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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】誕生!日本国憲法~焼け跡に秘められた3つのドラマ~

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【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「誕生!日本国憲法~焼け跡に秘められた3つのドラマ~」

(NHK・BSプレミアム・2017/2/15放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/

<感想>

 先週に放送された番組でしたが、じっくりと観たかったので録画したのをとっておきました。予想を超える秀逸な内容で大変良かったドキュメントでした。再放送前に紹介すれば良かったと思いました。

 ことあるたびに「日本国憲法を変えよう」という話が湧いてきています。何しろ憲法擁護義務のあるはずの内閣総理大臣自身が最も改憲したくてしたくてウズウズしているぐらいですからね。ついこないだも「護憲」と呼ばれる人たちに向けて「対案を出せ」と間の抜けたことを言ってましたね。護憲にとっての対案は現行憲法でしょう。そんなことも分からないのか、この人はと思いましたよ。

 ちなみに私は「変える必要ない」派です。ついでにいえば、J民党の憲法改正草案。あれはあまりにもメチャクチャすぎですね。ギャグのつもりなのでしょうか。未だにホームページに掲載しているので本気(正気)なのでしょうけど、憲法研究会の草案と大島暫定憲法を読んで憲法のイロハを勉強し直した方がいい。憲法は権力者を縛るもので国民を縛るものではない。

 それはさておき、ベアテさんの尽力による「女性の権利」条項は世界にも先駆的だったという素晴らしい話ですし、「憲法草案要綱」をつくった憲法研究会の七人のエピソードは、今の憲法が「アメリカの押しつけだ」と未だに言いがかりを付けている「化石」のような人たちが嘘つきだと分かる話です。

 そして「大島暫定憲法」の話は目からウロコでした。もし大島が日本の施政権から離れた自治領となっていたら、大島共和国として日本国憲法に匹敵する民主国家として繁栄していたかもしれません。それを学者の力なしに成し遂げた島民の人たちの力に感服です。

 大変いい内容のこの番組。憲法を考えるきっかけになる素晴らしいものでした。こんな番組がつくれたのも会長が交代したのも影響したからでしょうか(というのは深読みかな?)。いずれにしても多くの人たちに観てほしいですね。

 あと最近のニュースで知りましたが、幼児に戦前の「教育勅語」を暗唱させている幼稚園があると聞きました。同じ理事長が開校を企む小学校は総理大臣の妻が名誉校長になっていて、「○○○○記念小学校」(○○は現職総理の名前)と名づけられそうになったとか。これは「ヒトラーユーゲント」の日本版なのでしょうか。軍国主義者の“亡霊”を見るようで、夏の怪談話よりも恐ろしい話です。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・戦争が終わり新しい憲法が生まれた。それは人々の希望だった。だがこの憲法の成り立ちには、いまだ謎も多い。焼け跡に秘められた心揺さぶる物語。

<憲法を“お国ことば”で>
【前文】日本国民は恒久の平和を念願し
→うちらはこの先ずうっと平和が続くんを強おねごおてますえ(京都弁)

【前文】人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって
→人と人の間で感じゆよか理想を深くわかっちゅうもんで(鹿児島弁)

【前文】平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して
→平和をいっちゃん愛しとるよそんとこの国の人らを信じとるで(名古屋弁)

【前文】われらの安全と生存を保持しようと決意した
→わぁんどの安全が守らいでうだでったこともなもねぐしてあずましぐ生ぎでいぐって決めだ(津軽弁)

<高い理想を掲げ誕生した日本国憲法>
・憲法に書かれているのは、この国がどうあるべきかの大原則。その一文一語を決めるために、壮絶な闘いが繰り広げられた。
・70年前、敗戦の焼け跡から生まれた「日本国憲法」。何もかもが画期的だった。その前の明治憲法とどう変わったのか。ビフォーアフターをみてみよう。

・国の主権者は? 天皇(明治憲法)、国民(日本国憲法)
・戦争はできる? ○(明)×(日)
・男女は平等? ×(明)○(日)

・今、誰もが当たり前に感じている日々。その礎となった憲法は当時、世界でも稀な高い理想を掲げて誕生した。

<レディーが書いた男女平等 ベアテ・シロタ>
・1946年11月3日、日本国憲法が公布された瞬間。昭和天皇は貴族院議場で憲法公布を伝える勅語を読み上げた。この議場の片隅に少し風変わりな一団がいた。2階の傍聴席に座るアメリカ人。連合国軍総司令部(GHQ)のメンバーだ。その中にベアテ・シロタとおぼしき女性の姿があった。
・ハーバード大学教授のスーザン・ファー。日本国憲法の成り立ちを調べ、それまで表に出なかったベアテの存在を突き止めた人物だ。訪れたのは終戦直後、GHQが本部としていたビル(現・第一生命日比谷本社)。当時22歳の通訳ベアテも、ここに勤めていた。
・GHQの会議室が今もそのままに保存されている。憲法公布の9か月前、1946年2月4日。25人のGHQメンバーが緊急招集された。下されたのは驚くべき命令。

日本国憲法のもとになる草案を作れ!

それは25人のメンバーしか知らない極秘の任務でした。24時間、明かりはついたままだったでしょう。そんな彼らの中にベアテもいたのです(スーザン)

・ベアテの存在。スーザンがそれを感じたのは、憲法のある条文を目にしたときだ。第24条、結婚における男女平等がうたわれている。実は世界でも画期的な条文だという。

【日本国憲法 第24条】
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。


第24条のような条文は当時の先進国の憲法にはありませんでした。終戦後、ドイツも日本と同時期に憲法をつくりましたが、こういった条文は盛り込まれていません。(同上)
(アメリカ合衆国憲法にも入っていない?)
その通りです。入っていません。それをみたとき、この女性の権利を書いたのは一体誰だったのか疑問を持ったのです(同上)

・日本国憲法独自の男女平等。その舞台裏に若きレディー、ベアテ・シロタがいた。1977年、スーザンはGHQの記録を頼りにベアテを捜し当てた。ベアテは4年前、89歳で亡くなったが、晩年の映像が残っている。あの命令を受けたときの心境をこう語った。

何かいいものにしたい。敵と見ないで人と見て、日本人を。ヒューマニスティック(人間的)な憲法を書きたいと思っていた。とっても強かった、その気持ちが(ベアテ・当時84歳)

お会いして初めて話を聞いたときに彼女が少女時代、日本に住んでいたことを知りました。日本語が話せて、日本の友人もたくさんいました。だからこそ、大切な役割を任されたのだと分かりました(スーザン)

・1945年の東京。人々は焼け野原で、食べ物にも事欠く日々を送っていた。10月、マッカーサー総司令官は日本政府に明治憲法を民主的なものに改正するよう促した。そこで日本政府は新憲法の案をつくったが、出来たのは明治憲法と殆ど変わらぬものだった。GHQはこんな評価を下した。

「これは極めて保守的なものである」

・そして思い切った手段に出る。

「我々から指針を示す方が優れた戦略だと考える」

・つまりGHQの手でもとになる草案をつくるということだ。こうして1946年2月4日、ベアテを含む25人に憲法草案づくりの密命が下った。

25人のメンバーは殆どが弁護士などのエキスパートでした。でもベアテだけは専門家ではありませんでした(スーザン)

・異例の抜擢。その理由は、日本で暮らした経験と抜群の語学力だ。作成の期限は9日。その後、日本政府に渡すことが決まっていた。この歴史的仕事に加わったベアテは胸が震えたという。

とてもすごい仕事だと思った。こういういいものに参加できる。英語で言えばハイになりました(ベアテ)

・こうして極秘の憲法草案づくりが始まった。責任者は弁護士でもあるGHQ民政局次長チャールズ・ケーディス大佐(当時39歳)。メンバーを条文ごとに7つの小委員会に分けた。
・ベアテは人権委員会に割り振られた。ベアテの最初の行動は、焼け残った図書館をジープで回ること。世界各国の憲法を集められるだけ集めた。

ベアテは6か国語も話せたんです。だから様々な国の憲法を読むことができた。彼女にしかできない仕事でした(スーザン)

・ドアが閉め切られた会議室。各国の憲法を検討し、草案を書いては直す不眠不休の作業が続いた。ベアテが一心不乱に書きつづったのは、女性の権利だった。

ベアテが女性の権利にそれほどの情熱を注いだ訳は生い立ちにあります。少女時代を日本で過ごす中で、日本の女性が非常に差別された立場にあったことを彼女は見ていたのです(同上)

・ベアテは1923年、オーストリアで生まれた。父は「リストの再来」と呼ばれる有名なピアニストだった。ユダヤ人である一家は迫害を恐れ、作曲家・山田耕筰の招きもあり日本に移り住む。ベアテ5歳のときだった。ベアテは東京の学校に通い、幼少期を過ごした。
・その頃、姉代わりになって可愛がってくれたのが小柴美代。シロタ家に住み込みで働いていた。小柴美代は既に亡くなったが、故郷の静岡県沼津に妹の綾子が暮らしている。

美代さんは私が小さい時の記憶というのはあまりないね。もう働きに出ていたね(美代の妹・鈴木綾子・94歳)
(支えてくれていた?)
美代さんを頼りにしていたね。姉ちゃんだって(同上)

・美代は11人きょうだいの長女。家を助けるために東京に出て、シロタ家で働いていた。10歳年下の妹・綾子の楽しみは、姉からの仕送りだった。

ヒダのうんとある、くるっと回ってしゃがむと膨らむようなスカートを買ってって(頼むと美代さんが)すご送ってくれる(同上)

・美代が送ってくれたハイカラな服はベアテのお下がりだった。

姉ちゃんが送ってよこすのはベアテさんの物だなって。ちょうど体に合ったから(同上)

・美代はベアテに様々な話を聞かせたという。

(美代さんが)日本は東北の方で飢きんがあると娘を売るんだって(言っていた)。それを知っていたからベアテに話したんだって。日本の女性の位置の低いことをね(同上)

・日本女性の置かれた境遇に胸を痛めたベアテ。特に心に残ったのは…。

結婚を自分の好きな人とできないということ。本当にそれは大変だと思った。子どものときに(聞いて)。女性の権利を書くときに最初に書いたのが結婚(について)。たぶん私の頭にずっとあったんですよ(ベアテ)

・15歳になったベアテは単身アメリカに留学する。しかしその直後、太平洋戦争が勃発(1941年)。21歳で終戦を迎えた。1945年12月24日、戦後初のクリスマスイブ。ベアテは両親に会いたい一心で、GHQの一員として日本の土を踏んだ。そして数日後、辛くも生き延びていた両親と再会する。

美代さんから聞いた。(ベアテが)東京へ来たときにようやく親の居場所が分かって、ベアテさんの親は軽井沢にいて栄養失調だったって(綾子さん)

・戦争中、両親の世話をしてくれたのは小柴美代だった。こうして両親の無事を確認したベアテは、憲法草案づくりに没頭することになる。
・作業は次の段階に入った。各委員会の案を責任者のケーディスらが厳しく審査する。ベアテもその洗礼を受けた。人権委員会の条文は全部で41。ベアテが書いたものは、確認できるものだけで9条。

「母親は既婚未婚を問わず国家に守られる」

「女性はどのような職業にもつく権利を持つ」


・ベアテの願いが込められていた。

ケーディスさんが「ベアテ、あなたはアメリカの憲法以上に女性の権利をつくりましたね」って言うんですよ(ベアテ)

・アメリカの憲法にもない女性の権利の数々。しかしケーディスは、それらを憲法に入れるには細かすぎるとして次々に削除した。後にベアテはこう書いている。

「一つの条項が削られるたびに、
不幸な日本女性が
それだけ増えるように感じた。」
(「1945年のクリスマス」より)


だから私とっても悲しくて。あまりにも悲しくて泣いちゃったんです、偉い人の前で(ベアテ)

・そしてベアテが書いた中で唯一残されたものが、結婚における男女の平等が明確に書かれているものだった(GHQ草案 第23条)。
・1946年2月12日。9日間の密室作業を経て、92条のGHQ草案が完成した。しかしベアテの仕事はまだ終わらなかった。
・3月4日、草案を巡って日米間で会議が開かれた。ベアテは通訳としてこの場に立ち会っていた。会議は荒れた。天皇制を巡る激論が長時間に及び、そしてベアテが書いた条項も…。

「夜中の2時に男女平等の条項がまた大変な議論になったのです。天皇制と同じように激しい議論になりました」
(第147回国会 参議院憲法調査会議録第7号より)


「日本の国民に合わない」「歴史に合わない」「文化に合わない」「これは全然だめです」って。女性の権利について。とってもビックリした(ベアテ)

・日本側が拒んだ女性の権利。それを救ったのは意外にもケーディスだった。

「この女性の権利についてはミス・シロタが心から望んでいます。だから通過させましょう」って言ったんです、ケーディスさんが。(同上)

・ケーディスはベアテが日本で育ち女性の境遇を知っていたからこそ、これが書けたと説得した。日本側の態度が和らぎ、条文はついに受け入れられた。GHQ草案は、日本政府による修正と議会での審議を経て日本国憲法となった。
・その1年後、ベアテはアメリカに戻る。港には一行を見送る小柴美代の姿があった。

第24条は極めて特別な存在です。この条文が生まれたことによってその後、民主国家の憲法に女性の権利を入れることが当たり前になったのです(スーザン)

・その後、ベアテは日米文化交流に献身。2012年、89歳で世を去った。男女平等というかけがえのない1条を遺して。

<七人のサムライ 憲法研究会>
・1946年1月、GHQが草案づくりを始めるより1か月前。GHQ民政局法規課長のマイロ・ラウエル中佐は、日本の民間人がつくった憲法草案に衝撃を受ける。そのときのことを語ったテープがアメリカに残されていた。

私は民間グループから提出された憲法に感心しました。皆で何ていい案なんだろうと話しました(ラウエルの肉声テープ)

・一体その草案とは。それは国立公文書館に保管されていた。「憲法研究会 憲法草案要綱」。早くも国民主権が明確にうたわれ、象徴天皇制につながる考えも書かれていた。
・書いたのは、年齢も思想も違う7人の民間人。新生日本の道しるべを自らの手でつくりたいという思い。そして戦争で受けた不条理な苦しみが7人を結んでいた。
・憲法研究会の中心メンバー・鈴木安蔵の孫で早稲田大学教授の鹿島徹。鈴木安蔵は7人の中で唯一の憲法学者。草案づくりの中心的な役割を担っていた。
・1904年、福島県相馬で生まれた鈴木。日本が戦争に向かう暗い時代に学生時代を過ごし、軍事教育に反対した罪で投獄された。出所した鈴木を待っていたのは、激しい言論弾圧だった。鈴木の著書は発禁処分や文章を「×」で消されるなど厳しい検閲を受けた。

理不尽だと思ったというよりも、驚いたんじゃないですか。つまり自分たちがやってるのはなぜ悪いのっていうふうに驚いたんだろうというのが僕の推測です(鹿島)

・そして終戦。それは鈴木にとって長い言論弾圧からの解放を意味していた。当時の思いを語った鈴木の映像が残されている。

新しい国家がスタートする時に明治憲法ではいけないでしょう?だから明治憲法は単なる改正ではなくて根本的に排除して、新しい民主的な憲法をつくらなければらないないと、そういう意欲に燃えたわけです(鈴木)

・こうして1945年11月、鈴木安蔵をはじめ七人のサムライが集まり、憲法研究会が発足した。メンバーには戦争中に言論弾圧を受けた元東大教授・社会運動家の高野岩三郎、「危険思想の持ち主」として大学を追われた経済学者の森戸辰男もいた(残りのメンバーは馬場恒吾、杉森孝次郎、室伏高信)。権力の暴走で計り知れない苦難を味わった七人だからこそ、あの草案ができたと研究者は言う。

あの戦争を経験する中で、やはりなんとか心安らかな社会をつくろうと皆さん、それは強く考えていたんだと思いますね。考え方は様々でしたけれども、そういう点では皆さん一致していて。それで最終的にはみんなが一致したものだけを憲法研究会案にしましょうねということを前提にこの案をつくってきた(獨協大学名誉教授の古関彰一)

・焼け残ったビルの一室で草案づくりが始まった。特に激論が交わされたのが天皇制だった。明治憲法では主権が天皇にあり、その名の下に行われた戦争は大変な悲劇を招いた。天皇の地位と権力はどう定めるのか?
・議論の過程が当時の史料に残されている。まず切り出したのは政治評論家の岩淵辰雄。岩淵は戦争の早期終結を工作し、逮捕された経験がある。

「天皇から、一切の政治上の権力を取ってしまおう。明治憲法で規定された天皇制から、それに付随した制度を、全部取っ払ってしまおう」
(昭和36年6月 憲法調査会事務局「岩淵辰雄氏に聞く」より)


・すぐさま疑問の声が上がる。

「一体そんな天皇っていうものがあるか」

「そういう天皇を憲法になんて書くか」


・最も過激な主張をしたのは最年長の高野岩三郎だった。

「天皇制を廃止し、之を代えて大統領を元首とする共和制採用」
(高野岩三郎「日本共和国憲法私案要綱」より)


・しかし国民がそれを受け入れることができるのか。時期尚早ではないか。議論は紛糾した。意見をまとめ最終案をつくるのは、憲法学者である鈴木の役目。
・実は鈴木には特別な思いがあった。天皇の名の下に行われた戦争。時代が軍国主義一色に塗り潰されていく中、鈴木もその波にのまれた。戦争を肯定し賛美する本を書いたのだ。晩年、鈴木はその頃のことを孫の鹿島徹に語っていた。

「あの頃は奴隷の言葉で語らなければいけなかったんだ」。大東亜共栄圏建設にコミット(関与)した。そのことを深く恥じていたのだと思います(鹿島)

・かつて戦争に加担したことへの悔恨と七人の議論を踏まえ、鈴木は天皇制に関する最終案をまとめた。

「天皇は国政を親(みずか)らせず、専ら国家的儀礼を司る」

・政治にタッチせず国家的儀礼だけを行う。象徴天皇制につながるものだった。1945年12月26日、全58条から成る「憲法研究会草案」が完成した。鈴木は日本政府とGHQ本部へすぐに届けた。政府からの反応はなかったが、GHQの評価は全く違った。

この民間草案を基にいくつか修正すれば、大いに満足できる憲法をつくることができるというのが私の見解でした(ラウエルの肉声テープ)

・この草案が一つの参考とされ「GHQ草案」、そして日本政府が修正を加え政府案となった。
・だが、七人の闘いには続きがある。1946年6月、帝国議会では政府案の最終審議が始まった。そこで立ち上がったのが経済学者の森戸辰男。ある重要な一文を取り返そうとしていた。

「人間が人間らしく生きる権利」(生存権)

・生活苦にあえぐ国民のため、国は最低限の経済的保障をする。森戸が譲れない条文として草案に入れたものだった。しかしGHQ案、政府案を経る間に削られていたのだ。
・森戸は諦めなかった。戦後初の総選挙で議員となり、この最終審議の場に臨んだ。そして訴えた。

「今、国民は日々の暮らしに困っております。国民の最小限度の生活を保障するということは、各人が勝手にやるのではなく、国家がその制度を考えるべきなのであります」
(「衆議院帝國憲法改正案委員小委員会速記録」より)

「そんなことは憲法ではなく、一般の法律でやればよい」「憲法に定めなくても政策で実行すればよかろう」


・森戸は譲らない。国が国民を経済的に守る、それは憲法で約束しなければならない。熱弁は議会を動かした。生存権条項は復活したのだ。

【日本国憲法 第25条】
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。


・11月3日、憲法公布の日。民主憲法を祝う催しが日本中で行われた。鈴木安蔵や森戸辰男ら七人が心血を注いだ草案は、日本国憲法の魂となった。

<幻の憲法 日本から切り離された島民たち>
・今から20年前(1997年)、一つのニュースが報じられた。終戦直後につくられその後、行方不明になっていた「大島暫定憲法」の原本が発見されたのだ。それは人知れず、役場の倉庫に眠っていた。史料を整理しているときに偶然、発見したという。

こういうことがあったということは知ってましたけども、それに関わる書類的なものが残っているとは思ってなかったです。まさかという感じはそのときにありましたけれども。でかいこと考えてたんだなって。国になるわけじゃないですか、小さな島が(大島町文化財保護審議会の岩崎薫)

・大島暫定憲法。完成は1946年3月。日本国憲法公布より8か月も前だ。そこには「統治権は島民にあり」。国民主権ならぬ島民主権。そして世界平和を意味する「万邦和平」。日本国憲法にも通じる思想が盛り込まれている。研究者は当時の人たちの切実な思いが窺えると言う。

やっぱり日本国憲法の三大原理、一番核となる部分に似たような内容が示されていた。1万前後の人口で、そういう少ないというと語弊があるかもしれないですが、そういう所で国の在り方を考える人たちがいたんだっていうところが一番の衝撃(名古屋学院大学准教授・憲法学者の榎澤幸広)

・未曽有の混乱の中で生まれた、もう一つの憲法。自分の手で憲法をつくり上げた島民たちの物語。全ての始まりは1946年1月29日、GHQから下された命令だった。

伊豆大島を日本領域から除外する

・突然の指令で北方領土、小笠原などとともに伊豆諸島が日本から切り離されたのだ。いわば「大島独立」という命令だった。
・すぐさま大島の6つの村の代表が集まり、役場で緊急集会を行った。この先、島はどうなっていくのか。独立命令に困惑しきった島民たちの代表を前に声を上げた男がいた。元村の村長・柳瀬善之助だ。10年間、東京で教師を務めた後、地元・大島に戻り中心地である元村の村長に就任したばかりだった。

こうなった以上は苦難を甘んじて受け入れ、民意を結集し理想郷大島を建設し、楽しい生活を自分たちの手で取り戻そうではありませんか。

・いわば「大島共和国」。その憲法をつくろうという計画はここから始まったと考えられる。それにしても、なぜ人々は憲法をつくろうと思い立ったのか。地元で長年、調査を続ける郷土史家の中田保は言う。

自分たちの目標というか、これに向かっていこうじゃないかという確かなものが欲しかったのだと思います。ゼロからスタートする(中田)

・だがなぜ、平和主義や島民主権など日本国憲法と共通する理念を導き出せたのか。その謎を解く鍵は、大島の地理的な条件にあると考える男がいる。大島憲法の調査を続ける古橋研一。

え?っていうような驚きがあった。たかだか1万人の島で独立して、今の憲法に負けない憲法をつくり出したということに感銘を受けた(古橋)

・この日、古橋は中田の案内である場所に向かった。

左手の方がサイパン。右手の方がいわゆる皇都・東京。(それを)守る最後の砦がこの場所だった(中田)

・大島に残る戦争遺跡。実は大戦末期、本土防衛の最後の砦として大島には日本軍1万人が駐屯。米軍の爆撃による被害も大きかった。元陸軍兵士の高田八郎(92)は当時、兵士として島を守っていた。

毎日のようにB29が大島の上空を通って東京へ行くのが見えた。各部隊に配属された時点で、もう惨憺たるもの。大島には川がない、水がない。ましてや8月。もし戦争があと3か月間続いたら、餓死してたでしょうね。もうたくさんだね、戦争はいやだね(高田)

一番何が大切かといったら平和。戦争したら絶対いいことはない。自分たちそれで苦しめられていたことで、それが基盤にあって、そこに民主主義をのせてつくっていった草案。基盤は平和。世界中仲良くしなければならないということは、あの戦争で身にしみている(古橋)


・では一体どんな人々が憲法づくりを手がけたのか。古橋は最近、手がかりを見つけた。大島の新聞「もとむら」。憲法づくりと並行して村長の柳瀬善之助が発行した島の新聞だ。

これほど民主的であっていいのかというほど、人の意見をくみ上げている。こういうことをやりたいと言ったら、否定するのではなくてそのまま出す。村の人の意見を尊重していた(同上)

・柳瀬は島じゅうから投稿を求めた。それに応じて様々な声が寄せられた。そこに憲法づくりに関わった何人かの名前もあった。その一人、茶屋の主人の高木久太郎。写真は一見こわ面だが敬虔なクリスチャン。自殺の名所と呼ばれた三原山で、自殺志願者を引き止めるためにお茶屋を営み、尽力していた。そして船大工の雨宮政治郎。仲間の人望が厚く「大工の政さん」と呼ばれ、慕われていた。
・こうした一般の人々の名はあったが、法律の専門家は見当たらなかった。憲法づくりは村長や村人たちが議論を重ね、手探りで行われたのだ。
・そんな試行錯誤の中で島民たちは驚嘆すべき政治的な仕組みに辿り着いていた。大島共和国の立法と行政の関係を示した図、現代に通じる特徴がある。

「権力分立」の考え方ですよね。議会と執政との関係。で、それを見守るっていうかダメな場合にはリコールとかするという島民との関係。ここを位置づけている。いろいろな他の憲法学者たちに仮に見せたときに、やっぱり一番驚く部分じゃないかと思いますし(榎澤准教授)

・国会にあたる「議会」と内閣にあたる「執行委員会」。それを取り囲み監視するのは全島民。権力の暴走を抑える仕組みまで、人々は自力で考え出していた。
・1946年3月下旬。およそ2か月の議論を経て大島暫定憲法は完成する。これによって大島共和国の骨格が固まった。ところが数日後の3月22日。GHQから「行政分離解除」が発表される。日本への復帰が決まったのだ。
・独立命令から取り消しまで僅か53日間。人々の偽らざる思いの結晶・大島暫定憲法は幻と消えた。そしてその年の11月3日、日本国憲法が公布された。そのとき彼らは、新たに誕生した民主憲法をどう受け止めたのだろうか。

力を使い果たした、その結果できたものを、これを幻にしないで何としても生かしていこうと思ったはず。自分たちの思いは間違っていなかったじゃないかというのは、あったんじゃないですかね。また改めて誇らしく思ったんじゃないですか(中田)

・大島町立第二中学校では歴史の授業で日本国憲法と並んで大島憲法が教えられている。自分たちの力で憲法をつくろうとした島民たちの思いは、今も失われていない。

島民全員が力を合わせて憲法をつくったと思うんで、かっこよかったです。聞いてて(男子生徒)

国民が一番偉いっていう考えは、やっぱりどこも同じなんだなって思って。すごい大切なことだなって思います(女子生徒)

大島の人も絶対平和がいいんだなっていうのがあって、一人一人の意思がちゃんとあったんだなっていうのが伝わってきて、これからも大事にしていかなきゃいけないなと思いました(女子生徒)


・憲法の一条一条。そこには人々の喜びや悲しみ、そして願いと祈りが込められている。

(2017/2/23視聴・2017/2/23記)

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1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝 (朝日文庫)

日本国憲法の誕生 (岩波現代文庫)

憲法「押しつけ」論の幻 (講談社現代新書)

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【にっぽん!歴史鑑定】鬼平 長谷川平蔵の真実

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【にっぽん!歴史鑑定】
「鬼平 長谷川平蔵の真実」

(BS-TBS・2017/2/20放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」。年長者の人たちに大変人気がありますね。私の身近なところでも愛読者が多いです。正直言ってその魅力がよく分からなかったのですが、今回の長谷川平蔵の生涯を知って合点がいきました。確かに鬼平こと平蔵は魅力的な人物ですね。

 今でいえば警察署長(兼刑事部長)のようなものなのでしょうか。凶悪犯を次々と捕まえ町の治安を守る頼もしい存在です。さらに裁判所長も兼務して迅速で公平な裁判も行っていました。誤認逮捕した者に補償までしたというのは今でいう国家賠償の先駆的なものとも言えるでしょう。

 さらに人足寄場の責任者まで務めるというのは、自立や更生を促すホームレスの支援施設兼刑務所の所長。この人は一体どこまで職務を兼務していたのかと驚くばかりです。

 そんな平蔵さん。上司からは疎まれて町奉行にはなれなかったのですね。でも私が思うに彼は強く出世を望んでいたのではないかなと思えるのです。出世目的で仕事していたら、ここまで献身的にはならずに何処かで「打算」に走るでしょう。きっと真面目だったに違いありません。若い頃はやんちゃしていたそうですが、それがどう心の変化があったのか。その辺りにも興味がありますね。

 ちなみに現代にもし長谷川平蔵がいたら今、地裁で審理が行われている「小金井市女子大生ストーカー刺傷事件」の裁きをぜひ下してほしい。検察は懲役17年を求刑してますが、鬼平だったら獄門または終生遠島にしてくれたでしょう。無反省で更生不能としか思えない極悪人に正義の裁きをと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・東京・台東区にある池波正太郎記念文庫。「鬼平犯科帳」の直筆原稿がある。今なお愛され続ける時代小説の金字塔。2017年、誕生50周年を迎えた。
・主人公は悪党たちも震え上がる鬼平こと長谷川平蔵。江戸時代に活躍した実在の人物。平蔵は幕府の特別警察である火付盗賊改。悪を懲らしめる江戸のヒーローだった。お縄にした賊は200人以上、高い検挙率には平蔵の訳ありな過去が関係していた?
・平蔵最大の功績は人足寄場の設立。人々の自立・更生を促す秘策。鍵を握るのは水玉模様?
・出世街道から外された。平蔵の前に立ちはだかった意外な人物とは?鬼平が泣いた?

<長谷川平蔵の生い立ち>
・江戸時代中期の延享3年(1746年)長谷川平蔵は旗本の家の長男として江戸で生まれた。本名は宣以、平蔵は通称だった。
・長谷川家は家禄400石と決して高い石高ではなかったが、三河時代から徳川家に仕える格式の高い家柄。父・宣雄は通称を同じく平蔵といい、京都町奉行にまで出世した優秀な官僚だった。
・本所に屋敷替えを命じられたのは明和元年(1764年)平蔵19歳のときのこと。現在の墨田区菊川駅そば。この辺りもかつては本所と呼ばれていた。
・実は若い頃の平蔵は名うての遊び人、放蕩三昧だったという。しかし28歳のとき父が京都町奉行在職中に急死したことで家督を継ぎ、長谷川家の当主に。生活は一変、心を入れ替えた。
・翌年には将軍を護衛する書院番に就任。旗本の出世の頂点である町奉行を目指し精進することになった。徐々に出世を重ねていった平蔵は41歳で御先手頭になった。戦の際に先鋒を務める弓隊と鉄砲隊の指揮官のこと。平蔵が任されたのは弓隊の頭。

<火付盗賊改となった平蔵>
・天明7年(1787年)後の平蔵の人生に大きく関わる松平定信が幕閣のトップである老中になった。就任3か月後、定信は平蔵を「火付盗賊改」に抜擢した。
・火付盗賊改の仕事とは放火犯や盗賊、博徒の取締り。およそ30人いる御先手頭の中から選ばれ兼任するため、当時は加役と呼ばれていた。
・基本的に定員は2人。1人が通年を担当し、もう1人は火事が多く発生する冬場のみ増員された。平蔵は初め冬場だけの臨時職として任命され7か月間就任したがその後、通年担当となった。火付盗賊改には決まった役所がないため自宅を使用。小さいながらも御白洲を設け、取り調べや裁定を行った。
・江戸には警察司法を司る町奉行がいたが、こちらは非武装の文官。一方、火付盗賊改は武官でいわば軍人。町奉行では手に負えない凶悪犯罪を扱う特別警察のような存在だった。
・他にも火付盗賊改と町奉行では異なる部分があると、江戸の歴史に詳しい東京大学史料編纂所教授の山本博文氏は言う。

管轄が分かれていて、町奉行は江戸の町だけだったが、火付盗賊改は特定の管轄がなかった(山本氏)

・平蔵は火付盗賊改として与力や同心を束ねながら、江戸の治安を守っていくことになった。

<火付盗賊改の一日>
・午前6時(明六つ)に起床。調書に目を通すなど朝のうちに出来る限りの仕事を片づける。
・午前10時(朝四つ)江戸城に登城。調書を老中に提出、打ち合わせなどを行う。
・午後2時(昼八つ)自宅に戻ると再び仕事。書類をチェックしたり作成したりする。
・午後10時(暮四つ)就寝。

・盗賊が出たり火事が起これば、もちろん夜中であっても出動。まさに激務だった。通常は2~3年で任を解かれるが、平蔵は足掛け8年も務めたという。

<真刀徳次郎の逮捕>
・平蔵の凄さはそれだけではなかった。幕府が記した刑事事件の判例集「御仕置例類集」には平蔵の裁判記録が200件以上、検挙率の高さが窺える。中でも平蔵の名を世に知らしめた事件が真刀徳次郎の逮捕だった。
・寛政元年(1789年)4月、東北から関東一円で数百件に及ぶ強盗殺人事件が発生。盗賊一味の頭は真刀徳次郎。一説には800人の手下を従えていたといい、抵抗すれば僧侶でも斬り殺す極悪非道な男だった。しかも公儀御用を装って関所をくぐり抜ける知能犯。平蔵配下の同心たちもまんまと騙されてしまい、捜査は難航した。
・しかし一度目を付けたら蛇のように執念深く追いかけるのが平蔵。しらみ潰しに捜査を行い、遂に徳次郎一味の隠れ家を突き止めた。ただちに平蔵は同心たちを伴って出動。戸田の渡しを越え、江戸から約10里という遠方で徳次郎一味を見事一網打尽にした。
・その徳次郎一味の隠れ家だったとされているのが、さいたま市北大宮駅近くにある四恩寺。境内にある閻魔堂で徳次郎を捕らえたという。

<大松五郎の逮捕>
・この一件で江戸だけでなく関八州にまでその名を轟かせた平蔵。46歳のとき最大の大捕物に挑んだ。
・寛政3年(1791年)大松五郎(別名 葵小僧)は、たった一人で商家ばかりか武家屋敷まで荒らし回る大胆不敵な押し込み強盗。
・一晩で23か所盗みに入り、女子どもをなぶり物に。人殺しも厭わないとはまさに鬼畜の所業。武士たちでさえ畏れ慄き、手をこまねく凶悪犯の出現に夜も眠れず怯える江戸の庶民たち。
・その大松を平蔵が捕らえた。すると今度は非道な行いを自慢気に白状。どこまでも傲岸不遜な大松に平蔵は10日足らずで獄門に処した。これほどのスピード判決は江戸時代を通じても珍しく、鮮やかな逮捕劇と迅速な裁きに人々は大喝采。平蔵は一躍、江戸のヒーローとなった。こうして悪党たちも鬼と恐れる火付盗賊改・長谷川平蔵が誕生した。

<平蔵の悪党捕縛の秘密とは>
・次々と凶悪犯を捕らえていく長谷川平蔵。検挙率の高さの秘密は何だったのか。一つは若い頃の放埒な暮らしにあった。江戸で名うての遊び人だった平蔵は、京都町奉行になった父に付いて京都に赴いても遊里などで遊びほうけ、倹約家だった父の財産を食い潰してしまった。
・そして賭場に出入りする者たちとも付き合い、裏社会に足を踏み入れていった。こうした経験が大いに役立ったというのだが…。

そこに暮らす悪党たちと接点を持つことができたので、犯罪者の心理・心情を読む術を身につけた。それから義理人情から恐喝や詐欺を犯す人間の陥りやすい罠を知ったり、悪党がどういうところに逃げたりなど学びとって、犯罪の嗅覚を養った(山本氏)

・その嗅覚を生かして平蔵は毎日夕方になると江戸市中をパトロール。人々の様子、町の状況を把握し犯罪の火種を目ざとく見つけていった。その際のスタイルは目深に被った編笠に袴を付けない着流し姿。町人たちに紛れるよう目立たない格好をしていた。そして平蔵には捜査に欠かせない男たちがいた。

「目明かし(=岡っ引き)」という裏社会に通じた自分への協力者。あるいは自分が捕まえてその罪が軽いので許してやったりして、自分の配下として平蔵が使っていた存在。平蔵は目明かしを通じて犯罪捜査や犯人逮捕のときの手引きをさせるために働かせていた(同上)

<犯罪激減 平蔵最大の功績とは>
・東京・佃。高層ビルが建ち並ぶリバーシティにも平蔵のゆかりの場所がある(石川島灯台跡)。「人足寄場」とは今でいうホームレスのための自立支援の場であり、犯罪者の更生施設も兼ねていた。
・当時の江戸は治安が悪化。原因となったのは、江戸時代最大の飢饉である天明2年(1782年)の天明の大飢饉。東北地方を中心に悪天候や冷害による凶作が続き、農作物の収穫が激減。
・そこへ追い打ちをかけるかのように天明3年(1783年)浅間山が噴火。田畑は壊滅的な被害を受け、6年にも及ぶ深刻な飢饉に陥ってしまった。死者は数十万人。
・農民たちは職を求めて江戸に流入、しかし多くの者は仕事が見つからずにいわゆる無宿人となった。中には盗みなどの悪事を働く者も現れ、江戸の治安は悪化していった。
・老中・松平定信は何か妙案はないかと幕臣たちに呼びかけた。そこで一人だけ手を挙げたのが長谷川平蔵だった。そのとき平蔵が定信に提出した無宿人対策の上申書が残されている(「評定所寄場起立」)。
・平蔵が目を付けたのは当時、離れ小島だった佃島の隣の石川島。ここなら無宿人を囲い込めると考えた。そして定信から「人足寄場取扱」の兼務を命じれた。
・すると平蔵は着工から僅か2か月という短期間で湿地を埋め立てて施設を建設。広さ1万6000坪という広大な人足寄場で多くの人々の自立・更生に力を注いだ。

【職業訓練】
・仕事がなければ、出所後もまた無宿人になってしまう。何か手に職をつけさせればよいと、平蔵は大工に紙すき、藁細工、裁縫といった施設内で様々な技術を習得できるようにした。それはまさに職業訓練所。さらに平蔵は彼らが退所するときに開業資金を与え、すぐに仕事を始められるようにした。

【ランク付け】
・人足寄場の在所期間は原則として3年だが、成績優秀者はそれより早く退所できた。施設内では水玉模様に染め抜かれた法被を着るのが決まり。もちろんここにも平蔵のアイデアが。成績に応じて水玉の数を減らしていき、水玉が無くなったら退所可能。一人一人の状態、働きぶりを目に見えるようにすることで意欲をかきたて、競争心をあおった。

【心のケア】
・平蔵は人々が自立・更生するには心のケアも大切だと考えた。そこで松平定信を通じて中沢道二という心学者を人足寄場に招き講義を開いた。実践的な道徳を解き、誰にでも分かりやすい言葉で辛抱することや努力することの大切さなどを語り、その教えは荒んだ心を癒した。

・こうして平蔵は短期間で成果を挙げ、定信に称えられた。

人足寄場によって
無宿人たちは減り
犯罪も少なくなった
これも長谷川の功績である


・ようやく平蔵は報われた。実は施設を軌道に乗せるまで資金面でとても苦労した。定信が寛政の改革で質素倹約を旨としたため余り予算を割いてもらえなかった。
・そこで設立翌年の寛政3年(1791年)平蔵は運用資金を捻出するため、公金を使って銭相場に手を出すという荒業に出た。一説には3000両もの大金をつぎ込み、500両(約5千万円)も儲けたという。
・寛政4年(1792年)平蔵47歳。運営が軌道に乗ったところで「人足寄場取扱」の任を解かれた。

<鬼平を町奉行に 庶民に支持された理由とは>
・池波正太郎による人気時代小説「鬼平犯科帳」。その主人公である鬼の平蔵は大悪党も縮み上がる切れ者だが、こんな一面も。

盗賊の子と知って
押上村の喜右衛門は
そのお順という子を
持てあましはじめたそうだ
まあ…………
おれたちがその子を
引き取ってやろうとおもう どうだな
はい おこころのままに
こころよく引きうけてくれるか
そうか
(「鬼平犯科帳」第1巻より)


・小説の中の平蔵は困っている人を見たら放ってはおけない、いなせで人情深い男。実際の長谷川平蔵はどうだったのか。
・江戸の町には町人たちが交代で町の警備にあたる「自身番」というシステムもあった。町方が盗賊を捕らえた場合すぐ奉行所などには連れていかず、自身番の番屋に一晩置くのが決まり。しかし捕縛者の世話や監視のための人件費は町人持ちだったため、大きな負担となっていた。
・そこで平蔵は彼らの負担を減らすため、ただちに自分の屋敷に連行するよう取り計らった。町方が盗賊を連れて行くと蕎麦をご馳走して労をねぎらったり、部下の与力・同心に対してもよく酒や食事を振る舞ったという。
・お裁きもまた情け深いものだった。どんな判決を下すかは老中に伺いを立て、その承認を得なければならなかった。平蔵は凶悪な犯罪者には重い刑を、それ以外には比較的軽い刑を申請。
・また誤認逮捕してしまった者には、謝罪として拘留の日数に応じて銭を与えていた。刑死した者には寺で供養したという。

賞罰正しく
慈悲心深く
頓知の裁き多し


・そんな平蔵ならではのこんな話も伝わっている。ある日、平蔵配下の同心が盗賊を捕まえてきた。しかし目を離した隙に盗賊は縄で縛られたまま逃げてしまった。30日のうちに再び捕らえないと同心はクビ。
・ところが数日後、その盗賊が縛られた縄を大事に持って同心の家に現れた。聞けば一旦逃げてはみたものの慈悲深い平蔵に捕らえられた方がよいと思って戻ってきたというのだ。
・いつしか平蔵は「今の大岡殿」と呼ばれるようになった。平蔵より30年ほど前に活躍した名奉行・大岡越前守の名が引き合いに出されるほど、庶民たちから絶大な信用を得ていた。

<平蔵の出世を阻んだ意外な人物とは>
・厳しくも人情厚く江戸の人々に慕われた火付盗賊改の長谷川平蔵。遂に町奉行出世のチャンスが訪れた。それは火付盗賊改就任2年目の寛政元年(1789年)のことだった。南北2つある町奉行のうち、南町奉行が空席になった。
・過酷な火付盗賊改は2~3年務めると異動させてもらえるのが通例だった。そのため次は自分の番だと内心期待していたのだが、このときは残念ながら見送られた。幕府の理由は「平蔵以上に火付盗賊改の適任者が居ないから」。
・2年後の寛政3年(1791年)再びチャンスが訪れた。北町奉行・初鹿野信興が在職中に急死した。平蔵は火付盗賊改を務めること既に4年。しかも人足寄場を軌道に乗せており、実績は十分過ぎるほどあった。
・しかしこのときも平蔵は町奉行になれなかった。今度の理由は「町奉行は目付を勤めてない者には命じられない」。目付とは老中のもとで旗本の行動を調べたりする役職で、出世の要となるポスト。確かに平蔵は務めていなかった。
・ところがこのとき町奉行に昇進した小田切直年という人物は目付を経験していなかった。つまり平蔵が町奉行になれない理由は他にあったということだった
・このとき平蔵の唯一の支えになったのが「越中殿(松平定信)の言葉」。人足寄場設立の際「平蔵ならば」と言ってくれた一言だった。

平蔵を火付盗賊改に任命した老中・松平定信が(彼の出世を阻んだ)原因だった。実は定信は平蔵のことを嫌っていた。自叙伝「宇下人言」の中でも「山師=よこしま」と書いている(山本氏)

・時は流れ、寛政7年(1795年)火付盗賊改として奮闘すること既に足掛け8年。平蔵の出世を阻んでいた老中・松平定信は2年前に失脚。誰もが平蔵の町奉行昇進を期待していた。
・その矢先、激務が祟ったのか平蔵は遂に倒れてしまった。このとき平蔵は11代将軍・徳川家斉から滋養強壮の秘薬「瓊玉膏」を賜った。検挙率アップや人足寄場設立など多くの功績を残した平蔵を、将軍はきちんと評価してくれていた。
・しかし薬を賜った4日後の寛政7年(1795年)5月10日。平蔵は50年の生涯を静かに終えた。出世は叶わなかったが、平蔵の功績は今にしっかりと伝わっている。
・東京・新宿区にある戒行寺に長谷川平蔵は眠っている。

(2017/2/24視聴・2017/2/24記)

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お知らせ

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テレビ番組の感想及びあらすじを書いていました当ブログですが、一身上の都合により当面の間、更新をお休みさせていただきます。

なお、合わせてコメントも一時できないようにさせていただきます(お返事がおそらくできないため)。

復活時期は未定です。楽しみにされていた方がもしいらしたら申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければと思います。

【ドキュメント72時間】沖縄 7000人のウチナーンチュ大会

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【ドキュメント72時間】
「沖縄 7000人のウチナーンチュ大会」

(NHK総合・2016/12/16放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 お気づきの方もいるかと思いますが、土曜から月曜にかけて一足早い冬休み旅行に出かけていたため、先週末から週明けにかけて予め作成したおいた記事を1日1本ずつアップしていました。そのため未視聴の番組を今日から夜に視聴して順次アップしていきますので、放送日から遅れ気味になるのと順番が前後いたします。ご容赦いただければと思います。

 と前置きが長くなりましたが、まずは新作としては年内最後となる「ドキュメント72時間」。沖縄で5年に一度、移民した人たちが里帰りするイベントがあるということは知りませんでした。沖縄の人たちが世界各地に移住していたことを改めて実感しましたね。

 若い世代では5世にもなり、もちろん沖縄生まれでない人たちも多いわけです。しかし沖縄は彼らにとって「ふるさと」だと感じさせるほどの魅力があるのでしょう。番組の最後にブラジル移民3世の女性が沖縄の放言で「沖縄はいいところだ」と言っていたのが印象に残りました。

 そんな沖縄を私たち本土の人間は本当に大事にしていない。そう感じさせる事件がまたもや相次いで起こりました。オスプレイが墜落したにも関わらず「不時着して大破」などとふざけた表現でニュースを伝える本土のマスコミ。事故の原因すら分かっていないのに既に飛行再開する米軍に強く抗議できない永田町の為政者たち。沖縄の人たちにいつまで苦難を押しつけるつもりなのかと言いたい。

 私も一度だけ沖縄に行きましたが、本当に自然豊かで人々も優しい方が多くて居心地のいいところでした。ただし米軍さえ居なければ…ですが。米軍が居なければ中国が攻めてくるとかあり得ないことを言う前に、沖縄が事実上、米軍に支配されている実態こそ解消すべきでしょう。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・秋、沖縄は季節外れの里帰りラッシュに沸いていた。
・那覇の町で5年に1回開かれる世界のウチナーンチュ大会。ハワイ、ブラジル、ボリビア、沖縄から海外に移民した人たちがふるさとに帰ってくるお祭りだ。
・100年以上前から世界中に飛び出してきたという沖縄の人たち。町の中心、国際通りで行き交う人々の声に耳を傾けた。

・10月26日(水)12時。ウチナーンチュ大会初日。お土産屋さんが並ぶ通りの一角で撮影開始。この日は移民した人々によるパレードが行われるらしい。
・サッカー、アルゼンチン代表のユニフォームを着た女性。57年前に6歳のときの移民。戦後、仕事を求めて一家6人で移り住んだという。
・ブラジルで知り合って結婚したという夫婦(夫は14歳のとき、妻は10歳のとき移民)。ブラジルには沖縄出身者とその子孫が16万人もいるらしい。産業が少ない沖縄では昔から海外への移民が進められていた。
・14時9分。広場に続々と参加者が集まってきた。ボリビアと書かれたシャツを着た85歳女性。終戦後、30歳のときに移民したという。当時アメリカ軍の基地をつくるため、多くの人が住んでいた土地を追われた。
・移民して半世紀以上、沖縄にあまり住んだことがないのになぜか帰ってきたくなるらしい。
・大会の始まりを告げるパレード。里帰りしたウチナーンチュは過去最多の7297人。沖縄の暮らしは、こうした移民からの送金に支えられてきた。
・沿道には多くの地元の人たちが。弟妹がアメリカに移住した男性は「おかえりなさい」と声をかける。
・沖縄の街を包み込む不思議な一体感。
・18時44分。夜になっても国際通りの熱気は冷めない。居酒屋で大合唱する集団がいた。米軍基地の中にある高校の同窓会。みんな青春時代を沖縄で過ごしたという。軍人の子どもだった彼ら。40年経っても沖縄に集まるには理由があるという。父親がベトナム戦争に行ったという女性は残された母とともに周りの人たちで助け合っていきてきたという。苦労を乗り越えてきた人生が海を越えて集まる沖縄の夜。
・街角にミニスカートをはいた白髪の女性がいた。ブラジルからの移民2世という70歳。忙しく働きながら一家を支えてくれた両親。自分も6人の子どもを育てた今、家族のルーツを知りたくなったという。祖先はどう生きて、なぜふるさとを離れたのか。沖縄で親戚に話を聞くたび、一つ一つ分かることがある。

・10月27日(木)10時48分。国際通り周辺はお土産を買う人で賑わっていた。大量の昆布を買った夫婦、ブラジルでは高価なため親戚たちにリクエストされるという。
・野菜を買っている若者がいた。ブラジルから来た4世の歌手の32歳男性。1週間前に来日し、地元の人に各地を案内してもらった。辺野古や高江にある米軍基地を訪れた。基地問題は沖縄だけでなく世界の問題だと言う。
・14時32分。国際通りをのんびりと歩く84歳の男性。第1回のボリビア移民で1954年に行って、それからブラジルに転住。職を求めて6か所もの土地を転々としたという。生まれはフィリピンでその後、鹿児島、大分、沖縄、ボリビア、ブラジルと渡った。沖縄で暮らしたのはたった8年なのに何だか心が落ち着くという。大きなスーツケースには昆布が5キロも入っていた。
・移民が行き交う国際通り。一度は戦争で焼け野原となった。困難を乗り越え、いち早く復興。“奇跡の1マイル”と呼ばれた。
・街頭ビジョンの前で涙を流す女性。母親の3年忌の帰りだという。観ていたのは移民たちが祖国の歌を歌っている姿。

・10月28日(金)9時4分。朝から国際通りに大型バスが停まっていた。今日はふるさとの町を訪ねて、親戚や知り合いに会う人が多いみたい。
・「金城」と書かれたシャツを着た一団。ハワイ3世から5世までの3世代16人で先祖の仏壇にお線香をあげに行くという。
・バスを待つ集団に声をかけられた。ペルー生まれの2世の70歳女性。今回、初めて沖縄に来たという。女性の名はフリアさん、沖縄で生まれたお母さんの親戚を探しているらしい。ずっと働き詰めだったけど最近お母さんが亡くなり、来てみたくなったという。
・ふるさとの町では盛大な歓迎会が開かれていた。あちこちで親戚と対面を喜ぶ姿が。フリアさんも同じ苗字の人を見つけたみたい。残念、親戚ではなかったみたい。その後も探し続けたが会うことはできなかった。
・会が終わる頃、フリアさんが何かを手渡してくれた。ペルーから大切に持ってきたお土産、袋の中に沢山あった。
・この日、沖縄各地で繰り広げられた“出会い”。30年ぶりにハワイから線香をあげに来た男性。泣きながら感謝の言葉を言い手を合わせる。

・10月29日(土)11時36分。つかの間の里帰り、帰国の日が近づいていた。ふだんから沖縄の方言を話しているというブラジル3世の女性。「ブラジルの親戚たちにきちんと話を聞かせてあげたい。沖縄はとてもいい所だと」と言う。

(2016/12/20視聴・2016/12/20記)

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【ブラタモリ】#57 東京・目黒~目黒は江戸のリゾート!?~

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【ブラタモリ】
「#57 東京・目黒~目黒は江戸のリゾート!?~」

(NHK総合・2016/12/17放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 今回の舞台はタモリ氏の地元・目黒。残念ながら私には縁がない土地で、殆ど行ったことがありません。なので逆に新鮮な気持ちで目黒不動や目黒雅叙園などを観ました。有形文化財の百段階段は雅叙園さんが見学ツアーを開催しているみたいです。予約制で食事つきらしいですが、ぜひ行ってみたいですね(まあ、お値段はそれなりになるようですが)。

 あと羨ましいのは、タモリ氏御一行様というかNHKは防衛省の非公開施設すら見学できることですね。艦艇装備研究所に巨大な水槽があるということは別の番組で知っていました(たぶん戦艦大和の開発に関する番組だったと思います)が、おいそれと一般人は見学できないようです。50年前の三田用水の水が残っているのは、ちょっと驚きました。

 ということで、ブラタモリもこれで年内の放送が最後のようです。年明けは別番組とコラボしたスペシャルがあるようですが、そちらは記事に起こすのは割愛する予定です。ということで次回はレギュラーの「浦安」。ここは馴染みのある場所なのでちょっと楽しみです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・スタート地点は東京の中目黒駅前。
・タモリは目黒に住んで30年だと言う。目黒川は桜の名所ということで桜満開のパネルの前で恒例のニセ合成写真撮影。
・旅のお題は「目黒は江戸のリゾート!?~」
・最初の案内人は日本地図センター総括研究員(「境界協会」主宰)の小林政能さん。
・江戸の境界線を示した古地図(旧江戸朱引内図)。「朱引」という赤い線の内側は江戸の範囲を、「墨引」という黒い線の内側は江戸の町奉行が管轄した範囲を示している。目黒の辺りは江戸の範囲ではなかったけど奉行が管轄していた。

・最初に一行が向かったのは中目黒駅から2kmほどの商店街。なぜ目黒が朱引から墨引が飛び出た特別な場所か分かるという。
・もう1人の案内人が登場。法政大学教授(歴史学)の根崎光男さん。以前の「ブラタモリ 鷹狩り」の回で目黒を案内してくれた。
・目黒不動と呼ばれるお寺の門前町。目黒不動は江戸から日帰りできるので人出の絶えない観光名所だった。参道には茶屋、土産物屋、料理屋などがたくさん建ち並び、人々はお参りのついでに遊ぶことができた。そのため江戸ではないが、奉行の管轄となった理由だという。
・そもそもどうして江戸のリゾートとなるほどたくさんの人が目黒不動をお参りしたのか。
・一行は龍泉寺(平安時代に開かれた天台宗の寺。目黒不動(目黒不動尊)と呼ばれる)に入り、まずは水かけ不動(身代わりで水垢離をしてくれる不動明王。水をかけた部分が良くなるという信仰も)。
・続いて階段の上の本堂へ。戦災で焼け戦後になって建て直したもの。秘仏の本尊・不動明王をまつる。
・江戸時代にはお堂が40ほどあり、諸願成就のパワースポットとなっていた。その一つの前不動が戦災を免れ残っている。本堂の不動明王を写した像がまつられている。
・なぜもう一つ像をつくったのか。目黒不動には将軍も来ていたため、そのときに一般の人がお参りできるよう前不動がつくられたという。
・「鷹狩り」とは飼い慣らした鷹を使って野生の鳥やウサギなどを捕まえらる狩りのこと。江戸時代、将軍は軍事訓練や領地の視察を兼ねた遊びとして鷹狩りをした。
・目黒は将軍という究極のセレブが鷹狩りを楽しんだ江戸のリゾートでもあった。中でも数多く目黒に鷹狩りに来たのが3代将軍・家光。鷹狩りをきっかけに目黒不動を深く信仰するようになった。境内に建ち並ぶお堂の多くも家光が寄進したとされている。
・さらに有名な落語「目黒のさんま」も家光が目黒に来たときのエピソードをもとに創作されたとも言われている。

・続いて一行は目黒不動から600mほど離れた目黒川に架かる橋へ。目黒が江戸のリゾートになったもう一つの理由があるという。
・橋を越えて行人坂へ。急坂つまり崖が江戸の境界・朱引となった。そしてこの地形こそが目黒を人気のリゾートにした。行人坂の方が目黒不動より10mほど高く、西側に富士山がきれいに見えた。目黒不動のお参りにはもう一つの楽しみだった。
・坂の上から富士を愛でた江戸の庶民。一方、この絶景を見られる場所に別荘を建てたのが大名だった。

・次に一行は中目黒の駅前にある高いビルへ。目黒を江戸のリゾートにした「崖」の全貌を見てみる。
・かつて崖の上にあった大名屋敷。そこには三田用水から水を引いていた。三田上水・三田用水は寛文4年(1664年)に開通し、昭和49年(1974年)に廃止されるまで300年にわたって目黒の地を潤した。
・しかし三田用水が現役で残っている場所があるということで、一行は防衛省の研究所(防衛装備庁 艦艇装備研究所)へ。戦前に建てられた旧日本軍の施設をそのまま受け継いでいる。
・終戦直前の研究所の地図を見ると三田用水のルートが書かれている。さらに昭和5年より前には別のルートで三田用水が流れていたことが分かっている。
・先に進むと三田用水の水道橋の痕跡が残っていた。
・昭和5年に完成した長さ250m、幅12mの大水槽。戦艦大和をはじめ様々な艦船の研究開発に使われてきた。水を太陽光から遮るため窓がない。さらに水の入れ替えを極力行わずにきた。
・50年前、水槽を修理したときに引き入れた水が入れ替えられることなく残っている。蒸発した分などを継ぎ足しているが、1.8万トンのうち4割ほどが三田用水の水だという。

・続いて一行は富士見の名所だった行人坂の麓へ。江戸時代のリゾートだった目黒のDNAを今も受け継いでいる場所があるという。
・日本初の総合結婚式場、目黒雅叙園。昭和6年に巨大な料亭として開業した。大名屋敷の広大な敷地を利用した奥行きのある庭が名物だった。
・25年前、ビルに建て替えられたが創業当時のままの場所が僅かに残っている。昭和10年に建った百段階段、高低差16mの崖につくられた4つの建物を繋ぐ階段。東京都の有形文化財に指定されている。
・階段を上ると、かつて宴会場として使われた広間が次々と現れる。7つある広間は当時の名だたるアーティストが手がけた絵や飾りで彩られている。
・大名たちが崖を使ってせせらぎや滝を庭園で作ったのが、雅叙園に受け継がれた痕跡が残されている。

(2016/12/20視聴・2016/12/20記)

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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第6話「約束の白い花」

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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第6話
「約束の白い花」

(NHK・BSプレミアム・2016/12/16放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kozure2/

<感想>

 今日はちょっと帰りが遅くなってしまったため、視聴したのは「子連れ信兵衛」のみ。この番組はあまり難しいことを考えずに気楽に観ることができるので、こんな日にはいいですね。幼馴染が遊郭に売られてしまったのを助けたいと思った若者が悪事を働いてしまうのを信兵衛が諭して更生させる。派手な立ち回りはありませんでしたが、人情話としてはなかなかでした。

 ついでに、遊女のおゆうちゃんも信兵衛が助けるという展開になればいいですが、浪人が身請けしてあげるのはちょっと無理がありますからね。そこまでは無理にしてもお互い想う気持ちがあれば鉄平も罪を償って戻ってきて、おゆうちゃんもその頃には年季明けで吉原から出ることができる…まあ、ドラマですからそんな理想を思い描いてもいいかなと思います。

 それにしても、次週で最終回。信兵衛と美玖とのロマンス、おぶんちゃんとの三角関係はどうなるのか。鶴之助の新しいお母さん誕生か!?楽しみです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・矢場の店に強盗が入ったところを偶然出くわした信兵衛(高橋克典)。捜査に来た榎戸誠三郎(宮田俊哉)たちの話によると、若い者の3人組で大きな店でなく小さな店を狙っているという。さらに被害に遭う店には必ず客が一人いて、そいつも一味ではないかと怪しまれていた。
・一方、信兵衛から鶴之助(伊東瑛進)の母親になってほしいと言われた美玖(黒谷友香)は心乱れていた。
・その話を聞いた折笠五郎左衛門(笹野高史)は美玖への淡い想いを持ちつつも、信兵衛に彼女を幸せにしてやってほしいと言う。
・また、信兵衛に想いを寄せていたおぶん(小島梨里杏)も悩んでいた。
・ある日、鉄平(向井康二)と名乗る若者が信兵衛のもとを訪れ、弟子にしてほしいと頼む。信兵衛は鉄平が強盗の一味であることを見抜いていた。
・信兵衛が追及すると鉄平は白状し、ある約束を果たすために悪事を働いてでも金を貯めていると言う。そんな鉄平に罪を償うよう諭す信兵衛。
・ところが鉄平は井戸端に咲いている白い花を見た途端、何かを思い出して逃げ出してしまう。
・鉄平は吉原の遊郭に忍びこみ、店の者に追い出される。どうやら、おゆう(小川あん)という女を探していたようだ。
・目撃した差配の平七(鶴田忍)から話を聞いた信兵衛は、おゆうに会いに行く。鉄平とは同郷の幼馴染みで、彼女が身請けされるときに必ず迎えに行くと約束していたのだ。
・鉄平は奉行所に出頭しようとしたが、一味の頭の伊与吉(成田瑛基)たちに捕まり命を狙われる。間一髪のところで信兵衛が駆けつけ鉄平を助ける。
・小泉道仙(中村嘉葎雄)の手当てを受けた鉄平は奉行所に出頭し、寄場(犯罪者の自立支援施設)送りとなった。
・信兵衛からその話を聞いたおゆうは、いつかまた会えるのを待つと言う。

(2016/12/21視聴・2016/12/21記)

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【歴史秘話ヒストリア】真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城

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【歴史秘話ヒストリア】
「真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城」

(NHK総合・2016/12/16放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 大河ドラマ最終回を前にした「歴史秘話ヒストリア」。大坂冬の陣で実際にあったと言われている「真田丸」の発掘を巡る現地からの最新報告といった感じでしたが、残念ながら新しい発見はありませんでした。ちょっと勿体ぶった割には尻すぼみといった印象が否めなかったですね。

 それより折角ドラマのセット用に千葉県某所に作ったといわれる真田丸(ネット上で千葉県K市の山奥だと、ほぼ場所は特定できているようです。テロップでも表示されていましたし)。残念ながら撮影後に取り壊されてしまったようです。そういうのを観光資源として活用すればいいのにと思いました。

 例えば各地で映画やドラマのロケセットがそのまま残されている場所がありますよ。朝ドラ「すずらん」の明日萌駅(JR留萌本線の恵比島駅)、高倉健さんの映画「駅 STATION」の増毛駅(留萌本線・廃駅)や「鉄道員」の幌舞駅(根室本線の幾寅駅)。また「あまちゃん」は岩手県久慈市にロケ地がたくさん残っていますからね。

 そういうところが上手に活用できないのが残念ですね。K市を通るローカル線とロケ地を結ぶシャトルバスなどを運行したり、ゆかりの地を巡るバスツアーなどやればいいのに。ついでに本多忠勝が主を務めたお城もそう遠くない場所にあるのだから…。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・徳川軍20万vs.豊臣軍10万の激闘が繰り広げられた大坂冬の陣。圧倒的な徳川軍の前に「真田丸」が立ちはだかった。記録では、たった1日で徳川方1万人以上が戦死した。徳川家康にとって、真田丸は悪夢の砦だった。
・真田丸発掘調査団団長で奈良大学教授の千田嘉博氏。ドラマ「真田丸」のセットの考証も担当した。本物の真田丸は大坂冬の陣の後、徳川方によって壊されてしまった。跡地と言われている場所で1年がかりで調査が行われた。

<真田丸の外堀を捜せ!>
・真田丸の発掘。まず同時代の記録をあたってみると、真田丸の場所と規模が記されていた。真田丸は大坂本城の巽(南東)にあり、百間四方(180m四方)の出丸。学校のグラウンドほどの広さとある。実際、大阪城南東には真田の地名がたくさん伝えられている。
・さらに重要な手掛かりが。今年発見された絵図、大坂の陣から一番近い時期に真田丸を描いたもの。真田丸は堀と崖に囲まれた四角い形。南の堀は24間(43m)と記されている。
・この堀が発掘できれば真田丸の場所が確定できる。地中レーダーを使って調査を始めた。地下には大きなくぼみが埋まっていた。くぼみの深さは数m以上。もう1か所、並行している道路も調査した。やはりここでも大きなくぼみが確認された。
・道路の下から確認された場所を結んで延長してみると、堀のようになる。堀の幅は当時の絵図と一致する。深さ8m、幅40~45mという巨大なくぼみ、真田丸のくぼみなのか。
・そこを掘り出したいが、町の真ん中なので不可能。諦めかけたとき1か所だけ建物がない場所を見つけた。それは駐車場だった。
・特別に許可を得て真田丸発掘が動き出した。民間団体「真田丸発掘推進協議会」が市民や企業から調査費用を募り、大阪府と大阪市の教育委員会が実際の調査を担当した。
・まず2m幅で東西方向に掘ってみた。「地山」は自然のままの地盤、「盛り土」は人の手が入った土のこと。レーダー探査の断面図では、地山の上に堀は盛り土として埋まっているように見える。真田丸の堀が埋まっているとすれば、地山と盛り土の境目が斜めに現れるはずだ。
・もう一つ、専門家が目を凝らして探しているのは合戦当時の遺物。矢じりや鉄砲の弾が出てきはしないか。しかし期待外れ、出てきたのは平和な江戸時代のものばかりだった。
・掘り続けると元々の地盤、黄色い地山に当たってしまった。やはり真田丸に辿り着くのは難しいのか。発掘チーム団長の千田氏、がっかり報告を聞きつつも全然諦めていなかった。
・駐車場の端まで掘れば真田丸の堀に行き当たるはず。担当者は作業車を置くスペースが無くなると難色するが、何とか説得に成功。
・千田氏は戦後まもなくアメリカ軍が撮影した航空写真を立体視した。焼け跡の航空写真は地表が現れるので、堀の痕跡がみてとれるという。判読の結果、角が丸い四角い形だったと推定できるという。

<発掘 真田丸 ついに見つけた!?>
・千田氏の想定に基づいて発掘が再開された。南北方向に掘ってみることにした。見つけたいのは地山と盛り土の境目が斜めになって現れるライン。
・しかし駐車場の下は地盤を固めてあり、発掘作業は遅々として進まなかった。見えてきた地山のラインは南に向かって確かに落ちていた。この先が真田丸の堀になっているのか。
・3日目。いよいよ調査は最終段階に差し掛かった。ついに駐車場の敷地いっぱいまで拡大された。地山が下がっていたところを慎重に掘り下げる。下がりきらず逆に上がり始めていた。幅が僅か3mのくぼみだった。幅40mの堀とは全く別物だった。このくぼみは江戸時代のゴミ捨て場か井戸と判断された。
・慌てて千田氏が駆けつけた。このがっかりの現場が千田氏には発見の現場だったようだ。ここを土塁と考えるとその上には櫓があり、堀と反対側に排水口があるはず。雨が降って砦の内側が水浸しにならない仕掛けだ。だから排水口は砦があった証だと千田氏はこう考えた。

まさに雨落ち溝が掘られていて、そして高まっている地山が土塁。ちょうど調査しているギリギリ端のところから土塁がはじまっている可能性があると、今の時点では読み解くことができる(千田氏)

・出てきたのが排水口だとすると櫓のスペースを挟んで堀へと続く下りラインが現れるはずだ。なんと下りラインがはっきりと確認できた。
・しかし駐車場はここで終わり、この先は道路なので掘ることができなかった。この状況を巡って調査担当者と千田氏の見解はわかれた。

これをもって、たとえば堀だとか積極的なことは言えない。ゴミ穴の一つかも分からない(大阪府教育委員会の森屋直樹氏)

基盤の積んである土は土塁の可能性ありと私は考える。堀そのものはここでは落ちていないので、南の落ちているところを探してみる必要がある(千田氏)


・最初、堀が駐車場の真下にあると想定して調査が始まった。しかし駐車場の南側、道路の辺りに堀があると考え直す必要がある。実は絵図に描かれた曲がった堀の形によく似ていた。
・この真田丸に守るのに使われたのが火縄銃。同じタイプのものが現在も残されている。普通の火縄銃の2倍、2mの大型銃「大狭間筒」。甲冑の鉄板がめくれ上がるほど大きな弾丸が貫通する威力があったという。
・寺町の寺を取り込んだ真田丸。そのヘリは崖が続いている。その崖は人の手で作られたもので、これもまた堀の跡だと千田氏は考えている。
・土橋こそ必殺の仕掛け。徳川軍は堀に行く手を阻まれ、土橋に向かう。それこそが信繁の思うつぼ。徳川軍を誘い込み一斉攻撃することができた。

<真田丸がいっぱい!信繁の戦略とは?>
・大坂冬の陣が終わり、大坂城は外堀・内堀を埋められて裸城に。真田丸も破壊されてしまった。
・大坂方が圧倒的不利な状況で始まった夏の陣。ところがここで信繁は新たな切り札を用意して決戦に挑んだ。

真田丸は一つじゃないんです。第2、第3の真田丸見つけちゃったんですよ。今までの大坂夏の陣の評価や解釈を覆す大発見なんです(千田氏)

・訪れたのは道明寺の戦いの舞台、第2の真田丸とは岡ミサンザイ古墳のことだった。

堀を墳丘の中につくっていて、巨大な前方後円墳全体が一つの要塞に造りかえられた(同上)

・古墳を3次元データで見てみると、本来の形に手が加えられ砦に造りかえられていた。古墳の頂上は削られ、兵舎を置くスペースに。登り口も整備され、さらに物資を隠しておくための地下室を設けた建物を造っていた可能性がある。大坂城を守る強力な要塞、確かに真田丸と同じ役割だ。
・この第2の真田丸を使った信繁の巧みな戦略が浮かび上がってくる。東側には古墳が列になって並んでいる。これが作戦のポイント。奈良から大坂に侵攻した徳川軍は古墳と古墳の間の狭い道を通らなければならなかった。
・いかに大軍でも狭い道にそれぞれ分かれて進むとき、本拠地とした第2の真田丸から出撃。敵を順々に打ち倒していくことが可能になる。
・そして作戦が失敗しても次の一手が用意されていた。冬の陣では家康が本陣を置いた茶臼山は、夏の陣では信繁が第3の真田丸を置いた場所だったのだ。
・さらに史料をみると茶臼山とともに岡山も真田丸だったとみられる。どちらも騎馬隊を出撃させるための出入口「丸馬出」が作られている。
・注目すべきは茶臼山と岡山の間のライン。巨大な堀があったことを示している。千田氏はこの堀が今でもすぐ分かるという。

信繁たち大坂方は古代の運河・河川の跡を空堀に造りかえて、徳川軍を迎え撃とうとした(同上)

・現代の地形図からも、くねくねと続くラインが分かる。南から押し寄せる徳川勢を空堀のラインで食い止める。激戦は膠着状態に陥るはず。
・しかしここにチャンスが。前線に兵力が集中し、家康本陣が手薄になる。それが信繁の狙いだった。このタイミングで次の一手が。茶臼山と岡山には騎馬隊を温存していた。その騎馬隊が手薄な本陣を突き、総大将・家康を討ち取る。これが信繁の最後の秘策だった。

(大坂方は)少数の兵力だけど大軍の徳川と対等に戦う、あるいは有利な状況に持ち込んで戦おうと信繁が考えていた。城郭考古学からみると、真田信繁は最後まで勝利を信じて戦っていた(同上)

・信繁にとって夏の陣は勝ち目のない戦いではなく、考え抜かれた勝利のための戦いだった。

望みを捨てぬ者だけに
道は開ける


・真田丸を捜す旅から分かってきたのは「日の本一の兵」と呼ばれた真田信繁の真の姿だった。

(2016/12/22視聴・2016/12/22記)

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【ETV特集】
「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」

(Eテレ・2016/12/17放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 先週のETV特集。ちょうどこの記事を書いているときに再放送がリアルタイムで放送されています。ちょっと観るのと感想を書くのが遅かったですね。というのも非常にいい内容で、皆さんにお勧めしたいと思ったからです。

 アイヌ民族のことは私も不勉強であまり知りませんでした。北海道を訪れたことは何度もありますが、目にするものは明治以降の歴史のものばかり。先住民族であるアイヌの人たちに思いを馳せることはありませんでした。

 しかし今回のドキュメントで彼らが脈々と受け継いできたもの、とりわけ自然とともに生き、命あるものに感謝するという真摯な姿勢に心を動かされました。そして内地の人間が価値観を押しつけて彼らを踏みにじってきたという構図は、何だか沖縄にも通じるものがありますね。沖縄は基地の問題、そして北海道は北方領土と別々の問題を抱えていますが、いっそのこと北方領土はロシアと日本どちらも帰属せず「アイヌ民国」にしたらいいかも。まあ…これは極論だと分かって言っているのですが。

 いずれにしても、大変いい番組でした。まだご覧になっていない方は再放送の途中から、またはアンコール放送でもぜひご覧くださいませ。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・鮭が泳ぐ川は神様、木や山も神様、そして風も神様。アイヌの民は自然のあらゆるものに魂を感じ、これを畏れ敬いながら暮らしてきた。

その昔この広い北海道は、
私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、
美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼等は、
真に自然の寵児、
なんという幸福な人だちであったでしょう
アイヌ神謡集より(知里幸恵編訳・大正12年・原文ママ)


・山や川、鳥や動物に語りかけ、心を通わせてきたアイヌ民族。北海道白糠町のアイヌ、伊賀實さんは昭和20年頃に子熊と遊んだ記憶がある。

(熊と)一緒に遊んだ。相撲取ったり。2歳になるまで犬と同じだ。山へ行くのでも川行くのでも、ずっと(自分に)ついて歩く。いなくなったら、わざと隠れたりしたらファーファーと鳴いて呼ぶ。相撲とってね、俺がぶん投げたら(熊は)勝つまでかかってくる。だから最後わざと負けてやんなけりゃ。わざと負けてやんだよ熊に。そしたら喜んでる。何も人間と変わらないんだって、しゃべらないだけで(伊賀さん)

・アイヌ民族は狩猟を中心とした生活をしながら独自の言葉、アイヌ語を話して暮らしてきた。しかし近代日本の国家建設の歴史がアイヌの暮らしを劇的に変えた。アイヌ語は今、殆ど使われなくなった。
・そのアイヌ民族の貴重な資料がNHKに残されていた。太平洋戦争直後に録音された約100枚のレコードだ。そこには北海道各地に暮らしていたアイヌの肉声。当時の歌や語りが記録されている。

NHKの録音の中でも特に古い資料になりますし、いろいろな地域のものが含まれていますので、アイヌ語そのものの資料として貴重だということと文学や音楽の資料として大変価値のあるものですね(アイヌ研究者)

・アイヌ語の歌や語りは代々、口伝えでのみ受け継がれてきた。それが70年の時を経て蘇った。北の大地で育まれたアイヌ文化の豊かさとその苦難の歴史。100枚のレコードが語る物語。

<NHKで発見されたアイヌ語の音声が収録された100枚のレコード>
・昭和23年、北海道の標茶町で行われたアイヌの祭りの映像。人々の息遣いが伝わる貴重な映像だが、このとき音声は録音されなかった。しかしこのフィルムが撮影された前の年、NHKはアイヌの歌や語りの音声をレコードに収録していた。それはある調査の一環だった。

これがNHKが昭和15年から平成5年まで50年以上かけて民謡を集めて本にしたと。これは昭和10年代からやってたんですが、戦争で1回(調査が)止まっちゃうわけですね。昭和22年に民謡調査を再開しようと、その時に北海道におられたアイヌの人たちの音楽を本格的に記録しようと始めたわけです。再開はアイヌから始まったんですよ(NHK元職員の稲田正康氏)

・もともとアイヌ語には固有の文字がない。そのためこの調査は貴重なものになった。昭和22年のことだった。調査にはアイヌ研究の第一人者が協力していた。言語学者の金田一京助、そしてアイヌとして初めて北海道大学の教授になった知里真志保。
・その調査のときに記録された音源がNHK札幌放送局の資料室に残されていた。当時はレコードに直接音を収録する方式。その数およそ100枚、道内10か所で録音された。収録から70年、傷みが激しいため音の修復に取り組むことにした。
・アイヌの文化は口伝えで受け継がれてきたが今、断絶の危機にある。文字のない言語文化の豊かさは「声」に凝縮されているはずだ。
・アイヌ民族は古来、北海道、サハリン、千島に暮らしてきた。その生活は狩猟や採集を中心にしたもの。山では鹿や熊を狩り、川で鮭などの魚を獲った。
・しかしそれだけではなかった。アイヌは本州や大陸と自由に交易を行っていたことも知られている。自分たちの採った昆布や干しアワビなどの海産物。そして熊やアザラシ、ラッコといった動物の毛皮などを交易品とした。
・その取引でもたらされた中国産の華やかな錦が残されている。異文化との交流はアイヌ文化を奥行きあるものにしていた。
・北海道日高地方の平取町、今でも多くのアイヌ民族が暮らしている。平取はNHKの調査による収録場所の一つ。町内にある二風谷アイヌ文化博物館の職員でアイヌ文化に詳しい関根健司さん。アイヌ民族が育んできた独特の世界観、その基本となる考え方を伺った。あらゆるものに魂が宿っていて、その中で力の強いものを「カムイ」神様として崇めているという。

人間の能力を超えた能力を持っていれば、それはもうカムイなんだと。道具を作り上げた瞬間にもうカムイとしての魂が宿うと、そういう考え方だ(関根さん)

・アイヌはそうした道具が壊れると、それまで役立ってくれたことに感謝して、その魂を神の国へ送り返す儀式までしたという。あらゆるものに魂を感じ、感謝しながら暮らしてきたアイヌ民族。語り手たちはレコードにどんな思いを込めたのだろうか。

<修復作業が進められたレコード>
・東京・渋谷。100枚のレコードの修復が進んでいた。まずはレコードに付着しているゴミを取り除く。溝を傷つけないように汚れを取る地道な作業。
・次に汚れを取ったレコードを再生する。その音源をコンピューターに取り込んだ。汚れを取り除いただけでは、雑音がまだ大きく聞こえる。

(どういったところが難しいですか?)
しゃべっている音声に音程が近い辺りのノイズ音ですね。これはやはりかなり切りにくいですし、場合によっては(ノイズを)消したら原音が一緒に消えてしまうものもありますので、それをいかに避けるかというのが非常に難しい点になります(音源を修復する会社の松井大貴さん)

・雑音を波形を小さくする作業を繰り返していく。音が鮮明になった。70年の時を経て、アイヌの歌や語りが蘇った。蘇った音源は166の演目、延べ6時間以上に及ぶ。

<平取町で収録された語り「ウコヤイクレカルパ」とは>
・平取のレコードの翻訳をお願いしたのが、前出の関根さん。訳しているのはウコヤイクレカルパ(※ルは小文字)という語り。アイヌ語で「互いに挨拶する」という意味。翻訳はまずは全ての音をローマ字に起こすことが始まる。
・兵庫県出身の関根さんはこの平取でアイヌ民族の女性、真紀さんと知り合って結婚。以来20年近く、平取に住みながらアイヌの言葉や文化を学んできた。今では町の子どもたちにアイヌ語を教えるまでになった。しかし今回の録音の翻訳は関根さんにとっても難しいという。

どちらかというと祝詞的な言葉なので、祈り言葉とかあるいは挨拶言葉ですね。僕自身がそんなにこういう言葉を勉強してないし、アイヌ語的にもこういう言葉の資料は少ないんだと思いますね(関根さん)

・別のアイヌ語の資料と照らし合わせながら一語一語検証していくと、やがてその内容が明らかになった。この収録には当時、北海道大学の講師だった知里真志保が立ち会っていた。語り手は貝澤アレクアイヌさん(当時54歳※クは小文字)、当時既に失われつつあったアイヌ文化を大切に守ってきた人物。知里真志保を歓迎する思いを即興で語ったと考えられる。

若き尊敬する方が同席している
そうしたならば 昔の古老
昔の先祖が 唱えた言葉
言葉のさわりの ところだけでも
帳面の上に 彼が書き記したならば
何代も 何代にもわたり
(言葉が)引き継がれる
言葉にしようにも この気持ちというものは
言葉に しようもない
我が兄弟よ 対面するに際し
言葉を述べようにも 何を言えばよいのか
はなはだ手短か ではあるが
私が述べるのは 以上である 我が君よ


アイヌ語で語るということが誇らしいことだと思ってたんでしょうし、その場面に立派な知里真志保さんとかもいて、しっかりNHKで記録に残すというような企画に対しても嬉しく思ってたんだと思いますね(関根さん)

・蘇ったアイヌの挨拶は、節が付き祝詞のようになった言葉だった。その声には、もてなしの心と自らの言葉への誇りが込められていた。

<釧路で収録された「ウポポ」という歌>
・北海道東部の町・釧路で収録されていたのは歌だった。祭りや儀式のときなどに歌われるもので「ウポポ」と呼ばれる。収録が行われたのはNHK釧路放送局。釧路周辺に暮らすアイヌの人たちが集まった。
・アイヌ語にも地域特有の方言がある。釧路地方のアイヌ語に詳しい様似町教育委員会の大野徹人さんに歌の翻訳をお願いした。
・ウポポという歌は熊が獲れたときの儀式や四季折々の祭りなどで欠かせないもの。生き生きとした歌声で神様の姿を描写していると大野さんは言う。

霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び)
海が鳴り響く 鳴り響いていく


・神様が海を渡って飛んでくるダイナミックな場面。女性たちが手拍子でリズムを取りながら、輪唱で歌っている。

月から神が降りてきた 岩山の手前に降りた
岩山の手前 美しい風音となって 聞こえる


・一転して美しい描写。風のような音を立てて、神様が月から舞い降りてきた。この神はシマフクロウだという。村の守り神として特に大切にされてきた。

儀式・お祭りのときにやるということは、その場にいる神々や先祖の人たち、先祖の霊ですね。そういった人たちもその場にいて、一緒に歌踊りの場にいて一緒に楽しんでいるということがあるので、やっぱり人間だけが楽しむわけではない。神々やご先祖様も一緒に楽しむ。そういう意味があると思います。今風でいえば奉納と捉えることができるかもしれません(大野さん)

霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び)
海が鳴り響く 鳴り響いていく
霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び)
海が鳴り響く 鳴り響いていく
月から神が降りてきた 岩山の手前に降りた
岩山の手前 美しい風音となって 聞こえる


・神や先祖と一緒に楽しむというこの歌。自然は資源として収奪するものではなく、その恵みに感謝し礼を尽くすものだという倫理観が背景にあるという。

命を奪って自分たちが生きているということで、大自然のこの神々に事あるごとに祈りを捧げて感謝をする。また人間の国へ来て下さいとか、またこういう恵みがあるように鮭なら鮭、神様に人間の魚が獲れるようにお願いしますということで、儀式・お祭りをやったわけですね。だから常に感謝があるわけですから、それはそういう大自然の中の他の生き物たちから恵み、命をもらって自分たちは生きているということを自覚していたので、やっぱりそういう気持ちを忘れず、事あるごとに儀式などをやってたんだと思います(同上)

<明治に入ってからアイヌ民族に強いられた変化とは>
・感謝と祈りを大切にしながら自然とともに生きてきたアイヌ民族。しかし明治維新後、その生活が一変する。明治2年、北の大地は日本政府によって「北海道」と名付けられた。土地は国有化され、いわゆる「開拓」が進められた。本州から和人(アイヌ以外の日本人)の入植が奨励され、広大な土地が入植者に分配された。
・こうした中でアイヌ民族の暮らしが制約された。資源保護などを名目に自由に鮭を獲ることを禁じられ、鹿猟なども規制された。
・さらに明治32年、北海道旧土人保護法が制定された。ここで「旧土人」とされているのはアイヌ民族。この法律によってアイヌ民族は狩猟から農業へと、その生活の形を大きく変えることを求められた。
・教育では「旧土人学校」と呼ばれたアイヌの子どもたちだけを対象にした学校が作られた。そこでは日本語だけで授業が行われ、アイヌ語を禁じる教師もいた。
・アイヌ民族の歴史を研究する札幌大学学長の桑原真人さん。旧土人保護法はアイヌの暮らしに決定的な打撃を与えたと言う。

日本人化、和人化政策であった。いわゆる同化政策であったと言える。同化政策というのは1つはアイヌ民族の風俗習慣をやめさせるということ。そして狩猟採集民族だったアイヌに対して勧農、農業を強制すること。そして日本語の教育を徹底化するということ。こういう三方面から行われたわけです。その結果、戦前の北海道でアイヌ文化が客観的に見て廃れていったということは紛れもない事実だと思います(桑原氏)

<登別で収録された「ユカラ」>
・変化を強いられたアイヌの文化。昭和22年、NHKの調査が実施されたとき、その独自の言語や習俗はすでに消滅の危機が案じられる状況だった。
・北海道の南西部にある登別でも収録が行われた。ここで収録されたのは「ユカラ」(※ラは小文字)などと呼ばれる叙事詩。それは語りべが吟じる長大な物語。民族の神や英雄が大活躍する。
・語りべは当時71歳だった金成マツさん。ユカラを後世に伝えたいと願い続けていた人物だった。そのきっかけとなったのが言語学者の金田一京助。彼はユカラこそアイヌが誇るべき文学だと、その価値を高く評価した。
・マツさんが残した50冊以上に及ぶ自筆のノート。習い覚えたローマ字で書き記した。口伝えで受け継がれてきた多くのユカラを彼女は一音一音文字で残そうとした。昭和3年からこの収録の直前まで約20年にわたって書き続けた執念の結晶だ。
・マツさんの親戚にあたる横山むつみさん。彼女の祖母の姉にあたるのがマツさんになる。マツさんが亡くなったのは、むつみさんが13歳のとき。近所の人がよく話をしに来るような親しみやすい人だったという。

ちょうどこれを採録したときは昭和22年なのですよね。膨大なユカラ等の執筆を終えたころなのです。だから書くのと歌うのをどちらも残したいという、金成マツの思いが込められているような気がするのですけど(横山さん)

・北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原次郎太准教授に、金成マツさんが伝承にこだわったユカラの魅力を聞いた。

ユカラというのは、どちらかというと大人向けの娯楽なんですけども、アクションが多くてですね、それから難しい言葉が使われますので子どもが聞いても分からないというものが多いです。それから非常に長い物語が多いので、お祭りのときなど多く人が集まったときに夜遅くまでずっと語っていくんですね。ですから子どもは途中で寝てしまうということもありまして大人が楽しむものなんですけど。1つは非常に長い。ものすごく長くてですね、一晩で終わらなくて休憩しながら、語り手も合間合間、休憩をしながら語っていって、そして次の日はその続きから始めてというふうに延々と続く。そのスケールが1つは語り手たちにとっても誇りになるのではないかと思うのですね。これだけのものというのを自分たちは作ってきたという(北原氏)

・マツさんが残した物語の1つ「ポンオイナ」は、これだけでノート3冊分にも及ぶ大作。超人的な力を持つ英雄のラブストーリーだ。今回修復されたレコードにはそのうちのごく一部、約3分間の語りが残されていた。

神のごとき勇者は 天井の窓から
さっと逃げ去りました
そうすると 私は逃がしてはならないと
思いました


・例えば「天井の窓からさっと逃げ去る」という、ここがいかにもユカラの登場人物らしいですね。つまり普通の人間だったら天井の窓から出ませんよね、戸口とか窓から出でていくんですけど。彼らは自在に空を飛んだりするという力を持っていますので。ですから天井が非常に高い所にある窓からさっと外に飛んでいってしまうのですね。この「アイヌラックル」(=物語の主人公 ※ルは小文字)は、この話の中ではこの後、地底の世界に行ってそこで戦うことになるんですけども、地底の世界というのは死者の世界なので、普通の人間はそこに行ったら死んでしまうんですね。自分の意思で普通は行くこともできないんですけど、この登場人物たちは自在に死者の世界に行ったり、あるいはまた神の世界に行ったり世界を実際に私たちが見てる世界よりも、もっと広いスケールで跳び回って激しい戦闘をするという(同上)
・物語は登場人物の一人称で語られ、自分の体験のように感じながら聞くことができる。

泣き叫ぶ声が
私の のど元から
美しく響きました


・ユカラは人々が集い、語る場そのものを楽しむものだった。平取町の二風谷地区、草や木で作った「チセ」と呼ばれる家の中に人々は集まった。木幡サチ子さんは様々な資料を頼りにユカラの実演を繰り返してきた。
・昔ながらの様子を再現してもらった。夜まで続く祭り、その興奮に包まれた中。聞く人たちも炉の縁を棒で叩き、拍子を取りながらユカラの世界にともに入り込んでいく。

どうにかして 人間世界へ
私が帰ることが できるように
しておくれよ!


・喜びや悲しみ、生きる知恵や教訓が詰まった冒険のドラマをこうして三日三晩でも楽しむことができたというのだ。

あなたが死んだら 私も死にます
と私が言った


・こうした叙事詩を語りべは全て記憶し、自分らしい強調法や節回しを工夫しながら語り継いできた。金成マツさんが残そうと努力し、金田一京助が世界でも指折りの文芸だと評したユカラとはこのような豊かな娯楽だった。

<旭川で収録された「シノッチャ」>
・100枚のレコードが収録された戦後すぐの時代。こうした文化の伝承に危機感が募っていた。しかしこの時代、一方で全く別の気分も広がっていた。旭川で収録されたレコードに終戦直後のアイヌの心情を表す音声が残されていた。
・旭川には陸軍の第七師団が置かれ、徴兵令によって全道から兵士が集められた。その中にはアイヌもいた。昭和6年頃、アイヌの青年が出征するときの写真が残されている。彼らはガダルカナルや沖縄戦にも動員され、命を落とす人もいた。その戦争が終わった時代にレコードは録音された。
・旭川で収録された「シノッチャ」(踏舞の歌)というタイトルのレコード。シノッチャとは踊りに合わせて即興で歌われるもの。歌ったのは尾澤カンシャトクさん(当時54)。空襲を受けた北海道の町は荒れていた。カンシャトクさんは終戦直後「希望」を歌に込めようとしていた。

かつて 我らの先祖が 大切に育んだ
我らのふるさと ではありますが
偉い人たちの 政(まつりごと)が
悪かったため
すばらしきふるさとを 戦(いくさ)が荒廃させた
しかしながら
神にしっかり守られるのが
我らアイヌ民族でございます
まさにこれから よい暮らしが
子々孫々 続くことでございましょう
そこまで私は申し上げました


これが歌われたのが終戦直後ですから、戦いによって北海道のいろいろな町も空襲受けたりですとか、すっかり荒廃してしまったということに対してのまずは思いですね。先祖伝来、大切に守ってきたこの土地が戦争でもって荒らされてしまったということへの思いと、ただこれからは仲間たちに明るい未来が開けていくんじゃないか、そういう気持ちを歌い込んでいるようです(北原氏)

・しかしこうした希望は長い間、叶うことがなかった。権利回復を目指す運動を繰り広げたが差別はなくならず、アイヌ民族は存在すら否定され続けた。明治32年に制定された旧土人保護法がようやく撤廃されたのは平成9年。終戦から半世紀以上の歳月が過ぎていた。
・その間、アイヌの人たちはいくつかの政策を提案し続けてきた。そのうち実現を果たせたのは、文化の振興に関する法律だった。

<白老で収録された「チャランケ」とは>
・白老町ではアイヌの伝統的な文化を復興させる取り組みが始まっている。町にあるアイヌ民族博物館は、アイヌの若い人たちが自分たちの文化を学ぶ場所にもなっている。
・8年前から始まった伝承者育成事業。3年間、白老町に住んで踊りや工芸、アイヌ語などを学ぶ。今、研修を受けているのは5人。これまで10人がここを巣立っていった。
・講義だけではなく実習にも力を入れている。この日はアイヌの伝統的な鮭漁を学ぶ。鮭はアイヌにとって欠かすことのできない主食だった。その命を頂くとはどのようなことなのか。自然の恵みを授かることの難しさと畏れの気持ちを学ぶ。自然とともに生きることは決して野蛮ではない。むしろ命に感謝し、平和を祈る生き方だと知っていくのです。
・白老町で録音されたレコードには「チャランケ」と書かれていた。「談判する」という意味で、揉め事を話し合いで解決するときの対話の言葉だ。

(チャランケとは?)
今の裁判と同じで、個人間のトラブルからですね。例えば何か財産を貸していたものをまだ返してもらっていないですとか、あるいはもう返したはずだとかですね、あるいは狩猟とか漁労を行うときのテリトリーを誰かが犯してしまっただとか。そういったことが理由になってチャランケが起こります。平和を追求するという考え方が元にあると思いますね。もちろんアイヌ社会の中でも戦いが起こることはあるわけですけども、それはやはりすべきではないことであって、まずはそういう方法を取らない解決を目指していく。そのために作り上げられてきた習慣だと思うんですね(北原氏)

・収録されたチャランケは、狩猟の縄張りを巡っての論争だった。まず1人が自分の主張を訴える。

先祖の教えの通り
慎み深く 私は歩いています
そのようにしていたところ 私が行くより先に
私に先んじて いずれの者が
(私の縄張りで)狩りをしたことか と思って
激しい怒りを 覚えたので
自分の神に 怒りを
訴えながら 戻ってきた


・これに対してもう1人が弁明をしながらも、自ら非を認める。

(あなたが)所有する熊穴から(熊が)出て来て
熊が現れたところに 出くわして
(熊を)しとめたので それを私は売り
飲みもし 食べもしたのだ
神に罰せられる行いをしたので
今や私の非が
確定したのなら
私の兄に 謝罪を
致すしだいで ございます


・互いに歌うように主張し合うのがルール。典型的な事例を継承して同じような揉め事が起こったときには、解決のヒントになる。
・この蘇ったチャランケを学ぶ講義が行われた。講師は北海道大学の北原准教授。実際のチャランケは互いの主張をとことん交わし続け、一昼夜続くこともあった。ゆっくり節をつけて納得するまで話し合うことで、感情的にならず揉め事を解決する。

<70年の時を経て蘇ったアイヌの言葉が私たちに伝えるものとは>
・北の大地で多くの知恵を育んだアイヌの言葉と暮らし。その、のびのびとした懐の深さを知里真志保の姉・幸恵はこう記している。

その昔この広い北海道は、
私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、
美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼等は、
真に自然の寵児、
なんという幸福な人だちであったでしょう
(アイヌ神謡集より 知里幸恵編訳・大正12年・原文ママ)


・今回蘇った70年前の肉声。どの声にもどこか柔らかな自然体の響きがあった。

知里先生ですとか他の方の著作の中で、アイヌの語りの世界というのは私たちの世代は文字で学んできたわけですね。それを初めて音で聞いてですね、いろいろなものが網羅されていて、こう何て言うか本当に大全集というか百科事典のような。今まで想像することしかできませんでしたので、それがおそらくこういうふうに語るんだろうというふうに先生方が書かれたものを読んで想像しながら見ていたわけですけど、それが実際に音声として聞くことができる。これはもう感激ですよね(北原氏)

・白老町で北原准教授からチャランケの講義を受けていた中井貴規さんは、終戦直後に希望を歌い込んだシノッチャに魅せられた。本来、シノッチャは踊りながら歌うもの。中井さんは当時の感覚を確かめようとした。

かつて 我らの先祖が 大切に育んだ
我らのふるさと ではありますが
偉い人たちの 政(まつりごと)が
悪かったため
すばらしきふるさとを 戦(いくさ)が荒廃させた
しかしながら
神にしっかり守られるのが
我らアイヌ民族でございます
まさにこれから よい暮らしが
子々孫々 続くことでございましょう


・平取町立二風谷小学校。昨年度からある試みが行われている。今回翻訳をお願いした関根健司さんがアイヌ語を教えている。
・これまで学校教育の場で教えられることのなかったアイヌ語。アイヌであるかどうかに関わらず、子どもあちにアイヌ語を教えている。
・70年の時を経て蘇ったアイヌの言葉。絶やしてはならないものとは何か、忘れ去ってはならないこととは何かを改めて問いかけていた。

(2016/12/23視聴・2016/12/23記)

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【NNNドキュメント’16】その哭き声が聞こえるか~避難区域の動物たち~

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【NNNドキュメント’16】
「その哭き声が聞こえるか~避難区域の動物たち~」

(日本テレビ系列・2016/12/19放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 今日はすみません。朝から外出して夜遅めに帰ってきたため視聴番組は一つのみ。しかも感想はやや短めになります。本来なら福島第一原発事故の影響という重いテーマなのですが、ご了承くださいませ。

 多くの人たちが避難して無人となった町に野生動物が増加したり、ペットたちが野生化したという話は以前NHKでも取り上げられていました(→【NHKスペシャル】被曝の森~原発事故 5年目の記録~)。

 たった1年でもここまで野生動物が町にやって来るのかと思いましたが、民家の荒れ様をみると胸が痛みます。もはやそこで生活を再開するというのは相当厳しいでしょう。そうしたことも含めて電力会社の補償はきちんとすべきだと思います。

 また野生化した猫や犬たちを保護している男性の話。ボランティアでされているということで、本当に頭が下がる思いです。さらっと紹介していましたが、国が保護活動を打ち切っているのはどういうことなのかと思いますね。福島の復興を進めていると言って五輪を誘致したのではないのか?避難区域の解除自体も現場の除染の状況などの実態と離れているし、そういうところに国の不誠実さが現れているとつくづく思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・原発事故によって人が消えた町。そこを我が物顔で歩くイノシシの群れ。このとき町の主は動物たちになっていた。そのふるさとに人々が戻り始めた今、動物たちは帰還を妨げる存在だ。愛されていたペットたちも変わっていた。原発事故から間もなく6年、避難区域の動物たち。その声が聞こえますか?

<無人になった町に野生のイノシシが急増>
・2011年3月、住民は着の身着のままふるさとを追われた。福島第一原発の事故、避難指示が出されたのは周辺の11市町村。人が居なくなった町、8万人が強制的に避難させられた。
・事故から1年余り、一部の地域では日中の立ち入りが許されるようになる。南相馬市小高区の農家・根本洸一さんと妻・幸子さん。懐かしい我が家だが、納屋の肥料が食い荒らされていた。さらにその年の秋、試験的に栽培した田んぼの米はほぼ全滅だった。検査用に僅かな量しか取れなかった。

イノシシに食べられた(根本さん)

・事故から2年、富岡町も住民の立ち入りが可能になった。するとそこには畑の作物を食い荒らす動物の姿が。

やっぱり人が居ないので、もう動物天国になっているということですよね(農家の男性)

・原発事故から3年が過ぎる頃には、町の中を悠然とうろつく姿が頻繁に目撃された。この頃から自治体も駆除に乗り出すが、イノシシは家畜だったブタとも交配して急激に数を増やしていく。ふるさとは夜も動物たちに支配されていた。
・しかし避難区域の立ち入り制限が徐々に解除されると、動物たちが自由に暮らせる範囲は狭まっていった。復旧が進む町、そこに戻ってくる人にとって動物たちは厄介な存在になっていく。
・浪江町の森野俊恵さんの自宅は無残な有様だった。

(この下、全部イノシシ?)
イノシシだ。みんな俺、片付けたんだもん。ネズミの糞だ。大量に発生してた。うちの母ちゃんはもう二度と来ることはないと。ここの家には住みたくない(森野さん)

<アライグマの野生化と急増も>
・そして厄介な存在は他にもいる。福島大学環境放射能研究所の奥田圭特任助教が動画を見せてくれた。

屋根裏に入り込んでしまったアライグマですね(奥田氏)

・暗がりを好むアライグマ。避難して無人となった家の屋根裏に潜り込んで、住処とする。

糞尿の中には感染症にかかる菌が入っている。経口感染で感染症のリスクも高まる(同上)

・アライグマに荒らされた家を見て、戻ることを諦める住民も少なくない。
・奥田さんがこの日、向かったのは今も避難指示が続く浪江町。アライグマはかつてペットとして人気があった。しかし気性が荒いため飼育が難しく、飼い主に捨てられ野生化したと言われている。避難区域で急激に数を増やしたアライグマ、人が戻るため駆除の対象になっている。

人間が住んでた場所に野生動物が入ってきて、今はもう完全に野生動物の領域になってしまっていると思うんですね。その野生動物の領域に人間が戻って来るというような状況になっていますので、やはりこれからいろいろな野生動物と人間との軋轢というものが増えてくるのではないかと考えています(同上)

・アライグマにGPSを付け、駆除に向けた行動調査を行う。自由に暮らしてきた動物たちは今、苦しい立場に追いやられている。それは野生動物に限ったことではなかった。

<捨てられたペットたちの保護に取り組む男性>
・福島第一原発の排気筒が間近に迫る浪江町の沿岸部。80km離れた避難先から毎日通う赤間徹さん。

猫が普通だったら寄ってくるはずなんですよ。それが人間をもう遠ざけて離れていくっていう。今まで一緒にいてね、もう何年も一緒に暮らしてて、その関係が本当の一瞬で壊れたっていう感じですね(赤間さん)

・赤間さんは町の許可を得て、避難区域に取り残されたペットの保護に取り組んでいる。かつて家族の一員として愛されたペットたち。しかし人との関係は大きく変わっていた。
・浪江町にある赤間さんの自宅。避難区域で見つけた約100匹の犬や猫を保護している。元の飼い主や里親に引き渡したのは、これまでに400匹を超えた。
・貯金を切り崩して犬や猫の保護を続ける赤間さん。そこまで保護活動に駆り立てるのは、原発事故の直後に見た悲しい光景だ。

爆発したときにバスで逃げるっていう話になったのね。そのバスに乗るときに「動物はダメだ」ということになったの。そこまで連れてった人たちが「バスには乗せられないからそこで放してください」って言われて。もう飼い主がね、泣きながら「誰かもらってくれないですか?」とかそういう光景もあったし。それでもうそこで放した飼い主もいるし(赤間さん)

・避難区域に置き去りにせざるを得なかったペットの数は、数千匹に上るとみられる。避難の混乱の中で飼い主とペットに訪れた突然の別れ。
・そして残されたペットたちは繁殖を繰り返し、人を知らない世代が次々と生まれる。赤間さんはこの5年の間、変わっていくペットを目の当たりにしてきた。人を知らない若い猫、ペットは野生化していた。

誰も保護しないで黙っていたんでは、なんぼでも増えていきますから、やっぱり保護して避妊去勢をしないと。住民が帰ってきたときにね、こういう動物に、犬猫に困らないようにっていうことで始めてるんで(同上)

・赤間さんが保護した犬や猫を連れて行ったのは、浪江町の動物病院。ここで獣医師の豊田正さんが避妊や去勢の手術を行う。

(繁殖力が高いというか、猫の場合は?)
1年に3回から4回繁殖する。3か月にいっぺん発情しちゃうから(豊田さん)

・これ以上、増やさないためにはこうするしかない。国は3年ほど前に避難区域での保護活動を打ち切っている。避難区域で増え続ける犬や猫が、再び人に愛される存在になってほしい。赤間さんはそう願っている。先月、冬を迎えた浪江町。赤間さんの保護活動は今も続いている。

<避難指示が解除されてきている町で起こっていることは>
・今年7月、町に人が戻ってきた。原発事故の避難指示が解除された南相馬市小高区。5年ぶりの賑わい、でもその町では…。

掘ってるのイノシシ。ほじくったところ(根本さん)

・根本さんの田んぼにはイノシシが米を狙って近づいた跡があった。動物たちに荒らされないためには、電気柵がなくてはならないものに。人と動物の境界が揺らいでいる。

本当は人間と野生動物のすみ分けができれば、ここは俺の分だよとなればいいが、それは人間の都合であって彼らはそうではないと思う。彼らだって悪くなくて、たぶん被害者(同上)

・来年春の避難指示解除を目指す浪江町。民家の庭先に仕掛けられた檻にイノシシが捕らえられていた。これまでに駆除されたイノシシは6000頭を超えた。動物たちの居場所はもう…(銃声)。
・避難指示はこれからも次々と解除されていく。原発事故から5年9か月。避難区域の動物たちの鳴き声は、ふるさとに戻る人々の足音にかき消されようとしている。

(2016/12/24視聴・2016/12/24記)

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【NHKスペシャル】スクープドキュメント 北方領土交渉

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【NHKスペシャル】
「スクープドキュメント 北方領土交渉」

(NHK総合・2016/12/18放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 「スクープ」なんでしょうかね…安倍首相の打ち合わせの場面まで撮影を許可されている中で、まさに政府広報ドキュメントじゃないんですか、NHKさん。

 まあ、それはさておいて日ロ首脳会談は「北方領土問題で大きな前進があるかもしれない」という関係者の淡い期待を裏切るような結果となりました。私はある程度、予想はしていましたが。

 というのも、国同士の領土問題は主権の根本に関わる問題であって、どちらも「1mmたりとも相手に渡さない」というガチンコの衝突といっていい問題なわけです。現在、実効支配しているロシアから4島を返してもらうためには相手が「いいよ」なんて簡単に言ってくれるはずもないわけです。

 じゃあどうすればいいのか。一番物騒な方法は戦争で奪い返すことですが、これは日ロの力関係的に無理というか、あってはならない話です。またロシア国内が内乱でも起きて政府が崩壊するような事態になり、その隙を突いて日本の(事実上の)軍隊(自衛隊)が一気に駐留して支配してしまうこと。これまた穏やかでないし現実的ではありません。

 平和的に返還されるのを期待するということは、いくら経済的に支援をする云々といっても簡単に引き出せるものではないでしょう。両国の落とし所としては、4島をどちらの帰属とも位置づけない「自治区」という扱いにして、両国からのアプローチが可能になるような形にするという手があると思うのですが、それすらロシアが了承したとは思えません。

 日本は本来クリミアの問題で欧米と足並みを揃えてロシア包囲網に加わるべきだと思うのですが、それをせずに領土問題に道筋を付けたいのであれば、最低限そこまで言質を取らなければテーブルを蹴ってもよかったと思いますよ。

 まあ、外交というのは全てがオープンになるわけではないので、今回の首脳会談で表に出てこない部分で何らかの約束が両国間で取り決められている可能性もゼロではありません。ただ、秘密裏に何か大きなことが決められている様子は窺えないですね。もうそうだとしたら私の考えも改めますが。

納沙布岬

 ということで最後に、私が北方領土に一番近づいた北海道根室市の納沙布岬に行ったときの写真を。

納沙布岬

 天気はよかったのですが、波が荒くてよく見ることはできませんでした。

貝殻島灯台

 こちらは歯舞諸島にある貝殻島灯台です。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・11月、日ロ首脳会談直前の安部首相の控え室。外交の舵取りを大きく左右する決断の瞬間が迫っていた。何を勝ち取り、何を譲るのか。政府内ではギリギリまで熾烈な議論が巻き起こっていた。
・最後の戦後処理とも呼ばれる北方領土交渉。一昨日その困難な道のりに一歩、踏み出した。安倍総理大臣とプーチン大統領は北方領土での共同経済活動について、交渉を開始することで合意。元島民の島への自由な往来についても検討することで一致した。
・7か月間で4度という異例の頻度で進められた両首脳の交渉。核心部分は通訳のみを交えた2人だけで行われ、内容は明かされてこなかった。極秘会談で何が話し合われたのか、その一端が今回NHKの取材から明らかになった。

安倍首相:従来の発想に基づく議論ではだめだ。新たな発想が必要ではないか。

プーチン大統領:分かった。


・見えてきたのは、国益をかけてせめぎ合う日ロ両国の激しい駆け引きだった。

ロシアには領土問題は存在しない。あると考えているのは日本だけだ(プーチン大統領)

・強硬な姿勢を崩さないロシアとの交渉に日本はどう臨んだのか。

罠にはまるのではないかという猜疑心を持てばですね、お互いにそういう気持ちに陥ってしまって結局元に戻ってしまう。私は信じたい(安倍首相)

・今回の領土交渉で日本は何を掴もうとしたのか。そしてその選択をこの国をどこへ導くのか。7か月に及んだ極秘交渉の舞台裏に迫る。

<北方領土 現場でいま何が…>
・北海道東部・羅臼町の沖合25km。日本の固有の領土、北方領土。

いまが(島との)中間ぐらいです。(これ以上先には)行けない。

・戦後71年経った今なお自由に立ち入ることができない。今月、NHKのロシア人スタッフを派遣し取材した。約2900人のロシア人が住んでいる色丹島。今、ロシア政府による開発がかつてないスピードで進められている。
・去年完成した島内初の総合病院、13億円あまりをかけて建設された。医療施設の充実を図り、安心して暮らせる環境を整備。島への移住を促し、人口を増加させることが狙いだ。

大人にも子どもにも必要な治療をしてくれて素晴らしいです(住民の女性)

・子どもたちには島の主権は日本から当時のソビエトに移ったと教えている。

連合国軍によってクリル諸島(国後島・択捉島など)と歯舞・色丹島が日本の統治から切り離されました(教師)

・第二次世界大戦末期、ソビエトは日ソ中立条約を一方的に破棄。日本が降伏した後、北方領土を次々と占領した。その後、日ソ共同宣言(1956年)で平和条約を結んだあと歯舞・色丹の二島を日本に引き渡すとされた。しかし条約締結と返還の見通しは今も立っていない。

私の子どもたちもこの島で生まれ、親戚や兄弟の墓もここにあります。私が島の引き渡しに反対するのは当然のことです。誰も他人からふるさとを奪ってはならないのです(村長)

・島の外れにある日本人墓地。かつて1000人の日本人が暮らしていた面影は、年を追うごとに消えつつある。

<秘密裏に進められた“新たなアプローチ”>
・7か月に及んだ日本とロシアの北方領土交渉。出発点となったのは5月、ロシアのソチで行われた首脳交渉。長年行き詰まっていた領土交渉を再始動させられるかが最大の課題だったこの会談。両首脳は議論を加速させていくことで一致した。

停滞を打破する突破口を開く手応えを得ることができた。プーチン大統領も同じ認識だ(安倍首相)

・この日の会談で何が話し合われたのか。今回の取材で約3時間に及んだ極秘交渉のやり取りが明らかになってきた。

安倍首相:第二次世界大戦後、いまだに平和条約が締結されていないのは異常だ。君もそこには異論がないはずだ。立場の隔たりをなくして解決するためには、従来の発想に基づく議論ではだめだ。新たな発想に基づくアプローチが必要ではないか。

・安部首相が切った外交カード。これまでの日本の領土交渉は四島が日本に帰属することを法的・歴史的に認めさせ、返還に繋げようというものだった。
・しかしこの会談で示した「新しいアプローチ」では、立場が食い違う帰属の議論をいったん脇に置く。その上で日ロが共同で行う経済活動や人の自由な往来など双方にメリットがある分野から議論を進める。信頼を深めることが将来、帰属について交渉する第一歩になると考えた。

安倍首相:まずは四島をめぐる協力や交流の問題を取り上げることとしてはどうか。島の協力や交流をWIN WINになるよう議論したい。そのための知恵を絞りたい。

プーチン大統領:それならば交渉は前進できる。


・さらにロシアを交渉に引き込むために、ロシア極東地域を中心とした大規模な経済協力も併せて提案した。プーチン大統領への説明に使われた極秘資料、エネルギー開発やインフラの整備など8項目にわたり日本がロシアに協力できると記されていた。
・駐日ロシア大使のアファナシエフ氏。プーチン大統領は安倍首相をファーストネームで呼び、打ち解けた様子で交渉に応じていたと証言する。

プーチン大統領は「8項目のプランはロシアの優先課題に沿う」とすぐに言いました。「このプランを作った人に拍手を送ろう」と提案したのです。両国が互いに有益だという意見で合致し、壁を取り除くのなら正しいことです(アファナシエフ氏)

私の提案に対して非常に冷静なもの静かな感じではありましたけれども、その考え方で問題を打開していこうと意志を示してくれたと思っています。問題を解決していく道筋が見えたと確信したところです(安倍首相)

・日本政府が新しいアプローチを持ち出した背景には、領土交渉を一刻も早く前に進めなければならない事情があった。元島民で作る団体の代表、脇紀美夫さん(75)。北方領土の国後島で生まれた。7歳のときに島を追われて以来、生まれ故郷に自由に行くことすら叶わない。

(写真を示しながら)
ここで生まれたんだなっていうことと、やっぱりここは日本の領土だよなという思い。だけど現実的には殆ど自由に行くことができない複雑な思い(脇さん)

・脇さんの周りではここ数年、同じ北方領土出身者が相次いで亡くなっている。元島民の平均年齢が80歳を超える今、僅かでも返還に近づけるための成果を出してほしいと考えていた。

あと10年や20年たったら元島民は残念ながら生存している人がいなくなるんではないか。一日でも一歩でも(同上)

<ロシアが狙う壮大な国家戦略>
・一方のロシア。日本の提案に前向きな姿勢を見せた背景には、プーチン政権が進めてきた壮大な国家戦略があった。プーチン大統領が強く打ち出しているのは、アジア太平洋地域の国々との連携だ。

ロシアが太平洋に目を向け、東方地域でダイナミックな発展を遂げることで、我が国の経済に新たな地平を切り開けると確信している。これは我々にとって21世紀の国家的な最優先事項なのだ(演説するプーチン大統領)

・ロシアはこれまでエネルギーの最大の輸出先であるヨーロッパとの関係を重視してきた。新たな戦略は成長著しいアジア太平洋地域に軸足を移し、関与を強めていこうというもの。「東方シフト」と呼ばれている。
・プーチン大統領がこの戦略を加速させるのは、ロシアがいま厳しい国際情勢に直面しているためだ。一昨年3月、ロシアはウクライナで起きた政変を機にクリミアを併合。国際社会から強い批判にさらされた。欧米による経済制裁とエネルギー価格の大幅な下落で、苦しい経済状況に追い込まれている。
・プーチン大統領に外交政策を助言している国際政治学者のフョードル・ルキヤノフ氏。東方シフトを推し進めるロシアにとって日本が持つ経済力や技術は大きな魅力だと言う。

日本はアジア太平洋地域の経済大国で、その重要性は増しています。ロシアはパートナーとして日本を必要としています。ロシアに取り引きできる材料があるなら、できるだけ高く売ったほうがいい。これは別に驚くことではないでしょう(ルキヤノフ氏)

<“新アプローチ”知られざる対立>
・両国の思惑が重なり合って動き出した日ロ交渉。ところが首脳会談から僅か1か月で決裂の危機にあったことが今回の取材で分かった。6月に行われた事務レベルの協議。議論の進め方を巡って日ロの認識が真っ向から対立した。
・ロシアのモルグロフ外務次官は、日本が提案していた北方領土での共同経済活動などについて議論を進めたいと考えていた。しかし日本の原田政府代表は、帰属に関わる問題も並行して進めようとしてロシアの強い反発を招いた。

同じ主張の繰り返しでは結果は出ません。だから新しいアプローチが必要なのです。新しいアプローチとは協力関係を深めることです。ブレーキをかけるのではなく、幅広い分野で議論を前進させるべきです(アファナシエフ駐日大使)

・なぜこうした事態が起きたのか。実は新しいアプローチに対して日本政府内から様々な意見が出ていたことが取材から明らかになった。
・ソチでの首脳会談の1か月前、安倍首相は原田政府代表など交渉を担当する外務省や官邸の中核メンバーを集めた。新しいアプローチについて説明をしたところ「領土問題が置き去りにされるのではないか」といった強い懸念の声が上がった。
・会議に出席していた外務省の杉山晋輔事務次官。懸念の背景には、外務省がこれまで平和条約の締結に必要な帰属の問題の解決を最優先してきた経緯があったという。

我々が目標としているのは、四島の帰属の問題をはっきりさせて平和条約を締結するというのが56年(日ソ共同)宣言以来、我々がずっと目指しているところですから。あくまで最終的な目標は、いま言ったことが実現することだと思います(杉山氏)

・一方で安倍首相には、帰属を主張するだけではロシアから譲歩を引き出せないという問題意識があった。その最たる例が1998年の橋本首相(当時)とエリツィン大統領(当時)の首脳会談。当時ロシア経済は混迷を深め、北方領土返還の大きなチャンスだったと言われている。
・このとき日本は択捉島とウルップ島の間に国境線を引くことを認めるよう提案した。四島の帰属を事実上認めれば、すぐに返還を求めないとまで譲歩。さらに経済協力も約束した。今回の取材で初めて明らかになった会談の記録には、帰属以外では最大限譲ろうとする当時の外交姿勢が記されている。

これは私にとって大きなリスクを伴う決断であるが、エリツィン大統領とロシアが勝者にならないならば、この問題の解決はないとの考えから私も決断した(橋本首相・当時)

・それでもロシアは帰属の問題で譲ろうとはせずその後、提案を拒否。交渉は再び停滞していった。

過去の経緯や法的立場について延々と議論することによって、残念ながら四島の帰属問題そして平和条約に向けて我々は解決していく道筋を見つけることができなかった。大切なことは未来に向けて島がどうなっていくべきか議論すべき(安倍首相)

・事務レベル協議で浮き彫りになった日本政府内の意見のズレ。報告を受けたプーチン大統領はこう発言した。

これまで日本が繰り返してきた古いメロディーに新しい歌詞をつけただけではないのか(6月 非公開の会合での発言)

・日本の考え方が従来と変わらず、経済協力も見せかけではないかと不信感を抱いていた。

<極秘交渉 “危機”の打開策は>
・交渉の仕切り直しを迫られた日本。9月、ロシア極東のウラジオストクで開かれた首脳会談で、議論を再び軌道に乗せられるかが問われた。

プーチン大統領:経済協力やプロジェクトについて議論したい。

・経済協力への日本の本気度を確かめるプーチン大統領に対し、安倍首相は切り返した。

安倍首相:首脳同士の合意を受けた事務的な態勢が必要だ。そこで私のもとに8項目の経済協力を担当する大臣を任命し、全ての省庁を直轄する態勢を作る。世耕議員をロシア経済分野協力担当大臣に指名した。日ロ関係の抜本的な深化が日ロ双方にとって望ましい。

プーチン大統領:とても丁寧で詳しい説明をありがとう。総理の指示を得て世耕大臣にロシアに来てほしい。シンゾウに指示をお願いしたい。


・プーチン大統領から好感触を得た安倍首相。改めて新しいアプローチの考え方を説明した。

安倍首相:事務方同士ではこの話がなかなか進んでいないので、私から今までの日本のアプローチよりももう少し思い切った考え方について話をしたい。

・帰属の問題は避け、四島での共同経済活動の範囲や人の自由な往来のためのルール作りについて議論を持ちかけた。

このアプローチについて理解していただいたと思っていますし、8項目の提案について大統領からは大変強い期待が示されました。平和条約の問題、日ロ関係の打開に向き合っていただいているな、前向きに考えていただいているなと、そういう印象を持ちました(安倍首相)

・この会談の中でプーチン大統領は安倍首相にある贈り物を手渡した。贈られたのは長年、日本から海外に渡っていたひとふりの刀だった。

プーチン大統領:昭和天皇の即位の礼で12本の刀が打たれたと聞いている。コレクターから買ったものだが贈呈したい。本物だという鑑定書もある。

安倍首相:素晴らしい刀だ。

プーチン大統領:このようなものは祖国に帰るべきだ。

安倍首相:ありがとう。時を経てついに祖国に帰るということだ。


・プーチン大統領の「祖国に帰るべきだ」という言葉。日本政府の中には何かのメッセージではないかという見方が広がった。

<経済協力で攻勢強めるロシア>
・この首脳会談の頃からロシアは、日本からより多くの経済協力を引き出そうと攻勢を強めていた。経済協力を担当する世耕大臣のもとには、ロシア側からの要望が相次いで寄せられるようになっていた。

ロシアの経済発展相から提示された50のプロジェクトがありますから、それについて既に日本側の企業との情報を共有しております(経済産業省職員)

50からどんどん増えてきている感じ。最初もらったときは47。50になっていま55(世耕大臣)

(ロシアは)日本が本気だから、それだったら自分たちも逆提案しようということでやってきたんだろうと思います(世耕大臣)

・ロシア側が提案してきたプロジェクトのリスト。日本が示した8項目の経済協力に対して最終的に70近くに上った。中にはプーチン大統領に最も近いビジネスマンの一人、レオニード・ミヘリソン氏が率いる巨大プロジェクトもある。
・ロシア最北端の北極圏。ミヘリソン氏が率いる大手ガス開発会社ノバテクは、ここで世界最大級の液化天然ガスのプロジェクトを進めている。この地域で日本の年間消費量の4割近くに相当するガスを生産する計画。生産した天然ガスを新たに開拓された北極海航路を使って日本などアジア各国に輸出。東方シフトの要となるプロジェクトだ。

このプロジェクトはロシアにとって非常に重要です。世界中に天然ガスを供給する一大拠点となるのです(ノバテクCEOのミヘリソン氏)

・ノバテクが日本に狙いを定める背景には、アメリカによる経済制裁がある。この影響で海外からのドル建てによる資金調達が厳しく制限されている。
・この日、ミヘリソン氏が資金の確保に向けて訪れたのは、日本の政府系金融機関だった。国が出資する金融機関から融資を取りつけ、日本企業からの信頼を高めるのが狙いだ。
・さらにミヘリソン氏は大手商社やエネルギー関連企業が集まる国際会議に出席。民間からも投資を呼び込もうと、プロジェクトへの参加を呼びかけた。

低価格でガスを供給し、新市場を開拓するには力の結集が必要だ。日本企業の皆さん、このプロジェクトにご参加ください(ミヘリソン氏)

<米ロ対立 問われた日本の戦略>
・急速に接近する日本とロシア。この状況を同盟国アメリカが注視していた。ロシアへの制裁を主導するオバマ大統領、安倍首相に対し制裁の足並みが乱れることへの懸念をかねてから伝えてきた。ウラジオストクでの首脳会談の後も政府高官を日本に派遣し慎重な対応を求めていたことが、日米外交筋への取材から分かった。
・アメリカのロシア政策に長年携わってきたストローブ・タルボット元国務副長官。オバマ政権は領土返還を求める日本の立場を理解しつつも、ロシア包囲網が切り崩されるのではないかと懸念していたという。

プーチンがアメリカと日本との間にくさびを打ち込み、アメリカの政策から日本を引き離そうとしているのではないか。オバマ政権はそう懸念していました。国際社会がロシアに科している制裁から日本が少しでも手を引けば、極めて残念なことです(タルボット氏)

・同盟国アメリカの懸念が伝えられる中で、ロシアとの向き合い方が問われた日本。岸田文雄外務大臣は日本を取り巻く厳しい国際情勢を説明し、アメリカに理解を求めたという。

日本とロシアの関係が安定することは、地域(東アジア)の平和や安定、繁栄にも影響する大変重要な取り組みだと思う。日本にとって日米同盟は大変重要な関係だが、一方で日ロ関係も日本の国益、今までの取り組みを考えると大変重要な関係であると思っている。ぜひ米国の理解も得ながら日ロ関係をぜひ前進させていきたい(岸田外相)

・日本政府はアメリカに対し説明を重ねる一方で、ロシアには経済協力を担当する世耕大臣を派遣した。ノバテクのミヘリソン氏や経済協力に関わる閣僚らと相次いで会談。ロシアとの関係を深めていった。

<せめぎ合う日ロ 正念場の交渉>
・経済協力の議論が進み信頼関係が深まってきたと考えた日本政府。ロシアに対し領土交渉でも前進を図ろうとしていた。10月、外務省の杉山事務次官がモスクワを訪問。プーチン大統領訪日の際に合意文書を取りまとめようと、その素案をクレムリンに届けた。
・このとき日本は平和条約締結に道筋をつけるための文言を盛り込みたいと働きかけていた。四島の帰属の問題を解決したうえで、平和条約を締結するという意志をロシアと共有しようと考えた。ところがその2週間後、プーチン大統領は平和条約締結を急ぐつもりはないという考えを示した。

私の考えでは何らかの期限を定めることは不可能であり、それどころか有害でさえある。残念ながら日本との信頼関係は、まだそのようなレベルに達していない(プーチン大統領)

非常に難しい相手だし、非常に難しい内容だし、だからこそこれだけ長い時間かかっていることは間違いないです。交渉者の信頼関係ができさえすれば、氷が溶けるように解決するというほど、この問題は簡単ではない(杉山外務事務次官)

・プーチン大統領が厳しい姿勢を見せる中、次の一手をどう打つのか。11月、交渉は正念場を迎えていた。首脳会談の直前、日本政府内では交渉方針を巡りギリギリまで議論が交わされていた。
・政府幹部の打ち合わせを撮影した映像。外交機密が含まれるため、音声は使用できない。安倍首相を囲んでいるのは、総理大臣秘書官や国家安全保障局長、外務審議官など。極秘交渉を中核となって進めてきたメンバーだ。白熱する議論、山口での首脳会談でどこまでの成果を目指すのか。意見が分かれた。
・共同経済活動などで着実に前進を図り、帰属の問題はあくまで脇に置くべきだ。平和条約締結に道筋をつけるよう求め、帰属の問題から逃げない姿勢を打ち出すべきだ。安倍首相は判断を迫られていた。
・迎えた首脳会談。安倍首相が選んだのは、ある言葉だった。

安倍首相:私とウラジーミルの手で平和条約を締結したい。

・「私とウラジーミル」という言葉。つまりお互いの任期中に平和条約を締結したいという表現で、帰属の問題の早期解決に向けた両首脳の意志を確認しようとした。

私は私の世代でこの問題を解決したい。終止符を打ちたいと強く思っています。プーチン大統領は、この問題は自分は解決したいと思っているということをペルーでも言われました。その発言を私は信じたいと思っています(安倍首相)

・ところが首脳会談の3日後、ロシア国防省が択捉島と国後島に新型ミサイルを配備したと伝えられた。太平洋ににらみを利かす軍事拠点として、ロシアが北方領土を安全保障上も重視していることが改めて浮き彫りになった。

北方領土にアメリカなどの軍事施設が配備されないということが法的に明確に保証されない限り、プーチン大統領が島の引き渡しに同意するとは考えられません(ロシアの安全保障政策に詳しい国際政治学者のドミトリー・トレーニン氏)

・一方、新しいアプローチを巡る交渉でも積み残された論点を巡り、せめぎ合いが続いていた。焦点は北方領土で共同経済活動を行う際に適用する法律の問題だった。
・現在、ロシアの法律が使われている北方領土。仮に日本企業がロシアの法律に従えば島がロシアに帰属していると認めることになり、日本にとって受け入れられない。しかし日本への帰属を認めないロシアは、あくまで自国の法律を適用する姿勢を崩さなかった。

日本の主権下で共同経済活動をするというなら次の交渉はない。話はそれで終わりです(プーチン大統領)

・山口での首脳会談まで4日。北方領土の元島民たちは問題の解決を求める声を伝えるため、プーチン大統領に手紙を届けようとしていた。「生きているうちに故郷に戻りたい」切実な願いが記されていた。

・北方領土を巡る様々な思いが交錯する中、プーチン大統領とどんな決着を目指すのか。首脳会談の2日前、安倍首相に問うた。

相手を信じるという信頼関係がなければ、結局物事は進んでいかないんですね。騙されるのでは、罠にはまるのではと猜疑心を持てば、お互いにそういう気持ちに陥ってしまって結局元に戻ってしまうということになります。多くの皆さまから前進したなと感じていただけるような結果を出していきたいと思いますし、島民の皆さまからも歓迎していただけるような一歩と、着実な一歩としたいと思っています(安倍首相)

<山場の首脳会談 成果は 課題は>
・そして先週、プーチン大統領が日本を訪問。7か月の交渉に一つの結論を出す日がやって来た。二人だけの会談は95分に及んだ。
・何を手に入れ、何が課題として積み残されたのか。法律の問題が焦点となっていた共同経済活動。どちらの国の立場も害することのない特別な制度づくりに向けて交渉を始めることで合意した。しかし両国が島の帰属を主張し合う中、今後の協議は難航が予想される。
・「私とウラジーミルの手で提携したい」と呼びかけていた平和条約。最後まで調整が続き、声明では「問題を解決する自らの真摯な決意を表明した」とされた。
・さらにプーチン大統領は北方領土を巡る安全保障の問題を新たに突きつけた。

平和条約締結のためには信頼強化に向けた入念な努力が必要だ。私が言いたいのは日本とアメリカの特別な関係、日米安保条約だ。日本にはこうした機微に触れる事柄でロシアの懸念について考慮してほしい(プーチン大統領)

・領土交渉の難しさに改めて直面する一方、経済協力では総額3000億円規模の合意が成立した。プーチン大統領の国家プロジェクトを担うミヘリソン氏も日本側から融資を確保、大手商社との提携を手にした。

大統領の訪日がビジネスの発展にとって、とてもよい刺激になると思います(ミヘリソン氏)

・今回の会談に期待を寄せていた元島民たち。領土返還の道筋が見えなかったと失望の声も上がった。

もう少し何かがあるのではと期待していただけに残念と強く思います(元島民)

・「生きているうちに故郷に戻りたい」と手紙を書いた脇さん。島への自由な往来の検討など、今回の合意を次に繋げてほしいと願っている。

諦めるわけにはいかない。70年間頑張ってきたんですから。ここにきて諦めるわけにはいかない(脇さん)

・首脳会談を終えた翌日、交渉結果をどう受け止めるのか。

当然、元島民の皆さんは時間がない中で、今回の長門の会談で帰属の問題も解決するということを期待していたんだろうと思います。その期待に応えることはできませんでしたが、しかし帰属の問題を解決して平和条約を締結する。それに向かう重要な一歩は、大きな一歩はしるすことができたと思います。日本が解決をしなければ、残念ながら他の国がやってくれるわけではありませんから、そしてこれには日本の国益がかかっている。いま責任を持っているリーダーである私とプーチン大統領が決断しなければいけない(安倍首相)

・いまだ返還の道筋が見えない北方領土。交渉から浮き彫りになった厳しい現実にどう向き合えばよいのか。次の一歩が問われている。

(2016/12/25視聴・2016/12/25記)

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【大河ドラマ】真田丸・最終回

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【大河ドラマ】真田丸
「最終回」

(NHK総合・2016/12/18放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

<感想>

 この1年間、大変楽しませていただいた「真田丸」も、いよいよフィナーレ。視聴したのは18日のリアルタイムで某温泉地の旅行先でしたが、改めて録画しておいたのを観たうえで感想を書きたいと思います。

 三谷幸喜さんの描き方は、実に史実を大事にするものだったと思います。もちろんストーリーの全てがノンフィクションだったわけではありません。そもそも信繁が「幸村」と名乗ったという一次資料はないわけですし、冬の陣に築いたといわれる「真田丸」も謎に包まれています。

 そして信繁が夏の陣の後どうなったのかというのも、実ははっきりしていません。一番有力だというのが安居神社で落ち武者狩りに遭ったという話ですが、ドラマでは盟友ともいえる佐助と行動をともにするという感動的なシーンにしてくれました。

 ちなみに信繁はその後、生き延びたという「伝説」があります。彼のお墓といわれているものが鹿児島にも秋田県大館にもあるそうです。きっとそう信じたい人々がいたのでしょうね。私もその気持ちは十分に分かります。

 そうした色々な諸説がある中で、三谷さんは非常にオーソドックスな展開で歴史をなぞっていたと思います。それが一人ひとりの登場人物たちに光を当てる作品に仕上がったのではないかと思います。

 本当に毎週の放送を楽しみに待つという大河ドラマは、ここ近年では「八重の桜」以来だったと思います。しかも途中の中だるみのような部分もなく緩急ついたテンポ。しかも歴史上では大事件のはずの「本能寺の変」も「関ヶ原の戦い」もあっけなく有働アナのナレーションで終了というのも、ある意味すごかったです。

 またこのドラマを発端に派生した言葉「ナレ死」。亡くなるシーンが無くナレーションで省略されるという意味ですが、最後の最後に「徳川幕府」そのものをナレ死させてくれました。これは私にとっては圧巻でした。

 ということで、来年の大河ドラマも引き続き戦国時代が舞台になるようです。まずは主人公が女性だったのか男性だったのか非常に混沌としているようですが…まあ、それはそれとしてどんな作品になるか楽しみにしておくことにします。このワガママなカエルは、ちょっとでもつまらなければ視聴終了ということもありますからね。朝ドラの方は、お友だちで「お店屋さんごっこ」みたいなのが続いていたので既に撤退しております(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・豊臣と徳川の決戦が始まった。大坂城を出、野戦に持ち込む信繁だったが、形勢は圧倒的に不利。そんな中、後藤又兵衛が討ち死にする。

・大坂を訪れていた真田信之(大泉洋)は山寺で偶然、本多正信(近藤正臣)と相部屋になる。
・真田幸村(堺雅人)は、台所番の与左衛門(樋浦勉)が徳川の間者であることを突き止めた。尋問したところ、与左衛門は自らの体を刺した。
・戦を前に茶々(竹内結子)は不安に苛まれていた。幸村は戦が決着した後の対応策について茶々に託す。
・5月7日早朝。豊臣方は茶臼山から岡山にかけて布陣。別動隊として明石全登(小林顕作)が船場口に待機した。それに対し徳川方は松平忠直、本多忠朝を主軸に数段に及ぶ陣を構える。
・幸村は毛利勝永(岡本健一)とともに徳川家康(内野聖陽)の陣に奇襲をかけることを相談していた。そこに松平忠直隊から天王寺口の毛利隊に向けて突如鉄砲が撃ち込まれた。毛利隊は応戦し態勢を立て直すと、目前に迫る本多忠朝隊を迎え撃った。
・家康は幸村が徳川に内通しているという情報を豊臣方に流す。豊臣秀頼(中川大志)は信じなかったが、大蔵卿局(峯村リエ)たちには動揺が走った。
・一方、毛利隊は破竹の勢いで本多隊を打ち破りそのまま家康の本陣に向かった。その手前には真田信吉(広田亮平)の陣があった。信吉隊とぶつかった毛利隊は圧倒的な勢いでそれを撃破した。続けて毛利の勢いを阻もうとした小笠原も撃退し、さらに榊原、諏訪、酒井も突き崩す。
・大坂城では与左衛門が幸村が徳川に寝返ったと嘘をつき、秀頼も動揺する。
・真田、毛利の攻撃によって徳川軍は大混乱となった。その中を幸村は家康のいる本陣へとまっすぐ突き進んだ。
・家康の馬印が倒されたのは、武田信玄に敗れた三方ヶ原の戦い以来のことであった。
・戦況は圧倒的に豊臣方の有利であった。岡山口にいた大野治房(武田幸三)隊は秀忠(星野源)の本陣に襲いかかった。
・家康は本陣から逃げた上、切腹を覚悟した。
・戦いは豊臣軍の圧勝…に思われた。ところが大野治長(今井朋彦)は今こそ秀忠出陣のときと一旦大坂城に戻ることにしたが、そのとき持参していた千成瓢箪を引き揚げてしまう。この小さな行動が歴史を変えた。
・戦場のあちこちで戦っていた兵士たちは豊臣の馬印である千成瓢箪が城へ戻っていくのをみて動揺した。秀頼が城へ逃げ帰ったと思い込んだのである。
・しかも不運は重なる。自暴自棄になった与左衛門が大坂城に火を放った。それをみた家康。この最後の戦国武将は戦には流れが変わる瞬間があることを体で知っていた。彼はそれを決して逃さない。
・徳川軍の反撃が始まった。井伊直孝隊と藤堂高虎隊が真田隊に襲いかかった。
・家康本陣まで迫った真田隊と毛利隊だが、徳川の猛反撃に遭う。船場に潜んでいた明石隊は応援に駆けつけようとしたが、勢いづいた徳川方の前に撤退を余儀なくされる。
・秀頼は不利な状況の中、出陣することを決意するが茶々が引き止める。
・千姫(永野芽郁)は、きり(長澤まさみ)に導かれて徳川方に和睦の使者として向かった。
・大坂城にも徳川方の兵士たちが侵入し、高梨内記(中原丈雄)、堀田作兵衛(藤本隆宏)らが必死に食い止めようとするが討たれてしまう。
・激戦の中、幸村は単騎で家康前に飛び出た。そして馬上筒を構える。家康は自分を殺したところで徳川の世は変わらないと言うが、幸村はそれでも自分は家康を討ち果たさねばならぬと言う。
・そして銃声が響き渡った。しかし幸村より早く秀忠隊の放った銃弾が幸村の行く手を遮った。
・佐助(藤井隆)とともに逃げ延びた幸村は落武者狩りを交わすが、これ以上は戦うことができなかった。佐助に介錯を頼んだ幸村は覚悟を決めた。
・燃えゆく大坂城の中、秀頼や茶々とともに幸村の息子・大助(浦上晟周)の姿もあった。
・信之のもとに大坂から知らせが届く。六文銭が鳴ったことで信之は全てを悟った。

・これより7年後、真田信之は松代藩10万石の大名となった。そして幕末、松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけを作る、天才兵学者 佐久間象山を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である。

<真田丸紀行>
・慶長20年5月7日、徳川家康の本陣を切り崩した信繁は力尽き、現在の安居神社付近で最期の時を迎えたという。
・信繁が斃れたあと難攻不落の大坂城は落城。秀頼や茶々は自刃し、ここに豊臣家は滅亡した。
・信繁のふるさと、長野県上田市。真田家の菩提寺の一つ長谷寺に残された真田一族の墓。その隣に信繁の供養塔が建立されたのは3年前のこと。信繁の魂が約400年ぶりの里帰りを果たしたのだ。
・真田を象徴する上田城は今日も多くの人々で賑わう。戦国乱世を駆け抜けた真田信繁の生き方は、時代を超えて今も人々を魅了し続けている。

※安居神社
※眞田幸村戦死跡之碑
※大阪城公園
※豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地
※長谷寺 真田幸隆、真田昌幸の墓
※眞田幸村(信繁)公供養塔
※上田城跡公園
※真田幸村公像

(2016/12/18視聴・2016/12/26記)

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NHK大河ドラマ 真田丸 オリジナル・サウンドトラック THE BEST

NHK大河ドラマ 真田丸 音楽全集 服部隆之

※関連ページ(「真田丸」本編)
第50話「最終回」
第49話「前夜」
第48話「引鉄」
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第4話「挑戦」
第3話「策略」
第2話「決断」
第1話「船出」

※真田ゆかりの地関連
【ブラタモリ】#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~
【ブラタモリ】#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~

※関連ページ(真田一族関連)
【歴史秘話ヒストリア】真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の半生
【歴史秘話ヒストリア】徹底解明!これが“真田丸”だ
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 前篇
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 後篇

【空から日本を見てみよう+】新潟県妙高高原~上越

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【空から日本を見てみよう+】
「新潟県妙高高原~上越」

(BSジャパン・2016/12/20放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/

<感想>

 先週~今週と新潟県内を巡る内容ですが、新潟といえば糸魚川の大火が起きたばかり。糸魚川は旅行で立ち寄ったことがあるものの町を散策したことはありませんでした。映像で観る限り、雪国特有の雁木が建ち並ぶ光景でした。それも延焼が大きくなった要因の一つと推察しますが、非常に複雑な心境です。被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

 さて今回の番組の中で一番印象に残った現役最古の映画館「高田世界館」。ぜひ行ってみたいと思いつつ、どんな映画を上演しているのか調べてみたところ、この記事を書いている時点で私が今年観た作品ナンバーワンと思っている「この世界の片隅に」(→感想はこちら)を上演しているとのこと。非常にうれしいですね。

 ちなみにこの映画はもう一度観たいと思っているのですが、東京から北陸新幹線を乗り継いで高田まではちょっと厳しいなあ、行きたいけど(苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

<新潟県妙高市周辺>
・人口:32,959人(県18位)面積:445.63平方キロメートル(県12位)(2016年4月1日現在)
・ニホンライチョウの最北端の生息地。
・燕温泉。5軒の旅館と2軒の土産物屋がある。露天風呂が2つある。黄金の湯(11月下旬~4月下旬まで閉鎖)、河原の湯(11月上旬~5月下旬まで閉鎖)がある。
・苗名滝。落差55m、柱状節理の玄武岩壁から水が流れ落ちる。
・アパリゾート上越妙高。160万個のLEDライトを使ったイルミネーション(今年の営業は終了。来年は7月初旬より営業予定)。ギネス世界記録に認定されている。ウォータープロジェクションマッピングもある。
・スゲ細工で毎年干支の人形を作っている。
・えちごトキめきリゾート雪月花。主に土日祝日運行。糸魚川駅から上越妙高駅まで3時間以上かけて走る。

<新潟県上越市周辺>
・人口:195,737人(県3位)面積:973.81平方キロメートル(県2位)(2016年4月1日現在)
・2005年、周辺の13町村を合併。
・二本木駅。スイッチバック駅。
・唐辛子をモチーフにしたオブジェ。かんずりとは唐辛子を熟成発酵させた調味料のこと。妙高市内で栽培された唐辛子を夏から秋にかけて収穫。翌年の1月まで塩漬け。1月の大寒から雪の上に唐辛子をまき3~4日置いておくと辛さがまろやかになりアクも抜けるという。唐辛子を細かく刻み、柚子・米こうじなどを混ぜ3年間熟成発酵。
・岩の原葡萄園。創業者の川上善兵衛は1890年(明治23年)葡萄園を開園。1927年「マスカット・ベーリーA」が誕生。ぶどうは9~10月にかけて収穫。搾ったぶどうはタンクで約20日間発酵。第一号石蔵(国登録有形文化財)は1895年竣工。日本に現存するワイン蔵では最も古いといわれている。
・フルサット。上越妙高駅前にある商業施設。
・ホームギャラリー赤いポスト。個人のオーナーが小学3年生の頃から切手に興味を持ち収集を開始。60年間で莫大な数の切手や郵便関係のグッズを集めた。
・高田駅周辺。江戸時代に形成された雁木の街並みは、家を建て替えた現在でも多く残っている。現在残っている雁木の総延長は16km。江戸時代の建物は雁木の上に部屋を造り寝床などにしていた。
・高田世界館。元々芝居小屋高田座として開業した建物で1916年、映画館に。現役の映画館では日本最古級といわれている。主にミニシアター系の映画を上映。
・吉田バテンレース。機械で編まれたブレードを型紙に合わせて縫っていき模様の輪郭を作る。ブレードの間をかがり縫い。型紙から外し記事と縫い合わせる。
・打江製作所。スキー板やスノーボードのエッジを製作している。国内シェア100%という。
・上越市はスキー発祥の地といわれ、1911年当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐が陸軍にスキーを教えたのが始まりとされる。当時のスキー板は木製、ストックは竹の棒1本。
・旧高田市を中心に最盛期(1965年頃)には全国の4割のスキー板を生産。上越市にスキー板メーカーはなくなり、現在残っているのはエッジやストックを作る数社のみ。

(2016/12/26視聴・2016/12/26記)

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お知らせ

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テレビ番組の感想及びあらすじを書いていました当ブログですが、一身上の都合により当面の間、更新をお休みさせていただきます。

なお、合わせてコメントも一時できないようにさせていただきます(お返事がおそらくできないため)。

復活時期は未定です。楽しみにされていた方がもしいらしたら申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければと思います。

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