Quantcast
Channel: じゅにあのTV視聴録
Viewing all 513 articles
Browse latest View live

【NHKスペシャル】ドラマ 東京裁判 第1話

$
0
0
【NHKスペシャル】
「ドラマ 東京裁判 第1話」

(NHK総合・2016/12/12放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 12日から全4話を予定しているドラマ。全体の感想と東京裁判そのものについて考えていることは、全部を視聴してから書きたいと思いますので今日は簡単に。

 今回のNHKをはじめオランダ・カナダ・オーストラリアと共同でドラマを制作するという試み。しかもどうしても「裁かれる側」に焦点が集まりがちだったのに対して、判事たち一人ひとりをクローズアップしようとする試みは斬新なアプローチだなと思いました。まあ、パル判事に関しては左右両サイドの立場から担ぎ上げられてきてはいるのですが…。

 後はドラマの手法として判事たちのシーンは撮り下ろし、被告や弁護人たちのシーンは当時の映像をカラー着色するというものも面白いものだと思いましたね。

 ただ「東京裁判」そのものの予備知識が一定ないと、ちょっと付いていくのが厳しいかもしれません。関連書籍は玉石混交というか山のように出ていますが、私が一番オススメしたいのは小林正樹監督のドキュメンタリー映画「東京裁判」ですね。4時間37分という長編ですが、東京裁判という歴史の事実を知る上で一番「色」が付いていないと思います。

 ちなみに私自身、けっこう東京裁判関連本は読みましたし観るに耐えない映画もありました(その映画をきっかけにとある俳優が大嫌いになりました)。まあ、その話はおいおいしていくということで…明日の第2話も楽しみにしたいと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今から70年余り前、現在は市ヶ谷の防衛庁の建物の中である重要な裁判が開かれた。戦争の指導者たちを裁いた極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」。建物の中(市ヶ谷記念館大講堂)に法廷が設置された。
・裁きのために集まったのは世界11か国の判事たち。彼らは世界の歴史の中でも特別な意味を持つ大きな問いに挑んだ。人は戦争を裁けるのかという壮大な問いだ。
・彼らはここでどんな議論を交わし、どのように決断を下したのか。世界各地で膨大な資料の発掘にあたった。公式の資料に加え、判事たちが残した手紙や日記、覚書。
・そうして明らかになった事実をもとにカナダ、オランダのスタッフと共同でドラマを制作した。初めて明かされる舞台裏のドラマ。

【ドラマ・パート】
・1930年代から40年代、日本は中国、東南アジアそして太平洋の島々に軍隊を派遣。戦争の末、数千万人が命を落とした。
・1945年9月2日、日本は降伏文書に署名。ダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官に任命され、日本を占領。日本の元閣僚や軍指導者たちは逮捕された。
・11月、ナチスドイツの指導者がニュルンベルクで裁判にかけられた。
・翌年1月、その裁判を参考にしてマッカーサーは東京裁判所憲章を公布。そこには「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」と3種類の戦争犯罪が記された。
・日本の元指導者ら28人がA級戦犯として起訴され、東京裁判が始まろうとしていた。

・世界各国から判事たちが集まっていた。法廷はニュルンベルク裁判に模してつくられた。
・被告は28人、訴追期間は1928年~1945年とされた。
・事前に判事たちによって議論が行われた。その場でソ連の要求によって2名の被告(重光、梅津)が追加されたことが明らかになった。
・戦争について天皇の責任について議題にあがったが、一部の判事たちからは被告のリストから外された以上、論ずるべきではないとの意見が出された。
・また判事室で話された内容は一切外に出さないこと。多数決で決まっても全会一致のものとして発表することを決めた。
・ウェッブ裁判長はマッカーサーに会見する。連合国からさらに2名の判事(インドとフィリピン)が追加されることを報告される。またウェッブはマッカーサーの裁判の介入を拒みつつ、天皇が被告リストから外されたことを問うた。マッカーサーは天皇が被告となる証拠は得られていないと述べた。
・1946年5月3日、開廷。
・冒頭、清瀬弁護人からウェッブ裁判長の忌避を申し立てるが、ノースクロフト判事から裁判所憲章2条から申し立てを却下した。
・罪状認否では被告人全員が無罪を主張した。
・5月13日、清瀬弁護人陳述。
・5月14日、ブレイクニー弁護人陳述。戦争は合法であり裁くことはできないと主張し動議を提出した。
・判事らは対応を協議したが、ウェッブ裁判長から却下理由を起案することになった。
・その頃、インドとフィリピン代表の追加判事が到着。
・ヒギンズ判事は突如、東京裁判の判事を辞任し帰国した。

・ウエッブ裁判長(オーストラリア)
(ジョナサン・ハイド)
・レーリンク判事(オランダ)
(マルセル・ヘンセマ)
・マグドゥガル判事(カナダ)
(スティーブン・マクハティ)
・梅判事(中国)
(デイビッド・ツェ)
・ノースクロフト判事(ニュージーランド)
(ジュリアン・ワダム)
・ヒギンズ判事(アメリカ)
(ウィリアム・ホープ)
・ベルナール判事(フランス)
(セルジュ・アザナヴィシウス)
・ザリヤノフ判事(ソビエト)
(ケストューティス・ヤクスタス)
・パトリック判事(イギリス)
(ポール・フリーマン)
・パル判事(インド)
(イルファン・カーン)
・ハラリーニャ判事(フィリピン)
(ベルト・マティアス)

【ドキュメント・パート】
・判事たちは2年半、帝国ホテルで過ごした。それぞれの部屋やバーで議論を重ねたという。彼らは皇居の横を通って裁判所に通っていた。時には目の前にある日比谷公園で散歩をした。そしてホテルから歩いて5分のところにマッカーサー最高司令官がいたGHQ(連合国軍総司令部)もあった。
・ドラマ制作にあたって世界各地で取材を行った。8年間にわたり集めた資料と証言をもとに台詞を練り、オランダ・カナダ・オーストラリアと共同で脚本を作成。そして世界から集まった俳優たちとともに、ヨーロッパと日本でドラマを撮影した。
・ドラマで重要な意味を持つ法廷の場面。証人や弁護人の発言は残されている当時の記録をもとに再現した。映像は俳優の演技を撮影したカットと残っているフィルムを組み合わせた。フィルムのオリジナルは白黒だが、当時のカラー写真をもとに色付けした。
・東京裁判、それは戦争を起こした責任を国家の指導者個人に問うという試みだった。この裁判の論点をあらためて整理する。
・きっかけは1914年、ヨーロッパを覆った第一次世界大戦。膨大な数の犠牲者を出す悲劇だった。しかし当時の国際法では戦場での残虐行為は犯罪として裁かれたが、戦争を起こすことは合法だった。
・その反省から1928年、日本も参加して結ばれたのがパリ不戦条約。侵略戦争を違法とする国際条約だった。しかしこの条約では戦争を始めた指導者個人を裁くことは踏み込んでいなかった。
・その後も世界では戦争が続いた。日本の大陸侵攻、ヨーロッパから太平洋に広がった第二次世界大戦。世界で数千万人が命を落とすことになった。
・次の世界大戦を防がなくてはならない。ニュルンベルクと東京で、戦争をした指導者を裁く国際裁判が開くことになった。
・2つの裁判の基本文書。裁判所憲章の中で3つの罪を問うと定めている。「通例の戦争犯罪」は以前から国際法上の犯罪、戦場での残虐行為だ。さらに国際法には無かった2つの罪が加えられた。
・「人道に対する罪」は、戦場ではない場所の自国民を含む大量虐殺や迫害が該当する。そして「平和に対する罪」が侵略戦争を起こした指導者の責任を問うもの。侵略の罪とも言う。
・裁判で争点になったのは、平和に対する罪の有効性だった。この罪は東京裁判の被告たちが戦争を始めたときは確立されていなかった。つまり「事後法」であり認められないという考えだ。
・こうした問題に立ち向かった11人の判事たち。彼らは11の戦勝国から選ばれ、東京に集まった。
・裁判長に選ばれたウェッブ判事。連合国の大国ではなくオーストラリア出身だった。首都キャンベラにあるオーストラリア戦争記念館。ウェッブ裁判長が残した資料、判事が交わした覚書や個人的な手紙などが保存されている。

ウェッブ裁判長とマッカーサー元帥の間で交わされた手紙です(学芸員)

・裁判長に就任した当初の手紙。大役を果たす強い意志を記していた。

裁判長に任命され、とても光栄です。

・しかしなぜ連合国の中心であるアメリカではなく、オーストラリアの人物が裁判長に選ばれたのか。ウェッブ裁判長は長らく地方都市ブリスベンの裁判所に勤めていた。この街には戦争中、マッカーサー元帥も司令部を置いていた。そのマッカーサーが知り合いとなったウェッブを裁判長に選んだと考えられている。ところがウェッブ裁判長は判事たちをまとめるのに苦労した。

ウェッブ判事がそれまでオーストラリアで経験してきた裁判は、東京裁判のように複雑なものではありませんでした。多くの異なる国の判事が様々な行動をとったため、裁判長の仕事は大変困難だったでしょう(メルボルン大学のティム・マコーマック教授)

・ベテラン判事が多い中で最も若かったのがオランダのレーリンク判事。裁判が始まったとき39歳だった。戦争中はナチスに批判的な主張を行い、左遷されたこともあった。戦後、ナチスに屈さなかったことも評価されオランダ代表に選ばれた。

経験が少なかった父は様々な主張を持った判事たちに囲まれ悩んでいました。東京で自分がしなくてはならない仕事に対して、大きな困難を感じていたと語っていました(レーリンク判事の息子のヒューゴ・レーリンクさん)

・妻と5人の子どもを母国に置いて東京裁判に臨んだレーリンク判事。仕事の合間を縫って日本各地を回り、日本人とも交流したことを家族への手紙に書き残している。
・欧米の判事だけでなくアジアの代表たちも参加したのが、東京裁判の特色。中国の梅判事もその一人。故郷の南昌市には自宅が記念館として残されている。エリートとして育ちアメリカ留学で法学を学び、英語も堪能だった。梅判事が東京で書いた日記には歴史的裁判に臨む高揚感が率直に記されている。

開廷の日、私が出演する歴史的ドラマのクランクインだ。世界の各民族が尊重し合い、共存共栄できるように貢献したい。

父も中国人ですから日本のしたことに対して憎しみの感情はあったでしょう。でも世界は法治社会なのだから裁判では審理を尽くしてから判断を下すべきで、戦勝国だからといって独善的に振る舞ってはならないと言っていました。あくまで証拠に基づかなければ、被告を処罰してはいけないと考えていました(梅判事の息子)

・それぞれの事情や背景。そして信念を胸に東京で激論を重ねた11人の判事たち。戦争を巡る法、そして人間模様のドラマが続いていく。

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

東京裁判 [DVD]

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判〈上〉 (朝日文庫)

東京裁判〈下〉 (朝日文庫)

※関連ページ(NHKスペシャル)
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~
日航ジャンボ機事故 空白の16時間~“墜落の夜”30年目の真実~
生命大躍進 第3集・ついに“知性”が生まれた
生命大躍進 第2集・こうして“母の愛”が生まれた
生命大躍進 第1集・そして“目”が生まれた

【NHKスペシャル】ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~

$
0
0

【NHKスペシャル】
「ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~」

(NHK総合・2016/12/10放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 ノーベル文学賞にボブ・ディラン氏が選ばれたというニュースは、今年いくつかあった「びっくりぽん」な出来事の一つでしたね。シンガソングライター=詩人=文学者。うーん、個人的にはちょっと釈然としない部分があるのですが、まあいいでしょう。

 そしてちょうどノーベル賞の授賞式の記事が新聞に載っていました。ボブ・ディラン氏は賞は受けるものの授賞式は予定通り(?)欠席しました。その代わりにメッセージを送っています。ご本人も大変驚いた様子が窺えます。

 さてそんなボブ・ディラン氏。ちょうど私の親たちの世代なんで、どうも彼の伝えるメッセージと時代背景がうまく重ならないのが正直なところです。単なる時代のプロテクターというわけでもないみたいだし、和訳の歌詞自体が解釈できないものもあります。

 そしてライブ活動やアルバムの制作などの活動はずっとされているものの、メディアの取材に殆ど応じない“謎”の人。そこがファンにとっては謎解きの要素もあって、ある意味たまらないのかもしれませんね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

「どんな気がする?どんな気がする?」

・その男に会うことは、この世で最も難しいことのように思われた。コンサート会場では敷地内の至る所で厳戒態勢が敷かれている。

Mrディランが撮影を嫌がっている。Mrディランが私に「やめさせろ」と指示した(スタッフと思われる男性)

これから外の取材はダメだそうです。ボブ・ディラン直接から言ってました(番組通訳)


・男の名はボブ・ディラン。75歳となったディランが今年、世界を驚かせた。ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞するのは史上初めてのことだった。
・ディランは言葉を自由に操る。誰も書けないような歌詞を書く。しかしその言葉の意味するところは不可解で難解だ。このように。

黄昏の帝国は
砂になって消え
ひとり、盲目のように立つ
でも、まだ眠れない
(「ミスター・タンブリンマン」)

堤防が決壊したよ
ねぇ、ママ
ボートが漕げなくなる
(「闇ではない」)

時は海のようだが
それは岸辺までしかない
(「オー・シスター」)

切れた線 割れた瓶
犬が吠え 蛙が鳴き
何もかもが、壊れる
(「すべては壊れる」)

彼女の名を聞くと
別離の接吻を語り出す
(「ジョアンナの幻」)


シェイクスピアとボブ・ディラン、両者の地平に違いはない。説明なんかできない。真意を知るのはディランだけだ(ミュージシャンのアル・クーパー)
・その謎だらけのディランを語りうる貴重な発見があった。500曲を超えるという手書きの習作原稿だ。
・ディランの言葉が戦争を歌う。恋を歌う。人生を歌い、運命を歌う。ボブ・ディランは魔法の言葉をどのように生み出してきたのか。そして75歳となった今、言葉はどこへ向かっているのか。ディランの言葉を追ってアメリカへ。

<ボブ・ディランを知る男>
昔、ディランはこう言った。
「どこにあるかも分からない“自分の家”を探し続けている」


・ディランへの接触を試み始めたのは11月中旬のことだった。だが、ディランサイドのガードは堅く、全く埒が明かない。私たちはまずディランをよく知る伝説的なミュージシャンを訪ねることにした。アル・クーパー(72)がディランと知り合ったのは50年以上前のことだ。

変わった男だった(アル・クーパー)

・オルガニストとして、いくつもの名作を共にレコーディングしている。言葉に対するディランの並外れた執念も目の当たりにしてきた。

ディランとは途方もない時間を一緒に過ごしたよ。初めての録音は“ライク・ア・ローリング・ストーン”だ(同上)

・クーパーにとって、ディランとのレコーディングは驚きの連続だった。

ディランとの録音では、曲ではなく“彼の詩”で待たされるんだ。だから俺たちは卓球ばかりしていた。ディランはいつまでも歌詞を書き直し続けるからな。音楽家と詩人、彼には二つの顔があったのさ(同上)

・話に区切りがついた頃、クーパーにこう頼んだ。「ディランに渡りをつけてはくれないか」。だが…。

実はディランに最後に会ったのは15年前で、以来連絡を取り合ってはいないんだ。だから分からない。どうすれば会えるかなんて見当もつかない。今や何と言ってもノーベル賞詩人だからね(同上)

<ディランを探して>
・世界で居場所を知る者は、僅か数人ともいわれるボブ・ディラン。確かなことは50年以上途切れることなく、600を超える歌を作り続けてきたということだけだ。
・フォークギターを抱えたディランが颯爽と世に現れたのは、20歳のときだった。

おかしな夢を見たんだ
第三次世界大戦の夢さ
次の日、医者に行ったら
悪い夢だと言われたよ
(「第三次世界大戦を語るブルース」)


・若きディランが題材としたのは、東西冷戦や核の脅威などの時事問題。ベトナム戦争にアメリカが本格的に介入を始めると、戦争と正義についても歌詞に取り込んでいく。だがそれは単に正義を振りかざすものではなく、戦争の本質に言葉で挑んだものだった。

お前らは大砲を作り
爆弾を作る
それでいて
弾丸が飛び交い始めたら
どこかへ消えちまうんだろう?
お前らは戦争の親玉だよ
(「戦争の親玉」)


・安全地帯にいる者や戦争を商売とする者への言葉は鋭く激しい。

お前らが死ぬとき
棺桶までついていくぞ
そして
本当に死んだと
俺が確信できるまで
お前らの墓を
踏みつけてやる
(同上)

どれだけ海を越えたなら
白い鳩は
砂地で休むことができるのか?
どれだけ砲弾が飛び交えば
武器は永遠に禁じられるのか?
友よ、答えは 風の中にある
舞う、風の中にある
友よ、答えは 風の中にある
舞う、風の中にある
(「風に吹かれて」)


・ディランの歌は多くの人々が気持ちを寄せる時代のアンセムとなった。
・取材を始めて数日後の11月18日、ディランを伝える緊急ニュースが全世界に配信された。

「ディランはノーベル賞授賞式に出席しない」

記事によると(ディランが)スウェーデンに手紙を出して「行けません」と(番組通訳)

・欠席の理由は、先約があるからだった。
・この2日後、ディランサイドからインタビューについて返事が届いた。

Eメールの中身はコンサートの取材とインタビューについて、両方とも難しいそうです。「あなたたちだけでなくて(取材を受けないことは)数十年前からのポリシー」。協力的にやってくれているので、NOというところは本当にNOなんだと(同上)

・30年以上、ディランはテレビメディアの取材を受けてはいない。ディランの声が聞きたいという願いは、これでついえた。

<ディランの“肉筆”は語る>
・だが1週間後、ディランサイドから不思議なメールが届いた。

「タルサという街に来れば、いいものが撮影できる」

・アメリカ中西部のオクラホマ州タルサ、指定された場所に向かう。何の変哲もない大学の施設だった(タルサ大学)。私たちは待った。現れた男はディランの膨大な資料を管理する人物だった。

タルサへようこそ。君たちが期待するものを見せるよ(ボブ・ディラン資料庫責任者のマイケル・チェイキン氏)

・男に言われるまま建物の奥へ。

ディランの資料が続々と集まっているところだ(同上)

・ディランの自宅から集められた6000点もの資料。その一部を特別に撮影させてくれるというのだ。ディランの自宅に眠っていたステージ衣装、写真嫌いのディランがなぜか手元に置いていた未公開の写真、あまたの名曲が記されたオリジナルの楽譜もあった。

次はとっておきのものを見せよう。ディランの歌詞作りのプロセスが最も分かる資料だ。手書きの歌詞、全てディラン本人の直筆だ(同上)

・最も大切に保管されていたのは、この500曲を超えるという歌詞の下書きだ。1964年から現在に至るまで、数々の名曲が生まれた瞬間がそのままの姿で保存されている。直筆の歌詞はホテルの便箋やレシートなどにも手当たり次第、書きなぐられていた。
・車に乗っているときや、友人とくつろいでいるとき、思いついた単語があればディランはすぐにメモしていたという。街を歩いているときも、気になる文字が目に飛び込んでくると、いきなりの言葉遊びが始まる。

求む 犬の売却 小鳥の焼却 僕に タバコを売る店
買い物を小鳥に僕の魂を迎え手数料を洗う
求む魂を動物に手数料を編む
足を洗い犬のお迎え
手数料を僕に動物を小鳥に
僕をタバコまで送り届けろ


・直筆の下書きには様々な言葉を連想した形跡も残っていた。同じ曲の中の言葉とは思えない不思議な単語の数々。単語は一つの文章となり、鮮やかな世界を作り出した。
・「俺じゃない!」というフレーズをモチーフにしたこの歌のように。

「あのボクサーを殺したのは誰だ?」
「俺じゃない」とレフリーが言う。
「途中で試合を止めたら客が騒ぐだろう?」。
「俺じゃない」と観客は言う。
「俺たちは汗を見たかっただけさ」
「俺じゃない」と記者が言う。
「どんなスポーツも危険はおんなじだ」
「俺じゃない」と本当に殺したヤツが言う。
「ヤツが死んだのは運命。神のおぼし召しさ」
(「デイビー・ムーアを殺したのは誰?」)


・言葉遊びとフレーズの妙。それは後にあの名曲に結実することになる。

昔、ディランはこう言った。
「今日はハロウィンだから、ボブ・ディランの仮面でもかぶっていくか」


<ディランは変わる>
・デビューから3年後の1965年、ディランはフォーク界の最大のスターになっていた。しかしこの日。ステージに登場したディランが持っていたのはエレキギターだった。激しいビートにのせて自作のロックを歌い出す。

マギーの農場で働くのは
もう まっぴらだ


・フォークソングを期待していた会場はブーイングの嵐となった。異様な雰囲気の中で新曲が披露される。あの「ライク・ア・ローリング・ストーン」だ。

むかし君は いかす服を着て
乞食に小銭を投げていたよね
みんな
「いつか終わる」と言ったのに
冗談だと思ったのかい?


・「ライク・ア・ローリング・ストーン」は一人の女性の流転の人生を歌っている。ロックの歌詞に初めて物語性を持ち込んだともいわれる画期的な曲だ。
・物語はこう始まる。昔、羽振りのいい女性がいた。いい服を着て学歴も財力もあり、付き合う男はインテリの外交官。それが今ではたった一人で、帰る家もない。
・そしてディランがこだわったというサビでは、一転して挑発的な問いが繰り返される。

どんな気がする?
ひとりきりってことは?
帰る家がないってことは?
誰からも知られていないってことは?
転がる石のようだってことは?


・ディランは具体的な問いを畳みかけている。しかし最後の問いだけが比喩なのだ。「転がる石のように」それは何を意味するのか。
・「転がる石(rolling stone)」という比喩は二つの解釈が可能だ。一つは転がり落ちる人生、もう一つはしがらみから解放された自由な生き方。両極端の解釈が聴き手に委ねられる。女性は転落したのか、それとも自由になったのか。

どんな気がする?
転がる石のようだってことは?


・しかし多くのファンは、従来のような歌を歌わなくなったディランに不満を抱いただけだった。だがディランは「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌い続けた。罵声を浴びても信念を曲げなかった。

むかし君は いかす服を着て
乞食に小銭を投げていたよね
みんな
「いつか終わる」と言ったのに
冗談だと思ったのかい?
何かにつけ笑いものにしてたね
さまよう奴らを
もう君は大声で喋らない
もう君は自慢もしない
次の飯のごまかし方を

どんな気がする?
ひとりきりってことは?
帰る家がないってことは?
誰からも知られていないってことは?
転がる石のようだってことは?


<ディランは解体する>
・ディランはどのように歌詞を作り上げてきたのか。その謎に光を当てる新たな発見が、あの資料庫であった。1975年頃、30代半ばのディランが歌詞を書きためるために使っていた古い手帳だ。

ディランは誰にも言わず、この手帳をこっそりとっていたんです(マイケル・チェイキン氏)

・手帳にはディランの作品の中でも極めて複雑な世界観で知られるヒット曲の下書きがあった。「Tangled Up In Blue」(ブルーにこんがらがって)。

私は身を引くことにした
できることと言えば
鳥のように空を飛び続けるだけ
ブルーにこんがらがって


・歌われるのは自らをモデルにしたといわれる男女の物語。愛した女と別れ、長い旅に出る男の痛みが内省的な言葉で語られている。

まだ路上
いまもどこかを探し続けている
私たちは同じように感じていたが
違う視点から見ていたらしい
ブルーにこんがらがって


・しかしディランが手帳に書いていた歌詞は、完成版とは全く違っていた。物語が語られていく順番も大きく異なっている。
・手帳では最初に書かれている歌詞のブロックが、完成形では一番最後へ。他のブロックも大胆に入れ替えられている。ディランはあえて下書きを解体し、バラバラに組み合わせて再構築していたのだ。
・ディランの意図は何なのか。ディランの言葉の変遷を研究するハーバード大学文学論のリチャード・トーマス教授は、こう分析する。この歌は、時間軸と物語の筋が乱れている。ディランはその不安定さを強調することで、不完全な人間の存在を強く提示しようとしたのではないか。

ディランは“人間とは何か”を捉える能力が傑出しています。しかもそれを音楽と詩の組み合わせで伝えることができる。文学が担ってきた役割を音楽活動によって果たしているのです(トーマス氏)

・さらに完成したはずの歌詞をディランはもう一度、書き換えている(「ブルーにこんがらがって」1984年)。主語は「私」から「彼」となり、物語自体も男女の恋愛というより、個人と世界との関係性を歌っているように聞こえる。

世界が平らなのか丸いのか
これまで感じたことのない
不味さが口に残った
ブルーにこんがらがって


・ディランは歌う。「地球は平らなのか丸いのか」。「Tangled Up In Blue」(「ブルーにこんがらがって」)。

<ディランは沈黙する>
・人間を見つめる作品が増える一方で、ディラン自身は公の場に殆ど姿を見せなくなっていた。故郷を捨て、言葉と格闘し、長い沈黙の時代へ。
・メディアに露出しないディランを世間はこう思うようになっていた。「ディランは隠遁してしまった。もはや過去の人なのだ」と。
・その沈黙の時代、数年に一度ではあったがディランのインタビューを続ける記者が一人だけいた。

ディランは他の表現者とは違います。メディアに媚びませんし、自分に関心が向くことも求めません。ここ何十年も静かな生活を守り続けています。彼は話題を提供するだけのセレブたちとは違います。公共の場所は心地の良い所ではないのです(声・エドナ・ガンダーソン記者)

・そして50代が近づくと暗示に満ちた言葉を吐き始める。

切れた線
割れた瓶
壊れた偶像
破られた誓い
何もかも、壊れる
(「すべては壊れる」)


・「何もかも、壊れる」と歌ったその年、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊した。激動の時代が始まる。
・やがて血で血を洗う戦争が始まる。破壊と憎しみが世界を覆う。

崩れた落ちた門
折れたナイフ
破られた法律
何もかも、壊れる


・その後、唯一の超大国となったアメリカは世界中の紛争に積極的に介入していくことになった。悲しみと憎しみが世界に撒き散らされる。

祈りの声も聞こえない
まだ真っ暗闇ではないが
じきに、そうなる


・そして2001年。アメリカ人に忘れ難い傷を残したその年、ディランのニューヨーク公演を間近で見たファン(書店の店主)がいた。それは60歳を越えたディランが行った伝説のライブだった。

“あの夜”のライブチケットは、どの店でも売り切れだった。あの夜ディランは私たちの何かを激しく揺さぶったのです(書店の店主の男性)

・その2か月前の2001年9月11日、アメリカに憎しみを抱いた者たちが、この街を破壊した。悲しみが残り、激しい言葉が踊った。

このビルを破壊したやつらを同じ目に遭わせてやる!(演説するブッシュ大統領・当時)

・正義と報復が叫ばれ、多くの文化活動は自粛に追い込まれた。だがディランはニューヨークのステージに立ったのだ。

輝く光を待とう
共に合図を待ち続けよう
輝く光を待とう


・1時間が過ぎたとき、普段ならあり得ないことが起きた。

みんな、俺はここにいるぜ

・演奏の途中でディランが語り始めたのだ。

俺の音楽はニューヨーク生まれだ。そうだろ?
レコーディングだって今もニューヨークさ
どれだけ大切な街か分かるだろ?


・そして…。

どれだけ、道を歩いたら
一人の男と認められるのか
どれだけ海を越えたなら
白い鳩は砂地で休むことができるのか?
友よ、答えは 風の中にある
舞う、風の中にある
友よ、答えは 風の中にある
舞う、風の中にある
(「風に吹かれて」)


<ボブ・ディラン 終わりなき“音楽”>
・アメリカを離れる直前、ディランの言葉が眠る資料庫でまた新たな発見があった。箱の中にあったものは2012年に発表されたアルバムの表題曲だった。ディラン71歳のときの作品だ。
・様々な紙に書かれた歌詞は実に45番まで続く。そこには世界の終末を予感させる言葉が、いくつもちりばめられていた。歌の名は「テンペスト」(嵐)。タイタニック号の沈没をモチーフに、死に向かう人々を歌う。

白い月、薔薇は輝く
西の街を、出航する
女は、船が沈む
悲しい物語を語り始める
(「テンペスト」)


・70歳を越えたディランは45番まで言葉を重ねて、何を伝えたかったのか。

海へ、沈み始める
地球が、口を開ける
名前を叫ぶ声がする
天使が、そっぽを向いた


・救いのない世界への絶望なのか。死に行く者たちへの弔いか。

その道は狭く
闇が満たされていた
様々な悲しみを味わった
呻き声が、響く


・だがディランは何も答えない。しゃがれた声でこれからも歌い続けるだけだ。

花は散った
すべては散った
余りに長い時
魔女の呪いが続いている


(2016/12/13視聴・2016/12/13記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム(デラックス10周年エディション) [Blu-ray]

ボブ・ディラン全詩集―英文・和文2冊組

ボブ・ディラン自伝

※関連ページ(NHKスペシャル)
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~
日航ジャンボ機事故 空白の16時間~“墜落の夜”30年目の真実~
生命大躍進 第3集・ついに“知性”が生まれた
生命大躍進 第2集・こうして“母の愛”が生まれた
生命大躍進 第1集・そして“目”が生まれた

【NHKスペシャル】ドラマ 東京裁判 第2話

$
0
0

【NHKスペシャル】
「ドラマ 東京裁判 第2話」

(NHK総合・2016/12/13放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 11人の判事たちに焦点を当てたドラマ「東京裁判」第2話。判事室の議論の先頭に立ったのはインド代表のパル判事。これはまあ予想通りでありますね。実際のところ東京裁判に関する評価が論じられるときに、パル判事の主張の多くが取り上げられますからね。

 そしてオランダ代表のレーリンク氏が意見書を提出していたという話は初耳でした。まあ彼が判決時に個別意見を述べていたことは知っていましたので、かなり早い段階で判事たちの議論の中でパル判事に意見を寄せていたということなのでしょう。

 ただやはりこの、いわば長編の物語ともいってもよい東京裁判の流れをドラマ4話程度でまとめるというのは、ちょっと端折り過ぎている感がありますよね。南京事件の証言辺りも相当省略しましたね。その辺りをもう少し丁寧にやらないと、真っ赤な顔して「南京事件なんて無かった」と戯言を主張する方々を興奮させることになるのではと思いましたね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・70年前、世界各地から東京に集まり、歴史的な裁判が開かれた。日本の戦争指導者たちの責任を問う極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判である。
・しかし裁判は幕開けから波乱を呼ぶ。指導者たちを裁くために戦後に制定された「平和に対する罪」(侵略の罪)。侵略戦争を起こしたことが犯罪だとするこの法に対し、弁護人の清瀬(一郎)は戦争が始まったとき法は存在していなかったとして、裁判の根幹に疑義を発した。
・事態の収拾に奔走する裁判長ウェッブ。しかし動揺した判事たちの間に不協和音が発し出す。その最中、先行きに不安を感じたアメリカ代表が突然帰国。事態は思わぬ方向に動き出した。

【ドラマ・パート】
・ウェッブ裁判長はマッカーサー最高司令官のもとを訪れる。帰国したヒギンズ判事の後任であるクレイマー判事が到着していた。
・1946年7月、検察側の立証は中国大陸の日本軍の残虐行為に移っていた。1937年12月、進撃を続けていた日本軍が南京を占領。このとき多数の捕虜や非戦闘員が殺害されたなどとして検察側の証人尋問が始まった。
・判事たちは初めて中国人証言者の口からこの出来事について聞くことになる。許伝音証人は日本軍が南京を占領した3日後、市内で見た光景を証言する。

ある大通りでは私は通りの両側に転がっている死体の数を数え始めました。一人で500以上も数えました。しかし数えても無駄だと思いました。

・弁護側が反対尋問を試みる。

普通の服を着て民家に潜伏し隙を見て軍に襲いかかる、すなわち「便衣隊」もいたのではないか(弁護側反対尋問)

・許証人は答える。

いたかもしれません。しかし彼らが再び団結して敵対行為をとるまでは非戦闘員と考えられます。

・同じ日、尚徳義証人が証人台に上がる。英語が話せず、その証言記録を検察官が代読した。

揚子江の岸辺に連行されると、そこに1000人以上の一般男性がいました。午後4時頃、日本人将校がやってきて日本兵に機銃射撃を始めるように命じました。私は射撃の始まる直前に地面に伏せました。たちまち私の上に死体が覆いかぶさり、私は気を失いました。夜9時頃、私は死体の山からはい出して、家に逃げ帰ったのです。

・判事室ではベルナール判事(フランス)が南京の出来事について人道に対する戦争犯罪でなく、通例の戦争犯罪として裁くべきだと主張する。
・パル判事(インド)は残虐な行為は許されないが、侵略の罪について存在しなかった法で裁くことは事後法であり除外すべきと主張。その問題は憲章によって解決済であるというが、その議論に自分は参加していなかったと言う。
・翌日もパル判事は東京裁判憲章は誤りであると主張し、被告全員を侵略の罪では無罪にしなければならないと言う。
・ウェッブ裁判長は動議に対する回答の草案を作成したが、判事内でも異論が出てまとまらなかった。

・1946年12月、検察側は日本軍でのフィリピンの行動に矛先を向けた。マニラ市街戦と並び日本軍の残虐行為の代表的事例とされた「バターン 死の行進」。元アメリカ陸軍兵士のイングル証人が証人台に立った。

食べ物や水がなくても我慢できたかもしれません。でも焼けつくような日差しの中を何時間も行進するのは、限界を超えていました。仲間たちは絶えず列から引き離され、何の理由もなく銃で撃たれ、銃剣で刺されたのです。

・レーリンク判事は偶然、「ビルマの竪琴」を書いた作家・竹山道雄と会う。
・レーリンク判事は「侵略の罪での起訴に明確な根拠はない」というタイトルで文書を書き判事たちに提出し、他の判事たちは反発する。
・パトリック判事(イギリス)、マグドゥガル判事(カナダ)、ノースクロフト判事(ニュージーランド)の3人が自国政府に辞意を表明するが慰留する。
・1947年8月、検察側が立証を終え、弁護側が反証を始める。ブレイクニー弁護人はアメリカの高官が真珠湾攻撃以前に日本の攻撃を予見していたと立証を試みた。アメリカ軍将校が証人として呼ばれた。彼は日本政府からワシントンの日本大使館に送られた電信の暗号解読をしていた。電信はアメリカへの最後通告だった。証人は「暗号は解読され大統領へ送られた」と述べた。
・弁護人はアメリカが真珠湾は標的とは知らなかったが、戦争が差し迫っていることは知っていた。真珠湾攻撃は奇襲ではなかったと主張した。
・ウェッブ裁判長のもとに電報が届く。オーストラリア政府から急遽、母国の裁判所の審理のため帰国を命じてきた。

・ウエッブ裁判長(オーストラリア)
(ジョナサン・ハイド)
・レーリンク判事(オランダ)
(マルセル・ヘンセマ)
・マグドゥガル判事(カナダ)
(スティーブン・マクハティ)
・梅判事(中国)
(デイビッド・ツェ)
・ノースクロフト判事(ニュージーランド)
(ジュリアン・ワダム)
・クレイマー判事(アメリカ)
(ティム・アハーン)
・ベルナール判事(フランス)
(セルジュ・アザナヴィシウス)
・ザリヤノフ判事(ソビエト)
(ケストューティス・ヤクスタス)
・パトリック判事(イギリス)
(ポール・フリーマン)
・パル判事(インド)
(イルファン・カーン)
・ハラリーニャ判事(フィリピン)
(ベルト・マティアス)

・マッカーサー最高司令官(マイケル・アイアンサイド)
・竹山道雄(塚本晋也)

【ドキュメント・パート】
・イギリスのパトリック判事。一体どんな人物だったのか。イギリス北部スコットランドの中心都市グラスゴー。その郊外の町に今もパトリック判事が開いた弁護士事務所がある。生まれた家もその近く、100年以上前に建てられた石造りの家。父親は警察官で地元の名士だった。家の裏にはガーデニング用の庭も残っている。
・パトリック判事からイギリス政府への手紙。ウェッブ裁判長を更迭するべきだと主張、それが出来ないなら自分とノースクロフト、マグドゥガル判事を辞職するとほのめかした。
・パトリック判事たちはウェッブ裁判長の指導力がないため裁判が混乱していると考えた。
・この後、ニュージーランドとオーストラリアの首相が会談。ウェッブ裁判長について話し合ったことが分かっている。

イギリスの文書などを見ると、パトリックの報告は相当イギリス政府に心配を与えた。オーストラリアがこの事態をいったん沈静化させるために、ウェッブを召喚する、本国に呼び戻す。それが一つのとるべき対応だった(帝京大学の日暮吉延教授)

・政府の首脳に対し大胆な行動をとったパトリック判事。第一次世界大戦にはパイロットとして従軍。第二次世界大戦ではイギリス人としてナチスの脅威を肌身で感じた。彼の行動の陰にはこうした戦争体験が貫かれていた。

もし東京裁判で「平和に対する罪」が否定され、侵略戦争は国際法上の犯罪ではないという判決になったら、どんな悪影響があったか考えてみてください。ニュルンベルク裁判の経験がすべて台無しになっていたでしょう。当時はナチスの犯罪を徹底的に裁くことが一大プロジェクトでした。ヨーロッパの平和を守ろうとする全ての国が協調して取り組まなければならない時代だったのです(イギリス憲法学者のジョン・プリチャードさん)

・今こそ戦争を犯罪として確立しなければならないと考えたパトリック判事。その信念に従い、仲間の判事たちと裁判を主導していこうとした。
・ドラマでレーリンク判事との交流が描かれる竹山道雄。戦前から活躍した著名なドイツ文学者だった。政治や社会の評論も数多く書いた当時の日本を代表する知性だった。その著書で東京裁判のとき、レーリンク判事と出会ったことを記している。
・鎌倉市に残る竹山の自宅。彼とレーリンク判事は文化や芸術などについて幅広く語り合った。
・太平洋戦争中、旧制一高の教師として教え子を何人も失う体験をした竹山。東京裁判が開かれていた頃、生涯で唯一の童話「ビルマの竪琴」を執筆していた。主人公にこう語らせている。

わが國は戦争をして、敗けて、くるしんでいます。思いあがったあまり、人間としてのもっとも大切なものを忘れたからです。

・一方、戦勝国が日本人の被告だけを裁いた東京裁判への批判も書き残している。その胸には、戦争の時代を生き抜いた知識人の複雑な思いがあった。

(2016/12/13視聴・2016/12/13記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

東京裁判 [DVD]

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判〈上〉 (朝日文庫)

東京裁判〈下〉 (朝日文庫)

※関連ページ(NHKスペシャル)
ドラマ 東京裁判 第1話
ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~
日航ジャンボ機事故 空白の16時間~“墜落の夜”30年目の真実~
生命大躍進 第3集・ついに“知性”が生まれた
生命大躍進 第2集・こうして“母の愛”が生まれた
生命大躍進 第1集・そして“目”が生まれた

【歴史秘話ヒストリア】マイベスト内蔵助 忠臣蔵ラバーズ

$
0
0

【歴史秘話ヒストリア】
「マイベスト内蔵助 忠臣蔵ラバーズ」

(NHK総合・2016/12/9放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 毎年この時期になると話題になる「忠臣蔵」。吉良上野介=悪、浅野内匠頭、大石内蔵助はじめ四十七士=善という構図で描かれた物語。主君の仇を討つという「忠義」、そして貫き武士らしい振る舞いをしたことがクローズアップされているのですが、果たして史実はどうだったのでしょうか。

 この番組でも現代の「忠臣蔵」の元が「仮名手本忠臣蔵」という創作の物語(人形浄瑠璃や歌舞伎の作品)であることは指摘しつつも、やはり史実部分はこの作品から抜け出さないという前提になっています。吉良上野介が浅野内匠頭に相当酷い嫌がらせをして、内匠頭の松之廊下での事件は止むに止まれぬものだったと。

 私は物語としての「忠臣蔵」ならそれでいいと思うのですが、それが史実として思考停止のように流されていることについては違和感を感じています。なぜなら第一次史料として吉良上野介と浅野内匠頭との間に刃傷沙汰になるほどのハラスメントが存在していたことを証明するものはありません。

 つまるところ、浅野内匠頭の「被害妄想」という説が完全に捨てきれないわけです。もし彼の一方的な思い込みで上野介に刃を向けたのなら、どうなのでしょうか。

 分かりやすい例えで言えば、とある会社があるとしましょう。課長の浅野くんは上司の吉良部長が何かと自分をいじめていると思い込み、職場内で刃物を振り回しました。社長(将軍)は事態を収拾するため、浅野課長を懲戒免職にしました。そして彼の親族や彼に取り巻いていた部下たちも浅野課長を擁護したため解雇しました。

 まあ、それはやりすぎだったかもしれません。しかし部下たちは吉良部長がお咎めなしだったのが許せないとして、1年以上時間をかけて彼の素行をストーキングして、ついに彼の自宅を襲撃して殺害しました。

 それを「よくやった!素晴らしい!」と評価できるものでしょうか。まず浅野氏が精神科での診察が必要だと思うし、彼の部下たちも同様に思えるのです。「忠臣蔵」ファンの方々は異論おおありかと思いますが、吉良氏が極悪非道であったとしても松之廊下での刃傷沙汰はありえないし、ましてやその後の襲撃も「忠義」なんですかね。どうも私は違和感を抱かざるをえないのです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・元禄15年12月14日、江戸の雪を踏み締めて進むは侍47人!これぞ大石内蔵助率いる赤穂浪士!亡き殿の敵、吉良上野介の屋敷に討ち入った!群がる敵を斬り倒し見事…。
・忠臣蔵の聖地、東京・高輪の泉岳寺。大石内蔵助たち赤穂浪士のお墓参りに今も一年中多くの人が訪れる。その人気はワールドワイド、今や5人に1人は海外からだという。近年、ハリウッド映画になるなど「忠臣蔵」は世界に広がっている。
・「忠臣蔵」の魅力とは?泉岳寺を訪れた100人以上にアンケートを行った。さらに今回はその魅力を深く解説してくれるディープなファンにマニア、プロも参戦。

<2分12秒で分かる「忠臣蔵」>
・今から300年ほど昔、所は播州・赤穂藩(兵庫県赤穂市)。筆頭家老・大石内蔵助のもとに、とんでもない知らせが飛び込んできた。
・事の始まりは江戸城中。江戸にいた赤穂のお殿様・浅野内匠頭は、はるか年上の吉良上野介からばかにされ何かと意地悪をされていた。内匠頭のプライドはもうズタズタ。ついにプチっとキレて本当に斬りつけてしまう。
・ところがこれがまずかった。将軍様がおわす江戸のお城。そこで人を傷つけ血で汚すなどもっての外。いかなる理由があろうとも刀を抜いた方がアウト!赤穂のお殿様はご切腹とあいなった。
・殿様だけではなかった。ご家族、ご家来みな同罪。赤穂藩は取り潰しになり、大石内蔵助たちはあえなく浪人の身に。一方、意地悪・吉良はというと場所をわきまえ手向かいしなかったのはあっぱれと無罪放免、おとがめなし。
・こんな不公平な裁きがあってよいものか!あだ討ちを決意した内蔵助たち赤穂の浪人は、耐えがたきを耐え、待ちも待ったり1年半。
・そして遂に内蔵助たち四十七士は吉良邸へ討ち入った。宿敵・上野介の首をあげ、殿の無念を晴らした「忠臣蔵」の一席。

<忠臣蔵の魅力・その1 忠誠心>
・本当にあったこの話の一体どこがどうしてみんな大好きなのだろうか。
・赤穂にある大石神社。四十七士をお祭りしている神社だ。もともとは地元の人たちが浪士をたたえるために建てた小さな祠だった。それが次第に多くの人々に愛されて大きな神社になったという。ずらっと並んでいるのは四十七士の石像。討ち入りの姿を描いている。
・「忠臣蔵」の中でも一番人気は内蔵助。その魅力は何か、まずはこの方たちに聞いてみた。ファンの聖地、泉岳寺で。最近、急増中なのが外国人の皆さん。最も多く挙げた理由がこちら!Loyalty(ロイヤリティ)、自分の主や目上の人への「忠誠心」。
・日本人には当たり前のようにも思えるが、家来がお殿様に忠義を尽くす姿が新鮮なのだろうか。外国の皆さんがおっしゃる忠誠心の魅力。アメリカ・ポートランド大学のラリー・コミンズ教授に聞いてみた。専門は日本文学、全米一の「忠臣蔵」マニアとして知られている。
・今年3月にはコミンズ氏が翻訳した「忠臣蔵」がアメリカで上演された。学生たちには何より武士道精神を教え演じてもらったそうだ。8日間で3000人の観客を集め大成功。そんなコミンズ氏に大石内蔵助について緊急インタビューした。

(内蔵助の忠誠心をどう思いますか?)
すごい人ですよ、内蔵助は。自分を犠牲にする忠誠心、江戸時代にはめったに見られない(コミンズ教授)

・全米一のマニア・コミンズ教授の言う内蔵助の「忠誠心」とはいかに?
・それは討ち入りの1年半前のこと。赤穂の城に家臣たちが続々と集まっていた。既にお殿様は江戸で切腹。加えて徳川幕府は赤穂藩の取り潰しを決定し、城を明け渡せと言ってきた。この先、一体どうするべきか。リーダーの内蔵助は皆に意見を求めた。
・家臣たちにあだ討ちを求める声が高まってきたそのとき、内蔵助は意外なことを言い出した。それがコミンズ教授のマイベストシーンだ。

「切腹というのはいかがでござろう。つまり赤穂城で一同切腹し内匠頭様への忠義を表し、吉良様をおとがめなしとした幕府への抗議とする。これぞ忠義の道では?」

・内匠頭の家臣はおよそ300人。内蔵助は「死んだ殿のために皆で切腹して死のう。そうすれば幕府の不公平な裁きに命がけで抗議したことになるじゃないか」と提案した。
・しかしそんなことをしたら、あだ討ちなんてできなくなってしまう。でも実は逆なんだとコミンズ教授は言う。あだ討ちは命がけの戦い。仮に成功したとしても幕府の決定に盾ついたとして死罪になるかもしれない。命を惜しんで切腹を渋るような者に所詮あだ討ちは無理だと内蔵助は考えた。
・内蔵助は切腹に同意した者に誓約書を書かせた。その数は家臣3000人の内100人あまり。コミンズ教授によると、これこそが内蔵助の本当の狙い。つまり切腹の提案でふるいにかけ、本物の忠誠心があるかどうか見極めようとした。実際に討ち入りまでにさらに47人にまで絞られた。
・またあだ討ちをするにしても、何年かかるか分からない。その間、絶対に秘密が漏れないよう固い意志の持ち主だけを選び抜いた。

ほんの僅かでも疑いが出たら、幕府が(本人と)家族を尋問する。彼(浪士)は命がけの秘密を守らねばならない。そういう義士だけを47人の中に加えて、あとの100人以上は秘密の外で何も知らなかった(コミンズ教授)

・外国の人たちが挙げた内蔵助の魅力「忠誠心」。それは命を捨てる覚悟と揺るがぬ心の強さにあるのかもしれない。

<忠臣蔵の魅力・その2 親子のきずな>
・大石神社の宮司・飯尾義明さんにも「マイベスト」を聞いてみた。神社は大石内蔵助の屋敷だった場所。この門、大石家の屋敷の中で唯一そのまま残っている貴重な建物。反対側から見てみると白壁に立派な門構え。
・ここでは内蔵助の家族も紹介されている。妻・りく、そして子どもたちは息子3人に娘2人。内蔵助は家族思いだったという。家族のきずな。
・ファン歴20年以上、芝居経験もある白井千敦さん。彼女は中学生のとき本で読んだ「忠臣蔵」の物語に感動。以来、泉岳寺などゆかりの場所を訪ねたり、本を読んだりと猛勉強。彼女の内蔵助への愛は止まらず、遂に大石内蔵助になってしまった。毎年春、大石神社で催される「女人義士行列」というおお祭りの一コマ。全国から「忠臣蔵」を愛する女子が集まり、町を練り歩く。彼女は二度、大石内蔵助役を務めた。

内蔵助は「ロールキャベツ男子」。一見、柔らかくて草食、何もしないんだなと思いつつも中に肉が、やるんだという燃える情熱という肉が詰まっている(白井さん)

・四十七士の中で白井さんのイチオシ男子は?

大石内蔵助の息子の大石主税です。すごく健気なんですよね。一番年下だけれども、僕が頑張らなきゃ。僕は大石家の長男だから頑張らなきゃっていう健気さというのがあるんですね(同上)

・内蔵助と息子の主税。二人の物語は討ち入りの1年前に始まる。あだ討ちを決意した内蔵助は、妻と子どもたちを実家に送り返した。というのも家族に災いが降りかかる恐れがあった。討ち入りが幕府への反逆と見なされれば、内蔵助だけでなく家族も罪に問われるからだ。
・最愛の家族を遠ざけ守ろうとした内蔵助。しかし長男の主税だけは討ち入りに参加したいと残った。内蔵助は迷っていた。主税は未だ元服前の14歳。いくら長男とはいえ、あだ討ちで若い命を散らせてよいものであろうか。内蔵助は主税にあらためて覚悟を問うたが、主税の決意は固かった。
・さらに主税は髪型を変え元服。つまり大人になり、一人前の武士として参加できることを示した。息子の成長を喜ぶ父・内蔵助の手紙が残されている。

今まで主税は頼りない息子と思っていましたが、案外しっかりしていると分かり嬉しいかぎりです。これで思い残すことはありません(妻の父に宛てた手紙)

・それから1年後。討ち入りを目前に控え、内蔵助を中心に作戦会議が開かれた。あだ討ちの相手、吉良の屋敷は2500坪と広大だった。そのため吉良を逃さないよう表門そして裏門から同時に斬り込み、かつその2か所を固める必要があった。
・討ち入りの成否を分けるこの作戦。ここがディープなファン・白井さんならではの「マイベストシーン」。表門は内蔵助本人が、そしてあえて主税に極めて重要な裏門の大将を任せたのだ。

最年少である大石主税くんにみんなは付いていくと言ったんですね。本来ならプレッシャーに感じることだと思うんだけれども、それをプレッシャーじゃなくて武士として「僕は一人の武士、一人の隊長としてやるんだ」という覚悟を決めているところですね。覚悟を決めた主税くんの気持ちと、それを信頼して任命するお父さんのこの気持ちというのが、やっぱりぐっときますね(白井さん)

・内蔵助率いる表門23人、主税率いる裏門24人。「忠臣蔵」の名場面・討ち入り。その陰には知られざる親子の深いきずながあった。

<大石内蔵助を演じてほしい俳優は?>
・さて「忠臣蔵」といえばNHKの大河ドラマでも、これまで4回も取り上げられている。近年では中村勘三郎さんが大石内蔵助を演じ、大きな人気を集めた。番組ではこんなアンケートも実施。「大石内蔵助」を演じてほしい俳優は誰か。

1位:佐々木蔵之介さん
2位:役所広司さん
3位:渡辺謙さん
3位:堤真一さん

<忠臣蔵の魅力・その3 武士の生き方>
・今回最も多くの人が内蔵助の魅力に挙げたのが「武士の生き方を貫いた姿」だった。確かに主君の敵を討ったのは武士の鑑。
・門を打ち破り、吉良邸に討ち入った内蔵助たち四十七士。100人を超える敵をものともせず、吉良上野介を捜し続けた。そして遂に吉良を討ち取った。
・実はこれは江戸時代の武士としては、かなりのルール違反だった。まず夜中の集団行動は駄目。人を襲うなんて論外。武器を大量に持ち歩いていたのもアウト。「武士の鑑」どころか大悪人。なのにどうして内蔵助たちはヒーローとして語り継がれているのか。
・「忠臣蔵」研究の第一人者である東京大学史料編纂所の山本博文教授。「忠臣蔵」の本を多数執筆、番組出演も数知れず、「忠臣蔵」ファンの世界のまさにラスボス!

大石内蔵助としてはただ吉良上野介を殺せばいいというのものではない。主君の名誉と自分たちの名誉を回復する必要があるので、幕府から徒党の罪で断罪になったり、とがめられないためにどうするか大石内蔵助はよく考えていた(山本教授)

・果たして内蔵助が考えていたこととは。

【武士の生き方・その1 口上書を掲げる】
・内蔵助は討ち入りと同時に吉良邸前に青竹を立てた。竹には「口上書」がくくりつけられていた。これが内蔵助が貫いた武士の姿その1。次のようなことが書かれていた。

我らが主君、浅野内匠頭はやむにやまれぬ思いで吉良上野介殿に斬りつけました。内匠頭は切腹となりましたが上野介殿は無事。このままでは我ら一同しのび難く、こうして上野介殿屋敷に参上いたしました。

主君の恨みを晴らすために自分たちはここに討ち入るんだということですね(山本教授)

【武士の生き方・その2 あだ討ちだと周囲に知らせる】
・さらに内蔵助は吉良邸の近所への配慮も忘れなかった。騒ぎに気づき不審がる隣屋敷の人びとに浪士の一人が「敵討ちでござる!侍は相互いの儀、お構いめされるな!」と叫んだという。
・「これは敵討ちです。ご迷惑はおかけしません。ここは侍同士、どうぞお見逃しください」と声をかけた。すると屋敷の塀ごしに提灯が掲げられた。「了解した」というサインだった。
・そして激闘4時間。吉良を討ち取り勝どきを挙げた。その後、内蔵助たちは亡き殿様の眠る高輪・泉岳寺へ向かった。通り道には人々が集まり、浪士たちを褒めたたえたと言われる。
・泉岳寺に着いた内蔵助。皆、主君の墓の前に並び無念を晴らしたことを報告。寺で幕府の役人を待った。その間、寺から内蔵助たちに酒が振る舞われたという。

【武士の生き方・その3 相手の名誉を傷つけない】
・寺の者から吉良上野介の最期の様子を尋ねられた内蔵助はこう答えたという。

随分見事なるお働きでした。ご家来衆も恥ずかしくない働きでした(「赤江家秘録」(大石家所蔵)より)

・敵ながらあっぱれ。吉良の方も武士らしく立派に戦ったと内蔵助はたたえた。さらに吉良上野介の御首級を住職に預け、吉良家当主として丁重に扱ってほしいと頼んだ。たとえ敵であってもその名誉は傷つけない。内蔵助は吉良の首を泉岳寺を通じて吉良家に返した。

大石たちは吉良個人に恨みがあるわけではない。討ち入りは武士として正しい行動。名誉につながるものという考え(山本教授)

・この後、幕府では内蔵助たちの処分を巡り意見が対立。討ち入りは江戸の治安を大いに乱す行為であり、幕府への反逆者・罪人として打ち首にすべきだ。主君の敵討ちとは武士の鑑で、しかも武士らしく正々堂々と戦った。それを罰するなどいかがなものかなど。
・幕府は内蔵助たちをさらに詳しく取り調べた。このときの受け答えにも山本教授は注目している。夜討ちのとき松明を持参したかの問いに対し持参しなかったと言い、さらに屋敷を出る前に全ての火の元に水をかけ、ろうそくは1か所の集めて水をかけ、火事が起きぬようにして出たと言った。「命がけの討ち入りの最中でも火の用心を怠らなかった」そう内蔵助は語っている。

江戸は火事が多い。火を出すとどこまで類焼するか分からない。討ち入ったとはいえ、そこで火事を起こすのは大変な不名誉(山本教授)

・内蔵助と話したある大名は幕府にこう報告している。

彼らは罪人ではない。立派な武士である(「御預人始末記」より)

・討ち入りからおよそ2か月。内蔵助たちの処分が決まった。元禄16年2月4日、切腹の日。このとき内蔵助が口にした言葉が武士としての究極の姿だと山本教授は指摘する。

さてさて 有り難きこと(「御預人始末記」より)

・「切腹という武士らしい最期を迎えられ、本当にありがたいことだ」。

幕府は本来認められないが、討ち入りを「忠義」ととらえ、切腹という武士としての行動を認める処分を与えた。大石たちとしては大成功だった(山本教授)

・自らの生き方を貫く。300年の時を超えて「忠臣蔵」が今なお人々に語り継がれる秘密かもしれない。

・東京・三田にあるイタリア大使館。「忠臣蔵」の知られざるベストプレイスだ。かつてここは討ち入り後の赤穂浪士を預かった大名の屋敷だった。イタリア大使のドメニコ・ジョルジ氏も「忠臣蔵」の大ファン。建物は大使館に変わったが、庭は当時のまま。日本の歴史の重要な1ページとして大切に保存されてきた。

ここで10人の侍が切腹をしました(ジョルジ大使)

・去年、ジョルジ大使たっての希望で赤穂・大石神社の宮司が招かれ、赤穂浪士の慰霊祭が執り行われた。

日本人が忠義を大変重んじているということは、世界でもとてもよく知られています。私自身、とても感動しました。日本の歴史、日本の文化の象徴であるこの場所に我が国イタリアの大使館が建っている。それは大変名誉なことであると考えています(同上)
(大使なら内蔵助を部下にしたい?上司にしたい?)
非常に難しい質問ですが、やはり部下にしたいですね。もし部下なら、私に何かあってもきっと忠実に務めを果たしてくれると思いますから(同上)

・今年もあと5日で討ち入りの日がやって来る。今年もたくさんの人たちが「忠臣蔵」に思いを馳せるのだろう。

(2016/12/14視聴・2016/12/14記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

知識ゼロからの忠臣蔵入門

これが本当の「忠臣蔵」 (小学館101新書―江戸検新書)

忠臣蔵 [DVD]

歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック

歴史秘話ヒストリア オリジナルサウンドトラック2

歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック3

※関連ページ
戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔
決着!80日間世界一周
挑戦!80日間世界一周
すしに恋して
日本人なのに通じナイ!? 明治標準語ことはじめ
京都 まぼろし大仏の旅
妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子
秀吉 天下人のマネー術
ザ・ヤング始皇帝 少年が乗り越えた3つの試練
1970 熱いぜ!祭りだ!万博だ!
女王はいずこに眠る クレオパトラの墓の謎
そうだ!天空の城へ行こう
コーフン!古墳のミステリー
新選組 ボクたちの友情と青春
熊本城 400年の愛
京都で旅する地獄と極楽
奈良 ここにシカない奇跡
愛と悲しみの大奥物語
あしたは動物園に行こう
日本でいちばん怖いパパ 信長
あなたが選ぶ○○な人~歴史上の人物ベスト5~
二・二六事件 奇跡の脱出劇
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
ワシはコレで天下をとりました。~徳川家康の読書愛~
偉大なる父・信玄よ!~若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩~
人生 なんてったってサプライズ~天才発明家 からくり儀右衛門~
新常識!歴史NEWS~目からウロコの大発見 2015-2016~
戦のない世を目指して~戦国スーパードクター曲直瀬道三~
徹底解明!これが“真田丸”だ
あの名言にはウラがある!?~ヒストリア書房の迷える人々~
転職忍者ハットリ君の冒険
お菓子が戦地にやってきた~海軍のアイドル・給糧艦「間宮」~
天才か?ドラ息子か?~風神雷神図に挑んだ尾形光琳~
あなたはボクの女神様!~文豪・谷崎潤一郎と女たち~
出雲 縁結びの旅へ!~いにしえの神話の里 物語~
すごいぞ!国宝 松江城
聖なるキツネと神秘の鳥居~伏見稲荷大社の不思議な世界~
満州のプリンセス愛の往復書簡~夫婦の心をつないだ55通~
きっと会える!大好きな人に~渋谷とハチ公 真実の物語~
信長の楽園へようこそ~3つの城のサプライズ~
愛と信念は海を越えて~鑑真と弟子たち7000kmの旅路~
“逃げの小五郎”と呼ばれて~長州のヒーロー・木戸孝允の青春~
やっぱり妻にはかないません!~初代総理大臣・伊藤博文の妻梅子~
天皇のそばにいた男~鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相~
もうひとつの終戦~日本を愛した外交官グルーの闘い~
鳥だ トカゲだ いや恐竜だ!~恐竜を“発見”した男たち~
あなたのココロを一刀両断~日本刀ものがたり~
漱石先生と妻と猫~「吾輩は猫である」誕生秘話~
北の大地に夢を追え~“北海道”誕生の秘密~
あなたの知らない信長の素顔~英雄を記録した男 太田牛一の生涯~
古代日本 愛のチカラ~よみがえる持統天皇の都~
オレは即身仏になる!~“ミイラ仏”の不思議な世界~
師匠、オレは戦国大名になる!“やられ役”今川義元の真実
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
高野山1200年へのいざない ~平安のスーパースター・空海の物語~
幻の巨大潜水艦 伊400~日本海軍極秘プロジェクトの真実

【ETV特集】15歳 私たちが見つけたもの~熊本地震3年3組の半年~

$
0
0

【ETV特集】
「15歳 私たちが見つけたもの~熊本地震3年3組の半年~」

(Eテレ・2016/12/10放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 熊本地震から約半年。被害の大きかった益城町にある中学校の生徒たちを追ったドキュメント。幸いなことに東日本大震災に比べて人々の生活再建のスピードは比較的早く、なおかつ中学校の生徒たちの中で犠牲者もいなかった。

 でも地震によって生活や学業に影響はあったことは確かであって、それを思春期である子どもたちが受け止めて乗り越えていこうとしていく。それをつぶさに映し出したドキュメントとして非常に興味深く視聴しました。

 率直な感想として部活動の最後の夏の大会、体育大会や合唱コンクールなど皆が熱く本気でいる姿を見て、ちょっと安心しました。「今時の中学生」と一括りにしてはいけないのですが、何かと白け気味になっている子たちが多いのではないかと邪推していたのとは裏腹に、私の中学時代と変わらないものを感じたからです。

 その一方で今、社会問題となっている福島の被災地から避難してきた子どもに対する数多くの犯罪行為はどうなのかと思います。私は「いじめ」という甘い言葉は使いません。暴行・傷害・恐喝・脅迫等々、成人であれば刑事犯として処罰される行為が学校現場で横行し、震災や原発事故の被害者が二次被害を受けている。これは由々しき人権侵害の大問題であって、時の為政者がもっと重要視して国民に向けてメッセージを発せなければならないと考えています。それすらしないことは、政治が福島からの避難者をあまりに軽視しているということであり、そうした大人の振る舞いがガキどもに見透かされているのではないかと思えるのです。

 番組の感想と直接関係ない話になってしまいましたが、熊本地震では今のところこうした謂れなき差別・偏見にさらされて人権侵害を受ける事態にはなっていないのが幸いなことだと思います。“福島の子どもたち”を守ってほしい。これはこんなニュースが無くなるまで声を大にして言い続けていきたいと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・熊本県益城町。2016年4月、震度7の地震が2度この町を襲った。死者27人、家屋5755棟が全半壊した(11月8日現在)。この“震源のまち”で生きる中学生たちがいる。

<幼少期からピアノを学んできた女子生徒>
・益城町立木山中学校3年3組、原田もえさん(14)。

もえ:私は益城町で生まれて、それからずっとこの町で暮らしてきました。ピアノを習い始めたのは5歳くらいのときです。あんまり覚えていませんが、お母さんに「クラシックバレエとピアノどっちがいい?」と聞かれて、私は「ピアノがいい」と言ったそうです。

ピアノは家の真ん中に置いてありました。おじいちゃんの時からの古い家で、音が響いて大変でした。正直、練習が嫌な時もあったけど、横で聴いていたお母さんとかに「上手になったね」と言われるのが、なんか嬉しかったです。

地震があってから環境とかもちょっと変わったし、一人になると不安なときもあるけど、ピアノを弾いているときは安心できる(もえさん)


・一時的にマンションを借りて暮らしている。

もえ:地震が起きたとき家が激しく揺れて、電気が全部消えて、私は怖くておばあちゃんにしがみつきました。家族は全員無事でしたが、10日間は車の中で寝ました。

ピアノはボランティアの人たちが家から出して、横の小屋に運んでくれました。将来、音楽の道に進みたいと思い始めた頃だったので、ほっとしました。

自分も時々(ピアノを)弾いたりして、娘も小さいときから一緒に弾いていたから。すごい大事というか、あって当たり前のものだったんですけど。いざ大きな地震があって弾けないときに、娘は「私、ピアノはもういいよ」って言ったんですよね、一時期は。「地震が来たけん、しかたがない」って言ってはいたんですけど。いっとき時間がたったら「やっぱりピアノが弾きたい」って言ったんですよね(母・加代子さん)

地震があってからピアノを弾く時間がなくて、ずっと弾きたかったし。いつ何が起こるかも分からないから、できるときに精一杯やっとかなきゃなと思う(もえさん)

・地震から1か月。もえさんが通う木山中学校は校舎が使えないことに。近くの小学校を間借りして学校生活が再開。全校生徒268人は無事だった。もえさんのクラス「3年3組」。

ピアノどうしているの?(同級生)

前の家のね、横にね小さい家があるとたい。そこに入れて(もえさん)

いいなあ(同級生)

今、弾けてない?(もえさん)

弾けてないの、全然(同級生)

・同級生が当時のことを振り返る。

自宅でお風呂に入っているときに(地震に)あいました。ドンってしたんで何かなと思って、そしたら急に揺れ始めたんで、水の中にいたんですけど、慌てて飛び出して服を着て、急いでそのまま外に出ました。もしかしたら死ぬんじゃないかなと思いました(男子生徒)

今はまだ避難所にいます。(避難所から)早く移って勉強したいです。あとお母さんの手料理が食べたい(女子生徒)


<一時避難で転校している女子生徒>
・朝の健康観察、教師が「佳蓮さんは清水中です」と言う。

佳蓮が一人いるだけで明るくなるから。明るくて、なんか天然で、いきなりはっちゃけたりするタイプ(男子生徒)

早く帰ってきて、またワイワイ騒ぎたい(女子生徒)

・熊本市立清水中学校にいる沼野佳蓮さん(15)。

佳蓮:益城町立木山中学校3年3組、沼野佳蓮。地震とのときは家で寝ていました。自分の町に地震が来るなんて考えてなかったので怖かったです。

その後、1週間車で過ごして、お母さんに「熊本市に避難することになった」と言われました。私は友達と別れたくなくて「転校は嫌だ」と何度も言いました。

・この学校で佳蓮さんに親友ができた。梶本葵さん。

地震があってから、ちょっと気持ちも下がっとったけど、葵がすごく仲良くしてくれたけん、最初に友達になれたし、いつも「次これだよ、次これだよ」って本当に優しい。おもしろい、話が合う。葵はとにかく明るいけん、もっと前より自分が明るくなったんじゃないかなと思います(佳蓮さん)

・親戚の家を間借りしていた。

喜んで楽しく通っています。でも木山にも帰りたいんだよね。「いつ帰れるの?」って聞いてくるんですけど(母・麻衣子さん)

・佳蓮さんは木山中学校バレー部、1年生からの仲間たちの写真を見せてくれた。「最後の大会は全員で出よう」と約束していた。

いろんなことがあったんですよ。ケンカもしたし、辞めようと思ったこともあったし。今までいろんなことがあって、それを乗り越えて今があるけん。日頃考えたことがないけん分からんけど、とにかく大切だから、失いたくない友達です。木山に帰りたいのもあるけど、やっぱ清水の人たちとずっと一緒におりたいけん。だけど木山に帰って木山の人たちと会うのも楽しみだし、複雑な感じです。地震がなかったらこんなことにならんかったけん、それ考えるとよく分かんない(佳蓮さん)

・佳蓮さんが転校して1か月。葵さんと2人きりになろうとしていた。「木山中学校に帰る」と告げた。

さみしいって顔したら佳蓮も、もうすぐ帰るっていう(さみしい)気持ちが強くなるし、笑顔でお別れしたいな。佳蓮には木山中にもいっぱい友達がいるから、それを思うとよかったなと思います(葵さん)

・地震から2か月。佳蓮さんが自分の部屋に戻ってきた。バレー部最後の大会、当日。県大会出場をかけた一戦。

佳蓮:私は最後の大会まで仲間全員でバレーができることを、当たり前だと思っていました。でも地震が起きて、私を入れて4人が避難で町を離れました。みんな残りたかったと思いますが、中学生の私たちにはどうしようもありませんでした。

そして私が清水中にいる間に避難していた一人が、もう戻ってこないことになりました。小学校からの友達で、私は会ってさよならを言うこともできませんでした。

・1セット目をとられた。

佳蓮:友達が戻ってこられないと聞いたとき悲しかったけど「自分は木山中に戻る」という気持ちも強くなりました。そんな気持ちを分かって、清水中の葵は笑顔で送り出してくれました。私は「地震なんてなければ」と家で何度も泣きました。

・相手のマッチポイント。バレー部の3年間が終わった。

地震の直後はもうバレーできないんじゃないかなって。佳蓮も清水に行っちゃうし、みんなそろわんけん。バレーできるかなって思ってたけど、でも今日こうやって戻ってきてくれて、みんなで戦えて本当によかったと思います。みんな楽しかったろ?みんなでやれてよかったろ?(顧問の教師?)

<女性生徒は音楽コースへの進学を考えていた>
・地震から3か月。原田もえさん、週に一度のレッスン。高校の音楽コースへの進学を考えていた。

もえ:私は家族に感謝しています。お母さんは夜遅くまで働いていて、おばあちゃんもパートに出ています。おかげで私はピアノを思う存分、弾くことができます。でも時々「自分の好きなようにしてほんとにいいのかな」と、ちょっと考えたりします。

音楽の方に進むと、いろいろな意味で親に負担をかけるんじゃないかと心配もする子なので。気をつかうんですよ、小さいころから。親が忙しくないときに病気をする子だったので。金曜の夜から熱を出して、月曜にはひいて保育園に行くような子だったので。親に迷惑をかけないようにしてきているので(母・加代子さん)

・15歳の誕生日。

もえも今から迷いながら進路を決めていかんとね(母)

もえちゃんはお母さんが一人で頑張っているけんね、お金のこととか心配すると思うけど、だけど自分の気持ちはとても大事と思うけんね(祖母?)

親としても嫌だけん。遠慮しちゃいかんときは、遠慮しちゃいかんとよ。表に出すときは出さんと。何も心配せんでいいけん、どがんでもなるけん(母)

<応援団長に立候補した男子生徒>
・地震で延期されていた体育大会の準備が始まった。みんなを引っ張る「団長」を決める。
・木山中学校3年3組、吉山昇汰くん(15)は団長に手を挙げた。意外な立候補だったらしい。
・6日後。「団長」を決めるクラス投票の結果発表。選ばれたのは空手部主将の伊藤真琴さんだった。直後の昼休み、昇汰くんは悔し泣きした。あまりの落ち込みぶりに誰も声をかけられない。

昇汰:益城町立木山中学校3年3組、吉山昇汰。この前、お母さんが僕のことを「小さいときから素直で、逆に言いたいことを我慢していないか心配」とNHKの人に話していました。自分で言うのも何ですが運動神経はいい方で、小学校からバスケをしています。でもプレッシャーに弱くて、自分から行動するタイプではありません。どちらかと言うと、いつも助けてもらう方です。

・なぜ団長に立候補したのか聞いてみた。

地域の人を勇気づけられるように、元気をあげられるように立候補…。木山中(3組)の青団を引っ張っていきたいなという思いで立候補しました(昇汰くん)

・休みの日、近所の人たちと食事会。

昇汰:地震のときは家にいました。かなり焦りましたが、とりあえず風呂にいた妹を助けに行って外に出ました。その後、近所の人たちと自然に集まりました。それから2週間ぐらい、みんなで一緒に御飯を食べました。

昇汰くんは何倍食べるか?(男性)

最近あんまり食べられんごとなりました。部活が終わってから(昇汰くん)

昇汰:僕がすごいなと思ったのは、みんな地震で大変なのに他の人のために行動していたことです。食べ物を持ってきてくれたり、火をおこしてあったかくしてくれたり。さらに僕を心配して、よく声をかけてくれました。

「心配せんでももう元気だよ」みたいな。今度は頑張っている姿を見せないとなって思います(昇汰くん)

<修復工事が終わった中学校で行われた体育大会>
・地震から5か月。修復工事が終わり、2学期は木山中校舎で始まった。早朝や放課後も使ってクラスで体育大会の練習。
・昇汰くんはクラス対抗リレーのリーダーに選ばれた。この日はリレーの練習、昇汰くんが仕切らないといけない。仕切っていたのは空手部主将の団長。昇汰くんは黙ったまま。でも足は速い。

団長がもう仕切っとったけん、言いにくかった。練習やろうとか言っても「えー」とか言われたりしたら、ちょっと嫌だったから(昇汰くん)

・体育大会まであと5日。先生に呼び出された。

リーダーになってもらったから、できるだけみんなを「練習しようね」「こういうところ頑張ろうね」ってところを出してほしいんですけど。いっぱいアドバイスしたり、リーダーが声かけしたりしていくと、より完璧な走りができるんじゃないかな。練習する予定ある?朝練にリレーを入れる予定ある?(先生)

いやでも…(朝練は)拓真が来られないから(昇汰くん)

じゃあ、朝は1人来れない。あとの時間は全員揃う(先生)

昼休みなら全員揃う(昇汰くん)

・新田拓真くん、避難先の隣町から通っていた。

(朝練の参加は)難しい。この環境なんで。たまに「朝やった通り」みたいなことを言われるので「えー」みたいになっちゃうことがあります(拓真くん)

・翌日、昇汰くんが拓真くんにパトンパスを教えていた。15歩後ろに線を引くのがポイントらしい。

(線を)踏んだと思ったら、振り返って行こう(昇汰くん)

・昇汰くん流“勝利への秘策”。みんなやり始めた。

自分的にはうれしいというか、そういうのを教えてもらうと、たまに分からないことがあるので。そういうのを聞くと、ああよかったみたいな(拓真くん)

昇汰くんは最初、団長になりたかったんです。一番みんなのことを考えてやってます。みんな感じてると思います。じゃないと素直にやりませんよ。みんなやってますもん(男子生徒)

・木山中学校体育大会。

昇汰:僕には忘れられない思い出があります。地震の数日後、友達からボランティアの足りない避難所があると聞きました。僕はそこに行って、5日間くらい友達と水やお弁当を配りました。みんな笑顔で「ありがとう」と言ってくれて、とてもやりがいを感じました。

・クラス対抗リレーが始まった。アンカーは昇汰くん。トップで回ってきた。バトンを受け取り先頭でゴールイン。応援歌を歌いながら昇汰くんは、また泣いていた。

<合唱コンクール そして町の広報に掲載された写真>
・原田もえさんの自宅。解体作業が進められていた。

積み上げていくのは大変だけど、崩すのは簡単というか(祖母・美智子さん)

・合唱コンクールの練習が始まった。

もえ:当たり前だったものが一瞬で壊れるのを見ると、ただ呆然としてしまいます。私には不器用なところがあって、いろんなことが一気にやって来ると、どうしていいか分からなくなります。ピアノにも打ち込めない時期がありました。「自分は何のためにピアノを弾くのか」と考えてみたこともありますが、答えは見つかりません。

・ピアノの伴奏がうまくいかないもえさん。全体練習が終わった直後、みんながもえさんと練習を始めた。

みんなが声をかけてくれたり、自分のことだけじゃなくて気づかってくれるというか、優しいなとか、このクラスでよかったなと思う。このクラスのみんなのためっていうか、一つになれるように弾きたい(もえさん)

・合唱コンクール当日。

もえ:私の町で地震が起きて半年が経ちました。最近は友達とも地震の話は殆どしません。みんないろいろなことで悩んでいるようです。私も将来どうするのかは分かりません。でも、ピアノも勉強もただ悔いのないようにしていきたいと思います。

・最後に3年生全員による合唱が行われた。

「未来へ」作詞・作曲ナオト・インティライミ

・合唱コンクールの翌日。もえさんは自宅で再びピアノを弾いた。

・ある生徒に事件!?が起きていた。昇汰くんのリレーしている姿が町の広報誌の表紙を飾った

こんな町中に広がるようなことになるとは思ってなかった。最初聞いたときはびっくりしました。いや、まあ…恥ずかしいっちゃ恥ずかしい。でもまあ、うれしいかな(昇汰くん)

・地震で途絶えていた広報誌。これが復刊の第1号となった。

(2016/12/13視聴・2016/12/13記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※関連ページ(ETV特集)
漱石が見つめた近代~没後100年 姜尚中がゆく~
路地の声 父の声~中上健次を探して~
わたしのCasa(家)~“日系異邦人”団地物語~
日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~
香港は誰のものか
事態を侮らず過度に恐れず~“福島プロジェクト”の挑戦~
アンコール つかさ18歳 人生を取り戻したい~被虐待児2年間の記録~
原発に一番近い病院 ある老医師の2000日
私たちは買われた~少女たちの企画展~(追記)
私たちは買われた~少女たちの企画展~
ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実~
アンコール 忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦“満州難民”を描く
武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~
関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか
アンコール むのたけじ 100歳の不屈
アンコール 名前を失くした父~人間爆弾“桜花”発案者の素顔~
54枚の写真~長崎・被爆者を訪ねて~
アンコール 水俣病 魂の声を聞く~公式確認から60年~」
母と子 あの日から~森永ヒ素ミルク中毒事件60年~
“書きかえられた”沖縄戦~国家と戦死者・知られざる記録~

【明日へ―つなげよう―】復興サポート 福島・浜通り かあちゃんたちの集い

$
0
0

【明日へ―つなげよう―】
「復興サポート 福島・浜通り かあちゃんたちの集い」

(NHK総合・2016/12/11放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 東京電力福島第一原発事故によって避難生活を余儀なくされている人々がふるさと再生を願って、様々な伝統料や文化を守ろうと奮闘している姿がよく見える内容、しかもそれぞれ困難も抱えている中でそれをどう打開していくか皆で考えていく様子も感動しました。

 復興サポーターの方の助言などもあるので私は多くを触れませんが、やはりこうした取り組みは「一人の頑張り」が周りを引っ張っていくというのが特徴としてあると思います。3組の団体いずれも核となるリーダーがいて、その人の頑張りが目立つのです。

 実際、私が被災地を何度か訪れたとき、仮設住宅で全国に向けて小物を作っているグループの皆さんとお話をさせていただいたことがあります。そのときもパワフルなリーダーの方がいて、その方ががむしゃらに動いているといった印象がありました。

 ですから今後安定的に取り組みを進めていくためには、そうしたリーダーの奮闘と合わせて、それぞれの分野の得意を生かした人たちを寄せて合議体をつくっていく必要があるのではないかなと思いました。それはちょうど今、朝ドラで放送されている子ども服のメーカーもそうだったでしょう。核となるリーダーのもとに“ママ友”たちが起業して、それぞれが役割分担していく。一つ前の雑誌づくりのドラマも同じような姿でしたね。

 ちょっと番組内容と離れてしまいましたが、福島の「凍み餅」。高校生の斬新なアイデアでスイーツづくりが進められているようです。それに加えて、例えば美肌効果もある食品だったとしたら健康志向の媒体を活用するとか、或いはアニメーション作品やドラマの主人公に食べさせる。そんな展開を進めていったら葛尾村が「聖地巡礼」のファンが多数押し寄せて「凍み餅」が爆発的に売れる…かも。そんな形でも福島をポジティブに盛り上げていくことが必要だと思います。

 合わせてこれは何度も繰り返し言い続けたいですが、今なお避難生活を送っている人たちは100%被害者であって、そうした人たちを虐げるような振る舞いは大人だろうが子どもであろうが絶対に許されない。昨今クローズアップされている避難者への犯罪(暴行、傷害、窃盗、恐喝、脅迫)は全て「いじめ」などという言葉で片付けずに刑事・民事で立件し、社会的制裁も受けるべき行為です。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・空の玄関口・羽田空港。「日本らしさ」をテーマにしたお店に並べられているのは、着物の生地を使ったお土産。衣類からポーチ、手提げや小物まで観光客に人気だ。
・こうした商品を作っているのは福島市の仮設住宅(松川第一仮設住宅)で暮らす女性たちだ。原発事故の影響で全村避難が続く飯舘村、ふるさとを離れ暮らしている女性たちが一つ一つ手作りしている。

針仕事で元気つけて、それで一つの輪になって(女性)

・東京電力福島第一原子力発電所の事故で避難を余儀なくされた福島の人たち。震災から5年9か月が経った今も、多くの地域で居住や通行が制限され、8万4000人以上が避難生活を送っている(2016年12月5日現在)。
・来年3月、飯舘村・浪江町の一部で避難指示区域が解除される予定。しかし除染の問題や廃炉など大きな課題も残されている。いつになれば安心してふるさとで暮らせるのか、見通しは立っていない。
・こうした中、避難生活を続けながらも自分たちの力でふるさとの伝統料理や文化を守ろうと活動を続けてきたのが、福島の“かあちゃん”たちのグループ。
・その多くは、もともと地元の農家。原発事故によって田や畑、山や川の恵み、仕事や生きがいを一度に失った。

夜ふとんに入るときは浪江のことを思い出しちゃって、浪江に戻りたいという気持ちがありまして(女性)

・しかし、かあちゃんたちはへこたれなかった。涙を拭いて立ち上がり、自分たちで出来ることを探しながら思い思いのグループを作り、困難な状況を乗り越えようとしている。

少しずつ積み上げていきたい。ゼロからの出発です(女性)

・11月末、そうした女性たちのグループが福島市に集まった。今それぞれのグループが抱えている課題を出し合い解決策を考えるとともに、ふるさとの未来について話し合った。
・会場には避難生活を送る女性たちのほか、自治体の職員、東京にある福島県のアンテナショップの職員、そして地元の高校生や大学生も参加した。番組ナビゲーターはNHKの後藤千恵氏。
・最初に福島で活動している3つの女性のグループを紹介した。石井農園(浪江町から福島市に避難)、ふるさとのおふくろフーズ(葛尾村から三春町に避難)、いいたてカーネーションの会(飯舘村から福島市に避難)。

<復興サポーターは水俣の再生に取り組んできた元市職員>
・今回の復興サポーターは熊本県水俣の再生に取り組んできた地元学ネットワーク主宰の吉本哲郎氏。長く公害病の水俣病に向き合い、苦難の道を歩み続けている熊本県水俣市。ここでは90年代から環境を旗印にした地域づくりが進められてきた。全国に先駆けて農薬を使わないみかん作りや紅茶の栽培など安心・安全に配慮した特産品づくりを続けてきた。市の職員だった吉本氏はその先頭に立ってきた一人。

水俣の話をすると「ないものねだりより、あるもの探し」。この「あるもの」を探して磨いて、元気をつけていこうというようなことをやってきましたので、そういう大切さというものを知ってもらえればなと思っています(吉本氏)

<福島市で野菜づくり、浪江町産のエゴマ油づくりを進めるグループ>
・この日、福島県須賀川市で復興支援のための青空市場が開かれていた。石井絹江さん(64)は福島第一原発の事故でふるさとの浪江町から避難し、現在は福島市で暮らしている。販売しているのは避難先で育てた野菜や果物、そして手作りのジャムなど。

皆さんに食べてもらって「おいしかった」と言われると嬉しい(石井さん)

・石井さんは去年、避難先の福島市に食品の加工場を建てた。彼女とともに活動するのは、避難先で出会い仲良くなった女性たち3人。この日もふるさとの食材を使って新商品はできないかと、試食会が開かれていた。
・石井さんは今も時々、ふるさと浪江町の自宅に戻っている。自宅のある赤宇木地区は放射線量が高く帰還困難区域に指定され、許可がなければ入ることはできない。
・震災前までここで両親や夫、息子の家族とともに暮らしていた。住んでいないとイノシシやイタチなどによって荒らされてしまう。

ここの木の陰が私の家庭菜園なんだけど、いろいろ宝の畑。大根、白菜、ナス、ネギ、キュウリ、ニンニク、全部ここで食べる野菜を四季折々に作っていたのがここの畑。本当にここはふるさと。これからもここに来れなくても、一時帰宅で来たい所なんです。ここがあるからこそ福島でも頑張れる(石井さん)

・浪江町は今も全町避難が続き、2万1000人の町民全てが避難を余儀なくされている。石井さんは震災前まで3世代8人で暮らしていた。しかし仕事や学校の都合で今は長男の家族と別れ、夫と2人で暮らしている。
・震災後ふさぎ込んでいた石井さんの転機は、自分と同じように避難生活を送る女性たちのグループに出会ったことだった。彼女はメンバーとともに畑を借りて、自分たちの作った野菜を売る活動を始めた。お客さんの笑顔を見るうちに、石井さんも元気を取り戻していった。
・石井さんは一昨年、福島市に1ヘクタールの農地を購入。野菜を育て、加工・販売まで自分たちでしている。そして全ての商品について放射能検査を行っている。
・さらに石井さんは今年、新たな試みを始めた。浪江町にある約20アールの畑。町役場から依頼され、浪江特産のエゴマの実証栽培に取り組んでいる。
・この日、震災後初めて浪江で収穫したエゴマから油を搾った。エゴマは古くから浪江町で作られてきた。食べると10年長生きするという言い伝えから「じゅうねん」と呼ばれ、餅などにからめて食べていた。搾った油から放射能は検出されなかった。
・石井さんはエゴマ油を浪江町の未来を担う特産品にしたいと願っている。この日は町役場で、3年後に完成予定の道の駅についての意見交換会が開かれた。彼女はエゴマ油を道の駅の主力商品にしたいと提案した。

搾油したばかりのホヤホヤの浪江町で作付けした油なんですね。ちょっと味をみていただきたいなと(石井さん)

・最近、健康にいい油として人気の高いエゴマ油。前向きな意見が相次いだ。

こういう商品や農作物が浪江の地でも徐々にできてくると、道の駅の商品に育っていくんじゃないか。大変すばらしいニュースをありがとうございます(町職員)

・会場で石井さんが発言した。

後藤:福島に避難してこられて新しい活動を始められるという。どこからその力が湧いてきているのでしょうか?

一人では考えると涙が出ちゃうんですね。私も浪江にいるときエゴマを作り始まったというのは、エゴマを作ったら搾油して油にしてみんなで健康になろうねって始まったのがエゴマだったので、やはり福島の地でもそれはなくしたくないと思って頑張ってます(石井さん)

後藤:今日は浪江の役場の方も来て下さっています。

私たちが浪江に戻ったときに今やっていただいている商品が非常に地域活性化、売り出すときの核になりますし、行政としても全面的にバックアップできればなと思ったところでございます(浪江町の本間茂行副町長)

後藤:吉本さん、皆さんのこの取り組みどのように?

石井さん、本当に頑張ってこられましたね。「味がふるさと」「仲間・友達がふるさと」だと。そんなことを思いました(吉本氏)

本当にね浪江には帰りたいんですね。でも帰れないってなったら余計に帰りたくなる。みんなもそうだと思うんですけど、でも福島でも仲間がたくさんいますので、その人たちと全国に散らばった仲間ともいろんな情報交換しながら、これからも考えていきたいですね(石井さん)

<「凍み餅」で葛尾村を元気にしたい>
・福島の阿武隈山地の山あいに位置する葛尾村。原発事故による避難指示は大部分で解除されたが、今住んでいる人は72人(震災前1567人)。震災前の約20分の1。
・先月、村で地鎮祭が行われていた。村の特産品だった「凍み餅」の加工場を再建することになった。加工場の経営者の松本富子さん(80)は凍み餅を復活させることで、村の復興を支えたいと考えている。

待ってました、この日を(松本さん)

・葛尾で生まれ育った松本さん。子育てが終わった53歳のとき、地元農家の女性たちと「ふるさとのおふくろフーズ」を設立。葛尾の郷土料理の生産・販売を始めた。
・特に力を入れていたのが凍み餅。冬に地元で「ごんぼっ葉」と呼ばれる菜っぱなどを餅を混ぜ、軒先に干し凍らせて作る保存食。食べるときは水で戻して焼き、きなこをつけたり海苔を巻いたりする。
・凍み餅の発祥は江戸時代と伝えられている。飢饉のときには、あわやひえを混ぜ人々は米のない冬に命をつないだという。
・しかし戦後、作るのに手間がかかることから次第に凍み餅は村の軒先から姿を消していった。

飽食の時代でしたから、パンとか牛乳の方が農作業する人も喜んで、だんだん食べないものを作りたくないということで作らなくなった(同上)

・凍み餅が村の軒先から消えた頃、村自体も元気をなくしていった。高齢化が進み子どもの数が減っていった。
・松本さんは凍み餅を村おこしの起爆剤にできないかと考えた。1990年、地元のかあちゃん仲間に声をかけ「ふるさとのおふくろフーズ」を設立。凍み餅を復活させようと、自宅の横に加工場を建設した。
・初めは村の家庭の味をお金にかえることに反発する人もいたが「このままでは消えてしまう。本物の味を残したい」と松本さんは頑張った。誰もが納得する味を求めて試行錯誤を繰り返し、3年がかりで商品を完成させた。

冬、母たちは一生懸命これを作りましたから。いつの間にか、かあちゃんの味になってた(同上)

・凍み餅の販売を始めると昔ながらの味が人気となり、全国のスーパーにも進出。2010年、売上は年間1000万円に達した。
・ところが翌年3月、原発事故が起きてしまった。おふくろフーズは解散。加工場は取り壊すことになった。村を去る日、松本さんはお別れに加工場を訪れた。

遠くに避難するのに(冷凍庫の)電源を切ってしまった。そして全部腐ってしまった。廃棄するのが一番つらかったです(同上)

・現在は福島県三春町の復興住宅で娘夫婦などと4世代10人で暮らす松本さん。休日には葛尾村の自宅に通っている。村は今年6月、一部を除いて避難指示区域が解除され、住むことが可能になった。
・来年2月には、かつてと同じ場所に加工場を再建する予定。松本さんを支えるのは長女・智恵子さん、三女・裕子さんなど娘2人と孫の妻・敦子さん。

早く作りたいです。前のように少しずつ積み上げていきたい。ゼロからの出発です(同上)

・娘の智恵子さんは今、凍み餅づくりに欠かせないごんぼっ葉を作ってほしいと近所の人たちに声をかけている。この農家は村に帰ってすぐにごんぼっ葉を育て始めていた。

これなければ凍み餅できない(農家の女性)

・葛尾村の凍み餅、復活の日が近づいている。

後藤:本当にこの凍み餅を再び復活させたいという強い思いが伝わってきました。

初めから絶対再開すると思っていました。あの凍み餅を食べて命をつないだと言われています。私も宝だと思っています。だから絶対なくしたくない(松本さん)

線量検査を受けて、それで皆さんに食べていただくという。それはもう怠らないで、ずっと続けていきたいなとは思っています(三女・裕子さん)

後藤:今日は葛尾村役場の太田さんにも来ていただいています。

それこそごんぼっ葉ですとか、もち米の生産者を募るですとか、それからマーケティングのお手伝い。いろいろできることはあるかと思いますので、役場としても全力でバックアップしていきたいと思います(葛尾村役場の太田順一郎さん)

後藤:今日はふるさとのおふくろフーズの皆さんが震災の年に作った凍み餅を持ってきて下さいました。

やっぱり美味しかったですね。私、初めて食べました。びっくりしました。ここは家族力ですね。うわーっと思いました。羨ましいですね。「家庭料理がその地域の底力」だと思うんです。女の人が嫁いだ先で、母親の味を受け継ぎながらも自分の味を外から持ち込んで工夫しながら作っていった歴史だと思うんですよ。富子さんもかあちゃんの味になったって泣いてましたけども、あれは自分の味も入れて復元してましたね。すごかったね(吉本氏)

<“までい着”を復興のシンボルに 飯舘村>
・福島市にある仮設住宅(松川第一仮設住宅)。談話室に集まっているのは飯舘村から避難している女性たち20人。「いいたてカーネーションの会」では、古い着物を再利用して様々なものを作っている。
・飯舘村伝統の女性用の作業着「までい着」。「までい」とは方言で「丁寧に・物を大切にする」という意味。他にも帽子やかばん、小銭入れなどを作っている。
・仮設住宅で作られた商品は、東京・池袋の化粧品店でも販売されている。今年9月から福島支援の一環として風呂敷の販売が始まった。

若い方も福島の話を聞いて、使ってみようかな買ってみようかなという方がいたりもします(店員)

・飯舘村には現在も全域に避難指示が出され、住むことができない。メンバーたちは福島市から1時間かけて定期的に村にある倉庫に通っている。ここに保管されているのは、までい着に使われる着物。震災後、全国から寄付されたものだ。
・どの着物をどんな商品にするか、みんなで話し合って決める。グループのリーダー佐野ハツノさん(68)は、までい着を全国に販売し復興のシンボルに育てたいと願っている。

どれほどの温かい心で支援していただいているか、私たちは感謝するばかりですよ。絶対使い切るまで私たちは続けなきゃなんないよね(佐野さん)

・佐野さんは若い頃から村づくりのリーダーだった。飯舘村で生まれ育ち、22歳で結婚した彼女。2人の息子を育てながら米や野菜、牛の世話などをする忙しい毎日だった。
・そんな佐野さんの日常を大きく変える出来事が起こった。村が企画した農家に嫁いだ女性が対象のヨーロッパ研修旅行「若妻の翼」(1989年)。彼女は研究先のドイツで、女性たちが単なる働き手ではなく自ら考え主体的に農業に取り組む姿に衝撃を受けたという。

人間って主体的な生活をしないといけないと気づいたのね。豊かな暮らしというのは、自分の頭と体で考えて行動しないとそういう暮らしにならないと気づいたの。じゃあここから私の人生を変えていこう、少しずつ少しずつ変わっていって(同上)

・帰国後、佐野さんはすぐに行動を開始した。葉たばこの栽培については任せてほしいと夫に提案、生産規模の拡大に乗り出した。さらに野菜の無農薬栽培も始めた。そして飯舘村初の農業委員会会長にも就任した。女性の会長は全国的にもまだ珍しい時代だった。

自分たちの動きが、地域を少しずつ変えていけるんだなと。自分の思うようにできると思って面白みが出てきて(同上)

・有機農業が盛んで、女性が元気に活躍していた飯舘村。そこに原発事故が起きた。佐野さんは震災の年の7月、夫と母の3人で現在の仮設住宅に入居した。仮設には一人暮らしの高齢者が多く、家と田畑を奪われ途方に暮れていた。
・その頃、佐野さんが出会った80代の一人暮らしの女性。震災前は飯舘村のリーダー的な存在だった。しかし避難生活の中で部屋に閉じこもりがちになり、心を閉ざしていた。

行ってみたら「死にたい」って言ってたんですよ。なんとかこの方を部屋から出てもらって、みんなで一緒に周りの人たちとやってもらったら元気になれるんじゃないかな(同上)

・そのとき女性が着ていた服に目が留まった。古い着物を自分の手で作り直したものだった。

そのとき私思ったの。そういえば実家の親も、私が小さい頃そうやっって着物を直してね、半分から上の着物と下はモンペにして着てたなって。ああ、そうかと思ったの。「これを教えてくれない?」って(同上)

・佐野さんはその女性を先生として裁縫教室を開いた。すると女性たちが「私もやりたい」と次々に集まってきた。仲間と一緒に作業をする中で、参加者たちは元気を取り戻していった。
・しかし震災から5年経った今、新たな課題が持ち上がっている。佐野さん自身が体を壊してしまった。実はがんを患い転移までしていた。また来年3月には飯舘村は一部を除き避難指示区域が解除され、自宅に帰れる見通し。村に戻ると仮設住宅のようにいつも気軽に集まれる場所はない。佐野さんたちは様々な課題を抱えている。

みんなで一つの輪になって、飯舘村に行っても続けていこうって。こういうふうな気持ちでみんなが頑張れば、いくら大変でも苦難の道はみんなで拓かれると思うの(同上)

後藤:こちらがまでい着なんですね。素敵ですね。

とても柔らかくてあったかいんです。ただここにきて一つぶつかりました問題。まあ、直腸がんで自分の体がどこまでもつか、ちょっと焦りもあります。自分ががんにさえならなかったら、絶対に私はみんなを引っ張っていく自信はありました。でも今、みんなに仲間の人たちに頼るしかないっていうところがすごく悲しいです(佐野さん)

飯舘に戻っても、やっぱりずっと続けてはいきたいです。なんとか代表を助けてね、ずっとやっていきたいという気持ちは今も変わりないです(メンバーの木幡さん)

後藤:福島県の方も来ていただいてますけども。

本当に佐野さんの行動力というか、そういうのにすごく感銘を受けました。どう継続していこう、私ども県としましても一緒になって考えていきたいと思います(福島県相双地方振興局の高橋英子主幹)

こうして私を信頼して私を慕ってくれて、みんなでやっていこうっていう仲間。その人たちがいるっていうことは絶対私もこのままで死ねないっていう。もう踏ん張ってと思って。まあ頑張る(佐野さん)

<復興サポーターの発言>
今回登場した女の人たちが頑張った訳を知りたい。分かったことがあります。お嫁入りしてここに生きる、ここで生きると腹を決めて、畑や田んぼとか山などの土地に働きかけてですね、それが自分の存在を表すところになっていたという。だからこれは「大地・土地がアイデンティティー」でしたね。サラリーマンとは違いますね。

今度の震災でそんなふるさとを失ってしまったということです。でもこれからどうするんだろう、私は思います。頑張りすぎるほど頑張ってきた女の人たちがいます。時には力を抜いて気晴らしをして、笑いを友達にして元気でと思うんです。特に言いたいのは、泣きたいときは思い切り泣いていい。我慢したらなおいけないぞ、そんなことを考えました。頑張りすぎるかあちゃんたちへの応援です(吉本氏)


<畜産で頑張る福島のかあちゃんたち>
・“畜産”で頑張る福島のかあちゃんたちもいる。福島・泉崎村の木目澤久實子さん。畜産農家の女性およそ100人が集まる“マザーズクラブ e-EN”のリーダー。福島産のイメージを変えようと検査を重ね、品質にこだわっている。
・マザーズクラブは震災後、福島産牛乳・牛肉だけで加工品作りに着手。新商品“マザーズシチュー”には復興への熱い思いが込められている。

福島の畜産 かあちゃんパワーで頑張るぞ!

<グループ議論と発表>
・会場ではグループごとに分かれ、かあちゃんたち、役場、高校生などそれぞれの立場でこれから何ができるか話し合った。
・B班の発表。まず自分たちの作っているものを、おいしいものを作っているということで、とにかく「自信を持っていこう」ということ。
・農村地域が元気になるためには地域の源にかあちゃんたちになってもらいたい。まちづくりの担い手に若い方になってもらいたい。若い方たちはSNSなどの発信が上手なので、福島のことを広めてもらう。
・首都圏の販売に行ったときの宿泊施設を整備してほしいということがお願いしたいことになる。
・A班の発表。キャッチコピーは「までいに紡ぐ凍み文化」。高校生は地域と農業を知る。農作業の手伝い、収穫などができるのではないかと。凍み餅、凍み大根、自分たちが継いでいくような感じになるのではないかと思う。
・D班の発表。「復活!かあちゃんの逸品」ということで、かあちゃんたちが作るものを復活させたい。まずは地場産品の復活。凍み餅もそうだが商品のバリエーションを増やす。
・さらに商品のPRイベント。いろんなイベントに参加することによって「これはこうした方がいいんじゃないの?」という意見が出てくると思う。
・町村を越えたネットワーク。町村の垣根を越えて、こういうものを作ったらもっといいものができるんじゃないか、そういうネットワークづくりが大事なのかなと思う。

販路開拓支援とかいっぱい出てくるでしょ?もうちょっと広げて友達をつくってください。泊まるところがない。宿泊場所がない、高いとか。友達の家タダで泊まるというのはどうですか?

大事なのは垣根を越えて自分の専門を超えて、行政だ何だかんだ一緒にやった方がいいですよ。お互い知恵出して。違う人たちが集まると知恵が生まれるということを期待したいと思います(吉本氏)


後藤:最後に皆さんから感想をいただければと思います。

やはりその垣根を外してね、3町村のいい商品何かできないかなって。葛尾さんも飯舘さんも一緒にね、これからも一緒に歩みたいなって思います(石井農園の石井さん)

今日はかあちゃんの元気とやる気とパワーに触れて、行政もしっかりやんなさいよと尻をはたかれたような気がしております。私どももですね、ふるさと再生に向かってしっかり頑張んなきゃいけないなと思った一日でした(浪江町の本間副町長)

よし!カーネーション、私頑張ってずっと生きてるかぎり頑張ろうという意識で帰れます。もう爽快な気持ちで今おります(いいたてカーネーションの会の佐野さん)

凍み餅、皆さんに食べていただいて「おいしい」「懐かしい」そして涙をこぼしてくださった方がいたんですね。すごく嬉しくて、やっぱり復活させなくちゃっていう背中をさらに押されたような気がしてます(ふるさとのおふくろフーズの松本智恵子さん)

自分が次何やらないといけないのかも、こういう話し合いとかで分かったので、明日からそういうことができるんじゃないかなと思うので頑張っていきたいと思います(ふたば未来学園高校の吉田貴幸さん)


・この日、話し合いに参加していた高校生たちのもとに届いた葛尾村の松本さんからの凍み餅。ふるさとの復興をテーマにした授業で、凍み餅を使ったスイーツづくりに挑戦した。出来上がった「凍みもちパイ」。いずれは葛尾村の特産品にしたいと意気込んでいる。

もちとあんこの相性がよくて美味しい(女子生徒)

凍み餅って葛尾村で有名だよねとか、そういう話が出てきたら嬉しい(男子生徒)


・福島のかあちゃんたちの味が未来へと受け継がれていく。

(2016/12/14視聴・2016/12/14記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※関連ページ(東日本大震災関連)
証言記録 東日本大震災 宮城県仙台市~動物園の“いのち”を守る~
復興サポート みんなでつくる楽しみの場~熊本・南阿蘇村~
村長選挙 旅する投票箱
証言記録 東日本大震災 千葉県浦安市~液状化の衝撃 水と闘った1か月~
拝啓 10年後のあなたへ~震災前からの手紙 福島・飯舘村~
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
響け!未来への“鼓動”~全国太鼓フェスティバル 岩手・陸前高田~
証言記録 福島県須賀川市~放射能の不安と闘った病院~
復興サポート ボランティアの力で被災地を元気に~熊本~
復活 石巻市立病院 震災2000日 被災地医療の今
すべてが流されたこの場所から~福島・南相馬~
命を守れ津波模型~岩手から高知へ高校生たちの夏~
証言記録 東日本大震災 宮城県東松島市~二本の列車 明暗を分けた停車位置~
復興サポート 放射能汚染からの漁業再生~福島・いわき市 Part3~
3.11からの夢 よそ者の私ができること
こころフォトスペシャル 6回目の夏 大切なあなたへ
一人一人の“生きた証”を求めて~岩手県・大槌町~
証言記録 岩手県大槌町~行政機能を失った町役場~
選・きたれ!マグロ漁師 ~宮城県気仙沼市~
明けない夜はない ~福島・いわき 奇跡の横丁をゆく~
証言記録 東日本大震災 福島県南相馬市~原発事故バス避難 試練の2週間~
三十一文字の思い~生島ヒロシと“震災の短歌”~
復興サポート みんなで描く ふるさとの再生~宮城・岩沼市Part5~
そして村は動き始めた~東北から熊本へ 被災地・2か月の記録~
渡辺謙 僕に、できること 再会 6年目の希望と苦悩
証言記録 東日本大震災 ピアノよ 被災地へ届け
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
スポーツでわが町に夢を!~宮城県・女川町~
悲しみもよろこびも~認知症グループホームの5年~
きたれ!マグロ漁師 ~宮城県気仙沼市~
北のどんぶり飯物語
証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市~3000枚の命のカード~
復興サポート 放射能汚染からのふるさと再生~福島・南相馬市 Part3~
フクシマ再生 9代目・彌右衛門の挑戦
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
ひとりじゃない ボクとおばちゃんの5年間
傷む心
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
甦れ!東北の鉄路 1750日の記録(2)
甦れ!東北の鉄路 1750日の記録(1)
被災地縦断800km
こころフォトスペシャル 家族と過ごした風景
証言記録スペシャル いつか来る日のために 心の復興をめざして
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
ふるさと
復興サポートスペシャル 自分たちで描く ふるさとの未来
はじまりのごはん 3・11 写真と付箋
証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市~復興の煙をあげろ!製紙工場の挑戦~
1000の笑顔を届けて~ヘアスタイリスト 野沢道生の挑戦~
証言記録 東日本大震災 福島県浪江町~放射能と闘った消防士たち~
復興サポート 高校生が描く地域の未来~宮城・気仙沼市~
復興サポート “おらほの舞”でよみがえれ!~福島県浜通り地方~
証言記録 東日本大震災 岩手県釜石市~土葬か火葬か 安らかに送りたい~
証言記録 東日本大震災 福島県飯舘村~廃業か継続か 牛飼いの決断~
漂流ポスト…あなたへ
復興サポート 命を守るコミュニティーをつくろう~岩手・大槌町 Part2
証言記録 東日本大震災 宮城県多賀城駐屯地~自衛隊員 遠い家族~
復興サポート 今こそ若い力でボランティア!
忘れじの旅~2015・秋~
ふるさとに咲け 未来のなでしこ~福島・高校女子サッカー部の挑戦~
被災地 極上旅~福島県いわき市~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
証言記録 東日本大震災 岩手県大槌町吉里吉里~待たずに動け 自主災害対策
復興サポート“楽しい介護”で豊かな地域をつくろう~宮城・気仙沼市 Part2~
きっかけ食堂~京都から東北へ~
ふくしま 鎮魂の祀り~詩人 和合亮一の“言葉神楽”~
証言記録 東日本大震災 福島県双葉町~原発事故 翻弄された外国人~
復興サポート 村に楽しみの場をつくろう~福島・川内村 Part2~
ぼくらの描いた町の未来~震災を越えたタイムカプセル~
いつか来る日のために~証言記録スペシャル 学校で命を守る~
こころフォトスペシャル~幸せの記憶とともに~
証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市~避難所と在宅避難者のモノ語り~
ふるさとの記憶~福島県・富岡町~
母さん食堂営業中!あったかご飯で待ってるよ~福島県・南相馬市~
東日本大震災 岩手県大槌町・陸前高田市~神戸市水道局の100日間~
復興サポート 放射能汚染からの漁業再生~福島・いわき市 Part2~
真っ赤に輝け! 夏イチゴ ~IT×熟練農家 宮城山元町~
三十一文字の思い~福田こうへいと“震災の短歌”~
証言記録 東日本大震災 福島県~原発事故 想定が崩れたとき~
復興サポート・笑顔の商店街をつくりたい!~岩手県山田町~
いくぞ~!北の出会い旅~東北・宮城~
シリーズ東日本大震災 元気に老いる~生活不活発病・被災地の挑戦~
生命に何が起きているのか~阿武隈山地・科学者たちの挑戦~
海辺の街のコンテナカラオケ
証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市雄勝町~子どもたちを守れ 決死の救援要請~
ようこそ!槌音が響く丘へ~被災女将 笑顔が戻るその日まで~
復興サポート・子どもたちで祭りを創ろう~宮城・岩沼市 Part4
ボクらの夢は、終わらない ~福島・南相馬に集う若者たち~
あったかい“まち”をつくりたい~宮城・石巻市~
証言記録 東日本大震災 第40回“いのちの情報を届けろ”広報臨時号~岩手

【NHKスペシャル】ドラマ 東京裁判 第3話

$
0
0
【NHKスペシャル】
「ドラマ 東京裁判 第3話」

(NHK総合・2016/12/14放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 ドラマ「東京裁判」もいよいよ後半、被告人たちの証人尋問の部分が今回の放送では肝の部分になりました。観ていて違和感を感じる方もいたのではないでしょうか。というのも「証人たちは堂々と自分の無実を主張すればいいのではないか」と。ドラマではほんの一部分しかありませんでしたが、実際は陳述が相当チグハグになっているところもありました。

 これは特殊な事情があるのです。というのは自らの罪を否認することで天皇(昭和天皇)に対して戦争犯罪を追及させてはならないと考えていたようです。彼らは被告同士では結構対立していたのですが、この点だけは一丸となって天皇を守るという意思統一をしていたフシがあります。

 そしてこれまた歴史の一コマの話ですが、アメリカ側は昭和天皇を占領統治に最大限利用するために訴追しない方針でした。しかしいわゆる戦勝国の中ではウェッブ裁判長のオーストラリア、中国などは訴追すべきとの主張を持っていました。ただ裁判開始時には、ほぼこの問題は決着していたとも言われています。

 さてそんな感じでいよいよあと1話、判決を迎える展開となります。ドキュメントパートでパル判事が詳しく取り上げられていましたね。ネタバレになりますが、彼は「全員無罪」という個別意見書を提出します。それが後々「東京裁判史観」などという右派の論調に最大限に利用されることになるわけです。その辺りの彼の真意は侵略行為を是認するものでないと、NHKもしっかりと触れていたことは評価したいと思います。

 ちなみにエタ・ハーリッヒ=シュナイダーさんの出ている部分、殆ど私のメモでは割愛しています。それほど重要な部分に思えなかったので、ご本人には申し訳ありませんが。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・70年前、世界各地から11人の判事が集まり歴史的な裁判が開かれた。日本の戦争指導者たちの責任を問う極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判である。
・しかしその舞台裏では激しい対立が起きていた。議論となっていたのは、侵略戦争を起こしたことが犯罪だとし指導者たちの責任を問う「平和に対する罪」(侵略の罪)。
・インドのパル判事は、この法は戦争が始まったときには存在しなかったとして被告全員の無罪を主張。オランダのレーリンク判事も同調した。
・一方、今こそ戦争指導者の責任を問わねばならないと確信するイギリスのパトリック判事は、密かに母国の政府に働きかけた。
・その結果、議論をまとめられないウェッブ裁判長に帰国命令が発せられた。
・東京の判事たちの緊張は今や極限に達していた。

【ドラマ・パート】
・レーリンク判事(オランダ)は駐日オランダ代表部のウィリンク将軍から呼び出され、多数意見に同調するよう求められたが本人は自分の意志を貫くと言う。
・翌日、判事室でウェッブ裁判長から代理裁判長がマッカーサー最高司令官の指名でクレイマー判事(アメリカ)に決まったと発表。
・パトリック判事(イギリス)はクレイマー判事と会い、裁判所憲章を守り、迅速な判決を導かなければならないと言う。
・レーリング判事は竹山道雄と会う。竹山は当時の日本人の多くは戦争指導者たちを見抜けなかったし、抵抗する勇気も持てなかったと言う。
・パル判事(インド)は何日も法廷に出てこなかった。レーリング判事が訪ねると独自に判決文を作成した。レーリンクは日本の侵略を裁かなければ国際法の進歩はないと言うが、パル判事の考えは変わらなかった。
・ウェッブ判事が再来日し、再び裁判長に復帰することになった。
・1947年12月、被告の証人尋問が進んでいた。1941年に東條内閣の外務大臣となった東郷茂徳被告。アメリカとの戦争に反対し続けたが、最後は開戦を決定する閣議で賛成していた。

東郷証人、外務大臣および東條内閣の一員として、あなたが戦争に同意することを絶対に拒んでいたら、戦争が東條内閣によって合法的に始められなかったのではないですか(キーナン検事)

その問題ではいろいろな場合に私は考えたのです。私が外務大臣であるときに考えた問題であります。私が辞職してこの局面を変え得るかという問題を主として考えたわけです。しかし私が10月の末または11月のはじめにおきましては、私が辞職しても変え得ないという結論になった(東郷被告)

東郷証人、私は簡単な質問をしているのに、あなたは全く答えていません。私の質問はもしあなたが内閣にとどまった上で、アメリカとの開戦について同意することを拒否していたら、日本によって合法的に戦争が起こされることはなかったのではないかということです(キーナン検事)

私が戦争に反対しても結局戦争が起こったということになりますから、その理由をいま説明せんとしつつあったわけであります(東郷被告)

裁判長、私はここまで我慢してきたのでありますが、どうぞ証人に対して質問に直接答えるよう指示してください(キーナン検事)

では私が質問いたします。あなたは閣議でその戦争に反対することによって戦争を防止することができませんでしたか(ウェッブ裁判長)

私が反対をするとなれば閣議は成立しません。しかしその事態がどうなったかということについては、これはまた説明を要するわけであります。日本は当時、戦争か自殺かということを迫られておるという感じでありました。かくのごとき情勢において日本は自衛上、戦争することも致し方ないということの考えに一致したわけであります。私が辞職するということにおいて、日本の戦争の決意を変え得るかという問題になりますと、変え得なかった(東郷被告)

・東郷の証言について判事たちの議論が交わされていた。共同謀議に参加していたと見る向きも、また戦争に反対していたのではないかと見る判事もいた。
・裁判が終結に近づく中、東條英機被告が証人台に上がる。日本がアメリカと戦争を始めたときに首相兼陸軍大臣だった彼は参謀総長も務めた。巣鴨プリズンの独房に収監された東條は、自分自身の弁護のために長大な文書を作成した。

東條被告、私はあなたを大将とは呼びません。すでに日本に陸軍はないからです。あなたはあらゆる国民、あらゆる国には自国の政府のあり方や自ら望む生き方、その方針のあり方を他国に脅威を与えない限り決める権利があると信じていますか、または信じていましたか(キーナン検事)

もちろん私は現在でも信じています(東條被告)

では、大東亜の人々に対して生き方を押し付ける権利を誰かがあなたに与えましたか(キーナン検事)

私はどこからも得ておりません(東條被告)

あなたは1941年に日本の大軍が中国の広大な地域に駐屯しているときに、日中間の和平交渉を続けていたのではありませんか。そういう矛盾した状態で(キーナン検事)

一つも矛盾しておりませんが、当然続けました(東條被告)

あなたは内閣の一員として三国同盟に同意した当時、ヒトラーのやり方およびドイツの最近までの歴史というものについては、あまりよく知らなかったのですね(キーナン検事)

普通の人間と言いますか、常識的には知っております、もちろん(東條被告)

ドイツにおいて多数行われた血の粛清や強制収容所について三国同盟締結前、それらのことがドイツで行われていたと知っていましたか(キーナン検事)

ユダヤ民族への圧迫、これは知っておりました。しかし血の粛清やもう一つ何とか言われましたが、もちろん知りません(東條被告)

強制収容所です(キーナン検事)

それは知りません(東條被告)

ローガン弁護人(ウェッブ裁判長)

木戸被告に代わって質問します。木戸侯爵が天皇の平和への御希望に反して何か進言したという事例を一つでも覚えていますか(ローガン弁護人)

そういう事例はもちろんありません。私の知る限りにおいてはありません。のみならず、日本国の臣民が陛下の御意思に反してかれこれするということはあり得ぬことであります。いわんや日本の高官においてをや(東條被告)

あなたは今の答えがどういう意味を持つか分かっていますか(ウェッブ裁判長)

・日本人は誰も天皇に逆らって何かをなすことはないという証言。それは戦争を始めたことも天皇の意思に従ったものだったのかという疑問を引き起こした。
・裁判の速記録を読んだマッカーサー、そして判事室でも東條の証言を重視した。真珠湾攻撃の8日前に天皇が海軍大臣と軍令部総長と話している。拒否権を行使できたが行使しなかったというのだ。
・1948年1月。再び法廷で東條被告の尋問が行われた。

1941年の太平洋戦争の開戦について、あなたの立場と天皇の立場の問題について質問します。あなたは天皇が平和を愛する人だということを、前もってあなたに繰り返し伝えたと言いました。これは正しいですか(キーナン検事)

もちろん正しいです(東條被告)

さらにあなたはこう言いました。日本の臣民には天皇の命令に従わないと考える者はいないと。それも正しいですか(キーナン検事)

それは私の国民としての感情を申し上げておったのです。責任問題とは別です。天皇の御責任とは別の問題(東條被告)

しかし、あなたは実際アメリカ、イギリス、オランダと戦争をしたのではありませんか(キーナン検事)

私の内閣において戦争を決意しました(東條被告)

その戦争を行わなければならないというのは、天皇の意思でしたか(キーナン検事)

意思と反しましたかしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他、責任者の進言によってしぶしぶ御同意になったというのが事実でしょう。しかし、平和の御愛好の御精神は最後の一瞬にいたるまで陛下は御希望をもっておられました。なお戦争になってからにおいてもしかりです。その御意思の明確になっておりますのは、昭和16年12月8日の御詔勅の中に明確にその文句が付け加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって、政府の責任において入れた言葉です。それはまことにやむを得ないものなり、朕の意思にあらざるなりというふうな御意味の御言葉があります(東條被告)

・天皇の責任を明確に否定した東條被告の証言。以後、この問題が法廷で取り上げられることはなかった。

あなたは日本の首相として真珠湾攻撃により始まった戦争に関する行為について、法的に道徳的にも何ら誤ったことはしていないという立場ですか(キーナン検事)

間違ったことはないと考えます。正しいことを実行したと思います(東條被告)

・裁判が終盤を迎え、レーリンク判事は再び本国から意志を尋ねられた。彼は平和に対する罪を認め、被告たちを侵略の罪で裁くことにしたと言う。
・一方、パトリック判事たちは裁判の主導権を握るための多数派工作を進めていた。

・ウエッブ裁判長(オーストラリア)
(ジョナサン・ハイド)
・レーリンク判事(オランダ)
(マルセル・ヘンセマ)
・マグドゥガル判事(カナダ)
(スティーブン・マクハティ)
・梅判事(中国)
(デイビッド・ツェ)
・ノースクロフト判事(ニュージーランド)
(ジュリアン・ワダム)
・クレイマー判事(アメリカ)
(ティム・アハーン)
・ベルナール判事(フランス)
(セルジュ・アザナヴィシウス)
・ザリヤノフ判事(ソビエト)
(ケストューティス・ヤクスタス)
・パトリック判事(イギリス)
(ポール・フリーマン)
・パル判事(インド)
(イルファン・カーン)
・ハラリーニャ判事(フィリピン)
(ベルト・マティアス)

・マッカーサー最高司令官(マイケル・アイアンサイド)
・竹山道雄(塚本晋也)

【ドキュメント・パート】
・東京・池袋に被告たちが収監されていた巣鴨プリズンがあった。終戦後、連合国軍によって日本の軍や政府の高官たちが次々と逮捕された。彼ら指導者たちはA級戦犯容疑者と呼ばれた。ここでは将棋や読書、日記執筆で気を紛らわす日々だったという。
・裁判2年目の1947年9月、被告たちの証言(個人段階)が始まった。アルファベット順に証人台に上がる被告たち。中でも元首相・東條被告の証言は海外からも大きな注目を集めた。
・その被告たち全員の無罪を主張したインドのパル判事、東京裁判における重要人物だ。彼の出身地であるベンガル地方、その中心都市コルカタ。図書館にパル判事が書き残した反対意見書の原本が保管されている。指導者個人を裁く「平和に対する罪」は行為の後に作った法(事後法)だとして認めないと記している。
・パル判事はイギリスの植民地下にあった当時のインドでも貧しいベンガル地方の奥地の村の出身だった。親戚の仕事や子守を手伝いながら勉強を重ねたという。そうした中、植民地支配の矛盾を追及する気持ちを育てていった。
・1947年8月、東京裁判のさなか母国インドはイギリスからの独立を果たした。
・パル判事の全員無罪の主張には植民地主義への批判など、歴史の激動のなか育んだ様々な思想が投影されている。日本の戦争を単純に肯定したものではなかった。

パル判事は自分の意見書を根拠に、日本の侵略行為が支持されることがあってはならないと言っていました。あの当時、侵略戦争は国際法上、犯罪行為と認められないとの立場でしたが、イギリスであれアメリカであれ日本であれ、侵略戦争は悪いことだと言っていました(裁判所の後輩 A・M・バタチャルジー元判事)

・ドイツ人音楽家のエタ・ハーリッヒ=シュナイダー。その住まいは東京・赤坂の霊南坂近くにあった。ハーリッヒ=シュナイダーは戦後日本のクラシック音楽の母として知られている。
・一方、日本の現代史の裏側にも関係していた人物だ。ソビエトのスパイとして逮捕されたリヒャルト・ゾルゲと恋愛関係だったこともある。2人にはナチスに反対するドイツ人という共通点があった。
・母国で書き残した自伝。そこにはオランダのレーリンク判事としばしば会っていたと記されている。
・東京裁判の知られざるエピソードの一つだ。

(2016/12/14視聴・2016/12/14記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

東京裁判 [DVD]

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判〈上〉 (朝日文庫)

東京裁判〈下〉 (朝日文庫)

※関連ページ(NHKスペシャル)
ドラマ 東京裁判 第2話
ドラマ 東京裁判 第1話
ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~
日航ジャンボ機事故 空白の16時間~“墜落の夜”30年目の真実~
生命大躍進 第3集・ついに“知性”が生まれた
生命大躍進 第2集・こうして“母の愛”が生まれた
生命大躍進 第1集・そして“目”が生まれた

【NHKスペシャル】自閉症の君が教えてくれたこと

$
0
0

【NHKスペシャル】
「自閉症の君が教えてくれたこと」

(NHK総合・2016/12/11放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 自閉症を抱えながら作家として活動している東田直樹さん。お名前は以前聞いたことがありましたが、あらためてどういう方なのかを知ることができたドキュメンタリー番組でした。

 私もこれまで自閉症の方とお会いしたり接する機会が何度もありましたが、彼のようなタイプの方とはお会いしたことがないので、彼の著作がどんな内容なのかすごく興味がわきました。

 近所の図書館に蔵書があるのを見つけましたが…番組放映直後ということもあって貸出中。気長に自分の番が回ってくるのを待って、ぜひ読もうと思っています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・彼は人と会話することができない。自分の衝動を抑えることもできない。重度の自閉症である東田直樹さん(24)。
・しかし東田さんは文字盤を前にした途端、話せるようになる。自閉症者が高い表現力を持つのは世界的にも極めてまれなことだ。
・2年前、私たちは東田さんを取材したドキュメンタリーを制作した。彼の言葉を通して、これまで闇に包まれていた自閉症の世界を明らかにし大きな反響を呼んだ。
・物語の始まりは東田さんのエッセイ「自閉症の僕が跳びはねる理由」。この本を読んだ多くの人が、初めて自閉症者の心の内を知った。

何が一番辛いですか。
何かしでかすたびに
謝ることもできず
怒られたり笑われたりして
自分がいやになって
絶望することも
何度もあります

そばにいてくれる人は
どうか僕たちのことで
悩まないで下さい

自分がつらいのは
我慢できます

しかし自分がいることで
周りを不幸にしていることには
僕たちは 耐えられないのです


・このエッセイは多くの言語に翻訳され、30か国以上で出版された。そして自閉症の子どもを持つ多くの人に希望を与えた。子ども何を考えているか分からず途方に暮れていた人たちが、初めて自分の子どもに備わった愛情や知性を信じられるようになった。

私は直樹さんの本を通して息子の心の中に入りました。息子の声を聞き、彼の感じていることが分かりました。そして「息子よ、すまなかった」と何度もつぶやきました(男性)

・それから2年。今、東田直樹さんはプロの作家として歩み始めている。自閉症である自分の内面世界だけでなく、障害、認知症、病気など様々なハンディキャップを抱える人々全体にも視野を広げ、エッセイや小説を書いている。

文章を書くことは生きることそのもの(直樹さん)

・苦しみを抱えた人がどう幸せを見つけていけばいいのか。新たな挑戦を始めた一人の自閉症の作家の迷いと成長の物語。

<がんと闘うディレクターと東田さんとの再会>
・ディレクターの丸山拓也(33)氏:6月、私は東田直樹さんもとを2年ぶりに訪れた。直樹さんはエッセイや詩集など20冊の著作があり、既にプロの作家として身を立てている。

お久しぶりです、直樹さん(丸山氏)

はいチーズ(直樹さん)

・丸山:自閉症は状況の変化にうまく対応したり、対人関係を築くことが難しい脳の先天的な機能障害である。軽度のものを含め、自閉症スペクトラム障害と診断されるのは100人に1人と言われている。

※自閉症スペクトラム障害:アスペルガー症候群など症状の軽いものを含めた自閉症の総称

・丸山:自分の気持ちをコントロールするのが難しい直樹さんは、母親がそばにいると気持ちが落ち着く。この2年間で直樹さんは作家としての幅を広げた。自閉症のみならず、ハンディキャップを抱える人全体がどう幸せを築けばいいのかメッセージを発し続けている。実は私には直樹さんを再び取材したいという特別な理由があった。私自身も思わぬハンディキャップを抱えてしまったのだ。

僕ががんという病気で闘病していたことはご存知ですか?(丸山氏)

はい。すごく心配していました。つらいときに大変だと思います(直樹さん)

・丸山:前回の番組を制作した直後、私は胚細胞腫瘍というがんと診断された。既に肺や肝臓にも転移し、5年生存率は5割以下と告げられた。大量の抗がん剤と手術。闘病は1年間続いた。

体調はどう?(妻)

全身倦怠感。もう最後だからしょうがない(丸山氏)

・丸山:治療のかいがあって、がん細胞は死滅した。しかし再発の不安、治療の後遺症が残った。そして去年11月、職場復帰した。突然、背負うことになったハンディキャップと私はどう生きていけばいいのか。私は直樹さんの姿をもう一度、見つめ直したいと思った。直樹さんも私の闘病について詳しく知りたがっていた。

生きていく上での価値観は死を前にした時に変わりました?(直樹さん)

率直に言うと(価値観は)やっぱり変わりました。今までよりも今ある生活とか、身の回りの例えば家族とか自分の身の回りのことがいかに大切かということを感じるようになって(丸山氏)

僕は人の価値観はそんなに簡単に変わらない。(価値観は)積み重ねた人格のようなものものだからです(直樹さん)

・丸山:いきなりガツンとやられた気がした。私はどこか借り物の言葉で語っていたのかもしれない。作家として自信をつけてきた直樹さんの成長を実感した。私も覚悟を決めて話し始めた。

自分を生んでくれた親よりもおばあちゃんよりも先に死んじゃうのかなと考えて。普通は命ってつないでいかなきゃいけない。もしかしたらつなげないのかなと感じて(丸山氏)

丸山さんは生きる上で大切なことは何だと思われます?(直樹さん)

いや、いろいろ結構考えるんですけど…(丸山氏)

命のバトンもその一つですか?僕は人の一生はつなげるものではなく、一人ずつが完結するものだと思っています(直樹さん)

・丸山:取材の翌日、直樹さんは私に話したことに更に思索を加えた文章を送ってくれた。

僕は命というものは大切だからこそ
つなぐものではなく完結するものだと考えている
命がつなぐものであるなら
つなげなくなった人はどうなるのだろう
バトンを握りしめて泣いているのか
途方にくれているのか
それを思うだけで
僕は悲しい気持ちになる
人生を生き切る
残された人はその姿を見て
自分の人生を生き続ける


<自閉症の息子を持つ作家との交流>
・日本から9000km離れたアイルランド。直樹さんの存在が世界で知られるようになったのは、ここに住む一人の作家との出会いがきっかけだった。
・「クラウド・アトラス」などの作品で知られる作家デイヴィッド・ミッチェルさん。彼にも10歳になる会話のできない自閉症の息子がいる。
・息子が何を考えているのか分からず、子育てに半ば絶望していたミッチェルさんは4年前、直樹さんのエッセイの存在を知った。日本で英語教師として8年間過ごし、日本語が読めたことが幸運だった。なぜ息子は床に頭を打ちつけるのか、突然パニックを起こすのか、全ての答えがそこにあった。
・ミッチェルさんはすぐさま翻訳に取りかかった。それがまた他の言語にも翻訳され、世界30か国で読まれるようになった。
・今、ミッチェルさんと直樹さんは往復書簡を交わしている。直樹さんの言葉を通して、コミュニケーションがとれない息子のことを知ろうとしていた。

自閉症者の子育ては、おそらく健常者の子育てより“長い旅”です。その途中に高い山や深い谷があるのです。直樹のおかげで息子が成長した姿を頭に描くことができるようになりました。直樹の言葉で私たちはつらい道のりを耐えられるのです(ミッチェルさん)

直樹、朝 目覚めた時 夢を覚えているかい?
自分が自閉症ではない人になった
夢を見たことがあるかな?


僕はよく自分が
普通の子どもになった
夢を見ていました
クラスのみんなと
おしゃべりしたり
ふざけ合ったり
とても幸せそうに
笑っているのです
しばらくして
夢だったことがわかると
僕はひどく落ち込みました
今 僕が見る夢に
健常者の僕は
登場しません
自閉症のままいろいろな所に
遊びに行ったり
相変わらず騒動を
起こしたりしているのです
夢から 覚めて
いつもと変わらない朝に
感謝することから
僕の一日は 始まります


<「ありのままでいい」ではなく「人生は短い」>
・丸山:2人の往復書簡の中にも、がんとともに生きる私が学べるものがあるのではないか。私はそう考えていた。この日、ミッチェルさんから新しい質問が届いていた。ラジオ講座を聴き続けたおかげで、直樹さんは英語を読むことができる。
・丸山:ミッチェルさんの質問は「13歳のときの自分にアドバイスするなら、どんな言葉を送るか」というものだった。直樹さんが障害を抱えていることを自覚したのが13歳のときだった。小学校の授業についていけず、知能が遅れていると見なされ、特別支援学校に進路を変えざるをえなかった。
・丸山:自分には知能がある、心がある、そう言いたくても訴える手段はなかった。そんな13歳の頃の自分に送ったのは…。

「ありのままでいい」

・丸山:しかしその後、当時のつらさを一つ一つ思い出したとき、直樹さんの頭に違う言葉が浮かんだ。

書き換える(直樹さん)

・丸山:「ありのままでいい」という言葉を消して書いたのは「人生は短い」という言葉だった。

僕が13歳の頃の自分に
何かアドバイス
できるのであるなら
それは 励ましの
言葉ではありません

つらすぎる毎日を送っている
僕の耳には
届かないと思います

僕は 人生は短い という
事実を伝えたいです

当時の僕にとって
過ぎ行く時の経過は
果てしなく

いつまでも降りられない
ブランコに乗っている
みたいでした

君が 乗っているブランコも
いつかは止まる
それまで一生懸命に
こぎ続ければ
同じ景色も違って見えると
僕は 教えてあげたいです


・丸山:がんと生きる私もまた、いつ落ちるか分からない不安定なブランコに乗せられている気がする。どうこぎ続ければ止まるのか。見える風景が変わる時はあるのだろうか。

<認知症になり変わってしまった祖母と>
・直樹さんはこの夏、母親の実家がある北九州に帰省した。認知症となった祖母が暮らしている。祖母の認知症を母親は嘆いていた。
・しかし直樹さんは悲しむべきことではないと考えていた。悲しいと思うのは周囲の人の勝手な思い込みではないか。自分なら認知症の祖母の幸せを見いだせる自信があった。
・79歳になる祖母の京子さん、7年前から記憶を失い始めている。

(直樹さんに会うのは?)
久しぶり、夏休みに来ました。今(夏)だから違いますね(京子さん)

・祖母の京子さんは早速、直樹さんの大好きだったホットケーキを作ろうとしていた。料理上手だった祖母、以前作ってくれていたホットケーキは、いつもこんがりきつね色だった。

昔の味と少し違います。でもそんなことは関係なく、おいしかったです(直樹さん)

・直樹さんは祖母の認知症を温かく受け止めようとしていた。しかしその変わりようは想像以上だった。捜し物をしているうちに何を捜しているのか分からなくなる。やかんの火をつけたり消したりを繰り返す。
・会う前は自分なら祖母の幸せを見いだせると考えていた直樹さんは、実際に過ごしてみて「おばあちゃんはそれでも幸せなはずだ」と言い切れなくなっていた。

現実をなかなか受け入れることができません。僕はおばあちゃんが変わっていないと思い込みたかったのです(同上)

<自閉症者でなく作家である自分に注目してほしい>
・丸山:私は月に1度検査を受けなければならない。自分が病気というハンディキャップを背負っていることを強く自覚する瞬間である。

黄色いところが最初にあったがんの転移のところ。結論からいくと今回の再発ありません。何か生活に困っていることは?(医師)

しびれですね(丸山氏)

・丸山:幸い再発はなかった。これでまた1ヶ月生きられると安堵する。直樹さんはしばしば「自閉症でよかった」という言葉を語っていた。直樹さんは障害を自分の強さに変えることができた。私にも「がんになってよかった」そう思える日が来るのだろうか。

・丸山:取材を始めて3か月。直樹さんは私たちの取材にいらだっているように見えた。自閉症をどう強さに変えたのか。繰り返し聞く私に対して、直樹さんは自閉症者としてではなく作家である今の自分に注目してほしいと訴えてきた。

丸山さんがなぜそこ(自閉症)にこだわりがあるのですか(直樹さん)

直樹さんにしか言えない言葉を聞きたいんですね(丸山氏)

僕が自閉症で苦しんだのは事実ですが、生み出す言葉と直接関係はないと思っています(直樹さん)

・丸山:直樹さんはこれから幅広く読者を獲得しプロの作家として生き残っていくためには、自閉症の作家という特殊な目で見られたくないと考えていた。直樹さんの言葉に私は戸惑っていた。自閉症であれがんであれ、ハンディはハンディでしかない。そう言われた気がした。

<往復書簡を交わす作家とその息子に会いにアイルランドへ>
・8月中旬、直樹さんは往復書簡を交わすミッチェルさんからアイルランドに招かれた。ぜひ自分の家族に会ってほしいというのだ。
・2年前、日本で出会って以来の再会。ミッチェルさんは直樹さんに自分の自閉症の息子と直接会ってもらうことで、自分にはなかなか見えない息子の心の内を知りたいと願っていた。
・ミッチェルさんの重度の自閉症の息子は今10歳。子どもの成長は親にとって喜びのはずだが、ミッチェルさんには不安の方が膨らむ。

うちの息子は今10歳です。友達ができるのが結構難しいです。今から友情というものは、もっと簡単になる可能性はありますか?(ミッチェルさん)

それは友達ができてほしいから言っているのですか?(直樹さん)

自分の息子に友達ができたらいいなと思って質問してみたんだ(ミッチェルさん)

僕に友達はいない。僕のことは不幸に見えますか?(直樹さん)

けっこう幸せそうみたいです(ミッチェルさん)

僕たちが感じているのは、友達がいないとかわいそうで気の毒だと思っている人たちの勘違いです(直樹さん)

私の息子の友達不足は息子の問題ではなく、息子の友達不足は私の問題です。今からこういう立場で考えようとしています(ミッチェルさん)

・ミッチェルさんは自閉症の息子の幸せを自分の尺度で捉えようとしていたことに気づかされた。スタッフにこう語った。

直樹が何を考えているのか、表現することがとてもうまくなりました。いい意味で少し生意気になりましたね。すごく良いことだと思います(同上)

・この日、ミッチェルさん一家と直樹さんたちの食事会が開かれた。息子のノア君も一緒だった。ミッチェルさんからはノア君の意思を確かめることができないため、撮影は遠慮してほしいと言われた。
・ノア君も直樹さんに会うことを楽しみにしていた。しかし食事会の場に入れず、外のベンチに座って母親と気持ちを落ち着かせていた。
・30分が経ち、ようやくノア君が部屋に入ってきた。3時間の食事会で直樹さんとノア君が言葉を交わすことはなかった。期待していた友情の芽生えはかなわなかった。
・食事会が終わり、家族同士が別れようとするときのことだった。ノア君が直樹さんに近づいてきてその手を取り、お別れの挨拶を交わしたのだ。

二人の間に何らかの“以心伝心”があったと思います。多くの人が自閉症者には感情がないといまだに思っていますが、あの瞬間はその誤解を打ち砕きました。二人が手を握り合っている姿は、大きな喜びをもたらしてくれました。私はこの記憶をいつまでも宝物として持ち続けるでしょう(同上)

・ミッチェルさんが普段見ることができないノア君の心を、直樹さんが引き出してくれた。

(ノア君は)昔の僕に似ています(直樹さん)

・ミッチェルさんには、直樹さんが日本に帰る前に伝えておきたいことがあった。

直樹君 何千万 読者 世界中 ある意味では直樹君の自閉症は幸いです。ある人たちにも、私たちにも、悪いことじゃない。もちろん自閉症が大変とよく知っています。本当に直樹君の自閉症に感謝しています。ありがとう、ありがとう(ミッチェルさん)

・旅に出る前「自閉症にばかり注目しないでほしい」と訴えていた直樹さん。ミッチェルさんの言葉をじっとかみしめているようだった。

<再び祖母の家へ>
・2週間後、直樹さんは再び北九州の祖母を訪ねた。アイルランドの旅は直樹さんに自分にしか見えないものがあることを改めて気づかせてくれた。
・夏に帰省したときには、認知症になった祖母の京子さんのことをつらがっていた直樹さん。京子さんの家事は相変わらずの危なっかしさ。
・それでも京子さんが丁寧に煎れてくれたお茶の味は格別だった。自分もまた知らず知らずのうちに世間一般の物差しで祖母のことを見ていたのではないか。そう思い直し始めていた。それを確かめるために、直樹さんは一つの質問を用意していた。

もしおばあちゃんが迷子の子どもを見つけたら、なんて声をかけるかな(直樹さん)

お母さんを一緒に探してあげる(京子さん)

・記憶が失われていようと、京子さんの優しさは昔のままだった。おばあちゃんは変わっていない。不幸だと決めつけていたのは、自分も含めた周りの人ではないか。直樹さんはそう確信していた。

祖母自身も物忘れが
ひどくなっていることは
自覚しているけれど
周りの人には
「お茶入れようか」
「座布団どうぞ」など
普通の人以上に
気遣いをする
悩むのは本人以上に
周囲の人々なのかもしれない
おばあちゃんの目に
映っている風景を
僕は知りたい
なぜなら それはいつの日か
僕が目にする
風景だと思うから


<長い小説の執筆に挑戦 取材の最後に聞いたことは…>
・直樹さんは今、作家として新たしい挑戦を始めている。これまで書いたことがない長い小説の執筆である。タイトルは…。

「自閉症のうた」

・交通事故に遭った自閉症の少女が入院先の病院で患者、看護師や医師、様々な人と出会いながら恋し、傷つき、成長していく物語だ。
・ミッチェルさんは作家としても人間としても成長した直樹さんに、本格的に小説に挑戦することを勧めていた。直樹さんにしか見えないものを、誰もが共感できる物語に置き換えることを目指している。
・丸山:取材の最後、私は一番聞きたかったことをストレートに聞いてみた。

僕の人生にとって、前を向いて生きるために大切なことを教えて欲しい(丸山氏)

・丸山:直樹さんはじっと考えていた。数十秒後、その言葉は私に勇気を与えてくれた。

人はどんな困難を抱えていても、幸せを見つけ生きることができる(直樹さん)

自閉症と僕を切り離して
考えることはできません
僕が自閉症でなければ
きっと今の僕では
なくなるからです

僕たちは
かわいそうだとか気の毒だと
思われたいわけではありません

ただ みんなと一緒に
生きていたいのです

みんなの未来と
僕たちの未来が
どうか同じ場所に
ありますように


(2016/12/16視聴・2016/12/16記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (2) (角川文庫)

クラウド・アトラス 上

クラウド・アトラス 下

※関連ページ(NHKスペシャル)
ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~
日航ジャンボ機事故 空白の16時間~“墜落の夜”30年目の真実~
生命大躍進 第3集・ついに“知性”が生まれた
生命大躍進 第2集・こうして“母の愛”が生まれた
生命大躍進 第1集・そして“目”が生まれた

【NHKスペシャル】ドラマ 東京裁判 第4話

$
0
0

【NHKスペシャル】
「ドラマ 東京裁判 第4話」

(NHK総合・2016/12/15放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 全4回にわたって放送された「ドラマ 東京裁判」。繰り返しになりますが、裁いた判事たちに焦点を当てた切り口で大変有意義な内容だったと思います。

 「東京裁判」に対する歴史的評価というのは様々ありまして、それがまた興味深いのは「勝者による敗者への制裁」とか「連合国による復讐ショー」だったというような「100%全否定」する意見はあるものの「100%完璧な内容だった」と肯定する意見は殆ど存在しないということなのですね。

 それは当時の判事たちの意見書の数を見ても明らかです。インドのパル判事の反対意見書(全員無罪)は有名ですが、ベルナール判事、レーリンク判事、ウェッブ裁判長も一部反対意見書を出しています。なおハラリーリャ判事の意見書はパル判事の意見書に対抗してのもの、すなわち判決への賛成意見書です。

 さて全体を通して東京裁判に対する私の感想なのですが、日中戦争そして太平洋戦争という未曾有の戦争を引き起こした日本という国の誤りを総括し責任者を糾すという点で、不十分さはあったものの歴史的な意義はあったと考えます。

 一部の判事たちの「事後法」への批判については私も法律を若干学んだ者としては分かる気がするのですが、戦争というカテゴリに包括される侵略、虐殺、虐待行為は殺人や傷害・暴行・強盗など法律の枠組みを越えた、いわば極限状態の犯罪行為であって、そこに法が存在していないから裁けないという硬直した考え方よりも積極的にそれを罰するべきものだというのが自然だと思います。

 さらにこの裁判そのもので絞首刑になった7名は事後法ではなく「通例の戦争犯罪」によるものでした。これは明確に彼らの犯罪を立証したものから導き出したものであり、概ね妥当なものでした。唯一厳しすぎると感じているのは、文官である広田弘毅が唯一死刑になった点です。終身禁固刑でもよかったのではないかと思います。

 インドのパル判事は大変格調の高い方で、彼の見識は私も一目置くものがあると思っていますが、残念ながら彼の振る舞いが後々の日本の右派勢力(反動勢力)によって最大限に利用されている現実があります(A級戦犯を「法務死」として合祀している靖国神社に彼を顕彰する碑があるのが有名です)。彼が法理論に傾きすぎていたことと、判事としての活動の場に植民地支配を進めてきた国々への批判を持ち込んでいたと指摘しなければなりません。本人もまさか自分の言動が未来の日本でこのような形で利用されているとは思っていなかったでしょう。そこに思いを至らせられなかったことは残念でなりません。

 そして東京裁判が「連合国による一方的な裁きだった」という論調についてですが、では当時の日本人が自らの手で戦争を引き起こした責任者たちを処断できる力があったでしょうか。おそらく無理だったでしょう。玉音放送を聞いて涙を流した人たちは多かったけど、怒りに任せて時の支配者を打倒しようと立ち上がる人は皆無だったのですから。反戦主義者の多くが弾圧を受けたうえ本格的なレジスタンスは起こらず、敗戦をきっかけにして軍国主義政府を打倒するような革命が起こりようもなかったわけです。

 ならば連合国が裁かなくて誰が裁けたのでしょう。更に言えばポツダム宣言に「日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべき」とあるわけで、それを受諾した時点で連合国による処罰を受けることを認めているわけです。それが裁判という正式な手続きをとり2年半もの時間をかけて、またこれまで日本人自身が知らされていなかった関東軍など日本軍の蛮行が明らかになった。これを一方的な復讐だったと決めつけるのなら、ポツダム宣言を受けずに日本人が死滅するまで戦い通すべきだったとでも言いたいのでしょうか。全くおかしな話です。

 なお、私は「不十分さ」というのを付けたのは、いわゆるA級戦犯が28人(うち1人は精神病で免訴、2人は判決前に病死)と少なかったことです。本来追及されるべきなのにGHQの思惑によって訴追されなかった者はかなりいたと私は思っています。例えば中国で行った非道な生体実験の関係者も裏取り引きによって免責されたと言われています。またあえて名前は書きませんが、どう見ても責任がないとはいえないでしょう、最高責任者である人物は。

 そんな状況の下でも11人の判事たちが真剣に裁判に向き合い、未来の戦争防止のために一石を投じてくれたというのは、本当に敬意を表することだとあらためて感じました。

 戦争そのものが犯罪だという国際的なルールは未だ確立はされていませんが、それでも第三次世界大戦という規模の戦争はこの70数年間起きていない。それはニュルンベルクや東京で戦争犯罪者をしっかりと裁いた成果の一つだと私は考えます。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・70年前、世界各地から11人の判事が東京に集まり歴史的な裁判が開かれた。日本の戦争指導者たちの責任を問う極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判だ。
・裁判開始から1年半。舞台裏の駆け引きは激しさを増し、イギリスのパトリック判事の主導でウェッブ裁判長が母国オーストラリアに召喚された。
・激論と混乱に翻弄されるオランダのレーリンク判事は、何が正しい道なのかと悩み抜く。
・法廷では元首相の東條被告らが尋問され、その思わぬ証言が波紋を呼んだ。
・そして今、11人の判事たちは審判を下す最後の瞬間に臨もうとしている。

【ドラマ・パート】
・1948年2月11日、キーナン首席検事による最終論告が始まった。キーナンは日本の軍国主義的な行動の責任は、国民ではなく指導者にあると述べた。
・4月16日、極東国際軍事裁判の審理は終了。判事たちが全ての証拠を検討し、評決に達するのを世界中が待っていた。
・レーリンク判事(オランダ)はパトリック判事(イギリス)たちを前に侵略の罪を認めたいと告げる。ただ法の解釈の根拠については意見の一致をみることができなかった。
・一方、マッカーサー最高司令官は、迅速に判決を出すようウェッブ裁判長に催促する。
・ウェッブ裁判長はパトリック判事から過半数を制している以上、自分たちで判決文を書くと告げられ、裁判長の権限で自ら判決文の起草を急ぐ。
・そんな中、パトリック判事が病気で倒れる。しかし多数派の判事たちは手分けして判決文の作成を進める。
・レーリンク判事は悩んだ末、反対意見を書くことを決意する。
・多数派の執筆した判決書がウェッブ裁判長に提出された。ウェッブは量刑については判事たちで決定するとして、この判決書を同意することにした。

・判事たちの会議が行われ、被告人たちの量刑について議論が進められた。まず死刑を科すべきか否か11人の判事全員が意見を述べた。
・クレイマー判事(アメリカ)は死刑は絶対に必要だと述べた。
・ベルナール判事(フランス)は死刑は絶対に反対だと主張した。
・ウェッブ裁判長(オーストラリア)は死刑反対に同調した上で、天皇は戦争を終わらせることができたが開戦の前に防ぐこともできたとして閣僚や軍の高官たちだけに死刑を言い渡すことは不公正だと主張した。
・パトリック判事(イギリス)は、我々が死刑を宣告しなければ日本政府が主権回復したら皆釈放されてしまうと述べた。
・ノースクロフト判事(ニュージーランド)は個人的には死刑に対し嫌悪感を持っているが、彼らに可能な限り重い刑罰を求めたいと述べた。
・ハラリーニャ判事(フィリピン)は復讐するために来たわけではないが、彼らが犯した罪や残虐行為はあまりに恐ろしく見過ごすことはできず死刑があってしかるべきだと主張。
・ザリヤノフ判事(ソビエト)は死刑には反対だと主張。
・パル判事(インド)は被告全員について有罪にしてはいけないと述べた。
・レーリンク判事(オランダ)は、オランダでは死刑制度が廃止されたが戦争の後で特別法を施行してナチスに協力した者たちを処刑できる措置を講じたあくまで例外的な措置だと述べ、残虐行為についてのみ死刑については支持するが、侵略の罪に対する死刑は科さないよう求めた。
・マグドゥガル判事(カナダ)はニュルンベルクでは被告たちに死刑が科された。ただし侵略の罪だけで死刑になった者はいなかったとし、レーリンク判事に同調した。
・梅判事(中国)はハラリーリャ判事と同じく、中国やアジア各地でひどい罪を犯した彼らに対して、一部のケースについては死刑は絶対に必要と主張した。

・続いて量刑の議論が行われた。

・嶋田繁太郎被告は、日本がアメリカとの戦争を始めたとき東條内閣の海軍大臣でありその後、軍令部総長を兼ねた。侵略の罪とともに海軍による残虐行為の責任を通例の戦争犯罪で問われていた。
・日本が中国やアジアへ戦争を広げる時期に首相などを務めた広田弘毅被告。侵略の罪とともに南京事件当時の外務大臣であったことから、その残虐行為の責任を通例の戦争犯罪でも問われていた。広田は証言台に上がることを放棄し、何も語らなかった。
・東郷茂徳被告については、開戦に反対せず賛成した点について共同謀議に加わったかどうかが議論された。

・1948年11月、東京裁判が始まって2年半が経過していた。ウェッブ裁判長は1200ページ余りの判決を言い渡すのに7日間かかった。
・最終日の11月12日、被告への刑が宣告される。生と死が分かれる瞬間である。

本官が朗読した判決は裁判所憲章に基づき本裁判所の判決である。インド代表判事(パル)は多数意見による判決に反対し、この反対について理由書を提出した。フランス(ベルナール)およびオランダ代表判事(レーリンク)は多数意見による判決の一部だけについて反対し、この反対について理由書を提出した。フィリピン代表判事(ハラリーリャ)は多数意見に同意して別個の意見を提出した。

大体において事実については本官は多数と意見を共にする。しかし反対意見を表明することなく、裁判所憲章と本裁判所の管轄権を支持する理由と、刑を決定するにあたって本官に影響を与えた、いくらかの一般的な考慮と簡単に述べたものを提出した。これらの文書は記録にとどめて、また最高司令官、弁護人及ぶその他の関係者に配布されることとする。

弁護人はこれらの別個の意見を法廷で朗読することを申請した。しかし本裁判所はこの問題を既に考慮し、法廷では朗読しないことに決定していた。本裁判所はこの決定を変更しない(ウェッブ裁判長)


・土肥原賢二:死刑(絞首刑)
・広田 弘毅:死刑(絞首刑)
・板垣征四郎:死刑(絞首刑)
・木村兵太郎:死刑(絞首刑)
・松井 石根:死刑(絞首刑)
・武藤  章:死刑(絞首刑)
・東條 英機:死刑(絞首刑)
・荒木 貞夫:終身禁錮刑
・橋本欣五郎:終身禁錮刑
・畑  俊六:終身禁錮刑
・平沼騏一郎:終身禁錮刑
・星野 直樹:終身禁錮刑
・賀屋 興宣:終身禁錮刑
・木戸 幸一:終身禁錮刑
・小磯 國昭:終身禁錮刑
・南  次郎:終身禁錮刑
・大島  浩:終身禁錮刑
・岡  敬純:終身禁錮刑
・佐藤 賢了:終身禁錮刑
・嶋田繁太郎:終身禁錮刑
・白鳥 敏夫:終身禁錮刑
・鈴木 貞一:終身禁錮刑
・梅津美治郎:終身禁錮刑
・東郷 茂徳:禁錮刑20年
・重光  葵:禁錮刑7年
※大川 周明:精神病のため免訴
※松岡 洋右:裁判中に病死
※永野 修身:裁判中に病死


「平和に対する罪(侵略の罪)」の共謀では25人中23人が有罪となった。
「人道に対する罪」は適用されなかった。
・7人への死刑判決は「通例の戦争犯罪」によるものだった。

・レーリンク判事(オランダ)
→フローニンゲン大学の国際法教授となった。彼の主導で「国際平和研究所が設立された」
(マルセル・ヘンセマ)
・パトリック判事(イギリス)
→スコットランド最高裁に復職したが、健康は二度と回復せず亡くなった。
(ポール・フリーマン)
・ウエッブ裁判長(オーストラリア)
→オーストラリア連邦最高裁判事に復職。晩年は子どもや孫に囲まれ、穏やかに過ごした。
(ジョナサン・ハイド)
・梅判事(中国)
→帰国後、共産党を支持し法務官僚として働いた。その後、文化大革命で失脚した。
(デイビッド・ツェ)
・ハラリーニャ判事(フィリピン)
→東京裁判後まもなく公職を退き、余生を故郷のパナイ島やマニラで過ごした。
(ベルト・マティアス)
・パル判事(インド)
→国連国際法委員会で母国の代表を務めた。東京裁判後3回来日、巣鴨プリズンも訪問した。
(イルファン・カーン)
・ベルナール判事(フランス)
→アフリカのフランス植民地で法務官僚となった。引退後はフランス南部アルルの自宅に戻った。
(セルジュ・アザナヴィシウス)
・ノースクロフト判事(ニュージーランド)
→ニュージーランド最高裁判事に復職した。東京裁判への貢献が認められ爵位を与えられた。
(ジュリアン・ワダム)
・マグドゥガル判事(カナダ)
→ケベック控訴裁判所の判事に復職した。東京での経験は母国で高い評価を得た。
(スティーブン・マクハティ)
・クレイマー判事(アメリカ)
→軍役を退役し、ワシントンで弁護士事務所を開業。晩年も忙しい日々を送った。
(ティム・アハーン)
・ザリヤノフ判事(ソビエト)
→スターリンの忠実な部下であり続けた。スターリンの死後、共産党から追放され軍の階級を剥奪された。
(ケストューティス・ヤクスタス)
※マッカーサー最高司令官(マイケル・アイアンサイド)
※竹山道雄(塚本晋也)

・東京裁判終結から半世紀後の1998年、120か国が国際刑事裁判所の設立規定を採択。4年後、オランダに開設された。
・しかしアメリカやロシア、中国が加盟しておらず“本来の役割を果たしていない”という声も強い。
・世界は今も戦乱や紛争が続いている。

【ドキュメント・パート】
・11人の判事たちが2年半にわたり激論を繰り広げた東京裁判。それは、人は戦争を裁くことができるのかという根本的な問いに対する答えを探すための2年半でもあった。
・東京の国立公文書館には、裁判の判決書と個別意見書の実物が保管されている。
・ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク裁判では公式判決だけが出された。しかし東京では公式判決に賛成の立場から1つ、異論を唱える立場から4つの個別意見書が提出された。合わせると2800ページを超える。
・ウェッブ裁判長自身が書いたものもある。多数派に対抗して自分が判決の全文を書こうと試み、600ページもの原稿を用意していた。しかし最後はどうしても言いたいことだけを21ページにまとめた。
・分厚いインドのパル判事のもの。他にフランスのベルナール判事、フィリピンのハラリーリャ判事のもの。
・そしてオランダのレーリンク判事の意見書。そこには彼の深い思い入れがあり、帰国後1冊の本として出版し多くの人に手渡したという。
・そしてパトリック判事たち多数派が書いた公式の判決書。「被告全員を有罪。7名と絞首刑とする」と書かれている。東京裁判の結論だった。

・歴史上初めて世界11か国の判事たちが集まり、激論を重ねた東京裁判。その2年半の日々をより詳しく知ろうとする研究は今も続いている。
・ドイツの名門・ハイデルベルク大学。去年暮れ、欧米やアジアなどから研究者が集まり、東京裁判の判事たちについて討議する学術会議が開かれた。最新の研究成果が発表されている。

ウェッブ裁判長から妻に宛てた手紙を発見しました。“裁判長としては不適切だが、感情が荒れ狂ってしまう”と苦しい心情を書いていました(ハイデルベルク大学のケルスティン・フォン・リンゲン教授)

70年が経った今、東京裁判を考えることは、私たちが戦争のない世界をどう構築できるかを考えることにつながります。東京裁判の国際的な研究を通してヒューマニズムが進歩し、世界がより良くなることを望んでいます(同上)

・人は戦争を裁くことができるのか。東京裁判の11人が挑んだ問いは、現代を生きる私たちに向けられた問いでもあり続けている。

(2016/12/15視聴・2016/12/15記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

東京裁判 [DVD]

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判〈上〉 (朝日文庫)

東京裁判〈下〉 (朝日文庫)

※関連ページ(ドラマ 東京裁判)
ドラマ 東京裁判 第1話
ドラマ 東京裁判 第2話
ドラマ 東京裁判 第3話
ドラマ 東京裁判 第4話

※関連ページ(NHKスペシャル)
ドラマ 東京裁判 第3話
ドラマ 東京裁判 第2話
ドラマ 東京裁判 第1話
自閉症の君が教えてくれたこと
ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~
日航ジャンボ機事故 空白の16時間~“墜落の夜”30年目の真実~
生命大躍進 第3集・ついに“知性”が生まれた
生命大躍進 第2集・こうして“母の愛”が生まれた
生命大躍進 第1集・そして“目”が生まれた

【NNNドキュメント’16】ゼロ戦乗りの遺言~真珠湾出撃 原田要の肖像~

$
0
0
【NNNドキュメント’16】
「ゼロ戦乗りの遺言~真珠湾出撃 原田要の肖像~」

(日本テレビ系列・2016/12/12放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 今年亡くなられた原田要さん。ゼロ戦の元搭乗員として各地で講演活動をされていた話は知っていましたが、残念ながらお会いする機会はありませんでした。ご存命のうちにぜひお話を伺いたかったです。

 しかしこうして原田さんが残した言葉の一つ一つを深く噛みしめなければならないと痛感しました。私の身内でも戦争に行った経験というのは辛いもののようで、口を開くことがなかった人もいました。

 そうした中、私たちの周りで起きている事態を憂慮して原田さんは証言活動を始められた。それだけ世の中がきな臭いと感じたのでしょう。彼の「遺言」をしっかりと受け止めて、この国が70数年間守ってきた平和の道を絶やしてはならない、そう感じます。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・おじいちゃん先生。そう呼ばれ駆け寄って来る子どもたちを見守ってきた。長野市ひかり幼稚園の元園長・原田要さん。
・今から75年前の1941年12月8日、旧日本軍はハワイ・真珠湾を攻撃した。敵はアメリカ。おじいちゃん先生は当時25歳、ゼロ戦に乗って憧れていた戦場へと向かった。

私もハワイ行った以上ですね、ハワイ群島を空襲したいからぜひ俺にもやらせてくれと(原田さん)

・戦場で操縦席から目にしたのは、人間が傷つき死んでいくさまだった。

戦争の中に巻き込まれれば、好むと好まざるとにかかわらず相手を殺さなきゃならないんです。相手を殺さなければ自分が殺されてしまうんだから、これはしょうがないですよ(同上)

・終戦から半世紀近くが過ぎた頃、あることをきっかけにそれまで固く心を閉ざしていた戦争の記憶を語り始めた。

尊い人命を私くらい殺めた人間は、おそらく今この平和の時代にはいないんではないか…(同上)

・戦争とは殺し合い。故郷につくった幼稚園では小さな子どもたちに命の尊さを説いていった。

今、日本がこういう平和憲法で、しかも世界に向かって「軍隊は持ちません」「戦争はしません」これを次に伝えるためには、自分の死ぬまで一生懸命で、自分の見た戦争というものの罪深いことをしゃべることが、私に与えられた最後の仕事ではないかと(同上)

・ゼロ戦乗りだった男性の「遺言」。

<真珠湾攻撃作戦に参加した零戦搭乗員>
・総飛行時間は8000時間、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争では19機を撃墜した。少年時代に憧れていた戦闘機乗り。1933年、17歳のとき横須賀海兵団に入団。その後、戦闘機の搭乗員を養成する霞ヶ浦航空隊に入隊し首席で卒業。
・戦闘機に乗って敵をやっつける。その夢が現実となる日がやって来た。1941年12月8日、ハワイ・真珠湾攻撃。アメリカなど連合国軍との戦争が始まった。原田さんは空母・蒼龍で真珠湾に向かい、ゼロ戦で出撃。

これに参加するということは、日本の国民であり特に軍人であって、しかもゼロ戦というパイロットの自分が立場にいる以上は、こういって戦って向こうをつぶすということが男冥利に尽きるんだと。もうこんな名誉なこともないし、自分の命なんかみんな差し出して戦う(原田さん)

・ところが上官から命じられたのは真珠湾への攻撃ではなく、空母・蒼龍を上空で守る任務だった。

帰って来た連中は鼻高々で「戦艦を沈めた」「格納庫を爆破した」「巡洋艦を追っ掛け回した」そんな話で、みんな船の人たちも「いやー、ご苦労ご苦労」でしょ。我々一日中飛んでた人間は小さくなって聞いている。嫌だなあ、こんな嫌な思いはもうしたくないなと思っていたところが…(同上)

・その4か月後、待ちわびていた空中戦に参加。インド洋のセイロン島沖でイギリス空軍5機を撃ち落とした。

一番、頭に最初来るのは、自分が殺されねえでよかったと。どっちか殺されるんですからね、戦争っていうやつは。だから相手を殺したから自分が殺されねえで済んだ。その安堵感っていうんですか。よかったなということ。その次、相手を接近してどうやら落とした。じゃあ俺の腕の方が良かったんかなという、ちょっとした優越感(同上)

・空中戦では敵の背後に回り込み、10m、5mまで接近して撃ち落とした。喜び勇んで向かった空の戦場、互いの戦闘機が飛び交う中、ほんの一瞬見えた操縦席の敵の顔。

つらそうな顔をするわけ。誰だってそうですよ。もう撃たれて火だるまになったり。だから恨めしそうな顔をして、ひどいなというふうなことを私の方では、はっきり見えるでしょ。そうすると自分の境遇をすぐそれに置き換えちゃう。彼も死にたくなかったんだろう。それから家族もあったんだろう。かわいそうだな(同上)

・このとき原田さんには結婚したばかりの妻・精さん。そして生まれて間もない長男・寛樹さんがいた。

<ミッドウェー海戦では海に不時着した>
・真珠湾攻撃の半年後に始まったミッドウェー海戦。原田さんもゼロ戦で戦闘に加わった。ところがアメリカ軍の猛攻を受け、日本の空母4隻が沈没。帰還する船を失った原田さんのゼロ戦は海に不時着。4時間にわたり漂流した。

フカが来てかじってもいいから、しょうがねえ、じっとしてろと。そうするとあっちの方では、もうダメだって拳銃で自殺する人もいるし、それから爆破した木に掴まって、その木を離して沈んじゃう人もいるしね。順に自分の体も冷えて意識がなくなってきた。そしたら夜中に(一度は)私を置いて逃げた駆逐艦があちこちから(漂流している兵士を)拾い集めて、私のところに最後に来てくれた(原田さん)

・やっと助けに来てくれた。しかしそこで目の当たりにしたのは戦争の現実だった。

もうそれこそ地獄みたい。狭い駆逐艦だけども折り重なるように負傷した兵隊を満載しているんですよ。焼きただれて手のない、足のない人、顔が分からない人。しかもそれがみんなまだ生きていて「苦しい」「助けてくれ」「水くれ」「早く殺してくれ」とか、いろんなことを言っているんですよ(同上)

<ガダルカナルでの負傷 そして終戦>
・ミッドウェー海戦の後、いったん日本に帰った原田さん。長野の実家に身を寄せていた妻・精さんは、ある覚悟を決めていた。「この機会を逃したら、もう二度と会えないかもしれない」。家内はそう親たちを説得して、当時の鉄道事情で7時間もかけて上野駅までやってきた。

私、上野の駅で待っていた。ところが小さい赤ん坊を背負って田んぼへ行ったまんまの格好で、みすぼらしい。しかも背中では赤ん坊が泣いてる。しかし70年間一緒にいた家内が一番きれいに見えたのがそのときです(原田さん)

・束の間の再会を果たしてすぐに激戦地、ガダルカナル島へ。敵の基地を目前にアメリカ軍の戦闘機と交戦。そして…。

左手がぼーんと跳ねられて、見たら飛行服の上に卵ぐらいの穴が開いて、そこから血がばーっと噴き出した(同上)

・機体の破片とみられる金属が左腕を貫通。原田さんのゼロ戦はヤシの木をなぎ倒しながら不時着。意識が朦朧とする中、脳裏に浮かんだこと。

自分の家内がどうなるんだろう。子どもがどうなるんだろう。それから自分の家庭がどうなるかな(同上)

・彷徨い歩いたジャングルで撃墜された艦上攻撃機の搭乗員(佐藤寿雄兵曹)と出くわした。

今夜ここで一晩寝ようって。あばら家の軒先で寝ましたけど、寝られたものじゃないですよ。私もちっとも眠れないしね、痛いしね。横の寝てる佐藤さんの顔を見ると、向こうでも寝られないんですよ、両方で。つらいですね。それで、ヤシの葉陰にお月さんが出てるのを見て、これが最期かな(同上)

・翌日、味方に発見され基地に収容された。帰国後は航空隊の教官に。29歳のとき終戦を迎えた。

兵舎を爆撃している。飛行場の格納庫を爆撃。銃撃をしている。人の命をどのくらい取ってるか分からない。何千人の命を撃ったか分からない人間がですね、今こうして生きているということに対する罪悪感。それが身を切られるようにつらいんです。でもそれは戦争だから仕方がない。だから私は戦争くらい罪深いことはない(同上)

<終戦後、自分自身の経験を語ってこなかった>
・終戦から20年が過ぎた頃、当時自治会長だった原田さんは子どもを預ける場所をつくってほしいと、近所の母親たちから頼まれ幼稚園を開園した。
・かつてこの手でゼロ戦を操り多くの人を殺した。平和を大切にする子どもたちを育てたい。この子たちと同じ年の頃、自分は憧れ戦闘機乗りを夢見ていた。
・幼稚園では一貫して命の尊さを説いてきた。

自分の体、生命を大事にするということを、何かと子どもたちに伝えて、そうすれば自分の体が大事であれば人様の体もお友達のことも大事なんだよというふうに思っていくと。草花を折ったり踏んだり、小さい虫アリでも殺しちゃダメだよと(原田さん)

・そんな原田さんは終戦から50年近く、戦争の話をしなかった。長年連れ添った妻・精さん以外、3人の子どもにさえ打ち明けていなかった。

親父から私に戦争の話は絶対ないですね。今まで一回もなかったですね。やっぱり話しづらいんじゃないですか。やっぱり人とケンカして人の命、奪うわけだからね(次男・誠龍さん)

<戦争経験を語るきっかけとなったのは…>
・半世紀も心に隠していたその残像。ある出来事が原田さんを変えた。今から25年前、原田さん74歳のとき。

平成3年に起きた湾岸戦争をニュースで見た若い方が漏らした「まるでテレビゲームのようだ」「花火みたいだ」という感想には衝撃を受けた。それまで誰にも話すことが無かったゼロ戦搭乗員という過去を明かし、戦争体験を語るようになったのも、これがきっかけだ(「最後の零戦乗り」より)

最初、私は戦争の話するとね、こういう仕事ですから「あの男は元軍人だ」とか「好戦主義者だ」とか、そういうふうに見られるとつらいから、なるべくそういうことを一切口にしてなかったんですけども。

駆逐艦の地獄のようなことを知らないからテレビを見ても感じない。われわれ戦争を見て感じた人間がそれを伝えなければいけない。それから私は一生懸命しゃべるようになった(原田さん)

・人を殺し合う罪の深さと自責の念。戦争の証言者として全国各地で100回以上、講演を重ねてきた。

相手が苦しそうに私の顔をぎゅっと見る。苦しそうにもだえる、火だるまになって落ちていく、これを何機も見ました。相手を本当に目の前で刺し殺す。この行為は本当にいまだにつらいですね(同上)

・民間の船を爆撃したことも包み隠さず話した。

尊い人命を私くらい殺めた人間は、おそらく今この平和の時代にはいないんではないか(同上)

でもやっぱり講演の後は苦しいって言ってましたから。思い出しちゃって。そういう人殺しとか人と対戦した現場に戻るわけですよね。だからもう本当に70年前の現地に戻るわけですから、話すってことは。だから夜は苦しいって言ってましたよ(次男・誠龍さん)

・2014年9月に講演したとき98歳。

ゼロ戦のパイロットとして上空から見ました、戦争の実態を、真実を皆さんにお伝えしてまいりたいと(原田さん)

・講演では数時間立ったままで話し続けることもあった。そのときは近づいていた。

<ゼロ戦乗りの残した遺言>
・終戦から70年目の去年8月、原田さんは白寿を迎えた。

今どうやら日本を取り巻く世界が、和やかな空気のように見えます。ただしこれは本当の私は、平和の空気とは若干違うように自分の体が覚えているから、それを何とか現実に再びああいう嫌な思いをさせない、世界のために最後まで自分の信念を貫き通す発言をしなさいと(原田さん)

・この日が私たちの最後の取材となった。
・今年5月3日、原田要さんは99年の生涯に幕を閉じた。命日は憲法記念日。
・今から75年前、真珠湾に出撃したゼロ戦乗りが未来に伝えたいこと。

今は日本が平和憲法で世界に向かって「軍隊は持ちません」「戦争はしません」。次の世代の人たちが、そういう嫌な思いをしないで済むような世の中になってもらいたいというのが、私の最終的な祈りなんです。

・ゼロ戦乗り、原田要の遺言だ。

(2016/12/17視聴・2016/12/17記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

最後の零戦乗り

わが誇りの零戦(ZERO)―祖国の為に命を懸けた男たちの物語

零戦(ゼロファイター)老兵の回想―南京・真珠湾から終戦まで戦い抜いた最後の生き証人 (シリーズ日本人の誇り)

零戦パイロットからの遺言 原田要が空から見た戦争 (世の中への扉)

※関連ページ(NNNドキュメント)
迷走する轍~貸切バス業界の闇~
青い目の人形の涙~子どもたちとあの戦争~
コイズミワー~守り人マタギとクマ~
いのちいただくシゴト~元食肉解体作業員の誇りと痛み~
5万人に1人の私~トリーチャー コリンズ症候群に生まれて~
となりのシリア人~“難民”が見つめる日本~
斉藤さんちの豆腐~笑顔満載!はたらく障害者~
復活 石巻市立病院 震災2000日 被災地医療の今
夢と土俵と草原と モンゴル人力士の光と影
ニッポンのうた“歌う旅人”松田美緒とたどる日本の記憶
こぼれ落ちる災害弱者~熊本からの警告~
おしゃべりアパート~学生がつくる名物夫婦の学生寮~
3.11からの夢 よそ者の私ができること
移住女子~私がムラを選んだ理由~
記憶の回廊 徘徊と行方不明者
18歳…生徒手帳と私の一票
命の砂時計 ママの“がん”どう伝える
ホルスタインと落下傘~秋田・戦後開拓70年 若者の選択~
知られざる被爆米兵~ヒロシマの墓標は語る~
避難計画で原発やめました 違いは何だ?伊方と米・ショアハム
食べて吐いて~塀の中の摂食障害~
老いるバス 走り続ける 安全は確保されるのか?
汚名~放射線を浴びたX年後~
激震連鎖 「まさか…」に襲われた熊本
あざと生きる~雅治君と「血管」難病の12年~
孤独に苦しめられる人たち SOSを出せないあなたへ
空き家 どうしますか?
託された夢~ダムと柚子と父の遺書~
障害プラスα~自閉症スペクトラムと少年事件の間に~
能登讃歌 ざいごの情と野の花と
生きる伝える “水俣の子”の60年
マザーズ 産みの親は誰ですか。
かあさんと呼びたい~原爆孤児を支えた心の里親運動~
それでも…会いたい~児童養護施設の子どもたち~
ロケット職人~打ち上がれ 俺たちのプライド~
ひとりじゃない ボクとおばちゃんの5年間
傷む心
THE放射能 人間vs放射線 科学はどこまで迫れるか?
ふるさと
はじまりのごはん 3・11 写真と付箋
奥底の悲しみ
“一歩一歩”が人生 女性登山家・田部井淳子
丸山夏鈴~最期までアイドル~
我らじじい部隊~中間貯蔵に揺れる故郷(まち)~
漂流ポスト…あなたへ
スカイツリーに願いを PART2~僕たちの下町商店街~
メイドカフェ火災の死角~検証・見過ごされた“違法”ビル~
ツルの子 八代の子
標高3000mの命~ライチョウからの警告~
安倍政治ってなんだ?戦後70年 ニッポンの分岐点
彷徨う10代 ~大阪中1男女の死が問いかけるもの~
花は咲けども 故郷は…
演じる、高校生~ぼくらの町は焼け野原だった~
被ばく牛‘たまみ’
再稼働元年Ⅱ~原発の“地元”のはずなのに~
凍土の記憶~シベリア抑留を伝える女子高校生~
妹、和子より
島が学校~ある女子高校生の離島留学~
堤防決壊
南京事件~兵士たちの遺言~
火山列島に生きる
祈りの絵筆~飢餓地獄を生きのびて~
ひろむ先生のまほうの手~ふしぎ!できた!ボクらのアート~
能登消滅~9分の8の衝撃~
これが最後です さようなら~北のひめゆりへ祈りを~
2つの“マル秘”と再稼働 国はなぜ原発事故試算を隠したのか?
海の記憶~父からの手紙~
極秘裏に中絶すべし~不法妊娠させられて~
僕らのミーティング~「話す・聞く・想う」 心の授業~
“元少年A”へ~神戸児童連続殺傷事件 手記はなぜ~
生きることは、あきらめない。~少年と余命告知~
90歳のサッカー記者~日韓 歴史の宿命~
コメ サバイバル 密着!ブランド米の攻防
ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る
KOIに恋して 世界へ売る!“泳ぐ宝石”
それでも作り続ける ~福島“原発避難区域”のコメ作り~
あいつは、ミナだ 差別と闘い 新潟水俣病50年
“おうち”診療所~がんと闘う子どもたちの願い~
産みの選択~お腹の赤ちゃん 揺れる命~
晩春 認知症の彼女と結婚した理由
9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~

【にっぽん!歴史鑑定】忠臣蔵 討ち入り24時

$
0
0
【にっぽん!歴史鑑定】
「忠臣蔵 討ち入り24時」

(BS-TBS・2016/12/12放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 今週は吉良邸討ち入りの12月14日があったということもあり、何かと「忠臣蔵」ウィークといった感じでしたね。ちなみに新暦だと1月30日、江戸に雪が降ってもおかしくない時期でしたね。

 ということで「赤穂事件」についての感想は前回こちらで書いたので割愛します(→【歴史秘話ヒストリア】マイベスト内蔵助 忠臣蔵ラバーズ)。

 今回はスタンダードというか王道を往くこの番組ならではの真贋鑑定の中から興味深かったあのシーン。映画やドラマでお馴染みの「山型模様の揃いの羽織」が後の創作だったということ。まあ、あんな目立つ格好で江戸市中を歩けば100%不審者認定ですからね(笑)

 このように後々の創作物が史実を越えてしまっているケースは多々あります。水戸光圀の諸国漫遊も創作だし、真田信繁が「幸村」と名乗った一次資料もない。「独眼竜政宗」が母に殺されかけ、弟を殺したというのもどうやら違うらしいと…いろいろあるわけですが、何だか極めつけになりそうなニュースが飛び込んできましたね。

 来年の大河ドラマで予定されている「井伊直虎」が実は女ではなく男だったという史料が発見されたという記事を読みました。どうするんでしょうね。主人公役の女優さんも既に決まっていてドラマの撮影は着々と進んでいるでしょう。

「このドラマはフィクションです」

 といったテロップを入れて済ませるしかないでしょうね。それなら「真田丸」の最終回も徳川軍敗退、幸村の完全勝利で幕を閉じてよ、NHKさん(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・元禄15年(1702年)12月14日、日本で最も有名な仇討ち事件が起きた。「忠臣蔵」として今なお人気を誇る、赤穂浪士47人の吉良邸への討ち入り。
・遡ること1年9か月、江戸城「松之廊下」。

「この間の遺恨覚えたるか」

・赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が儀式を取り仕切る高家筆頭の吉良上野介義央から受けた仕打ちを恨み、いきなり斬りつけた刃傷事件。
・内匠頭は一切の弁明も許されず、即日切腹。赤穂藩はお取り潰しとなった。それに対して上野介にはお咎めなしという沙汰が下された。「喧嘩両成敗」のはずなのに…。

「殿のご無念を晴らす」

・リーダーは赤穂藩筆頭家老だった大石内蔵助良雄。四十七士は綿密な計画を練り上げ、吉良邸討ち入りを決行。その結果、100人もの家臣が守っていた吉良側の死傷者38人に対し、赤穂浪士は2人の負傷者を出しただけで本懐を遂げるという完璧な突入劇を成功させた。
・なぜ赤穂浪士たちは見事、討ち入りを果たすことができたのか。討ち入りの鍵は決行日にあり?12月14日でなければならなかった理由とは。
・失敗すれば次は無し。絶対に成功させるための秘策とは。
・吉良邸のご近所さんが赤穂浪士をサポート?なぜ周囲の武家は吉良を助けなかったのか。
・激闘の末、遂に上野介の首を討ち取った赤穂浪士たち。その討ち入りが終わったのは何時だったのか。いまだ定かではない2つの説を徹底検証。
・赤穂浪士による吉良邸討ち入り。クライマックスの24時間に辿って、その真相に迫る。

<吉良邸討ち入りはなぜ12月14日に決められたのか>
・今回の主役である赤穂浪士・四十七士。リーダーは赤穂藩の元筆頭家老・大石内蔵助(45)。赤穂藩お取り潰しの際には藩政の残務処理に奔走。
・内蔵助の長男・大石主税(16)。四十七士の中で最年少の若武者。
・襲撃の際、一番頼りにされたのが堀部安兵衛(34)。剣客として名を馳せた男で、四十七士の中で唯一の仇討ち経験者。
・内匠頭の切腹から1年9か月、赤穂浪士たちは討ち入りの時を迎えようとしていた。彼らの思いは一つ、何としても討ち入りを成功させたい。
・しかし決行に至るまでには、幾つもの難題があった。元禄15年(1702年)11月、大石内蔵助ら赤穂浪士は続々と江戸に集結。綿密な計画を練り上げた。討ち入り直前の集合場所、討ち取った後の吉良の首の扱い方、引き上げ場所など事細かに作戦を立てていたが、肝心の討ち入り日がなかなか決まらなかった。
・12月14日に決めたのは決行の間際。なぜこの日を選んだのか。決定が難航したのは、前年の8月に幕府の命で吉良の屋敷が江戸城近くの呉服橋から隅田川沿いの本所に移されたことにあった。
・その新しい屋敷は敷地面積が約2500坪、建坪は約400坪。広すぎて勝手が分からないまま無闇に攻め込んでも、上野介を取り逃がす恐れがあった。しかも100人を超える家臣たちが屋敷を守っていたため、簡単には手が出せなかった。
・そこで内蔵助は吉良邸に関する情報や上野介の動向を掴もうと、早くから浪士たちを周辺に移り住まわせていた。彼らは名前や身分を偽り、吉良邸への潜入を行うなど密かに情報収集にあたっていた。
・中には吉良邸の裏口近くに大胆にも米屋を開く者もいた。それでも屋敷の中の様子や上野介の動向を掴むことができなかった。さらに討ち入りを計画する吉良邸には、土蔵の下に抜け道があるとか屋敷の中に竹垣があるといった実しやかな噂が流れていた。
・そんなとき待望の知らせが届いた。浪士の一人である大石瀬左衛門が吉良邸の前の居住者・松平登之助の家臣だった伯父から屋敷の図面を入手することに成功した。
・しかしもう一つ大きな問題があった。いつ上野介が屋敷にいるのかということ。というのも家督を孫に譲った上野介は、長男の養子先である米沢藩上杉家の屋敷にいることが多く、吉良邸に討ち入りしても本人が居ないという最悪の事態が想定された。

「上野介がいつ屋敷にいるのか、それが知りたい」

・これについて貴重な情報をもたらしたのが、大高源五だった。呉服商に身をやつしていた彼は、吉良邸に出入りする茶の湯の師匠に弟子入りし情報を探っていたところ、12月14日に師匠が吉良邸の茶会に招かれていることを知った。
・14日といえば、前日の13日には正月に年神様を迎えるために1年の汚れを払う煤払いの日。そのため翌14日は正月同様めでたい日とされ、その日に催される茶会はお開きの後、酒が振る舞われることが習わしだった。屋敷の家臣たちは皆、酒に酔って寝入ることが予想された。まさに千載一遇のチャンスだった。
・しかも別のルートからの情報で上野介本人も茶会に出席することが確認された。これらの情報を得た内蔵助は、討ち入りを12月14日に行うことを決定した。
・実は討ち入り日がもっと遅れていたら失敗していた可能性が高いと日本近世史に詳しい東京大学史料編纂所の山本博文教授は指摘する。

赤穂浪士たちの資金が底をついていてタイムリミットが近づいていた。これ以上引き延ばすと吉良上野介も息子が養子に行っている上杉家に引き取られる可能性があった。そうなれば討ち入り成功の確率は下がってくる。また赤穂浪士たちの心変わりも心配された(山本教授)

<討ち入り直前 赤穂浪士たちはどう準備したのか>
・討ち入り24時間前。元禄15年(1702年)12月14日早朝。師走の江戸の町で赤穂浪士47人は、運命の朝を迎えた。大石内蔵助はその心境を手紙にこう残している。

ついに時節が到来し同士の者が申し合わせ上野介の屋敷へ乱入いたします(中略)。妻子、親類、後難をもかえりみず討ち入る覚悟でございます。

・そして昼時になると大高源五の情報通り、吉良邸で茶会が始まった。このとき上野介は久しぶりの茶会の開催に終始、上機嫌だったという。
・討ち入り9時間前。夕刻、赤穂浪士たちが動き出した。映画やドラマの「忠臣蔵」では、赤穂浪士四十七士が1か所に集まり蕎麦などを食べて鋭気を養ってから出発するが、実際はどうだったのか。

暮れ過ぎ(午後6時過ぎ)に堀部安兵衛の家に集まり、別れの杯を交わした。それから3つのグループに分かれて堀部宅、杉野十平次宅、前原伊助宅へ行き着替えをした(山本教授)

・実は蕎麦を食べたのは暇を持て余した数人で、3か所に分かれて討ち入りに備えていた。
・一方、吉良邸では茶会の後、酒宴が開かれ家臣たちは大いに盛り上がっていた。そして夜も更けると皆酔って眠りについた。
・討ち入り30分前。3か所の集合場所で準備を済ませた浪士たちは日付の変わった午前3時頃、成功を誓って吉良邸へと出発した。
・四十七士が吉良邸に向かう様子を描いた浮世絵「忠臣蔵 夜討六」(東京都江戸東京博物館蔵)。全員が山型模様の揃いの羽織を着用している。この出で立ちは映画やドラマなどでお馴染みだが…。

派手な羽織では逆に目立ってしょうがない。これも後世の創作だと思われる(山本教授)

・四十七士を祭る兵庫県赤穂市の赤穂大石神社。ここに赤穂浪士たちが討ち入りの際、実際に着用した装束の一部が保管されている。赤穂浪士たちは肌着の上に刀から身を守るための防具・鎖帷子をまとい実戦に備えていた。彼らの用意周到ぶりが窺える。
・また元赤穂浪士が書き残したと言われる「江赤見聞記」(落合与左衛門)によれば鎖帷子の上に着ていたのは、火消し役人のような黒の小袖だった。同士討ちを避けるため、両袖口には白の布を付け目印に。そして股引、脚絆にも鎖を入れ、履物は草鞋を用いた。兜の上から闇に紛れる黒い頭巾を被るなど、実際は山型模様の羽織とは全く異なる出で立ちをしていた。
・さらに内蔵助は幕府側に見つからないよう、念には念を入れていた。もし咎められた場合は「火消しである」と答えるなど、事前に細かく申し合わせていたという。
・赤穂浪士たちは幕府の役人に見つかることもなく、無事吉良邸に到着(12月15日午前3時半頃)。その後、吉良邸へ突入した。

<いよいよ討ち入り その秘密兵器とは>
・討ち入りに際して赤穂浪士たちが購入した武器は槍12本、長刀2振、まさかり2挺、弓2張のほかに金槌とかすがいと呼ばれる釘だった。
・赤穂浪士たちは表門部隊と裏門部隊の2手に分かれた。表門の大将は大石内蔵助。浪士たちを表門固め、玄関固め、新門固め、屋敷内斬り込みの4つに分けて配置した。
・裏門部隊の配置は3つで裏門内固め、長屋防ぎ、屋敷内斬り込み。大将には内蔵助の息子・大石主税、補佐役として吉田忠左衛門が抜擢された。
・そしていざ突入。まず表門部隊の大高源五と間十次郎が屋根を越えて一番乗りを果たした。これに続き表門部隊の浪士たちが次々と乗り込んでいった。この事態に気づいた吉良の家臣たちは立ち向かってきたが、刀でなぎ倒されていった。
・その後、内蔵助は裏門部隊に突入開始の合図を送った。これに呼応して裏門部隊は門を打ち破り「火事だ!」と叫びながら突入。その声を聞き慌てて外に飛び出した吉良の家臣たちを槍で突き刺した。
・突然の出来事に警備にあたっていた者たちは「今、狼藉者どもが討ち入りました」と慌てふためくばかり。赤穂浪士47人に対して吉良側の家臣が100人ほどいたとされるが、なぜ反撃できなかったのか。
・大石内蔵助たちの狙い通り、家臣たちが茶会の後の酒宴で深酒をした気の緩みがあったということ。そして反撃を食い止めるための赤穂浪士たちの対策が万全だったことだ。
・それが、かすがいだった。吉良邸に侵入すると浪士たちの一部はすぐに屋敷とは別棟の長屋に向かい、その戸口を開かないよう打ちつけてしまった。こうして多くの家臣たちが反撃に出られなかった。
・浪士たちは他にもこんな道具を用意していた。龕灯と呼ばれる今でいう懐中電灯。傾いても中のろうそくが倒れない仕組みになっていて、どんなに激しい戦いの中でも辺りを照らし続けることができた。

念入りに武具の準備をしたことで圧倒的に敵より優位に立った。これも討ち入りを成功した要因の一つ。また赤穂浪士たちの完全武装もあり、吉良側は太刀打ちできなかった(山本教授)

・さらに浪士たちに味方したのが天候。12月ともあって江戸の町は前日も雪が降るなど厳しい寒さに見舞われていた。何の準備もしていなかった吉良側は反撃しようとしても手がかじかみ、とっさに刀を握ることができなかったという。
・反撃もままならなかった吉良側に対して、最終的に赤穂浪士側のけが人は僅か2人。それも敵の攻撃で傷を負ったのは近松勘六だけだった。もう一人の原惣右衛門は表門を乗り越えようとした際に足を滑らせ下に落ち、捻挫したというものだった。

<討ち入りで騒然の吉良邸 そのとき周囲は>
・吉良邸から聞こえる「火事だ」という叫び声と吉良の家臣たちの阿鼻叫喚。この騒ぎに表門の向かいの牧野家や北側の土屋家は、火の手を確かめようと外に飛び出した。
・ところが吉良邸からは炎も煙も上がっていなかった。一体何が起きているのかと土屋家の家臣は、吉良邸との境に高提灯をともして中の様子を確認しようとした。そのとき彼らが目撃したのは火事ではなく修羅場だった。

「ついに浅野家の家臣たちが討ち入ったのか」

・この土屋家の動きを察したのが、赤穂浪士の片岡源五右衛門と小野寺十内だった。何としても吉良への助太刀を食い止めなければならなかった。そこで吉良邸の屋根に登り、中を窺う者たちにこう叫んだ。

「仇討ちでござる。侍は相身互いの儀、お構いくださるな。どうしてもお構いになるというのであれば、そこもとへ狼藉に及びますぞ」

・すると思わぬことが起こった。隣の土屋家の高提灯の数が増えたのだ。まだ夜明け前、暗闇での討ち入り。赤穂浪士が戦いやすいように吉良邸を明るく灯してくれたのだ。この対応に片岡は「かたじけない」と一礼をして持ち場へ戻っていったという。

仇を討って主君に忠義を尽くすという行為に周囲は感銘を受けた。庶民の噂や期待が幕府への圧力にもなり、幕府は喧嘩両成敗にしなかったことへの後ろめたさを感じていた。幕府が吉良邸を本所に移転させたのは、上野介を見放したと考えられる(山本教授)

・吉良邸に討ち入った赤穂浪士たちは、それぞれ獅子奮迅の活躍。吉良邸へのスパイとして尽力した小野寺幸右衛門、先陣を切って突入し向かってきた番人を次々と倒した。
・不屈の精神の持ち主・矢田五郎右衛門。自分の刀が折れてしまうというアクシデントにもめげず、相手の刀を奪い取り戦い続けた。
・元荒くれ者の不破数右衛門。吉良の家臣たちを長屋から出られないようにした後、すぐさま屋敷内に駆けつけ数人を斬りつけるという大活躍。

<消えた上野介 その隠れた場所とは>

「主君 浅野内匠頭の敵討ち」

・赤穂浪士は大声で叫びながら屋敷の奥へと進んでいった。吉良邸の構造は事前に得た図面によっておおよそ分かっていたため、赤穂浪士たちは上野介の寝所と目される場所へ急いだ。そんな中、意外な行動をとった浪士もいた。

たまたまうろうろしていた吉良家の家臣を捕まえてロウソクを出させたり、茶菓子のありかを尋ねて腹ごしらえをしながら戦った(山本教授)

・そしてようやく上野介の寝所に辿り着いた浪士たち。

「いざ吉良上野介を討たん」

・しかしそこはもぬけの殻、布団のみが残されていた。危険を察知した吉良の家臣が上野介を脱出させていた。内蔵助は気を落とす浪士たちを鼓舞した。

「これほど苦心して討ち入った甲斐もなく、上野介を討ち漏らしたのでは詮なきことである。さりながら死ぬことは易きことである。今一度探してみよ」

・そこで浪士の一人が機転を利かして布団の中に手を入れた。まだ温かかった。何としても上野介の見つけ出そうと浪士たちは再び屋敷内に散った。
・薄暗い屋敷内の広間、書院や台所などを徹底捜索。しかし上野介の姿はどこにも見当たらなかった。誰もが諦めようとしていたとき、浪士の一人が台所の裏に物置のような部屋があることに気づいた。
・部屋を調べようとすると中から何者かが斬りかかってきたため、すぐさま浪士の一人が切り捨てた。そして中を覗いてみると、まだ人のいる気配が。中にいる男を槍で突き、外へ引っ張り出した。龕灯を近づけると白髪の老人だった。

「これが吉良上野介か?」

実は赤穂浪士たちの中で吉良上野介の顔を知る者は誰もいなかった(山本教授)

・困った浪士たちは、松之廊下で内匠頭が上野介に斬りつけた額の傷跡を確認しようとした。しかし槍で突いた傷と区別がつかず確証を得られなかった。老人の背中を確認すると、そこには内匠頭が後ろから斬りつけた傷跡があった。
・上野介を見つけたこの場面、映画やドラマでは炭小屋に隠れていたことになっているが、実際は台所裏の物置だった。そして最後に表門部隊の間十次郎が上野介の首を討ち取った。
・浪士たちは今一度、上野介かどうかを確認するため捕らえていた吉良の家臣に首を見せて問い詰めた。すると上野介の首であると認めた。その瞬間、吉良の首を取った合図の笛が屋敷内に響き渡り、大歓声があがった。赤穂浪士たちは遂に主君の仇を討ったのだ。

<討ち入り終了は午前5時か午前6時か>
赤穂浪士たちが吉良の首を持って主君の墓のある泉岳寺へ向かい着いた時間が午前8時頃と言われている。吉良邸から12kmの距離があり、鎖帷子を着用していたことや疲労を考えると2時間で歩くのは難しい。また上野介の実子・上杉綱憲が家臣を集めて吉良邸に向かったが、着いたのは午前6時頃だったと言われている。彼らと赤穂浪士が鉢合わせした事実はないので、午前5時説が有力だと考えられる(山本教授)

<本懐達成 赤穂浪士の涙の報告とは>
・12月15日午前8時頃、赤穂浪士たちは内匠頭のある泉岳寺に到着。血の付いた刀や槍を手にする集団を見た泉岳寺の僧侶たちは騒然となった。そんな僧侶たちに対し、赤穂浪士たちはこう告げた。

「浅野内匠頭の家来、今朝亡き主君の敵、吉良上野介の首を討ち取り、ここに参りました。しかしながらいずれも命を助かりたいためではありません。ただ上野介の首を墓前に供えたいだけのことです。それが済むまでは御門を差し固めてください」

・こうして大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士たちは、浅野内匠頭の墓前に上野介の首を供えると、吉良邸に討ち入り仇を取ったことを報告。全員で焼香した。そのとき一同は大声を上げて泣き叫んでいたという。
・討ち入り後、赤穂浪士たちは幕府の裁きを待つことになった。しかし浪士たちの処遇は幕府を悩ませた。彼らを死罪にすれば武士としての忠義を否定することになり、かといえ罪を咎めなければ徒党を組んで押し入った行為を認めることになる。長い議論の末、5代将軍・綱吉は、仇討ちは認められないが武士の情けで打ち首ではなく切腹を許すという断を下した。
・そして元禄16年(1703年)2月4日、赤穂浪士たちは切腹した。それから50年後、赤穂事件は「仮名手本忠臣蔵」として人形浄瑠璃や歌舞伎で上演され大評判に。義に生き、義に散った赤穂事件たちの思いは300年近く経った今もなお日本人の心の中で生き続けている。

(2016/12/18視聴・2016/12/18記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

知識ゼロからの忠臣蔵入門

これが本当の「忠臣蔵」 (小学館101新書―江戸検新書)

忠臣蔵 [DVD]

※関連ページ
べっぴんさんの真実
流転の王妃・愛新覚羅浩
時代劇 水戸黄門の秘密
出雲神話に隠された真実
世界遺産 姫路城のミステリー
将軍のカルテ~江戸の先端医療~
足利義満はなぜ天皇を超えたのか?
大奥スキャンダル~絵島生島事件~
大仏建立!その真の目的とは?
戦国の美女シリーズ(2)~信長の妹・お市の悲劇~
戦国の美女シリーズ(1)~光秀の娘・細川ガラシャの悲劇~
武将が愛した美少年たち
家康が恐れた妖刀村正
貴重映像がとらえた関東大震災
日本人の心・富士山ミステリー
怪談~江戸の七不思議~
風立ちぬの真実~零戦の栄光と悲劇~
とんち和尚・一休 型破りな人生
石田三成と加藤清正 関ヶ原の真実
聖徳太子は実在したのか!?
永代橋はなぜ崩落したのか?
信長の夢!安土城ミステリー
川中島の戦い!全5回の真実
日本の警察はどのように生まれたのか?
千利休はなぜ切腹させられたのか?
松井須磨子はなぜ大女優になれた?
高橋お伝は毒婦だったのか!?
伝説の侠客はなぜ生まれたのか?
参勤交代は地方創生の走りだった!?
岩崎弥太郎はなぜ財閥を築けたのか?
小田原城落城!北条はなぜ滅びたのか?
北条政子は稀代の悪女だったのか?
徳川吉宗は名君だったのか?
浮世絵師からの挑戦状
信長の最期~本能寺の変の真実~
織田信長の半生
足利尊氏の生涯
松尾芭蕉は隠密だったのか?
武田勝頼の生涯
吉原の花魁
信長が怖れた男~松永久秀~
大奥の女たち
賤ヶ岳の戦いの真実
平家はなぜ滅びたのか?
広岡浅子の生涯
徳川綱吉は暴君だったのか?
江戸城の儀式
真田幸村の最期
真田幸村の半生
日本の歳時記
安倍晴明と陰陽師
忠臣蔵の真実
もうひとつの関ヶ原
家康の正室 築山殿暗殺事件
後鳥羽上皇はなぜ乱を起こしたのか?
坂本龍馬は英雄だったのか?
阿部定は悪女だったのか?
長篠の戦いの真実
武将たちのカルテ
遊女たちの一生
藤原道長の栄華
淀の方は悪女だったのか?
柴田勝家はなぜ秀吉に負けたのか~信長の後継争い
田沼意次は悪だったのか?
源氏はなぜ三代で滅びたのか?
伊達政宗はなぜ天下を取れなかったのか?
徳川慶喜はなぜ大政奉還をしたのか?
家康はなぜ駿府に隠居したのか?
江戸の七不思議
平将門はなぜ殺されたのか?
大久保利通はなぜ暗殺されたのか?
元寇はなぜ起きたのか?
越後の龍 上杉謙信
大岡越前と遠山金四郎
人はなぜ旅に行くのか?
なぜ相撲は人気になったのか?
武田信玄と影武者
THE 鹿鳴館
人はなぜ宝くじに熱狂するのか?
北斎と広重
義経はなぜ頼朝に殺されたのか?
常盤御前 悪女伝説のなぜ

【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】衝撃の超能力ブーム~スプーン1本、人生が変わった~

$
0
0

【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「衝撃の超能力ブーム~スプーン1本、人生が変わった~」

(NHK・BSプレミアム・2016/12/14放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/

<感想>

 私にとってユリ・ゲラーさんは、ちょっと年代的にはテレビで紹介されていた時期を覚えていないぐらいの世代ギャップがありまして…話としては知っていましたが、リアルタイムではありませんね。

 どちらかといえばマリックさんの「ハンドパワー」は子どもの頃、テレビで観ましたよ。彼は公然と「マジック」と「トリック」の融合を公言していたので、そういう意味では変にカルトっぽくないので受け入れてましたけどね。まあ80年代から90年代にかけて空中浮遊だの何だのとやっていたカルトがいましたからね。あれは本当にひどかった。

 それはともかくとして…実は私もスプーン曲げをすることが出来ます。

 ご興味ある方は次の方法でぜひやってみてください。ちなみにスプーンは高級なものではなく、曲げてもいいもの(100均とかで買ったもの)を使ってくださいね。

(1)利き手を前に出す。
(2)利き手にスプーンを持つ(カーブのある方を手前に)。
(3)利き手の親指は、スプーンの柄の3分の2の部分を垂直にして握る。
(4)腕をまっすぐに出す(高さを肩と同じに、できるだけ遠くに)。
(5)「このスプーンは絶対に柔かくなって曲がる」とイメージをする。
(6)逆の手でスプーンの先端を触れる。
(7)「曲がれ!」と呟き、ゆっくり手前にスプーンを引っ張る。


 出来ましたでしょうか?これが私が念を送った超能力かどうかは…内緒です(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・昭和40年代後半。オイルショックの不安が襲った頃、日本には不思議なものが流行り始めていた。長蛇の列をつくっていたのは突拍子もない映画「日本沈没」(1973年12月・興業16億円のヒット)。
・人類が世紀末に滅亡するという怪しげな予言が人気を集めた(「ノストラダムスの大予言」1973年11月・発売3か月で100万部を突破)。さらにUFOや謎の巨大生物など科学的に解明できない現象を追うのがブームとなった。
・この不思議なブームが頂点に達したのが1974年3月7日、1本のテレビ番組が放送された瞬間だった。画面に現れたのは超能力を操るというユリ・ゲラー、衝撃の技を披露した。フォークの柄を優しく指で撫でるだけで…曲がって折れた。
・さらにゲラーはテレビを見ている視聴者にもスプーンを持つよう呼びかける。「生放送で念を送る」と言うやいなや、スタジオの電話が鳴り始め「スプーンが曲がったという」という声が寄せられた。
・この番組の放送後、日本全国から「自分もスプーンを曲げられる」という子どもたちが現れ、超能力ブームが沸き起こった。週刊誌はこの話題で持ちきり、次から次に不思議な力や現象が見つかったという報告があがった。
・しかしその一方、インチキがバレたり、いじめやバッシングが起きた事例も。大人も子どもも熱中した超能力ブームは一体どのようにして起きたのか。
・運命の分岐点は1974年3月7日。ユリ・ゲラーがテレビ番組でスプーンを曲げた瞬間。番組を仕掛けたテレビマン、超能力の正体を見破ろうと躍起になったマジシャン、そしてブームの中心にいたユリ・ゲラー。3つの視点からその瞬間を見つめる。

<視点1 番組ディレクター トリックなんてどうでもいい>
・千代田区麹町。かつて矢追純一が勤める日本テレビの本社がここにあった。

僕が入った頃はモルタル2階建てみたいな、こんなに立派な社屋じゃなかったですね。大きなテレビ塔が建っててね。不良社員でしょうね。仕事がないと来ないっていう、とんでもない社員ですからね(矢追氏)

・矢追が大学を卒業して飛び込んだとき、日本テレビはまだ開局7年目。テレビも確かに若かったが、この男の突拍子のなさは群を抜いていた。
・入社後まもなく矢追が配属されたのは花形のドラマ班。だがすぐに追い出された。

僕が作るホームドラマって、みんな家庭崩壊する。主人公家出する。ものすごく視聴率が悪かった。常識的でないもの。「お前、向いてないから」ってクビ(同上)

・もともと型にはまったものが嫌いな性格。深夜番組に異動になったのを機に奇妙な企画を打ち出していく。まずは空飛ぶ円盤「UFO」を探索する番組。謎に満ちた証言を追うと、高視聴率を記録した。
・続いて今度はイギリス・ネス湖で捉えられたという巨大生物「ネッシー」の真相を追う。これも大当たり。付いたあだ名は「UFOディレクター」。
・不思議な男の噂を耳にしたのはそんな頃だった。それはアメリカでUFOの取材をしているとき。元宇宙飛行士からの情報だった。ユリ・ゲラーという27歳のイスラエル人が超能力を操る様子は本物としか思えないという。
・権威あるスタンフォード研究所も調査したが、トリックは見つからなかったというのだ。矢追はすぐにアポを取り、ゲラーに会いに行った。

「おお、よく来た」ってハグして「お前は前世で俺の兄弟だった」って(同上)

・矢追が超能力を見せてくれと頼むと「何か金属はないか?」と聞かれた。持っていたのはパイプタバコを手入れするスプーンだった。

ぐにゃ~っと曲がって折れた。カメラマンが一番びっくりして「矢追ちゃん、こいつすごいよ本物だよ!」。「何で」と言ったら「ずーっとアップで見てたけども、すり替えてない」(同上)

・矢追は「これは当たる!」と直感した。こんな不思議を目の前にしたら、どんなトリックがあるのかといぶかる人が多いはず。でも矢追は…。

日本人ぐらいなんですよ。例えばマジックを見たときにネタを発見してやろうと構えるのは。あれはナンセンスなんですね。そこにネタがあるに決まっている。そんなもの暴いてどうするか(同上)

・矢追はその場で交渉し日本のテレビへの出演を取り付けた。勝ち取った枠はゴールデンタイムを90分ぶち抜く看板番組「木曜スペシャル」。真偽の程も分からない超能力を披露するだけで、1時間半の番組にすることに決めた。

ユリ・ゲラーが何もできなかったとしても、それはそれでいい。そこに至る過程が面白いのであって、結論はどうでもいい(同上)

・当時、同じ日本テレビでドキュメンタリーのディレクターだった渡辺みどりは、矢追の繰り出すテーマに度肝を抜かれた。

それ考えるディレクターもだけど、上の人がこういうものを放送することを許したっていうのはすごい。今だったら企画の段階で危ない。テレビ自身が若いメディアだった。今だったら企画の段階でもちろんダメになっちゃうでしょうし(渡辺氏)

・矢追が考えた進行表が残っている。番組は大きく4つのパート分かれる。ゲラーは透視に始まり順次、超能力を披露していく。これらは全て事前に収録し編集しておく。スタジオには科学者や国会議員など超能力に懐疑的なゲストを含め大勢の客を入れた。
・番組の山場は彼らの前で行うスプーン曲げだ。そしてその後に目玉の演出を用意した。全国のテレビを見ている人にスプーンや壊れた時計を用意してもらい、テレビを通して生放送で念力を送る。これはゲラー本人の希望だったという。

「全国に呼びかけてスプーンを曲げたい」。声が入って来ないとつまらないと思ったので電話を20台ぐらい用意(矢追氏)

・ユリ・ゲラーが念を送る時刻は中途半端な8時35分。そこにはタッグを組んだ構成作家の羽柴秀彦の計算があった。

7時半から8時半、9時、やっぱりその辺で8時半ぐらいにいきますよね。時間を強調するために30分というよりは35分というように、そのくらいはやりますね。35分っていうのは、細かい時間の方が注意を引きやすいんです(羽柴氏)

・1974年3月7日夜7時30分、番組が始まった。

テレビの前にお集まりの皆さん、今夜は現代最高の超能力者、今やアメリカをはじめヨーロッパ各地でも最大の話題を巻き起こしている、念力男ユリ・ゲラーの驚くべき超能力の数々をご覧いただきます。

この番組の放送中に、遠くカナダからこの日本に念力を送って日本中に大変なことを起こしてみせると予告しております。その時間は8時35分。現在からちょうど1時間ちょっとですね。一体何が起こるんでしょうか。

それでは皆様にご紹介いたしましょう。現代最高の念力男、世紀の超能力者ユリ・ゲラーさんです(司会・三木鮎郎氏)


・ゲラーは用意された中からフォークを手に取ると、指でこすり始めた。

金属がなくなっていくのが分かるだろう。心の中で「曲がれ曲がれ」と歌っています(ゲラー)

・5分後、フォークは曲がり始めて最後には折れた。
・衝撃はそれだけではなかった。いよいよクライマックスへ。8時35分、ゲラーが生放送で念を送る。

僕のスプーンはもう曲がっています。とても集中できています(電話の声・ユリ・ゲラー)

・するとスタジオに電話が…。

スプーンが急に曲がりました。2本曲がりました(電話・女性の声)

・後に矢追のアシスタントを務めるテリー伊藤。この晩、番組にくぎづけになっていた。

仲間の家でみんなでスプーンを持って見てました。こんな盛り上がることってないじゃないですか。テレビと会話できる。この(演出の)ポイントは何かというと、見てる人が1秒後に自分もできるかも分からないってこと。この演出のすごさというのは、お茶の間で超能力の体験を見てる人もできる。そこがやはりすごいですね。“家庭でできる超能力”(テリー伊藤氏)

・番組の視聴率は26.1%。超能力は本物なのか、それとも何か仕掛けがあるのか。議論が沸騰した。

分からないっていうことが大事。分からないからこそ、見てる人の心の中に残る。結論はどうでもいい。何か分からないから次が期待できる(矢追氏)

・だがまもなく、矢追の想像を超えた事態が起こる。「自分もスプーンが曲げられる」と言う子どもたちが全国に現れたのだ。テレビや週刊誌が次々に特集を組み、世は「超能力ブーム」に沸いた。
・このブームで人生が一変した人がいる。秋山眞人、当時「超能力少年」と騒がれた一人だ。秋山はあのとき13歳。番組を見ながらスプーンに念を送ったら見事に曲がったのだという。翌日、学校でやってみせると、たちまち人気者になった。

嬉しかった。みんなが注目してくれる。今までどちらかというと関心持たれなかった。下手するといじめられたり(秋山氏)

・噂が噂を呼び、記者たちが連日押し寄せた。

雑誌とかも含めたら100組以上。「超能力少年が帰ってきました!」みたいのとか、家の角を曲がって家の門を入ったところからみんながいるみたいな。芸人さんがうちの庭にいたりして(同上)

・しかしまもなく一部の超能力少年に不正が発覚。秋山を見る目も手のひらを返すように厳しいものになった。

石投げられた。いじめが復活。無視されることもあった。「インチキだったんだろう?」みたいな感じで周りが引いちゃうっていうか。意外と辛かったのは(超能力)肯定派の方の人たちが意外と叩く。「お前たち俺たちの理想とは違うじゃん」と。(肯定派が)信じる主義、信仰みたいなものを僕たちに押しつけようとするのが一番辛かった(同上)

・あのブームから42年、秋山は今もスプーン曲げに挑み続ける。

ちょっと興奮しすぎてるんですよね、久しぶりだったんで。真ん中よりちょっといい状態で行って、少し未来のイメージが先取りできると曲がる(同上)

・秋山は今、易学の知識を生かし携帯電話の占いサイトの開発などに携わる。あの番組を見て何を思うのか?

40年前、ぐっときますね本当に。僕たちはこれで人生が変わった(同上)

<視点2 スプーン曲げを研究した手品師 超能力vs.超魔術>
・1本の番組をきっかけに一夜にして日本中を席巻した超能力ブーム。その陰で突然、崖っぷちに立たされてしまった人々がいた。それが手品師たちだった。
・その頃、手品グッズの実演販売をしていたMr.マリック。ユリ・ゲラーが披露した超能力は彼の人生を劇的に揺さぶった。
・インタビューの場所に指定されたのは、秘密の練習場だった。マリックは、高度な技術があればスプーン曲げは「手品」で再現できるという。
・あの日、マリックは自宅のテレビでユリ・ゲラーを見た。プロの目にもトリックが全く見つからないことに衝撃を受けた。

本当に超能力者が出てきたと純粋に見てた。こんなこと出来たらいいなと思って(マリック氏)

・それはマリックの人生を根底から揺さぶる事件だった。
・当時マリックは25歳。本名・松尾昭としてデパートで手品用品の実演販売をしていた。だが放送の翌日、思わぬことが起きた。手品を見せてもまるで反応がない。そして言われた。

「超能力は使えないの?」

「手品でしょ?」「手品はインチキ」「超能力は本物。本物を見ちゃった」と言われた。たった一夜にして世の中の人は変わるってことを身をもって体験しましたね(同上)

・子どもの頃から人を驚かせるのが好きだったマリック。ゲラーに受けた衝撃は、単にその謎が分からなかったからではなかった。スプーン曲げを見たときの客の反応は、従来の手品をはるかに超えていた。それがショックだった。

今までのマジシャンっていうのは鮮やかにやると見てた人が拍手で。ユリ・ゲラーさんの番組見たときには誰も拍手なんかしてないですよ。悲鳴だけ「わー!」とか「キャー!」とか。本当に人間が驚いたときっていうのは、ああいう反応を示す。自分のやってたマジックは本当に(人の心を)驚かせてない。目も心も驚かせるのは不思議なこと。これはやらなきゃいけない(同上)

・あの謎を解かなければ、マジシャンの自分に未来はない。何としても超能力の正体を見極めなければならなかった。マリックはゲラーを追ってアメリカへ。まずは自分の目であの技を見たかった。

まずユリ・ゲラーさんと直接会いたいと思ったんですね。直接、生で見たいと(同上)

・ゲラーが公演を行うホテルを訪ねたが、突然中止になったと告げられる。だが途方に暮れたそのとき、会場になっていたホテルで偶然ある人物に出会った。

たまたまロビーにアメージング・ランディさんっていう「ユリ・ゲラーはインチキ」って言い続けてた人が来てた。マジシャンですよ、有名なマジシャン。「スプーン曲げのことを研究しようと思ってる」と言って相談に乗ってもらった(同上)

・アメリカの高名な手品師アメージング・ランディ。手品には必ずタネがあることを宣言する一方、超能力など不思議な力を信じ込ませるショーはカルトにつながるとして厳しく糾弾していた。ランディは目の前でスプーンを曲げてみせた。それは極めて高度なトリックだった。

2日間みっちり教えてもらいましたよ(同上)

・タネは明かせないが、そのときランディから教わった一部を見せてくれた。

こういう原理を教えてくれましたね(同上)

・この原理を応用すれば人々の目を欺くことができるのだという。
・だがまだ一つ謎が残る。ゲラーはテレビを見ている人にまでスプーンを曲げさせた。あれはどういうことなのか。ヒントをくれたのは日本が誇る名マジシャンの初代・引田天功だった。

「テレビを見ていた人の曲げさせたのって、天功さん分かりますか?」と言ったら「催眠術だよ」と(同上)

・マリックが番組スタッフで実演するという。

“覚醒催眠”っていうね、瞬間的にはめるっていうね。その人が私の言った通りのことをやってくれて、自分でやってるつもりなくてもそういう風にかかるんですよ(同上)

・暗示がかかると無意識のうちに力が入り、スプーンを曲げてしまうという。この技を自分のものにするまで約10年かかった。そしてその練習を通じてゲラーとは何者なのか、自分なりの確信を掴むことになる。
・やがてステージネームを「Magic」と「Trick」を合わせた「Marick」に変更。遂にあの番組への出演を果たした。

今夜の「木曜スペシャル」は神か悪魔か超能力か!?Mr.マリック超魔術(番組音声・1989年2月16日)

・日本テレビ「木曜スペシャル」。そして番組の最後。

手前に曲がるのをイメージして下さい。曲がれ曲がれ(番組内のマリック氏)

・目の前の客に見事にスプーンを曲げさせた。

ユリ・ゲラーさんは反応しか、電話のリアクションだけでしたけども、私の場合はスタジオにいる人が曲げるところがきちんとカメラで撮れた。本当に曲げられるんだというところを撮れたのが、ちょっと進化させられたかなと思いましたね。私自身のターニングポイントだった。スプーン曲げやってきてよかった(マリック氏)

・ユリ・ゲラーが行ったスプーン曲げとよく似た現象は確かに手品で再現できた。だとすれば、ゲラーの技は全て仕掛けのあるトリックなのか。世界では今なお科学者たちによって超常現象の解明が続けられている。だが、説明がつかない現象が全て消えたわけではない。
・日本の超能力研究の第一人者、明治大学教授の石川幹人氏。あの番組がきっかけで研究の道を志した。

ユリ・ゲラーは優秀なマジシャン。明らかにマジックのタネを使っていることがよく分かる、そういう場合もありました。一部の超心理学者は「ユリ・ゲラーは超能力も持っているのではないか」と考える人たちもいます。ただそれにしてもユリ・ゲラーの実験というのがスタンフォード研究所で行われた超心理実験だけでありましてその後、協力を要請しても一切実験に協力していないので、結局これは超心理学の中でもユリ・ゲラーがどうなのかっていうのは最終判断できてない状態です(石川氏)

・ユリ・ゲラーとは一体何者なのか?

<視点3 “超能力者”ユリ・ゲラー スプーンで切り拓いた人生>
・超能力という魔力に満ちた言葉と不思議な現象の数々。ユリ・ゲラーがブームになったのは日本だけではなかった。世界中で社会現象を巻き起こした。それを張本人のゲラーは一体どう見ていたのだろうか。
・番組ではゲラーを訪ね直撃した。あれから42年、世紀の超能力者は何を語ったのか。
・ユリ・ゲラーは今、生まれ故郷のイスラエル・テルアビブに住んでいる。住まいは高台の高級住宅街の一角にある。世紀の超能力者は至って陽気だった。
・ゲラーは現在69歳、世界中で超能力のショーを行った後は、金や鉱石を掘り当てるコンサルタントなどを務めてきたという。42年前の番組を覚えているだろうか。

よく覚えています。とても大掛かりな番組だった。日本中のみんなが見てくれたんですね。日本語も覚えました。「曲がれ!曲がれ!曲がれ!」(ゲラー氏)

・番組の反響はゲラーのもとにも届いていた。

矢追が電話をくれて、日本は大騒ぎだと教えてくれました。日本からのファンレターが何百通も届きました(同上)

・ゲラーは1946年生まれ、両親はハンガリーからやって来た移民だった。幼い頃に両親が離婚。以来、母親の僅かな稼ぎで暮らした。
・スプーン曲げは7歳のとき、突然できるようになったという。ゲラーはそれを生活に使った。

母はウェイトレスをしたりお針子をやったり一生懸命働きましたが、それでも生活は苦しかった。だから母を助けたいと思ったのです。この力を使って有名になって、お金持ちになりたいと思ったのです(同上)

・以来40年余り、その人生は無数の批判にさらされてきた。ベテランの手品師や科学者たちからトリックを見破ったと言われ、バッシングも受けた。そんな人生をゲラーはどう感じているのか。

論争こそは私にとって最高のものです。この記事やこの記事、何千もの批判がなければ、私は今ここにいません。あなたが私にインタビューすることもなかったでしょう。詩人のオスカー・ワイルドがそれを一言で表現しています(同上)

「噂をされるより悪いことがひとつだけある。それは噂すらされないことだ」(オスカー・ワイルド)

・ゲラーのショーで人生が変わった人もいる。そのことも知っているという。

もちろん辛い経験をした子どもたちがいたのは、とても残念で悲しいです。けれども私はそれをどうすることもできません。私は人々を楽しませるエンターテイナーですから(ゲラー氏)

・ゲラーは自身を「エンターテイナーである」と語った。そしてゲラーに改めて聞いてみた。

(あなたの超能力は本物ですか?)
いい質問です。それはあなたたちが決めること。私は人々を惑わせる人間。そして議論が起きるのが大好きです。だから私はその質問には答えません。謎は謎のままに(同上)

・ゲラーはここでインタビューを打ち切った。
・今、ゲラーはある計画を進めている。自分の生涯を展示する博物館をつくって客を呼ぶのだという。

世界最大のスプーン、全長19mになります(同上)

・ゲラーが街に出た。多くの人たちが声をかける。中には「手品師だ」と言う人もいるが気にしないと本人は言う。若者たちが声をかけてきて店でスプーンを借りてきた。今も楽しそうにスプーン曲げを披露する。その姿は確かにエンターテイナー。貧しい移民の子はスプーン1本で自分の人生を切り拓いたのだ。

・人智を超えた不思議な力につい惹かれてしまうのが人間の性。そこに類まれな才能が組み合わさったとき、超能力ブームは生まれた。そして私たちは、その謎を怪しみながら楽しんできた。
・ユリ・ゲラーの超能力ショーに魅せられ、今「超魔術師」となったMr.マリック。あのテレビ番組の数年後、ゲラーとの初対面を果たした。マリックが自分の技を披露すると、ラスベガスで一緒にショーをやらないかと熱心に誘われたという。マリックが見たユリ・ゲラーとは?

本物の超能力者以上に超能力者らしい。超能力者っていうキャラクター。ユリ・ゲラーさんが作った超能力っていう世界を夢見させてくれてますから(マリック氏)

・ディレクター矢追純一にとっては…。

天才的に人を惹きつける何かを持っていますね。やっぱりショーマンですね。非常によく分かってますね。観客が何を望んでいて、ここでどういうことをすればいいかっていうのを本能的に掴んでいる(矢追氏)

・あれから42年、取材の最後にゲラーはもう一度、あのシーンを再現したいという。

1974年にした実験をテレビの前の皆さんと再現してみましょう。皆さんにお願いします。スプーンや壊れた時計などをテレビの前に持って来てください。

これからあの実験を、あなたの家で行います。当時の実験の再現です。

さあ、私の目を見てください。私の1、2、3の合図で「動け!」と叫んでください。

スプーンが飛び跳ねるかもしれません。スプーンはテレビの上に乗せて下さい。

さあ、私と一緒に叫んで。

1、2、3動け!

1、2、3曲がれ!

この実験が成功することを祈って。愛を込めて、さようなら。
(ユリ・ゲラー氏)


(2016/12/19視聴・2016/12/19記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

ユリ・ゲラー わが超能力―それでもスプーンは曲がる!

Mr.マリックの超カードマジック

超心理学――封印された超常現象の科学

※関連ページ
そして田中角栄は首相になった~44年目の証言~
アポロ13号の奇跡 緊迫の87時間
山一破たん たった1つの記事から始まった
知られざるスティーブ・ジョブズ~伝説のスピーチの真実~
そして女たちは伝説になったSP
アメリカ同時多発テロ~ホワイトハウス 知られざる戦い~
ハドソン川の奇跡 ニューヨーク不時着 世紀の生還劇
フェルメール盗難事件 史上最大の奪還作戦
大事件に隠された真実“スクープ”SP
選・日航機墜落事故 命の重さと向き合った人々
東大安田講堂事件~学生たち47年目の告白~
パンダが来た!~日本初公開 知られざる大作戦~
よど号ハイジャック事件 明かされなかった真実
ケネディ大統領暗殺 シークレットサービスの後悔
大韓航空機爆破事件~ナゾの北朝鮮工作員 キム・ヒョンヒ~
これがリアル“あさ”だ!女傑 広岡浅子
日航機墜落事故 命の重さと向き合った人々

【ドキュメント72時間】沖縄 7000人のウチナーンチュ大会

$
0
0

【ドキュメント72時間】
「沖縄 7000人のウチナーンチュ大会」

(NHK総合・2016/12/16放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 お気づきの方もいるかと思いますが、土曜から月曜にかけて一足早い冬休み旅行に出かけていたため、先週末から週明けにかけて予め作成したおいた記事を1日1本ずつアップしていました。そのため未視聴の番組を今日から夜に視聴して順次アップしていきますので、放送日から遅れ気味になるのと順番が前後いたします。ご容赦いただければと思います。

 と前置きが長くなりましたが、まずは新作としては年内最後となる「ドキュメント72時間」。沖縄で5年に一度、移民した人たちが里帰りするイベントがあるということは知りませんでした。沖縄の人たちが世界各地に移住していたことを改めて実感しましたね。

 若い世代では5世にもなり、もちろん沖縄生まれでない人たちも多いわけです。しかし沖縄は彼らにとって「ふるさと」だと感じさせるほどの魅力があるのでしょう。番組の最後にブラジル移民3世の女性が沖縄の放言で「沖縄はいいところだ」と言っていたのが印象に残りました。

 そんな沖縄を私たち本土の人間は本当に大事にしていない。そう感じさせる事件がまたもや相次いで起こりました。オスプレイが墜落したにも関わらず「不時着して大破」などとふざけた表現でニュースを伝える本土のマスコミ。事故の原因すら分かっていないのに既に飛行再開する米軍に強く抗議できない永田町の為政者たち。沖縄の人たちにいつまで苦難を押しつけるつもりなのかと言いたい。

 私も一度だけ沖縄に行きましたが、本当に自然豊かで人々も優しい方が多くて居心地のいいところでした。ただし米軍さえ居なければ…ですが。米軍が居なければ中国が攻めてくるとかあり得ないことを言う前に、沖縄が事実上、米軍に支配されている実態こそ解消すべきでしょう。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・秋、沖縄は季節外れの里帰りラッシュに沸いていた。
・那覇の町で5年に1回開かれる世界のウチナーンチュ大会。ハワイ、ブラジル、ボリビア、沖縄から海外に移民した人たちがふるさとに帰ってくるお祭りだ。
・100年以上前から世界中に飛び出してきたという沖縄の人たち。町の中心、国際通りで行き交う人々の声に耳を傾けた。

・10月26日(水)12時。ウチナーンチュ大会初日。お土産屋さんが並ぶ通りの一角で撮影開始。この日は移民した人々によるパレードが行われるらしい。
・サッカー、アルゼンチン代表のユニフォームを着た女性。57年前に6歳のときの移民。戦後、仕事を求めて一家6人で移り住んだという。
・ブラジルで知り合って結婚したという夫婦(夫は14歳のとき、妻は10歳のとき移民)。ブラジルには沖縄出身者とその子孫が16万人もいるらしい。産業が少ない沖縄では昔から海外への移民が進められていた。
・14時9分。広場に続々と参加者が集まってきた。ボリビアと書かれたシャツを着た85歳女性。終戦後、30歳のときに移民したという。当時アメリカ軍の基地をつくるため、多くの人が住んでいた土地を追われた。
・移民して半世紀以上、沖縄にあまり住んだことがないのになぜか帰ってきたくなるらしい。
・大会の始まりを告げるパレード。里帰りしたウチナーンチュは過去最多の7297人。沖縄の暮らしは、こうした移民からの送金に支えられてきた。
・沿道には多くの地元の人たちが。弟妹がアメリカに移住した男性は「おかえりなさい」と声をかける。
・沖縄の街を包み込む不思議な一体感。
・18時44分。夜になっても国際通りの熱気は冷めない。居酒屋で大合唱する集団がいた。米軍基地の中にある高校の同窓会。みんな青春時代を沖縄で過ごしたという。軍人の子どもだった彼ら。40年経っても沖縄に集まるには理由があるという。父親がベトナム戦争に行ったという女性は残された母とともに周りの人たちで助け合っていきてきたという。苦労を乗り越えてきた人生が海を越えて集まる沖縄の夜。
・街角にミニスカートをはいた白髪の女性がいた。ブラジルからの移民2世という70歳。忙しく働きながら一家を支えてくれた両親。自分も6人の子どもを育てた今、家族のルーツを知りたくなったという。祖先はどう生きて、なぜふるさとを離れたのか。沖縄で親戚に話を聞くたび、一つ一つ分かることがある。

・10月27日(木)10時48分。国際通り周辺はお土産を買う人で賑わっていた。大量の昆布を買った夫婦、ブラジルでは高価なため親戚たちにリクエストされるという。
・野菜を買っている若者がいた。ブラジルから来た4世の歌手の32歳男性。1週間前に来日し、地元の人に各地を案内してもらった。辺野古や高江にある米軍基地を訪れた。基地問題は沖縄だけでなく世界の問題だと言う。
・14時32分。国際通りをのんびりと歩く84歳の男性。第1回のボリビア移民で1954年に行って、それからブラジルに転住。職を求めて6か所もの土地を転々としたという。生まれはフィリピンでその後、鹿児島、大分、沖縄、ボリビア、ブラジルと渡った。沖縄で暮らしたのはたった8年なのに何だか心が落ち着くという。大きなスーツケースには昆布が5キロも入っていた。
・移民が行き交う国際通り。一度は戦争で焼け野原となった。困難を乗り越え、いち早く復興。“奇跡の1マイル”と呼ばれた。
・街頭ビジョンの前で涙を流す女性。母親の3年忌の帰りだという。観ていたのは移民たちが祖国の歌を歌っている姿。

・10月28日(金)9時4分。朝から国際通りに大型バスが停まっていた。今日はふるさとの町を訪ねて、親戚や知り合いに会う人が多いみたい。
・「金城」と書かれたシャツを着た一団。ハワイ3世から5世までの3世代16人で先祖の仏壇にお線香をあげに行くという。
・バスを待つ集団に声をかけられた。ペルー生まれの2世の70歳女性。今回、初めて沖縄に来たという。女性の名はフリアさん、沖縄で生まれたお母さんの親戚を探しているらしい。ずっと働き詰めだったけど最近お母さんが亡くなり、来てみたくなったという。
・ふるさとの町では盛大な歓迎会が開かれていた。あちこちで親戚と対面を喜ぶ姿が。フリアさんも同じ苗字の人を見つけたみたい。残念、親戚ではなかったみたい。その後も探し続けたが会うことはできなかった。
・会が終わる頃、フリアさんが何かを手渡してくれた。ペルーから大切に持ってきたお土産、袋の中に沢山あった。
・この日、沖縄各地で繰り広げられた“出会い”。30年ぶりにハワイから線香をあげに来た男性。泣きながら感謝の言葉を言い手を合わせる。

・10月29日(土)11時36分。つかの間の里帰り、帰国の日が近づいていた。ふだんから沖縄の方言を話しているというブラジル3世の女性。「ブラジルの親戚たちにきちんと話を聞かせてあげたい。沖縄はとてもいい所だと」と言う。

(2016/12/20視聴・2016/12/20記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

川べりの家

Flower Source

※関連ページ
選 どしゃ降りのガソリンスタンドで
六本木ハロウィーン 仮面の告白
村長選挙 旅する投票箱
福岡・中洲 真夜中の保育園
北アルプス 天空のテント村
夢みる巨大画材店
黄昏のゴルフ打ちっ放し
四国 海だけの小さな駅で
平塚 多国籍のお肉屋さん
大都会 モンスターに沸く公園で
福井 真夏の無人氷屋
長崎 お盆はド派手に花火屋で
女子刑務所 彼女たちの素顔
スペシャル ブラジル 祈り満つる秘密の聖地で
突撃!秘密のネットオークション
選・田んぼの中のオアシスホテル
名古屋 レトロ喫茶へようこそ
広島 大統領を待つ街角で
囲碁の魔力に囚われて
京都 青春の鴨川デルタ
浅草 大人のジェットコースター
火山の島 フェリーにゆられて行ったり来たり
アンコール 真冬の東京 その名は“はな子”
ゆきゆきて 酷道439
群馬 伊勢崎 いつものフードコートで
異国でハンコをたずさえて
北のどんぶり飯物語
真冬の自販機の前で・惜別編
さらば!俺たちの船橋オート
大都会 犬と猫のシェルターで
昭和歌謡に引き寄せられて
日韓72時間 くらべちゃいましたSP
秋田 真冬の自販機の前で(番外編)
恋に恋して バレンタイン神社
冬・津軽 100円の温泉で
真冬の東京 その名は“はな子”
大阪・天神橋筋 商店街のベンチにて
消印有効 24時間マンモス郵便局
東京タワーで見る初夢は
札幌 聖夜のバスターミナル
東京かっぱ橋 食の道具街で
横浜 オールナイトでとんかつを
朝までドキュメント72時間
秋田 真冬の自販機の前で
北の大地の学生寮
赤羽 おでん屋エレジー
名古屋 地下街・聖なる夜の忘れ物
出産ラッシュ!日本一の産婦人科
秋葉原 秘密の工房で
占いの館 運命の交差点
世界最大 古書の迷宮へようこそ
歌舞伎町 真夜中の調剤薬局
格安航空 眠らない空港で
街角のダビング店 よみがえる映像
ディープ東京 リトルマニラの片隅で
旅漁師 イカ釣り人生
老舗ホテル また会う日まで
夏の終わり 国会前の路上で
夏コミ!“日本一”のコンビニで
ファミレス人生劇場
大仏を見上げる霊園で
中国・大連 日本食材スーパーで
ニューヨーク コインランドリー劇場
田んぼの中のオアシスホテル
路面電車に揺られて
東京・下町 男と女のダンスホール
福岡・久留米 とんこつラーメン物語
“はなキャバ”人生劇場
ウワサの猫と商店街
沖縄 追憶のアメリカン・ドライブイン
大型連休・レンタルビデオ店で描く夢
海辺の街のコンテナカラオケ
高尾山・なぜかふらりと都会の山へ
六本木ケバブ屋・異邦人たちの交差点
駄菓子屋・子どもたちの小さな宇宙
屋久島・巨木に集う人びと
桜をたどって川上へ 多摩川3日間の旅

【ブラタモリ】#57 東京・目黒~目黒は江戸のリゾート!?~

$
0
0

【ブラタモリ】
「#57 東京・目黒~目黒は江戸のリゾート!?~」

(NHK総合・2016/12/17放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 今回の舞台はタモリ氏の地元・目黒。残念ながら私には縁がない土地で、殆ど行ったことがありません。なので逆に新鮮な気持ちで目黒不動や目黒雅叙園などを観ました。有形文化財の百段階段は雅叙園さんが見学ツアーを開催しているみたいです。予約制で食事つきらしいですが、ぜひ行ってみたいですね(まあ、お値段はそれなりになるようですが)。

 あと羨ましいのは、タモリ氏御一行様というかNHKは防衛省の非公開施設すら見学できることですね。艦艇装備研究所に巨大な水槽があるということは別の番組で知っていました(たぶん戦艦大和の開発に関する番組だったと思います)が、おいそれと一般人は見学できないようです。50年前の三田用水の水が残っているのは、ちょっと驚きました。

 ということで、ブラタモリもこれで年内の放送が最後のようです。年明けは別番組とコラボしたスペシャルがあるようですが、そちらは記事に起こすのは割愛する予定です。ということで次回はレギュラーの「浦安」。ここは馴染みのある場所なのでちょっと楽しみです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・スタート地点は東京の中目黒駅前。
・タモリは目黒に住んで30年だと言う。目黒川は桜の名所ということで桜満開のパネルの前で恒例のニセ合成写真撮影。
・旅のお題は「目黒は江戸のリゾート!?~」
・最初の案内人は日本地図センター総括研究員(「境界協会」主宰)の小林政能さん。
・江戸の境界線を示した古地図(旧江戸朱引内図)。「朱引」という赤い線の内側は江戸の範囲を、「墨引」という黒い線の内側は江戸の町奉行が管轄した範囲を示している。目黒の辺りは江戸の範囲ではなかったけど奉行が管轄していた。

・最初に一行が向かったのは中目黒駅から2kmほどの商店街。なぜ目黒が朱引から墨引が飛び出た特別な場所か分かるという。
・もう1人の案内人が登場。法政大学教授(歴史学)の根崎光男さん。以前の「ブラタモリ 鷹狩り」の回で目黒を案内してくれた。
・目黒不動と呼ばれるお寺の門前町。目黒不動は江戸から日帰りできるので人出の絶えない観光名所だった。参道には茶屋、土産物屋、料理屋などがたくさん建ち並び、人々はお参りのついでに遊ぶことができた。そのため江戸ではないが、奉行の管轄となった理由だという。
・そもそもどうして江戸のリゾートとなるほどたくさんの人が目黒不動をお参りしたのか。
・一行は龍泉寺(平安時代に開かれた天台宗の寺。目黒不動(目黒不動尊)と呼ばれる)に入り、まずは水かけ不動(身代わりで水垢離をしてくれる不動明王。水をかけた部分が良くなるという信仰も)。
・続いて階段の上の本堂へ。戦災で焼け戦後になって建て直したもの。秘仏の本尊・不動明王をまつる。
・江戸時代にはお堂が40ほどあり、諸願成就のパワースポットとなっていた。その一つの前不動が戦災を免れ残っている。本堂の不動明王を写した像がまつられている。
・なぜもう一つ像をつくったのか。目黒不動には将軍も来ていたため、そのときに一般の人がお参りできるよう前不動がつくられたという。
・「鷹狩り」とは飼い慣らした鷹を使って野生の鳥やウサギなどを捕まえらる狩りのこと。江戸時代、将軍は軍事訓練や領地の視察を兼ねた遊びとして鷹狩りをした。
・目黒は将軍という究極のセレブが鷹狩りを楽しんだ江戸のリゾートでもあった。中でも数多く目黒に鷹狩りに来たのが3代将軍・家光。鷹狩りをきっかけに目黒不動を深く信仰するようになった。境内に建ち並ぶお堂の多くも家光が寄進したとされている。
・さらに有名な落語「目黒のさんま」も家光が目黒に来たときのエピソードをもとに創作されたとも言われている。

・続いて一行は目黒不動から600mほど離れた目黒川に架かる橋へ。目黒が江戸のリゾートになったもう一つの理由があるという。
・橋を越えて行人坂へ。急坂つまり崖が江戸の境界・朱引となった。そしてこの地形こそが目黒を人気のリゾートにした。行人坂の方が目黒不動より10mほど高く、西側に富士山がきれいに見えた。目黒不動のお参りにはもう一つの楽しみだった。
・坂の上から富士を愛でた江戸の庶民。一方、この絶景を見られる場所に別荘を建てたのが大名だった。

・次に一行は中目黒の駅前にある高いビルへ。目黒を江戸のリゾートにした「崖」の全貌を見てみる。
・かつて崖の上にあった大名屋敷。そこには三田用水から水を引いていた。三田上水・三田用水は寛文4年(1664年)に開通し、昭和49年(1974年)に廃止されるまで300年にわたって目黒の地を潤した。
・しかし三田用水が現役で残っている場所があるということで、一行は防衛省の研究所(防衛装備庁 艦艇装備研究所)へ。戦前に建てられた旧日本軍の施設をそのまま受け継いでいる。
・終戦直前の研究所の地図を見ると三田用水のルートが書かれている。さらに昭和5年より前には別のルートで三田用水が流れていたことが分かっている。
・先に進むと三田用水の水道橋の痕跡が残っていた。
・昭和5年に完成した長さ250m、幅12mの大水槽。戦艦大和をはじめ様々な艦船の研究開発に使われてきた。水を太陽光から遮るため窓がない。さらに水の入れ替えを極力行わずにきた。
・50年前、水槽を修理したときに引き入れた水が入れ替えられることなく残っている。蒸発した分などを継ぎ足しているが、1.8万トンのうち4割ほどが三田用水の水だという。

・続いて一行は富士見の名所だった行人坂の麓へ。江戸時代のリゾートだった目黒のDNAを今も受け継いでいる場所があるという。
・日本初の総合結婚式場、目黒雅叙園。昭和6年に巨大な料亭として開業した。大名屋敷の広大な敷地を利用した奥行きのある庭が名物だった。
・25年前、ビルに建て替えられたが創業当時のままの場所が僅かに残っている。昭和10年に建った百段階段、高低差16mの崖につくられた4つの建物を繋ぐ階段。東京都の有形文化財に指定されている。
・階段を上ると、かつて宴会場として使われた広間が次々と現れる。7つある広間は当時の名だたるアーティストが手がけた絵や飾りで彩られている。
・大名たちが崖を使ってせせらぎや滝を庭園で作ったのが、雅叙園に受け継がれた痕跡が残されている。

(2016/12/20視聴・2016/12/20記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

ブラタモリ (2) 富士山 東京駅 真田丸スペシャル(上田・沼田)

ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台

ブラタモリ 4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡

※関連ページ
#56 平泉~黄金の都・平泉はなぜ栄えた?~
#55 知床~世界遺産・知床は“火山”のおかげ!?~
#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~
#53 大阪~大阪はなぜ日本一の商都に?~
#52 富士山麓~富士山最大の玄関口はどうできた?~
#51 樹海の神秘~日本を支えた?樹海の正体とは!?~
#50 富士の樹海~日本を支えた?樹海の正体とは!?~
#49 宮島~宮島は“神の島”!?~
#48 広島~広島はステキなシティ!?~
#47 高尾山~高尾山はナンバーワンの山!?~
#46 佐渡~“黄金の島”佐渡は“キセキの島”!?~
#45 新潟~新潟は“砂”の町!?~
#44 会津磐梯山~会津磐梯山は“宝の山”?~
#43 会津~会津人はアイデアマン!?~
#42 横須賀~なぜ横須賀は要港(ヨーコー)っスカ?~
#41 お伊勢参り~人はなぜ伊勢を目指す?~
#40 伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~
#39 志摩~志摩の宝は絶景が生んだ!?~
#38 横浜~横浜の秘密は“ハマ”にあり!?~
#37 京都・伏見~伏見は“日本の首都”だった!?~
#36 京都・嵐山~嵐山はナゼ美しい!?~
#35 水の国・熊本~“火の国”熊本は“水の国”?~
#34 熊本城~熊本城は“やりすぎ城”?~
#33 那覇~那覇は2つある!?~
#32 沖縄・首里~王都・首里はサンゴでできている?~
#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~
#30 道後温泉~道後100万人の湯はどうできた?~
#29 松山~四国一の街・松山はどうできた?~
#28 小田原~江戸の原点は小田原にあり?~
#27 熱海~人気温泉地・熱海を支えたものは?~
#26 日光の絶景 ~日光はなぜ“NIKKO”になった?~
#25 日光東照宮~日光東照宮は江戸のテーマパーク?~
#24 軽井沢への道~人はどう峠を越えてきた?~
#23 小樽~観光地・小樽発展の秘密は『衰退』にあり?~
#22 札幌~なぜ札幌は200万都市になった?~
#21 富士山頂~人はなぜ富士山頂を目指す?~
#20 富士山の美~富士山はなぜ美しい?~
#19 富士山~富士山はなぜ美しい?~
#18 福岡と鉄道~福岡発展のカギは「鉄道」にあり!?~
#17 福岡~博多誕生のカギは「高低差」にあり!?~
#16 軽井沢~軽井沢はなぜ日本一の避暑地になった!?~
#15 出雲~出雲はなぜ日本有数の観光地となった?~
#14 松江~国宝 松江城の城下町はどうつくられた?~
SP 東京駅~巨大地下空間は歴史の生き証人!?
#13 仙台 「杜」と「都」
#12 仙台~伊達政宗は「地形マニア」!?~
#11 奈良の宝~観光地・奈良はどう守られた?~
#10 奈良~奈良発展の秘密は“段差”にあり?~
#9 小江戸・川越
#8 函館の夜景~函館の夜景はなぜ美しい?~
#7 はるばる函館へ~レールはどう函館を目指す?~
#6 鎌倉の観光
#5 鎌倉~800年前の「まちづくり」とは?~
#4 金沢の「美」~金沢は美のまち!?
#3 金沢~加賀百万石はどう守られた?!

【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第6話「約束の白い花」

$
0
0

【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第6話
「約束の白い花」

(NHK・BSプレミアム・2016/12/16放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kozure2/

<感想>

 今日はちょっと帰りが遅くなってしまったため、視聴したのは「子連れ信兵衛」のみ。この番組はあまり難しいことを考えずに気楽に観ることができるので、こんな日にはいいですね。幼馴染が遊郭に売られてしまったのを助けたいと思った若者が悪事を働いてしまうのを信兵衛が諭して更生させる。派手な立ち回りはありませんでしたが、人情話としてはなかなかでした。

 ついでに、遊女のおゆうちゃんも信兵衛が助けるという展開になればいいですが、浪人が身請けしてあげるのはちょっと無理がありますからね。そこまでは無理にしてもお互い想う気持ちがあれば鉄平も罪を償って戻ってきて、おゆうちゃんもその頃には年季明けで吉原から出ることができる…まあ、ドラマですからそんな理想を思い描いてもいいかなと思います。

 それにしても、次週で最終回。信兵衛と美玖とのロマンス、おぶんちゃんとの三角関係はどうなるのか。鶴之助の新しいお母さん誕生か!?楽しみです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・矢場の店に強盗が入ったところを偶然出くわした信兵衛(高橋克典)。捜査に来た榎戸誠三郎(宮田俊哉)たちの話によると、若い者の3人組で大きな店でなく小さな店を狙っているという。さらに被害に遭う店には必ず客が一人いて、そいつも一味ではないかと怪しまれていた。
・一方、信兵衛から鶴之助(伊東瑛進)の母親になってほしいと言われた美玖(黒谷友香)は心乱れていた。
・その話を聞いた折笠五郎左衛門(笹野高史)は美玖への淡い想いを持ちつつも、信兵衛に彼女を幸せにしてやってほしいと言う。
・また、信兵衛に想いを寄せていたおぶん(小島梨里杏)も悩んでいた。
・ある日、鉄平(向井康二)と名乗る若者が信兵衛のもとを訪れ、弟子にしてほしいと頼む。信兵衛は鉄平が強盗の一味であることを見抜いていた。
・信兵衛が追及すると鉄平は白状し、ある約束を果たすために悪事を働いてでも金を貯めていると言う。そんな鉄平に罪を償うよう諭す信兵衛。
・ところが鉄平は井戸端に咲いている白い花を見た途端、何かを思い出して逃げ出してしまう。
・鉄平は吉原の遊郭に忍びこみ、店の者に追い出される。どうやら、おゆう(小川あん)という女を探していたようだ。
・目撃した差配の平七(鶴田忍)から話を聞いた信兵衛は、おゆうに会いに行く。鉄平とは同郷の幼馴染みで、彼女が身請けされるときに必ず迎えに行くと約束していたのだ。
・鉄平は奉行所に出頭しようとしたが、一味の頭の伊与吉(成田瑛基)たちに捕まり命を狙われる。間一髪のところで信兵衛が駆けつけ鉄平を助ける。
・小泉道仙(中村嘉葎雄)の手当てを受けた鉄平は奉行所に出頭し、寄場(犯罪者の自立支援施設)送りとなった。
・信兵衛からその話を聞いたおゆうは、いつかまた会えるのを待つと言う。

(2016/12/21視聴・2016/12/21記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

人情裏長屋 (新潮文庫)

※関連ページ
【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第5話「まことの親子」
【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第4話「十手の誇り」
【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第3話「おぶんの涙」
【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第2話「さらわれた赤ん坊」
【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第1話「女剣士と子育て侍」
【BS時代劇】子連れ信兵衛・第6話(最終話)「さらば鶴之助」
【BS時代劇】子連れ信兵衛・第5話「罪作りな母の愛」
【BS時代劇】子連れ信兵衛・第4話「女は度胸 男は愛嬌」
【BS時代劇】子連れ信兵衛・第3話「老いらくの恋」
【BS時代劇】子連れ信兵衛・第2話「髪結い女房の夢」
【BS時代劇】子連れ信兵衛・第1話「やって来た赤ん坊」

【歴史秘話ヒストリア】真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城

$
0
0

【歴史秘話ヒストリア】
「真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城」

(NHK総合・2016/12/16放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 大河ドラマ最終回を前にした「歴史秘話ヒストリア」。大坂冬の陣で実際にあったと言われている「真田丸」の発掘を巡る現地からの最新報告といった感じでしたが、残念ながら新しい発見はありませんでした。ちょっと勿体ぶった割には尻すぼみといった印象が否めなかったですね。

 それより折角ドラマのセット用に千葉県某所に作ったといわれる真田丸(ネット上で千葉県K市の山奥だと、ほぼ場所は特定できているようです。テロップでも表示されていましたし)。残念ながら撮影後に取り壊されてしまったようです。そういうのを観光資源として活用すればいいのにと思いました。

 例えば各地で映画やドラマのロケセットがそのまま残されている場所がありますよ。朝ドラ「すずらん」の明日萌駅(JR留萌本線の恵比島駅)、高倉健さんの映画「駅 STATION」の増毛駅(留萌本線・廃駅)や「鉄道員」の幌舞駅(根室本線の幾寅駅)。また「あまちゃん」は岩手県久慈市にロケ地がたくさん残っていますからね。

 そういうところが上手に活用できないのが残念ですね。K市を通るローカル線とロケ地を結ぶシャトルバスなどを運行したり、ゆかりの地を巡るバスツアーなどやればいいのに。ついでに本多忠勝が主を務めたお城もそう遠くない場所にあるのだから…。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・徳川軍20万vs.豊臣軍10万の激闘が繰り広げられた大坂冬の陣。圧倒的な徳川軍の前に「真田丸」が立ちはだかった。記録では、たった1日で徳川方1万人以上が戦死した。徳川家康にとって、真田丸は悪夢の砦だった。
・真田丸発掘調査団団長で奈良大学教授の千田嘉博氏。ドラマ「真田丸」のセットの考証も担当した。本物の真田丸は大坂冬の陣の後、徳川方によって壊されてしまった。跡地と言われている場所で1年がかりで調査が行われた。

<真田丸の外堀を捜せ!>
・真田丸の発掘。まず同時代の記録をあたってみると、真田丸の場所と規模が記されていた。真田丸は大坂本城の巽(南東)にあり、百間四方(180m四方)の出丸。学校のグラウンドほどの広さとある。実際、大阪城南東には真田の地名がたくさん伝えられている。
・さらに重要な手掛かりが。今年発見された絵図、大坂の陣から一番近い時期に真田丸を描いたもの。真田丸は堀と崖に囲まれた四角い形。南の堀は24間(43m)と記されている。
・この堀が発掘できれば真田丸の場所が確定できる。地中レーダーを使って調査を始めた。地下には大きなくぼみが埋まっていた。くぼみの深さは数m以上。もう1か所、並行している道路も調査した。やはりここでも大きなくぼみが確認された。
・道路の下から確認された場所を結んで延長してみると、堀のようになる。堀の幅は当時の絵図と一致する。深さ8m、幅40~45mという巨大なくぼみ、真田丸のくぼみなのか。
・そこを掘り出したいが、町の真ん中なので不可能。諦めかけたとき1か所だけ建物がない場所を見つけた。それは駐車場だった。
・特別に許可を得て真田丸発掘が動き出した。民間団体「真田丸発掘推進協議会」が市民や企業から調査費用を募り、大阪府と大阪市の教育委員会が実際の調査を担当した。
・まず2m幅で東西方向に掘ってみた。「地山」は自然のままの地盤、「盛り土」は人の手が入った土のこと。レーダー探査の断面図では、地山の上に堀は盛り土として埋まっているように見える。真田丸の堀が埋まっているとすれば、地山と盛り土の境目が斜めに現れるはずだ。
・もう一つ、専門家が目を凝らして探しているのは合戦当時の遺物。矢じりや鉄砲の弾が出てきはしないか。しかし期待外れ、出てきたのは平和な江戸時代のものばかりだった。
・掘り続けると元々の地盤、黄色い地山に当たってしまった。やはり真田丸に辿り着くのは難しいのか。発掘チーム団長の千田氏、がっかり報告を聞きつつも全然諦めていなかった。
・駐車場の端まで掘れば真田丸の堀に行き当たるはず。担当者は作業車を置くスペースが無くなると難色するが、何とか説得に成功。
・千田氏は戦後まもなくアメリカ軍が撮影した航空写真を立体視した。焼け跡の航空写真は地表が現れるので、堀の痕跡がみてとれるという。判読の結果、角が丸い四角い形だったと推定できるという。

<発掘 真田丸 ついに見つけた!?>
・千田氏の想定に基づいて発掘が再開された。南北方向に掘ってみることにした。見つけたいのは地山と盛り土の境目が斜めになって現れるライン。
・しかし駐車場の下は地盤を固めてあり、発掘作業は遅々として進まなかった。見えてきた地山のラインは南に向かって確かに落ちていた。この先が真田丸の堀になっているのか。
・3日目。いよいよ調査は最終段階に差し掛かった。ついに駐車場の敷地いっぱいまで拡大された。地山が下がっていたところを慎重に掘り下げる。下がりきらず逆に上がり始めていた。幅が僅か3mのくぼみだった。幅40mの堀とは全く別物だった。このくぼみは江戸時代のゴミ捨て場か井戸と判断された。
・慌てて千田氏が駆けつけた。このがっかりの現場が千田氏には発見の現場だったようだ。ここを土塁と考えるとその上には櫓があり、堀と反対側に排水口があるはず。雨が降って砦の内側が水浸しにならない仕掛けだ。だから排水口は砦があった証だと千田氏はこう考えた。

まさに雨落ち溝が掘られていて、そして高まっている地山が土塁。ちょうど調査しているギリギリ端のところから土塁がはじまっている可能性があると、今の時点では読み解くことができる(千田氏)

・出てきたのが排水口だとすると櫓のスペースを挟んで堀へと続く下りラインが現れるはずだ。なんと下りラインがはっきりと確認できた。
・しかし駐車場はここで終わり、この先は道路なので掘ることができなかった。この状況を巡って調査担当者と千田氏の見解はわかれた。

これをもって、たとえば堀だとか積極的なことは言えない。ゴミ穴の一つかも分からない(大阪府教育委員会の森屋直樹氏)

基盤の積んである土は土塁の可能性ありと私は考える。堀そのものはここでは落ちていないので、南の落ちているところを探してみる必要がある(千田氏)


・最初、堀が駐車場の真下にあると想定して調査が始まった。しかし駐車場の南側、道路の辺りに堀があると考え直す必要がある。実は絵図に描かれた曲がった堀の形によく似ていた。
・この真田丸に守るのに使われたのが火縄銃。同じタイプのものが現在も残されている。普通の火縄銃の2倍、2mの大型銃「大狭間筒」。甲冑の鉄板がめくれ上がるほど大きな弾丸が貫通する威力があったという。
・寺町の寺を取り込んだ真田丸。そのヘリは崖が続いている。その崖は人の手で作られたもので、これもまた堀の跡だと千田氏は考えている。
・土橋こそ必殺の仕掛け。徳川軍は堀に行く手を阻まれ、土橋に向かう。それこそが信繁の思うつぼ。徳川軍を誘い込み一斉攻撃することができた。

<真田丸がいっぱい!信繁の戦略とは?>
・大坂冬の陣が終わり、大坂城は外堀・内堀を埋められて裸城に。真田丸も破壊されてしまった。
・大坂方が圧倒的不利な状況で始まった夏の陣。ところがここで信繁は新たな切り札を用意して決戦に挑んだ。

真田丸は一つじゃないんです。第2、第3の真田丸見つけちゃったんですよ。今までの大坂夏の陣の評価や解釈を覆す大発見なんです(千田氏)

・訪れたのは道明寺の戦いの舞台、第2の真田丸とは岡ミサンザイ古墳のことだった。

堀を墳丘の中につくっていて、巨大な前方後円墳全体が一つの要塞に造りかえられた(同上)

・古墳を3次元データで見てみると、本来の形に手が加えられ砦に造りかえられていた。古墳の頂上は削られ、兵舎を置くスペースに。登り口も整備され、さらに物資を隠しておくための地下室を設けた建物を造っていた可能性がある。大坂城を守る強力な要塞、確かに真田丸と同じ役割だ。
・この第2の真田丸を使った信繁の巧みな戦略が浮かび上がってくる。東側には古墳が列になって並んでいる。これが作戦のポイント。奈良から大坂に侵攻した徳川軍は古墳と古墳の間の狭い道を通らなければならなかった。
・いかに大軍でも狭い道にそれぞれ分かれて進むとき、本拠地とした第2の真田丸から出撃。敵を順々に打ち倒していくことが可能になる。
・そして作戦が失敗しても次の一手が用意されていた。冬の陣では家康が本陣を置いた茶臼山は、夏の陣では信繁が第3の真田丸を置いた場所だったのだ。
・さらに史料をみると茶臼山とともに岡山も真田丸だったとみられる。どちらも騎馬隊を出撃させるための出入口「丸馬出」が作られている。
・注目すべきは茶臼山と岡山の間のライン。巨大な堀があったことを示している。千田氏はこの堀が今でもすぐ分かるという。

信繁たち大坂方は古代の運河・河川の跡を空堀に造りかえて、徳川軍を迎え撃とうとした(同上)

・現代の地形図からも、くねくねと続くラインが分かる。南から押し寄せる徳川勢を空堀のラインで食い止める。激戦は膠着状態に陥るはず。
・しかしここにチャンスが。前線に兵力が集中し、家康本陣が手薄になる。それが信繁の狙いだった。このタイミングで次の一手が。茶臼山と岡山には騎馬隊を温存していた。その騎馬隊が手薄な本陣を突き、総大将・家康を討ち取る。これが信繁の最後の秘策だった。

(大坂方は)少数の兵力だけど大軍の徳川と対等に戦う、あるいは有利な状況に持ち込んで戦おうと信繁が考えていた。城郭考古学からみると、真田信繁は最後まで勝利を信じて戦っていた(同上)

・信繁にとって夏の陣は勝ち目のない戦いではなく、考え抜かれた勝利のための戦いだった。

望みを捨てぬ者だけに
道は開ける


・真田丸を捜す旅から分かってきたのは「日の本一の兵」と呼ばれた真田信繁の真の姿だった。

(2016/12/22視聴・2016/12/22記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

真田丸 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

真田丸 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 真田丸 (NHKシリーズ)

2016年NHK大河ドラマ「真田丸」完全読本 (Nikko mook)

NHK大河ドラマ「真田丸」完全ガイドブック (東京ニュースムック)

NHK大河ドラマ真田丸プレミアムBOOK (カドカワムック)

歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック

歴史秘話ヒストリア オリジナルサウンドトラック2

歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック3

※真田ゆかりの地関連
【ブラタモリ】#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~
【ブラタモリ】#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~

※関連ページ(真田一族関連)
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の半生
【歴史秘話ヒストリア】徹底解明!これが“真田丸”だ
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 前篇
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 後篇

※関連ページ(歴史秘話ヒストリア)
マイベスト内蔵助 忠臣蔵ラバーズ
戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔
決着!80日間世界一周
挑戦!80日間世界一周
すしに恋して
日本人なのに通じナイ!? 明治標準語ことはじめ
京都 まぼろし大仏の旅
妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子
秀吉 天下人のマネー術
ザ・ヤング始皇帝 少年が乗り越えた3つの試練
1970 熱いぜ!祭りだ!万博だ!
女王はいずこに眠る クレオパトラの墓の謎
そうだ!天空の城へ行こう
コーフン!古墳のミステリー
新選組 ボクたちの友情と青春
熊本城 400年の愛
京都で旅する地獄と極楽
奈良 ここにシカない奇跡
愛と悲しみの大奥物語
あしたは動物園に行こう
日本でいちばん怖いパパ 信長
あなたが選ぶ○○な人~歴史上の人物ベスト5~
二・二六事件 奇跡の脱出劇
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
ワシはコレで天下をとりました。~徳川家康の読書愛~
偉大なる父・信玄よ!~若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩~
人生 なんてったってサプライズ~天才発明家 からくり儀右衛門~
新常識!歴史NEWS~目からウロコの大発見 2015-2016~
戦のない世を目指して~戦国スーパードクター曲直瀬道三~
徹底解明!これが“真田丸”だ
あの名言にはウラがある!?~ヒストリア書房の迷える人々~
転職忍者ハットリ君の冒険
お菓子が戦地にやってきた~海軍のアイドル・給糧艦「間宮」~
天才か?ドラ息子か?~風神雷神図に挑んだ尾形光琳~
あなたはボクの女神様!~文豪・谷崎潤一郎と女たち~
出雲 縁結びの旅へ!~いにしえの神話の里 物語~
すごいぞ!国宝 松江城
聖なるキツネと神秘の鳥居~伏見稲荷大社の不思議な世界~
満州のプリンセス愛の往復書簡~夫婦の心をつないだ55通~
きっと会える!大好きな人に~渋谷とハチ公 真実の物語~
信長の楽園へようこそ~3つの城のサプライズ~
愛と信念は海を越えて~鑑真と弟子たち7000kmの旅路~
“逃げの小五郎”と呼ばれて~長州のヒーロー・木戸孝允の青春~
やっぱり妻にはかないません!~初代総理大臣・伊藤博文の妻梅子~
天皇のそばにいた男~鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相~
もうひとつの終戦~日本を愛した外交官グルーの闘い~
鳥だ トカゲだ いや恐竜だ!~恐竜を“発見”した男たち~
あなたのココロを一刀両断~日本刀ものがたり~
漱石先生と妻と猫~「吾輩は猫である」誕生秘話~
北の大地に夢を追え~“北海道”誕生の秘密~
あなたの知らない信長の素顔~英雄を記録した男 太田牛一の生涯~
古代日本 愛のチカラ~よみがえる持統天皇の都~
オレは即身仏になる!~“ミイラ仏”の不思議な世界~
師匠、オレは戦国大名になる!“やられ役”今川義元の真実
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
高野山1200年へのいざない ~平安のスーパースター・空海の物語~
幻の巨大潜水艦 伊400~日本海軍極秘プロジェクトの真実

【ETV特集】今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~

$
0
0
【ETV特集】
「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」

(Eテレ・2016/12/17放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 先週のETV特集。ちょうどこの記事を書いているときに再放送がリアルタイムで放送されています。ちょっと観るのと感想を書くのが遅かったですね。というのも非常にいい内容で、皆さんにお勧めしたいと思ったからです。

 アイヌ民族のことは私も不勉強であまり知りませんでした。北海道を訪れたことは何度もありますが、目にするものは明治以降の歴史のものばかり。先住民族であるアイヌの人たちに思いを馳せることはありませんでした。

 しかし今回のドキュメントで彼らが脈々と受け継いできたもの、とりわけ自然とともに生き、命あるものに感謝するという真摯な姿勢に心を動かされました。そして内地の人間が価値観を押しつけて彼らを踏みにじってきたという構図は、何だか沖縄にも通じるものがありますね。沖縄は基地の問題、そして北海道は北方領土と別々の問題を抱えていますが、いっそのこと北方領土はロシアと日本どちらも帰属せず「アイヌ民国」にしたらいいかも。まあ…これは極論だと分かって言っているのですが。

 いずれにしても、大変いい番組でした。まだご覧になっていない方は再放送の途中から、またはアンコール放送でもぜひご覧くださいませ。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・鮭が泳ぐ川は神様、木や山も神様、そして風も神様。アイヌの民は自然のあらゆるものに魂を感じ、これを畏れ敬いながら暮らしてきた。

その昔この広い北海道は、
私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、
美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼等は、
真に自然の寵児、
なんという幸福な人だちであったでしょう
アイヌ神謡集より(知里幸恵編訳・大正12年・原文ママ)


・山や川、鳥や動物に語りかけ、心を通わせてきたアイヌ民族。北海道白糠町のアイヌ、伊賀實さんは昭和20年頃に子熊と遊んだ記憶がある。

(熊と)一緒に遊んだ。相撲取ったり。2歳になるまで犬と同じだ。山へ行くのでも川行くのでも、ずっと(自分に)ついて歩く。いなくなったら、わざと隠れたりしたらファーファーと鳴いて呼ぶ。相撲とってね、俺がぶん投げたら(熊は)勝つまでかかってくる。だから最後わざと負けてやんなけりゃ。わざと負けてやんだよ熊に。そしたら喜んでる。何も人間と変わらないんだって、しゃべらないだけで(伊賀さん)

・アイヌ民族は狩猟を中心とした生活をしながら独自の言葉、アイヌ語を話して暮らしてきた。しかし近代日本の国家建設の歴史がアイヌの暮らしを劇的に変えた。アイヌ語は今、殆ど使われなくなった。
・そのアイヌ民族の貴重な資料がNHKに残されていた。太平洋戦争直後に録音された約100枚のレコードだ。そこには北海道各地に暮らしていたアイヌの肉声。当時の歌や語りが記録されている。

NHKの録音の中でも特に古い資料になりますし、いろいろな地域のものが含まれていますので、アイヌ語そのものの資料として貴重だということと文学や音楽の資料として大変価値のあるものですね(アイヌ研究者)

・アイヌ語の歌や語りは代々、口伝えでのみ受け継がれてきた。それが70年の時を経て蘇った。北の大地で育まれたアイヌ文化の豊かさとその苦難の歴史。100枚のレコードが語る物語。

<NHKで発見されたアイヌ語の音声が収録された100枚のレコード>
・昭和23年、北海道の標茶町で行われたアイヌの祭りの映像。人々の息遣いが伝わる貴重な映像だが、このとき音声は録音されなかった。しかしこのフィルムが撮影された前の年、NHKはアイヌの歌や語りの音声をレコードに収録していた。それはある調査の一環だった。

これがNHKが昭和15年から平成5年まで50年以上かけて民謡を集めて本にしたと。これは昭和10年代からやってたんですが、戦争で1回(調査が)止まっちゃうわけですね。昭和22年に民謡調査を再開しようと、その時に北海道におられたアイヌの人たちの音楽を本格的に記録しようと始めたわけです。再開はアイヌから始まったんですよ(NHK元職員の稲田正康氏)

・もともとアイヌ語には固有の文字がない。そのためこの調査は貴重なものになった。昭和22年のことだった。調査にはアイヌ研究の第一人者が協力していた。言語学者の金田一京助、そしてアイヌとして初めて北海道大学の教授になった知里真志保。
・その調査のときに記録された音源がNHK札幌放送局の資料室に残されていた。当時はレコードに直接音を収録する方式。その数およそ100枚、道内10か所で録音された。収録から70年、傷みが激しいため音の修復に取り組むことにした。
・アイヌの文化は口伝えで受け継がれてきたが今、断絶の危機にある。文字のない言語文化の豊かさは「声」に凝縮されているはずだ。
・アイヌ民族は古来、北海道、サハリン、千島に暮らしてきた。その生活は狩猟や採集を中心にしたもの。山では鹿や熊を狩り、川で鮭などの魚を獲った。
・しかしそれだけではなかった。アイヌは本州や大陸と自由に交易を行っていたことも知られている。自分たちの採った昆布や干しアワビなどの海産物。そして熊やアザラシ、ラッコといった動物の毛皮などを交易品とした。
・その取引でもたらされた中国産の華やかな錦が残されている。異文化との交流はアイヌ文化を奥行きあるものにしていた。
・北海道日高地方の平取町、今でも多くのアイヌ民族が暮らしている。平取はNHKの調査による収録場所の一つ。町内にある二風谷アイヌ文化博物館の職員でアイヌ文化に詳しい関根健司さん。アイヌ民族が育んできた独特の世界観、その基本となる考え方を伺った。あらゆるものに魂が宿っていて、その中で力の強いものを「カムイ」神様として崇めているという。

人間の能力を超えた能力を持っていれば、それはもうカムイなんだと。道具を作り上げた瞬間にもうカムイとしての魂が宿うと、そういう考え方だ(関根さん)

・アイヌはそうした道具が壊れると、それまで役立ってくれたことに感謝して、その魂を神の国へ送り返す儀式までしたという。あらゆるものに魂を感じ、感謝しながら暮らしてきたアイヌ民族。語り手たちはレコードにどんな思いを込めたのだろうか。

<修復作業が進められたレコード>
・東京・渋谷。100枚のレコードの修復が進んでいた。まずはレコードに付着しているゴミを取り除く。溝を傷つけないように汚れを取る地道な作業。
・次に汚れを取ったレコードを再生する。その音源をコンピューターに取り込んだ。汚れを取り除いただけでは、雑音がまだ大きく聞こえる。

(どういったところが難しいですか?)
しゃべっている音声に音程が近い辺りのノイズ音ですね。これはやはりかなり切りにくいですし、場合によっては(ノイズを)消したら原音が一緒に消えてしまうものもありますので、それをいかに避けるかというのが非常に難しい点になります(音源を修復する会社の松井大貴さん)

・雑音を波形を小さくする作業を繰り返していく。音が鮮明になった。70年の時を経て、アイヌの歌や語りが蘇った。蘇った音源は166の演目、延べ6時間以上に及ぶ。

<平取町で収録された語り「ウコヤイクレカルパ」とは>
・平取のレコードの翻訳をお願いしたのが、前出の関根さん。訳しているのはウコヤイクレカルパ(※ルは小文字)という語り。アイヌ語で「互いに挨拶する」という意味。翻訳はまずは全ての音をローマ字に起こすことが始まる。
・兵庫県出身の関根さんはこの平取でアイヌ民族の女性、真紀さんと知り合って結婚。以来20年近く、平取に住みながらアイヌの言葉や文化を学んできた。今では町の子どもたちにアイヌ語を教えるまでになった。しかし今回の録音の翻訳は関根さんにとっても難しいという。

どちらかというと祝詞的な言葉なので、祈り言葉とかあるいは挨拶言葉ですね。僕自身がそんなにこういう言葉を勉強してないし、アイヌ語的にもこういう言葉の資料は少ないんだと思いますね(関根さん)

・別のアイヌ語の資料と照らし合わせながら一語一語検証していくと、やがてその内容が明らかになった。この収録には当時、北海道大学の講師だった知里真志保が立ち会っていた。語り手は貝澤アレクアイヌさん(当時54歳※クは小文字)、当時既に失われつつあったアイヌ文化を大切に守ってきた人物。知里真志保を歓迎する思いを即興で語ったと考えられる。

若き尊敬する方が同席している
そうしたならば 昔の古老
昔の先祖が 唱えた言葉
言葉のさわりの ところだけでも
帳面の上に 彼が書き記したならば
何代も 何代にもわたり
(言葉が)引き継がれる
言葉にしようにも この気持ちというものは
言葉に しようもない
我が兄弟よ 対面するに際し
言葉を述べようにも 何を言えばよいのか
はなはだ手短か ではあるが
私が述べるのは 以上である 我が君よ


アイヌ語で語るということが誇らしいことだと思ってたんでしょうし、その場面に立派な知里真志保さんとかもいて、しっかりNHKで記録に残すというような企画に対しても嬉しく思ってたんだと思いますね(関根さん)

・蘇ったアイヌの挨拶は、節が付き祝詞のようになった言葉だった。その声には、もてなしの心と自らの言葉への誇りが込められていた。

<釧路で収録された「ウポポ」という歌>
・北海道東部の町・釧路で収録されていたのは歌だった。祭りや儀式のときなどに歌われるもので「ウポポ」と呼ばれる。収録が行われたのはNHK釧路放送局。釧路周辺に暮らすアイヌの人たちが集まった。
・アイヌ語にも地域特有の方言がある。釧路地方のアイヌ語に詳しい様似町教育委員会の大野徹人さんに歌の翻訳をお願いした。
・ウポポという歌は熊が獲れたときの儀式や四季折々の祭りなどで欠かせないもの。生き生きとした歌声で神様の姿を描写していると大野さんは言う。

霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び)
海が鳴り響く 鳴り響いていく


・神様が海を渡って飛んでくるダイナミックな場面。女性たちが手拍子でリズムを取りながら、輪唱で歌っている。

月から神が降りてきた 岩山の手前に降りた
岩山の手前 美しい風音となって 聞こえる


・一転して美しい描写。風のような音を立てて、神様が月から舞い降りてきた。この神はシマフクロウだという。村の守り神として特に大切にされてきた。

儀式・お祭りのときにやるということは、その場にいる神々や先祖の人たち、先祖の霊ですね。そういった人たちもその場にいて、一緒に歌踊りの場にいて一緒に楽しんでいるということがあるので、やっぱり人間だけが楽しむわけではない。神々やご先祖様も一緒に楽しむ。そういう意味があると思います。今風でいえば奉納と捉えることができるかもしれません(大野さん)

霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び)
海が鳴り響く 鳴り響いていく
霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び)
海が鳴り響く 鳴り響いていく
月から神が降りてきた 岩山の手前に降りた
岩山の手前 美しい風音となって 聞こえる


・神や先祖と一緒に楽しむというこの歌。自然は資源として収奪するものではなく、その恵みに感謝し礼を尽くすものだという倫理観が背景にあるという。

命を奪って自分たちが生きているということで、大自然のこの神々に事あるごとに祈りを捧げて感謝をする。また人間の国へ来て下さいとか、またこういう恵みがあるように鮭なら鮭、神様に人間の魚が獲れるようにお願いしますということで、儀式・お祭りをやったわけですね。だから常に感謝があるわけですから、それはそういう大自然の中の他の生き物たちから恵み、命をもらって自分たちは生きているということを自覚していたので、やっぱりそういう気持ちを忘れず、事あるごとに儀式などをやってたんだと思います(同上)

<明治に入ってからアイヌ民族に強いられた変化とは>
・感謝と祈りを大切にしながら自然とともに生きてきたアイヌ民族。しかし明治維新後、その生活が一変する。明治2年、北の大地は日本政府によって「北海道」と名付けられた。土地は国有化され、いわゆる「開拓」が進められた。本州から和人(アイヌ以外の日本人)の入植が奨励され、広大な土地が入植者に分配された。
・こうした中でアイヌ民族の暮らしが制約された。資源保護などを名目に自由に鮭を獲ることを禁じられ、鹿猟なども規制された。
・さらに明治32年、北海道旧土人保護法が制定された。ここで「旧土人」とされているのはアイヌ民族。この法律によってアイヌ民族は狩猟から農業へと、その生活の形を大きく変えることを求められた。
・教育では「旧土人学校」と呼ばれたアイヌの子どもたちだけを対象にした学校が作られた。そこでは日本語だけで授業が行われ、アイヌ語を禁じる教師もいた。
・アイヌ民族の歴史を研究する札幌大学学長の桑原真人さん。旧土人保護法はアイヌの暮らしに決定的な打撃を与えたと言う。

日本人化、和人化政策であった。いわゆる同化政策であったと言える。同化政策というのは1つはアイヌ民族の風俗習慣をやめさせるということ。そして狩猟採集民族だったアイヌに対して勧農、農業を強制すること。そして日本語の教育を徹底化するということ。こういう三方面から行われたわけです。その結果、戦前の北海道でアイヌ文化が客観的に見て廃れていったということは紛れもない事実だと思います(桑原氏)

<登別で収録された「ユカラ」>
・変化を強いられたアイヌの文化。昭和22年、NHKの調査が実施されたとき、その独自の言語や習俗はすでに消滅の危機が案じられる状況だった。
・北海道の南西部にある登別でも収録が行われた。ここで収録されたのは「ユカラ」(※ラは小文字)などと呼ばれる叙事詩。それは語りべが吟じる長大な物語。民族の神や英雄が大活躍する。
・語りべは当時71歳だった金成マツさん。ユカラを後世に伝えたいと願い続けていた人物だった。そのきっかけとなったのが言語学者の金田一京助。彼はユカラこそアイヌが誇るべき文学だと、その価値を高く評価した。
・マツさんが残した50冊以上に及ぶ自筆のノート。習い覚えたローマ字で書き記した。口伝えで受け継がれてきた多くのユカラを彼女は一音一音文字で残そうとした。昭和3年からこの収録の直前まで約20年にわたって書き続けた執念の結晶だ。
・マツさんの親戚にあたる横山むつみさん。彼女の祖母の姉にあたるのがマツさんになる。マツさんが亡くなったのは、むつみさんが13歳のとき。近所の人がよく話をしに来るような親しみやすい人だったという。

ちょうどこれを採録したときは昭和22年なのですよね。膨大なユカラ等の執筆を終えたころなのです。だから書くのと歌うのをどちらも残したいという、金成マツの思いが込められているような気がするのですけど(横山さん)

・北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原次郎太准教授に、金成マツさんが伝承にこだわったユカラの魅力を聞いた。

ユカラというのは、どちらかというと大人向けの娯楽なんですけども、アクションが多くてですね、それから難しい言葉が使われますので子どもが聞いても分からないというものが多いです。それから非常に長い物語が多いので、お祭りのときなど多く人が集まったときに夜遅くまでずっと語っていくんですね。ですから子どもは途中で寝てしまうということもありまして大人が楽しむものなんですけど。1つは非常に長い。ものすごく長くてですね、一晩で終わらなくて休憩しながら、語り手も合間合間、休憩をしながら語っていって、そして次の日はその続きから始めてというふうに延々と続く。そのスケールが1つは語り手たちにとっても誇りになるのではないかと思うのですね。これだけのものというのを自分たちは作ってきたという(北原氏)

・マツさんが残した物語の1つ「ポンオイナ」は、これだけでノート3冊分にも及ぶ大作。超人的な力を持つ英雄のラブストーリーだ。今回修復されたレコードにはそのうちのごく一部、約3分間の語りが残されていた。

神のごとき勇者は 天井の窓から
さっと逃げ去りました
そうすると 私は逃がしてはならないと
思いました


・例えば「天井の窓からさっと逃げ去る」という、ここがいかにもユカラの登場人物らしいですね。つまり普通の人間だったら天井の窓から出ませんよね、戸口とか窓から出でていくんですけど。彼らは自在に空を飛んだりするという力を持っていますので。ですから天井が非常に高い所にある窓からさっと外に飛んでいってしまうのですね。この「アイヌラックル」(=物語の主人公 ※ルは小文字)は、この話の中ではこの後、地底の世界に行ってそこで戦うことになるんですけども、地底の世界というのは死者の世界なので、普通の人間はそこに行ったら死んでしまうんですね。自分の意思で普通は行くこともできないんですけど、この登場人物たちは自在に死者の世界に行ったり、あるいはまた神の世界に行ったり世界を実際に私たちが見てる世界よりも、もっと広いスケールで跳び回って激しい戦闘をするという(同上)
・物語は登場人物の一人称で語られ、自分の体験のように感じながら聞くことができる。

泣き叫ぶ声が
私の のど元から
美しく響きました


・ユカラは人々が集い、語る場そのものを楽しむものだった。平取町の二風谷地区、草や木で作った「チセ」と呼ばれる家の中に人々は集まった。木幡サチ子さんは様々な資料を頼りにユカラの実演を繰り返してきた。
・昔ながらの様子を再現してもらった。夜まで続く祭り、その興奮に包まれた中。聞く人たちも炉の縁を棒で叩き、拍子を取りながらユカラの世界にともに入り込んでいく。

どうにかして 人間世界へ
私が帰ることが できるように
しておくれよ!


・喜びや悲しみ、生きる知恵や教訓が詰まった冒険のドラマをこうして三日三晩でも楽しむことができたというのだ。

あなたが死んだら 私も死にます
と私が言った


・こうした叙事詩を語りべは全て記憶し、自分らしい強調法や節回しを工夫しながら語り継いできた。金成マツさんが残そうと努力し、金田一京助が世界でも指折りの文芸だと評したユカラとはこのような豊かな娯楽だった。

<旭川で収録された「シノッチャ」>
・100枚のレコードが収録された戦後すぐの時代。こうした文化の伝承に危機感が募っていた。しかしこの時代、一方で全く別の気分も広がっていた。旭川で収録されたレコードに終戦直後のアイヌの心情を表す音声が残されていた。
・旭川には陸軍の第七師団が置かれ、徴兵令によって全道から兵士が集められた。その中にはアイヌもいた。昭和6年頃、アイヌの青年が出征するときの写真が残されている。彼らはガダルカナルや沖縄戦にも動員され、命を落とす人もいた。その戦争が終わった時代にレコードは録音された。
・旭川で収録された「シノッチャ」(踏舞の歌)というタイトルのレコード。シノッチャとは踊りに合わせて即興で歌われるもの。歌ったのは尾澤カンシャトクさん(当時54)。空襲を受けた北海道の町は荒れていた。カンシャトクさんは終戦直後「希望」を歌に込めようとしていた。

かつて 我らの先祖が 大切に育んだ
我らのふるさと ではありますが
偉い人たちの 政(まつりごと)が
悪かったため
すばらしきふるさとを 戦(いくさ)が荒廃させた
しかしながら
神にしっかり守られるのが
我らアイヌ民族でございます
まさにこれから よい暮らしが
子々孫々 続くことでございましょう
そこまで私は申し上げました


これが歌われたのが終戦直後ですから、戦いによって北海道のいろいろな町も空襲受けたりですとか、すっかり荒廃してしまったということに対してのまずは思いですね。先祖伝来、大切に守ってきたこの土地が戦争でもって荒らされてしまったということへの思いと、ただこれからは仲間たちに明るい未来が開けていくんじゃないか、そういう気持ちを歌い込んでいるようです(北原氏)

・しかしこうした希望は長い間、叶うことがなかった。権利回復を目指す運動を繰り広げたが差別はなくならず、アイヌ民族は存在すら否定され続けた。明治32年に制定された旧土人保護法がようやく撤廃されたのは平成9年。終戦から半世紀以上の歳月が過ぎていた。
・その間、アイヌの人たちはいくつかの政策を提案し続けてきた。そのうち実現を果たせたのは、文化の振興に関する法律だった。

<白老で収録された「チャランケ」とは>
・白老町ではアイヌの伝統的な文化を復興させる取り組みが始まっている。町にあるアイヌ民族博物館は、アイヌの若い人たちが自分たちの文化を学ぶ場所にもなっている。
・8年前から始まった伝承者育成事業。3年間、白老町に住んで踊りや工芸、アイヌ語などを学ぶ。今、研修を受けているのは5人。これまで10人がここを巣立っていった。
・講義だけではなく実習にも力を入れている。この日はアイヌの伝統的な鮭漁を学ぶ。鮭はアイヌにとって欠かすことのできない主食だった。その命を頂くとはどのようなことなのか。自然の恵みを授かることの難しさと畏れの気持ちを学ぶ。自然とともに生きることは決して野蛮ではない。むしろ命に感謝し、平和を祈る生き方だと知っていくのです。
・白老町で録音されたレコードには「チャランケ」と書かれていた。「談判する」という意味で、揉め事を話し合いで解決するときの対話の言葉だ。

(チャランケとは?)
今の裁判と同じで、個人間のトラブルからですね。例えば何か財産を貸していたものをまだ返してもらっていないですとか、あるいはもう返したはずだとかですね、あるいは狩猟とか漁労を行うときのテリトリーを誰かが犯してしまっただとか。そういったことが理由になってチャランケが起こります。平和を追求するという考え方が元にあると思いますね。もちろんアイヌ社会の中でも戦いが起こることはあるわけですけども、それはやはりすべきではないことであって、まずはそういう方法を取らない解決を目指していく。そのために作り上げられてきた習慣だと思うんですね(北原氏)

・収録されたチャランケは、狩猟の縄張りを巡っての論争だった。まず1人が自分の主張を訴える。

先祖の教えの通り
慎み深く 私は歩いています
そのようにしていたところ 私が行くより先に
私に先んじて いずれの者が
(私の縄張りで)狩りをしたことか と思って
激しい怒りを 覚えたので
自分の神に 怒りを
訴えながら 戻ってきた


・これに対してもう1人が弁明をしながらも、自ら非を認める。

(あなたが)所有する熊穴から(熊が)出て来て
熊が現れたところに 出くわして
(熊を)しとめたので それを私は売り
飲みもし 食べもしたのだ
神に罰せられる行いをしたので
今や私の非が
確定したのなら
私の兄に 謝罪を
致すしだいで ございます


・互いに歌うように主張し合うのがルール。典型的な事例を継承して同じような揉め事が起こったときには、解決のヒントになる。
・この蘇ったチャランケを学ぶ講義が行われた。講師は北海道大学の北原准教授。実際のチャランケは互いの主張をとことん交わし続け、一昼夜続くこともあった。ゆっくり節をつけて納得するまで話し合うことで、感情的にならず揉め事を解決する。

<70年の時を経て蘇ったアイヌの言葉が私たちに伝えるものとは>
・北の大地で多くの知恵を育んだアイヌの言葉と暮らし。その、のびのびとした懐の深さを知里真志保の姉・幸恵はこう記している。

その昔この広い北海道は、
私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、
美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼等は、
真に自然の寵児、
なんという幸福な人だちであったでしょう
(アイヌ神謡集より 知里幸恵編訳・大正12年・原文ママ)


・今回蘇った70年前の肉声。どの声にもどこか柔らかな自然体の響きがあった。

知里先生ですとか他の方の著作の中で、アイヌの語りの世界というのは私たちの世代は文字で学んできたわけですね。それを初めて音で聞いてですね、いろいろなものが網羅されていて、こう何て言うか本当に大全集というか百科事典のような。今まで想像することしかできませんでしたので、それがおそらくこういうふうに語るんだろうというふうに先生方が書かれたものを読んで想像しながら見ていたわけですけど、それが実際に音声として聞くことができる。これはもう感激ですよね(北原氏)

・白老町で北原准教授からチャランケの講義を受けていた中井貴規さんは、終戦直後に希望を歌い込んだシノッチャに魅せられた。本来、シノッチャは踊りながら歌うもの。中井さんは当時の感覚を確かめようとした。

かつて 我らの先祖が 大切に育んだ
我らのふるさと ではありますが
偉い人たちの 政(まつりごと)が
悪かったため
すばらしきふるさとを 戦(いくさ)が荒廃させた
しかしながら
神にしっかり守られるのが
我らアイヌ民族でございます
まさにこれから よい暮らしが
子々孫々 続くことでございましょう


・平取町立二風谷小学校。昨年度からある試みが行われている。今回翻訳をお願いした関根健司さんがアイヌ語を教えている。
・これまで学校教育の場で教えられることのなかったアイヌ語。アイヌであるかどうかに関わらず、子どもあちにアイヌ語を教えている。
・70年の時を経て蘇ったアイヌの言葉。絶やしてはならないものとは何か、忘れ去ってはならないこととは何かを改めて問いかけていた。

(2016/12/23視聴・2016/12/23記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

アイヌ語入門―とくに地名研究者のために

アイヌ神謡集 (岩波文庫)

古代蝦夷とアイヌ―金田一京助の世界〈2〉 (平凡社ライブラリー)

アイヌ・北方民族の芸能

※関連ページ(ETV特集)
15歳 私たちが見つけたもの~熊本地震3年3組の半年~
漱石が見つめた近代~没後100年 姜尚中がゆく~
路地の声 父の声~中上健次を探して~
わたしのCasa(家)~“日系異邦人”団地物語~
日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~
香港は誰のものか
事態を侮らず過度に恐れず~“福島プロジェクト”の挑戦~
アンコール つかさ18歳 人生を取り戻したい~被虐待児2年間の記録~
原発に一番近い病院 ある老医師の2000日
私たちは買われた~少女たちの企画展~(追記)
私たちは買われた~少女たちの企画展~
ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実~
アンコール 忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦“満州難民”を描く
武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~
関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか
アンコール むのたけじ 100歳の不屈
アンコール 名前を失くした父~人間爆弾“桜花”発案者の素顔~
54枚の写真~長崎・被爆者を訪ねて~
アンコール 水俣病 魂の声を聞く~公式確認から60年~」
母と子 あの日から~森永ヒ素ミルク中毒事件60年~
“書きかえられた”沖縄戦~国家と戦死者・知られざる記録~

【NNNドキュメント’16】その哭き声が聞こえるか~避難区域の動物たち~

$
0
0
【NNNドキュメント’16】
「その哭き声が聞こえるか~避難区域の動物たち~」

(日本テレビ系列・2016/12/19放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 今日はすみません。朝から外出して夜遅めに帰ってきたため視聴番組は一つのみ。しかも感想はやや短めになります。本来なら福島第一原発事故の影響という重いテーマなのですが、ご了承くださいませ。

 多くの人たちが避難して無人となった町に野生動物が増加したり、ペットたちが野生化したという話は以前NHKでも取り上げられていました(→【NHKスペシャル】被曝の森~原発事故 5年目の記録~)。

 たった1年でもここまで野生動物が町にやって来るのかと思いましたが、民家の荒れ様をみると胸が痛みます。もはやそこで生活を再開するというのは相当厳しいでしょう。そうしたことも含めて電力会社の補償はきちんとすべきだと思います。

 また野生化した猫や犬たちを保護している男性の話。ボランティアでされているということで、本当に頭が下がる思います。さらっと紹介していましたが、国が保護活動を打ち切っているのはどういうことなのかと思いますね。福島の復興を進めていると言って五輪を誘致したのではないのか?避難区域の解除自体も現場の除染の状況などの実態と離れているし、そういうところに国の不誠実さが現れているとつくづく思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・原発事故によって人が消えた町。そこを我が物顔で歩くイノシシの群れ。このとき町の主は動物たちになっていた。そのふるさとに人々が戻り始めた今、動物たちは帰還を妨げる存在だ。愛されていたペットたちも変わっていた。原発事故から間もなく6年、避難区域の動物たち。その声が聞こえますか?

<無人になった町に野生のイノシシが急増>
・2011年3月、住民は着の身着のままふるさとを追われた。福島第一原発の事故、避難指示が出されたのは周辺の11市町村。人が居なくなった町、8万人が強制的に避難させられた。
・事故から1年余り、一部の地域では日中の立ち入りが許されるようになる。南相馬市小高区の農家・根本洸一さんと妻・幸子さん。懐かしい我が家だが、納屋の肥料が食い荒らされていた。さらにその年の秋、試験的に栽培した田んぼの米はほぼ全滅だった。検査用に僅かな量しか取れなかった。

イノシシに食べられた(根本さん)

・事故から2年、富岡町も住民の立ち入りが可能になった。するとそこには畑の作物を食い荒らす動物の姿が。

やっぱり人が居ないので、もう動物天国になっているということですよね(農家の男性)

・原発事故から3年が過ぎる頃には、町の中を悠然とうろつく姿が頻繁に目撃された。この頃から自治体も駆除に乗り出すが、イノシシは家畜だったブタとも交配して急激に数を増やしていく。ふるさとは夜も動物たちに支配されていた。
・しかし避難区域の立ち入り制限が徐々に解除されると、動物たちが自由に暮らせる範囲は狭まっていった。復旧が進む町、そこに戻ってくる人にとって動物たちは厄介な存在になっていく。
・浪江町の森野俊恵さんの自宅は無残な有様だった。

(この下、全部イノシシ?)
イノシシだ。みんな俺、片付けたんだもん。ネズミの糞だ。大量に発生してた。うちの母ちゃんはもう二度と来ることはないと。ここの家には住みたくない(森野さん)

<アライグマの野生化と急増も>
・そして厄介な存在は他にもいる。福島大学環境放射能研究所の奥田圭特任助教が動画を見せてくれた。

屋根裏に入り込んでしまったアライグマですね(奥田氏)

・暗がりを好むアライグマ。避難して無人となった家の屋根裏に潜り込んで、住処とする。

糞尿の中には感染症にかかる菌が入っている。経口感染で感染症のリスクも高まる(同上)

・アライグマに荒らされた家を見て、戻ることを諦める住民も少なくない。
・奥田さんがこの日、向かったのは今も避難指示が続く浪江町。アライグマはかつてペットとして人気があった。しかし気性が荒いため飼育が難しく、飼い主に捨てられ野生化したと言われている。避難区域で急激に数を増やしたアライグマ、人が戻るため駆除の対象になっている。

人間が住んでた場所に野生動物が入ってきて、今はもう完全に野生動物の領域になってしまっていると思うんですね。その野生動物の領域に人間が戻って来るというような状況になっていますので、やはりこれからいろいろな野生動物と人間との軋轢というものが増えてくるのではないかと考えています(同上)

・アライグマにGPSを付け、駆除に向けた行動調査を行う。自由に暮らしてきた動物たちは今、苦しい立場に追いやられている。それは野生動物に限ったことではなかった。

<捨てられたペットたちの保護に取り組む男性>
・福島第一原発の排気筒が間近に迫る浪江町の沿岸部。80km離れた避難先から毎日通う赤間徹さん。

猫が普通だったら寄ってくるはずなんですよ。それが人間をもう遠ざけて離れていくっていう。今まで一緒にいてね、もう何年も一緒に暮らしてて、その関係が本当の一瞬で壊れたっていう感じですね(赤間さん)

・赤間さんは町の許可を得て、避難区域に取り残されたペットの保護に取り組んでいる。かつて家族の一員として愛されたペットたち。しかし人との関係は大きく変わっていた。
・浪江町にある赤間さんの自宅。避難区域で見つけた約100匹の犬や猫を保護している。元の飼い主や里親に引き渡したのは、これまでに400匹を超えた。
・貯金を切り崩して犬や猫の保護を続ける赤間さん。そこまで保護活動に駆り立てるのは、原発事故の直後に見た悲しい光景だ。

爆発したときにバスで逃げるっていう話になったのね。そのバスに乗るときに「動物はダメだ」ということになったの。そこまで連れてった人たちが「バスには乗せられないからそこで放してください」って言われて。もう飼い主がね、泣きながら「誰かもらってくれないですか?」とかそういう光景もあったし。それでもうそこで放した飼い主もいるし(赤間さん)

・避難区域に置き去りにせざるを得なかったペットの数は、数千匹に上るとみられる。避難の混乱の中で飼い主とペットに訪れた突然の別れ。
・そして残されたペットたちは繁殖を繰り返し、人を知らない世代が次々と生まれる。赤間さんはこの5年の間、変わっていくペットを目の当たりにしてきた。人を知らない若い猫、ペットは野生化していた。

誰も保護しないで黙っていたんでは、なんぼでも増えていきますから、やっぱり保護して避妊去勢をしないと。住民が帰ってきたときにね、こういう動物に、犬猫に困らないようにっていうことで始めてるんで(同上)

・赤間さんが保護した犬や猫を連れて行ったのは、浪江町の動物病院。ここで獣医師の豊田正さんが避妊や去勢の手術を行う。

(繁殖力が高いというか、猫の場合は?)
1年に3回から4回繁殖する。3か月にいっぺん発情しちゃうから(豊田さん)

・これ以上、増やさないためにはこうするしかない。国は3年ほど前に避難区域での保護活動を打ち切っている。避難区域で増え続ける犬や猫が、再び人に愛される存在になってほしい。赤間さんはそう願っている。先月、冬を迎えた浪江町。赤間さんの保護活動は今も続いている。

<避難指示が解除されてきている町で起こっていることは>
・今年7月、町に人が戻ってきた。原発事故の避難指示が解除された南相馬市小高区。5年ぶりの賑わい、でもその町では…。

掘ってるのイノシシ。ほじくったところ(根本さん)

・根本さんの田んぼにはイノシシが米を狙って近づいた跡があった。動物たちに荒らされないためには、電気柵がなくてはならないものに。人と動物の境界が揺らいでいる。

本当は人間と野生動物のすみ分けができれば、ここは俺の分だよとなればいいが、それは人間の都合であって彼らはそうではないと思う。彼らだって悪くなくて、たぶん被害者(同上)

・来年春の避難指示解除を目指す浪江町。民家の庭先に仕掛けられた檻にイノシシが捕らえられていた。これまでに駆除されたイノシシは6000頭を超えた。動物たちの居場所はもう…(銃声)。
・避難指示はこれからも次々と解除されていく。原発事故から5年9か月。避難区域の動物たちの鳴き声は、ふるさとに戻る人々の足音にかき消されようとしている。

(2016/12/24視聴・2016/12/24記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録

待ちつづける動物たち

※関連ページ(福島第一原発事故関連)
復興サポート 福島・浜通り かあちゃんたちの集い
村長選挙 旅する投票箱
拝啓 10年後のあなたへ~震災前からの手紙 福島・飯舘村~
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
証言記録 福島県須賀川市~放射能の不安と闘った病院~
事態を侮らず過度に恐れず~“福島プロジェクト”の挑戦~
すべてが流されたこの場所から~福島・南相馬~
復興サポート 放射能汚染からの漁業再生~福島・いわき市 Part3~
避難計画で原発やめました 違いは何だ?伊方と米・ショアハム
証言記録 東日本大震災 福島県南相馬市~原発事故バス避難 試練の2週間~
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
復興サポート 放射能汚染からのふるさと再生~福島・南相馬市 Part3~
フクシマ再生 9代目・彌右衛門の挑戦
THE放射能 人間vs放射線 科学はどこまで迫れるか?
原発メルトダウン 危機の88時間
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
証言記録 東日本大震災 福島県浪江町~放射能と闘った消防士たち~
我らじじい部隊~中間貯蔵に揺れる故郷(まち)~
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘
証言記録 東日本大震災 福島県飯舘村~廃業か継続か 牛飼いの決断~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
被ばく牛‘たまみ’
再稼働元年Ⅱ~原発の“地元”のはずなのに~
証言記録 東日本大震災 福島県双葉町~原発事故 翻弄された外国人~
2つの“マル秘”と再稼働 国はなぜ原発事故試算を隠したのか?
ふるさとの記憶~福島県・富岡町~
復興サポート 放射能汚染からの漁業再生~福島・いわき市 Part2~
証言記録 東日本大震災 福島県~原発事故 想定が崩れたとき~
それでも作り続ける ~福島“原発避難区域”のコメ作り~
生命に何が起きているのか~阿武隈山地・科学者たちの挑戦~
廃炉への道 2015“核燃料デブリ”未知なる闘い

※関連ページ(NNNドキュメント)
ゼロ戦乗りの遺言~真珠湾出撃 原田要の肖像~
迷走する轍~貸切バス業界の闇~
青い目の人形の涙~子どもたちとあの戦争~
コイズミワー~守り人マタギとクマ~
いのちいただくシゴト~元食肉解体作業員の誇りと痛み~
5万人に1人の私~トリーチャー コリンズ症候群に生まれて~
となりのシリア人~“難民”が見つめる日本~
斉藤さんちの豆腐~笑顔満載!はたらく障害者~
復活 石巻市立病院 震災2000日 被災地医療の今
夢と土俵と草原と モンゴル人力士の光と影
ニッポンのうた“歌う旅人”松田美緒とたどる日本の記憶
こぼれ落ちる災害弱者~熊本からの警告~
おしゃべりアパート~学生がつくる名物夫婦の学生寮~
3.11からの夢 よそ者の私ができること
移住女子~私がムラを選んだ理由~
記憶の回廊 徘徊と行方不明者
18歳…生徒手帳と私の一票
命の砂時計 ママの“がん”どう伝える
ホルスタインと落下傘~秋田・戦後開拓70年 若者の選択~
知られざる被爆米兵~ヒロシマの墓標は語る~
避難計画で原発やめました 違いは何だ?伊方と米・ショアハム
食べて吐いて~塀の中の摂食障害~
老いるバス 走り続ける 安全は確保されるのか?
汚名~放射線を浴びたX年後~
激震連鎖 「まさか…」に襲われた熊本
あざと生きる~雅治君と「血管」難病の12年~
孤独に苦しめられる人たち SOSを出せないあなたへ
空き家 どうしますか?
託された夢~ダムと柚子と父の遺書~
障害プラスα~自閉症スペクトラムと少年事件の間に~
能登讃歌 ざいごの情と野の花と
生きる伝える “水俣の子”の60年
マザーズ 産みの親は誰ですか。
かあさんと呼びたい~原爆孤児を支えた心の里親運動~
それでも…会いたい~児童養護施設の子どもたち~
ロケット職人~打ち上がれ 俺たちのプライド~
ひとりじゃない ボクとおばちゃんの5年間
傷む心
THE放射能 人間vs放射線 科学はどこまで迫れるか?
ふるさと
はじまりのごはん 3・11 写真と付箋
奥底の悲しみ
“一歩一歩”が人生 女性登山家・田部井淳子
丸山夏鈴~最期までアイドル~
我らじじい部隊~中間貯蔵に揺れる故郷(まち)~
漂流ポスト…あなたへ
スカイツリーに願いを PART2~僕たちの下町商店街~
メイドカフェ火災の死角~検証・見過ごされた“違法”ビル~
ツルの子 八代の子
標高3000mの命~ライチョウからの警告~
安倍政治ってなんだ?戦後70年 ニッポンの分岐点
彷徨う10代 ~大阪中1男女の死が問いかけるもの~
花は咲けども 故郷は…
演じる、高校生~ぼくらの町は焼け野原だった~
被ばく牛‘たまみ’
再稼働元年Ⅱ~原発の“地元”のはずなのに~
凍土の記憶~シベリア抑留を伝える女子高校生~
妹、和子より
島が学校~ある女子高校生の離島留学~
堤防決壊
南京事件~兵士たちの遺言~
火山列島に生きる
祈りの絵筆~飢餓地獄を生きのびて~
ひろむ先生のまほうの手~ふしぎ!できた!ボクらのアート~
能登消滅~9分の8の衝撃~
これが最後です さようなら~北のひめゆりへ祈りを~
2つの“マル秘”と再稼働 国はなぜ原発事故試算を隠したのか?
海の記憶~父からの手紙~
極秘裏に中絶すべし~不法妊娠させられて~
僕らのミーティング~「話す・聞く・想う」 心の授業~
“元少年A”へ~神戸児童連続殺傷事件 手記はなぜ~
生きることは、あきらめない。~少年と余命告知~
90歳のサッカー記者~日韓 歴史の宿命~
コメ サバイバル 密着!ブランド米の攻防
ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る
KOIに恋して 世界へ売る!“泳ぐ宝石”
それでも作り続ける ~福島“原発避難区域”のコメ作り~
あいつは、ミナだ 差別と闘い 新潟水俣病50年
“おうち”診療所~がんと闘う子どもたちの願い~
産みの選択~お腹の赤ちゃん 揺れる命~
晩春 認知症の彼女と結婚した理由
9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~

【NHKスペシャル】スクープドキュメント 北方領土交渉

$
0
0
【NHKスペシャル】
「スクープドキュメント 北方領土交渉」

(NHK総合・2016/12/18放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 「スクープ」なんでしょうかね…安倍首相の打ち合わせの場面まで撮影を許可されている中で、まさに政府広報ドキュメントじゃないんですか、NHKさん。

 まあ、それはさておいて日ロ首脳会談は「北方領土問題で大きな前進があるかもしれない」という関係者の淡い期待を裏切るような結果となりました。私はある程度、予想はしていましたが。

 というのも、国同士の領土問題は主権の根本に関わる問題であって、どちらも「1mmたりとも相手に渡さない」というガチンコの衝突といっていい問題なわけです。現在、実効支配しているロシアから4島を返してもらうためには相手が「いいよ」なんて簡単に言ってくれるはずもないわけです。

 じゃあどうすればいいのか。一番物騒な方法は戦争で奪い返すことですが、これは日ロの力関係的に無理というか、あってはならない話です。またロシア国内が内乱でも起きて政府が崩壊するような事態になり、その隙を突いて日本の(事実上の)軍隊(自衛隊)が一気に駐留して支配してしまうこと。これまた穏やかでないし現実的ではありません。

 平和的に返還されるのを期待するということは、いくら経済的に支援をする云々といっても簡単に引き出せるものではないでしょう。両国の落とし所としては、4島をどちらの帰属とも位置づけない「自治区」という扱いにして、両国からのアプローチが可能になるような形にするという手があると思うのですが、それすらロシアが了承したとは思えません。

 日本は本来クリミアの問題で欧米と足並みを揃えてロシア包囲網に加わるべきだと思うのですが、それをせずに領土問題に道筋を付けたいのであれば、最低限そこまで言質を取らなければテーブルを蹴ってもよかったと思いますよ。

 まあ、外交というのは全てがオープンになるわけではないので、今回の首脳会談で表に出てこない部分で何らかの約束が両国間で取り決められている可能性もゼロではありません。ただ、秘密裏に何か大きなことが決められている様子は窺えないですね。もうそうだとしたら私の考えも改めますが。

納沙布岬

 ということで最後に、私が北方領土に一番近づいた北海道根室市の納沙布岬に行ったときの写真を。

納沙布岬

 天気はよかったのですが、波が荒くてよく見ることはできませんでした。

貝殻島灯台

 こちらは歯舞諸島にある貝殻島灯台です。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・11月、日ロ首脳会談直前の安部首相の控え室。外交の舵取りを大きく左右する決断の瞬間が迫っていた。何を勝ち取り、何を譲るのか。政府内ではギリギリまで熾烈な議論が巻き起こっていた。
・最後の戦後処理とも呼ばれる北方領土交渉。一昨日その困難な道のりに一歩、踏み出した。安倍総理大臣とプーチン大統領は北方領土での共同経済活動について、交渉を開始することで合意。元島民の島への自由な往来についても検討することで一致した。
・7か月間で4度という異例の頻度で進められた両首脳の交渉。核心部分は通訳のみを交えた2人だけで行われ、内容は明かされてこなかった。極秘会談で何が話し合われたのか、その一端が今回NHKの取材から明らかになった。

安倍首相:従来の発想に基づく議論ではだめだ。新たな発想が必要ではないか。

プーチン大統領:分かった。


・見えてきたのは、国益をかけてせめぎ合う日ロ両国の激しい駆け引きだった。

ロシアには領土問題は存在しない。あると考えているのは日本だけだ(プーチン大統領)

・強硬な姿勢を崩さないロシアとの交渉に日本はどう臨んだのか。

罠にはまるのではないかという猜疑心を持てばですね、お互いにそういう気持ちに陥ってしまって結局元に戻ってしまう。私は信じたい(安倍首相)

・今回の領土交渉で日本は何を掴もうとしたのか。そしてその選択をこの国をどこへ導くのか。7か月に及んだ極秘交渉の舞台裏に迫る。

<北方領土 現場でいま何が…>
・北海道東部・羅臼町の沖合25km。日本の固有の領土、北方領土。

いまが(島との)中間ぐらいです。(これ以上先には)行けない。

・戦後71年経った今なお自由に立ち入ることができない。今月、NHKのロシア人スタッフを派遣し取材した。約2900人のロシア人が住んでいる色丹島。今、ロシア政府による開発がかつてないスピードで進められている。
・去年完成した島内初の総合病院、13億円あまりをかけて建設された。医療施設の充実を図り、安心して暮らせる環境を整備。島への移住を促し、人口を増加させることが狙いだ。

大人にも子どもにも必要な治療をしてくれて素晴らしいです(住民の女性)

・子どもたちには島の主権は日本から当時のソビエトに移ったと教えている。

連合国軍によってクリル諸島(国後島・択捉島など)と歯舞・色丹島が日本の統治から切り離されました(教師)

・第二次世界大戦末期、ソビエトは日ソ中立条約を一方的に破棄。日本が降伏した後、北方領土を次々と占領した。その後、日ソ共同宣言(1956年)で平和条約を結んだあと歯舞・色丹の二島を日本に引き渡すとされた。しかし条約締結と返還の見通しは今も立っていない。

私の子どもたちもこの島で生まれ、親戚や兄弟の墓もここにあります。私が島の引き渡しに反対するのは当然のことです。誰も他人からふるさとを奪ってはならないのです(村長)

・島の外れにある日本人墓地。かつて1000人の日本人が暮らしていた面影は、年を追うごとに消えつつある。

<秘密裏に進められた“新たなアプローチ”>
・7か月に及んだ日本とロシアの北方領土交渉。出発点となったのは5月、ロシアのソチで行われた首脳交渉。長年行き詰まっていた領土交渉を再始動させられるかが最大の課題だったこの会談。両首脳は議論を加速させていくことで一致した。

停滞を打破する突破口を開く手応えを得ることができた。プーチン大統領も同じ認識だ(安倍首相)

・この日の会談で何が話し合われたのか。今回の取材で約3時間に及んだ極秘交渉のやり取りが明らかになってきた。

安倍首相:第二次世界大戦後、いまだに平和条約が締結されていないのは異常だ。君もそこには異論がないはずだ。立場の隔たりをなくして解決するためには、従来の発想に基づく議論ではだめだ。新たな発想に基づくアプローチが必要ではないか。

・安部首相が切った外交カード。これまでの日本の領土交渉は四島が日本に帰属することを法的・歴史的に認めさせ、返還に繋げようというものだった。
・しかしこの会談で示した「新しいアプローチ」では、立場が食い違う帰属の議論をいったん脇に置く。その上で日ロが共同で行う経済活動や人の自由な往来など双方にメリットがある分野から議論を進める。信頼を深めることが将来、帰属について交渉する第一歩になると考えた。

安倍首相:まずは四島をめぐる協力や交流の問題を取り上げることとしてはどうか。島の協力や交流をWIN WINになるよう議論したい。そのための知恵を絞りたい。

プーチン大統領:それならば交渉は前進できる。


・さらにロシアを交渉に引き込むために、ロシア極東地域を中心とした大規模な経済協力も併せて提案した。プーチン大統領への説明に使われた極秘資料、エネルギー開発やインフラの整備など8項目にわたり日本がロシアに協力できると記されていた。
・駐日ロシア大使のアファナシエフ氏。プーチン大統領は安倍首相をファーストネームで呼び、打ち解けた様子で交渉に応じていたと証言する。

プーチン大統領は「8項目のプランはロシアの優先課題に沿う」とすぐに言いました。「このプランを作った人に拍手を送ろう」と提案したのです。両国が互いに有益だという意見で合致し、壁を取り除くのなら正しいことです(アファナシエフ氏)

私の提案に対して非常に冷静なもの静かな感じではありましたけれども、その考え方で問題を打開していこうと意志を示してくれたと思っています。問題を解決していく道筋が見えたと確信したところです(安倍首相)

・日本政府が新しいアプローチを持ち出した背景には、領土交渉を一刻も早く前に進めなければならない事情があった。元島民で作る団体の代表、脇紀美夫さん(75)。北方領土の国後島で生まれた。7歳のときに島を追われて以来、生まれ故郷に自由に行くことすら叶わない。

(写真を示しながら)
ここで生まれたんだなっていうことと、やっぱりここは日本の領土だよなという思い。だけど現実的には殆ど自由に行くことができない複雑な思い(脇さん)

・脇さんの周りではここ数年、同じ北方領土出身者が相次いで亡くなっている。元島民の平均年齢が80歳を超える今、僅かでも返還に近づけるための成果を出してほしいと考えていた。

あと10年や20年たったら元島民は残念ながら生存している人がいなくなるんではないか。一日でも一歩でも(同上)

<ロシアが狙う壮大な国家戦略>
・一方のロシア。日本の提案に前向きな姿勢を見せた背景には、プーチン政権が進めてきた壮大な国家戦略があった。プーチン大統領が強く打ち出しているのは、アジア太平洋地域の国々との連携だ。

ロシアが太平洋に目を向け、東方地域でダイナミックな発展を遂げることで、我が国の経済に新たな地平を切り開けると確信している。これは我々にとって21世紀の国家的な最優先事項なのだ(演説するプーチン大統領)

・ロシアはこれまでエネルギーの最大の輸出先であるヨーロッパとの関係を重視してきた。新たな戦略は成長著しいアジア太平洋地域に軸足を移し、関与を強めていこうというもの。「東方シフト」と呼ばれている。
・プーチン大統領がこの戦略を加速させるのは、ロシアがいま厳しい国際情勢に直面しているためだ。一昨年3月、ロシアはウクライナで起きた政変を機にクリミアを併合。国際社会から強い批判にさらされた。欧米による経済制裁とエネルギー価格の大幅な下落で、苦しい経済状況に追い込まれている。
・プーチン大統領に外交政策を助言している国際政治学者のフョードル・ルキヤノフ氏。東方シフトを推し進めるロシアにとって日本が持つ経済力や技術は大きな魅力だと言う。

日本はアジア太平洋地域の経済大国で、その重要性は増しています。ロシアはパートナーとして日本を必要としています。ロシアに取り引きできる材料があるなら、できるだけ高く売ったほうがいい。これは別に驚くことではないでしょう(ルキヤノフ氏)

<“新アプローチ”知られざる対立>
・両国の思惑が重なり合って動き出した日ロ交渉。ところが首脳会談から僅か1か月で決裂の危機にあったことが今回の取材で分かった。6月に行われた事務レベルの協議。議論の進め方を巡って日ロの認識が真っ向から対立した。
・ロシアのモルグロフ外務次官は、日本が提案していた北方領土での共同経済活動などについて議論を進めたいと考えていた。しかし日本の原田政府代表は、帰属に関わる問題も並行して進めようとしてロシアの強い反発を招いた。

同じ主張の繰り返しでは結果は出ません。だから新しいアプローチが必要なのです。新しいアプローチとは協力関係を深めることです。ブレーキをかけるのではなく、幅広い分野で議論を前進させるべきです(アファナシエフ駐日大使)

・なぜこうした事態が起きたのか。実は新しいアプローチに対して日本政府内から様々な意見が出ていたことが取材から明らかになった。
・ソチでの首脳会談の1か月前、安倍首相は原田政府代表など交渉を担当する外務省や官邸の中核メンバーを集めた。新しいアプローチについて説明をしたところ「領土問題が置き去りにされるのではないか」といった強い懸念の声が上がった。
・会議に出席していた外務省の杉山晋輔事務次官。懸念の背景には、外務省がこれまで平和条約の締結に必要な帰属の問題の解決を最優先してきた経緯があったという。

我々が目標としているのは、四島の帰属の問題をはっきりさせて平和条約を締結するというのが56年(日ソ共同)宣言以来、我々がずっと目指しているところですから。あくまで最終的な目標は、いま言ったことが実現することだと思います(杉山氏)

・一方で安倍首相には、帰属を主張するだけではロシアから譲歩を引き出せないという問題意識があった。その最たる例が1998年の橋本首相(当時)とエリツィン大統領(当時)の首脳会談。当時ロシア経済は混迷を深め、北方領土返還の大きなチャンスだったと言われている。
・このとき日本は択捉島とウルップ島の間に国境線を引くことを認めるよう提案した。四島の帰属を事実上認めれば、すぐに返還を求めないとまで譲歩。さらに経済協力も約束した。今回の取材で初めて明らかになった会談の記録には、帰属以外では最大限譲ろうとする当時の外交姿勢が記されている。

これは私にとって大きなリスクを伴う決断であるが、エリツィン大統領とロシアが勝者にならないならば、この問題の解決はないとの考えから私も決断した(橋本首相・当時)

・それでもロシアは帰属の問題で譲ろうとはせずその後、提案を拒否。交渉は再び停滞していった。

過去の経緯や法的立場について延々と議論することによって、残念ながら四島の帰属問題そして平和条約に向けて我々は解決していく道筋を見つけることができなかった。大切なことは未来に向けて島がどうなっていくべきか議論すべき(安倍首相)

・事務レベル協議で浮き彫りになった日本政府内の意見のズレ。報告を受けたプーチン大統領はこう発言した。

これまで日本が繰り返してきた古いメロディーに新しい歌詞をつけただけではないのか(6月 非公開の会合での発言)

・日本の考え方が従来と変わらず、経済協力も見せかけではないかと不信感を抱いていた。

<極秘交渉 “危機”の打開策は>
・交渉の仕切り直しを迫られた日本。9月、ロシア極東のウラジオストクで開かれた首脳会談で、議論を再び軌道に乗せられるかが問われた。

プーチン大統領:経済協力やプロジェクトについて議論したい。

・経済協力への日本の本気度を確かめるプーチン大統領に対し、安倍首相は切り返した。

安倍首相:首脳同士の合意を受けた事務的な態勢が必要だ。そこで私のもとに8項目の経済協力を担当する大臣を任命し、全ての省庁を直轄する態勢を作る。世耕議員をロシア経済分野協力担当大臣に指名した。日ロ関係の抜本的な深化が日ロ双方にとって望ましい。

プーチン大統領:とても丁寧で詳しい説明をありがとう。総理の指示を得て世耕大臣にロシアに来てほしい。シンゾウに指示をお願いしたい。


・プーチン大統領から好感触を得た安倍首相。改めて新しいアプローチの考え方を説明した。

安倍首相:事務方同士ではこの話がなかなか進んでいないので、私から今までの日本のアプローチよりももう少し思い切った考え方について話をしたい。

・帰属の問題は避け、四島での共同経済活動の範囲や人の自由な往来のためのルール作りについて議論を持ちかけた。

このアプローチについて理解していただいたと思っていますし、8項目の提案について大統領からは大変強い期待が示されました。平和条約の問題、日ロ関係の打開に向き合っていただいているな、前向きに考えていただいているなと、そういう印象を持ちました(安倍首相)

・この会談の中でプーチン大統領は安倍首相にある贈り物を手渡した。贈られたのは長年、日本から海外に渡っていたひとふりの刀だった。

プーチン大統領:昭和天皇の即位の礼で12本の刀が打たれたと聞いている。コレクターから買ったものだが贈呈したい。本物だという鑑定書もある。

安倍首相:素晴らしい刀だ。

プーチン大統領:このようなものは祖国に帰るべきだ。

安倍首相:ありがとう。時を経てついに祖国に帰るということだ。


・プーチン大統領の「祖国に帰るべきだ」という言葉。日本政府の中には何かのメッセージではないかという見方が広がった。

<経済協力で攻勢強めるロシア>
・この首脳会談の頃からロシアは、日本からより多くの経済協力を引き出そうと攻勢を強めていた。経済協力を担当する世耕大臣のもとには、ロシア側からの要望が相次いで寄せられるようになっていた。

ロシアの経済発展相から提示された50のプロジェクトがありますから、それについて既に日本側の企業との情報を共有しております(経済産業省職員)

50からどんどん増えてきている感じ。最初もらったときは47。50になっていま55(世耕大臣)

(ロシアは)日本が本気だから、それだったら自分たちも逆提案しようということでやってきたんだろうと思います(世耕大臣)

・ロシア側が提案してきたプロジェクトのリスト。日本が示した8項目の経済協力に対して最終的に70近くに上った。中にはプーチン大統領に最も近いビジネスマンの一人、レオニード・ミヘリソン氏が率いる巨大プロジェクトもある。
・ロシア最北端の北極圏。ミヘリソン氏が率いる大手ガス開発会社ノバテクは、ここで世界最大級の液化天然ガスのプロジェクトを進めている。この地域で日本の年間消費量の4割近くに相当するガスを生産する計画。生産した天然ガスを新たに開拓された北極海航路を使って日本などアジア各国に輸出。東方シフトの要となるプロジェクトだ。

このプロジェクトはロシアにとって非常に重要です。世界中に天然ガスを供給する一大拠点となるのです(ノバテクCEOのミヘリソン氏)

・ノバテクが日本に狙いを定める背景には、アメリカによる経済制裁がある。この影響で海外からのドル建てによる資金調達が厳しく制限されている。
・この日、ミヘリソン氏が資金の確保に向けて訪れたのは、日本の政府系金融機関だった。国が出資する金融機関から融資を取りつけ、日本企業からの信頼を高めるのが狙いだ。
・さらにミヘリソン氏は大手商社やエネルギー関連企業が集まる国際会議に出席。民間からも投資を呼び込もうと、プロジェクトへの参加を呼びかけた。

低価格でガスを供給し、新市場を開拓するには力の結集が必要だ。日本企業の皆さん、このプロジェクトにご参加ください(ミヘリソン氏)

<米ロ対立 問われた日本の戦略>
・急速に接近する日本とロシア。この状況を同盟国アメリカが注視していた。ロシアへの制裁を主導するオバマ大統領、安倍首相に対し制裁の足並みが乱れることへの懸念をかねてから伝えてきた。ウラジオストクでの首脳会談の後も政府高官を日本に派遣し慎重な対応を求めていたことが、日米外交筋への取材から分かった。
・アメリカのロシア政策に長年携わってきたストローブ・タルボット元国務副長官。オバマ政権は領土返還を求める日本の立場を理解しつつも、ロシア包囲網が切り崩されるのではないかと懸念していたという。

プーチンがアメリカと日本との間にくさびを打ち込み、アメリカの政策から日本を引き離そうとしているのではないか。オバマ政権はそう懸念していました。国際社会がロシアに科している制裁から日本が少しでも手を引けば、極めて残念なことです(タルボット氏)

・同盟国アメリカの懸念が伝えられる中で、ロシアとの向き合い方が問われた日本。岸田文雄外務大臣は日本を取り巻く厳しい国際情勢を説明し、アメリカに理解を求めたという。

日本とロシアの関係が安定することは、地域(東アジア)の平和や安定、繁栄にも影響する大変重要な取り組みだと思う。日本にとって日米同盟は大変重要な関係だが、一方で日ロ関係も日本の国益、今までの取り組みを考えると大変重要な関係であると思っている。ぜひ米国の理解も得ながら日ロ関係をぜひ前進させていきたい(岸田外相)

・日本政府はアメリカに対し説明を重ねる一方で、ロシアには経済協力を担当する世耕大臣を派遣した。ノバテクのミヘリソン氏や経済協力に関わる閣僚らと相次いで会談。ロシアとの関係を深めていった。

<せめぎ合う日ロ 正念場の交渉>
・経済協力の議論が進み信頼関係が深まってきたと考えた日本政府。ロシアに対し領土交渉でも前進を図ろうとしていた。10月、外務省の杉山事務次官がモスクワを訪問。プーチン大統領訪日の際に合意文書を取りまとめようと、その素案をクレムリンに届けた。
・このとき日本は平和条約締結に道筋をつけるための文言を盛り込みたいと働きかけていた。四島の帰属の問題を解決したうえで、平和条約を締結するという意志をロシアと共有しようと考えた。ところがその2週間後、プーチン大統領は平和条約締結を急ぐつもりはないという考えを示した。

私の考えでは何らかの期限を定めることは不可能であり、それどころか有害でさえある。残念ながら日本との信頼関係は、まだそのようなレベルに達していない(プーチン大統領)

非常に難しい相手だし、非常に難しい内容だし、だからこそこれだけ長い時間かかっていることは間違いないです。交渉者の信頼関係ができさえすれば、氷が溶けるように解決するというほど、この問題は簡単ではない(杉山外務事務次官)

・プーチン大統領が厳しい姿勢を見せる中、次の一手をどう打つのか。11月、交渉は正念場を迎えていた。首脳会談の直前、日本政府内では交渉方針を巡りギリギリまで議論が交わされていた。
・政府幹部の打ち合わせを撮影した映像。外交機密が含まれるため、音声は使用できない。安倍首相を囲んでいるのは、総理大臣秘書官や国家安全保障局長、外務審議官など。極秘交渉を中核となって進めてきたメンバーだ。白熱する議論、山口での首脳会談でどこまでの成果を目指すのか。意見が分かれた。
・共同経済活動などで着実に前進を図り、帰属の問題はあくまで脇に置くべきだ。平和条約締結に道筋をつけるよう求め、帰属の問題から逃げない姿勢を打ち出すべきだ。安倍首相は判断を迫られていた。
・迎えた首脳会談。安倍首相が選んだのは、ある言葉だった。

安倍首相:私とウラジーミルの手で平和条約を締結したい。

・「私とウラジーミル」という言葉。つまりお互いの任期中に平和条約を締結したいという表現で、帰属の問題の早期解決に向けた両首脳の意志を確認しようとした。

私は私の世代でこの問題を解決したい。終止符を打ちたいと強く思っています。プーチン大統領は、この問題は自分は解決したいと思っているということをペルーでも言われました。その発言を私は信じたいと思っています(安倍首相)

・ところが首脳会談の3日後、ロシア国防省が択捉島と国後島に新型ミサイルを配備したと伝えられた。太平洋ににらみを利かす軍事拠点として、ロシアが北方領土を安全保障上も重視していることが改めて浮き彫りになった。

北方領土にアメリカなどの軍事施設が配備されないということが法的に明確に保証されない限り、プーチン大統領が島の引き渡しに同意するとは考えられません(ロシアの安全保障政策に詳しい国際政治学者のドミトリー・トレーニン氏)

・一方、新しいアプローチを巡る交渉でも積み残された論点を巡り、せめぎ合いが続いていた。焦点は北方領土で共同経済活動を行う際に適用する法律の問題だった。
・現在、ロシアの法律が使われている北方領土。仮に日本企業がロシアの法律に従えば島がロシアに帰属していると認めることになり、日本にとって受け入れられない。しかし日本への帰属を認めないロシアは、あくまで自国の法律を適用する姿勢を崩さなかった。

日本の主権下で共同経済活動をするというなら次の交渉はない。話はそれで終わりです(プーチン大統領)

・山口での首脳会談まで4日。北方領土の元島民たちは問題の解決を求める声を伝えるため、プーチン大統領に手紙を届けようとしていた。「生きているうちに故郷に戻りたい」切実な願いが記されていた。

・北方領土を巡る様々な思いが交錯する中、プーチン大統領とどんな決着を目指すのか。首脳会談の2日前、安倍首相に問うた。

相手を信じるという信頼関係がなければ、結局物事は進んでいかないんですね。騙されるのでは、罠にはまるのではと猜疑心を持てば、お互いにそういう気持ちに陥ってしまって結局元に戻ってしまうということになります。多くの皆さまから前進したなと感じていただけるような結果を出していきたいと思いますし、島民の皆さまからも歓迎していただけるような一歩と、着実な一歩としたいと思っています(安倍首相)

<山場の首脳会談 成果は 課題は>
・そして先週、プーチン大統領が日本を訪問。7か月の交渉に一つの結論を出す日がやって来た。二人だけの会談は95分に及んだ。
・何を手に入れ、何が課題として積み残されたのか。法律の問題が焦点となっていた共同経済活動。どちらの国の立場も害することのない特別な制度づくりに向けて交渉を始めることで合意した。しかし両国が島の帰属を主張し合う中、今後の協議は難航が予想される。
・「私とウラジーミルの手で提携したい」と呼びかけていた平和条約。最後まで調整が続き、声明では「問題を解決する自らの真摯な決意を表明した」とされた。
・さらにプーチン大統領は北方領土を巡る安全保障の問題を新たに突きつけた。

平和条約締結のためには信頼強化に向けた入念な努力が必要だ。私が言いたいのは日本とアメリカの特別な関係、日米安保条約だ。日本にはこうした機微に触れる事柄でロシアの懸念について考慮してほしい(プーチン大統領)

・領土交渉の難しさに改めて直面する一方、経済協力では総額3000億円規模の合意が成立した。プーチン大統領の国家プロジェクトを担うミヘリソン氏も日本側から融資を確保、大手商社との提携を手にした。

大統領の訪日がビジネスの発展にとって、とてもよい刺激になると思います(ミヘリソン氏)

・今回の会談に期待を寄せていた元島民たち。領土返還の道筋が見えなかったと失望の声も上がった。

もう少し何かがあるのではと期待していただけに残念と強く思います(元島民)

・「生きているうちに故郷に戻りたい」と手紙を書いた脇さん。島への自由な往来の検討など、今回の合意を次に繋げてほしいと願っている。

諦めるわけにはいかない。70年間頑張ってきたんですから。ここにきて諦めるわけにはいかない(脇さん)

・首脳会談を終えた翌日、交渉結果をどう受け止めるのか。

当然、元島民の皆さんは時間がない中で、今回の長門の会談で帰属の問題も解決するということを期待していたんだろうと思います。その期待に応えることはできませんでしたが、しかし帰属の問題を解決して平和条約を締結する。それに向かう重要な一歩は、大きな一歩はしるすことができたと思います。日本が解決をしなければ、残念ながら他の国がやってくれるわけではありませんから、そしてこれには日本の国益がかかっている。いま責任を持っているリーダーである私とプーチン大統領が決断しなければいけない(安倍首相)

・いまだ返還の道筋が見えない北方領土。交渉から浮き彫りになった厳しい現実にどう向き合えばよいのか。次の一歩が問われている。

(2016/12/25視聴・2016/12/25記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※関連ページ(NHKスペシャル)
ドラマ 東京裁判 第4話
ドラマ 東京裁判 第3話
ドラマ 東京裁判 第2話
ドラマ 東京裁判 第1話
自閉症の君が教えてくれたこと
ボブ・ディラン~ノーベル賞詩人の素顔~
戦艦武蔵の最期~最新科学が迫る“真実”~
追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
終わらない人 宮﨑駿
“トランプ大統領”の衝撃
廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~
揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~
巨龍中国 1億大移動 流転する農民工
あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明100歳の世界
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第3集 富は分かち合えるのか~巨大格差の果てに~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第2集 経済の“支配者”は誰か~国家vs市場経済・ルールをめぐる闘い~
シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 第1集 世界の成長は続くのか
活断層の村の苦闘~熊本地震・半年間の記録~
東京2020 レガシー 未来に何を残すのか
あなたの家が危ない~熊本地震からの警告~
“血糖値スパイク”が危ない~見えた!糖尿病・脳梗塞の新対策~
神の領域を走る~パタゴニア極限レース141km~
縮小ニッポンの衝撃
完全解剖 ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~
自動運転革命 日・独・グーグル覇権をかけた攻防
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第2集 地震予測に挑む~次はいつどこで起きるのか~
シリーズMEGA CRISIS 巨大危機~脅威と闘う者たち~ 第1集 加速する異常気象との闘い
ドラマ 戦艦武蔵
シリーズ ディープ・オーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国
沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~
ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~
ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~
象徴天皇 模索の歳月
大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~
調査報告 相模原・障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか~
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇 40年目のスクープ
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第2部 実録ドラマ(後編)
未解決事件 File.05 ロッキード事件 第1部 実録ドラマ(前編)
ミラクルボディー 第3回 未知の能力を呼び覚ませ 義足のジャンパー マルクス・レーム
ミラクルボディー 第2回 復活!日本柔道“柔よく剛を制す”の秘密
ミラクルボディー 第1回 シンクロナイズドスイミング 世界最強の人魚たち
私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白
古代史ミステリー「御柱」~最後の“縄文王国”の謎~
シリーズ キラーストレス 第2回 ストレスから脳を守れ~最新科学で迫る対処法~
シリーズ キラーストレス 第1回 あなたを蝕むストレスの正体~こうして命を守れ~
大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う
スクープドキュメント 北朝鮮“機密ファイル”知られざる国家の内幕
廃炉への道2016 核燃料デブリ 迫られる決断
人生の終い方
そしてテレビは“戦争”を煽った~ロシアvsウクライナ 2年の記録~
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
揺れ続ける被災地 “連鎖”大地震1か月の記録
大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
シリーズ古代遺跡透視 プロローグ 大ピラミッド 永遠の謎に挑む
そしてバスは暴走した
若冲 天才絵師の謎に迫る
老人漂流社会 団塊世代 しのび寄る“老後破産”
緊急報告 熊本地震 活断層の脅威
大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
巨大災害 MEGA DISASTER Ⅱ 日本に迫る脅威 地震列島 見えてきた新たなリスク
新・映像の世紀・第6集 あなたのワンカットが世界を変える
シリーズ東日本大震災 “26兆円” 復興はどこまで進んだか
私を襲った津波~その時 何が起きたのか~
風の電話~残された人々の声~
ゼロから町をつくる~陸前高田・空前の巨大プロジェクト~
被曝の森~原発事故 5年目の記録~
“原発避難”7日間の記録~福島で何が起きていたのか~
難民大移動 危機と闘う日本人
新・映像の世紀・第5集 若者の反乱が世界に連鎖した
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第2集 “武士”700年の遺産
司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~

【大河ドラマ】真田丸・最終回

$
0
0

【大河ドラマ】真田丸
「最終回」

(NHK総合・2016/12/18放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

<感想>

 この1年間、大変楽しませていただいた「真田丸」も、いよいよフィナーレ。視聴したのは18日のリアルタイムで某温泉地の旅行先でしたが、改めて録画しておいたのを観たうえで感想を書きたいと思います。

 三谷幸喜さんの描き方は、実に史実を大事にするものだったと思います。もちろんストーリーの全てがノンフィクションだったわけではありません。そもそも信繁が「幸村」と名乗ったという一次資料はないわけですし、冬の陣に築いたといわれる「真田丸」も謎に包まれています。

 そして信繁が夏の陣の後どうなったのかというのも、実ははっきりしていません。一番有力だというのが安居神社で落ち武者狩りに遭ったという話ですが、ドラマでは盟友ともいえる佐助と行動をともにするという感動的なシーンにしてくれました。

 ちなみに信繁はその後、生き延びたという「伝説」があります。彼のお墓といわれているものが鹿児島にも秋田県大館にもあるそうです。きっとそう信じたい人々がいたのでしょうね。私もその気持ちは十分に分かります。

 そうした色々な諸説がある中で、三谷さんは非常にオーソドックスな展開で歴史をなぞっていたと思います。それが一人ひとりの登場人物たちに光を当てる作品に仕上がったのではないかと思います。

 本当に毎週の放送を楽しみに待つという大河ドラマは、ここ近年では「八重の桜」以来だったと思います。しかも途中の中だるみのような部分もなく緩急ついたテンポ。しかも歴史上では大事件のはずの「本能寺の変」も「関ヶ原の戦い」もあっけなく有働アナのナレーションで終了というのも、ある意味すごかったです。

 またこのドラマを発端に派生した言葉「ナレ死」。亡くなるシーンが無くナレーションで省略されるという意味ですが、最後の最後に「徳川幕府」そのものをナレ死させてくれました。これは私にとっては圧巻でした。

 ということで、来年の大河ドラマも引き続き戦国時代が舞台になるようです。まずは主人公が女性だったのか男性だったのか非常に混沌としているようですが…まあ、それはそれとしてどんな作品になるか楽しみにしておくことにします。このワガママなカエルは、ちょっとでもつまらなければ視聴終了ということもありますからね。朝ドラの方は、お友だちで「お店屋さんごっこ」みたいなのが続いていたので既に撤退しております(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・豊臣と徳川の決戦が始まった。大坂城を出、野戦に持ち込む信繁だったが、形勢は圧倒的に不利。そんな中、後藤又兵衛が討ち死にする。

・大坂を訪れていた真田信之(大泉洋)は山寺で偶然、本多正信(近藤正臣)と相部屋になる。
・真田幸村(堺雅人)は、台所番の与左衛門(樋浦勉)が徳川の間者であることを突き止めた。尋問したところ、与左衛門は自らの体を刺した。
・戦を前に茶々(竹内結子)は不安に苛まれていた。幸村は戦が決着した後の対応策について茶々に託す。
・5月7日早朝。豊臣方は茶臼山から岡山にかけて布陣。別動隊として明石全登(小林顕作)が船場口に待機した。それに対し徳川方は松平忠直、本多忠朝を主軸に数段に及ぶ陣を構える。
・幸村は毛利勝永(岡本健一)とともに徳川家康(内野聖陽)の陣に奇襲をかけることを相談していた。そこに松平忠直隊から天王寺口の毛利隊に向けて突如鉄砲が撃ち込まれた。毛利隊は応戦し態勢を立て直すと、目前に迫る本多忠朝隊を迎え撃った。
・家康は幸村が徳川に内通しているという情報を豊臣方に流す。豊臣秀頼(中川大志)は信じなかったが、大蔵卿局(峯村リエ)たちには動揺が走った。
・一方、毛利隊は破竹の勢いで本多隊を打ち破りそのまま家康の本陣に向かった。その手前には真田信吉(広田亮平)の陣があった。信吉隊とぶつかった毛利隊は圧倒的な勢いでそれを撃破した。続けて毛利の勢いを阻もうとした小笠原も撃退し、さらに榊原、諏訪、酒井も突き崩す。
・大坂城では与左衛門が幸村が徳川に寝返ったと嘘をつき、秀頼も動揺する。
・真田、毛利の攻撃によって徳川軍は大混乱となった。その中を幸村は家康のいる本陣へとまっすぐ突き進んだ。
・家康の馬印が倒されたのは、武田信玄に敗れた三方ヶ原の戦い以来のことであった。
・戦況は圧倒的に豊臣方の有利であった。岡山口にいた大野治房(武田幸三)隊は秀忠(星野源)の本陣に襲いかかった。
・家康は本陣から逃げた上、切腹を覚悟した。
・戦いは豊臣軍の圧勝…に思われた。ところが大野治長(今井朋彦)は今こそ秀忠出陣のときと一旦大坂城に戻ることにしたが、そのとき持参していた千成瓢箪を引き揚げてしまう。この小さな行動が歴史を変えた。
・戦場のあちこちで戦っていた兵士たちは豊臣の馬印である千成瓢箪が城へ戻っていくのをみて動揺した。秀頼が城へ逃げ帰ったと思い込んだのである。
・しかも不運は重なる。自暴自棄になった与左衛門が大坂城に火を放った。それをみた家康。この最後の戦国武将は戦には流れが変わる瞬間があることを体で知っていた。彼はそれを決して逃さない。
・徳川軍の反撃が始まった。井伊直孝隊と藤堂高虎隊が真田隊に襲いかかった。
・家康本陣まで迫った真田隊と毛利隊だが、徳川の猛反撃に遭う。船場に潜んでいた明石隊は応援に駆けつけようとしたが、勢いづいた徳川方の前に撤退を余儀なくされる。
・秀頼は不利な状況の中、出陣することを決意するが茶々が引き止める。
・千姫(永野芽郁)は、きり(長澤まさみ)に導かれて徳川方に和睦の使者として向かった。
・大坂城にも徳川方の兵士たちが侵入し、高梨内記(中原丈雄)、堀田作兵衛(藤本隆宏)らが必死に食い止めようとするが討たれてしまう。
・激戦の中、幸村は単騎で家康前に飛び出た。そして馬上筒を構える。家康は自分を殺したところで徳川の世は変わらないと言うが、幸村はそれでも自分は家康を討ち果たさねばならぬと言う。
・そして銃声が響き渡った。しかし幸村より早く秀忠隊の放った銃弾が幸村の行く手を遮った。
・佐助(藤井隆)とともに逃げ延びた幸村は落武者狩りを交わすが、これ以上は戦うことができなかった。佐助に介錯を頼んだ幸村は覚悟を決めた。
・燃えゆく大坂城の中、秀頼や茶々とともに幸村の息子・大助(浦上晟周)の姿もあった。
・信之のもとに大坂から知らせが届く。六文銭が鳴ったことで信之は全てを悟った。

・これより7年後、真田信之は松代藩10万石の大名となった。そして幕末、松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけを作る、天才兵学者 佐久間象山を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である。

<真田丸紀行>
・慶長20年5月7日、徳川家康の本陣を切り崩した信繁は力尽き、現在の安居神社付近で最期の時を迎えたという。
・信繁が斃れたあと難攻不落の大坂城は落城。秀頼や茶々は自刃し、ここに豊臣家は滅亡した。
・信繁のふるさと、長野県上田市。真田家の菩提寺の一つ長谷寺に残された真田一族の墓。その隣に信繁の供養塔が建立されたのは3年前のこと。信繁の魂が約400年ぶりの里帰りを果たしたのだ。
・真田を象徴する上田城は今日も多くの人々で賑わう。戦国乱世を駆け抜けた真田信繁の生き方は、時代を超えて今も人々を魅了し続けている。

※安居神社
※眞田幸村戦死跡之碑
※大阪城公園
※豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地
※長谷寺 真田幸隆、真田昌幸の墓
※眞田幸村(信繁)公供養塔
※上田城跡公園
※真田幸村公像

(2016/12/18視聴・2016/12/26記)

【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼

にほんブログ村 テレビブログ テレビ番組へ 


※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)

真田丸 完全版 第壱集 [Blu-ray]

真田丸 完全版 第弐集 [Blu-ray]

真田丸 完全版 第参集 [Blu-ray]

真田丸 完全版 第四集 [Blu-ray]

NHK大河ドラマ 真田丸 オリジナル・サウンドトラック THE BEST

NHK大河ドラマ 真田丸 音楽全集 服部隆之

※関連ページ(「真田丸」本編)
第50話「最終回」
第49話「前夜」
第48話「引鉄」
第47話「反撃」
第46話「砲弾」
第45話「完封」
第44話「築城」
第43話「軍議」
第42話「味方」
第41話「入城」
第40話「幸村」
第39話「歳月」
第38話「昌幸」
第37話「信之」
第36話「勝負」
第35話「犬伏」
第34話「挙兵」
第33話「動乱」
第32話「応酬」
第31話「終焉」
第30話「黄昏」
第29話「異変」
第28話「受難」
第27話「不信」
第26話「瓜売」
第25話「別離」
第24話「滅亡」
第23話「攻略」
第22話「裁定」
第21話「戦端」
第20話「前兆」
第19話「恋路」
第18話「上洛」
第17話「再会」
第16話「表裏」
第15話「秀吉」
第14話「大坂」
第13話「決戦」
第12話「人質」
第11話「祝言」
第10話「妙手」
第9話「駆引」
第8話「調略」
第7話「奪回」
第6話「迷走」
第5話「窮地」
第4話「挑戦」
第3話「策略」
第2話「決断」
第1話「船出」

※真田ゆかりの地関連
【ブラタモリ】#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~
【ブラタモリ】#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~

※関連ページ(真田一族関連)
【歴史秘話ヒストリア】真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の半生
【歴史秘話ヒストリア】徹底解明!これが“真田丸”だ
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 前篇
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 後篇
Viewing all 513 articles
Browse latest View live