつある新型インフルエンザでも対策が進展しようとしている。東京大学医科学研究所の河岡義裕教授は、より効き目の高いワクチンの大量生産を可能にする技術を2015年、世界で初めて開発した。
・現在、ワクチンの製造は主にニワトリの卵を使って行われている。しかしワクチンの質にばらつきが出て、効き目の弱いものが出来てしまうことが課題だった。
・これに対し河岡教授はイヌやサルの腎臓の細胞を培養して、効率よくワクチンを製造する技術を開発。従来の方法の200倍以上の速さで品質が一定のワクチンを製造できることを突き止めた。

いかに効率よくワクチンを作るか、つまりパンデミックが起きてもいかに早くワクチンを用意できるか。いかに抑え込むことができるかどうかが重要になってくる(河岡氏)

<スタジオでの解説(5)>
・有働氏:研究者の方々の積み上げというのは本当に頭が下がるばかりなんですけれども、まず河岡教授のワクチンの大量生産というのは具体的に今後、どういうことに結びつく可能性があるんですか?

・押谷氏:流行の初期にはワクチンが全くないという状態になることが想定されていますので、この時間をいかにして短くするかと。いかにして早くワクチンを皆さんのもとに届けていくかということが非常に大きな課題になってますんで、そういう意味でこういう新しい技術が出てくるとその時間が短縮できる可能性があるということになります。

・有働氏:それから澤教授の現地での地道な一つ一つ新しいウイルスを探して、それを皆さんで共有化していくっていう研究は、具体的にはどう役立っていくんですか?

・押谷氏:おそらく我々が知らないウイルスというのはまだまだたくさん残っていて、全体像を把握するということは非常に難しいということになるんだと思います。

・有働氏:でも、そういう一つ一つを探していくっていうことをやめてしまう、これは何も分からないままになってしまう。

・押谷氏:全体像が分からない。そうなると全く分からない未知のウイルスがヒトに感染してヒトで流行するというような事態になると、どうしても対応が遅れるということになりますので、そういう迅速な対応をするためにも事前にそのリスクをいかに把握していくかということは重要だと思います。

・有働氏:でもこうやって見てきますと、本当にもうウイルスとの追いかけっこで、これから何をどうやっていけばいいのかって途方に暮れるんですけれども。

・押谷氏:特に日本では何かが起こると、みんないったんは大騒ぎするんですけれども、エボラが起こるとかMERSが起こる。そういうことに対してはかなり過剰に反応するんですけれども、それがいったん終わってしまうとみんな忘れてしまうと。1か月経つとみんな忘れてしまうというようなことがあって。本来はもっと長い目で10年、20年というようなスパンで見るとですね、当然日本にもこういうウイルスの新たな脅威というのが上陸してくる可能性が十分考えられて、ちゃんとリスクを理解したうえで対策を考えていくというようなことが必要なんだと思います。

<ウイルス“大感染時代”命を守る最前線の闘い>
・新型インフルエンザの脅威はどこまで迫っているのか。山口大学共同獣医学部の前田健教授は、アライグマを手がかりにそのリスクを明らかにしようとしている。野鳥を好んで食べるアライグマ。捨てられたペットが野生化するなどして近年、全国で急増している。
・血液を調べたところ、アライグマがH5型の鳥インフルエンザに感染していた割合は多いところで6%。前田教授は、この割合から現在明らかになっている数十倍もの鳥が感染しているとみている。今後、各地で調査を行い感染の広がりの実態を明らかにしたいと考えている。

リスクはゼロではないと常に考えて、危険な状況であればそのリスクを情報提供するのが僕らの役目(前田氏)

・これまでにない新たな手法で感染拡大のリスクを明らかにしようとする研究も進んでいる。北海道大学医学研究科の西浦博教授は、感染発生国と日本との人の行き来を表す航空データに着目。独自の数理モデルで感染リスクの数値化に取り組んでいる。今年、日本でジカウイルスの感染が広がる確率は8%とはじき出した。

リスクを専門家だけではなくて、専門家外の人も含めて向き合っていく。それによって感染症の流行対策を構築していくことに役立てていきたい(西浦氏)

・かつて経験したことのないウイルス大感染時代。避けることのできない感染爆発にどう備えるのか。その脅威から目を背けることは出来ない。

(2017/1/17視聴・2017/1/17記)

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【空から日本を見てみよう+】長崎県雲仙・島原

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【空から日本を見てみよう+】
「長崎県雲仙・島原」

(BSジャパン・2017/1/17放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 だいぶ未視聴番組が溜まりつつありますので、今日は2番組を一気に観てしまおうと思います。まずは軽く記事が書けるこちらの番組から。

 前回の長崎市内から今度は雲仙~島原と巡る旅。こちらはまだ行ったことがないんですね。島原鉄道と雲仙地獄、そして雲仙の生きた山々はぜひ訪れてみたい場所、自分の中のランキング上位です。熊本の観光と合わせて有明海を船で渡って島原入りして長崎へ抜けるなんていうコースでもいいですね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<長崎県雲仙市周辺>
・人口:43,470人(県7位)面積:214.31平方キロメートル(県8位)(2016年11月1日現在)
・ふんどし姿で竿でお尻を叩いて踊る「鳥刺し踊り」が江戸時代から伝わる。
・島原鉄道の愛野駅。日本ロマンチスト協会がロマンチストの聖地に認定。愛野から吾妻(愛しの我が妻)行き切符が販売されている。

<長崎県島原市周辺>
・人口:44,968人(県6位)面積:82.97平方キロメートル(県14位)(2016年11月1日現在)
・照明で島原城の影絵が有明海上空に映る「キャッスルモンスター」が見られる。
・プラスナイロン。2工場で年間約1400万足のストッキング・タイツを製造。
・和ろうそくを製造している本多木蝋工業所。1792年、雲仙岳が噴火し火山灰等で稲作が困難になった。島原藩は財政を整えるためハゼの栽培を奨励。島原半島で木蝋作りは一大産業になった。
・島原城。島原の乱は1637年に起きた一揆。キリシタン弾圧や重い年貢に耐えかねた領民たちが反乱を起こした。幕府軍に鎮圧され、のちの鎖国完成につながる。
・島原鉄道の島原駅。1908年に設立された島原鉄道は諌早~島原外港を結ぶ。通称「赤パンツ」車両はV字の塗り分けがパンツに見せるためそう呼ばれた。
・湧水庭園 四明荘。1792年、雲仙岳の噴火による地殻変動で地下水が噴出した。島原全体で1日20万トンの湧水量を誇る島原湧水群が誕生。新町一帯は「鯉の泳ぐまち」として観光地になっている。
・浜の川湧水の前にある銀水。看板メニューは島原名物「かんざらし」。湧水を使った白玉だんご。
・仁田峠。霧島連山や阿蘇山を望める。
・普賢岳と平成新山。
・雲仙温泉の「雲仙地獄」。噴気があがる一帯で各地獄に名称やいわれがある。外国人避暑地でもあった。
・小浜温泉。日本一長い足湯「ほっとふっと105」がある。湧出量×源泉温度=熱量が日本一。オバマ氏の像がある。
・雲仙荘では湯雨竹を使い、竹に源泉をつたわらせ加水せず適温まで冷ましている。
・九十九島。1792年の地震により眉山が山体崩壊を起こした(島原大変)。

<長崎県南島原市周辺>
・人口:45,651人(県5位)面積:170.11平方キロメートル(県10位)(2016年11月1日現在)
・日本一背が高い(3.5m)歩行可能なゆるキャラ・ベイガ船長がいる。
・土石流被災家屋保存公園。平成4年(1992年)の普賢岳噴火土石流で被災した家屋を保存。土石流とは岩や土砂が雨等を引き金に下流に流される現象。
・水無川では土砂災害防止のための砂防ダムを建設している。
・みそ五郎の像。毎年11月に祭りが行われる。
・本多製麺。生地を切らずに延ばして熟成を繰り返し徐々に細くしていく手延べ製法でつくられている。6年にわたる研究の末、手延べパスタ製造に成功。
・中村輪業。広告宣伝用三輪自転車などオーダーメイドで特殊自転車を製造している。
・原城跡。島原の乱、一揆軍約3万7千人は籠城、幕府軍約12万人と戦い鎮圧された。
・加津佐漁港で船で沖に出ると、約300頭のミナミバンドウイルカの群れが生息し高確率で会える。

(2017/1/18視聴・2017/1/18記)

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【ETV特集】認知症とともに よく生きる旅へ~丹野智文42歳~

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【ETV特集】
「認知症とともに よく生きる旅へ~丹野智文42歳~」

(Eテレ・2017/1/14放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 丹野さん、このブログ主であるカエルの「中の人」とほぼ同い年です。自分で言うのも何ですが、働き盛りの年齢。もしそんなときにアルツハイマー型認知症という診断が下ったらと考えると、とても他人事とは思えないのが最初に思ったことでした。

 それでも本人の努力と周囲の理解・サポートで会社での勤務が続けられているというのを観て、ホッとしました。日本で有数のメーカーの車を販売する会社のようですが、いい会社ですね。メーカー本社の姿勢が障害者雇用に積極的なのか、それともたまたま彼の勤め先が素晴らしいところなのか分かりませんが、いずれにしても本当に良かった。中には職を失ってしまう人も多いことでしょう。私のトコだってどうなるか分かりませんね、正直。

 そんな丹野さんの旅を通して、認知症という病気がどういうものなのか。そして周囲は、社会はどうあるべきなのか。スコットランドなどの先進的な取り組みから日本でも大いに見習わなければならないことが多いと思いました。

 そして私たちの側にも、つい認知症というと、徘徊などで行方不明になったりとか、それに伴う事件・事故などネガティブに捉えてしまいがちですが、決してそうではないことに気づかされました。

 母親が認知症だという女性の言った「出来る限りよく生きる」という言葉が強く印象に残りました。人は誰もがよりよく生きることができるし、その権利がある。そしてお互いがそれを認め合うような社会をつくっていかなければなりません。「保護なめんな」などと書き込まれたジャンパーを平然と着るような自治体職員は、日本国憲法25条を100万回復唱して、生活保護法全文を書き写して勉強し直せと言いたい。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・「認知症」と診断された人たちが自分で声を録音し、世界に向けて発信するためのサイト「認知症日記(DEMENTIA DIARIES)」。ここに去年6月、こんなメッセージが載せられた。

ヨークのウェンディです。これは日本の丹野智文さんへのメッセージです。正しく発音出来ていたらいいのだけど、間違っていたらごめんなさい。ヨークに会いに来てくれたら素敵だと思います。では近いうちに、さようなら。

・メッセージの宛先は丹野智文さん(42)。4年前に認知症と診断された。
・3か月後、丹野さんはイギリスに向けて旅立った。そこで出会ったのは、認知症と診断されたあとも決して人生を諦めない人々の力強い姿だった。

(階段に置いてある薬)
それは私の夜の薬です。夜、寝室に行くときこれが目に入り、薬を飲むのを思い出します。朝の薬は紅茶を飲むときに気づくよう、やかんの横です(ウェンディ・ミッチェルさん)

・ウェンディさんは診断後、ブログで発信し始めた。日々の出来事や認知症についての思いを毎日書き綴り、世界中から反響が寄せられる。

認知症は「人生の終わり」だと言われていますが、私にとっては新たな始まりでした。ブログを通して多くの新しい人と出会えました(同上)

・かつて認知症は「何も分からなくなる病気」と言われた。しかし近年、認知症と診断されたあとも、よりよい生き方を求める人々が世界中で増えている。「認知症とともに生きる」。そんな生き方を選んだ人たちとの出会いに満ちた丹野智文さんの旅の記録。

<39歳で認知症と診断された男性>
・仙台市に住む丹野智文さんは地下鉄で通勤している。認知症と診断される以前は専ら車で通っていたが、電車とバスを乗り継ぐように切り替えた。
・しかしそれも楽ではない。どの駅で降りればいいのか忘れてしまうため、自分で1枚のカードを作った。困ったとき他の乗客にカードを見せ、助けてくれるように頼む。

どこにいったか分からなくなるので、無くさないように(丹野さん)
(結構使うのですか?)
うん(同上)
(使ってどのぐらいになります?)
2年間ぐらい(同上)

・仕事は自動車販売店のトップセールスマンだった。病院を受診したきっかけは、得意先の顔を忘れてしまうばかりか同僚の顔も思い出せなくなったことだった。
・会社に相談したところ、事務職に配置換えして仕事を続けられるようにしてくれた。丹野さんにはどうしても仕事を続けたい理由があった。2人の娘がいて、診断された当時は小学生と中学生だった。
・仕事の内容は、社員の退職金や会社が借りている建物の家賃の管理などデスクワークが中心になった。担当業務の手順をノートに細かく書き込んでいる。
・一瞬でも目を離すと忘れてしまうため、一つ一つ指で押さえて確認する。ノートに従い、確実に仕事をこなす丹野さん。しかしどうしても書き切れないことが残る。

パソコンのパスワードが分からない(丹野さん)
パスワード?社員番号は?(他の社員)

・丹野さんが認知症と診断されたのは2013年、39歳のときだった。物忘れが激しくなったことを訴えて、3つの病院を受診した。4か月かけて検査した結果「アルツハイマー型認知症」と告げられた。
・医師から現在の症状については説明されたものの、これからどうなるかについての説明は明確ではなかった。不安な想像がどんどん膨らんでいった。

認知症って何だろうと思って、携帯で調べて。そこで「2年で寝たきり」っていうのを見つけたときに先生から言われた認知症、すぐには進まないけど「進む可能性がある」という先生の言い方と、2年後が一致したわけじゃないですか。そのときに「あっ、もう2年後に寝たきりなんだ」って思ってしまったんですね、自分の中で。まずは家族のことが心配で心配でしょうがなかったっていうのがあって、自分はもう進んだところでそれは自分の中の痛みだけど、それよりも家族に対して学校が行けるのかなとか、うちの妻がものすごい大変な思いをするのかな。妻に迷惑かけたらどうしようっていうのしか、もう頭になかったですね(丹野さん)

・早期診断、早期絶望。丹野さんは深い無力感にとらわれていった。医療にも福祉にも全く希望を感じることができなかった。

<認知症の当事者たちでグループを結成、社会に向けた発信も>
・丹野さんにとって救いになったのは、同じように認知症と診断された人たちとの出会いだった。認知症になったからといって、人生が終わるわけではない。認知症の当事者が集まり、グループを結成した(日本認知症ワーキンググループ結成・2014年10月)。

「私たち抜きに私たちのことを決めないで」(グループの合言葉)

・当事者だからこそできる提言を社会に向けて発信していこうと訴えた。そして2年前、丹野さんは首相官邸に招かれた。
この日、国は認知症について新たな戦略を発表。画期的な方針を打ち出した。今後、認知症に関する政策づくりに認知症の当事者が参加できる仕組みをつくっていくとした。

認知症に対する見方が大きく変わるきっかけを作っていただいたと思います。皆さんと一緒に頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします(安倍首相)

・具体策はこれからだ。しかし丹野さんにとっては大きな一歩だった。

当事者がどうやったら前向きになれるかというのを考えていきたいなって実はずっと思ってて。自分がなったときに、もう不安で不安でしょうがなかったのを少しでもこれから認知症になる人が解消できるようなシステムがあれば早期診断も早まるし、前向きになるのも早まるし、やっぱり診断直後からの関わり合いが今、日本では手薄になってる部分だと思うので、それを何とかしたいなって思ってるので(丹野さん)

<先進的な取り組みが行われているスコットランドへ>
・自分たちに何ができるのか。認知症に関して先進的な取り組みを行う国を訪れ、手がかりを見つけようと考えた。去年9月、丹野さんはイギリスにやって来た。旅はイギリスを北から南へ10日間。休暇をとり貯金をはたいてやって来た。丹野さんの思いに共感する認知症の医療やケアの専門家も旅の仲間に加わった。
・まずはイギリス北部スコットランド。認知症の当事者が生き生きと活躍している地域として知られている。認知症と診断された直後に施される、ある画期的な支援策が日本でも注目されていた。その政策の鍵は「リンクワーカー」と言われる支援者の存在だった。リンクワーカーを利用したという家族に会いに行った。
・丹野さんが会ったのは、1年半前に認知症と診断されたフラニ・ウォルシュさん(58)とその妻・カレンさん。フラニさんはもともと北海油田の技術者、出張が続く忙しい日々を送っていた。

私は去年、前頭側頭型認知症と診断されました。私は絶えずそれと闘っています。「どこかに行ってしまえ!」と戸を閉めるのです。こちらは友達でカウンセラー役のスーザンです(フラニさん)

・そのときフラニさんが立ち上がった。状況がどうであれ、思ったことをすぐ行動に移してしまうのがフラニさんの症状だった。

フラニさんはどうやって診断を受けたんですか?(丹野さん)

私が代わりに答えていいですか?フラニが診断を受けて1年半になりますが、その3年ほど前から性格が変わり始めていました。物忘れではなく性格が変わるのが症状だったのです。子どもたちは私に「悲観的にならないで」と言いましたが、そんなことは無理でした。家の中がおかしくなっていました。フラニを刺激しないように、足音を忍ばせるようになっていました(カレンさん)

そのあとリンクワーカーとはどのようにして出会われたんですか?(丹野さん)

診断を受けたあと、私たちは2人きりでどうしたらいいのか分かりませんでした。そこで私たちの地域の看護師に連絡を取り、スーザンを紹介されました。診断から3か月後のことです(カレンさん)

・スーザン・レンデルさんがリンクワーカーだった。スコットランドでは2010年と13年に認知症に対する国家戦略が発表された。「新たに診断された人に対する最低1年間の支援」を保証。そのために新たにつくられた専門職がリンクワーカー。
・診断された人1人に対し、ただ1人のリンクワーカーが担当する。当事者と家族が直面するあらゆる問題を支援の専門家やサービスに結びつける、いわば「つなぎ役」だ。現在およそ300人のリンクワーカーが活動。こうした診断直後に特化した支援体制は日本にはない。
・フラニさんの担当者となったスーザンさんは退職後の生活資金を得るための制度を教えたり、当事者と家族に向けた勉強会を紹介したりした。症状の変化が起きるたびに緊急の相談にも対応してきた。

スーザンには認知症について知識があり、人柄も素晴らしいのです。リンクワーカーは当事者や家族が一番大変な時期にその家を訪れる仕事です。ドアやカーテンを閉めきり、診断に向き合いたくなくてベッドで寝ていたいような時期にです。そこへスーザンが情報をたくさん持ってやって来て、扉を閉じる暇も与えず「こんな選択肢もありますよ」と教えてくれるんです。彼女は決して自分の意見を押しつけません。「こんな方法もありますけど、どうですか?」と聞いてくれます(カレンさん)

日本には医療と介護はあっても、リンクワーカー制度がないので診断後の支援が非常に遅れているんですけども、リンクワーカーは何に責任を持つ仕事なんでしょうか?(精神科医の山崎英樹さん)

全てです。リンクワーカーとは当事者と家族が迷路に入り込み、そこから抜け出せるかどうかすら分からないような状況で必要な支援に辿り着くまでの架け橋になるものです。それが私たちの役割です(スーザンさん)

実際にどうするのかを決めるのは私たちです。でも最善の選択ができるようにスーザンとチームを組んでいるのです。「大丈夫。かつての人生とは違ってしまったけど、ただそれだけのこと」そう思うようになりました(カレンさん)

・リンクワーカーは認知症と診断された人が絶望から抜け出せるように助けていた。

ああいう人が、ものすごくいいんじゃないかなと思ってて。下手にこう難しくかしこまった人ではなくて、気軽にしゃべれるような感じの人だったので。明るくて。知識はものすごく持ってる。だからそういう人と出会えることが、やっぱり1人じゃなくて認知症と診断された人全員に必要ではないかなって。そうなってほしいなって、日本でも(丹野さん)

<ワーキンググループで活動している方々との交流>
・スコットランドでなぜこのような制度がつくられたのか。今から15年前、認知症の人たち自らがつくった認知症の人たちのためのグループが大きな役割を果たしていた。
・グループの創設者ジェームズ・マキロップさん(75)。彼こそがスコットランド社会の認知症への見方を変えた中心人物だった。ジェームズさんは1999年に認知症と診断されたあと、2002年に同じ認知症の仲間たちに呼びかけ「スコットランド認知症ワーキンググループ」を結成した。
・ワーキンググループはメディアの取材を積極的に受けるなど、認知症と診断されたあとも生き生きと過ごす自分たちの存在を世に伝える活動を開始。やがてスコットランド自治政府の大臣と定期的に面会。質問や提案を続け、政策づくりへの参加を求めていった。そして彼らの要望を具体化するものとして「リンクワーカー制度」が誕生した。

先週、私のところに手紙が来ました。年に1度の認知症の検査を受けに来るようにと書かれていました。この検査は全ての認知症の人が対象であるはずなのに、受けられない人がいることが分かりました(ジェームズさん)

・この日、話題にのぼったのは健康診断のことだった。スコットランドでは以前から糖尿病や心臓病について年1度、無料の検査が行われていた。ジェームズさんたちは認知症も対象に加えるべきだと主張。3年前に政府は実現させると約束した。

政府は医療機関に対し費用を支払い、私たちがこの健康診断を受けられるよう保証しているのです。私はこの件について政府が出している資料を全部持って、私のかかりつけ医と交渉しました(アグネス・ヒューストンさん・診断後10年)

これもアグネスと私で着手し、全員で取り組むようにしていきましょう(ジェームズさん)

※ミーティング終了後、診断後13年のデイビッド・バチェラーさん(73)に丹野さんが質問した。

(今日はどうやって来られたんですか?)
バスで来ました。乗り換えもしました(デイビッドさん)
(このグレーのは何ですか?)
自分の現在地を特定する装置です(同上)
(これは?)
GPSが内蔵されています。ボタンを押すと緊急センターにつながって、表示された地図に私が小さな点として現れます。およそ40ポンドで買いました。もともと視覚障害者のために開発されたものです。私が迷うのではないかと妻は心配しています。私は大丈夫だと思ってますけどね。時計も読めないので「話す時計」も持っています(同上)

・丹野さんが出会った人々は、工夫をして自らの力でここに集まっていた。そして当事者ならではの発想を練り上げ、国の政策に反映させていた。

本当にこう世の中を変えていきたいっていう話を楽しそうにしゃべっているので、何なんだろうと思っててね。本当に笑顔でね冗談を言いながら。でも難しい話なんだけどね。でもそれがものすごくいいなと思ってて。「真面目に」は必要なんだけど、でも本当に政策を変えるためのものを楽しく変えていくっていう。これがやっぱり日本には求められるなって思ったので、何かこう考えていきたいなって。それを一つ、また残りの日数でどうやったら出来るのかというのを考えていきたいなって思ってます(丹野さん)

・スコットランドの旅。認知症の当事者の視点で支援の仕組みがつくられていることが分かった。

<車を運転するのが好きだという男性との出会い>
・丹野さんが毎朝飲む薬には、認知症の進行を遅らせる効果がある。しかし進行を止めることは出来ないため、丹野さんは少しずつ病状が進行するのを感じている。
・丹野さんはある疑問を抱くようになっていた。いくら支援体制を整えても、どうにもならないものがあるのではないか。それは認知症が進行するという事実がもたらす不安。この疑問について考えるうちに、丹野さんはある言葉に注目し始めた。

Living well with dementia(認知症とともによく生きる)

・病気と闘い治すのではなく、病気とともに生きるという考え方。この日、訪ねたのは「認知症にやさしい町づくり」を進めているグレンボイグという村。アルツハイマー協会の職員から町づくりの中心に一人の認知症の男性がいると紹介された。
・スチュワート・ブラック(57)さん。飛行機のエンジンをつくる技術者だった6年前に51歳で認知症と診断。その後4年間、仕事を続けていた。

「Living well with dementia」っていうのは、どういうことなんですか?(精神科医の山崎英樹さん)

診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態。それが私にとっての「認知症とともに生きる」です(スチュワートさん)

丹野さんはどうですか?(山崎さん)

ちょっと変わったかな。やっぱり一番は車を運転しなくなったことで生活がまるっきり変わってしまったけど、それが悪いとは思ってないので(丹野さん)

・車の話になると2人の会話はたちまち盛り上がり始めた。スチュワートさんは車好きで、3か月後に免許の更新を控えていた。

これが私の自慢の愛車です(スチュワートさん)

・スコットランドでは認知症と診断されても、路上での実地試験などで能力が確かめられれば期限付きで運転を続けられる。

性能をアップグレードするのに、かなりお金を使いました(同上)

・自動車のトップセールスマンだった丹野さん。自分でも運転技術を競う競技に出場するほど車が大好きだった。しかし認知症と診断されたあと、車の運転を諦めていた。
・丹野さんたちはスチュワートさんが言う「認知症になっても何もやめない」という目標は、現実には難しいのではないかと考えていた。

僕は医者なもんだから、中にはやっぱり少しずつ進行していく人とも出会っていて。もし仮にですけども、3か月後の運転の試験で合格できなかった。でもそのことでスチュワートさんの「Living well with dementia」は損なわれてしまうのでしょうか(山崎さん)

とてもいい質問ですね。私にとって今一番大切なものは運転免許です。それを失うと私は壊れるか?部分的には「イエス」です。ですが講演などをするときは車で送り迎えしてくれますから、どこへも行けなくなるわけではありません。しかし正直に言えば部分的には壊れます。運転免許は私にとって、とても価値あるものだからです。私の持ち物の中で最も大切にしているものです。テレビで見たい番組がなくて何もすることがないとき、車があれば出掛けられます。ひどい雨のときでも車に飛び乗り、CDをかけて走るのが最高なんです。ですから認めざるを得ません。私が壊れるというより、魂が少しもぎとられる感じです(スチュワートさん)

・・・(丹野さん)

泣かせてしまって、ごめんなさい(スチュワートさん)

車をやめたときは、ものすごくつらかった。でも進行していっても出来ないことを工夫しながら生きている人たちがこのスコットランドにはいっぱいいるし、それを感じると認知症になっても新しく人生をやり直していくことが出来るんじゃないかなって思ってるので、今までと一緒ではなくてもいいから少しずつ工夫をしながら、そういう器具っていうのもスコットランドにはあるし。時計が見れないならボタンを押せば音声で教えてくれるとか、そういうのを使いながらでも普通に自分のことは自分でするということがものすごくここで感じたので、それが本当に人生を続けることが出来るのではないかなって感じてました。やっぱり認知症になったから終わりではなくて、こうやってスコットランドにも来ることもできるし、新しい人生ができるって確信してます(丹野さん)

その通りだよ(スチュワートさん)

<旅の記録を一つ一つ思い出しながらパソコンに入力>
・認知症への支援策を知るためにやって来た丹野さんの旅。出会いを重ね、いつしか自分の生き方を問う旅になり始めていた。
・丹野さんは毎日、旅の記録をつけていた。その場その場でなぐり書きしたメモを頼りに、記憶を呼び起こしパソコンに文章を打ち込む。

殆ど忘れてますね。何をしゃべったとか、何を聞いたかっていうのは。やっぱり人の顔が全然思い出せないので。普通の人はやっぱり物事を思い出すときってうのは、少しこううっすらとでも人の顔とかが浮かばれて、思い出して打つことができるんですけど、私の場合スパッて抜けてるので何にも思い出さないっていうときがあるので(丹野さん)
(1日目はワーキンググループとの話し合いでしたね)
(メモを見ながら)えっとね…。これは何だろうなぁ…。これ誰かと会ったんですよね…初日は完全に忘れてます(同上)

<イングランドで行われている「メモリーウォーク」>
・旅は7日目。丹野さんはスコットランドを離れて南へ。イングランドへ向かった。アルツハイマー協会が主催する催し「メモリーウォーク」。認知症に対する関心を高め、活動資金を得るために各地で開かれる。この日は、お年寄りから子どもまで約3500人が参加した。
・今、イギリスでも高齢化に伴い認知症を発症する人が増えている。介護などに要するコストが2009年で年間2兆円。その後30年で約3倍になるという試算も行われている。その現実から、この国の人たちは目をそらさない。自分たちの社会を自分たちの手でつくっていこうとしている。

何で今日来たの?(丹野さん)

友達のダニエルのおばあちゃんが認知症だから、お金を集めたいと思ったんだ(参加者の子ども)

・「認知症とともによく生きる」。この考え方を当事者だけでなく社会全体で受け止め、未来につなげていこうとする人たち。その生き方には明るさがあった。

<旅の終わりに出会った女性との交流>
・丹野さんが旅の終わりに訪れたのは「認知症の人にやさしい町づくり」に取り組むヨーク。ここに丹野さんがインターネットを通じて知り合った一人の女性が暮らしている。
・ウェンディ・ミッチェルさん(60)。看護師として働いていた2年前、58歳のときにアルツハイマー型認知症と診断された。「自分が自分でいられるうちに生活を楽しみたい」と考えたウェンディさんは、病院を退職してこの家に引っ越し一人で暮らしている。

(庭を見ながら)これは誰が手入れしているのですか?(丹野さん)

私です。私は庭が大好きです(ウェンディさん)

・認知症のため出来ないことが起きたとき、それを乗り切る新しい方法を見つけることをウェンディさんは「適応」と呼んでいた。その一つとして始めたのがブログ。毎日書き綴るブログは彼女の「記憶装置」だというのだ。
・ある日、娘とともに遊園地に行ったときの書き込み。乗り物で鼻をぶつけ、血の出るケガをしたウェンディさんはこう綴っていた。

認知症だからといってリスクのない退屈な人生を送らなくてもよい。

・近くに暮らす長女と一緒に話し合った。

いろいろブログで発信しているっていうのは認知症になってから始めた、パソコンとかもそうですけど始めたことなのかなと思って(丹野さん)

そうです。認知症と生きる私の人生がこれからどうなっていくか、日記をつけたかったのです。すると娘が「ブログを書いたらどう?」と勧めてくれたのです。でもそのとき私はブログが何かも知らなかったんですよ(ウェンディさん)

認知症になってからそれをやってみて、どのように自分の気持ちが変わりましたか?(丹野さん)

一つ例を挙げましょう。去年この家に引っ越してきました。そのとき私は新しい環境に適応するのがとても大変でした。新しい家では勝手が違いました。戸棚やタンスがどこにあるのか分からなくなってしまったんです。そこで適応する方法として入っているものの写真を撮り、戸棚やタンスに貼り付けることにしました。解決策は必ずあります。前向きに考えたからといって、認知症との格闘が終わるわけではありません。でも認知症とともに生きることがずっと楽になります(ウェンディさん)

私にも家族がいて、妻がいて娘がいるんですけど、お嬢様から見て元気になったウェンディさん、どのように思われてますか?尊敬されてますか?(丹野さん)

はい、母を誇りに思っています。認知症という恐ろしいことを前向きに捉え、見事に受け入れています。母にとって新しい人生が始まったのです。私は母が出来るだけ長く自立して暮らせるよう、支えていきたいと思っています(娘のサラさん)

うちの娘はまだ思春期なので、そういうことを言ってくれないので。だから聞いてみたいなって思いました(丹野さん)

私は看護師なので、認知症が進むとどうなっていくか知っています。そして母はそうなったときの世話を私や妹にはさせたくないと思っているので、介護施設に入ることになると思います。そこで認知症についてよく分かっている人たちから支援を受けられるなら、出来る限り認知症とよく生きることは可能だと思います。「よく生きる」というのは誰にとっても難しいことですが、「出来る限りよく生きる」ということならば、認知症が進んでも可能だと思います(サラさん)

認知症は死に至る病ですが、命とはそういうものですから、残された一分一秒を最高のものにすればいいのです(ウェンディさん)

<旅を振り返った丹野さんの思いは…>
・丹野さんはこの旅で17人の当事者と対話を重ねた。毎日メモに書き留め、記憶をたぐり、一語一語パソコンに打ち込んだ。

私は本当にこっちに来る前は初期の支援が必要だとずっと思っていました。でも支援はものすごく大切だけど、やっぱり認知症を恥ずかしくないとか、進行していっても自分のことは自分でやるという当事者の気持ちをどれだけ持たせるかというものがものすごく大切だなというのが、こちらに来て自分の中でも思っていなかった発見だったと思います。
 リスクを冒しても自分で行動する。反対にリスクを冒さないで自宅でうつ状態になる。どっちを取るかって言ったら、やっぱり私はリスクを冒してでも自分で行動する方を取った方が、やっぱりその人らしく生き生きと生活するために必要かなって思います。リスクは必ずあります。でもそれをサポートすることで少なくすることが出来るのではないかなと思ったので、やらせないのではなくて、出来ることは自分で行う。それが自分自身ですごく感じたことで。周りの環境を変えていくには、認知症当事者が話をして理解してもらうことで変わっていくんじゃないかなって確信しました(丹野さん)


・10日間に及んだ旅の最終日。丹野さんはウェンディさんが通う認知症の仲間たちとの集まりを訪ねた。

こんにちは。ようこそヨークへ(参加者の女性)

・生きていれば病気もなるし、「人生が終わった」と思えてならないこともある。しかしどんなときでも「出来る限りよく生きること」は可能なのではないか。丹野さんの旅は教えてくれる。

私はここに来る前はおとなしかったんですよ。今では誰も黙らせることは出来ませんが(笑い声)(別の女性)

私も家族とうちにいるときは一言もしゃべらないんですよ。でもここでは話し始めたら誰も止められません(参加者の男性)

私は妻に対して罪悪感があるんです。私が認知症であるために妻の重荷になっていて、申し訳ない気がするんです(別の男性)

でも奥さんがどう思っているかは、話さないと分からないでしょ?(女性)

話しましたよ。話した…気がする(笑い声)(男性)

(2017/1/18視聴・2017/1/18記)

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【明日へ―つなげよう―】くまモンの一大事~熊本と東日本 キズナの物語~

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【明日へ―つなげよう―】
「くまモンの一大事~熊本と東日本 キズナの物語~」

(NHK総合・2017/1/15放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 もともと個性的で愛らしいキャラクターのくまモン。東日本大震災の復興支援でも大いに頑張ってくれたことは知っていましたが、昨年は彼の地元・熊本が大きな地震に襲われることになってしまいました。

 今回のドキュメントは、そんな彼が東北と地元・熊本との絆をどう結びつけたのか。そして傷ついた人々にどう寄り添っていったのかよく分かる内容でした。それは単なる「ゆるキャラ」ではない、心の支えにもなるような働きだったのではないかと思います。

 とっても心温まるエピソードが多い中、ボランティアによって助けられた少年が今度も自ら助ける番だと「子ども図書館」を始めたという話は、ぐっときました。いい経験をしましたね。きっと彼が将来大人になったときに大いに役に立つような糧になるのではないかとないかと思いました。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・まさか自分のふるさと熊本で大地震が起きるなんて。あの日から、くまモンは大忙しだ。
・去年4月、震度7の揺れが2度もあった熊本地震。この一大事に、くまモンはサッカーの香川真司選手まで呼んできた。こんなときだからこそ、子どもたちには夢を持ってほしい。
・更にくまモンは海外にも出かけて支援を呼びかけている。
・そんなくまモンと震災。実はもっと前から深い繋がりがあるのをご存知だろうか?
・2011年3月11日、東日本大震災。その翌日に控えていたのが、九州新幹線の全線開業。くまモンはこれを機に熊本をPRするために生まれた。でも震災によって活動を自粛することにした。

「今ボクは何ができるのか真剣に考えています。時間はかかるかもしれませんが、ボクなりの答えを見つけたいです」(くまモンのツイッターより)

・震災から4か月後、東北に向かった。岩手、福島そして宮城、これまでに20回以上訪ねた。くまモンは今も東北に通い続けている。
・熊本に戻れば、一緒に復興を目指す人たちが待っている。くまモンの奮闘とそこから生まれたキズナの物語。

<「みんなの家」 くまモンの願い>
・東日本大震災の翌年、仙台につくられた仮設団地にくまモンの姿があった。熊本県がこの仮設団地に「みんなの家」と名づけた集会所をプレゼントした。材料に使われた木は全て熊本産。これをきっかけに、くまモンが避難生活を送る人たちと交流するようになった。くまモンと会って、みんな嬉しそう。
・みんなの家を運営するリーダーとなったのが津波で家を流され、この仮設団地に来た平山次雄さん。実はみんなの家をプレゼントしたいと最初に言われたとき、平山さんは戸惑っていた。

一番最初は、そんなもの必要ないとは思った。口には出さなかったけど。着替えていく、着るものないんだから、そんだけ1000万もかけてみんなの家なんて誰も「はい」って喜ぶ人はいないと思った(平山さん)

・でも使ううちに大切な場所だと感じるようになった。

これがよかったんだよなぁ。ここにばあちゃんたちがね「今日はあったかいから」って来るでしょ。2~3人「よし、行くか」ってこうやって来て、ここへ並んでしばらくいろんなこと話しながらね。仮設の部屋は狭いからね。じっとしたってしょうがないから、ここへ出てくるさね。出てくるとやっぱ、おばあちゃんたちいるさ。ここへ来てからやっぱり友達になった人もいるから。なかったらば本当に大変だったな(同上)

・平山さんたちは定期的に食事会も開くようになった。くまモンもお呼ばれした。東北名物の芋煮汁、美味しそう!
・みんなの家が平山さんたちにプレゼントしたのは、震災で失いかけた人と人との繋がりだった。
・去年、春。仮設団地とみんなの家は5年間の役割を終えた。住んでいた人たちは新築した家や復興公営住宅に移ることになった。
・先月、くまモンが平山さんを訪ねた。あの日、津波で家を流された場所(仙台市新浜)。2階建の4KDK、でもどうして平山さんはもう一度ここで暮らすことにしたのだろうか。

まず自分の住んでいるとこで生まれ育ったとこであるし。やっぱり先祖の墓が近くにあるんですよね。そこに女房が「ここで死ぬんだったら、ここで死にたい」って言うんです。女房の要望で。だったらやっぱりここに家建てて、またここで自分も一緒にと、こういう感じで始まりました(同上)

・でも別の町に移る人も多く、震災前にあった約150軒の家は半分以下に減ったそうだ。

寂しいですね。これ以上増えないと思うけどな(同上)

・平山さんには、くまモンに見てもらいたい場所があった。

熊本から頂いたあのみんなの家がここに移築されます(同上)

・少なくなった住民たちとの繋がりを守りたい。みんなの家をここに移築することにした。
・みんなの家は今、熊本でもどんどんつくられている。地震の後、熊本県は61の仮設団地でみんなの家を建てることにした。完成式にはくまモンも出席。
・先月18日、また一つみんなの家が完成した(南阿蘇村の陽ノ丘仮設団地)。本格的なキッチンは、ここで食事会が出来るようにという住民たちからのリクエスト。どんな場所にするかは住民自身が決める。これが東日本大震災から得た教訓だった。
・お土産を持ってきた。あの平山さんからのビデオメッセージ。実はくまモン、みんなの家を使う熊本の人たちのために平山さんにアドバイスをお願いしていた。

まずはとりあえずみんなで飲んで、つらい思いを忘れるということも一つあったのかな。それが一番だったと思います。楽しい場所にしないことには、みんなの家にならないと思うね。いろんなことやりました。夏祭りになると流しそうめんをやったり、今の時期だとクリスマスイルミネーションを自分で線を張って飾って。自分からいろんなことをやりました。そういう人がいると助かるんじゃないですか。そういうふうに、みんなの家を熊本でも使ってください。震災はどっちも同じです。これからはみんなで話し合って、やっぱりお互いに助け合って、前を向いて進んでいきましょう。自分たちもそう。残り少ない人生、頑張ります(同上)

・住民たちの話し合いが始まった。みんなの家で実現させたいことを挙げていく。みんなの家。たくさんの思い出できるといいな。

<「#くまモンあのね」感動のツイート>
・くまモンがやっている熊本復興のお手伝い。その一つにツイッターを活用してたものがある。「#くまモンあのね」。熊本の元気を全国に伝えるため、くまモンに語りかけてもらうことにした。その一つがこちら。

#くまモンあのね
前震で近くのドラックイレブンの駐車場に避難しました
まだ余震は続いてて恐怖一杯、なのに店長さん達がブルーシートやお茶を配ってくれ、お店の電気、看板の電気をつけて明々としてくれました
どんなに救われたか。感謝で一杯
早く開店すること願ってます


・ツイートをした高野さおりさん。熊本市内で高齢者介護の仕事をしている。最初の大きな地震が起きた4月14日の夜。自宅にいた高野さんはすぐに外に飛び出し、近くのドラッグストアの駐車場に向かった。駐車場には既に多くの人が避難していた。

パニックになりながらも「一緒にいさせてください」って。みんなでそこにしゃがみ込んでいました(高野さん)

・高野さんが避難した店の店長・砥綿暁彦さん。地震で店は大きな被害を受けた。それでも砥綿さんたちは住民のために行動を起こす。

やはりただ事じゃないなということがすごく分かりまして。多くの方がここに何かを求めてやって来てらしたんじゃないかなっていうのが、頭の中をやはりよぎりましたので(砥綿さん)

・地震の後、砥綿さんはすぐに店のブルーシートと飲み物を避難してきた人たちに配った。2日後、再び大きな地震が起きると水道が止まった。砥綿さんは避難していた人たちが駐車場のトイレを使えるようにと、近くの湖から水を運び続けた。

やらなかったら、悔いが残るかなって思ったかもしれないですね。こんなときだからこそ被災者同士で助け合わなきゃいけないのかなって(同上)

・高野さんはこのときの砥綿さんへの感謝の思いをくまモンにツイートした。

「くまモンあのね」があるっていうのを聞いて、すぐツイッター開いて載せました。くまモンが見てくれるかなっていう。で、一緒にちょっと「あっ、こんなことあったんだな」っていうのを知ってもらいたかったのかな(高野さん)

・その後、店は修復の目処が立たず営業を停止したままだった。やがて住民の間に閉店するのではという噂が広がった。その話を聞いた高野さん、いてもたってもいられず福岡にある本社に電話して直談判をした。

「絶対閉めないでほしい」って。そしたら「他にも同じようなお電話いただいているんで、前向きに検討します」って言ってくださったんで(同上)

・8月5日、ついにドラッグストアの再開が実現した。

今日、復活いたします。熊本地震から113日目ということになります。本当に地域にとって、なくてはならない存在だということを改めて認識をいたしました(ドラッグストア社長)

・朝9時の開店から営業再開を心待ちにしていた人たちが続々と来店。レジには長蛇の列が出来た。店長の砥綿さんに直接声を掛ける人も。

4~5日間、泊めさせていただいた。すごい助けられて、オープンのときはぜひ来たいなと思って(女性)

・さおりさんに同行したのは、くまモン。一緒に砥綿さんにお礼を伝えに来た。くまモンから感謝の思いを(色紙に)。

<小学生が始めたテントの図書館>
・これまで寄せられたツイートは9000以上。中には子どもたちの活躍を伝えるものが数多くあった。

避難所の公園にあったテントの「まんが・絵本図書館」。なんと小学生が自分の本を持ち込んだボランティアです。自分が被災者にできることを懸命に考え、実行する。思わず感嘆の声が出ました。偉い!!!

・地震の2週間後、避難生活をしている人のため自衛隊が公園にお風呂を作り入浴できるようにしていた。そのすぐそばでレジャー用のテントを張る男の子に出会ったと、ツイートした男性は言う。

テントの前に本が何冊か並べてあったんですね。段ボール紙に「図書館」と置いてあって「君が一人で考えたの?」と尋ねましたら「そうです」と言うんで。自分で考えて自分でちゃんと実行している男の子を見て、ぜひくまモンに教えてあげようと思って、教えたいなと(男性)

・その男の子が綾香慶希くん、小学5年生。綾香くんの家も地震の被害を受けた。倒れた家具や物が散乱。数日間、車の中で夜を過ごした。先祖の墓も倒れた。このとき自宅や墓の復旧に力を貸してくれたのが、ボランティアの人たちだった。

草むしりもついでにやってもらって。お金とかをもらって仕事するなら分かるけど、お金をもらわないのにタダでやってくれてる、そういう優しい人たちだなって思って。今度は俺たちが何かしようかなって思って(綾香くん)

・初めて目にしたボランティアに感激した綾香くんは考えた。自分の漫画と絵本で図書館を開き、家に帰れず避難生活をする子どものたちに喜んでもらいたい。そんな思いで始めたテントの図書館。6日間で100人以上が利用した。
・夏休み、綾香くんにサプライズが!くまモンが会いに来た。色紙に書いてあったのは、綾香くんへのエール。

ボランティアとして、これからも活動を続けたい。頑張るよ(同上)

・綾香くんはその後も月に一度は仮設団地の近くなどで図書館を開いている。くまモンとの約束通り、改善に取り組んでいる。書き込んでいるのは綾香くん自作のアンケート用紙。

お客さんたちがどんな要望があるのかなって聞いてみたかったから(同上)

・女の子の漫画を置いてほしいと要望を聞いた綾香くん。女の子に人気の漫画をお母さんから借りてきた。早速反応があった。

やってて楽しい。人が楽しんでくれてるなら、とっても嬉しいなって思った(同上)

・綾香くん偉いなぁ!これからも楽しんで続けてね!

<熊本に届け!“ありがとう”>
・「くまモンあのね」。実は被災地の外からもたくさんのツイートが届いている。

くまモン、
名古屋の俺が働いてるお店にね
熊本の美味しい野菜、果物がたくさん入ってきているよ。
熊本の農家さんの想いが
たくさん詰まっている野菜、果物たち。
感謝の気持ちを込めて売るからね!
ありがとう!


・入荷したばかりのスイカの写真が添えられていた。名古屋からツイートをしてくれたスーパーの副店長の太田孝司さん。去年4月、地震が起きると店では熊本産のスイカの入荷が途絶えた。熊本はスイカの生産が日本一、毎年この時期に旬を迎える。

名古屋で心配しとっても何の助けにもならんでしょうけど、本当に気にはなってましたね、ずっと(太田さん)

・太田さんがツイートしたのは地震の2週間後、スイカの入荷が再開したときだった。

「来たー!」って感じです。本当にそれ以外の感情ってなかったですね。「来たー!来たんだー!」っていう(同上)

・ツイートには農家への思いも込めた。

「頑張る」っていう言葉がすごく軽く聞こえるぐらい、大変な思いをされているという僕の中で…思いだったんで。なかなか「頑張ってください」という言葉が言えないんですよね。やっぱり「ありがとう!」感謝の気持ちを伝えたかった(同上)

・今、熊本の農家は…。益城町でスイカを生産する村上優一さん、純子さん夫妻。あの地震で自宅は全壊。それでもスイカを作り続けようと、家の敷地にプレハブを建て暮らすことを選んだ。
・畑のハウスは幸運にも無事だった。生産量日本一という誇りを胸に。今は4月の出荷に向け、連日大忙しだ。

日本全国広しとも益城だけです。冬にスイカ作るなんて(優一さん)

頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう!みんな元気にしようね(純子さん)

・そんな村上さんからツイートした太田さんへのメッセージを届けたい。

太田さんのツイートをですね見る機会がありまして、ますます力になりました。私たちスイカ農家もですね、益城町いっぱいのスイカ農家もですね、震災なんかに負けてる暇ないんで、力いっぱいスイカ作っていきます。で、今後とも消費者の皆さんともども益城のスイカをよろしくお願いしときます(優一さん)

太田さんのメッセージも心に届きました。これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします(純子さん)

何か…胸いっぱいですもん、本当。あんなの見ちゃうと。何か大変な思いされてたのも伝わるし「負けとれん」っていう逆に元気をもらうというか。やっぱり今、言葉聞いて、ますます私たちも農家さんたちの思いを熊本の美味しいお野菜や果物を、本当に美味しい状態で地元の消費者の方に届けなきゃいけないなというのは、すごく改めて思いました(太田さん)

・たくさんの思いが詰まった熊本の果物と野菜。太田さんの店にスイカが届くのも、もうすぐだ。
・届いたツイートを全部読んで、くまモンが感じたこと。

みんな優しい気持ちに
あふれていたモン
日本は“心の国”だなぁって
すごく思ったモン


<福島⇔熊本 高校生の応援>
・くまモンはこれまで福島と熊本の高校生の交流も手伝ってきた。東日本大震災から2年後、くまモンが訪ねたのは福島県南相馬市の原町高校。福島第一原発から約30kmのところにある高校だ。
・この日、くまモンは震災後、原町高校を激励に訪れた熊本の高校生からメッセージを預かってきた。

多くの方の話を聞く中で一番心に残っている言葉があります。それは「今を全力で笑顔で生きてほしい。僕たちの経験を無駄にしないでほしい。僕たちは元気。福島に来てほしい」という言葉です。これは福島県原町高校の生徒会長・牛来くんの言った言葉です。

・牛来新さんは、熊本の高校生に自分の思いが伝わったことを実感していた。生徒を代表して牛来さんが熊本にメッセージを送った。

この度は本当にくまモンと楽しい交流ができて、すごく嬉しかったです。皆さんもぜひ福島のことを思い出していただければ私たちもとても幸せです。今日はありがとうございました(牛来さん)

・あれから3年。熊本地震が起き、福島と熊本の高校生は立場が入れ代わった。原町高校の生徒会長だった牛来さんは、大学生活を送る東京で熊本地震の日を迎えた。以来、自分に何が出来るのか、ずっと悩んできた。

自分はあれだけいろんな全国の人から支援してもらったりして高校生活が出来たのに、自分は熊本の人に何が出来るんだろうとか。でも俺って出来ないのかもしれないなとかっていうふうに考えちゃったっていうのがありますね(同上)

・大学生の自分が無理なく出来ることは何だろう。牛来さんが選んだのは、徹底的に熊本の現状を調べることだった。

自分が何をされて嬉しかったかを考えると、僕としては福島のことを知ってほしかった。物資を届けてもらうことがとか、がれきを片付けてもらうことがとか、ご飯作ってくれることがだけが支援じゃないと思うので。だから一番手始めに出来るのが、僕の言ったような知ってる、知るっていうことだったりというふうにはすごく思うんですけどね。僕個人としてはそれでいいかなと思ってますね。それがいいかなと思ってます(同上)

・牛来さんの後輩たちも熊本のことを考えていた。去年、生徒会長を務めた大和田陽菜さん。

交流したっていうのもあって、何か助けたいっていうことはみんな言ってました。具体的には多分みんなあんまり分かってなかったんですけど。とりあえず助けたいっていう…(大和田さん)

・大和田さんたちが選んだのは募金活動だった。すぐに学校や街頭で呼びかけを行った。すると嬉しい発見があった。

わざわざ家までお金取りに行って戻ってきて入れてくれたみたいなのもあったんで、自分たちが同じ経験をしたから助けたいっていう気持ちの表れだったのかなっていうのは感じました(同上)

・集まったお金は交流を重ねてきた宇土高校などに贈られた。受け取った当時の生徒会長の林田尚樹さん。

最初不安だったんで、結構。地震があったとき。これから先、自分たちも受験生だしっていうこともあるし、学校もまだ使えない所もあるんで(林田さん)

・地震で校舎や体育館の一部が壊れ、3週間授業が受けられない状態が続いた。大学受験を控えた林田さんは大きな不安を感じていた。
・そんなときに届いた義援金には、原町高校の生徒会長・大和田さんからの手紙が添えられていた。心に残る言葉の数々。林田さんはとても勇気づけられたそうだ。

通る人、ほぼ全員が協力してくれました。きっと自分たちの経験、痛みと重ね合わせていたのだと思います。私はそれを目の当たりにして、痛みを分かり合える誰かがいるのなら熊本の未来も暗くない、そう思いました。原町高校の生徒も皆さんの事を思っています。

震災当時思ってたのが、その状況を自分だけで苦しんでいるっていうのを少し感じていることがあったんで、やっぱりこうやって5年前に福島の方々が経験したそういう人の痛みを分かって手紙を送ってくださったことに対して、やっぱりそういういろんな人が分かってくれる。遠くにいるけれども支えられているという、何か心の支えになるっていうところが改めてこの文章を読んで感じました(林田さん)

・今度は自分たちが伝える番だと思った林田さん。考えたのは全校生徒による人文字。それを空からドローンで撮影した。原町高校に届けたのは、くまモン。

前を向こう
ふくしまの
全国の
はげましで
強くなれた


鳥肌立ちました。泣きそうになっちゃって。何かもうじわじわきちゃったっていうか。もう「ふくしまの」って特別なあれになれたのかなという感じでしたね(女子生徒)

高校生だからこその力というのがあるんじゃないかなって思います。たぶん何か大人とかだったら募金に対して返すときに、例えば手紙だったりとかって思うだろうけど。高校生だから作れる明るさとか元気とかを返そうとしてくれたのかなって思います。気持ちとして、ちゃんとパワーとして残ったのがすごい良かったなって思います(別の女子生徒)

・番組の最後に、くまモンが今の気持ちを教えてくれた。

東北と熊本 これからも
心はひとつだモン
みんなでいっぱい
応援していくモン


(2017/1/19視聴・2017/1/19記)

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【NHKスペシャル】森の王者 ツキノワグマ~母と子の知られざる物語~

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【NHKスペシャル】
「森の王者 ツキノワグマ~母と子の知られざる物語~」

(NHK総合・2017/1/15放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 野生動物の生態について人間がとやかく言うことではないと頭で分かっていても母グマ「次郎」の子グマたちが遭ったことを思うと、オスグマに対する激しい怒りを覚えずにはいられません。おそらく同じように思った人も多いのではないでしょうか。猟銃をぶっ放したくなりましたね、私は。

 自然界のそれと人間界で子どもが殺されるそれとは質が異なるのかもしれませんが、世間で多くみられる「女性の連れ子を『彼氏』が虐待して殺す」という構図と重なってしまうのでしょうか。しかも目的がメスに発情してほしいというのですから、ますます利己的だという怒りが湧き起こります。

 どうも今日は感傷的(感情的)になってしまっているので、感想はこのぐらいにしておきます。春が訪れて、冬眠から明けた次郎が今度こそゲスなオスグマを跳ね除け、家族と平穏に暮らしてほしい。切に願います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・本州最大の哺乳類ツキノワグマ。最近、人里に出没しニュースになっているが、実はその姿を見ることは極めて困難だ。警戒心が強く、普段は森の奥深くに暮らしているからだ。ベテランハンターや熊の研究者も難しいという。
・そんなツキノワグマの知られざる生態を撮影し続けている人がいる。動物カメラマンの横田博さんは28年もの長い間、誰も見たことがないクマたちのドラマをカメラで捉えてきた。
・春、生まれたばかりの子グマを可愛がる母グマの微笑ましい姿。初夏、食べ物を探しているときに起きた突然の事故。
・そんな横田さんが見守り続けた一頭のメスグマがいる。名前はメスなのに「次郎」。初めてで出会ったのは生まれて間もない子グマの頃だった。
・やがて母となり子どもを育てる様子をつぶさに見つめてきた。愛する子を守るための命懸けの戦い。そしてその衝撃的な結末。
・森の王者ツキノワグマ。誰も知らなかったその真の姿、いま明らかになる。

<追跡 知られざるクマの素顔>
・栃木県足尾山地、懐深い山々が続く。その山奥に向かって林道をひた走る1台の車がある。動物カメラマンの横田博さん(68)。この山で猛獣といわれるツキノワグマを追い続けて28年。足尾の山で横田さんを知らない人はいない。人呼んで「熊仙人」。急に車を止めた。

あそこ、向こうに…違うかい、あの黒いの。いたよ、ほら!(横田さん)

・望遠レンズを使えばクマと分かるが(横田さんは)肉眼で見えるという。撮影開始。
・ツキノワグマは子育て中のメス以外、こんなふうに一頭だけで暮らしている。草を食べている。肉食動物かと思われるが、実は食べ物の9割以上が植物。だから普段は至って穏やかな生き物だ。
・大人の体重は40キロから120キロ。まれに150キロを超すものもいる。九州では既に絶滅したといわれ、今は本州と四国だけに生息している。
・近くに寄ってきた。軽く声を掛けると一目散に逃げていった。クマが近づいてきたときは、早くこちらに気づかせること。クマを知り尽くした横田さんならではの対応だ。
・そんな横田さんのクマとの最初の出会いは28年前に遡る。

カモシカがいたんで、いい場所と思った。今度はシカを撮影中、ファインダーにクマが入ってきた。だからクマが俺を選んだと解釈してる。これが長く撮影している理由(同上)
(クマってどういう動物ですか?)
山の神だと思っている(同上)

・足尾の山には、横田さんがクマを撮影するのにとっておきの場所がある。それが安蘇沢と呼ばれる谷。ここは時に数頭のクマが同時に見られる、いわばクマ銀座。垂直に近い断崖ではクマの姿が丸見えになる。それを横田さんは向かいの山から狙う。そうすればクマから全く警戒されない。
・ここで撮影された貴重な映像がある。安蘇沢では観察が困難なクマの子育てを手に取るように見ることができる。母グマが座り込んで授乳を始めた。2頭の子グマは夢中で飲み始めた。子グマを優しく撫でる母グマ。
・警戒心が強い母グマがこんな無防備な姿を見せるなんて、安蘇沢以外まずありえない。母グマは子どもが独り立ちするまで約1年半かけて大切に育てる。
・子グマが親のそばを離れた。木登りをして遊ぶ。もう一頭の兄弟も木に登り始めた。横田さんが撮りためた1000時間を超す映像には、このようなクマの自然な姿がたくさん記録されている。

<食べ物探しは命懸け>
・安蘇沢の急斜面。ここならではの大変珍しいシーンもある。岩場に現れたのは若いクマ。大きな岩を剥がそうとしている。岩が落ちた。重さは100キロ以上、急斜面をうまく利用した。でも何のため?
・こちらでも別のクマが大きな岩を動かそうとしている。岩の下をなめ始めた。なめているのはアリの巣。アリやサナギは栄養満点。春から夏にかけて足尾のクマたちは、1日中このアリなめに熱中する。
・かつて横田さんはアリなめ中のクマのとんでもない出来事を記録した。2007年6月、アリの巣を探す親子がいた。母グマはアリなめに夢中で子グマは放ったらかし。母グマが大きな岩を剥がす。剥がした岩が子グマに当たって落ちた。子グマは何とか無事だった。
・その4日後、再び同じ親子を発見。角の尖った岩がものすごい勢いで子グマを直撃。岩もろとも転げ落ちていった。子グマは何とか自力で這い上がってきた。しかし右の前足がひどく傷ついている。それから1時間後、子グマは元気に歩いていた。

<野生のクマ 未知の生態を探る>
・横田さんが長年撮影してきた足尾の山々。今この地域にクマの研究者も注目し、横田さんの協力を得ながら調査を行っている。
・罠を仕掛けてクマを捕獲。GPS装置をつけて再び山に戻す。この調査から足尾のツキノワグマの行動範囲が分かってきた。あるメスグマの1年の足取りをみると、食べ物を求めて広大な山々を時には数十キロも動き回っていた。
・そんなに広く動き回るクマを横田さん、どうやって見つけるのだろうか。横田さんの撮影は、まず徹底した観察から始まる。

これ、開けたとこで食ってないか?(横田さん)

・何かを見つけて車を降りた。クマの大好物ドングリの木の枝。熟し具合を確かめる。

まわりの皮を上手に放り出し、これだけ食べる(同上)

・クマには食べ頃のようだ。

これをくちゃくちゃ食べて、まわりの皮を上手に出す(同上)

・突然、木に登り始めた。この木にクマが来そうかどうか、実のなり加減を確かめる。ところが…。

心棒(枝)しか残ってない(同上)

・ドングリは既にきれいに食べ尽くされていた。こうなると、もう絶対にクマは来ないという。
・今度は道端に何か見つけた。クマのふん。

ウワミズ(ザクラ)を食べてる(同上)

・中にあるのはウワミズザクラの種。間違いなくどこかでクマがこの実を食べている。そのウワミズザクラの木があった。

甘くなってる(同上)

・クマが食べるにはちょうどよい熟れ具合だ。そこで横田さんはウワミズザクラに来るクマを狙う。目をつけたのはこの木。枝が折れている。明らかに最近クマが来た証拠だ。
・100mほど離れた場所で待つことにした。ここぞと思う場所で辛抱強く待つのもクマを見つける秘訣。

きのうは10時間、どっかにいるはずだ(同上)

・そのとき木の枝が大きく揺れ始めた。クマが来た。こうした観察の積み重ねの末に撮影された数々の映像。謎の多いツキノワグマの生態を初めて解き明かしたものも少なくない。
・例えば2011年に撮影された映像。クマがカラマツの樹皮を剥いでいる「クマ剥ぎ」と呼ばれる行動。ツキノワグマは何のために皮を剥ぐのか。繁殖期の匂いづけという説、樹皮の一部を食べているという説など様々あったが、真相は分からなかった。
・しかし横田さんが初めて撮影に成功した映像を見ると、剥いだ部分をしきりになめている。後でその部分を見てみると、幹には樹液が染み出していた。クマは糖分いっぱいの樹液をなめていた。子グマがなめている映像もある。これによって繁殖期の匂いづけという説は否定された。

<熊仙人 こだわりの一頭>
・28年にわたって足尾の山々でツキノワグマを追い続けてきた横田さん。彼には特別な思いを寄せる一頭のクマがいる。2016年4月、横田さんは安蘇沢でそのクマを待っていた。カメラを向けていたのは、急斜面にある小さな穴。そのクマが冬眠から覚め、出てくる様子を記録しようとしていた。
・横田さんは、これまで12年にわたってその一頭を追い続けてきた。最初の出会いは2005年5月、まだ生まれたばかりだった。母グマの背中に乗っている子グマ、一目で分かる特徴があった。胸の月の輪模様が、よだれかけのように下の方まで伸びている。個体が識別できる初めてのクマだった。
・横田さんは子グマのやんちゃな様子からオスと推定し「次郎」と名づけて見守ることにした。

<クマの次郎 数奇な運命>
・しかしツキノワグマの子どもが大人になれるのは、半数にも満たないといわれる。
・そして3年後の2008年、横田さんが撮影した映像には成長した3歳の次郎が映っていた。母グマから離れ、無事に独り立ちを果たしていた。
・このとき横田さんは、次郎の生涯を記録しようと決意した。一頭のクマの一生を撮り続ける壮大な挑戦の始まりだった。

名前をつけたことで、次郎との距離が縮まり親しみやすい。それで“どうしたかなあ?”という意識が生まれた(横田さん)

・そのとき以来、毎年毎年、横田さんは次郎の姿を足尾の山に追い続ける。4歳の次郎、1年でぐっと大きくなっていた。この年は次郎の大変珍しい姿が捉えられた。なめているのは赤土。おそらくミネラル分を補給しているものと思われるが、こうした行動は研究者にすら知られていなかった。なめ終わると鼻先が真っ赤、愛嬌たっぷりの次郎。
・そして横田さんが驚きの映像を撮影したのが3年後の2012年だった。7歳になった次郎、更に体が大きくなり貫禄が出てきた。そしてその脇になんと子グマがいた。横田さんは初めて次郎がメスだということを知った。このときから次郎の子育てを記録することが大きなテーマとなった。

次郎が子を生むようになり、もう親子、親子、親子。毎年、次郎のことが頭に浮かぶ(同上)

・子グマは1頭、次郎に甘えている。鼻を擦り寄せ、子グマをあやす次郎。親子のスキンシップ。子グマが前足をペロペロなめている。それを次郎がじっと見守る。
・次郎が子グマを連れて移動する。次郎が草を食べ始めた。そのすぐ鼻先に子グマがいる。子グマが同じ草を食べ始めた。母グマ・次郎は離乳をさせるため食べ物を教えていたのだろうか。この年は秋になるまで、次郎が子育てをする様子が目撃された。
・そしてその翌年、2013年6月。横田さんが見つけた8歳の次郎。そのそばに子グマの姿はなかった。どうやら子グマを無事、独り立ちさせたようだ。次郎は母親としての最初の務めを立派に果たした。
・その2年後の2015年、再び子どもを連れている次郎が見つかった。子育てに慣れてきたのか授乳も板についている。
・ところが数日後、横田さんは目の前で衝撃的な事件を見ることになる。

<次郎 運命の日>
・その日、次郎親子を発見したのはカラマツの木の上。次郎は子グマを背中に乗せて、じっと固まっている。いつものじゃれ合いとは様子が違う。
・すると、その木に別のクマが登り始めた。次郎は子グマを残して、そのクマの方へ下りていく。次の瞬間、2頭がもつれ合いながら斜面を転げ落ちた。先に這い上がってきたのは相手のクマ。一回り大きなオスグマ。
・オスは子グマが残っている木に登っていく。子グマを狙っている。その後を追う次郎。2頭はもつれ合いながらまた地上へ。このときオスの口元には子グマがくわえられていた。
・次郎はオスの背後から攻撃。オスが子グマのところへ行くのを必死で止めようとしている。しかしオスが振り切った。子グマを捕らえた。子グマはオスグマの手にかかってしまった。いわゆる野生動物の子殺し。この行動がツキノワグマで確認されたのは初めてのことだった。

自分としてはショックだ。最初に個体識別ができたクマで、次郎という名を付けたので衝撃的です(同上)

・子殺し、それはオスが自分の子孫を残そうとするがゆえの行動だ。繁殖期のツキノワグマ、春から夏にかけてオスは広い範囲を移動し交尾相手を探す。ところが子どもを持っているメスは発情しない。そんなときオスが子どもを殺して発情を促す。それが子殺しだ。
・子殺しの直後の次郎とオス。子どもを失うと、やがてメスはお乳が止まる。それから間もなく発情が始まり、オスを受け入れるようになると考えられている。
・この後、次郎がどうなるのか。次郎は間もなく、横田さんの前から姿を消してしまった。

<どうなる?子を失った次郎>
・再びその姿が捉えられたのは2015年12月。次郎は草をかき集め、冬眠の準備をしていた。首に付いているのはGPS装置。研究者が調査のために取り付けたものだが、故障し機能はしていない。間もなく次郎は冬眠に入った。子殺しの後、次郎はオスを受け入れたのだろうか。
・2016年4月、冬眠明けの次郎を待つ横田さん。既にカメラを構えて20日が過ぎていた。お弁当を食べている間でさえ、穴から目を離さない。
・標高1000m以上もある足尾の山奥では、この時期でもしばしば小雪がちらつく。0度近い寒さの中で、横田さんは次郎をじっと待ち続けた。
・それはもう駄目かと思い始めた4月下旬のことだった。

次郎じゃないか?(横田さん)

・次郎が姿を現した。

ほらほら出てきた。太ってるなあ(同上)

<無事育て!子グマたち>
・そして次郎の左下に何か動くものが。子グマが2頭、次郎は冬眠中に無事出産していた。生んだのはおそらく1月頃。ツキノワグマは未熟な状態で出産し、冬眠の穴の中でしばらく子どもを育てる。子グマが動き回れるようになってから、外の世界に出てくるのだ。

いたねえ、次郎の子どもだ。よかった。光が差してたよ(同上)

・穴から出た直後の次郎親子。

うわー、落ちた。事故だ(同上)

・子グマ同士で遊んでいるうちにハプニングが起きた。岩にぶつかった。次郎が駆け寄った。50mは落ちた。次郎は子グマを口にくわて穴に連れ帰る。

兄弟が心配して顔出してる(同上)

・落ちた子を穴の中に入れる次郎。すぐに子グマがまた出てきた。ケガもなく無事だったようだ。

2頭出てきたから安心。子どもを生んでくれたよ。ただちゃんと育つか、育たないかだよ(同上)

・2016年5月、岩場でくつろぐ次郎親子。子育ては順調のようだ。行動範囲も少しずつ広がってきた。
・そんなときだった。一頭のオスグマが現れた。ひときわ大きな体格のオスだ。少し離れたところで次郎たちを見ている。警戒する次郎。しかし間もなくオスは姿を消した。

<オスグマ襲撃 戦え!次郎>
・ところがその翌日、あのオスがまた姿を現した。次郎が奇襲をかけた。もつれ合いながら斜面を転げ落ちていく。オスグマの反撃が始まった。にらみ合いが続く。
・果敢に戦う次郎だが、オスグマの行く手には子グマがいる。次郎の捨て身の攻撃。怒ったオスグマ。子グマに迫るオス。
・そのとき子グマの一頭が岩から転げ落ちた。子グマは無事。オスはもう一頭の子グマを仕留めたようだ。逃げた方の子グマを追う。子グマが捕まった。

<悲しみの次郎>
・もう次郎はどうすることもできない。次郎は2年続けて子グマを失った。
・オスとの戦いに力を使い尽くした次郎。うずくまって動こうとしない。
・そんな次郎に向かってオスグマは求愛のため、ゆっくり近づく。もはや次郎は抵抗することも逃げることもできない。このオスには明らかな特徴があった。右目の古傷、前の年のオスとは別のクマだった。
・次郎はようやく立ち上がった。ゆっくりと森の奥へと向かう。その後を追うオスグマ。この日を境に次郎は安蘇沢から姿を消した。

<次郎はどこだ?>
・前の年に続いてオスグマに子どもを殺されてしまった次郎。次郎を探して横田さんは足尾の山々の回る。来る日も来る日もその姿を探し続ける横田さん。しかし春が過ぎ、夏が過ぎても次郎の姿は見つけられなかった。

全然来てない(横田さん)

・横田さんには一つ気がかりなことがあった。この年、クマの最も重要な食べ物であるドングリの実りが悪い。

天候不順でドングリの実りが悪い(同上)

・この時期、十分に栄養をつけないとクマは子を宿せない。10月、横田さんはある場所に向かう。

ドングリが終わったらズミの実、食べに現れる(同上)

・次郎は毎年この赤いズミの実を食べてから冬眠に入る。ちょうど食べ頃のようだが…。

全然クマ棚(クマの食べあと)がない。次郎と再会するため見つけるのが仕事(同上)

・次郎はここにも現れなかった。1か月後、足尾は燃えるような紅葉の真っ盛りとなった。同時にこれはクマたちが冬眠に入るときが目前に迫っていることを意味する。
・最後の望みをかけて向かったのは安蘇沢。次郎は毎年必ず、この斜面のどこかで冬眠している。次郎が過去に冬眠した穴を一つ一つチェックしていく。穴のそばにやって来た形跡がないか、必死に探す。
・横田さんが急に走り出した。何かを見つけたようだ。クマがいたが、次郎ではなかった。安蘇沢では他のクマたちが冬眠の準備を始めていた。こうして枯れ草を集め、穴の中に暖かく柔らかい寝床を作る。
・しかし、次郎の姿を見ることは最後まで叶わなかった。

何で来ないんだろう。来年の春、子どもを連れて出てきたら嬉しい。むしろ期待しない方が出会った感動は大きい。でも相手は野生動物だから。今年も終わりだ(同上)

・2016年12月、クマたちが冬眠した山に雪が降り始めた。足尾の長い冬の始まりだ。
・次郎はこの山のどこかで眠りについているに違いない。春にはまた元気に子どもを連れて現れ、今度こそは無事育て上げてほしい。横田さんは心から願っている。

(2017/1/19視聴・2017/1/19記)

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【NNNドキュメント’17】うっちゃれ!青森・泣き虫相撲部の挑戦

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【NNNドキュメント’17】
「うっちゃれ!青森・泣き虫相撲部の挑戦」

(日本テレビ系列・2017/1/16放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 ちょうどこの番組が放送され、私が視聴して記事を書いているときに大相撲初場所が盛り上がっています。事実上、稀勢の里と白鵬の優勝争いになっていますがどちらが優勝するか目が離せられません。もともと相撲はあまり興味がなかったのですが、最近ちょっと面白く感じられるようになっています。いつかは生で観戦してみたいですね。

 さて、そんな相撲も若者たちからは敬遠されてしまっているのか、横綱や現役関取を輩出したような高校の名門相撲部が部員ゼロになっているといいます。そこに入部した少年の成長を追ったドキュメント。大変面白く視聴しました。

 最初は恐怖心で正面からぶつかることが出来なかった少年が監督に励まされたり、また試合に負けた悔しさから強くなりたいと思うようになり、それを克服していく。そんな成長の姿がとてもリアルに映し出されました。

 また圧巻だったのが、マネージャーを買って出た女子生徒。観ているうちに自ら相撲に挑戦したくなって稽古をするようになり、そして大会に出場するまでになる。高校生活を本気で打ち込むものがあるというのは、ちょっと羨ましくさえ思えます。

 そんな五所川原の高校生たちにエールを送りたいですね。頑張れ!そしてその後の彼らもぜひ知りたいと思います。続編を期待しています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・これまで数多くの幕内力士を輩出している相撲王国・青森。古くから相撲は郷土の誇りだ。
・でも、まわし姿が恥ずかしい、稽古がつらそうと次第に若者からは敬遠され、以前は20校あった相撲部のある高校も現在は半数以下の7校に。かつて日本一に輝いた名門相撲部も休部の危機に瀕していた。

土俵が賑やかだった時代を思い出します(五所川原商業高校相撲部監督の葛西孝彦教諭)

・2015年4月、そんな相撲部に現れた希望の星・木村祐生くん(当時1年生・身長170cm、体重117kg)。体格も面構えもバッチリかと思いきや、実は相撲経験ゼロ。しかも、ちょっぴり泣き虫。

力が出ないことが悔しかった(祐生くん)

・そんな自分を変えたい。だから逃げない。諦めない。うっちゃれ!土俵際の大逆転を目指して。今、青春の大一番に挑む。

<部員ゼロの相撲部に入部した少年は…>
・はるかに岩木山をのぞむ青森県五所川原市、県内有数の米どころだ。五所川原商業高校相撲部は1958年に創部された。第63代横綱・旭富士(現 伊勢ヶ濱親方・1979年卒業)や現役力士の宝富士関(2005年卒業)も相撲部のOB。
・しかし3年前に部員数ゼロに。伝統を守ってきた葛西教諭はこう言う。

自分の代で相撲部を無くしたくない。悩んでいたけどお陰様で(葛西監督)

・待望の新入部員が現れたのは一昨年春のことだった。木村祐生くん、中学時代はバドミントン部だった。

バドミントンは体型に合っていなかった。試合に行くと目立って恥ずかしかった。強くなりたくて相撲部に入りました(祐生くん)

・もう一人は元卓球部の寺澤和毅くん(当時1年・身長161cm、体重82kg)。

心が弱いので強くしたい(和毅くん)

・でも相撲は未経験。相撲の基本、四股を踏ませると…バランスがうまく取れない。力も気合いもまだまだ足りない祐生くんたちに、監督の指導が厳しさを増す。

これが力を入れることだ。入ってるだろ。何で泣くんだ(葛西監督)

・思わず涙がこぼれる。頑張れ!
・厳しい稽古の後は監督特製のちゃんこ鍋。見るのも食べるのも初めて。するとスマホで写真を撮る祐生くん。週末の稽古の後は、みんなでちゃんこを囲み、道場のお風呂で汗を流す。

お互いに励まし合って声出し合ってやっていくんだ。何かあったら先生に相談しろ。全部教えてあげる(同上)

・相撲は立ち合いで勝負が決まるといわれる。でも、恐怖心から思い切りぶつかることが出来ない。つい顔をそらしてしまう。そこで始めたのが鉄砲柱と呼ばれる柱を使った稽古。ケガをしないよう加減はしているのだが…ちょっと痛そう。

<マネージャーの入部も>
・祐生くんたちが入部して3か月、相撲部に嬉しい助っ人が。マネージャーとして入部した岩谷佳奈さん(当時1年)。

初めてなのに力強くやっていてすごい(佳奈さん)

・たった2人で頑張る相撲部を応援したい。慣れない手つきでまわしを締めるのも手伝う。女子マネージャーの入部は15年ぶり、にわかに道場が活気づく。和毅くんも祐生くんも俄然、稽古に力が入る。

<同じ相撲部だった父親は…>
・津軽平野に実りの秋。祐生くんは家の仕事を手伝っていた。稽古のお陰か60kgの米袋も軽々。父・公仁さんは国体にも出場した相撲経験者。

(家でも相撲の話、します?)
全然しねえな。全然しねえな(公仁さん)

・でも嬉しそう。初めての男の子として可愛がられて育った祐生くん。ちっちゃな頃から泣き虫で、つらいことがあると逃げてばかりいた。そんな息子に胸を貸そうと道場に。

やるからには強くなってほしい。やる気持ちがあれば何とかなる(同上)

・つらくても逃げるな、心を鬼にして息子とぶつかる。弱い自分を変えたいと始めた相撲。変わるのは今しかない。本気で向き合ってくれたお父さんとの稽古で気がついた。

諦められないので、相撲が強くなりたい(祐生くん)

・立ち合いの恐怖に打ち勝つために始めたあの稽古。いつしか柱の色が変わっていた。そして祐生くんは涙を見せなくなった。

<仲間が退部する出来事も>
・去年1月の稽古始めの日。道場は重苦しい空気に包まれていた。一緒に頑張ってきた和毅くんが相撲部を辞めると言い出した。

辞めないで頑張れば?あと2年じゃん。せっかく1年頑張ってきてさ(佳奈さん)

・勉強に専念したい、それが退部の理由だった。3人で頑張ってきた相撲部。和毅くんは別の道を歩き始めた。

<合同合宿で監督から励まされた言葉>
・その3日後。監督に連れられて祐生くんが参加したのは、県内トップクラスの相撲部員たちが技を磨く恒例の合同合宿。初めての経験だ。幼い頃から稽古を積んできた強豪選手でも音を上げる地獄の合宿。
・その様子を見ていた祐生くんはトイレに篭っていた。

吐いてしまいました。弱気になってしまって。みんなの相撲を見ていて、怖くて出来なかった(祐生くん)

・恐る恐る監督の元に戻ると、その口から出たのは…。

和毅もいなくなって…(同上)

・また弱気になっている祐生くんに監督は…。

お前一人じゃないんだ。先生も佳奈も、お父さんもお母さんもいる。もっと大きい気持ちを持て(葛西監督)

応援されて、みんなの気持ちが詰まっている。怖くない(祐生くん)

・もう怖くない。

<初めての大会で感じたことは>
・2016年2月、選手一人になって初めての大会に臨む。予選を勝ち抜いた各地の強豪校と開催県・青森の全ての高校が参加する全国選抜高校相撲大会。元横綱・若乃花や現役力士の逸ノ城もかつて優勝した高校ナンバーワン決定戦。
・祐生くんの初戦の相手は、ひときわ大きい選手。優勝候補の一人、和歌山県立箕島高校の菅野陽太選手(184cm、143kg)。

気持ちを強く持って頑張ってもらいたい(佳奈さん)

・経験ゼロからスタートして10か月、実力も体格も上回る強敵に挑む。勝負は一瞬で決まった(突き倒しで菅野くんの勝利)。でも逃げずにぶつかって行った。そして芽生えた、こんな気持ち。

もう終わりですか?悔しいです(祐生くん)

悔しさを忘れないで、明日からまた稽古だ(葛西監督)

お疲れ、どうだった?怖かったべ?(佳奈さん)

怖くはなかったよ。突っ張りで前が見えなくなった。次がんばって、もっと練習して(祐生くん)

<意外なライバルの登場!>
・実はこの少し前、道場では思わぬ出来事が。女子マネージャーの佳奈さん、なんとまわしを着け始めた。

祐生と和毅の相撲を見ていて、これなら自分でも出来るかなと思った(佳奈さん)

・意外なライバルの登場に祐生くんは…。

僕より頑張っているのですごいです(祐生くん)

・さらに4月。2年生となった祐生くんたちの下に新入部員が。伝法谷洋匡くん(1年・身長183cm、体重102kg)。彼も相撲経験はゼロ。祐生くんが主将になった。

一緒に頑張っていこうと思っています(同上)

・佳奈さんもどんどん相撲にのめり込み、強い相手と戦ってみたいという気持ちが膨らむ。監督は大会への出場を決めていた。

場を踏まないと。ぜひ勝ってもらいたい(葛西監督)

・稽古のため大会には行けない二人が佳奈さんにエールを送る。泣き虫相撲部の絆、ここにあり。
・2016年8月、佳奈さんが出場したのは青森、岩手、秋田の女子選手が競う大会(東北女子相撲選手権大会)。これまで土俵の外から祐生くんたちを応援してきた佳奈さん。
・初めての大舞台。相手は小学生のときから相撲を続けてきた選手、相撲の厳しさを知った。

気づいたら投げられてました(佳奈さん)

・思うようにいかない悔しさ、祐生くんの気持ちが分かった。

<「もう逃げない」と決めた少年>
・相撲を始めて1年半。祐生くんの体重は15kg増え、132kgに。顔つきも以前とは違う。心に決めたのは…。

試合に勝って先生を喜ばせたい。仲間も喜ばせたい(祐生くん)

・2016年9月、そして迎えた2年生最後の県大会(青森県高等学校相撲新人大会)。会場には父・公仁さんの姿も。相手は東北大会で準優勝の経歴を持つ強者・三本木農業の斉藤誠選手。それでも、今度こそ…。土俵際でも諦めない。逆転を狙ったそのとき、外掛けで斉藤選手の勝利。
・けれど、監督もお父さんも…。

向かっていった(葛西監督)

ああじゃないと駄目。負けてもあれならよい(公仁さん)


・今年の正月、みんなで初詣に行った。

少し自分に自信がついたので、頑張っています(祐生くん)

・稽古はもう始まっている。

自分の相撲って何だ?(葛西監督)

思い切り胸で当たって押していきます(祐生くん)

・祐生くんが誓ったこと。

逃げないです(同上)

・もう逃げない。泣き虫相撲部、うっちゃれ!

(2017/1/20視聴・2017/1/20記)

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【歴史秘話ヒストリア】選・コーフン!古墳のミステリー

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【歴史秘話ヒストリア】
「選・コーフン!古墳のミステリー」

(NHK総合・2017/1/20放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 2016年6月17日放送された内容をそのまま再放送。前回も感想で書きましたが、番組で「仁徳天皇陵」と呼んだ巨大古墳は、現在の教科書では「大仙陵古墳」と記載されているそうです。この古墳が誰の墓か考古学的に明らかになっていないからです。

 あと世界遺産に向けた取り組みが行われていることも紹介さていますが、天皇陵と呼ばれている古墳に関しては宮内庁管轄で発掘調査が認められていない(立入禁止)という現状のもとで、考古学的に明らかに出来ないという制約がある中、ちょっと難しいのではないかと思います。

 発掘すると「神話」と矛盾する都合の悪い物が出てくる可能性がある。どうやらそういうことが調査が進まない“本音”のようです。古墳スイーツとか古墳女子とかどうでもいいですから、そういうことも含めてNHKが歴史検証番組としてきちんと取り上げてほしいですね。「歴史秘話ヒストリア」のバラエティー化はつまらないです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・人類の歴史上、巨大なお墓といえばエジプトの大ピラミッド。高さ140m余り、40階建てビルに相当し世界一の高さ。中国の始皇帝陵は体積約300万立方メートル。東京ドーム2.5個分で大きさは世界一。
・日本で一番大きな古墳は仁徳天皇陵(大阪府堺市)。全長486m、面積47万平方メートルで東京ディズニーランドでほぼ同じ。大ピラミッドや始皇帝陵と比べても面積は際立っている。
・前方後円墳。古代日本人がつくった世界のどこにも例がない不思議な形の墓。一体なぜこんな形をしているのか、未だに解明されていない。
・謎を解く手掛かりを求めて中国へ。古代の墓の中にある1800年前のレリーフ。ここに刻まれた一人の人物が全ての鍵を握っていた。
・日本人が文字を持たなかった時代につくられた古墳。一歩足を踏み入れれば想像を絶するカラフルな世界。壁一面に描かれた不思議なモチーフ、それらを読み解くと古墳の知られざる目的が明らかになってくる。
・10年前、奈良県の古墳から不思議なものが発見された。出土したのは8mを超える巨大な船。これだけの大きさの船がなぜ海のない内陸の古墳にあったのか。

<不思議なカタチの謎>
・日本オリジナルの墓「前方後円墳」。全長400mを超える巨大なものから15mに満たない小さなものまで、その数およそ4800基。北は岩手から南は鹿児島まで全国各地で見つかっている。
・前方後円墳とは、その名の通り前方、前が「方」つまり四角形で、後円、後ろが「円」の墓。一体なぜこんな形なのか、これまで様々な説が唱えられてきた。
・「前方部祭壇説」は江戸時代から学者が唱えていた説。後円部は死者が葬られた墓の本体で、前方部はそれを祭る場だったというもの。しかし各地の古墳で調査が行われたものの、前方部からはそれらしい祭りの場はまだ見つかっていない。
・「天円・地方説」。古代中国では天を「円」地を「方」と考え、円形と四角形別々の祭壇をつくって祭っていた。天壇、地壇という。古代日本にこの考え方が入ってきたとき、この2つの祭壇を合体させて一緒に祭るようにしたというのだ。しかしこの説を裏付ける証拠も現在まで見つかっていない。
・前方後円墳の形は未だ解明されていない古代史最大のミステリーの一つだ。
・そんな中、一つの説が近年注目を集めている。新説を唱えているのは元同志社大学教授(古代学)の辰巳和弘さん。

形の意味を虚心坦懐に考えれば「ツボ」に意味がある(辰巳氏)

・奈良県桜井市にある箸墓古墳。全長280m、3世紀半ばにつくられた最古の前方後円墳と言われている。まさに壺の形。
・中国の古代の墓に納められた神亭壺。これを見れば古墳が壺形をしている理由が分かるという。壺の上に宮殿があり、沢山の人たちが楽器を演奏したり、杯を手に宴を楽しんだりしている姿が形づくられている。彼らは仙人、古代の中国では不老長寿の仙人が住む理想郷・ユートピアが壺の中にあると考えられていた。
・つまり古墳が壺の形をしているのは、仙人の住むユートピアを再現しようとしたものと考えられる。
・その説を裏付けるものが中国に残されていた。2世紀、後漢時代の墓の中。入口のレリーフをよく見ると、そこに描かれているのは東王父という不老長寿の仙人。その下には壺が3つ。これは東王父が東の海に浮かぶ3つの島の主であることを表している。壺形の島では不老長寿の薬がとれるとされている。

壷の中に不老長生のユートピアがあるという思想が入ってきたとき、生み出されたのが前方後円墳(同上)

・水の堀に囲まれたその姿は、確かに海に浮かんだ島のよう。不老長寿のユートピア、それが古墳に込められた人々の願いだったのかもしれない。

<よみがえる王の記憶>
・群馬県高崎市にある保渡田八幡塚古墳。全国の多くの古墳が現在では木々に覆われているが、この古墳は1500年前の姿に完全に復元されている。
・古墳の表面に石がびっしりと敷き詰められ、グレー一色。6000本もの円筒形のはにわが並んでいる。古墳を取り囲む堀の中に丸い島がつくられているのも独創的。
・堤の上には総数54体のはにわ。はにわとは古墳の飾りとして並べられた素焼きの焼き物。普通バラバラの破片で出土することが多く、もともとどのように並べられていたのかまでは分からないケースが殆ど。
・ところがこの古墳は完成後、間もなく火山の噴火により丸ごと埋まってしまった。そのためつくられた当時の配置がそのまま地中に残されていた。幅4m、長さ11mの区画に、はにわの配置が正確に復元されている。

この中に古墳に埋葬された王その人が表現されている(高崎市文化財保護課長の若狭徹さん)

・王と考えられるはにわはファッションを変えて7体ある。王のはにわそれぞれを中心に7つの場面に分けられていると考えられる。例えば冠を被り堂々とした立ち姿の王、腰には王の象徴である立派な刀を身につけている。王が対面しているのは巫女、お祭り用の正式な衣装を着ているという。
・10mにも及ぶ細長い場面、王を先頭にずらりと並んでいるのは中国大陸から入ってきた馬や甲冑。これらを独占できた王の力の大きさを見せつけている。
・屈強な武人と相撲の力士が並んだ場面や、犬をけしかけて王がイノシシを狩る場面も。
・琴の音で厳かな雰囲気に巫女が王に聖なる水を差し出している場面は、王の不老長寿が祈願されたと考えられる。
・亡くなった王をただ葬るだけでなく、生前の輝かしい姿を永遠にとどめて人々に見せ続ける。古墳にはそんな壮大な目的が秘められていた。

<ユートピアへ向かう船>
・全国各地にある前方後円墳。その殆どは中を見ることができない。破壊されていたり天皇陵として立入禁止になっていたりするものが多いからだ。
・ところが九州には中の石室まで調査され、公開されている古墳が沢山ある。福岡県の王塚古墳もその一つ。春と秋には特別に公開され多くの人で賑わう。石室は温度や湿度が厳密に管理されている。そのため見学は分厚いガラス越し。
・敷地内にある資料館では、古墳の中を精巧に復元した実物大の模型が展示されている。カラフルな模様が描かれ、前室と棺が納められていた後室の2つの部屋からなっている。
・後室は高さ4m、広さ8畳ほど。規則正しく描かれた三角形の模様が壁を埋め尽くしている。壁に描かれたものに似たものが神社の御神宝や他の古墳の出土品にある。神社の儀式で使われる靫(やなぐい)、矢を入れて背負うもの。古墳から出土した盾、靫も盾も攻撃を防ぐための武器。カラフルな模様は石室の空間を悪霊などから守る魔よけの意味があると考えられている。
・旅の末に辿り着くユートピアとは一体どんな世界なのか。それが具体的に分かる古墳がある。福岡県筑紫野市の五郎山古墳。11mの通路を通った先にある石室、横の壁に描かれているのは船。船の上には四角形の棺、上空には星空が描かれている。そして奥の壁に描かれているのは船の目的地、つまり来世だ。四股を踏む相撲取り、捧げ物をする巫女、狩りに興じる人物など沢山の人物が描かれている。
・保渡田八幡塚古墳で見たはにわとよく似ている。54体のはにわ群は王の生前の輝かしい様子、つまり現世を表現したもの。星空を通って船が辿り着いた来世は、この現世の様子とそっくり。これはどういうことなのか。

被葬者が来世でも現世と同じように暮らすことを願って絵が描かれた。棺を乗せた船が飛んで行く、楽しい来世へと(前出の辰巳氏)

・古代人が抱いていた来世のイメージは、現世と同じような世界。そこへ星の海を船に揺られて辿り着く。
・今から10年前、奈良県広陵町の巣山古墳で大きな発見があった。古墳の堀から巨大な船の部材が発掘されたのだ。壁画に描かれていた来世への船が実際に出土した初めての例。復元してみると船の長さは推定8m以上、本格的な大型船だ。
・さらにこの船は単なる埋葬の飾りではなく、実際に王の棺をこの船に乗せて古墳に運び入れたと専門家は推測している。

死者を乗せた船は壺形の山を目指した(同上)

<前方後円墳がつくられなくなった理由とは>
・全国で5000基近くあるという日本オリジナルの墓「前方後円墳」。永遠のユートピアを夢みて3世紀から400年もの間つくられ続けた。
・しかし7世紀に入ると、その伝統はパタリと途絶えてしまう。一体なぜ突然、前方後円墳はつくられなくなったのだろうか。
・その謎を解くヒントが最後の巨大前方後円墳と言われる見瀬丸山古墳(奈良県橿原市)にあった。古代の天皇・大王の墓だといわれている。大王の棺がただ一つだけ納められているはずの石室に、なぜか2つの棺があることが近年明らかになった。しかも手前の棺よりも奥にある棺の方が40年も新しいものだった。

通常奥の棺の方が古いのだが逆転していた(京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝さん)

・もともとあった2トン近くもの重さの大王の棺が動かされ、新しい棺が奥に押し込まれていた。石室の大幅な模様替えを行ったのは、当時大王に匹敵する権力を誇った豪族・蘇我氏だった。こうして自らの権力を大掛かりにアピールしていたのだ。

天皇陵の形が蘇我氏流の方墳へ変わっていく(同上)

・方墳(四角形の墓)は仏教とともに入ってきた新しい世界観を映している。蘇我氏はいにしえより続いてきた前方後円墳の伝統を捨て、新たに仏教の導入を積極的に推し進めた。
・これ以降、天皇や豪族たちは古墳の代わりに巨大な寺院を建てることで権力の大きさを誇示するようになった。そしていつしか前方後円墳に表された古代人の世界観は、忘れ去られてしまった。
・それから1300年。今、古墳は改めて見直されている。仁徳天皇陵をはじめ89基の古代古墳からなる百舌鳥・古市古墳群。その歴史的価値が評価され、2010年に世界文化遺産の暫定リストに記載された。2018年の正式登録を目指し、市民が協力して様々なイベントを開催。機運を盛り上げている。
・壺形の理想郷、永遠のユートピア、前方後円墳。古代日本人が抱いた世界観は、また新しい形で未来に受け継がれようとしている。

(2017/1/20視聴・2017/1/20記)

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【にっぽん!歴史鑑定】神になった男 菅原道真

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【にっぽん!歴史鑑定】
「神になった男 菅原道真」

(BS-TBS・2017/1/16放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 学問の神様として有名な菅原道真さま。私も学生時代、合格祈願で大変お世話になりました。今年は資格試験を受験する予定なので再びお願いする予定でございます。何卒宜しくお願いいたします。

 さて、そんな道真の生涯を詳しく紹介する番組というもの結構珍しいかと思います。あらためてなぜ彼が後世「学問の神様」と呼ばれるようになったのか。ご自身の頭脳明晰もさることながら、藤原氏との確執、そして死後に『怨霊』だと恐れられたエピソードなど、非常に興味深い内容でした。

 もちろんナビゲーターの田辺氏が仰っていたように「怨霊」というのは、道真を陥れた貴族たちの罪の意識の化身だったのでしょう。それでも道真の影響力がそこまで大きかったということを表していることに違いありません。

 しかしこの「にっぽん!歴史鑑定」は本当に勉強になる番組です。某国営放送の地上波の歴史番組も見習うべきだと思いますね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・受験シーズン真っ盛り。「サクラサク」を願い、受験生たちが合格を祈願する学問の神様といえば天神様。その天神様として祭られているのが菅原道真。
・平安時代、菅原道真はひたすら勉学に打ち込み出世を重ねて朝廷の権力者となった。その功績にあやかり今では学問の神様に。
・しかし神格化された裏には様々な事実が隠されていた。京の都で続いた奇怪な連続変死事件。それは非業の死を遂げた道真の祟りだった?
・学者から政治家に転身し、次々と行政改革を断行。そんな道真には数々の陰謀が待ち受けていた。なぜ道真は貴族たちから嫌われていたのか。
・超エリートだった道真が突然、太宰府に左遷。それは天皇暗殺を企てたからだった?道真失脚の真実に迫る。

<「道真の怨霊」と呼ばれる事件>
・道真が亡くなった後の延喜9年(909年)、朝廷の権力を握っていた藤原時平は病の床に。連日、病魔退散の祈祷が行われていた。ところが伝説によるとある日、時平は突如として悶え苦しみ始めた。すると時平の両耳から蛇が這い出し「祈祷をやめさせよ」と命じたという。その蛇の正体こそ菅原道真の怨霊。間もなくして時平は息を引き取った。
・恐ろしい出来事はまだまだ続いた。時平の右腕的存在だった源光が狩猟中に沼に引きずり込まれた。遺体すら発見されない異様な死に様だった。
・絶命した2人は朝廷の中枢にいた道真を九州の太宰府に左遷し、死に追いやったとされる人物。そのため貴族たちは、道真の怨霊の仕業ではないかと噂した。
・その後も朝廷に不幸があるたびに道真の怨霊の仕業だとされ、道真の死から27年後の延長8年(930年)、醍醐天皇の時代に怨霊への恐怖が極限に達する事件が起きた。この年、京の都周辺では例年にない干ばつが続いていた。このままでは凶作は避けられなかった。雨乞いの相談をするため、天皇が暮らす清涼殿に貴族たちが集まっていた。
・するとにわかに黒い雲がわき起こり、目もくらまんばかりの光とともに凄まじい雷鳴が轟いた。雷が清涼殿を直撃した。まるでそこにいる憎き貴族たちを狙い撃ちするかのように。大納言・藤原清貫は雷に打たれて即死、平希世は顔を焼かれてしまった。宮中は戦慄し大パニックに。
・御所を襲った落雷事件にショックを受けた醍醐天皇は、道真の祟りが次は我が身に降りかかるのではないかと恐れ、天皇の座を退き出家した。しかしその甲斐もなく、出家したその日に亡くなってしまった。

<幼い頃から成績優秀だった菅原道真>
・菅原家の屋敷があった京都市上京区の菅原院天満宮神社。平安時代のはじめ承和12年(845年)に菅原道真は生まれ、今なお産湯に浸かったとされる井戸が残されている。
・菅原家は代々、学者の家系だった。祖父・菅原清公は最澄、空海らとともに遣唐使に随行して留学した高名な学者。父・菅原是善は当代一の文人にして政治にも携わった朝廷の高官。
・その血を引く道真には幼い頃から大きな目標があった。祖父や父と同じように学者の最高峰「文章博士」になりたいというもの。この職は数多くの学者の中から僅か2人しか就けない狭き門。まずは官僚育成機関である大学寮で詩や歴史を学ぶため「文章生」の試験に合格しなければならなかった。
・その試験に道真は18歳で合格。祖父・清公は20歳で、平安時代の著名な学者・小野篁でさえ21歳のとき。道真の18歳での合格は異例のことだった。しかも合格者20人の中から成績優秀な2人しか選ばれない「文章得業生」となった。
・さらに受験するだけでも学者の名誉とされていた最難関の国家試験「方略試」にも道真は見事26歳で合格した。道真は一体どれほど秀才だったのか。東京大学史料編纂所の本郷和人教授はこう評す。

230年間で合格者65人。1年に1人も出ない試験に合格できるほど当時きっての秀才だった(本郷氏)

・そして元慶元年(877年)道真33歳のとき、遂に目標の文章博士となった。

文章博士とは今でいうところの東京大学総長のような地位、つまり学者の頂点だった(同上)

・若くしてトップに立った道真は孤独で、妬みからくる不条理な批判や学会の嫌がらせに悩むようになったという。

権力者を批判するような巧みな文章を道真が書いたと言われた。全く逆に文章が下手だと悪口を言われたりもした(同上)

(学者たちがどうして妬んだのか)
文章博士はいわば天皇や皇族の家庭教師も務めた。そのため天皇との信頼関係を築き出世できるためみんなが憧れるものだった。それを手に入れた道真が妬み、そねみ、悪口の対象となった(同上)

<学問一筋の菅原道真が迎えた大きな転機とは>
・菅原道真が文章博士になった頃、朝廷は藤原基経を中心とする藤原氏が実権を握っていた。そんな中、道真は子宝にも恵まれ、その数は14人とも23人とも。公私ともに順風満帆の人生を送っていた。
・ところが42歳のとき大きな転機が訪れた。文章博士を解任され讃岐国の国司(今でいう香川県知事)として転勤を命じられた。道真にとっては左遷としか受け取れない不本意な人事だった。
・しかしどんなに不本意であっても宮仕えの身、辞令を拒むことは出来ずに嘆いた。とはいえ悔しさを押し殺して人前では冷静沈着を装っていた。
・遂に感情を抑えられなくなったのは宮中での送別会のこと。別れにあたって詩を求められた道真。それに答えようと口を開いた瞬間、人目を憚らず涙を流し悔しがったという。

讃岐国は京都に近く温暖で、出世コースの一つのパターンであったと考えられるが、道真は嫌で堪らなかった。飛び抜けてエリート意識が強かったという憶測もできる(本郷氏)

・讃岐国に国司として渡った道真。行政官のトップとして働くことになったが、ここで待っていたのは目を覆うばかりの悲惨な現実だった。干ばつによって土地は荒れ果て、疫病が流行。多くの人が命を失い、土地を捨てて逃げ出していく人も大勢いた。

人々は敗れた衣をまとい、粗末な小屋に暮らしている。その日の食べ物にも事欠き、物乞いする者も多い。

・地方の人々の悲惨な暮らしを目の当たりにした道真は大きな衝撃を受けた。そしてあるとき怒りの炎が燃え上がる出来事が起こる。税として讃岐から都に送った絹の質が悪いと責め立てられた。
・その日の食べ物にも事欠く民がやっとのことで作った絹。それをぬくぬくとした部屋の中で出来が悪いとケチをつける貴族たち。道真は怒りに震えた。

地方の実態を見るにつけて、藤原基経を頂点とするような藤原氏の政治は、人々を不幸に陥れるということを実感した。このままではダメだ、学者=道真ではなく政治家=道真がここで誕生した瞬間したのではないか(本郷氏)

・仁和4年(888年)道真は行動を起こす。朝廷を牛耳る藤原氏の非を咎める書状を都に送りつけた。出世に差し障りがあると恐れ藤原氏に意見をする者がいない中、それは勇気ある行動だった。
・しかし藤原氏からは何の音沙汰もなかった。普通ならここで出世の道が断たれてしまうが、実はここから道真は新たな出世街道を歩むことになった。
・道真の気骨ある行動に時の宇多天皇が目を留めた。当時の日本は未曽有の財政危機にあった。何とか打開策を講じたいと模索する宇多天皇だったが、藤原氏が支配する朝廷では改革がままならなかった。
・そんなとき、当時一番の実力者だった藤原基経が急死。今がチャンスとみた宇多天皇は、道真が讃岐の国司として4年間の任期を終え京に戻るやいなや、天皇の秘書官長にあたる「蔵人頭」という重要な役職に抜擢した。
・宇多天皇が道真を何より評価したのは、裏表のない真面目な仕事ぶり。代々文官を務める家に生まれだった道真は「君のため、民のために尽くす」という高い倫理観が備わっていた。
・道真は「蔵人頭」就任から僅か3年で国政に参加できる「参議」をはじめ9つの役職を歴任し、様々な改革に取り組んだ。しかし道真の出世と改革は当時の貴族たちに大打撃を与える“事件”もあった。

<菅原道真が着手した行政改革とは>
・「大化の改新」以来、日本の税制は戸籍台帳をもとに成人男子に対して税を課すという人頭税だった。しかしこの仕組みには大きな問題があった。男の子が生まれても戸籍では女として届け出て税を免れる人が続出した。
・さらに地方の豪族たちも税を免れようと抜け道を使った。人頭税では土地の広さや作物の収穫量に関わらず、自分たちが支配する土地で働く民の人数分、税を納めなければならない。
・そこで豪族たちは免税が認められていた貴族などに名義料を支払い、土地を形式上寄進。実質的には支配を続けた。つまり貴族たちは名義料の収入で潤い、豪族たちも人頭税を納めずに済んだ。
・こうした事態が各地で頻発したため、国の税収が減少。財政危機に陥るのは当然の成り行きだった。この国家を揺るがす危機に対して道真は税制の抜本改革に着手した。税を人からではなく土地から徴収することにした。さらに貴族たちには寄進された土地の返却を求めた。

土地に税金をかければ逃げることはできず確実な税収が見込める。しかしこれをやると貴族、地方の豪族たちは自分の利権を侵害されることになるのでとても嫌だった(本郷氏)

・この大改革により道真は、貴族や豪族たちを敵に回すことになった。

<菅原道真最大のライバル登場 藤原氏の反撃とは>
・寛平6年(894年)菅原道真に突如、遣唐使を統括する大使就任の話が持ち上がった。

道真を遣唐使に任命する人事は、藤原氏の巻き返しの一環だったかもしれない。道真を京都から追っ払えるし、遣唐使は相当危険があったから船が沈めばさらにいいと考えたのかもしれない(本郷氏)

・しかし道真は反論。それが認められて遣唐使の派遣は中止。藤原氏の計略は失敗に終わった。
・遣唐使の派遣騒動から3年後の寛平9年(897年)道真は更に出世を遂げ、天皇の言葉を貴族たちに伝える要職「権大納言」に加え、宮中の警護を司る「右大将」に任命される。
・一方で同じ年、右大将同様に宮中の警護を司る「左大将」に任じられたのが藤原時平。亡き実力者・藤原基経の長男である時平は27歳。藤原氏の若きエースだった。一時の勢いは失ってしまったものの、朝廷内での藤原氏の権威は依然磐石。宇多天皇は藤原氏の圧力に屈し、時平を左大将にせざるを得なかった。
・このままでは朝廷は再び藤原氏に支配されてしまうのではないか。そう案じた宇多天皇は、藤原氏に対抗すべく思いも寄らぬ行動に出た。その対抗策が譲位だった。宇多天皇は道真だけに相談を重ねて決断。時平が左大将になった僅か半月後、天皇の座を13歳の敦仁親王に譲った。こうして醍醐天皇が即位。
・そして宇多上皇は幼い醍醐天皇に、政治については道真とよく相談し命を下すのも道真を通じて行うようにと命じた。

自分が譲位して幼い醍醐天皇に道真を付けて、彼一人が醍醐天皇を補佐するという形を作ってしまえば政治的に十分、時平に対抗できると宇多天皇は考えたのではないか(同上)

・しかし時平は猛然と反撃に出た。譲位が行われた直後、道真が朝廷に出仕すると他の貴族たちは誰一人姿を現さなかった。時平の命により貴族たちは政務を一斉にボイコットした。
・朝廷内に渦巻く藤原氏の激しい不満。しかし道真は宇多上皇を後ろ盾に昇進を続けた。昌泰2年(899年)遂に政権ナンバー2である「右大臣」を任官。藤原氏や皇族以外の人物が右大臣の座に就くのは極めて異例のことだった。この上の実質的役職は「左大臣」のみとなった。
・一方、同時にその左大臣に昇進した藤原時平は、その座を道真に奪われるのではないかと焦りを募らせた。
・右大臣就任から8か月後、道真にとって青天の霹靂ともいえる事態が起こった。後ろ盾だった宇多上皇が出家して法王となり、政治の表舞台から身を引いてしまった。

当時の出家というのは生々しい政治から手を引かざるをえない意味合いが強かった。宇多上皇の望みではない状態に追い詰められてしまった。そうなると道真は最大の後ろ盾を失う形になり、大変な大打撃になった。上皇を追い詰めることが出来たのは時平以外にありえないと考えるのが自然(同上)

<菅原道真 太宰府追放の真相とは>
・昌泰4年(901年)正月。菅原道真以外の貴族たちが急遽集められた御所で、醍醐天皇が思いも寄らぬ詔を発した。

道真は権力をほしいままにし、朕を退けようと企てた。ただちに右大臣の職を解き、太宰府への転任を命じる。

・道真にとって驚天動地の命。実はこれこそが時平が企てた道真追い落としの陰謀だった。あろうことか時平は醍醐天皇に「道真は帝を排し帝の弟で道真の娘婿である斉世親王を天皇に擁立しようと企み、既に法王の同意を得ている」と、ありもしない道真のクーデター計画を告げ口した。
・すると醍醐天皇は真偽を父である宇多法皇にただすこともなく、道真の追放を決断。道真の後ろ盾だった宇多法皇は知らせを聞き、すぐに御所に駆けつけたが既に出家した身。御所に入ることさえ出来なかった。
・しかしこの道真追放事件には、もう一つ説がある。それは道真が実際に醍醐天皇を排すべく暗殺を計画していたというもの。その根拠とされるのが、醍醐天皇の命を受け太宰府で暮らす道真の様子を視察した藤原清貫の報告。

自ら謀ることはなかったが、右近衛中将・源善の誘いを免れることは出来なかった。

・道真は醍醐天皇の暗殺計画を認め、主犯ではないが共謀したことを暗に匂わしたという。その真相とは。

道真という人を考えれば、天皇の暗殺に加担したことは考えにくい。本当だったならば道真が京都から追放されることは当たり前のことで、貴族たちはそれを後ろめたく思う必要はない。ところが貴族たちは後々までずっとやましく思っていた。それは道真追い落としを正当化するためのでっち上げだと考える(本郷氏)

・京都市下京区。菅大臣神社の場所に道真は邸宅を構えていたといわれている。藤原氏の陰謀により権力も家も失った道真は、都からの去り際に無念の思いを込めてこの歌を詠んだ。

東風吹かば
にほひをこせよ
梅の花
あるじなしとて
春を忘るな


・たとえ私が居なくても梅よ、春になったら恐れずに咲いておくれ。梅の花に思いを託した。

この歌は単にセンチメンタルな心情を歌ったものではなく、自分がやり残した政策を自分が居なくなっても誰かが引き継いでくれと歌ったものだと解釈することができる(本郷氏)

・そして失意のまま辿り着いた太宰府で道真にあてがわれた家はボロボロの官舎だったという。右大臣まで上り詰めた道真にとって、太宰府の暮らしは耐えられないほど惨めなもの。
・役所に出仕することも禁じられ、その日の食にさえ困るという厳しい生活を強いられた。そして湧き上がる望郷の念。唯一の心の慰めが詩を詠むことだった。
・太宰府に追放されてなお、道真は諦めていなかった。いつかは許されて帰りたい。そしてもう一度仕事がしたい。そう願い続けていた。
・しかし道真は次第に寝込むようになり、左遷から2年の延喜3年(903年)。59歳で帰らぬ人となった。福岡にある太宰府天満宮。道真は現在この地に眠っている。
・実は道真の死後、亡骸を京の都に帰すことになったのだが、運ぼうとした牛車が動かなくなりこの地に葬られることになったといわれている。

・京の都に戻って改革を成し遂げたい。それが道真の生きる希望だった。しかし願いは叶わず、太宰府で非業の死を遂げた道真はその後、怨霊として京の都に現れ、貴族たちを震え上がらせた。その怨霊の正体とは、道真を陥れた貴族たちの罪の意識の化身ではないだろうか。
・そして道真の亡き後、その改革を引き継いだのは道真を失脚させた張本人・藤原時平だった。豪族の私的な土地の所有を禁じる。土地は改めて民衆に貸し与え、税は土地に応じて取り立てる。まさに道真の取り組もうとしていた改革そのものだった。
・時平は道真の改革を成し遂げることで国家の財政破綻を乗り切り、藤原道長へと続く藤原氏のその後の繁栄をもたらした。

・道真の死後、次々と起こる不幸を道真の祟りと考えた藤原氏は、京の都の北野の地に壮大な神殿を創建(北野天満宮)。道真を天神として祭った。
・藤原氏に疎まれ、非業の死を遂げた道真は、皮肉にもその藤原氏によって神とされた。そして今、学問の神様として学業成就を願う若者たちを暖かく見守り続けている。

(2017/1/21視聴・2017/1/21記)

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】事件の裏の名もなきヒーローたちSP

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「事件の裏の名もなきヒーローたちSP」

(NHK・BSプレミアム・2017/1/18放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/

<感想>

 先週に引き続き、以前放送した3作品の内容を再編成して1本にまとめるという手法。繰り返しになりますが、アンコール放送の方が面白いですよ。何だかどのテーマも端折りすぎていて薄らいでしまっている感が否めないですね。

【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】アメリカ同時多発テロ~ホワイトハウス 知られざる戦い~
【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】フェルメール盗難事件 史上最大の奪還作戦
【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】アポロ13号の奇跡 緊迫の87時間

 ということで、感想はそれぞれの回の記事で書いていますので省略です。来週以降も暫く再放送が続くようですね。記事を起こすのも新作が出るまでお休みします。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・世界が驚愕したあのテロのときも。フェルメールの世界的名画が盗まれたときも。宇宙で初めて起きた爆発事故のときも。その裏には、ひるまず立ち向かった名もなきヒーローたちがいた。

<ホワイトハウス 知られざる戦い>
・2001年9月11日。あの日、ニューヨークはいつもと変わらぬ朝を迎えた。ワールドトレードセンターは、アメリカの繁栄を誇るかのようにそびえ立っていた。しかし…。アメリカ同時多発テロ事件。約3000人が命を奪われた。
・このときテロリストたちが狙った重大な標的がもう一つあった。それはアメリカ大統領官邸ホワイトハウスだった。しかもこの日、最高責任者の第43代大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュは不在。主がいない中、必死にホワイトハウスを守り抜いたのは名もなき一般の職員たちだった。

あのときホワイトハウスに旅客機が突入していたら、私は間違いなく死んでいました(ゲイリー・ウォルターズ)

・これは未曽有の危機を乗り越えた人々の勇気の物語だ。
・様々な行政施設が集まるアメリカの首都ワシントンD.C.。大統領の館ホワイトハウス。テロを生き延びた男が久しぶりに訪れた。元執事長のゲイリー・ウォルターズ、ホワイトハウスに30年以上勤めてきた。歴代6人の大統領に仕えた異例の存在だ。数々の歴史的瞬間に立ち会ってきた。その中でも最大の出来事が、あのテロだったという。

【9月11日午前6時30分(テロ発生2時間前)】
・事件の日、ウォルターズは朝6時30分に出勤。食事会の準備にあたっていた。

その日の午後は野外食事会が行われる予定でした。連邦議会の全ての議員が参加するイベントです(同上)

・そのときブッシュ大統領は遠く離れたフロリダに出張中。午後に戻り、食事会に出席する予定だった。

【9月11日午前7時35分(テロ発生1時間前)】
・テロリストは数人に分かれ、4機の航空機に乗り込んだ。そして次々に飛び立っていった。

※7:59 AA11便  ボストン発LA行
※8:14 UA175便 ボストン発LA行
※8:20 AA77便  ボストン発LA行
※8:42 UA93便  NY発サンフランシスコ行


【9月11日午前8時46分】
・ワールドトレードセンターに1機目が突入。

【9月11日午前9時3分】
・ワールドトレードセンターに2機目が突入。
・この2機の映像をテレビで見たとき、執事長のウォルターズは危機を悟った。

みぞおちにパンチを食らったようでした。航空システムの問題でも偶然の事故でもないと初めて悟ったんです。アメリカは狙われているとね(同上)

【9月11日午前9時37分】
・更に30分後、ウォルターズはすぐ近くで爆発音を聞いた。

玄関を出ると、ちょうど南西の方角から低い音がドンと聞こえました。見上げると大きな黒い煙と炎が噴き上がっていたんです(同上)

・そこはホワイトハウスから僅か3km。国防総省(ペンタゴン)だった。世界一の実力を誇るアメリカ軍の中枢が攻撃されたのだ。ウォルターズの頭は巡る。

次のターゲットはホワイトハウス、さらに議事堂もやられるとね(同上)

・そのときホワイトハウスには料理人や庭師など総勢90名の一般職員が働いていた。

携帯電話でオフィスに連絡し、ホワイトハウスの最上階から下までくまなく部屋を回り「全員避難しろ」と指示しました(同上)

・ウォルターズは全員に避難を指示、そして自らは逆の方向へと一人で走っていった。テロの危険に気づかずにいる職員以外の人々を守るためだった。

食事会の準備をする外部のスタッフがゲートに到着し始めていたんです。ホワイトハウスにもうこれ以上、人が入るのを止めなければなりませんでした。「止まれ!中に入っちゃいけない」と言い続けました(同上)

・切羽詰った状況で、なぜそれほど冷静な判断ができたのか。実は執事になる前、彼はホワイトハウスを警備するシークレットサービスだった。危機管理のプロならではの勘が働いていた。
・混乱が続く中、ホワイトハウスの地下シェルターでは緊急対策会議が行われていた。そこは第二次世界大戦中、核攻撃にも耐えられるよう設計された部屋だった。集まっていたのは、大統領の留守を預かる政府の中枢メンバー。テロリストの情報収集に追われていた。
・その様子を間近で見ていた元海兵隊中佐のロバート・ダーリング。大統領の移動手段を確保する連絡係だった。

みんなバタバタとしていました。パソコンや机がずらりと並び、次々にかかる電話に対応していました(ダーリング)

【9月11日午前9時52分】
・電話を取ったダーリングは、その知らせに戦慄した。

ハイジャック機をピッツバーグ上空で発見。ワシントンに向かっているというのです。大変なショックでした(同上)

・ハイジャックされた4機のうち最後の1機。ユナイテッド93便が大きく進路を変え、乗員乗客40人を乗せたままワシントンに向かっているという連絡だった。執事長ウォルターズの勘は当たっていたのだ。
・予想される到達時間まで残り20分ほど。ところがその直後、93便が左右に揺れ、進路を目まぐるしく変え始めたのだ。そしてその3分後、ピッツバーグの平原に煙が上がっていた。93便が墜落したのだ。
・ニューヨークの事態を知った乗客たちが、さらなるテロを防ごうと犯人と格闘した結果だった。乗員乗客40名全員が死亡。命と引き換えにホワイトハウスは守られた。

誰もが言葉を失い、沈黙しました。テロは防がれましたが、犠牲になった人たちのことを思うと、悲しみで複雑な思いでした(同上)

・だがまだいつ他の飛行機が襲ってくるか分からない。ホワイトハウスの非常事態は続いていた。
・その中でウォルターズは冷静に執事としての職務を果たす。

みんながずっと食事をしていないことに気づきました。朝食すら摂っていない人もいたでしょう。だからあの男に何とか戻ってほしいと連絡しました(ウォルターズ)

・あの男とはホワイトハウスの料理長ウォルター・シャイブ。料理の腕はもちろん、スタッフをまとめる統率力でも高い評価を受けていた。この日もスタッフを連れて、いち早くホテルに避難していたシャイブにウォルターズは電話をかけた。

戻ってきてくれ(ウォルターズ)

戻る?どこへ?どうやって戻ればいいんだ?(シャイブ)

・既に警備線は厳重で殺気立っていた。その中をホワイトハウスに近づけば、射殺される恐れすらあった。それでもシャイブはホワイトハウスに向かって歩き出した。彼は去年、事故で他界。だが妻のジーンがあの日のことをはっきり覚えている。

夫はプロ意識の高い人でした。仕事場であるホワイトハウスに戻りたかったのでしょう。素晴らしいと思います。自分を優先するのではなく、プロとして何が一番大切なのかを見極めたんです(ジーン)

・命の危険を冒してまでホワイトハウスに戻ったシャイブ。たった一人で料理を作り始めた。

シャイブは言いました。「食事会で準備していた肉を出してもいいかい?下ごしらえ済みだし、後は焼くだけで手っ取り早いよ。それなら大勢の人に振る舞える」とね。彼は結局、650人分の食事をこしらえました(ウォルターズ)

・シャイブが作った料理は、地下室の政治家たちやシークレットサービス、さらに周囲で救助にあたっていた消防士にも届けられたという。

安全な場所にいた私たちを、安全が確保されていない場所にいたスタッフがずっとサポートしてくれました。私にとって彼らは英雄です(ダーリング)

【9月11日午後2時】
・テロから5時間。大統領はいまだホワイトハウスに戻れずにいた。だがウォルターズは信じていた。

このような危機に直面すれば、大統領は必ずホワイトハウスに戻ってくると私は信じていました。ホワイトハウスの執務室から国民に向けて演説するはずだと(ウォルターズ)

・危機にあたっては直接、国民に話しかけるのが通例。だが大きな壁があった。緊急の際、大統領は空軍基地からヘリでホワイトハウスに急行する。だがヘリの着陸に使う南の庭には、このとき野外食事会のテーブルが大量に放置されていた。既に殆どの職員が避難し、ホワイトハウスは閑散。残っていたのはウォルターズと数名のスタッフだけだった。だがウォルターズは決意した。

ヘリが来たときに備え、テーブルを全て撤去しなければと思いました(同上)

・いつ攻撃を受けるか分からない。その中でウォルターズたちは160キロのテーブルを一つ一つ片付けていった。

ただ大統領への務めを果たしたい、それだけでした(同上)

【9月11日午後6時55分】
・テロ発生から10時間。ブッシュ大統領は、ようやくホワイトハウスに戻ってきた。ブッシュが歩くその奥にウォルターズたちが命を懸けて片付けたテーブルが積まれていた。

【9月11日午後8時30分】
・そして夜、ブッシュは国民に語りかけた。

国民の皆さん。今日、私たちの生活が、そして自由が、テロリストの攻撃を受けました。今こそ全ての国民が正義と平和を求めて団結するときです。

・このときホワイトハウスは、ようやくその機能を取り戻した。今も変わらぬ姿でホワイトハウスはそこにある。しかし忘れてはならない。あのとき命の危険を顧みず、ホワイトハウスを守り抜いた名もなきヒーローたちがいたことを。

<フェルメールを奪還せよ!>
・深夜、貴族の館から一夜にして世界的名画が痕跡も残さず消え去っていた。盗まれた名画の中に、世界の至宝ともいうべき傑作がある。オランダの巨匠フェルメールが描いた「手紙を書く女と召使い」(1670年頃)。フェルメールは「光の画家」と讃えられた天才。彼の作品は世界に僅か30数点しか残っておらず、その価値は計り知れなかった。
・犯行の手口はこうだ。1986年5月21日、犯人は屋敷の裏手の窓から侵入。大胆不敵にも張り巡らされた赤外線にわざと触れ警報を鳴らした。そして何も盗らずにその場を去った。
・一体どういうことなのか?実は犯人はこのとき警報が鳴り続けるように細工していた。管理人が警報機をリセットしても鳴り止まぬため、故障と判断。結局スイッチは切られた。警察も何も盗まれていないことを確認すると帰っていった。
・これこそが犯人が仕掛けた罠だった。もう二度と警報機が鳴ることはない。警察も絶対にやって来ない。あとは簡単だった。名画は犯人たちの手に落ちた。
・世界中を驚かせたこの事件、主犯はアイルランド・ダブリンにいた。後に判明したその名はマーティン・カーヒル。多方面からの取材で凶悪な素顔が明らかになった。その経歴はまさに犯罪の総合商社。強盗から脅迫、そして殺人まであらゆる犯罪に手を染めた。捕まった際には顔を隠し、服を脱いで警察を挑発しまくった。しかし決定的証拠を残さず釈放。犯罪を繰り返した。カーヒルは名画を奪った後、姿をくらました。
・警察に残された手は一つしかなかった。犯人は必ず名画を金に変える。そこを押さえて絵を取り戻す。凄腕の捜査官が投入された。ロンドン警視庁捜査官のチャーリー・ヒル。

私の任務は犯人逮捕ではなく名画奪還、それが全てだ(ヒル)

・ヒルの任務は様々な人物に扮して闇社会に潜入する囮捜査。命の危険が伴う特殊な仕事だ。これまでも数々の名画を窃盗犯から取り戻したスペシャリストだ。

私は必ずフェルメールの絵を取り戻せるという信念を持っていたよ(同上)

・ヒルはすぐに奪還計画を練った。まずアメリカに飛び、そこでFBI(アメリカ連邦捜査局)の協力を取り付けた。FBIを巻き込み「アメリカの大物マフィアが絵を欲しがっている」というデマ情報を世界に流し罠を張る。

マフィアと繋がりが持てれば、犯罪の世界で名声を高めることができるとカーヒルに思い込ませたかったんだ(同上)

・FBIは囮捜査官トム・ビショップを協力させた。彼がマフィアを演じることとなった。そこでFBIが用意したのは、ニューヨークを牛耳るマフィアのボスの写真。FBIが捜査中に隠し撮りしたものだ。そしてその後ろにはビショップの顔が合成されていた。

よく出来た合成写真だった。FBIの技術はさすがだと思ったね。その写真を使ってカーヒル一味にマフィアの一員だと思わせ、信用させる作戦だったんだ(同上)

・そしてヒルの作戦にカーヒルは、まんまと引っ掛かった。取り引きをしてもよいと連絡があったのだ。
・翌1987年、カーヒル一味との密会の日。トム・ビショップはダブリンの中心地にある豪華ホテルに案内された。だがマフィアの証拠である写真を渡すとき、まさかのミスが起きた。写真の間にスタッフのメモが紛れ込んでいた。そこにはFBIのロゴ「トム これを忘れるな!」。その場が凍りついた。手下たちは一斉に席を立ち出て行った。

ビショップが殺されなかったので安堵しましたが、心の中では何たる間抜けだと思ったよ。これで私たちの作戦が全て崩れてしまったんだ(同上)

・カーヒルとの唯一の繋がりは切れた。千載一遇のチャンスを棒に振ったヒル。もうこの手は二度と使えない。

(諦めようとは思わなかったのか?)
私が諦める?ハッ、まさか。人生は一度きりなんだ。早々と諦めたら生きる意味なんてないだろう?(同上)

・実はヒルは21歳のときベトナム戦争に従軍した過去がある。退役後、戦場の記憶に苛まれ塞ぎ込む日々が続いた。そんなヒルの心を癒したのが美術だった。
・事件から7年、ヒルは粘り強く情報を集めた。実はこの間にカーヒルも追い詰められていた。名画の買い手が一向に見つからなかったのだ。何と武装組織IRAにまで絵を売ろうとしていたほどだった。
・そんな中、遂にヒルは闇社会に通じた弁護士から絵の在りかを突き止めた。西ヨーロッパの小国ルクセンブルク。この銀行に眠っているという。

カーヒルが絵画を担保に金を借りたのではないかと推測したよ。実際その通りだったんだ(同上)

・カーヒルはヨーロッパの密売人に名画を担保に100万ドル(約1億円)を借りた。場所は特定できたが大きな問題が立ちはだかっていた。

ルクセンブルクは囮捜査が禁止されていたんだ。政府はこの国で囮捜査をするなと強く言ってきたよ(同上)

・ルクセンブルクから絵を出さなければ囮捜査は出来ない。そこでヒルは弁護士を通じてダブリンの実業家ニール・マルヴィヒルとの接触を試みた。

彼はカーヒルの代理人だ。やつのために様々な物資を調達していた(同上)

・ヒルは再びフェルメール奪還作戦を決行する。今度のシナリオはこうだ。

簡単な話だよ。「裕福なアラブ人」が餌なんだ(同上)

・アラブの大富豪が世界的名画をコレクションしていると触れ回った。そして自らが美術商に化け、囮捜査を開始した。もう失敗は許されない。敵の出方を待った。

カーヒルたちは、とても疑っていたよ。暫くの間、連絡が来なかった。それだけ彼らは非常に疑り深かったんだ。しかしこちらと取り引きしないと何も得られないと思ったはずだよ(同上)

・数日後、マルヴィヒルは「会ってもいい」と連絡をよこしてきた。そこでヒルは場所をルクセンブルクの隣のベルギーに指定。囮捜査が出来る国にマルヴィヒルをおびき寄せた。
・1993年9月1日、遂に絵と金を交換する日がやってきた。アントワープ国際空港。まずはヒルがマルヴィヒルに小切手で金を確認させた。続いてヒルが絵が確認する。そして黒いゴミ袋の中から、あのフェルメールの絵が現れた。

本物の絵というのは見た瞬間、絵が教えてくれるんだ。その絵は間違いなく傑作だったよ(同上)

・他にもゴヤなど合計4点の盗まれた絵画がそこにあった。ヒルは仕上げにかかる。

私はサインを出したんだ。それを見て警官たちが突入してきた。ダーティハリーが使うような44マグナムを構えてね。「地面に伏せろ!」と叫んだ。私も伏せた。そしてわざと一味と一緒に逮捕されたんだ。もちろん警察署で手錠は外され「お手柄です!」と称賛を浴びた。プロとして最高の満足を感じたねでも騙したので多くの敵も作りましたけどね(同上)

・このときの大捕物はニュースとなり、世界を駆け巡った。絵が奪還された1年後、方々のテロリストに絵を売ろうとしたカーヒルは、IRAに目を付けられ殺された。
・無事救出されたフェルメールの名画。その後、2008年に初来日を果たし、光り輝く世界に多くの人が魅了された。しかしその裏で一人の囮捜査官の執念の追跡があったことは殆ど知られていない。

<アポロ13号の奇跡>
・月を目指したその宇宙船は不吉な数字を運命づけられていた。アポロ13号、打ち上げ時刻は13時13分。そして打ち上げから3日目の4月13日。

(爆発音)

問題発生のもよう(アポロ13号)

もう一度言ってくれ(管制官)

ヒューストン、問題発生だ(アポロ13号)


・それは致命的な事故だった。月に到達する寸前、突然爆発。メインエンジンが使えなくなった。動くこともままならず、宇宙空間を漂い始めたアポロ13号。船内には3人の宇宙飛行士。絶体絶命の危機。それを救ったのは、あらゆる局面で死力を尽くした無名の人々だった。宇宙飛行士が生きて戻るまでの緊迫の87時間。一体何があったのか?
・テキサス州ヒューストンに人類の宇宙開発をリードしてきた施設がある。NASAジョンソンスペースセンター、この管制室こそアポロ13号を救うためのギリギリの闘いが行われた場所だ。
・あの日、グリン・ラニーもここにいた。その冷静沈着な仕事ぶりが評価され、フライトディレクターの一人に抜擢されていた。

大勢の人が何かを喚き、赤い警告灯がたくさん光っていました。何が起きたのか、原因は何なのか全く分からない状況で、とにかく対処に追われました(ラニー)

・誰もがパニックに陥る中、ラニーは大胆な救出プランを立てる。最初の難問はアポロを地球に戻すルート。既にアポロは月に接近していた。スタッフの大多数はアポロを反転させ、一刻も早く地球に戻すべきだと主張していた。

皆すごく感情的になっていて「今すぐ反転させろ、地球に帰らせろ!」と、もう分析も何も関係なかった。ですが私が専門のスタッフと冷静に検討してみると、アポロが反転して地球に帰るのは無理だと分かりました。というのも既に月の引力が強くて、それを振り切るのに必要なだけのパワーがアポロ13号にはもう残っていなかったんです(同上)

・だとすれば、どうする。残る可能性は1つしかなかった。予定通り月へ向かい裏側を回る周回ルート。距離は長くなるが月の引力で加速できるため、最小限のパワーで帰ることができる。うまくいく保証はないが、道はこれしかない。
・事故から53分後、月周回ルートが採用された。そしてラニーは宇宙飛行士に司令船から退避するよう指示を出す。アポロの中で絶対に守らなければならないのは司令船。地球に戻るとき、大気圏で焼けるような温度になっても耐えられるのは、この部分だけ。司令船の電力を温存する必要があった。だからラニーは宇宙飛行士たちを月着陸船に避難させたのだ。
・だがこのとき別の問題が。地球に戻る正しい軌道にアポロをどう乗せなければならない。月を回るとき船体は強い引力を受ける。正しい速度で正しい軌道を進まなければ、地球に到達することはできない。既に爆発によってアポロは本来の軌道から外れてしまっている。
・・この難問、意外な人物によって解決されることになる。システムエンジニアのポピー・ノースカット、当時26歳。テキサス大学で数学を専攻した彼女は管制室でただ一人の女性スタッフ。コンピューターを使い、正確な軌道を割り出すスペシャリストだった。事故の直後アポロの位置を知ったとき、困難を覚悟したという。

アポロは地球へ戻る軌道から完全に外れていて、あのままなら宇宙空間を漂い続ける運命よ(ノースカット)

・ポピーは直ちに計算を開始。最も早く効率的な軌道は何か。コンピューターに向き合い続けた。

コンピューターの記録紙の山よ、大量のね。大量の紙から軌道結果を見て誤差が生じた場合、原因をひたすら探るの。それは干し草の山の中から針1本探すような仕事なのよ(同上)

・そして深夜、計算の結果を報告した。

軌道は修正できる。その通りになる自信があったわ。ほんと「出来る」って感じだったの(同上)

・事故から5時間半後、月着陸船のエンジンが点火。軌道修正は成功した。

軌道修正がうまくいって、アポロは地球への帰還ルートに乗りました。いい兆候でした(ラニー)

・しかし前途は多難だった。この先、アポロを加速させる必要がある。頼みの綱は「アクエリアス」と名付けられた月着陸船。メインエンジンが使えない今、加速するにはアクエリアスのエンジンに頼るしかない。しかしそもそも月面着陸にしか使わない小さなエンジンだ。あと何回、最大何秒間噴射できるのか?管制室の誰にも分からなかった。
・そのとき動いたのが、延べ2万人のエンジニアたち。中でもアクエリアスを最もよく知る男がカリフォルニアからヒューストンに向かった。ドン・ハーヴィー。エンジン開発の現場で誰よりも苦労してきた男。

ヒューストンまで飛ぶ間、どんな最悪な事態が起こりえるか、ずっと考えていたよ。エンジンの全ての部品を思い浮かべて弱点はどこか、問題が起きるとしたらどこかってね(ハーヴィー)

・ハーヴィーは早速、仕事に取りかかる。

問題はエンジンの内側にある断熱シールドだった。何回の燃焼に耐えられるか、それが分からなかった。(同上)

・エンジンを点火するとき、その高熱からエンジンを守る断熱シールド。それがどこまで持つのか、ハーヴィーは全米のエンジニアたちと連絡を取り合い、情報を集めた。
・そして遂に決め手となる実験データが見つかった。エンジニアたちはNASAが求める以上に長い時間、燃焼したらどうなるか試していたのだ。

その実験のデータによると断熱シールドの限界は、約4分間だと判明したんだ(同上)

・ハーヴィーからNASAに結論が報告された。合計4分までなら噴射可能。その情報にかけた。加速、成功。
・だがこのとき全く別の問題で、宇宙飛行士の命は風前の灯火となっていた。二酸化炭素濃度が危険レベルに達していたのだ。アクエリアスは2人用の設計、そこに3人が乗ったために発生した問題だった。このままでは窒息の危険がある。そのとき一人の男が声をあげた。

「ちょっと待った。どうすればいいか知っているぞ」と私は言ったんです(マッティングリー)

・宇宙飛行士ケン・マッティングリー。実は彼はアポロ13号に乗っているはずの男だった。しかし打ち上げの2日前、風疹に感染した可能性があるとして突然、交代を命じられたのだ。

気落ちして自分を哀れんでいました(同上)

・あのときのことを思い出すと、胸が苦しくなるという。しかし事故のことを聞きつけ、居ても立ってもいられず管制室へと駆けつけていた。
・アクエリアスには二酸化炭素を一定量吸収できるカートリッジが取り付けられている。それが限界に達した。すぐに司令船のカートリッジを持ち込んだ。だが形が違い、アクエリアスの空気清浄機に入らなかった。マッティングリーはそのとき、ある訓練のことを思い出した。

以前、どのシミュレーションかは忘れたけど、二酸化炭素をどう除去すればいいのか訓練をやったことがある。誰か覚えていないか?確かこうだ!宇宙服には穴があってホースがついていて、ファンと繋げることができる。そのホースを使えばいいんじゃないか?やっただろうとね(同上)

・3年間、訓練し続けアポロ13号の特性を知り尽くしていたマッティングリーだからこそ気づいた方策だった。宇宙船の中にあるものでカートリッジを無理やり繋ぐ。四角いカートリッジ。空気を吸い込む場所を残しビニール袋で密閉。さらに宇宙服についているホースを使って空気清浄機に接続した。すると二酸化炭素の濃度は少しずつ下がっていった。
・出来ることは全てやった。そして事故82時間後、最後の難関がやってきた。大気圏突入、その角度で生死が分かれる。深い角度で進入すると落下スピードが上がりすぎ、高熱でアポロは船体ごと燃えてしまう。だが角度が浅すぎると大気圏に弾かれてしまう。そうなればもはやアポロは宇宙の彼方に消えるしかない。
・許される角度の幅は僅か2.4度。いよいよ大気圏突入。通信が途絶える。そして…12分後、アポロ13号が姿を現した。

聞こえるか?(アポロ13号)

メインモニターで見てるぞ。素晴らしい!管制室は拍手喝采だよ(管制官)


・世界中がその生還を喜んだ。まさに奇跡の生還劇。

私の頭からあの奇跡が消せないように、ミッションに取り組んでいた他の人たちも頭から消すことはできないでしょう。でも最後には全員、自分たちはやり遂げたぞと満足し、その場を後にしました。誰であるかは構いません。いくつかの場面で、どこかの時点で一人一人が重要でした(マッティングリー)

・87時間にも及ぶ救出作戦は、命のバトンをしっかりと繋いだ名もなきヒーローたちによって成し遂げられた。

(2017/1/21視聴・2017/1/21記)

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【NHKスペシャル】
「女たちの大震災~最新医療が迫る 体と心のリスク~」

(NHK総合・2017/1/17放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 私が感想で書こうと思っていたことを有働由美子アナウンサーが番組最後で言ってくれました。それは「災害は社会のひずみを浮き彫りにするということ」。全くその通りだと思います。

 付け加えていえば災害のときに一番弱い立場に追い込まれるのが、女性や高齢者、障害を持った人たちなどではないでしょうか。ですから今回のドキュメントのように震災時に女性の疾患の率が高くなったりするということは、想像に難くないことだと思います。

 しかしそれでも22年前の阪神・淡路大震災のときの血栓が今なお影響しているということは驚きでした。エコノミークラス症候群という言葉は広く認知されるようになってはいるものの、昨年の熊本地震でも多くの人が罹ってしまいました。日頃からの啓発がもっと必要だと痛感しましたね。ちなみに私は以前手術をしたときに弾性ストッキングを穿いたので、血栓予防というのは体で経験しました。

 これまで起きた災害から教訓を学び、そして今後避けては通れない災害が発生したときにどう弱い立場の人たちを守っていくのか。国や自治体の取り組みも必要ですが、私たち一人ひとりの意識を高めることも大切です。それは自分たちが常日頃から災害に備えて余力を持つことだと思います。

 微力ではありますが、私も熊本地震を契機に備蓄食料や水、簡易トイレ、避難用のテント、寝袋などライフラインが止まっても3日~1週間程度は持久戦ができるような備えをしました。消費期限を切らさないようにメンテナンスしながら、いざというとき自力で頑張れるようにしていきたいと思っています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・有働由美子アナウンサー(以下、有働氏):私たちを襲う巨大災害。災害時、男性に比べて女性の方がより深刻な影響を受けることが最新の研究で分かってきました。これまで見過ごされてきた女性の体と心のリスクに迫ります。
 1995年1月17日午前5時46分。6434人となった阪神・淡路大震災。30万人以上が避難生活を余儀無くされた未曽有の都市災害でした。
 地震の3日後から被災地に入った私が目にしたのは、過酷な状況に置かれた女性たちの姿でした。

もう生きてることだけで精一杯だったから、水とか食べ物とか今晩寝るところ…言いたいことがいっぱいあって、もう眠れなくて…(声を詰まらせる女性)

・有働氏:避難生活は被災した人たちにどのような影響を及ぼしたのか、詳しい実態が記された貴重な資料が残されていました。地震直後に体調を崩した3500人の入院記録。最新医学の分析で浮かび上がったのは、特に女性で高まる命を脅かすリスク。震災から22年経って初めて明らかになりました。
 地震直後の避難生活でできる血の塊・血栓。それが原因で当時多くの女性が深刻な病気を発症していました。発症のリスクは20年以上経っても続いています。当時、被災した女性の体から今も次々と血栓が見つかっています。

(血栓があるなんて)全然想像しなかった(22年前、被災した女性)

昔あった血栓が原因で急に悪くなって突然死を起こす。時限爆弾のように破裂する(血栓の専門家)

・有働氏:さらに女性が震災のストレスをより強く受けるメカニズムも分かってきました。ストレスをきっかけに分泌される、あるホルモン。脳にダメージを与え、心の病を引き起こすおそれがあると専門家は警鐘を鳴らしています。

ストレス反応が女性の方が高い。恐怖の記憶が強く残って、精神疾患になる(脳科学の専門家)

・有働氏:災害が相次ぐ日本。女性を取り巻く過酷な現実は今も変わっていません。阪神・淡路大震災から22年、初めて明らかになった女性のリスクに迫り対策を探ります。

<注目した「性差医療」という新しい分野>
・有働氏:阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた港町・神戸。22年前に私はここ神戸港で被災した人たちを取材しました。誰もが過酷な状況に置かれたわけですけども、とりわけ印象的だったのが、たくさんの荷物を抱えて子どもの手をしっかり握って必死に歩く母親の姿でした。被災した女性たちはその後、どうなったのか。今回の取材で意外なことが分かってきました。
 注目したのは「性差医療」という新しい分野です。これまでの医学は主に成人男性を基準としてしましたが、この性差医療では男女の体の違いに目を向けて病気のメカニズムを解明。性別に応じた病気の治療法や予防法を見出そうとしています。こうした視点で取材を進めていきますと、災害時には女性の方が体や心のリスクが高まるということが見えてきたんです。

<性差医療が解明 “脳卒中”のリスク>
・阪神・淡路大震災の被災者およそ3500人の入院記録。地震直後、避難所から95の医療機関に搬送された人などの具体的な状況が記されている。
・混乱した避難生活の中で突然現れた命を脅かす症状。震災が被災者の体に及ぼした影響が分かる貴重な資料だ。これを分析すると、災害時は男性より女性のリスクが高まる脳や心臓の病気があることが分かってきた。
・今回、入院記録を分析した熊本大学大学院の河野宏明教授。脳や心臓の病気の男女差を研究し、災害の対策に生かそうとしている。

(災害の女性への影響は)殆ど解明されていない。女性の疾患の特徴を解明することが将来的にはその疾患の予防につながる(河野氏)

・河野氏は女性にある病気が目立っていたことに気づいた。脳の血管の障害で起きる脳卒中、通常は男性の方が多く発症する病気だ。ところが河野氏の分析では、震災後の発症率は男性が1.3倍だったのに対し、女性は1.8倍に伸びていた。女性の方がより伸びたのは、これまでの医学では考えがたいという。

非常にびっくりした。女性が格段に伸びたということは、女性の方にそういう影響、ストレス的な影響、地震の精神的な影響が大きく現れた(同上)

・なぜ女性の脳卒中が増えたのは。河野氏は避難生活のストレスによって血圧が急激に上昇したのではないかとみている。強いストレスを受けると、全身の血管に張り付いている交感神経が活性化される。すると血管が締めつけられ血圧が上昇。それが続き脳の血管が破れると脳卒中につながる。
・最近の海外の研究では、この血圧の上昇率には性別によって違いがあることが指摘され始めている。ストレスを受けたときどのぐらい血圧が上がるか。男女の違いを調べたグラフによると、ストレスで交感神経が活性化されるにつれて女性の方が男性より血圧が上昇しやすい結果となっていた。血圧の上昇の違いによって、より女性に脳卒中が増加すると河野氏は考えている。
・震災後、脳卒中で亡くなった大畑ミドリさん(当時52歳)。避難所から病院に搬送されたとき血圧の値は200を超えていた。家族4人で身を寄せた避難所は最大3000人が詰めかけ、ライフラインが途絶えた過酷な状況だった。
・夫はガスの復旧工事で忙しく、大畑さんが一人で家族を支えていた。当時、高校1年生だった娘の知子さん。地震から3か月後、母親に異変が起きたという。

いきなり鼻血がどっと出てきて、なかなか止まらなくて、怖いな、何やろって。「きょう、ちょっと頭痛いねん」みたいな感じやったので(知子さん)

・それから1か月後、母親は避難所で突然意識を失い、搬送先の病院で息を引き取った。子どもたちを不安にさせないよう気丈に振る舞っていた母親。声をあげられずストレスを溜め込んでいたではないかと、知子さんは考えている。

自分がしんどくても何しても子どものために愚痴ひとつ言わないし、文句も言わないし。あのときも全然言わなかった。「地震で助かりました。今から頑張っていこう」ってみんなで言っているのに「はい、死にました」みたいなね。何やったんやろうとって今思いますね(同上)

<命を脅かす“血栓” 22年続くリスク>
・3500人の入院記録から明らかになった、女性で高まる脳卒中のリスク。記録の分析を進めると、女性の命を脅かすもう一つの深刻なリスクが見えてきた。血管にできる血の塊・血栓。災害時の血栓が体に及ぼす影響について長年研究してきた新潟大学病院の榛沢和彦医師。

これ怪しい。呼吸困難、吐き気出現、入院、女性(榛沢氏)

・榛沢氏の分析では、血栓が原因で病気になった疑いがある人は男性38人に対し女性52人。女性が男性を上回っていた。榛沢氏によると、女性の方が避難所で運動不足になったりトイレを我慢し水分を控えたりする傾向があるため、血栓ができやすいという。血栓はエコノミークラス症候群など命に関わる病気につながると警鐘を鳴らしている。

血栓が原因で急に悪くなって、突然死を起こす。女性にやっぱり一番、災害後は起きやすい(同上)

・当時、血栓の疑いがあった52人の女性。そのうちの一人が取材に応じてくれた。神戸市で被災した安川孝子さん。22年前の地震の後で突然倒れ入院した。

倒れたときのことってね、あまり覚えてないのね。ずーっと血が引くような感じでね(安川さん)

・安川さんの入院記録。地震から11日後、突然胸の痛みを訴え意識を失っていた。診断は肺塞栓症いわゆるエコノミークラス症候群だった。家族6人で車中泊をしていた安川さん。トイレの回数を減らそうと、水分を控えていた。
・血管にできる血の塊・血栓。避難生活では特に足にできやすいと言われている。血栓が剥がれると血管を通って体内を移動。全身を巡り、細い血管で詰まると血流が止まって細胞が壊死する。血栓は肺の血管で詰まるエコノミークラス症候群や心筋梗塞などにつながり、命を脅かすおそれがある。
・血栓のリスクは阪神・淡路大震災から22年経った今も続いているのではないか。神戸で調査が始まっている。地震直後、血栓が原因で倒れた安川さんも調査に協力した。この22年、血栓の検査を受けたことはない。
・左足に血栓が見つかった。長さは5cm、血管から剥がれかけていた。

こんなにいっぱい見つかるとは思わなかった。すぐには心配ないけど昔、1回そういうことがあったから(病気に)ならないとは限らないから、一応血液けんさをして1回病院に行ってもらったほうがいい(榛沢氏)

・安川はその後、病院で詳しい検査を受けることになった。

びっくりしているわね。ああいう風に見せてもらったことないからね。私だけ何で(安川さん)

・実は血栓は一度できるとその後もできやすくなることが分かっている。血栓があった場所には痕が残る。すると血液が固まりやすくなり、繰り返しできる場合がある。
・榛沢氏は2004年に発生した新潟県中越地震の被災者を毎年調査してきた。血栓が見つかった女性の割合は全国平均と比べると約2倍の水準で続いていた。地震から長い時間が経っても女性のリスクは続くと榛沢氏は考えている。

一度(血栓が)できると、長々と消えずに残る。治療しても、またできてしまうことが分かってきた。(血栓が)暴れる。時限爆弾のように急に破裂する。大きくなって肺に飛んでしまう、脳梗塞を起こすことはありうる(榛沢氏)

・この日、検査を受けた女性21人のうち足の血栓が見つかったのは8人。被災していない地域の同じ年代の女性に比べ2倍の多さだった。

今回サンプル調査というか限られた人数でしかできなかったので、もう少し大人数でやらないと分からないが(血栓が)消えていなかったり、消えてもまたできた人がかなりいる可能性がある。そういう人たちは、今後新たな病気にならないように、啓発しながら検査をしていく必要がある(同上)

・3500人の入院記録から地震直後に血栓があった女性は、被災地全体で1万人に上っていたと榛沢氏は推計している。震災から22年、女性の体に潜むリスクに今ようやく目が向けられている。
・有働氏:地震直後にできた血栓がまるで時限爆弾のように長年残ってしまう。これは女性にとってとても怖いことです。実際、血栓によってエコノミークラス症候群になった女性は去年の熊本地震でも相次ぎました。熊本県によると入院に必要と判断された54人のうち、なんと42人が女性でした。震災のときに多くの女性に血栓ができてしまう。その現実は今も変わっていません。
 その対策なんですけれども、まずは震災直後の女性のストレスが減るように避難環境を改善することです。そして私たちにも手軽にできることがあります。日本循環器学会は足首のストレッチや、こまめに水分を摂ることを勧めています。また弾性ストッキングは血行をよくして血栓を防ぐことができます。こうした対策は足に血栓がある人でも改善する効果があるんです。

<「今も眠れない」“心”に なにが>
・有働氏:震災が女性にもたらす長期的な影響は、体だけでなく心にも及んでいます。震災のストレスが特に女性の心をむしばむ詳細なメカニズムが最新の研究で解明されてきました。
・NHKが被災した人を対象に実施してきたアンケート。この20年、延べ1万人以上の男女の声を聞き続けてきた。今も癒えぬ悲しみ、不安の声などが記されている。

「20年経った今も夜中突然に思い出し涙する」

・このアンケートを男女の違いで見ると顕著に表れる、ある傾向があった。多くの女性が震災を思い出し、夜眠れないと答えていた。
・3年前のアンケートで「眠れないことがある」と答えた男性は51%、女性は55%だった。これに対し20年目のアンケートでは男性36%、女性47%だった。女性の方が減り幅が小さく、眠れない症状が長く続く傾向が初めて見えてきた。
・アンケートで「眠れない」と答えた大利利佳さん。大利さんが育った町は地震で大きな被害を受けた。

ちょうど自転車で見に来た。2階の所に火が出ているのと、すすで黒くなって潰れて火が出て(大利さん)

・町が復興した今でも、近くを歩いただけで当時の光景が思い出されるという。

怖いとかそういう思いが、景色とか風景とか空気感とか、そういったものでフラッシュバックされるじゃないですけども、出てきます。そういったときに眠れなくなっていく。心の中のずっと自分の中に一番、常に基本のところに震災がこびりついている(同上)

・女性に眠れない症状が長く続く背景には何があるのか、最新の研究で明らかになってきている。脳とストレスの関係を研究している国立精神・神経医療研究センターの功刀浩研究部長。不眠は心の病の症状としてよくみられるという。

簡単に言うと不眠というのは、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)によくみられますので(災害時には)過度に強いストレス反応が起きて、それが心の病気にまで至ってしまう(功刀氏)

・功刀氏が原因の一つとして指摘するのは、コルチゾールというホルモンの影響。ストレスを感じたときに分泌されるホルモン・コルチゾール。過剰な状態が続くと脳にダメージを与えてしまうことがある。そのため通常、視床下部などから指令が出てコルチゾールは減る。
・しかし女性では男性に比べ、この減らす働きが弱いと考えられている。女性ホルモンは視床下部に作用し、コルチゾールを減らす働きを弱める。災害時のようにストレスを繰り返し感じるとコルチゾールを十分に減らせず、過剰な状態が続く傾向がある。その結果、脳がダメージを受けやすくなり、うつ病など心の病になるリスクが高まると考えられている。

(女性は)被害が大きければ、ストレスホルモン系の反応も強いし長続きする。そうなると脳も含めてダメージが大きい。長期的に(不眠の)症状が続いている(功刀氏)

・不眠が長引き、治療を受け続けている人がいる。浅井鈴子さんは22年経った今も、睡眠薬を服用しなければ眠ることができない。浅井さんは当時小学5年生だった娘の亜希子さんを亡くした。
・あの日、浅井さんの家は倒壊。隣で寝ていた亜希子さんとともに下敷きとなった。暗闇の中で唯一感じたのは、僅かに触れる我が子の指先。今でも夜になると、救えなかった娘への思いが込み上げてくるという。

どうして私が生き残って、あなたはだめだったの。同じ条件だったのに、あの時間帯が埋まっていて、娘とどういう会話をして娘とどういう動作をしたかということが繰り返し頭の中をよぎるから寝られなくなる(浅井さん)

・長年、神戸で心のケアにあたってきた医師は今も多くの女性が心に傷を抱えていると指摘する。

一見、心の傷は癒されたかに見えても、奥底のところでは何かきっかけがあるとまたよみがえるということが結局、22年経っても続いている(神戸赤十字病院の村上典子医師)

・震災から22年。最新の医学によって明らかになってきた女性の心のリスク。
・有働氏:私はこれまで阪神・淡路大震災だけではなく、その後の震災の現場でも過酷な状況の中でとにかく気丈に振る舞う女性の姿をたくさん見てきました。でも今回あらためて女性というのは心の傷を抱え込んでしまって、しかもそれが震災後も長く続いてしまうということをはっきりと分かりました。こうしたことを、これから被災した女性たちを支えるために役立てていかなければいけないと思いました。

<「声をあげられない」見過ごされた妊婦>
・有働氏:阪神・淡路大震災では女性の中でも特に厳しい立場に置かれた人たちがいました。新たな生命を宿した妊婦さんです。災害弱者である妊婦が支援を求める声すらあげられなかった実態が見えてきました。
・地震直後、多くの妊婦を診察した大橋正伸医師。あのとき妊婦の体に何が起きていたのか。

阪神・淡路大震災のときに妊産婦さんに対して行いましたアンケート調査の資料です(大橋氏)

・大橋氏は当時の妊婦の被災状況や健康状態、出産について大規模な調査を行った。

(自宅の)被害は一部損壊。(震災後に)医師から異常を指摘されています(同上)

・被害の大きい地域にいた妊婦256人のうち46人が流産や死産を経験していた。さらに被災地とその周辺では、18%にあたる1000人近くが流産の一歩手前の切迫流産など危機にさらされていた。

一般の状態での妊婦健診よりはるかに高い数字だと思います。寒さ、不十分な食事、偏った食事、狭い環境、座りっぱなしの生活、総合的なストレスが影響したと思う(同上)

・妊婦はどのような状況に置かれていたのか。妊娠7週で被災した小野さゆりさん。当時避難した体育館、自宅が半壊したため家族とともに身を寄せた。真冬の避難所、小野さんは寒さで夜も眠れなかった。しかし毛布や食料などの物資は子どもや高齢者が優先され、十分に行き渡らなかった。小野さんは流産を心配したが、お腹が大きくなかったため声を上げられなかった。

私も言える状況じゃなかった。「本当に妊娠しているのかな」みたいに思われるのと「食べ物が欲しいからお腹におると言うのと違うか」そう思われたくない(小野さん)

・地震の1週間後、突然出血が始まる。救急車が来なかったため周りの助けを借りて病院に向かった。診断は切迫流産、避難所に戻ればお腹の子の命は保障できないと言われた。その後、親戚の家に身を寄せ何とか出産することができた。

もしもあのまま流産していたら「この子はいないんだ」と成長の中で思っていました。本当に怖いです。ぞっとします(同上)

・声を上げられず大きなストレスを受けた妊婦たち。災害時にどのように支えていけばいいのか。東日本大震災の被災地では医師による新たな取り組みが始まっている。宮城県の妊婦9000人余りを対象に生まれた子どもの発育を定期的に調査。妊婦のストレスを減らすための、より効果的な支援を見い出そうとしている。

阪神大震災のときには十分なことができなかったかもしれませんが、妊産婦の胎児への影響を明らかにして今後の災害のケアにつなげられればいいなと考えています(東北大学病院産科の西郡秀和医師)

・有働氏:妊婦さんという最もケアされるべき女性が声すら上げられない。同じ女性として、人として本当に切ない気持ちになります。

<届かない声 今も変わらぬ現実>
・有働氏:22年経ってこうした女性特有のリスクがようやく明らかになってきた一方で、女性が声を上げづらいという課題は残されたままです。私たちは去年、熊本地震でこの課題と再び向き合うことになりました。
・熊本地震では18万人余りが避難生活を余儀無くされた。3歳と6歳の息子を連れて避難所での生活を1か月間、続けた母親。子どもの世話と周囲への気遣いで次第に追い詰められていったという。

(避難所の中で)子どもを迷惑かけないように追いかけ回すことに一生懸命で。「お母さんがちゃんと見ていてくださいよ」と言われて「そんなずっと見ていられないから」と思うんですけど「すみません」と言って(避難所にいた母親)

・余震が相次ぐ中、3か月間、車中泊を続けた女性もいた。4歳の息子がいる母親。親子ともに体調を崩したが、周りに助けを求めることはできなかった。

全然周りの状況が掴めないから、どうなっているのかも分からないので。熱なんかで病院にかかって、医療チームの手を止めるのはいかがなものか。子どもにも手元にあった熱さましとか飲ませて我慢させたり、自分自身も持っていた熱さまし飲んで我慢したりとか、かなり多かった(車中泊していた母親)

<声をどう生かす 熊本の被災地では…>
・人知れず痛みを抱え、声を上げられない女性たちが今なおいる現実。その一方で熊本では女性の声を取り入れ、災害を乗り越えようとした動きもあった。益城町の避難所でリーダー役を4か月間務めた、主婦の吉村静代さん。これまで家庭を支えながら自主防災組織の代表として、長年活動してきた。
・地震翌日の避難所は最大400人が詰めかけ、足の踏み場もないような状態だった。少しでもストレスなく過ごせる場にしようと考えた吉村さん。プライバシーを確保できるカーテン、体への負担が少ない段ボールベッドも取り入れた。更に避難所の人たちが互いに悩みを相談できるスペース、母親が子どもを安心して遊ばせておける場所も設けた。
・吉村さんが大事にしたのは「ふだんの生活に少しでも近づけたい」という女性の声だった。どう生かされたのか、当時一緒に避難生活を送って人たちに話を伺った。

(こうすると上手くいくよというのはありますか?)
基本的には日常に帰ることが一番でしょうね。自分が好きな形で生活したいなと思っていたから、ただひたすらその辺をずっとやっていたのが日常だったわけですよね。その日常が皆さんにとっても日常だったわけだから(吉村さん)

・女性たちが口にしたのは「少しでも日常を取り戻したい」というささやかな願いだった。

吉村さんが「できることをすればいいですよ」と言うわけですね。隣のおばあちゃんが、お花の世話をしていたんですよ。だから私は水係じゃないけど、お手伝いして(水を)運んであげるのが私の仕事。(女性)

何人かで、きょうこれが入ったから何作ろうかって。それで料理を作ってみんなに分けてあげる(別の女性)

まさに「主役は私たちなんですよ。避難所の中では」と言いたいですね(吉村さん)

・有働氏:女性が声を上げやすい環境をつくることが、ストレスを減らし体と心を守ることにつながるのではないかと感じました。

<国・自治体で進められている取り組み>
・今、各地の自治体は女性の視点を生かして災害に備えようとしている。避難所をつくる訓練では、着替えや授乳のスペースを設けるなど女性のニーズを取り入れている。
・妊婦と小さな子どもを守る取り組みも進められている。国は先月「リエゾン」という災害時に活動する医師の育成に乗り出した。リエゾンは避難所などにいる妊婦と子どもの状況を迅速に把握し、行政や病院からの支援に繋げる。

地域の女性、妊産婦さん、子どもたち、彼らの命をより多く救うための大きな手がかり、足がかりになると期待している(厚生労働省 緊急・周産期医療等対策室の松本陽子専門官)

・女性の命を守るための模索が続いている。

・有働氏:阪神・淡路大震災から22年。今、改めて思うのは災害は社会のひずみを浮き彫りにするということです。声を上げることさえ遠慮していた女性たちの多くは忘れられません。
 災害のときに一人でも多くの命を守るために女性の痛みを、声を見過ごさない社会を目指すことが次の災害への備えに繋がるのではないか。私はそう思います。

(2017/1/21視聴・2017/1/21記)

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【ドキュメント72時間】なぜか大宮 喫茶店は待っている

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【ドキュメント72時間】
「なぜか大宮 喫茶店は待っている」

(NHK総合・2017/1/20放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 こういう個性的な喫茶店やレストラン大好きです。大宮駅近くにある「伯爵邸」というお店らしいです。

 ちなみにナレーションでは「純喫茶」と言っていましたが、これは日本語を知らない誤用ですね。純喫茶というのは「お酒を扱わない喫茶店」のことを指すので、このお店は(メニュー表に酒類がありましたから)純喫茶ではありません。

 ちょっと置物の黄ばみ具合(ヤニ?)とか映っている人たちの喫煙率が高いのを観て、煙草が嫌いな私としてはそれが気になるところではありますが、それを差し引いても行ってみたい魅力的なお店です。実は偶然にも今月末に大宮に行く機会がありますので、大行列でも出来ていない限り是非寄ってみる予定です(そのときは記事を追記したいですね)。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・そのお店を一言で表現するのは正直、ちょっと難しい。一見レトロな純喫茶。でも店に並ぶのは、奇妙な骨董品になぜか蛇。
・メニューも全てドカ盛りで、なんと300種類以上。24時間眠らない、何でもありのこのお店。集まる人たちも皆、どこか開放的。
・ちょっとカオスな異空間に3日間潜入してみた。
・お店の最寄駅は埼玉の大宮。首都圏と地方を結ぶ14もの路線が乗り入れる。駅前もどこか都会のような、地方のような。
・よく見るチェーン店が並ぶ通りから一歩裏に入ると、個性的なオーラを放つ建物が。

・12月2日(金)13時。結構にぎわっている。
・まったりお茶をするカップル。埼玉出身の2人は新婚夫婦。パチンコ店勤務29歳男性の36歳女性。今日は電車で30分かけて東京でデートしてきたみたいだけど。地元の人にはこの雰囲気がたまらなく落ち着くみたい。
・「モナ・リザ」の下で一人、パンケーキを味わう女性がいた。学生時代からの常連の41歳女性。でもこのケーキを食べるのは10年ぶりだという。末期がんの母親を看取り、介護の疲れで体を壊した彼女。最近まで車椅子生活を送っていたという。やっと回復し、今日は検査の帰り道。ご褒美に食べたくなったのが、昔から大好きなこの味だった。
・客のリクエストに応えるうちメニューは増え続け、今では300種類以上。何でも受け入れるこの場所で、みな自由に心を羽ばたかせる。
・パイプを燻らせる文具店主の70代男性。
・温熱療法士の30代男性はスプーン曲げを披露する。
・19時13分。大宮の街が賑わってきた。お店にも仕事帰りの人たちが。席に着くなり熱心に本を読み始めた男性がいた。農業機械メーカー勤務の36歳男性。鞄には埼玉の本がどっさり。図書館で借りて持ち歩いている。埼玉県主催のクイズ大会で前回優勝したという。子どもの頃は何の特徴もない平凡な街だと思っていた埼玉。でも就職してから気持ちに変化が生まれたという。クイズ大会は1か月後、カツ丼で英気を養う。
・1時25分。深夜も人は途切れない。賑わう店内をぼんやり眺める47歳男性。忘年会帰りで電車がなくなってしまった。シングルマザーのお母さんを支えるため20歳で就職。ずっと家計を担ってきたけど、時々ここで一人の夜を過ごすんだそう。人には言えない色んな思いを、店の喧騒が優しく包む。

・12月3日(土)8時24分。朝の人気はホカホカのうどんセット。
・ちょっと強面の54歳男性。仕事は「軌道工」(鉄道レール保守)。お腹を満たしてこれからパチンコなんだとか。
・11時30分。語り合う男女の姿。システムエンジニアの25歳男性と24歳女性。SNSで知り合って初めて会ったという。鹿児島の離島出身だという彼女。近所に友達が欲しくてネットを通じて彼と知り合ったという。一旦実家に帰って体調を崩したお母さんに代わって家族の面倒を見ていたらしい。ようやく持ち直したので、今は埼玉で就職活動中。
・各地から人が集う週末の喫茶店。多彩な人生が行き交うターミナル。
・川崎と群馬それぞれから来た女性2人。中間地点のこの店で待ち合わせ。オムライスで再会を祝う。
・高校時代からのスキー仲間の集まり。当時は急行列車で来たという。
・店員たちも各国からここに辿り着いた。ネパール出身のウェイターに、店長は67歳で沖縄出身。料理人は54歳のインド出身。いろいろな物や人を受け入れて、店のカオスは増していく。
・2時21分。男性が一人でやって来た。サッカー観戦の帰りだという。試合に負けてモヤモヤし、この時間まで街を歩き続けていた。介護関係の39歳、職場での人間関係に悩み休職中らしい。数年にわたり外出も難しかったけど、今日は思い切って出かけてきた。久しぶりにスタジアムの歓声に包まれて昔の思いが蘇ったそう。少しは気分転換になったかな?

・12月4日(日)6時3分。夜が明ける頃、店は始発を待つ人たちでけだるい雰囲気。
・賑やかな5人組がやって来た。朝からちょっとテンション高め。深夜営業のバーで働く仲間たち。仕事帰りにいつもみんなで立ち寄るそう。ママが女性であとはニューハーフだという。20歳の頃から頑張ってきたけど心機一転、埼玉へ。競争の激しい銀座では、しんどい日々が続いていたという。27歳のママはもともとキャバクラ嬢。店を始めてから稼ぎは減ったけど、大切なことに気がついたという。いろいろあって辿り着いたこの土地。ありのままの自分で生きていく。
・スナックを始めたばかりの母娘。ママは45歳、娘は24歳。
・二人とも独身だという53歳の男性。40年来の幼なじみ。

・12月5日(月)9時5分。
・喫茶店は今日も待っている。

(2017/1/22視聴・2017/1/22記)

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【岩合光昭の世界ネコ歩き】シンガポール

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【岩合光昭の世界ネコ歩き】
「シンガポール」

(NHK・BSプレミアム・2017/1/20放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/nekoaruki/

<感想>

 今年最初の「世界ネコ歩き」。シンガポールということで、いきなりネコとマーライオンはちょっとベタ過ぎるかなと思いましたが、それでも愛らしいネコたちがたくさん登場して楽しい1時間でした。

 特に圧巻!だったのは「チャンペダ」。名前の由来はジャックフルーツという日本ではあまり馴染みのない果物ですね。日本国内では缶詰やドライフルーツ以外に入手が難しそうです。


ジャックフルーツ 50g 海外認定品 化学肥料・化学農薬不使用 商品取り寄せのため、在庫確認後ご連絡いたします。長期欠品の際はキャンセルさせていただく場合がございます。

 その果物に負けないぐらいのビッグサイズのネコ「チャンペダ」。岩合さんの番組を毎回観ている方で覚えていらっしゃるでしょうか。「イスタンブール」の香辛料屋さんに通う茶トラネコの「サフラン」。そのネコに匹敵するほどの大きさに惚れてしました(チャンペダはオスかメスか、番組では触れられていませんでしたが)。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・ネコとマーライオン。場所はシンガポール。ネコの名前はコーラ。ご主人の肩の上に上手に乗っている。

・チャイナタウンの朝。まだお店は開いていない。雨が降る中、軒下で雨宿りしている茶白のネコ。
・男性がやって来て店を開け始めた。準備が終わったところで甘えて撫でてもらい、まったりしている様子。
・オスネコのミミ。5年前ふらりと現れて、それから来るようになったんだとか。
・甘えた後はチャイナタウンをパトロール。

・柱の陰でキジトラのネコが昼寝している。名前はタイガー、お寺を縄張りにしているオスネコ。
・そこへミミがやって来た。2匹の間には微妙な距離感が。ミミが近寄るとタイガーが遠慮して居なくなってしまった。
・ミミが口を開けて寝ている。勝者の余裕か?

・黒い子ネコ。礼拝を呼びかけるアザーンが聞こえてくる。場所はカンポン・グラム、マレー系の人が集まる地区。
・道路脇の穴を出入りするネコ。次は駐車してあるオートバイのシートの上で寛ぐ。

・黒白のネコ2匹、きょうだいのようだ。母親は三毛猫で、子ネコたちをしっかりと見守っている。
・子ネコの1匹がしきりにカメラの前で遊び始める。岩合さんのズボンにじゃれてきた。
・今度は民家の壁によじ登ろうとして靴が置いてある棚を倒してしまった。

・チャイナタウンの昼下がり。お寺にいる黒白ネコ。人だかりが気になって近づいていく。おじさんたちは中国将棋に夢中になっている。その近くでリラックスしているネコ。すると、おじさんから鶏肉を貰い夢中で食べる。

・彫像がいっぱいのヒンドゥー教寺院。リトル・インディアの夕方。この街にもネコがいる。インドレストランの室外機の上にもネコが。さらに屋根にもいる。
・屋根の上や室外機の周りにたくさんネコがいる。

・海辺にいる大きなネコ。圧倒的な存在感がある。南国の青い海、潮風に波の音。観光客がたくさん来ても動じない。
・女性がやって来て撫で始めた。ネコの名前を聞くとチャンペダと答える。ジャックフルーツという意味の名前だという。ジャックフルーツは重さが40~50kgにもなる南国の果物。

・セント・ジョンズ島はシンガポール本島から船で15分。海水浴や釣りができる小さな島。
・島の暮らしの中にもネコがいる。ネコと人、ゆったりとした時間が流れる。ご主人に撫でてもらって、甘え上手にしているネコ。
・20匹ほどのネコがいる家。日中は35度を超えるというので、みんな日陰に入っている。
・急に土砂降りの雨が降ってきた。みんなで雨宿り。

・雨が上がった。砂浜を歩くチャンペダ、やはり大きい。
・桟橋の下が住み処のようだ。
・黒ネコと一緒に水を飲み、毛づくろいもしてもらう。
・そして桟橋の指定席でくつろぐチャンペダ。

(2017/1/23視聴・2017/1/23記)

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【ブラタモリ】#60 こんぴらさん~人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?~

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【ブラタモリ】
「#60 こんぴらさん~人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?~」

(NHK総合・2017/1/21放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 金刀比羅宮(こんぴらさん)の長い階段の話はもちろん知っていましたが、まさか参詣者のための鉄道路線が4つもあったという話は初めて知りましたし凄いですね。今でもJRと琴電と2路線もあり十分便利ではありますが、ある意味で伊勢神宮や出雲大社よりもアクセス的に便利だったのかもしれません。

 そしてもう一つビックリしたのが「流し樽」の奉納方法。海に流せば誰かがこんぴらさんに届けてくれるという、そのアバウトさ(失礼)が面白い。途中でネコババする人も少ないのでしょうね。

 四国行きたいなぁ…東京駅から「サンライズ瀬戸」という寝台特急がまだ残っているので、それで瀬戸大橋を渡って是非訪問したいです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・スタート地点は「こんぴらさん」の参道。正式名称は金刀比羅宮。785段の階段を登って本宮を目指す。
・お題は「人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?」
・案内人は、こんぴらさんの歴史を研究して30年。徳島文理大学准教授(近世史)の丸尾寛さん。
・江戸時代のこんぴらさんを描いた屏風(「金毘羅祭礼図屏風」)。当時、日本で最も人が訪れた神社の一つ、全国からの参拝客で賑わった様子が描かれている。

・まず一行は境内の入口、大門へ。ここから先は神域となる。
・境内での商売を特別に許されているのが五人百姓。鎌倉時代から飴だけを売り続けている。そしてこの飴こそが、こんぴらさんへの参拝が全国に広がったことと深く関係している。飴を専用の金具で割って皆で分けて食べるという習慣があり、クチコミでこんぴらさんが広がったという。
・また江戸時代、こんぴらさんの信仰を広めたのは瀬戸内海の船乗りたちだった。優れた航海技術を持ち、日本海と江戸、大坂と結ぶ西回り航路で活躍。江戸時代の物流を一手に担い、行く先々でこんぴらさんの御利益を広めた。

・出迎えてくれたのは、金刀比羅宮権宮司の琴陵泰裕さん。琴陵家は代々、こんぴらさんの宮司を務めてきた。
・各地からの奉納品が収められている蔵(金毘羅庶民信仰資料収蔵庫)の中に特別の許可を得て入る一行。
・海に樽を流す江戸時代からの奉納「流し樽」こそ、船乗りたちの信仰の証拠。直接お参りできない船乗りが酒や賽銭を樽に入れて瀬戸内海に流した。樽を流した人も樽を届けた人もどちらも願いが叶うと伝えられる。

・再び石段を上り始めた一行。直角に曲がって遠回りするようなルートとなっているが、江戸時代の中頃につくられた道。始めは真っ直ぐ道が通っていたが、こんぴらさんの人気が高まるにつれ奉納品が収まらないほど増えた。そこで新たに置くスペースをつくったという。

・いよいよ本宮への最後の石段を上り参拝する一行。
・続いて展望台へ行くと前回「さぬきうどん」の回(→#59 さぬきうどん~なぜ“さぬきうどん”は名物になった?~)で案内してくれた香川大学教授(応用地質学)の長谷川修一さんが再び登場。
・こんぴらさんのある象頭山(標高538m)は周りに高い山がない上、形が独特なので航海の目印となり、船乗りの信仰を集めた。
・メサとは柔らかい地質の上にかたい別の地質が水平に乗った地形。象頭山もかつてはメサだった。大昔この場所には花崗岩で出来た窪地があったと考えられる。
・1400万年前、周辺で噴火が起こりかたい安山岩質のマグマが窪地に溜まった。その後、徐々に花崗岩は風化。上に安山岩が水平に乗ったメサになった。さらにその後の風化などで形が崩れ、現在のような不完全なメサ「象頭山」ができた。

・一行は本宮の横にある建物の裏へ。本宮があるのは花崗岩の一番高い場所。傾斜が緩く建物が建てやすい上、海からもよく見えるまさに頃合いのいい場所となっている。

・続いて一行は東へ1kmほどの門前町へ。
・以前「出雲」の回(→#15 出雲~出雲はなぜ日本有数の観光地となった?~)でもやっていた富くじ。江戸時代、こんぴらさんでも盛んに行われていた。
・次の案内人は江戸時代の芸能に詳しい、お茶の水女子大学教授(芸能文化史)の神田由築さん。
・旧金毘羅大芝居(金丸座)。現存する日本最古の芝居小屋。天保6年(1835年9建築。建てられた当初から富くじの抽選が行われていた。
・こんぴらさんの富くじで注目すべきは、その頻度。出雲が年2回だったのに比べ、こんぴらさんは月2回。
・舞台で行われる歌舞伎も人気だった。枡席は1マス4人も入ったという。彼らの目当ては江戸や大坂で活躍する役者。そして何といっても当時最先端の舞台装置だった。

・続いて一行は北へ1kmほどの住宅街へ。
・次の案内人は地元香川の鉄道を30年研究してきた石川茂行さん。中でも廃線跡をこよなく愛する「廃鉄」だという。
・上にJR、下に琴電が走る立体交差。実はかつてもう一つ、坂出と琴平を結ぶ鉄道があった。昭和5年開業の琴平急行電鉄。「琴急」の愛称で親しまれたが昭和19年休止。
・現在、琴平郵便局がある場所に琴急の琴平駅があった。
・当時の写真を見ると、もう一つ駅のような痕跡がある。丸亀や坂出と琴平を結ぶ4本目の鉄道、琴平参宮電鉄(琴参・大正11年開業)があった。
・香川の主な港から4つも鉄道が引かれたことで、ますます人はこんぴらさんを目指すようになった。

(2017/1/23視聴・2017/1/23記)

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