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【空から日本を見てみよう+】京都嵐山~亀岡~綾部
【空から日本を見てみよう+】
「京都嵐山~亀岡~綾部」
(BSジャパン・2016/11/15放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/
<感想>
今回は京都府内の2時間スペシャル。ちなみに公式ウェブサイトに掲載されていましたが「橋上(綾部市)と市野瀬(綾部市)の空撮映像を取り違えて放映した」とのことです。さすがに気が付きませんでしたが。
私が行ってみたいと思ったのは、やはり嵯峨野トロッコ列車と保津川下りでしょうか。これから紅葉の綺麗な時期になるでしょうね。
京都の有名な観光コースもいいですが、山陰本線沿線巡りというのも悪くないかなと思いました。黒谷和紙は手漉き体験もできるようで、ぜひやってみたいですね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※写真は全て番組のものではなく、私が個人的に撮影したものです。
<京都市周辺>
・渡月橋。現在の橋は1934年完成した鉄筋コンクリート製。
・竹林の小径。毎年冬にはライトアップも行われる。
・大覚寺で行われる観月の夕べ。
・嵯峨野観光鉄道トロッコ列車。1991年JR山陰線の旧線を利用して開業。年間利用者は約120万人。
・保津峡。京都盆地と亀岡盆地を繋ぐ約11.5kmの渓谷。
<亀岡市周辺>
・人口:88,957人(府3位)面積:224.80立方キロメートル(府8位)
・姉妹都市のオーストリア クニッテルフェルト市には「カメオカ通り」が存在。
・京馬車。トロッコ亀岡駅~保津川乗船場(大人1000円、小人500円)
・風で湖に丹色の波が立ったのが「丹波」の由来といわれる。
・保津川下り。亀岡~嵐山まで約16kmを進む川下り。観光船としては1895年頃開始。1606年、角倉了以たちが都への物資輸送のため開削。
・水寄せ。水の流れを1か所に集め水深を深くしている。保津川下りの船頭が整備している。
・筏を作るための丸太。奈良時代から筏を使った木材運搬が行われていた。1948年を最後に途絶えるが、2008年に保津川下りの船頭を中心に保津川筏復活プロジェクトが発足。毎年筏づくりを行っている。
・亀山城址。江戸時代、五重の層塔型天守を整備。
・よし与工房。日本でも最初期にロートアイアンの製造を開始。
・ドゥリムトン村。2010年にオープン。イギリスの田舎町をイメージした建物が19軒並ぶ。レストランやR&Bがある。
・桜石(国の天然記念物)。亀岡は世界有数の産地。
・竹岡醤油(1870年創業)。1996年、波動理論に基づいた醤油造りを開始。「モーツアルトが醸したしょうゆ」を販売している。
・賀茂なす、九条ねぎ、聖護院かぶらなどの京野菜を亀岡でも栽培している。
・京すだれ川﨑。カラフルなすだれなどを販売している。
・篠ファーム。世界の唐辛子など日本では珍しい野菜を取り扱う。
・天然砥石が摂れる丸尾山。砥取家では天然仕上砥石の採掘・製造を行う。
<南丹市周辺>
・人口:32,924人(府15位)面積:616.40立方キロメートル(府2位)
・任天堂「スーパーマリオシリーズ」の生みの親、宮本茂の出身地。
・男前豆腐店。特濃ケンちゃんなどの製品を製造。
・日本天鵞絨(ビロード)工業(1887年創業)。糸を起毛させ柔らかい手触りと光沢感を出した織物。江戸時代と同じ製法でビロードを作っている。明治以降ビロードの鼻緒が普及。
・るり渓。通天湖 水の大カーテンがある。
・グランピング施設GRAX。「グラマラス」「キャンピング」を合わせた造語。温泉やレストランも近くにある。
・日吉ダム。1998年から堤体内の一般開放を行う。2016年7月、プロジェクションマッピングを実施(ダムでは日本初)。
・STIHLの森京都の山林管理用モノレール。毎年春にはイベントで体験乗車を行う。
・山田製油。2004年、京都市内から胡麻地区にごま油工場を移転。南丹市胡麻は気温の高い場所で育つごまの育成には不向きだったが、ごまで地域活性化を始める。現在は近隣の農家20軒にごま栽培を委託している。
<京丹波町周辺>
・人口:14,128人(府20位)面積:303.09立方キロメートル(府7位)
・養鶏場跡を中心としたロケ地誘致事業を推進。
・旧質美小学校。2011年閉校した校舎を利用して現在7つの店が出店。カフェやアンティークショップなど。
・丹波栗の栗畑。
<綾部市周辺>
・人口:33,473人(府14位)面積:347.10立方キロメートル(府5位)
・合気道発祥の地。
・グンゼ記念館。郡是製糸は1896年、京都府何鹿郡の是(方針)となるため設立。現在では体内で吸収される素材を使った手術用の製品を多く製造している。
・また牛用の「ウシブル」を開発。水で生地全体を湿らせ、気化熱で牛が涼しくなる。
・日東精工 八田工場。男性の雇用を増やすため1938年設立。ネジの生産を行っている。最小のものは軸の直径0.6mm。1日の生産能力は5千万本、7万種類。累計製造本数は6200億本になる。
・黒谷和紙。800年ほど前、平家の落人が作ったと伝えられる。楮が自生していたため紙づくりが始まった。
・綾部市古屋。人口4人(3世帯)高齢化率75%。京都府下最小の集落の一つ。とちの実拾いのボランティアを募っている。
・綾部市橋上。人口45人(18世帯)高齢化率57.8%。あやべ水源の里。限界集落にて地域産業の開発・育成や定住促進などを行う取り組み。
・綾部市市野瀬。人口42人(20世帯)高齢化率66.7%。2012年から水源の里の取り組みを始め自然薯の栽培や定住促進を行う。
(2016/11/18視聴・2016/11/18記)
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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第2話「さらわれた赤ん坊」
【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第2話
「さらわれた赤ん坊」
(NHK・BSプレミアム・2016/11/18放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kozure2/
<感想>
「子連れ信兵衛」の放送時間は総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」と思い切り被りますが、どちらも録画して楽しむ金曜の晩でございます(笑)
ということで第2話は不注意で子どもを死なせた上、泥棒に手を染めるろくでもない夫婦。さらにタイトルの「さらわれた赤ん坊」の通り、逃げるときに赤ん坊(鶴之助ではない別の子)を連れ出してしまうという罪に罪を重ねる二人に長屋の人たちがめちゃくちゃ優しすぎるという人情話。私は正直言って同情できなかったなあ…。結局、罪を償うことになるのですが、遠島になってもおかしくない話ですね。
それはさておき、信兵衛を巡る女同士の争い(美玖vsおぶん)は今回は引き分け。鶴之助はどちらかといえばおぶんちゃんになついているから、彼女の方が一歩リードかもね。
ということで次回はそのおぶんちゃんのお話のようです。中村玉緒さん出演となかなか楽しみな話になりそうです。あとは、やっぱり信兵衛のカッコイイ殺陣のシーンを多めにお願いしたいところです。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・松村信兵衛(高橋克典)は、いつものように二八そばの屋台を引いていたが男女二人組の泥棒に遭ってしまう。
・翌日、信兵衛の長屋を本郷美玖(黒谷友香)を訪ねてくる。鶴之助(伊東瑛進)の母親になるという美玖に、おぶん(小島梨里杏)は不機嫌になる。
・昨夜、信兵衛の金を盗んだ卯之吉(石井智也)、おさと(山下リオ)は浪人たちに命を狙われるところを、偶然信兵衛に助けられる。改心するという二人に信兵衛は許すことにした上、住まいと仕事の面倒をみてやることに。
・ところが卯之吉は賭場に出入りする。小判を出したところ、浪人に斬りつけられる。小泉道仙(中村嘉葎雄)に手当てしてもらうが、持っていた小判は偽物だということが判明した。
・おさとは、かつて子どもを不注意で亡くしてしまったことを信兵衛に告げ、偽小判も盗んだものだと白状した。
・それを知った卯之吉は長屋から逃げ出す。そのとき、かず坊を連れ出してしまう。行方不明になったことを知った長屋の面々は騒動に。
・卯之吉たちは偽小判を盗んだ先の両替商、桝田屋惣右衛門(石山輝夫)でに雇われた浪人たちに捕まっていたが、間一髪のところで信兵衛が成敗する。
・長屋に戻った卯之吉たちは土下座して謝り、今度こそ罪を償うと誓う。
(2016/11/19視聴・2016/11/19記)
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【歴史秘話ヒストリア】戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔
【歴史秘話ヒストリア】
「戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔」
(NHK総合・2016/11/18放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/
<感想>
大河ドラマ「独眼竜政宗」は渡辺謙主演で大変秀逸な番組だったのですが、その後の研究によって内容については“定説”が覆されるような感じになっていますね。今回のヒストリアも最上義光と義姫兄妹の悪評を覆す話がベースとなっています。
ちなみに伊達政宗毒殺未遂事件については義光黒幕・義姫実行犯説が別の番組でも否定されている上、このときに政宗が弟・小次郎を斬ったというのも事実ではなく、実は生きていたという話があります(詳しくは→【にっぽん!歴史鑑定】伊達政宗はなぜ天下を取れなかったのか?)。
歴史というものが本当に生ものの学問で、今ドラマなどでやっているものが後々覆されるケースは多々あるということですね。真田「幸村」もその一つで、信繁が「幸村」を名乗ったという一次資料は現在のところ無いですからね。ドラマは九度山で自ら名乗ったということにしちゃっていますが(苦笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・戦国時代、山形に「とてつもないワルだ」という噂の兄妹がいた。最上義光と妹・義姫だが、ゆかりの品々から二人の意外な素顔が浮かび上がってきた。戦国の花嫁衣裳から見えてきた兄妹の心とは。
・兄の兜に残る銃弾の跡。それは一体何を物語るのか。そして妹は意外にも、あのヒーローを叱り飛ばす肝っ玉母さん。「真田丸」と同じ時代を生きた最上兄妹。その知られざる素顔に迫る。
<“悪人”と呼ばれた兄妹>
・かつて出羽国と呼ばれた山形県山形市。ここに乱世に勝ち残るためには手段を選ばない兄妹がいた。戦国武将の最上義光と2歳年下の妹・義姫。
・後の記録に記された2人の評価は「奸悪」、心の曲がった悪人というもの。一体どれほどの悪事を重ねてきたのか。
・伊達政宗にとって義姫は母、最上義光は伯父にあたる。これほど近い間柄にありながら、二人には何度も煮え湯を飲まされたというのだ。
【冷酷な母 義姫】
・最上と伊達は隣国同士だったため、義姫は政略結婚で嫁いできた。永禄10年(1567年)伊達政宗が生まれ、間もなく弟が生まれた。男子を2人も授かり伊達家も安泰と思われたが、母・義姫は弟ばかりを愛し政宗を顧みることはなかった。
・政宗が幼い頃、大病を患い生死の境を彷徨ったが、義姫は一度も見舞いに来なかった。さらに病で右目が見えなくなったことに跡継ぎらしくないと嫌ったという。
【卑劣な伯父 最上義光】
・最上義光は常に伊達家を狙っていた。義光は伊達家と親密だった父親から最上家当主の座を力ずくで奪った。さらに伊達に味方した武将たちを次々と攻め滅ぼした。そのやり方も武将の家来を密かに裏切らせ主君を討たせるというもの。また仮病で相手を誘い出し、見舞いに来たところを斬ったという。
・天正16年(1588年)伊達政宗は反撃を開始。国境の中山峠に迫った。後は山形に攻め入るのみと思ったが、母・義姫が立ちはだかった。伊達と最上が睨み合う戦場に80日も居座った。結局、政宗は兵を引いた。いくら自分を嫌っていても母親を危ない目に遭わせるわけにはいかなかった。
【毒殺の陰謀】
・その2年後の天正18年(1590年)政宗は母・義姫から食事に招かれた。ところが猛烈な腹痛を起こした。母親が油で煎った菓子に毒を盛ったのだ。間一髪、政宗は助かったが、義姫はその後すぐ最上義光のもとへ逃亡。黒幕は間違いなく義光と思われた。
・このように後世に書かれた伊達家の記録が伝えるのは、政宗の命まで狙う邪悪の兄妹の姿。しかし近年、こうした兄妹の人物像を覆す決定的な発見があった。仙台市博物館元館長で長年、伊達家の資料を調査・研究してきた佐藤憲一氏によると、政宗を教育した僧・虎哉宗乙の手紙「義姫が今月4日の夜、最上へ逃げた」という部分は毒殺未遂のあった年から4年も後に書かれたものだと指摘する。
・つまり毒殺未遂から4年間、政宗は義姫と暮らしていた。しかもその4年の間に政宗が義姫に、はやりの着物を贈ったり、逆に政宗がおこづかいとして3両のお金を貰ったり、母子仲良く暮らしていたことが政宗自身が書いた手紙からも明らかになっている。
本当に毒殺未遂事件があったならば、その後4年間も義姫と政宗が一緒に生活していたとは考えにくい。毒殺未遂事件はなかったと考えている(佐藤氏)
・さらに政宗の戦を邪魔したとされるあの行動にも、全く別の理由があった。郷土史家の片桐繁雄氏によれば、義姫が考えていたのは伊達と最上の和睦だったという。中山峠で義姫が書いた手紙にもそのことが記されている。
戦場には私の意志で来た。私がここをどいてしまったら両家は和睦できなくなる。
大事な息子(政宗)と信頼する兄・義光の争いは義姫から見たら情けないかぎり。絶対に止めたかった。その熱意がこの中山峠での義姫の動き(片桐氏)
・これまで悪人と見做されてきた最上兄妹、しかし新たな研究によって全く別の姿が浮かび上がってきた。
・山形市の最上義光歴史館に彼の実像を伝えるものが展示されている。義光が得意だったのは、仲間同士でいくつも歌を読み続ける連歌。彼の歌集の数は戦国武将の中でもトップ3に入るもの。妹・義姫が愛用した能面と竜笛。彼女も能や雅楽をたしなむ教養の豊かな姫君だった。
・兄妹が生まれた山形は、最上川や日本海の水運によって京の都と文物の行き来が盛んだった。そのため2人は幼い頃から都の雅な文化に触れながら育った。
・しかし時は戦国乱世。この後、最上兄妹はいばらの道を歩んでいくことになった。
<兄妹が愛した姫>
・義光には駒姫という娘がいた。容姿端麗でこの世に二人といない美人であると評判だった。しかしこの自慢の娘の美しさが思わぬ事態を招くことになった。
・天正19年(1591年)天下人・秀吉の甥である豊臣秀次が山形城を訪れ、駒姫を娶りたい申し出た。女好きで知られる秀次には正室の他におよそ30人の側室がいた。山形育ちの駒姫が都で、しかもあまたいる側室の一人ととなって幸せになれるのか。義光は秀次の申し出を丁重に断った。
・秀次は3~4年待つというものの、義光は従わざるをえなかった。娘に礼儀作法を教えるのは母親の務めだが駒姫の母親は京で豊臣家の人質となっていた。
・そこで能や音曲をたしなみ天下人・秀吉にも知られたほどの義姫が、母親代わりとして駒姫に手ほどきをすることになった。琵琶をはじめ和歌やお茶など都での暮らしに欠かせないことを教えた。
“駒姫の親”という思いで京都で恥をかかないように、きちんとした礼儀作法を身につけさせたい。めいの駒姫を大事に育てたい(山形大学人文学部教授の松尾剛次氏)
・月日は流れ駒姫は15歳になった。このとき義光から駒姫に贈られた品が山形市の皆龍寺に残されている。当時大変貴重だった絹で織られた打ち掛け。金糸もふんだんに使って刺繍されているのは松竹梅。そばで大きく羽ばたいているのは、幸せのシンボルである鶴と亀。義光は娘のために最高の品々を取り揃え、とびきりの花嫁衣裳をあつらえた。
これだけ細工されているのは、かなり当時値打ちがあったのでは。(娘を)嫁がせる以上、盛大に送りたい。この布一枚から(義光の)思いが伝わってくる(皆龍寺住職の榊法存氏)
・そして駒姫は山形を旅立ち京に到着した。ところがこのとき関白・秀次は、叔父・秀吉に対する謀反の疑いで切腹。彼の正室と側室、その子どもまで処刑が命じられた。
・義光は駒姫だけは助けてくれるよう豊臣家に懇願したが受け入れられず、義光自身も秀次の一味として謹慎を命じられ、駒姫に会うことすら禁じられた。
・処刑の前日。駒姫は山形から付き従ってきた2人の侍女を呼び頼み事をした。文禄4年(1595年)8月2日、死に装束姿の駒姫は都中を引き回された。駒姫の処刑は11番目。当時の記録には「幼い少女だが最期の時もさすが大名の姫として落ち着いていた」と記されている。
・駒姫が亡くなった後、届いたのは鶴と亀が刺繍された彼女の花嫁衣裳。駒姫の頼み事は、着物を形見として残してもらうことだった。
まだ15歳でどんな思いで侍女に形見分けしたときにどんな気持ちで渡したのか想像すると、ものすごく胸が痛くなる(同上)
・駒姫の悲しい最期を知り義光が口にした言葉が伝えられている。
これはわしがこの世に生まれる前、前世からの因縁か。前世にわしは罪を犯し、その報いを今受けているのか。
・そこには乱世の悪人ではなく、愛娘を失った無念と悲しみを抱いて生きなければならない一人の父親だった。義光はその後まもなく山形市の専称寺で駒姫の菩提を弔った。境内に駒姫が使っていた部屋を移築した義光はたびたび一人で訪れていたという。部屋の板戸に描かれているのは鶴の絵。あの花嫁衣裳の鶴にも似た絵を見つめ、娘を悼む日を送っていたのかもしれない。
<娘にささげる戦い>
・しかし義光はただ乱世に翻弄され耐え忍ぶだけの男ではなかった。義光が戦場で用いた武器が残されている。長さ87cm、刀よりも重い2kg。「山形出羽守」と刻まれた鉄の棒には、ふるさとの危機に立ち向かう義光の姿が秘められている。
・駒姫が亡くなった3年後、最上家に悲劇をもたらした豊臣秀吉が病死。すると徳川家康が天下取りに向け動き出した。慶長5年(1600年)7月7日、義光に家康から手紙が届いた。
会津の上杉家を攻めよ。徳川家も出陣する。
・豊臣家とくみする上杉家と領地が接する最上家は、否応なしに徳川対豊臣の戦いに巻き込まれることになった。義光が命じられたのは、東北の大名たちとともに攻め込むことだった。総勢1万7千。3万以上の上杉軍を徳川・伊達などの大軍と挟み討ちにする作戦だった。
・しかし家康は西へ向かった。事態は天下分け目の関ヶ原の戦いへと動いていたのだ。
・悪いことは重なった。伊達と上杉が和睦。すると義光と陣をともにしていた大名たちは我先にと国へ帰ってしまった。残り1万足らずの最上に対し上杉は一気に叩き潰そうと動いた。
・豊臣家と通じる強大な上杉に、最上だけでは到底勝ち目がなかった。しかし今さら降伏しても領地はおろか命も無事で済むとは思えなかった。
根本は豊臣家に対する恨みが根強くあった。駒姫の霊が眠る場所を守る。敵に蹂躙されなくないという気持ちが強くはたらいている(山形大学名誉教授の伊藤清郎氏)
・最上に対し9月8日、上杉は約3万もの軍勢で山形に攻め寄せた。総大将は直江兼続で最上の城は次々と落ち、1週間も経たないうちに義光の居城・山形城のすぐ近くまで攻め込まれた。
・そこへ現れたのが義姫だった。このときの義姫から伊達家宛の手紙が残っている。
9月19日午前6時ごろ
伊達の援軍がぜひとも必要です。
伯父の義光殿もそなたを待ち望んでいます。
早く、早く来て下され
(義姫の手紙より)
・しかし伊達は動かず。翌朝、義姫は凄まじい気迫に満ちた文を送った。
山形はまもなく戦となろう
これに遅れるのはいかがなものか
急ぎに急いで駆けつけよ
(20日 義姫の手紙より)
政宗の母として威厳を持って、単に懇願するのではなく、もし援軍が遅れたら後で大変なことなるぞと脅しつけている。実家の最上、山形を守る気持ちが強烈(伊藤氏)
・そして2日後、ついに伊達の援軍がやって来た。
私も向かいます(政宗の手紙より)
・時を移さず最上・伊達連合軍は反撃に出た。義光自身も鉄の棒を振るって敵軍に打ちかかった。
・そのとき敵の銃弾が義光を襲った。当時被っていた兜が残されているが、鉢に残る直径2cmの鉄砲玉の跡。弾は兜を貫通しなかった。そして義光はついに上杉軍を打ち破った。
<今も山形の暮らしに息づいている、最上義光と義姫兄妹>
・最上義光と義姫。悪人と伝えられてきた二人の素顔は、命を賭してふるさとを守った強い心の兄妹だった。二人が暮らした山形城。昭和52年、ここに義光の銅像が建てられた。鉄の棒を振りかざして山形を守った武勇と、戦で荒廃した町を蘇らせた功績を讃えるものだ。
・山形市で毎年5月に開催される「薬師祭植木市」。焼け野原となった城下町に彩りを取り戻すため、義光が始めた。ほどなく山形は「多くの柳や桜の木で華やかな町に生まれ変わった」と地元の記録に記されている。
・義光の命でつくられた用水路・北楯大堰(山形県庄内町)。全長約10kmの用水路が出来ると新しい田畑や村が増えていった。北楯大堰は「宝の堰」として今も山形の地を潤している。
・69歳でこの世を去った義光が今際の際で詠んだ漢詩。
私は敬いと慎みの心をずっと持ち続けてきた。たった今、我が命は天に帰る。この世に生を受けること60有余年、様々なことがあった。今は山形に咲いた花々に感謝を捧げ、眠りにつこう。
・ふるさとを愛しその発展に力を尽くした二人の歩みは今も山形の暮らしに息づいている。
(2016/11/19視聴・2016/11/19記)
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【ドキュメント72時間】福岡・中洲 真夜中の保育園
【ドキュメント72時間】
「福岡・中洲 真夜中の保育園」
(NHK総合・2016/11/18放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/
<感想>
朝7時から深夜2時まで開園している福岡の保育園。中洲の飲食店街で働く女性やシングルファーザー、夫が単身赴任している女性など、観る前から予想をしていた通り、様々な人たちの様々な事情が垣間見えた内容でした。
子どもたちの置かれている状況というのは社会を最も映し出しているような気がします。本来ならお家で夕ご飯を食べて親と一緒に過ごして、そして寝るというサイクルが事情があってできない。それは個人を責めることは決してできないし、できないから不幸だと決めつけることもできないでしょう。
でも私は一人でも多くの子どもがそういう生活を過ごして成長してほしいと願っているし、そのために社会がサポートできることは、まだまだあるのではないか思っています。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・九州最大の歓楽街・中洲。眠らない街で働く大人たちが、もう一つの顔を見せる場所がある。
・ここは真夜中まで子どもを受け入れる保育園。朝7時から深夜2時まで、ひっきりなしにいろんな親が訪れる。夜の街の片隅、親と子の3日間の物語。
・10月12日(水)16時。門をくぐった途端、にぎやかな声が。中洲の街から徒歩5分。0歳から6歳まで150人が通っている。
・撮影を始めて間もなくお迎えのお母さんがやって来た。モンゴル出身の在日16年の女性。
・作業着姿のお母さんは内装業の仕事だという。
・親たちの仕事は実にさまざま。生活スタイルに合わせて、いろんな時間にお迎えに来るんだって。
・18時37分。お迎えが遅い子どもたちは夜の給食。ひじき納豆ごはんと鮭の塩焼き。
・帰り仕度を終えたのに、ずっと絵本を読んでいる親子がいた。2歳のわかばちゃん。最初の反抗期を迎え、毎日大変みたい。夫婦で新聞記者をしているけど半年前に夫が大阪に転勤して以来、一人で子育てしているという。保育園を出るのに毎日1時間以上(かかるという)。
・中洲の街が華やかさを増す夜8時。保育園では寝る準備が始まっていた。12人の子どもたち、お迎えが来るまでぐっすり眠って過ごすという。
・23時51分。日付が変わる頃やって来たのは夫婦で日本料理店を切り盛りする女将さん(39歳)。女将になって7年、子どもとの時間をもっと持ちたいと悩むこともあるけど…。眠ったままの我が子を起こさないよう、そっと家路へ。
・1時15分。目を覚ました子がいた。いつも遅いお迎えの2歳の男の子、お母さんが来る頃になると必ず起きるそう。中洲のバーで働く28歳女性。訳あって結婚せず、シングルマザーの道を選んだという。悩んだ末に一人で生むことを決意、昼も夜も働きながら生活費を稼いでいる。
・深夜2時。夜間保育園の一日が終わった。
・10月13日(木)朝7時の開園と同時に次々と親子が。今日も火花が散る新聞記者の母とわかばちゃん。
・息子の発熱に慌てる日本料理店の女将さん。子守りが見つかるまでひとまず預かってもらうことに。大人の思い通りにはいかないことばかり。
・11時30分。少し遅めの時間にやって来たお父さんがいた。3年前から一人で子育て中の39歳男性。夜のレストランで働いていたけど融通が利くアルバイトに転職したという。親とは何か?答えの出ない問いと向き合う日々。
・18時27分。帰り際、サッカーを楽しんでいる親子がいた。夫婦で花屋さんを経営している42歳男性。お店は夜まで開いているので、仕事の合間にお父さんがお迎えに来るんだそう。僅か15分の帰り道が親子のささやかな触れ合いの時間。息子さんはあと半年で小学生。今ではお店のお手伝いもしてくれるんだって。親子の時間はここまで。祖父母に預けてお父さんはまた仕事。
・中洲で生きる親たちを40年支えてきた認可保育園。
・昨日出会ったバーで働くお母さん。何度も振り向き仕事へ。でもお母さんが見えなくなると、すぐ泣きやんだ。親と子それぞれの夜が更けていく。
・10月14日(金)7時。今日はお弁当持参の遠足の日。とっておきのお弁当を作ってきたというお母さんがいた。中洲の夜のお店で働く35歳女性。息子のケンくん(4歳)のために朝6時に起きて作ったんだって。
・シングルファーザーの男性と3歳のキヨくん、料理は苦手だけど頑張ったみたい。
・12時34分。そしてお楽しみの時間。お父さんがつくってくれたお弁当。キヨくんの好きなお惣菜がちょっとずつ詰められていた。
・キャラ弁をつくってもらったケンくん。のりが剥がれて顔が崩れちゃった…。
・19時26分。子育てに悩む新聞記者のお母さん、大阪から夫が戻ってきて一緒にお迎え。わかばちゃんも嬉しそう。昨日までだだをこねていたのが嘘のよう。週末だけの3人暮らし。今の彼らが選んだ生き方。
・22時23分。チャイムの音で目を覚ましたのは、お弁当で落ち込んでいたケンくん。でもお母さんではなかったみたい。
・1時34分。ようやくお母さんの姿が。仕事を終え、急いでケンくんを迎えにきた。働いている間、ずっとお弁当のことが気になっていたみたい。
・10月15日(土)7時。土曜日も保育園にはいろいろな親子の姿が。
(2016/11/19視聴・2016/11/19記)
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【ブラタモリ】#55 知床~世界遺産・知床は“火山”のおかげ!?~
【ブラタモリ】
「#55 知床~世界遺産・知床は“火山”のおかげ!?~」
(NHK総合・2016/11/19放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/
<感想>
今回のブラタモリは「知床」。釧網本線で知床斜里を通過したことはあるものの、世界遺産・知床半島は私にとって未踏の地。しかも船で知床岬まで行くという最も行きたいコースを巡ってくれました。船上からヒグマに出会うし、見所たくさんの楽しい回でした。
火山の噴火で出来たという知床半島、しかも北方四島である国後、択捉と同じように出来たということは目からウロコでしたね。しかも羅臼が「魚の城下町」と呼ばれるほど海の幸が豊富なのも火山活動によって狭いエリアに水深の深い海が形成されたというもの。なるほどガッテン!と私も膝を叩いてしまいました。
そんな魅力あふれる知床半島。海から半島を攻める観光船は春~秋のシーズン限定で航行しているようです。また冬は流氷クルージングもあるようです。どっちも行ってみたいですね。見所が多いのは暖かいシーズンでしょうけど、私は寒いのは全然苦手ではないので極寒の時期も満喫してみたいです(笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・今日のスタート地点は知床のウトロ。
・旅のお題は「世界遺産・知床は“火山”のおかげ!?」。
・北海道の北東に突き出した知床半島。その一部は2005年、世界自然遺産に登録された。今なお残る手つかずの自然、知床は「日本最後の秘境」と呼ばれている。
・最初の案内人は知床財団主任研究員の石名坂豪さん。生き物の専門家で野生生物の保護や調査を行っている。
・知床が世界遺産になった理由は二つあるという。生物多様性と生態系。
・生物多様性。ヒグマをはじめキツネやエゾシカなど様々な種類の生き物がいる。さらに絶滅の恐れがある生き物もたくさん生息していることが評価された。
・生態系。海から川を遡上したマスやサケが陸の王者ヒグマなどの食料となる。この海と陸の生物が繋がる食物連鎖が知床独自の生態系として評価された。
・2人目の案内人は斜里町立知床博物館学芸員の合地信生さん。地質の専門家。知床の魅力に取りつかれ35年前に四国から移り住んだという。
・一行は船に乗ってウトロを出航。知床岬を目指す。
・まずは知床半島が火山でできていることを確認する。海にそびえ立つ断崖絶壁は分厚い溶岩でできている。海面付近の縦方向の割れ目。
・柱のような割れ目のことを柱状節理(溶岩などが冷えて固まったときにできる柱のような割れ目)という。
・半島全体が溶岩でできている。その大量の溶岩を生んだのが知床連山。1500m級の火山が20kmにわたって連なっている。
・崖が白くなっている部分があるのは海鳥が生息している場所。知床の海鳥が安心して繁殖することができるのも断崖絶壁をつくった火山のおかげ。
・出航して1時間。沢を歩いているヒグマを発見。
・さらに1時間後、日没直前に知床岬の沖に到着。知床岬は船での上陸が規制されている。歩いて行くにも道なき道を3日もかかる秘境中の秘境。
・続いて一行はウトロから車で10分の場所へ移動。
・大昔、知床半島は海底が押し上げられてできた。火山が噴火する力でできたわけではない。どんな力だったのか、それが知床や国後、択捉の並び方で分かるという。
・布を使って知床の近くにあるプレートの力を再現してみる。約100万年前、太平洋プレートが北米プレートの下に斜めに潜り込みを始めた。するとその力に引きずられ、北米プレートの端が東から西へ動いた。
・結果、海底がシワのように押し上げられた。続いて押し上げられた海底に割れ目ができ、マグマが噴き出した。この海底火山が徐々に盛り上がっていった。
・プレートの力でさらに海底火山が押し上げられ、知床や国後、択捉ができた。成り立ちが同じだから形が似ている。
・知床の生態系に欠かせないのが流氷だという。冬、知床に漂着する流氷には栄養素を蓄えた植物プランクトンがいっぱい付いている。それを食べた海の生き物を餌にして育ったマスやサケを陸の生き物が食べる。こうして海と陸の生き物が結びつく知床独自の生態系が生まれる。
・こうした流氷から始まる独自の食物連鎖が評価され、知床は世界遺産になった。実はその流氷が知床にあるのも火山のおかげだという。海から押し上げられた火山のおかげで流氷がせき止められ独自の生態系が生まれた。
・一行は知床連山を越えて半島の反対側へ。「魚の城下町」と言われる羅臼。それほど国後との間の海にはいろんな種類の魚がいる。
・どんな魚が水揚げされているのか、羅臼漁業協同組合の野戸克将さんの案内で市場の中へ。羅臼近海で獲れる魚は100種類。市場には魚の種類が多い港ならではの特徴があるという。
・魚の種類が多いため漁の時間もバラバラ。それに合わせて何度もセリを行っている。セリの方法も値段を下げていく「下げセリ」(高値から競り始め値段を下げていく方法。最初に合図した人が落札するので早く終わる)で行われている。
・再び布を使った実験。知床と国後、火山の兄弟が盛り上がったとき、その間の海は逆に深くなった。海深は深いところでは2000m以上もある。
・つまり狭い範囲の海に浅瀬から深海までいろんな種類の生き物が生息できる環境が生まれた。
・再びウトロに戻る一行。今まで人の手が入らなかった知床半島。それも火山のおかげだという。
・水冷破砕岩(海底で噴出したマグマが海水で急に冷やされ粉々になった後、固まった溶岩)。もろくて時間が経つと土になるので農地として開拓することができる。
・そのため水冷破砕岩でできた場所は大正時代から開拓が始まり農地や住宅地となった。
・世界遺産側の地質はどうなっているのか。特別な許可を得て溶岩に触れてみる。硬い溶岩でできているため開拓には不向きだった。
・知床の火山は陸上に出た後も噴火した。そのため陸上火山の硬い溶岩が水冷破砕岩でできた平らな台地を覆った場所がある。こうして開発が難しい平らな土地ができた。ということで陸上の溶岩が流れた部分から世界遺産のエリアになっている。
・最後に一行は硬い溶岩で覆われた土地へ。かつてこの一帯も開拓が計画されていたという。
・開拓小屋が残されている。大正時代から昭和にかけて3度にわたって開拓が行われた。その度、火山が生んだ厳しい環境が人の手を阻んできた。昭和50年まで小屋で暮らした人が最後の住人になったという。
・最後にシカを発見。記念写真を撮る。
(2016/11/20視聴・2016/11/20記)
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【NHKスペシャル】巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方
「巨龍中国 成長産業にカネを流せ 14億人の資産の行方」
(NHK総合・2016/11/19放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/
<感想>
NHKスペシャル「巨龍中国」シリーズなのでしょうか。前回は農村からの出稼ぎ農民1億人の「大移動」を促すドキュメント(→【NHKスペシャル】巨龍中国 1億大移動 流転する農民工)。そして今回は14億人の中国国民の個人資産(総額1800兆円)と沸き起こる「投資ブーム」を追った内容でした。
投資会社の女性経営者とインターネット金融の経営者の2人が紹介されました。32歳と43歳、どちらも若い経営者です。
投資会社の潘氏は年率30%を自らに課し、短期でリターンがあるものに投資をする。国の重視している産業であっても結果が出るのに時間が掛かるものは待っていられないというスタンス。そして人脈を最大限に生かして貪欲に突き進んでいるようにみえました。
一方でインターネット金融・融道網の周氏ですが、中小企業の運転資金や設備投資のための融資の原資を個人投資家から募る事業を展開しています。一見すると何だか中小企業の味方のようにみえますが、よくよく考えてみると日本の街金と変わらない高金利の貸金事業ですよね。何せ投資家に8~9%の利回りを保証といい、融道網側が2%の「手数料」を取るということは、単純に年利10%以上の利率で金を貸しているということ。
これがうまくいっているのは1000件に3件程度の貸し倒れリスクに収まっているからですが、何だか『日本のバブル期』に似たような雰囲気が漂うような気がします。
もしバブルと同じように資本主義の「モンスター」が牙を剥き、実体のない経済活動が傾き、そして山一のときのように潰れるはずのないと言われた大企業が倒産。さらに一気に不況が進んで中小企業がバタバタと倒産なんてことになったら、融道網の「利息・元本保証」なんてすぐに空手形になるでしょう。
そのときが来るのか来ないのか。少なくとも私はどう転んでも“対岸の火事”ですが。
あとオオカミのような投資家が好きだという潘氏。「赤ずきん」のオオカミは最後には漁師に撃たれる末路ですよね。そのラストにならなければいいのですが…どうなることやらと思いましたね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・今、中国で1日に起業する会社は1万2000社。株式上場を目指し次世代産業の分野に続々と名乗りを上げている。そこに流れ込むのが総額1800兆円ともいわれる個人資産。14億人を巻き込んだ投資ブームに沸き立っている。
・ブームを引っ張るのは新たに登場した民間の投資会社。利回り30%をうたい、富裕層から金をかき集め投資する。さらにインターネットで庶民から素早く金を集める新手の金融ビジネスも登場。年利9%、元本・利息とも保証するという。加熱するブームの陰でトラブルも頻発している。
・「世界の工場」から脱皮し、新たな成長産業を求める中国。14億人の個人資産を次なる発展の起爆剤にできるのか。飽くなき成長を追い求める中国の官民挙げての壮大な実験を追った。
<億単位のカネを動かす新興投資会社>
・上海市浦東新区。近未来的なビルが密集するこの地区は、金融城と呼ばれる中国随一のマネーシティーだ。この街の1日の取引額は30兆円を超えるという。中国経済にマネーという血液を送り込む、いわば心臓ポンプだ。
・大手国有銀行をはじめ6000ほどの金融機関がひしめくこの街で今、新たな勢力が存在感を増している。新興の民間投資会社だ。この日はバーチャルリアリティの分野で有望なベンチャー企業を探ろうと投資会社が集まっていた。
・4年後には世界で7兆円規模に膨らむと期待されるバーチャルリアリティ。その市場を投資会社が、こぞって狙っている。
・新興投資会社の経営者は20代から30代の若者たち。億単位の資金を預かり、お目当てのベンチャー企業に先を争うように投じている。
うちも投資会社だ。バーチャルリアリティだけに投資している。ここで紹介された数社にも投資している(男性)
・この日、会場を一番沸かせたのが恋愛体験ゲーム。投資会社の経営者・潘小渓氏(32)も有望な投資先を虎視眈々と狙っていた。
気に入ったのがありましたよ。そのベンチャー企業に接触して投資するかもしれません。ほら、男の子が女の子をデートに誘うやつですよ(潘氏)
・潘氏は金融城の投資会社でも珍しい若手の女性経営者だ。会社の創立は4年前、中国の輝かしい発展に寄与したいという思いを込め「華輝集団」と名付けた。社員は50人。ハイテク分野のベンチャー企業に億単位の金を投資、株式を上場させることで利益を得る。
・金の出所は資産家や企業経営者など限られた富裕層。預かった50億円の資産を3倍の150億円に増やしてきた。潘氏が自らに課している運用利回りは年30%だという。
・この日、高級タイルメーカーに投資したいという共同経営者の李玉東氏からの提案が議論となった。
必要な投資金額は9億円だ(李氏)
もう上場する?(潘氏)
準備…してるところだ(李氏)
考えてみて。この9億円を他のプロジェクトに投資すれば、どれだけ収益を上げられると思う?この古い産業にどうしても投資したいの?(潘氏)
上海証券取引所で上場する確率はかなり高いんだ(李氏)
確率の話をしてはだめ。顧客のお金を投資するんだから(潘氏)
・投資にあたって潘氏が最も重視するのは、高い成長力があるかどうか。たとえ確実性が高くても、収益率の低い古い産業は相手にしない。まさにハイリスク・ハイリターンだ。今回の投資は再検討となった。
<投資ブームと国家の思惑>
・中国で沸き立つ投資ブーム。背景には新たな成長を求める国の思惑がある。今、中国政府は「世界の工場」から脱皮し、自力でイノベーションを起こせる創新型国家への転換を急いでいる。そのため航空・宇宙や新素材、バイオ・医療機器など10の成長分野を定め、次世代産業の柱に育てようとしている。
企業家精神を奮い立たせ、中国全土で起業や技術革新の情熱を引き出し、発展の兄妹な推進力とするのだ(李克強首相)
・ここで課題となっているのが、成長産業を育てるための資金。かつて中国の経済成長を支えていたのは、国有銀行と外国からの投資だった。その資金が国有企業や外資との合弁会社に流れ込み「世界の工場」を実現した。
・しかし成長の鈍化で外国からの投資は頭打ちになり、国有銀行は既存の産業の維持で手いっぱい。そこで国が注目したのが1800兆円とも言われる14億人の個人資産だ。
・問題は成長産業にそのマネーをどうやって注ぎ込むか。政府が考えたのは、それまで殆ど存在しなかった民間の投資会社を増やし資金の流れを作ることだった。そのために新たな法律を作り、投資会社の設立を促した。しかも金融機関に厳しい規制をかける先進国と違い、細かな規制を設けず自由を与えた。
・結果、習近平政権が誕生した頃からその数が急増。今や2万2000社を超えているという。国はさらに税の優遇措置を図るなど彼らの投資を後押し。投資会社はそれに応えるように、集めた金をベンチャー企業に流し込んでいる。この先、中国が新たな成長エンジンを獲得できるか否か、その鍵を握る存在となっている。
<新興投資会社の実態>
・この日、潘氏はある会社への投資に動いた。バーチャルリアリティの発表会で目を付けた恋愛体験ゲームを作っている創業2年のベンチャー企業だ。
・バーチャルリアリティは、国が定めた10大成長産業にも関わる技術。潘氏が特に力を入れている分野だ。投資を決める前には必ずトップと会う。見極めるのは、自分たちの技術に本当に自信があるかどうかだ。
ゲームを発売したら短期間で資金を回収する自信はある?(潘氏)
大ヒットするかどうかは別として、絶対話題にはなると思う(企業経営者)
話題になるのはいいけど投資する側としては、やはり早く収益を得たいの(潘氏)
バーチャルリアリティへの投資は将来性への投資でしょう。短期間で収益を得たいのなら他のゲームにしてよ(企業経営者)
投資するなら覚悟が必要だよ。そこは分かってくれないと(もう一人の経営者)
・潘氏の挑発にも強気の姿勢を崩さなかった経営者たちが気に入った。
(うまくいきそう?)
絶対に成功します。今まで投資で失敗したことないから(潘氏)
・イギリスに留学し大学院も出た潘氏。しかし専攻は美術。投資の知識は独学だ。彼女の投資活動の武器は、全国に60万人の会員を持つ留学経験者団体のネットワークだ。国家の指導者も、留学経験者たちを起業や技術革新を生み出す新戦力として重視している。
・潘氏はこの団体で2万人を束ねる支部長を務め、顧客も投資先も多くをその人脈から得ている。投資という資本主義的なビジネスを支えているのは、中国ならでは見えない人脈の力だ。
私は支部長なので一般会員より優遇されています。普通じゃ手に入らない情報も入ってくるし。それに政府の大きな会議にも代表として参加できるので、政府の人たちとの人脈も作れるんですよ。とにかく、とてもありがたいネットワークなんです(潘氏)
<ネット金融・驚きの集金力>
・1800兆円ともいわれる個人資産を成長産業に注ぎ込む、新たな民間投資会社。さらに全く新しいやり方で個人資産を集める金融ビジネスも登場、脚光を浴びている。
・それがインターネット金融。その名の通りネットを通じて庶民から金を集める新しい金融だ。数年前に登場し、急拡大。今、中国全土で2000を超える会社が10兆円を超すマネーを動かしている。
・利率は高いもので年13%を超える。株価の乱高下で痛い目に遭った個人投資家たちが雪崩を打って乗り換えてきている。
うちの主人が140万円株に投資して530万円儲けたの。こんな簡単に儲かるんならと家を売って株につぎ込んだら、株価がいきなり4分の1に下がっちゃった。売った家は2400万円、それが全部パー。それに給料もつぎ込んだし。だから私は株をやめて、これに乗り換えたのよ(インターネット金融に乗り換えた女性)
・このインターネット金融の先駆けとして注目を集めている企業が金融城の一角にある。融道網(ゆうどうもう)。今、全国から視察が殺到している。この日は、広東省から銀行の支店長クラスを集めた視察団を迎えていた。従業員200人、平均年齢は29歳と若い人材が動かす会社だ。
・融道網の売りは金を集めるスピードだ。まず事前審査を通った企業の情報をインターネットで公開する。募集の大半は比較的容易に資金を集められる100万円単位の融資だ。
・あるケースでは年利9%、返済は12か月後。しかも元本・利息ともに100%保証付きだ。求める金額は日本円で約150万円、募集を開始するとすぐに金が集まり始めた。次々と金が集まってくる。40分で達成、8人が金を入れた。
・融資の焦げ付きは1000件に3件の割合。その場合、融道網側が負担する。日本では貸金業法などで規制され認められないビジネス。中国ではスマートフォンなどで誰でも簡単に参加できる。
・こうして集められた金を成長産業の企業に融資として貸し出す。返済時に2%程度の手数料を上乗せ、これが融道網の儲けとなる。
・従来の金融機関なら1か月程度はかかる融資を平均1週間、最短2時間で実行。このスピードで小口の融資を数多くの企業に行い、業績を急拡大させてきた。
・この会社を率いる周漢氏(43)は、企業向け金融にインターネットを導入したとされる人物だ。大手メーカーの財務担当だった彼は下請企業の資金難を目の当たりにし、7年前に融道網を立ち上げた。
昨日1日の貸し出しは2億円を超えています(周氏)
(金額はどんどん増えている?)
そう、右肩上がりですよ(同上)
・融資の対象は成長産業への展開を見込める有望な中小企業に絞っている。これまで約1万社に資金を提供してきた。
中国の民間企業は全企業数の99%を占め、都市の雇用の80%、GDPの60%、税金の50%を担っています。にも関わらず、受け取った融資は全体の30%にも満たないんです。私たちは資産を持つ人々の力を結集して、経済成長に貢献している民間企業をサポートしたいんです(同上)
・今や2000社を超え金融界の一大勢力となったインターネット金融。中国政府はその金を集める力に、ますます期待を寄せている。
いま我が国は深刻な産業転換の渦中にあります。ぜひこれをチャンスと捉え、成長を促す力となってください。新しい発展の時代に向け成功を祈ります(業界団体の会合で挨拶する上海市経済情報化委員会副主任)
・インターネット金融の先頭を走る融道網は2年前、上海市から異例の出資を受けた。
この写真は2014年に上海市政府が我々の活動に関心を寄せてきたときのものです(周氏)
・上海市は融道網に成長産業を育てるための、あるミッションを授けた。その舞台は上海市宝山区、中国有数の鉄の町だ。上海市のミッションは、低迷する重厚長大産業の下請中小企業を再生すること。成長産業に展開できる有望な企業を見つけ育ててくれというものだった。
このあたりの中小企業は国有製鉄所の下請けでしたが、製鉄所が縮小する中で下請けも変わらなければなりません。そのために欠かせない金融サービスを提供するのが我々の役目なんです(同上)
・この日は、ある鉄工所に調査にやって来た。上海の国有製鉄所の下請けとして長年やってきた会社だ。
あの鋼管は、環境保護のための粉じん除去装置に使われます(鉄工所副社長の呉溟氏)
・現場深くに足を運び、データからは見えない企業の強みを見極めるのが周氏の流儀だ。この工場は異なる金属をピタリと溶接する高い技術を持っていることが分かった。この技術は新素材の溶接など、新しい産業にも必要だと周氏は見立てた。
・こうした下請けの企業が既存の金融機関から金を借りるのは容易ではない。鉄関連の工場となれば尚更だ。宝山区を担当する社員も加わって聞き取りが始まった。
借金が75万円ほどあったようですが、もう返済しましたか?(融道網の宝山区担当)
まだです。あと2、3か月かかるかな(呉氏)
利率は?(周氏)
高いよ(呉氏)
融資についてですが…(周氏)
それそれ。いくらなら貸してくれる?(呉氏)
リスク管理部門の査定が必要ですが、きょうの私の見立てでは150万円までなら大丈夫だと思います(周氏)
私としては簡単な手続きで早くしてほしいんだが(呉氏)
わが社はスピードが売りですから(周氏)
銀行は鉄鋼の「鋼」の字を見た瞬間に融資拒否ですから(呉氏)
銀行も鉄鋼産業に痛い目にあってますから気持ちは分かりますけどね。じゃあ、やってみましょうか(周氏)
何とかお願いします(呉氏)
・必要な運転資金は日本円で約150万円、担保は無し、年率9%。この資金をインターネットで募集する。果たして人々は募集に応えるのか。20分で達成、金を入れたのは7人。リスクを再度確認した後、鉄工所の口座に振り込まれる予定だ。
中国の民間企業の資金繰りには特徴があります。借りる期間が短い、金額が小さい、頻繁でいつも急に資金が必要になる。でも銀行は審査に時間がかかるので「急に」という需要を満たせないんです。うちは違います。企業の事情に配慮して1日~2日で審査を通すんです(周氏)
<洪水に遭った融資先の農業法人と養殖会社を視察>
・融道網が成長産業と見込んで力を入れている分野がある。地方の農業法人だ。農業は国の10大成長産業にも関わる分野だが、とりわけ融資が行き届いていない。この日、周氏は融資先である安徽省の大規模農園を訪ねた。最近洪水の被害に遭ったと聞き、視察にやって来た。
うちの顧客の1人でキウイフルーツを栽培しています。この間、広い範囲で洪水が起きたので、ここも被害があるかどうか心配で、今日様子を見に来たんです(周氏)
・融道網で資金を得て大規模なキウイの有機栽培に乗り出した農業法人。今年は大豊作と見込んでいた矢先だった。
どのぐらいダメになりそうですか(同上)
4割がダメだな(農園関係者)
・さらに周氏は淡水魚の養殖会社にも足を運んだ。融道網で集めた資金をもとに魚の種類を増やし、大規模化を進めていた。しかし洪水で水かさが増し、購入したばかりの稚魚が殆ど逃げてしまったという。
1200万円ぐらい損したかな。建物や設備もやられた。逃げた魚は稚魚なので、めちゃめちゃ多いよ。3000万匹ってとこかな(関係者)
追加融資は必要ですか?(周氏)
ぜひ必要な資金をできるだけ手軽に貸してほしいな。魚を補充するために450万円から750万円ほどあればな(関係者)
・事業の存続には追加融資が必要だった。しかし融資のリスクは極めて高い。
<トラブル続出 過熱する投資ブーム>
・国家から成長産業に資金を流す役割を期待され、急拡大してきた新興投資会社そしてインターネット金融。莫大な個人資産を成長産業に流し込み、1日に平均1万2000社を起業させている。
・しかし、国の思惑を越えて過熱する投資ブームがここに来て、様々なトラブルを引き起こしている。去年12月には中国史上最大ともいわれる詐欺事件が発生。インターネット金融会社の幹部が集めた7500億円以上を着服、被害者は90万人に上った。この事件以降もトラブルは絶えない。
・インターネット金融に関するトラブル相談窓口には毎週、電話やメールで600件を超える相談が寄せられている。その多くが貸したお金が返ってこないというもの。
これは問題になったインターネット金融会社の一覧です。トラブルにもいろいろあります。このマークが付いているのは、社長が夜逃げして行方不明になったケース。これは警察が捜査に入ったケースです(ネット金融の家 石鵬峰氏)
・これまで世に出たインターネット金融会社の3社に1社が、客との間で問題を起こしてきたという。
・今年8月、国はついにインターネット金融の規制に乗り出した。貸出金額の上限(100万元)や融資審査の厳格化などを定め、行き過ぎたブームを何とかコントロールしようとし始めている。しかし儲かる投資先を求めて押し寄せるマネーの勢いは未だ衰えていない。
<バイオマス発電の会社への投資を検討したが…>
・投資ブームが過熱する中、投資会社同士の競争も激しさを増している。前出の潘氏も新たな投資先を求めて過酷なスケジュールが続いていた。
疲れていますよ。徹夜で書類を作っていたので(潘氏)
・競争を勝ち抜くため、より大きく、よりリスクの高い投資案件に踏み出そうとしていた。この日、訪れたのは中国政府も重視する環境・エネルギー分野で大きなプロジェクトを動かすベンチャー企業。農業廃棄物などのゴミを燃料に電気を生み出す、いわゆるバイオマス発電だ。この会社の独自技術は、燃料の作り方にある。
原材料は麦の茎、とうもろこしの茎、キノコを栽培した後のくずとかです(関係者)
・農村で環境問題の原因となっている農業廃棄物。それを燃料に変える。廃棄物をある装置に投入すると独自の圧縮技術で固められ、燃料となって出てくる。大学の研究者だった起業家が圧縮技術を開発。同じ重さの石炭の半分ほどの燃焼力を実現したという。
・しかし、この発電所建設プロジェクトには想定外の大きなリスクがあった。地方政府から土地を格安で払い下げてもらったが、建設計画の甘さもあり基礎工事で資金が枯渇。1年以上、工事は止まったままだ。
あなたが投資さえしてくれれば、すぐに資金を回収できるよ。なにせ発電すれば毎日1700万円入ってくるからね(起業家)
・1年も塩漬けになった工事の再開には、中止していた間の補償問題や基礎工事のやり直しなどリスクが付き物だ。会社側は海外からも引き合いがあるとアピールするが、果たしてリスクに見合うリターンはあるのか。
ずばり、あなたは株をどのくらい譲ってくれるの?いくらほしいの?(潘氏)
70%譲ろう。それで30億円貰いたい。細かい計算はまた後でやるとして、それでどうかな(起業家)
30億円はいつ回収できる(潘氏)
4年だ(起業家)
うちの資金は個人投資家から募ったものなので、半年で収益を上げるよう求められるの。確かに環境・エネルギー産業に投資することは、国が重視する産業を支持することにはなるけど(潘氏)
そう、だから大当たりだよ(起業家)
でも投資者の利益も考えないとだめ(潘氏)
30億円をもらって半年後まだ完成しないうちに返せなんて、そりゃ無理だよ。工事だけで9か月かかるんだよ。私は何とかこの技術を中国から世界に広めたいんだ(起業家)
ハッキリ答えて。お金を儲けたい?それとも夢を追いたい?(潘氏)
まあ、お金だよ(起業家)
私は夢を追いたい人は怖いの。現実を見ないから(潘氏)
・投資額が大きいだけに、失敗すればダメージも大きい。しかも顧客が期待する短期での利益の回収は見込めない。潘氏は投資を見送った。
顧客からのプレッシャーがきついんです。できれば環境・エネルギー産業への投資を増やしたいんですが、今回はちょっとね。でも最初から私がやってたら、うまくいってたのにね(潘氏)
・潘氏が自らに課す年率30%もの高い利回り。小刻みに投資を重ねなければ、実現は容易ではない。国家の期待と顧客の利益との狭間で結果を出し続けなければならない重圧と日々、隣り合わせだ。
これは私の卒業写真です(潘氏)
(どこの大学?)
イギリスのエディンバラ大学の大学院です(同上)
(何を勉強した?)
デジタルメディア。あなた方の仕事と近いですよ。成績優秀な卒業生は、学校の偉い人と一緒に写真を撮るんです。この日の笑顔は明るく輝いているわ(同上)
(ということは、今は暗い?)
そうですね、中国に帰った後はね。投資に携わる人間はみな、暗闇の中を前に進みながら良い結果を出そうともがいています。自分が中国の発展に貢献できているかは分かりませんが、できるだけ多くの起業家を助け、彼らがチャンスを得られるよう努力するしかありません(同上)
<有力者の紹介で融資した相手とトラブル発生>
・競争を勝ち抜くために、貪欲にビジネスを広げてきた潘氏。しかし玉石混交のベンチャー企業を見極める難しさを思い知らされる事件が起きた。
本当にむかつくわ。あの医者があんなことするなんて思ってもみなかった。本当に頭が痛い(潘氏)
・トラブルの相手は、地方の有力者の紹介で投資してほしいとやって来た東洋医学の医者だった。ツボ押し健康法をビジネスにしたいという医者に賛同し、潘氏はオフィスを用意。ビジネスプランも企画書にまとめた。ところが問題が起こり、ビジネスを中止せざるを得なくなってしまった。
医者が私の企画書を勝手に使って、金を集めていることが分かったの(同上)
・中止の原因は、医者が潘氏の企画書を餌に違法な恐れのある金集めのパーティーを勝手に開いたこと。これが潘氏の言い分だ。地方の有力者からの紹介という人脈への油断があった。彼女からの電話には出なくなった有力者側に仲間が代わりに抗議することになった。
潘さんはあの医者のビジネスで先走りすぎたんじゃないですか。どういう形でビジネスを立ち上げるかも決めてなかったし、契約書に調印もしてないし(電話の相手)
私が知る限り、企画書の代金がまだ潘さんに支払われてませんね(潘氏の仲間)
助手に書かせた企画書は大ざっぱで粗末なものでしたよ(電話の相手)
・話はどこまでも噛み合わない。人脈こそ中国社会での成功の鍵と信じてきた潘氏。その人脈に初めて裏切られた。
これからは何か一言話す前に必ずお金を支払ってもらう。友達もいなくなるでしょうね。私の人生に与えた決定的な影響は、もう一切他人を信じないということです(潘氏)
<水害に遭った会社への追加融資を決定>
・秋雨が続く中、融道網は新たな事態への対応に大わらわだった。8月末、国がネット金融の規制に乗り出し、融資の審査を一層厳しくすることが求められるようになっていた。調査にかかる時間とコストが劇的に増え、自慢のスピード融資への影響も懸念され始めていた。
・そのさなか、難しい融資の審査が始まった。水害に遭った2つの会社への追加融資だ。
まず国が進めている農業、農村、農民の問題解決を我々は支持することを前提に話を進めよう。まず養殖会社だ。洪水で水が溢れて魚が網を越えて逃げてしまった。450万円の追加融資を検討したい(周氏)
極端な場合ですが、もし半年後に同じことが起きたらどうするんですか?融資を回収できなくなってしまいますよ(会議参加者)
我々の調査ではこの会社の信用度はとても高い。なのに地元の銀行はこんな少額の融資は相手にもしない。だからこそ、我々を頼っているんだ。それともう1社、キウイだ。できればこの農業法人にも150万円を追加融資したいんだが、どうだろう(周氏)
気になるのは、これらの会社に他に安定した収入源があるのかということです。正直なところ私は追加融資にはリスクを感じます(会議参加者)
気持ちは分かるが、彼らのこれまでの経営を見ても悪い信用情報は一切無い。家庭も安定しているし、子どももちゃんと学校に通っている。それに保険と言っては何だが、地元政府の幹部とかなり親しいようだ(周氏)
なら私は追加融資してもいいと思います(会議参加者)
他に借金はないんですか?(他の会議参加者)
貸しているのは我々だけだ。それだけで他にはない(周氏)
・周氏はメンバーたちのリスクへの懸念を押し切り、追加融資を決めた。
私たちの役割は中国の人々の資金と富を、最も価値を生み出せるところに流すことです。つまりそれは小規模な民間企業です。私たちは末端の人々、いわば国家経済の細胞と付き合っています。私は彼らの中に中国の底力を感じています(周氏)
・リスクが高い追加融資にも金が集まるのか。いつものようにあっという間に集まった。
<融資が決まっていた鉄工所への入金が遅れた理由は>
・融道網に運転資金の融資を依頼していた鉄工所。インターネットで資金が集まってから6日経っていた。なぜか表情が冴えない。
(お金入ったんですか?)
入ってません。融道網に聞いてよ。遅い遅い、遅すぎるよ。まあ、やれることを粛々とやるよ(呉副社長)
・融道網の担当者がやって来た。今年の後半になってインターネット金融に対する規制が厳しくなってリスク管理部門がてんてこまいだと説明した。
・企業の命を繋ぐスピード融資。規制の枠の中でその役割を果たし続けることができるのか。入金までには1か月以上かかった。
<「投資家はオオカミじゃないと」と言う投資会社経営者>
・手痛い失敗を経験した潘氏に嬉しいオファーが舞い込んだ。大物投資家が立ち上げたビッグプロジェクトに参加を請われたのだ。
(きょうからどんな仕事を?)
新たに基金の運用に参加します。主にテレビ、映画などエンターテインメント産業への投資です。運用資金は1500億円ですよ(潘氏)
・国家が新たな輸出産業として重視するエンターテインメント産業が、潘氏の次なる投資の舞台だ。
私はオオカミのような人と仕事をするのが好きなんですが、今の私の会社は安定志向の人ばかりです。でもこの新しい基金の会長は私と同じように野心的で、一緒に仕事を楽しめると期待しています。目指すところも同じだし(同上)
(投資家はオオカミじゃないとダメ?)
そう、絶対にダメです(同上)
・国家の思惑に寄り添いながら、潘氏は有望な投資先を探してまた旅を続ける。
・1日1万2000社が起業するベンチャー大国・中国。その中から、次世代産業の担い手をどれだけ育てることができるのか。今日も成長を信じる14億人のマネーが金融城を飛び交っている。
(2016/11/20視聴・2016/11/20記)
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【岩合光昭の世界ネコ歩き】スリランカ
【岩合光昭の世界ネコ歩き】
「スリランカ」
(NHK・BSプレミアム・2016/11/19放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/nekoaruki/
<感想>
視聴番組が金・土・日曜と集中しているため、どうしても録画しておいて平日に少しずつ観ていくという感じになっています。ということで岩合さんのこの番組も土曜日放送のを2日遅れの今日(月曜)にようやく視聴しました。
もう放送されてしまいましたが昨日(20日)の夜「ダーウィンが来た」(NHK総合)でもネコ特集。岩合さんも出演してネコたちの習性を詳しく学べる内容でした。子ネコを守るお母さんネコの姿、はぐれオスの存在、さらにネコの天敵もいるといった話など印象に残るシーンが多かったです。再放送の予定は今のところないようですので、見逃した方はNHKオンデマンド辺りで…って、私はNHKの回し者ではありませんが(笑)
さて、世界ネコ歩きの方はスリランカが舞台。おそらくご覧になった方の多くがお寺で飼われているネコが印象に残ったのではないでしょうか。白黒の妊婦ネコ、お坊さんの座布団に座ってリラックスしたかと思えば、読経が始まるとお坊さんの膝の上には乗るわ、白い糸にネコパンチで遊ぶわ、もう自由奔放すぎ。それでも多くの人々がネコを可愛がっているのですね。決して追い払ったりはしない。その光景に心がほっこりしました。
次回のネコ歩きの舞台はチェコ。しかもクリスマス・イブ(12月24日)に放映される予定、また土曜日です。他に観る番組がたくさんありそうですが、出来たらリアルタイムでのんびりと観たいものです。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・ネコの傍で象が水浴びをしている。川岸を身軽にジャンプしていくネコ。スリランカの象の町で知られるピンナワナ。
・お母さんネコが家に帰ると子ネコたちが出てきた。茶色の子と白黒の子がじゃれあっている。
スリランカはとても自然が豊かなところで以前、野生動物を撮影しに来たことがあります。ネコってどうやって暮らしているんだろうなってみたかったんでですね。スリランカのネコの第一印象は小さいんですよね、体が。ちょっと一回り小さいという感じです。でもお母さん、たくましいですよ。木陰で親子のいい時間です。とてもゆったりした時間が流れています(岩合さん)
・子ネコがもう1匹出てきた。3匹とも毛の色が違う。
・インド洋、漁師の子ネコ。撮影地はゴール アハンガマ。木の杭に座って釣りしている。スリランカ南部の伝統的な漁法らしい。じりじりと暑くなってきた。子ネコは木陰で休憩か。おじさんから魚を貰って遊び始めた。
熱帯のムンムンする空気の中、子ネコは元気だ。ツヤツヤした魚、目も黒々として美味しそうだな。波が来ても全く動じません。大したネコだ(岩合さん)
・カニを見つけて遊び始める。波がやって来て子ネコと岩合さんずぶ濡れに。
・朝の漁港(撮影地:ゴール)。ボートの上にいるネコたち。右にオスネコ。左にママネコと子ネコ、親子そっくり。
・漁港には市場もある。みんなが魚をくれるからネコが多いという。
ネコが魚をいただいています。美味しそうに食べるね。透き通るような肉だね。一匹まるまるいただいた。美味しかったね。おっ、カマだ。食べる音が小気味良く聞こえる。シャクシャクと骨を砕く音が(岩合さん)
・カゴの中を覗き込んで狙っているネコ。犬が近づいてきた。吠えられてもへっちゃら、図太いネコだ。
さっきカメラの前で魚をバリバリ食べていたメス、屋根の上でお昼寝です。お腹が見事に膨らんでいる。こういうのを爆睡というのでしょうか。よく寝ている。屋根の上だから風がよく通るね(岩合さん)
・スリランカ中部の高原地帯にある茶畑(撮影地:ヌワラエリヤ)。毛づくろいをしている茶色のネコ。
スリランカのネコにしては大きな体だ。鳴きながら家に戻ります(岩合さん)
・名前はミスィー。飼い主からご飯を貰う。
ネコの朝ごはんカレーだ。さすがスリランカ。美味しい?(岩合さん)
・飼い主の女性と一緒にお出かけ?後ろをてくてく着いていく。
ネコを連れてのご出勤、毎朝のことです(岩合さん)
・歩いて3分の茶畑の事務所が仕事場。
朝のお茶の時間。えっ?(ネコが)お茶飲むの?驚いた、ミスィー紅茶飲んでいるよ。ミルクティーをいただいている。ネコとお茶を一緒、とてもいい朝です(岩合さん)
・ティータイムの後はお外に出てお散歩。畑では茶摘みが始まっている。この辺りで採れる茶葉は最高級のセイロンティーになるという。
大岩の上にミスィー、映画の主人公のようだ。辺りを睥睨している。涼しくなってちょっと眠くなった(岩合さん)
・仏教のお寺の前に黒白のネコ(撮影地:ゴール ウナワトゥナ)。お母さんネコのようだ。
まだ出産していないのかな。お腹が大きく見える(岩合さん)
・少年たちが読経を始めた。そのすぐ傍をうろうろしているネコ。お経を聞きながらだんだん眠くなってきた様子。
みんな楽しそうですね。お参りに来ている人たちが多いですが、このネコちゃんはお坊さんのネコなんです。本当に人懐っこいんですね。こんなにたくさんの人に囲まれても全く気にしていないです。スリランカの人はとても優しいです、ネコに。皆さんネコに向かって優しい眼差しをおくっています。驚いたんですね、本堂に入ってもネコ、普通にここにいるという感じなんですね。さらに驚いたのはネコがいるのはお坊さんの座席。お坊さんがネコに席を譲りました(岩合さん)
・読経が始まると立ち上がってお坊さんにスリスリし始めて、なんと膝の上に乗っかってしまった。みんな熱心にお祈りしているのにネコはリラックス。願い事をするための白い糸に反応する。お経が終わった途端に甘え出す。
・先ほどの漁師のネコ。岩場にいると傍を象が通る。
象が砂浜を行った。ネコは岩の中。気配で分かるんだね、大きな生き物が動いたのが(岩合さん)
・一人遊びに飽きたのか近くにいた女性の膝の上に乗って遊んでもらう。魚を貰って一生懸命にかじりつく。
・夕暮れ時。岩場から砂浜をゆったりとお散歩。また波が来て逃げ出す子ネコ、また釣りをする木の上に登る。そこがお気に入りのようだ。インド洋に太陽が沈んでいく。みんなの釣りが終わるまで、もうちょっとそこに居たいのかな?
(2016/11/21視聴・2016/11/21記)
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【NHKスペシャル】“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~
「“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~」
(NHK総合・2016/11/20放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/
<感想>
祖父母4人のうち3人をがんで亡くしているので、私にとって「がん」という病はどうしても死を意識してしまう重い病気だと感じてしまいます。しかし医学の進歩というのは本当に速く、外科や内視鏡などの手術、抗がん剤の開発、放射線治療、そして今回特集された「プレシジョン・メディシン」と目を見張るものに思えます。
患者のがん細胞の遺伝子を解析して最適な薬を投与するという方法。これによって劇的な治療効果が上がっているということは、私の予想をはるかに越えるものでした。まだ臨床試験段階のものも多いですが、これが症例データの積み重ねというビッグデータが人工知能と結合すれば、がんが容易に平癒する病気になる時代がそう遠くないうちに来るのではないか。そう思いました。
しかし気になるのは、まだ診療行為の全てが保険適用されていないということ。毎月90万円の薬代という話がありました。1年間にすれば1000万円以上、とても皆が受けられるものではありません。日本の国民皆保険制度は世界に誇ることのできるもので、経済的な理由で命の選別があってはならないものです。高額な治療費に苦しむ人をなくすための手立てを、国がもっと積極的に打つべきでしょう。それがトータルで考えれば、医療費総額を下げることに繋がるのですから。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・進行した大腸がんの男性。5回の手術と抗がん剤による治療を受けたが、その度に再発を繰り返した。しかしある臨床試験に参加したところ、がんは2か月の間に4割縮小していた。
・余命2年と言われた肺がんの女性。同じくある臨床試験に参加したところ、1か月でがんが縮小した。
・今、がん治療の革命が始まっている。これまでの抗がん剤とは全く違う仕組みでがんを攻撃する新しいタイプの薬が次々に誕生。そして患者の遺伝子を解析し、最適な薬を選び出す新たな医療「プレシジョン・メディシン」(精密医療)の登場だ。この2つの相乗効果によって、がん治療の革命が動き出している。
・全国235の病院と15の製薬会社が参加する大プロジェクトが発足、この新しい治療法を推し進めようとしている。進行した肺がんと大腸がんなどの患者6658人のうち、700人以上に効果が期待できる薬を見つけ出している。
・このプレシジョン・メディシンを国家戦略と位置づけるアメリカ。今年80億円の予算を投じ、2000の病院で大規模な臨床試験を始めた。
・人工知能を取り入れた、かつてない試みも始まっている。
・今、世界で始まったがん治療の革命。命を延ばす医療の可能性に迫る。
<プレシジョン・メディシン 驚きの効果>
・週末の朝、川沿いの遊歩道を走る男性がいる。髙橋康一さん(48)は、進行した大腸がんと闘っている。
(どれぐらい走りました?)
日によりますけど、30分から1時間くらい走ったり歩いたりしています(髙橋さん)
(体は問題ないですか?)
問題ないです(同上)
・1回に走る距離は5km、階段も一気に駆け上がる。会社の同僚からは「とてもがんの患者とは思えない」と言われることもあるという。
・22歳でがんを患い、これまでに5回の手術と抗がん剤治療を受けた。その度に再発に苦しめられてきた。そして今年5月、新たにリンパ節に転移が見つかった。医師からは、今度は手術をすることはできないと告げられた。そのとき勧められたのが、新しい治療法を試す臨床試験への参加だった。
もしかしたらそれ(臨床試験)で助かるかもしれないと思ったので嬉しかったですね。やりますかと聞かれたときに、すぐやりますって(同上)
・国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で新たな治療法を開始して2か月。髙橋さんは効果を見るための最初のCT検査を受けた。体調がよくなっているとはいえ、やはりがんの状態が気になる。
この待ち時間が一番精神的にはきついですね。スマホをいじったりして気を紛らわせて。考え出すと緊張しちゃうので、できるだけ考えないように(同上)
・結果が出た。
測定したんですけど(がんが)43%ぐらい縮小しているので(薬が)よく効いていると思います(主治医)
・4割以上小さくなっていた髙橋さんのがん。治療は大きな効果を上げていた。
もしそれ(臨床試験)がなければ従来の抗がん剤で副作用に苦しんでいたと思うし、長生きができなかったかもしれないので、そのおかげで今、僕は元気でいられるので非常に自分はラッキーだったと思うし感謝しています(同上)
・髙橋さんが使っているのは、免疫チェックポイント阻害剤。この臨床試験では免疫チェックポイント阻害剤と分子標的薬を試している。これまでの抗がん剤とは効き方が全く異なる薬だ。
・そしてその効果を最大限に引き出すのが、プレシジョン・メディシン。患者のがん細胞の遺伝子を解析し、最適な薬を選択する方法だ。2つを組み合わせることで今、がんの治療に革命が起きつつある。
・この臨床試験を進めているのはスクラム・ジャパンというプロジェクト。国立がん研究センター東病院を中心に、全国の医療機関と製薬会社が協力する大規模なプロジェクトだ。現在、全国235の病院と15の製薬会社が参加している。対象は主に進行した肺がんや大腸がんの患者。特に従来の抗がん剤の治療で十分な効果が得られなかった人たち。
プレシジョン・メディシンで患者さんに合った適切な治療薬を使うことは、今までの倍以上の長生きができる。医療の進歩に繋がっていくことは間違いない(国立がん研究センター東病院 後藤功一呼吸器内科長 SCRUM-Japan研究代表)
<プレシジョン・メディシン カギを握るのは遺伝子>
・今まさにこの臨床試験に参加しようとしている人がいる。進行した肺がんを患う瀨原進さん(69)。骨に転移が進み手術では対処できないと診断された。肺がんで通常行う抗がん剤治療も効果が上がらなかった。今年8月には新たに肝臓への転移が見つかった。
ショックですよね。良くなっていないということは(妻・直子さん)
・瀨原さんには去年、孫の大翔くんが生まれた。幼稚園に入るまで成長を見届けたい、それが願いだ。
腰の痛さも忘れちゃうよ、笑顔見たら。1日でも長く一緒にいような(瀨原さん)
・この日、瀨原さんは最初の検査を受けるため国立がん研究センター東病院を訪ねた。まず行うのは、がん細胞を取り出すこと。プレシジョン・メディシンは、がん細胞の遺伝子を解析することから始まる。
・瀨原さんなど患者のがん細胞が運び込まれる検査会社(エスアールエル 東京・八王子)。ここで最新の装置、次世代シーケンサーを使ってがん細胞の遺伝子を解析する。
・異常な増殖を続けるがん細胞。もとは正常だった細胞に異変が起きることで生まれる。その原因となるのが遺伝子の傷、遺伝子変異だ。人間の細胞には2万余りの遺伝子がある。その中で例えば肺がんの場合、EGFR ALKなどと呼ばれる遺伝子に変異が起きることが分かってきた。
・実はどの遺伝子変異ががんの原因となっているのかは、患者によって異なる。こうした遺伝子変異は、それぞれタイプの異なる異常なタンパク質をつくる。このタンパク質が、がん細胞を異常増殖させる犯人だ。
・そこでその働きを抑えるのが、分子標的薬という新しいタイプの治療薬。それぞれの異常タンパク質に結合し、その働きを抑えるように作られている。
・遺伝子解析を行い変異のタイプを見極めた上で、それに適した分子標的薬を使う。これがプレシジョン・メディシンだ。これまでの治療と効果はどれくらい違うのか。従来の抗がん剤治療の場合、進行した肺がんではがんが小さくなった患者は約3割だった。
・これに対しプレシジョン・メディシンでは、あらかじめ効果が見込まれる患者に絞り込んで投与する。代表的な肺がんの分子標的薬の場合、がんが小さくなった患者は約7割。高い確率で効くことが期待できる。
・遺伝子の解析結果を待つ瀨原さん。妻の直子さんが営む店で町内会の仲間にプレシジョン・メディシンへの期待を語っていた。
すごいスピードでいろんなことを研究している(瀨原さん)
・瀨原さんのような肺がんでは、現時点で16の遺伝子の変異に対し延命の効果が期待される分子標的薬が存在している。期待する遺伝子変異が一つでも見つかれば、新たな治療の可能性が開ける。
結果が出なかったら冗談じゃないってなるかもしれないけどさ。遺伝子がどうのこうのって俺に効いてくれれば、ものすごくいい(同上)
少しでもいい方に出てくれればいいよ。これなら大丈夫です。薬で治りますって言ってくれればね(直子さん)
・結果が出るまであと3週間。
<ステージ4の肺がんと診断された女性 がんが縮小する薬が見つかった>
・プレシジョン・メディシンによって新たな薬が見つかり、命を繋いでいる人がいる。大野さとみさん(48)は4年前、進行した肺がんと診断された。
ステージは、いきなり4と言われた。「手術はできないところにあります」と(大野さん)
・肺にできていたがんは68ミリ。医師からは余命は2年と告げられた。4種類の抗がん剤を投与し治療を続けたが、十分な効果は得られなかった。
・がんと診断されてから9か月後、医師の勧めで遺伝子解析を受けた大野さん、RETという遺伝子に変異が見つかった。しかしこの遺伝子変異のタイプに効く肺がんの薬はなかった。
・そのとき医師からある薬が示された。甲状腺のがんの分子標的薬だった。実は大野さんから見つかったRET遺伝子の変異は既に甲状腺がんで見つかっていて、薬も存在していた。同じRET遺伝子の変異なら同じ薬が効くのではないか。そう考えられ、臨床試験が始まった。1か月でがんは68ミリから48ミリに縮小。2か月後には更に小さくなった。
ほんまに小さくなって、このまま消えてしまうんちゃう、先生って。すごいとしか言いようがない。ありがたい(同上)
明らかに小さくなって、間違いなく効いていると思える。よかったねと。薬を届けて本当にこういうことが起こると分かった最初(の患者)なので、非常に嬉しかった(兵庫県立がんセンターの里内美弥子呼吸器内科部長)
・肺がんの大野さんは甲状腺のがんの薬が効き、当初2年と言われていた余命をはるかに超え、5年目を迎えている。
・これこそが今、起きているがん治療革命の成果なのだ。これまで臓器別に薬が考えられてきたがん治療。遺伝子変異別に最適な薬を選ぶことで、より長く生きることが期待できる。
臓器の縦割りではなくて、遺伝子変異に基づいた横割りの治療開発がプレシジョン・メディシンの基本。がんの原因となる遺伝子異常が見つかれば、肺がんでも大腸がんでも一番合った治療薬を使うと非常に有効性が高い。さらに個別化していくのがプレシジョン・メディシンの基本の考え(後藤氏)
<プレシジョン・メディシン そのメリットは?>
・スタジオでは原千晶さんと間野博行さんが対談した。
・タレントの原千晶さん(42)は、30代で子宮頸がん・子宮体がんを経験。患者会を主催し自らの体験を伝えている。
・間野博行氏は、国立がん研究センター研究所長、東京大学大学院教授。肺がんの原因遺伝子の1つを発見した。
原:私、自分自身ががんを2度経験していて、子宮のがんだったんですけど、本当に今までのがん治療とはだいぶ違うなっていうふうに思ったんですけども。
間野:今までの治療はそれぞれの臓器別に、肺がんとか大腸がんとか臓器単位で薬が選ばれていたけど、これからはそうではなくて、がんを起こしている遺伝子によってがんを分類するという時代に入ったと思います。その遺伝子以上に対応した薬を使うことができるので、治療の有効性が予測しやすいのがプレシジョン・メディシンの最大のメリットだと思います。
原:それ一番、患者側からすると知りたい部分で。例えば私だったら子宮体がんだったので、体がんの患者さんにはこの抗がん剤ですよっていうのがいくつか決まっていて「じゃあ、これにしましょう」って決まっても、それが確かに効果があるかどうかということはやってみなければ分からないと言われながら、副作用に苦しみながら治療しました。
プレシジョン・メディシン、もし私がそのとき適用でやってたとしたら、この薬は効きますよ、効果が期待できますとか…。
間野:がん治療の考え方が根本から変わった。プレシジョン・メディシンは必ずしも、がんだけを意味するわけではないんですけど、がんの分野が圧倒的に進んでいるんですね。
原:プレシジョン・メディシンを、もし私が適用で使ったとしたら手術をしなくてもよかったということはあるんでしょうか?
間野:今の段階では、やはり手術に勝るがんの治療はないと思いますね。
原:じゃあ第一選択としては、やはり手術がまず最初にある。手術ではなく放射線を適用する場合もあったり。その先にプレシジョン・メディシンがあると。
間野:そうですね。これまで使われてきた抗がん剤というのは今後も重要ですけれども。でも今までの抗がん剤は実際に投与してみて、例えば2割の人が効いたとか3割の人が効いたというふうに、使ってみないとその薬の効果は分からなかったといのが本当のところですし、また今までの抗がん剤は増殖する細胞を殺しますから副作用が大きかった。髪が抜けたり、吐き気が出たりするんですね。ところがこれからは、がんの原因となっているタンパク質を見つけて選択的に抑えるような薬を、がんの分子標的療法というんですけど、それを使うようになってきましたから比較的副作用が少なくて、がん細胞だけを殺すことができる時代になったと思います。
今のがんの分子標的薬は余命を延ばすことができるのは確実に言えます。ただ副作用はみんな同じようではなく、そんなに頻度は高くないですけども重篤な副作用が出ることもあります。
※分子標的薬はまれに重篤な副作用が出ることもある。
原:遺伝子解析をすると誰にでも薬って見つかるんですか?
間野:残念ながらそうではないんですね。(同上)
・遺伝子解析をすることで分かる、がんの原因となる遺伝子変異。最も研究が進んでいる肺がんの場合、全体の半数余りにあたるEGFRとALKという遺伝子に変異がある患者には既に保険適用の薬がある。KRAS、MET、ROS1、RETなどに該当する患者には効果が見込まれる薬はあるが、まだ臨床試験段階。残り2割の患者の多くは、そもそも原因となる遺伝子変異が特定できていないため薬がない。
・実はがんの原因となる遺伝子の変異を特定することは容易ではない。がんに関わる複数の遺伝子変異が同時に起きていて、どれが直接の原因なのか特定するのが難しい場合があるからだ。
間野:特に肺がんの中の腺がんは最もよくがん遺伝子が研究されて発見されてきているがん腫なんですね。必ずしも他の固形腫瘍でこれほど多くのがん遺伝子は分かっていませんので、その他のがんの場合には臨床試験が行われているのは少ないパーセンテージである可能性もあります。
原:プレシジョン・メディシンを受けたい場合は実際にどのような手順を踏んでいけばいいのでしょうか?
間野:スクラム・ジャパンに参加している施設の外来を受診されて、それで自分の遺伝子変異について解析してほしいというふうなことを仰るのが一番。それから今では大学病院でもいくつかの施設で始めていますので。ただそれは今のところ保険適用ではないですから、たぶん自費診療という形で診断を受けることになると思います。
※SCRUM-Japanウェブサイト→http://epoc.ncc.go.jp/scrum/
<プレシジョン・メディシン 始めた病院>
・臨床試験の枠を超え、一般の患者に向けてプレシジョン・メディシンを始めた病院の一つ、北海道大学病院。プレシジョン・メディシンを取り入れて半年、62人の患者の遺伝子解析を行ってきた。
・保険がきかない自由診療のため、検査費用は約40万円から100万円。これまで29人に効果が期待できる薬を紹介してきた。
・医師に紹介された分子標的薬で治療を始めた子宮体がんを患っている水野悦子さん(58)。使っているのは乳がんや腎臓がんの薬だ。子宮体がんの治療に使う場合には保険が適用されないため、毎月の薬代は90万円に上っている。
いつも病院に来るたびに高いお金を払っているから、主人に申し訳ない。金銭的に余裕がなくなったら、望みがあるのに諦めざるをえない(水野さん)
奏功例(効果が大きい例)には資金的な補助制度ができることが望ましい(北海道大学病院がん遺伝子診断部の林秀幸医師)
<プレシジョン・メディシン 保険適用への道は?>
原:せっかく薬が見つかりました、見つかったとなっても保険が適用されていないということで毎月かなり高額な治療費を払わなければいけないという。しかも薬もやめることもできないというような。でもやっぱり患者さんは治りたいというその一心で皆さん受けられたりされて…。
間野:新しい薬ですから、やはり日本人で有効性が確認できないと薬の承認は難しいと思います。ただし保険の適用外の薬を違うがん腫に応用することも、昔に比べると厚生労働省もPMDA(医薬品医療機器総合機構)も積極的になっていますので、これまでよりはすごく少ない患者さんの数の臨床試験でそれを認めてくれるようになってきていると思いますね。
原:今後はそういった部分ではいろいろ期待ができてくると。
間野:今後は例えば臨床試験の在り方も変わっていくと思うんですね。臓器別から遺伝子変異別へ実際に起きていくと思われます。
原:これまでは諦められていたことが、その本当に小さな光をふっと拾い上げてくれるような、そんな感覚ですね。
<プレシジョン・メディシン 推進するアメリカ>
・日本では始まったばかりのプレシジョン・メディシン。強力に推し進めている国がアメリカだ。去年1月、オバマ大統領はプレシジョン・メディシンを今後の医療の柱にすることを宣言した。
私たちが本日立ち上げるプレシジョン・メディシン政策は、今後の医学的な発見の礎となるでしょう。がんを引き起こす遺伝子を特定し、がんに打ち勝つためにその知識を使おうではありませんか(オバマ大統領)
・既にプレシジョン・メディシンは全米に広がっている。がん専門に遺伝子解析を請け負うファンデーション・メディシン社(マサチューセッツ州)。各地の病院から年間4万人分のがん細胞が送られてくる。
・遺伝子変異のタイプ、承認薬、他の臓器で承認されている薬、臨床試験の有無など詳細な情報を担当医に伝えるサービスを行っている。
今や我が社の遺伝子解析サービスは、大都市から地方の町まで全米各地に広がっています。地域の小さな病院が最大の顧客になっています(ファンデーション・メディシン社のデイブ・ダリー最高商務責任者)
・拠点となるがん専門病院では、遺伝子データの蓄積に力を入れている。メモリアル・スローン・ケタリングがんセンター(ニューヨーク)では既に1万3000人を超える患者のデータを蓄積。がんの原因となる遺伝子変異を新たに見つけたり、薬の開発に繋げたりしている。
常に新しい発見があります。1000人の患者のデータでは分からなかったことが、1万3000人のデータを見ると分かってくるのです(メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのマーク・ラダニー博士)
・膨大なデータの蓄積とプレシジョン・メディシンの進展によって、これまで治療が難しかった患者に希望が見え始めている。ジャズシンガーのメアリーアン・アンセルモさん(60)は脳腫瘍の一種であるグリオブラストーマと呼ばれる極めて悪性のがんで、患者数が少なく効果的な治療法はなかった。
・遺伝子を解析したところ、BRAFという遺伝子に変異が見つかった。そこで同じBRAFの変異が原因となる皮膚がんの一種メラノーマの分子標的薬を試すことになった。この薬が効いて、2年経った今もがんは縮小したままでいる。
私が言いたいのは、希望はあるということです。だって今は、がんの遺伝子まで解析できる時代なのですから(アンセルモさん)
・さらに次世代のプレシジョン・メディシンが動き出している。ノースカロライナ大学の病院では、プレシジョン・メディシンと人工知能を融合させた。IBMが開発したワトソン、この2年で驚くべき成果を出した。
私たちが原因となる遺伝子変異を見つけられなかった患者の3割にワトソンは変異を見つけ出しました。本当に驚きました(ノースカロライナ大学のウィリアム・キム博士)
・ワトソンが成果を上げたのは、通常の遺伝子解析でがんの原因となる遺伝子変異が特定できなかった患者の治療。肺がんの遺伝子変異のグラフでいえば不明にあたる患者。複数の遺伝子変異が起きていて、どれががんの原因になっているのか特定が難しいケースだ。
・一方で、年間10数万件発表されるがんの論文の中には遺伝子変異の特徴や、どの薬がどの遺伝子変異に効果があるなど新たな情報が記されている。
・そこでワトソンに2300万件以上の論文を学習させた。その上で遺伝子変異が特定できなかった患者のデータを読み込ませた。すると論文と照らし合わせて、いくつもの遺伝子変異の中から最も可能性が高いものを特定、さらに最適な薬を選び出した。
これは膀胱がんの患者のデータです。ワトソンはPTCH1という膀胱がんでは稀な遺伝子変異が原因であることを見つけ出しました。その変異に対する薬も探し出したのです。ビッグデータは非常に複雑で、人間が答えを導くのには限界があります。人が1日に読める論文は1つか2つです。ワトソンは人間では対処できない問題に答えを出してくれるのです(同上)
・プレシジョン・メディシンを進めるアメリカ。その背景には膨らみ続ける医療費の抑制という政府の狙いがある。分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤など今登場している新しい薬は価格が高いものが多い。例えば免疫チェックポイント阻害剤ニボルマブの場合、アメリカでは1人あたり年間約1600万円もかかる。これに対しプレシジョン・メディシンを使えば、あらかじめ効果のある患者を選んで投与できる。
遺伝子変異と薬の関係が分かってくれば、効果が期待できない薬は使わずに済みます。そうすれば不必要な医療費の削減に繋がると考えています(アメリカ国立がん研究所がん治療・診断部門部長のジェームズ・ドロショー博士)
<プレシジョン・メディシン 人工知能の可能性>
原:ワトソン、すごいですね。やっぱり人工知能を使うと救われていく患者さんというのは増えていきますよね。
間野:がんの遺伝子を調べると、遺伝子変異って実はすごく多いんですね。それがどれが本当のがんの原因で、どの変異が治療選択に有効なのかというのを決めないといけないんですね。そのために例えば膨大な文献情報を調べるというのは、やはりコンピューターが得意とするところなので人工知能が薬を知らせてくれる。
原:やっぱり人間の知能というか、データの蓄積量だったりとかというのは、どうしても限界があるなというのは感じますものね。
間野:もちろん最終的な判断は医師になりますけど、人工知能が医師の判断を助ける時代に入りつつあると言えます。もちろんそれがさらに進化して比較的安い値段で使えるようになると、いろんな病院でのがんの治療にもたぶんそれが使われるようになるでしょうし、将来性はすごくある分野だと思いますね。
<遺伝子解析 患者の結果>
・遺伝子解析を受けた瀨原さん、結果を聞く日が来た
今の医学っていうのは何とかなるもんだよ。これだけ進んでいるんだから(瀨原さん)
・解析結果が伝えられた。
結論は全部「陰性」です。期待した何らかの遺伝子異常があったらそれに対する新しい薬と思ったんだけど、それはなかったです(主治医)
・薬が存在する遺伝子変異は見つからなかった。
一応、全部調べてくれたんだけど該当しないって。もうはっきりしたからね(瀨原さん)
少しでも明るい返事が聞きたかったけど、やっぱりと思った。だめだったんだなって。しょうがないですよね、これは(妻・直子さん)
・プレシジョン・メディシンによって最適な薬に出会う人がいる一方で、現状では薬がないことが明らかになってしまう人もいる。
<薬が見つからない患者 どう支えるか>
・遺伝子解析を受けたにも関わらず、薬が見つからない患者にどう寄り添うか。北海道大学病院では新たな試みを始めている。薬がないと医師から告げられた患者に話しかけたのは佐藤千佳子さん。メディカルコンシェルジュと呼ばれるスタッフだ。期待通りの結果が得られなかった患者や家族の心のケアを担当している。
これで診断部とお別れじゃなくて、このままずっと続いていると思っていただいて、時折、近況報告もいただくとか。奥さんとけんかして誰にも言えないということでも結構ですし(佐藤さん)
・定期的に患者と連絡を取り、不安になりがちな患者と家族の心を支えている。患者を励まし続けるのには大きな理由がある。近い将来、新薬が登場する可能性があるからだ。実際、治療薬がなかった患者に対し3か月後、新しい分子標的薬が承認されたと伝えた例がある。
長期戦なんですね。そのとき薬がなくても後から薬が出たときに連絡を取らなくてはいけない。そのときにどんな方だったか覚えていないと、お話がスムーズにいかないということもあるので(同上)
・プレシジョン・メディシンを進めるプロジェクト、スクラム・ジャパン。集めた遺伝子変異の情報を新たな薬の開発に繋げようとしている。遺伝子変異のタイプが分かれば、がん細胞の異常な増殖を促すタンパク質のタイプも特定できる。そのタンパク質をターゲットに、新たな分子標的薬を開発していこうというのだ。
・遺伝子解析で薬が見つからなかったとしても、それは治療の終わりを意味するのではなく、新たな薬の誕生に繋がる可能性がある。
<明日に向かって歩き出す>
原:今、適用する薬がないというふうに告げられても、とにかく諦めないということなんですね。
間野:次々といろんな薬の臨床試験がスタートしていますから、そうすると自分のがんの遺伝子変異のデータを持っていると、そこに合えばその臨床試験にすぐに参加することができる。だから治療法がなくてもそれが終わりではないというふうに考えられますね。
原:実際どのぐらいのペースで新薬が開発されてたりするのですか?
間野:今は1~2年ぐらいで臨床試験に入っていくことも稀ではなくなってきているので、非常に多くの薬が臨床試験に入っている時代です。
原:私たちが思っている以上に日々、新薬が開発されているということなんですね。
間野:絶対これからのがん治療はプレシジョン・メディカルの方向に進むことは間違いない。単にがんの治療薬の選択だけでなく、医療体制そのものが大きく変わる。診断法にしてもそうですし、臨床試験の在り方もそうですし。心のケアなんかも大事でしょうし。これからさらにその流れは大きく変わっていくというふうに思われます。ですから、がんの患者さんには期待を持てる時代になったといえると思います(同上)
原:自分が実際がんを経験したときに、もう訳が分からなくて…自分を責めてみたり、そういったことがしばらくあったんですけど、今はここまではっきりとその原因ということを究明し、これ(遺伝子変異)が自分が闘うべき敵で、向き合っていけば希望が見えてくるという時代になってきたんだということですよね。
間野:ものすごいスピードで変わっていってますから、5年後にはすごく変わっていると思う。
・遺伝子解析で効果が期待される薬が見つからなかった瀨原さん。従来型の抗がん剤の臨床試験に参加することにした。医師からは「効果が出ず、副作用だけが起きる可能性もある」と言われている。それでも効果が高い新薬が出るのを待とうと自ら参加を決めた。
(副作用が)怖いなんて言ってたら前に進んでいかないし。やるだけのことをやってみてそれで結果だよ、どうなるかね。いいように考えよう。それしかない(瀨原さん)
・プレシジョン・メディシンによって薬が見つかった大野さん。この日、CT検査を受けに来ていた。リンパ節への転移が見られた。薬の効果の持続には限界がある。しかし大野さんのRET遺伝子の変異には複数の分子標的薬があり、次の臨床試験に参加できることになった。彼女の持つRET遺伝子の変異に効くもう一つの分子標的薬を服用した。
こういう新しい薬が出てくると希望が出てくるので、RETという遺伝子を見つけてくれた先生に、ほんまにもう感謝ですよね。こいつ(薬)が頑張ってやっつけてくれると思います(大野さん)
・今、急速に進むがんの新薬開発。そしてプレシジョン・メディシン。がんになっても長く充実した人生を過ごせる時代を目指して、大きく動き出している。
(2016/11/21視聴・2016/11/21記)
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【大河ドラマ】真田丸・第46話「砲弾」
【大河ドラマ】真田丸・第46話
「砲弾」
(NHK総合・2016/11/20放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/
<感想>
タイトルの「砲弾」。家康が用意させたイギリス製のカルバリン砲が火を噴きました。史料で伝えられている通り、茶々の侍女たちが犠牲になりました。ちなみに非戦闘員への攻撃はハーグ陸戦条約で禁止されていることですが、1614年の出来事ですので285年後(1899年)の条約が通用するはずがありません。
こればかりは真田丸があっても、ひとたまりもなかったでしょうね。限りなく降伏に近い和睦…ということで、来週は進むのでしょうね。佐助がカルバリン砲を奪い取り、真田丸から茶臼山を火の海にするなんていう話になったら脚本家を大賞賛しますが(苦笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・大坂城は三十万の徳川軍に包囲された。南の出城真田丸に立て籠った信繁は、迫り来る敵兵を、知略の限りを尽くして、撃退する。
・茶臼山に本陣を敷いていた徳川家康(内野聖陽)は、真田幸村(堺雅人)が築いた「真田丸」に苦戦を強いられていたことに苛立っていた。
・豊臣秀頼(中川大志)は、この機に乗じて徳川本陣を攻めようと言うが、幸村は城を守ることに徹するべきだと言う。
・家康は兵たちに休みなく鬨の声を上げさせる心理作戦に出る。城内に動揺が走るが、幸村たちが収めようとする。
・真田信之(大泉洋)は大坂に出向こうとするが、出浦昌相(寺島進)が現れて引き止める。
・徳川勢が攻めてこないことに後藤又兵衛(哀川翔)や毛利勝永(岡本健一)は苛立つ。
・家康は真田信尹(栗原英雄)を呼び出し、幸村を調略するよう命じる。二人は再会し酒を酌み交わす。家康の誘いに幸村は乗るはずもなかった。
・織田有楽斎(井上順)は密かに本多正純(伊東孝明)と内通していた。和睦を持ちかけられた有楽斎は主張、大蔵卿局(峯村リエ)も同調する。
・様子がおかしいことに気づいた幸村は、佐助(藤井隆)に有楽斎の内情を調べさせる。
・幸村は茶々(竹内結子)に会い、秀頼に和睦しないよう説得してほしいと頼む。
・秀頼は和睦に傾いていたが、茶々は猛反対する。
・一方、後藤や毛利たちは幸村に内緒で夜討ちをかけることにした。長宗我部盛親(阿南健治)から話を聞いた幸村も参戦、奇襲は成功した。
・徳川軍にイギリスの大筒が到着した。家康は片桐且元(小林隆)を呼び出し、大坂城の茶々の居室を聞き出す。
・そしてそこを狙って最新鋭のカルバリン砲から砲弾が撃ち放たれた。その一発の砲弾が多くの人々の運命を狂わせる。
・茶々の目の前で侍女たちが崩れた天井の下敷きになった。
<真田丸紀行>
・高知県高知市。毛利勝永は関ヶ原の戦いで敗れた後、土佐の山内家に預けられた。勝永の屋敷は久万山の麓にあったという。
・豊臣の譜代大名だった勝永は、山内家から1000石の領地を与えられていたと伝わっている。
・しかし大坂の陣に参戦するため、密かに久万川から船で大坂城に向かった。
・このとき残る家族を案じる勝永に、妻は「心配ならば我らは命を絶ちましょう」と励ましたという。
・後年、毛利家は山内家に勝永が大坂の陣で着用したと伝わる兜を譲っている。
・義を重んじた毛利勝永は、信繁とともに大坂五人衆の一人として家康に挑むことになる。
※山内神社(山内家歴代藩主が祭られている)(とさでん交通「県庁前」下車 徒歩5分)
※中久万地区(毛利勝永屋敷跡と伝わる)
※毛利勝永所用の兜(高知県立高知城歴史博物館蔵)
(2016/11/22視聴・2016/11/22記)
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※関連ページ
第45話「完封」
第44話「築城」
第43話「軍議」
第42話「味方」
第41話「入城」
第40話「幸村」
第39話「歳月」
第38話「昌幸」
第37話「信之」
第36話「勝負」
第35話「犬伏」
第34話「挙兵」
第33話「動乱」
第32話「応酬」
第31話「終焉」
第30話「黄昏」
第29話「異変」
第28話「受難」
第27話「不信」
第26話「瓜売」
第25話「別離」
第24話「滅亡」
第23話「攻略」
第22話「裁定」
第21話「戦端」
第20話「前兆」
第19話「恋路」
第18話「上洛」
第17話「再会」
第16話「表裏」
第15話「秀吉」
第14話「大坂」
第13話「決戦」
第12話「人質」
第11話「祝言」
第10話「妙手」
第9話「駆引」
第8話「調略」
第7話「奪回」
第6話「迷走」
第5話「窮地」
第4話「挑戦」
第3話「策略」
第2話「決断」
第1話「船出」
※真田ゆかりの地関連
【ブラタモリ】#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~
【ブラタモリ】#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~
※関連ページ(真田一族関連)
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の半生
【歴史秘話ヒストリア】徹底解明!これが“真田丸”だ
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 前篇
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 後篇
【ETV特集】わたしのCasa(家)~“日系異邦人”団地物語~
「わたしのCasa(家)~“日系異邦人”団地物語~」
(Eテレ・2016/11/19放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
<感想>
静岡県磐田市にある団地で暮らす日系外国人たちを追ったドキュメント。非常に考えさせられることの多い内容だったと思います。
団地で暮らす外国人向けのアンケート調査では9割近くが工場などの生産現場で労働していて、しかもバブルの時期は人手不足を補うように「定住者」として来日した彼ら。そしてその多くがリーマンショックのときには解雇させられたといいます。派遣会社の社長が言った「日本は労働力は欲しいけれども生活者としての人間は欲しくない国だ」という言葉が突き刺さるように重いものでした。
企業にとって派遣労働者の人件費は「物品扱い」となります(会計上)。そしてその考えが文字通り、人を人として見ずに「コスト」として見ることになります。そして企業はコストを最大限に抑えようと考えます。その行き着く先が外国人労働者ということなのでしょう。日本人よりも文句を言わずに働かせることができて、景気がちょっとでも悪くなればいつでも解雇できると思っているからです。そして消費者である私たちは、自動車や電化製品・電子機器などを出来るだけ安い値段で欲しいと思っている現実があります。
そうした企業と消費者の狭間で、景気の波に翻弄されているのは彼らのような人たちだということを認識すべきだと思います。「物が安く買えた、ああ良かった」で済ませてはいけないわけですが、それでもわざわざ高い物を買う消費者は少ないでしょう。
私は人を人と見ないような企業に未来はないと思っています。しかしそんな企業も実は元請けから相当ギチギチに絞られているなんていう実態があるわけです。
だからこそ、企業の活動をきちんとルールに則って行わせるのが「政治」のやることだと思います。もちろん日系人への処遇も経済界の都合ではなく、彼らの立場にたったものでなければならないはずです。
そしてもう一つ私が印象に残ったのは、日系ペルー人のマリアさんの言葉です。息子の朝彦さんがラップでデビューを目指すために頑張っている姿を見て、彼女はこう言いました。
開けようとした扉が開かなければ、別の扉を探せばいい。みんなチャンスを持っています。10枚だって扉をたたいてみればいい。いつかは開く扉に出会えます。扉は言うでしょう「どうぞ」
沖縄からペルーに渡った彼女の祖父の教えが背景にあるということですが、私も素敵であり力強い、その言葉から元気を貰えたような気がしました。
そんな彼らの未来の扉が明るく開かれていくことを願うばかりです。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・団地で恒例の朝市、スペシャルな企画が用意されていた。歌うのは団地住まいの外国人、初めて聴くラップのリズム。
・静岡県磐田市の東新町団地は、住人の半数以上が外国人。残りの日本人は高齢者が多い。外国人の多くは日系南米人、かつて日本からブラジルやペルーに渡った移民の子孫。豊かさを求めて先祖の母国・日本へやって来た。
・しかし待っていたのは、不安定な仕事や偏見で曇った眼差し。その生活は闘いだ。国と国の狭間で迷いながら暮らす人たち。みんな生きる拠り所「Casa」(家)を探し求めていた。
<日本生まれでペルー国籍の男性>
・団地の片隅で職を探す若者。ウォン朝彦さん(19)は日本生まれで国籍はペルー。工場で働く父親と二人暮らしだ。母は祖母の世話のためペルーに戻っている。
・昼下がり、朝彦さんは団地の仲間と集まった。ラップグループ「Green Kids」。「Green」は団地の周りに広がる田んぼのことだ。
・グループのルールは、ちゃんと仕事すること。活動費を出し合いデビューを目指す。朝彦さんは自分が生まれた日本で夢を叶えたいと思っている。
働いて頑張れば絶対やりたいこと、自分の目標、確実に叶えられると思うので日本は。日本で生きていきたいです。ペルーは多分無理なんで日本が一番いいです(朝彦さん)
・2015年11月、この日は朝彦さんが待ちわびた日だった。母・マリアさんがペルーから帰ってきた。久しぶりの団地、父・ビクトルさんが仕事を休んで部屋で待っていた。
ああ、嬉しいです(ビクトルさん)
これからは、うちに料理人がいるから嬉しいって言ったら?(マリアさん)
・マリアさんは日本人の祖父を持つ日系3世。その繋がりを頼って来日した。ペルーにいる母を世話するため、2つの国を行き来している。
心が真っ二つに裂かれているようです。母を残してきたからね。ここにいると楽しいけど(マリアさん)
・1990年、ペルーでは政治が混乱し経済が破綻。インフレ率は7000%を超えた。2人の蓄えは底をつき、治安の悪化に身の危険さえ感じた。91年、日本に渡ることを決めた。
来日当時、残念ながらペルーでは何が起きても不思議ではありませんでした。お金が得られる可能性があったのは、ここ日本だけです。だからその可能性にかけて、こちらに来ようと決心したのです(ビクトルさん)
・決断を後押ししたのは、そのころ改正された日本の出入国管理法(入管法)。日系人に「定住者」という新たな在留資格が与えられた。日本では外国人の滞在や労働に制限がある。しかし日系人は、日本人である1世の配偶者と2世に加え、その配偶者から4世の子どもまでが定住者として長く自由に働くことを許されたのだ。
・来日して25年、主に生活を支えてきたのはビクトルさんだ。従業員の8割を日系人が占めるベアリングの下請工場。毎日8時間、部品を組み立てる。ビクトルさんはこれまで木材加工やマグロの鱗取りなど、いろんな仕事を経験してきた。過酷な仕事もあった。
魚とか海の仕事をやるときが一番つらかったと言ってましたね。手とか全部腫れて手を動かせなくて、お母さんが口にご飯をやったり。そろそろ、もう早く楽させたいとか思いますね。もう56なんで(朝彦さん)
<10年前に来日した日系人の妻>
・月に1度、団地の広場で開かれる朝市。毎回、お菓子を売っている女性がいる。ペルー人のリマ・フォルトナータさん。日系人の夫に寄り添い10年前に来日した。手作りのお菓子は1つ100円、これも大事な収入だ。
・お菓子を売り始めたきっかけは、2008年のリーマンショック。それは、最も不安定な立場で働く外国人に襲いかかった。夫はこのとき失業した。リマさんは自分で出来ることは何でもしなければならなかった。
(リーマンショックの時)工場では日本人が優遇されていました。本当にショックでした。ここで生活していくには、お金がないとどうしようもないですもの(リマさん)
・この日は父の日、子どもたちが集まった。長男と長女は既に日本で家庭を持っている。次男は大学3年生。父の日だというのに「父」は居なかった。日系2世の渡辺ウィルメルさんは去年5月、がんで他界した。リマさんにとって一層多難な日々が続くことになった。
・ペルーでは死者を土葬で葬るが、ここではその文化にのっとって弔うことも叶わなかった。また2人で積み立てた貯金は、5年間の闘病生活で医療費に消えていった。
「何も残してやれなかった。家もない、金もない」夫はそう言いました。私は「黙って、楽しいことを思い出そうよ」と言いました。それが最後の会話でした。でも私は後悔していません。夫が病気になったとき、日本だから治療費の支払いができました。夫は「ペルーだったら俺は1年もたずに死んでいただろう」と言っていました(同上)
・リマさんはお菓子を売り、工場でも働き、さらに清掃の仕事も始めた。今の希望は大学生の次男がプロのサッカー選手になって成功することだ。
ペルーに戻れば一から出直しです。ペルーには家もお金もない。何ができますか。ここには子どもや孫たちがいます。生き残るために仕事を続けます。息子が大学を出るまでは(同上)
<リーマンショックで多くの日系人が解雇された>
・東新町団地に暮らす外国人573人、その多くが自動車関連工場の派遣労働者だ。企業と日系人を繋いできた人材派遣会社。社長の林隆春さんは1980年代後半のバブル期、東海地方を中心に日系人の派遣を始めて事業は成長。延べ6万人を企業へ送り出した。
もうすごかったです。納期が優先で、とりあえず連れてきてくれということで行って、値段も後で決めりゃいいという感じのような仕事までありました(林さん)
・入管法の改正には、バブルによる人手不足が背景にあった。経済界は労働力を確保するため、外国人の在留資格を緩和すべきだと求めていた。定住者の資格でブラジルやペルーから2年で約10万人の日系人が殺到。その多くが製造業などの現場で、いわゆる単純労働の仕事に就いた。
・しかしリーマンショックをきっかけに企業は派遣で働く日系人を次々に解雇した。林社長の会社では派遣していた3000人のうち、2400人が仕事を失った。
企業は年末ですけどね「年明けから来てくれるな」と言うわけですよ。それも100人単位で。「何でみんなおる時に言わんの?」と言ったら「おる時に言うと、いろんな問題が起こるやろうから、みんな追いかけてってね年明けに来るなということを通達してください」と言うわけです。平気で言いますよ日本の企業は。日本はね、労働力は欲しいけれども生活者としての人間は欲しくない国なんだというのはね、彼らの中にしっかり刻み込まれましたよね(同上)
<日系ブラジル人4世の少女>
・2016年1月。団地では新しい世代が育っている。しかしその立場も寄る辺のないものだ。日系ブラジル人4世のアルダ 堤 ジオバナさんの家族。中学3年生のジオバナさんは2歳で日本にやって来た。父は夜勤で工場に勤めている。
・家族は全員ブラジル国籍だ。外国籍の子どもは義務教育の対象ではない。しかし母のニベアさんは子どもたちを地域の公立学校に通わせている。彼女は末っ子を保育園に預けた後、ハンダ付けの工場に向かい働く。
・ジオバナさんはブラジルのことを殆ど知らない。日本人の友達に囲まれて暮らしてきた。
日本に育ってきたけど、絶対日本人のようには見られない。何か「ガイジン」って感じ。小学校のときは机に触ったらすぐ「触らないで」とか言われたり、それが悲しかった。でも私は外国人だけど普通に友達みんな同じって感じ。たぶん「国」じゃなくて「人」だと思う。私は日本に育ってきたから、もうブラジル人だけど日本人って感じ。何か説明しにくい(ジオバナさん)
・ジオバナさんの大好物は、母が作る焼きそば。日本人の祖母から受け継いだ味だ。両親はもうブラジルに帰った方がいいのではないかと悩んできた。中学卒業後、ジオバナさんが日本でどんな将来を送れるのか心配なのだ。
私たちは日本で「労働」はしていますが、とても「職業」とはいえません。好きな仕事ではなく、やれる仕事をしているんです。ジオバナには将来、自分のやりたいことをしてほしいと思っています。娘が日本の大学を卒業し同じ条件を満たしていても、就職活動で「日本人ではない」という理由で不利になるのではないかと不安です。だからこそ娘にはブラジルに行く機会も与えたいのです。娘に両方の国を知るチャンスを与え、彼女自身で将来を選択してほしいと思います(ニベアさん)
・外国人の親は子どもの将来をどう考えているか。団地で初めて行われた意識調査の結果が去年発表された(静岡文化芸術大学・東新町団地アンケート調査)。
・回答した親の仕事は9割近くが工場などの生産現場。しかし子どもには誰一人、自分と同じ仕事を望まず、8割近くが管理職や専門職に就けるよう願っている。
・親の思いを受け止め、ブラジルに行くべきか迷い始めたジオバナさん。気にしていることがあった。
うち、これを見て4世たちの話とか、それから調べ始めた(ジオバナさん)
・ジオバナさんは日系4世だ。入管法の規定で4世には制限がある。
4世のお前は帰国すれば、将来日本に戻りたいと思っても難しい(父・アルチノさん)
それについてパパはどう考えている?(ジオバナさん)
将来お前が戻って来られる可能性は、今の時点では低いと思う。でももしかすると将来、日本も見直しをして4世が入れるようにしてくれるかもしれないね(アルチノさん)
・現状の規定では日系4世は定住者の資格を持つ。しかし「親の扶養を受ける未成年で未婚の子」と限られている。この条件に従えば、ジオバナさんは一度日本を離れて成人すると「定住者」として日本に戻れないことになる。
娘と私を比べた場合、どちらが日本にいる資格があると思いますか?それは娘でしょう。娘は日本語を話せるし、読み書きもできます。4世は殆どが日本で育ち日本で勉強しているので、私たち3世よりも日本の文化をよく知っています。でも私は日本に戻れますが、戻るべき娘は戻れません。それが少し不公平だと思うんです(ニベアさん)
私も4世で、後から日本に戻れるか分からないし、気持ちは二つに分かれていて。ブラジルに行っても絶対日本には戻りたいって思うし、何かブラジルと日本で過ごしたいって感じ。日本に行ったりブラジルに行ったり、それが出来る仕事とかにしたいなと思うし(ジオバナさん)
<日系ペルー人一家、みんな仕事をしているが…>
・ペルーから戻った朝彦さんの母・マリアさん。4年前にもやっていた内職を再びやり始めた。朝彦さんがアルバイトから帰ってきた。ソーラーパネルを設置する現場の仕事。
明日あるか分かんないですよ、仕事。一応事務所には来てって言われているんですけど(朝彦さん)
・中学卒業後、職を転々としてきた朝彦さん。給料の未払いや突然の解雇を経験した。友人たちも多くが工場での派遣労働やアルバイトをしている。
中学卒業した俺で工場。高校までいって何かしらいけたのに結果、俺と変わらん工場みたいな。ずっと一日中、残業やっても、ずっと同じことやって。寝て起きて、ずっとそれです。永遠だと思います(同上)
・両親は毎月、母国に仕送りもしている。
30日の給料日までに4~5日前から現金がないよ。(父・ビクトルさん)
じゃあ私がもっと仕事しないと。少しは楽になるから(母・マリアさん)
僕も働くよ(朝彦さん)
簡単にはいかないな(ビクトルさん)
でも前向きに、前向きに(マリアさん)
日本は好きです。ただ私の国の陽気さと、この国の秩序と技術が合わさればいいんですけど。道を歩いていても、家の植木ですら閉鎖的に見えます。心の内もこのように閉ざされている、そんな印象です(ビクトルさん)
<日系4世の少女はブラジルへ帰ることを決めた>
・日系4世のジオバナさん。日本とブラジル、どちらで進学するか迷ってきた。この日は友達の誕生日、日系人の仲間が集まった。彼女はある決意を打ち明けた。
私、ブラジルに帰ることにした(ジオバナさん)
戻らないの?(友人)
多分もう戻らないよ(ジオバナさん)
高校は?(友人)
(日本の)高校へは行かないよ。働くかはまだ決めてないけど(ジオバナさん)
・ブラジルで一から始める。簡単なはずはなかったが、試してみることにした。12月、ジオバナさんは日本を離れる。
何をしたいか、自分を見つけるために行きたいって思ってる。自分を分かるように行きたい。でも今は帰ることを決めてから、日本も大好きだしって思いが強くなってきた。ガイジンだからって言葉もうやめて、みんな平等に同じように暮らせるようになれるんじゃないと思う。なってほしい(同上)
<ラップでデビューを目指す青年の歌>
・ラップでデビューを目指す朝彦さん。この日やって来たのは、小さなレコーディングスタジオ。プロモーション活動に使うため、初めてソロの曲を収録する。曲のタイトルは「MY LIFE」。これまでの思いを歌詞に込めた。
96年ここ日本に生まれ
記憶は団地の中のまんまで
経験も積み重ね やりたいことやって
今日まで生きてきたのは
楽じゃないってことを証明
金もなくて
でも ここじゃそれが一般家庭
笑顔と飯があるだけで幸せ
そうやって ここのやつら育てられ
Hello underground
俺もドアを開けて握るマイクロフォン
わからないならわからせるぞ
イチかバチか この道に賭けよう
MY LIFE This is My Life
後悔はない
MY LIFE
バカにするのも 今見とけ将来
MY LIFE
泥からスタート 結果ダイヤモンド
MY LIFE
ストリートで学べ そこのワックMC
お母さんが毎回言う「やりたいことは最後まで自分が満足いくまでずっとやれ」(朝彦さん)
(彼は歌手になれるでしょうか?)
実現できます。自分次第です。開けようとした扉が開かなければ、別の扉を探せばいい。みんなチャンスを持っています。10枚だって扉をたたいてみればいい。いつかは開く扉に出会えます。扉は言うでしょう「どうぞ」(母・マリアさん)
<祖父は沖縄からペルーに渡った>
・「最後まで諦めるな」朝彦さんに伝え続けてきた、この家の大切な言葉。その原点は祖父の人生にある。
祖父が持っていたレコードの歌の歌詞です。レコードをたくさん持っていて私たちに聴かせて、長男には踊りを教えていたわ(同上)
・祖父は沖縄県具志川で生まれた。1920年代、海を渡った930人の移民名簿の中にその名が見える。祖父の名は和宇慶朝福さん、22歳でペルーを目指した。彼の人生はひどい苦難の連続だった。
・当時、沖縄は第一次世界大戦後の不況で食糧難に陥っていた。多くの人が飢えて、毒のあるソテツの実を食べ死者が続出した。その惨状は「ソテツ地獄」と呼ばれた。
・朝福さんは新天地を求めてペルーに渡る。何とか農業で資金を貯めて食料品を開くことに成功した。しかし1940年5月、日本人の営む500以上の商店が襲撃される。太平洋戦争が迫り、アメリカと友好関係にあったペルーで日本人は激しい差別を受け、排斥運動にさらされた。
・朝福さんは混迷する状況の渦中、マリアさんの祖母になる女性と出会う。彼女と家庭を築き、ともに困難を切り抜けていった。
「倒れても立ち上がれ。泣かずに進みなさい」祖父はそう言ってました。だから私はつらくて悲しい時は5分だけ泣き、それから自分を叱咤して前に進みます。いつもそうしてきました。祖父は私が今、子どもにしていることの原点なのです。前に進みなさい。頑張れ、くじけるな、できるまで決して諦めるなと。それを朝彦や彼の兄姉に伝えています。息子への教えは祖父から受け継いだことなのです(マリアさん)
<沖縄にいるもう一つの家族へ会いに>
・マリアさんには、ずっと温めてきた一つの計画があった。沖縄に行く計画だ。そのために旅費を少しずつ貯金してきた。
嬉しいです。沖縄にいる家族に会えると思うと幸せな気持ちです(マリアさん)
・朝福さんには、もう一つの家族があった。ペルーに渡る前、沖縄に妻と息子を残していた。彼はペルーにいても沖縄の家族を思い続けていた。そして73歳のとき沖縄の家族のもとに一人帰り、そこで息を引き取った。
・実はマリアさんは、朝福さんの沖縄の家族に会ったことがある。来日した頃のことだった。在留資格の手続きがうまくいかなかった。彼女は沖縄に助けを求めた。朝福さんからいつも「信子」という名前を聞いていたのだ。彼女とは海を隔てた孫同士だった。
・信子さんは駆けつけ、マリアさんに代わり手続きに奔走した。そのおかげでマリアさんは日本での第一歩を踏み出すことができた。
入国審査の事務所から出たとき、信子さんが両腕を広げて迎えてくれた。その光景は忘れられません。大人になって、おじいさんの言っていたことが分かったんです。「私の孫の信子がいる。日本に行きなさい」といつも話していたその意味がね(同上)
・2016年4月、沖縄へ旅立つ日が来た。日系ペルー人3世マリアさん。思えば、ずっと自分の根っこを探してきた。生粋のペルー人でもなく、日本人にもなれない。
・ペルーでは、家財道具を売り払っても生活できなくなった。日本に来ても働きづめの日々が続いている。唯一、温かい気持ちになるのが沖縄を思うときだった。祖父が愛したふるさと、自分を助けてくれた人がいる家。
・沖縄県うるま市。信子さんとの久しぶりの再会。朝福さんの息子・朝彦(ちょうげん)さんは96歳になっていた。朝福さんの最期を看取ったのは信子さんだった。
おじいさんが亡くなるときにね、帳面を持っていったら「のぶこ たのむ」って書いて、これだけだったわけ。何を頼むのかなって長いこと全然もう意味も分からなかったんだけど、いろいろこっち(マリア)の難問にあったとき(マリアに)何かあったとき助けてという意味だと後で分かったわけよ(信子さん)
・遺言は「信子 頼む」。朝福さんは2人の孫それぞれに互いの存在を伝えていた。
・マリアさんには確かめたいことがあった。沖縄の家族は朝福さんが後から築いた自分たちペルーの家族を恨んでいないのか。
ずっと気になってきたことを聞きたいのですが。おじいさんにはペルーにも家族がいると聞いたとき、どう思いました?(マリアさん)
おじいが再婚したことでしょ?それはそんなに考えてないよ。どういう約束でおじいは行ったのか、奥さん呼び出すつもりだったのか、それを私が分からないわけよね(信子さん)
おじいさんはペルーの妻とは亡くなる直前に入籍したんです(マリアさん)
結婚してなかったんだ。同棲みたいに一緒には住んでるけどね。でもおじいさんはペルー行ったっきり沖縄の家族は見捨てたわけではないわけ。ちゃんと援助はしてお金送ったみたいだから。おじいはみんな誇りに思っているのよ。何も悪く思ってないよ、誰も(信子さん)
ペルーで家族をもつために沖縄の家族を見放したわけではないんですよね(マリアさん)
・朝福さんの墓は沖縄にあった。
24年ぶりね、おじいさんごめんね。くじけそうなとき、そばにいてくれると感じています。助けてくれてありがとう。大好きです(同上)
・この日は年に一度の清明祭(しーみーさい)。一族が集まり先祖の墓を守る神々に感謝する。子が子を生み、大きくなった家族がマリアさんを迎え入れた。
朝福おじいさんは海を渡ってペルーへ行き、沖縄へ帰ってきました。二つの家族は海で繋がっています。これが私のCasa(家)なのです(同上)
<青年にとって団地が「Casa」(家)だった>
・朝福さんから「朝」の字を受け継いだ朝彦さん。彼にとってのCasaはこの団地だ。夏場にプールで遊んだという「おじいちゃん」は彼と同じ棟に住んでいた。しかし5年前、倒れて老人ホームに入ったという。
「日本のおじいちゃん」って感じです、自分の。唯一、おじいちゃんが優しかったんで(朝彦さん)
・朝彦さんは時間を作っては施設に向かう。細川洋さん、炭鉱などの仕事を転々とし妻と離婚。辿り着いた家があの団地だった。
何か本当の子どものように思って、これからも一生懸命頑張ってもらいたいなぁと思って(細川さん)
・仕事帰りの朝彦さんたち、市の集会所に呼ばれた。待っていたのは自治会の役員たち。地区副会長の杉田友司さんは長年、町づくりに携わってきた。団地の防災訓練について相談を持ちかける。
ブラジル人と日本人、一緒にしたい感じがね嬉しい。差別されない感じが(男性)
・団地に住む日本人と外国人。心の内をのぞくと、うまく交わっていない。前出のアンケート調査の結果が物語っている。「日本人ともっと関わりたい」と答えた外国人が8割以上だったのに対し、日本人の7割近くは「外国人と関わりたくない」と答えていた。今、団地に住む日本人の約4割が60歳を超える。高齢の日本人と若い外国人の間で付き合い方が難しくなっている。
「あんたは外国人です。私ら日本人です」って、そんな考え方じゃ生きていけないだよと僕は思うだよ。そこはやっぱり隣の人が外国人でね、おったならば、その人にももしか何かあったら、おいちょっとたたくから頼むぜというぐらいの隣人愛というのか、そういうのが欲しいだよ。必要なんだよ(杉田さん)
・2016年7月、防災訓練の日。
おはようございます。今日9時30分から防災訓練が行われます。みなさん参加してください。
・消防車に乗った子どもがポルトガル語でアナウンスした。
・朝彦さんの呼びかけでGreen Kidsの仲間が集まった。率先して力仕事をこなす。災害に備え、心に垣根をつくってはならないとみんなで確認した。訓練には住民150人が参加した。
・沖縄の旅から帰ったマリアさん、翌月から新しい仕事を始めた。水上バイクなどに使われる電気部品の組み立て。ミシンの内職より割が良く、工場の求人に自ら応募した。
あそこ(沖縄)にいたことでフル充電できたし、たくさんパワーをもらいました。今、仕事をする活力になりました。仕事をするぞと(マリアさん)
・同僚とも打ち解けようと積極的だ。
・マリアさんが日本の住人になって四半世紀。その間、東新町団地では多くの日系人が新たに住人になり、そして去っていた者も多かった。
・日本生まれの朝彦さんは今年20歳になった。
あんたはどんどん大きくなって、私は反対に小さくなっちゃったわ(マリアさん)
日本に来てよかった?(朝彦さん)
もちろん。自分が日本人のように感じる(マリアさん)
(2016/11/22視聴・2016/11/22記)
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【明日へ―つなげよう―】証言記録 東日本大震災 千葉県浦安市~液状化の衝撃 水と闘った1か月~
【明日へ―つなげよう―】
「証言記録 東日本大震災 千葉県浦安市~液状化の衝撃 水と闘った1か月~」
(NHK総合・2016/11/20放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/
<感想>
千葉県浦安市の液状化現象については、当時の仕事で現地を行く機会があったので浮き上がったマンホールなどを目の当たりにして、その被害の大きさを実感していました。実際に暮らしていた人たちは上下水道で不自由な生活をされていたのだろうなと推察していたので、今回の番組で生の声を聞くことができました。
復旧が震災から1か月で進んだ要因として当時の関係者の皆さんの尽力もあったわけですが、やはり目標を定めてそこに向けて手だてをとるということが一番効果的だったように思えます。市長が宣言したのは、いわば「はったり」だったというのは、ちょっと身も蓋もない感じはしますが、それでも市民の我慢の限界と工事の納期の限界とを突き合わせて1か月という期限は、まあ妥当だったのかもしれません。
東日本大震災から5年半、その間に熊本・大分の地震もあったり鳥取でも大きな地震があったり、そして決して東北の地震が収束したわけではないということは、この放送があった翌々日(11月22日)にも福島県沖でマグニチュード7.4の地震が発生。1m台だったものの津波が到来するなど、いつでもどこでも再び地震が起こりうる状況であることは間違いないわけです。
液状化の対策も関係者が証言しているように、再び起きたときにどう防ぐのか。住民一人ひとりの利害が異なるという難しい状況とは思いますが。、何とか合意を得られて対策が進むように行政もイニシアチブをとって進めてほしいと思いましたね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・世界有数のテーマパークがある町として知られる千葉県浦安市。都心に近く、自然にも恵まれた人気のベイエリア。4km四方のコンパクトな市内に16万人が暮らしている。
・あの日、浦安では震度5強の地震が発生。道路に亀裂が走った。様子を確かめに出た住民が目にしたのは…。地震が収まって10分ほど。地下から湧き出した泥水は、みるみるうちに広がり道路を川のように流れていった。
・「液状化」という現象。町の至る所が泥沼化、地盤が沈下して家が傾いた。地下では液状化によって水道管が外れ、断水が発生。水を求める市民の行列が早朝から続いた。市役所には電話やメールで問い合わせが殺到した。
・中でも深刻だったのは、風呂やトイレの水を流せないという訴えだった。かつてない大規模な下水道の危機。東京から下水道復旧のプロが駆けつけた。
・マンホールを開けてみると、大量の土砂が下水道管を塞ぐ異常事態。待ったなしの下水道復旧作戦が始まった。最新の技術で挑んだ水との闘い。液状化に揺れた町の1か月を追った。
<昭和50年代に造成された新しい町>
・東京駅から電車で20分。浦安市は埋め立てで出来た町。ベイエリアの環境に魅せられた人々が集う。埋め立ては昭和55年に完了。きれいな町並みが出来上がり、人気が沸騰。毎年のように1万人が移り住んできた。中でも70軒の家が集まる入船地区は、売り出したときの抽選が30倍を超えるほどの人気だった。
・30年ほど前、ここに引っ越してきた佐藤厚行さんと前田智幸さん。どうしても欲しかった夢のマイホームだった。欧米風のモダンなデザイン、まだ珍しかった木造3階建てのタウンハウス。当時30代半ばだったニューファミリー世代のハートを掴んだ。
当時は戸建の家でも何でも茶とベージュ、クリーム色というか、戸建でも基調の色はそっちの色だった。ここは黒と白、グレー、これがモダンな色。見た瞬間に気に入っちゃった(佐藤さん)
俺はね見に来ないで新聞に広告が出た。広告が出てすぐ申し込んだ。バンダナ巻いた女の子が自転車でサイクリングしてるね、そのバックにここがあるわけよ。なんてリッチな暮らしなんだろうって(前田さん)
・引っ越してきた当時は2人とも働き盛り。仕事と子育ての真っ最中だった。憧れのマイホームを手に入れ、希望にあふれていた日々。ご近所も同世代で、家族ぐるみでお付き合い。週末は料理を持ち寄って酒盛りをしていた。
ここの家で飲んでて、そこの酒が全部なくなるの。そうすると隣に行くわけ。
あの頃、元気だったね。夜中の2時3時までやってたね。冷蔵庫の中まで全部分かってますよ。
引っ越してきた頃から家族構成みんな分かっちゃってる。
子どもの趣味から全部分かってます。だから仲よかったですよ、本当に。
・夏祭りには御神輿で盛り上がった。
<大地震で発生した液状化現象>
・しかし、あの日を境に入船地区の和やかな日々は一変した。
田んぼですよ水田ですよ、全部。ここで夏祭りをずっとやってきたんですけど、もうどうにもならない(前田さん)
・敷地の階段は崩れ落ち、通路が裂けるように陥没。土砂が溢れ出した。
ここに亀裂が入ったんですよ。亀裂が入って、こっちが30cmくらいへこんだ。この建物は住めないんじゃないかと思う人が出ても不思議じゃない(同上)
・タウンハウスの建物は地盤沈下で最大30cm傾いた。
お皿に醤油を入れるんですよ。醤油がこぼれていく。テーブルって普通は座っていると相対で話するでしょ。そうじゃないんですよ。向こうが目上になっちゃう。こっちに座っていると、こんな感じになって相手と話すから、食事のときの会話はゼロですよ。みんな黙々と下を向いて食べて終わり(同上)
・液状化で傾いた家、その影響は前田さんの健康にも及んだ。
こういう風にして足踏みするの、同じ所で。だんだん進んでいくんですよ。自分で前行くからって後ろにこうやっても前に進んでいくんですよ(同上)
(三半規管ですか?)
そう。狂ってるって言われて、どうしたらいいんだって言ったら治療方法はない。傾いたままですから家が、夜中になるとガタンガタンって音がする。だんだん壊れていくのが分かるんですね(同上)
・傾いた家をどう直すのか?体を元に戻るのか?不安がどっと押し寄せてきた。
<液状化によって断水となった>
・液状化により大規模な土砂の噴出や地盤沈下が発生した浦安市。その面積は市の4分の3に及んだ。実は液状化が起きたのは、全て海を埋め立て開発した地域だった。
・かつては漁業の町だった浦安。1960年代に東京湾の海底の土砂を掘り上げ、遠浅の海にまいて埋め立て地を造成した。
・埋め立て地の地盤は、通常は砂の粒同士が固く結びついて地下水と混じり合っている。しかし地震で揺さぶられると、砂の粒がバラバラに分かれて泥水のようになってしまう。この状態が「液状化」だ。泥水の水圧は高まり地上に噴出。家屋は地盤にめり込み、傾いてしまう。
・同じ埋め立て地でも地中深くまで杭を打ったマンションでは、液状化による傾きは出なかった。しかし住民は地震の直後から液状化がもたらすもう一つの危機に直面していた。主婦の佐藤惠子さんは、夫と2人の息子の家族4人で暮らしてきた。真っ先に困ったのは断水だったという。
レトルトを買ってきて食べてました。レンジでチンできるようなご飯を毎日のように買っていました(佐藤惠子さん)
・食器が洗えないので近所の主婦たちと相談。こんな工夫をしていた。
(紙皿に)ラップをして、捨てるときはラップだけ捨てればゴミにもならなかったので、紙皿とラップ両方使ってました(同上)
・浦安に来て初めて経験した断水。思いもしない日々が始まった。水道管の破損によって埋め立て地の多くで断水が起こった。
・最も深刻なダメージを受けたのは医療現場だった。ベッド数650、1日2300人の患者が通院する順天堂大学浦安病院。診療や手術前の入念な手洗い、医療機器の洗浄などに使う水は病院になくてはならない必需品だ。この病院で1日に使う水の量は400トンに上る。緊急時に備え、大型の貯水タンクに水を貯めていたが、1日で底をついた。
傷口とか、たくさん洗うほど感染の確率が低下する。我々は十分と思われるぐらいやっていたんですけど、震災時とかの特殊な状況になると患者さんに害がない程度で制限しなきゃいけない。今まで患者にとっていいなと思っていたことを、かなり制限しなければいけない。そこはつらかったです(医師の杉中宏司さん)
・可能な限り節水したが、感染症などのリスクも考えられた。治療をどこまで継続するべきか、ギリギリの判断を迫られた。
<横須賀から船を使っての給水活動>
・一刻を争う水の確保。市の災害対策本部では、元自衛隊幹部の澤畠博さんを中心に対策が進められていた。病院や学校などの公共施設から一般家庭まで水道が復旧するまでの期間、水をどう賄うのかが課題だった。
・市内では水を求める長蛇の列が。給水が始まったが、水を運んでくるのに片道2時間かかることもあった。
大渋滞で当時は。往復のために時間を使ってしまって、住民に配布するための時間が限定されるということは非効率だなと思いました。実は海上自衛隊が横須賀に基地があるんですけれども、実は浦安こういうことだけど海上自衛隊に何かない?そうしたら水船があると。その水船2隻を浦安に回せる可能性があると聞きました(澤畠さん)
・3月13日、給水船が310トンの水を積んで駆けつけた。東北の救援が優先されていた中、浦安への支援命令が下ったのは突然のことだった。
正直、意外でした。東北のことばっかりに目が向いていたので。災害に伴う液状化現象、初めて知りまして。最初に行った日はどこも水が不足していて、とにかくひっきりなしに給水車。陸上自衛隊や民間の給水車の方も来ていた。とにかく24時間作業していたのを覚えています(海上自衛隊横須賀警備隊の上原直哉さん)
・フル回転で始まった給水、2隻の給水船を使っての水の供給は多いときで1日150回を超えた。ホースとの接合部分は消耗して限界に。ポンプも度々故障した。しかし10日間、昼夜にわたって給水。1500トンの水を浦安に届けた。
自衛隊はうちの病院に2人泊まりこんで、車で往復してくれて水を運んでくれたんです。本当に嬉しかったですね(順天堂大学浦安病院院長・当時の髙森建二さん)
・水が届いたことで大学病院は1日1500人の外来患者を受け入れることができた。しかし院内の透析だけは治療を再開できなかった。透析治療は病院で最も多く水を消費する部門。血液を浄化するには15人の患者で7トンもの水が必要だ。給水船からの水が届いても必要な量を賄えなかった。
<下水が使えなくなるという問題が>
・問題はそれだけではなかった。使い終わった大量の水を流す下水が使えなくなっていたのだ。
今度は排水ですよね、実は。大量の水を使いますので排水も大量になる。排水ができなくなったということで、完全に透析はどう考えてもできない状態に陥った(医師の林野久紀さん)
・日頃から容体を見守ってきた患者の治療を断念。苦渋の思いで他の病院に移ってもらうほかなかった。
・市内では水道管だけでなく、下水道管も広い範囲で寸断されていた。キノコのように地上に飛び出したマンホールは120基。市はさっそく下水道の現場調査に取りかかった。
マンホールの蓋を開けてみると、中にはぎっしりと土砂が詰まっていた。
液状化が起きた埋立地は約120kmの下水道管がある。そのうちの半分が砂で実際に埋まっていた。それを取り除かないと、被害状況がはっきり分からない。そういう日々がずっと続いた(浦安市下水道課の堀井達久さん)
・3月13日、浦安市は下水の使用を控えるよう市民に求めた。モダンなタウンハウスが並ぶ入船地区。住民たちは突然の下水の使用制限に戸惑った。
ここはずっとトイレが使えなかった。だからみんな水を我慢するんです。トイレ行かないように。水も我慢するし、食べるのも我慢するんです。でも夜中に我慢できなくてする人いるんだけれど、しょうがいないんですよね。下水が使えないっていうのは結局、水道が出ないのと同じことなんです。流せないですから(前田さん)
バケツとかに捨てるお水を入れて植木に捨ててました。歯磨きの水も植木です。いちいち植木です。こんなに困ることだとは思わなかったです(佐藤惠子さん)
・これまでの地震では、下水道が土砂で埋まった例はなかった。なぜ液状化で被害が拡大したのか。地盤工学の専門家で浦安市などの液状化対策委員を務める東京電機大学の安田進教授。
下水道管、水道管、ガス管いろいろあるわけですが、それによって深さが違うのですが、例えば(地下)2~3mの所に下水管は埋まってます。造るときはパイプを入れて、ジョイントを付けて差し込んでいる。こういった状態で通常埋まっている。パイプが液状化した後は、大きく10倍くらいの振幅で揺れる(安田教授)
・あの日、浦安の地盤は液状化を起こした後も2分ほど揺れ続けた。このとき地下の下水道管に何が起きていたのか。液状化した状態をゲルで再現し、下水道管の模型を埋める。そして震度5に相当する揺れを加える。パイプの周囲は柔らかいゲルに包まれているので大きな圧力はかからない。しかし繰り返し揺すられることで、次第の接続部分が緩んで抜けてしまった。
2分以上長く液状化した状態で揺すられ続けたと。これが今回の被害をすごく大きくした理由だと考えられるわけですね。(同上)
<東京都から救援が到着 復旧工事が始まる>
・市役所には下水が使えない苦情や復旧の目処を示すよう訴える市民の声が殺到した。
復旧作業はどこまで進んでいるんだ。復旧はいつできるんだって問い合わせがすごい多かったです。多いときで1日100~200件は問い合わせあったと思います。明確な日にちが言えないのがつらいところで、いま一生懸命やってますと答えるしかできなかった(浦安市下水道課の大塚康雄さん)
・下水道課の職員は11人。千葉県内の下水道業者も復旧に当たったが、被害は膨大で追いつかなかった。問い合わせの電話は鳴り止まなかった。
・震災から2週間を経た3月26日、浦安市に救いの手が差し伸べられた。東京都下水道局から下水道工事のプロが派遣されてきた。
・自治体の下水道事業は、必要に応じて各地の事業者が協力し合う仕組みがある。そうしたことから東京都は災害の復旧に駆けつけたのだ。
(マンホールを開けてみると)各戸の汚水が全部この本管に入ってきている。ここに土砂が溜まっていますので、宅地内から土砂が入ってきてる(東京都下水道サービスの中屋博行さん)
・家庭で使った水は各家庭の排水管から流される。そこに土砂が詰まっていた。どの家の排水管が詰まっているのか、一軒一軒探していった。
道路の方に出てますけど、場所によっては(宅地の)中に入ってる場合もあった。それを探すのに非常に往生した(同上)
植木を植えてしまったり、後から家の人が盛土をしたり、形態を変えてしまうんです、庭の。そうすると、どこにあるか分からなくなる(大塚さん)
どこにあるんだろうってスコップで掘ったときもありました(中屋さん)
・各家庭の排水管を修理するだけで多くの時間と労力が費やされた。さらに家庭から本管に入った下水は自然の勾配に沿って上流から下流へと流れ、下水処理場へ運ばれる。そのため土砂で本管が1か所でも詰まってしまうと、下水が堰き止められて全ての上流の家で下水が溢れ出してしまう。
特に末端がやられると一番厳しいです。上流の方でやられているなら下流の方は流せますけど。一番下流がやられたので、ここの場合は。するとこの世帯全員が流せない状態になった(大塚さん)
・こうして広がった下水道の被害。今回、使用制限を受けた家庭は最大で1万2000世帯に及んだ。
<下水が使えないことで様々な問題が発生>
・中でも下水が使えなくなって苦しんだのが老人ホーム。避難してきた人を含め400人が暮らしていた。介護を必要とする人や高齢者にとってトイレは何よりも深刻な問題だった。
(何が一番困りました?)
一番困ったのは、お風呂とトイレだね。だって入れないんだもの。体を拭いてもらうんだけど、ちょっと恥ずかしい(加藤悠さん)
(トイレはどうしていたんですか?)
前にやった人の次に私が入ると流れない、詰まっちゃって。職員に言って、トイレが詰まって流れないって。だけど私、我慢できないから入っちゃうんですけどね。誰かが怒ってたね。トイレが流れないって怒ってた(同上)
前に使った方の物が残っている状況で次の方が使うので、精神的に抑圧的な状況になりました。結果として排泄がうまくコントロールできなくなることに繋がりました(浦安愛光園施設長・当時の伊藤智之さん)
・水が届いても水を流せない3週間。この老人ホームでは紙おむつを関連の施設や自治体から集めて、トイレの代わりに使った。
・簡単には進まない下水道の復旧。浦安市は仮設トイレを市内に設置した。しかし次々と欠点が浮かび上がった。災害対策本部で陣頭指揮を執っていた松崎秀樹市長。実際に仮設トイレが使われて、初めて何が問題かを実感したと言う。
トイレの問題は深刻でした。実際、浦安で(仮設トイレを)1000個近く持っている。それをどんどん自治会に渡した。組み立てたら、いろんな問題が発覚する。夜は懐中電灯をつけないと真っ暗だから覆うシートが影絵になる。中に電気があって中で人が動いたら影絵ですよね。防犯上も悪いし、やってる動作が見えちゃう、通行人から。その問題と、風で倒れちゃう(松崎市長)
・連日届く市民からの問い合わせも切実さを増していった。
「ストレスが溜まるばっかりでたまらない」
「もう限界。」
市民は目標が聞きたい。いつまでに何ができるのか。それを聞きたいというのが要望なんです。分かったと、一生懸命やっているのは。我々はいつまで我慢すればいいのか、目標を示してくれと。そしたら我慢できると(災害対策本部の澤畠さん)
<市長が4月15日までに下水道を復旧させると宣言>
・住民の忍耐が限界に近づく中、住民説明会で市長が一石を投じた。4月15日までに下水道を復旧させるという宣言。
(市長自身も1か月以内に復旧をと発表されましたね)
徐々に復旧していったんですが、本当に全部の見通しはいつまでにつくのか想像がつかなかった、正直に言うと。4月15日と宣言したのは、下水道はいつ復旧してくれるかという声が大きかったから、うそでもいいから言っちゃえ日にちを、本当に(松崎市長)
(市長が1か月と言って、できると思った?)
最初はきついな、無理かなと思ってました(下水道課の大塚さん)
無理かなと思いました。だけど日にちを明確にするのが大事。それは後から思った(下水道課の堀井さん)
それに向かってみんなやりますから、努力しますので(大塚さん)
・前例のない液状化による下水道被害。復旧が必要な区間は60kmに及んだ。4月15日の期限に向けて時間との闘いが始まった。
・東京都と浦安市の復旧作戦。蓄積してきたノウハウと新技術を駆使した挑戦だった。最初の課題は下水道管に詰まった土砂をどう取り除くかだった。
・高圧で水を噴射するホースをマンホールから下水道管本管に挿入。その水圧はベニヤ板を砕くほど。土砂が固まっている部分に噴射し、削り取るように泥を一気に押し出す。1日の作業で使う水の量は約300トン、土砂が無くなるまで何度も繰り返し洗浄した。水道が復旧していなかったので、大量の水を運んでこなければならなかった。
水がすぐ無くなる。また汲みに行かなければ。何回も行ったり来たりしなきゃならないので、その間のロスもありました。これでどれぐらいかかるのか、胸突き八丁(正念場)だった(東京都下水道サービスの中屋さん)
・そして復旧の決め手として登場したのがロボットカメラ。管内を360度くまなく映し、破損箇所を見つけ出す。地上から窺い知れない下水道管の内部は?前進していくと、家庭からの排水管がずれ土砂が詰まっていた。さらに進むと今度は本管の断面に大きな破損を発見。本管の損傷を特定する作業を60kmにわたって続けた。
・こうすれば破損箇所をピンポイントで発見。壊れた部分だけを取り替えれば済むので無駄がなかった。期限に間に合わせるために東京都が派遣した作業員は延べ2000人。まさに総力戦だった。
被害の度合いが大きかったので、本当に期限までにできるのか。掃除できるのか。直すところまでいけるのか。みんなが不安があったと思う。でも本当にみなさんの協力でチームワーク組んで達成した(東京都下水道局の秋山真さん)
・4月15日、下水道は市の宣言通り復旧した。
「ご苦労さん」とずいぶん言われました。地元の方に(中屋さん)
・震災から1か月。水が自由に使える生活が戻った。
手を洗いました。気持ちよかったです。これ以上長かったら無理だったと思います(佐藤惠子さん)
最初不思議なんです。トイレでじーっとね自分の流した物、見るんです。あっ流れていくわって感じで。身に染みてありがたさが分かりました(前田さん)
・しかし危機管理監の澤畠さんは、下水道が1か月で復旧できたのは幸運と言うほかないと言う。
たまたま恵まれたんです。東北に行く間隙に浦安を助ける体制を作れただけ。だから次はないかもしれない。防災意識、危機管理意識、これは単なる今回は前兆であって、これからもっと大きな災害が来るかもしれない。実際にもう来ていると。そういうことを継続して思い続けることです(澤畠さん)
<今後、液状化を防止するための対策 住民合意がなかなか進まない問題も>
・震災から5年、平穏な日々が戻ってきた浦安市だが、市民の不安は未だ消えていない。今後も液状化が起きるかもしれないからだ。
多く聞かれるのは、その土地を自分の子たち孫たちにこのままで渡していいのかという思いだという方が大変多かった。自分たちの手でリスクがあるのであれば、そのリスクをしっかり解決してから、なんとか子の代、孫の代に引き渡したいという声は本当によく聞きました(浦安市都市整備部の醍醐恵二さん)
・浦安市が専門家と検討した液状化の対策案。複数の家が集まる区画に壁を埋め込んで地盤を強化。全ての家の参加が前提となる。
・国の復興交付金と市の補助金で工事費用の多くを賄うが、それでも一軒当たりの負担は平均200万円になる。浦安市はこれまで何度も説明会を開いてきたが、住民の意見はなかなかまとまらなかった。
年齢構成も違う。将来の生活設計も違う。そういう中でみんなで進めていきましょうという、この事業の基本的な考えに立ったときには、大変に難しい事業であると我々も考えています(同上)
・将来の液状化を防ぐための地盤改良。ようやく一部の区画で工事が始まろうとしているが、今後の道のりは容易ではない。タウンハウスが並ぶ入船地区でも、液状化対策が5年間にわたって話し合われた。70戸の住民が費用を出し合い、共同でマンションに建て替えようというプランだ。しかし…。
(意見が)分かれて、そこに感情的な対立が出てくる(前田さん)
長屋に住んで顔もよく知って仲良くやってきて、なのに地震があっていろいろあって、復興方法を巡っていろいろ意見が分かれるようになった(佐藤厚行さん)
挨拶しないくらいです。顔合わせて挨拶しない(前田さん)
・液状化による被害は建物だけでなく、そこに暮らす住民の人間関係も壊しかねない。マンションの建設は未だ結論が出ていない。
・それでも地域でともに暮らしていくには、人の絆を取り戻さなければならない。住民たちは2015年、震災以降途絶えていた夏祭りを復活させた。
あーそうだったよな、昔こうだったよなっていう思いは今年の夏祭りでありますよね(前田さん)
少し取り返してきたっていう感じ(佐藤さん)
・現在、奥さんを亡くして一人暮らしの佐藤さんの家に、かつてのようにご近所さんが訪ねてきた。
実は今日も嬉しいことが。朝8時過ぎにピンポンと鳴った。「はい」って出たら、ご近所の方が「昨日のおでんの残りだよ。あんた一人だから、かみさんに持ってけって言われたから」。これは嬉しかったね。ありがたく、お手合わせていただきましたよ、朝食で。嬉しかったですよ。そういうコミュニティをやっぱり作りたいね(同上)
なんてことのない会話、そこに和みがあるじゃないですか。そういう一つずつのことがすごい大事。人間関係なんて空気みたいなもの、全く考えたことなかった。ところが地震があって、人間関係こそ地域の財産だとそう思うようになった(前田さん)
・再び襲ってくるかもしれない液状化。人々はどう繋がり、立ち向かっていくのだろうか。震災から5年、浦安の液状化との闘いはこれからも続く。
(2016/11/23視聴・2016/11/23記)
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【NNNドキュメント’16】コイズミワー~守り人マタギとクマ~
「コイズミワー~守り人マタギとクマ~」
(日本テレビ系列・2016/11/21放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/
<感想>
2週続けて命をいただく仕事に就いている人々を追ったドキュメント。今回は山で猟をする「マタギ」、私も栃木の山奥に旅行で行ったときのマタギを紹介する資料館を見学したことがあり、また旅館で熊肉も食べました。独特の味わいでしたが、冷えた体が温まる美味しい肉でした。
そんなマタギの世界も、やはり後継者問題を抱えているようで若手のなり手がなかなか居ないようです。命の危険があるうえ、それだけで生計を立てることが難しいからなのでしょう。番組で紹介されていた20歳の青年も、実家が民宿と兼業だからそこ跡を継ぐ決意ができたようです。
それでも父や祖父の思いを継ぐ青年の言葉は非常に頼もしいものを感じました。機会があったら、山形のマタギの里にもぜひ訪れたいと思いました。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・今年、全国でクマが里に出没し人を襲った。死傷者は60人以上、人と野生動物の境界が揺らいでいる。
・山形県にそびえる飯豊連峰、クマ狩りに向かう男たち「マタギ」だ。マタギたちは1kmも離れた先にクマの姿を捉えた。
・マタギを目指す20歳の青年、クマ狩りはこの日初めてだった。1発で仕留めたのは先輩のマタギ。クマを撃つ瞬間も解体も目の当たりにした。彼らは山の神に感謝を捧げ、奪った命をいただいてきた。
・「コイズミワー」始まった記録も語源も定かではない雄叫びがある。いにしえより山と生きてきた守り人、マタギの今を見つめる。
<マタギ文化を守っている山形県の集落>
・山形、福島、新潟の3県にまたがる飯豊連峰、標高2000m級の山々が連なる。その山懐にあるマタギの里、小国町小玉川。34世帯99人が暮らしている。今年5月、春の訪れを告げる山焼きが始まった。山菜は昔からマタギたちの収入源の一つだ。
ワラビを出すためにやっている。肥やしにもなるし、こういう木が枯れるから。100年も200年も前から焼いて山を守っている(小玉川マタギの長老)
・飯豊連峰の登山口にある民宿「奥川入」。大きなクマの毛皮が客を出迎える。この家の3代目、元マタギの横山隆さん(79)。宿を取り仕切るのは息子の隆蔵さん(53)。マタギだけでは生活できないため、30年前にこの宿を始めた。孫の拓さん(22)は、この民宿を継ぐ決意を固めている。
・一番の名物はクマの肉を使ったクマ汁。大根と一緒に煮込み、醤油で味付け。それに山菜のアザミ、代々伝えてきた知恵が味の深みを醸し出す。
・隆蔵さんと一緒に小さい頃から山野を駆け回った拓さん、父の背中を見て育ってきた。中学3年生のときの作文には「豊かな山がなければ生きてはいけなくなります。僕は自然の声を聞きながら、この小玉川の地で山を守り、山とともに生活していきたい」。自然の声を聞く、この頃から意識し始めていたマタギの生き方。
(ニワトリが)卵を産まなくなったら自分たちで絞めて食べる。小さい頃から、あまり現代の20歳の文化じゃないが、そういう暮らしをしてきた(横山拓さん)
・昭和10年の小玉川地区の映像が残されている。クマやウサギ、イワナ、山菜やキノコなど自然の恵みをいただき、それを生業にする人たちを東北地方ではマタギと呼んできた。貴重なタンパク源、そして毛皮や薬となるクマの胆など現金収入をもたらすクマ狩りは村の暮らしを支えてきた。
・そのマタギの里、小玉川でさえクマの被害が広がっている。裏庭のナシが食べられた。裏庭に仕掛けたワナに数日後、クマが捕獲された。なぜクマが里に下り始めたのか、40年マタギを務めた3代目はこう言う。
一番の原因はクマの個体数が増えた。猟師が何人もいなくなってしまった。我々が奥の方に行ってやってたクマ狩りの場所に行っていない(隆さん)
・狩りだけでは生きていけず、数十人いたマタギは今12人。マタギが長年果たしてきた役割。
彼ら(野生動物)の暮らしもあるし、私たちの暮らしもある。ともに生きていなかければ、ここの山里の暮らしはできないし、そのためのマタギなんだろうと思います(隆蔵さん)
・去年4月、クマ狩りの前日。20歳6か月の拓さんが見習いとして初めてクマ狩りに同行した。
クマはいい相棒みたいなもの…(同上)
・そしてクマ狩りの朝が来た。片道2時間半の狩り場へと出発。春の山は常に危険と隣り合わせ。狩り場に着いて程なく。
いたぞ。松峰登っている。
・向立と呼ばれる指揮官が全体を見渡し無線で指示を出す。見習いの拓さんは鉄砲組に就く。鉄砲組は4人。
大木の陰でなって(声を出して)みます。
ホーリャー!(勢子)
・勢子が大声を出し、クマを谷から上へ上へと追い立てる。鉄砲組は扇形に広がり、山の上で待ち構える。
(クマが)出かけた(移動した)
・出発して8時間後、撃ったのは一番若いマタギ。クマは体長2m、大人2人でやっと持ち上げられる大物だった。その場で血を抜いて解体し、手分けして里に持ち帰る。拓さん、初めて目にする光景だ。毛皮と頭、そして心臓を山の頂に向けて並べ、山の神に感謝しクマの霊を慰める。
・喜びと感謝を示す「コイズミワー」(アイヌ語の「これを見てください」が語源とも)。いただいた命、マタギたちは全て自分の血肉に変えていく。
<原発事故の影響でクマ肉の出荷が出来なかった>
・しかしお祭りや民宿のお客さんには、クマ肉が出せない異常事態が起きた。2011年、福島第一原発の事故。その翌年、山形県内でクマ3頭から国の基準値を超える放射性物質が検出され、県内全域でクマ肉の流通が禁止された。小玉川のマタギが獲ったクマは基準値以下。それでも肉は冷凍庫に眠らせるしかなかった。小玉川で400年続く「熊まつり」。ここでもクマ汁の提供はできなくなり、観光客は激減した。
出ていない所まで規制をかけて、今まである文化をつぶしてしまうっていうか無くしてしまうっていうのも、いかがなものかな(隆蔵さん)
・クマ肉の出荷制限から3年、マタギたちが夜ごと集まっていた。マタギとしての誇りも奪われ、自らの暮らしも先が見通せない。
お祭りでやっていた当時は3000人、年間来ていたのが今はゼロだとか。試算を出して(賠償金もらえば…)。
補償金もらえばどうでもいいということではない。目的はあくまでも解除して(肉を)利用したいということ。
・去年3月、クマ肉の出荷制限解除を目指し、マタギたちが署名活動を始めていた。国の条件は山形県内35の市町村全てでクマを捕らえ、その肉が基準値を超えないこと。マタギたちは県全体ではなく、地域ごとに規制を解除しえほしいと訴えた。
獲っても意味のないクマになると誰も獲らなくなる。
・出荷制限から4年経った今年3月、マタギたちの訴えがようやく実り、小玉川の出荷制限が解除された。5月の熊まつりでは祭壇に毛皮を掲げてクマの御霊を慰めた。
・クマ狩りの様子を再現し、観光客にマタギの文化を披露した。クマ役は4代目の隆蔵さん、拓さんはクマを追い立てる勢子の役。
・クマ肉が4年ぶりに振る舞われた。名物のクマ汁の復活、観光客が戻ってきた。
やっと元の姿に戻ったかなという感じですね。
・町の宿や飲食店でもクマ肉をつついて、賑やかな夜が更けていった。
<若者へ受け継がれるマタギの心>
・マタギを目指している拓さんは先月、狩猟免許を取るため射撃の検定を受けた。
(マタギが)増えてもらわないと(隆蔵さん)
ただ付いていくだけならみんなサポートする人いっぱいいるけども、撃つこととなればまた別なので、かなり心配(母・尚美さん)
・検定は地元の猟友会のクレー射撃場で行う。25発の弾を撃ち2発が当たれば合格。最後の1発、腕が上がらない。銃を持つことの重み。
どうだ?生まれて初めて撃った感覚は?
何とも言えないですね(拓さん)
・7発が当たり検定は合格。冬を越せば5代目のマタギ誕生だ。山の恵み、そして命をいただき糧としてきたマタギたちの文化。
生き物から生き物じゃくなくなるところを見てきてないっていうことは、ある意味損だと僕は思いますね。自分たちが何を食っているのかっていうことが、まずそれを分かっていないんじゃないかっていう(拓さん)
・親から子へ、守り人の心が受け継がれる。動物も人も自然の懐で生きていく。それがマタギたちの教え。
(2016/11/24視聴・2016/11/24記)
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【にっぽん!歴史鑑定】時代劇 水戸黄門の秘密
【にっぽん!歴史鑑定】
「時代劇 水戸黄門の秘密」
(BS-TBS・2016/11/21放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/
<感想>
水戸駅前にある水戸黄門こと徳川光圀公と助さん、格さん像。もちろん黄門様が諸国漫遊して悪を懲らしめるという話がフィクションストーリーだということは知っていましたが、どうしてそんな物語が生まれたのか、決して偶然ではないということがよく分かる興味深い内容でした。
徳川光圀公が水戸藩で行った善政、生類憐れみの令に明確に反対の意を唱えたこと、それに「大日本史」編纂の史料収集の際に全国各地に御礼状を送ったことが「全国行脚+悪を成敗」という伝説になっていった。確かに頷ける話です。
そして助さん、格さんにもそれぞれモデルがいたというのも面白い話ですね。ちなみにこちらの写真は水戸・偕楽園にある「大日本史」完成記念碑です。明治時代までかかったというのは、黄門様からは「遅いわ!」と喝が入りそうな気がしましたが(苦笑)
さらに若い頃は傾奇者だったり、晩年の不可解な刃傷事件。非常に黄門様にはエピソードに富んだ話がありますね。「水戸黄門」の定番ストーリーもいいですが、史実に沿ったドラマを作っても面白いのではないかと思いましたね。次の次の大河は、薩摩じゃなくて水戸藩でいきましょうよ、NHKさん。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・時代劇「水戸黄門」でお馴染みの名シーン。主人公である先の副将軍・水戸光圀公とは水戸藩2代藩主の徳川光圀のこと。今回は時代劇に描かれた光圀の虚と実を徹底検証。
・世直しのため全国行脚する黄門様は悪代官を懲らしめる庶民の味方。でも若い頃は窃盗に人殺しまで犯した札付きの不良少年だった?
・いつも葵の御紋が描かれた印籠を取り出し正体を明かす黄門様御一行。本当に江戸の人々は家紋で誰だか見分けられたのか。
・黄門様とともに旅をする助さん格さんは実在したのか。謎を解く鍵は、光圀が人生を懸けた書籍の編纂にあった。
<徳川光圀を主人公にした物語とは>
・黄門様こと徳川光圀を主人公にした物語は、江戸時代に既に幾つか作られていた。光圀が亡くなり50年ほどが経った頃に書かれた「水戸黄門仁徳録」は、虚実取り混ぜながら光圀の生涯を描いたもの。幕府要人の陰謀を暴いたりと大活躍している。
・さらに幕末には当時大ヒットしていた十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」に倣って作られた講談「水戸黄門漫遊記」が本にまとめられた。その中には正義の味方・黄門様らしいこんな話が。奥州に向かっていた黄門様一行は、鮫川の渡しで船に乗ろうとする。
・しかし居合わせた伊達藩の飛脚が船を独り占め。これに腹を立てた助さんと格さんは飛脚を川に放り投げて成敗したが、飛脚が怒って反撃してきたため助さんはこう耳打ちする「この方をどなたと心得る。先の副将軍・水戸光圀公であらせられるぞ」。驚いた飛脚はひれ伏し、自らの非道を詫びた。その後、黄門様は代官を呼びつけ叱ったという。
<徳川光圀の生い立ち>
・寛永5年(1628年)6月10日、光圀は徳川御三家の一つ、水戸藩初代藩主・徳川頼房と母・久子の間に生まれた。水戸藩は尾張や紀州よりも官位・官職の点では下だったが、御三家で唯一参勤交代を免除されて、藩主は江戸に常勤していた。そのため将軍家が万が一の際には将軍代理の役目を担うことになっていた(将軍目代)。それが光圀が副将軍と言われた所以だが、実際には副将軍という役職はなかった。
・家康の11男だった頼房を父に持つ光圀は家康直系の孫ということになるが、実は望まれない子だった。頼房は久子の妊娠を知ると重臣の三木之次に堕胎させよと命じた。その理由は諸説あると、日本近世史に詳しい東京大学史料編纂所教授の山本博文氏は言う。
光圀の母・久子が江戸の水戸藩邸で仕えていた侍女の娘で身分が低いため藩主の子としては不適当とされた。ただ当時、3代将軍の家光にはまだ男子ができていなかったので、その前に御三家に男子がいるのはまずいので隠したという説もある(山本氏)
・堕胎の件を任された三木は久子を屋敷に呼び寄せて密かに出産させると、生まれた子(光圀)を自身の子として育てた。そんな光圀が水戸藩主の子であると認められ、水戸城に入ったのは5歳のとき。
・まだ世継ぎを決めていなかった父・頼房は、自分がもうけた男子たちを水戸城に集めさせ、家臣の中山信吉に後継者に相応しい者を選ばせることに。水戸藩に伝わる光圀の正式な伝記「義公行実」には、このとき光圀だけが中山を「爺」と呼び堂々とした態度をみせたため推挙されたと記されている。
<不良少年になってしまった徳川光圀>
・こうして水戸徳川家の世継ぎとなった光圀は江戸・小石川にあった水戸藩邸に移り住むことになったのだが、父・頼房の教育はスパルタだった。飢饉で亡くなった人々の遺体が大量に流れている隅田川を泳ぐように命じるなど、世継ぎとして甘やかされることに慣れてしまわないよう厳しくしつけたという。
・しかし思春期に入った光圀は道を大きく外れてしまう。派手な拵えの刀に突っ込み差しの脇差し。伊達に染めた木綿の小袖に天鵞絨の襟。当時、流行した傾奇者の格好で闊歩するようになった。江戸の屋敷を抜け出して遊郭で遊ぶこともしばしば。
・そんなある日、光圀がいつものように女遊びをしていると水戸藩邸の近くで火事が発生。慌てて帰るも門番が出入りを厳しく監視していて、入るに入れなかった。そこで光圀は消火用の水桶を持っている者を物陰に連れ込んで殴り飛ばし、水桶を強奪。火消しになりすまし「海北孫衛門である」と偽名まで使って藩邸に戻ったとか。
・さらに他所の家の梅が気に入ったと夜陰に乗じて鉢ごと盗んだり、遊郭からの朝帰りに試し斬りと称して無宿人を手にかけ殺してしまったりと、やりたい放題。
・すっかり不良少年となってしまった光圀を守り役の小野言員はこう諌めた。
御三家水戸藩の世継ぎとは思えぬ。
言語道断のかぶき人
いまの行状では
家中の侍ばかりか
領分の百姓らまで
闇に迷ってしまうではないか
皆ため息をつき悲しんでいる
・家臣たちばかりでなく水戸藩中が嘆いているという。しかし光圀が不良少年になったのには理由があった。
自分に同じ母から生まれた6歳年上の兄(頼重)がいたことが、光圀が世継ぎになってから分かった。既に幕府に届けていたので世継ぎは変わらなかったが、光圀はそれが負い目になって放蕩するようになったのではないか(山本氏)
<「史記」との出会いで心を入れ替えた光圀>
・正保2年(1645年)18歳になった光圀は人生を変える中国の歴史書「史記」と出会った。中でも心を打たれたのが「伯夷列伝」のこんな物語だった。古代中国のある小国の君主には伯夷と叔斉という二人の息子がいた。父は弟の叔斉を世継ぎに指名し亡くなったが、弟は兄を敬い王位を譲ろうとする。すると兄は父が決めたことだからと国を去ってしまった。その気遣いに感謝すれども、やはり兄を差し置いて君主にはなれないと弟もまた国を出て行ってしまった。
・光圀は互いに思い合う兄弟の徳の高さに感動。自らの境遇と重ね合わせて不甲斐なさを反省すると、それ以後の行動を改めて人が変わったように勉学に励むようになった。
・やがて父・頼房が亡くなり光圀は2代藩主に就任することになったが、その前に頼重に会いに行き兄の子を養子にほしいと伝えた。光圀は自分の子と交換して兄の子を養子に迎え、次の藩主にしたいと考えていた。
・最初は聞き入れなかった頼重も光圀の意志の強さに負け、提案を受け入れた。こうして34歳で光圀は水戸藩2代藩主に就任。領民のための政策を行っていった。
<徳川光圀の政策(1)水道の敷設>
・まず光圀は緊急の課題であった笠原水道の敷設に取りかかった。水戸城下は埋立地で水質が悪く飲料水不足に苦しんでいたため、全長10kmもある笠原水道は領民たちの大きな救いとなった。
<徳川光圀の政策(2)共同墓地の造成
・光圀はどの宗派にも属さない共同墓地を造成。領民たちが高額な葬儀費用に苦しめられている状況を改善した。
<徳川光圀の政策(3)年貢の改正>
・それまでは郡奉行が村に出向き収穫具合で年貢高を決めていた。光圀はこれを庄屋など村役人に行わせるようにし、経費や労力を削減。賄賂をせびる役人たちより実直な庶民を信じた。
<徳川光圀の政策(4)弱者の救済>
・老人や身寄りのない者の生活保護にも尽力。食料の支給も行った。さらに晩年には漢方書「救民妙薬」を作成。今でいう家庭の医学書のようなもので、これを村々に配布し自分たちでも治療ができるようにした。
・庶民救済のための政策を次々と行っていった光圀の評判は、水戸藩だけでなく全国に知れ渡っていった。名君・光圀は紛れもなく庶民の味方だった。
・家臣たちの話にも耳を傾けた。さらに千寿会という会合を開き、藩士だけでなく他藩の大名から僧侶、町人に至るまで身分を問わず参加させ交流を深めたという。
・しかしこの千寿会には裏の顔があった。時の将軍・徳川綱吉が出した犬などの虐待を禁ずる「生類憐れみの令」。それを快く思っていない者の集まりでもあった。鷹狩り禁止の中、光圀は肥前小城藩主・鍋島元武にこんな手紙を送っている。
ようやく鷹狩りの時節
こちらは以前通り行うつもりだ。
<光圀 対 綱吉 驚きの贈り物とは>
・幕末に出版された「水戸黄門漫遊記」の中にこんな話がある。時は5代将軍・綱吉の治世。行き過ぎた動物愛護を推し進める「生類憐れみの令」が庶民たちを苦しめていた。そんなある日、1匹の犬に鯛を取られた神田の魚屋が犬を捕まえたところ誤って殺してしまい役人に捕らえられた。そこにやって来た黄門様は事情を聞くと、30匹もの犬の皮を剥がし桐の箱に収めて将軍・綱吉に送りつけたという。
「近頃は犬を殺すと死罪になると聞いています。日本開国以来このような禁令はなく、犬の命が人名より尊いとは笑うに堪えません」
・この話の中で魚屋のくだりはフィクションだが、光圀が綱吉に犬の毛皮を送りつけたのは本当の話。光圀は禁止されていた鷹狩りを続けるなど、天下の悪法と呼ばれた生類憐れみの令に批判的だった。
・こうした行為に江戸の庶民たちは自分たちの苦しみを光圀が代弁してくれると感じ、信頼を寄せていった。
・そんな光圀だったが、63歳のときに養子として迎えた兄の子・綱條に家督を譲り隠居した。表向きは体調不良が理由だったが、幕府の正式記録「徳川実紀」にはこうあった。
この卿の隠退こそいぶかしけれ
光圀を疎ましく思った綱吉が引退を促した。幕府との確執で水戸藩に被害が及ぶのを恐れた光圀が先手を打って引退したと言われている。光圀は江戸に住むことを綱吉に許してもらえず水戸に隠居することになった(山本氏)
・そのため隠居を決めた光圀は、水戸藩北部に建設していた西山荘に移り住むことになった。その暮らしは質素なもので書斎は3畳間、寝室は6畳間、食事は一汁二菜だったという。
・黄門という名は中国の唐で権中納言のことを意味することで、光圀がその位だったために黄門と呼ばれるようになったという。
<時代劇で出てくる「葵の御紋」の虚実はどうなのか>
・時代劇で出てくる「葵の御紋」は水戸家の家紋ではなく将軍家の家紋だった。それは光圀が将軍・綱吉に代わって悪を成敗している設定だったからと言われている。
・もともと印籠とは文字通り印鑑や朱肉を入れて持ち歩くためのものだった。ところが江戸時代になると常備薬を入れておく携帯用の薬入れも印籠と呼ばれるようになり、男性のファッションアイテムとして愛用された。
・時代劇では格さんが懐から取り出すが、これは本来の身に付け方ではなかった。紐を帯に挟み根付けを引っ掛けて落ちないようにし、揺れる袖の下から根付けや印籠がちらちらと見えるのが最高のオシャレとされていた。
・では庶民は印籠の家紋でその人物が誰か見分けることが出来たのだろうか。江戸時代に出版されていた年鑑形式の紳士録「武鑑」。中には大名や江戸幕府の役人の氏名、石高、俸給、家紋などが記されている。光圀の時代にはその形態が整っていたと言われ、水戸徳川家の家紋も掲載されていた。
・この「武鑑」は武士たちと取り引きを行う商人たちにとっては欠かせない実用書だった。当時、武家には表札がなく門や屋根瓦などの家紋で家を判別する必要があったからだ。
・またガイドブックでもあった。これを見て大名行列がどの藩のものか楽しんだと言われている。そのため書物とはあまり縁のない地方の農民には無理だったかもしれないが、「武鑑」を持っていた町人なら微妙な家紋の違いすら見分けることが出来た可能性は高い。
<初モノ好きの光圀 日本最初のラーメンとは>
・徳川光圀は好奇心旺盛な人で勉強家。中国の伝統文化を学ぶために儒学者の朱舜水を招き、生涯の師と仰いだ。さらに耕作、細工、算術、機織りに裁縫と何でも試して会得していったという。
・特に料理が好きで、うどんが得意だった。放蕩三昧で江戸の町をうろついていた頃、浅草辺りの店でうどんを打っているのを見て覚えたと言われる。手製のうどんを家臣たちに振る舞っていた。
・そんな光圀は初めてのことが大好き。日本で最初にオランダから馬を輸入して飼育をしたり、チーズや餃子、黒豆納豆を作らせたりした。彼と親交があった日乗上人の日記の中にこんな記述がある。
かけと言ふ物振舞にて御所に参る
うんどんのごとくにて
汁をいろいろの具を入テかけたる物也
・これが今でいうラーメンのようなものだったというのではないかと言われている。光圀のレシピをもとに日本の食文化に詳しい永山久夫氏に再現してもらった。
・材料は小麦粉に中国ハム、数種の薬味。とりわけ変わっているのは蓮根のデンプンを使っていること。今では麺のつなぎにかんすいや卵を使うが、光圀は蓮根から採れたデンプンを小麦粉に対して2割入れ、水を加えながらよくこねてタネを作った。これを延ばして太めに切って茹で上げる。
・スープの出汁には中国ハムを使い、ネギや生姜などを加えて3時間ほど煮込む。このスープを茹でた麺にかければ完成。これが光圀が作った日本初のラーメンと言われている。
・好奇心旺盛で初モノ好きの光圀。衣類でも日本人として初めて身に付けたと言われているのが、オランダ製の靴下だった。当時は「めりやす足袋」と言われていた。
・日本初といえば発掘調査を行わせたのも光圀が最初。出土品を絵師に描かせて図録を作り、それが済んだら出土品が傷まないよう箱に入れて元の場所に戻させるなど、文化財の保護にも力を入れた。
<黄門様のお供 助さん格さんは実在したのか>
・諸国を旅する黄門様のお供といえば助さんと格さん。その名が歌舞伎などに登場するのは明治20年以降のこと。では彼らは創作の人物だったのか。
・その謎を解く鍵となるのが光圀のライフワークである歴史書「大日本史」の編纂。29歳のとき、江戸の大半を焼き尽くした明暦の大火で貴重な古文書を喪失し大きなショックを受けた光圀は、若い頃に改心するきっかけとなった「史記」のような日本の歴史書を作ろうと決心した。
・まずは駒込の別邸で僅か4人の史局を作り、編纂作業を開始。そして光圀45歳のとき小石川の水戸藩邸に史局を移して人員を補充。彰考館と命名し、事業を本格化させた。このとき編纂に加わった2人の人物がいた。史学者の佐々介三郎と儒学者の安積覚兵衛。この2人が助さんと格さんのモデルだ。
・テレビの時代劇では2人は同年代に見えるが、実際は介三郎は33歳、覚兵衛は17歳とだいぶ年齢が離れていた。さらに助さんは剣の使い手、格さんは柔術の達人となっているが実際2人は学者だった。介三郎は日本全国の神社や仏閣などを回り古文書を探して水戸に送っていた。一方、覚兵衛は水戸に留まり介三郎が集めた史料の精査と執筆にあたっていた。
将軍のお供で日光東照宮に参詣したり、鎌倉の英勝寺に墓参りに行ったぐらいで、光圀は旅らしい旅はしていなかった。御三家の藩主という身分が高い存在だったので、自由に諸国を旅することは禁じられていた。
自分では「大日本史」の史料集めは出来なかったが、秘蔵の文書を見せてくれた寺社などに光圀は丁寧な御礼状を書いていた。それが残っているため、あたかも光圀自身が史料集めに旅したという伝説が生まれたのではないか(山本氏)
<ご乱心 光圀が起こした殺人事件とは>
・庶民のため水戸のために力を尽くしてきた光圀だったが67歳のある日、驚くべき事件を起こした。腹心だった藤井紋太夫を手打ちにした。藤井は小姓として光圀に仕え、厚い信頼を得て水戸藩の家老にまで上り詰めた人物だった。
・事件の舞台となったのは小石川の水戸藩邸。その日は幕府の老中、諸大名らが招かれ光圀主催の能が盛大に催されていた。そのさなか、紋太夫を楽屋に呼び出し光圀は自らの手で刺し殺した。
・実はこの事件、計画的なものだったと言われている。光圀は事件の数日前に楽屋へ行き、殺害現場を人に見られないよう屏風の位置などを入念に確かめていた。
・御三家の隠居が突然、腹心を刺し殺すというこの事件。当然、庶民たちの関心を集め「光圀ご乱心」との噂が飛び交ったが、果たして事件の真相は?
光圀が隠居した後、藤井紋太夫は次第に高慢な態度が目に付くようになった。おそらく光圀にとって正義に反する行為があり成敗したのはでないかと考えられる(山本氏)
・自らが信じる正義のために腹心に手を掛けた。他人に託すのではなく自分自身の手で。
・質素な隠居生活を送っていた光圀は時間を割いては領内を視察し、人々の暮らしを気に掛ける日々を送っていたという。
・宿願であった「大日本史」の編纂にも大いに力を注いだが、完成をみることなく元禄13年(1700年)73歳で亡くなった。「大日本史」が完成したのは明治39年(1906年)、実に250年もかかった。
・光圀の死は水戸の領民ばかりでなく、江戸の人々からも惜しまれ、当時幕府が管轄していた佐渡金山の採掘量とかけて、こんな落首が詠まれた。
天が下
二つの宝は
尽き果てぬ
佐渡の金山
水戸の黄門
・黄門様は時代劇同様、庶民たちに愛されていたことは間違いないようだ。
(2016/11/24視聴・2016/11/24記)
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【空から日本を見てみよう+】埼玉県羽生~長瀞
「埼玉県羽生~長瀞」
(BSジャパン・2016/11/22放送)
※公式サイト:http://www.bs-j.co.jp/sorakara/
<感想>
秩父鉄道は次回に恐らく放送される三峰口、三峯神社を訪れたときに乗車したことがあります。時間がなくて長瀞には時間がなくて寄ることが出来なかったのですが、ライン下りはぜひ行ってみたいところですね。あと、もちろんSLパレオエクスプレスにも。
今回の番組では軽く触れただけですが、行田市の忍城には「忍城おもてなし甲冑隊」というご当地ヒーローたちがいるらしく、ぜひ彼らのパフォーマンスを観に行きたいと思っているところです。そういうネタはしっかり取り上げないと、くもじいというかスタッフさん(笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
<埼玉県羽生市周辺>
・人口:54,741人(県38位)面積:58.64平方キロメートル(県21位)(2016年8月1日現在)
・出身ではないが羽生結弦を市をあげて応援している。
・まわり地蔵。260年ほど前、お坊さんがお地蔵さんを背負い各家を回り幸せを祈ったのが始まり。現在は1年に100軒程の家々を回っている。
<埼玉県行田市周辺>
・人口:81,454人(県26位)面積:67.49平方キロメートル(県12位)(2016年8月1日現在)
・ふるさと納税で「はにわづくり体験」ができる。
・新輝合成。約1300種類のプラスチック家庭用品を製造。
・田んぼアート。今年のテーマは発売30周年のドラゴンクエスト。図面をもとに測量を行い杭を立て、地元の子どもたちと9種類の稲を植えた。
・ザリガニ漁。漁師の本橋さんは27歳のときに川でドジョウやナマズなどの漁を始めた。フランス料理の高級食材であるザリガニに注目、30年間はザリガニで生計を立てている。現在は約60か所に仕掛けを設置。多いときで1日100kgのザリガニが獲れる。獲ったザリガニは自宅に持ち帰り1週間泥抜き。
・足袋とくらしの博物館。下級武士の内職が起源といわれる行田の足袋作り。最盛期の昭和初期には全国生産の約8割を占めていた。現在でも20軒ほどで足袋を生産。生産量は全国の約3割。行田市内には70ほどの足袋蔵が残っている。
・忍城。石田三成の水攻めにも耐えた姿が水に浮いているようだったため「浮き城」とも称されていた。
<埼玉県熊谷市周辺>
・人口:197,889人(県9位)面積:159.82平方キロメートル(県5位)(2016年8月1日現在)
・熱中症予防のため「熱中症戦隊サマスンジャー」が活躍。
・上越新幹線、高崎線、秩父鉄道に挟まれた集落がある。
・広瀬川原車両基地にSLパレオエクスプレス号(C58形363号機)が停車している。SLのボイラーは一度冷やすと鉄が収縮して故障の原因となるため保火番が毎日徹夜で管理している。
・太平洋セメント熊谷工場。1日5000トン以上のセメントを製造。巨大な回転窯を使って石灰石とその他の原料を約1500度に加熱してセメントを作る。
<埼玉県深谷市周辺>
・人口:143,439人(県14位)面積:138.37平方キロメートル(県6位)(2016年8月1日現在)
・市の婚活応援イベントはピカ子流モテ美人メイクレッスン。
・寄居 星の王子さまPA。「星の王子さま」著者ゆかりの地・南仏プロヴァンス地方の雰囲気を演出。土日祝日の午後3時と6時に行われる時報コーラス(実施しない日もある)。
・埼玉県立川の博物館。荒川を中心とする河川や水と人々のくらしをテーマとした体験学習型の博物館。荒川大模型173。
<埼玉県寄居町周辺>
・人口:33,812人(県46位)面積:64.25平方キロメートル(県16位)(2016年8月1日現在)
・かつて町内の採石場で特撮ヒーローの戦闘シーンが数多く撮影されていた。
<埼玉県長瀞町周辺>
・人口:7,235人(県62位)面積:30.43平方キロメートル(県38位)(2016年8月1日現在)
・年間観光客数は275万人で居住人口の380倍。
・フォレストサンズ長瀞。トレーラーハウスが並び宿泊やバーベキューができる。
・長瀞駅。関東の駅百選に選定されている。
・ろう石。ろうのように半透明で軟らかい石。数年前までろう石を採っている業者がいたが、海外からの輸入品に押され採掘が終了。お土産屋さんからも姿を消す予定。
・長瀞渓谷。全長6kmにわたる渓谷で国指定の名勝・天然記念物。岩畳は地下20~30kmから隆起した結晶片岩。
・長瀞ライン下り。船玉まつり当時の朝に地元の大工さんを中心に万灯船が組み立てられる。
・寶登山神社。秩父鉄道では三峯神社、秩父神社、寶登山神社の秩父三社トレインを運行。
・宝登山ロープウェイ。搬器は1958年まで阿蘇山で運行していたものを使用。
・阿佐美冷蔵。冬になると長瀞の山間にある専用のプールで天然氷が作られる。天然氷で作ったかき氷が食べられる。
(2016/11/25視聴・2016/11/25記)
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【ドキュメント72時間】村長選挙 旅する投票箱
【ドキュメント72時間】
「村長選挙 旅する投票箱」
(NHK総合・2016/11/25放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/
<感想>
東京電力福島第一原発事故によって全村避難が続いている福島県飯舘村。村長を決める選挙のため、各地に避難している村民のもとへ期日前投票が行われ、その投票箱が運ばれていくのを追った72時間でした。
村長選挙の最大の争点となったのは来年3月の避難解除の是非、推進する現職に対して白紙撤回を主張する新人候補との一騎打ちとなりました。その是非については村民の皆さんの民意に委ねたいと思いますが、史上最低とはいえ避難先などバラバラになっている村民が多い中で70%もの投票率があったということが、私には感心することでした。本当に一人ひとりが政治に参加する意識がきちんとあるということで、低投票率の都市部の有権者は見習うというか、平気で棄権するような態度を改めるべきだと思いますね。
さて、ドキュメント72時間恒例の「年末スペシャル」に向けて「もう一度見たい72時間」の応募が行われています(→https://www.nhk.or.jp/program/72hours/form.html)。1月8日放送の「横浜 オールナイトでとんかつを」から今回までの中で一つ選ぶものと、印象に残った(その後が知りたい)人・場所を記入するというもの。
11月30日(水)24時が締切です。私は既に「投票」しました。今回の放送で出てきたおばあちゃんのように「入れた人が当選してほしいね」というのに全く同感です。
ちなみに私のもう一度見たいは「真冬の東京 その名は“はな子”」。印象に残った人は「100円温泉を愛する会」の会長さん(→「冬・津軽 100円の温泉で」)です。年末の放送が楽しみです。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・10月、一つの投票箱が車に揺られ山道を走っていた。これから始まるのは投票箱があちこち移動する、ちょっと変わった村長選挙。
飯舘村民が今、避難されている仮設住宅があるので、そちらに運んでいきます(職員)
・あの原発事故以来、避難生活が続く福島県飯舘村。行く先には今もバラバラに暮らす6100人の村民が待っている。
・ふるさとの行方を決める村長選挙。開票までの3日間、投票箱の旅に密着した。
・東日本大震災で全ての村民に避難指示が出された飯舘村。5年7か月経った今も住む人の姿はない。
・そんな中、復興を目指して村役場は業務を再開していた。役場の片隅に今回の主人公・村長選挙の投票箱が。
(全部で何か所?)
6か所ですね(職員)
・投票箱の旅は10日間。期日前投票は普通、村の中で行われるが今回特別に各地を回ることにしたという。
・開票3日前、やって来たのは今も260人が避難している相馬市にある仮設住宅。集会所に投票箱が設置された。
・10月14日(金)9時30分。村の人に挨拶して回る男性。どうやら新人候補らしい。
来年3月の避難解除、このことは村民誰も今望んでいないんです。除染の不安、そして賠償の不安(演説する新人候補)
・実は来年の春、村の避難指示が解除される予定。でもまだ不安が残る中、村に帰るのは早すぎるという主張らしい。安心できるまで待つという新人か、すぐに帰るという現職か。選択肢は2つ。
・朝10時、投票開始。お年寄りが大勢集まってきた。いつもはお茶飲み場だという場所、投票もどこかほのぼの。
・村長さんを決めるのは一大イベント。
・投票を終えたばかりの男性。手が震えているので(代理で)書いてもらったという。
・一人のおばあさんが話し掛けてきた。仮設住宅に暮らして5年。今では友達もたくさんできたという。家にはこの秋、村で採ったというキノコがつるされていた。懐かしいふるさとの香り。
・マツタケを持っている男性。昔の習慣を思い出し、つい採ってきちゃうんだって。
・戻りたいかとの質問に男性は、戻ってもまだ片付いていない。戻ってもどんな生活してらいいかという問題があると言う。
・12時31分。投票所に若い女性の姿が。サービス業の24歳女性。高校3年生で震災に遭い、50km離れた仙台で就職。苦労も多かったという。
・この日、投票したのは158人。早く村に帰りたいという現職の村長を推す声が目立った。
・夕方5時、投票終了。厳重に鍵が掛けられた投票箱。村役場で開票を待つ。
・10月15日(土)7時30分。今日の行き先は大きなお店が目立つ町なか。震災後に村の仮役場が置かれてきた福島市。
・朝9時、投票開始。さっそくすご行列。今、福島市には村民の半数を超える3700人が暮らしているらしい。
・福島市内に家を買ったという女性。まだ村には戻れないと票を投じたそう。実は除染が終わっているのは村全体の4分の1程度に過ぎないという。
・村に帰らないと決めているという男性。村に帰るより今の生活を守ってほしい。そんな思いを選挙に託す。
・投票所の近くに現職の村長が。不安も分かるけれど、早く帰らなければ村の存続自体が危ういと訴えていた。
ただただ放射能が大変だというだけ、みんなの声を聞くというだけでは前に進めないということをぜひご理解をいただきたいというふうに思ってます。白紙にしてまた1から国と闘いをやりましょうという、そんな余裕はないはずであります(演説する現職村長)
・13時32分。投票日を間違えて2度も来たというおじさん。将来、村に帰るか決めてないけど、選挙にはどうしても来たかったという。村のことがニュースになるのも減って、だんだん忘れられているのではないかと言う。
・悩みながらも票を投じる人々、村を守りたい気持ちはみな同じ。
・18歳の息子を選挙に連れてきた父親。村をなくしちゃ困ると言う。
・震災後、飯舘村の女性と結婚した男性。もともと除染作業員で入っていた。もし戻れるなら飯舘に家建てようかなと思っていると言う。
・387人の思いを乗せた投票箱。
・10月16日(日)7時5分。投票最終日。この日は飯舘村役場に投票箱が置かれる。いつもはひっそりした村に続々と車が。
・11時32分。投票を終えた若い男性。駐車場でお父さんが待っていた。震災後、別々の場所で避難生活を送っているという家族。今日はみんなで投票に来たそう。離れ離れになって以来、家族で集まりバーベキューやドライブをするようになったという。
・村の運命が決まるまで、あと少し。
・隣町に暮らす男性。選挙のついでに畑を手入れしに行くという。一緒に農業をしていた父親は2年前に亡くなった。村で暮らせる日が来たら自分はどうするのか。まだ迷っているという。妻はフィリピン出身で2年前に結婚、2人で飯舘村に来ることも多いんだとか。村を出て5年7か月、失ったことも多いけど、新しく気づいたこともある。帰り際、家の前に咲く花を奥さんが摘んでいた。
・夜6時、投票終了。投票率は70.84%、過去最低だった。
・中盤まで激しい接戦。結果は581票差で現職の勝利。飯舘村は2017年3月の帰村に向けて動き出した。
(2016/11/26視聴・2016/11/26記)
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(NHK・BSプレミアム・2016/11/25放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kozure2/
<感想>
時代劇に中村玉緒さんが出演されると全体がピリッと締まりますね。おぶんちゃんのご両親の墓参りを毎年欠かさず行って陰から見守る役がよく似合う役柄でした。
一方、今回の信兵衛は悪党を成敗するシーンは無し。酒問屋の主人が悪事を働いていたのかと思いきや、窃盗事件の主犯が隠し子だったというオチ。この点はあまり面白くなかったかな。やっぱり派手な殺陣がほしいところですね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・酒問屋の美濃屋の蔵に忍び込んだ彦蔵(加藤虎ノ介)と捨五郎(金井勇太)。大金を盗み逃亡する。榎戸誠三郎(宮田俊哉)と源吉(新井康弘)は早速捜査を始める。
・一方、信兵衛(高橋克典)は、おぶん(小島梨里杏)の両親の墓参りに同行する。毎年見知らぬ男が墓参りしてくれている人がいると言う。
・信兵衛は墓参りに来ている男が誰か祖父・重助(左とん平)に尋ねるが、はぐらかす。
・美濃屋に入った泥棒の容疑者として奉公人だった捨五郎の名が浮上する。
・信兵衛は昼間におぶんの両親の墓で見かけた男を見つけ、後を付ける。入った家を訪ねると、おつね(中村玉緒)が出てきて男など居ないと言う。しかし密かに捨五郎を匿っていた。
・信兵衛は墓で見かけた男と泥棒が同一人物だと見抜くが、榎戸が訪ねたところ捨五郎は逃亡してしまう。
・再びおつねを訪れた信兵衛。おつねは捨五郎を匿う代わりに足腰が弱くなって出来なくなった墓参りを頼んでいた。
・おつねは信兵衛に昔話をする。商売がうまくいかずに死のうとしたときに、おぶんの父・弥助(片岡信和)、母・おしま(高橋あゆみ)に助けられた命の恩人だった。また二人が火事で亡くなった経緯を知っていた。
・捨五郎は彦蔵のもとを訪れ、盗んだ金の分け前がほしいという。彦蔵は捨五郎の存在が邪魔に思い、おつねに刃物を突きつけて行方を聞く。偶然訪れたおぶんが助けようとするが失敗。間一髪、信兵衛が現れて彦蔵は捕まる。
・一方、捨五郎は貰った金をおつねの医療費にと、医師の小泉道仙(中村嘉葎雄)に投げ込んで自首していた。
・重助はおぶんの両親が火事で亡くなった経緯をおぶんに話す。娘のおしまは重助の反対を押し切り、弥助と駆け落ちしておぶんも生まれた。そんなある日、重助が二人を追い返した日の晩に長屋で火事が起こり、おぶんは助かったが両親は亡くなってしまったのだ。
・榎戸と源吉は美濃屋七兵衛(杜澤たいぶん)に窃盗事件の真相を話す。犯人の彦蔵は七兵衛がかつて身篭らせた上に捨てた女性の子どもだった。
(2016/11/27視聴・2016/11/27記)
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【ETV特集】路地の声 父の声~中上健次を探して~
【ETV特集】
「路地の声 父の声~中上健次を探して~」
(Eテレ・2016/11/26放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
<感想>
中上健次さん。名前は聞いたことがあるものの、どんな小説を書いたのか(不勉強ながら)知りませんでしたので、まずその基本的なところから知るところからという感じでした。
被差別部落で生きてきた5人の女性たちの話はどれも壮絶なものに思え、それを聞き取りそして小説にプロットしていくという中上さんの執念というか、すごい力が伝わってくるように思えました。
そんな彼の作品を原作に野外演劇に取り組んでいる女性が言っていましたが「想像する」ということ。正直に言って証言した女性たちの話は私もあまりに自分の身の回りからかけ離れすぎてイメージが出来ないのですが、それを「想像する」ということ。中上さんの作品に限らず、社会の暗部をえぐるような作品は数多くある中で、それを直視するうえで最も大事なことではないかなと感じましたね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・一人の作家の声が見つかった。作家・中上健次の長女で同じく作家の中上紀さん。健次が46歳で没してから24年が経った。中上さんの死の直後にしまい込まれ、そのままになっていたカセットテープを紀さんは発見した。
・被差別部落に生きてきた5人の年老いた女たち。33歳の中上さんが話を聞いていた。5時間に及ぶ聞き取りは、昭和55年「路地」で録音されたものだった。
・作家・中上健次は熊野の被差別部落出身であることを明らかにし、そこを「路地」と名づけた。生涯をかけて路地を舞台とする作品を生み出した。
紀さん:路地の女性たちは何を支えにして過酷な日々を生き抜いたのか。父・健次はなぜその人生に耳を傾けたのか。確かめたいと思った。36年前に声が録音された路地へ旅に出た。
<中上健次が聞き取りをしてきた女性たち>
山々が重なる
不意に海がある
(「紀州弁」より)
・中上健次は熊野の荒々しい自然を愛した。中上の故郷・和歌山県新宮市は、古くから人々を引き付けてきた熊野信仰の中心地だ。
・中上が「路地」と名づけた新宮市春日。昭和50年代、同和対策事業によって建設された「改良住宅」が並んでいる。江戸時代この地区の人々は身分制度の下に置かれ、明治以降も差別が根強く残った。大正時代、杉皮ぶきに石を置いただけの家が軒を連ね、住民の大半が日雇いや下駄の修繕などの職に就くしかなかった。昭和53年頃、改良住宅が建設される直前の路地を中上は自らフィルムに収めていた。
この私が生まれ育った
私のすべての愛の対象
知と血の源泉の熊野の中の熊野
(「異界にて」より)
小説のことごとくを
この春日と覚しき
路地を舞台に取って書いてきたが
愛おしさの熱病のようなものに
かかっているのに気づく
(「祖母の芋」より)
紀さん:36年前、健次を家に迎え入れ聞き取りに答えた5人の女性は、皆さん亡くなっていた。健次が一番長く時間をかけて話を聞いた人の遺族が新宮市内に住んでいた。池口勝久さん(69)。健次と1歳違いで幼馴染みだ。
・勝久さんの母・池口さかゑさんは大正8年生まれ。昭和初期にかけての少女時代を中上に語っている。娘の紀久子さんをはじめ遺族が録音を聞いた。
おばさんら、学校行くとき春日だっていうことを絶対言わなかった。学校におっても1つも交わりがない、友達と。じっと遊ぶの見たり「あんたんとこどこ」いうたら「駅、駅」言うた。「駅前、駅前」。ご飯食べに来んの見られたら悪いさか走ってくる。入るとこ見られたら、だから走ってくる、ご飯食べに(さかゑさんの音声)
・さかゑさんには日雇いで土木作業をする兄がいた。その兄に米を食べさせるため、自分はお湯同然のおかゆで我慢したという。
米をささげて土方して働くもんに食わさんならん。おかゆをお兄さんにささげる。わたしら食べるいうたら、よそってくれるの顔映すようなん。のんでも米が出てこん。10日も15日も続くと情けないようになってくる。親に言えん。鏡みたいな茶碗持つ。飲みよったら情けのうなって、米粒が2、3ぼしかない。涙がいっぱい出てきて、おかいさん(おかゆ)が見えん。今でも覚えたある。涙こぼしたら親に「どしたんな!」(涙を)落としたらあかん、流したらあかん、こらえる、未だに忘れない(同上)
この話よく聞いた、母さんに(娘の紀久子さん)
おかいさん(かゆ)の話、僕によう言うとった。自分らは米入ってないしゃぶしゃぶの。何回もつらかったやろね、よっぽど(勝久さん)
<「岬」で芥川賞を受賞>
・中上健次が「路地」に生まれたのは、敗戦翌年の昭和21年。母親は女手一つ、行商をして子どもたちを育てた。その子どもたちが、木くずや鉄くずを拾って家計の足しにする貧しさだった。
・しかし中上を取り巻く環境は、7歳を境に大きく変わった。母親が末っ子の健次一人を連れて再婚。隣の地区に移り住んだ。
・義父は高度経済成長の波に乗って土建業者として成功。中上は姉が兄が行くことのなかった高校に進学し、本を読みあさった。
不遜を覚悟で言えば 私は
部落が文字と出会って生れ出た
初めての子である
(「生のままの子ら」より)
・昭和40年に高校を卒業すると上京。カウンターカルチャーの発信地だった新宿に足を踏み入れた。モダンジャズにのめり込み、ジャズ喫茶に入り浸りながら作家修業を重ねていった。
・目の前の東京の風俗を小説に書いても、中上の筆はすぐ路地へと向かった。姉や兄を書き、土地の匂いを書いた。
・22歳で作家デビュー。そして濃密な人間関係に結ばれた路地を真正面から描いた小説を発表した。「岬」で戦後生まれ初の芥川賞作家が生まれた。昭和51年、中上健次29歳。
地虫が鳴き始めていた
耳をそばだてると
かすかに聞こえる程だった
耳鳴りのようにも思えた
姉が肉の入った大皿を持ってきた
「奥さん一杯いかんかい?」
管さんが
ビール瓶を片手に持ち上げた
「酒はあかんのやよ」と
姉は七輪の横に皿を置く
玄関も窓もあけっぱなしだった
路地に面つき合わせて
車座になっているようなものだった
(「岬」より)
<「千年の愉楽」で描いたオリュウノオバとは>
・芥川賞から4年。中上は路地を神話のような世界として描き出す新しい小説に挑んでいった。「千年の愉楽」、超人的な記憶力を持つ老婆オリュウノオバが語り起こす物語。
紀さん:オリュウノオバのモデルとなったオバがいた。新宮市内に住む、その人の孫を訪ねた。田畑りゅうさん。寺を持たないお坊さんだった夫のために、りゅうさんは路地の人たちの命日を何代にもわたって記憶していたそうだ。
おばあさんは読み書きもようせんし「よう書かんから余計覚えておかな」って気持ちがあった。村の人も頼りにして、いつ亡くなった、何月何日まで覚えてて(孫の松根洋子さん)
・中上はりゅうさんに聞き取りをしていた。その録音を路地の人たちに再生して聴かせる様子が残されている。
シンイチいうた。シンイチの上がノブイチ。ノブイチの上がレイジ(りゅうさんの音声)
・中上が路地に作った部落青年文化会。被差別部落の生活文化を掘り起こし、その豊かさを確かめたいと考えていた。
僕テープをとりに行ってびっくりした。オリュウノオバさんの語り言葉、字を知らなくて読み書きができない。字を知らない人間の、記憶してなおかつ人を見る目。世界的な規模で新しい文学の問い直しとして試みられている。同じ次元に立つものだと思う。それがオリュウノオバの語りの中に入っている。確かに僕は入っていると思った(中上の音声)
・「千年の愉楽」は、路地の「語り言葉」の持つ力によって紡ぎ出されていった。息の長い文体でオリュウノオバは路地をうたいあげる。
明けてくると
まるで瑠璃を張るような声で
裏の雑木の茂みで鳥が鳴く
それが誰から耳にしたのか忘れたが
昔から路地の山に夏時に咲く
夏芙蓉の花の蜜を吸いに来る
金色の体の小さな鳥の声だと教えられ
オリュウノオバは
年を取ってなお路地の山の脇に
住みつづけられる自分が
誰よりも幸せ者だと思うのだった
(「千年の愉楽」より)
・りゅうさんに「路地の言葉の力」を見い出した中上は、聞き取りを広げていった。「千年の愉楽」を書き始めたのと同じ年に、今回発見された5人の女性への聞き取りを録音している。
<遊郭に売られたと言う女性>
・中上は、学校から走って帰りお湯のようなおかゆを食べたと語ったさかゑさんの姉・岡本キクエさんにも話を聞いていた。明治42年生まれ、このとき71歳。
(父さん、商売何やった?)
わしとこの父さんは博打うち。博打ばっかりして、博打で暮らしてきた人。わしの父親は(キクエさんの音声)
(紡績行ったんやろ、名古屋か?)
あちこちの紡績歩き回った(同上)
・キクエさんが10代だった大正の頃、春日から多くの少女が名古屋、大阪などの紡績工場へ親元を離れ、働きに出た。
12ぐらいで行った。昔の人は12や13で行った。14の時はおばさん子ども産んだ。父無し子を産んだ。奉公に行った伊勢で。そいで、あの子腹に入れて帰ってきて(同上)
(その時はショックやったろ、びっくりしたやろ)
わからん。「腹おっきい」「妊娠や」言われたけど「なにないね」という気持ち(同上)
(親も最初はびっくりしたやろ。「腹大きなって帰ってきた」)
びっくりしたってしょうない。色街みたいなとこに奉公にやった。素人娘でおったらそんなこと絶対無い。そやから(子どもの)親も知らん(同上)
・キクエさんは父親の手で色街に売られた。妊娠し、春日に帰って14歳で出産した。
産んで(春日で)1年ほど養うて、また母親に任せといてよそへ行った働きに(同上)
(せやけど14で子ども、ネネ産んで、行くとき情も出てきたやろ、1年も育てたら)
わからん(同上)
(わからんか。14、15やね、1年育てたら)
わからん、そやけど、どこへ働き行ったって「子どもがある」って頭は離れてなかった。物買うて送ったり、お金(子どもを)見てもらわなあかんさか送ったり、子どもがあることだけは忘れてなかった(同上)
最初遊郭言うのは嫌やったんか。だんだん聞かれていくうちに言うた。最初紡績って言うたけど(甥の勝久さん)
・キクエさんは5人姉妹。実は遊郭に売られたのはキクエさんだけではなかった。キクエさんの妹・さかゑさんは息子の勝久さんにそれを話していた。
お袋が言うのには「上のお姉さんは3人、遊郭に売られた」「博打うちの親父がおったおかげで」「私は末っ子やから売られなんだけど」そう言うてました、お袋は(同上)
「そのおかげで自分は売られなんだ」(勝久さんの妻・あさ子さん)
感謝しとった、お姉さんらに。姉妹げんか聞いたこともないし、かばい合うし。仕事もなかったんかな、おじいちゃん。下駄の修繕とか、そんな仕事しかなかったんちゃうんかな(勝久さん)
・キクエさんは30歳で春日に戻って結婚。母親が育ててきた病気がちな息子の世話をし続けたという。平成8年、87歳で亡くなった。
いろんなその痛みを抱えてらっしゃって、その痛みがあるからこそ、妹たちに優しくできた。キクエさんもね。その妹も姉たちの苦労を見てて、つらさに寄り添って自分たちの子どもにもちゃんと教えて。すごい仲の良い家族というか(紀さん)
<国が進めた同和対策事業とは>
・キクエさんへの聞き取りで中上の横にいた向井隆さん。春日に生まれ育ち市役所に勤めていた向井さんを中上は頼りにし、部落青年文化会をともに立ち上げている。向井さんはキクエさんの録音を36年ぶりに聴いた。
ここまですごい生活やったんやなっていうのは、これで初めて分かったね。自分のおばあさんとかっていうのはおったけども、そんな話ね…こういう話ってそんな聞きもせんしね(向井さん)
・向井さんと中上が聞き取りをしていた頃、路地は6年間に及ぶ大規模な工事のただ中にあった。被差別部落の生活の改善を目的に、国が進めていた同和対策事業の一環だった。路地と町とを隔てていた山を削り取り、新しい道を通し54戸の改良住宅を建設していった。
・一方、共同井戸や盆踊りを踊った広場が無くなっていった。中上はこの工事を「路地の解体」と呼び、解体前の路地をフィルムに収めた。
紀さん:山を削って路地を一変させた工事をどう受け止めたのか。春日に生まれ、今もここに暮らすお二人に聞いた。
いいこと。絶対もう100%(松根晋吾さん)
そうやね。今まで行き来なかったやつが行き来できるようになったからね(速水茂さん)
やっぱり私たちはね差別された人間としてはね、どこの…ここだけでなしね、ほとんどの被差別部落は山にぶち当たったとこに家があるんです。僕の信念では、山取ってくれたら一般の人の道路へ行けると。それがこの開発してくれたおかげで一般道路とつながって、一般の人も同和地区に入ってきて。そういうとこ、今思ったら変わってしまったね。理解もしてくれたし。それまで一般の人は同和地区に入らなかった。怖いっちゅうイメージで。この山を取ったおかげでね、一般の人がこの中に家をぎょうさん建て出した。それだけでも大きな。それは自分の故郷を失うのは一番さみしいんやろうけどね。健次さん、それがあるんじゃないかと思うわ(松根さん)
そっか、一回出て(紀さん)
出て。やっぱり「良かったな。あそこでこんなご飯食べさしてもろうた。ここでお茶飲んだ」いう思い出があると思うんですよ。その寂しさ(松根さん)
紀さん:差別をなくそうとする工事が進む中、同時になくなっていくものに健次は目を向けた。聞き取りを続けた健次には、特別な思いがあったに違いない。
貧困とか、つらい過去を私たちが想像の範囲を超えたものであるからこそ、新しくなることを受け入れる。受け入れざるをえない、積極的に受け入れようとなさってる。それを全部踏まえての路地のオバ達の聞き取りであった。ひしひしと共感するからこそ、形あるものが消えると精神的なものも消えてしまう。「俺が残さなくて誰が残す」っていうことをしたんだと思うんですね(紀さん)
<中上健次の向かいの家に住んでいた女性>
・中上がキクエさんの次に時間をかけて聞き取りをしたのが、入相チエさん。明治41年に生まれたチエさん、家は日雇いや草履作りなどで生計を立てていた。チエさんの姿を中上はフィルムにも残していた。
8つになったら子守に行った。学校行く人があるか。学校はひと月にいっぺん二度いくかいかんか、皆おばさんらの年だったら。そやからおばさん、今あかんわ、字よう書かん(チエさんの音声)
(子守歌やとか、ようさんあるんやろ、春日)
無いわそんなん。歌って遊びでまわるか、子どもは。せわしいのに。働きに出さるのに。百姓の娘やったらまりつきしたりどうしたりして遊ぶけども、そんな暇ない。みな働かんならん。おば10の時から紡績働きに行った(同上)
(つらかったやろね、10で行ったら。おれ18ぐらいで東京行って、さみしいな)
世の習慣になってた、どうなるかよ。そいで朝起きたら今と違って6時から6時、仕事(同上)
・中上の家とチエさんの家は溝1つを隔てた向かいだった。
健次、ちいとしっかりせいよ、ほんまに(同上)
(そんなもん)
「健次やい」わしとこと溝1つへだてたった(同上)
(あれもっと狭かった)
狭かった。「健次悪い、健次」おめきった。子産んだ、病気した、つい枕元へ上がり込んで「おまえ養生せなあかんぞ」我が家から汁わかして行ったり、おかず炊いて持って行ったり、きてもろたり。昔は他人も何もない。村で住む人やったら兄弟のような気持ちで付き合うた。我が身にひっかぶってでもしてくれた(同上)
(おば、どう思う。この家らもこぼたれるんやろ)
こぼつんやだ。時の時節しょうないわ(同上)
(山も取ってしまうし)
時にまかせなしょうない。いつまでも古い頭用いたらあかん。年寄りやさかいうたって、この時勢についていかな。そう思わな仕方あるか。わしゃ、くよくよせん性。きょうび昔のこと言うの大間違い。古いこと捨てていかんことには、これからようなっていかん。古いこといつまでもほじくり出してたら絶対ようならん。昔のこと言うな。50年も70年も昔のこと、ほじくり出したらろくなことは出てこん(同上)
(ろくなことないんかい、ろくなことしかないんかい)
ろくなことあるか、昔のことらに(同上)
(ロクはないけど、ナナはあるかもわからん。オチエノオバ行ってから言うんやね俺も。負けるよ、ほんまに)
紀さん:チエさんは紡績工場から19歳で路地に戻り、8人の子どもを育てた。健次もタジタジなチエさんの声が、前向きに強く生きろというエールのように胸に響いた。
<中上健次の抱えていたテーマを引き継ぐと明言する作家>
紀さん:路地聞き取りの録音を私が是非聴いてほしいと思った人がいる。星野智幸さん、中上健次の抱えていたテーマを引き継ぐと明言している作家だ。
・星野さんは6年前、ホームレスの人たちを対象とした文学賞を立ち上げた(路上文学賞)。ボランティアが手分けして応募を呼びかける。ホームレスの人たちが自分の言葉で表現する場を作ろうというのだ。これまで100を超える作品が路上から生まれている。
紀さん:星野さんには5時間の録音全てを聴いてもらった。星野さんが特に強く感じるものがあったのが、チエさんの言葉だった。
今はどこ行っても「私春日ですよ」どこでも堂々と言う。きょうび卑下するとこどっこもない。一分一厘違ったとこない。きょうび昔のこと言うの大間違い。古いこと捨てていかんことには、これからようなっていかん。古いこといつまでもほじくり出してたら絶対ようならん(チエさんの音声)
(負けるよ、ほんまに)
中上さんがいろいろ聞けば、チエさんは実によく語ってくださる。「また蒸し返されて、いつまでも自分たちのイメージとして繰り返されるのはもうごめんだ」。一方で「無かったことにされるんじゃなく、語って誰かに覚えていてほしい」気持ちとが、せめぎ合っている感じ。両方の気持ちをお持ちになっている。この言葉から感じた。きっと多くの人が同じような気持ちをお持ちだったかなと思うんですよね。
路上生活の方でも自分の人生について語りたくないって思う人は多々いるし、だからお互いに過去のことは聞かないっていうのが原則なわけだけども、でも一方でこうやって路上文学賞みたいに紙と鉛筆を渡すと、やはり書いてくる人はたくさんいるわけですよね。だから本当はそれを忘れないでほしい。こういう自分がいたことを残してというか記憶して、誰かに受け入れて記憶してほしいって気持ちとか絶対あると思うんですよね。何かそういう矛盾した状況に人が置かれるっていうこと自体が何か間違っているというかね、そこなんだけども。
それがすごく素直にというか正直にチエさんから出てて。「負けるよ」っていうね、あの中上さんの言葉がそれが全てですね。本当に誰も見えないし、誰も気にも止めようとしない。そういう存在に対して中上さんはすごく敏感で、人が目を向けない場所っていう意味での現場にいつでもすぐ行っちゃって身を置いて、その人たちがどんなふうに生きてるかをもう自動的に感じちゃうというか、自動的に動いちゃうというか、そういうところがすごくあったと思うんですよね。
そういう感触が小説にの中にも存分に描かれていて。僕が中上さんの小説から学んだことは、そういう感性ですよね。もう1行読むだけでも、その感性が迫ってきて。こうぐっと胸が詰まるっていうような体験を何度も何度もして。だから小説はそういうものなんだっていうふうに、僕はまず中上さんに関して感じたんですよね(星野さん)
<新たな小説「日輪の翼」とは>
・消えゆく路地のオバたちの記憶。中上はそれを受け止め、新たな小説「日輪の翼」を生み出した。新宮から車で30分ほど、那智勝浦町にあるマンション、聞き取りをした昭和55年に中上は仕事場として買い求めた。
「わし十三になったばっかしの時
サンノオバら行っとる
紡績に行たんやど…
別の工場に廻されて
何遍も何遍も泣いたんや」
キクノオバが
「コサさん わしと一緒に男親に
お女郎に売られたんやァ」と言う
「わしの男親とコササンの男親
バクチの朋輩やったさか
二人で組くんで紡績へ来て
それで売られたんやァ」
(「日輪の翼」より)
「日輪の翼」が出たのは84年ですよね。それで聞き取り調査のそのテープは80年。そうすると、まあ、3年とか時間があると思うんですけど。すごい多分悩んだと思うんですね。聞き取りした瞬間に、全ての構想が表れるとかでは全くなくて。ただもう、キクエさんのお話をきいたとき本当にもうショックで、声からショックが分かるような感じですよね。このオバさんをやっぱりつらいことばっかりあって、このオバさん幸せにしてあげたいなって、せめて物語の中だけでも何かす素晴らしいところに連れてってあげたい(紀さん)
・諏訪、恐山など全国の聖地を巡礼していくオバたち。「路地の解体」で居場所をなくしていた。オバたちを連れ出すのは、路地の若い男ツヨシ。
ツヨシはオバたちに可愛がられて育てられたということになってますけれども、父もやっぱりね路地に生まれて、みんなオバたちが「健次よ、健次よ」って言って、そうやって育ててもらった。路地にね生まれて、みんなに育ててもらったようなところがありましたから、もしかしたら本当にね、ツヨシにねそういったことも全部託したのかもしれないですよね(同上)
・ツヨシの運転するトレーラーに乗ったオバたちは、7人連れ立って知らない土地の人々と出会い神々に祈る。路地と外の世界を繋ぐ摩訶不思議な物語が書かれていった。
<「日輪の翼」を原作に野外演劇に取り組む人たち>
紀さん:「日輪の翼」を原作に野外演劇に取り組んでいる人々がいた。健次の学んだ小学校で稽古が続けられていた(新宮市の神倉小学校)。
・演出家・美術家のやなぎみわさん。本物のトレーラーを舞台とし、原作さながらに全国を旅する公演を始めた。
・キクエさんをモデルにしたキクノオバ。オバたちは皆、少女のときに親元を離れ、紡績工場に働きに出た経験を持っている。ツヨシがそんなオバたちを連れ出す。中上は書いている。
老婆らが
思い出して話をはじめると
そこは路地になる
(「日輪の翼」より)
・やなぎさんもまた、路地の世界を旅公演の行く先々で出現させようとしている。路地の女たちの声を蘇らせるために、やなぎさんと俳優たちは聞き取りの録音を聴いた。
オバたちが何か中上健次さんから質問されても「よう分からん」「しゃあない」よくおっしゃる。生き抜く術を語っておられる。自分の輪郭をはっきりさせて何かと戦うより、今この現実をとにかく乗り切っていく。サバイバル。
中上健次さんが小説の中で書いて下さって、それを何十年後かの私たち、うちの俳優とかはもっと若いですよね。全く自分が経験したこともなければ全く周りにもない。一生懸命想像しています。本当に人間のすごい所、最後に残された希望。「想像する」という種を残してくださった(やなぎさん)
・8月6日、新宮の港に近い造成地。中上健次70回目の誕生日を故郷で祝う一夜限りの野外演劇が始まった。
<中上健次が物語で蘇らせてきた人々>
・熊野の路地に生きた5人のオバたちの声。誰も耳を傾けなかった記憶を中上健次の物語は蘇らせた。中上が生まれた家の向かいに住んでいた入相チエさん。子どもを育て上げた末の72歳の自分を語っていた。
2代も3代も昔の人間あくか(あかん)(チエさんの音声)
(そんなことない。これから貴重品になってくる)
根性は18、おばさん。気は若い(同上)
(ほんと若い。背筋がぴっと立ったある)
・チエさんは山を削り取る工事の後も、新しく建った改良住宅に住んで路地を離れなかった。平成17年、96歳で亡くなった。
今の方が気強い。おとろしいもんない(同上)
(そりゃそや、7人8人も育てた)
今の方がえらい。「誰でも来てみよ」いう根性、今やったら(同上)
紀さん:私が好きな父の写真。芥川賞の「岬」を書いた直後に撮られたものだ。路地に向き合うことを決意したこの場所から、父・健次の文学は始まった。読み書きを知らないオバたちの記憶に宝石の原石のようなものを見つけた父は、その輝きを文字に写し取った。路地が放つ強さは、今を生きる私たちにもきっと力を与えてくれるはずだ。
何もかもがつらかった。聴いた話の何もかもがつらく。でもその中で優しさを感じまして、いたわり合い、慈しみ合い、顧みられない人たちに対して愛情を注ぐ。痛みを知っているからこそあるものだと。今しかない、いろんなつらいこともやっぱりあると思うんですね。だからそこを繋げていくよって父に声をかけたいなとは思いますね。
何か父の話をすると、とんびが鳴いたりとか鳥が飛んできたりとかするんですよね。小説にもね金色の鳥が出てきたりとかしますけど、こう何か重要な場面に必ず鳥が鳴いたりとか(紀さん)
(2016/11/27視聴・2016/11/27記)
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「反撃」
(NHK総合・2016/11/27放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/
<感想>
和睦交渉で余りにもお馬鹿すぎの大蔵卿局、もう八方塞がりで嫌になっちゃうぐらいの幸村ですが、それでも諦めないのは本当に偉いというか…私なら上田に帰っちゃうな。もう詰んだでしょうよ。
そんな救いようのない状況、ヤケになってしまったかのようなのが「真田丸紀行」。長宗我部盛親ゆかりの鳴無神社の行き方。
JR「多ノ郷」下車 徒歩2時間25分って…往復5時間かけて行けってこと!?普通に考えて無理でしょう(苦笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・徹底抗戦か、和睦か。大坂城に籠る豊臣勢は、決断を迫られる。信繁の後押しで、茶々は戦う道を選んだ。そんな時、天守に一発の砲弾が撃ち込まれた。
・この日、大坂城内では多くの女たちが命を落としたという。砲撃は1日で終わった。
・片桐且元(小林隆)、関ヶ原以後の豊臣政権を一人で背負っていたこの男は、豊臣家を裏切ってしまったことを悔み続け、これよりおよそ半年後、急死する。病死とも自ら命を絶ったとも言われる。
・砲撃によって戦は和睦へ一気に傾いた。大野治長(今井朋彦)から聞いた真田幸村(堺雅人)は、茶々(竹内結子)と面会しようとするが大蔵卿局(峯村リエ)に拒絶される。
・豊臣秀頼(中川大志)を交えて評定が行われ、徳川との間でどのような和睦を結ぶのか話し合われた。
・牢人たちに動揺が走っていた。後藤又兵衛(哀川翔)や毛利勝永(岡本健一)も自分たちの処遇に不信感を抱いていた。
・一方、江戸にいる真田信之(大泉洋)は小野お通(八木亜希子)のもとに通っていたが、現場を稲(吉田羊)、こう(長野里美)に踏み込まれる。
・徳川家康(内野聖陽)のもとへ豊臣勢から和睦案が届く。徳川秀忠(星野源)は和睦に反対するが、本多正信(近藤正臣)は和睦に見せかけて敵を丸裸にすると言う。
・幸村の助言で豊臣方の使者として初(はいだしょうこ)と大蔵卿局が選ばれ、さらにきり(長澤まさみ)も同行することに。対する徳川方は阿茶局(斉藤由貴)が対応することにする。
・12月18日、和睦交渉の会談が徳川方である初の義理の息子・京極忠高の陣で始まった。
・徳川方から出された条件は一見有利なものばかりだったが、阿茶局から真田丸の取り壊しと堀を埋めることを提示し、同意してしまう。
・和睦は成立。20日、徳川方は戦闘態勢を解いた。
・あまりに都合がよい内容を不審に思った幸村は、きりから真田丸の解体と堀の埋め立てが決められた話を聞き驚くが、時すでに遅かった。
・城郭の破壊と堀の埋め立てにより、大坂城は本丸を残して完全に無力化されようとしていた。
・もはや策はないと言う幸村に、牢人たちは一致団結して望みを捨てぬと言う。秀頼もまだ諦めないと言い、幸村は決意を新たにする。
<真田丸紀行>
・土佐は大坂五人衆の一人、長宗我部盛親のふるさと。盛親は土佐の大名・元親の四男として生まれた。
・岡豊山にあった岡豊城。盛親は戦上手の父のもと、この城で育ったという。
・浦ノ内湾に面した鳴無神社は1500年の歴史を誇る社。盛親は関ヶ原の戦いに向かう直前、勝利を願い漆塗りの神輿を奉納している。しかし関ヶ原の戦いに敗れ、土佐一国を失った。
・牢人となった盛親が家臣に宛てた書状が残されている。他の大名への仕官を勧め、家臣を思う心情が窺える。
・盛親にとって大坂の陣は長宗我部家の再興を懸けた戦いだった。
※岡豊城跡(JR「高知」からバス「学校分岐」下車 徒歩20分)
※鳴無神社(JR「多ノ郷」下車 徒歩2時間25分)
(2016/11/27視聴・2016/11/27記)
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真田丸 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)
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第46話「砲弾」
第45話「完封」
第44話「築城」
第43話「軍議」
第42話「味方」
第41話「入城」
第40話「幸村」
第39話「歳月」
第38話「昌幸」
第37話「信之」
第36話「勝負」
第35話「犬伏」
第34話「挙兵」
第33話「動乱」
第32話「応酬」
第31話「終焉」
第30話「黄昏」
第29話「異変」
第28話「受難」
第27話「不信」
第26話「瓜売」
第25話「別離」
第24話「滅亡」
第23話「攻略」
第22話「裁定」
第21話「戦端」
第20話「前兆」
第19話「恋路」
第18話「上洛」
第17話「再会」
第16話「表裏」
第15話「秀吉」
第14話「大坂」
第13話「決戦」
第12話「人質」
第11話「祝言」
第10話「妙手」
第9話「駆引」
第8話「調略」
第7話「奪回」
第6話「迷走」
第5話「窮地」
第4話「挑戦」
第3話「策略」
第2話「決断」
第1話「船出」
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【NHKスペシャル】追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”
「追跡 パナマ文書衝撃の“日本人700人”」
(NHK総合・2016/11/27放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/
<感想>
一般市民の個人情報が悪用され、本人の知らない間にペーパーカンパニーの経営者に名前が使われているという酷い話が紹介されました。一放送局がどうこうするというよりも、国の司法機関・行政機関が国際的な連携をとって救済すべき話だと思います。本人にとっても迷惑極まりない話で、抹消もできないなんて馬鹿な話はまかり通らないでしょう。
ただ、パナマ文書の最大の問題点はそこで暴露されたタックスヘイブンの実態であって、合法だと強弁している連中を告発することがもっと必要なのではと思いましたね。どうもそこがNHKを始めとしてジャーナリズムの追及が弱い気がしますね。よほど出してはまずい強大な“秘密”が控えているのかと勘ぐりたくなります。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・ある疑惑を追及する取材班。架空の投資話で3億円を超す金を集めたとされる人物に辿り着いた。裁判所から被害者への賠償を命じられているが、応じていない。この人物が海外に持つペーパーカンパニーの存在が世界的なリークによって明らかになった。
・史上最大のリーク「パナマ文書」。中米パナマの法律事務所から流出した膨大な内部資料だ。世界の権力者や富裕層が資産隠しや税金逃れを行っていた実態を白日の下にさらした。
・NHKはパナマ文書を分析する国際的な調査報道プロジェクトに参加。700人を超す日本人の存在が初めて浮かび上がった。元外交官や大企業の経営者、弁護士、医者。一体、何の目的があったのか。
・それだけではなかった。一般市民の個人情報が知らぬ間に流出。犯罪に巻き込まれている事実も判明した。
・日本人700人のファイルを徹底追跡。パナマ文書の衝撃、新たな真実に迫る。
<世界激震 史上最大のリーク>
「私はジョン・ドゥー。データに興味はあるか」
・名無しの権兵衛を名乗る人物からもたらされた史上最大のリーク「パナマ文書」。南ドイツ新聞を経由してアメリカにあるICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)に持ち込まれた。
・その内容は、中米パナマにある法律事務所が設立を手がけたペーパーカンパニーなど21万社分のデータ。設立を依頼した顧客の書類や電子メール、パスポートなどの個人情報も含まれる。
・気の遠くなるような量のデータを各国のジャーナリストが共同で分析、権力者や富裕層の資産隠しや税金逃れの実態を暴いてきた。
世界に激震が走りました。違法行為や、合法だとしても市民から見れば認め難い行為が蔓延していたのです(ICIJのジェラルド・ライル代表)
<富裕層 著名人 いったい何の目的で?>
・パナマ文書に日本人の名前はどれだけ含まれているのか。NHKは6月、ICIJの調査報道プロジェクトに参加。メンバーしかアクセスできないパナマ文書の全データを入手し、詳細に分析した。
・これまでICIJが公表してきた日本人は200人。今回新たに500人のファイルが見つかり、パナマ文書に名前が記載されていた人の数は700人を超えた。その一人一人を辿り、詳細を確認する取材が始まった。
関係ないな。パナマなんか、わしとは全然関係ない(海外のペーパーカンパニーの株主だった資産家)
・リストアップした元外交官や大企業の経営者、芸能関係者などを次々にあたった。
・そうした中、著名な漫画家が取材に応じた。累計発行部数1200万部、少女漫画「キャンディ・キャンディ」を描いたいがらしゆみこさん。本人が代表となっている会社の書類が、パナマ文書の中から見つかった。
(どういう経緯で会社を設立された?)
会社を設立って…(いがらしさん)
・本人の名前を書いてもらった。パナマ文書にあったサインと筆跡を比べてみると…。
違うじゃん、誰?他の人がサインして会社できるの?戸惑いますよね(同上)
・本人は心当たりがないという。
・ペーパーカンパニーを作った理由を語る人物は居ないのか。海外に巨額の資産を保有していた男性に辿り着いた。年齢や職業、資産の総額は一切明かさないことが取材の条件。世界に数本しかない腕時計も個人されるおそれがあるという。
(趣味は)車のコレクターなんですけど(男性)
(何台お持ちですか?)
2ダース(24台)弱ですね。1台は世界10台限定なんで、3億超えるんじゃないですか(同上)
・パナマ文書には、男性がイギリス領バージン諸島に所有する2つの会社の書類があった。そこに税務申告していない巨額の資産を持っていたことを認めた。
その金を使って、おいしい、ふだん食べないような高価なものを食べたり、あるいはカジノで遊んで使ったり(同上)
・バージン諸島などタックスヘイブンと呼ばれる国や地域には税率が極めて低い。そこにペーパーカンパニーを作り資産を置くことで、税金を低く抑えることができる。
・そのタックスヘイブンにある会社の存在をパナマ文書によって明らかにされた男性。自ら国税当局に資産を申告し、膨大な税金の支払いに追われることになった。
すごい(高額)納税者ですよ僕、はっきり言いますけど。年間さっき言った一番高い車分ぐらい毎年払うことになる(同上)
(一番高い車分ぐらい?)
2~3億払うんじゃないですか、毎年。もっと払うんじゃないですか(同上)
・多くの富裕層がタックスヘイブンを使い、納めるべき税金を免れている実態がある。男性は、自分のケースは意図的ではないので批判はあたらないと主張した。
“妬み”“ひがみ”“そねみ”みたいな文化が日本には根づいている。ちょっと目立つと打たれる、いじめられる。金持ちを“悪”とか“悪い人ばかり”という意識は持たないでもらいたい(同上)
<“巨額年金資金消失事件”解明の糸口をつかめ>
・700人の日本人ファイルを追う取材班。タックスヘイブンが国内のある経済事件に繋がっている可能性が浮かび上がった。浅川和彦という名前、詐欺事件の首謀者として実刑判決が確定した人物だ。
はっきり申しまして、だます気は全くありません(浅川氏)
・浅川和彦とは2012年に発覚した年金資金消失事件の中心人物で、投資運用会社AIJ投資顧問の元社長だ。全国の年金基金などから預かった1458億円の運用に失敗。その損失を隠蔽し、詐欺などの容疑で逮捕された。これまでの捜査や裁判で、預かった金のうち1200億円は運用の失敗などで失われたとされている。
・この事件の被害者は90万人に上る。その一人、ガソリンスタンドの経営者の大橋東四郎さん(59)。65歳から受給する予定だった毎月の年金を失うことになった。
許せないですよね、本当に許せない。今まで積み立てたお金がなくなって、さあこれからの老後はどうしようかなと思ったときに大変がっかりして。隠しているもの全て出して謝ってくれと言いたい(大橋さん)
・事件から4年。これまでAIJ側から回収できたのは、被害者が預けた年金資金の10分の1以下に留まっている。被害者に返されるべき金はどこかに残っていないのか。
・あらためてパナマ文書を調べ、裁判の過程でも見過ごされていた浅川元社長のペーパーカンパニーの存在を突き止めた。イギリス領バージン諸島にあるAIMとNICの2つのペーパーカンパニー。これらは事件で消失した年金資金と関係はないのか。
・取材班は都内にいた浅川元社長を見つけ出した。詐欺などの罪で懲役15年の刑が確定し、収監される直前だった。浅川元社長がインタビューに応じた。
(パナマ文書に浅川さんの名前が出ている)
出てるの?うそ?俺そんなの知らないけど、冗談だろ。へえ、俺、英語しゃべれねえしさ、こんなの分からねえよ(浅川氏)
・ペーパーカンパニーのことは知らないという浅川元社長。しかし更に追及すると、かつて証券マンだった時期に顧客の不正に協力するために作ったと説明した。
当時、悪いことだな、考えたら。そこにお金を流して、そこから日本の株を買うとか(同上)
(それは名義を出したくない人?)
出したくない人、そういう形で利用していた。分かんない形で流したいじゃない。自分の所の株価操作してたの。そんな別に僕が(2つの会社)をもって私服を肥やすとか、そういうのじゃないから、全くさ。AIJ投資顧問なんか全く関係ないし(同上)
・あくまでペーパーカンパニーは古い時代のもので、AIJの事件とは無関係だという浅川元社長。しかし、パナマ文書の記録には不可解な点があった。
・タックスヘイブンでは代表者の名義を代理人にすることで、実際に誰が資産を持っているのか隠すことができる。浅川元社長のペーパーカンパニーも株価操作に使われたとされる時期、代表者の名義が代理人のものになっていた。
・ところがAIJの不正が発覚した前後、代表者の名義が浅川元社長に変更されていた。なぜこの時期に本人の名前が表に出る状況になっていたのか。
(時期的にAIJの金融庁の検査が入った頃に名義が浅川さん個人に変わっているんですよね)
2012年2月1日に変わっている?こんなことはないよ。だってじだばたしてないもん。2つだけ(会社が)残っているけど、実際問題はただ口座があるだけですよ。僕ね、現金ね、全く取ってない。それだけですね、取ってないし(同上)
(懐に入れていないと?)
そう、懐に入れてないのは事実だから(同上)
・浅川元社長は不可解な名義変更について知らないと繰り返し、この3日後、刑務所に収監された。
・NHKはパナマ文書から見つかった浅川元社長のペーパーカンパニーの存在を報道。これを受けて新たな動きがあった。被害者への資金回収の一環として、浅川元社長が持つ2つの会社の口座の調査が行われた。関係者への取材で一つの口座に約1000万円が残されていたことが分かった。隠れていた資金の一部を初めて掴んだ。
・口座に残る1000万円、そしてペーパーカンパニーの不可解な名義変更。それらは何を意味するのか。今月中旬、そのことを解き明かす糸口になる人物に行き着いた。浅川元社長が2つのペーパーカンパニーを作った当時を知っていた。
(浅川元社長は証券マン時代)非常に優秀なセールスマンであった。僕の記憶だと、俺たちも(ペーパーカンパニーを)持っているから、俺(浅川元社長)も作ろうっていうノリだったと思いますよ(男性)
・ペーパーカンパニーの運用に精通し、浅川元社長とも近い関係だったこの人物。一つの見方を示した。不可解な名義変更は、浅川元社長が急いで資金を動かすためだった可能性があるという。
・不正が発覚した際、名義が代理人のままでは金を動かす手続きに時間がかかる。名義を自分の名前に変えれば、金の出し入れを迅速に行えるようになる。自分の名前を表に出してでも、口座にあった金を別の場所に移動させようとしたのではないかというのだ。
銀行口座のサインも(名義が)自分であるならば、直接銀行に指示が出せるわけですよね。名義を変えてから資金移動が行われた可能性はある(同上)
・ペーパーカンパニーの口座にあった1000万円も、巨額の資金を移動させた後に残った金だと考えれば説明がつくという。
1千万程度ぐらいのものなら(年金資金消失事件)全体から見れば、本当に忘れてしまうというような小さな数字という位置づけで考えられますから(同上)
(今回発覚した2社は一つの点に過ぎない?)
表にちらっとね、途中しっぽが見えないで、頭が見えんで、背中の毛が見えたという感じ(同上)
・この人物の見方どおりであれば、被害者に戻すべき金がまだ残っている可能性が出てくる。収監されている浅川元社長に質問を送ったが、今のところ回答は来ていない。
<謎のペーパー会社 誰が何のために?>
・権力者や富裕層による税金逃れや、犯罪者による資金隠しの実態を明らかにしたパナマ文書。今回700人の日本人ファイルの調査によって、これまで全く知られていなかった問題も浮かび上がってきた。
・取材班が注目したのは、ある奇妙な共通点を持つ7人の存在。カリブ海にあるイギリス領の島アンギラの同じビルの中に、それぞれペーパーカンパニーを所有している。
・パナマ文書から見つかったのは、7人が会社設立の際に提出したパスポート。そして住所を証明するための日本の携帯電話の請求書。日本での住所は全国各地に散らばっているが、アンギラの会社は同じ場所にある7人。この符合は何を意味するのか。アンギラに会社を持つ7人全員を捜したが、パナマ文書にあった住所は全て実在しないか、無関係の人が住んでいた。
・取材は行き詰まるかと思われた。しかし宇都宮で捜していた人物が思いも寄らない場所で見つかった。新宿・歌舞伎町で働くホストだった。
(海外の会社の取材をしていて、お名前が出ていたので)
僕ですね(男性)
(会社が…アンギラってご存じですか?)
分かんないです(同上)
・自らが代表者となっている会社について身に覚えのないと繰り返す。
アンギラって国ですよね。初めて聞きました(同上)
(パナマ文書ってご存じですか?会社名がビクトリー…知ってます?)
いや、分かんないです。パナマ文書?(同上)
・パナマ文書にあった携帯電話の請求書を見せたが、それも知らないという。本当のことを言っているのか、確認のため取材班の前で問い合せてもらった。
ドコモの請求書が来ているんですよ。僕は契約した覚えがないんですよね(電話する男性)
今、確認をいたしますので…そうですね、今の番号ですと、該当の番号が見当たらないんですけども(ドコモの担当者)
・携帯電話は契約自体が存在していなかった。何者かが請求書を偽造した可能性がある。
・では、パナマ文書にあるパスポートが本人のものと一致しているのはなぜなのか。男性は去年、暮らしていた寮で盗難の被害に遭ったと説明した。
朝起きて「バッグがない」(と気付いた)。中にいろいろと大切なものが入っていたから警察に行って届け出した。確か記憶ではパスポートと…(男性)
・被害届の記録が確かに残されていた。パスポートはその後発見され、手元に戻ってきたという。
(もう一度聞きますが、ご自身が関わった会社ではないのか?)
ないですね。全然知らない会社です(同上)
<盗まれた個人情報 国またぐ犯罪の黒幕は>
・ペーパーカンパニーは何者かの手によって作られていた。この事態に巻き込まれているのは、1人だけではなかった。さらに別の人の所在も分かり、確認に向かった。大学に勤める男性もアンギラの会社に全く身に覚えがなく、得体の知れない不安から顔は出さないでほしいと言う。
(これが会社の設立証明書です。こちらがご自身の名前で取締役任命の書類ですね)
全く心当たりがない(男性)
お客様のデータは該当がない(携帯電話会社の担当者)
・男性も偽造された請求書が使われていた。パスポートは本物と一致。
すごく気持ち悪いです。当然これ(会社設立)は私の意図していないところでやられているので消したい(男性)
(どこかでパスポートを紛失したり、盗まれたりしたことは?)
ないですね。パソコンを借りるときに日本の業者に送ったのが去年のたぶん5月ぐらい。同じようなことをおっしゃるような人っていないですか?(同上)
・レンタル業者からパスポートの情報が漏れていたのではないか、直接確かめることにした。
(この男性、本当に御社にパスポートを提出された記録がありますか?)
はい、ありました(パソコンレンタル業者)
(間違いない?)
そうですね(同上)
・取材班は念のため、アンギラに会社を持つ他の人たちの名前も確認した。
(この方はいかがでしょうか?)
この方もご利用いただいた履歴がございました(同上)
・盗難被害に遭っていた男性以外の6人は全員、この業者にパスポートなど個人情報を提出していた。アンギラにある6人の会社の設立は、全てレンタルの申し込みをした後だった。
自社から漏れていた可能性は十分あると受け止めている。本当に6名の皆さまには申し訳なく思っている。真摯に受け止めて原因を追究しなければいけないと思っている(同上)
・盗まれた個人情報を使って設立されていたアンギラの会社。目的は一体何なのか。社名で検索すると、殆どの会社が「出会い系サイトの運営会社」として名前が挙がってきた。
・出会い系サイトは組織的な犯罪が相次ぎ、去年は60億円を売り上げていた業者が摘発された。暴力団の資金獲得に利用されるケースもあると警察は見ている。そうした摘発を免れるため、市民の個人情報を隠れ蓑にしている可能性がある。
・個人情報を盗まれた被害者の中には、実際に出会い系サイトの運営責任者として知らないうちに名前が使われている人もいた。多田羅恵見さん、香川県小豆島で特産のオリーブを扱う仕事をしている。
(これがパナマ文書。この会社の取締役ということを表している。心当たりは?)
全く知らないです。普通に小豆島で仕事してましたから(多田羅さん)
・多田羅さんも以前、パソコンを借りた際にパスポートを提出していた。全く身に覚えがないまま、出会い系サイトの運営者とされていた多田羅さん。
どういうこと?ありえない。運営責任者…やっていないです、やってない(同上)
・サイトで起きるトラブルや犯罪に巻き込まれる可能性さえある。
自分(の名前)が載っているという、もう恐怖以外の何物でもない。どういう目的の会社であれ取り消せる、取り下げられるものならそうしたい(同上)
・何も知らない市民を隠れ蓑にした卑劣な犯罪行為。名前を悪用している出会い系サイトに直接連絡。海外にかかったが…。
おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をご確認ください。
・複数の国にまたがって一連の事態を引き起こしているのは、一体誰なのか。アンギラの会社設立の経緯をパナマ文書から辿ると、いずれも香港の仲介業者と法律事務所モサック・フォンセカの香港オフィスが関わっていたことが分かった。モサック・フォンセカは本部が中米パナマにあり、まさにパナマ文書が流出した震源地だ。
・取材で明らかになった構図は次のようなものだ。まず日本人の個人情報が何者かによって盗まれる。その情報は国境を越えて香港の同じ仲介業者に渡る。仲介業者はモサック・フォンセカ香港オフィスに情報を流し会社設立を依頼。モサック・フォンセカの手によってアンギラに会社が設立され、出会い系サイトの運営に使われたと見られる。自らは一切表に出ず、犯罪行為に及んでいる者の姿がおぼろげに浮かんできた。
・国境をまたぎ犯罪がグローバル化する時代。ジャーナリズムの現場にもパナマ文書をきっかけに新たな潮流が生まれている。9月にネパールでアジア調査報道会議が開かれた。
人身売買・臓器売買はこちらのグループ!水質・環境問題はこちら!(会議関係者)
・世界のジャーナリストたちが複数の国にまたがる問題を共同で取材する取り組みが広がっているのだ。
・パナマ文書から明らかになったのは、犯罪者たちがタックスヘイブンの不透明さを利用してマネーロンダリングなどを行っていた実態だ。メキシコの麻薬王や中東の過激派組織に繋がる資金源が暴かれた。
・NHKの取材班は、パナマ文書のプロジェクトに参加する香港のネットメディアと市民を隠れ蓑にした犯罪行為について情報を共有した。
日本のケースでは自分がペーパーカンパニーの重役になっていることを知らなかった人もいたんです(取材班)
「なぜ私の名前が、パスポートが使われているんだ」と(取材班)
その人は有名人?(香港側)
いいえ、一般の人たちです(取材班)
・日本と香港で共同取材することが決まった。
・アジアの金融センター・香港、ペーパーカンパニーの設立を仲介する業者が乱立している。パナマ文書が流出したモサック・フォンセカと取り引きしている仲介業者だけでも2000社を超える。
・共同取材することになった香港のHK01。パナマ文書から香港の政治家や政府高官などが秘密裏に行っていたビジネスを暴き、大きな反響を呼んでいる。
これが特集ページ。政治家の不正を追及しました(関係者)
・HK01のウェン・ジャン記者は仲介業者の実態を探ることにした。
もしもし、こんにちは(電話する記者)
こんにちは(電話先)
ペーパーカンパニーを作るにはいくらかかりますか?(記者)
5万香港ドル(65万円)です。会社設立に必要なのは、パスポートと住所を証明するものだけです。顧客とはメールのやりとりが基本ですから、本人が来る必要はありません(電話先)
・香港では金さえ払えば、いとも簡単にペーパーカンパニーを作ることができるという。
・HK01から仲介業者の情報を得たNHKの取材班は、被害者の一人とともに香港に向かった。出会い系サイトの責任者として名前を悪用されていた多田羅さん、自分の名前で作られた会社を閉鎖したいという。
・HK01の記者たちも、日本人の個人情報が香港で悪用されている現実を大きな問題だと受け止めていた。
自分のやったことではないので、それを取り消すため(多田羅さん)
これまで仲介業者の実態は闇に包まれてきました。日本と香港の共同取材でそれを明らかにしたい(HK01調査報道取材班のエドワード・チョイ主任)
・会社を閉鎖したいという多田羅さん。アンギラにペーパーカンパニーを登記したモサック・フォンセカの香港オフィスに向かった。現れたのは、パナマ文書に名前が出ていた女性。多田羅さん名義の会社を設立した際の担当者だ。
彼女は知らない間に会社の代表にされています。どうすれば閉鎖することができますか?(取材班)
会社を閉鎖するにはお金がかかりますが、その際も仲介業者を通じて(多田羅さんが)支払ってください。(多田羅さんの)会社に責任があるのは仲介業者です。私たちは仲介業者の依頼で動いているだけで責任はありません(モサック・フォンセカ担当者)
彼女は誰が自分の個人情報を盗んだのか、それをあなたたちはどう確認したのか知りたがっています(取材班)
そんなことは私たちは知りません。仲介業者が知っているでしょうから、そちらに聞いてください(モサック・フォンセカ担当者)
・モサック・フォンセカに日本で盗まれた個人情報を流した仲介業者。そもそも誰が会社設立を依頼したのかを知っている可能性がある。担当者を割り出し、接触に成功した。現れたのは日本語を流暢に操る中国人女性だった。
私は恵見といいます。私自身はやった覚えがないんですけど、アンギラに法人が登記されているようなんです。どこから依頼されたものかとか教えてもらうことはできます?(多田羅さん)
でもうちはそういう情報全然公開できない。うちのルール違反でできません(仲介業者)
(本人か)どこかでチェックする必要ないんですか?(取材班)
ないですよ。全部ないよ。どれも仲介会社はそうですよ。“本人じゃないと会社は作らない”ということじゃないですよ(仲介業者)
・被害者を前にしても依頼人について話そうとしない女性。同じ被害に遭っている日本人は一人だけではないと伝えた。
本当の依頼者は誰?(取材班)
全部同じところ(仲介業者)
同じところから依頼されたということ?(取材班)
日本の会社、投資の会社。うちはけっこう長いですよ(仲介業者)
長いお付き合いを(取材班)
でもここまでだけ言いますよ。他は言えない(仲介業者)
・背後に日本の投資会社が存在すると明かした女性。しかし詳細については口を閉ざした。そして、法は犯していないと繰り返し強調した。
犯罪を手伝っていることにもなるのでは?(取材班)
うちも(盗まれた個人情報かどうか)分からない。分からないからもういい。うちは法律違反じゃないし(仲介業者)
そしたら自分は加害者、被害者どっちだと思います?(取材班)
もう被害者でしょ。パナマ文書の被害者は自分(仲介業者)
でも多田羅さんの立場からすると…(取材班)
分かるよ。でもどれだけ言われても意味がないでしょ。そういう代行会社(仲介業者)のルールですよ(仲介業者)
・盗まれた個人情報が悪用されペーパーカンパニーが作られている事態を、香港ではどう受け止めるのか。香港の議会で金融行政を監督している議員が取材に応じた。
何らかのシンジケートや犯罪集団が関わっている可能性もある。被害者は外国人で、それは香港の国際金融センターとしてのイメージを汚すことに繋がります。絶対に許せません。今回はパナマ文書によって明らかになった分だけで、他にもっと同様の被害があるかもしれない。だとしたら事態はより深刻です。仲介業者を取り締まる対策が絶対に必要です(香港特別行政区立法会のケニス・レオン議員)
・パナマ文書によって犯罪に巻き込まれていたことを知った多田羅さん。せめて自分の名前が使われた会社を消し去りたいと願っている。
自分の意思でやっていることじゃない以上、どこかの時点で誰かが悪意を持って(個人情報を)利用したということだろう。何か起こったとしても、それは全く“自分ではないもの”。そういう意味で自分のアイデンティティをすごく損なわれている、侵されている。それは自分の人生でもないし、生き方でもない。それは取り戻したい(多田羅さん)
・NHKと香港のHK01は、市民を巻き込んだ国際的な犯罪行為を同時に報じた。
・盗まれた個人情報を悪用し、ペーパーカンパニーを設立していた日本の投資会社。その正体とは?
・年金資金消失事件で失われた金はどこまで解明できるのか、取材は今も続いている。
・パナマ文書からは新たにアジアとヨーロッパにまたがる美術品取引を巡る疑惑も浮上。イタリアのジャーナリストと連携し取材を始めた。
アート(美術品)はマネーロンダリング(資金洗浄)に使われている。特に(イタリアの)マフィアと(日本の)暴力団に(イタリアのジャーナリスト)
・権力者や富裕層、そして犯罪者。現代の様々な欲望を覆い隠すタックスヘイブンの闇。私たち自身が知らないうちに、その闇に引き込まれる危険性も新たに見えてきた。パナマ文書、その全貌を明らかにするための追跡はまだ続く。
(2016/11/28視聴・2016/11/28記)
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司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち 第1集 “島国”ニッポンの叡智
CYBER SHOCK~狙われる日本の機密情報~
史上最悪の感染拡大~エボラ 闘いの記録~
ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~
新・映像の世紀・第4集 世界は秘密と嘘に覆われた
シリーズ東日本大震災 原発事故5年 ゼロからの“町再建”~福島 楢葉町の苦闘~
震度7 何が生死を分けたのか~埋もれたデータ 21年目の真実~
シリーズ 激動の世界・第3回 揺れる“超大国”~アメリカはどこへ~
シリーズ 激動の世界・第2回 大国復活の野望~ロシア・プーチンの賭け~
シリーズ 激動の世界・第1回 テロと難民~EU共同体の分断~
新・映像の世紀・第3集 時代は独裁者を求めた
自衛隊はどう変わるのか~安保法施行まで3か月~
未解決事件 追跡プロジェクト~埋もれた情報 動き出した事件~
調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス”
いのち~瀬戸内寂聴 密着500日~
シリーズ東日本大震災 追跡 原発事故のゴミ
パリ同時テロ事件の衝撃
シリーズ認知症革命・第2回 最後まで、その人らしく
シリーズ認知症革命・第1回 ついにわかった!予防への道
アジア巨大遺跡・第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~
アジア巨大遺跡・第3集 地下に眠る皇帝の野望 ~中国 始皇帝陵と兵馬俑~
盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~
シリーズ東日本大震災 “津波の海”を潜る~三陸・破壊と回復の5年間~
アジア巨大遺跡・第2集 黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~
アジア巨大遺跡・第1集 密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~
“ジョーズ”の謎に挑む~追跡!巨大ザメ~
私が愛する日本人へ~ドナルド・キーン 文豪との70年~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第3集 火山列島 地下に潜むリスク
作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~
老衰死~穏やかな最期を迎えるには~
緊急報告 列島大水害
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第2集 大避難~命をつなぐシナリオ~
巨大災害 MEGA DISASTERⅡ 日本に迫る脅威 第1集 極端化する気象~海と大気の大変動~
老人漂流社会~親子共倒れを防げ~
新島誕生 西之島~大地創成の謎に迫る~
“終戦”知られざる7日間~“戦後”はこうして始まった~
カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~
女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~
アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~
“あの子”を訪ねて ~長崎・山里小 被爆児童の70年~
特攻~なぜ拡大したのか~
憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~
きのこ雲の下で何が起きていたのか
密室の戦争~発掘・日本人捕虜の肉声~