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【空から日本を見てみよう+】新潟県妙高高原~上越

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【空から日本を見てみよう+】
「新潟県妙高高原~上越」

(BSジャパン・2016/12/20放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 先週~今週と新潟県内を巡る内容ですが、新潟といえば糸魚川の大火が起きたばかり。糸魚川は旅行で立ち寄ったことがあるものの町を散策したことはありませんでした。映像で観る限り、雪国特有の雁木が建ち並ぶ光景でした。それも延焼が大きくなった要因の一つと推察しますが、非常に複雑な心境です。被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

 さて今回の番組の中で一番印象に残った現役最古の映画館「高田世界館」。ぜひ行ってみたいと思いつつ、どんな映画を上演しているのか調べてみたところ、この記事を書いている時点で私が今年観た作品ナンバーワンと思っている「この世界の片隅に」(→感想はこちら)を上演しているとのこと。非常にうれしいですね。

 ちなみにこの映画はもう一度観たいと思っているのですが、東京から北陸新幹線を乗り継いで高田まではちょっと厳しいなあ、行きたいけど(苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<新潟県妙高市周辺>
・人口:32,959人(県18位)面積:445.63平方キロメートル(県12位)(2016年4月1日現在)
・ニホンライチョウの最北端の生息地。
・燕温泉。5軒の旅館と2軒の土産物屋がある。露天風呂が2つある。黄金の湯(11月下旬~4月下旬まで閉鎖)、河原の湯(11月上旬~5月下旬まで閉鎖)がある。
・苗名滝。落差55m、柱状節理の玄武岩壁から水が流れ落ちる。
・アパリゾート上越妙高。160万個のLEDライトを使ったイルミネーション(今年の営業は終了。来年は7月初旬より営業予定)。ギネス世界記録に認定されている。ウォータープロジェクションマッピングもある。
・スゲ細工で毎年干支の人形を作っている。
・えちごトキめきリゾート雪月花。主に土日祝日運行。糸魚川駅から上越妙高駅まで3時間以上かけて走る。

<新潟県上越市周辺>
・人口:195,737人(県3位)面積:973.81平方キロメートル(県2位)(2016年4月1日現在)
・2005年、周辺の13町村を合併。
・二本木駅。スイッチバック駅。
・唐辛子をモチーフにしたオブジェ。かんずりとは唐辛子を熟成発酵させた調味料のこと。妙高市内で栽培された唐辛子を夏から秋にかけて収穫。翌年の1月まで塩漬け。1月の大寒から雪の上に唐辛子をまき3~4日置いておくと辛さがまろやかになりアクも抜けるという。唐辛子を細かく刻み、柚子・米こうじなどを混ぜ3年間熟成発酵。
・岩の原葡萄園。創業者の川上善兵衛は1890年(明治23年)葡萄園を開園。1927年「マスカット・ベーリーA」が誕生。ぶどうは9~10月にかけて収穫。搾ったぶどうはタンクで約20日間発酵。第一号石蔵(国登録有形文化財)は1895年竣工。日本に現存するワイン蔵では最も古いといわれている。
・フルサット。上越妙高駅前にある商業施設。
・ホームギャラリー赤いポスト。個人のオーナーが小学3年生の頃から切手に興味を持ち収集を開始。60年間で莫大な数の切手や郵便関係のグッズを集めた。
・高田駅周辺。江戸時代に形成された雁木の街並みは、家を建て替えた現在でも多く残っている。現在残っている雁木の総延長は16km。江戸時代の建物は雁木の上に部屋を造り寝床などにしていた。
・高田世界館。元々芝居小屋高田座として開業した建物で1916年、映画館に。現役の映画館では日本最古級といわれている。主にミニシアター系の映画を上映。
・吉田バテンレース。機械で編まれたブレードを型紙に合わせて縫っていき模様の輪郭を作る。ブレードの間をかがり縫い。型紙から外し記事と縫い合わせる。
・打江製作所。スキー板やスノーボードのエッジを製作している。国内シェア100%という。
・上越市はスキー発祥の地といわれ、1911年当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐が陸軍にスキーを教えたのが始まりとされる。当時のスキー板は木製、ストックは竹の棒1本。
・旧高田市を中心に最盛期(1965年頃)には全国の4割のスキー板を生産。上越市にスキー板メーカーはなくなり、現在残っているのはエッジやストックを作る数社のみ。

(2016/12/26視聴・2016/12/26記)

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【にっぽん!歴史鑑定】蘇我入鹿暗殺事件

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【にっぽん!歴史鑑定】
「蘇我入鹿暗殺事件」

(BS-TBS・2016/12/19放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 ハードディスクに溜め込んだ録画番組を1日1番組は視聴するという日々を送っております。年末で何かと忙しいのですが、このペースでいくと年内に消化するのは厳しいかもしれません。お正月も帰省やら外出やら予定があるので、ハイペースでというわけにもいかなそうです。こんな拙いブログですから、待っている方はいないとは思いますが…気長に更新していきます(と言い訳を言っておきます)。

 さて今回は先週の「にっぽん!歴史鑑定」。蘇我入鹿暗殺事件、といえば私が学校で日本史を学んだときは「大化の改新」と言われていたものです。645年「朝廷のむし(64)をこ(5)ろす大化の改新」なんて語呂合わせがあった記憶があります。

 しかし現在ではこのクーデターそのものは「乙巳の変」。しかも今回の番組でもクローズアップされましたが、中大兄皇子と中臣鎌足は単なる実行犯で事件の黒幕は別にいるというのが定説になっているようです。しかも「日本書紀」の虚実を正面切って指摘されるとは、時代も変わったものだとつくづく思います。

 それでもやはり番組ナビゲーターの田辺誠一さんが仰っていたように「歴史は勝者によって語り継がれる」というのは尤もだと思いますね。どうしても蘇我氏に対するイメージは、あまりいいものではないのが正直なところですからね。

 さて、年内のこの番組の放送はもう1本あります(この記事を書いている時点で私のハードディスクに既に保存されています)。それを視聴した感想と合わせて、この間いくつか史跡巡りをしてきたので、そのときの写真をアップしたいと思います。お楽しみに(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今から約1370年前、皇極天皇4年(645年)。飛鳥宮でのおごそかな儀式の最中、暗殺事件が起こった(乙巳の変)。殺害されたのは時の権力者、蘇我入鹿。
・これにより4代にわたって強大な権勢を振るった蘇我氏が滅亡。古代の日本を大きく変える政治改革、大化の改新が始まった。
・古代史上最強の豪族と呼ばれた蘇我氏。皇位簒奪を企む逆臣として討ち取られた入鹿は本当に悪人だったのか?
・入鹿暗殺の首謀者は教科書でお馴染みの中大兄皇子と中臣鎌足ではなかった?事件の裏で糸を引いていた驚くべき人物とは?
・天皇の目の前で起こった暗殺事件。しかしクーデターともいえるこの事件で処罰者はなし。その理由とは。
・入鹿暗殺後、死に追いやられた父・蘇我蝦夷。一切反撃しなかったのはなぜだったのか。暗殺グループの緻密な計画と目論見を徹底検証。

<蘇我氏の繁栄と滅亡>
・あまたの遺跡が残る奈良県明日香村。古代史のロマン溢れるこの地で近年、注目を集める古墳がある。都塚古墳は古くは金鳥塚と呼ばれ長い間、誰の墓か分からなかった。ところが2014年、明日香村教育委員会と関西大学の合同調査により新たな発見があった。
・都塚古墳はこぶし大から人の頭ほどの石をピラミッド状に積み上げた、国内では非常に珍しい構造の古墳だと判明した。さらにこれまでは一辺が28mほどの正方形の方墳と考えられていたが調査の結果、東西41m・南北42mもあることが分かった。これらの発見により、かなりの権力者の古墳だと考えられるようになったが、一体誰の墓なのか。
・手掛かりとなったのが都塚古墳から400mほど離れた場所にある石舞台古墳。7世紀初頭につくられたこの古墳の特徴は30数個もの巨大な岩を組み合わせた石室。その大きさから蘇我馬子の墓だと言われている。近くには馬子の住居跡である島庄遺跡もあり、この辺り一帯は蘇我氏の勢力圏だったことが窺える。
・ということは、今まで誰の墓か分からなかった都塚古墳は蘇我稲目の墓ではないかという説がある。稲目はその後4代にわたる蘇我氏の繁栄の礎を築いた蘇我本宗家の祖。蘇我一族は宗我都比古神社があるこの地域から急速に勢力を伸ばしていったと考えられている。
・宣化天皇元年(536年)、蘇我稲目は大臣(おおまえつぎみ)に就任。大臣とは天皇の命を受け、群臣と呼ばれる他の豪族たちとともにヤマト政権を司る最高職。政治のトップに立った稲目は、2人の娘を時の天皇に嫁がせることでその地位を堅固なものにし、大小50ほどいた豪族の筆頭格として権勢を振るった。
・稲目の死後、後を継いだのが息子である馬子。聖徳太子の名で知られる厩戸皇子とともに、やはり政権の中枢で活躍した。日本最古の仏教寺院、飛鳥寺を造営するなど、伝来したばかりの仏教を広めることに尽力。
・そして大陸との交流を盛んに進め、先進の技術を取り入れて様々な施設を建設。公共事業を一手に担うことでさらに権力を拡大していった。
・こうした稲目、馬子が築き上げた強大な権力基盤は蝦夷とその息子・入鹿へと受け継がれる。女帝である皇極天皇が642年に即位すると入鹿は父・蝦夷から大臣の職を譲られ、その力をほしいままにした。
・しかし僅か3年後に暗殺。父・蝦夷も命を落とし、栄華を極めた蘇我本宗家は滅びてしまった。乙巳の変と呼ばれるこの暗殺事件を詳細に記しているのが、最古の歴史書「日本書紀」。殺害された蘇我入鹿と蝦夷はもちろんのこと、事件の鍵を握る人々にまで言及している。
・時の天皇である皇極天皇に弟の軽皇子と天皇の息子・中大兄皇子、そして入鹿のいとこにあたる古人大兄皇子に藤原氏の祖である中臣鎌足、さらに入鹿と同族の蘇我倉山田石川麻呂まで事件に関わっていたという。

<中臣鎌足が蘇我入鹿を殺した理由とは>
・日本書紀によるとこの暗殺事件は、中臣鎌足の激しい憤りが発端だったようだ。

蘇我入鹿が王と臣下 年功序列の道理をわきまえない

・鎌足は入鹿が天皇を蔑ろにして数々の越権行為を行っていると腹を立てていた。その一つは宮中を見下ろす甘樫丘の上に蝦夷と入鹿が屋敷を建てたこと。
・2つ目は大勢の民を動かして墓をつくり、天皇の墓を意味する「陵(みささぎ)」と呼んだこと。さらに先祖をまつる廟で天皇の儀式でしか披露されない「やつらの舞」を舞わせたこと。そして日本書紀はこう続く。

入鹿が国を奪うための謀を企んでいる

・謀とは皇位継承に関わることで、このとき皇極天皇の次の天皇は舒明天皇の息子の古人大兄皇子か、厩戸皇子の息子の山背大兄王のどちらかと目されていた。そこで入鹿はいとこである古人大兄皇子を皇位に就けて権力を強化しようと画策。
・そして643年、入鹿は独断で驚くべき行動に出た。家臣に命じ山背大兄王の宮殿を襲撃、一族もろとも自害に追い込み滅亡させた。入鹿の暴走行為に父・蝦夷もさすがに驚き苦言を呈した。
・そして入鹿の一連の行為に激しい憤りを抱いた鎌足が遂に蘇我氏打倒を決意した。しかしこのとき鎌足は中堅の豪族。時の権力者である入鹿暗殺は謀反にあたるため、まずは皇族を味方につけようと考えた。最も力があったのは、皇極天皇の後継者に決まった古人大兄皇子だったが、蘇我氏と姻戚関係にあるため難しいと判断。
・そこで近づいたのが皇極天皇の弟、軽皇子だった。鎌足はすぐに宮殿を訪ね、その決意を打ち明けた。厚いもてなしを受け、強い味方を得たと確信した鎌足はさらに一押し。

天下の王には(軽)皇子をおいて相応しいお方は他にいないでしょう

・こうして軽皇子の心を掴んだ鎌足だったが、相手は強大な力を持つ蘇我氏。万全を期すため皇極天皇の子・中大兄皇子も取り込むことに。そのチャンスは間もなく訪れた。
・日本書紀によれば、たまたま参加した飛鳥寺での蹴鞠の会で中大兄皇子の靴が偶然鎌足の近くに飛んできたという。鎌足はそれを拾うと皇子の前に膝まずき手渡した。これを機に鎌足は中大兄皇子との距離を縮め、入鹿暗殺をともに計画する仲となった。
・さらに鎌足は入鹿暗殺の実行役として宮殿の護衛を担当していた佐伯子麻呂、葛城稚犬養網田を仲間に引き込んだ。また蘇我一族を内部分裂させようと、一族の有力者である蘇我倉山田石川麻呂まで取り込んだ。この5人が入鹿暗殺実行部隊だ。

<入鹿暗殺 その作戦を徹底検証>
・蘇我入鹿暗殺決行の日、その詳細を日本書紀で辿っていくことにする。現場は皇極天皇の宮殿、飛鳥板蓋宮の大極殿。朝鮮の3か国(高句麗、新羅、百済)の使者が朝廷に貢物を献上する儀式「三韓の調」が執り行われる日だった。
・大臣である蘇我入鹿は当然のことながらこの儀式に参列しなければならなかった。鎌足たちはこのときを狙い襲撃しようと考えていた。
・入鹿殺害の実行部隊である佐伯子麻呂、葛城稚犬養網田は事前に宮殿内に剣を隠し、身を潜めてその時を待つことに。首謀者である鎌足と中大兄皇子も、入鹿が現れるのを物陰に隠れて待っていた。
・皇極天皇と古人大兄皇子が鎮座する大極殿。暫くして入鹿はやって来た。しかし腰にはやはり剣が。すかさずそれを外す役目を任された俳優(わざおぎ)が近づき、おどけた仕草で「入鹿殿の立派な腰のものを預からせてほしい」と言った。俳優のユーモアに気が緩んだのか、入鹿は剣をあっさりと預けてしまった。
・そして儀式は始まった。蘇我倉山田石川麻呂によって貢物の内容が記された文が読み上げられた。実はこれを入鹿が聞き入っている間に襲撃するという作戦だった。中大兄皇子は人を入れないため、門番に命じて宮殿の12ある門を全て閉めさせた。
・これが襲撃の合図、しかし実行役である佐伯子麻呂たちは怖じけづいてしまった。動揺して手が震え、滝のような汗を流す蘇我倉山田石川麻呂。不審に思った入鹿は「なぜそんなに震えているのだ?」と言い、びっくりした石川麻呂は声を震わせながら「天皇に近く恐れ多いため、不覚にも汗が流れ出ているのです」と。
・このままでは勘付かれてしまう。その瞬間、物陰に隠れていた中大兄皇子が任せておけぬと突進。猛然と入鹿の頭を斬りつけた。気を取り直した子麻呂も続き、入鹿の片足を斬りつけた。
・入鹿は血まみれになりながら皇極天皇の前に這っていき「私が何の罪を犯したというのでしょうか?」。困惑した皇極天皇は中大兄皇子に何故かと尋ねた。すると中大兄皇子はこう答えた。

入鹿は皇族を全て滅ぼして天皇の地位を傾かせようとしているのです

・これを聞いた皇極天皇は黙って立ち去った。こうして蘇我入鹿は皇位簒奪を企てた逆臣として殺された。

<日本書紀の記述に“異議あり”>
・このように日本書紀には記されているが、検証していくうちに幾つもの矛盾点が見つかった。一つは事件現場。日本書紀には宮中にあった大極殿と記されているが、このときはまだ大極殿と呼ばれる建物はなかった。大極殿が出来たのは奈良時代以降。
・日本書紀は奈良時代はじめに完成しているため、その後に書き加えられたと考えられる。日本書紀にはこうした事実とは違う記述が他にもあると、古代史に詳しい学習院大学講師の遠山美都男氏は言う。

日本書紀では蘇我氏が天皇家に取ってかわろうとしたため滅ぼされたと描いているが、これは全くのでたらめ(遠山氏)

・つまり日本書紀に記された入鹿殺害の理由までもが事実を大きくねじ曲げたものだというのだ。

まず問題にすべきことは乙巳の変の1年半前に起きた、入鹿による山背大兄王殺害事件。日本書紀には「入鹿独謀」と書かれているが、入鹿の一存でということはなかった(同上)

・遠山氏は大臣である入鹿が皇極天皇から山背大兄王襲撃の命令を受け、それを他の群臣に相談せずに一人で実行したと考えている。なぜ群臣に相談しなかったのか。

内容が軍事的な機密に関わったため、大夫(群臣)たちに諮ることを避けたと考えられる。当時の天皇家は敏達天皇系と用明天皇系とで皇位が争われていた。皇極天皇は敏達天皇系、山背大兄王は用明天皇系。つまり敏達系が用明系を滅ぼそうとしたというのが、この一件の動機だった(同上)

・実は蘇我氏が自らの墓を天皇陵のように呼ばせたなどの数々の越権行為も、天皇の地位を脅かそうとして行ったわけではないという。

確かに日本書紀には蘇我氏の横暴を伝える記事が幾つか見られる。しかしそれらは天皇家が蘇我氏に与えた、許した特別待遇を伝えているもの。決して蘇我氏の方から天皇の地位を脅かそうとしたわけではないと考える(同上)

<入鹿暗殺 真の首謀者とは>
・日本書紀には中臣鎌足と中大兄皇子が先導し、蘇我入鹿暗殺が遂行されたと記されている。しかし彼らは単なる実行部隊で、首謀者は他にいたと遠山氏は言う。
・そのヒントも日本書紀にあった。それは入鹿が暗殺された後の記述。儀式の際、皇極天皇とともに大極殿に鎮座し、入鹿殺害を間近で目撃した古人大兄皇子は自分の宮殿に戻ると「韓人が入鹿を殺してしまった」と言ったと書かれている。
・韓人とは一般的に朝鮮半島南部の人たちのことを指す。しかしこの儀式で朝鮮の使者たちには天皇との謁見が許されておらず、入鹿殺害の現場に入ることはできなかった。そのためこの記述の矛盾点は大きな謎として「韓人が誰なのか」という議論が研究者の間で行われてきた。

私は蘇我倉山田石川麻呂だと思う(遠山氏)

・石川麻呂は儀式の際、天皇の御前で貢物のリストを読み震えていた人物。蘇我入鹿の叔父にあたり、朝廷の蔵を管理する蘇我一族の有力者だった(※馬子の孫という説もある)。
・蔵には朝鮮からの貢物を収める場所という意味もあったため、古人大兄皇子は石川麻呂を朝鮮の貢物の管理人「韓人」と呼んでいたというのだ。

石川麻呂の立場にたってみると、蝦夷や入鹿が居なくなれば石川麻呂にも蘇我氏の族長や大臣の地位が巡ってくる可能性が生じる。ここに石川麻呂の動機が生まれたのだと思う(同上)

・さらに入鹿暗殺事件には、もう一人首謀者がいたという。

乙巳の変の直後に即位した軽皇子(孝徳天皇)だと思う(同上)

・皇極天皇の弟である軽皇子にも入鹿殺害の動機があった。それが皇位継承問題だった。このとき次期天皇には皇極天皇や入鹿が推す古人大兄皇子が決まっていた。
・しかしこのまま古人大兄皇子が天皇になってしまうと、年上だった軽皇子にはもう皇位に就くチャンスがなくなってしまう。

それだけに軽皇子は焦りを募らせていたと思われる(同上)

・そこで軽皇子は後ろ盾である蘇我氏を滅ぼせば、古人大兄皇子に代わって自分が皇位に就けるかもしれないと考えた。
・こうして利害が一致した軽皇子と蘇我倉山田石川麻呂が手を組み、入鹿暗殺は計画された。すなわち中大兄皇子と中臣鎌足は2人が考えた計画に協力し実行した脇役に過ぎなかった。
・というのも鎌足は軽皇子とは主従関係にあった。軽皇子から命じられれば断ることなどできなかった。一方、中大兄皇子はもちろんメリットがあったため暗殺計画に加担したのだという。

古人大兄皇子が天皇になってしまえば、中大兄皇子の即位の可能性も当然乏しくなってしまう。それよりは叔父にあたる軽皇子が即位した方が即位できる可能性がより多く残される(同上)

<蘇我蝦夷を死に追いやった作戦とは>
・入鹿暗殺のその日、父・蘇我蝦夷は甘樫丘にある堅牢な屋敷の中にいた。襲撃グループは入鹿殺害後すぐ甘樫丘に近い飛鳥寺に入り、軍備を固めて全面対決に備えた。
・しかしこのとき戦う意欲を失っていた蝦夷は一切抵抗することなく、あまりにもあっけない最期を迎えた。なぜ蝦夷は反撃しなかったのか。

このとき皇族や豪族の主だった者たちは政変を起こした側に付いていて、蝦夷は孤立無援の状態に陥っていた。さらに蝦夷の戦意を喪失させる出来事があった。将来の皇位を期待していた古人大兄皇子が飛鳥寺で出家して事実上、皇位継承を放棄してしまった(遠山氏)

<なぜ皇極天皇は入鹿暗殺を黙認したのか>
・時の権力者であった蘇我入鹿の暗殺はいわば政変(クーデター)だ。現場にいた皇極天皇は殊の外、入鹿を信頼していたというから暗殺者たちに重い罪が科されてもおかしくなかった。しかし事件後、天皇は誰一人処罰しなかった。
・蘇我蝦夷、入鹿親子を殺害した軽皇子たちは、皇極天皇に黙認させるだけのメリットを用意していた。蘇我氏が握っていた公共事業を行う権限を天皇家に渡すというもの。
・当時大陸では唐が中国を統一。高句麗征伐を実現するなど軍事的脅威が高まっていた。万が一、半島の戦争に巻き込まれたときのためヤマト政権も軍事力の強化が必須だった。
・そのためには土地の整備や建物の建造など公共事業の権限を天皇家が掌握し、政権をまとめる必要があった。蘇我氏滅亡によりその望みが叶うと知った皇極天皇は、暗殺計画に目をつぶった。
・事件後、皇極天皇は弟の軽皇子に後を託し退位を表明。軽皇子は孝徳天皇となり、大規模な政治改革を行った。後に言われる「大化の改新」だ。日本は天皇を中心とする律令国家への第一歩を踏み出した。
・そして事件から23年後の天智7年(668年)、入鹿暗殺実行部隊の一人、中大兄皇子が天皇に即位(天智天皇)。実はこのことが事実とは反する日本書紀の記述を生んでしまったのだという。

日本書紀は7世紀の終わりから8世紀のはじめにかけて編纂された。朝廷の中では天智天皇と藤原氏(中臣鎌足の子孫)が崇められていた。そのため乙巳の変も権威を高めるため事実が脚色された(遠山氏)

・日本書紀によって悪人となった蘇我氏とは、どのような政治家だったのか。

これまで蘇我氏は天皇家に潜在的に対立するような存在と言われてきたが、そうではなかった。むしろ仏法の管理や宮殿や寺院の造営など、天皇家に大変貢献のあった有力な存在だったと考える。もし蘇我氏が乙巳の変で滅びることがなければ、大化の改新は彼らの手で行われていたかもしれない。それぐらい言ってもいいと思う(同上)

・事件の後、蘇我氏の身内でありながら暗殺を主導した蘇我倉山田石川麻呂は右大臣という職を与えられたが、4年後に中大兄皇子暗殺未遂の容疑をかけられ自害に追い込まれた。
・そして飛鳥寺で出家した古人大兄皇子もまた、中大兄皇子から謀反の疑いをかけられ殺された。結局、事件に関わった蘇我氏の縁者はみな殺されてしまった。歴史は勝者によって語り継がれる。

(2016/12/27視聴・2016/12/27記)

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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第7話(最終話)「人質奪還大作戦」

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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第7話(最終話)
「人質奪還大作戦」

(NHK・BSプレミアム・2016/12/23放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kozure2/

<感想>

 「子連れ信兵衛」第2弾、長屋のみんなが力を合わせて立て篭もり事件を無事に解決。しかも主犯の浪人は説得されて投降するという人情話でまとまってよかったと思います。高橋克典さんの殺陣も見られたし、私としては満足です。

 このメンバーのドラマはぜひ続々編をつくってほしいなと思いますが、真の主役である鶴之助役の坊や(伊東瑛進くん)が1年経ったらまた一回り成長するのでしょうね。それをみんなで見守るという感じにしてもいいかなと思います。もちろん信兵衛に淡い思いを寄せているおぶんちゃんと信兵衛との関係も気になるところです。

 ひとまず今期も面白いドラマを観せていただきました。とても良かったです!

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・盗賊の親分、阿修羅の駒太郎(坂西良太)の市中引き回しの刑を信兵衛(高橋克典)は見物するが、そこに盗賊の子分たちが乱入して駒太郎は奪還されてしまう。連行していた榎戸誠三郎(宮田俊哉)も怪我を負ってしまう。
一方、おぶん(小島梨里杏)は、信兵衛に美玖(黒谷友香)と鶴之助(伊東瑛進)が幸せになってほしいと告げる。
・解放されたようにみえた駒太郎は猿渡(四方堂亘)たちに捕まり殺されてしまう。
・そんな中、猿渡らが源吉(新井康弘)の営む居酒屋・丸源に立てこもり、おぶんや女性たちが人質になってしまう。
・信兵衛は長屋の仲間たちと人質救出のための策を練る。
・そこに猿渡と面識がある美玖が現れ、説得を始める。
・そこに偶然、店の前の堀から大量の小判が見つかった。どうやら盗賊が隠したものだった。それを先に見つけた信兵衛たちは一計を案じる。
・長屋の仲間とともに店に強行突入した信兵衛たち。猿渡はおぶんや信兵衛に説得されて投降する。
・長屋に平和が戻り、鶴之助もみんなに囲まれて幸せそうだった。

(2016/12/28視聴・2016/12/28記)

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】“冬のソナタ”が起こした奇跡 韓流ブームの発火点

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「“冬のソナタ”が起こした奇跡 韓流ブームの発火点」

(NHK・BSプレミアム・2016/12/21放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/

<感想>

 「冬のソナタ」懐かしいですね。NHKでリアルタイムで観ていました。そして素直に感動してしまいました(天邪鬼な私でも素直なときは素直です…笑)。チェ・ジウさんの涙に共感して毎週楽しみにしていたのを覚えています。

 そして番組でも取り上げられていましたが、このドラマをきっかけに「韓流」という言葉が日本にも定着してドラマや音楽、映画など様々な韓国産のコンテンツが日本に入ってきて、それを多くの人たちが受け入れるという文化が定着したように思います。逆に日本文化は長い間、韓国では禁止されていたのをキム・デジュン政権の時代に開放し、相互の文化交流が進んだ時代でもあったわけです。

 今も日本のドラマと同じように韓国ドラマを毎週のように楽しんでいる私としては日本と韓国の間に歴史的な問題があったとしても、だからといって一事が万事で反目し合うような関係ではなく相互理解と交流がもっと進んでほしいと願っています。韓国では反日を扇動していた大統領がどうやら辞任しそうですので、日本の側の為政者も正しい歴史認識を持ち韓国の人たちに思いやりの気持ちをもつ人たちになってもらいたいものです。

 それはともかく、2017年の年明け早々に民放BS局で「冬のソナタ」の再放送があるようです。実はちょっと楽しみにしているところです。あと続編というのがあるという話も興味津々です(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・それはまさに事件だった。2004年、成田空港を埋め尽くした史上空前、おびただしい数の女性たち。目的はただ一つ、その男を一目見ること。
・現れたのは「ヨン様」と呼ばれた一人の韓国人俳優ペ・ヨンジュン氏。彼の出演したドラマ「冬のソナタ」に日本中の女性たちが熱狂。それは紛れもない純愛だった。
・「愛する人の心が一番いい家です」そんな愛の言葉の数々が、世の女性たちの心をわしづかみにした。ドラマ「冬のソナタ」(通称「冬ソナ」)。真っ白で透き通った世界の中で、主人公のチュンサンとヒロインのユジンが初恋の相手と純愛を貫く物語。日本での放送時には夜11時台にもかかわらず、視聴率が20%超えを記録した。
・しかし「冬のソナタ」が成し遂げたのは、それだけではなかった。戦後長らく日本と韓国の間にあった目には見えない壁に風穴を開け、お互いの理解を深める文化交流が始まった。
・「冬のソナタ」とは一体どんなドラマだったのか。全20話にわたって放送されたドラマの見所を。

【物語の始まりは高校時代】
・物語は高校時代から始まる。バスの中で偶然出会ったヒロインのユジン(チェ・ジウ)と転校生チュンサン(ペ・ヨンジュン)。2人はやがて惹かれ合い、初恋の思い出を紡ぎ始める。

【チュンサンが交通事故に遭い、いなくなる】
・しかしチュンサンが交通事故に遭い、いなくなる。

【初恋の相手チュンサンとそっくりの男ミニョンが現れる】
・ところが10年後、目の前にチュンサンそっくりの男ミニョンが現れる。

【しかしユジンは幼なじみと婚約していた】
・ユジンは既に婚約していたが、どうしようもなくミニョンに惹かれていく。

【チュンサンとミニョンは同一人物 高校生以前の記憶を喪失していた】
・実はチュンサンとミニョンは同一人物。高校生以前の記憶を失っていた。真実を知った2人は様々な障害を乗り越えていく。

・放送終了後には驚くべき反響が。ドラマを観た女性たちからファンレターの域をはるかに超える熱い思いのこもった無数の手紙が届いたのだ。
・忘れていた初恋の思い出にひととき浸った人。大切な夫を早くに失ったとき何よりの慰めになったという人。過酷な現実に向き合い押し潰されそうになったときドラマで心がほぐれたという人。「冬のソナタ」のおかげで生活に光が差し、人生まで一変したと誰もが感謝の言葉を綴っていた。
・それまで日本人には殆ど馴染みのなかった韓国ドラマが、なぜそんなにも熱狂的に受け入れられたのか。監督が名優に語った生き様がある。

「純粋な思いを持ち続けたいから結婚はしない」って言ったんです。あの監督(俳優チョン・ドンファン氏)

・韓国の未来を賭けドラマを産業にした大統領がいた。

大統領は「冬ソナ」ブームに大喜びでね。「ヨン様、ヨン様」ってね(キム・デジュン元大統領の側近)

・そして「冬のソナタ」に人生を救われた女性たち。その絶望と再生の物語。

本当に泣きました。泣き崩れました。顔なので。「冬のソナタ」が私を変えてくれたと言っても過言ではない。

・人々の人生にまで影響を与えた「冬のソナタ」。運命の分岐点は日本で初めて放送された2003年4月3日。今回はそのドラマを作った男、ドラマ誕生に一国の未来を懸けた大統領、そしてドラマに人生を救われた人々。その3つの視点で知られざる物語を掘り起こしていく。

<視点1 究極の初恋ドラマを生んだ監督の決断>
・ソウルから北へ数十キロ、ナミソム(南怡島)という川に浮かぶ美しい島がある。島には韓国はもちろん中国、日本、東南アジアから年間300万人が押し寄せる。その理由とは?

私たちもあんな恋がしたいわ(観光客の女性)

・ここが「冬のソナタ」の大切な舞台となった島だからだ。観光客の一番のお目当てがメタセコイアの並木道。ここで何が撮られたかといえば、2人の初恋が始まる場面。
・この恋の始まりをここで撮ることにこだわった男がいる。ユン・ソクホ監督。実は監督にとってナミソムは高校生の頃、デートをした思い出の場所。監督は若き日の初恋にこだわり、ドラマを作り続けてきた人だ。そんな監督にとってもあのブームは想像をはるかに超えたものだった。

日本の空港に着いたとき、あまりのカメラの多さに何でこんなことになっているんだとびっくりしました。とにかくああいう経験は初めてでした。100台以上のカメラのフラッシュを浴びるなんてね(ユン・ソクホ監督)

・なぜ「冬のソナタ」は国境を超え、人の心をとりこにしたのか。監督には撮影前から心に決めていたことがあった。

誰もが共感できる初恋の物語を作るために譲れないものとして、純粋さ、美しさ、温かさ。その3つを僕は求めていました(同上)

・誰もが共感できる初恋の物語。監督が下した3つの決断とは?

【第一の決断 「温かさ」のために】
・最初の決断はドラマを温かさに満ちたものにした、ある女性たちの抜擢。2人で1つの作品を書く脚本家のキム・ウンヒとユン・ウンギョン。監督に抜擢された当時のことを聞いた。

正直、私たちを起用すること自体、監督にとって冒険だったと思いますよ(ユン・ウンギョン)

そう、リスクが大きくてね(キム・ウンヒ)

だってテレビ局に抗議の電話が来たぐらいですから(ユン・ウンギョン)

・なぜなら当時2人はまだ脚本の勉強中。本格的な作品に携わったことはなく、たまたまテレビ局の一般公募に送った脚本が監督の目に留まったにすぎなかった。

監督から電話が来たときも誰か知らなくて「何?何?」という、まぬけな感じでした。監督のドラマもあんなに有名なのに見ていませんでしたから(ユン・ウンギョン)

・監督にドラマの設定を提案しに行ったときも…。

歩きながら話して決めました。「死んだ初恋の人に似た人が実は本人だったりして」とか「それを記憶喪失だったことにする」とか(ユン・ウンギョン)

そしたら監督が「それだ」と言ってくれたんです(キム・ウンヒ)

・そんなふうに2人を抜擢した監督とはどんな人物なのか?ユン監督は大学卒業後、韓国のテレビ局KBSに入局。30代で監督デビューしてからは純愛ドラマ一筋。数多くのスターも発掘してきた。今や世界的スターとなったイ・ビョンホンやペ・ヨンジュンもユン監督の作品でデビューを果たした。
・が、監督は「冬のソナタ」に特別な覚悟で臨んでいた。生涯一監督として現場に立つため、直前にテレビ局を辞めたばかりだったからだ。
・そんなときになぜ未知数の2人だったのか。理由は2人に書かせた企画書にある。冒頭に引用された詩の一節が気に入ったのだ。

私の初恋が、また私を呼んだらどうすればいいですか?(詩人サラ・ティーズデール)

もちろん、それでも彼女たちに決めるまでは悩みましたけどね。直感があったんです。私と合いそうだというね(ユン監督)

・実をいえば監督自身も初恋の相手がなかなか忘れられないタイプだった。
・そして2001年冬、監督は自分の直感が正しかったことを知る。どんな台詞にも2人が大事にしていることがほのかに、けれど確かににじみ出ていたからだ。例えばヒロインのユジンが悩んでいるとき…。

ミニョン:泣きたいんでしょう?泣いてきてください。

・言葉に礼節があり、互いに敬意を決して忘れない。

ユジン:ミニョンさん。
ミニョン:ユジンさん。


・そして最も大切な言葉は…。

ユジン:サランハムニダ(愛しています)

・「サランハムニダ」(文語体)。普通なら「サランヘヨ」(口語体)とするところを2人はあえて書き言葉にこだわった。当時それがいかに評判となったか。ドラマのテーマ曲を担当した歌手Ryuはこう証言している。

サランハムニダと言った瞬間、韓国のインターネットのサーバーがダウンするくらいの反響があったそうです。それほどたくさんの人が感動したわけです(Ryu)

・当時「冬のソナタ」のとりこになった日本の女性たちも、それは同様だった。

言葉がとてもきれいでしたね。人にものを伝えるときの愛情表現というかな。本当に言葉がきれいで好きになった記憶がある。それがきっかけで韓国語を習いはじめました(女性)

・2人の感性に影響を与えたものとは何か。尋ねると意外な言葉が返ってきた。

私たち田舎の素朴な人間なんです(ユン・ウンギョン)

大家族の中で育ちました(キム・ウンヒ)

・2人はともに地方の生まれ。大家族に囲まれ、昔ながらの暮らしの中で育った。

脚本を書く上で、懐かしいものへの郷愁はありましたよ。今の時代、10年も初恋の人を思うなんて古いと思われがちじゃないですか(キム・ウンヒ)

そう、確かに「冬ソナ」にはそういう古風な感じがあるかも。今のドラマは男女もすぐにタメ口ですからね(ユン・ウンギョン)

そんな時代に初恋の人を忘れないユジンの古風だけど素朴な心が、視聴者に響いたのかもしれませんね(キム・ウンヒ)

脚本家は持って生まれたものや生き方がその作品に必ずにじみ出るものなんです(ユン監督)

・監督には今も忘れられない台詞があるという。擦り切れるほど読み込まれた台本の隅に「心の家」と、その一節が走り書きされていた。

ミニョン:結婚後に住みたい家は?
ユジン:形としての家はどうでもいいんです。愛する人の心が一番いい家ですから。


2人の脚本家が持って生まれたもの。それは魂の温かさと言っていいのかもしれません(同上)

・2人を抜擢した監督の決断が、ドラマにまず「温かさ」をもたらした。

【第二の決断 「美しさ」のために】
・次は「美しさ」。あの初恋の場面、それが国境を超えて観る者を惹きつけたのは、ナミソムで撮影されたことと無縁ではない。
・それはある偶然の出会いの賜物だった。実はナミソムはかつて遊具などが置かれたレジャースポットだった。が、監督がロケハンに訪れた当時は荒れ果て、ゴミだらけ。誰も寄りつかない島となっていた。
・しかし島の所有者から依頼され、ナミソムを再生するアイデアを練っている男がいた。絵本作家として数々の国際的な賞に輝いてきたカン・ウヒョン。自然と生き物の共生を描いてきた作家だ。カンがナミソムにやって来た監督に初めて会ったとき、ある偶然に驚いたという。

監督にこう言いました。「僕は童話作家だけど、どうしてあなたも童話を作っているのか」ってね(カン・ウヒョン)

・実は当時ユン監督は「秋の童話」という、やはり初恋をテーマにしたドラマでヒットを飛ばしたばかりだったのだ。

すぐにそんな話で笑って意気投合しました。それで「どうぞ、ここで好きに撮影してください。お金なんかいらないから」と約束したんです(同上)

当時ナミソムが寂れてゴミだらけで人気のない場所だということはよく分かっていました。でも私にとっては、やはり思い出の地ですし、あのメタセコイアの並木道は当時のままでしたから。やはりそこで撮ろうと決断しました(ユン監督)

・そして撮影が始まって間もなく監督に天の恵みが。ゴミだらけの島、ナミソムに雪。監督はこのチャンスを見逃さなかった。夜の場面を急遽、朝に変えたのだ。それが二人が雪だるまを作るあの名場面。

場面を朝に変えたのは、僕にとって雪の白さこそが初恋の純粋さを表現する色だったからです(同上)

・ファーストキスにもとことんこだわった。

現場でスタッフの男たちから、さんざん恥ずかしいとか言われましたけど。高校生のファーストキスですから照れくささや純粋さをどうしても表現したかったんです(同上)

【第三の決断 「純粋さ」のために】
・その純粋さを追い求めるあまり、監督はさらに大きな3つ目の決断をしていたはずだという声もある。ロケが行われた街で撮影に協力したホン・スンヨンさん。現場で監督に会ったときの印象は…。

監督は私より3つ年上ですが、話す言葉の一つ一つの表現が少年のようでした。私には孫がいるんですが、その孫のような純粋な笑顔でしたよ(ホンさん)

・そこに隠された秘密を教えてくれたのが、ユン監督の作品に欠かせない名優チョン・ドンファン。「冬のソナタ」で物語の行方を左右する大学教授を演じた。チョンは監督と交わした会話から、その生き様に驚いたという。

監督は結婚していなかったので、結婚を考える年なのにどうして結婚しないのかと聞いたら、心配でできないと言うんです。で、何が心配なのかと聞いたら、結婚するというのはある程度、関係が深い証拠だと。だから結婚すればプラトニックで純粋な感情が失われるんじゃないかと怖がっていたんです。そんな感受性まで維持していないと、純粋さを映像に映し出せないと監督は考えていたんです。演出家としてそこまで使命感を持っていることに驚きましたよ(チョン氏)

・だからこそ「冬のソナタ」には国境を超えて伝わる「純粋さ」と「美しさ」と「温かさ」が満ちていた。純粋さを守るために結婚しなかったという例の話を聞いてみると…。

そうじゃありませんよ、そうじゃない。結婚しなかったんじゃなくて、結婚は常にしたかったのですができなかったんです。だって自分のドラマに出てくるような純愛をしようとしていたわけですから、難しいに決まってますよね。それで結婚が遅れたんです。まっ、チョンさんが言った話と似たようなもんですけどね(ユン監督)

・ちなみに監督の結婚は5年前。やはり純愛だったのだろうか。

<視点2 「冬のソナタ」に人生を救われた女性たち>
・「冬のソナタ」の放送から10数年、今も彼らに見守られるようにして生きる人々がいる。横浜市に暮らす中川さん(75)が「冬のソナタ」に出会ったのは、一番大切な人を失ったときだった。

いっぱい涙を流さないと見終わらないドラマでしたね。巡りあうべくして「冬のソナタ」に巡りあった。だから今日まで元気でいられたということを時々思い起こします(中川さん)

・「冬のソナタ」を観て以来、キムチの漬け方まで勉強した新潟市在住の池口小織さん(46)。

「冬のソナタ」は次男も観てました。成長してから見せました(池口さん)

・「冬のソナタ」に出会ったのは、ある病に侵されたとき。純愛の世界に没頭した。

現実から逃げられたんじゃないでしょうか。もんもんとしたものとか、迷いとか、不安というのから逃げられたんじゃないでしょうかね。「冬のソナタ」を観なかったら、こうはなってないです。それは確実です(同上)

・「冬のソナタ」が女性たちにもたらしたものとは何だったのか。大ブームが巻き起こった2004年、そのとき誰もが少女に戻っていた。感激のあまり泣き出す女性も。警察まで動員される事態は韓国でも大きなニュースとなり、果ては遠くイギリスの新聞でも日本人女性たちの熱狂ぶりが伝えられた。
・遂にはドラマが撮影された地方都市にまで直行便が就航。韓国北部のチュンチョン(春川)市は、すっかり「冬のソナタ」の聖地となった。その人気には直行便を誘致した女性も驚いた。

宣伝もしてないのに直行便は、ほぼ満席でした。記憶では日本人が一気に2500人も押し寄せたことがありますよ(カンウォンドウ(江原道)庁観光マーケティング課チーム長のチュ・ウンジョンさん)

・ペ・ヨンジュンが演じた主人公の家には、ひっきりなしに見物客が訪れ行列が。2人が学校の塀を乗り越える名場面の場所では、我も我もとやってみるファンが続出。

私の持っているペ・ヨンジュンのサインを10万円で売ってくれっていう日本人もいたわよ(地元食堂の女性店主)

・みんなあのとき、2人の愛の世界に何を求めていたのか。中川さんも空港に駆けつけた一人だ。

全てを忘れてそこに集中できますからね。子どものことや買った家のことを忘れて、ここに来たらもう本当にヨン様一筋(中川さん)

・中川さんがそこまで「冬のソナタ」に夢中になったきっかけ。それは新聞記者だった夫がまだ63歳の若さで病に倒れ、亡くなったこと。専業主婦で既に子育ても終えていた中川さんは、寂しさを募らせていた。
・そのうえ自らにもガンが見つかった。この後の人生をどう生きていけばいいのか悩んでいた頃、「冬のソナタ」に出会った。

自分にとっても衝撃的な出来事でしたね、ドラマにはまるというか。ずっと長いこと主婦でしたから、あまり出ていませんから表に。それがとんでもないドラマに当たって嬉しくてね。韓国に行かなければっていうふうに180度変わってしまいましたね(同上)

・そして中川さんは多いときには月に数回、韓国に足を運ぶようになった。時にはヨン様の追っかけを無邪気に楽しみもした。けれど何より嬉しかったのは、そこに自分たちと変わらぬ人々が暮らし、日本人が忘れつつある懐かしい人の営みがあると知ったこと。

(近く感じました?)
感じましたね、すごく。「冬のソナタ」を観ないで韓国へ行っても、それほど親しさは感じなかったと思います(同上)

・中川さんと同様、韓国に親しみを感じるようになったという人は多い。日韓の間に横たわる様々な問題。どうでもいいと思っていたが、もっと韓国を知りたいと思い始めた人。国と国、人と人の心を結ぶのは芸術だと思った人。「冬のソナタ」はお茶の間レベルで日韓の壁に風穴を開けていた。
・中川さんの場合、さらにこんな形でも世界は広がった。

(こういうのを使えるようになった発端は冬ソナ?)
そうですね。“冬ソナ”の情報がインターネットの中にたくさん出てきたんですね。ヨン様の情報、韓国の情報ね、いろいろ楽しみましたよ、おうちの中でね。亡くなった主人にそういう楽しみが増えたなんて言うと申し訳ないけど、もしかしたら主人がやっていいでしょって背中を押してくれたかもしれないですね(同上)

・近頃の楽しみは、散歩をしながら草花をめでること。「冬のソナタ」に夢中になった日々から学んだことがある。

何か夢中になるものがないと、健康でいられないというか…(同上)

・中川さんのガンは以来、再発していない。
・そしてもう一人、新潟市で出会ったのは「冬のソナタ」に生きる勇気をもらった人。池口さんは「冬のソナタ」を観て以来、学んだ韓国語の個人レッスンで生計を立てている。
・その道のりは、いばらの道だった。池口さんが「冬のソナタ」にのめり込んだきっかけ。全ての始まりはある朝、体に異変が起きたことだった。

朝、突然動かなくなっていたので。前の日から味がしなかったりとか異変はあったんですけど。朝起きて口がゆすげなくて、こぼれてきた。口も動かないので、食べ物が片側に寄るんですね(池口さん)

・池口さんを襲った病は顔面マヒ。突然、顔の右半分が全く動かなくなった。既に結婚し、2人目の子どもを身ごもっていた池口さん。闘病生活は壮絶になっていった。

全く動かなかったですね。目も閉じないので夜、布団が当たったりして痛くて、テープで止めて寝たり。あと髪も洗えませんし、目に全部入ってしまうので押さえながら母に洗ってもらったりとか。お医者さまの話だとストレスが原因だっていうことだったので(それまでの人生は)耐えるのが美徳みたいな、自分の中に殻があったので(同上)

・医師の診断は治る見込みがないという絶望的なものだった。

泣きました。本当に泣きました。泣き崩れました。顔なので。なんか思い出すと辛いんですけど、今はこう動くようになりましたけど…。人と会うにしてもまず顔を見るじゃないですか。それが動かないという辛さ…もう絶望して何も考えられなかったですね。たぶん子どもがいなかったらどうなっていたか分からないです。長男が優しくて、もう顔をなでにきてくれたりとか、すごくいい子だったので(同上)

・そんな状況に2年ほど耐えた頃、池口さんは「冬のソナタ」と出会い、深夜一人その純愛に浸った。池口さんの心をわしづかみにしたのは、あらゆる障害を乗り越えて純愛を貫くユジンの姿。その真っ直ぐな心が池口さんには眩しかった。

ユジンさんがものすごく意志がしっかりした人なんですね。とにかく何でも貫き通すんですね。押さえない情熱的なところがパーンと入ってきました。かっこいいと思って。すごく素敵でした(同上)

・その後、彼女は顔面マヒによって負った心の傷を少しずつ克服。そして韓国語を独学で習得した。病気以来、徐々にうまくいかなくなった夫と離婚。今は次男と二人暮らし。最近、韓国語を生かした新しい就職先も見つかったところだ。

(お母さんが“冬ソナ”を観て元気になった気がします?韓国語の先生をやったりしてかっこいいと思うところはある?)
ひとりで頑張っているところはすごいと思います(次男)

「冬のソナタ」を観なかったら、こうはなってないです。自分の足で立って稼いで、自分でもできるっていうのが分かりました。ありがたいと思っています(池口さん)

<視点3 文化大統領と「冬のソナタ」>
・「冬のソナタ」が救ったのは人だけではなかった。韓国一国の経済をも結果的に救うことになった。その原点はノーベル平和賞に輝いた大統領キム・デジュンが生涯貫いた信念と、ある驚くべき政策にあった。そこにあったのはまさに闘いだった。
・その闘いと「冬のソナタ」の繋がり。まずは43年前の1973年に起きた金大中事件。その日、韓国から来日中だった政治家キム・デジュンが、都内のホテルの一室から殺害を目的に拉致されるという事件が発生した。
・それから5日後、キム・デジュンは命からがら生き延び、韓国で解放された。なぜ殺害されようとしたのか。それは当時、独裁的な政治が行われていた韓国で民主化のために闘っていたからだ。事件から25年後に大統領になったとき、こんな夢を語ったという。

キム・デジュン大統領は「文化大統領」と呼ばれたいと望んでおられてね。「冬のソナタ」のヒットにも非常に喜んでおられました。「ヨン様、ヨン様」とね(元文化観光部長官で現国民の党代表のパク・チウォン氏)

・キム・デジュンが大統領に就任したのは「冬のソナタ」が制作される3年前のことだった(1998年2月25日)。当時、韓国は未曽有の経済危機にあった。韓国の通貨ウォンが大暴落、大手企業が次々に経営破綻に陥り工場も閉鎖。失業者が大量発生していた。銀行でも取り付け騒ぎが。
・「冬ソナ」の舞台ナミソムが寂れていたのも、国の経済危機と無縁ではなかった。難しい国家運営の舵取りを任された大統領。打ち出した政策は驚くべきものだった。

映像産業を国の宝にして経済を発展させなければなりません。「ジュラシック・パーク」や「タイタニック」など1本の映画が、韓国の3大自動車会社を合わせた利益よりはるかに稼ぎます。それだけ文化産業の価値は高いのです(キム・デジュン大統領・当時)

・文化産業なら初期投資もかさまず、若い力を活用できる。映像やIT産業などに積極的に予算を投入。コンテンツ開発に国を挙げて取り組み、新たな輸出産業として育成するという世界でも珍しい試みだった。
・そのために「文化産業振興基本法」という法律も制定(1999年)。それを推し進める機関(韓国文化コンテンツ振興院)も新たに発足した。韓国きっての財閥系企業から引き抜かれ、プロジェクトを任されたソ・ビョンムン。

当時はかなり悩みました。民間が映像ビジネスを手がけることはありますが、それを政府が主導する例は世界でもなかったわけですから。果たして国の利益になるのか、計画を立てながらもかなり不安でした(ソ・ビョンムン氏)

・始まったのが人材育成。韓国はテレビディレクターを育てる国立の学校まで設置、優秀な人材の確保に努めた。

昔の親は頭のいい子に法律や経済を学ばせたものですが、これからは文化コンテンツの時代だと、まず親の認識を変えたのです(同上)

・そうした様々な改革の結果、韓国では映像制作会社の数が当初の4倍に増加した。当時の空気をドラマ制作を手がけるプロデューサーがこう証言する。

(政府の方針をクリエイターは喜んだ?)
もちろんです。エンターテイメント業界はある意味、零細事業者ばかりじゃないですか。対外市場を視野に入れて、よいコンテンツを作るために融資してほしいときも非常に低金利で返済期間を長くして貸してくれたり、これは本当に産業として伸びるぞと期待が高まりました(アン・ソクジュン氏)

・そうして現場は徐々に熱気を帯びていった。そんな空気の中で作られた作品の一つが「冬のソナタ」だった。さらに大統領は、ある方針を側近に打ち明けていた。それを聞いたのが前出のパク・チウォン氏。その方針はキム・デジュンにしか打ち出せないものだったという。

大統領はこう言われました。「文化芸術政策は支援はしても干渉は決してするな」とね。「もし国が支援したとしても、過去のように干渉したら創造力の妨げになる。支援だけすれば創造力は必ず大きく花開くだろう」とね(パク・チウォン氏)

・大統領はなぜその確信を抱くに至ったのか。話は過去へと遡る。韓国はイ・スンマン初代大統領の時代から独裁的な政治体制が続き、パク・チョンヒ大統領の時代も反政府的な運動は弾圧され、言論の自由も制限されていた。
・そうした政治にあらがいキム・デジュンが政治家を志したのは20代後半、独裁政権打破を訴え続けた。そして初めて大統領選に出馬(1971年)、このときは落選したもののキム・デジュンは民主化のシンボルとして世界から注目を集める存在となっていた。
・時の政権は当然、キム・デジュンを敵視した。だからこそ一度は拉致され、命まで脅かされたのだ。こうした経験が、国家による干渉を忌み嫌わせたに違いない。そして民主化を求め多くの民間人が死亡した光州事件(1980年)。
・デモを扇動したとして死刑判決を受けたとき、時間を無駄にすることはなかった。服役中、差し入れにもらった本でやがて訪れる時代を悟ったことが、あの文化産業振興策に繋がった。

『第三の波』(アルビン・トフラー著)を読んで21世紀は情報化の時代だということを知りました。韓国人は教育水準も高く、文化的な創造力もある。冒険心が旺盛で国民が短気なこともIT分野では長所になると考えたからです(キム・デジュン)

・あの政策は自由を求めて闘い続けた男だからこそ、辿り着けたものだった。そんな闘いがあったからこそ、新たな時代のドラマが生まれたと考える人がいる。光州事件の町で生まれたユン・ウンギョンだ。

私たちは恵まれた世代です。民主化される前に青春時代を送った人たちは、ラブストーリーを書くにも罪悪感があったと思いますよ。私の青春時代は世の中が変わり、自分の気持ちに正直な作品も作れるようになったと思います。もし民主化が遅れていたら、システムの整備も遅れ、ドラマを楽しめる時代の到来は遅れていたかもしれません(ユン・ウンギョン)

・そして「冬のソナタ」をきっかけに起きる韓流ブームの下地を整えたのもまた、キム・デジュン大統領だった。日韓共同宣言(1998年)で両国の文化交流を推し進める方針を打ち出したのだ。
・当時、韓国では日本の映画やドラマ、音楽、漫画、ゲームなどの大衆文化が厳しく制限されていた。しかし大統領は日本の大衆文化を開放することを決断した。それが逆に韓国の文化産業の輸出拡大に繋がると考えたからだ。

韓国内では猛反発がありました。しかし大統領は私にこうおっしゃった。「我が国が門戸を開放し競争すれば勝利することもできるでしょう。でも閉鎖したまま競争がなければ敗れる」とね(パク・チウォン氏)

・1998年、第一次開放としてまず日本の漫画と映画を開放。映画は国際的に高く評価された作品という条件だった。続く第二次開放(1999年)、第三次開放(2000年)では劇場用アニメの公開、日本の歌のコンサート開催なども認められるようになった。そして2004年の第四次開放で日本の大衆文化がほぼ全面開放、街には日本の文化が溢れた。
・一方、日本では韓国のドラマは僅か数本のシリーズが紹介されたにすぎず、受け入れられたとは言い難かった。どんなに熱い思いがあっても、国境を超えるのは簡単ではないのか。
・そのとき「冬のソナタ」が地上波で放送(2004年4月)。日本が突如、韓流に目覚めたのだ。「冬のソナタ」の初恋と純愛。それこそが国境など関係ない最強のコンテンツだった。「文化大統領」と呼ばれることを望んだ男はこう語ったという。

「冬のソナタ」の撮影地にも興味を持っておられて「あんなところでデートもいいね」とおっしゃってね。でもまああの頃、日本の人に「今、行きたい海外はどこか」という世論調査をしたら、それまでハワイが1位だったのに韓国になったんだからね。すごいことです(同上)

・「冬のソナタ」から12年。今も韓流ブームは続き、ファンを増やし続けている。「冬のソナタ」の成功をきっかけに日本にやって来た様々な韓流エンターテイメント。それが今、韓国経済の確かな支えとなり、日本人女性たちに生きる力まで与えている。
・そしてキム・デジュン元大統領は人気を終え来日したとき、こう語りかけた(2005年5月・東京大学)。

確かに歴史の問題を巡って韓国と日本の間に葛藤はありますが、韓国人と日本人の心の底には共通する文化的なルーツがあります。その文明史的な運命を共有しながら、お互いに手を携え未来に向けて文化を開拓していくという姿勢を持てば、日韓の文化交流も自然な形でうまくいくのではないかと考えています。

・ドラマ「冬のソナタ」。人生を懸けた人々の覚悟が、国を救うために一生を捧げた男の熱情が、そこに重なり合ったからこそドラマには生きる力が宿っていたのかもしれない。

・最後に脚本家から気になる話を。

(次の作品の構想もラブストーリーですか?)
次は「冬のソナタ」のシーズン2を書くことになっています(ユン・ウンギョン)

・冬ソナファンの間では前々から噂されていたこの話。本当に実現するのでしょうか?まあ、2人の愛に浸りつつ、ゆっくり待つとしましょうか。

(2016/12/29視聴・2016/12/29記)

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【岩合光昭の世界ネコ歩き】チェコ

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【岩合光昭の世界ネコ歩き】
「チェコ」

(NHK・BSプレミアム・2016/12/24放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/nekoaruki/

<感想>

 今年最後の「世界ネコ歩き」はチェコ。世界遺産の町並みがとても綺麗だったのとともに、どのネコたちもふくよかで人々から愛されている様子がよく分かりました。

 自由奔放なネコたちが多かった中で、ホテルのマスコット的存在のネコ(名前がヤンだから男の子のようですが)。お客様をお見送りする姿がまるでコンシェルジュのようで、とても凛々しくみえました。本人もお仕事しているような感覚になっていたのかもしれませんね(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・チェコ・ボヘミア地方。世界遺産の町並みにいるネコ。クトナー・ホラの町、丘の上に建つゴシック様式の聖バルボラ教会。
・教会にいた白黒のネコが今度はカフェでお客さんに遊んでもらっている。ネコの名前はフランタ。カフェレストランで働いている人がご主人。お客さんから料理のおすそわけを貰ってご機嫌。食後はベンチの下でひと休み。

・キジ色に白のネコ。名前はルージャ。ハチが飛んでいるのを眺めている。ジャンプして取ろうとするが、なかなか取れない。
・車の下でご主人を待っているルージャ。お家に帰る時間?家から飼い主に呼ばれて帰っていった。

・水面に映るかわいい家並み。ホラショヴィツェの村。この地方特有のバロック様式の家が残るこの集落は世界遺産に登録されている。
・茶トラのネコがはしごから降りてきた。ネコのカミルと犬のアルニー。一緒に暮らす仲良しで、いつも遊んでいるという。
・カミルは家の前の池へ、身構えて池の金魚を狙っているようだ。前足を出して取ろうとしたが失敗。まだ諦められず再度狙うが簡単には取れない。
・納屋の屋根裏がカミルの隠れ家のようだ。干し草のベッドで眠り始める。

・中世からの美しい町並みが残るチェスキー・クルムロフ。この歴史地区も世界遺産に登録されている。
・黒白のネコがやって来た。ホテルから出てきた従業員らしき女性からエサをもらう。ネコの名前はヤン。4年前にやって来てそのまま居ついたという。今ではこのホテルのマスコット的存在だという。
・お客様のお見送り?お仕事しているつもりのようにみえるが、お客さんにちゃっかり甘える姿も。

・草むらに三毛猫。川岸に降りていった。鴨の動きを見て狙う構えをみせたが諦めた様子。すると野外のレストランでお客さんに食べ物をおねだりする。
・すると犬が現れて逃げ出した。塀の上に避難したら安心して大きなあくび。

・飼い主と一緒にいるブリティッシュ・ショートヘアーのネコ。このネコの名前もヤン。お城の中を散歩するのが日課だという。
・館長さんの部屋でくつろぐヤン。机の上が定位置だという。

・川沿いにいた三毛猫が再び登場。ヒナを連れた母ガモに忍び寄る。カモは機転を利かして泳ぎ去っていってしまった。その後を付いていくが遅かった。
・狩りを始めて40分、けっこう粘ったが残念な結果に終わった。諦めて引き返していく。
・狩りに失敗したら、またレストランでお客さんに甘え始める。お客さんに体を撫でられているうちに、のんびり眠ってしまった。

(2016/12/29視聴・2016/12/29記)

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【歴史秘話ヒストリア】それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~

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【歴史秘話ヒストリア】
「それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~」

(NHK総合・2016/12/24再放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 戦国武将の中で唯一女性だったということで歴史ファンの中では有名な井伊直虎。今回の番組は2014年5月28日に放送されたものの再放送でした。来年にもあらためてヒストリアで取り上げられるようですね。

 ということで来年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の番宣ということは明らかなのですが、ここにきて直虎に関する歴史的な発見がありました。というのも、番組でも出てきた「井伊美術館」が『直虎が男性だった』とする史料を公表したというのです(→http://www.ii-museum.jp/)。

 どうやら直虎が女性だったという記述は、番組で出てきた「井伊家傅記」のみということらしいのです。しかもそれが書かれたのは江戸時代。そして新史料で指摘していることは、「次郎法師」(井伊家の娘)は、家督を継いだ直虎と同一人物ではなかったということなのですが、その視点でみると不自然な点だと思われる謎が解けるような気がするのです。男性しか使わなかった「花押」を直虎が使ったというのも変ですし、いくら今ほど情報伝達手段が発達していなかったにせよ領主が女性だということを周囲に隠し通すというのは無理があるでしょう。少なくとも今川家にバレていたら即刻攻め込まれて、井伊家滅亡になっていたのでは。

 まあ、いずれにしてもNHKは予定通りドラマを放映するようですし、直虎の性別論争はぜひ今後の展開を期待したいところです。歴史の先生方、ぜひ頑張ってください。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・戦場で傷ついた兵士を救い「天使」と呼ばれたイギリスの看護婦ナイチンゲール。フランスのジャンヌ・ダルクは祖国の勝利に命を捧げ、後に「聖人」と讃えられた。古今東西、大きな危機が訪れたときに類稀な女性たちが現れ、人々の苦難を救ってきた。
・それは我が日本でも。戦国時代の武将・井伊直虎、猛々しい名だが実は女性。その生涯は波乱に満ちていた。僅か5歳で交わされた結婚の約束。淡い恋を育んだが、お家騒動で許嫁は行方不明に。愛のため少女はある行動に出た。
・運命のいたずらで家督を継ぐことになった直虎。やがて非凡な政治力を発揮した。専門家も注目する秘蔵の資料から、その詳細が明らかに。
・地方の一領主から大大名へ、輝ける栄光をもたらした一人の女性の物語。

<お嬢様が戦国武将!? 井伊直虎 苦難の歩み>
・室町幕府の衰えとともに日本全国を戦乱が覆っていた時代、井伊直虎が生まれたのは天文4年(1535年)頃と考えられている。実家は数百年にわたって「井伊谷」一帯を治めていた領主。幼名などの記録は残っていないが、一人娘だったため可愛らしい名前で大切に育てられたことだろう。
・この頃、地方に根づきその地盤を領地として支配した武士を「国人」あるいは「国人領主」と呼ぶ。井伊家もそうした国人の一つ。15ほどの集落を治め、質素ながらも城を構えていた。標高115mの小高い山、井伊家の築いた山城の跡がある(井伊谷城跡)。
・戦国時代は地方の国人領主にすぎなかった井伊家。しかしその後、徳川幕府でも屈指の大大名となり有名な大老・井伊直弼を世に出すことになる。
・まず井伊家とはどんな一族だったのか。城跡にほど近い井伊家の菩提寺である龍潭寺(静岡県浜松市)。19代目住職の武藤全裕さんは、長らく井伊家の研究を続けてきた。
・寺に代々伝わる「井伊家傅記」。平安時代から続く井伊家の歴史がまとめられている。他の史料にない記述が多く、研究者も注目する貴重な史料だ。

「女にこそあれ井伊家惣領に生まれ候」

・本来、女性の直虎が井伊家を継ぐ可能性は殆どなかった。代わって跡継ぎと考えられていたのが、直虎が僅か5歳のとき許嫁となったいとこの直親。いずれは夫婦となり、ともに井伊家を盛りたてる。2人は幼い頃からそう教えられていた。
・天文13年(1544年)直虎10歳のとき、ある事件が起きた。直虎が将来直親と結婚する形で進められていた井伊家の家督相続。それに不満を抱いた家老の一人が陰謀を企てた。家老は幼い直親を亡き者にしようと暗殺団を送り込んだ。それに気づいた直親の親族が間一髪で井伊家の領地から脱出させた。
・長野県下伊那郡にある松源寺。命からがら逃れた直親が身を寄せた寺だ。井伊家家中で争いが起こることを恐れた直虎の父は、家老を罰しなかった。一方で直親の命を守るため、その所在も生死すらも一切秘密にした。
・それは許嫁の直虎に対して同様だった。直虎が父にどんなに問いただしても答えはもらえなかった。胸が潰れるほど思い詰めた直虎は、幼いながらも周囲を驚かす行動に出た。

剃髪して出家した。生涯独身という強い意志があった。直親以外の男性と結婚はしない(武藤住職)

・可愛いさかりの娘。父と母は許嫁のことは忘れるよう説得したようだが、しかし直虎は頑として受け入れず仏門に入った。
・それから時は流れて弘治元年(1555年)直虎が21歳となったこの年、実家から1通の書状が届いた。何事かと書状を開いた直虎、読み進むうちにその内容に愕然とした。なんと許嫁の直親が生きていたというのだ。直親に反発していた家老が病で亡くなったため、晴れて直親が逃亡先から帰ってくるという知らせだった。
・愛しい直親に会いたい。しかし自分は既に出家した身。寺の定めではもはや直親と夫婦にはなれなかった。やがて帰国した直親は井伊家の家督を継ぐために早々に別の女性と結婚。直親と新妻との間には男子(後の井伊直政)も生まれた。
・井伊家家中が喜びに沸く中、一人寺に身を置き続けた直虎。その胸中はいかばかりだったことだろう。ところが天は直虎に更なる試練を与える。家督を継いだばかりの直親が暗殺された。井伊家の領地を狙う戦国大名・今川家の仕業だった。
・このとき井伊家を継ぐべき男子は直親の子・直政のみ。しかしいまだ2歳と幼く、とても一家の当主を務められなかった。お家存亡の危機、そこで全てを託されたのが前の当主の子・直虎だった。許嫁との永遠の別れに悲しむ間もなく、直虎の境遇は一変した。

家をつなぐというのは血縁関係でつなぐだけではなく、今でいう会社組織のトップなのでそれを守る使命がある。当時一般的には(家を継ぐのは)男の役目。普通は養子を迎えれば済んだ話だが、直虎の場合は特殊だった(静岡大学名誉教授の小和田哲男氏)

・多くの群雄が割拠し弱肉強食の争いを繰り広げた戦国時代。そうした乱世に直虎は世にも稀な女性の戦国武将として、新たな人生を歩むこととなった。
・直虎は出家したため結婚はできなかったのに、なぜ俗世に戻ることができたのか。その秘密は出家したときの名前に隠されている。「次郎法師」通常これは男性が用いるもの。つまり直虎は「僧侶=男」として出家していた。
・当時、禅宗の寺では尼になると二度と俗世には戻れないという定めがあった。そこで直虎は家督相続などで実家が危機に陥ったときに備え、俗世に戻ることができる僧侶となったようだ。ただしたとえ僧侶でも結婚は禁止。このため直虎は生きて戻った直親との関係に苦しむこととなった。

<政治手腕は戦国一!? おんな城主・直虎>
・永禄8年(1565年)直虎31歳のとき家督を継いだ。城を構え領地を治める国人領主ではあったが、その立場は微妙だった。この頃、全国各地では軍事力を誇る戦国大名が力をふるい、その土地土地の国人領主たちも戦国大名の支配を受けるようになっていた。
・直虎の本拠・井伊谷のあった遠江国は、戦国大名・今川家の領国とされていた。直虎は井伊谷の地を治めながら今川家の命令を受ける、いわば中間管理職のような立場だった。
・そうした国人領主たちの悩みの種は、上の大名たちが繰り返す戦の費用。国人領主が領民から得る年貢がそれに充てられていたが、その額は増える一方で領主たちの台所はいつも火の車だったようだ。
・かといって年貢を増やせば領民の一揆を招き、収入そのものを失いかねなかった。そのため時には食事や酒を振る舞い、気持ちよく年貢を払ってもらえるよう努めた。領民の普段の暮らしにも気を配り、時には相続や離婚のゴタゴタの仲裁までしたとか。
・一方で大名にも絶えずご機嫌伺い。少しでも怠慢、反抗的と受け取られたら最悪、討伐を受け家を滅ぼされかねなかった。戦国大名と領民の板挟みに耐えかね、村を売り払った国人領主もいたという。
・そんなさなか領主となった直虎。ただでさえ大変な立場に加えて、男中心だった戦国の領主の世界では特に苦労が多かったに違いない。一体、直虎はどうやってこの難局に立ち向かったのか。直虎がとった作戦の一つを知る手掛かりが浜松市博物館に残されている。
・直虎直筆の書状に「花押」が記されている。花押は当時、男。それも身分の高い人物だけが用いた。花押を使う者とはすなわち土地と民を治める男性だった。

直虎が花押を使ったのは、男性と(思わせるよう)意識していた。対外的に直虎が女性であることは、あまり知られていなかったと思う。戦乱の時代なので、他国から女性の領主だからと攻められる可能性もあった(浜松市博物館学芸員の久野正博氏)

・直虎が利用したのは花押だけではなかった。直虎という、いかにも武将らしい名前。実は領主となってから名乗り始めた。
・さらに直虎は領地を治める力量にも目を見張るものがあった。今川家との間で交わされた書状「蜂前神社文書」には、徳政令つまり借金の棒引き命令に関するやり取りで、その文面を追うと巧みな政治手腕が浮かび上がる。
・事の発端は田畑の不作で借金返済に窮した農民による今川家への直訴だった。訴えを受けた今川家は農民たちの直接の領主である直虎に徳政令を出すよう命じている。
・普通ならおとなしく命に従い徳政令を出すところだが、直虎はためらった。国人領主の常として経済的に苦しかった井伊家は領内の商人から金を借りて不足を補っていた。徳政令を出せば商人が破たんし、今後井伊家は借金ができなくなりお家の危機に直面する。
・しかし徳政令を出さなければ、生活苦に追い詰められた農民たちが一揆を起こし井伊谷は大混乱に陥る可能性があった。それこそが今川家の真の狙いだった。井伊家の支配をかき乱し、その隙に領地を奪ってしまおうという魂胆だった。

残された史料から見て井伊谷徳政をめぐる動きをどう仕切っていくか、どう平和をもたらすか、瀬戸際に直虎は立たされていた。農民たちもどう動いていくか、非常に混迷した状況に立たざるを得なかった(駒沢大学副学長の久保田昌希氏)

・もつれ合う利害の中で迫られる決断。そして直虎は徳政令の見送りを決定。商人を保護し、井伊家の経済的安定を最優先することにした。しかしはっきり徳政令は出さないと言えば、今川家への謀反と受け取られかねなかった。
・そこで今川家には「商人たちを説得する猶予がほしい」と時間稼ぎを開始。その間に商人を徳政令から除外する特例措置の下準備を進めた。こうしておけば今川家でも文句は言えないというのが当時の慣習だった。
・更に徳政令を求めた農民たちが一揆を起こさないよう、その動向に細心の注意を払い続けた。今川家、商人、農民の三者の絶妙なバランスを直虎は必死に保ち、井伊家を守るため心を砕き続けた。
・直虎が苦心して徳政令を回避し続けるさなか、今川家から送られてきた書状には「太以曲事二候」(徳政令を先延ばしにするのは以ての外であり許されない)と。自分たちの企てが進まない今川家は苛立ちを募らせていた。
・しかし直虎は脅しに屈することなく更に時間を引き延ばし、裏で商人たちに対する徳政令免除の手はずを整えた。その期間はなんと1年半もの長きにわたった。
・そして全ての準備を終えた永禄11年(1568年)11月、ようやく徳政令が出された。しかし直虎の巧みな根回しによって今川家が狙っていたような混乱は起こらなかった。

徳政令をめぐって直虎は非常に慎重に行動して、政治的な調整をしなければならなかった。それを直虎は見事に乗り切って井伊谷に平和を呼び戻す努力を行った。その政治的手腕は大いに評価できる(同上)

・この徳政令の実施では直虎はもう一つ大切なものを守っていた。それは幼き日に失意のあまり出家し、僧侶として過ごした龍潭寺。当時の寺はお布施などで得た金銭を庶民に貸し、その利子で寺を修繕するなど現代の金融機関のような運営をしていた。徳政令が出されれば貸した金は戻らないばかりか担保の土地も借り手に戻され、寺が立ち行かなくなる可能性があった。直虎は担保の土地だけは徳政令の適用から除外する書状を龍潭寺に発行。寺を存続の危機から救っていた。
・おんな城主・井伊直虎。力がモノを言う時代にあって、知恵をしたたかさで領地を守り切った見事な政治手腕の持ち主だった。

<どん底からの大逆転!>
・徳政令をめぐり知略を尽くして今川家と戦った直虎。万事丸く収まったかに思われたが、それで終わりではなかった。
・今川家は徳政令を指示しておきながら、いざ実施されると直虎には統治能力がないと言いがかりをつけ、力づくで領地を奪った。井伊家は離散。直虎は幼い直政とともに城を追われた。
・城も領地も全て失った直虎。永禄11年(1568年)11月、龍潭寺に身を寄せた。井伊家復活の道を探る直虎だったが、遠江をめぐる情勢はますます混沌としていた。
・直虎が龍潭寺に入った直後、今川家が隣国の武田、徳川両家に攻め込まれ滅亡した。今より井伊家を再興するには武田家、徳川家いずれかの庇護を受ける必要があった。この選択を誤れば再び家を興すどころか、その大名もろとも滅び去るかもしれなかった。他の大名の動向、戦の勝ち負けなども把握し将来を見極める必要があった。
・直虎以外の国人領主たちの判断は真っ二つに分かれた。武田家を選んだ者、徳川家を選んだ者ほぼ同数。井伊家はどちらに付くべきか決め手が見つからなかった。悩んだ直虎は散り散りになった親族にも連絡を取り、意見を求めていた。
・井伊家の未来が懸かった究極の選択。直虎が選んだのは徳川家だった。当主の家康は当時、織田信長の同盟相手に過ぎない存在。決め手は何だったのか。
・「井伊家傅記」を詳細に読み込むと、直虎の心を決めさせたのは亡き許嫁・直親だったと考えられる。いずれ(徳川に)仕えたいという直親の遺志ではないかと思わせる出来事があった。生前、直親は密かに井伊家が今川家を離れ、徳川家に従う準備を進めていた。更には生まれて間もない直政を家康に仕えさせようとすらしていた。

三河の徳川家康が上り調子。これが(家康を選んだ)理由の一つ。もう一つは亡き直親が今川と徳川
を両天秤にかけて「今川を離れて徳川につきたい」との思いを、たぶん直虎は知っていた。亡き許嫁の思いを自分の代で受け継ぎたい。直政を徳川家に仕えさせたいという思いだった(小和田哲男氏)


・天正3年(1575年)直虎41歳のとき、許嫁の忘れ形見である直政が15歳になると直虎は行動を起こした。それは家康に直政の家臣取り立てを願い出ること。しかしそれを訴えようにも流浪の家の者が、大名である家康にすんなり会えるとは思えない。
・そこで直虎は家康の行動を調べ上げ、ある計画を立てた。家康が趣味の鷹狩りに赴く道すがら、直政に出会うという機会をつくり出すということ。「井伊家傅記」には直虎が周到に準備を進め、家康と会うときの直政の衣装も手ずから縫ったと記されている。

直虎は一計を案じて、家康の目に留まるにはどうすれば良いかと考えた。注目されるような着物を縫って家康の目に留まるような工夫をした。それは直虎が直政を後見しよう、跡取りとして育てようという思いからだった(京都橘大学名誉教授の田端泰子氏)

・天正3年(1575年)2月15日、直虎の計画実行の日。場所は現在の静岡県浜松市。直虎手縫いの衣装を身につけた直政は道端に立ち、鷹狩りの家康一行が通りかかるのを待った。そして家康がやって来ると深々と頭を下げた。古来、井伊家と徳川家が関わりがあることを伝え、自分も家康に仕えたいと願い出た。
・徳川家の記録(東照宮御実紀)によると、このときの家康の様子は「直政を只者ではない顔つきであると思われた」。どうやら直政を一目で気に入ったようだった。直虎の計画は見事成功。直政は家臣に取り立てられ「万千代」という名まで授けられた。
・徳川家臣団の一員となった直政は、その後めきめきと頭角を現した。あるときは家康が刺客に襲われ間一髪のところを救い、またあるときは宿敵・武田家との合戦で獅子奮迅の働きをした。その戦いぶりは敵だけでなく味方をも驚かせたとか。
・この頃、出世街道をばく進する直政に直虎が贈った品がある。戦勝祈願の4本の旗「四神旗」が京都市東山区の井伊美術館に保存されている。そこに認められた神の御加護を祈るまじないの文言は直虎が書いたものと伝わる。

(直虎は)直政を見ていて、期待できる人間と分かったんじゃないか。彼がちゃんとやってくれれば井伊家の繁栄は疑いないと。私(直虎)でつながったから直政もしっかり頑張れという意味があった(井伊美術館館長の井伊達夫氏)

・将来を託された直政は、その後も八面六臂の大活躍。直虎の期待以上の井伊家当主として成長していった。一時は滅亡の瀬戸際に立たされた井伊家。しかし戦乱の世に生まれた稀有なおんな城主・直虎の執念で見事再興を果たした。

<直虎 そして井伊家のその後>
・直政が仕官し家督を継いだ後、直虎はゆかりの龍潭寺で余生をおくる。直虎が願い続けたのは井伊家の繁栄。それを確かなものとする歴史的事件があった。
・天正10年(1582年)6月2日、京都・本能寺で織田信長が明智光秀の謀反に遭い落命。近くに滞在していた徳川家康にも危機が迫った。家康は一刻も早く本拠地の三河国に戻り、態勢を立て直す必要があった。
・このとき側近中の側近として警護を任されたのが井伊直政だった。追っ手を逃れ、道なき道へ。伊賀国(三重県)の山中を抜ける大脱出が敢行された。落武者狩りなど危険に満ちた道中、直政は命を懸けて家康を守り抜いた。
・後々まで家康が生涯最大の苦難と語った脱出行「伊賀越え」。このときの働きを賞され、直政に褒美として授けられたものがある。当時、稀少だった孔雀の羽を一面にあしらった陣羽織(孔雀尾具足陣羽織)。家康の深い感謝の念が込められている。
・その後、井伊家は近江国・彦根に移り、徳川幕府を担う譜代大名の中でも一番の家柄となった。井伊谷の国人領主から日本有数の大大名へという驚くべき出世だった。
・直虎が亡くなったのは、直政が名を挙げた伊賀越えの僅か3か月後の天正10年(1582年)8月26日。井伊家の安泰を確信し、世を去ったかのような最期だった(享年48)。墓は菩提寺の龍潭寺に建てられた。場所は許嫁・直親の墓の隣。結ばれることのなかった愛しい人に寄り添うように並んでいる。
・乱世に生を受け、あえて男の名を名乗り城主の重責を負った井伊直虎。逆境にあらがい、滅びかけた我が家を絶望の淵から蘇らせた力の源。それは幼き日の心に刻まれた一途な愛に他ならなかった。

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【空から日本を見てみよう+】新潟県上越~柏崎~出雲崎

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【空から日本を見てみよう+】
「新潟県上越~柏崎~出雲崎」

(BSジャパン・2016/12/27放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 先週に引き続いて新潟県内。上越市から柏崎を抜けて出雲崎へと巡る旅。私も鉄道でのんびりと旅したことがあります。

ほくほく線

ほくほく線

 番組で紹介されていた北越急行ほくほく線の「ゆめぞら」にも乗車しました。プロジェクション・マッピングで映し出される映像は、なかなか楽しませてもらえるものでした。同様の取り組みが会津鉄道のイベント列車でも行われていますし、こうした取り組みはもっと広がればいいと思いますね(特にJRでも)。

 今年最後のレギュラー放送ということで大晦日はアンコール放送がありますが、そちらは以前観たものと内容が重複するので記事にするのは割愛します。来年もあちこちを巡るくもじい&くもみの旅、ぜひ楽しみにしています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<新潟県上越市周辺>
・人口:195,737人(県3位)面積:973.81平方キロメートル(県2位)(2016年4月1日現在)
・上越市立水族博物館はマゼランペンギンの飼育数が日本一。
・トラットリア ラ・ペントラッチャ。イタリアから直接仕入れてきたワインや食材も充実。
・Jマテ.カッパープロダクツ。上水道関連部品は安価で腐食しにくいという理由で主に銅合金を使用。
・シアター・トレインゆめぞら。北越急行ほくほく線は犀潟駅と六日町駅の間に長いトンネルが5つある。土日祝日に運行。14台のプロジェクターを使い全部で5種類の映像を上映。
・くびき野レールパーク。1914~71年、新黒井駅と浦川原駅の間15kmを頸城鉄道が運行していた。百間町駅にあった車両区を利用し2005年にオープン。客車改造気動車ホジ3などが動態保存されている。
・くびき駅舎。宇宙をイメージした建物。

<新潟県柏崎市周辺>
・人口:86,158人(県6位)面積:442.03平方キロメートル(県13位)(2016年4月1日現在)
・元内閣総理大臣・田中角榮の出身地。
・青海川駅。日本海のすぐ近くにある駅。
・くじらのオブジェの鯨波地下横断歩道。スイッチを入れると噴水が上がる。
・四代晴雲 原 惣右ェ門工房。銅の鋳物を作っている。
・ブルボン本社。柏崎駅前にある。
・日本石油柏崎製油所跡地。柏崎近郊には西山油田があり現在のJXエネルギーの母体のひとつ日本石油はじめ40以上の製油所があった。
・日本フローサーブ柏崎工場。タンクからタンクに石油を移動させるポンプを製造している。
・精密バネを製造しているアドバネクス。
・ティクスTSK。石油や温泉などの掘削に使うロックビットを製造している。ロックビットは3つの刃が干渉せず回転できるようになっている。
・世界一のプロジェクター用反射鏡メーカー、新潟岡本硝子。プロジェクター用反射鏡は耐熱性と光の乱反射を防ぐために傷ひとつない内面が重要。
・荻ノ島環状集落。湧き水を生活用水として利用していた頃、水を引くために水路の周りに家を建てた。

<新潟県出雲崎町周辺>
・人口:4,496人(県29位)面積:44.38平方キロメートル(県25位)(2016年4月1日現在)
・演歌歌手ジェロの「海雪」の舞台。
・越後出雲崎 天領の里。物産館や出雲崎の歴史が学べる施設がある。出雲崎では大正時代以降、漁師の奥さんの内職としてパラフィン紙の紙風船が作られるようになった。
・海岸沿いの国道が通っているところは1970年代半ばから埋め立てられた。それ以前は家のぎりぎりまで海だった。今も岸壁や家から船に乗り降りするための階段などが残っている。

(2016/12/30視聴・2016/12/30記)

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【ドキュメント72時間】朝まで!ドキュメント72時間2016

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【ドキュメント72時間】
「朝まで!ドキュメント72時間2016」

(NHK総合・2016/12/29放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 去年の「朝までドキュメント72時間」に続いて、今年1年間に放送された「ドキュメント72時間」の中で「もう一度観たい」ものを視聴者投票するというスペシャル。さすがに朝まで視聴するのは体力的に厳しかったので、録画したものを幾つか視聴しました。ちなみに今年の全作品は視聴して記事を起こしていますので、見逃した方はリンクからご覧いただければと思います。

 先日も書きましたが、私の投票は「もう一度観たい72時間」は「真冬の東京 その名は“はな子”」、「その後を観たい人」は「冬・津軽 100円の温泉で」の「100円温泉を愛する会の会長さん」でした。どちらも10位以内にランキングされました。やはり印象に残っている人が多かったのですね。

 あとは、まあ順当だったかもしれないですね。1位の長崎のお盆の花火はインパクトが十分ありましたし、「酷道439号」も個性あふれる方々が多かったですね。

 個人的にランクインしてほしかったのは「恋に恋して バレンタイン神社」と「大都会 犬と猫のシェルターで」でした。神社の方は中学生の女の子がうんと背伸びしてGODIVAのチョコレートを先輩にプレゼントしている姿がとても可愛らしくて、そして家に帰るまで中を開けないという男の子も微笑ましい光景でした。

 また犬と猫のシェルターは、ゆるい進行の多いこの番組の中で数少ない硬派一本の構成で、人間たちのエゴに翻弄される動物たちの姿をきちんと取り上げた内容となっていました。

 年末のスペシャルのトークは多少蛇足気味のところがありますが、松崎ナオさんのミニライブもあるし、取り上げた人々のその後を追ったところも興味深いし、ぜひまた来年も放送してほしいです。まあ、その前に来年の「ドキュメント72時間」も、多くの人々の日常の光景をありのままに切り取った、そんな模様をみせてほしいと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

1位:「長崎 お盆はド派手に花火屋で
2位:「ゆきゆきて 酷道439
3位:「四国 海だけの小さな駅で
4位:「冬・津軽 100円の温泉で
5位:「囲碁の魔力に囚われて
6位:「京都 青春の鴨川デルタ
7位:「さらば!俺たちの船橋オート
7位:「札幌 聖夜のバスターミナル
9位:「福岡・中洲 真夜中の保育園
10位:「真冬の東京 その名は“はな子”
番外:「突撃!秘密のネットオークション


・松崎ナオさんのメドレー「そうして回る」「川べりの家、」
・テレビ評論家の吉田潮さんのインタビュー。

(2016/12/30視聴・2016/12/30記)

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黄昏のゴルフ打ちっ放し
四国 海だけの小さな駅で
平塚 多国籍のお肉屋さん
大都会 モンスターに沸く公園で
福井 真夏の無人氷屋
長崎 お盆はド派手に花火屋で
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スペシャル ブラジル 祈り満つる秘密の聖地で
突撃!秘密のネットオークション
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名古屋 レトロ喫茶へようこそ
広島 大統領を待つ街角で
囲碁の魔力に囚われて
京都 青春の鴨川デルタ
浅草 大人のジェットコースター
火山の島 フェリーにゆられて行ったり来たり
アンコール 真冬の東京 その名は“はな子”
ゆきゆきて 酷道439
群馬 伊勢崎 いつものフードコートで
異国でハンコをたずさえて
北のどんぶり飯物語
真冬の自販機の前で・惜別編
さらば!俺たちの船橋オート
大都会 犬と猫のシェルターで
昭和歌謡に引き寄せられて
日韓72時間 くらべちゃいましたSP
秋田 真冬の自販機の前で(番外編)
恋に恋して バレンタイン神社
冬・津軽 100円の温泉で
真冬の東京 その名は“はな子”
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【ETV特集】空にいるあなたへ~岩手・陸前高田“漂流ポスト”~

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【ETV特集】
「空にいるあなたへ~岩手・陸前高田“漂流ポスト”~」

(Eテレ・2016/12/24放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 まず最初に10月8日に放送された、【ETV特集】原発に一番近い病院 ある老医師の2000日で登場した、福島県双葉郡広野町にある高野病院の高野英男院長のご自宅で12月30日夜、火災が発生。室内から男性の遺体が発見されたというニュースがありました。
 おそらく亡くなられたのは高野先生ではないかとのことです。
 なお、この番組はアンコール放送として、2017年1月21日(土)午後11時から再放送される予定ですので、ぜひご覧いただければと思います。
 あらためて心から哀悼の意を表します。

 さて2016年最後の更新となる記事は、東日本大震災で家族を亡くした人たちが故人へ思いを寄せて手紙をしたため、それを受け止めるという“漂流ポスト”を取り上げたドキュメント。このポストの存在とそれを運営している喫茶店のご主人がいらっしゃる話は、別の番組で観ていました(→【NNNドキュメント’16】漂流ポスト…あなたへ)。

 またポストではありませんが大槌町には電話ボックスもあるということです(→【NHKスペシャル】風の電話~残された人々の声~)。

 どちらも自分の内なる思いを吐き出す場として、そして心の拠り所となるものというのは必要だなと思いました。ある日突然愛する家族を失った喪失感というのは何年経ったから完全に癒されるというものではないと思います。そういう方々への心のケアというのが本当に大事だと痛感します。

 同時に原発事故で未だに避難生活を余儀なくされている人、復興住宅の建設が遅れて仮設住宅での生活を続けている人、さらに今年は熊本地震もあり新たな被災者も出てしまいました。五輪の会場がどうのだとか豊洲の市場がどうのだとかニュースになっていますが、未だに生活再建もままならない人々にもっと光を当てて、手を差し伸べるべきだと強く思います。私も来年も引き続き、被災地を見守り応援する活動を続けていきたいと思いますし、当ブログでも震災関連の番組を紹介していきたいと思っています。

 今年1年、当ブログをご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。
 どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・東日本大震災では15,893人が亡くなり、いまだに2,556人が行方不明のまま。
・髙野慶子さんの息子は津波で命を奪われた。慶子さんは亡くなった息子に宛てて手紙を書いた。

トモへ
おーい トモ おかあさんだよ~
元気かあ?
ドリフトはしてるかな?
トモが空に行ってから4年
会いたいよ 声ききたいよ
トモが空から見つけられる様に
おかあさんは
空色の車で走ってるよ
おかあさんを見たら
また言ってね
夜勤明けのおかあさん
マヂこえ~わって(笑)
そう言って笑ってね…
また手紙書くね。
おかあさんより


・亡き人への思い。その気持ちを受け止めてくれるポストがある。“漂流ポスト”と名付けられている。このポストには、亡き人に宛てた手紙が次々と届けられてくる。

手紙を書く場所、何て言うんだろう、自分の思っていることとか普通の会話をできるような場所ってなかったし、そういう所がどこかにないのかなとかってずっと思ってたら、新聞に書いてあったから、あっここなら手紙出せるわと思って。何か嬉しかったんで…初めてラブレター出すじゃないけど、書けたね、うん良かったみたいな感じで、ちょっとウキウキ(髙野さん)

・手紙に込めた思いを見つめる。

<新しい町づくりが進められている陸前高田市>
・岩手県陸前高田市。あの日から5年あまりの歳月が流れた。津波で中心市街地の全てが消失した。震災前まで営まれていた平穏な暮らし。

海は白い壁が見えますけども、あれが防潮堤です。その先に海があるわけですけども、12.5mの防潮堤ですし、ここは10mくらい(の高さ)ですので、高さの差で(海が)見えない(陸前高田市の熊谷正文復興局長)
(こちらが、かさ上げされたエリア?)
もう計画通りの高さまで盛り土が終わりまして、いま建物を建てるための工事に入っているところです。そして来年の予定では3月末には建物は出来て、お店がゴールデンウィーク前、4月後半には出来るという、新しい町が出来る予定の場所です。

高台には少しずつ家が建っていますが、かつての中心地に新しい商業施設、商店の方々に戻ってきていただいて、賑わいのあるエリアとして新しい町を作ってもらいたい。その第一歩が始まったということで、これからを期待しているところです(同上)


<森の中の喫茶店にある“漂流ポスト”>
・新しい町の再建に向けて復興工事が進む陸前高田市。その町の中心地から車で30分の広田半島。その森の中に“漂流ポスト”はある。
・“漂流ポスト”は喫茶店の入り口に置かれている。喫茶店のオーナー赤川勇治さん(67)は、2年前に亡き人への手紙を預かることを始めた。ここでは届いた手紙を静かに読むことができる。

手紙を書けば気持ちが少しは楽になるんじゃないかっていう気持ちと、また気持ちを楽にするために手紙を書くまでに辿り着いていない人たちが、その届いた手紙を見ることによって、その方たちの気持ちが自分ひとりじゃないんだっていうことだけを考えて始めた漂流ポストだから。だから1人でも2人でもね、気持ちが少しでも和らいだ人がいたら、この漂流ポストの目的が果たせたんじゃないかなって(赤川さん)

・これまでに300通を超える手紙が届いている。

恋人Mへ

Mへ
ご無沙汰してます。
俺は今、震災後初めての旅行中です。
震災前は2人でよく一緒に旅行した北海道。
寂しいというか、辛いよ。
いつまでもこんなんじゃダメだよね。
でももっとたくさん
いろんな所に行きたかったね。
とりあえず 来週末に帰るよ。
土産話 楽しみにしてて。
お土産もたくさん持って
大船渡に会いに行くよ。
From.T


娘から母へ

あの日は同じ方向に仕事に出て、
同じタイミングで
津波に遭いましたね。
私が生き残り、母が亡くなった。
その差はいったい
何だったのでしょう。
目の前の出来事に、あれから何度も生きる意味を考え、迷い、
悲嘆と後悔と無力さに暮れ
葛藤に襲われました。
それを全部自分ではない誰かの話か
何かのようにして3年…
見ないようにして時が経つのは、
あっという間でした。
向き合うのが怖くて…今でも信じられなくて
生前の母を夢で見ては、ハッと朝目覚めて
現実の酷さに落ち込みます。
手紙を書いている内、
少し気持ちが楽になりました。
実は以前、手紙を書いたのですよ。
宛がなくて
我が家の仏壇に置いたのですが、
今度は確実に
誰かの心に届くのですね。
母、こんな娘ですが長い目で見守って見ていてね。
やりたいこと1つひとつクリアしていきますから。
報告しますのでハラハラするでしょうけど…
温かいいつもの眼差しで宜しくお願いします。


<夫を亡くした妻からの手紙>
・仙台市に住む佐藤せつ子さん(61)。消防署に勤めていた夫・武敏さん(享年56)は避難誘導中に津波に襲われた。南三陸町にあった自宅は津波で全壊。今は仙台で一人暮らしをしている。

(すごい写真の量ですね?)
まだいっぱいあるんですけど、お友達とか消防(夫の職場)の人とか、何もかも無くしたから頂いた写真はみんな手元に置いておこうと思って。

遺体にしてた時計、これ。出かけるときは必ず、運転するときは必ずこうして「今から行きます。守って下さい」って。何でも「守って下さい」って、お願い事を。たった一つの形見です(佐藤さん)


(どんなご主人様なんですか?)
優しい。すごい几帳面。多分こういうの見てたら「もっと片付けなさい」って言う人です。きちん、きちんと。すごい何か清潔感があるっていうか、すごい何か身だしなみとか、きちっとする人でしたね(同上)

・初めて手紙を出したのは2年前、夫の誕生日の直後だった。

佐藤武敏様
昨夜 夢を見ました。
知らない街を旅行していました。
知らない消防署にも行きました。
六月十四日は
還暦を迎える日でした。
消防署にケーキを届けました。
ひとりで寂しい夜でした。
あなたは、いつまでも五十六歳。
私はあなたを追い越し、
五十八歳になりました。
穏やかで、心静かな気持ちで
そちらの世界で過ごしていけるよう願っています。
逢いたいです。
せつ子


たぶん(手紙が夫に)届いていると思って、私も何か出したんだ。もう届いたなって、答えてくれるような気がして。お父さん読んで「あっ、こうだよ」「あっ、そっか」って自分で多分納得してるんですよね。気持ちが何か落ち着くっていうか(手紙を書くのは)私のためなんでしょうけど。どうしようもないことだから、誰に言っても仕方のないことだから、多分手紙で自分の気持ちを落ち着かせたかったんだと思う。出したら何か、この最初のときすごく悩んだけど、また出そうと思ったのは、やっぱりそういうのはあると思うから(同上)

・せつ子さんは折に触れ、手紙で夫の報告している。

前略
お父さん お元気でしょうか。
今日は逢いたくて お手紙を書いています。
毎日毎日想っています…。
孫たちが小学校に
無事入学しましたよ。
お父さんに見せてやりたかったです。
街中で夫婦連れの方々を見かけると、
どうしても寂しい気持ちになるのは
仕方がないことですよね。
今頃、お父さんと
ヨーロッパ旅行をしていたでしょうね。
二人の約束でしたよね。
でもひとりでは行けない。
いつか孫達と行けたらいいけど…。


<息子を亡くした母からの手紙>
・宮城県南三陸町。髙野慶子さんは息子・智則さん(享年22)を津波で亡くした。自宅は津波で流され、今もアパートで夫の和則さん(54)と避難生活を送っている。

(こちらのアパートに来てどれくらいなんですか?)
震災後1か月、4月の20日あたりだった(和則さん)

最後のメールってこれなんだよ「あと一万貯金して来てください」。2時40分、このメールを最後に着信は鳴らなかったと(慶子さん)
(これ、どういう意味だったんですか?)
(智則の)給料日になったから「貯金どうするの?」って、通帳預かっていたから。これが最後です(同上)

・智則さんは小さい頃から車が好きで、自動車の修理工場に勤めていた。その職場で津波に襲われた。

これが乗ってたやつかな。普段乗ってた車で、これがレースにたまに出たりとかしてたみたい。この車をいじってる時の顔がまた、幸せいっぱいって感じ。本当に幸せって感じの顔の、ニコニコって感じで。よくこんな暗い中、毎日やってるねとかって思うほど。そうするとまた同じような、こういうような感じの車の子たちが集まって、みんなして。でもみんな会うと必ず「あっ、こんばんは~」とか「おじゃましてま~す」とかって、みんな言ってくれて。みんなでどっかにまたブーンとドライブに行くという生活を毎日してたと。友達は多かったのかな(同上)

・慶子さんは2年前、“漂流ポスト”ができた直後に手紙を出した。

Dearとも
お元気ですかー? ともさん
おかーさんだよーん…
空の上の生活はどうだね?なれたかな?
おかーさんは、ともの表情・声・体温を
感じられない生活に ぜんぜんなれないや
でもね、時々、
どこからか聞こえてくる
ともと同じような車のエンジン音に
「ともが帰ってきた」って思うんだよ。
それに、「あ、今ともが居た」とか
思う時あるんだよ。
きっと、そう思う時は
近くに居るんだよね。
近くに居るなら、
かお見せて。声きかせて。
お願いだから…
とも、とも、とものり、ともぴー、ともちゃん
あの日から5年目がくるね…
体を大切にネ…
大好きなともへ
おかーさんより。


同じような服着てる子見れば、もしかしてともじゃないかとかって思ったりとか。会話がしたい、話したいとか、声聞きたいと思ってて、その会話ができる場所があのポストなんだと思う(同上)

(手紙を書いて気持ちが変わったんですか?)
変わってないかな。でも何で居ないんだろうって思うのは、今でも思うもん。5年半経とうが何年経とうが、何でここに居ないのかなって。本当は嘘なんじゃないかな?ともが居ないっていうことは嘘なんじゃないかなとか。多分何年経ってもその気持ちは変わらないけど。でもこっちの思っていることを伝えるすべ(手紙)というか、それなんでしょう。こっちが思っていることを空の上で読んで、あっそうか、今お父さんとお母さんこういうこと思ってんだとか、こうなんだなとかって分かってもらっていれば、いつの日か私たちがそっちに行ったときに「お母さん、あん時さそう思ってたみたいだけどさ」とかって会話になるんじゃない?「俺、見てて違うと思うよ」とかって言われるかもしれないし「分かる分かる。あん時お母さんの気持ち、俺見てて分かってたもん」とか言われるかもしれないし、そのときの会話のためのレポート提出ですか?うん(同上)

<ノートに綴られた亡き人への思い>
・“漂流ポスト”を訪れる人たち。ここでは手紙を読むだけでなく、ノートに亡き人への思いをつづることもできる。

親友に宛てた手紙

志奈ちゃんへ
まさかこんな事が起きて
志奈ちゃんに会えなくなっちゃうなんて
思いもしませんでした。
小学校で初めて出来た『親友』
それがあなたでした…。
私はあまりにも子供で
自分勝手で中学生になる頃には
他の友達と遊ぶ事も
楽しくなっちゃって、
志奈ちゃんに
優しくしてあげる事が
できなくなった時期が続き、
家が目の前にあるにもかかわらず、
なんかケンカ別れみたく
なっちゃったね。
「ごめんなさい、本当に私が悪かったよ」って
それなのに3・11が起きて
私達はもう再会出来なくなって
しまいましたね。
あなたが結婚し
子供を産んだばかりで、
本当に幸せな生活を送っていたと
お母さんから聞き
写真を見せてもらい、
大人になった志奈ちゃんに
初めて会いました。
やっぱりキレイだった。
色白でやわらかい雰囲気は
昔のまんま。
私、なんで
あやまれなかったんだろうって、
ずっと後悔していて、
何度か実家におがみに行ったら
お母さんに
『もう、志奈子、わかってるから
大丈夫よ!』って
言ってもらいました。
全然納得はしていないけど、
ケンカのまんまじゃツライから
私はもう『ごめん』は卒業するね。
これからは
『ありがとう』にするよ。
まだまだ先だとは思うけど
私もそっちに行った時は仲なおりさせて下さい。
一緒にお酒飲みたいよ。
それまで私も精いっぱい生きます。
大好きだよ、志奈ちゃん。
真紀子より


お兄ちゃんに宛てた手紙

将成兄ちゃんへ
久しぶり!元気?
私は元気です!
今は中学校に入学して楽しくやっているよ!
部活は吹奏楽でトロンボーンやってるよ!
難しいけど楽しいんだよ~!
今まで本当にありがとう。
いつも優しくて大好きだったよ。
思い返せば震災前、夜おふとんに来て
うでまくらとかしてくれたよね。
急にどうした!?って感じだったよ(笑)
なんでかはもう聞けないね。
いっぱい、いっぱい伝えたい
「ありがとう」。
もっといっしょにいたかった。
私はお兄ちゃんが
「大好き」だよ!
ずーーーっとね。
これからも空で見ててね。
あっ、たまには
空から遊びに来てよ!
それから、
私がおばあちゃんになって、
死んじゃったとき、
「歳とったなあー」って
迎えに来てね!
まってるよ!
お兄ちゃん、ありがとう。
最後は笑っておわろっか。
あと一つだけ!またいつか
お姉ちゃんとお兄ちゃんと私の3人で
キャッチボールしようね!
約束だよ~。


<陸前高田の亡き人への思いを込めた祭り>
・陸前高田の「けんか七夕まつり」(8月7日)。900年の歴史を誇る。人々は震災から1年後に復活させた。祭りには亡き人が迷わず故郷に戻れるようにという願いが込められている。

<亡き夫へ再び手紙を書いた妻>
・8月13日、佐藤せつ子さんと長男・武彦さん(38)。仙台(の飾りつけ)と志津川(南三陸町)と混じってお盆の支度をする。せつ子さんは少しずつ自分を変えようとしている。1年ほど前から夫と行きたかった場所に出かけるようになった。

(母は)今はどっちかというと前向きに、次ああしようこうしようというのはあるんですけど、当時は(震災直後)そうでもなかったもんね(武彦さん)

髪切ったら出家するんじゃないかと言われて(せつ子さん)

今は逆にやることないんで、逆にやることなければ、だんだんこう…気分が落ちていくだけなので、だったら楽しいこと見つければって意味で、遊びに行ってるんじゃないですか、あちこち日本各地を(武彦さん)

・せつ子さんは悩んだ末、ある決断をした。ふるさとを離れ、仙台に息子家族と暮らすことにした。

お父さんに報告します。
武彦たちが
仙台に家を建てるそうです。
私も同居とのことなので、
南三陸町へは帰らないことにしました。
宅地の跡地も町へ売却しました。
お父さんが生きたかった年月を
私なりに
精一杯生きていきます。
お父さん
夢でもいいから逢いにきて下さい。
そして声を聞かせて下さい。
待っています。


<亡き息子との思い出の場所へ>
・髙野慶子さんの夫の和則さんは、車好きの息子に代わって今年7月、白いスポーツカーを買った。二人は息子が行きたかった場所や思い出の地にドライブをするようになった。この日は、かつて息子と来た花火大会。

いつか自分が空に逝ったときに智に会えたときに、そのとき本当に楽になったって思うのかなって。その日まで智が見られなかった所をいっぱい見たいなとか、智が聴けなかった歌とかをいっぱい聴いて、空に逝ったときに歌ってあげようかなとか思います(慶子さん)

<被災者の思いを感じたいと訪れる人>
・この日は陸前高田市の職員が手紙を読みに来ていた。震災後、福井県から応援に来た女性も一緒に訪れていた。

時間が経つにつれて心というか、支えがなかなか出来ない部分での支援が本当に必要になってきて、何をしようかというかっていうか、何かしたいけれどもなかなか出来ることがなくなってきてしまったので。それこそ無我夢中でがれき除去してたときは、まだ何か役に立てるっていう感覚があったんですけど、今何が出来ているだろうっていうと大して何も出来てないんだなと思って。

私も震災の後に市役所に入ったんですけども、直接その震災の当時の状況はどうだったかっていうのを聞く機会はあっても、亡くなった人たちへの思いとかを直接聞く機会って殆ど無かったので。今いろいろ工事とか進んでて、目で見える復興っていうのもあると思うんですけども、もう5年ちょっと震災から経っているが、つらい気持ちでいる方がまだきっと他にももっといっぱいいるんだろうなって。その気持ちをちょっとでもこう読んで、そういう思いを感じることができたのは来てよかったなと思いました

・見えにくくなる“苦しみ”、触れられない“思い”。

<二人の息子を亡くした両親の思いは>
・仙台市宮城野区蒲生地区では107人が犠牲になった。笹谷由夫さん(70)は、津波で大学生だった二人の息子を失った。震災から3年後、笹谷さんは“漂流ポスト”に手紙を出した。

平成23年3月11日。
長男20歳、次男19歳、実兄70歳、実姉77歳。
突然の別れがきた。
無我夢中の3年であった。
どんなに泣いても、
どんなに叫んでも、
現実は非情なものである。
耐える。忍ぶ。我慢する。
ただ、ただ、
我胸の内に秘め、何喰わぬ顔で
平然と日常生活をくり返す。
逢いたい。話をしたい。
姿をみたい。
どんなことでもいい…
どんなささいなことでもいい…
大きな大きな胸の中の穴を
ほんの少しでもうめることができるのなら。
泣くことも叫ぶこともできない毎日。
強い圧迫感が全身を包んで身を固くしている。
家の者ばかりじゃない。
自分ばかりじゃない。
そう思いながらも
苦しみ、悩み、
もがき続ける『おもい』
耐えて、忍んで、歯をくいしばり
生きて行く道に
どれ程の価値があるのだろうか。


・親思いで優しかった二人の息子たち。笹谷さんは自宅跡地に観音像を建立した。

(観音像の)名前は息子たちの名前をとって付けたんだけど、長男の名前(舟一さん)と次男の名前(要司さん)を取り付けたんだけど、当時は「舟要観音」って付けたんです。やっぱり一番は子どもたちに対する思いですよね。19、20歳で亡くなったもんで、年子だったんです。忘れられないっていうか、俺たちにとってはかけがえのないものであったし、だからそういう思いで建てたっていうかね(笹谷さん)

(この場所にいると息子さんのことを思い出しますか?)
常に一緒にいるような気持ちではいるんだよね、俺自身は。ここさ居ようと他に居ようと常に息子たちは俺の背中に乗ってるなっていう意識。だから改めてどう思いますかって言われても、正直言うと「後ろにいるよ」と、こういうふうに言いたいよね。何やるにしても息子ならどうするかなって、息子たちだったらどういうふうにするかなって、そういう常に問い合わせしてるような気もするよね。だからここさ居るばかりじゃなくて、仮に女房とけんかしたっていうか口論してても、息子たちがいるなっていうか、奴らに「何やってんだ」って戒められたりというかね。亡くなって悲しいのは悲しいんだけど、改めてそうやって言われても、常に後ろさ一緒にいるよみたいな、その辺がうまく言い表せないけど(同上)

・あの日、大学生だった二人の息子は春休みで帰省していた。二人は足の不自由な叔母を助けに行って、津波に襲われたという。二人きりの暮らしに野良猫のクロが加わった。

・笹谷さんは亭主関白。夫婦げんかを止めるのは今も昔も“二人の息子たち”だという。

私は嫁である身だから、お父さんお父さんって立ててずっと。三つ指ついて(妻の美江子さん)

(息子たちが)くしゃみしたぞ(笹谷さん)

子どもたちにも「我慢しろ、我慢しろ」(と言われてきた)。こう言うと、けんかになるから言わない(美江子さん)

けんかするくらい仲がいいからいいんじゃない(笹谷さん)

仲なんか良くないからね(美江子さん)

・美江子さんは息子に宛てた手紙は書けないという。

(息子への)気持ちや感情を書くには、涙から鼻水からよだれから出して全部、出しながらじゃないと。それも時間かかるし。かえって普通に何ていうのかな、そこにいるような感じで喋った方が伝わるんじゃないかとは思うんです。分かってくれてるような…自分はね。私の性格も分かっていると思うから、子どもたちも(同上)

<次男の結婚を報告する母>
・陸前高田市。高台の造成地には家が建ち並び、新しい暮らしが始まっている。町では平穏な日常が戻ろうとしている。
・11月、髙野慶子さんは天国にいる息子に手紙である報告をした。次男の航さんが結婚式を挙げた。

おーい トモ 元気かあ?
わった(航)の結婚式
おつかれ様でした。
わった イケてたねえ~
マホちゃんもきれいだったネ
トモもしっかり見たよネ
あの小さい頃あまえん坊の
きかず わったが
今じゃりっぱな(?)青年だったね
わったを見ていて、
ちょっとした表情が
トモとすごく似ていて…
やっぱ兄弟だね~
おか~さんには、
トモが満面の笑みで…
時に感動で
ウルウルしている姿がわかったヨ。
ねえ トモ…
おかーさんの願いは トモとわったが
それぞれの場所で しあわせになってくれる事
そして、また必ず、おとーさん、トモ、わったと
家族になる事なんだヨ…
えっ?!そんな事はわかってるって…
そうだよネ トモは ここに居るんだよネ
ときに空の上 ときにおかーさん達のそば
ときに峠を走りに…かな
あ!!留袖をきた
おかーさんどうだった?
まだイケてた?
わったには“ドラムカン”って
言われたけど…どう?!
えっ…横綱…
そりゃ どーもネ ごっつぁんです
また手紙かくネ
さむくなってきたから 風邪ひかない様にネ
だいすきな トモへ
おかーさんより


・智則さんと共に祝った結婚式。そして後日、手紙をポストに投函する慶子さん。

一連の儀式。いつ集配に来てくれるか確認をして、ちゃんと行くよねって行きますようにって。いつもの一連の儀式。(息子に)届かなかったらって思うとドキドキするからね。あの人(智則)は晴れ男だから生まれたときも晴れだったし、空に逝ったときも晴れだったし、確か見つかったときも晴れかな。晴れ男なので、手紙を出した今日も、だから晴れです(慶子さん)

(2016/12/31視聴・2016/12/31記)

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【NHKスペシャル】プラネットアースⅡ 第1集 極限の地のサバイバル

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【NHKスペシャル】
「プラネットアースⅡ 第1集 極限の地のサバイバル」

(NHK総合・2016/12/25放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 皆さま、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。

 さて、当ブログの感想記録ですが、昨年の分が若干残っていますので、まずはそれから進めさせていただきます。まずはNHKスペシャルの「プラネットアースⅡ」から。さすがNHK、ハイビジョンでなかなか迫力ある動物たちの動きを見せてくれました。仲間由紀恵さんと豊川悦司さんのナレーションも良かったですが、やはり映像美の方が見惚れてしまいましたね。

 はっきり言って「視聴メモ」はあまり面白くないと思います。何といっても映像を見るのが一番だと思いますね。先日、港区のNHK放送博物館に行ってそこで8Kのプロジェクターを観たのですが、このNHKスペシャルをそれで観たら迫力満点だと思いますね。いずれ近いうちにそれが家庭でも観られる時代が訪れるのでしょうね。非常に楽しみです。そうなったら家に引き篭もるかもしれません(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・広大な宇宙で唯一、生命を育む惑星・地球。どれほど過酷な場所にも、どんなに厳しい環境にも、この星には躍動する命の姿がある。
・イギリスBBCとNHKが共同で制作した大型自然ドキュメンタリー「プラネットアース」。第1シリーズから10年。今、新たな地球の旅が始まる。
・超高精細の4Kカメラが記録したのは、誰も見たことがない命のスペクタクル。生きものたちの目線にこだわり、最新の撮影技術を駆使して野生の世界、奥深くへ分け入った。
・第1回は「極限の地のサバイバル」。誕生から約40億年。生命は地球上のあらゆる環境に進出し、命あふれる星に変えてきた。
・天空にそびえ立つ高山。僅かな食べ物や繁殖の機会を巡って争いが起こる。幻の動物ユキヒョウを追跡。子孫を残すための貴重な営みを世界で初めて捉えた。
・乾きの大地、砂漠。僅かな水を得る知恵。そして水を巡る命懸けの攻防が繰り広げられる。どのように極限の地を克服し、生き抜いているのか。生きものたちの命をつなぐ究極の闘いに迫る。

<高山 天空の闘い 獲物を巡る攻防>
・地球上で最も過酷な環境の一つ、それは高山だ。気温はマイナス20度。この極寒の地にも命の姿がある。ここはアルプス山脈。標高4000mを超え、空気は極めて薄い。屈強なものだけが生きることを許される。
・イヌワシ。冬、山は深い雪で覆われ、獲物となる動物は殆どが姿を消した。2mを超える大きな翼で1日100kmもの距離を飛び、食べるものを探す。鋭い目は3km先の獲物まで見つけ出すという。
・突然、急降下を始めた。時には時速300kmを超える。見つけたのはキツネの死骸、寒さと飢えで命を落としたのだ。カラスにとっても貴重な食べ物、イヌワシは力で追い払う。
・そこに強敵が現れた。別のイヌワシだ。この獲物を逃せば次、いつ食べ物にありつけるか分からない。初めにいたイヌワシが奪い返した。
・ところが次から次へとイヌワシが集まってきた。闘いに敗れたものは立ち去るしかない。強いものだけが獲物を手にできる。それが高山の掟なのだ。

<幻のユキヒョウに迫る 世界初、命をつなぐ営み>
・世界の屋根、ヒマラヤ。8000mを超える山々は、生きとし生けるものの侵入を拒んでいる。ここに幻といわれる野生動物が暮らす。今回、数十台の無人撮影カメラを長期間設置。貴重な姿を捉えることに成功した。
・その動物はユキヒョウ。世界に4000頭ほどといわれ、絶滅の危機に瀕している。ここまで接近して撮影されたのは極めて珍しいことだ。
・ユキヒョウは孤独な動物だ。この辺りでは10km四方に僅か4頭しか確認されていない。3000mを超える山には、獲物となる大型動物が少ない。単独で広い縄張りを確保しなければ生きられないのだ。そのため岩に匂いをつけ縄張りを主張する。そうすることで他のユキヒョウとの争いを避けている。
・しかし大きな問題がある。孤独な暮らしの中、いかにして子孫を残すか。カメラは驚くべき場面を捉えることになった。仲むつまじい姿、2頭は親子に違いない。1頭が動き出した。その後を子どもが追う。子どもは十分に成長している。メスの体では次の子どもを宿す準備が始まっているかもしれない。
・ある日のこと、鳴き声が聞こえてきた。メスはそれに応える。若いオスが現れた。滅多にないオスとメスの出会い。克明に捉えたのは世界で初めてのことだ。
・それだけではない。なんと、もう一頭。体が大きいオスだ。親子は2頭のオスに挟まれた。争いが起これば子どもが危険だ。大きいオスに近づくメス。体を地面に付けた。ネコ科の動物が相手を誘う姿勢だ。
・今度は若いオスに近づく。オスたちの注意を子どもから引き離そうとしているようだ。隙を見て子どもが離れた。メスに迫る若いオス。大きいオスはそれを許さない。争いが始まった。メスを奪ったのは、後から来たオスの方だ。メスはこのオスを受け入れたようだ。
・オスが去った後のメス。子どもは無事だった。限られた出会いの中、命懸けで子孫を残すユキヒョウ。極限の地で生きるがゆえの宿命だ。

<熱砂の大地を生き抜く 命の水を巡る営み>
・一面に広がる砂の海。アフリカ大陸南西部に広がるナミブ砂漠。砂漠は高山に勝るとも劣らない過酷な環境だ。太陽が大地を焼き、砂の表面は70度にもなる。更に水は殆ど無い。年間降水量は、たったの50mm以下。灼熱地獄とはこのことだ。
・夜になると話は別。気温は10度前後。暑さから解放してくれる唯一の時間だ。しかし、たとえ暑さを逃れたとしても水は無い。水が無ければ生きものは生きられない。ところが、この乾ききった砂漠で生きるすべを見い出したものがいる。
・ある朝、思わぬ光景が現れた。月に数回、海で発生した霧が風に流されてやって来る。この霧が生きものたちの命をつなぐ。
・砂丘を必死で登るのは、ゴミムシダマシの仲間。お目当ては霧だ。急がなくてはならない。日が昇ると霧は蒸発して無くなってしまう。
・頂上に辿り着くと、頭を下げてじっと動かなくなった。霧が体に付き、水滴になっていく。水滴は体を伝って口元へと流れ落ちる。霧から水分を取り出す、実に見事な方法だ。
・ゴミムシダマシを捕らえたのは、ナマクアカメレオン。肉食の動物は他の生きものを食べることで水分を得る。乾きの大地で繰り広げられる、水を巡る命の営みだ。
・このナミブ砂漠に生きるゾウがいる。やって来たのは、かつて川が流れていた場所だ。草の根を掘り出して食べ始めた。ここには地下水が流れていて、草の根には吸い上げた水分がたっぷりと含まれている。ゾウはこうした限られた場所で水を得て、その命をつないでいるのだ。

<熱砂の大地を生き抜く 追跡、砂漠のライオン>
・ナミブ砂漠には更に驚くべき大型動物がいる。ライオンだ。はるか昔、草原地帯から獲物を追ってこの地に流れ着いたと考えられている。
・ここでは極めて獲物が少ない。だが今、絶好の狩りのチャンスが訪れた。オリックスは砂地でも足を取られない、幅広い蹄を持つ。あっという間に逃げていく。身を潜める場所がない砂漠。狩りをする側には極めて不利だ。
・砂漠のライオンは200km四方という広大な範囲をひたすら歩き、獲物を探し続ける。3日後。群れは150kmもの距離を移動してきた。だが、いまだ食事にはありつけていない。
・体重1トンを超えるキリン。普段、ライオンが襲うことはない。しかし今は事情が違う。群れの仲間が加勢する。2頭がキリンの右側を抑えた。更に1頭、今度は左側を塞いだ。時速50kmものスピードで駆け抜けるキリン。もう一頭が先回りした。そこにキリンを追い込んでいく。待ち構えた一頭、キリンは生き延びた。
・ライオンたちは獲物を求め、途方もない乾きの大地を彷徨い続ける。

<命ひしめく熱帯の森 ハチドリ 究極の変化>
・命をつなぐ生きものたちのサバイバル。それは極限の環境との闘いだけではない。ここは熱帯の森、砂漠とは対照的に水に恵まれ、光や栄養も豊富な世界だ。しかし豊かであるがゆえの究極のサバイバルが待ち受けている。
・熱帯の森は地球の陸地の6%にすぎない。しかしここには、陸に住む生命のなんと半分以上が暮らしている。高い木のてっぺんから地面まで至る所に命がひしめいている。食べ物、住みか、子育て。植物も動物も激しい争いを繰り広げる。熱帯の森のサバイバル、それは命と命のぶつかり合いだ。
・熱帯の森で繁栄する鳥ハチドリ。300種類以上が知られている。その多くが限られた食べ物を巡って日々、争っている。争うのは花の蜜。何千万年という時の中で、体の形を大きく変えたものがいる。ヤリハシハチドリ、なんとクチバシが体よりも長い。
・この細長い花、他のハチドリは花の奥にある蜜までクチバシが届かない。一方、ヤリハシハチドリ。この長いクチバシなら他のハチドリが手を出せない花を独り占めできる。
・ところが困ったこともある。他のハチドリのようにクチバシで羽を整えることができないのだ。一体どうするのか?ちょっとお気の毒。不便でも長いクチバシに進化したおかげで、花の蜜を独占し生き残ってきたのだ。

<命ひしめく熱帯の森 樹上の激戦>
・熱帯の森では動物の9割が木の上で一生を送る。そのため争いが頻繁に起こる。このトカゲは新しい住みかを求めて1本の木にやって来た。大好物のアリがたくさん。この場所を気に入ったようだ。
・しかし、いい場所には大抵ライバルがいる。先にいたトカゲが喉にある膜を広げた。出ていけと警告する。こちらも抵抗。譲るつもりはない。更に激しく追い出そうとするライバル。侵入者、ついに逃げ出した。やって来たのは木のてっぺん。
・すると、皮膚の一部を翼のように広げて滑空している。たとえ争いに破れても、これならすぐに新たな場所を探しに行ける。木の上での住みかを巡る激しい争い。このトカゲは特別な膜を進化させ、生き残ってきたのだ。

<命ひしめく熱帯の森 闇夜の神秘>
・他の生きものを利用して巧みに生き抜く奇妙な営みもある。菌類だ。植物などに寄生し、あるとき突然キノコとなって姿を現す。そして無数の胞子を放ち、子孫を残すのだ。
・その中に驚きの戦略を身につけたものがいる。それは自ら光を放つこと。光が漁り火のように昆虫を引き寄せるという。ヒカリコメツキの仲間。オスはキノコの光をメスと勘違いし、近づいてきた。いるはずのないメスを探し、歩き回るオス。すると体に胞子がつく。こうすれば胞子はオスの体に乗って確実に森の奥へと運ばれていく。

<命ひしめく熱帯の森 謎のカエル 卵を守る技>
・森の至る所で繰り広げられるサバイバル。天敵に立ち向かうために驚くべき進化を遂げたものがいる。ラパルマアマガエルモドキ。大きさ僅か2cm、半透明の体が特徴だ。葉っぱの上にある透明なものはアマガエルモドキの卵。孵化するまでオスが守っている。
・でも卵を守るのは大変。ここにはカエルの卵を専門に狙うハチがいるのだ。このままでは卵が全滅してしまう。しかしオスには秘策がある。半透明の身体と背中の模様。この模様は透き通った卵に似ている。
・だまされたハチはオスの方に近づく。オスは自分をおとりにして卵を守ろうというのだ。次々と襲いかかるハチ。殆どの卵を守り抜いた。アマガエルモドキは背中の模様を卵に似せることで子孫を守ってきた。

<命ひしめく熱帯の森 水辺の死闘>
・多くの命を育むがゆえに激しい競争が繰り広げられる熱帯の森。生きものたちは驚異の進化を遂げながら、その生命をつないできたのだ。
・命ひしめく熱帯の森。その中でも激しい闘いが起こる場所がある。森の水辺だ。食べるものが多く、生きものたちが集まってくる。それを狙う大型動物も現れる。
・にらみを利かせるのは3mにも達するカイマン。水辺の王者だ。そして森の王者といわれる最強の動物も姿を現す。そいつは警戒心が強く、普段は密林の奥深くに潜むため、姿を見ることはめったにない。ジャガー。体長2m近く、南米最強のハンター。ネコ科の中でもとりわけ強力な顎を持ち、どんな固いものでも噛み砕く。
・何かに狙いをつけているようだ。捕らえたのは、なんとあのカイマン。頭にがっちり噛み付いている。確実に仕留めなければ返り討ちに遭い命を失う。今回はジャガーが勝った。生と死の狭間で生きる最強の生きものたちの闘いだ。

<極限の地のサバイバル ユキヒョウ その後>
・生命誕生から約40億年。ありとあらゆる場所に進出し、過酷な環境に立ち向かってきた生きものたち。試練を乗り越え、生き抜いたものだけが子孫を残し、命をつないできた。極限の地のサバイバル。それこそが多様な生きものたちの世界を築いてきたのだ。
・そして今、この地球は生命の輝きで満ちあふれている。ユキヒョウが暮らすヒマラヤ。メスを巡る争いから1か月。無人撮影カメラがある映像を捉えていた。子どもを守った母親だ。
・1時間後、あのときの子どもが無事に独り立ちしていた。これからたった1頭で極限の地、ヒマラヤを生き抜かなければならない。そしていつの日か、我が子を残すための闘いを経験することになるだろう。この若いユキヒョウにとってサバイバルは始まったばかりだ。

(2017/1/4視聴・2017/1/4記)

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【NNNドキュメント’16】手のひらの“凶器”~ながらスマホ その代償~

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【NNNドキュメント’16】
「手のひらの“凶器”~ながらスマホ その代償~」

(日本テレビ系列・2016/12/26放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 「ポケモンGO」がリリースされたときに危惧した通り、その使い方を誤った愚か者によって小学生が殺害される事件が起こりました。この子の将来をゲーム如きで奪った万死に値する加害者の名前は「川合信右」という者だそうです。それ以外に全国で5人もの人の命を奪った人殺しがいるそうです。出来れば全員の名前を晒したいところですが、調べ上げる労力もないので別の方に譲ります。生涯、人を殺めた十字架を背負って贖罪の日々を過ごすべきだと思います。

 と同時にそうなることを十分に予測していていたメーカーはダンマリですか。仕様変更で誤魔化して5人の人々の人生を狂わせたことについては何の責任も感じないというのですか。本当に無責任なメーカーですね。開発者には犯した罪に相応しい罰を受けるがいい。絶対に受けることになるでしょう。人生はそういうものです。法的に逃れられても「閻魔帳」にはしっかり記されているから肝に銘じるがいい。

 この一件について刃物に例えて、刃物は通常の使用の仕方をすれば人を傷つけないが、人を殺める使い方をする者がいる。だからツールに罪はなく使い方を間違えた者が悪いということをいって「あのゲーム」を擁護する者がいます。しかし私を始め多くの人があのゲームがリリースされた当初から、このような事故が起こることに警鐘を鳴らしていました。にも関わらず事故が起こるまで放置していたわけですから、メーカーも道義的責任を負うべきだと思いますね。番組ではそこまで踏み込みませんでしたが、こんなゲームをつくった開発者は人殺しに加担した責任を自覚すべきだと思います。

 さらにいえば携帯電話のキャリアは車の運転時の操作制限について責任ある処置をすべきです。技術的に一定の速度を検知すれば操作できないようにすることは可能なはずです。助手席での操作や鉄道乗車時の操作に制約があるとしても安全に変えられないとして法律で規制することは可能です。

 「スマホがなければ生きていけない」とかほざいている人間など気にかける必要はない。そんな人間はスマホが機能しなけりゃ死ねばいい。知ったことかと思います。スマホのせいで殺される人間に比べれば優先すべきがどちらかは火を見るより明らかです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・今年「あのゲーム」の聖地となった名古屋の鶴舞公園。仮想空間に現れるモンスターをスマホを使って捕まえるゲームに世界中が熱狂した。
・その陰で奪われたのは9歳の命。加害者は「あのゲーム」をしながら車を運転したという。20歳の命を奪った原因も、運転手はLINEに気を取られていた。
・手のひらの便利さ。いつでも、どこでも、どんな時でもやめられない。あなたのスマホがいつの間にか凶器に変わっていないか?

<「ポケモンGO」をしていて息子を殺された男性の思い>
・10歳の誕生日、主役となる息子の姿はない。愛知県一宮市の則竹敬太くん(当時9歳)、小学4年生だった。敬太くんは教員をしている父・崇智さんの次男として生まれた。焼きそばが大好物だった。
・今年10月、2歳上のお兄ちゃんと集団下校中だった敬太くん。信号のない横断歩道で走ってきたトラックにはねられた。もう少しで渡り切ろうというところだった。敬太くんはトラックに引きずられ、20mほど先で倒れていた。自宅まであと3分の距離だった。悲劇はお兄ちゃんの目の前で起きた。

何でも一番が好きだった子ですので、またそれも長男が言ってたんですけども、敬太は一番乗りが好きだから天国も一番乗りじゃったねって。天国まで一番で行かなくてよかったのに。駆けっこのね一番はいいんですけど…残された者にとってはつらいの一言しかない(則竹崇智さん)

・トラックを運転していた建設業の川合信右被告(36)。供述したのは…。

「ポケモンGOをしていて前を見ていなかった」

・脇見運転の原因となったポケモンGO。一定のスピードを超えるとプレイを制限する機能が付いている。しかし川合被告は「私は運転者ではありません」のボタンを押し、その制限を解除。自らの意思でゲームを続けていたという。

相手がそんなポケモンなんかのケータイ触って。彼がのうのうと生きてるかと思うと、はらわたが煮えくり返る(崇智さん)

・敬太くんがお兄ちゃんと使っていた部屋は2階。事故当日の朝、敬太くんはこの部屋から元気よく学校に出かけて行った。
・事故の衝撃のために破れ、救急措置のために切り裂かれたTシャツ。毎日学校に持って行ったランドセルや水筒だけが家に帰ってきた。

痛かったなって、怖かったな。ごめんな。父ちゃん守ってやれなくてごめんな(同上)

<「ポケモンGO」の「ながら運転」の事故の刑の重さは…>
・これまでに全国で5人がポケモンGOの「ながら運転」で命を奪われた(福島1件、愛知2件、京都1件、徳島1件・12月19日現在 警察庁調べ)。
・このうち最初に起こったのが今年8月、徳島県の事故。39歳の男が女性2人をはね1人が死亡した。この男も運転中の制限を解除していた。
・事故から2か月、ポケモンGOによる死亡事故で全国初となった裁判。判決は禁錮1年2か月の実刑。裁判官は、ながらスマホによる前方不注視で単純な過失の事案とは一線を画すると断じた。
・この判決に敬太くんの父・崇智さんは…。

過去の判例と照らし合わせれば、かなり重罪の取り扱いと聞いている。我々被害者の立場からすれば、たった1年2か月なのか(崇智さん)

・ポケモンGOが関連する5件の死亡事故で適用されたのは、全て「過失運転致死傷罪」。つまり不注意による事故で7年以下の懲役または100万円以下の罰金で済まされることもある罪だ。これに対し則竹さんは、ながらスマホは過失では済まされないと「危険運転致死傷罪」の適用を求めている。最高で20年の懲役が科される、より重い罪だ。しかし…。

スマホのながら運転だけなら、現在の法律を前提にすると“安全に運転すべき注意義務に違反したんだ”と、過失運転致死傷になることが多い(首都大学東京 都市教養学部法学系の星周一郎教授)

・現在、危険運転致死傷罪が適用されるのは、アルコールや薬物の影響、制御困難なスピード、通行禁止道路を通過、通行妨害、未熟な運転、信号無視など6つの分類だけ。ながらスマホはどれにも当てはまらず適用できない。

(現在の法律の類型が)一般の常識・感覚に合わないなら、現行法では十分対応できていない(同上)

・危険運転致死傷罪が出来たのは2001年。スマートフォンの爆発的普及は想定されていなかった。

<スマホのながら運転で亡くなった女性の家族は…>
・岐阜県多治見市。ながらスマホによって失われたもう一つの命がある。建設業を営む竹田吉弘さんの長女・ひとみさん。20歳だった。動物が大好きだったひとみさん。それが思わぬ結果を招くことに。

普通はみんな猫をほったらかして行っちゃうし。それを助けに行ったなんて、やっぱりひとみやってみんなが言ったね(母・直美さん)

・今年4月、午後9時前。ひとみさんは車にはねられた猫を助けようと車道に出ていたところを、後ろから走ってきた車にはねられた。車は時速50キロ近いスピードのまま、ひとみさんにぶつかった。
・運転していたのは元看護師の原友紀被告(32)。助手席に置いたスマートフォンに気を取られ、前をよく見ていなかった。

前見とれば、ブレーキさえ踏めば死ぬことはないと思うよ。だって。よっぽどケータイが大事やったやろか(吉弘さん)

自分でわざわざ危険行為を選択して運転してるわけなんだから、それは殺人行為じゃないですか(直美さん)

・娘はなぜ死ななければならなかったのか。事故からおよそ7か月、無念を晴らしたいと向かった裁判。状況が明らかになっていった。原被告の証言。

夫にLINEで連絡するも既読にならないことが気になり、助手席のスマホを確認しながら運転していた。

・この裁判でも問われたのは、過失運転致死罪。

娘の裁判は今、現行のの法律でしか裁けんやんね。それはもう諦めるしかないもんで、これから先…の人でもね。法律が変わって動いてくれるとありがたいです(吉弘さん)

・人前では気丈に振る舞っていた父・吉弘さん。でも…。

子どもの無念晴らせん親ってなんや(同上)

(無念を)晴らしたいって思いは一緒なんやて(直美さん)

どうやって(無念を)晴らすんじゃ(吉弘さん)

形にできるものは、今やっとることやん。自分ができることなんて限界があるやん(直美さん)

ほんなら、いつできるんだよ。その先は。一生懸命よ、我慢してきた。一生懸命やってもよ、勝てんのだ(吉弘さん)

<スマートフォンの「ながら運転」が減少しない現状>
・自動車の保有台数が全国一の愛知県。街中を走る車に目をやると、手のひらで握るのはハンドルではなくスマートフォン。その多さに驚かされる。
・スマートフォンの契約件数は、ここ数年で急激に増加している。これにスマホや携帯電話を使用中の事故件数を重ねてみると、通話中の事故は少しずつ減少する一方でメールや画像など画面を見たことによる事故件数は、スマホの普及に比例して増加している。その背景には、通話より情報を見る道具として使われがちなスマホの特性があると専門家は指摘する。

(スマホには)より魅力的なアプリがたくさんある。ゲームにしろSNSにしろ、画面に対する集中度がより上がっている(愛知工科大学の小塚一宏教授)

・画面に集中してしまう、ながらスマホ。その危険性を侮った末、死亡事故の加害者となった若者がいる。今年8月、愛知県春日井市で軽乗用車を運転していた若者は、自転車で道路を横断していた女性をはねた。女性は2週間後に死亡した。ポケモンGOのながら運転だった。加害者の男性(26)はこう証言する。

電源もポケモンGO自体は入れっぱなしで、携帯電話の充電をしようとして、その瞬間だったんですけれど。ほんの一瞬のつもりだったんですけど、目を離した瞬間に…(加害者)

・若者は現行犯逮捕されたが、逃亡の恐れがないなどとして現在は釈放中。書類送検され、今は検察は捜査を続けている。

正直、何を言ったところで亡くなってしまったっていう形は結局のところ変わらないですし、もう申し訳ないとしか。もう本当、それしか言えないっていう感じですかね(同上)

・スマホを凶器に変えてしまう、その危うさは私たちの手のひらにも。

<息子を失った父親は毎朝現場に訪れる>
・ながらスマホによる事故で最愛の息子・敬太くんを失った則竹崇智さん。事故以来、毎朝欠かさず現場を訪ている。この日でちょうど1か月。いつも手のひらを路面に当てる。

敬太くん、おはよう。寒いね(崇智さん)

・崇智さんは言う。

あの10月26日から、時計が止まっているっていうのが実情ですし。家に帰って来てくれないかなっていう…思うのは、毎日思いますし。本当に守ってやれなかった、父ちゃん、ごめんなという思いとね悔しさと悲しさはね、やっぱり毎日尽きないんですけど(同上)

・翌日、崇智さんの元を訪ねてきたのは、ながらスマホによる事故で20歳の娘を失った竹田さん夫婦。残された家族の無念さ、歯がゆい思いは同じだ。

法整備が追いついていないという理由で(危険運転致死傷罪が)適用されないのは納得できない。何人死ねばいいんですか。そんなこと言っている間に何人死ぬんですか(竹田直美さん)

<県や国に働きかける遺族>
・敬太くんを失ってから3週間。父・崇智さんは、ながらスマホの厳罰化を求めて奔走していた。11月17日、愛知県へ要請した。そして12月2日には国家公安委員長に対して(壊れた)水筒を手に強く訴えた。
・娘のひとみさんを、ながらスマホの事故で失った竹田さん夫婦。今週木曜日、被告に判決が言い渡された。20歳の命を奪った代償は、禁錮9か月の実刑。
・あなたの手のひらにあるのは、便利さですか?凶器ですか?
・明けていく、息子のいない朝。父は今日も手のひらを(事故のあった現場の)路面に当てている。

(2017/1/4視聴・2017/1/4記)

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【にっぽん!歴史鑑定】江戸の大店 大儲けの秘密

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【にっぽん!歴史鑑定】
「江戸の大店 大儲けの秘密」

(BS-TBS・2016/12/26放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 日本橋三越。時々買い物にも行きますし、催し物展覧会もなかなか興味深いものがありますのでそれを目当てに訪れることもあります。

 そんな魅力あるデパート(百貨店)のルーツが三井高利の三井越後屋だということは知っていましたが、どんな商売をして江戸時代に大店になったのかということは、改めて今回の番組で初めて知ることになりました。なかなかのアイデア商法で庶民の心を掴んだということで、見事という商法だと思いましたね。

 さて、そんな越後屋の商法の特徴として「店前売り」「現金掛け値なし」というのがありますが、高利が生きていた時代はまさにそれがフィットしたのかもしれませんが、現代はどうでしょうか。ネットで画面を見てクリックするという点では「店前売り」ではなく、さらにネット通販の大半はクレジットカード決済でありますから「現金掛け値なし」でもない。彼が想定していた商売の方法とは異なるものが現代の主流になっています。

 それをもし高利が目の当たりにしたら、どう思うのでしょうね。おそらく彼のことだからそうした時代の流れに合わせた商売を考えて、我々の考えもつかないアイデアを思いつくかもしれません。そんなことを思い巡らしながら、これから先はどんな時代になるのだろうと、つい考えてしまいます。斬新なアイデアが思い浮かべられるような知恵があれば実践して一儲けしたいのですが、どうやら私にはちょっと無理そうな感じです。

 いずれにしても人が物を欲してそれを買い求めるということは古今東西変わらないので、その手法についてどれが主流になるのか…それを興味深く見守りたいと思いますね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・再開発が進められている東京・日本橋。その中で350年以上もの歴史を持つ老舗が日本橋三越本店。平成28年5月には、わが国の歴史を象徴する百貨店として国の重要文化財に指定された。
・その前身こそ江戸の大店・三井越後屋。1日の売上が今のお金で6000万円。新興都市・江戸で成功を掴んだ創業者・三井高利。彼が生み出した今に続く画期的な販売方法とは。
・奉公人が総勢1000人。越後屋の社員教育と巧みな人材活用術とは。
・訴訟に爆破予告。日本橋でしのぎを削る越後屋とライバル店を出し抜く宣伝広告とは。

<日本橋に出店した三井越後屋>
・日本橋は徳川家康が江戸に入府後、最初に区画整理を行った場所。慶長9年(1604年)には五街道の起点と定められ、道路が整備された。交通網が発達したことで江戸の町には多く人がやって来るようになったと、江戸の歴史に詳しい江戸東京博物館名誉館長の竹内誠氏は言う。

幕府が命じた天下普請によって江戸城築城などの公共事業で職人たちが大勢江戸に入ってきた。また参勤交代の制度によって全国の大名と家臣たちが暮らすようになり、江戸の人口は急激に増加した(竹内氏)

・しかし江戸は新興都市だったため食料も衣類も生産力が低く、人口増加に対して供給が追いつかなかった。そのため人々の暮らしを支える日用品は、それまで経済の中心だった大坂や京都などの上方からの下りものが頼りだった。

下り商品を扱う上方商人が続々と江戸に進出し活躍した。彼らは上方を本拠地として江戸に支店を持っていたことから「江戸店持ちの上方商人」と呼ばれていた(同上)

・三井越後屋の創業者・三井高利もその一人だった。伊勢国・松坂で商いを営む家に生まれた高利は類稀な商才を発揮し、家業を拡張していった。そして延宝元年(1673年)、新規開拓を目指し江戸に進出。江戸随一の呉服街だった日本橋本町に間口9尺、使用人10人あまりの小さな呉服店「三井越後屋」を開いた。このとき高利52歳。

<三井越後屋が江戸で始めた画期的な商法とは>
・伊勢を本拠にし、江戸にあらたな店舗を開いた三井高利だったが悩みがあった。そこで越後屋はある画期的な新商法に打って出た。そこに越後屋の大儲けの秘密があった。

【店前売り】
・一つは店前売り(店頭販売)。当時の商いはといえば訪問販売が普通。商人が客の屋敷まで商品を持参し販売する「屋敷売り」や、注文をとった後で商品を届ける「見世物商い」を行っていた。
・江戸に得意先がなかった越後屋はお客さんの方から店に来てもらい、そこで買い物をしてもらおうと考えた。この斬新さが目を引き、通りがかりの人を次々と引きこんでいった。

【現金掛け値なし】
・さらに越後屋は画期的な売り方を取り入れた。暮れも押し迫った江戸の町、往来には決まって渋い顔で忙しく走り回る商人の姿があった。実は江戸時代は一般的にツケ払い。商人たちはその代金を回収するため、家々を回っていた。

支払いは二節季(お盆・年末)払い。あるいは極月(年末)払いだったため、場合によっては貸し倒れや資金の回転も悪くなった(同上)

・また当時は「掛け値」といって実際の販売価格より値段を高くつけておき、客が値引交渉で下げていくのが習わしだった。三井家の史料を10万点所蔵する三井文庫の主任研究員の村和明氏に伺った。

決まった値段を付けて定価制にし、その場で現金で支払ってもらう。その代わり安くお買いいただける仕組みだった。それまでのやり方では、呉服の知識、交渉力のない方には買い求めづらかった。そこを決まった値段を付けることで誰でも呉服が買えるようになった(村氏)

・掛け値なしの定価売りは当時の世界の商業市場からみても画期的なことだった。定価を付けて売ったことで、越後屋はお客に正直。越後屋で買うとお得という噂が広まり、時には順番待ちになるほど客が押し寄せた。

三井高利の教え「新法を工夫すること」

・越後屋はさらに革新的な商法を生み出していった。

【切り売り】
・当時、高級な呉服を買うのは中流以上の武士が殆ど。呉服店では着物1着分の1反売りをするのが当たり前だった。そんな中、越後屋は客の求めに応じてどんな長さでも切って売る切り売り販売を始めた。
・切り売りは手間がかかる上、儲けも少ないと呉服店は及び腰。それをあえて進んで行った。良い生地を好きな分だけ買えるとあって、今まで手が出せなかった庶民にまで客層を広げることに成功した。
・さらに越後屋はオーダーメイドシステムを導入。当時、呉服店は生地を販売するだけで、仕立ては客自身が仕立屋に発注しなければならず手間だった。そこで越後屋は反物を買ってもらえれば仕立てまで責任を持ち、出来上がった物を客に納めた。まさに現代の呉服店の走りだった。
・こうして従来のやり方を排した斬新な商法で、三井越後屋は大繁盛となった。

<熾烈!ライバル店との販売競争とは>
・常識にとらわれない新商法で江戸の人々を取り込んでいった三井越後屋。当然ながらその成功を妬む商人たちも少なくなかった。
・三井家の商売記によると、わざと厠を越後屋の台所に向けてつくったり、新商法を差し止めるよう幕府に訴訟を起こしたりする者もいた。
・さらには「浪人を雇って夜中に火薬を仕掛け店を奉公人もろとも全滅させる」という脅迫状をまかれたとも伝えられている。
・こうした様々な嫌がらせを受けるも着実に業績を伸ばしていった越後屋。江戸に店を開いて10年目の天和3年(1683年)同じ日本橋の駿河町に移転し店を拡大。客はますます増えていったという。
・その4年後の貞享4年(1687年)には幕府に着物を納める呉服御用を仰せ付けられた。幕府という絶大な後ろ盾が付いたことで、エスカレートしていた嫌がらせが収まったという。やがて他の呉服店もこぞって現金掛け値なし、店前売り商法を真似し始めた。

三井高利の教え「真似されることは利益」

・追従者が増えれば越後屋の名が高まるので、かえって利益になるというものだった。しかしこれによって同業者同士の競争は激化。宝永年間(1704~10年)にはライバルだった大黒屋との安売り競争に突入。越後屋は薄利多売に徹し、大黒屋を圧倒した。

それまでの商人は毎年同じような仕入れを繰り返すのが当たり前だった。高利はそれに対して、安く仕入れられるものがあれば大量に仕入れて、その値段に合わせて定価を細かく調整した。それによって薄利多売を推し進めることができた(村氏)

・その後、尾張町にあった恵比寿屋と亀屋が新装開店。このときは客を取られないようにと、すぐにそれらの店舗近くに支店を設け、安売りで対応した。越後屋は見事ピンチをチャンスに変えた。

<奉公人1000人!越後屋の人材育成法とは>

「一に富士 二には三井をほめてゆき」

・江戸の中心地・日本橋を訪れた人々はまず正面に見える雄大な富士の姿を褒め、次に三井越後屋を讃えた。こんな川柳が詠まれるほど、越後屋は大きくなった。
・しかし繁盛の秘密は現金掛け値なし、店前売りといった斬新な商法だけでなく、働く人にもあった。そこには巧みな人材育成法があったという。
・江戸時代の初め、商店の多くは家族経営による小規模なものだった。しかし呉服店は仕入れから販売までを手がけるため多くの働き手が必要。越後屋も奉公人を大勢雇い入れ、住み込みで働かせていた。奉公人の大半は上方の出身、江戸本店だけで最大342人、京都、大坂を含めると1000人を超えていたという。
・その修行の道はなかなか大変なものだった。13歳くらいで奉公に上がると、お仕着せと呼ばれる揃いの着物が与えられる。子供と称される彼らは住み込みで様々な雑務をこなしながら、そろばんや符牒を学んでいった。符牒とはその店だけで通じる暗号のようなもの。たとえば越後屋では数字を仮名で表記、帳簿を付ける際に必要不可欠だった。
・17歳になると元服。手代に昇進し営業職の第一線で働くようになる。しかし一口に手代といっても多くの階級に分かれていて初元、平、相談役、平筆頭といった今でいう平社員の時期を経て、20代後半でようやく名目役手代という役付きになる。

「支配」という階級にまで昇進すると、住み込みを卒業して自分の家に住んで結婚もできるようになった。初めて越後屋に奉公してから大体25~6年、年齢でいうと40歳ぐらいになっていた(村氏)

・しかしこの長い住み込みの修行に耐えられず、5人に2人は手代になる前に辞めてしまったという。そこで三井越後屋は少しでも離職者を減らそうと様々な福利厚生を用意した。

【福利厚生】
・何より人を大事にした越後屋は、奉公人の健康管理にも配慮。健康診断はもちろん、鍼や灸に温泉での湯治まで行かせていた。
・またレクリエーションも充実。伊勢参りや芝居見物など四季折々の慰労を実施した。

【ボーナス】
・住み込みのときには着るものも食事も支給されるため、いわゆる給料は存在しなかった。そこで越後屋は褒美(今でいうボーナス)を配った。さらに元手金と呼ばれる退職金も支給。

元手金は長く勤めれば勤めただけ多く貰える仕組みになっていた。優秀な奉公人が越後屋を辞めてしまって、自分の商売に専念しようとするのを出来るだけ長く引き留める狙いがあった(村氏)

・越後屋は独立後も彼らを重役として経営に参加させた。現代でいう取締役の地位にあたる元〆がそれだ。これが出世コースの頂点で、長年経験を積んだ手代から選ばれた。この頃には奉公人は60歳。何とも長い道のりだが、努力と才覚次第で誰でも経営の実権を握ることができた。
・手代たちは競いながら店前売りに励んだ。というのも越後屋には「厚勤録」という査定表があり、売場担当者の販売成績などを記録していた。これにより褒美の額が変わったというから、みんな必死になった。
・三井越後屋では客へのサービスを徹底させるため、様々な規則を設けていた。

子供は客にすぐ煙草を出し、火入や茶を用意すること。

客の目の前には立たないこと。

手隙の際は売り場で行儀よく待機すること。


・こうした接客サービスには創業者・三井高利の母の影響があったと言われている。高利の父は松坂に居を構え、酒や味噌を扱う商いをしていた。しかしあまり商売に熱心ではなく、もっぱら連歌や俳句などの趣味に没頭。
・そのため店を切り盛りし実質的に支えていたのは、商才に長けていた母・殊法だった。酒や味噌を買いに来た客には自らお茶や煙草を出し、時には食事まで振る舞うなどサービス精神に溢れていた。
・30両もの大金が入った財布を見つけた際には、すぐに人を走らせて落とし主に届けさせたという。客を大事にし真摯に接する。そんな母の商いを高利は小さい頃からずっと見てきた。
・高利は商人について常々こう言っていた。

「(商人は)成功すると勤勉を忘れつぶれてしまう」

・高利は気配りのできる真面目な男だった。

「珍味があれば必ず僅かでも奉公人全員に分け与えた」

「商売以外の道楽は不用と事業に打ち込み、人を知ることを好んだ」

・この人を知るという精神こそが越後屋のモットー。奉公人たちも皆、客がやって来て腰掛けるまでにその出身地、性格が分かったという。

<客を呼ぶ江戸のユニーク看板とは>
・三井高利と同時代に生きた作家・井原西鶴は、実在の商人たちをモデルにした世界初の経済小説「日本永代蔵」の中で、高利を「大商人の手本」「世の重宝」と絶賛した。
・倹約と勤勉、そして人を大事にした高利は一代でその資産を約7万2千両(約720億円)に増やした。それは幕府の1年分の歳入の6%にあたる大金だった。
・三井越後屋の看板。セールスポイントである「現金掛け値なし」が一目で分かるよう、しっかり入っている。

看板は人々にその店の存在を知らせる。つまり何屋なのか。あるいは自慢の商品は何なのか。看板はまさに商いの顔だった(竹内氏)

・江戸で看板が商いの顔として大きく発展したのは、町の大半を焼き尽くした明暦の大火(1657年)の後のことだった。焼失した店舗を再建する際、今に続く様々な看板が登場した。
・通行人にすぐに気づいてもらえるよう店先に突き出た建看板や、四方に文字が書けるため何処から見ても一目で分かる箱看板。夜間でも目立つように工夫されたのが提灯看板。花火見物を楽しむ一行に果物や団子を売る物売船の格好の目印となった。そして「お客さん、看板ですよ」の語源となったのが立掛看板。看板を店にしまえば店じまいを表したからだ。
・どの店もこぞって看板を出すようになると少しでも目立つようにと個性が出てくる。その代表が判じ物看板。判じ物とは絵解きなぞなぞといったところ。蛸の看板は玩具の凧屋だった。こうした看板は駄洒落好きな江戸っ子たちに大人気。

<三井越後屋の新商法を広めるための宣伝方法とは>
・江戸随一の大店となった三井越後屋。その新商法を知らせる宣伝方法は「引き札」という画期的なものだった。客を引き込むというのがその名の由来。今でいうところのチラシ。最大の利点は様々な情報を文字にして書き込めることだった。天和3年(1683年)越後屋は、こんな引き札を出した。

呉服はすべて掛け値なしの正札で販売します
安い価格のため値引きできません
現金でお支払いいただき
掛売りも配達もいたしません


・これを江戸中の長屋に配った。その効果も絶大で、元手は掛かったが客が押し寄せ大儲けに寄与したことは間違いなかった。
・やがて「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と言われるほどの活気をみせた越後屋。さらに越後屋は江戸の数少ないビジュアルメディアも活用した。それが錦絵で、版元に金を払って人気の美人画を描かせた。
・艶やかさを競う美女たちの後ろには越後屋が。身に纏う着物はもちろん越後屋のもの。店だけではなく商品を宣伝する見事な戦略だった。ライバル店からも同様の錦絵が出されるほど大きな宣伝効果を生んだ。

<江戸版CSR 越後屋が行った救済活動とは>
・越後屋というと時代劇では悪徳役人に袖の下を通すことが多いが、実は越後屋の知名度の高さから芝居などで勝手に名前が使われ、いつしか悪役の代名詞となっただけ。実際は創業者・三井高利はこう言っていた。

「よく節約をしなさい」

「堅実な商売をしなさい」


・大店になってからも常に自分たちを律していた。幕府御用を務めていると幕府寄りになってしまうが、三井はあくまでも商人であり驕らずに商売の道を勉強しなければならない。
・寛保2年(1742年)江戸が大水害に見舞われた。その際、越後屋は100両ほどの資金を出して難民救済のため1000人分の握り飯を配ったという。

越後屋は関わりがある人たちや地域の人々に対する援助を行っていた。対象は1000人、2000人という規模になったし、こうした事例は江戸時代を通じて何度もみることができた(村氏)

・世のため人のため、その精神で越後屋は大きな信用を得ていった。

三井高利の教え「商いの元は養生にあり」

(2017/1/4視聴・2017/1/4記)

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【歴史秘話ヒストリア】SP 古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎

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【歴史秘話ヒストリア】
「SP 古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎」

(NHK総合・2017/1/3放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 2017年最初のヒストリアはなかなか歴史ロマン溢れる内容でした。奈良・東大寺にかつてあったと言われる七重塔の発掘調査とともに、どんな建物だったのか専門家が検討していくところを紹介するというもの。そして案の一つをCGで再現したラストは圧巻の一言でした。

 今後、検証が進んで東大寺で復元するというプロジェクトに発展するといいですね。木造建築で高さ100mという建物は世界最大級のものになると思います。調べたらポーランドのグリヴィツェラジオ塔が118mということですが、有人の塔なら間違いなくナンバーワンになるでしょう。クラウドファンディングで資金を集めるなら、ぜひ協力しますよ。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・奈良・東大寺に知られざる歴史のミステリーがある。東大寺・七重塔。1300年前に建てられたものの、歴史からこつ然と姿を消してしまった。
・記録によれば高さ100m。しかし1300年前にそんな高い塔を建てることができたのだろうか。一体どんな姿をしていたのか。発掘や古代建築のスペシャリストが調査チームを結成、この謎に挑んだ。相次ぐ驚きの発見。浮かび上がってきたのは予想を超えた七重塔の姿だった。

<消えた“七重塔”>
・「東大寺縁起」(鎌倉時代)に2つの大きな塔が描かれている。屋根の数を数えると全部で7つ。五重塔ではなく珍しい七重塔。高さは三十三丈(約100m)、もちろん木造だ。建立を命じたのは聖武天皇。約1300年も前のこと。現存する古い塔で最も高いのが東寺の五重塔(高さ55m)で、七重塔がいかに大きいかが分かる。
・しかし七重塔は今は存在しない。塔が建って400年ほど経った治承4年(1180年)の源平合戦で大仏とともに焼失したと言われている。その後、建て直されたが雷が落ち再び炎上。二度と再建されることはなかった。
・以来600年余り、詳しい記録も殆ど無く七重塔は「幻の塔」と呼ばれた。さらに謎を深めたのが明治時代に作られた東大寺の50分の1の想像模型。しかし一つ問題があった。この模型を実物の高さ100mにすると、屋根の軒が長すぎてそれ自体が重くなり壊れてしまうことが分かった。1300年前に本当に100mもの塔を建てることができたのか。七重塔は「古代史のミステリー」となった。
・「七重塔の謎を解き明かせ」と2年前、東大寺の呼びかけで調査チームが作られた。集まったのは発掘のエキスパートから古代建築の研究者、塔の専門家まで約30人。リーダーは古代建築の復元を数多く手がけてきた鈴木嘉吉氏。

高さ100mというのは当時の技術で本当に建つのか、一体どういうことが考えられるのかやってみたい(鈴木氏)

・塔の姿を知るには、まずその土台から。2016年7月、基壇の調査が始まった。実は2年前の事前調査で既に大きな発見があった。
・塔の中心を貫く大きな柱「心柱」、そしてその土台に置かれる石を「心礎」と呼ぶ。東大寺では後に心礎を取り除いたが、その跡つまり抜き取り穴が直径4.5mもあったというから、心礎がいかに大きかったが分かる。
・また塔には心柱以外にもたくさんの柱が必要だが、礎石という石の上に建てられている。だからそれらの石の痕跡を調べれば柱の並び方も分かるし、さらに内部の造りまで分かってくるのだ。
・しかし調査チームの期待はあっさりと裏切られた。

造りかえる際、大規模な掘削が行われているようで、どこに礎石があったか今となっては分からない(奈良文化財研究所の山本祥隆氏)

・後の時代に土が殆ど取り去られていたことが分かった。基壇の上から手がかりを得ることは不可能だった。調査チームの挑戦はスタートからつまずいた。

<日本の古代の塔はどんな造りなのか>
・そもそも日本の古代の塔はどんな造りになっているのか。宮大工の小川三夫氏に、30年前に再建された奈良・薬師寺の西塔を案内してもらった。
・中に入ってまず驚くのは、空間を埋め尽くす木材の量。日本の塔は人を乗せないのが本当だという。中心を貫く巨大な心柱、一般の家の大黒柱と違って建物を支えているわけではない。

心柱は独立して、ただ建っている。(建物は)心柱が腐らないよう覆っているだけ(小川氏)

・お寺の塔とはお釈迦様の遺骨を納めるためのもの。中心を貫く心柱は仏を象徴するともいわれている。大切なのは心柱で、周りの屋根や壁はその心柱を守るいわば「カバー」だという。

<塔の謎を解け!>
・手がかりは他にないか。チームは僅かな望みをかけ別の場所を探ることにした。その場所とは基壇の側面。掘り返されなかったため、奈良時代の痕跡が残っている可能性がある。
・すると基壇の南側で凝灰岩が見つかった。石は横に続いていた。形は独特のL字型、しかも先端が三角形になっている。石は「生きていた」(奈良時代の当時のものだった)。
・検討の結果、基壇の壁と階段斜面の部分と推定された。つまりこの石のすぐ横に階段があったことになる。しかしこの側面の石、さらに大きな意味があった。

一番重要なのは三角形に見えている石。この大体正面に必ず柱がくる(橿原考古学研究所の廣岡孝信氏)

・古代の塔では階段の端と建物の柱が同じ直線上に並ぶのが基本的なパターン。つまり現場で見つかった側面の石の延長線上に七重塔の柱があるということになる。
・発掘開始から1か月、基壇の北側でも大きな動きがあった。階段そのものの発見。しかも表面が真っ黒で、おそらく源平合戦で七重塔が炎上したとき焼け焦げたものと考えられる。当時の様子を生々しく伝える貴重な遺跡だ。

建物構造そのものは、この階段から直接的に得られるものは無いです(東大寺 境内史跡整備計画室の南部裕樹氏)

・出てきたのは階段の一部分。柱の位置の特定には繋がらなかった。
・一方、初めに階段側面の石が見つかった南側、さらなる調査が進んでいた。階段の向かって右側部分が出てきた。ということは、反対の左側にも同じものがあるはず。ところが掘っても階段側面の石は見つからない。

おそらく奈良時代の石が引き抜かれて無くなっている状態(廣岡氏)

・出てきたのは基礎部分らしい石だけ。調査はまたも行き詰まった。
・しかし翌日、大きな発見があった。メンバーが注目したのは、前日に見つかった石の表面。

すごいなと思ったのは、石は無いが痕跡が残っていて、それがこの僅かな色の違い。このラインですね(同上)

・もともと線の内側に階段側面の石が置かれていて、見つけた線はその痕跡らしい。

今、南北方向に見えていたんですが追いかけていくと、ここを境に90度西に曲がり、ここで90度上に乗ってる石が方向転換する(同上)

・さらにその先をたどった結果、線はL字を描いていた。右側の石とまさに対になる形。ようやく階段の両端と柱の位置が判明した。全く謎だった七重塔の姿が少しずつ明らかになってきた。
・2日後(9月30日)チームは階段の幅を計測した。幅はちょうど9m、奈良時代の単位でも30尺になる。ところが、この結果が新たな謎を生んだ。普通、五重塔は正面から見ると柱が4本並び、階段は内側の柱に合わせる形になっている。柱と柱の距離は大体同じ。実は今ある五重塔の殆どがこの形。調査チームも初めは七重塔も同じだろうと予想していた。
・ところが七重塔の基壇は一辺24m。そして今回、階段の幅が9mと出たことで、その外側にさらに9m間隔で柱を置こうとすると基壇からはみ出してしまう。以前、北側で見つかった黒焦げの階段。そのすぐ下にある石に何のためかよく分からない切り込みが見つかった。

ここに切り込みがあって、斜めにくるんですけど、ここで平らなんですよ。おそらくこの切り込みは仕切りの石を乗せるためのレールだろうと(奈良文化財研究所の神野恵氏)

・つまりここに階段を分割する仕切り石があったことになる。見つかった仕切り石の位置を南側の階段に当てはめると、このままではアンバランス。反対側にも同じような仕切り石が置かれていたはずだ。さらに仕切り石があるということは、両端と同様、その延長線上にも柱があったと考えられる。
・ここから解明は一気に進んだ。階段の前には柱が4本、大体3mの間隔で並ぶ。9mではなく3m間隔。これなら外側の柱も基壇の中に収まる。柱は1列に6本、それが6列。柱の数は五重塔の2倍以上。100mの塔を建てるには、柱の数を倍にして一番下を強くする。古代人の優れた知恵だった。

高い塔を建てたい。そうすると下を、第1層を特に大きくして安定を図ったのではないか(調査団長の鈴木嘉吉氏)

・現在残っている塔にはない独特の柱構造。それは超高層の七重塔のため考え抜かれた特別な構造だった。
・この七重塔は何のために建てられたのか。紫色の紙に本物の金でお経を書き写した豪華な経典「金光明最勝王経」。内容は「この経典を大切にすれば、仏教の守護神・四天王が国を守ってくれる」というもの。奈良時代、この教えに感銘を受けた聖武天皇は経典を納めるために特別な建物を用意した。それが七重塔だった。

この経典は塔の一番てっぺんですね。宝珠にあたる丸い玉のようなものがありますけど、そこに納められたということが記録に書かれています。仏教で国を治めようとする聖武天皇の構想の象徴(京都大学准教授・建築史の冨島義幸氏)

<いまよみがえる七重塔>
・発掘も終盤にさしかかった9月末。リーダーの鈴木氏をはじめチームの建築の専門家が顔を揃えた。塔の柱構造は分かった。七重塔がどんな姿をしていたのか、議論が始まった。前もっていくつかの想像図が準備された。
・注目を集めたのは、塔の根元の幅は約15mのもの。軒の長さは基壇をすっぽり覆う5mと推定。高さはもちろん100m、全体的に細長いスタイルとなった。
・一方、意外な案も登場した。高さは100mよりぐっと低い70m。奈良文化財研究所(建築史)の箱崎和久氏は100mの高さは厳しいのではないかと70m案に行き着いたという。その背景には以前から注目していたある塔の存在があった。国宝・元興寺五重小塔(奈良)、高さは5m50cmで奈良時代に造られた小ぶりの五重塔だ。
・実は建てられた年代が七重塔と最も近いもの。箱崎氏はこれをヒントにした。まず正面の柱の数を4本から6本に増やし、さらに屋根を2つ足せば七重塔になる。これを10倍すると高さが約70mに。
・しかし100mだったはずと思いきや、実は別の記録に23丈(70m)という記述もある(「東大寺要録」)。これまで単なる字の書き間違いと考えられてきたが、箱崎氏はこちらの方が正しいと考えた。
・100m案については、別のメンバーも疑問を投げかけた。文化財建造物保存技術協会の濵島正士氏はこう述べる。

この330尺(100m)に及ぶこの図を見てみると、これでは格好が取れないという気にもなりました(濵島氏)

・ひょろっと背が高く安定しないという意見。しかし鈴木氏は100mにこだわる。

でもね、僕は33丈(100m)はあり得るのではと考えている。あり得るならどうしたらいいか逆に考えている(鈴木氏)

・1か月後(10月26日)100mの探るためにメンバーは発掘現場にいた。すると意外なアイデアが飛び出した。

高い塔だから本当はつっかい棒が欲しくて、つっかい棒には“モコシ”が一番だよね(同上)

・モコシとは何か。世界最古の木造建築である法隆寺の五重塔には屋根が6つあり、一番下の塔の根元を取り囲んでいる部分を「裳階(モコシ)」という。塔の根元を雨や風から守っている。
・しかし今回はもう一つ、裳階に大事な役割がある。背が高く不安定な塔を根元でガッチリ押さえ安定させるのだ。

裳階はそれ自体が、いわばつっかい棒みたいなもの。本体を支えるという構造的なプラスは大きいと思う(同上)

・11月、2回目の検討会。鈴木氏のアイデアが盛り込まれた塔の姿が披露された。塔の根元、第1層には全体を安定させる裳階を設置。さらに1層ごとに木組みで囲み補強した。その結果、安定度も増した新たな100m案ができた。

裳階を付けるなんていうのは割とアイデアとしては落ち着かせる方法かもしれないですけどね(東京大学教授・建築学の藤井恵介氏)

・「これなら100mも可能かもしれない」検討会の空気が変わった。さらに鈴木氏から驚きの指摘も。

東大寺の七重塔は本当に登れたんじゃなかと思う。聖武天皇が登りたかったって言って(鈴木氏)

・100mなら各層も広くなり、人が登るスペースの余裕もできる。となると展望タワーとして聖武天皇が使ってかも。ロマンあふれる議論は今後も続く。

<CGで再現してみた七重塔>
・新たな100m案をCGで再現してみる。基壇の四方には3つに仕切られた階段。その階段に合わせて柱が6本ずつ立つ。中心には心柱。七重塔独特の構造だ。さらに第1層には補強のため裳階が付けられた。そこから1層ずつ組み上げていく。そして一番上。ここから聖武天皇が大仏殿と奈良の町を一望したかもしれない。
・幻と言われた七重塔。長らく歴史の闇に埋れていたその姿が今、一つの形を結んだ。鮮やかな彩り、凛とした立ち姿、この塔を実際に見た古代の人々はさぞ目を見張ったことだろう。
・けれども七重塔の謎を解く旅はまだ終わらない。今後、研究が進み、もっと驚くような姿で私たちの前に現れるかもしれない。

(2017/1/6視聴・2017/1/6記)

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【歴史秘話ヒストリア】おんな城主 直虎のイロハ

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【歴史秘話ヒストリア】
「おんな城主 直虎のイロハ」

(NHK総合・2017/1/6放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 いよいよ大河ドラマ「おんな城主 直虎」放送開始直前ということで、井伊直虎の特集(新作)となった今回の「ヒストリア」。2年前の再放送(→【歴史秘話ヒストリア】それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~)を基本的に踏襲しながら、井伊直虎の生涯を紹介する内容でした。

 大きな違いとしては、やはりNHKも無視できなかった「次郎法師≠直虎」「直虎≠女性」説の浮上について「諸説ある」とさらっと触れたうえで、あくまでもドラマの設定「次郎法師=直虎=女性」を完全に押し通しました。そのため新説を唱えた井伊美術館は今回は完全無視という荒業に打って出ました。

 そのうえ天白磐座遺跡を取り上げ、井伊家が古墳時代の「王」の末裔だとする新説まで登場。巨岩があるだけで、井伊家との繋がりを証明する根拠は示さず。ここまでくるともう支離滅裂というほかないですね。

 私がそこまで書くのは、歴史上の人物が男女どちらか分からないというのは、その人物が実在するかどうか分からないに等しいほど重大問題だと思うのです。大河ドラマは当然ドラマというだけあって「ノンフィクションではない」ということは明らかですが、それでも視聴者の大半はそれを観て歴史を学ぶという感覚になるわけです。だからゆえ完全に荒唐無稽にするわけにはいかないということで「時代考証」という役割を歴史学者の皆さんにお願いしているのではないでしょうか。

 ですから今回はタイトルも含めて男女どちらかという点について触れないような描き方をすべきだと思うのです。柴咲コウさんの演技力を持ってすれば両性どちらとも受け取れる直虎が演じられるのではないでしょうか。

 歴史というのは後に新説が出てきて定説が覆されることは、ままあるわけです。そのタイミングが偶然にもあまりよろしくなかったわけですが、それでも放送前に出てきたのですから(事実上の)国営放送が特定の歴史観で押し通すのは適切でない。それが私の考えです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・戦国時代、運命と闘った「おんな城主」がいた。今年の大河ドラマの主人公、井伊直虎。柴咲コウさん演じる直虎とは一体どんな人物だったのか。
・答えを求めて向かったのは直虎のふるさと、静岡県浜松市。ゆかりのお寺には直虎に関する古い記録。そこにあったのは、直虎の意外な過去。
・地元の山にそびえる高さ7mの巨大な岩は「おんな城主 直虎」誕生と深い繋がりがある。

<井伊家の菩提寺に伝わる「井伊家伝記」>
・井伊家の菩提寺、直虎の菩提寺でもある龍潭寺。寺に伝わる「井伊家伝記」。肖像画すらない直虎について、手がかりとなるほぼ唯一の書物。

「次郎法師は女にこそあれ井伊家惣領に生まれ候」

※直虎については諸説あるが「次郎法師=直虎」という説に基づいて伝えることにする。

次郎というのは井伊家の跡継ぎだと。これは代々決まっているわけです。法師と名を付けたのは、直虎さんは出家をしておりますので(19代目住職の武藤全裕氏)

<なぜ直虎はおんな城主に?>
・話は彼女の少女時代に遡る。戦国時代中頃、井伊谷の里。直虎はこの地を治める井伊谷城城主の家に生まれた。一人娘だった直虎には許婚がいた。同じ一族の井伊直親。未来は定まっているはずだった。
・ところが直虎10歳のとき事件が起きた。許婚の直親が突然行方不明に。誰も直親の行方について教えてくれなかった。

髪をざっくり切って出家した。それ(直親)が死んでしまったと思った。愛した人間の冥福を祈って生涯を終えるという気持ちで出家した(同上)

・許婚の冥福を祈る日々。ところが10年ほど経った頃、驚くべきことが起こった。突然呼び出されると、そこには死んだはずの許婚・直親の姿が。実は直親は命を狙われたため、井伊谷を脱出し逃亡生活を送っていた。
・愛する人と涙の再会のはずだが、直虎は出家してしまったので結婚も恋も禁止の身。しかも直親は他の女性と結婚、子どもも生まれた。仏の道に生きると決意した直虎だが、またもや運命に翻弄された。直虎に更なる悲しい知らせがもたらされた。
・当時、井伊家は駿河国の大大名・今川義元に従っていた。その義元の命で隣国・尾張の織田信長との戦いに加わった。この戦のさなか、直虎の父が討ち死にしてしまった。
・跡を継いだ元許婚・直親も今川家に謀反を疑われ殺され、井伊家の男たちは誰も居なくなってしまった。そのため次の城主に担ぎ出されたのが城主の娘・直虎だった。
・不安いっぱいの直虎が城主就任を決心した理由とは。元同志社大学教授(古代学)の辰巳和弘氏は、古代の遺跡や神話を研究。長年、井伊谷周辺も発掘調査してきた。

古代人と直虎が結びつくということを発見した(辰巳氏)

・龍潭寺近くの丘の上にある古墳時代、1600年ほど前の遺跡(天白磐座遺跡)。この岩に降り立った神に地元の権力者いわば「王」が、豊作を祈った場所と言われている。遺跡の発掘によって土器や勾玉、壺などを発見。分析の結果、あることが分かった。

直虎の時代の1000年以上前から(王によって)まつりが行われていた。(その王が)井伊氏の血筋につながっていることが分かった(同上)

・つまり祈りを捧げていた「王」こそ直虎の先祖ではないか。井伊家は直虎の頃からさらに1000年以上遡る歴史ある一族だった。

(途絶えそうな)危機にある井伊家を続けなければならない。当主として家を守らなければいけないという考えが湧いてきたと思う(同上)

・こうして直虎は永禄8年(1565年)女性の城主となった。このとき30歳、長い歴史を持つ井伊家を守るため重い役目を引き受けた。

<男だけじゃない、戦国の城主>
・戦国時代の城主はほぼ男性だが、女性の城主は存在していた。
・“男まさりの城主”立花誾千代。筑前国(今の福岡県)にある立花山城主となり、永禄11年、立花山城の戦いで勇ましく戦い、薩摩の島津軍を撃退した。
・“おんな戦国大名”寿桂尼。桶狭間の戦いで有名な武将・今川義元の母親だ。40年余りにわたって一切を取り仕切り、今川家を有力大名に押し上げた知略家だった。
・そんなおんな城主の一人が直虎。男だとする説もあるが、それは今後の研究を見守るとして、直虎は一体どんな城主だったのだろうか。

<再現 城主・直虎の一日>
・直虎の城主ぶりを当時の記録や専門家の研究から再現してみた。朝、やって来たのは領民たち。土地を巡る争いがこじれ、城主である直虎に裁いてもらおうと押しかけてきたようだ。うまく領民たちをとりなし、村々の平和を保つのは城主の大切な務めだった。
・眺めているのは井伊家のお金の帳簿。直虎が城主になったとき、井伊家はとても貧乏だった。原因は戦にかかる莫大な費用。今川家の命令で何度も戦に駆り出され、大きな出費を強いられていた。
・それを賄うためには領民から年貢を搾り取るか。でもそんなことをしたら田畑を捨てて逃げられてしまうか、怒って一揆を起こされるか。困ったことになる。
・そこで直虎は商人を呼んで当座、必要な分を借金した。利息は取られても家が潰れるよりはまし、秋に年貢が入るまでの我慢だった。
・そこにまたまたお客さん。村長と呼ばれる村の有力者たちだった。差し出されたのは採れたてのサトイモ、城主への贈り物だった。始まったのは宴会、しかも直虎自らお酌までした。

領民からの贈り物には、もらった以上のお礼を差し出す。領民と仲良くやるのも城主としての大きな知恵。直虎は周りに気を遣って、仲良く付き合う知恵は身につけている(静岡大学名誉教授の小和田哲男氏)

・直虎は女性ならではの「気配りの城主」だったようだ。

<直虎ピンチ どう切り抜けたのか>
・そんな直虎に最大の試練が訪れた。永禄9年(1566年)直虎が城主就任の翌年。やって来たのは今川家の使者だった。今川家から領民の借金を“帳消し”にする徳政令を出すよう命令された。
・おかしな命令、直虎は納得できなかった。確かに徳政令が出れば領民たちは借金ゼロとなり大喜びだが、お金を貸した商人たちは大きな損を出し破産してしまう。
・直虎も金を借りる先がなくなり破たんしてしまう。これこそ今川家の本当の目的。井伊家の領地をうかがっていた今川家中の一派が、直虎と井伊家を兵を動かすことなく潰そうと企んだ陰謀だった。
・徳政令を出せば井伊家がピンチ、出さなければ上司の命令無視に。その後、直虎は一向に徳政令を出さなかった。今川家からの催促を交わしながら、裏で進めていたのは借金を帳消しにされ損する商人たちを救う対策だった。
・直虎が商人に手渡したのは、たとえ徳政令が出ても既に借金の形として受け取った財産の一部を返さなくてよいとする特別措置。直虎は城主の権限で商人たちが丸損しないよう、巧みに図った。

上から言われるままではなく「ここは自分の領地だ」という思い。直虎は(領国経営には)商人の利益も重要だと判断した。一番こだわったのは自分の領地のことは(自分の権限で決める)自立性(一橋大学附属図書館助教・社会学の夏目琢史氏)

・こうして直虎は今川家、商人、領民それぞれに対して細かく入念に策を講じた。準備が全て整うと徳政令を出した。直虎の緻密な対策によって今川家が期待した破たんは起こらず、逆に直虎と領民たちの絆が強まった。

<家を守れ!どん底からの復活>
・その後、まもなく直虎は龍潭寺に戻った。実は直虎はその巧みな政治手腕があだとなり、今川家から警戒され、城主の座を奪われてしまった。
・井伊家を守ろうと城主になったのに、逆にお家没落の危機を招いてしまった直虎。でもこのピンチがあったからこそ、直虎は歴史に名を残すことになった。
・今川家に城を奪われ、龍潭寺で無念の思いを抱いていた直虎。ところが1か月後、事態は一変した。今川家が隣国の大名たちに攻められ、瞬く間に滅亡。井伊谷には当時、急成長の大名・松平(後の徳川家康)の軍勢が入ってきた。
・今川家が滅亡っした今こそ城主返り咲きのチャンス。しかし今は家臣もおらず、城を奪い返す力もなかった。直虎が考えたのは、家康の家臣となる作戦。徳川家の一員となって城主の座を取り戻す。いわば有望企業の中途採用狙いだった。
・とはいえ女性の直虎ではおそらく仕官させてくれない。そこで、かつての許婚・直親たった一人の男子・虎松。まだ8歳、直虎は虎松に徳川家への就職と井伊家の復活をかけた。
・直虎が幼い虎松を連れて向かったのは、徳川家康の本拠だった三河国の鳳来寺(愛知県新城市)。もちろん就職活動のため。当時の寺は武士の子どもたちが優秀な家臣となれるよう、勉学に励む場でもあった。しかも鳳来寺は徳川家とゆかりの深いところ。学問好きな家康の目に留まるよう、ここで虎松に猛勉強をさせたと言われている。
・さらに直虎による虎松の就活作戦。それだけではなかった。強力なサポートも展開。虎松の実の母親の縁談をにわかに進め、再婚させてしまった。相手は松下源太郎で、家康に厚く信頼されている徳川家の家臣だった。

一種の政略結婚ですね。(直虎は)これからは徳川の時代と見切っていた。家康とつながるルートを確保するため、虎松の母を松下一族に嫁がせた(小和田氏)

・政略結婚で徳川家とのコネもつけ、いよいよ虎松の就活仕上げの段階。虎松15歳、立派な青年に成長したとき一か八かの勝負に出た。
・その日は徳川家康が大好きな鷹狩りに出かける日だった。鷹狩りを満喫しひと休みしていたとき、入ってきたのは直虎と虎松。普段なら大名の家康にアポなしで会うなど絶対に出来なかった。直虎は前もって情報を収集、鷹狩りの家康はご機嫌なのでハードルも下がると読んでいた。
・虎松の小袖は今で言うリクルートスーツ。少しでも見栄えがするよう、直虎が自分で縫い上げたと「井伊家伝記」には記されている。
・さらに直虎は勝負に出た。井伊家の名を確実に残すため、虎松が井伊家先代当主・直親の子であることを家康に伝え、徳川家に仕えるのは井伊家の悲願であると訴えた。このとき家康は虎松を「ただ者ではないと感じた」と記録には記されている(「徳川実紀」)。
・虎松は晴れて井伊の名で家康家臣となった。

<徳川家臣として頭角を現し大名となった井伊家>
・その後、虎松は名を井伊直政と改め、たちまち頭角を現した。期待に応え合戦では力戦奮闘。すさまじい戦いぶりは「井伊の赤鬼」と恐れられた。
・そんな直政の活躍をふるさと井伊谷で見守っていた直虎。天正10年(1582年)47歳で静かに生涯を終えた。龍潭寺にあるその墓はかつて愛した許婚・直親に寄り添うように並んでいる。
・20年後、天下分け目の関ヶ原の戦い。徳川軍の先陣を切った直政が掲げた「井」の字の旗印。井伊直虎が懸命に守った井伊家の誇り。それは忘れられることなく、子孫に受け継がれた。
・江戸時代、彦根35万石の大名となった井伊家。歴代の藩主たちは大老など徳川幕府の要職を務めた。その一人が幕末の井伊直弼。桜田門外の変で暗殺された直弼は、直虎から数えて13代後の当主だった。
・昭和38年(1963年)に始まったNHK大河ドラマ第1作「花の生涯」。主人公は井伊直弼だった。このドラマの成功がなければ、大河ドラマが現在まで続いていなかったこともありえる。今年もこうして新しい大河ドラマを放送できるのは、約400年前に頑張ってくれた直虎さんのお陰かもしれない。

(2017/1/8視聴・2017/1/8記)

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【ブラタモリ】#58 浦安~なぜ浦安は“夢と魔法の町”になった?~

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【ブラタモリ】
「#58 浦安~なぜ浦安は“夢と魔法の町”になった?~」

(NHK総合・2017/1/7放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 浦安市は仕事の関係でちょくちょく行きます。ちなみに舞浜駅前の某テーマパークはもう10年以上行っていません。ディズニーランドもディズニーシーもどちらも自分の好みには合わないみたいですね。隣の駅にある臨海水族園の方が好きです。

 ところで、ちょうど私が住んでおります地域の成人式が今日あったようです。午前中に買い物に出掛けたら、晴着を着た女性がくわえタバコで車から降りてきて、側溝にタバコをポイ捨てしてから美容室に入っていく姿を見ました。もう何ていうか…成人式の今日的意義なんて無いんじゃないかと思いますね。また幼稚な『成人』が引き起こす事件も各地で例年、懲りもせず起きています。

 もちろん真面目にやっている人たちの方が多いことは承知していますが、自治体主催の式典など止めてしまえと思っています。何でそんな話をしたのかというと、浦安市の成人式はディズニーランドで行っているからです。何ともふざけた税金の使い方だと毎年呆れております。

 まあ、それはさておき本題へ。「ブラタモリ」で紹介された浦安市。もともと江戸の台所を支える漁村だったということは知っていましたが、ちょっと“夢と魔法”というキーワードを強調し過ぎに思います。これもディズニーランドとの関連付けをこじつけている感がありますね。

 番組では触れられていませんが、浦安市は昭和46年に漁業権を全面放棄しているため、現在漁師さんは存在しません。近隣の市川市や船橋市はまだ漁業が行われています。つまり産業を一つ捨てた町です。

 それが時代の流れだったのかもしれませんが、やはり何だか高層ビルや分譲住宅だけが建ち並んでいる姿をみると、町としては無機質な感じが否めません。それが儀式をテーマパークでするというメンタリティと無関係でないような気がしてしまうのです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・スタート地点は浦安市の舞浜駅前。
・旅のお題は「なぜ浦安は“夢と魔法の町”になった?」
・案内人は浦安市郷土博物館主任学芸員の尾上一明さん。海に近い浦安の歴史を研究して20年だという。
・最初に一行は本家の夢と魔法の王国へということで、開園前のディズニーランドの中に。ミッキーマウスがお出迎え。
・ディズニーランドの中からは外の景色が見えないような工夫がしてあるという。

・次に一行は舞浜地区から3kmほどの住宅街へ。L字に曲がった公園があり、その先に川(境川)がある。昭和40年代の写真をみると船だまりがあり、公園はその痕跡だった。
・昭和の中頃、浦安には漁師が2000人近くいた。実はこの漁師町としての繁栄のきっかけは江戸時代にあった。当時の浮世絵には境川の両岸に漁師町が描かれている。

・続いて一行は境川の2kmほど上流へ。旧江戸川と合流する水門がある。江戸時代、旧江戸川と江戸を結ぶ運河が完成。これにより生まれた浦安と日本橋を結ぶ「魔法のルート」のおかげで、浦安は安全かつ短時間で魚介類を運べるようになった。まさに「夢の漁師町」だった。

・次に一行は旧江戸川から歩いて10分ほどの商店街へ。江戸時代に夢の漁師町になった浦安を、明治以降さらに繁栄させたもう一つの魔法がある。
・当時のメインストリートを歩き、路地裏へ行くと旧大塚家住宅(千葉県有形文化財)がある。地面を見ると貝殻がたくさんある。当時、貝が湧くようにたくさん採れたという。

・浦安魚市場へ移動した一行。アサリやハマグリの串焼きは古くから浦安で愛されているふるさとの味。浦安で貝が湧くように採れた時代の名残。
・大正から昭和の中頃にかけて浦安はアサリなどの貝類が東京湾で最も多く採れた場所だった。そんな浦安ならではの商売が今も残っている。3代続くむき身屋さん。貝を料理しやすいように殻をむいて身を売る店のこと。浦安で湧くほど採れた貝を素早くむき身にする技は、今も受け継がれている。
・昭和の中頃には年間3万トンもの貝が採れ、むき身屋でむいた貝は何と1人1日1万個。そして、その貝は寿司など東京の食文化を支えた。貝が魔法のように採れた浦安。その理由は浦安沖に貝が生息しやすい広大な浅瀬があったから。
・もともと旧江戸川の河口には、川が運んだ土砂で出来た浅瀬があった。そこに東京湾の海流がぶつかり生まれた流れが浦安側に土砂を押し流したため、湾の中でも最大級の浅瀬が誕生した。
・潮が引いたときに現れる遠浅の浜・干潟。東京湾の中でもこれだけ広い干潟というのは圧倒的で、山本周五郎が「沖の百万坪」と表現したという。

・魔法のように採れた貝が魔法のルートで東京に運ばれることで夢の漁師町になった浦安。しかしその漁師町は今は浦安から姿を消してしまった。
・元漁師の大塚道和さんによると、昭和33年に旧江戸川沿いにあった(製紙)工場から出た廃水により浦安の浅瀬の魚介類が大量に死滅した(黒い水事件)。怒った漁師たちは工場に乱入、廃水を止めるよう訴えた。
・高度経済成長期だった当時、東京湾で急速に工業化が進んだ。そのため浅瀬は更に汚染され、漁業が成り立たなくなった。

・続いて向かったのは魚市場から南へ3kmの住宅街。浦安が新しく生まれ変わるきっかけとなった痕跡がある。
・左右で1mほど高さが違う道路がある。地元では「段差道路」と呼んでいる。浦安を東西に横切る段差道路はかつて海岸線だった。昭和40年、この辺りから浦安の埋め立てが始まった。そして埋め立てこそ浦安が新しく埋め立てるきっかけだった。
・市内の4分の3が埋立地。広大な浅瀬があった浦安は埋め立てしやすい土地だった。その結果、僅か15年で町の面積は4倍に広がった。
・埋め立てが始まった昭和40年代はマイホームブームのさなか。鉄道も開通して(昭和44年・東西線開通)東京へのアクセスがよくなった浦安はサラリーマンが夢のマイホームを持てる町へと変わった。

・一行は最初に埋め立てが行われた場所へ。そこに新しい住宅地をより魅力的にしようとした工夫があるという。
・平坦な埋立地の公園の中に突然現れた山。通称・浦安富士と呼ばれていて標高15m。
・浦安富士が誕生したのは、埋め立て開始直後の昭和44年。わざわざトラック1万3000台分もの土を運んでつくられた。
・埋め立てが始まった当時は1万8000だった人口は、今や16万。漁師町・浦安は一大ベッドタウンへと生まれ変わった。
・そして昭和58年、東京ディズニーランドが開園。

・再び元町地区へ戻った一行。実は東京ディズニーランドの建設にとっても浦安はもってこいの場所だったという。
・船で旧江戸川を下ると、三角州が見えてきた。埋め立て前、旧江戸川の河口には「大三角」「小三角」と呼ばれた中州があった。さらにその先にも広大な浅瀬が広がっていた。
・埋め立てしやすい広大な浅瀬が、巨大なテーマパークをつくるのにぴったりだった。
・もう一つ大切な理由がある。外側から中の施設が見えにくい。外から見えないということは中からも見えない。海に囲まれた浦安の浅瀬は周りに高い建物が出来ないため、イメージを守るのにぴったりだった。

・さらに向かったのは浦安の原風景といえる場所へ。埋め立てとともに殆ど姿を消していたヨシ(葦)。それが旧江戸川のほとりに蘇っていた。広大な浅瀬とともに歩んできた町・浦安。時代は流れてもその痕跡は残り続けている。

・最後に新浦安の高層建物の屋上から町並みを眺める。浦安の町が一望できる。昔からの漁師町の名残りや住宅街、そしてテーマパーク。様々な顔を持つ町だということを確認した一行。

(2017/1/8視聴・2017/1/8記)

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#48 広島~広島はステキなシティ!?~
#47 高尾山~高尾山はナンバーワンの山!?~
#46 佐渡~“黄金の島”佐渡は“キセキの島”!?~
#45 新潟~新潟は“砂”の町!?~
#44 会津磐梯山~会津磐梯山は“宝の山”?~
#43 会津~会津人はアイデアマン!?~
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【NHKスペシャル】ばっちゃん~子どもたちが立ち直る居場所~

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【NHKスペシャル】
「ばっちゃん~子どもたちが立ち直る居場所~」

(NHK総合・2017/1/7放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 子どもたちを非行から守る中本さんの活動については、以前どこかのドキュメンタリー番組で拝見したことがあった気がします(何の番組かは完全に失念してしまいました)。

 「無償の愛情」「見返りを求めない献身さ」など言葉で表すのは簡単ですが、それを長きにわたって実践するということは並大抵のことではないと思います。“ばっちゃん”をそこまで動かす原動力とは何か、彼女は番組の最後でこう言います。

「子どもから面と向かって助けてと言われたことがない人には分からないんじゃないの」

 それでも私たちは頭では理解しても何か行動を起こすところまでには、なかなか辿り着けないと思います。もちろん私も無理です。せいぜい出来ることは、何か物資を提供したり、僅かながら募金をしたりするぐらいでしょうか。

 しかし“ばっちゃん”のようなスーパーウーマンが居なければ何も出来ないではダメだとも思うのです。みんなが少しずつ身近なところで子どもたちに目を向け、ときには手を差し伸べる。みんながそんな小さな活動を積み重ねて広げていけば、非行に走る子どもが一人でも減るのではないかと思うのです。

 ちなみに調べてみたのですが、ばっちゃんの取り組みはNPOとして多くの人たちの共同の輪となって運営されているとのことです。そこには、ばっちゃんのご飯で成長した子たちも関わっているということです。彼女の蒔いた種は着実に成長して広がっています。素晴らしいですね。

→特定非営利活動法人「食べて語ろう会」
https://tabetekataroukai.wordpress.com/

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・罪を犯してしまう子どもたちは、みんなお腹を空かせている。そう言って、その立ち直りを30年以上支えてきた中本忠子さん(82)。

腹が減った時っていうたら、みんな悪さをすることしか頭にない。女の子じゃったら売春ね、男の子じゃったらカツアゲ、ひったくり、万引き。お腹が空いた時で考えるいうたらそれしかない。これは10人が10人みんな(中本さん)

(ばっちゃんは腹が減ると悪さに走るっていうけど?)
たぶん、ほんまそのとおりかなと思うんですよ。腹減ったらとにかく、何か食いもん欲しいなと思って。金なかったら、とるしかないと自分考えよったんで(少年)

腹減っとったら思考能力とかも落ちるじゃないですか。イライラしとって、それでもう何でもいいやみたいなとか。これぐらいいいじゃろって、あんまり考えなくなる(別の少年)

・子どもたちは中本さんのことを「ばっちゃん」と呼んでいる。自分のおばあちゃんではないけど、近所のおばちゃんよりは身近な存在だからとのこと。そんな「ばっちゃん」のお話。

<非行の原因は「空腹」にあると子どもたちに食事を提供している“ばっちゃん”>
・問題を抱えた少年たちが毎日駆け込んでくる。そんな噂を聞きつけた2010年11月、ばっちゃんの取材を始めた。ばっちゃんは40代の頃から罪を犯した少年の社会復帰を手助けする保護司というボランティアをしてきた。
・活動を始めてすぐに非行の原因が空腹にあることに気づき、それから子どもたちに手料理を振る舞うようになった。いつしか担当する子どもだけでなくその友達も来るようになり、それを見かねた地域の女性たちも手伝いに来る。こうして賑やかな家になった。貧困や育児放棄、ここに集まってくる子どもたちは様々な理由で食事を摂れずにいた。
・ばっちゃんのご飯を食べすぐに非行が収まる子もいれば、何年もかかる子もいる。それでもばっちゃんは毎日料理を作り、子どもの声に耳を傾けていた。
・お腹を空かせては非行に走る子どもたち。繰り返していると、罪の意識がどんどんなくなってしまう。

そりゃ人間、お腹が空いてごらんよ。落ち着きなさいって言うたって落ち着かんと思うよ。手作りいうのが一番いいんじゃない。どんな荒れた子でもおさまると思うよ。だって私それでおさめてきたもん、子どもらをここで(中本さん)

・ばっちゃんの家は子どもたちにとって、数少ない甘えてもよい場所。外では威勢を張り隠してきた本心も思わずさらけ出してしまう。
(少年から話を聞き、いじめを受けていることを聞いたばっちゃんは、解決するためにその子たちにきちんと話をするっと言った)
・悩みを打ち明けた後においしいご飯。子どもたちの心が満たされていく。ここでは辛かったことも不思議と笑いに変わる。

<少年院に入ることになってしまった一人の少年>
・そんなばっちゃんは、子どもたちの立ち直りが以前にも増して難しくなっていると感じていた。社会全体に広がる不寛容な空気。過ちを犯した子どもへの風当たりは強く、居場所を見つけることは容易ではない。実際、犯罪で検挙された少年のうち、再犯者の割合は年々増え続けている。多くの少年が悪循環から抜け出せずにいる。

そういう子どもたちっていうのは行き場所がないんよ、結局は。行き場所がないがために、やっぱりさまようて。いいところへは集まらない、行かない。だから帰る場所、行く場所がない子は、ものすごく心がすさんどる(中本さん)

・2013年9月。ばっちゃんが特に気にかけている少年がいた。中学2年生のマコト(14)。幼い頃からお腹を空かせては、ここに出入りしていた。この頃、母親が再婚したばかり。父親にはマコトと同じ年の連れ子がいて、新しい家族とは会話がなかった。

家帰っても暇だったけ。することないけ寄ってみたら、ばっちゃんがおったけ(マコト)

・マコトは、ばっちゃんの家に来ないときは夜遊び回り、たびたび問題行動を起こしていた。彼の家はばっちゃんの家の近くだが、なかなか家には帰ろうとしなかった。

(お父さんお母さんは?)
おるけど何もすることがない。暇なんよね(同上)

(マコトにとって中本さんの家はどんな感じ?)
どんな感じって言われたら、いい感じ(同上)

・この1年ほど後、マコトは少年院に入った。彼が入ったのは広島の少年院、ここでの生活は1年を超えた。仮退院が近づいたとき、あることが問題になった。昔の仲間がいる広島では更生が難しいとマコトの親が言った。
・結局ばっちゃんが愛知県のNPOに引き受けを頼み、そこで更生を目指すことになった。マコトは愛知県の少年院に移され、仮退院の日を迎えた(2016年5月)。

(痩せたんじゃない?)
だいぶ痩せました(マコト)
(今の気持ちは?)
こわい、不安です(同上)
(何年何か月だったっけ?)
1年と2か月(同上)
(何でこわいの?)
ちゃんと生活できるかなと思って(同上)
(不安な部分は?)
すごいある(同上)

・中学の卒業式にも出席できなかった。たった一人で新しい生活を始める。携帯電話を渡され真っ先にかけたのは、ばっちゃんだった。

よかったの。ばっちゃん嬉しくて涙が出そうだわいや(中本さん)

・住む場所と最低限の家財道具はNPOが用意してくれた。知り合いが誰もいない土地で更生を目指すマコト、まだ16歳だ。

(不安だって言ってたけど、どういうとこが?)
全く分からんじゃないですか、土地とか。仕事行くにしても、ちゃんと行けるんかなって。新しい友達ができて、そっからまた悪いほうに行くんじゃないかなって。自分としては友達作らんほうがええんかなって思ったりはしてます。どうしていいか分からんのです。気持ちの整理とかまだできてないんです(マコト)
(不安に負けないためには?)
ちゃんと、ばっちゃんにも相談しようと思ってます。ばっちゃんとは、ずっと関わっていきたいと思って。言葉で言いにくいんですけど、どんなに切れと言われても絶対に切れんなっていうのがあって。切りたくないし。ばっちゃんがおるけ、ちょっとは安心できるかな(同上)

<仮退院して真っ先に“ばっちゃん”に会いに行った少年>
・マコトには新しい生活を始める前にやっておきたいことがあった。それは、ばっちゃんに会いに行くこと。当面の生活資金として親から貰っていた5万円。散髪をし、深夜バスのチケットを買った。
・ばっちゃんの家に通い始めたのは小学校4年生のとき。マコトの行動を心配した学校の先生が、ばっちゃんのことを教えてくれた。何かあると心配してくれるのは、いつもばっちゃんたちだった。
・早朝、マコトは広島に着いた。一方、ばっちゃんは料理を作っていた。この日ばかりはマコトのためだけに。

昨日も私、マコトとかなりかなり電話で話をしたよ。自分も苦しいって言いよったよ。「俺はなんでこういう家庭に生まれたん?」いうね。だけど生まれた家庭を変えることはできんのじゃけ、でも生き方は変えていけるじゃって。生きることは自分でね、変えていけるじゃんって言うんだけど、月日がかかると思うよ(中本さん)

・ばっちゃんが作っていたのは、マコトが小さい頃から好きだった親子丼。

(どう?マコト?)
うまいっす(マコト)
(昔と味、変わっとる?)
全然です。大丈夫です。まんまです(同上)

・ご飯を食べながら、マコトはばっちゃんにいろいろと注意された。昔と変わらず、本当にこまごまと。1年ぶりの広島の町でマコトは多くの友人に会った。お腹が空くと、ばっちゃんとご飯を食べ語った。

審判の後、自分が少年院に行って泣いたって聞いたんで、ばっちゃんが。ほんまヤバイなって自分の中で危機感、感じたんで。絶対悲しませちゃいけんなって思って(マコト)
(少年院の面会室で会うのと、ばっちゃんちで会うのとは違うじゃろ?)
はい。だいぶ違いますね(同上)
(どんな感じで?)
やっと出てきたんじゃって実感が湧く。会うのにも時間も限られてないし、何しゃべってもいいし、ほんま出てきたって感じがする(同上)
(料理はどうだった?)
変わらず、ばっちゃんの味ですね(同上)

・マコトの同級生は高校2年生。皆、楽しそうに学生生活を送っていた。一方、知らない土地で一人で暮らすことになったマコト。仕事を探すのだけでも容易ではない。

<地域住民と子どもたちが交流する取り組みも>
・居場所のなさが子どもたちを非行に走らせ、立ち直りの可能性さえも奪ってしまう。ばっちゃんはここ数年、家にやって来る子どもたちと地域住民とが交流する取り組みにも力を入れている。
・「食べて語ろう会」。一緒にご飯を食べ、顔なじみになることで地域が子どもの居場所の一つになれないか模索している。会には子どもたちの親も呼んでいる。ある母親は3人の息子がばっちゃんの家に通っていた。

入れ墨を見て、かっこいいね、すごいね言うて声をかけてくれる人のほうが多いよ(女性)

・この日、ばっちゃんは少年院にいる女性の息子から届いた手紙を渡した。そこには漢字も多く使われ、周囲への感謝の気持ちが綴られていた。自分が知らない息子の成長が手紙の中に溢れていた。

かわいいじゃろ。しっかりと帰ってきたらお母ちゃんをするんよ。しっかりとお母ちゃんじゃけんの(中本さん)

・親自身が家庭の温もりを知らずに育っていることも少なくない。どうしていいか分からない親に、ばっちゃんは何度も語りかける。

<住む場所をなくしたという少女>
・今夜、寝る所がないという少女から電話が掛かってきた。次の日、電話をしてきた少女がばっちゃんの家にやって来た。彼女は家族に暴力を振るったため、家にいることができなくなった。住み込みの仕事を始めたが続けられなくなったという。
・住む場所をなくした少女。親の同意が得られないため、自分でアパートを借りることでもできない。親への暴力は、全く自分に関わろうとしないことへの怒りだったという。

(育児放棄って、ご飯が食べられなかったってこと?)
ご飯どころの話じゃない。面倒一切見んけ、うちの親は。産むだけ産んで置いとるみたいな感じ。ばあちゃんとかおらんかったら今頃、生きとったかどうかも分からんけ。みたいなレベル。小さい頃はあんまりそれの意味が理解できてなかったけ。分かりだしてからは、つらいどころの話じゃないよね。面倒見てくれよったばあちゃんまでおらんくなって、誰に頼ればいいんじゃろみたいな。うちに味方がおらんのんじゃ、みたいになって(少女)
(何が一番嫌だった?)
やっぱり一番つらかったのは居場所がないことよね。精神的な面で、心の居場所がないことが一番つらいね、やっぱり。でもうち絶対自分が不幸とか思わんのよね、それだけは。それなりにつらいこともあったけど、全然不幸だとは思わんね。それも人生だと思えば、どうってことない今は。それと同じことを自分がせんかったらええだけじゃけ(同上)

・心の居場所を求めて、もがき続ける子どもたち。その声に私たちはどれほど気づけているのだろうか。

<なぜ続けられるのか“ばっちゃん”に尋ねると…>
・2016年9月、敬老の日にばっちゃんの家を訪ねると、子どもたちからたくさんの贈り物が届いていた。

みんな、みんな思い出の濃いのばっかり。やっぱりね、こういうふういうのは、とおりいっぺんの子どもいうのはくれんじゃろうと思うよ(中本さん)

・御年82。最近は仲間も増え、寄付も寄せられているというものの、なぜ続けられるのか。そんな疑問をどうしても抱いてしまう。

(継続って言っても大変じゃないですか?)
それみんなが聞くんよ。「こがいに大変なの、なぜ続けるん?」って言うけど、私にもよう分からんのよ。たんびに「もうせーん!」て言うんよ。「なんでここまでせんにゃいけんの」って言うんじゃが、何でかね?しょっちゅうヒス起こすことが多いよね。だって朝3時半から起こされてごらん(同上)
(それでも続くのは、中本さんにも喜びが?)
ありゃせん。つらいばっかり。ほんまに、何でもの弁当も作り、あれをし、これをし、すりゃの、感謝の気持ちなんか、ちいとは持てや言うんよ。ドブに捨てたらドブンなりとも音がするんよ。お前らにしてやる分は音もでんにゃ、感謝の言葉もありゃせん。せいがないんじゃって言うんよ。うちがよう怒るんよ。「何だか言え」言うたら「どう言うん?」言うから、どうにもならんじゃろ。「ありがとうぐらい言えや!」言うたら「ありがとう言うときゃええん?」なんと腹が立つじゃろ(同上)

・ここから巣立っていった子どもは300人を超える。かつて暴走族のリーダーだった少年から最近、連絡があった。長男の就職が決まり、次男は専門学校に入学したとのこと。薬物に手を出していた女の子は母となり、最近息子が結婚したと報告してきたという。

<働き始めた少年、将来の夢は…>
・2016年10月。少年院を出てから5か月、マコトを訪ねてみると働き始めていた。勤め先は近所の居酒屋。開店前の掃除や仕込み、そして接客。お酒の種類やメニューなど覚えることもたくさんある。でも目標ができた。

保育士なろうかなと思っているんですよ。考えたときにふと思ったのは、ちっちゃい子好きじゃけ。面倒見るのも苦じゃないかなと思ったんで。保育士目指してみようかなと。自分の中でも簡単じゃないっていうのは、分かってますけど目指してみようかなと。短大行って資格取ろうかなと(マコト)

・うまくいかないことや壁にぶつかることもたくさんある。それでも自分の人生を歩み始めていた。一人暮らしにもだいぶ慣れた。ただ一つ離れてみて、ばっちゃんの存在の大きさを改めて感じている。

いつもだったら当たり前みたいに、ばっちゃんの家行ったりしよったのが、こっち来たことで行けないじゃないですか。当たり前じゃなくて本当にいいことなんだなって。普通じゃあり得ないことなんだなって感じました(同上)
(今でも行きたいなってことある?)
普通にあります。でも言えば今すぐにでも行きたいくらいです。ばっちゃんの飯が食いたいです。前は食堂みたいな感じだったんですけど、自分の親として会いたいなというのがあります(同上)
(前は食堂だったんだ?)
とりあえず、お腹空いたら電話してみたいな。今は普通に食堂じゃなくて、ばっちゃんの家として行きたいです(同上)
(ばっちゃんに言ったら何て言うかね?)
悪させんかったら、それでもいいんじゃないかねって言いそうです。「悪さするより電話してきて、えらかったえらかった」って言いそうです、ばっちゃんなら(同上)

<今日もご飯を作り続ける“ばっちゃん”>
(台所でおにぎりを握るばっちゃん)

今日はね、給食がないじゃろ。休みじゃけん。今朝からご飯3回炊くんよ(中本さん)
(今日も誰か来るんですか?)
分からん。この頃は誰が来るいうような約束はしない(同上)

・なぜ続けられるのか?繰り返し尋ねる私たちに、ばっちゃんはある日こう言った。

「子どもから面と向かって助けてと言われたことがない人には分からないんじゃないの」

(2017/1/9視聴・2017/1/9記)

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第1回 井伊谷の少女

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【大河ドラマ】おんな城主 直虎 第1回
「井伊谷の少女」

(NHK総合・2017/1/8放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/naotora/

<感想>

 今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」。いよいよ始まりました。開始前からいろいろとありましたが、とりあえず「ドラマ」として観ることにしたいと思います。もし仮に毎週の記事アップが無くなったら視聴終了だと思ってください。そうなる可能性はそれなりにありますので。

 さて第1回、まあ今回は自己紹介のような展開で、大きな動きは無いのかと思っていたのですが、いきなり直虎(おとわ)の許婚である井伊直親(亀之丞)が今川から命を狙われて逃亡という展開。

 しかしそのことをおとわに話して聞かせるシーンがあったのは、ちょっと違和感を覚えました。というのも直親が死んだと聞かされ、失意のうちに出家したのではなかったのかというのが自然なので、仮に逃亡して某所で匿われていることを知っていたら、おとわが剃髪する必要もないのではと思えるのですが…。

 それと彼女が父母とやり取りするシーン。あの当時に子どもが親に家督が云々、結婚が云々と意見を言うことなど出来ないだろうと突っ込みたくなりました。ちょっとその辺りが余りに現代風にアレンジし過ぎで、時代劇だと感じられないものを感じました。

 まず初回ですから様子見という感じですが、このペースで50話分、間延びせずに持つのだろうか…そこは脚本家の腕の見せ所かと思います。とりあえずはそっと見守りたいと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・静岡県西部、遠江国。うなぎで有名な浜名湖の少し北。そこに井伊谷という小さな谷あいの地がござる。井伊谷はその名の通り、いにしえより井伊という一族によって守られてきた土地。
・じゃがしかし戦国の世、駿河の名門・今川氏がこの地に手を伸ばしてきての。井伊の者はそれは長きにわたり戦うたものの、時代の流れにはあらがえず。井伊谷はとうとう今川の治めるところとなってしもうた。
・その無念いまだ冷めやらぬ頃、井伊家に一人の姫が生まれたのじゃ。
・時は戦国。群雄が割拠し、戦や略奪が繰り返された混乱の世。その流れに果敢にも飛び込んだ女子がおった。彼女が辛くも守りきった井伊家は、その後260年にわたり江戸幕府の屋台骨を支えることになったのじゃ。
・勇ましい男名で男たちと渡り合ったその女は、井伊直虎という。


・天文13年(1544年)遠江の国・井伊谷。後に井伊直虎(柴咲コウ)となるおとわ(新井美羽)は、当主の井伊直盛(杉本哲太)と千賀(財前直見)の娘で、幼なじみの亀之丞(藤本哉汰)と鶴丸(小林颯)と元気に育っていた。
・そんなある日、亀之丞が井伊家の次期当主としておとわと夫婦になることが決まった。
・ところが亀之丞の父・井伊直満(宇梶剛士)は駿府の今川義元(春風亭昇太)に呼び出され、謀反を企んだ疑いで討たれた。
・さらに今川は亀之丞の首も差し出せと言ってきたが、先々代の当主・井伊直平(前田吟)や直盛たちは亀之丞を守るために逃がすことにした。
・そのことを千賀から聞いたおとわは嘆くが、運命を受け入れるしかなかった。

<直虎紀行>
・静岡県浜松市。浜名湖が広がるこの辺りは、かつて遠江と呼ばれた場所。湖の北に位置する井伊谷で井伊直虎は生まれた。
・井伊家が拠点とした井伊谷城。里を一望できる高台に築かれていた。
・田園風景が広がるこの場所に井戸が残されている。ここから井伊氏の初代・井伊共保が生まれたという伝説が語り継がれている。
・幕末には末裔の井伊直弼が訪れ、歌を詠み先祖をしのんだ。

わきいづる
岩井の水の底清み
くもりなき世の
影ぞ見えつつ


・滋賀県彦根市。近江と呼ばれたこの地も豊かな水の恩恵を受けた場所。時代を超え、井伊氏は近江に根を下ろした。
・遠江から近江へと井伊谷の人々の魂は受け継がれた。おんな城主 直虎が未来へ繋いだ歴史は、この井伊谷から始まろうとしている。

※井伊谷城跡(JR「浜松」からバス「神宮寺」下車 徒歩10分)
※彦根城(JR「彦根」下車 徒歩15分)
※井伊共保公出生の井戸

(2017/1/10視聴・2017/1/10記)

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【NHKスペシャル】巨龍中国 14億人の消費革命~爆発的拡大!ネット通販~

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【NHKスペシャル】
「巨龍中国 14億人の消費革命~爆発的拡大!ネット通販~」

(NHK総合・2017/1/8放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 現代の中国を見つめる「巨龍中国」シリーズ。今回はネット通販の売り手、買い手の現状を巡る話でした。14億人の人口を抱える中国、その規模の大きさはネットショッピング一つをみても実感します。

 しかもそのターゲットが農村というのですから驚きです。日本のように全国津々浦々に一定のインフラが整備されているとは思えなかったのですが、ネット通販の代理店を村々に置き、さらに運搬網を広げるために道路を整備する。内需にシフトした戦略が大きなマーケットをつくっていることがよく分かりました。

 そして売り手の側も「チャイナドリーム」を夢見た多くの若者たちが出店してしのぎを削るという世界。ある意味でチャンスは平等かもしれません。何しろパソコンと程々の元手さえあれば誰でも参入できるわけですから。しかしそう簡単に成功するほど甘くはない。それは日本も中国も同じだなと思いました。

 そんな中でも、ちょっとヒントになるようなものはいくつかあったような気がします。あえてここには書きません。私ももう少しアイデアを練って、日本のジャック・マーを目指してみましょうか。もちろん半分ジョークですが(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・中国沿岸部のある村、1日10万個以上の荷物が中国全土に配送されていた。実は全てインターネット通販で注文された商品だ。
・中国の人口14億のうち、3人に1人が利用するインターネット通販。スマートフォンの普及で爆発的に広がり、市場規模は60兆円以上。アメリカを抜いて世界一となった。
・これまで消費とは縁遠かった農村の人々もネット通販で買い物をし始めた。中国政府は今、消費の中心だった都市部だけでなく農村も市場に取り込み、中国14億人の消費を掘り起こそうとしている。

小川を合流させて大河とするように消費を拡大させる。10数億人の眠れる消費を目覚めさせ、経済成長を引き寄せるのだ(李克強首相)

・ネット通販の巨大市場には一獲千金の夢を抱き、若者たちが群がる。パソコン1台でチャイナドリームを掴もうとしているのだ。しかし熾烈な競争の中で夢敗れる者もいる。
・農村や人々の欲望をのみ込み、膨張するネット通販市場。中国14億人の消費革命を見つめた。

<爆発的拡大 ネット通販>
・中国・浙江省に急成長するインターネット通販を象徴する村がある。青岩劉村、ネットで商品を販売するネットショップが集まって出来た村だ。中国最大のネット通販サイト・タオバオの名前を取ってタオバオ村と呼ばれている。
・アパートの一室を訪ねた。部屋は人と大量のTシャツでごった返していた。江威さん(31)は去年3月からネットショップでTシャツを売っている。

シンプルなものが一番売れますね。もうかってるよ(江威さん)

・江さんはネット通販サイト・タオバオ(淘宝網)に出店している。5億人が登録する独占的なシェアを誇るサイトだ。

今日の数字は昨日と同じ507件。今日の売り上げは33万円くらいだね(同上)

・内陸部の貧しい農村で生まれた江さん。中学を卒業してから紡績工場で働いていた。月給は8万円だった。しかし子どもが生まれ、このままでは豊かな暮らしは望めないとこの世界に飛び込んだ。今では月の利益は最高400万円。農村から集まってきた親族10人を養っている。

数か月でここまで繁盛するなんて思いもよらなかったです。友達は僕らのことを“奇跡”だと言います(同上)

・実は江さんのようなネットショップの成功に中国政府も注目している。3年前、この村を訪れた李克強首相。ネット通販は今、中国の経済を引っ張っていると語った。

あなたも成功できますよ。将来は社長ですね(李克強首相)

・その言葉どおり社長となった江さん。たった4か月で1日500枚のTシャツを売り上げるようになった。

(注文はどこから来ていますか?)
中国各地から来ています。どんどん地域を広げています(江威さん)

・注文先を見ると、ある特徴が浮かび上がる。内陸部やチベット自治区などの農村部の人々が商品を買っていた。江さんの販売したTシャツを追った。貴州省三座村、平均年収が50万円に満たない最も貧しい地区の一つだ。Tシャツを受け取ったのは、この村の工場で働く男性だった。

ピッタリです。とても満足です(男性)

・実は今、こうした農村に暮らす人々が急速にネット通販を利用し始めているのだ。

<ネット通販で農村の消費拡大>
・中国政府は今、ネット通販による農村の変革を強力に後押ししている。

農村におけるネット通販の普及を推進する。“新たな農村”づくりに取り組むのだ(李克強首相)

・これまで中国は安い人件費で大量生産を行い、海外に輸出することで発展してきた。しかし人件費の高騰などで経済成長は鈍化。そこで中国は、国内の消費を活性化させることに力を注ぐ。輸出から内需拡大への構造転換を図っているのだ。
・その鍵を握るのが6億人ともいわれる農民。これまで農村は経済発展から取り残され、消費とは縁遠い存在だった。しかし最近、収入は都会への出稼ぎなどで10年前の2倍に上昇。政府はネット通販がこの眠れる購買力を目覚めさせ、爆発的な消費を生み出すことを期待している。
・江西省象湾村。経済発展から取り残され、水道も十分に整備されていない。若者は出稼ぎに出ており、500人ほどの高齢者は自給自足で暮らしている。
・店もなく買い物も出来なかったこの村に一昨年、ネット通販の拠点が開設された。政府がネット通販企業と共同で設置した注文を代行する施設だ。今、こうした施設が内陸部の農村を中心に全国で4万か所設置されている。

今日は布団を買いました、掛け布団よ(女性)

年寄りは外で買い物せず、何でもネット通販で買います(別の女性)

・こうした試みによって、農村のネット通販市場の規模は3年で6倍にまで膨れ上がった。

・同時に国は広大な国土の隅々にまで荷物を輸送するため、インフラの整備も指示した。この8年で毎年10万km以上の道路が農村に新設されている。
・これにより農村の消費環境は激変。流行とは無縁だった人々も新商品を買えるようになった。ネット通販の拠点が出来た農村の工場。注文した商品が届けられると、更に新しい注文が入る。

シャンプーを1本買うわ(女性)

あなたも欲しい?2本買うから分けましょう(別の女性)

・消費が欲望を刺激し、更なる消費を生んでいる。

ネット通販だと値段が手ごろなら、何でも衝動買いしちゃうわね(女性)

・消費の中心だった沿岸部の都市だけでなく、内陸部の農村まで市場に取り込む壮大な試み。中国政府は今、14億人の消費革命を推し進めている。

<“億万長者”目指す若者たち>
・農村を取り込み、膨れ上がるネット通販。一獲千金を狙う若者が吸い寄せられている。張沢浩さん(27)は大学を卒業したが希望の職に就けず、東北部の町から青岩劉村にやって来た。

この荷物は2600km離れた所から背負ってきました。重たい(張さん)
(荷物はそれだけですか?)
はい、これだけです(同上)

・ふるさと黒龍江省では、町を支えた石炭産業が衰退。張さんは国が後押しするネット通販に将来をかけようと思ったのだ。

中国の経済は今、低迷しています。昔と同じ仕事を頑張ってもうまくいきません。(この村で)必死で努力すれば、必ず成功できるでしょう(同上)

・張さんはこの村で出会った2人の仲間と一緒に、3か月前からネットショップを始めた。専門学校を卒業した方継竜さん(25)はITを学び、この村での成功を目指している。王斌さん(22)は大学を出ても働き口が見つからず、この世界に飛び込んできた。
・3人には憧れの人がいる。ネット通販最大手のアリババを創業したジャック・マー(馬雲)だ。彼は大学を卒業するも30回も就職に失敗。そこから中国を代表する成功者に上り詰めた。アリババを僅か15年で時価総額25兆円の巨大企業に育て上げた男だ。

ネットの技術で未来のビジネスを作る、それが“ネット通販”だ(ジャック・マー)

・そのジャック・マーが作ったのが通販サイト・タオバオだ。タオバオには独自のシステムがある。客が商品を注文すると、代金は一旦ネット上に預けられる。商品が届き、客が納得したことが通知されると初めて支払いが行われる画期的なシステムだ。これによってコピー商品が出回る中国で信用を確保。タオバオは爆発的に普及した。
・ジャック・マーは7年前から巨大なイベントを始めている。11月11日の“独身の日”。独身者が自分のために買い物をする日だったが、ネット通販で大バーゲンを行ったところ、中国全土が爆買いするようになった。今ではネットショップ1000万店が参加し、1日で1兆円以上を売り上げる国民的イベントになっている。
・独身の日は、張さんたちネットショップの経営者にとってまさに稼ぎ時。商品が認知されれば、その後も売れ続けるようになる。

ジャック・マーの“独身の日”まで、あと2か月くらいだ(方さん)

仕入先と相談する必要があるな。どれくらい仕入れるか、よく考えよう(張さん)

・この日3人は独身の日に向け、新商品の発掘に向かった。村に隣接する卸売市場には170万種類の商品を扱う問屋が密集する。この世界最大級の問屋街がネットショップを支えている。
・3人が扱っているのは、女性向けの小物。女の子のイラストが描かれた財布に目を留めた。農村部の中高生に人気が出るとにらんだ。

これは女の子にうけるよ

・早速、中高生の目に留まるように工夫しながらタオバオに出品する。

かわいい雰囲気を出すために、バックは明るい色にしようよ。女の子の明るい気持ちを表現するんだ(張さん)

・価格は仕入値の2倍の430円。運送費は店が持つため、利益は160円程度だ。他の商品の売れ行きは1日50個程度、月収は1人3万円しかない。独身の日までに1日500個を売るのが目標だ。

<ネット通販に若者が参入 中国就職事情>
・中国政府は若者のネット通販への参入を強力に促している。

大学新卒者の就職や起業を幅広く後押しする。特に新興産業での起業をサポートしていく(李克強首相)

・背景にあるのが中国で続く深刻な就職難。今年も大学生の3人に1人は卒業までに職が見つからなかった。1980年代、中国は改革開放の波に乗り発展。大学を出たエリートは将来を約束されていた。しかし国の政策によって大学が急増。2014年には大卒者が700万人を超え、企業の求人が学生の伸びに追いつかなくなった。

大学生や大学院生が多すぎる(男性)

・そうした中、政府は急成長するネット通販市場に若者たちを誘導、雇用の受け皿とした。その結果、今や265万人が従事する巨大産業となった。

<“億万長者”目指す若者たち>
・卒業後も希望の職に就けず、ネット通販を始めた3人。あの新商品の売り上げが出た。

(4日経って)取り引きゼロ。レビューもゼロ。何の反応もない。アクセスが全然ないなら、もう見込みがないよ(張さん)

・それでも3人は成功を諦めていない。

ジャック・マーが守ってくれているよ。気合いを入れよう。合言葉は「必ずできる」だ(同上)

3人で力を合わせれば、必ず成功するよ(王さん)

<“評価”を巡る攻防>
・農村出身でTシャツを販売していた江威さん。独身の日に向け、ある悩みに直面していた。パソコンから鳴り響く音、正体は客からの問い合わせだ。ネットショップは、問い合わせにどう対応するかで客に評価される。

私たちの生死は“評価”を与える客に握られている(江さん)

・実はこの客による評価こそ、ジャック・マーが作った優良店を選別するシステムだ。タオバオで買い物した客は店を評価する。いい評価はプラス1点、悪い評価はマイナス1点の点数がつく。
・タオバオのネットショップは点数によって20段階にランク分けされている。評価を集めるとランクは上がっていく。ちなみに江さんは1万点で、ほぼ真ん中にいる。ランクが高い店ほど検索の上位に表示され、客の目に留まりやすくなる。ランクの最上位ともなれば、独身の日には商品が爆発的に売れるのだ。しかし、この話には裏がある。

(Tシャツに)汚れがあると客が言ってきた(同上)

・客は抗議する一方で「もし金を支払えば、見返りにいい評価をつける」と交渉してきた。こうした金で評価を買う行為を「返現(ファンシェン)」という。

客から返現してほしいと言われ「80円支払う」と言ったら「160円よこせ」と(同上)

・返現のため1日で1万6000円も支払うこともある。しかし独身の日まではランクを落とさないために止められない。

タオバオは返現を禁止している。しかし、みんなやっているよ。もし返現をやめたら、客から悪い評価を付けられてしまうよ(同上)

・そんな中、トラブルが発覚した。6日前に注文された商品がまだ発送されていなかったのだ。

いつ届くか聞いてきました。返事しなくちゃ(担当者)

今日、発送して明後日には届く(江さん)

・しかし続けて問題が起きた。

(仕入先に)在庫がないって(江さんの妻)

待つしかないよ(江さん)

待ってる場合じゃないわ。他の商品も在庫ないって(妻)

・江さんは商品が入り次第送ることを伝え、おわびに返現するよう指示した。

“いい評価”に付け直してもらえるように160円の返現をしよう。“いい評価”がもらえるなら、もうけがなくてもいいじゃないか(江さん)

私は何のために働いているのよ(妻)

“いい評価”を付け直してくれたら、それでいいよ(江さん)

・結局160円を支払い、いい評価を付けてもらった。
・午前1時。シャワーを浴びてすぐパソコンへ向かう。深夜まで問い合わせに対応する。眠ったのは3時。江さんは出来るだけ評価を集め、独身の日までにランクを上げたいと考えている。

<生き残りかけた闘い>
・一方、財布を販売していた3人組は新たな問題に直面していた。商品の返品だ。

気に入らなかったのかな(張さん)

がっかりだよ(方さん)

気を落とさないで。返品の原因を突き止めよう(張さん)

・実はこの返品も優良店を選別する仕組みと関係している。タオバオではネットショップが商品を送っても、客が納得しない場合には料金は客に返金される。1週間以内なら返品は無料で、郵送料も店が持つことになっている。返品が多いと評価も下がるため、店にとって死活問題だ。

手元に届いたら“イメージと違う”という女性客が多いんだよ(方さん)

品質上の問題は一切ないと思うよ(張さん)

・最近は1か月に40個ほど返品される。1個売っても200円前後しか利益が出ない彼らにとって大きな痛手だ。3人は返品を防ぐため、商品にメジャーや爪切りなどの“おまけ”を付けることにした。僅かな利益を削ってサービスし、評価を上げようとしたのだ。

ギリギリの努力です。お客さんに伝わるといいんですが(同上)

努力を理解してほしいよね(方さん)

どんな小さなことでも、丁寧にやるしかないです(王さん)

・中国にあるネットショップは1000万店以上。その中で生き残れるのは1割ともいわれている。

<ネット通販が作る“未来”>
・世界一のネット通販大国になった中国。それは社会の構造にも変化をもたらしている。

世界は想像をはるかに超えて変化しています。天地がひっくり返るほどの変化に、ここ30年で直面するでしょう(ジャック・マー)

・アリババはネット通販で蓄えた5億人分のデータを使い、新たなサービスに乗り出している。タオバオのシステムを応用し、町の小さな店でも電子マネーで取り引きできるサービスを開始した。取引額は90兆円以上ともいわれている。更にそうした取り引きで得られるビッグデータを活用し、金融や交通の分野にも進出しようとしている。
・中国政府はビッグデータなどの解析を行えるスーパーコンピューター「神威・太湖之光」を開発した。中国は消費革命の先を見据え、動き出している。

<迫る“運命の日”>
・10月、農村出身でTシャツを販売していた江威さんは新たな事態に直面していた。夏の間、1日500枚近く売れていたTシャツの売り上げが激減。大量の在庫を抱えていたのだ。
・独身の日まで1か月を切ったこの日、商品の仕入れに向かった。江さんはTシャツではなく、ジャケットやセーターなどの秋冬物を選んだ。値段はTシャツの4倍。しかし独身の日ならば売れると、新商品にかけることにしたのだ。
・商品を紹介するため男性モデルも用意した。近くに住むいとこだ。江さんは独身の日で、売り上げ不振からの一発逆転を狙っていた。
・一方、財布を販売していた3人組には異変が起きていた。一緒に起業した王さんが実家に帰ったきり、戻ってこなくなったのだ。

原因は僕たちにあるかもしれない。一緒に仕事をしても将来が見えないと思ったんだろう(張さん)

・しかし残された者には、やめられない理由があった。方さんには2歳になる長男に加え、8月には長女が生まれていた。一人っ子政策が終わり、授かった待望の娘。2人の子どもを大学に行かせるためには、金を稼がなければならない。

家族を養うという責任があるので、一生懸命頑張らないといけません。夢を叶えます(方さん)

・いよいよ独身の日まで2週間。方さんの妻が2人を助けるために一緒に働くことになった。生まれたばかりの子どもは、600km離れた実家に預けてきた。

私が手伝わなければ誰が夫を手伝うのですか。お金がかかるから実家には当分帰れません(方さんの妻・呉文鳳さん)

・開店から5か月、2人は蓄えを取り崩して暮らしてきた。このままネット通販に将来をかけていいのか。独身の日で決めようとしていた。
・2人はこれまで売れた商品の中から4点に絞って大量に購入した。5か月分の利益にあたる16万円をつぎ込む。失敗したら後がない賭けに出た。

<“運命の日”の結果は>
・11月11日。村には客からの問い合わせの音が鳴り響いていた。
・新商品で勝負をかけた江さんの店。

どのぐらい売れた?(同業者)

まだ21枚(江さん)

・20種類以上揃えた秋冬物は見向きもされなかった。

売れたのは全部Tシャツよ(妻)

ジャケットも売れたよ(江さん)

ジャケットもセーターも1点は売れたわね。秋冬物への切り替えが遅れたせいよ(妻)

・問い合わせの音は鳴らない。
・一方、張さんと方さん夫婦の店。

1分ごとに注文が入るわ(方さんの妻)

いい気分だねえ(張さん)

すごい!頑張ったかいがありました(方さん)

・開店以来、初めて味わう盛況だ。注文の4割は農村部の客だった。結局、注文は400個近く。1日の売り上げは6か月分の収入に匹敵した。

来年は今年よりもっと良くなるよ。毎日が独身の日になれば悩みが消えるよ(張さん)

そうならいいけど(方さん)

<独身の日の後、ネットショップの経営者たちは>
・独身の日の翌日、江さんは友人の店を訪れた。友人は昨日1日で2000着近く販売していた。

どのぐらい売ったの?(同業者)

250枚くらい(江さん)

なんでそんなに少ないの?(同業者)

Tシャツしか売れていない(江さん)

・江さんはネットがもたらす格差の大きさを痛感していた。8か月間、懸命に働いてきた江さん夫婦。

一緒に故郷に帰って家を探そうか?(江さん)

一緒に帰るの?いいわよ(妻)

もうちょっと準備してから一緒に帰ろう(江さん)

・ネットに振り回される生活に疲れ果てていた。

ネット通販は生き馬の目を抜くような世界です。自分より賢い人や努力する人が現れて、すぐに淘汰されてしまうのです(同上)

・一方、独身の日で大きく売り上げた方さん夫婦。2人はふるさとへ戻らず、成功を目指し働き続けることにした。

子どもの夢を見て、会いたくてたまらなくなりました(方さんの妻)
(子ども2人をここに呼んだら?)
それができるようになったら、すぐに呼びます。本当はみんな一緒に暮らすのが一番なんです(同上)

・独身の日から1週間。ネット通販の世界にまた新たな若者が飛び込んできた。この村でネットショップを開こうとする20代の夫婦だ。

もうすぐ赤ちゃんが産まれます。とてもわくわくしています(男性)

この村は夢が始まる場所です。きっと私たちも成功できます(妻)

・ネット通販によって解き放たれた欲望は、今も膨張を続けている。農村を巻き込み、更なる豊かさを求めて進む14億人の消費革命。そこに必死に食らいつこうとする若者たちの格闘は、今も続いている。

(2017/1/11視聴・2017/1/11記)

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【NNNドキュメント’17】空飛ぶ車いす見たことありますか

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【NNNドキュメント’17】
「空飛ぶ車いす見たことありますか」

(日本テレビ系列・2017/1/9放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 私自身は高い所が苦手なので普通にパラグライダーをすること自体が無理です。そのうえ車いすで空を飛ぶ勇気など到底ありません。ですから車いすで空を飛んでいる加藤さんや多くの人たちは、それだけでもすごいの一言です。

 そんな挑戦をし続けている皆さんの勇気とともに地道な取り組みによって、私たちが気づかないようなバリアの存在が明らかになり、それを一緒に解消していくことに繋がるのではないでしょうか。障害者差別解消法という法律が出来ましたが、未だに障害者が飲食店で入店拒否されるようなことが起こっているようです。なかなか全てを一気に解決することは難しいですが、一歩一歩着実に解消していくようにしていく取り組みが必要だと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

あなたは車いすが空を飛ぶところを見たことがありますか?

・加藤健一さん(36)は筋ジストロフィー。全身の筋肉が次第に衰えていく難病を抱え生きている。進行する病気の恐怖は今も消えない。
・それでもやりたいことがある。障がいがあっても旅行を楽しめるバリアフリー観光を広めたい。

<筋ジストロフィーを抱える男性>
・温泉と果物が有名な山形県南部の南陽市に加藤さんは住んでいる。歩けなくなって4年、車いすにも慣れた。両親、妻と娘の5人暮らし。8歳の長女・佑奈ちゃんにとっては、車いすに乗っているのがパパのいつもの姿。
・足に力が入らず、腕も肩より上には上げられなくなった。病気が発症してからは設計の技術を身につけ、自宅で仕事をしている。以前は自動車の整備士だった。

ぼくドリフトとかやってたんですね。大会とか出ていました。18の時に一番最初に乗った車です(加藤さん)

・加藤さんの人生を一変させたのは、筋ジストロフィー。全身の筋肉が次第に衰え、死に至ることも。分かったのは15年前、まだ21歳だった。

結構疲れやすいかなっていう。体感的にはそのぐらいの程度で。何かどっかで治るんじゃないかっていうところも気持ちの中ではどっかであったんで(同上)

・そんな思いとは裏腹に、歩ける距離が年々短くなっていった。足をどう動かしたら立てるのか、もう覚えていない。半年に1回ほど東京の病院に通っている。山形から4時間半かけて車でやって来た。

あの通勤ラッシュの中、車いすで移動するのはもう困難だからです。足首がまだ普通に動くので、椅子に座ってしまえば運転自体はそんなに大変な動作ではないんですけど(同上)

・最後には心臓の拍動さえ弱くなる筋ジストロフィー。現在、治療法はない。それでも病院に通うのは筋肉の衰えを測定し、治療の研究に役立てるため。缶を何個積み上げられるかのテスト。3年前は4つだった(今回は3つ)。

<友人たちと始めた障がい者支援の活動>
・27歳の頃から外出には車いすを使うようになった。そして街の中で疑問を感じた。どうして車いすの人とすれ違わないんだろう。車いすの利用者は全国に200万人以上いるといわれている。

ただ病気があるか無いかの違いだけなのに、健常者と障がい者との間に何か見えない溝のようなものを感じる場面が多くあって、何か変えていきたいなという思いが次第に強くなっていった(同上)

・加藤さんは3年前、学生時代の友人たちと障がい者支援グループ「グラッティテュード」を立ち上げた。みんなで塗っているのは、障がい者用の広めの駐車区画。

普通の駐車場だと通路に車いすやバギーを置かなくてはならなくて、他の人にも迷惑ですし危ないので、こういう青い所があるととても助かります(参加者の女性)

自分たちの目指している社会はこういう感じですから。やっぱり障がいがあってもなくても交ざり合える。もうみんなの笑顔がすごく素敵ですね(加藤さん)

・乗り降りしやすい駐車区画。これまで県内18か所を塗った。
・さらに加藤さんは障がい者でも自由に外に出て楽しめるようにと動き出した。去年4月、市や県と連携して観光地のバリアフリー情報を紹介する会社を立ち上げた(山形バリアフリー観光ツアーセンター)。
・自ら観光地を訪れ、バリアフリーの調査だけでなくアドバイスも行う。地元を代表する観光名所、熊野大社では行く手を阻む砂利道。加藤さんが車いすを人力車のように引っ張ることができる補助器具を紹介した。大規模な改修だけがバリアフリーではない。少しの工夫と障がいへの理解が第一歩。

<妻や友人たちの支えで自分の中にある「バリア」に気づいた>
・結婚10年目の妻・智美さん(37)、交際のきっかけは行きつけの眼鏡店で働く智美さんに加藤さんが渡したラブレターだった。

「とりあえずお友達に」という手紙だと思います。持ってるんじゃないですか(加藤さん)

持ってません。持ってて、いつか子どもに見せようって話してたけど、もうどこに行ったか忘れました(智美さん)

・当時まだ歩けていた加藤さん。将来は車いす生活になるかもしれない。デートを重ねる中で、そう打ち明けられた。

考えたらキリないし、考え始めたら多分前に進まないと思ったので、あえて考えなかったですね。今もあまり難しく考えないようにしてます。じゃないと何か自分がダーって下がっていきそうな気がして。私が下がったらダメじゃないですか。なのであえてそんなに難しく考えずに、今を過ごそうかなって思いますけどね(同上)

・結婚後、加藤さんの症状は徐々に進んでいった。弱った自分を周りに見せたくないと、家にこもりがちになっていた時期もあった。

(今とは)違う、全然違う。本当に出歩かなかったですね。今はちょっとしたことで怒らなくなった(同上)

・足が痩せ細り自力では立てなくなっても、変わらず接してくれる家族や友人たちがいた。そして気がついた。バリアは自分の中にあったと。

たくさんの支えがあったからこそ、自分がこう真っ直ぐ前を向いて歩いてこれたっていうか。おそらく、多分こういう病気があって…。すごい悔しい思いを重ねるような時期もあったわけなんですけど。それを乗り越えてこれたからこそ、今の考えだったりとか活動にも繋がってきているというのが今あると思うので、そういった部分は逆に障がいを負ったからこそ気づけた部分であったと思うので。そういった部分はよかったなと(加藤さん)

<車いすのパラグライダーに挑戦>
・南陽市には全国でも有名なパラグライダーの飛行場がある。夢は遂に大空に。もしかしたら車いすの自分でも空を飛べるんじゃないか。そしてバリアフリー観光の目玉になるのでは。
・相談に乗ってくれたのは、南陽スカイパークでインストラクターをしている金井誠さん。彼が紹介してくれたのは、スカイスポーツが盛んなフィンランドにあるパラグライダー専用の車いす。

他のスポーツと比べて、車いすでのハンディキャップは小さいのではないかというのが、この間実験をしたりいろいろトレーニングしている実感なんですけれども(金井さん)

・車いすでのパラグライダーは横風を受けやすく、操作が難しいという。フライトに適した風を待つこと4時間。その瞬間がやって来た。

平地になってるので遠くまで見渡せるっていうところと、奥の方に山が見えているところがすごくマッチしてて綺麗で。なかなかやっぱり見ることができない景色ですから(加藤さん)

・離陸から20分。このフライトを加藤さんはFacebookで発信。これが大きく広がっていくことになる。
・加藤さんのフライトから5か月、一人の女性が南陽市にやって来た。はるばる大阪から来た山村結さん(26)は手足から全身にかけて感覚が失われ、動かなくなっていく難病を抱えている。
・友達の加藤さんのフライトをネットで見て、自分も飛びたいと思うようになった。まずは加藤さんと仲間たちの案内で熊野大社へ。熊野大社はあの補助器具を購入し、無料で貸し出すようになった。加藤さんと同じ進行性の難病。やれることは今のうちにやりたい。
・翌日、いよいよフライトの日。頭には山形名産のさくらんぼ。自由な大空へ。

めっちゃ嬉しい。もう気持よかった。絶対9月はもう一度(山村さん)

・26歳の山村さんから76歳のおじいちゃんまで、これまで6人が車いすで空を飛んだ。

<企画した山形観光ツアーも大盛況に>
・そして秋。加藤さんが企画した1泊2日の山形観光ツアーには全国から応募があった。車いすでワイナリーを見学、目玉は山形名物の「いも煮」。

今日は全部で130名。募集が100名だったんですけど、30名オーバーしています(加藤さん)

全国で人の繋がりができるっていうのが魅力っていうのがあって、繋がりたいなと思って(東京からの参加者の男性)

ちょっと足とか手が不自由だっていうこと以外は本当に何にも変わってなくて、気持ちもみんなと同じですし。みんながウェルカムな状態だからこそ、ああいう笑顔がある(加藤さん)
(今回の2日間、何点ですか?自己採点)
自己採点ですか?130点かな(笑い)(同上)

・冬にもツアーをやるよと約束した。

<男性の新しい挑戦は…>
・去年11月、加藤さんの新たな挑戦が始まった。今度は一人で空を飛ぶ。
・もしも、やりたいことを諦めている人がいたら加藤さんはこう言って誘い出すでしょう。

空飛ぶ車いす、見たことありますか?

(2017/1/12視聴・2017/1/12記)

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【NHKスペシャル】それでも、生きようとした~原発事故から5年・福島からの報告~

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【NHKスペシャル】
「シリーズ東日本大震災 それでも、生きようとした~原発事故から5年・福島からの報告~」

(NHK総合・2017/1/9放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 東日本大震災、原発事故によって避難生活や様々な困難を強いられている福島の人々の自殺率が高くなっているというデータが示されたのは大きいと思います。多いだろうなという印象だけではなく、科学的に根拠があるものですので。それに対して、一人でも不幸な人を無くすための取り組みは行政とりわけ国を挙げて取り組むべき課題だと思います。何しろ原発事故という人災が絡んでいるわけですから。

 そして番組で紹介されていたNPOの方々の地道な取り組みには頭が下がります。半ば自暴自棄のような状態になっている人にも粘り強く働きかけている姿はなかなか簡単に出来ることはないと思いました。こういう活動は本当に大切だし、もっとそこに物心両面での支援が届くようになってほしいですね。

 不幸にも自ら命を絶ってしまった人たち、番組で取り上げきれない様々な理由があってのことだろうと推察します。命を大切にしてほしかったとは思いますが、それでも彼らのことを責めることはできないでしょう。謹んでお悔やみ申し上げます。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

川内村、東北が安心して住めるように祈っています。

・2014年、NHKの番組に出演した福島に帰還を果たした夫婦。

普通に田んぼやって畑やって、普通に釣りして山歩きして。今と変わらず、震災前と変わらずって感じですね。

・この1年後、夫婦は自ら命を絶った。

寂しいとき、満弘に会いたいよってなるとき、満弘会いたいって大きい声で言うの(亡くなった夫婦の母)

・同じ年、原発事故で東京に避難していた年配の男性。ふるさとを思いながら、震災から5年近く経って命を絶った。

自殺だったから。悔しい、亡くなったの悔しくてしょうがない(亡くなった男性の友人)

・今、世界的な医学誌に掲載されたあるデータが注目を集めている。SMRと呼ばれる自殺率を表す指標が、福島で震災から時間が経って急激に上昇している。

後になってどんどん増えてくるというのが、まさに福島の特徴。原発事故の特徴。すごく衝撃を受けました(福島県立医大教授)

・都内にある24時間の電話相談所にも最近、福島からの深刻な内容の相談が寄せられている。

原発がらみが悲しむべきふるさとすらも奪っちゃった、分解しちゃった。一緒に悲しんで、もう1回再スタートしようというスタートが切れないと思いますよ(福島の精神科医)

・原発事故の後、いくつもの困難を乗り越えてきた人々。

近いですね。何で見えてる場所なのに帰れないんだろう(女性)

・今、その心に何が起きているのだろうか。

<増え続ける自殺 その背景は>
・鎌田靖キャスター(以下、鎌田氏):福島県南相馬市に来ています。ここ小高区は半年前に避難指示が解除されました。ご覧のように、行き交う車も見られるようになりました。復興が進んでいるように感じます。今年3月には避難指示が出された自治体の7割で指示が解除されます。
 目に見える復興が進む一方で気になる数字があります。これはSMRという自殺率の高さを表す指標です。100を超えればリスクが高いとされます。福島の場合、震災直後は一旦下がりましたが、4年目になって急激に上昇しています。
 震災から時が経つ中で、なぜ今福島でこうしたことが起きているのか。取材しました。

・都内にある電話相談所、専門の担当者が24時間体制で心の悩みを聞く。受け付けているのは東北の被災地からの相談。その数は1日400件以上にもなる。
・中でも深刻なのが福島からの相談。この日も福島からの電話が相次いだ。相談の多くが自殺のリスクが高いものだという。
・今、福島で何が起きているのか。県内で最も震災関連自殺が多い南相馬市。それを防ぐため、この地域で活動を続けるNPO。行政機関や保健所から依頼を受け、危険な兆候が見られる人を訪ねて回る。
・この日、訪ねたのは73歳の男性。去年春、自殺未遂を起こした。男性は原発事故で畜産の仕事を諦めた。更に避難先で一緒に暮らしていた妻も亡くし、一人になった。

寂しい、独りっちゃ。生きがい、ねえなあ。ぽつんと独りでいたって何も面白くねえしな(男性)

・NPOは定期的に通い、体調や心の変化を注意深く見守り続けている。NPO法人 相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会(通称なごみ)は、震災直後から福島で被災者の心のケアに当たってきた。

検討したいことは目的としてAさんの自殺を防ぐため、私たちは何ができるのか(職員)

・去年から震災後の新しい環境に適応する人と、それができず精神的に落ち込んでいく人の二極化が目立つようになったという。
・今、警戒しているのは落ち込んだ人々の生活が次第に荒れていくこと。田中茂さん(仮名・66歳)はNPOが定期的に訪ねる一人。一人で暮らす部屋は年々、汚れが目立つようになっている。
・もともと家は6代続いてきた大規模な米農家だった。田中さんも震災前は両親と3人で米を作ってきたが、原発事故の直後、作付けが禁止された。

米なんか作れなかったでしょ、この辺。誰も作っちゃならないとなったでしょ。震災後なんか朝起きたら、だんだん息苦しくなってくるんだよね(田中さん)

・更に一緒に暮らしていた両親も亡くした。震災後、仕事や人との繋がりを失った人々が今、深刻な状態に陥っているとNPOは見ている。
・2015年、こうした福島の現状を示すあるデータが世界的な医学誌に発表された。SMRという自殺率の高さを表す指標を算出したところ、福島県で震災から4年目になって急激に上昇していた。
・自殺は高齢者に多いため、高齢化が進む東北や九州などの地域では人口に対する自殺率が高くなる。SMRでは年齢の偏りを是正することで、より正確な自殺率を示すことができる。
・100を平均とし、それを超えればリスクが高いとされるSMR。例えば東京の男性の2012年のSMRは88.6。一方、福島の男女を合わせたSMRは、震災3年目まで低かったものが4年目に急上昇。震災前の値を大きく超えていた。

私は個人的には、すごく衝撃を受けました。ショックだったですね(前田教授)

・この研究を行ったのは震災以来、福島県民の心の健康調査をしてきた福島県立医大の前田正治教授。なぜ震災から時間が経って死を選ぶ人が増えるのか。前田教授は、最近起きた福島の震災関連自殺を分析。深刻な心の悩みを訴える人への聞き取りも行い、福島の被災地に特有な幾つかの傾向を浮かび上がらせた。その一つが、あいまいな喪失。

原発災害というのは、どこで終わりが来たのかよく分からない状態。「戻れるはず、戻れるはず」と思っていたのが、いつまでたっても戻れない。なかなか放射線量も下がってこないし、逆に「もう帰れないから次の道に生き直そう」という、それもなかなか踏ん切りがつかないことになります(同上)

・前田教授が指摘する「あいまいな喪失」とは、どういったものか。2015年、東京都台東区のアパートで5年近く避難生活を送っていた一人の男性が命を絶った。
・佐藤善也さん(享年89)は、震災直後から詳細な日記をつけていた。そこには佐藤さんの心の変化が記録されていた。佐藤さんのふるさとは福島県南相馬市の小高区。震災前は息子や孫と3世代で暮らし、農業を営んでいた。
・原発事故直後、20km圏内にある小高区にはすぐに避難指示が出された。佐藤さんの家族は東京の親戚のアパートに避難した。その直後の日記。

4月4日、隅田公園に行き、天にのびたスカイツリー見る。

・この頃、家族には少し長い旅行のようなものだと話していたという。
・1年が過ぎると福島の他の地域では、帰還に向け放射性物質を取り除く除染が始まった。佐藤さんの期待は高まった。
・更に震災から1年半後。小高区は昼間だけ立ち入りが認められるようになった。佐藤さんはすぐにバスを乗り継ぎ、向かった。このとき一緒に小高に帰った同級生の佐々木清明さん。

これ全部、善也さんの土地だ。森がある所近くまで善也さんの(佐々木さん)

・1年半ぶりの自宅は少し傷みが進んでいたが、ほぼそのまま残っていた。家を前にして佐藤さんの帰還への思いは更に強くなった。

今まで自分が一生懸命、汗水垂らしてやってきた場所。山もあり田んぼもあり畑もあり、ただそいつを東京に出ていって、こっちを見捨てるようなことは出来なくて、遮二無二帰ってくるという、そういう気持ちだと思う(同上)

・しかし小高区では予定されていた除染作業が何度も延期された。期待と落胆が繰り返される様子が日記には記されている。
・そして震災から2年半、ようやく小高区への帰還の時期が示された。しかしそれは、さらに2年半も先のことだった。そこにあるのに帰れないふるさと。佐藤さんの心は混乱した。

明白な喪失、例えば津波で家が壊れてしまう。それに比べると、希望は持てるという良さはあるんですね。あるわけですから、家もね。元に戻れるんじゃないかと。しかしそれが逆に言うと(家が)あるものですから、ずっとその希望を持ち続けなきゃいけませんよね。いろんな意味で、けじめがものすごくつきづらい。それが何年も続いてしまう。ここが非常に“あいまいな喪失”の問題の大きなところだと思います(前田教授)

・なぜ震災から時間が経って福島で自殺が増えるのか。前田教授がもう一つの背景として挙げるのが、コミュニティーの分断。原発事故により、多くの人がふるさとと切り離された。それでも当初は同じ地域の人や家族同士で避難し、支え合う環境があった。しかし時間とともに、帰還を希望する人や諦める人など境遇に違いが現れてくる。
・東京へ避難した佐藤善也さんも、当初は同じアパートで3世代が一緒に暮らしていた。この頃の日記にはバラバラになった友人とも頻繁に連絡を取り、悩みを相談していたことが記されている。しかし時とともに疎遠になり、そうした記述は減っていった。
・更に同居していた家族も、帰還の見通しが立たないことから職を求め他の地域へ移っていった。一緒に暮らしていた孫も、やむなく和歌山で就職した。

戻ってくれとは言ってたけどね。戻って欲しいってはね。ただ戻るのはいいけど仕事もないし、戻るだけなら出来るけど、生活しないといけないからね。何ともね、子どももいるし。気持ちは分かるけどもって感じかな(孫の豪さん)

・やむにやまれぬ事情で離れていく人との距離。やりきれない思いが綴られている。

いろんな問題を予防する作用があるのは、コミュニティーの絆だと思います。バラバラとなってしまうところが一番コミュニティーが持っている防御力、防ぐ力、レジリエンス(精神的な回復力)これがガタッと下がっていく。(自殺の)大きなきっかけになってしまう(前田教授)

・2015年11月。久しぶりに友人の佐々木さんと一時帰宅した佐藤さんは、車窓からある光景を目にした。農地の至る所にうず高く積まれた除染廃棄物の山。小高区は市の方針で、帰還が進む他の地域の廃棄物の一部を置く場所になっていた。それは佐藤さんの田畑の目の前の場所だった。

善也さんみたく純粋に農業でなんとかしたいという人からすると、今後農業はここでは出来なくなると、うんと落胆していた(佐々木さん)

・佐藤さんはその翌朝も、ただ黙ってその風景を見続けていたという。東京に戻って5日後、佐藤さんは亡くなった。日記の最後にはふるさとの民謡の一節が書き残されていた。

<時間の経過と深まる“孤立”>
・鎌田氏:原発事故による複雑な事情が苦しんでいる人を更に追い詰めていく現実に、改めて胸が締めつけられる思いです。自ら命を絶つ人々の背景を見ていきますと、原発事故によって仕事を失ったり、ふるさとに戻ることが出来なかったり、あるいは戻ってからも家族がバラバラになってしまったりと、その状況は様々です。しかし共通しているのは、孤立した状況に置かれていること、そのことを改めて感じます。
 一方、私たちが取材を進める中で見えてきたのは、命を絶った人々の中には厳しい現実を前に最後まで困難を乗り越えて必死に生きようとしていた人がいたということでした。

<30代の夫婦 帰還後の日々>
・福島県川内村。2014年5月、NHKはここで一組の家族を取材した。

川内村、東北が安心して住めるように祈っています。遠藤充、35歳。松枝・母。兄みたいな弟、34歳。妻・美代子、33歳。

山ばかりだけど、いいとこいっぱいなんで、ぜひ遊びに来て下さい。

・避難指示が解除されると、真っ先にふるさとに帰還した家族だった。地元で農業を営んでいた遠藤満弘さんと妻の美代子さん。

うまいっすよ。みんなで友達や同級生が集まってバーベキュー。あしたから田んぼ始まるんで。きょう(バーベキュー)やって馬力つけて、農作業に没頭です(満弘さん)

・それから1年後の2015年4月、2人は自ら命を絶った。月命日には母の松枝さんと兄の充さんが墓参りを続けている。
・震災から1年後。川内村の避難指示が解除されると、満弘さんの家族はいち早く避難先から帰還した。その3か月後には、震災前から付き合っていた美代子さんと結婚。村に根を張り、自分が農業を復活させると燃えていた。
・しかし現実は厳しいものだった。野山の放射線量はなかなか下がらず、雨が降るたび、そこから水が田んぼに流れ込んだ。それでも満弘さんは毎日田んぼに出た。放射性物質を吸着する作業をただ黙々と続けた。
・この頃、村には県外から次々とボランティアが入ってきた。満弘さんは、そうした支援者とともに米作りのプロジェクトを立ち上げた。

満弘どや顔でいる、得意顔で。こういうのは張り切ってやるんだよな、満弘な(松枝さん)

・皆で汚染されていない井戸水を汲み上げ、試験的に小規模な稲作を始めた。

満弘も嬉しかったんだと思う。みんな放射能がおっかなくて避難している時に、こういう若者が来て腕まくって足まくって田植えしてくれた。何も恐れもしないで。きっと勇気が湧いてきたとこもあるのかなと思う。よしここでやっていく、というのがあったのかなと思って(同上)

・収穫した米から放射性物質は検出されず、地区で行われた品評会でも1位になった。
・翌年の2013年、より面積を広げ大規模な稲作を始めた満弘さん。米の出来はよく、再び放射性物質も検出されなかった。ところが米の値段はかつての3分の2、確実に赤字だった。
・満弘さんは知人のつてを頼り、県外で自主販売する道を探った。それでもなかなか買い手がつかなかった。ならばと、おにぎりを試食してもらうイベントを企画。かつて支援してくれた人や知人に声をかけた。しかし殆ど人は集まらなかった。実はNHKの取材を受けたのは、ちょうどこの頃だった。

(今は連休で結構みんな戻ってきて)
でも、まだ見ないですね(満弘さん)
(皆さん戻るといいですね)
ですね(同上)

・夫婦は、このときも前を向こうとしていた。

(これからどんなふうにやっていきたいですか?)
今と変わらず普通に田んぼやって畑やって、普通に釣りして山歩きしてバーベキューやって。今と変わらず、震災前と変わらずって感じですね(同上)
(震災あったからってことは)
あまり気にしないです。気にしてたら何も出来ないですからね(同上)
そうだね(美代子さん)


・満弘さんは生活のため、地元の採石場でも働いていた。「農業で食べられるようになるまで頑張りたい」。周囲にはそう話していた。

本当に仕事は真面目ですね。ちょっとおちゃらけても、いざ仕事が始まると真剣な顔してやってる。あれに任せておけば間違いないというぐらいの仕事をしてくれた(かつての仕事仲間)

・そうした中、ある知らせが満弘さんのもとに届いた。避難先にいた叔父が亡くなった。父を早く亡くした満弘さんにとって、何でも相談に乗ってもらった大切な存在だった。東京の避難先で孤立する中、自ら命を絶った。この頃から明るかった満弘さんの笑顔が消えていった。

田んぼの話をする人もいない。自分だけが取り残されたみたいになっちゃったのかな。孤独になっちゃったんだと思う。誰もいない自分だけで、そうかなと思う。これしてみっかなとかいろいろ話しなかった(松枝さん)

・賑やかだった家でも家族の会話は減っていった。
・それから半年後。突然、満弘さんが家族に旅行を提案した。母の松枝さんがずっと行きたいと言っていた青森・弘前への1泊2日の旅。満弘さんは自ら片道5時間半の運転を買って出た。
・弘前公園には桜が咲き、大勢の人で賑わっていた。久しぶりに家族は笑った。その様子を満弘さんは、じっと見つめていたという。

とにかく私も嬉しくて、4人全然気兼ねしなかったから。ここにはこんな木が植えられてる、この花が植えられてる。とにかく私も嬉しくてしゃべりっぱなし。そうしたら満弘がぼそっと「幸せだな」って言ったのを覚えてる。私、知らないふりしてたけども、あれが一番の思い出(同上)

・帰りも満弘さんが一人で運転した。ちょうど日が暮れる頃、車は県境を越えた。帰り道、家族はあまり話をしなかった。
・1週間後、満弘さん夫婦は夜に車で家を出て、集落を臨む山で命を絶った。もうすぐ田植えが始まる、まだ肌寒い春の日だった。

<何が被災者を孤立させるのか>
・鎌田氏:遠藤さん夫婦が愛した川内村です。厳しい現実にぶつかりながら、それでも前を向こうとしていた夫婦。しかし次第に孤立を深めていくことになりました。
 今回亡くなった方々を取材して改めて感じるのは、人々が孤立感を深めていく背景には、震災から時が経つにつれ私たちの間で被災地への関心が薄れていることもあるのではないかということです。私自身、果たして自分はどうなのかと重い問いを突きつけられている気が致します。
 二度とこうした悲劇を繰り返さないために、では何が出来るのか。最後に福島の現場で今、懸命に進められている取り組みを取材しました。

<命を守るために>
・福島の被災地で自殺を食い止めるため、訪問活動を続けるNPO。年を追うごとに深刻なケースが増える中、去年から更に踏み込んだ手法に力を入れている。「アウトリーチ」と呼ばれるものだ。
・建設関係の職人だったある男性は震災後に妻を亡くし、仕事も減ったことで生活が荒れていった。医療や福祉の専門資格を持ったスタッフが、体調の管理のほか洗濯や食事など生活そのものに深く関わっていく。こうした訪問を繰り返し、孤立した人に周囲との繋がりを実感してもらうのがアウトリーチの狙いだ。

私たちも心配してるの(スタッフの女性)
何の心配?(男性)
お酒飲んで体壊さないか、心配してるの(スタッフ)
早く死んだほうがいいべさ(男性)
私たちが心配してるの(スタッフ)

・今、NPOが最も注視しているのが、ふるさとと切り離され仮設住宅で孤立する人たちだ。この日、訪ねたのは飯舘村から避難し、もう5年ここで暮らしている男性。最近、部屋に籠もりがちになっていた。

何の用あったの?(男性)
ご様子どうかなと思って(スタッフ)
いや、いちいちなごみの人来ないで下さいよ。邪魔になっちまうんだ。今眠ってんだぞ。これからは来ないで下さい。迷惑です(男性)

・訪問を拒絶するだけでなく、通っていた病院にももう行かないと言い出していた。それでも訪問は続けられた。

不機嫌になる理由っていっぱいあると思うんです。だからといって来なくなられたら困るんじゃないか。どんなことがあろうと、私たちは応援し続けるというか関わり続けますよということは、私は伝えたいと思うし(訪問看護ステーションなごみ副所長の木島祐子看護師)

何か用あったの?もう俺の所に来ないでって言ったはずだ(男性)
うん、聞いた(木島さん)
俺はやることいっぱいあるんだ。何か用あったの?(男性)
お顔見に来たのよ(木島さん)
あんなヤブ医者のところ行ってられねえ(男性)
そうなんだ(木島さん)

・ただ話に耳を傾ける。

また金曜日、顔を出してみます(木島さん)
かまわねえけど、なるべく来ないでな(男性)
かまわねえんだったら来るね。お薬はどう?足りなくなってない?(木島さん)
いや、間に合ってる(男性)
寒いから風邪引かないでね(木島さん)

・2日後の金曜日。ようやく少し落ち着いて話をすることができた。

でも体ないとさ(木島さん)
いや、死んだってかまわねえんだ(男性)
死んだってかまわなくない。これ、お薬間もなくだから16日に(病院に)行く予定でした?(木島さん)
うん、そうだ。自分で行くんだ(男性)
もし良かったらそのときに、なごみも一緒に行ってもいいですか?(木島さん)
ああ、いいですよ(男性)

・治療を中断せず、掛かりつけの病院に通うことを約束してくれた。その日の午後、仮設の集会所では住民の人たちがふるさと飯舘村の絵を作っていた。そして…。

来て悪かったか?(男性)

全然悪くないよ(女性)

・すっと部屋に籠もっていたあの男性が久しぶりに集会所に顔を見せた。
・時間と手間のかかるアウトリーチ。行政から下りてくる予算は単年度ごとで、訪問するスタッフは4人しかいない。待ったなしの現場でギリギリの戦いが続けられている。
・南相馬市小高区にある同慶寺。去年、一人の男性の遺骨が納められた。5年近くふるさとを思いながら東京で命を絶った佐藤善也さん。
・寺では4人の檀家が震災関連自殺で亡くなった。月に2度、離れて暮らす住民たちに声をかけ一緒に掃除を行う「清掃結い」と呼ばれる取り組みを始めている。
・バラバラになったコミュニティーをもう一度作り直そうとしている。住職は去年から寺の前に「いのち」の旗を掲げ、24時間心の悩みに耳を傾ける取り組みを始めた。

絶望的な状況。この中に希望を見いだしていこうと努力はしています。でも一人で出来ることは限られているし、私たちに出来ることも限られている。そんな中でも、今ここを精いっぱい生きようとしています(同慶寺住職の田中徳雲さん)

・困難を乗り越え、被災地で生きようとする人々の決意。

(2017/1/13視聴・2017/1/13記)

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