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【歴史秘話ヒストリア】挑戦!80日間世界一周

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【歴史秘話ヒストリア】
「挑戦!80日間世界一周」

(NHK総合・2016/11/4放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 新聞社主催の世界一周レース。しかも挑んだのは女性記者という、今やったとしても面白い記事「ネタ」でしょうね。途中経過の記事はどうやって配信したんだろう。ヨーロッパには特派員はいたのでしょうけど、日本やアジア、中東などはどうだったのか。ちょっと興味が尽きないですね。

 そして一番の関心はネリーとエリザベス、どちらが先にゴールインしたのか。ネットで調べれば分かると思いますが、あえて知らないまま来週の放送までのお楽しみにしたいと思います。西回りのエリザベスが有利のように見えますが、行動力ではネリーが抜きに出ているような気がします。さてさて、どっちでしょうか(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今から120年前、蒸気の力で世界がぐーんと小さくなった時代、二人のアメリカ人女性記者がニューヨークを旅立った。一人は東へ、一人は西へ。そのミッションはただ一つ。「相手より早く世界を一周せよ!」。
・二人は19世紀末の世界を駆け抜けていった。エッフェル塔が完成し万博に沸くフランス、キャラバン行き交うアラブの国々、そして明治維新まもない東洋の神秘・日本。
・初めて訪れる世界には発見や感動が満ち満ちていた。でも女性の一人旅、危険やトラブルが連発。果たして二人は無事世界一周できるのか?どちらが先にゴールできるのか?

<旅の始まりは突然に>
・「SFの父」と呼ばれた作家ジューヌ・ヴェルヌ。「海底二万里」「月世界旅行」など数々のロマンあふれる空想科学小説を執筆した。中でも「80日間 世界一周」は彼の代表作。物語の主人公はイギリス紳士フォッグ。彼は最先端の鉄道や蒸気船を駆使すれば80日で世界を一周できると主張。証明のために旅立った。そして数々のピンチを知恵と勇気で乗り越え、見事成功させたのだった。もちろんこれは架空の物語。1873年にこの本が出版されて以来、実際に80日間で世界一周した人はいなかった。
・時は流れ1889年、その記録に同時に挑戦したのがニューヨークで働いていた二人の記者、ネリー・ブライとエリザベス・ビズランド。ともに20代で海外に出るのも初めてだったという。
・1889年11月11日。ニューヨークのワールド新聞社。世界の歴史を塗り替える大冒険の旅が始まろうとしていた。新聞社の若きエースだったネリー・ブライ(25)、得意技は体当たり取材。患者のふりをして悪徳病院に潜入したり、ブラック企業で働いて告発記事を書いたり、数々のスクープをものにしてきた熱血記者だった。
・世界一周企画もネリーが考えたものだった。ヴェルヌの小説をヒントに、世界中の船や鉄道の時刻表を徹底調査。計算上は75日で世界を一周できると突き止めた。当時の新聞記事(ニューヨーク・ワールド紙。1889年11月14日)。一面使っての大特集。

30,000マイル 超特急の旅!!
ジュール・ヴェルヌの描いた旅は果たして現実となるのか!?


・熱血記者ネリーのアイデアは、一大プロジェクトとして動き出した。彼女は急いで荷造りに取り掛かった。当時の女性の旅はといえば、トランクを何個も持っていくのが当たり前。彼女はカバン一つで世界一周の旅に出た。タテ17cm、ヨコ30cm。着るものは上着と寝巻きと下着だけ。新聞記者なのでペンや紙などの筆記用具はマスト。どうしても外せなかったのが巨大なコールドクリーム。お肌の手入れには欠かせないものだった。
・旅のいでたちもネリー流だった。左手には手提げカバン、ウール製で動きやすいデザインのアルスターコートにトレードマークのシャーロックホームズハット。ネリーは世界一周の荷物について聞かれると、いつもこう答えた。

私の旅の目的は少しでも速く旅をすること。だから周りに見栄なんて張らなければ荷造りなんてとても簡単(ネリーの旅行記より)

・1889年11月14日。ニューヨークの玄関口であるホーボーケン港。空想上の記録「80日間 世界一周」に挑む旅が、ここから始まった。ネリーが乗ったのは蒸気船「アウグスタ・ヴィクトリア号」。当時の最新の技術で建造され、大西洋航路最速のスピードを誇った船だった。最初の目的地イギリスまでは約5,000km。7日間で大西洋を横断する予定。しかし出航直後、思わぬ事態がネリーを襲った。

私は手すりに飛んでいった。船酔いだった。まさかこれほど揺れるとは、まったく予想もしていなかった(ネリーの旅行記より)

・実はネリー、海外旅行はこれが初めて。
・ちょうどその頃「80日間 世界一周」の第一報は大きな話題になっていた。そこにネリーのワールド新聞社のライバル、コスモポリタン社の編集長が読んでいた。
・編集長の予想ではネリーの東回りルートには2つの問題があった。一つは南シナ海、冬場に北東の強い季節風が吹く。船は向かい風の中を進むことになり、最悪4日ほどの遅れが出る可能性があった。もう一つはアメリカに戻ってから。予定では真冬の1月に大陸を横断することになる。大雪が降れば列車が止まりかねない。彼女と反対の西回りなら、この問題は避けられる。後から出発してもネリーより先にニューヨークに戻って、話題を独占できるという作戦だった。
・早速、一人の女性が呼び出された。業界一の美人記者エリザベス・ビズランド(28)、彼女は根っからの文学少女。シェークスピアをこよなく愛し、普段は文芸欄のコラムを担当。感性豊かでおしとやかな記者だった。
・編集長は一刻も早く出発させようと、猛烈な勢いで説得した。結局、押し切られてしまった。出発の準備に許されたのは5時間。
・ニューヨークのグランド・セントラル駅。ネリーから8時間後、エリザベスも出発。80時間世界一周、しかも女性の2人のレースという、前代未聞の旅が始まった。

今朝起きたときは、いつもどおりの毎日だったのに、夜には世界一周の旅に出ていました。私の顔はひきつり、真っ白になっています。いろいろな考えで頭が混乱し、旅を始めた最初の数時間のことは殆ど覚えていません(エリザベスの旅行記より)

・エリザベスが乗ったのは、ニューヨークと西海岸を結ぶ大陸横断鉄道。開通したのは1869年。それまで馬車で2か月以上かかっていたアメリカ横断の旅は一気に短縮された。彼女が旅したときに造られた蒸気機関車の最高時速は100km。当時、人類が手にした最も速い乗り物。アメリカ横断に必要な日数は僅か5日になっていた。
・ニューヨークを出て約48時間後、エリザベスに最初の試練が訪れた。大陸横断鉄道、最大の難所のロッキー山脈。線路は急勾配、更に急なカーブが連続する。いかに最新の機関車でも速度を落とさなければならない。旅の遅れは避けられないと思われたそのとき、彼女の前に協力な助っ人が現れた。人呼んで「つむじ風のビル」。

ビルは帰還者の乗り込むなり言いました。「時間通りに着くか、地獄に行くかだ」(エリザベスの旅行記より)

・ビルはレバーを握るや列車を急発進させた。

まるで嵐の中を進む船の様にように激しく揺れました。地面は列車の下を飛び去り、線路には火花が散っています(エリザベスの旅行記より)

・絶妙な蒸気のコントロールで、機関車は山あいをすり抜けていった。実はビルは山専門の凄腕機関士。この夜、つむじ風のビルはロッキー越えの史上最速記録を打ち立てた。
・エリザベスの目の前に広がっていたのは、果てしない海・太平洋。ここから先は未知の世界だ。ニューヨークを出て7日目、彼女もネリー同様アメリカを離れ世界へと飛び出していった。

<ネリー 秘密の世界地図>
・ニューヨークを最速の蒸気船で出発した東回りのネリー。無事、海を越え最初の国イギリスに到着した。当時のイギリスはシャーロック・ホームズが活躍したヴィクトリア朝時代。世界に植民地を広げ、大英帝国は黄金期を迎えたいた。
・船が着いたのは長い歴史を誇るま港町サウサンプトン。あの悲劇のタイタニック号が出発したのも、この港だった。船から降りるやすぐ鉄道に乗り換えようと急ぐネリー。そのとき現れたのは、ワールド新聞社のイギリス特派員。
・手渡したのは小説家ヴェルヌからの手紙。なんとフランスのアミアンの自宅に来いとのこと。80日以内にという急ぎの旅。アミアンに行くのは大きなロスだった。しかし世界一周に挑戦中の記者が「80日間 世界一周」の作者と世紀の会見。まさに特ダネだった。
・ネリーが訪れた2つ目の国はフランス。折りしもパリではエッフェル塔が完成したばかり。だが彼女はそんなパリには目もくれず、ヴェルヌのいるフランス北部の町アミアンを目指した。距離にすると300kmの遠回り。
・世界遺産にも登録されているアミアン大聖堂。フランスでも有数の歴史と文化を誇る町。ヴェルヌの自宅も大切に保存されている。ネリーが訪れた120年以上前と変わらぬ佇まいだ。
・大作家に招かれ、その自宅に足を踏み入れたネリー。偉大な空想科学の父、頭の中は冗談ばかりだった。こうなれば体当たり取材のネリー。ヴェルヌに頼み込み、書斎を見せてもらった。

驚いたことにヴェルヌ氏の仕事部屋はニューヨークの私の部屋と同じくらい狭かった。机の上には推敲中の小説の原稿が整然と積まれている。筆跡はとても美しく、目を奪われた。この小さな部屋から、あの歴史に残るいくつもの作品が生み出されていたのだ(ネリーの旅行記より)

・その時だった。古びた世界地図に、一本の線が書き込まれていた。小説「80日間 世界一周」で主人公で旅したルート。ヴェルヌが小説の構想を練った、まさにその地図だった。
・ヴェルヌが書き入れたのは小説とは異なるネリーのルート。彼女はこの先のルートを辿った。アラビアのアデン、インド洋のコロンボ、極東の横浜。自分は勿論、アメリカ人の殆どが行ったことのない未知の場所ばかり。
・ニューヨーク在住でネリーとエリザベスの伝記を書いたノンフィクション作家のマシュー・グッドマン氏は、この出会いがネリーを変えたと言う。

偉大な作家であるジュール・ヴェルヌと対等に話すこと、自分の体験を伝え、旅の話をすることはネリーにとって、とても刺激的でした。このとき彼女は分かり始めたのです。ジュール・ヴェルヌが空想の世界でしか出来なかったことを自分がこれから実現し、彼が描いた様々な世界を実際に自分が体験するのだということを。まだ旅行が始まったばかりの段階で、この地図を見たことは幸先の良いスタートになりました(グッドマン氏)

・フランスを後にしたネリー。その後、イタリアから船で地中海を渡りスエズ運河を通過。インド洋に出た。
・その頃、ライバルのエリザベスはというと、まだ太平洋の上。ようやく最初の国に辿り着こうとしていた。

<エリザベス おとぎ話の国>
・ニューヨークを出て24日目。太平洋の先に見えた光景をエリザベスはこう記している。

頂はただひとつ悠然とそびえ立ち、山裾へ美しい線を描いている。朝日の中で薄紅色に染まるこの山を、私は決して忘れないだろう(エリザベスの旅行記より)

・山の名は富士山、エリザベスが初めて訪れた国は日本だった。当時の日本は明治22年、急速に欧米の技術や文化を取り入れていた新興国だった。今や世界遺産となった富岡製糸場では生糸が作られ、鹿鳴館では華麗なパーティーが開かれていた時代だ。
・エリザベスの船は横浜に停泊し、36時間後に出航する予定。この間、未知なる国・日本の取材に飛び出した。当時、横浜を撮影し色を塗った貴重な写真が残されている。花屋、八百屋、魚屋さん。町にはまだ江戸時代の名残が残っていた。彼女は呉服屋を訪ねた。

織り糸は雪のように白く輝き、折り重ねられた布地は見る角度によって様々な色に変わった(エリザベスの旅行記より)

・さらに耳寄りな情報が飛び込んできた。「横浜の隣、首都の東京に日本を治めていた将軍のグレートなレガシー(遺産)がある」というのだ。飛び乗ったのは、ちょっとかわいい蒸気機関車、全線開通したばかりの東海道線。そして東京の人が教えてくれた将軍ゆかりの場所とは増上寺だった。
・エリザベスは境内の石段を上り、その先にあった徳川2代将軍・秀忠の壮麗な霊廟を訪れた。台徳院殿霊廟は1945年の空襲で焼失したため、現在は見ることができない。127年前、彼女が目にした霊廟とはどのようなものだったのか。明治時代、一流の職人たちが手がけイギリスの博覧会に出品された霊廟の精巧な模型が残されている。

中に入ると周りの壁は、紫がかかった赤に塗られていた。過ぎ去った長い歳月にも色は少しも失われていない。天井は見事な彫刻で飾られている。漆と金で描かれた数え切れないほどの龍や鳥、蓮や菊の花々が複雑にからみあっていた。その部屋は、とてつもなく完璧で大きな宝石箱のようだった(エリザベスの旅行記より)

・エリザベスは日本で得た感動を「おとぎ話の国」と表現している。

今まで足を踏み入れたことのない世界の扉が開かれたような気がしたのでしょう。それは彼女の知っていた、どの世界よりも素晴らしくて、まるで魔法の国。神秘的な場所にいるような気持ちになったのです。もしこの先の旅で素晴らしい経験がなかったとしても、日本を訪れる機会に恵まれただけで旅に出た価値があったと彼女は感じました(前出のグッドマン氏)

・思えば何が何だか分からないまま始まったエリザベスの世界一周への挑戦。しかし初めての国・日本で彼女は旅をする意味を見つけることができた。もっと世界を見てみたい。記者魂に火がついたエリザベス。日本を出た後、香港、シンガポールに向かった。
・一方、東回りのネリーも時を同じくしてアジアの海へ。ちょうど地球を半周した辺り、2人のルートが重なっていた。

(2016/11/5視聴・2016/11/5記)

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【ドキュメント72時間】夢みる巨大画材店

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【ドキュメント72時間】
「夢みる巨大画材店」

(NHK総合・2016/11/4放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 話には聞いたことがある「世界堂」さん。画材の品揃えでは他の追随を許さないほど豊富なお店で有名です。私は絵画やイラスト関係が全然才能がないので、残念ながら行く用がないと思います。

 それでも昔は、こういうタイプの文房具店がありましたね。どんなにマニアックなものでもあそこに行けば必ずあるという。あえて店名を書かないのは、昔そうだった某有名文具店に先日たまたま近くを通ったので寄ったら、豊富な文房具店からオシャレな文房具店に衣替えしていたからです。本当に何だこりゃと思いましたよ(苦笑)

 それはさておき、名もなき芸術家の皆さん。どれも個性的な方々でしたが、能面づくりの男性のインパクトが強かったですね。マイ能面の完成は果たしていつになるのでしょうか。完成した暁にはぜひ披露してほしいなと思いました。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・この世にはいくつの色が存在するのか?日本一の品揃えを誇る画材の専門店。ずらりと並ぶ8000色の絵の具。漫画に油絵、模型にオモチャ。あらゆる材料を求め、1日4000人以上が訪れる。
・どうして人は何かを創りたくなるんだろう?この場所で72時間、みんなの頭の中を少しだけ覗かせてもらおう。

・9月19日(月)12時。秋の大型連休最終日。東京・新宿にあるビルが今回の舞台となる画材店。
・色鉛筆の棚を眺めている女性。お墓参りの帰りにぶらりと立ち寄ったという。
・目移りするほど多彩な品揃え。売り場は1階から5階まで。上のフロアには更に本格的な画材も。
・外国人の女性が筆ペンに興味津々。これだけたくさんの品をオーストラリアで揃えるのは難しいという。機能もデザインも豊富な日本の文具。プレゼントやお土産にも人気らしい。
・フランスから来て9年になる金融業の30歳男性。漫画を愛し過ぎて独学で練習中らしい。夢はいつか「コミケ」で同人誌を売ること。
・14時8分。しゃがみ込んで熱心に商品を見つめる48歳男性。最近、怪獣フィギュアのデザイナーとして独立したばかり。昔から大好きだったウルトラマンの世界をイメージしているという。辛いときを支えてくれたのは、子どもの頃のワクワクした気持ち。
・その後も様々な画材を求める人が――。
・色鉛筆を購入した高校生の16歳男性。小さい頃から絵を描いているという。
・油絵の具を大量に買い込むのはタイ人の画家・52歳の男性。東京に来るたびにここで画材を買っているという。
・細い“木の棒”を持つ親子。団体職員の47歳男性は、木を使って架空の街の模型を造っているという。
・額縁が並ぶフロアの一角。店員と話し込む人がいた。趣味の油絵をたびたび展覧会に出しているという62歳女性。高価な額縁を注文するのは今回が初めてらしい。結婚して30年、独特な感性を持つ旦那さんとの長い夫婦生活。決意とともに作る額縁。これから先、どんな絵を飾るんだろう?
・夜9時。画材専門店の一日が終わった。

・9月20日(火)9時30分。朝から荒れた空模様。店の裏では商品の搬入が始まっていた。油絵のキャンバスばかりが大量に。
・並べられたそばから手に取る飲食店勤務の38歳男性。仕事が終わり帰宅した深夜、ふとキャンバスと向き合いたくなるときがあるらしい。
・“白いキャンバス”さえあれば別世界へと羽ばたける。
・子どもの頃から漫画を描き続けてきた香川出身の20歳男性。親の反対を押し切り上京、今年デビューを飾った。掲載が決まったら応援してくれるようになったという。
・東京で活動するカナダ人アーティストの男性。これまで多くの著名人の写真を手がけてきた。
・19時1分。夜、台風が関東に接近。人が減り、静かになった店内。その片隅に仕事帰り風の男性がいた。胡粉、にかわなど日本の伝統的な画材を買っていた。コンサルティングをしているという男性。趣味で能面を彫っているという。始まりは5年前、展覧会で見た能面になぜか心を奪われたという。海外への出張も多いけど、どこに行くにも肌身離さず持っていくらしい。体の奥底から沸き上がる、得体のしれない衝動。

・9月21日(水)9時44分。開店間もなく墨汁を探す男性がいた。建設現場で働きながら20年、ずっと抽象画を描き続けてきたという。家族から嫌がられることは承知で、こっそり買いに来た。やめたくてもやめられない。自分だけの自由な世界が待っている。
・“木製パネル”を探す男性。自分の写真を木に直接プリントするという。

・9月22日(木)9時30分。最後に出会ったのはパステルを手に取る女性。アニメのキャラクターを描いてオークションに出しているという。
・72時間で出会った“名もなき芸術家”は104人。手に取る道具の向こうには、色とりどりの宇宙が広がっていた。

(2016/11/5視聴・2016/11/5記)

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【ブラタモリ】#53 大阪~大阪はなぜ日本一の商都に?~

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【ブラタモリ】
「#53 大阪~大阪はなぜ日本一の商都に?~」

(NHK総合・2016/11/5放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 大阪は2度ほど行ったことがありますが、もう20年近く行っていないですね。印象に残っているのが実は食べ物ぐらいしかないもので(笑)、あらためて町を散策しに行ってみたいと思いましたね。

 「太閤下水」が今なお現役だという話はどこかで聞いたことがありますが、独特の町割りの話はちょっと驚きのものでしたね。でもすごく合理的な感じがするし面白いですね。

 次回の「ブラタモリ」も引き続き大阪が舞台。今度は大河ドラマとタイアップのようです。ちょうどドラマは大坂城籠城戦、真田丸築造の辺りですからね。楽しみです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今日のスタート地点はJR天王寺駅前。
・旅のお題は「大阪はなぜ日本一の商都に?」
・案内人は歴史を地形に着目し大阪の町を歩き回っている大阪高低差学会の新之介さん。
・大阪といえば商人の町というイメージがある。江戸時代の大阪の町を描いた絵図。武士の住む武家地と商人や職人が住む「町人地」の広さを比べると大きな差がある。
・後に「天下の台所」とも言われた大阪。まさしく日本の商業の中心だった。

・日本一高いビルと言われている、あべのハルカスに向かった一行。60階の展望台から大阪城方向を眺める。
・大阪の地形を立体化した地図を見てみると、市街地の真ん中に「上町台地」という台地が南北にのびている。その先端に大阪城がある。
・5500年前の地図を見てみると、今の大阪は殆どが海だった。上町台地だけが半島のように突き出ていた。
・織田信長が「大坂は凡そ日本一の境地なり」と言っていた。その頃、大阪は台地の周りの海だった場所に淀川などが運ぶ土砂が溜まり始め、湿地帯ができていた。

・あべのハルカスから上町台地を北に5kmほどの場所へ移動。上町台地の北の端っこが大きな段差になっている。西の方を見てみるとやはり高低差があり、北西のヘリになっている。
・台地のヘリを降りて先に進む一行。上町台地のすぐ北を流れる大川の川べりには1000年以上前から船着場があった。京都や奈良と川で繋がり、都への玄関口となっていた大阪。さらに西側には、中国や東南アジアからの船も来ていた瀬戸内海が広がっている。
・信長が目を付けたのはこの立地。大阪が日本の商業の中心地になると考えた。
・しかし信長は大阪を手に入れた2年後、天下統一を目前にして亡くなってしまう。信長の遺志を継いで大阪に日本一の城下町を築いたのが豊臣秀吉。
・秀吉は信長の「商都をつくる」という構想を実現するため、様々なアイデアで町づくりに挑んだ。その結果、大阪に経済活動の主役・商人たちが集まってきた。

・2人目の案内人は考古学が専門の大阪歴史博物館研究主幹の松尾信裕さん。40年発掘を続け、地中に眠る昔の大阪の姿を調べている。
・当時、上町台地の周りは人も住みにくい湿地帯だった。そこで城下町の整備も台地の上から始まった。
・中でも大阪城の西側の台地の上を歩くと、たくさんの町人を集めるため秀吉が工夫したことが分かるという。
・ビルとビルの間にある町の境目。東西にのびた通りの両側が同じ町になっている。秀吉は町を通りで区切らず通りを挟んだ両側が同じ町になるように区切った。
・秀吉は両側町(通りを挟んだ両側を単位とする町組)にすることで、住民同士の顔が見え安心して経済活動ができる町をつくろうとしていたのかもしれない。
・さらに秀吉は町の境目を利用し、町民が暮らしやすくなる仕組みをつくった。町境の隙間にはかつて排水溝があった。今もこの姿を直接見ることができる場所がある。
・日本一の商都を目指し、商人をはじめとするたくさんの町人を集めた大阪。衛生管理上、下水道の整備が必要だった。背中合わせの町境全てに下水道を通した(太閤下水)。人が歩く通りの邪魔にもならず、暮らしやすい衛生的な町にした。
・西に向かってたくさん流れていた太閤下水。下水が曲がっているところがある。谷底にあった川の流れを利用してつくられていた。
・谷だけでなく台地の傾斜など、地形をうまく利用して町の中に太閤下水をくまなく張り巡らせた。

・一行は秀吉が開発した新たな城下町である船場に向かう。当時の様子は屏風絵をみるとよくわかる。たくさんの行商人や両替商、さらには魚屋やうどん屋など様々な商店が軒を連ね、とても賑わっていた。
・船場の町割りも台地の上と同様、東西にまっすぐ引かれている。まさしく秀吉は“直線マニア”。大阪でもその手腕が存分に発揮されていた。
・さらに西に進んでいくと、道が斜めになっている。西横堀という堀があった場所。堀の東と西で道を引く基準が変わっている。東西方向にも江戸堀という別の堀があった。
・堀から西側は江戸時代に入り、町人の手によってつくられた町だった。慶長20年(1615年)大坂夏の陣で豊臣政権が滅亡、焼け野原となった大阪の町の復興、そしてさらなる拡大のため町人たちは湿地帯だった場所に堀を掘っては土を盛り、西へ西へと少しずつ町を広げていった。
・豊臣時代は強引にまっすぐ土地が造成されていたのに対し、町人たちは川の流れに沿って効率的に堀をつくっていった。
・町人たちがつくった堀の殆どは今では埋められてしまった。でもかつて堀があった場所をよく探してみると、痕跡が残っている。
・江戸時代、町人たちがつくった沢山の堀。これによって町中まで船が入れるようになった。そのおかげで日本各地の特産物が大阪に集まった。大阪はまさに日本の物流の拠点となった。

・さらに町人がつくった町の北側にある施設が建ち並んだ。一行は中之島へ。
・江戸時代の絵図を見ると、蔵屋敷(各藩の大名が年貢米や領内の特産物を売るために置いた倉庫兼邸宅)があった。広島藩のものは12の蔵と屋敷があったという。
・中之島周辺には広島藩以外にも全国各地、130余りの藩の蔵屋敷があった。まさに大阪は日本一の商都。「天下の台所」となった。

・かつて海の中にあった大阪の町。そんな悪条件の場所を豊臣秀吉や町人たちが切り開き、日本一の商都が誕生した。大阪は今も商いの町として発展を続けている。

(2016/11/6視聴・2016/11/6記)

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【NHKスペシャル】揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~

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【NHKスペシャル】
「揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~」

(NHK総合・2016/11/5放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 いよいよ直前となったアメリカ大統領選挙。私には当然のことながら選挙権がありませんが、関係ないと言い切ることはもちろん出来ない選挙戦。日米関係にも大きく影響を与えるからです。ただただ見守るしかありません。

 それにしてもアメリカは事実上、民主・共和両党のどちらかの代表しか大統領になれないという仕組み。今回の選挙は、その選択肢の少なさを感じる有権者が非常に多いのではないかと思います。「第三極」と自称する右派政党や老舗を誇る(?)左派政党が混在する日本とは異なる政党状況があります。

 それでも中間層や若者の閉塞感、行き場のない思いをクリントン氏、トランプ氏どちらの候補も正面から受け止めきれないように見て取れました。いわゆる「消去法」というやつでしょうね。そうなると思い切り右にブレるか、左にブレるかのどちらかだと思います。既存政治の打破や排外主義を唱える手法を取るトランプ氏に、民主支持から乗り換えている層が一定数いるのも頷けます。もし民主党の大統領候補がサンダース氏だったら…もっと違った情勢になっていたことでしょう。ただし彼の場合は予備選段階で、富裕層の資金力で全力で叩き出した感があるように見えましたが(苦笑)

 ということで、日本時間でいうと9日(水)の昼過ぎに大勢が判明するのでは?と言われています(もつれればもう少し後になる可能性も)。えっ?どちらが勝つのか私の予想は?…多くのアメリカ人が土壇場で「何だかんだ言っても“アメリカの顔”がアレだとちょっとマズイよね」という“究極の消去法”で女性初の大統領誕生かな、そんな風に感じています。当たるかどうかは分かりませんがね。

 ちなみにトランプ氏の発言で唯一共感できるのが「駐留経費を出さないと在日米軍を撤退させる」と言っていること。「思いやり予算」じゃ足りないようなので、大いに結構。諸悪の根源である在日米軍には、ぜひとも出ていってもらいたいですね。

 それから先、自分たちの国を守るために自衛隊の国防軍化(強化)がいいのか、それともあくまで憲法9条堅守かは日本サイドの問題。国会はもちろん国民レベルでも徹底議論して決めればいい。「まずは沖縄から日本から米軍さん、さようなら」は、右翼・左翼両者ともに相乗りできる課題ではないでしょうか。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・接戦となっているアメリカ大統領選挙。全米が注目する討論会を見に若者たちが集まっていた。大統領を目指すクリントン氏とトランプ氏。

この男は女性をブタ・まぬけ・犬と呼んだのです(演説するヒラリー・クリントン氏)

なんて嫌な女だ(演説するドナルド・トランプ氏)

・2人の言い争いを若者たちは笑い飛ばしていた。

バカ騒ぎだったね、いい余興だよ(男性)

どちらかが本当に大統領になると思うと笑えないよね(女性)

・建国から240年、大統領選挙はアメリカが目指す理想を語る舞台だった。

黒人も白人もヒスパニックもない。あるのは1つのアメリカだ(演説するオバマ大統領)

・しかしトランプ氏は過激な発言を繰り返すことで支持を集めてきた。

国境に壁をつくる!貿易協定は全て見直しだ!(演説するトランプ氏)

・そして噴き出したのが、人々の心に溜まっていた怒りと不満。自由と多様な社会を掲げてきた、アメリカの理念そのものが揺らいでいる。

特権階級への反発が国を分断しています。既存の政治はもはや信じられていないのです(元労働長官ロバート・ライシュ氏)

・予断を許さない情勢が続く大統領選挙。混迷する超大国はどこへ向かうのか。アメリカ社会で渦巻く異変の深層に迫る。

<“トランプ現象”の深層 チェンジ求める叫び>
・ホワイトハウスの次の主は誰か。決戦の日が近づいている。豊富な実績を誇る民主党のヒラリー・クリントン氏と、政治経験のない実業家、共和党のドナルド・トランプ氏の戦い。
・本命視されるクリントン氏に対し、トランプ氏は社会のタブーに触れる差別的で排他的な発言を繰り返しながら、建前だらけの既存の政治はもうたくさんだと、あくまで強気だ。
・そうした主張に、グローバル化の中に置き去りにされ怒りに駆られる労働者や、エリート支配に反発する人々が共鳴している。
・それは見過ごすことのできない一つの大きなうねりとなり、アメリカが拠り所としてきた資本主義や多様な移民社会といった価値観をも揺さぶっている。
・このいわばトランプ現象を引き起こしたマグマの正体は何か。本命クリントン氏が支持を伸ばしきれないのはなぜか。最初の手掛かりとして、8年前にオバマ大統領も掲げた「チェンジ」という言葉から探っていく。
・かつてアメリカ中を熱狂させたオバマ大統領の「チェンジ」という言葉。今回の取材で全く違う「チェンジ」を耳にすることになった。アメリカ中西部、全米で最も激戦となっている州の一つ、オハイオ。トランプ氏の集会に集まった支持者は口々に「チェンジ」を訴えていた。

古い政治は“チェンジ”しなくては(女性)

ヒラリーとオバマができなかった“チェンジ”を期待している(男性)

・チェンジを求める支持者にトランプ氏も応える。

サンキュー、オハイオ大好きだよ!ここに集まった大勢のアメリカ国民よ“チェンジ”の準備はいいか!(演説するトランプ氏)

・オバマ大統領が変革を呼びかけたときとは違う独特の高揚感。

私たちには“チェンジ”が必要だ。ヒラリーではこのままの政治が続いていく(同上)

・「チェンジ」という言葉は追い詰められたアメリカの叫びのように聞こえた(大越健介キャスター)。
・人々が求める「チェンジ」とは何か。伝統的に民主党の地盤だったにも関わらず、選挙戦を通じて共和党員が激増した町がある。オハイオ州ヤングスタウン、かつては全米有数の鉄の産地として栄えた白人労働者の町だった。
・リック・パップさん(62)は今回初めて、共和党の候補トランプ氏に投票しようとしている。彼は40年以上、製鉄所で働いてきた。8年前はオバマ大統領に投票したが、今回はトランプ氏の「チェンジ」という言葉に心を揺さぶられた。

大統領になったら衰退している町の経済を変え、仕事を取り戻します(演説するトランプ氏)

トランプは私たちに手を差し伸べてくれていると感じた。これからチェンジを起こすから任せてくれと(パップさん)

・かつてこの地域はアメリカの鉄鋼業を支えてきた。町に壊滅的な打撃を与えたのが経済のグローバル化。中国などからの安い輸入品に太刀打ちできなかった。

増産しろと言われたかと思えば半年休業になった。輸入価格に振り回された(同上)

・4年前に工場が閉鎖され職を失ったパップさん、妻とは離婚し3人娘は皆仕事がないからとヤングスタウンを離れた。アメリカを豊かにするはずだったグローバル化によって、人生の全てを奪われたと感じている。

仕事というのは単にお金を稼ぐためだけじゃないんだ。大事なのは愛する家族を養い友情を育み、困っている仲間を助けることなんだ。みんなで生きていけるよう、最後まで神に祈っていたんだ(同上)

・全米の製造業の雇用は、この15年で3分の1が失われた。その一方で広がっているのが格差だ。上位1%の平均所得は今や90%の人たちの所得の30倍にもなっている。

※平均年収(2015年)
上位1%:約1億1000万円
 90%:   約345万円

中間層はもういなくなってしまった。アメリカには富裕層と貧困層しかいない。もうたくさんだ。チェンジが必要なんだ。どうせ失うものは何もないんだから(同上)

<“トランプ現象”の深層 崩れゆく白人中間層>
・グローバル化に取り残され、白人中間層が失われた町では治安が急速に悪化。社会に不安が広がっている。

仕事がないため、通りには絶望が漂っているのです。警察署から2、3ブロックしか離れていないのに、この地域では麻薬がはびこっています(警察官)

・白人中間層が多く暮らした住宅街。最近深刻なのが、薬物中毒者の急増だ。

不審者が見つかったので、こちらへ向かってください(警察の無線)

了解、南地区か?(警察官)

・レストランの駐車場にいたのは、30代の白人男性2人。車内からヘロインが大量に見つかった。

これで25ドルくらいだ。結構な量のヘロインだよ。子どもはいるのか?(同上)

これから迎えに行くところだったんだ(捕まった男)

なんだって?薬でハイになって子どもを迎えに行くつもりだったのか?(警察官)

子どものフットボールの試合があるんだ(捕まった男)

・アメリカでは今、10分に1人が薬物中毒で死んでいる。特に白人の死者は、この15年で3倍に急増している。

遺体はこのテーブルに乗せて霊安室に入れます。1日6人収容できますが、時には足りないこともあります(オハイオ州検死局の検死官)

・中年世代の10万人あたりの死亡率の各国のグラフを見ると、先進国の中でアメリカの白人だけが唯一上昇している。製造業などの雇用が減少し、生活への不安が高まったことが背景にあるという。

この仕事に就いてからこんなにひどいのは経験したことがありません。ここは教育もなく、仕事もなく、未来や希望もない人々の末路です(同上)

・崩壊していく白人中間層、トランプ氏を支持するパップさんも身をもって感じている。近所に住む妹・シンディさん。夫は失業して間もなくアルコール依存症の末、亡くなった。彼女も幻聴に悩まされ、パップさんが毎日通って様子を確認している。

麻薬、アルコール中毒、なぜ起こる?どうしてこうなった。どうすれば“チェンジ”できるんだ。古き良き時代は去ってしまった。でもトランプなら、あの時代に戻してくれるはずだ(パップさん)

<“トランプ現象”の深層 うねり生んだ独自戦略>
・没落する白人労働者の支持を集めたトランプ陣営、これまでにない独自の戦略を立てていた。投票を呼びかける電話。一見、手当たり次第に掛けているようだが、実は綿密に計算されているという。
・トランプ氏の選挙戦略を立案したマット・ブレイナード氏が取材に応じた。活用したのは、調査会社を通じて手に入れた膨大な住民のデータ。過去にどう投票したか、何に関心を持っているかが分かる。

(画面上の)赤い点は今年の予備選挙で初めて投票した人を表しています。ディキシー通りに住むこの人は1967年生まれ。結婚しているか、家の価格、読んでいる雑誌まで分かります(ブレイナード氏)

・ブレイナード氏はこのデータで、これまで焦点が当たらなかった白人の労働者層を掘り起こした。アメリカの選挙運動では通常、過去に投票した頻度が高い人たちをリストアップし、自分たちの候補に入れてほしいと説得している。政治意識の高い層が中心だ。
・ところがトランプ陣営は、あまり投票に行っていない層に支持者が潜んでいると見ていた。これまで政治家が重視してこなかった選挙に関心が低い労働者層に働きかけ、大量の票に結びつけた。

我々は“投票しない層”の中に潜むトランプに共感する人を見つけ出し、投票に行くよう教育したのです。経済的に沈んでいればいるほど、我々の主張に共感してくれたんです。興味深いでしょう(同上)

・グローバル化に取り残された人々のチェンジの叫び。それを巧みに取り込んだトランプ陣営。こうして生み出されたのが、トランプ現象の大きなうねりだった。

<成長の実感なき人々 資本主義への不信>
・金融の中心、ニューヨークのウォール街。朝早くからビジネスマンたちが足早に行き交う姿がある。株価など各種の指標を見る限り、アメリカ経済は好調を維持している。しかし多くの労働者たちにとって、その実感は全くと言っていいほどない。
・蓄えられた富は一部のエリートたちだけが独占し、社会の裾野に下りてくることはない。富裕層と政治の癒着はむしろ強まるばかりだ。そう感じる彼らにとって、アメリカの土台をなす資本主義とは「特権階級の資本主義」にほかならない。

<“特権階級の資本主義” クリントン氏の苦戦>
・大統領選挙の本命と目されてきた民主党ヒラリー・クリントン氏。しかし特権階級の資本主義の象徴と捉えられ、苦戦を強いられてきた。上院議員や国務長官を歴任した豊富な政治経験。選挙戦で応援に駆けつけたのは、世界的な投資家ウォーレン・バフェット氏だった。

大統領になったらここに戻ってきて、バフェット氏と街に出てダンスをします(演説するクリントン氏)

・ウォール街から多額の献金を受けるヒラリー氏は、既得権益側だと捉えられてきた。
・さらに私用のEメールアドレスを公務に使用していた問題が発覚。FBI(連邦捜査局)の捜査を受け、信用できないというイメージも広がっている。

<“特権階級の資本主義” もう一つのうねり>
・資本主義は特権階級による支配のシステムと化している。そうした不信が起こしたもう一つの大きなうねりを今年の春、大越キャスターは目の当たりにしていた。
・民主党の予備選挙に立候補したバーニー・サンダース上院議員。このとき既に選挙戦からの撤退が決まっていたが、2万人の若者が詰めかけた。

お金を持っていなくても、よい教育を受けられるべきだ(演説するサンダース氏)

・特権階級の資本主義によって若者が格差から抜け出せなくなっていると訴え、若い世代の熱烈な支持を集めた。

<“特権階級の資本主義” 絶望する若者たち>
・サンダース氏を支持した若者たちは今、クリントン氏をどう見ているのか。サンダース氏の人気が高かったイリノイ州シカゴにあるイリノイ大学で9月、若者たちが集まり学費高騰に抗議する集会が開かれた。

富裕層はもっと公平に負担すべきです。教育は全ての人の権利なんだから(女性)

・アメリカの公立大学の授業料は、この15年で2倍に高騰している。クリントン氏は学費の軽減策を打ち出したが、どこまで本気か信用できないという。

クリントンはサンダースと違い、若者の思いを代弁していません(男性)

クリントンには将来を大胆に変える気はないと思います(女性)

・この集会に参加したトロイ・アリームさん(25)は、特権階級の側にいるクリントン氏が大統領になっても自分たちの境遇は変わらないと考えている。

“資本主義のシステム”によって自分たちは成功できないよう運命づけられているんだ。ヒラリーもこれまでの大統領候補と同じ、特権階級の既得権益を守る側なんだ(アリームさん)

・若者たちが特権階級の資本主義に直面したのが、2008年のリーマンショックだった。ウォール街のマネーゲームが若者を追い込んだ。大卒の若者への求人は高収入のものが減少し、低賃金の職種ばかりが増えた。
・その結果、のしかかっているのが借金。学生ローンの負債は総額130兆円、1人あたり360万円以上に急増。一流大学を出ても生きていくのがやっとという若者が少なくない。
・アリームさんは全米有数の大学に進学したが、親が職を失い年間300万円の学費が払えなくなった。卒業しても多額の借金を返済できる仕事には到底就けないと思い、大学を中退した。
・今は音楽イベントのスタッフなど仕事を掛け持ちしているが、月の収入は15万円ほどだ。生活費を切り詰めるため、親戚の家を転々として暮らしている。

借金をすれば卒業はできるけれど、残りの人生は借金まみれだ。勉強したことと関係ない仕事で無理することになる。そんなんじゃ社会の階段を這い上がって行けない。“特権階級”のシステムはこうして巧妙に俺たちを押さえつけるんだ(同上)

・一握りの人だけが成功し、自分たちにはチャンスすら回ってこない。今、若者の半数は「アメリカンドリームを信じない」と答えている。

アメリカンドリームなんて愛国者に仕立て上げるための、でっち上げのプロパガンダなんだよ。何年もの間、何も変わらない。むしろ悪くなっているんだ(同上)

・大統領候補の討論会が開かれた夜、街頭に若者たちが集まっていた。ラッパーが声をあげていた。

政治家は同じページにいるというが、俺たちは同じ章にすらいない。メインストリームの奴らを信じるな。若い世代にいい環境を、ジャングルに住む俺たちのメッセージだ。

・アリームさんは討論会の夜、若者を集めてパーティーを企画していた。司会を務めるのは若手の芸人。

みんな調子はどう?討論を見にきたのよね。私は見ないけどね(笑い)

・どうせ大統領候補に期待できないなら、笑い飛ばしてしまおうという狙いだった。手に持ったビンゴカードに書かれているのは、クリントン氏とトランプ氏がよく使う言葉。討論の中で出てきたら印を付けていく。

ビンゴ!(参加者の女性)

・この日の討論では、雇用問題から銃犯罪、安全保障まで次々と議題に上った。

輸出を増やし雇用を生み出すには何をすべきか分かっています(演説するクリントン氏)

30年も政治をやっていて、なぜ今になって解決策を考えているんだ(演説するトランプ氏)

・しかし若者の教育や未来については、一言触れられただけだった。

多くの国民からつらい状況にあると聞きます。もっと休暇を取れるようにしましょう。保育園を充実させ、借金をしなくても大学に行けるようにしましょう(演説するクリントン氏)

結局のところ2人は、俺たちの現状について真剣じゃないと分かった。だから若者の心は離れていくんだ。いい余興だったよ(アリームさん)

・若者と政治との溝は、かつてないほど広がっていた。

<若者と“トランプ現象” 底流にあるものは>
・既存の政治への怒りと絶望の背景に何があるのか。かつてビル・クリントン大統領の下で労働長官を務めたロバート・ライシュ氏。若者たちが抱えている不満は、トランプ氏の支持者とも通じるものがあるという。

表面上はトランプ支持者とサンダース支持者は全く違いますが、共通する危機感があります。それは“ビッグマネー”による民主主義の崩壊です。トランプ支持者がよく口にする“特権階級の資本主義”という言葉は、資本主義がエリートのためだけに機能しているという意味でサンダース支持者の主張と同じなのです(ライシュ氏)

これまで政治の対立軸は「保守 対 リベラル」でした。今は新たな軸が現れているのでしょうか(大越氏)

かつては政治の対立軸は「保守 対 リベラル」であり「小さな政府 対 大きな政府」でした。これから軸となるのは「反特権階級」でしょう。既存の政治は、もはや信じられていないのです。富裕層が政治の力まで独占し、民主主義が病んでいます。変革が必要です(ライシュ氏)

<“反特権階級”の怒り 揺らぐアメリカの理念>
・富や権力を手にした一部のエリートたちが、あるべき政治や経済の姿を大きく歪めてしまったという不信感。置き去りにされたと感じる人々の怒りのマグマは、様々な形をとってアメリカ社会にひずみを生んでいる。
・その顕著な例がある。移民国家アメリカにとっては皮肉な自己矛盾ともいえる反移民感情の高まりだ。取材を進めると、新しい移民に手を差し伸べる余裕があるのなら自分たちの暮らしの方こそ何とかしてほしいという、切羽詰った声を数多く聞く。彼らが溜め込んだフラストレーションが、一つのパンドラの箱をこじあけつつあるようだ。

<トランプ氏が開けた“パンドラの箱”>
・アメリカで今、噴き出しているのが白人たちの反移民感情。その引き金となったのは、トランプ氏による不法移民を締め出せという主張だった。

私は壁を築いて流入を止める。その金を払うのは誰だ?(演説するトランプ氏)

メキシコだ!(聴衆たち)

・煽られていく敵意。移民を積極的に受け入れているアイオワ州の高校で、ある事件が起きた。隣町の高校との間で行われたバスケットボールの試合。相手校の白人生徒から突然「ドナルド・トランプ」という声が沸き起こった。その場にいた移民2世の生徒はこう証言する。

みんなで「聞こえた?トランプって言ってるよ」って。僕たちに移民が多いから、怖がらせようとしたんです(男子生徒)

・この出来事について新聞に投書を送った。するとツイッターで書き込みがあった。そこには「お前らがいるからトランプに大統領になってほしい」と書かれていた。

トランプ支持者の多くが、心の奥で肌の色が違う人を嫌っています。トランプはそこに火をつけたんだと思います(同上)

・高まる排他的な感情の背景にあるのは押し寄せる不法移民。メキシコとの国境にある幅50m余りの川。不法に国境を越えてくる移民は、年間35万人に上ると見られている。

ここから上がってきた人たちの足跡が残っているわ。子どももいたのね(国境警備員)

・オバマ大統領が4年前、移民に寛容な方針を打ち出して以来、不法移民は自ら進んで警備員に捕まりに来るという。

(どこから来たの?)
「グアテマラ」「エルサルバドル」「ホンジュラス」(不法移民たち)

息子の教育が一番重要なのでここにやって来ました(不法移民の女性)
(ここで勉強したいの?)
はい(少年)

国境を守るのが役目なのに、今やベビーシッターのようです。国境の問題を大統領選挙で正面から取り上げてくれたのは、トランプ氏が初めてでした(全米国境警備協議会のクリス・カブレラ氏)

・アメリカで暮らす不法移民の数は1100万人を超え、人口構成を大きく変えようとしている。建国以来、圧倒的多数を占めていた白人の割合は、この50年で60%余りにまで低下。2055年には白人が50%を下回る一方、中南米出身のヒスパニックの人口が23%に達する見込みだ。
・白人が多数派でなくなる危機感は、これまで移民に寛容だった人たちにまで広がっている。30年近く、アイオワで放送を続けている朝のラジオ番組。トランプ氏が大統領候補になってから、移民に対する不満が次々と寄せられている。

レストランに行くと店員が英語が話せず、注文がめちゃめちゃになっちゃうんだ。アメリカに来ていいのは英語がしゃべれる人だけだ(男性のリスナー)

母が不法移民の車に衝突されて死んでしまったんです。法を破ってアメリカに来た人たちは、きっとまた法を破るでしょう(女性のリスナー)

・このラジオ番組を熱心に聴いてきたヘイヤー夫妻。移民によってアメリカの国の形まで変わってしまうと、危機感を持ち始めている。

何の罪もない人が不法移民に殺されるなんて、気が変になりそうだわ(妻のナンシーさん)

・ヘイヤー夫妻の年収は約800万円。家計をやりくりして3人の子どもを大学まで通わせた。それなのに支払った授業料の5分の1が移民の生徒の支援に使われたと聞き、納得できないと感じている。

母親として我慢できないのは、今や白人の子どもの方が差別されるようになっていることです。不法移民は国の重荷です。私たちアメリカ人から大事なものを奪い取っています(同上)

・トランプ氏の選挙運動に参加するようになったヘイヤーさん、周囲の住民にも支持する人が相次いでいる。

もし大統領選の投票が今日ならトランプに入れますか?(夫のフランクさん)

たぶんトランプだね(住民の男性)

(一番気になる問題は何ですか?)
移民かな(別の住民の男性)
(どうすればいい?)
壁をつくることかな。移民たちは食料も住むところも、携帯電話まで貰っているんだ(同上)

・トランプ氏が開けたパンドラの箱。これまで移民排斥を口にすることをためらっていた人々までもが、声を上げ始めている。

移民を養うために私たちが背負う負担は、この国を破壊しつつあります。トランプはタブーを壊し、ドアを開けてくれたのです(ナンシーさん)

・トランプ氏に触発された移民への反発は、さらに不気味な広がりを見せている。極端な白人至上主義者たちが活動を活発化させている。
・45年前から人種差別を行う団体を監視してきたNGO(南部貧困法律センター)。白人の愛国主義団体の活動は、実は水面下で広がっていたという。

オバマ大統領が就任した直後から白人の愛国主義団体は急激に増え続けています(マーク・ポトック氏)

・この8年で白人の愛国主義団体の数は7倍近くに跳ね上がった。

トランプは極右グループを激しく扇動しています(同上)

・トランプ氏の登場によって人種差別的な事件が相次いでいるという。ボストンではヒスパニックの男性に暴行した男らが逮捕された。トランプ氏が「メキシコ人は犯罪者だ」と演説した直後のことだった。

男たちは「トランプに触発された」と証言しました。トランプは人種差別の“パンドラの箱”を開けました。公の場で差別主義者が大っぴらに語れるようにしてしまったのです(同上)

<分断される超大国アメリカは 世界は>
・8年前にオバマ大統領の就任式が行われた際、アメリカ連邦議会を臨む広大な緑地に100万人を優に超える群衆が詰めかけて「YES WE CAN!私たちはできるんだ」と口々に叫んでいた。
・アメリカが豊かで公正な国として再起するんだという期待がみなぎっていたのを、当時取材に当たった大越キャスターは今も鮮明に覚えているという。
・しかし期待は所詮、期待に過ぎなかったのだと多くの人々が感じているように見える。リーマンショック以降の不況はアメリカ経済を支えてきた中間層を直撃した。
・ものづくりは衰退し、学費のローンにあえぐ若者たちが巷に溢れる中、人々が政治に向ける眼差しは複雑で、しかも懐疑的だ。
・大統領選挙が終わり、年が明けて1月20日には新大統領の就任式が行われる。歓喜の声に包まれて大統領はアメリカの結束を呼びけることだろう。
・しかし長い選挙戦の中で浮き彫りになった深刻な亀裂は、新政権にとっての重い足かせになる可能性を否定できない。しかも溢れ出た怒りのマグマが、その後の社会にどう作用するかも見通せない。
・内なる戦いに疲れた超大国アメリカがどこに向かうのか。世界の視線は当面その一点に注がれることになりそうだ。
・選挙戦の終盤、女性問題が次々と暴露されたトランプ氏、しかし支持は揺らいでいない。移民の増加に苛立ちを感じている前出のヘイヤー夫妻はテレビ討論を観ていた。この日、トランプ氏が強調したのは移民や難民の増加による更なる危機だった。

より多くの移民がやって来る。シリアからも押し寄せるだろう。既に膨大な数を受け入れているのに、クリントンはさらに6.5倍にしようとしている。私はイスラム過激派の流入を止める(演説するトランプ氏)

このままでは大量の移民が押し寄せるでしょう。私たちの国が飲み込まれてしまいます(ナンシーさん)

・そして今、トランプ氏が引き起こした排外主義のうねりは世界をも巻き込もうとしている。トランプ氏の30年来の盟友ジョージ・ロンバルディ氏は、トランプ氏との連携を求めるヨーロッパの極右政党と相次いで接触している。

イタリアでは彼が大統領になってほしいという期待は大きいです。彼の主張はイタリア人の多数派に近いですから。日々5000人近く移民が押し寄せ、もう限界です(イタリア右派政党関係者)

・これまでに接触したのは、EU離脱を主導したイギリス独立党のファラージュ元党首。さらにフランスの極右政党、国民戦線のルペン党首もトランプ氏の思想に共鳴している。

もしトランプが負けてもトランプ現象は続きます。アメリカだけでなく、世界でより大きな潮流となっていくでしょう(ロンバルディ氏)

・世界が固唾をのんで見守るアメリカ大統領選挙。予断を許さない戦いが続いている。異例の選挙戦で噴出した絶望と怒り。アメリカを、そして世界をどこへ導くのか。新たなリーダーの手に委ねられる。

(2016/11/7視聴・2016/11/7記)

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【ETV特集】日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~

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【ETV特集】
「日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~」

(Eテレ・2016/11/5放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 東京都内にある意味「奇跡」のような団地があるのですね。率直にそう思いました。加入率100%で全員参加型の活動を展開している団地の自治会。あらためてその中心的な活動を担っている方々はもちろん、自治会の中できちんと責任を果たして活動している人たちに敬意を表したいと思います。

 と、ここまで書くのも、こうした自治会が全国的にも稀有だと思うからです。「Yahoo!知恵袋」というのがありますが、そこで「自治会」と検索をかけると「関連キーワード」として「自治会 入らない」「自治会 トラブル」「自治会 退会」なんてのがゴロゴロ出てきます。それだけ地域の人と人との繋がりを求めていない人が多い。おそらく大山団地にもそう思っている人もいるのでしょう。それでも加入率100%というのは、自治会そのものにメリットを感じている人が多いからなのでしょう。

 私は自治会や町内会、PTAなどの任意団体ではありませんが、会社の中にある団体(協定があるため全員加入義務がある…と言ったらピンとくる方もいるかもしれません)で、いわば世話役的な活動をした経験がありまして、そのとき一番悩んだのが「とにかく参加する人が少ない」ということでした。ハッキリ言って仕事以外で会社の人間となんか関わりたくないという人の多いこと。就業時間外(とりわけ休日)に何かを取り組んでも人が集まらない。達成感よりも疲労感の方が漂いましたね。中には、たっぷり集まった会費を使って一部の役員が「豪遊」なんていうところもあるらしいですが…私のところは皆無でした(苦笑)

 話を大山団地の方に戻します。そんな自治会活動をしていても「孤独死」が出てしまうという「事件」が番組の収録中に起こります。緊急会議が開かれ、そこの区長さんが経緯を説明していましたが、まるで自分が責められているかのようで、何とも気の毒にとしか見えなかったですね。

 行政からの個人情報の「壁」、引っ越してきた当事者が自らつくる「壁」。2つの「壁」で「困ったときはお互いさま」どころか「けんもほろろ」状態だったという。でもそれが大山団地にとっては「事件」であっても全国各地ではデフォルトなのかもしれません。

 それでも「孤独死」はハッキリ言って迷惑な行為ですからね。誰がその処理をするのかといえば、やっぱり自治会の方が重荷を負うことになります。また賃貸物件であれば「事故物件」として資産価値を下げることにもなりますし、自治会に加入しないどころの自分勝手さと次元が違います。究極の迷惑行為でしょう。本人の自覚もそうだし行政としても防ぐ手立てをきちんと講じるようにすべきです。

 その問題解決のヒントはやっぱりこの団地の活動にあるのではないかと思います。一部の人の重荷ではなく、活動の裾野を広げていく取り組み。それと同時にそこで暮らす人たちがどう自治会と関わるように自発的な変化が生まれてきたのか、その辺りをもっと知りたいと思いましたね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・東京都立川市の都営住宅。雨が降る中、団地の中で早朝から運動会の呼びかけが行われていた。年に一度開かれるという住民参加の運動会。
・雨も上がり運動会が始まった。駆けつけた住民は1000人以上。年齢や国籍も様々、車椅子の方も。共通点は。みんな自治会のメンバーであること。加入率は100%、立川市の平均50%と比べると驚きの高さだ。
・すごいのは運動会だけではない。都会の団地で問題となっている高齢者の「孤独死」が10年以上にわたって1件も起きていない。今どき珍しい濃密なお付き合い。住んでいる人は煩わしくないのだろうか。

全然さみしくないので、すごい助かっています(女性)

持ちつ持たれつっていうんですか。お互いに助け合っている感じなので、あたたかくて住みやすい団地だと思います(別の女性)

・「日本で一番住みたい」とも言われる大山団地。まるで小さな村のような不思議な団地の今を見つめる。

<立川市にある都営住宅 全員参加が基本の清掃活動>
・都心から電車で1時間余り、立川市にある都営・上砂町一丁目アパート(大山団地)。大小様々な形の29の建物に1600世帯、約4000人が暮らしている。
・日曜日の朝8時半。ぞろぞろと人が集まってきた。手にはホウキ。大山団地恒例、月に一度の住民清掃の日だ。掃除は住民全員参加で点呼まで取る。それどころか参加しないと罰金まであるという(連絡有欠席500円、無断欠席2000円)。こんなに厳しくて不満は出ないのだろうか。実はこの掃除、ご近所同士コミュニケーションを取ってもらうために自治会が考えたもの。
・毎月顔を合わせれば、赤の他人でも自然と親しみが湧いてくるもの。隣近所、顔も見たことないなんてことはない。閉じこもりがちの人も引っ張り出される。3年前に越してきた曽根原隆さんは、それまで近所付き合いは殆ど無かったという。29の建物で一斉に行われる掃除。大山団地ならではの風景だ。
・掃除から近所付き合いが始まることも。お昼どき、山田繁野さんが作り始めたのはサツマイモ入りの手作り大福。他にも里芋の煮物など3品を用意した。手料理を携え向かった先は、下の階で暮らす一人暮らしの男性の部屋。3年前に越してきた山田一彦さん。ずっと自炊をしてきたが去年、持病の糖尿病が悪化。台所に立つこともできなくなった。出来合いの弁当ばかりではと、繁野さんは時々こうして手料理を届けている。糖尿病の山田さんを気遣い、甘さを控えた料理。

<多彩な催しやサークル活動も活発に>
・今では珍しくなったご近所付き合い。大山団地では掃除や運動会の他にも様々なイベントが目白押しだ。芸能発表会やジャズコンサート、住民全員参加の防災訓練など。1年中、何かしらの催しが開かれている。楽しんでもらうのは勿論だが、住民同士の結びつきを深め、孤立させないための工夫でもある。
・趣味や習い事を楽しむサークル活動も活発。合唱やカラオケにフラダンス、囲碁や将棋、若者が参加できるヒップホップサークルだってある。好みに合うものがなければ、自分で始めることもできる。必要な講師の紹介など自治会がサポートしてくれるので気軽に手を挙げればいい。サークルは今や180団体以上、どこかで誰かと繋がることができる。これも団地の大きな魅力となっている。
・もう一つ、大山団地の人々が力を入れて取り組んできたことがある。それは「孤独死」をなくすこと。玄関から新聞が抜いていない住民の男性、昨日から姿が見えないことが気になっていた。ご近所のおせっかいが「見守り」の役割を果たしている。

<自治会が取り組んでいる「孤独死」をなくすための取り組み>
・大山団地に暮らす人たちの密接な繋がり。それを作り出しているのが「大山自治会」だ。団地内の事務所ではスタッフが常駐。近所に何か異変を感じたときの通報から苦情、電球の交換まであらゆる問題を受け付けている。
・さらに真夜中や早朝にも電話が繋がるホットラインも用意。24時間体制で住民の安心を支えている。安否確認を求める通報にも素早く対応する。
・住民だけではなく、企業などとの連携も積極的に進めてきた。電気やガス、水道があまり使われていない場合には、異変が起きている可能性があるとして通報を依頼。新聞が溜まっている部屋についても配達員に情報提供を呼びかけた。こうした取り組みの結果、大山団地では10年以上にわたり「孤独死ゼロ」を達成してきた。
・その立役者は一人の女性だった。去年まで大山自治会の会長を務めていた佐藤良子さん(74)。会長を退いた今も住民たちをこまめに訪問している。団地に越してきたのは40年ほど前。バスガイドをして家計を支えながら、3人の子どもを育てた。15年前、周囲の勧めで自治会長に就任。そこで直面したのが「孤独死」だった。誰にも看取られることなく遺体で発見される人が年に4~5人もいた。

孤独死があったときに、この人が本当にここの住民かどうかっていうのを会長が確認しなきゃいけない。死人に会うわけでしょ?そのときに、もう腐敗してて目とか鼻とかからウジ虫がわいてるようなのも確認しなきゃいけないっての過酷なこと。それを無くすにはどうしたらいいか。みんなで孤独死無くせば誰が会長になっても死人の確認は無くていいわけだから(佐藤さん)

・どうしたら孤独死を無くすことができるか。佐藤さんが考えたのは「向こう三軒両隣」方式の導入だった。日頃から団地の住人全員に両隣を見守る役割を担ってもらった。ポストに新聞やチラシは溜まっていないか?洗濯物は干しっぱなしになっていないか?チェックするポイントを伝えながら、佐藤さん自身、訪問を重ねていった。こうした粘り強い働きかけの結果、5年目にしてようやく孤独死ゼロを実現した。

<子育て支援も行政任せにせず独自で取り組む>
・佐藤さんが次に取り組んだのは、子育てに悩む家庭への支援だった。当時、団地で立て続けに起きたのが「育児放棄」や「児童虐待」。そこで佐藤さんは立川市に「子育て支援センター」を作ってくれないかと働きかけた。しかし財源がないことを理由に受け入れてもらえなかった。
・行政がダメなら自分たちでやるしかない。佐藤さんは子育ての経験がある主婦に声を掛け「ママさんサポートセンター」を設立。最も喜ばれているのが、子どもの一時保育。保育士などの資格を持つボランティアも加わり、無料で子どもの面倒をみる。他にも子育ての悩み相談や虐待の通報など何でも受け付けている。自治会の枠を超えた徹底的なサービスだ。

行政やってないからって見向きもしないで、放っておくことできないじゃないですか。そういうときこそ、やっぱり自治会の底力ってのは必要なので。自立していく自治組織こそ防犯とか防災とか、それから住民が安心して過ごせる町を作るっていうことは、やっぱりね、自立しなきゃいけないんですよ。行政に頼らない町を作るっていうことが一番の私の根本的な考え方だったので。それが自治組織の本当のあり方じゃないかなと。住民に必要とされる町おこしをしたいっていう思いは、すごい強かったです(佐藤さん)

・自治会は頼りになる。そんな考えが若いお母さんたちを中心に広がり、見守りや普段のイベントなどにも積極的に参加してくれるようになった。

<各地からの視察が相次いでいる>
・どうしたら住民同士の結束力を強め、住みやすい環境を作れるのか?今、大山団地には全国からの視察が相次いでいる。

これぐらいの規模の団地で、こういうふうにすごいしっかりまとまって活動できているのって、なかなか聞いたことなくてすごいなって思うんですけど。なんで他の団地だとこういうふうになっていないのか、要因というか…(視察に来た男性)

自治会が「ジジイ会」ではダメ。高齢者の方がなりすぎて、ずっと何年も続いていると若い人たちは入ろうという気持ちにはなりません。だから高齢者の方には「俺が若い時」という言葉を禁句にした。それが若い人が居心地がよくなる会の運営なんですね(佐藤さん)

自治会にある意味サービスしてもらうって話じゃなくて、自治会なんだから自分たちで、やっぱりそういう自治組織を作っていかなくちゃいけないっていう、自分たちの問題ですよね(視察に来た男性)

住民がやっぱり自らこういうことをしたいっていうことを発言できるような場所を作っていかないと、なかなか発言できないと思うんです。待ってるってことも、そこに一人一人に手が届くわけではないので。活性化もあるし、人と人とのコミュニケーションの場所を、数を増やしてあげるっていうところがすごいいいのかな(佐藤さん)

<認知症の家族を介護する人たちの集まりも>
・団地の課題は自分たちで解決する。その動きは今や自治会だけにとどまらない。団地の一室に集まったのは、若年性認知症の家族を持つ介護者たち。お茶を飲みながら、つらい介護の悩みを打ち明けることで少しでも気が晴れればと始まった。
・会を立ち上げたのは、鈴木廣子さん(71)。10年間にわたって認知症の夫の介護を経験した。介護をしていた当時は、誰も相談できる人がいなかったという。夫が変わり果てていく悲しみを一人で受け止めるしかなかった。
・ふさぎ込んでいた鈴木さんをサークルで活動するように誘ってくれたのが、自治会の佐藤さんだった。団地の仲間と一緒に過ごす時間が少しずつ鈴木さんを変えていった。
・介護者のための会を立ち上げて1年半。鈴木さんは今、新たな挑戦を考えている。それは「認知症カフェ」と呼ばれる認知症本人のための居場所を作ること。認知症になると自宅に閉じこもりがち。地域の人たちと交流できる場所を作ろうというのだ。

もうちょっと色んな所から、地域の人に来てもらうためにカフェをやりたいなって。それとあと働くスタッフ、人と人との出会いの中で心地よくいられる。こういう場所がなかったら困るだろうなと(鈴木さん)

・認知症カフェを開くには、場所や費用の確保が必要。社会福祉協議会の職員に助成金をもらえないか相談する。

本当に能力もないでしょ、財源もないでしょ、何もない。ただ熱い思いで始める、始めてしまったことだから。微力だけど頑張るしかない。思いだけが先に行ってる(同上)

<昨年から自治会長を務める男性>
・8月下旬、大山団地の夏祭り。6月の運動会と並ぶ一大行事だ。夜の盆踊りの準備に取り掛かるのは、15年にわたって自治会長を務めてきた佐藤さんの後任である橋本久行さん(57)。自治会の若返りが必要だという佐藤さんの説得に折れて去年、会長を引き受けた。建設会社の社長を務めている。

みんな支えてくれるからできるんであって。大変といえば大変だけど、しょうがないんじゃない。受けた以上はやるしかないから(橋本さん)

・この日は夕方からあいにくの土砂降り。でも中止にはならない。橋本会長は万が一に備え、近くの小学校の協力を得て体育館を押さえていた。さすが経営者、抜かりはない。
・大山団地の活動に対して、今では自治体や学校も協力してくれるようになった。「困った時はお互いさま」大山団地の精神は地域にも広がっている。

<13年ぶりに起きてしまった「孤独死」 解決の糸口がなかなか見えない>
・しかし今、大山団地は大きな変化にさらされている。ここ数年、団地の入居者が様変わりしている。去年、東京都の条例が改正され、障害のある人や難病患者などが優先的に入居できるようになった。しかし病気や障害は個人情報とされ、自治会にすら知らされることがない。このため、今まで通りのやり方では住民同士の見守りが難しくなっている。
・そんな矢先、団地の一角に救急隊員の姿が。自治会の役員もすぐに駆けつけた。既に亡くなっていた。一人暮らし、67歳の男性だった。今年2月に入居したばかり。身体的な障害があり、市の職員とは話しても近所付き合いは無かったという。死後3日は経過しているとみられる、いわゆる「孤独死」だった。
・この一大事を受けて橋本会長は各地区の代表に呼びかけ、緊急会議を招集した。付き合いの難しい新たな入居者をどう受け入れればよいのか。

一番最初、今年の2月頃ですか、私接触したんですけど。そのときは名前も言わないし、何にも言わないから。もう俺は一応ここ決めたけれど病院に行くからっていうんで、名前も何も言わないでタクシーに乗って行っちゃったんですよ。隣近所にも入居したってことを言わないし、本人次第なんじゃないですかね、孤独死って。かっこいいこと言いますけど、隣同士の接触も何もしない人が、こちらから何言ったって対策できない。本人次第ですよ(亡くなった人が住んでいた地区の代表)

最初入居したときに、そういう説明したんですか?(別の男性)

いいえ、だから名前も何にも言わない(区長)

それはだから都へ言わなきゃダメよ。住宅局に言って名前聞かなきゃ。今それでもね個人情報だ何だって、すぐ最初にそういう言葉が出るから、それこそ民生委員で夫婦で行ってくれなきゃ話もできないですよ(別の男性)

今の話は東京都とか市役所なんか、いろんな情報を知ってて個人情報だから私どもに流さなかった。それも原因ですし、その人が周りの人に要は打ち解けてなかったってのも、人それぞれでそれも原因かなっていうふうな気もします。それはそれとして、これからそういう方がどんどん大山団地に増えてくると思うんですよ。いろんな対策を今してきて、それがずっと続いているということで、この辺でちょっともう1回、見直そうかなっていう話もありまして。今、皆さんにこういうふうに聞いてみた次第です(橋本会長)

・13年ぶりに起きた孤独死。解決の糸口はなかなか見い出せない。自治会の役員たちが残り、話し合いは2時間近くに及んだ。

行政と(住宅供給)公社の意見も聞きたいし、案を練っていかないとダメかもしれない(同上)

・翌日、橋本さんは佐藤さんにアドバイスを求めた。難しい時代になってきたと佐藤さんも感じている。

個人情報っていうので、すごいそこら辺が厳しくなっているので、私たちが個人的に訪問してそれでその方を認識しなきゃいけないっていうところが、昔と違って今の方が大変です。これからのこういう社会での私たちの自治組織を運営する意味では、やっぱりもっとしっかりとした行政側とのタイアップでやっていかなかったら無理だと思います(佐藤さん)

・今までのやり方は間違っていない。行政をもっと巻き込めないかと話し合った。

<認知症の患者が集えるカフェを作ろうとする女性の思い>
・認知症の人自身が集えるカフェの開設を目指す鈴木さん。やって来たのは故郷の長野県飯田市。亡き夫もここに眠っている。夫が亡くなって1年。振り返ると鈴木さんは後悔の思いに襲われることがあるという。なぜ自らの病に苛立つ夫を優しく受け止めてあげられなかったのか。居心地のよい場所を作ってあげられなかったのか。その思いが認知症カフェを作りたいという鈴木さんの挑戦に繋がっている。

お父さんのおかげで、いろんな人にいろんな出会いがあって。お父さんが病気にならなければ出会いはなかったというか。いろいろな勉強もしなかっただろうし。かわいそうな病気だったけれども、やっぱり周りの理解とか家族の理解とかね、そういうのがもうちょっとできてきたらいいなと思いますよね。これから実現に向けて頑張っていかなくちゃいけないかなと思っているんだけどね(鈴木さん)

・9月、認知症カフェができたら真っ先に招きたいと思っていた女性が訪ねてきた。団地の行事で知り合った種山佐和子さん(75)。以前、地域で民生委員をしていたという世話好きな女性だ。認知症カフェではスタッフとして手伝ってほしいと声を掛けた。

<仲間の手作りで開いた25歳で亡くなった男性の「偲ぶ会」>
・「向こう三軒両隣。困ったときはお互いさま」。団地をこまめに回って声をかける佐藤さんの日課は、変わらず続いている。この日、訪ねたのは20年来の付き合いがある友人だった。
・5歳からこの団地で育った園部建人さん(享年25)。統合失調症を患っていたが、団地にみんなからいつも気にかけられていた。
・今年6月、運動会の日の映像。この日は親子揃って元気に参加していた。急性すい炎で亡くなったのは、その僅か2か月後のことだった。
・実は園部さんは経済的な理由からお葬式をあげることができなかった。そこで佐藤さんたち団地の仲間が、建人さんを送る会を開こうと提案した。
・1週間後、建人さんが幼い頃よく遊んでいた集会所が「偲ぶ会」の舞台になった。団地の友人たちが会の準備を買って出てくれた。
・祭壇は集会所のテーブルを組み合わせた手作り。花が好きだった建人さんのために、たくさんの花を飾った。食事も仲間の手作り、キュウリの塩もみにゆで卵。そしておにぎりとお菓子。つつましい会の支度が整った。
・さよならも言えなかった仲間が、ようやく建人さんと挨拶を交わした。そして思い出話に花が咲いた。夜遅くまで団地の人たちの弔問が途切れることはなかった。

<今後も活動は続いていく>
・これからの大山団地を担っていく自治会長の橋本さん。佐藤さんとともに立川市との交渉に臨んだ。新しい入居者についての情報をもっと教えてほしいと市の職員に求めた。行政も巻き込んだ、新たな孤独死ゼロへの挑戦が続く。
・大山団地に認知症カフェの開設を目指す鈴木さん。助成金の申請書を完成させていた。来年春のオープンを夢見て準備を進めている。
・そして佐藤さんは今日も団地内を駆け回っている。
・「向こう三軒両隣。困ったときはお互いさま」。おせっかいで、ちょっと面倒くさい。けど、住むと何だか温かい。大山団地の模索は今日も続いている。

(2016/11/8視聴・2016/11/8記)

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【明日へ―つなげよう―】響け!未来への“鼓動”~全国太鼓フェスティバル 岩手・陸前高田~

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【明日へ―つなげよう―】
「響け!未来への“鼓動”~全国太鼓フェスティバル 岩手・陸前高田~」

(NHK総合・2016/11/6放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 陸前高田市で28年前から開催されている全国太鼓フェスティバル。震災のあった2011年は名古屋で開催したとのことですが、毎年欠かさず行われているということが凄いです。まさに「継続は力」だと思いましたね。

 今回の番組はそのバックステージを追ったドキュメント。イベントの成功の陰には、多くの人々の並々ならぬ努力があるということがよく分かるものでした。特に佐藤勝さんのフェスティバルに懸けるパッションが画面を通して伝わってきました。

 そして社会人1年目の元太鼓部長の桃香さんの頑張り、最初はのんびりした感じだった“応援職員”が本気を見せてチケットを売り切った奮闘ぶり、地元の高校生たちがプレイヤー兼裏方で生き生きと動いている姿、観ていて本当に胸が熱くなりました。

 地域のお祭りや伝統芸能を続けていくというのは、若手がなかなか継承してくれないなど困難なところもあると思います。はっきり言って流行しているものでもないし、面倒だし、年長者がうるさいし…そんなふうに敬遠している人も少なくないと思います。でも陸前高田や大船渡の若者たちが流行り廃りをものともせず、本気で打ち込んでいる姿に「復興への光」を見たような思いがします。

 来年もまた熱いフェスティバルがあることでしょう。ぜひ肌でその感動を感じてみたいですね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・和太鼓の伝統が息づく岩手、それを象徴する祭りが陸前高田で開かれた。全国太鼓フェスティバル。日本中から腕利きが集結、「太鼓の甲子園」と呼ばれる年に一度の祭典だ。28年前、町を盛り上げようと始まった。
・しかしあの日、会場も何もかも流された。会場を移し続けているが、チケットが売れない。
・「にぎわいをもう一度」。町の人たちが立ち上がった。鍵を握るのがこの男。身長184cm、体重100kgの36歳独身。でも大の子ども好き。太鼓をこよなく愛している。今年の太鼓フェスティバル。実行委員の一人として舞台の責任者を任されるが、想定外の事態が次々発生。町の人々の思いをのせた一大イベント。果たして成功するのか。

<太鼓フェスティバルの実行委員を務める地元の太鼓チームの男性>
・小学校の体育館にあの男がやって来た。佐藤勝さん(36)は大工をするかたわら地元の太鼓チームに所属している。
・この夜は週に1度の練習日なのだが、準備をするのは決まって彼一人。かつて60人いたメンバーは半分に減ってしまった。
・しかも練習に出て来たのは今日は2人。あとは見物人だ。3人だけの練習、できる曲も限られる。
・太鼓フェスティバルにも出場経験がある佐藤さんのチーム。でもここ2年は出るのを諦めている。

震災を機会に生活環境が変わってしまって、練習に来たくても来られないメンバーがいる。内陸の方の会社に通っていて、遅く帰ってくるから太鼓の練習に間に合わない(佐藤さん)

・佐藤さんも車を運転中に津波にのまれかけた。太鼓をできない仲間の気持ちが痛いほど分かる。一刻も早く元の生活を、そんな思いでフェスティバルに臨む。

お客さんと打ち手と我々すべてが楽しめる太鼓フェスティバルを作っていく。面白かったよ、感動したよ、楽しかったよということで、来年その人がもう一人お友達を連れて来てくれて、近所の人を誘ってくれて。そうすれば、まただんだん昔のような活気を取り戻せるんじゃないかなという希望もありますし(同上)

・フェスティバルまであと2週間。市役所に実行委員が集まった。佐藤さんは会場の設営と進行を担当する舞台部に13年間所属。今年初めて責任者を任された。
・舞台部の他に3つの部署が。チケットの販売、イベントのPR、スケジュールの管理、これらは全て市の職員が担当している。
・この日、由々しき事態が明らかになった。550枚用意したチケットが半分も売れていなかった(258枚)。

9月の最終週では、ありえない数字だと思う(同上)

・この中でただ一人、実行委員の経験がある佐藤さん。危機感を募らせた。

正直な話、多分350枚いかないと思う。もう少し最初から危機感を持って、もっと早く手売りとかをすればよかった(同上)

(開催)前日まで売り続ければいい(職員)

いやいや、現実を見なければダメ。前日まで売っても250枚は売れない。みんなの考え方が甘い。俺たちの宣伝が悪いということなんだ(佐藤さん)

・佐藤さんが怒るのは、売り上げのことだけではない。客の入りが悪ければ舞台設営にも大きな影響が出るのだ。

会場の空席が目立つならパーテーションをつけて、ある程度の席をつぶすしかない(同上)

・週末、さっそく市の職員が動き出した。チケットの販売を担当する武田芳治さん(44)と山口俊さん(27)。

どれくらい売ろうか?(武田さん)

40枚(山口さん)

・休日で賑わうドライブイン。ここで売り上げを一気に伸ばそうというのだ。大声でアピールするが反応は無い。直接声を掛けてみることに。結局、半日かけて売れたのは、たったの2枚。一体なぜ…?

自宅も再建していない。仮設(住宅)に入っている。正直、太鼓どころではない(男性)

楽しみだけど、みんなに悪いかな。津波にあった人たちに(女性)

<28年続く町おこしのイベントに懸ける“応援職員”の思い>
・28年前、町おこしの一環として始まった全国太鼓フェスティバル。全国から腕利きが集結。その響きに人々は酔いしれた。2500人収容の会場は常に満席。チケットが発売から僅か2時間で売り切れた年もあるという。
・こうした盛り上がりを支えたのが市民たち。多いときで200人近くが実行委員に手を挙げた。町をPRする様々なアイデアも生まれた。
・チケット代わりの入場手形は、町特産の杉の木を使っている。出演団体の名を染め上げた「のぼり」は、大相撲の力士のぼりを真似た。津波に流された名勝・高田松原をライトアップ。全国から注目を浴びた。
・しかし震災後は実行委員のなり手が激減。今は市の職員が支えざるを得なくなっている。チケットを売っていた武田さんもその一人、仮設住宅に住んでいる。部屋で見せてくれたのは松江市役所の職員証。実は地元の人ではない。島根県松江市から今年4月に派遣された応援職員。妻と2人の子どもたちを残しての単身赴任だ。
・陸前高田市は震災で100人を超える職員を失った。こうした県外からの応援者がいないと未だに町は立ち行かない。武田さんの任期は1年。最初は家族と離れる寂しさもあったが、心境に変化が出てきたという。

残りの任期があと半年。やりたいことと残された時間が逆になった。やりたいことは増え、時間は少なくなっていく。このギャップで心が振られる。僕ができることを精一杯やろう(武田さん)

・別の棟にももう一人。武田さんとチケットを売っていた山口さんは名古屋から。休日に決まってやることがあるという。1週間分の弁当のおかず作り。志願しての転勤だ。学生時代、日本縦断した際、被災地を訪れ「僅かでも力になりたい」と思うようになったという。

28年間、続いてきているので、代々やってきた方々の分もある。僕でめちゃくちゃにしてはいけないと多少なりとも感じている(山口さん)

・とにもかくにもチケットを売らなければ。この日、やって来たのは盛岡にあるテレビ局。武田さんたち市の職員が話をつけ、生放送でPRしようというのだ。佐藤さんも一肌脱ぐことに。
・舞台の責任者、佐藤さんにはもう一つ別の顔がある。地域の祭りで若手の指導役を務めている。実はこの秋、震災後初めて祭りが開かれることになり、伝統芸能の虎舞の練習に余念がない。
・見せ場は虎が立ち上がって舞うシーン。ところが佐藤さんの上に乗った若手の動きがぎこちない。祭りは太鼓フェスティバルの1週間前。不安と緊張が佐藤さんにのしかかる。
・10月9日、小友町八幡神社式年大祭。祭りに参加したのは町内18のうち10の地域。それぞれの伝統芸能を披露し合う。久々ににぎわいが戻ってきた。佐藤さんたちの虎舞。練習の成果があったようだ。
・そこへやって来たのは市役所の実行委員たち。まとまった数のチケットを売る最後のチャンスだ。6人で手分けして売り込む。武田さんは、半分泣き落としだ。ようやく買ってくれる人が。

これお父さんが見たいって。震災後なかなか落ち着かなかったから。見たいなって言っていたけど、なかなか行くきっかけがないから(女性)

・テレビの効果もあったのか、この日は次々と売れていく。売れたのは11枚、初めて手応えを掴んだ。

<高校の太鼓部長だった社会人1年目の女性実行委員>
・本番まであと3日、佐藤さん率いる舞台部が本格的に動き出した。メンバーは15人、市の職員と市民の混合チームだ。
・今年出演する団体は全部で9組、人数や太鼓の数はまちまちだ。舞台転換の時間は僅か。司会者が紹介している間に太鼓の入れ替えをスムーズに行わなければならない。
・男性陣に混じって一人、若い女性がいた。佐藤桃香さん(19)、実行委員に今年初めて手を挙げた。彼女は市役所の向かいにある地元で人気のパン屋で働いている。地元の高校を卒業し、陸前高田に残りたいと今年4月に就職した。
・震災当時は中学生だった佐藤桃香さん。避難した高台で母校が津波にのみ込まれていくのを目の当たりにした。それからある思いが芽生えたという。

震災があったから、家族や大切な人ともっと一緒にいたいと思った。自分にできることはすごく小さいことかもしれないけど、地元で働いて頑張ったり今回の太鼓フェスティバルで頑張って、全国からいろいろな人に来てもらいたい(佐藤桃香さん)

・何としても成功させたい、佐藤桃香さんと佐藤勝さんはフェスティバルのトップを飾る大船渡東高校太鼓部を訪ねた。太鼓が盛んな岩手の高校、中でも常に優勝争いをする強豪校だ。トップの出来が肝心、会場を大いに盛り上げてほしいと激励に来た。実は佐藤桃香さんはこの高校の出身。太鼓部に所属し、3年生のときには部長も務めた。

高校生の力で盛り上げていってほしいし、これからみんな就職とか進学とかあるけど、できれば地元に残って復興携わっていってほしいので、頑張っていってください(佐藤桃香さん)

・練習後、後輩が寄ってきた。ばちさばきを見てもらいたいという。指導するうち、実行委員から部長の顔に。
・その頃、チケット部隊も追い込み。一軒一軒、仮設住宅を回る。太鼓の響きで一時でも笑顔になってもらえたら…。

<今年4月、地震に襲われた大分県から参加する団体>
・本番前日、フェスティバルの会場となる中学校に実行委員が集まった。今年はある特別なステージを用意していた。
・5年前、全国から支援を受けた陸前高田。今度は自分たちが支える番だと被災地・大分の団体を招くことにしたのだ。九州、有数の温泉地を抱える大分県由布市。4月の地震では2000軒以上の建物が被害。旅館の予約もキャンセルが相次ぎ、大打撃を受けた。
・そうした中、活動を続ける太鼓チームがある。山奥に響く力強い音。「豊の国ゆふいん源流太鼓」。メンバーは旅館の主や会社員など6人。41年前、大分県中部地震からの復興を目指し結成された。早打ちが大きな特徴。さらに一糸乱れず一つの音を全員で作り上げる。震災後もフェスティバルを諦めなかった陸前高田。呼ばれたからには命懸けで応えたい。

陸前高田はそれだけの思いを込めてやっているから、それだけの思いを込めてやらないと通じない。半端ではやっていけない(代表の長谷川義さん)

<リハーサル 想定外の問題が次々と…>
・10月15日、会場ではリハーサルが始まった。ところが想定外の問題が次々と浮かび上がる。まずは太鼓の数、事前の情報より搬入される数が多い。
・秋田から来たチームは元々14もあったのに、さらに3つ増え17になった。
・別のチームから太鼓を借りるというところも…。
・ぶっつけ本番で対応できるのか…?
・その他、太鼓を置く場所など変更点が山ほど出てきた。まさかの事態。細かいことは任せ全体を見るのが役目なのに、遂には自分で作業する始末。
・震災後、初めて復活した祭り。そして太鼓フェスティバル。全力で務めたつもりが、準備が及ばなかった。

みんなに悪いなってすごく思う。反省だらけ(佐藤勝さん)

<いよいよ本番 一昨年、昨年を上回る来場者が>
・10月16日、本番当日。トップを務める大船渡東高校の生徒がやって来た。佐藤勝さんは、あるお願いをした。

ボランティアをしてもらう場所がいっぱいある。皆さんの力を借りないと、今年のフェスティバルは絶対できない(佐藤勝さん)

・出演した後は、他のチームの太鼓の出し入れを手伝ってほしいというのだ。地元の大学生も大勢ボランティアにやって来た。集結した若い力。一気に雰囲気が変わっていく。いつもの勝さんに戻った。
・その頃、会場の入口に市役所の武田さんがいた。車の案内係を買って出ていた。一方、山口さんは行列の整理。ものすごい数の客が詰めかけていた。当日券を除いた500枚を見事、売り切ったのだ。

半月前に比べると想像できない状況。「いい意味で」だったのでよかった(山口さん)

絶対成功すると信じて、ずっと準備してましたしね。中は勝さんが完璧にすると思ってるので、僕はここで来る人を笑顔で迎えて、笑顔で送り出すという、それだけだと思っています(武田さん)

・いよいよ開場。惜しくも定員の550人には届かなかったが、今年は520人が来場した。一昨年、去年の数を上回った。
・トップは大船渡東高校。会場を盛り上げる、とっておきの演目を用意していた。激しく舞いながら代わる代わる打つ曲「乱舞」。これで観客を惹きつける。
・舞台裏は、いきなり山場を迎えていた。次に控えるのは17もの太鼓を使う秋田のチーム。
・東高の演目が終了。与えられた時間は約3分。何とかうまくいった。
・舞台を彩るそれぞれの“響き”。大船渡東高校の生徒たちも活躍中。引っ張るのは“桃香先輩”。
田島太鼓 龍巳会「白鼓」(福島・南会津町)
・大館曲げわっぱ太鼓(秋田・大館市)
・気仙町けんか七夕保存会(岩手・陸前高田市)
・富岳太鼓(静岡・御殿場市)
・安庭民踊省一会(岩手・雫石町)
・ヒダノ修一with太鼓マスターズ・スペシャル!(神奈川・横浜市)
・愛宕陣太鼓連響風組(福島・福島市)
。特別な思いを胸に舞台に上がる。津波で亡くなった元実行委員の佐々木徳司さん(享年45)の名前を呼ぶ。親しかった彼に捧げる“供養の太鼓”。
・開演から4時間、最後のチームを迎えた。大分から招いた豊の国ゆふいん源流太鼓(大分・由布市)。実行委員たちの思いをのせた寄せ書きが手渡された。
・最初はゆったりしたリズム、故郷の山・由布岳から吹き降ろす風をイメージした。次第にテンポが上がる。極め付きは激しいソロ。20秒間、渾身の力で打ち続け、次へと渡す。そして山場。6人で一つの音を作り上げる。全6曲、30分を超える舞台が終わった。

<みんなの力で作り上げたフェスティバル>
震災前はあまり見る機会がなかった。震災後、何回か見て、勇気づけられる(男性)

毎年来てるけど、どうしても涙が止まらない。ずっと続けてほしいし、孫たちにも見せたい(女性)

・舞台を成功に導いた佐藤勝さん、さらに嬉しいことがあった。東高校の生徒が来年の実行委員に手を挙げてくれたのだ。

楽しそうなので。すごくやりがいがあるんだろうな(女子生徒)

もう未来は明るい。こういう若い子がいっぱいいるので、未来は明るい(佐藤勝さん)

・市役所の実行委員たちも一本締め。

やりきったな。知らない土地に来て、知らない人たちと出会って、今まで太鼓に興味がなかったのに関わって、すごくいい経験をした(武田さん)

・地元の人、そして県外の人が力を合わせて作り上げた今年のフェスティバル。彼らの思いが全国に届きますように。

(2016/11/8視聴・2016/11/8記)

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【NNNドキュメント’16】5万人に1人の私~トリーチャー コリンズ症候群に生まれて~

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【NNNドキュメント’16】
「5万人に1人の私~トリーチャー コリンズ症候群に生まれて~」

(日本テレビ系列・2016/11/7放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 小さい頃に観た映画で「エレファントマン」というのがありました。見世物小屋に立たされていた青年、ジョン・メリックも病気の影響で顔を含めて体に障害があるという話でした。幼心にショックを受けたのが記憶に残っています。

 正直に言って、今回のドキュメントに出てきた女性に、偶然どこかで初めて会ったら驚くと思います。ただ子どもと違って思慮分別のある大人は「何らかの病気だろう」ということを即座に察知し、じろじろ見ることは彼女を傷つけることにも繋がるだろうと考えて視線を逸らすでしょう。

 そんなことをふと考えながら、また以前に放送された別の難病で顔に障害を負った少年のドキュメントを思い出しました(→【NNNドキュメント’16】あざと生きる~雅治君と「血管」難病の12年~)。

 NHKの「バリバラ」という番組があります。「みんなちがって、みんないい」と積極的に障害者を過剰にタブー視する風潮に対して挑戦している秀逸な番組です。今回のドキュメントも同局で年に一度やっている「感動ポルノ」の番組と異なり、障害者を「かわいそう」と見下すのではなく、一つの個性として社会が受け入れるべきだという姿勢の内容で、とても観終わった後の清々しさを感じました。

 トリーチャー・コリンズ症候群という病を抱えている記代香さんが、高校時代に顔のことで同じ学校の生徒からからかわれたとき、立ち上がった先生、同級生、そして勇気を持って全校集会で自分の思いを発言した記代香さん自身。心が震えました。健常者と障害者とを隔てる「壁」というのは、こういうことでぶち壊せるんだなと痛感しました。その勇気に拍手です。

 そして成長した記代香さんが親元を離れて独立し、そして障害者支援を自分の生業にしたというのも嬉しく思いました。

せっかくこの病気で生まれたんだったら、じゃあ自分がもっと知ってもらおう。自分が伝えていける、伝えていかなきゃいけない

 そんなこと滅多に言えないですよ。この言葉と初任給で両親・親戚に恩返ししたときに記代香さんが見せた「サプライズ映像」に号泣しましたよ。これほど心揺さぶられるような女性は、そう近くにいません。

 本当に素敵な女性だということを、たった30分の番組で十分過ぎるほど分かりました。もちろん現実社会の中でまだまだ辛い経験をすることがあると思います。それでも、きっと心清らかな記代香さんには、彼女に相応しい素敵なパートナーが現れると思っています。ぜひ幸せになってほしいと心から願っています。

 でもお父さんはお嫁に行く記代香さんの姿に、涙しちゃうかな(笑)


<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

マスクは買い物とか外に行くときに基本的につけています(山川記代香さん)

・電車での移動、スーパーでの買い物、人の視線が怖いと思ったことがありますか?両親は「買い物に出ると絶対やね」(母・晶子さん)「ジロジロ後付けて見に来るとか」(父・浩二さん)と言う。
・顔の骨が十分に発育しない先天性の障害。奥本隆行医師は、2万5000人から5万人に1人ぐらい患者がいるという。
・友人たちが思い返す第一印象は、入学式のときや小学校1年生のときにびっくりしたと振り返る。そして顔の障害で受けた苦しみ。

同じ年の子と比べると、顔のことを気にしていて(同上)

・それでもこの春、就職し自立した彼女。22歳、前向きに強く生きる姿を追った。

せっかくこの病気に生まれたんだったら、じゃあ自分がもっと知ってもらおう(同上)

<トリーチャー・コリンズ症候群という病気を抱えた女性>
・山川記代香さん(22)。今年4月から愛知県東海市役所で働く彼女が抱えるのはトリーチャー・コリンズ症候群。ほお骨やあごの骨がうまく形成されないなど、顔に症状が現れる障害。

両方の耳に関して胸の軟骨を取って移植して、耳の形を作るという手術をして(手術を担当した藤田保健衛生大学病院の奥本隆行医師)

・生まれて間もない頃から繰り返した手術。記代香さんには生まれながら両方の耳に穴がない。

この下の部分だけが元々あった部分で、上は後から付け足しています(記代香さん)

・そこで3歳から胸に付けた補聴器で拾った音をカチューシャから振動として伝えている(骨導補聴器)。電話のときには受話器を耳に近づけるのではなく、胸の補聴器に押し当てる。仕事で欠かせない電話対応、苦労していることがもう一つある。

電話の中で(私の障害が)分からない人には、聞き取りにくいと言われたことがあります(同上)

・あごの骨の影響で大きな声が出しづらく、滑舌がよくない。とはいうものの他に障害はなく、市役所で配属された社会福祉課では同僚たちと同じ仕事をこなす。職場で使うペンや電卓には女の子らしいこだわり。スマートフォンはオーダーメイドのおしゃれなデザイン。

キティちゃんが好きなので、すごくカラフルでかわいい(市役所の同期職員)

・高校の同級生も初めて会ったときは見た目で驚いたが、その後印象は大きく変わったという。

ちょっと言い方悪いんですけど、知的な障害もあるのかなっていう印象が最初にあったんですけど。ほんとうに普通のかわいい女の子で、持っている物がかわいかったり。いつも3人で過ごしていたんですけど、3人の中で誰よりも女の子(石川紗帆さん)

・一人暮らしする部屋はピンク色であふれている。

物とかはピンクが基本好きですけど、自分が着る服は黒とか白。合わせやすい(記代香さん)

・今年7月、社会人になって初めての夏休み。実家に向かった。どんなときもおしゃれを忘れない記代香さん。足元にも…。

これタトゥーシールっていうシールです。通販、ネットで買って今回初めてやってみて(同上)

・しかしなかなか克服できない悩みもある。町を歩くときマスクが手放せない。

買い物とか外に行くときに基本的につけています。ないと不安になるというか、落ち着かなくなるので…(同上)

・知らない人が多く集まる場所は、記代香さんにとって怖い場所だという。

高校生のとき、風邪をひいたときにマスクをして。顔を隠した方があんまり見られなくなったかなと思って、そこからつけ始めて(同上)

・生まれ育ったふるさと、三重県四日市市。迎えに来てくれた両親の顔を見てホッとした様子。娘が幼い頃から向けられた視線に、両親は…。

やっぱ買い物に出ると…絶対やねっていうほど見られたね(母・晶子さん)

見られるっていうかジロジロ。一瞬バッと見て「あ!」っていうんは誰でもそう感じると思うんやけども、その後また誰かに教えてワーって言って追っかけてきてというのが、すごく心が痛んだね(父・浩二さん)

腹立ったね(晶子さん)

<両親の思いは…>
・記代香さんは3人きょうだい。2番目の子どもとして生まれた。妹の莉穂さんとは5歳差、高校3年生。兄の雄大さんは1つ上で、今は就職して家を離れている。

長男が生まれたときのように、2人目の子も生まれたときは当たり前のように授かって、当たり前のように祝って喜んでって思とって、生まれた瞬間にそうやったもんで…。そのときからどん底やね(浩二さん)

私は知らされずにっていうところで。でもおかしいのは気づいてて。でも聞くことが怖い(晶子さん)

・親戚中で障害があるのは記代香さんだけ。母・晶子さんは我が子の障害を知ったときの気持ちを忘れることはない。

意味のある子。だから絶対育てる、なんとしても(同上)

・やがて小学校に入学。家族以外との関わりが増えると、記代香さんに悩みが生まれた。

小学校からは、特に高学年からは4月になって毎回、嫌な思いをしていたので。いろんな人からの視線があるので、少しでも受けたくないなって(記代香さん)

<高校時代に遭った出来事 彼女が行ったことは…>
・見知らぬ人の前では顔を見られないよう、下を向いてばかりいた。記代香さんが人の視線におびえることなくマスクを外せるのは、長く住んできた実家の近所だけ。
・しかし高校生だった5年前、人生の転機となる出来事があった。通学路で同じ高校の生徒から浴びせられた言葉。

3~4人ぐらいがかたまりでいて「怖い」とか笑いながら言っていました。今さらみたいな思いがあって、むかっとして(同上)

・担任の先生にその出来事を打ち明けた。

そのことをクラスで話したら、クラスの子がめちゃくちゃ怒った(当時担任だった岡美幸教諭)

ふざけんなよって感じで。何でそんな何もしてない記代香ちゃんが言われなきゃいけないんだろうっていう(同級生の石川さん)

まだそんなこと言う人がいるんだ(同級生の武藤亮磨さん)

怒りましたね(石川さん)

仲間っていうイメージ(武藤さん)

・そして家で母に話すと「自分でみんなに話したら」と提案された。

そのときは人前で話すことも苦手だったので、絶対やらないみたいに言っていたんですけど(記代香さん)

・戸惑う記代香さんに母の口調は次第に強くなった。

どうするかは自分と突き放した言い方をしたと思います、そのとき。自分で言わなきゃって(晶子さん)

そこからはもう、やってやる。やるからには伝えたい、伝わってほしい(記代香さん)

・記代香さんは担任に相談。職員会議の結果、特別に記代香さんのためだけに時間が設けられた。全校生徒700人の前、1人で登った体育館のステージ。

3年6組 山川記代香です。私はトリーチャー・コリンズ症候群という5万人に1人の割合の障害として生まれてきました。

すごいシーンとして聞いてた(石川さん)

記代香さんの話をみんなが固唾をのんで聞いた(岡教諭)

・記代香さんが初めて伝えた心の内。

私は今までずっと嫌な思いをしてきました。例えば買い物に行くとき顔のことを言われたり、指をさされ白い目で見られたり、本当につらかったです。「どうして何もしていないのに怖いとか言われなくてはいけないのか?」知りたいです。

数え切れないほどの手術をして耐えてきているのに…。今、私が一番伝えたいことは、人が傷つく言葉をおもしろおかしく平気で言わないでほしいということです。そういう言動は絶対にしないでください。

きょう、この場で自分のことをみなさんに伝えようと思ったのは、この場に立つことで本当に強くなれる、強くなりたいと思ったからです。そして大学でも、自分の病気のことを伝えていく勇気を持ちたいと思ったからです。


クラスの子たちは泣いているんですよ。それで私ももらい泣きして。震えたというか(岡教諭)

自分で言えるのは強いなっていう感情を抱きましたね(武藤さん)

・母・晶子さんは姿を隠してそっと見守っていた。

終わってから、お母さんがいて。会った瞬間に涙しました(記代香さん)

2人で抱き合って泣きましたね(晶子さん)

頑張ったねって言ってもらって。自分の中では(考え方が)変わった(記代香さん)

<大学を卒業し、親元を離れて就職した彼女は…>
・今年3月、日本福祉大学を卒業した記代香さん。大学でもありのままの自分で友人と向き合った。

ずっと一緒にいたなっていう印象があって。山川さんにいつも客観的に私に見てくれてて、話をずっと聞いてくれたりとか助けてもらったなと思っています(大学の友人 都甲彩乃さん)

・高校時代のあの経験が、記代香を強くしていた。知らない町で暮らして働く。親元を離れ生きていくことを決意した理由は?

親は先に亡くなるので、自分の力でできるだけ生きていきたい(記代香さん)

四日市に帰ってきてくれることやと思い込んでましたけど、彼女が選んだ道ですので(父・浩二さん)

すごい反対してましたよ、最初は(母・晶子さん)

・障害のある人の支えになりたい。自ら希望して配属された社会福祉課では、身体障害者手帳の発行や障害者向けサービスの手続を行っている。

大変ですけど、やりがいはあると思います。少しでも役に立ちたいなっていう気持ち(記代香さん)

・自立して強く生きていく。それは帰る場所があるからできることでもある。

周りの人がいなかったら自分はもう…外に出られていないのかなと思っています(同上)

・初めてのお給料をもらった記代香さん。両親と親戚の人たちを招待し、お寿司をごちそうした。食事会の終盤、彼女からのサプライズが。

5分程度で作ったんですけど、よかったら見てください(同上)

・それはこの日のために徹夜で作った映像。幼い頃からずっと身につけたかった手話を交えて、感謝の気持ちを伝える。生まれた瞬間から始まった家族の壮絶な闘い。

お母さん、私を産んでくれてありがとう。

お父さん、私を1番に受け止めてくれてありがとう。

私は今とても幸せです。感謝いっぱいです。


僕としては、あの子がおってくれたおかげで、こんなええ人間になった。彼女を通して勉強させられたっていうか(父・浩二さん)

いろんな意味で強くなれたというか。守ってあげなきゃという気持ちがすごくあって(母・晶子さん)


・5万人に1人の割合と言われるトリーチャー・コリンズ症候群。その1人として生まれたことを今、記代香さんは…。

せっかくこの病気で生まれたんだったら、じゃあ自分がもっと知ってもらおう。自分が伝えていける、伝えていかなきゃいけない(記代香さん)

・高校生のときに踏み出した一歩。ほんの少し勇気を持てば、誰もが変われる。そう思っている。

外に出て行くっていうことは怖い部分はあると思うんですけど、怖がっていたら何も進めないので。嫌な思いもするけど、でもそれを乗り越えた分、きっといいことがあると思う(同上)

(2016/11/9視聴・2016/11/9記)

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【NHKスペシャル】廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~

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【NHKスペシャル】
「廃炉への道2016 第2回 膨らむコスト~持続的な仕組みは作れるか~」

(NHK総合・2016/11/6放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 廃炉への見通しも立たず、またその費用もいくら掛かるかも事実上の青天井になっている福島第一原発事故。もちろん補償や除染もきちんと行うことが必要で、その費用も惜しんではいないと思いつつ見込みよりも増大している現状があります。

 今回の番組で当時の関係者・現在の関係者の話を聞くにつけ、東京電力は破綻させてしまえばよかったとつくづく思いました。正確にいえば国営化。原発事故処理については専門の機構をつくり、それ以外の稼働している発電部門・送電部門を別の公社で行うというもの。

 なぜそう思ったのか。経営者と株主が一切責任を負っていないから。普通の民間企業だったら経営者は当然首が飛び、株主は株券をパーにする責任があるわけです。そのどちらも責任を取っていない。これで税金投入にせよ電力料金に上乗せにせよ、私たちに負担を強いるなんてバカなことをやっている。原発政策を押し進めた自民党も事故当時の政権与党だった旧民主党も同罪です。

 今からでも遅くないから即刻、東京電力は自主廃業しろと思います。税金投入は現実的にもやむを得ない(避けられない)ことですが、それ無しで更に行うなど言語道断、ふざけるなと言いたい。

 あともう一つ。今いそいそと再稼働を進めている原発を動かしている電力会社は、現在たった上限1200億円の保険ではなく、対人対物無制限の保険加入を義務づけるべきです。もちろん国内の保険会社で引き受け手がない場合は海外の保険会社で。掛金は電力会社の資産ならびに役員の私有財産以外のみ。料金転嫁は認めない。

 そうすれば全国で動かせる原発など無くなるでしょう。経団連の会長だった米倉弘昌とかいう男が当時の映像でふざけたことを抜かしていましたね。ロボットに括り付けて福島第一原発の原子炉調査に投入したいぐらい腹が立つ。あの顔見ていると、道端に落ちている○○を見てしまったのと同じぐらい嫌悪感を覚えますので、公共の電波に出ることなく、何処かでどうぞ長生きなさってください。現世で少しでも罪滅ぼしすれば、閻魔帳の記載事項も減るかもしれません。無理だと思うけど。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・東京電力福島第一原子力発電所、40年掛かると言われる廃炉の完了に向けて日々7000人以上の人々が作業を続けている。原発事故から5年8か月、見えてきた大きな課題がある。未曽有の事故の処理に費やす費用、コストの問題だ。
・溶け落ちた核燃料の取り出しなど、世界で初めての困難な作業に挑む福島第一原発の廃炉。その実現には労力と技術力だけでなく、膨大なカネが必要だ。
・しかし廃炉を行う東京電力は、その金の算段に苦しんでいる。先月、重大な危機感を表明した。

債務超過になって倒れてしまう可能性があって、倒れてしまうといかんともしがたい(廣瀬直己東京電力社長)

・原発事故以来、東電が抱える負担の全体像は殆ど明らかにされてこなかった。NHKは東電の会計資料や、情報公開で入手した国の内部文書を独自に分析、金の流れを追跡した。
・判明したのは13.3兆円を超える巨額のコスト。しかもこの金額は今も膨らみ続けている。廃炉に加え、被害者への賠償や地域の除染など、東電が負うのは歴史上類のない責任だ。
・さらにもう一つ見えてきた事実がある。東電が負うべき巨額負担が、複雑な仕組みを通じて国民へ付け替えられているのだ。NHKが試算すると現在の仕組みでは、負担の7割以上が税や電気料金で賄われる結果となった。国民の負担は数十年にわたって続く。なぜこのような仕組みができたのか。政策決定に携わった当事者が、初めてその詳細を語った。
・40年続くとされる廃炉、私たちはどう成し遂げていくのか。そしてその負担とどう向き合うのか。膨れ上がるコストと負担の在り方を検証する。

<独自取材で判明 原発事故のコスト>
・東京電力福島第一原発の廃炉の費用をどう賄っていくのか。今、重大な局面を迎えている。先月、国は東京電力がこれまで説明してきた金額では到底足りないと初めて明らかにし、今後の負担の在り方についても議論を始めた。
・東京電力が責任を負うのは、廃炉だけではない。撒き散らされた放射性物質は地域を汚染し、16万人以上の人々が避難を余儀なくされた。そうした人々への賠償、それに放射性物質を取り除くための除染の費用負担も発生した。
・これまでいくら掛かり、今後どこまで膨らむのか。その全体像は殆ど説明されてこなかった。それがNHKの取材によって少しずつ見えてきた。
・廃炉はこれまで東京電力が2兆円を確保するとしてきたが、この数倍に膨らむと見られている。賠償は毎年1兆円ほどが積み上がり、今も増え続けている。除染では国は3.6兆円と見積もっていたが、既に4.8兆円に上っている。更に除染で出たゴミの管理などで今後も大幅に膨らむことが分かった。
・廃炉そして福島の復興を成し遂げるために持続可能な仕組みをどう作っていくのか。そのために今、問われていることは何なのか。まずはコストがどのように膨張してきたのか見ていく。

<廃炉の現場 立ちはだかる壁>
・先月下旬、廃炉作業の現場にカメラが入った。事故から5年以上が経ち、構内の放射線量は大幅に低下。しかし爆発が起きた建屋の周りでは、今も線量計のアラームが鳴る。
・7000人以上が作業に当たる廃炉の現場。作業員の危険手当は1日2万円。それだけで日々、1億円以上が必要になる。
・設備にも金が掛かっている。160億円掛けた汚染水タンクは水漏れが相次ぎ、300基全てを交換せざるを得なくなった。

(この5年8か月でいうと、苦労しているのはやはり水ですか?)
水ですよね。やはり汚染水だと思います。維持、メンテしていく人間も要るので。特に汚染水はこのようにリプレイス(交換)もしなければいけないし(タンクを)つくって水ためて終わりという代物では全然ない(東電社員)

・13mの大津波をきっかけに起きた原発事故。3つの原子炉で核燃料が次々とメルトダウン。それらは原発の構造物と混じり合い「デブリ」と呼ばれる塊になった。このデブリを取り出し、原発を解体するのが廃炉だ。東電と国が定めた廃炉の工程表ではデブリの取り出し、汚染された廃棄物の処理などで最長40年を見込んでいる。
・ところが今、現場では作業が遅れ、コストを押し上げる事態が頻発している。その一つ1号機。当初の工程表では、がれきの下のプールに保管されている使用済み核燃料を、間もなく運び出すはずだった。

2017年度取り出しだったものが、2020年度取り出し開始という形で工程の見直しがされています(東電社員)

・3年遅れた理由は、追加の安全対策が必要となったためだ。2013年、20km離れた田んぼの米から基準を超える放射性物質が検出され、廃炉作業との関係が疑われた。東電は粉塵が周囲に飛び散らないよう、薬剤の散布を強化するなど様々な対策を取ることになった。
・工期の延長は人件費などコストの膨張に直結している。使用済み核燃料の取り出しに当初計上していた費用は1400億円余り。既に1000億円が費やされたが、メルトダウンした3基からは一つも取り出せていない。
・他の工程でも遅れが相次いでいる。水漏れが起きていた汚染水タンク、交換作業は約2年延長。廃炉の本丸、デブリの取り出しは放射線量の高さなどから、事前調査さえ1年以上延期されている。
・東電が確保するとしているのは2兆円。コストがどこまで膨らむのか、具体的な見通しは示していない。

<除染の現場 思わぬ事態が…>
・一方、除染について国は総額3.6兆円と試算してきた。ところが今回取材を進めていくと、最低でも4.8兆円に膨らんでいることが判明した。家や道路、農地など生活のあらゆる場所から放射性物質を取り除く除染。国が行った分だけでも、延べ900万人以上が投入されてきた。
・現場では事故からの歳月が思わぬ作業を発生させ、コストを膨張させていた。原発事故前には田んぼだった土地が、5年以上放置されている間に一面柳の木に覆われていた。除染を行うために一本一本、木を切り倒して張り巡らされた根を全て取り除いていく。こうした作業による追加費用は約1000億円に上るとみられる。
・今回、除染の費用を調べる中で、廃棄物を輸送するコストが国の見込みの8倍に膨らんでいることが分かった。除染で出た廃棄物は原発周辺に作られる中間貯蔵施設に運ばれ、30年にわたって保管される計画だ。その運び込みが去年始まった。
・そこで廃棄物1万3000袋分の契約資料を分析した。国の見込みではこの量の輸送費用は1億円のはずだった。実際にいくら掛かったのか、人件費やダンプ、資材の代金を足し上げていくと8億6000万円が掛かっていたことが分かった。
・大きな原因の一つが、廃棄物を入れる袋の劣化だった。袋の中には時間とともに傷みが進むなど、詰め替える必要が出てきたものが少なくなかった。NHKが分析した1万3000袋では、半分以上の6864枚が詰め替えられていた。詰替袋の単価は1万4300円。国が見込んでいた輸送コストの1億円は袋代だけで消えていた。
・今後、本格化する中間貯蔵施設への輸送。国は総額を1750億円と見込んでいるが、このままのペースならば1兆円を超える計算だ。

<原発事故の賠償 終わらぬ償い>
・賠償もまた毎年1兆円ほど増え、6.4兆円になっている。人々から一瞬にして暮らしの全てを奪い、今なお多くの人をふるさとに戻れなくした原発事故。賠償の項目は多岐にわたる。
・避難の影響や風評被害などで生じた営業損害の補填。家や土地、家財道具などを失ったことへの賠償。避難生活による精神的な苦しみへの慰謝料。
・中でもこれまでにない考え方で作られた項目がある。2年前にできた「住宅確保損害」だ。当初は住めなくなった住居の時価を支払うだけだった。しかし新たな土地で住居を確保しようとすると、受け取った金額では足りない事態が相次いだ。強制的に避難をさせられながら、住まいも得られない。
・そこで差額の大部分を東京電力が追加で賠償する仕組みが作られた。元裁判官でこの賠償の指針を決めた国の審査会の委員・中島肇さん。

何十年も経った家というのは机の上ではゼロ。価値が下がっている数字で計算しがちですけど。そこはやはり、ある程度の金額を中古としての時価(既存の賠償)に上乗せしなければ正義に反するんじゃないか(中島さん)

・前例が通用しなかった原発事故の賠償。暮らしや仕事、ふるさとを奪った償いは未だ終わりを見ない。

<誰がどう負担するのか?>
・取材から見えてきたのは時間が経つにつれ。被害の深刻さや事故処理の難しさが明らかになり、コストが膨張している事実だ。
・同時に私たちが向き合わなければならないことがある。それはこのコストを誰がどのように負担するのかという課題だ。これらは本来、事故を起こした東京電力が責任を負っている。
・しかし実は今、賠償は主に私たちの支払う電気料金で賄われている。除染は税金などで国が手当てする計画だ。これにより試算では7割以上が国民負担となる見通しだ。
・なぜこうした仕組みが作られたのか。背景には事故前の想定が全く通用しない中、その時々で対応を迫られてきた国の判断があった。

<当事者が語る 国民負担の真相>
・事故が生む莫大な負担を誰が背負うのか。それを定めた原子力損害賠償法。1961年、日本に原子力発電が導入されるにあたって作られた。
・法は被害の責任は事業者が全て背負うよう定めた(3条)。今回の事故では東京電力が全てを負うことを意味している。

万一、万々一、災害が起きた場合にも、国民の皆様に心配をかけないようにしよう。原子炉の設置者に責任を全部集中してしまう。つまり責任が分散しないように、発電会社とか研究所とかそこへ押しかけて行けば、そこが全部責任を取ると(中曽根康弘 科学技術庁長官・当時)

・しかしこの原則は今回の事故では機能しないことが、たちまち明らかになった。事故直後、内閣官房副長官として東電問題の指揮を執った仙谷由人氏。直面したのは、責任を負うべき東電の経営危機だった。

考えてみると3月31日が東京電力も決算期ですよね。東電が背負うべき債務がどのくらいかというのを目の子(概算)でも計上したら、これは東電の決算というのは大変難しくなるというか。最低数兆はかかるだろうと僕は思ったもんだから、これはもう純粋企業会計上は債務超過と、つまり倒産状態と(仙谷氏)

・事故直前の東電の総資産は約13.8兆円。それに対し負債は10.8兆円。廃炉や賠償によって一度に巨額の負債を抱えれば、債務超過に陥る。
・経営破綻の危機が迫る中まず対応が必要だったのは、生活の全てを奪われた被災者への賠償だった。電力会社や金融市場への影響を危惧した経済界。国が責任を負うべきとの主張を行った(2011年4月11日、経団連定例会見)

国が全面的に支援しなければいけないのは当然のこと。大規模な天災、それから内乱等による事故の場合にはこれは国が補償すると(米倉弘昌経団連会長・当時)

・根拠とされたのは原賠法の解釈だ。第3条の但書では、異常に巨大な天災地変による事故では事業者が免責されると定めていた。

そういうことがあって初めて正しい原子力発電事業の発達と被災者の救援というのがバランスよく保たれる。この世の中で原子力発電が消えたらどうなりますか(同上)

・この頃、仙谷氏は東電の首脳と非公式に接触を続けていた。勝俣恒久会長(当時)から求められたのは、やはり免責だったという。

僕の記憶では最大1兆円ぐらいで免責。あとは政府で持ってほしいと。その時点で決められるような金額じゃないじゃないですか。どのくらいの損害額になるのか(わからないのに)。それは会長、違うんじゃないですかという話をするしかないわけですよね(仙谷氏)

・一方、世論の中には東電の解体、破綻処理を主張する声もあった。しかし仙谷氏はそれも現実味がないと考えていた。

電力の供給機能をどうするのか。現に福島で事故対応をしている人々の給料を誰が払うのか。損害賠償の面もですね。誰が引き受けて全うするのか。これは(東電の)法的整理は労多くして、あまり実効性のあることではないなと。その時点でスッキリするかもわからんけども(同上)

・免責もせず破綻もさせない。それが国が下した判断だった。賠償費用を捻出するため、国は新たな仕組み作りに乗り出した。
・そのための内閣直属の特命組織を率いた人物が取材に応じた。内閣官房原発事故経済被害対応室長(当時)の北川慎介氏。経済産業省、財務省などから集められた40人のスタッフで作業にあたった。考え出したのは、賠償による巨額の負債を東電の帳簿から切り離す仕組みだった。

必要なお金を誰か外の人にね、請求することができる。発生した分だけこっちへ請求すると(北川氏)

・賠償費用が発生すると、国からの支援金を東電へ入れることにした。これにより東電の負債は支援金で相殺される。これを繰り返せば、賠償費用が膨らんでも東電が債務超過に陥ることはなくなるのだ。
・その仕組みを作るため新たに法を整備し、原子力損害賠償支援機構を創設した。東電が支援を要請すると、国は金融機関から借金をする。その金は機構を経由して東電に入れられる。賠償費用は事実上、国の借金で立て替えられている。借金の利息は国が税金で負担する。機構を経由させることにしたのは、事故を起こした東電の支援に直接国費を投じられないという判断からだった。

現実的にですね、賠償をしっかりやると。それから福島第一発電所を維持していくと。それから電力の安定供給をはかると。この3つを達成するには、我々が考えた仕組みしかない。きわめて異例な危機的な状況だったので、一つの危機管理対策と思っていただければいいと思います(同上)

ある意味でフィクションといえばフィクション。誰かがお金を作って回さない限り、困る人が多いわけだから。その場しのぎといわれようと、やらなければいかんわけですよ(仙谷氏)

・問題は国が立て替えた巨額の金をどう返済させるかだ。国は国民負担の極小化を原則とし、東電にギリギリの負担を求めた。その結果、東電は特別負担金として毎年できるだけ多くの金を国へ返すことが決められた。当初の計画では、利益の半分程度とされていた。さらに資金を捻出させるため国の監督の下、1年目だけで4000億円以上の資産を売却させた。
・しかし国はそれで全てが賄えるとは考えていなかった。そこで用意されたのが、もう一つの仕組み。東電と原発を持つ全国の電力会社に、原発の発電能力に応じて負担金を課した。この分の金は利用者が支払う電気料金に上乗せできると決められた。実質的な国民負担が組み込まれたのだ。

電力会社の負担というのは国民の電力料金の負担。だから最後は税金なのか電力料金なのかはともかく、国民のみなさん方にご負担をお願いしなければいけないということではね、あまり極小化にこだわられても損害額がふくれれば、補償額がふくれるほど、絶対額としては国民のみなさん方が手分けしてっていうか、支え合う構造にするしかないわけだから(同上)

・この仕組みでこれまでに東電が自前の利益から国に返した金は累計1800億円。一方で電気料金の値上げなど国民負担は6713億円。東電の負担の3.7倍となっている。
・賠償に続いて対応を迫られたのは除染のコストだ。除染が本格化するにつれ費用負担が膨らみ続け、東電は危機感を抱いた(2012年11月・支援機構運営委員会)。

一企業の努力だけで全部カバーできるかというのは大変厳しいというのが現実だと思っております(廣瀬直己東電社長)

少なくとも青天井の費用負担を抱えている状況からは脱せられるような仕組みを入れてほしい。そういうことでございます(嶋田隆東電取締役・当時)

・潮目が変わったのは政権交代後の方針転換。

私から保証します。福島の状況はコントロールされています(安倍晋三首相・IOC総会)

・政府は国を挙げて問題に取り組むと宣言。負担の見直しが加速した。その議論を率いたキーマンがNHKの取材に応じた。自民党の復興加速化本部の本部長を務めた大島理森氏。福島の状況を見ながら、関係省庁や東電の調整を一手に握っていた。
・除染費用の負担を巡って続けられた水面下での議論。自民党本部に官僚たちが日参し、大島氏の判断を仰いだ。そこであらわになったのは、省庁間の意見の違いだった。
・国の支出を避けたい財務省、東電負担の原則を曲げなかった。一方、膨らむ負担に東電がもたないと考える経産省、除染は国が金を出すべきと主張した。テーブルを叩く激論となった。

それぞれの行政の立場でですね、自分たちの行政のテリトリーだけを守ろうとする意見についてはテーブルを叩いた。各省は各省庁としての論理っていうのがあるわけです。政治はそれをある意味ではもっと大きな視点から、被災者のためにという観点から、団子にしなきゃならんところがある(大島氏)

・国の金は出せない。しかし東電の負担は減らしたい。落としどころとなったのが株だった。国は東電の経営を支えるため、事故から1年後に東電株を1兆円分取得していた。この先、東電の経営が改善し株価が3倍以上に値上がりすれば、その売却益で除染費用が賄えると踏んだ。必要な株価は当時の見通しで1050円。現在の膨らんだ費用を賄うには1430円。しかし株価は伸び悩んでいる。

株式売却から出る利益というのは予測ですから、それはもうギリギリのところを、としての財源捻出の資源エネルギー庁(経産省)のアイデアじゃなかったかと思いますがね。国民のみなさんには安全規制をちゃんとやって心配いりませんと、こう言ってきたことが崩れたわけですから。そういう意味での国の政治の責任は率直に背負わなきゃならん(同上)
(これについて責任という考え方でいくと、非常に不安定なものじゃないですか、株価は?)
だからそこは私も不安に少しは思いましたから相当彼らと議論して、この程度だったら捻出できるということで、そうかと、それ以上はなかなか議論が、どこかでひとつの構図を作らなければいけませんから(同上)

・2013年12月、与党内での議論の後、閣議決定によって負担の仕組みは大きく変えられた。除染費用は東電株の売却益を充てるとした。株価が期待通り上がらなかった場合の具体策は、今後検討するとした。
・税金の直接投入も決まった。除染廃棄物を集約する中間貯蔵施設。国が長期に管理するとし、東電の負担から外された。年間350億円の国費投入を30年続ける。福島復興のため公益性が高いという判断だった。
・新たな仕組みが次々と作られ、東電が全責任を負うという原則は覆されてきた。私たちの試算では、コストの7割以上が国民の負担となる見込みだ。

この間の50年か60年か知りませんけども、原子力行政のツケといってしまえばツケ。それは反原発をずっと一貫して叫んできた人もおるわけだけども、ここまで原子力発電を国民がある種、許容してきた部分もあるわけでね。原子力行政のツケを国民が払っていくということになってるということじゃないですか。残念ながら(仙谷氏)

福島の第一第二原発の発電されたものは福島県以外、むしろ関東一円で消費をされてきた。そういうことを考えると、みんなでこの問題を乗り切っていこうと。国民のみなさんがですね、今までも負担をしていただきながら、一義的にあなたたち(東京電力)の責任であるこの問題の処理をしてくださるということなんだから、ゆめゆめ(東電)改革への努力をですね怠ってはいかんと、こう思いますね(大島氏)

<誰がどう負担するのか 問われる透明性>
・事故が生んだ途方もないコストは一企業では負いきれず、国民が負担せざるを得ないというのが当事者たちが語ったことだった。しかしそのことが国民に十分に説明され、理解を得てきたといえるだろうか。一方で複雑にくみ上げられた負担の仕組みについて、メディア自身は伝えきれていただろうか。
・コストが膨らむ中で見通しが最も立っていないのが廃炉。東京電力は2兆円を確保するという説明をしてきただけで、コストに関する詳細を殆ど明らかにしてこなかった。今この廃炉費用についても負担の在り方の議論が始まっている。
・廃炉費用を巡る今後の東電支援をどうするのか。国は先月、専門の委員会を立ち上げた。

福島の安心、そして国民の納得、現場のやる気を引き出す提言をぜひお願いしたい(世耕弘成経済産業相)

・東京電力は廃炉費用が膨らむ可能性があるとして、国に更なる支援を求める。廃炉でも国民負担の増大は生じるのか。議論は非公開で進められている。これまで2兆円を確保するとしてきたにも関わらず、今なぜ支援を求めるのか。その理由を探った。
・注目したのは廃炉の本丸、燃料デブリの取り出し費用。東電は2500億円と説明していた。しかしこの金額で終わるはずがないと廃炉の専門家は口を揃える。その一人、福井大学特命教授の柳原敏氏。廃炉のコストを研究する第一人者だ。

一般的に見たらこれで済むという話では多分ないと思う。これは要するに予算を持ってくるための一つのやり方みたいなところがあるんじゃないですか(柳原氏)

・この数字は37年前のアメリカ・スリーマイル島での原発事故を参考にしていた。当時かかった費用を技術革新を見込んで7割に減らし、福島の原子炉の規模も考慮して算出した。結果、1基当たりのコストはスリーマイルよりも安くあがるという計算だ。柳原氏はこれは福島の実態とかけ離れていると指摘する。

TMI(スリーマイル)の燃料の破損状況と福島の破損状況は違いますから。その違いをどのように評価してコストに反映していくか、そこは課題ですよね(同上)

・スリーマイルではデブリが全て原子炉の中に留まっていた。一方、福島では核燃料が原子炉を突き破り、散らばったと見られている。取り出しの難しさは格段に違う。

今の数字で廃炉が全部賄えればいいんですけど、必ずしも賄えることを保証しているような数字ではないと思います。たとえば税金でやるとか電気料金の一部を使ってやるとなると、それは公共性が非常に高いものです。ですから社会的な合意形成、それから社会に対してきちんと情報を発表する、そういう必要性は十分あると思います(同上)

・東京電力のデブリ取り出し費用の見積は根拠の乏しいものだった。しかし国に支援を求める以上は、現実的な見通しを国民に示す必要があるのではないだろうか。
・NHKは東電に対して今後の廃炉費用の見通しを問うた。しかしこれまで発表した以外に数字はないという回答だった。
・そこで東電の経営を監視する支援機構へ情報開示の請求を行った。東電がこれまで廃炉に費やした費用や今後の費用の内訳を求めた。返ってきた答えは「不存在」。機構は東電に廃炉費用についての情報提供をこれまで求めておらず、資料はないと回答した。
・しかし先月から始まった国の委員会では、いつの間にか廃炉費用の莫大な増加が前提となった議論が進められている。

東京電力が債務超過になって倒れてしまう可能性があって、倒れてしまうといかんともしがたい(広瀬直己東電社長)

・いくらかかるか示すことなく支援を求める東京電力。そしてその先に控える国民負担の可能性。こうなることは分かっていたのではないか、にも関わらず廃炉費用の実態を国民に説明することを国も東電も先送りにしてきたのではないか。

(これまで東電は2兆円を確保するという言い方で廃炉費用について説明してきたわけで、もっと大きくなることは、ここでは初めてある意味では明らかになったわけですけど。しっかり納得を得られるようなものが出せるのか?見通しについては、ちゃんと国民に公表されるのか?)
今後については規模感を示すように宿題を頂いた。いずれにせよ委員会の場で、どういう形かこれから至急検討しますけれども、お示しをしていくことになると思いますので(経済産業省 資源エネルギー庁 電力・ガス事業部政策課長の畠山陽二郎氏)

・この3週間後、国は新たな資料を公表した。デブリ取り出し費用の見直しで、年間支出が800億円から数千億円へ拡大する可能性を初めて認めた。
・一方、廃炉費用の全体像の提示は先送りされた。必要な資金は経営改革で東電に確保させるとした。それがうまくいかない場合には「さらなる改革の可能性を追求する」とされたのみだった。
・国民負担の在り方は今のままでいいのか。検証の必要性を訴えるのが、国などの金の使い道をチェックする会計検査院だ。一般には公開されていない東電や国の資料を調べ、報告をまとめた。
・検査院は、国民に対して十分な説明を行うべきと指摘した。国が支援機構を通じ立て替えてきた金。東電はその一部を特別負担金として利益から返す仕組みとなっていた。その額は年々増えてはいる。それでも東電の利益に占める割合は年々減っている。当初の計画にあった年間利益の半分程度の返済は、実現されていない。しかしその詳細な理由は誰も説明してこなかった。

国民に納得してもらうような説明になっていないということだと思います。しっかりとした説明責任を果たすためには、そういった数値の説明が必要になってくるのではないか(会計検査院の河戸光彦院長)

・本当にこれ以上、払えないのか。東電を監視し負担金の額を決めてきた支援機構に見解を聞いた。

なるべく多くの金額を払っていくというのは、その通りだと思います。他方で、なにがなんでも倒産してもいいぐらいの多額の金額を求めているというのが法律の背景ではないと理解してまして。今の東京電力の状況としてはですね、資金調達もままならないとか、足元の資金繰りを無視できない要素としてありますので、そういう観点で機構としては決めているということであります(原子力損害賠償・廃炉等支援機構の吉野栄洋執行役員)

・40年続くとされる廃炉、情報開示を訴える専門家は負担が世代をまたぐ事実に向き合うべきと主張する。

中長期のロードマップでは30年ないし40年で廃炉を終了すると言ってますけど、その後の環境修復もあると思いますし、放射性廃棄物の最終的な処分までにはもうちょっと長い時間がかかる。じゃあ何を我々の世代で解決して、何を次の世代までに託さなきゃいけないのか。世代間でどういうふうに分担していくか、負担をしていくかっていうね、そういう議論がやっぱり必要になってくるなと思いますね(柳原氏)

・国は廃炉費用が巨額に膨らんでも、東京電力の経営改革で捻出させる案を示した。国民負担を増やさないためには、事故を起こした東京電力が収益力を高めるしかないという判断だ。しかしその仕組みが実現できるのか、国も東京電力も確たる裏付けを示していない。
・今後、十分な議論が行われないまま、いつの間にか負担が広がっていくようでは国民の納得を得ることは難しいのではないだろうか。情報を公開し、開かれた場での議論を通じて持続的な仕組みを作っていく必要がある。
・福島県では今なお9万人近くの人々が避難生活を続け、復興までの道のりは見通せていないのが現状だ。しかしその福島の人々も、そしてこれから生まれてくる子どもたちまでもが等しく原発事故のコストを払い続けていくことになる。事故の責任を負う東京電力や国、そして私たち一人一人がそのことの意味を重く受け止めなければならない。

<子どもや孫に借金や負担を残していくのか>
・福島第一原発から30km離れた浪江町津島地区。帰還困難区域に指定され、1460人の住民は今も帰れる見通しが立っていない。今年のお盆、墓参りに訪れた一組の家族。三瓶春江さんは、原発事故が起きるまでずっとここで暮らしてきた。

なかなか来られないのは(先祖に)申し訳ないかなという感覚はあります(三瓶さん)

・帰還困難区域は除染の計画すら立っていない。夫の章陸さんは25年にわたり地域の暮らしを撮りためてきた。ビデオテープの数は3000本に上る。集落の人が共同で行ってきた稲刈り、400年受け継がる正月行事、原発事故がなければ連綿と続く暮らしがあった。

除染だけはしてほしい。やっぱり私らだって生まれ育った津島だし。忘れたくはないから(同上)

・この夏、三瓶さんに孫が生まれた。原発事故を知らないこの子もコストを負担していくことになる。

莫大な借金を背負わせるっていうふうなことを考えると、我慢をして諦めて、子どもや孫たちに借金を背負わせないようにする方法がいいのか、その辺は今の私には…決められないというのが本当の正直な気持ちかな(同上)

・この子が大人になったとき、原発事故のコストはどうなっているのか。誰も歩んだことのない廃炉への道が続く。

(2016/11/10視聴・2016/11/10記)

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【大河ドラマ】真田丸・第44話「築城」

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【大河ドラマ】真田丸・第44話
「築城」

(NHK総合・2016/11/6放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

<感想>

 「真田丸」の感想の前に…海を渡ったお隣の大国で、天下分け目の戦いがありました。結果は私の予測を覆すものでした。関ヶ原の戦いに臨んだ西軍の武将たちは「まさか自分たちが敗れるとは…」と思っていたことでしょう。そんな心境がヒラリー陣営に漂ったことでしょう。まさに、びっくりぽんということで(苦笑)

 そういえば今年はイギリスの国民投票もまさかのEU離脱、それに比べれば小さい出来事ですが東京都知事の交代、さらに豊洲市場は地下空洞で開場延期と、もうね…アメリカ大統領選挙も含めて、私の中の「驚き耐性」が相当鍛えられてしまう1年だったと思いますよ。いや、まだ2か月残っているのですがね。

 ということで「真田丸」。いよいよ大坂冬の陣ですが…この際、幸村が大活躍で家康を完膚無きまでに叩きのめして西軍圧勝!そんな結末にしても驚かないですし、むしろその方がいいですよ。もう現実世界の方がよっぽど番狂わせのドラマみたいなものですから!(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・信繁は籠城策を取らず、城から討って出る大掛かりな策を立てる。長い軍議の末、ようやく牢人五人衆の意見はまとまったが…

・豊臣秀頼(中川大志)は籠城策を取ることにした。その情報は二条城にいる徳川家康(内野聖陽)のもとにも伝わる。
・堀田作兵衛(藤本隆宏)と佐助(藤井隆)が真田幸村(堺雅人)に加勢のため訪れる。
・幸村は大坂城の弱点を生前の父・昌幸(草刈正雄)から聞いていた。籠城するにあたり城の南が弱いのを補うために、そこに出城を作ることを考えていた。
・しかし後藤又兵衛(哀川翔)も同様に出城を作ろうとしていた。幸村は又兵衛に直談判する。結局、出城は幸村が担当し、又兵衛は遊軍として動くことになる。
・しかし織田有楽斎(井上順)や大蔵卿局(峯村リエ)は牢人たちを信用していなかった。いつ裏切るか分からないと言い、牢人五人衆が考えた布陣を却下した。
・それを聞いた幸村は茶々(竹内結子)に会って説得するが、埒が明かない。しかし大野治長(今井朋彦)は幸村に出城作りを許可し、さっそく工事が始まった。
・家康の命を受けて全国から大名たちが続々と集まってきた。その数は30万にもなっていた。
・真田信之(大泉洋)の命を受けた松(木村佳乃)は、舞の一座に紛れて真田信吉(広田亮平)、真田信政(大山真志)のもとを訪れる。そして身内同士で争わず、後ろに控えるよう告げる。
・出城作りを知った織田有楽斎は中止するよう幸村に告げる。牢人たちを信用しない態度に怒りを覚える又兵衛や毛利勝永(岡本健一)は豊臣を見限ろうと考えるが、幸村はあくまでも太閤・秀吉の恩を忘れないと言う。それを聞いた秀頼は、牢人たちを信じると伝える。
・徳川の布陣を佐助が幸村に伝える。その中には伊達政宗(長谷川朝晴)や上杉景勝(遠藤憲一)の名もあることを知り、複雑な心境になる。
・戦の準備をしているところを視察した家康は、不慣れな様子に陣頭指揮を執る。そのもとに豊臣方の布陣が届き、南の出城を真田が担当することを知り苛立つ。
・遂に出城が完成し、作兵衛に作らせていた赤備えの装備に六文銭の幟旗がはためく。出城の名前をどうするかと高梨内記(中原丈雄)が尋ねたところ幸村は「真田丸」と答える。

<真田丸紀行>
・大坂城の南に信繁が築いた「真田丸」。天王寺区には真田の名が付いた地名が今もそこかしこに残されている。
・真田丸があった場所と伝わる心眼寺。山門には真田家の家紋である六文銭が用いられている。
・心眼寺の斜め前には今年2月、新たな顕彰碑も建立された。
・三光神社もまた真田丸があったと伝わる場所。毎年11月に行われる祭りでは、真田の抜け穴と伝わる洞穴が一般開放される。
・この地を舞台に信繁は一世一代の大勝負に挑むことになる。

※真田丸顕彰碑(JR「玉造」下車 徒歩10分)
※真田山公園
※心眼寺
※三光神社 真田の抜穴跡
※眞田幸村公之像

(2016/11/10視聴・2016/11/10記)

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第43話「軍議」
第42話「味方」
第41話「入城」
第40話「幸村」
第39話「歳月」
第38話「昌幸」
第37話「信之」
第36話「勝負」
第35話「犬伏」
第34話「挙兵」
第33話「動乱」
第32話「応酬」
第31話「終焉」
第30話「黄昏」
第29話「異変」
第28話「受難」
第27話「不信」
第26話「瓜売」
第25話「別離」
第24話「滅亡」
第23話「攻略」
第22話「裁定」
第21話「戦端」
第20話「前兆」
第19話「恋路」
第18話「上洛」
第17話「再会」
第16話「表裏」
第15話「秀吉」
第14話「大坂」
第13話「決戦」
第12話「人質」
第11話「祝言」
第10話「妙手」
第9話「駆引」
第8話「調略」
第7話「奪回」
第6話「迷走」
第5話「窮地」
第4話「挑戦」
第3話「策略」
第2話「決断」
第1話「船出」

※真田ゆかりの地関連
【ブラタモリ】#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~

※関連ページ(真田一族関連)
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の半生
【歴史秘話ヒストリア】徹底解明!これが“真田丸”だ
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 前篇
【THE歴史列伝~そして傑作が生まれた~】真田三代 後篇

【にっぽん!歴史鑑定】世界遺産 姫路城のミステリー

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【にっぽん!歴史鑑定】
「世界遺産 姫路城のミステリー」

(BS-TBS・2016/11/7放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 山陽新幹線で姫路を通過したことはあるものの、姫路城は一度は行ってみたいと思いつつ行けないでいます。西日本方面はなかなか行く機会をつくれずにいるのが残念です。うっかりしていると折角の白亜の城がまた経年劣化で白みが失われてしまいますね。よし、機会をつくって行くことにしましょう。

 さて姫路城見学の予習にもなるような秀逸な回、どうして姫路城が白いのかという基本的なクエスチョンから、初代城主を巡るミステリーまでエピソード盛り沢山の内容でした。

 ちなみに別の回になりますが、「番町皿屋敷」でお馴染みの怪談話が姫路にもあるそうで、「播州皿屋敷」はお菊が皿を割るのではなく、何者かに皿を隠されてしまうという話。姫路城の中には殺されたお菊が投げ込まれたという「お菊の古井戸」が残っており、さらに城の近くにはお菊を祭った神社もある(十二所神社内)そうです(→【にっぽん!歴史鑑定】怪談~江戸の七不思議~)。

 姫路城に限らず古いお城というのはこの手の怪奇話が付き物なのでしょうか、確か松江城にもそんなのがあったと思って、以前観たのを調べてみたら…やっぱりありました(→【歴史秘話ヒストリア】すごいぞ!国宝 松江城)。

 まあ、昔の人も今の人もこういうミステリー話が好きなんでしょうね。お城ならまだいいのですが、廃屋や事故現場とかを心霊スポットとかと称して面白半分に夜中に行くとか、そういうのはお勧めしないどころか絶対に止めてほしいですね。というか出ますよ、きっと。スマートフォンに現れるのは「本物のモンスター」でしょう(苦笑)

 それはともかく、築城から400年と多くの人の力と天災・戦災を逃れてその姿を留めてきた、まさに「努力と奇跡の城」。繰り返しになりますが、やっぱり行ってみなきゃですね!

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・眩いほどの白さを誇る姫路城、国宝にして世界遺産。平成27年、半世紀ぶりの化粧直しを終え、当時の美しさを取り戻した。白鷺が羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」とも呼ばれている。
・築城したのは池田輝政。外壁のみならず、屋根の目地までもが漆喰で塗られた白亜の城。輝政はなぜ戦いのための城郭を白く目立つようにしたのか。
・大天守最上階に神社が。姫路城で起こった奇怪な事件の数々。輝政は呪い殺されたのか?姫路城のミステリー、真相は石垣が知っていた?
・築城から400年、今なおその偉容を奇跡的に留まる姫路城。なぜ城は幾度もの戦火を逃れることができたのか。城郭建築の最高峰、天下無双の城に迫る。

<姫路城はどんな構造になっているのか>
・JR姫路駅から1km余り、天守へと真っ直ぐ伸びるのが大手前通り。かつてはこの辺りまでもが城内だった。その広さ187ヘクタール、東京ドーム約40個分。姫路城は姫路の名の由来とも言われる標高46mほどの姫山を中心に作られた。
・構造は3つに分けられていて、中心にあったのが天守のある城郭。戦いの最後の砦であるこの場所は、攻撃と防御のための櫓で囲まれ、城主の住む本丸のほか、一族や家臣が住む二の丸、三の丸などの居住空間があった。その奥にあるのが見張り台として建てられた天守。姫路城には大天守と3つの小天守がある。
・城の入口となるのが大手門。広大な三の丸広場を抜けて、三の丸から二の丸に通じる唯一の入口である菱の門は城内最大の門、櫓門となっている。
・菱の門をくぐると右ルートと正面ルートがある。右を進むと、るの門(埋門)がある。天守への最短ルートということもあって狭くしてあり、いざというときは埋めて封鎖する仕掛けになっている。また仮に突破できても頑丈な鉄板張りの、ぬの門がある。出格子窓から鉄砲で応戦できる。
・正面ルートを進むと最初にあるのが、いの門。その先には応戦するための兵士が待機できる武者溜りがある。さらに、ろの門、はの門と続くが通路は複雑に折れ曲がり、攻め込む敵将たちを翻弄する迷路のようになっている。
・通路にも様々な仕掛けがある。道沿いの白壁には狭間という小さな穴が空いている。城を守る兵士たちはそこから鉄砲で敵を迎え撃った。城内に900個ある。外側を小さく、内側を広くして敵の攻撃を避ける構造にもなっている。
・にの門は堅牢な鉄板張りの扉に3つの櫓が組み合わされた複雑なつくりの門。天井が低く、途中で直角に折れ曲がっている。こうした堅い守りを突破して、ようやく辿り着けるのが白亜の大天守だ。

<姫路城はなぜ白くなったのか>
・天下分け目の関ヶ原の戦い。この戦で戦功を挙げ徳川家康から播磨52万石を与えられ、初代姫路藩主となったのが池田輝政。元々は秀吉の家臣だったが秀吉の死後、家康に仕えた。
・家康が輝政に姫路城築城を命じたのには理由があった。関ヶ原の戦いに勝利し天下をその手中に収めたが、大坂城には豊臣家が未だ健在。さらに西国には家康を快く思わない秀吉恩顧の大名たちが、まだ多く残っていた。そこで家康は西国大名と大坂の間に位置する姫路に、両睨みのための城を作ろうと考えた。

家康としては織田家・豊臣家に仕えてきた池田輝政なら西国大名を刺激せず穏便に抑えることできると考えたのではないか(東京大学史料編纂所教授の山本博文氏)

・こうして翌年の慶長6年(1601年)から姫路城の築城が始まった。秀吉がかつて築いた3重の天守を取り壊し、輝政は新たに8年の歳月をかけて大天守と3つの小天守を作り上げた(慶長14年・1609年完成)。
・高さ15mの石垣の上にそびえる大天守。建物の高さ31.5m、外観は5層になっている。凛とした千鳥破風に曲線が美しい唐破風、様々な意匠が城に気品を与えている。壁は白漆喰総塗籠、姫路城が他に類を見ないのは屋根までも白いから。

屋根の瓦、瓦と瓦の継ぎ目(目地)に漆喰を塗っている。それを屋根目地漆喰というが、それが盛られているため天守の屋根全体が白く見える(姫路市立城郭研究室の工藤茂博氏)

・壁や屋根に大量の漆喰を使ったのには理由があるという。

漆喰の成分は石灰で、塗ると火に強いことで戦略的に防火のために採用したと思われる(同上)

・しかし輝政はここまで白にこだわったのは単に防火のためだけではなかった。

一言でいうと威厳だった。姫路の新しい城主として領民に新しい時代がきたということを視覚で分かりやすく訴えたのではないか(同上)

<難攻不落・姫路城の恐ろしさとは>
・姫路城の特徴は大天守と3つの小天守を渡り櫓で繋ぐ連立式天守。そのため見る角度で表情が違う。これが姫路城の魅力、美しさをより一層引き出している。しかし美しさの裏には恐ろしさが隠されていた。
・小天守はそれぞれが強固な砦になっているが、万が一敵の手に落ちた場合でも、残された大天守に万全の備えがなされていた。外観は5層の大天守だが、内部は地下1階から地上6階の7フロア。地下1階は籠城戦になった場合の備えとして食糧や燃料を貯蔵する場所で約400人もの兵士が数か月立て籠る用意があったと言われ、調理のための流し台があった。
・また兵士たちのための厠(トイレ)もあり、現在日本に建てられた当時のまま残る城は少なく、このような状態で天守に厠が残されているのは珍しいという。
・1階部分の壁際にあるのが石落し。石垣を登ってくる敵に石や熱湯を浴びせ攻撃するための設備。天守内の壁には武具掛けがあり、大量の鉄砲や槍を収めていた。
・さらに3階の窓際には小さな穴があり、その奥は隠し部屋になっている。落城後、敵の武将が中を確認するため必ず天守に上がってくる。3階は他の階に比べ薄暗くしてあるため、自然と窓に近づく。その瞬間、穴から狙撃するというものだ。
・天守が戦いの舞台となったときは既に負け戦。しかし姫路城は天守も鉄壁の守りを固め、どこまでも諦めずに戦うための城だった。

<天守に神社?姫路城を襲った呪いとは>
・徳川家康の命を受け初代姫路藩主の池田輝政が築いた姫路城。しかし不吉な出来事が次々と起こった。慶長14年(1609年)姫路城が完成して間もなくのこと、1通の不気味な手紙が輝政宛に届いた。
・城から北東30kmにある圓満寺にその手紙が大切に保管されていた。長さは3mを超えるもので、差出人は「はりまあるじの大天神」。大天神とは播磨一帯を支配していた大天狗のこと。書状にはこう綴られていた。

輝政には天狗がとり憑いている。輝政が悪い政治を行えば命を失う。

・不可解なことはこのとき始まったことではなかった。天守閣が姿を現した頃、城内に鬼が現れて夜な夜な人を殺して奥女中をさらっていったという。そんな中、届いた手紙に家臣たちは不安に駆られ心配したが、輝政は気にしなかった。
・ところが2年後、輝政は謎の病に罹り床に伏せてしまった。何をしても一向に回復しないため、人々は天狗の祟りだと噂した。家臣たちは圓満寺から僧侶を呼び祈祷をさせ輝政の病気回復を願った。それは数週間に及んだという。
・するとその最中、怒り狂った鬼が現れ「おさかべの神」だと言ったという。おさかべとは古くからこの地を守ってきた神様。家臣たちはその怒りを収めようと天守のすぐそばに長壁神社を建てた。
・しかし翌年の慶長18年(1613年)輝政は亡くなった。おさかべの神の怒りか、手紙を送ってきた天狗の祟りか、人々は目に見えぬ恐怖に震えた。
・果たして手紙を書いたのは誰か。苦しめられた民衆が書いたのではないかという説がある。そのヒントが城の改修工事をした際に発見されている。築城当時の木材に模様が彫られている。ムカデ、平仮名の「の」。絵番付と呼ばれるもので、文字が読めない職人や領民のため、どの木材とどの木材を合わせるか一目で分かるための印だった。
・家康から姫路城築城を命じられた輝政だったが、巨大な城をつくるためには多くの労働者が必要だった。そこで1日7000人、延べ2500万人もの領民を徴用。さらに莫大な費用を賄うため年貢を2割引き上げ、田畑の肥料だった肥壺にまで税金を課した。働き手を奪われた上に増税、8年間に及ぶ城の建築は人々の暮らしを圧迫した。
・備前門はかつてあった輝政の館の入口にあたる門。石垣には一際大きな石が組まれている。実は古墳に使われていた棺の石、輝政は石不足を補うため古墳の棺や墓石、燈籠までも召し上げていた。
・池田家にはその後も不幸が続き、輝政の妻・長男・次男と次々にこの世を去った。そしてほどなく池田家は鳥取へ国替えを命じられ、完成から僅か8年で城を明け渡すことになった。
・その後、長壁神社は代々の城主から城の守り神として大切に祀られ、いつの頃か大天守の最上階に移された。

<悲劇の姫君に秘められた物語とは>
・元和3年(1617年)国替えとなった池田家に代わり姫路城の新たな城主となったのは、代々徳川家に仕えてきた譜代大名の本多家だった。そこに家康の孫娘の千姫が嫁いできた。
・千姫は豊臣秀頼の妻だったが、大坂の陣で徳川が豊臣に攻め入った際に家康によって救出された。残った夫・秀頼は自害した。命を救うことのできなかった千姫は心に深い傷を残したまま、姫路城にやって来た。
・二人目となる夫は本多家の跡取りで、眉目秀麗と噂された本多忠刻。彼は傷ついた千姫を癒すために心を砕いた。そのとき新たに設けたのが西の丸御殿。屋敷をぐるりと囲むのは、長さ240mもの櫓。百間廊下と呼ばれるその脇には幾つもの小部屋が作られた。千姫に仕える侍女たちがここで暮らしたという。廊下の突き当たりが千姫の居室(化粧櫓)。
・2年後、千姫は初めての子・勝姫を、さらに本多家の跡取りとなる幸千代を授かった。ようやく訪れた幸せな時間。しかし再び千姫を不幸が襲った。
・元和7年(1621年)幸千代が僅か3歳で夭折。深い悲しみの中、千姫はもう一度、子宝に恵まれるようにと城のそばに天満宮を建てた(千姫天満宮)。それは西の丸の櫓から見える位置にあった。彼女は朝晩手を合わせ祈ったと言われている。
・さらに千姫は占いにもすがったところ、不幸の原因は亡き夫・秀頼の祟りだと言われたという。驚いた彼女は秀頼の供養にと仏像を彫らせ、その中に手紙を納めた。

あなた様のお怨みの心はごもっともですが、どうか悔しいお心をお鎮め下さい。

・しかしその願いは届かず、寛永3年(1626年)本多忠刻が病死。千姫は一人娘の勝姫を連れて江戸へ。落飾して天樹院と号し、寛文6年(1666年)に亡くなるまで2人の夫の菩提を弔ったと言われている。

<姫路城に起きた数々の奇跡とは>
・戦国時代に築かれた城の多くは、戦火や時代の波にのまれ消えていった。そんな中、姫路城は幾度もの危機を乗り越え今なお当時の姿を留めている。築城から400年、姫路城はなぜ生き残ることができたのか。

【姫路城の危機(1)大坂の陣】
・慶長19年(1614年)家康は豊臣家を一掃するべく、大坂にいた秀頼への攻撃を開始した。戦うために築かれた姫路城はこのとき、西国大名を迎え討つため万全の備えを整えていた。

そのとき既に加藤清正、福島正則など豊臣方に付くかもしれない有力大名は死んでいた。家康の敵になりそうな大名には弾圧を加えていたので、豊臣家に付いて対決しようという大名は殆ど残っていなかった。結果的に姫路城が戦場になることはなかった(前出の山本氏)

・その後、泰平の時代へ。徳川幕府のもとで姫路城の城主は次々と入れ替わっていった。そのことを今に伝えているのが屋根瓦。揚羽蝶紋は池田家、三葉立葵文は本多家、中には僅か数年で国替えになった大名もいた。

西の重要拠点であった姫路城の城主は、徳川家が信頼を置く大名が選ばれた(同上)

【姫路城の危機(2)老朽化】
・しかし城主たちは常にある不安に駆られていた。江戸時代中期に書かれた史料「姫藩典制録」にこう記されている。

城の天守は少しでも油断すると崩壊してしまう可能性がある。

・巨大な天守の重さは実に5700トン。城がその重さを支え切れず傾き始めていた。城主たちはどう対処したのか、今から60年前に行われた解体修理(昭和の大修理)で明らかになった。部屋の歪みを防ぐ筋交いや、つっかえ棒のように天井を支える補強の柱などが見つかった。継ぎ目には年号が記されていた。

記録で残っているだけで、江戸時代の補強工事は36回行われている。姫路城主になることは名誉なこと。江戸が本社だとすると姫路の支店は重要な出世コースだった(歴代城主は池田家、本多家、松平家、酒井家)。城が壊れたからといって放っておくわけにはいかず、維持管理をして400年守ってきた(前出の工藤氏)

・天下泰平の時代、天守は無用の長物となった。しかし歴代城主たちは名誉と出世のため、この美しく巨大な城を守ってきた。

【姫路城の危機(3)幕末の動乱】
・幕末、新政府軍と旧幕府軍が激突、多くの城が戦火で失われた。このとき姫路藩は旧幕府軍に参戦、姫路城が遂にその力が試されるときがきた。
・しかし旧幕府軍の劣勢を知ると、姫路城に立て籠った者たちはあっさりと新政府軍に城を明け渡してしまった。慶応4年(1868年)に無血開城、永遠に不戦の城となった。

【姫路城の危機(4)太平洋戦争】
・時は流れ、昭和20年(1945年)太平洋戦争末期。姫路城に最大の危機が訪れた。アメリカ軍による空襲、同じ時期、名古屋城など多くの城が焼失した。
・なぜ姫路城は無事だったのか。一枚の写真が残されているが、そこに写っているのは真っ黒な天守だった。城を守りたいと願う市民が、夜に飛来する爆撃機から姫路城を見えなくするため黒い網で覆った。
・姫路市街が大空襲に見舞われたのは7月初旬。1万発の焼夷弾が降り注いだ町は、夜が明けると一面焼け野原になっていた。しかし姫路城は変わらぬ姿を留めていた。悠然とそびえる姫路城は打ちひしがれた人々に大きな希望と勇気を与えた。
・姫路城の大改修は度々行われてきた。2009年から5年半の歳月を掛けて半世紀ぶりに行われた平成の大修理は1万5000人もの人が携わり、大天守の塗り直しには漆喰が100トンも使われた。
・次の大改修は50年後。そのときには新たな発見があるかもしれない。まさに不戦の城、この美しい姿は長い年月、人々によって守られてきた。

(2016/11/11視聴・2016/11/11記)

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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第1話「女剣士と子育て侍」

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【BS時代劇】子連れ信兵衛2・第1話
「女剣士と子育て侍」

(NHK・BSプレミアム・2016/11/11放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kozure2/

<感想>

 「子連れ信兵衛」が昨年放送されたときに「続編が楽しみ」と書きましたが、やはり第2弾が始まりました。江戸の町で悪党たちを成敗する「特命係長・只野仁」…じゃなかった信兵衛。高橋克典さんのキレキレの殺陣と人情溢れる話。そして第2の主役である「鶴坊」こと鶴之助くんの成長ぶりと、第1話からなかなか楽しませてもらいました。

 そして今回の新キャラクターは黒谷友香さん演じる美玖ですね。冒頭いきなり押しかけ女房?密かに信兵衛に思いを寄せているおぶん(小島梨里杏)ちゃんとの三角関係?そんな浮いた話の展開も面白そうです。

 うっかり初回を見逃してしまった方は11月13日(日)の午後6時45分からBSプレミアムで再放送がありますので、ぜひぜひご覧あれ。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・木挽町の長屋では浪人の松村信兵衛(高橋克典)たちが鶴之助(伊東瑛進)を見守っていた。ようやく一人で歩くことが出来るようになり、喜ぶ長屋の一同。
・そんな信兵衛は、折笠五郎左衛門(笹野高史)にそそのかされて、日銭を稼ぐために道場破りをしていた。そんなある日、道場主として現れたのが本郷美玖(黒谷友香)という女剣士。しかし道場にゴロツキどもが来ていたため、それを察した信兵衛はわざと負ける。
・美玖は父親から道場を継いだようだが、身に覚えのない借金取りに追われていた。
・一方、江戸の町では子どもを騙って親から金を巻き上げられる事件が続いていた。
・そんなある夜、信兵衛は美玖が若い男と逢い引きしているのを目撃する。
・翌日、同心から騙り犯の手配書を見せられた信兵衛は、美玖の相手に似ているのが気になって彼女のもとを訪れる。
・そこで美玖が道場を売りに出している話を聞き、その男に騙されているのではないかと言うが、聞き入れられなかった。
・信兵衛の予想通り、美玖が惚れ込んでいたのは「たらしや助次郎」という人々から金を騙し取っている男(庄野崎謙)だった。
・助次郎のアジトに乗り込む信兵衛と美玖。向かってくるゴロツキどもを信兵衛たちが成敗する。
・一件落着したところ、美玖は信兵衛に「鶴之助の母親になりたい」と衝撃的な告白をする。

(2016/11/12視聴・2016/11/12記)

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【歴史秘話ヒストリア】決着!80日間世界一周

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【歴史秘話ヒストリア】
「決着!80日間世界一周」

(NHK総合・2016/11/11放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/

<感想>

 前回のお話(→【歴史秘話ヒストリア】挑戦!80日間世界一周)に続いて、二人の女性新聞記者の世界一周のデッドヒート。勝者と敗者との差は本当に「紙一重」の差だったように思います。それぞれの最後の乗り物を巡るトラブルのあるなしで、結果はおそらく変わっていたことでしょう。

 そして非情にも勝者は大きく持ち上げられてブームまで到来するのに対し、敗者の扱いは小さかったとか。それでも彼女は決して落胆しなかったと思います。それは旅の途中で出会った数々のものが、その後の彼女の人生を大きく変えるものになったからでしょう。その後、日本を訪れてくれたというのは、ちょっと嬉しいイイ話ですね。

 さて、今や世界一周は飛行機を使えばあっという間ですが、豪華客船で各地を巡りながらなんて素敵ですね。毎週買っている7つの数字を選ぶ籤がピッタリと揃ってほしいと思います(笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・1872年、鉄道が開通し日本が明治の真っ只中にあった頃、海の向こうで世界を夢中にさせる物語が生まれた。ジュール・ヴェルヌの小説「80日間世界一周」。主人公は80日間で世界を一周してみせると旅に出る。果たしてそれは成功するのか、ハラハラドキドキの大冒険小説。
・その17年後、小説は現実となった。2人のアメリカ人女性記者がニューヨークを出発。一人は東へ、一人は西へ、同時に80日間世界一周に挑んだ。
・2人の旅はデッドヒート、そしてトラブルの連続。先にゴールできるのはどっち?「事実は小説より奇なり」な80日間世界一周の旅。

<2人の女性記者が世界一周に出発>
・2人が旅立ったのは1889年、ちょうど自由の女神像が完成した3年後のことだった。
・旅に出たのは2人の女性記者、ネリー・ブライとエリザベス・ビズランド。ネリーはいわば「スクープ命」。気が強く体当たり取材を得意とする熱血記者。一方のエリザベスはライバル社で文芸欄のコラムを担当。上品で美人、ネリーとは正反対のキャラクターだった。
・東回りのネリーと西回りのエリザベス、どちらが先にゴールできるのか。

<驚きの連続!アジアの国々>
・1889年11月14日、ニューヨークの港から蒸気船に乗り、ネリー・ブライの世界一周の旅は始まった。出発から9日目、大西洋を横断しフランスに到着。大聖堂で知られる古都・アミアンに向かった。待っていたのは、小説「80日間世界一周」の作者ジュール・ヴェルヌ本人。彼は作品の構想を練った地図にネリーの進路を書き込んでくれた。

これから本当に自分の目で世界を見て回るんだ!

・ヴェルヌに励まされたネリーは、意気揚々と地中海を横断。全長160kmに及ぶスエズ運河も順調に通過。そして未知の世界アジアに入った。
・ニューヨークを出て25日目の12月8日。インド洋・セイロン島、現在のスリランカだが当時はイギリスの植民地。紅茶の大規模栽培が始まって間もない頃だった。年間の平均気温は27度、ネリーにとって初めての熱帯の島。船が出るまでの間、彼女は体当たり取材に出掛けた。
・まずは腹ごしらえと、そこに何やら見たことのない物体が。その名は「カレー」、当時はまだアジアの一民族料理でアメリカ人の殆どが食べたことがなかった。においは強烈、色も不気味、何が入っているのかすらよく分からない。

言われた通り全部かき混ぜてみた。こうすると見た目が大変よろしくない(ネリーの旅行記より)

・だが熱血記者のネリー、勇気を奮ってカレーに挑んだ。

これまでに経験したことのない味がする。コショウ、ニンニク、どこか花のような香りもする。はじめは感じなかったが、辛さは次第に強くなり体じゅうが熱くなってきた。見た目は良くないがカレーはおいしい(同上)

・取材を終えて港へ戻ったネリー。ところがトラブルで予定の船が出航できないというのだ。彼女にとってアジアの旅は波乱の幕開けとなった。
・ネリー出発の8時間後の11月14日午後6時、ライバル社の記者エリザベスもニューヨークを出発。まずは大陸横断鉄道に乗り、西海岸のサンフランシスコへ。途中で凄腕機関士「つむじ風のビル」の協力を得て、難関のロッキー山脈を突破。僅か5日でアメリカを横断し、太平洋に乗り出した。
・向かった先は東洋の神秘・日本。時は明治22年、江戸時代の風情もここかしこに残り、見るもの感じるもの全てがまさにエキゾチック。中でも一番は増上寺、豪華絢爛な徳川将軍の霊廟だった。

まるで完璧な宝石箱の中にいるようでした。この国ではどんなものにも美が宿っています。私はおとぎ話の国に来たのです(エリザベスの旅行記より)

・日本で何よりも旅をする喜びを知ったエリザベス。ニューヨークを出て39日目の12月23日、訪れたのはシンガポール。「東洋と西洋の交差点」と呼ばれ、19世紀から今日まで目覚しい発展を続けてきた。だが彼女が旅したのは、まだ海外旅行が一般的ではなかった時代。もちろんリゾートホテルなど無かった。

部屋に家具はほとんどなく、ベッドがひとつきり。扉には鍵すらありませんでした(同上)

・その夜、エリザベスは昼間に聞いた話を思い出した。シンガポールには虎がいて、毎日のように人を食うと。

聞こえるのは、床を引っかく不気味な音と自分の心臓の鼓動だけ。ホテルの中は静まり返っている。私以外みんな食べられてしまったのかしら(同上)

・正体は何か、エリザベスは勇気を振り絞った。

それは大きな灰色のネズミでした。私の荷物をゴソゴソと嗅ぎ回っていたのです。私は気が抜けて追い払う気も起こらず、また眠りにつきました(同上)

・この夜の出来事をエリザベスは旅行記に「最も恐ろしい冒険」と記した。
・地球をぐるり、西回りで旅を続けるエリザベス、そして東回りのネリー、2人はアジアの海ですれ違った。ちょうど地球を半周した辺り。ここでこの旅で最大の、衝撃の事実が発覚した。
・香港に着いたネリー。ここで船会社の職員から聞くまで、ライバルのエリザベスの存在を全く知らなかった。そもそもネリー出発の8時間後、それを追う形で急遽送り出されたのがエリザベス。ライバル社のいわば便乗企画だった。
・この世紀のレースは逐一伝えられ、アメリカ中が固唾をのんで見守っていた。ところが先に出発し次から次へと移動を続けるネリーのもとには、その情報は届かなかった。
・エリザベスが香港を出発したのはその3日前、まさに衝撃だった。旅行記によるとネリーはこう答えたという。

私は会社に75日で世界を一周すると約束したんです。それさえ達成できれば満足です。他の誰かがもっと早く一周したいというのであれば、どうぞご勝手に(ネリーの旅行記より)

・2人の伝記を書いたノンフィクション作家のマシュー・グッドマン氏は、このときのネリーの気持ちをこう分析している。

内心は怒りでいっぱいでした。負けず嫌いなネリーは、口とは裏腹に「勝ちたい」と思っていたはずです。「逆転の方法はまだ分からないけれど、絶対に負けるもんか。絶対に先にニューヨークに到着してやる」と闘志を燃やしていたのです。でも表面上は気にしていない振りをしたんでしょうね(グッドマン氏)

<レースはデッドヒート!>
・1890年1月7日(55日目)、このままでは負け確定のネリー。アメリカ西海岸のサンフランシスコを目指した。そこに立ちはだかったのは太平洋。逆転するには、この世界最大の海をできるだけ早く渡るしかなかった。
・ネリーが乗船したのはオセアニック号。当時、太平洋横断の最速記録を持っていた蒸気船。さらに味方が現れた。ネリーのピンチを聞いた船乗りたちがプライドに懸け、勝たせてやるというのだ。
・プライドその1「太平洋横断の最速記録を塗り替える」。
・プライドその2「スローガンを機関室に掲げる」

ネリー・ブライのため我らに勝利を!さもなくば死を!

・プライドその3「毎日正午、船が1日で進んだ距離を発表する」
・しかし現実は甘くなかった。出航から4日目、激しい嵐が行く手を遮った。

もし勝負に負けたらニューヨークには帰らない。遅れるくらいなら死んだ方がマシ(ネリーの旅行記より)

・レースも佳境。一方、エリザベスはインド洋を横断しアラビア半島の南アデンに到着していた。スエズ運河の開通以降、アジアとヨーロッパを結ぶ中継地として賑わった砂漠の港町。
・そもそもの歴史は古く2000年以上も前、古代ギリシャやエジプトとも交易をしていた。

きっと数千年前にも同じようなキャラバンが砂漠を渡り、ファラオの支配するエジプトに向かっていたのでしょう。その時も今もここは何一つ変わっていません(エリザベスの旅行記より)

・エリザベスはここで生涯忘れられない光景に出会った。古代遺跡アデンタンク(紀元前1世紀頃)。険しい岩山を削り貴重な雨水を貯めるための貯水池がいくつも並んでいた。砂漠に生きる人々を潤してきた命の池。ニューヨークとかけ離れた光景に、彼女は心を打たれた。

旅を続けるうちに私の五感は研ぎ澄まされ、世界がより美しく見えるようになっていきました。一瞬一瞬が鮮明な記憶となり、いつでもそのときの感動とともに思い出すことができます。それは決して色あせない、宝物ような経験ばかり。一度はこんな風に本当に生きてみるべきだと私は思いました(同上)

・アラビア半島を後にしてヨーロッパへ。エリザベスにゴールが見えてきた。出発から63日目、イタリア半島の踵・ブリンディジ港に到着。
・ここからは列車に乗り換え、陸路でフランスへ。北部の港ル・アーブルから出る船に乗れば8日後にはゴールのニューヨーク。到着までに掛かる日数は、計算すると73日。ライバルのネリーの計画を2日リードしていた。
・しかし1月16日、ブリンディジ港の税関で事件が起こった。エリザベスは抜き打ちで手荷物検査を命じられた。列車の出発まで10分を切っていた。おしとやかな彼女もこの時ばかりは…。

レディとしての品位を保つべきでした。ですが私の声には、はっきりと感情がにじんでいました(同上)

・2人のレースの行方は?当時の新聞はこう伝えている。

2人は同じ日に到着する模様。決着は数時間の差でつきそうだ(イブニング・ブルテン紙・1890年1月7日)

・80日をかけた世界一周の大レース。栄冠はどちらの手に?当時のニューヨーク市民は毎日、固唾をのんで行方を見守った。それはワールド新聞が考えた仕掛けがあったからだ。
・1889年12月1日の朝刊に応募券がある。ネリー・ブライが世界一周にかかった時間を予想するクイズ。日数・時間・分・秒まで記入する。1等賞はヨーロッパ周遊の豪華旅行券だった。仕掛人はネリーの上司のジョーゼフ・ピュリツァー。彼の狙い通り予想クイズは大盛況。90万通以上の応募券が届いたという。

<自由の女神はどちらに微笑むのか>
・税関を何とか切り抜けたエリザベス。列車はイタリアを北上、アルプスの山々が見えてきた。彼女が次に乗るのは快速蒸気船ラ・シャンパーニュ号。フランスのル・アーブルから出発し、ニューヨークまでは8日間の予定。
・蒸気船の出発は明朝6時。しかし列車は大幅に遅れ間に合いそうもなかった。実はこれを見越してニューヨークではエリザベスのコスモポリタン社が手を打っていた。フランスの船会社に大金を支払って、船の出発を延ばしてもらった。
・1月18日。ところが途中の乗り換え駅でのこと。旅行会社の男が現れ、エリザベスを待っているはずの船が出てしまったと言ってきたのだ。

後で分かったことですが、実は船は彼女を待っていました。3時間、いえ3時間半は待っていました。真相は闇の中です。この男が誰だったのか、なぜ誤った情報を伝えたのか、誰にも分かりません。ライバルのボス(ピュリツァー)による妨害工作だという説もあれば、単なる連絡ミスだったという説もあります。エリザベスはこのことについてその後、何も語っていません(グッドマン氏)

・エリザベスはやむなくフランスではなく、イギリスから出る別の船を目指した。ところが悪いことは重なるもので、イギリスに着いてみると乗るはずだった船が運航中止。最後の手段はアイルランドからの船。さらに遠回りだったが、これに懸けるしかなかった。
・1月19日(66日目)アイルランド・クイーンズタウン港、吹き荒れる嵐だった。

船は遅れていて、いまだ姿は見えません。私はもうどうしていいか分からず、空腹と疲労と睡眠不足で今にも倒れそうでした(エリザベスの旅行記より)

・結局、遅れに遅れて船は出発。エリザベスはゴールのニューヨークへと向かった。
・1月21日(68日目)、一方のネリーは予定より1日早く太平洋をクリアし、サンフランシスコに到着。アメリカに戻ってきた。
・残すは大陸横断のみ。しかしそこにとんでもないニュースが飛び込んできた。ロッキー山脈で記録的な大雪、大陸横断鉄道が動かなくなっているというのだ。復旧の目処は立たず、長引けば1週間は足止めされることになる。
・旅はここまでで68日、7日間足止めされれば75日。そこから順調に列車が走ったとしても5日はかかる。つまりエリザベスに勝つどころか「80日間世界一周」という目標すら危うくなってきた。
・しかし出るはずのない汽車がネリーの前に現れた。あのピュリツァーが手を打っていた。大雪で彼女がピンチと見るや、何と3つの鉄道会社を買収。雪の影響の少ない南回りの特別列車を用意させた。
・いよいよ、決着の時…。

・1890年1月25日午後3時51分。

アメリカ中の誰もが、まるで自分のことのように旅の成功を喜んでくれました。私も本当に誇らしく思いました。世界一周の新記録をつくったのは、アメリカンガールなのです。

・こう記したのは、ネリー・ブライ

・勝者の姿を一目見たいと駅には数千人の人が詰めかけた。72日66時間11分14秒。世界一周の史上最速記録だった。
・ネリーの成功を報じた翌朝のワールド紙。並んでいるのは、これまで世界を一周した偉人たちの似顔絵。7つの海を制覇したイギリス海軍キャプテン・クック、スペイン無敵艦隊を破った大海賊にして大提督のフランシス・ドレーク、そしてジュール・ヴェルヌの小説「80日間世界一周」の主人公フィリアス・フォッグの姿も。みんなが新記録を打ち立てたネリーに目を丸くしている。
・さらに空前のネリーブームまで到来。旅をすごろくにしたゲームも発売され、爆発的人気を読んだ。その後も様々な商品の広告キャラクターになるなど、彼女は一躍アメリカのスターになった。

人々がネリーに熱狂したのは彼女がアメリカン・ガール、普通の女の子だったからです。彼女は天才ではありません。抜群に文章がうまいわけでもなく、際立った美人でもありません。でもそのとても強い意志で、全てを成し遂げました。それは誰もがネリーのようになれるということでもあったのです(ニューヨーク大学教授のブルック・クルーガー氏)

・1890年1月30日午後1時30分。ネリーに遅れること5日、エリザベスもニューヨークの港に帰ってきた。世間はネリーに夢中で、エリザベスのゴールは殆ど話題にならなかった。
・その後、彼女はどうなったのか。エリザベスの遠縁にあたるサラ・バーソロミューさんを訪ねた。

これはエリザベスが書いた手紙です。1911年に日本からアメリカの家族に送ったものです。桜の花の絵がとても綺麗でしょう(バーソロミューさん)

・世界一周の旅の22年後、エリザベスは再び日本を訪れた。京都・天橋立、神戸・六甲山、広島・宮島など全国各地を旅している。

5月5日、今日は日本中の男の子をお祝いする日です。空一面に色とりどりの巨大な魚。口のリングから空気が通るようになっていて、いい風が吹くと本当に水の中にいるみたいに気持よさそうに泳ぐんです。

8月16日、夜のとばりが下りると、海岸からたくさんの小さな灯籠が沖へ流されました。光は波間を揺れながら、次第に小さくなっていきます。人々は「さようなら また来年会いましょう」と口々に声をかけています。これだけ先祖を愛する人たちがいるなんて、想像できるかしら(エリザベスの手紙より)


・世界一周の旅の翌年、エリザベスは作家としてデビューした。日本をはじめ様々な国の文化や歴史、そして人々の姿を取材し、世に広く伝えた。

・小説「80日間世界一周」の最後にはこう記されている。

結局、物語の主人公が長い苦難の旅から得たものは何だったのだろうか?何もないと、あなたは言うかもしれない。だが、はっきりと目に見えるものが得られなかったとしても、人はきっと世界一周の旅に出るのではないだろうか(小説「80日間世界一周」より)

(2016/11/12視聴・2016/11/12記)

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【ドキュメント72時間】北アルプス 天空のテント村

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【ドキュメント72時間】
「北アルプス 天空のテント村」

(NHK総合・2016/11/11放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/72hours/

<感想>

 北アルプスの涸沢。上高地から6時間の登山というのは近すぎず遠すぎずにちょうどいい距離かもしれません。それでも軽装備では行けないところ。行くとなればそれなりの装備が必要かなと思いましたが、登山ビギナーも結構多くいた感じでした。

 それにしても5歳の女の子。途中で音を上げずによく頑張ったと思います。子どもにとっては大冒険となるいい思い出になることでしょう。いいお父さんだと思いましたね。

 昨年放送された「屋久島・巨木に集う人びと」も良かったですが、たまには自然のスポットの定点観測もいいですね。朝焼けの幻想的な世界に、思わず私も魅せられました。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・暗闇にきらめく無数の光。北アルプスの山あいに秋の一瞬だけ現れるテント村。満点の星の下、人が集い時を過ごす。
・天空に流れる、いつもと少し違う時間。行き交う人の心模様を3日間、見つめてみた。
・長野県上高地から北アルプスへと続く登山道。険しい道を登ること6時間、標高2300mにある穂高連峰の涸沢(長野県)が今回の舞台。

・10月7日(金)10時。随分ごつごつした岩場だが、周りが見渡せるのでテントがぴったりだという。
・リュックを背負った地元・長野の会社員の55歳男性。年に数回ここで過ごすのが楽しみだという。あんまり無理はせず、テントでゆっくり過ごすのが最近の人気らしい。
・カメラを担ぐ74歳の女性。実はここ、知る人ぞ知る紅葉の名所。カメラ片手に頑張って登ってきたんだって。
・美しい紅葉を目当てに1000人近くがやって来るこの場所。岩場の横には豪華なテラス付きの山小屋。生ビールまである。
・12時6分。続々と人が到着してきた。突然声をかけてきた介護福祉士の63歳男性。もう5日間、ここを拠点に周りの山に登っているらしい。自慢のテントを見せてくれるという。登山歴20年のベテラン。でも2日前、思わぬ事態に遭遇したという。台風が直撃、身の危険を感じて家族にICレコーダにメッセージを残したという。誰にも邪魔されない自分だけの時間。テント村の暮らしは奥が深そう。
・15時22分。何だかいい匂いがしてきた。ジャーマンポテトとシチューを作っている男性たち。大手電機メーカーの飲み仲間。いつもは都会の居酒屋で飲んでいるけど、今日は遠征してきたという。
・山頂を目指さず思い思いの時間を過ごす人々。
・旗を掲げる男性二人組。YouTubeに告知をしてきたという。
・ギターを抱えて全国の山を登る自称“シンガーソングハイカー”の女性。
・16時52分。大きな板を運ぶカップルがいた。最近付き合い始めたという二人。山でテント泊するのは初めてだという。予行演習は完璧だったはずだけど…テントがうまく建てられない。いつもはスマホで調べられるが、ここは圏外。ここでしか味わえない時間の流れ。二人の距離も少し近づいたかな。
・日が落ちたテント村は幻想的な空間に。お昼に出会ったおじさんたちは酒盛りをしている。
・中には電飾付きのテントも。周りの状況を見ながら点灯させているという男性。

・10月8日(土)5時38分。早朝、天候が急変。雨が降り出した。この先は険しい山道。登るのを諦め下山する人たち。
・一方、天候を全く気にしない人たちも。東京から来た男女6人組。いろんな遊びに誘われるけど、週末になるとなぜか山に来てしまうんだって。自然の気配を感じながら何もせず過ごす一日。
・11時1分。昼前になると雨の中、続々と登ってくる人が。みんな地元の役所の職員。予定を合わせられる日が今日しかなかったらしい。レジャー用の小さなテントを必死で組み立てるが…。
・13時56分。山小屋に5歳の女の子。お父さんは学生時代から全国を旅してきた。大好きなキャンプを娘さんと楽しむのが夢だったそう。親子2人きりで過ごすテント、吹き飛ばされないよう念入りに固定する。頑張ったお父さんに娘さんからプレゼント。一体どんな夜になるんだろう。
・その後、さらに天候が悪化。それでも多くのテントが寄り集まり、夜を明かした。

・10月9日(日)8時48分。雨があがった3日目の朝。女の子はキャンプ楽しかったという。テントは無事だったが水浸しになってしまった。でも娘さんの新しい一面を見られたんだという。ちょっと怖い思いもしたけど、大人になって思い出す日も来るのかな。
・秋晴れの山を前に写真を撮る41歳女性。新聞社で働く彼女は最近大きなケガをして、リハビリがてらここに来たらしい。これからどう生きればいいか考えながらの旅。でもそれぞれのテントを過ごす人たちを見て、なぜか気が楽になったという。
・14時6分。テントから一人、じっと山を見る59歳男性。実は1週間後に定年退職する予定。そんなとき、ふと昔来た紅葉のテント村が頭に浮かんだという。がむしゃらに山頂を目指していた学生時代、今は下から眺めるだけ。「山は変わらない。変わったのは人間だけ」という。時が経っても、変わらず自分を迎えてくれたこの景色。男性はいつまでも愛おしそうに見つめていた。

・10月10日(月)5時27分。最終日の朝、ある絶景を求めて人々が動き出す。朝焼けが山の稜線を染め上げる。

(2016/11/13視聴・2016/11/13記)

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【ブラタモリ】#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~

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【ブラタモリ】
「#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~」

(NHK総合・2016/11/12放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/

<感想>

 大河ドラマが佳境に差し掛かっているのにタイミングを合わせたかのような「大坂城」特集。なお「おおさか」の表記が「大坂」「大阪」とありますが、明治以前は「大坂」、以後は「大阪」となります。よって、現在建てられている城は「大阪城」(昭和6年復元)、秀吉が建てたのは「大坂城」です。

 ということで、一番の関心事は難攻不落の大坂城の中で唯一の弱点だった南東部さを補った出城「真田丸」が何処にあったのかということ。この間、幾つかの番組でも検証されてきましたが、ほぼ場所の特定は出来たのではないかというのが私の印象です。

【歴史秘話ヒストリア】徹底解明!これが“真田丸”だ
【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期

 既に跡地は学校や住宅などが建ち並ぶため、大規模な発掘調査は出来ないかもしれません。でも今後また新たな発見が待たれるところです。真田信繁(幸村)が「日の本一の兵」と呼ばれる所以となった難攻不落の出城「真田丸」。徳川軍の大坂城への直接砲撃に怯まなければ…天下の行方は変わっていたかも。惜しかったですね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・今回は「真田丸スペシャル」ということで大阪城の前からスタート。
・お題は「大坂城はなぜ難攻不落?」
・案内人は大阪城天守閣館長の北川央さん。
・1583年、豊臣秀吉が天下統一の拠点として築いた大坂城。大坂城を見た当時の宣教師は「日本中で最も堅固で難攻不落の城だ」と記している。
・大坂の陣とは秀吉の子・秀頼率いる豊臣方と家康率いる徳川方が2度にわたり対決した戦い。そのうち一度目の「大坂冬の陣」こそ、大坂城が難攻不落だと知られるようになった戦い。
・冬の陣は豊臣方10万・徳川方20万の軍勢で戦われたが、ついに一歩たりとも大坂城には徳川軍は侵入できなかった。
・現在の大阪城は江戸時代に徳川がつくったもの。豊臣の大坂城は徳川にすっぽり埋められてしまった。

・豊臣大坂城の痕跡を求めて一行はまず本丸へ。昭和6年に復元した建物。
・地下に通じる場所にカメラで見てみると当時の石垣が残されている。昭和34年、大阪城で学術調査が行われた。そのとき地中から発見されたのがこの石垣。この発見によって豊臣大坂城の本丸は、徳川の大坂城にすっぽりと覆い隠されていることが初めて明らかになった。
・江戸時代に徳川が完全に豊臣大坂城を埋めころしたのだが、そのうち次第に(徳川の)大坂城が秀吉が建てたものだと勘違いするようになったという。
・そのため石垣の発見は専門家も驚く歴史的な出来事だった。ところが、諸般の事情で隠すことになったという。
・豊臣大坂城の本丸が地中深くに眠っている今、いかに難攻不落だったか確かめる方法はないように見える。しかし本丸以外にヒントがあるという。

・次に一行が向かったのは城の北側にあるビルの屋上へ。
・2人目の案内人は、前回に引き続き大阪高低差学会の新之介さん。
・周りを低湿地に囲まれた細長い台地の端にある大坂城。まさに南以外の三方を天然の地形に守られている。
・冬の陣で京都から大坂へと進軍した徳川軍。その一部は台地の北にある低湿地から大坂城に攻め込んだ。

・続いて一行は城の近くにある繁華街へ。3人目の案内人は大阪歴史博物館学芸員の大澤研一さん。古地図や古文書から大坂の陣を研究している。
・現在は埋め立てられ道路となっている鯰江川。その自然堤防だった場所が高くなっている。細長い堤防の上では戦列が長くなり戦いづらくなる。

・一行は大阪城から南へ2kmへ移動。4人目の案内人は大阪文化財研究所学芸員の積山洋さん。発掘調査をもとに20年にわたり豊臣大坂城を研究している。
・冬の陣のとき南側に10万の兵を置いた徳川軍。大坂城を目指す進路の道を辿ると下り坂がある。元々は巨大な空堀があった場所で幅は30~40m、深さは10m以上あったという。さらに土塁もあったので徳川軍はこの先に一歩たりとも進むことは出来なかった。
・台地の南側を切断して掘られた空堀。さらに低湿地が広がる三方にある水堀。本丸と城下町は丸ごと堀や土塁で囲まれていた。これを「惣構」という。
・現在、空堀自体は無いが、その痕跡が残されている。
・大坂城が難攻不落だった2つ目の理由は、台地の南を切断した巨大な空堀だった。

・大坂の陣の配陣図をみると東に直線的にのびる堀の外側に真田信繁が築いた「真田丸」があった。冬の陣の直前、南側で唯一の弱点だったこの場所に真田丸をつくることで、難攻不落の大坂城が完成した。
・大河ドラマでも、いよいよ信繁が徳川方と真田丸で激突。ところが真田丸の本当の姿もよく分かっていない。書いた図もバラバラ。
・というのも冬の陣で大いに徳川軍を苦しめた真田丸は、徹底的に壊されてしまった。その姿を知る数少ないヒントが豊臣方の武士が残した記録。

東八町目之御門の東、一段高き畑御座候を、
(略)
是を眞田が出城と申候、
(「大坂陣山口休庵咄」)


・一行が向かったのは、その「東八町目の門」があった場所。空堀があった場所を歩いていき、ビルの屋上から見てみると学校のグラウンドがある場所が見える。
・真田丸を描いた多くの絵図は直線や円などかなり単純化されている。今年2月に松江で発見された絵図には詳しい地形が描かれている。自然の崖は緑、人工の堀はオレンジで描かれている。黄色の道に寺も手掛かりになる。
・まだ発見されたばかりの絵図で論文も発表されていないが、一行は絵図を手掛かりに検証してみることに。
・出丸の東側には空堀の痕跡がある。さらに絵図に描かれている心眼寺の橋本博住職に案内してもらうと崖の跡が残されていた。
・さらに一行は南側の徳川軍が攻めてきた場所へ来てみたが、痕跡は残念ながら残されていない。徳川方が多くの犠牲が出た場所のため、徹底的に破壊したと思われる。
・最後に一行は真田丸の跡地に立つ学校の屋上へ。

(2016/11/13視聴・2016/11/13記)

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【大河ドラマ】真田丸・第45話「完封」

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【大河ドラマ】真田丸・第45話
「完封」

(NHK総合・2016/11/13放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

<感想>

 大阪冬の陣で真田信繁(幸村)が築いた「真田丸」に徳川軍が圧倒される。これを観るために1年間このドラマを観てきたと言っても過言ではない「神回」でしたね。かつて信繁との関係があった上杉景勝(遠藤憲一)も舌を巻く姿が印象的でした。

 ブラタモリの(#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~)でも指摘した通り、難攻不落の大坂城を落とすには城の弱点である南を攻めるしか手がありません。そこを突いた家康を「真田丸」が立ちはだかるのは、まさに信繁(幸村)の功績であると同時に、父・昌幸の分析もあったと思いたい。もう少し長生きしてほしかったと思います。

 そして来週のタイトルが「砲撃」。もうオチが見えているので、本当に残念です。冬の陣で徹底抗戦してくれていれば…歴史が変わったのに。繰り返しになりますが、ドラマだから結末を変えてもいいですよ。和睦やめてー!(大苦笑)

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・徳川勢の襲来を前に、豊臣方の方針は、籠城と決まった。信繁は、城の南側に出城を築き、真田丸と名付ける。決戦は目前に迫っていた。

・慶長19年(1614年)11月19日、冬の陣の前哨戦となる事件が起こった。深夜、徳川方の蜂須賀勢が突然、明石全登(小林顕作)の隊が守る木津川口砦を襲った。そのとき全登は大坂城内にいた。木津川口砦は徳川の手に渡った。
・さらに11月26日未明、今度は大和川の岸、300の兵が守る今福の砦を佐竹義宣が率いる1500の兵が襲った。
・8000近くに膨らんだ徳川勢を前に木村重成の兵は為す術もなかった。
・大坂城内では動揺が走ったが、真田幸村(堺雅人)は南の攻めを固めれば安心だと言う。
・毛利勝永(岡本健一)は内通者がいるのではないかと疑っていた。そこで幸村は織田有楽斎(井上順)にわざと情報を流して彼が内通していることを知る。
・一方、真田信之(大泉洋)のもとを福島正則(深水元基)と平野長泰(近藤芳正)が訪れ、豊臣方に兵糧を送るという申し出にが信之は困惑する。
・兵糧を送るという信之に稲(吉田羊)は猛反対するが、こう(長野里美)はそば粉を送る算段を取っていた。
・徳川家康(内野聖陽)は出城である「真田丸」を潰すことを考えていた。
・真田丸から幸村は上杉景勝(遠藤憲一)の軍勢が見えた。彼は直江兼続(村上新悟)とともに家康から真田丸攻めを命じられていた。
・豊臣秀頼(中川大志)は陣中見舞いに回りたいと言うが、幸村は引き止める。結局、茶々(竹内結子)が各陣を回ることになった。
・さらに家康は出陣していた真田信吉(広田亮平)と真田信政(大山真志)に上杉方とともに真田丸攻めを命じる。それを知った幸村は息子の大助(浦上晟周)とともに先手を打って出陣する。
・挑発に乗った前田勢は篠山を急襲した。だが彼らが攻め入ったとき既に真田勢の姿はなかった。
・城の中から聞こえた爆発音は、攻め手の前田勢を勢いづかせた。豊臣方が仲間割れを起こしたと思ったのである。前進を続ける前田勢の前に深い空堀が現れた。背後からは前田勢に負けじと井伊直孝の軍勢が押し寄せている。ここは前に進むしかなかった。
・そこへ真田丸からの一斉砲撃が浴びせかけた。
・それを聞いた家康は真田の策略に気づいたが遅かった。
・徳川勢の退却が始まった。そして幸村が出陣。退却する敵を堀田作兵衛(藤本隆宏)らが討ち果たす!
・知らせを受けた家康は次の手を考えると言う。
・幸村の周りでは勝どきがあがる。

<真田丸紀行>
・慶長19年11月、ついに大坂冬の陣が始まった。家康は大坂城の5kmほど南にある茶臼山を本陣とし、20万の大軍を指揮した。
・大坂城の北東にある今福で戦が起こった。三郷橋稲荷の辺りで豊臣方の後藤又兵衛と木村重成が奮闘したという。
・しかし又兵衛らは徳川方の上杉景勝の攻撃で後退を余儀なくされた。
・慶長19年12月、信繁は真田丸に徳川勢をおびきよせる。そして二段構えの塀から一斉射撃を浴びせ圧勝した。
・歓喜に沸いた大坂城。信繁は家康から三度目の勝利を収めた。

※八劔神社(JR「鴫野」下車 徒歩5分)
※三郷橋稲神社

(2016/11/14視聴・2016/11/14記)

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第41話「入城」
第40話「幸村」
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第35話「犬伏」
第34話「挙兵」
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第8話「調略」
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第6話「迷走」
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第4話「挑戦」
第3話「策略」
第2話「決断」
第1話「船出」

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【ブラタモリ】#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~
【ブラタモリ】#31 真田丸スペシャル・沼田~真田は沼田でどんな城下町をつくった?~

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【にっぽん!歴史鑑定】真田幸村の最期
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【NHKスペシャル】“トランプ大統領”の衝撃

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【NHKスペシャル】
「“トランプ大統領”の衝撃」

(NHK総合・2016/11/12放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 アメリカ大統領選挙の結果を受けて急遽、放送が組まれたNHKスペシャル。NHKもヒラリー・クリントンの勝利を信じて疑わなかったようです。識者を呼んで「どうなる?どうなる?」と、しきりに心配気味といった内容でした。

 私も選挙直前の番組(→【NHKスペシャル】揺らぐアメリカはどこへ~混迷の大統領選挙~)で書いたように、クリントン勝利だろうなと予想していたので…予想外の展開というか、アメリカ国民の皆さんが随分と思い切ったことをしたなというか、そんな感じです。

 そして反トランプの集会やデモが行われるなどアメリカ国内でも揉めているようで、このまま来年の大統領就任後どうなるのかという波乱含みの感じですが、ただ「油断できない」という前提条件付きではあるものの、彼の4年間はそう怖がるような結果にならないような気がします。

 というのも、彼自身は大統領になることが言わば目的だったのではないでしょうか。そうなるとぶち上げたものの多くは実現不可能ということで覆すというか、議会での融和を図るという形で収束させるのでは。TPPもちゃぶ台返しするようなことを言っていますが、政策ブレーンたちが同意するとは思えないですね。

 また安全保障政策も在日米軍の費用負担増を求めてくるものの、実際に撤退などしないでしょう。経済政策でも安全保障でも日本がどう対応するのか。まだ正式に大統領に就任していないにも関わらず安倍がすっ飛んで会いに行くようですが、相手はビジネスの場で数多くの交渉をまとめてきたしたたか者ですからね。変な約束を取り付けないか、そっちの方が心配です。

 それでもトランプに警戒しなければならないのは、やはりヨーロッパの極右勢力との連携でしょう。ただかつてのヒトラーやナチスのような動きになるとは思えないし、仮に大統領が「ご乱心」のときは退場させられる可能性も無きにしもあらずかな(アメリカにはごくたまに「魔法」で大統領が消えてしまうことがありましたからね、くわばらくわばら)。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・世界を揺るがしたアメリカ大統領選挙から3日。トランプ次期大統領への抗議デモは一部が暴徒化し、分断が収束する兆しは見えていない。
・一方、トランプ氏は異例の早さでオバマ大統領と会談、過激な発言を繰り返した姿を一変させていた。しかし記者団に優先する政策を問われると…。

国境での強力な移民対策を検討する(トランプ氏)

・トランプ氏が一貫して訴えてきたのは、自国の利益を再優先するアメリカ第一主義だった。まずは自国を優先してほしいという内向きの「チェンジ」の声が、トランプ氏を勝利に導いた。
・アメリカと対立してきたロシアはトランプ氏の勝利を歓迎。ヨーロッパでは排外主義を掲げる政党が拡大の勢いを見せている。
・アメリカが主導してきた世界が大きく変貌する中、私たちはどう向き合っていくべきなのか。

<国民が求めた“米国第一主義”>
「アメリカファースト」。アメリカにとって大事なのは他の国のことではなくて、第一にアメリカ自身の利益なのだというトランプ次期大統領の主張です。これまで負担を背負い、時に犠牲を払ってでも世界のリーダーであり続けることに大きな価値を置いてきたアメリカ。そのアメリカはトランプ氏を大統領に選んだことによって今、進路を内向きの方向へと大きく転換しようとしています。アメリカという世界のおもしが失われるのではないかという予感に、国際社会はトランプ氏が打つ次の一手を息をのんで見守っています。そして、何よりアメリカ国民自身が分断され、今度の選挙結果を受け入れきれずにいます。トランプ氏を次期大統領にまで押し上げた原動力、つまり現状に不満を強める怒りのマグマの大きさを既存の大手メディアの多くがその予測を見誤りました(大越健介キャスター)

<予想を超えた“チェンジ”求める声>
・開票の当日、テレビの選挙速報番組では開票から1時間が経ってもクリントン氏が圧倒的に有利だと伝え続けていた。ところが開票から5時間後、正反対の予測に差し替えるという異例の事態となった。
・番組でコメンテーターを務めたABCテレビのクッキー・ロバーツ記者。エミー賞などを受賞してきたベテランジャーナリストだが、50年に及ぶ記者生活でも経験したことのない事態だったという

まさか有権者がトランプ氏という賭けを選ぶほどチェンジを求めていたとは思っていませんでした。もっと有権者の声に耳を傾けるべきでした(ロバーツ氏)

・なぜチェンジを求める声を掴めなかったのか。その理由の一つは、トランプ氏が既存のメディアだけではなく直接支持者に訴えたことだったという。その手段がツイッターだった。
・トランプ氏は過激な発言を繰り返し支持者に訴えた。それを受け取った支持者が差別的な発言などを次々と掲載。人々の不満や怒りがインターネット上で煽られ、支持が集まっていった。
・既存のメディアはそれを取り上げ、さらに拡散させた。しかし過激な発言は限られた人のもので、それほど多くには浸透していないとみていたという。

なぜあれほど人々がツイッター上で汚い言葉を使って憎しみを吐き出すのか、私たちには理解できていませんでした。しかしトランプ氏はネットを通じてそれを引き出すやり方を知っていました。これほどツイッターが影響した選挙は初めてでした(同上)

・ツイッターを通じて直接有権者に発信し続けたトランプ氏。既存のメディアは既得権益側であり信用できないと繰り返し攻撃した。

とても不誠実で腐敗したメディアが有権者を毒している(討論会でのトランプ氏)

・トランプ氏の言葉に反応した支持者たちは、メディアを敵視するようになった。

(メディアは)真実を報道しろ。真実を報道しろ(トランプ支持者)

・既存のメディアと有権者の溝が広がる中、世論調査に本音を明かさなかった有権者も少なくなかったとみられている。

トランプ氏に投票することを隠した有権者がいたため、世論調査が間違ってしまったのではないかとみています。「隠れトランプ支持者」の票が多くあった。それが現実だったのです(ロバーツ氏)

・チェンジを求めるトランプ支持者の広がりを把握できなかった既存のメディア。選挙で初めて気づいた世論の大きさに動揺を隠せないでいる。

言葉になりません。オバマ大統領が選ばれたときは、この国にとって輝かしい瞬間でした。でも、あと2か月でその全てが消えてなくなってしまう。1人のアメリカ人としておびえています(ワシントン・ポスト紙のジョナサン・ケープハート氏)

<選挙結果をどうみるか ゲストに聞く>
大越氏:大手メディアも衝撃を受けています。このアメリカという超大国が変質をしていくとすれば世界のパワーバランスが変わる。そして、経済の姿も変わっていく可能性があります。当然、私たち日本も様々な可能性、場合によっては様々なリスクと向き合っていく必要があります。

・東京大学大学院教授のロバート・キャンベル氏(日本文学が専門。ニューヨーク生まれ)。

大越氏:開票日当日、東京のアメリカ大使館でケネディー大使とともに開票の行方を見守れられたというふうに伺っていますが、そのときの空気そして大勢が判明しつつあるときのご自身の印象はどうでしたか?

キャンベル氏:大使の思いでアメリカ民主主義の一番の見せ場である選挙の行方を、東京にいる各国の大使であるとか日本のリーダーたちであったり、私のような者を招いて彼女が暮らしている公邸でみんなで見ようということをやったんですけども。朝の10時半ぐらいから民主党確実といわれていた州が次から次へとひっくり返っていくにしたがって、何とも言えない張り詰めたような空気が充満していたんですね。私は政策うんぬん以前に、クリントン氏が負けたことで初の女性大統領を見る機会を失ったっていうことと、トランプ氏が勝ったことで暴力であるとか、差別を正当化させるアメリカ社会の一番暗い部分がぐっと壮大かさせるんじゃないかな。先ほど言葉がありましたけど、おびえを感じたということが正直感じました。

大越氏:そういう姿にショックでしたか?

キャンベル氏:大変の大きな驚愕を覚えたんですね。

・外交評論家の岡本行夫氏(元外交官。日米の外交・安全保障政策に精通)。

大越氏:岡本さんはこの結果がありえると予測していましたか?

岡本氏:予測してませんでした。いくつか理由があります。一つは今、完全に開票が終わっていませんけども総得票でいくとクリントンさんの方がトランプさんを上回っているんですね。しかしトランプさんが結局、選挙人が多い大事な接戦州を全部制していった。フロリダ、ペンシルベニア、オハイオ、ウィスコンシン。それぐらいトランプ陣営の選挙戦略がうまかったというのを見誤っていました。それから、より基本的なアメリカの怒りのマグマというものを過小評価していました。今度、出口調査を見ますと共和党の人は90%がトランプ候補に。民主党は90%同じくクリントン候補に。ところが中間層、無党派層がたくさん投票所に行ったんです。おそらく今までにないほどの人が前回に比べると1000万人近く投票所に足を運んでいる。その過半数がトランプ候補に入れたということですね。

大越氏:やはり大手メディアもその怒りまでは読みきれなかったということかもしれませんね。

岡本氏:もう一つ、女性票ですね。白人の女性票53%があれだけトランプ候補が女性を貶めるような発言をしたにも関わらず投票しているんですね。そこのところもメディアももちろん、私も読みきれていませんでした。これがどうしてかというと、やっぱりアメリカ戦争が長く続いて、奥さん方あるいはシニアな女性たちがどこかに…親類のどこかに、自分の友人にみんな軍務に就いている人を持っているんですね。そうすると、その人たちのことを考えてくれるのはクリントンよりもトランプだというふうになっちゃったんですね。

大越氏:そういった有権者の心理も含めて、これからさらに議論を深めていきたいと思います。アメリカ・ファースト、アメリカ第一主義を支持した人たちは、グローバル化の中で置き去りにされた労働者たち。今もお話にありました。そして世界の警察官であることに疲れを感じ、不信を抱く。退役軍人の人たちと様々な人たちに及んでいきました。しかし、そうした人たちに寄り添おうとするあまり、アメリカが内向きになっていけば世界の力の空白というものが広がって、その分リスクが多くなることは避けられません。

<“アメリカ第一主義”内向きになる超大国>
・アメリカの利益を最優先にするアメリカ第一主義を掲げたトランプ氏の勝利。直後の演説でトランプ氏が特別に感謝を伝えた人たちがいた。

国に尽くした退役軍人のみなさんと知り合えて本当に良かった。その恩に報いていく(演説するトランプ氏)

・全米で2000万人を数え、政治に一定の影響力を持つ退役軍人。国のために戦ってきた功績を讃えるパレードが昨日行われた。元海軍のジョシュア・マシアスさんは、アメリカ第一主義に心を動かされトランプ氏に投票した。

今日はトランプ勝利の記念日です。新しい時代の幕開けです(マシアス氏)

・トランプ氏のアメリカ第一主義が支持された理由の一つが、15年に及ぶテロとの戦いだ。2001年の同時多発テロ以降、アフガニスタンやイラクで戦闘を続けてきたアメリカ。最大で20万人近くの部隊を派遣し、合計177兆円の戦費を投じてきたとされている。死者は7000人近くに達した。
・自らも中東に派遣された経験のあるマシアス氏。自由と民主主義のために戦い多くの戦友を亡くしたにも関わらず、情勢がさらに悪化していることに無力感を抱えている。

街を攻撃中に死んだ仲間もいます。丘を制圧しようとして死んだ仲間もいます。自由を守るために戦ったのに、今や全てが無駄になってしまいました。仲間の命が何のために失われたのかと思うと、本当につらいです(同上)

・テロとの戦いで疲弊するアメリカ。トランプ氏はアメリカの利益にならないなら軍を派遣すべきではないと主張してきた。

全ての同盟国を助けたいのはやまやまだが、それで何兆円も失っている。我々はもはや世界の警察にはなれない。金を出さない国は守れない(演説するトランプ氏)

・退役軍人たちは世界の警察官であるよりも、まず国内を立て直すべきだというトランプ氏の主張に次々と賛同した。

溺れていたら人を助けられない。まず自分を引き上げなければ(男性)

まずアメリカ自身が立ち直ることだ。それが“アメリカ第一主義”の意味だ(別の男性)

トランプが大統領になれば大きく変わるでしょう。この国を建て直す道を彼は分かっています(マシアス氏)

・高まっていくアメリカ第一主義を求める声。

貿易協定は全て見直す(演説するトランプ氏)

・経済政策でもアメリカを優先し、グローバル化に歯止めをかけるという主張が予想以上に支持を集めた。アメリカの製造業を支えてきた中西部オハイオ州。接戦とみられていたが、40万票以上の大差がついた。
・製鉄所で40年以上働いてきたリック・パップ氏。勤めていた製鉄所は、経済のグローバル化で安い中国産などの鉄鋼に押され4年前に閉鎖された。

どうして会社はなくなってしまったんだ。私には分からないがひどいものだ(パップ氏)

・妻とは離婚。3人の娘は皆、仕事がないからと町を離れた。アメリカを豊かにするはずだったグローバル化に疑問を抱いたパップさん、アメリカを最優先すると訴えたトランプ氏に投票した。選挙の後、トランプ支持を表明していなかった友人まで次々と票を投じていたことを知った。

今日昼食のときに大統領選挙の話題になっって、みんな「トランプに入れた」と言っていた。11人いたけれど、なんと10人がトランプに投票していたんだ(同上)

・経済でも外交でもアメリカの利益を最優先してほしいという声を受け止め勝利したトランプ氏。

ともに働き、国を再建しよう。常にアメリカの利益が第一。それから周りの国とうまくやっていく(演説するトランプ氏)

・しかし今、選挙で勝利したトランプ氏に抗議するデモが全米で発生、アメリカ社会は分断を深めている。この国の行方に不安を感じるパップさん。それでもトランプ氏がアメリカを変えてくれることにかけるしかないと考えている。

デモが起き、アメリカを去ろうとする人もいる。人々は正しいことをしたのか疑い始めている。正直、胸が苦しくなるくらい先行きが不安なんだ(パップ氏)

<“アメリカ第一主義”世界はどうなる>
・トランプ氏が掲げるアメリカ第一主義によって、世界はどこへ向かうのか。国際政治学者のイアン・ブレマー氏は、トランプ大統領の誕生は国際秩序を一変させる歴史的な転換点だと指摘する。

“アメリカによる平和”は2016年で終わりました。アメリカは、もはや世界をリードしません。トランプ氏は“アメリカ第一主義”ですから、世界にリーダーシップを取る国はなくなります。アメリカの価値観も広めないでしょう。外交関係は利益しだいで結ばれるのです(ブレマー氏)

・ブレマー氏はアメリカ第一主義で最も利益を得るとしているのが、ロシアのプーチン大統領。国際社会の批判にも関わらず、ウクライナからクリミアを併合したロシア。トランプ氏はロシアとも共通の利益を見い出すべきだとしており、プーチン大統領は歓迎の意向を表明している。

ロシアはアメリカとの完全な関係修復を望んでいるし、その用意はある(演説するプーチン氏)

・さらにブレマー氏は、今後各国のアメリカ離れの動きも加速するとみている。フィリピンのドゥテルテ大統領のように、中国とアメリカを天秤にかける国々が増えるというのだ。

ドゥテルテ大統領は「アメリカから離れる。中国の方がよい取り引きができた」と発言しました。トランプ氏が政権についたら、ドゥテルテ大統領のような指導者がアジアだけでなく、中東・ヨーロッパなど世界中に現れるでしょう。トランプ氏にとっては、相手がロシアでも中国でも日本でも得をすればよいのです。「うまく取り引きをして得をする」それが“アメリカ第一主義”の正体だと思います(ブレマー氏)

<現地からのリポートとゲストに聞く>
大越氏:アメリカの人々のうっ屈した感情が世界情勢まで変えようとしているのかもしれません。それでは現在の最新情勢を見ていきたいと思います。ワシントン支局の田中正良支局長です。アメリカの大統領選挙、いつも国を二分する戦いになりますけども、戦いが済めばノーサイドというのはこれまでそうだったと思うんです。しかし今回はこの分断の根深さ、今までにない何か不気味なものを感じるんですが。いかがでしょうか?

田中氏:選挙の翌日から選ばれたばかりの次期大統領に対する抗議のデモが連日続くという異例の事態となっています。抗議のデモはこの週末も行われまして、分かっているだけで少なくとも全米50か所に広がっているんです。参加者の多くが若者で、差別的で女性を蔑むような発言を繰り返してきたトランプ氏は大統領に相応しくないと抗議しているんです。この動き、今後も続きそうです。激震は教育の現場にも広がっています。選挙戦の過程で見られました、人を攻撃し傷つける言動はよくないと教えてきたトランプ氏が大統領に選ばれてしまったことを子どもにどう説明すればいいのか、相談に駆け込む親が相次いでいます。またインターネット上には、選挙をきっかけに人種や宗教への差別をむき出しにした発言が著しく増えているという指摘もあり、トランプ氏が選ばれたことでアメリカ社会の分断は一層鮮明になっているという印象です。

大越氏:これだけ怒りが鬱積をして、こうした事態になっているというのは今までのアメリカの政治がそうした不満とか痛みというものを放置してきた、距離ができてしまったということがあるのではと感じたのですが、いかがですか?

キャンベル氏:日本の識者の中にオバマ外交が弱腰であるということをかなり批判している側面があると思うんですけど、それはアメリカのメディアをかなり反映させた立場であって、もっと強く紛争を未然に防ぐ、あるいは介入するというということを期待するということ自体が。もうアメリカにとってはそれはできない。先ほど岡本さんが仰ったように2200万人の退役軍人がアメリカにいて、死者がイラク戦争から7000人。少なく見えるかもしれませんけども、それを何十倍も上回る負傷者たち、障害者たちがアメリカ各地に住んでいる。その人たちがベトナム戦争のとき以上に低所得、そして職業がない地域に住んでいる。それが大変大きな波及効果といいますか、人々の憤りというものを煽るといいますか、定着させる力としてずっと働いていたんですけども。大きなメディア、日本もアメリカのメディアはその人たちには目を向けてこなかったということは間違いないと思います。

大越氏:オバマ政権は、あまり強いアメリカというのは打ち出してこなかったはずなんですけど、でも実際アメリカの根底には強いアメリカというのがいつも意識にあって、メディアの中にもあったのかもしれないですし、そういった思いが国民の中には決して政権は我々の方を向いてくれていない。先ほどもあった退役軍人とか家族であるとか、忘れ去られた労働者であるとかそういう思いが積み重なった怒りのマグマというものなんでしょうか。

岡本氏:基本的にはそういうことだと思います。アメリカの平均的な市民にとっては大体、州の外にも出たことがない。それで日頃、目にするのは自分の息子がいつまで経っても就職の口がない。あるいは自分のいとこが大学の授業料が高すぎて学校へ行けない。そうして目の前でいろいろな工場が閉鎖されている。そのときにアメリカの利益優先という、これは大変に響きますよね。彼らにとってみれば、それはメキシコの国境に壁を築こうが、イスラム出て行けとか、それはインテリの人にとってみれば眉をひそめる発言でも、自分にとっては関係ないということですね。

大越氏:しかしアメリカはやっぱり自由とか民主主義という価値を損得でない価値を持っている国として尊敬を集めてきた面があります。これが失われるのはアメリカにとっては、ものすごい大きな損失ではないでしょうか。

キャンベル氏:トランプ次期大統領の言動を見て予測できることは、リールを切っていく方針ですね。そうしますと例えば、NATOであるとか貿易協定であるとか、気候変動を抑えるパリ協定であるとか、そういう大きな国際社会の中で調整されたものっていうものを下支えているのがアメリカの自由であるとか共栄であるとかっていう、そのときそのときの損得勘定の中で生まれたものではなくて、ずっと持続しているものとして基盤としてある。それが揺らぐとすると多分、誰もそれは寄って…。自分から損をするような、血を流すようなことには組みしない世界になっていくだろうと思うんですね。

大越氏:トランプ氏もそのことに意を持ち出したのかは、このところの言動を見ますと、やや慎重かなという感じがします。もともとトランプ氏が大統領選挙に当選すると予測する人は殆どいなかったといっていいと思うのですが、本人もひょっとしたらそうだったかもしれません。実際に、しかし当選をしますと打って変わって慎重な出だしという印象なんですが、実際に取材をしていてどのように感じていますか?

田中氏:その通りだと思います。これまでのところ選挙戦の最中とは180度変わったといっていいほど、その言動は変化しています。トランプ氏は早速、オバマ大統領そして深刻な亀裂が生じました共和党の指導部とも会談しました。また安部総理大臣をはじめ各国の首脳とも電話階段を重ねています。これまでとは打って変わって穏やかな対応で、まずは国内外の不安を払拭して融和を図ることを強く意識している様子がみてとれます。大統領に選ばれてから初めてのメディアとのインタビューでは国の融和を強調するとともに、声高に撤廃を集中してきましたオバマケア(医療保険制度改革)について一部は存続させる考えを示し、柔軟に対応していく姿勢も示しました。今後の政権運営でトランプ氏は、自ら掲げてきた政策を実行できなければ支持者の失望を招き、逆に強行すれば亀裂は一層深まるというジレンマも抱えています。政権の高官人事が早くも本格化する中、トランプ氏は政権運営にあたっては次期副大統領で長年にわたって下院議員を務めた経験を持つマイク・ペンス氏が大きな役割を担うとして、政権中枢の顔ぶれがトランプ氏の今後の出方をうかがう上で焦点となっています。

大越氏:アメリカの進む方向が大きく変化をして、世界の秩序も変わる可能性が出てきた中で、日本はどう向き合っていくべきなのか。主にこれからは経済と安全保障の面で見ていきたいと思います。まずは経済です。トランプ次期大統領「有権者との契約」という表現で、大統領就任から100日間のアクションプラン、つまり実行のプランを発表しています。その中で目を引くのが、アメリカの雇用を守るためとして打ち出したNAFTA(北米自由貿易協定)の見直し、そして廃棄も含んでいるということですね。そして日本もまさに当事者の一人ですTPP(環太平洋パートナーシップ協定)からの離脱です。自由貿易の推進、そしてグローバル経済の旗振り役を務めてきたアメリカが保護主義へと大きく傾いていくとすれば、日本の通商政策もまた岐路に立たされることになります。

<“内向き”アメリカ経済 日本はどう向き合う?>
・トランプ氏の予想外の勝利に、日経平均株価は1日に1000円以上の値動きを見せる乱高下となった。TPPからの離脱など従来の路線を覆すトランプ氏の主張に先行きへの不透明感が強まった。

選挙期間中に言っていたことを全部実行したら、とんでもないことになります。(トランプ氏が)優れた経営者であれば現実を直視して、国のあるべき姿を模索することはありえると思います。今のところ(トランプ氏が)翻意する可能性があるかと言われても難しいですが、私はそういうことに期待しています。道は険しいと思いますが(日本商工会議所の三村明夫会頭)

・トランプ氏は実際どこまで選挙中の発言を実行に移すのか。ブッシュ政権など共和党政権に多くの高官を送り込んできたシンクタンク(アメリカン・エンタープライズ研究所)のデレク・シザーズ氏に聞いた。

TPPは死にました。トランプ氏は当初からTPPが気に入らないと言ってきました。トランプ氏を阻止できるのは議会ですが、大統領を敵に回すことはないでしょう。TPPは今回の大統領選挙によって、息の根を止められたのです(シザーズ氏)

・シザーズ氏はトランプ氏がまず力を入れるのはアメリカ国内の経済政策だという。7年にわたって景気の拡大は続いているものの格差は広がり、人々の間に不満が高まっているからだ。
・就任から100日間で実現するとしている公約の中にも、所得が伸び悩む中間層を支えるための大幅な減税や、雇用を守るために企業の海外流出を食い止める措置などが盛り込まれている。

アメリカ経済にとって貿易は最重要課題ではありません。経済規模が巨大なので貿易面でうまくいかなくても国内経済がしっかりしていれば大丈夫なのです。日本はTPPが仕切り直しとなっていることに気づかなければなりません。代わりの提案をする方がチャンスは広がるでしょう(同上)

・内向き志向は資本主義そのものを変えようとしている。現代を代表するフランスの経済学者ジャック・アタリ氏はそう指摘している。

今、誰もが「自分のために」と閉じこもる傾向が強まっています。イギリスのEUからの離脱も、他者は関係ないという考えの表れです。経済のグローバル化、成功の秘訣は他者の利益を自らの利益と認識することです。自国の利益のみを追求する内向き志向や保護主義が、資本主義自体を崩壊に向かわせています(アタリ氏)

<反グローバル化で経済の影響は>
・みずほ総合研究所欧米調査部長の安井明彦氏(日米の経済事情に精通したエコノミスト)。

大越氏:経済の超大国アメリカが内向きになって保護主義の傾向を強めると、どんな弊害が考えられるのでしょうか。

安井氏:経済的には貿易が縮小してしまうということが懸念されます。これまでの自由貿易体制というのは、アメリカがリードしてきたわけですから、これが保護主義にいくということで、それが他の国にも連鎖していってしまう。そこが懸念されるところです。

大越氏:みんな保護主義になってしまえば、経済規模が小さくなってアメリカを守るといいながらアメリカ自身の経済規模も縮小するかもしれないということですか。

安井氏:トランプさんが言っていること、政治と経済の間には落差があるということなんだと思います。有権者の不満をグローバル化というところに持ってきているところがトランプさんなわけなんですけど、実際にはアメリカもグローバル化の恩恵を受けているわけです。公約の中にはNAFTAを見直すと言っていましたけど、NAFTAっていうのは使っているのはアメリカ企業なんです。メキシコで作った車をアメリカに持っていく。これはアメリカ企業が一番使っている制度ですので、実際に経済的な悪影響というのはアメリカにも及んでくる。ですので政治と現実の落差をどう埋めていくのか。ここがポイントになっていくと思います。

大越氏:トランプさんの主張は絵に描いた餅になりかねませんよね。

キャンベル氏:恩恵を受けてるというふうに安井さんがおっしゃって、その通りだと思うんですけども、どちらのアメリカに目を向けるかによって恩恵の比重とか、あるいはそれが被害であったりということがあるような気はするんです。ワシントン州からカリフォルニアの南部までが全部、ヒラリー・クリントンに投票をして61%の大変高い。そこはロッキー山脈が殆ど国境のように見えてしまうっていうことは、新しい経済に非常に適した非常にうまく、まさに恩恵にあずかっている地域の人たちにとってはその通りですけれども。それ以外の内側の人たちが内向きになるということもやっぱり現実として…。

大越氏:TPPは死んだという衝撃的な発言もありました。アメリカではそうやって受け止められていますよね。日本はそうはいってもTPP、自由貿易の恩恵を最大限にするために日本の政府・与党としては関連法案の衆議院通過を行ったりということで、それを旗振り役を務めていくんだという意思を示してますよね。これは正しいといえますか?

岡本氏:正しいと思います。TPPが仮に死んだとしても可能性は大きいんでしょうけども、TPPというのはGDPの4割ですよ、参加国3か国全部入れますと世界のGDPの4割です。じゃあ日本はそこで挫折するのか。例えばRCEPというASEANプラス韓国、中国、ニュージーランドやオーストラリア、GDP3割。あるいは、TPPの先を見据えたエフタープというものもある。世界のGDPの6ウェアりになるです。日本は自由貿易の旗を振るべきだと思うんです。それ以降は日本は後ろを向きすぎていた。アメリカが今、引いちゃったから、日本にとっては自由貿易が必要ですから前に出ていくべきだと思います。

大越氏:テーマを安全保障に移していきましょう。アメリカは同盟国との安定と、それらの責任を果たすと誓ってきました。しかしトランプ政権も果たしてその方針を引き継ぐのでしょうか。日本との関係で見ましても。トランプ氏はアメリカ軍の駐留経費をもっと日本が負担するべきだという発言をしています。そして、日本が自ら核武装することを容認するような発言すらしています。どこまでが真意なのでしょうか。

<政策ブレーンが語る日米同盟のゆくえ>
我が国はサウジアラビア、日本、ドイツ、韓国その他多くの国を守り続ける余裕がない。北朝鮮が持っている以上、日本も核兵器を持ったほうがいいのでは(演説するトランプ氏)

・日本にアメリカ軍の駐留経費の負担の増額を求め、核保有を容認する発言もしてきたトランプ氏。日米同盟はどうなるのか。トランプ氏の安全保障製作のアドバイザーを務めるジェフリー・ゴードン元海軍中佐が取材に応じた。

トランプ氏はアメリカ一国でいつまでも世界を守れるとは思っていません。もし同盟国が公平に負担をしないのなら、自分の国は自分で守ってほしい。6対4や7対3の負担では不十分で、良い取り引きとは言えないのです(ゴードン氏)
(トランプ氏は日米同盟をどのように変えたいのか?)
日本が負担を増やせば同盟そのものを変えようとは思っていません。日本の米軍機も政府間の協調も米軍と自衛隊の連携にも好意的です。彼は日本や韓国における米軍のプレゼンス(存在)がアメリカ自身の平和と安定に重要であると理解しています。アメリカ国民も北朝鮮の脅威や中国の台頭に対応するため、米軍の駐留は正しいと考えている。だからこそ“同盟国は我々を助けろ”と警告しているのです。カネを支払う余裕はないのです(同上)
(トランプ氏は日本が負担を増やさなければ軍の撤退も示唆したが、今も選択肢か?)
トランプ氏はビジネスマンとして長年、不動産やホテルを扱ってきました。タフネゴシエーターで「交渉術」という本も書いているほどです。交渉していく中で米軍の撤退はありえます。タフネゴシエーターのトランプ氏が大統領になるのですから、日本は真剣に考えるべきです(同上)

<新たな関係構築へ 同盟国・日本の課題は>
・こうしたトランプ氏の姿勢に日本はどう向き合っていくのか。

日米同盟は普遍的価値で結ばれた揺るぎない同盟です。トランプ次期大統領とも世界の様々な課題にともに協力して取り組んでいきたい(安倍晋三総理大臣)

・大統領選挙の翌日、安倍総理大臣はトランプ氏と電話で会談。17日にニューヨークで会談を行う方向で一致した。過激な発言を繰り返してきたトランプ氏と新たな関係を築く上での課題は何か。防衛大臣の政策参与を務める森本敏元防衛大臣はこう語る。

彼は政治的な経験がないので、政府が持つ本当のインテリジェンス(機密情報)をまだ知らされていないと思うんです。実態をきちっと説明することよって彼が理解して、路線の柔軟な修正をしてくる要素は多分にある。プロセスの中にどのようにいち早く関与するかということが大事なのです。日米首脳会談が行われるが、そのスタッフとの人間関係を軸にして、できるだけ早い時期にスタッフレベルでの政策協議を始めていくと。そのことによって日本が考えていること、できることできないこと、日本がこれから協力すべきことを分野ごとに決めていくチャンスが広がっていく(森本氏)

大越氏:トランプ氏は米軍の駐留経費を、もう自分たち日本は日本でやってくれよと、全部というくらいの言い方までしている。日本の核武装を容認するような匂わすような発言もしている。もっと自主防衛をしなさいというメッセージを送ってきている。

日本は顕著な財政的貢献をしているので「これ以上払え」というのであれば新しい枠組みが必要だと思いますし、仮に日本の核武装という議論になったら同盟そのものを破滅させる。同盟そのものが“離婚”をしていく。その道はアメリカにとって決して利益にならない。日本は今の憲法の枠組み、日本の非核政策、アメリカに攻撃作戦、攻勢作戦、日本は防勢作戦という役割分担。この基本的な枠組みを日本は次の政権から何を言われようと、これを変える考えはないと思います(森本氏)

・一方、森本氏は今後日本が向き合っていく上でトランプ氏ならではの難しさも指摘した。

今までとは少し違った政策のアプローチを考えていかないといけない。大統領がじっといて周りが全部支えて、皆さんが振り付けた通りに振る舞ってもらう、そういう政権ではないかもしれないと思う。大統領のリーダーシップが今までになく強い政権ができる可能性がある。我々は念頭に置かないといけない(同上)

大越氏:日本の外交の正念場ですね、これは。

日本の外交、安全保障というか、結局は日本の将来というものの正念場がこれから数年の間に来る(同上)

<“米国第一主義”安保への影響>
大越氏:沖縄の基地負担の痛みとかを知りながらも、日米両政府それでも日米同盟を大事にしてきたわけですよね。それは変わらないにしても駐留経費の問題もあるとして、かなり高めのボールを投げてくるんじゃないかとトランプ政権はと思うんですけど、どうでしょうか?

岡本氏:そんな投げられないんじゃないですかね。基本的にトランプさんは何も分かってなかったわけですよね。それから申し訳ないけど、さっきビデオに出てきたゴードンさんも分かっていない。要するに日米の駐留経費というのは地位協定というもので定まっていて、これ以上出すとアメリカ軍は日本の傭兵になってしまうというギリギリのところでやっているわけですから。ただ政治的にもう少しトランプさんの顔を立てるようなことができるような気がしますけど、基本は難しいでしょう。日本は75%を負担している。米軍が仮に日本を引き揚げて本国に再配置したら、そっちの方がお金がかかるところまできているんです。基本的にトランプさんは日米同盟がアメリカの利益になっているということを分かっていない。ただこれから周りに国防政策の担当者たち、アドバイザーで付きますから彼は軌道修正していかざるを得ないと思います。

大越氏:しっかり日本も打ち込んでいく必要があるんですね。一方でディールという言葉が出てきましたね。いろいろ経済的な取り引き、損得勘定がさっきも出てきました。安全保障の問題まで損得勘定で考える傾向があるのではないかとちょっと心配があるのですが、その辺エコノミストとしてどうご覧になりますか?

安井氏:ビジネス出身ということですので、どうしても金銭的な部分であったり、そのときの最善のことをやっていく取り決めをしていくというふうになりやすいのは事実だと思います。もちろん安全保障だったり政治の部分ではお金だけでは図れないところがあるわけですから、逆にそこを分かってもらういい機会と考えた方がいいと思うんですね。実際にはビジネスの世界でも全てがお金ということではなくて、お互いの信頼関係を考えた中でディールをするということもあるわけですから、そこはやはりきちんと説明をしていって何がアメリカにとっても日本のためにとってもいいだということを話していく、いい機会だと考えた方がいいんじゃないかと思います。

大越氏:そのトランプ氏、選挙戦の中で明らかにしてきた政治姿勢の中では内向きという言葉だけでは済まされないものもありました。それは多様な移民社会という伝統の価値観であったり、正面から疑問を呈する発言であったり、イスラム教徒の入国を禁止すると言って世界を驚かせたこともありました。そうした排他主義が世界中に波及するのではと懸念で呼んでいます。ヨーロッパで近く行われる主な選挙や国民投票。こうした国々では反移民を声高に訴える勢力がトランプ氏の当選で勢いづいています。

<世界に拡散“自国第一主義”>
・アメリカ大統領選挙の2日後、イタリアで大規模な集会が開かれていた。主催したのは、既存の政党を強く批判する新興政党。抜本的に政治を変えようと呼びかけた。

結局トランプ氏が勝ったのです。世界は目を覚まし、別次元の論理で回り始めたのです(イタリア「五つ星運動」の集会)

・今、トランプ氏の勝利を機に支持者獲得の動きを加速させている。
・こうした動きの兆しを大統領選挙のさなかに取材していた。トランプ氏の盟友として選挙活動を支えてきたジョージ・ロンバルディ氏。

トランプ氏はこの65階と66階に住んでいる。私の部屋はその下の階だ。(トランプ氏の階には)入ってはだめだよ(ロンバルディ氏)

・大統領選挙まで1か月あまりとなったこの日、トランプ氏を支持する下院議員と会ったロンバルディ氏。ヨーロッパの同じ価値観を持つ勢力との連携を模索していた。

イギリスのEU離脱は決まった。来年にはフランス大統領選がある。イタリアの首相も代わるだろう。ヨーロッパ全体が我々にとってベストな方向に変わるはずだ(同上)

・実はロンバルディ氏のもとにには連日、ヨーロッパの政治家などが訪れていた。この日やって来たのはイタリアの議会関係者たち。

イタリア人はトランプ氏のことをどう思っているんだい?(同上)

イタリアには毎日大勢の移民が押し寄せています。ですから彼の排外的な主張は、イタリアの多数派に近いのです(イタリア議会関係者)

来週はオーストリアからの視察、フランスからも視察が来ることになっています。彼らは“トランプ旋風”を自国でも起こしたいと考えているのです(ロンバルディ氏)

・トランプ氏が勝利した今、内向きで自国の利益を第一に考えるうねりがヨーロッパで広がっている。ドイツでは難民の受け入れに反対する新興政党が台頭、過激な主張を繰り広げている。

トランプ氏の勝利でドイツは歓喜に満ちています。私たちは世界中で始まった新しい政治の夜明けを支持します(ドイツAfdのペトリ党首)

・そして来年大統領選挙を控えたフランス。立候補を表明している極右政党の党首がトランプ氏の勝利を受け、自信を深めている。

EUからの離脱を支持したイギリスに続き、トランプ氏も勝利しました。古い秩序は葬り去られ、新しい世界をつくり出す第一歩を踏み出したのです。トランプ氏が差し出した手を握って、フランスも自国を最優先し利益を守っていかなければなりません(フランス国民戦線のルペン党首)

・フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は、自国の利益のみを追求する考え方は国家間の衝突に繋がりかねないと警鐘を鳴らす。

これまで世界はグローバリゼーションによる統治を目指してきました。しかし今、逆戻りし始めています。過去には内向きになったが故に大恐慌や世界大戦が起きたのです。歴史から学ばなければなりません(アタリ氏)

<今後どうなっていくのか ゲストに聞く>
大越氏:自国第一主義がともすると危なっかしい方向に走るかもしれないと思う方、多いと思うんですね。それがもし危なっかしい方向だとすると、それを留めるためには何が必要でしょうか。

岡本氏:アメリカをできるだけ世界中の出来事にエンゲージさせる、関与させ続けなければいけないと思いますね。それは日本の役割だと思いますね。ただ、そのためには日本自身がもっと世界に関与しなければいけない。例えば経済協力予算なんていうのはピークが1997年で、当初予算ベースで見るともうそのときの半分になっちゃっているんです。日本はもっと積極的にいかなければならないし、それから先ほど大越さんおっしゃられたように、アメリカが難しいボールを投げてくる可能性がある。それに対応していかなければいけない。しかし悪質なナショナリズムが世界中を席巻しているように見えますけれども、まだ世界の半分以上は良識のある国々、人たち、考え方の人たちなんで、日本はそこを忘れてはいけないと思います。

大越氏:アメリカは今、そういった自国第一主義が危険な兆候をしているとすれば、それに警戒する人たちとの対立が生まれているわけですよね。この対立、溝はどうやったら埋まるというふうに感じますか。

キャンベル氏:私は求心力というよりは遠心力が深まるんじゃないかと感じます。2008年にオバマ大統領が初当選したときに2年後に中間選挙で負けた共和党を解体するようなことを勢いとして入ったわけですけど、同じように民主党は今度、来年党の議長の選挙があるわけですけど、下院で2人しかいないイスラム教徒で黒人の議員を強く推す声が出てきているわけです。つまり鮮明に対立軸をつくって革新をもっと進めていくような構図が生まれると思います。その中でどういうふうに融合していくのか、折り合っていくのか。あるいは対立を続けていくのか。日本はどちらのアメリカに目を向けて比重を置けばいいのか注視しなければいけないと思います。

大越氏:歴史の教訓を生かすべきだと思うのですね。経済が大事ですね。

安井氏:今こそグローバルに経済を強く結びつけていくことが大事なわけですけど、だからこそここから取り残されていると思っている人たちをどうやってすくい上げていくのか。誰でも活躍できる機会を持てる世界をどうやってつくるのか。政策が担う役割は重いと思います。

大越氏:世界各国はいわゆる“トランプ・ショック”の状態から新しく生まれる事態に対してどう対処するか、どう情報を集めるか、そして知恵を絞る段階に入っています。私たちはせめてこのタイミングを国の在り方でありますとか、国と国との共同体の在り方を考える機会としたいと思います。

(2016/11/15視聴・2016/11/15記)

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【明日へ―つなげよう―】拝啓 10年後のあなたへ~震災前からの手紙 福島・飯舘村~

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【明日へ―つなげよう―】
「拝啓 10年後のあなたへ~震災前からの手紙 福島・飯舘村~」

(NHK総合・2016/11/13放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 10年後に届く手紙、あるいはタイムカプセルのような取り組みは各地で行われていますが、今回は福島第一原発事故で全村避難を余儀無くされている福島県飯舘村。しかも震災前の2006年から今年(2016年)に向けての取り組みということで、10年の間で余りにも劇的な変化が起こってしまいました。

 しかしそれでも、家族を思いやる気持ちは年月を経ても変わらない深いものがあることが、いくつもの手紙から読み取れました。震災や原発事故があり環境が大きく変わっても互いの絆を再確認したご夫婦をみて、とても心が温まるような思いを抱きました。

 飯舘村は来年春への帰還に向けて除染作業などが進められ、また10年後に向けた手紙の取り組みが行われているということです。2026年、どうなっているのか。またその後を追った番組をつくってほしいですね。そしてみんな笑顔で元気で暮らしている姿が観たいと願うばかりです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・今から10年前、荒川静香が金メダルを取り、ハンカチ王子が大活躍。ライブドア事件が起きた2006年。福島県の山あいの村では、村をあげてあるものを募集していた。10年後に配達される手紙、大切な人に宛てた手紙を未来に届けようという企画だった。

恋人でもいいし、いつもお世話になっている方でもいいだろうと思いますし、どなたでも書けば心が本当に潤う、温まるひとときが必ず来るだろうというふうに思っています(当時の飯舘村長)

・しかし、思い描いていた未来はやって来なかった。2011年に起きた福島第一原子力発電所の事故。全ての住民が村から離れなければならなかった。
・この秋、手紙が届いた。村を駆け回っていた頃の自分からの手紙。交際中の二人が手紙で交わした約束、結婚後すぐに避難生活となった。いつもと変わらぬ日々を思い綴った手紙。10年を経て何を語りかけるのだろうか。

<10年の年月を経て配達される手紙>
・10年前、飯舘村の手紙の取り組みがニュースで紹介された。しかし、村の姿はかつては想像もしなかったものに変わっている。至る所で目にする放射性物質に汚染された土などの廃棄物。住民の居なくなった村は、息を潜めているかのようだ。

・そんな中、10年の年月を経て手紙が配達される。その数1842通。切手が貼られているのに更に切手を貼る不思議な作業。郵便料金の値上がりによる差額分だ。宛先も仮設住宅や県外の避難先に変更しなければならない。あらゆることが変わった。

<亡き夫から手紙が届いた女性>
・10年前から届いた手紙。普段は聞くことができなかった言葉を受け取った人がいる。飯舘村の隣にある伊達市。この仮設住宅には約80世帯の村の人たちが暮らしている。
・椛澤アキノさん(77)は、夫と二人ここで暮らしていた。しかし夫の元一さんは震災の2年後、亡くなった。60年近く連れ添いそばで見ていた夫は、いつも地域の中心にいた。元一さんは門松作りや炭焼きなど、地域で助け合ってきた暮らしを残そうと仲間たちと取り組んできた。

にぎやかでしたね。しょっちゅう友達連れてきて、やっぱし酒飲みしてたからね。うちに集まってよく酒飲みして。夜遅くまでやってたみたいです。アルコールが回ってくると「俺の話を聞け」って、もう人の話聞こえないから。何だろう、おじいさんに引き回されたみたいな感じだかもしれないけど(アキノさん)

・アキノさんのもとに手紙が届いた。手紙を前にして、なかなか封を開けようとしなかった。

何て書いたか読みたいけど、多分こんなんなって届くとは思ってなかったから…(同上)

・元一さんが手紙を書いていたことをアキノさんは知らなかった。

最後に「ありがとう」って書かってた。初めて「ありがとう」って言われたような気がします。10年後は82になっから、平均寿命5年越えっから自分もいなくなると思ってたのかな。おじいさんと二人だけの手紙にしておきます(同上)

・長い時間をかけて大切な気持ちは届けられた。

<自立を選んだ村 「までい」の心>
山麗しく 水清らかな
その名も いいたて
我がふるさとよ
いまこそ手と手
固くつなぎて
村を興さん 村を興さん
「村民歌」


・阿武隈高地に抱かれた飯舘村。冷涼な気候、冬場は雪に閉ざされる中、村の人たちは僅かな平地を耕し、ともに支え合ってきた。
・10年後への手紙は、実は村の自立を守るための試みだった。当時はいわゆる平成の大合併の時期。全国3000以上あった自治体がおよそ半減した。飯舘村でも周辺3つの自治体とで一つになる計画が進んでいた。しかし、他の市や町が合併によって活気を得ようと意気込む中、飯舘村が下した決断は自立の道だった。

効率を求めるっていうのも正しいことではありますが、そこに住んでる人が自分たちのふるさとをやっぱり熱く思い、汗を流すというのがきっとその…何ていうんですかね、周辺部が寂れないという方法があるんではないか(菅野典雄飯舘村長)

・小さいけれど豊かな暮らしを目指した飯舘村。そのスローガンは「までい」。ていねいに心を込めて相手を思いやるという意味のこの地域の言葉。
・その象徴が大切な人への手紙だった。書くときには必ず相手のことを思う。までいの心、そのものだからだ。

<特産の野菜づくりを進めていた女性>
・仲間からの手紙で夢の実現に背中を押された人がいる。飯舘村から西に20kmの福島市。村民が最も多く避難している。村から避難してきた農家が土地を借りて野菜を作っている。
・村の特産品研究会のリーダー、渡邊とみ子さん(62)。村の名を冠した「いいたて雪っ娘」、村の自立を支えてきたブランドカボチャだ。たびたび凶作に苦しんできた飯舘村、冷涼な土地でも育つカボチャで村おこしをしようと仲間たちと研究を続けてきた。
・原発事故で大量の放射性物質が降り注ぎ、村の畑でカボチャの栽培ができなくなった。とみ子さんは村のカボチャを途絶えさせたくないと種を持ち出し、避難先の休耕地に撒いた。耕うん機を止めてしまうほどの硬い土。研究会の仲間と手作業で耕してきた。

あんな土の中でよく芽が出たなっていう思い。どうしてここに種撒いてどうやって芽出るのっていう感じの土だったね。育つ様子を見ると、ほんとに自分も頑張んなきゃって。ほんと励まされた(とみ子さん)

・とみ子さんに手紙が届いた。差出人はカボチャ作りでともに試行錯誤を重ねた仲間だった。菅野元一さんはカボチャの品種改良に取り組み、畑仕事の素人だったとみ子さんを研究会のリーダーに鍛え上げた。

かなり研究会が有名となり、客が増えるだろうと。で、私が62歳。加工品30種ぐらい完成して、式やお土産に人気となる(同上)

・努力をたたえ、ここまでの成功を見越した言葉だった。

研修旅行が定番となり、よくも10年やってこれたと永年会長が涙して挨拶。これ永年会長、私。村は合併なしの自立選択したからこそ、この発展あると。っていうこと書いてありました(同上)

・10年前に描いた夢の実現に着実に近づいていることを感じる手紙だった。
・一方で、とみ子さんには気がかりなことがある。夫の福男さんが震災の2年後、がんを患った。肺へ転移し、病状は軽くない。大工の福男さんは家を空けがちなとみ子さんに不満一つ言わず、作業場をしつらえるなどして支え続けてきた。

カボチャはやりたいと思うけど、やっぱり病気になっちゃったし。自分自分とも言ってられないな、まずね。おとうさんいたからここまでこれたし。あんまり本人の前では言わないけど申し訳ないって気持ち、やっぱりあるじゃない(同上)

・夢の実現を支えてくれた夫の体調の悪化、この10年の大きな変化だ。

うちらはマイペースで前に進むだけだから(福男さん)

・手紙が届いた1週間後、とみ子さんは飯舘村に向かった。被災地見学のガイドを引き受けている。必ず案内するのが、とみ子さんの自宅。放射性物質を取り除く除染によって、畑の柔らかな土は剥ぎ取られ、雑草が生い茂っている。
・とみ子さんは62歳になった今、夢の実現に向け、また一歩踏み出そうとしている。この飯舘の畑を再び耕し、種を撒くことにした。

本来であれば飯舘の名前の付いたものだから、飯舘村から発信してもらいたいっていう、ずっとそういう思いでやってきたから(とみ子さん)

・これからの10年は夫の体調を気遣いながら、ゆっくりと歩いていくことにしている。

今は本当に夫にかける時間を少しはやっぱり多くしないといけないなと自分では思っています。うちの夫が言って、本当にありがたいと思ったのが「人が何と言おうとお前がやってきたことは俺がそばで見てっから、それでいいんじゃないか」って励まされたときは、本当にやっぱりありがたかったし。だからやっぱり時間大事にしたいなって思う(同上)

<村役場に就職した青年 10年前の自分からの手紙>
・飯舘村は来年春、住民が村に戻ることを目指している。その準備のため今年7月から村内での業務を再開した村役場。ここに10年前、手紙を書いた人がいる。大谷暁永さん(22)は高校2年生のときに被災し、今年村役場に就職した。

戻る気しかなかったですね。何でかって言われると、ちょっと何でだろうってなるんですけど。義務でもないですし「絶対働け」って誰かに言われたわけでもないですし。何でかって言われると分からないですけど。来たかったからじゃないですか(大谷さん)

・手紙を書いたとき、大谷さんは中学1年生。部活に精を出し、勉強は殆どしないわんぱく者だった。村の至る所が大谷さんの遊び場。

あっちに小川があって、サワガニ取ったりクワガタ取って。田植えの時期、田んぼで遊んで。稲刈りの時期も田んぼを走り回って怒られて。自由でしたね、村全体が。自由に誰かが話しかけてきて。誰かれかまわず怒られるし(同上)

・住民同士が隔てなく声を掛け合う。当たり前だったまでいの心の尊さを、村から離れた避難生活で気づかされた。
・大谷さんが書いた手紙は、自分に宛てたものだった。10年前に書いた場所で読みたいと、中学校を訪れた。

いや、くだらないです。何も面白さがなかったですね。バカですね、バカ。漢字めっちゃ間違ってるし(同上)

自分へのメッセージ
10年後の暁永様へ
10年後は、22歳ですよぉーん
この時僕は、働いていると思います。
この時俺は、無事成人式を終えているのでしょうか?
そして成人式の日に小6の時の卒業式の時にタイムカプセルを埋めたの忘れるなよ~。大谷暁永より


とりあえず、もうその当時に戻れることがあったら、ひっぱたいてやりますよ。国語ちゃんとやれって(同上)

・部活に汗を流したテニスコートは更地になり、走り回った学校の敷地や裏山は除染で削り取られ、かつての風景とは様変わりしている。ゆったりと時間が流れていたあの頃の手紙を読み返しながら今、大谷さんは村の未来の一端を担いたいと感じている。

どっかの企業に勤めて村のためにとか、村に支援をするっていうも、まあ形としてはありますけど、村に入るというのが一番近いですからね。どうなっていくのかは、すごい興味もあるし、大変ですけど、うん。そうですね、楽しみですね。そのうち村民のためとか、そういうふうに動けるような人になれたら一番いいですね。余裕ができて、あの人んち大変だからとか、あそこの部落大変だからって考えられるような、先輩たちみたいな人間になれたら一番…うん。10年前の私も嬉しいんじゃないですかね、多分(同上)

<亡くなった祖母から手紙を貰った高校生>
・成長した孫に伝えたいと綴った手紙もあった。飯舘村の小中学校が移転している川俣町。高校1年生の髙橋虹歩さん(16)。当時4人で暮らしていた髙橋さん一家、全員が虹歩さんに手紙を出していた。
・虹歩さんは母親の世津子さんが43歳のときに生まれた一人娘。震災の直前に亡くなった祖母のスズエさんは世話好きで口うるさく、幼かった虹歩さんにはあまりいい印象が残っていないという。

何か一緒にお風呂とか入っても、おばあちゃんが体拭いたやつで私の顔を拭いたり、嫌な思い出しかない(虹歩さん)

・そのスズエさんから届いた手紙。

何か「ばあやのことは嫌いだという虹歩ですが」って書いてある(同上)

ばあちゃんも分かってたんだ。そんな分かってたんだ(世津子さん)


(手紙読む前のおばあちゃんのイメージと読んでからって何か変わったかな?)
何かあんまりおばあちゃんのこと覚えていない。記憶が何かだんだん薄れてきてて、ちょっと不思議な感じがしました(虹歩さん)

・スズエさんの手紙は、虹歩さんにはあまり響いていない様子だった。しかし母の世津子さんは違った。

私、母のこと、もう本当に…。結構厳しかったんですよ、母は。教育熱心だし厳しかったし。だから虹歩ぐらいの年のときは、私もあんまり母のことは好きじゃなかった感じはありますね(世津子さん)

・そんなスズエさんの優しさを知ったのは、虹歩さんの出産のときだった。孫をずっと待ち望んでいることを、世津子を気遣い決して口にしなかった。

もう孫なんか顔は見られねえと思って、諦めていたんだ。そのうちぽこっとできるようになったから、いや~そのときの喜びは、まあ口には出されねえな(祖父の宗光さん)

虹歩へ
平成19年1月4日に書く。
虹歩が生まれてきたときは何よりうれしくてたまりませんでした。
この手紙を読むときは高校生です。ばあやは83歳です。
いつもばあやのことは嫌いだって言う虹歩ですが、ばあやは大好きです。虹歩は我が家の太陽です。
じいやとばあやは、いつも虹歩のことを思って暮らしてきました。
優しく思いやりのある人になってね。
虹歩のお嫁さんの姿が見たいと思っていますが、それは無理です。
いつも元気な虹歩へ、頑張れ虹歩。
お父さん、お母さんを大事にしてね。
ばあや、じいやを忘れずに。さようなら。ばいばい。


お守りね、お守りにして。今は多分15歳だから分かんないよね。まだ15歳ですもん。私もそうでしたけど、自分で結婚して子どもができて、そういうときに分かるんじゃないですかね。親のありがたさとか。本当に大切なものが自分のとこにできたときに、分かると思いますよね(世津子さん)

・もう少し大人になるまで、世津子さんは手紙を大切に預かっておくことにした。

<結婚前に手紙を交わしていた二人>
・未来への約束を手紙で交わした人もいた。飯舘村と隣り合った南相馬市で避難生活を送っている飯舘村出身の今野雅彦さん(58)と沿岸部生まれのスイ子さん(56)。10年前付き合っていた二人は互いに宛てて手紙を書くことにした。スイ子さん、たっての希望だった。

10年後はいるっていう、もう前提っていうか。結婚してるっていう前提で。だから「今野スイ子」で出してもらったんです(スイ子さん)
(ご自身の当時の名字じゃなくて)
はい(同上)

・2010年11月、スイ子さんは結婚。飯舘村で暮らし始めた。当時の結婚写真を眺める二人。

きれいだわ~。女優さんだわ(スイ子さん)

そう思ってるのは、おめえだけだ(雅彦さん)


・雅彦さんの家は飯舘村の中でも山深い蕨平という地区。スイ子さんが結婚した年の冬、深い雪に閉ざされて近所付き合いもままならなかった。

行ったことない山奥に行くわけだから、最初はびっくり。寒かった。空気が違う。吸うと寒い。痛いっていうか(スイ子さん)

・結婚して4か月後、原発事故が発生。そこでスイ子さんは蕨平の魅力に思いがけず気づくことになった。避難所で寝食を共にし住民同士が思いやり気遣う、までいな姿に初めて触れた。

・避難先でのスイ子さんの映像が残っている。留守にしている飯舘村を見回りに行く有志。その中に村の人たちと笑顔で言葉を交わす姿が写っていた。

この何か月かしかいない私なんだけど、みんなから声かけられて、すごいこの部落の人たちすごいいい人だっていうのを感じて。すごいあったかいものを感じましたね(同上)

・この日、二人は飯舘村に向かった。スイ子さんが住みたいと言った蕨平。そこで手紙を読もうという雅彦さんの提案だった。
・自宅のすぐ近くでまた一軒、地域を離れる家が解体されていた。地区の外れにかつて二人が暮らした家がある。5年7か月殆ど手入れのできなかった家の中は、動物のフンや死骸であふれていた。

ただ見てショックだ(雅彦さん)

・原発事故後、二人は先の見えない生活に時に苛立ち、けんかをするようにもなった。当初、二人はすぐに蕨平に戻れると思っていた。しかし避難生活は長引き、ここで暮らした日々の思いは、いつしか薄れていった。
・そうした中、届いた手紙には10年前のお互いへの気持ちがそのまま詰まっていた。

雅彦さんは10年後も優しい人でいるでしょうか?
きっとそのままで私を大切にしてくれて、いつも笑って見守っている姿がみえるようです。


10年前にこれ書いてもらったと思うと、ほんと何か感慨深いところがありますね。だからこの思いやる優しさ。これからも一生懸命思いやって優しくしなくちゃ駄目だなって思いました(雅彦さん)

初めて会ったスイ子の優しい言葉で声をかけて頂いたことは、毎日思い出したりして一人笑いをしていたことを10年後に伝えたいです。

すごいうれしいっていうか、10年前の思いが伝わってくる手紙。イライラして怒ったり、けんかしたりということは避難後、最初の頃ありました。今の生活してて、ましてこの手紙を読んで、またって。またって感じ。また初心だぞみたいなの感じてます(スイ子さん)

10年前を思い出して、もう一回スタートした方がいいなと思うくらい感じましたね(雅彦さん)

・二人は当時の思いを大切にしようと家は壊さず、少しずつ手を入れていきたいと考えている。

<民宿を経営していた夫婦 手紙で交わした約束は…>
・10年前、飯舘村が募った大切な人への手紙。寄せられたのは1842通だった。配達できずに役場に戻ってきた手紙が200通に上っている。

お亡くなりになった方からお亡くなりになった方に書いている手紙も中にはあると思われるので(総務課企画係の木幡貴彦さん)

・10年という時間が何気ない約束を重たいものにしてしまうこともある。までいの名が付いた民宿。ここを経営していた夫婦が、特別な申請をして村に戻っている。手紙を書いた佐野ハツノさん(68)と受け取った幸正さん(69)。
・7代続く農家として村の暮らしに誇りを持っていた二人。当時は民宿経営を始めたばかりだった。お客さんと一緒に朝早く牛小屋の掃除をしたり、採れたての山菜で料理を作ったり、農村の日々の暮らしを伝えていた。
・しかし原発事故で民宿は廃業。避難生活が長引く中、3年前にハツノさんは病を患った。直腸がんだった。手術を5回受けたが今年再発。これからの時間を生まれ育った所で過ごしたいと村に戻ってきた。

これからも仲良く、力を合わせて体に気をつけながら10年後、20年後、もっと長く元気で生きましょうね。

・手紙に書いた何気ない約束。今、二人の胸に刺さる。

大好きなこの飯舘村で、悔いのない人生を送りましょう。お約束!!

(お二人はこれからどうされていくんだと…)
だめだ、これ10年も生きてねえから(幸正さん)

・話題がこれからに及ぶと、二人は言葉をはぐらかした。

元気だったら、ずっとあれだよね。ここで住んでいきたいよね(ハツノさん)

いや…うん。まあ元気でいれば、二人でほんと旅行でもしてみたいなと思ってますよ。でもね、これ難しいよな。うん…(幸正さん)

・手紙を読んだ後、ハツノさんは一つのお願いをした。家の裏手にある山にケヤキの苗を植えたいというのだ。

私たちここに住んでいた証しを後世に残したいって、それが目的です。ケヤキって100年から150年、200年ってなるじゃないですか。そのときにその木を見てね、ああ先祖は飯舘をこんなに大切に思ってたんだなって。だったら自分たちも飯舘に住んで、誇りを持ってやっていこうよって、そう思えるじゃないですか(ハツノさん)

・木が根を張るまで、もう少し共に育てようと約束した。
・丁寧につつましく生きることを望んだ飯舘村の人々。村はまた10年後に届ける手紙を募っている。大切な人を思って綴る手紙。その思いは、時間をかけて育まれていく。

(2016/11/16視聴・2016/11/16記)

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【NHKスペシャル】終わらない人 宮﨑駿

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【NHKスペシャル】
「終わらない人 宮﨑駿」

(NHK総合・2016/11/13放送)
※公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/special/

<感想>

 番組のタイトルは「終わらない人」ですが「まだ」「やっぱり」を付け加えた方がいいかと思いましたね。正直言って3年前に「風立ちぬ」公開に合わせるように引退表明をしたときに、私は一種の「閉店店じまいセール」みたいなもんだと思いました。話題をつくって映画をヒットさせ、そして数年以内に掌を返してカムバック宣言をするだろうと。予想が当たったようですが、ちっとも嬉しくありませんね。

 私にとってこの人の作品で好きなのは「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」などの初期の作品のみ。「耳をすませば」ぐらいまでは程々観られる作品に思えましたが、晩年は酷すぎて劇場で観るのを止めましたね。いみじくも本人が言っていたように「若手の才能を食っている」というのがありありと感じる。そして後継者は居ないと引退してスタジオを解散。そこで働いていた人たちの雇用はどうなったのでしょうか。

 それでまた再び短編映画を作りたいと言い出してメンバーを集める。私が彼の下でもし働いていたら「ふざけんな」と言い、年寄りのワガママに付き合ってられるかと話を蹴りますね。

 宮﨑氏は有名すぎるほど左翼的な政治的メッセージを発信している方ですが、どうも左翼系の思考回路の人たちの多くが「口では大層立派なことを言うけれども、自分のやっていることと一致しない」(=言行不一致)という共通項がみられます。彼もご多分に漏れずその一人ですね。

 ちなみにこのブログ主のカエルを左翼だと思っている方がいるかもしれませんが、このカエルは消去法としての既存の左派勢力の存在意義はあるとは思っていますが、根本的な部分では“労働貴族”と結託している勢力も、“紅の旗”を振っている連中も大嫌いです。

 それはさておき、もう予定調和と言わんばかりに番組のラストで宮﨑氏が長編映画をほのめかしました。事実上の国営放送が彼の映画宣伝に一枚噛んだというドキュメント。実に観終わった後の後味の悪さを感じました。

 唯一痛快だったのはドワンゴの川上量生氏が人工知能がつくったという映像のプレゼンに対して宮﨑氏が批判したこと。この点については彼と同意見です。川上氏は言い訳にもならない言葉を並べてましたが、あわよくば宮﨑氏とタイアップしてあんな愚劣な映像を世に出そうとしていた意図は明らかです。

 物を作る者が肝に銘じてほしいのは、『それが世間に出たときにどういう影響を与えるのか、きちんと考えてから世に出せ』ということです。あの映像は宮﨑氏が不快感を示した通り、障害者差別を助長するものです。ちょっと考えれば分かるだろう、そんなことも分からないのかと思いましたね。

 同様のことはこの間、私が批判しているスマホゲームの制作者に対しても言えます。被災地や被爆地など静粛であるべき場所を荒らすことに留まらず、当初から懸念されていた中毒患者とも言える者が交通事故を引き起こして幼い命まで奪うことになりました。直接の製造者責任は免責されるにしても道義的責任はあると私は思っています。

 さらに最近呆れ果てたのが、女子の歌うたいグループをプロデュースしている秋元某。元々嫌いな男ですが、最近の曲で「ミサイルが飛んで 世界が終わっても 最後の一瞬もハッピーエンド」とかいう歌詞。もう正気の沙汰に思えない。ナチスの格好をさせてユダヤ人団体から抗議を受けたときも知らぬ存ぜぬで火消しに走りましたが、この薄っぺらい男も早く居なくなってほしいと思いましたね。

 ということで、あちこち脱線してしいましたが…宮﨑氏が今後どんな動きをしようとも我関せずです。映画が出来ても観ないですし、三鷹にある美術館も行かないですね。初期の作品がテレビで放送するときは「過去の人」の作品として観るかもしれません。以上です。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・アニメーション映画監督の宮﨑駿(75)。3年前の2013年9月に「もう長編映画は作らない」と突然引退を宣言し、表舞台から身を引いた。もう終わったと誰もがそう思っていた。
・でも実は終っていなかった。人知れず作っていたのは12分の短編映画。長年夢みながら叶わなかった幻の企画。しかもコンピューターグラフィックスを使った新しいアニメーションに挑戦していた。
・だけど事がそんな簡単にいくはずもなく…。そのさなか、大きな決断が。引退したはずの長編映画をまたやると言い出した。誰も知らない宮﨑さんの2年間の記録。

<引退会見から1年余り 宮﨑氏を訪ねた>
・引退会見から1年余りが過ぎた2015年1月。スタジオジブリは、ひっそりと静まり返っていた。たくさんの映画を作り出した制作フロアは誰も居ない。宮﨑さんの引退後、ジブリは制作部門を解散。アニメーターたちはスタジオを去り、活動を休止していた。
・一体、宮﨑さんは何をして過ごしているのだろう。ジブリから歩いて3分のアトリエを訪ねた。

もうそんなもの(カメラ)持って来ているの?もうリタイアしてる人間はいいんだよ。葬式とかさ、そんなのが多くて嫌だね(宮﨑氏)

・「俺なんてもういい」と言いながらコーヒーを淹れてくれた。

濃いかな?目分量でやってるから(同上)

ありがとうございます(取材者)

俺、今の世の中に合わせて生きる気ないから(宮﨑氏)

・3年前、宮﨑さんが引退を決めたのは、数百人ものスタッフを率いて長編映画を作る体力がないと悟ったからだという。今はジブリ美術館の展示物を一人で作るのが日課。

俺はリタイアじじいですよ。年金受給者ですよ。前と同じように集中するとね、とたんに体がゴワゴワになってダメになるから、もう遊び遊びやってるの(同上)

・さっきコーヒーを飲んだばかりなのに、またお茶を飲むの?よっぽど暇なのかな。訪ねてくる人も殆どいない。かつての宮﨑さんからは考えられない姿だった。

<線一本の妥協も許さなかった宮﨑氏>
・在りし日のジブリ。見る人の心を捉えて離さない、想像力豊かな世界。アカデミー賞を獲るなど旋風を巻き起こした。世界のアニメーションがCGに向かう中、それに背を向けてこだわったのが手描き。僅か4秒のカットでも1年以上もの歳月をかける気の遠くなるような作業。

ダメだね。全部描き直す(宮﨑氏・2012年3月)

・宮﨑さんは線一本の妥協をも許さない映画作りの鬼だった。

描けよ、よく考えて。何も考えないで生きているのか?ダメなら降ろす。すぐ辞めろ(同上)

・宮﨑さんは当時を振り返る。

終わったんだなと本当に思うんだよ。後継者を育てたよ。後継者育ててやらせると結局、食べちゃうことになるんですよ。その人たちの才能を食べちゃう。「こいつにやらせてみたい」っていう人間は一人もいなくなった。スタジオは人を食べていくんですよ。それでおしまいにしちゃったから、何の未練もないんだよ(宮﨑氏)

<長年あたためていた短編映画をCGで制作するという>
・ところが2か月後、訪ねてみると…。宮﨑さんの様子が少し変わっていた。

CGをいくつか見せてもらったんだけど、レンズがみんなスマホのレンズだって(宮﨑氏)

・忌み嫌っていたはずのCGについて、やけに話す。

スタッフは面白かった。ああ、若いやって(同上)

・この2日前、若いCGアニメーターとの出会いがあったそうだ。

自分が描こうと思っても描ききれないから、どうしていいかわからないものを、こいつらならやってくれるかもしれないというだけだよね。そういうことだよ(同上)

・えっ!?引退したのに、どういうこと?

これボロだよ(同上)

・宮﨑さんが見せてくれたのは「ボロ」という毛虫のスケッチ。実は20年前から映画化を望みながら実現できなかった幻の企画。プロデューサーの鈴木敏夫さんが「引退して時間があるのだから、楽しみながらCGで短編映画を作ったらどうか」と言い出した。
・2015年5月。宮﨑さんが出会ったCGアニメーターたちが毛虫のボロのCGを試しに作ってきた。

なるほど、面白いね(同上)

毛に関しては完全に計算で動いていますね。空気抵抗とかを計算する処理が入っています(アニメーター)

頭の動きは押さえるけど、こいつ(前足)がちゃんと。この足だけは目玉と一緒に動いちゃつまんない(宮﨑氏)

そういうふうにしないといけないなと思ってたんで(アニメーター)

なんかうまくいきそうな気がしてきたですね(宮﨑氏)

・手描きにこだわってきた宮﨑さんが幻の企画をなんとCGでることにした。

CGに挑戦するのはワクワクしますよ(取材者)

挑戦するなんて言われるとムカムカするんだよね。トボトボと行くんですよ。♪前へ前へ進め(宮﨑氏)

・今、アニメーションはCGの時代。最大の魅力は人の手では描けないような緻密で圧倒的な表現力。時代を拓いたのは、宮﨑さんの大親友ジョン・ラセターさん。世界最高のCGアニメスタジオ、ピクサーとディズニーを率いている。
・あっと驚く新技術を次々に開発してきた。例えば「モンスターズ・インク」のサリーの毛。230万本の毛がコンピューターの自動計算で動く。

ラセターがさ、宮﨑が(CGを)やったって言ったら、絶対のぞきに来るでしょう?「まだこんなレベルか」って思うに決まってるじゃない?恥ずかしいものはやりたくないじゃない?(宮﨑氏)

・2015年6月、宮﨑さんが動き出した。久々のスタジオ。

俺はここにした。もろにホコリっぽいよ(同上)

・描き始めのは、キャラクターの動きなどを記した絵コンテ。手描きもCGも、これがカットを作るときの基になる。今回の短編は映画館ではなく、ジブリ美術館でのみ上映する。

なんて安いところで映画作ってるんだろう(同上)

・予算も自分たちで賄える範囲でやる。

さっき朝飯食ったばかりなのにもう昼飯で、うちへ帰ってビール飲んで1日が終わる(同上)

・たくさんの観客に見せるためではなく、最後は自由にアニメーションの新たな表現を探ってみたいと考えていた。でも75歳の宮﨑さんは心臓にも持病を抱え、体が日ごとに衰えていると感じていた。

そこはね、圧力鍋で煮てもスープは出ませんよって。“黒い水”が出てくるだけなんですよ。ホームズだったら見抜くんじゃないかと思うんですよね。「あなたアニメーターでしょう?」って。こんな体力のなくなった力を失っていく年寄りがね、もう一回青春が来るんじゃないかなんて錯覚を起こすのはとんでもない間違いだから。だけど、残った時間をどう生きるかは難しいですね(同上)

・残された時間をどう生きるか。宮﨑さんはずっと考え続けているようだった。

<本格的に短編映画作りが始まった>
・2015年8月。CGディレクターの櫻木優平さんたちが合流し、本格的な短編作りが始まった。

すごい精鋭が集まってドキドキしますね。ぼちぼち行きましょうなんつって。一番ぼちぼち行きたいのは俺だ(宮﨑氏)

・宮﨑さんが描いた絵コンテをCGでどう表現するか、細かい部分は櫻木さんたちに委ねられている。ボロが卵から生まれ、世界を初めて見る。そして初めて食べて…。

ウンコをする。ウンコが転がる。自分もウンコをする。ウンコすると絶対見るんですよ。赤ん坊もそうですけど。ウンコの雨が降ってくる(同上)

作り出したら早そうな気がする。そんなキャラは多くないから、つかめだしたら早い気がする(櫻木氏)

・早速コンピューターの中でボロが作られ始めた。カリントウみたい。

面白いね(宮﨑氏)

・足が付いた。CGのボロが動き出した。

不思議なもんだね。新しいウイルスを作っている感じが(同上)

・宮﨑さんが何か猛烈に描いている。キャラクターの動きを絵コンテより細かく描いたレイアウト。CGを作るときの設計図だ。本当はここまで細かく描く必要がないが、少しでも正確に自分のイメージを伝えようとしているようだった。

宮﨑さんは去年より100倍元気ですよ(スタッフの女性)

それねえ、元気じゃないですよ(宮﨑氏)

絶対元気だと思います。目力が違いますもん(スタッフの女性)

生涯仕事やってなきゃいけないじゃない(宮﨑氏)

“仕事”って大事ですね?(別のスタッフ)

そういう言い方しないで(宮﨑氏)

目力が違います(スタッフの女性)

後期高齢者、末期高齢者、断末期(宮﨑氏)

・2015年10月、ようやく最初のCGが出来上がってきた。生まれたばかりのボロが世界を初めて見る、映画の始まりのシーン。

ちょっとね、振り向き方がね、大人になってる。サツキ(スタッフの子ども)を見れば分かりますけど、こんな“キッ”と向かない。こう見るでしょう。まだそこまで機敏じゃないんですよ。生まれたばかりだから。基本的には鈍臭いというか、世界が初めてなんで(宮﨑氏)

・世界を初めて見たボロの初々しさが全く表現出来ていなかった。
・この頃、宮﨑さんの周りで悲しい知らせが相次いでいた。日本のアニメーションを共に作り上げてきた仲間が亡くなった。「時間がない」としきりに口にし出したのは、この頃からだった。

どうなってんだろうね?僕より絶対長生きするはずの連中が先に死んでって、何で俺こんなことやってるんだろう?なんて思いながら(同上)

・その後も少しずつCGが上がってきたが、宮﨑さん全く納得出来ず、どれもこれも作り直し。

難しいねCGというのは。“魔法の小箱”じゃないんだね(同上)

・コーヒーを淹れながら宮﨑さんは言う。

ゴミみたいな作品になる可能性が十分あるんだぞと、今日あの原画(CG)を見てて思った。あんなものやるならね、潰したほうがいい。全部この何十年かの積み重ねがパーになる瞬間ですよ。だけど、まだ血の雨は降ってない(同上)

<自らコンピュータに向かうことに>
・12月7日。何だかただならぬ気配。

ちょっと話をしたいので集まってほしいのですが(宮﨑氏)

・アニメーターたちを集めて宮﨑さんが切り出した。

やっぱりそれなりにやったなってやつを作らなきゃいけない。「どうやってやったの?」って言われるものを作りたい。本当に(宮﨑氏)

・これまで触ろうとしなかったコンピューター、ついに自分で直しを入れ始めた。言葉で伝えきれない微妙な感じを描いてみせた。でも0.1ミリにこだわって直していた手描きのようにはいかない。何だかとっても、もどかしそう。
・その後も思うようなカットが上がってこない。中でもうまくいっていなかったのが、冒頭のシーンだった。このままでは絵コンテで思い描いたような魅力なシーンは出来ない。でもどうすればいいか、宮﨑さん自身アイデアが浮かばずにいた。

難しいねえ、情けない。うーん、これはどうしていいか分かんないね。やばいね。何でこんなやばいのか分かんないんだ(同上)

自分の神通力が通用しない。それに対するアレだろうね。本当の引退?そこでの七転八倒でしょ(プロデューサーの鈴木敏夫氏)

・スタジオの空気も日増しに重たくなっていった。櫻木さんも疲れているみたい。
・突破口が見い出せないまま迎えた12月半ば。その日、スタジオは静まり返っていた。

櫻木さんは病院に行っているの。昨日もう体調不良の顔してたよね?(宮﨑氏)

その前からずっとです(スタッフ)

大丈夫ですか?(取材者)

大丈夫じゃないです。気の病ですよ。それぐらい大変なんですよ、櫻木さんは(宮﨑氏)


※櫻木さんは風邪。翌日には復帰しました。

・他の人は最新のCG技術で作った「スター・ウォーズ」の試写会に行ったそうだ。

静かでいいや。「スター・ウォーズ」と全然違う世界を彷徨っているからね、こっちは(同上)

・コーヒーを淹れながら宮﨑さんは言う。

30代とか40代の沸き立つような気持ちなんて持ちようがないのよ。違うと思うよ、全然。やっぱり違うものなの(同上)

宮﨑さんを動かすものは何になるんですか?(取材者)

何もしないって、つまんないからじゃない?結局そういうことだと思うよ。ニヒリスティックに言ってるんじゃないんだよ。老監督と呼ばれる人たちはみんなそうですよ。映画作っているのが一番面白いんだよ。だけど、ヘボは作りたくない。違うところへ行きたい。自分が好きだった映画はストーリーで好きになったんじゃない。ワンショット見た瞬間に「これはすばらしい」って、それが映画だと思っているから(宮﨑氏)


<冒頭のシーンでひらめいたのは…>
・12月24日。

やっと分かったんですよ、謎が。生き物の気配がなさすぎるんだよね。それを足そう(宮﨑氏)

・あの始まりのシーン、何かひらめいたみたいだ。

“夜の魚”を置こうというね(同上)

・夜の魚という得体の知れない生き物をボロの周りに描き込もうと言い出した。

面白いことは人にやらせないっていう。早く突破しようよ。呪われたカットを。ずっと宿便のように。よし頑張ろう(同上)

・映画の始まりをこんなに大胆に変えるのは、宮﨑さんの長い映画人生でも初めてだという。

映画できちゃったときに情けない思いをしないことが一番大事だから。ああ、やっときゃよかったってことが絶対ないように。やったけどダメだったねってほうがましなんだよ。本当にそうだからね、これは(同上)

・宮﨑さんの想像の種が膨らんできた。

“魚”って分かっちゃうと、つまんないんだよね。よく分かんない格好をしてたほうがいい(同上)

世界は美しいって映画を作るんだよね。気がつかないだけで世界は美しいよって。そういう目で見たいだけなんだよ(同上)

パッと小魚に分かれて散るってダメかな?(同上)

・果てしなく膨らんでいく宮﨑さんの世界。そして…こんなシーンが生まれた。

なんて騒がしいところで(ボロは)生まれたんだろう。なんとも言えず不思議な映画ですね(同上)

・短編映画は大きな山を越えたようだ。
・2016年5月。この頃から宮﨑さんが机に向かう時間がどんどん長くなってきた。実は宮﨑さん、あるカットを手描きで細かく描き始めていた。

CGのスタッフたちが作った大ボロたちが面白いんですよ。負けてたまるかってのもあるけど、ああよくやってると思って(宮﨑氏)

(CGに)負けてたまるかというのもあるんですね?(取材者)

当たり前だよ。前面に出している時期じゃないからね、俺は(宮﨑氏)


・無数の毛虫の大群がうごめく一番大変なカット。まるでCGに対抗するかのように緻密に描いていく。
・そしてある日、宮﨑さんはふとこんな言葉を漏らした。

いま作るんだったら何を作るんだろう?って思うけどね。こういう時代は渇望するものがあるはずなんです(宮﨑氏)

・いま作るなら何を作るのか?

長編を作るっていうのは生やさしいものじゃないから。今から立ち上げて5年もかかったら俺は80だよ。この話、面白いからやってみようとか、こういうのやってみたかったからやるとかでやっちゃいけない。必ず巻き込んでひどい目に遭わせることになるから。迷惑をかけることになる。心臓が止まりましたとかさ、本当に(同上)

・宮﨑さんは、それ以上何も語らなかった。ただただ机に向かって、毛虫の大群を描き続けていた。来る日も来る日も。

<人工知能がつくった映像を痛烈に批判>
・この日、ある出来事があった。やって来たのはIT企業でCGを開発している人たち。

人工知能で映像処理するのは、あちこちで発表されているんですけど、うちでもこんなことやってますみたいな説明です(ドワンゴ会長の川上量生氏)

・人工知能で動きを学習させたCGを見せた。

これは速く移動するって学習させたやつなんですね。頭を使って移動しているんですけど、基本は痛覚とかないし、頭が大事という概念がないんで、頭を足のように使って移動している。この動きが気持ち悪いんで、ゾンビゲームの動きに使えるんじゃないかって。こういう人工知能を使うと、人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないか。こんなことをやっています(同上)

あのう、うーんとね。毎朝会う、このごろ会わないけど身体障害の友人がいるんですよ。ハイタッチするだけでも大変なんです。彼の筋肉がこわばっている手と僕の手でハイタッチするの。その彼のことを思い出してね、僕は面白いと思って見ることできないですよ。これを作る人たちは痛みとか何も考えないでやっているでしょう。極めて不愉快ですよね。そんなに気持ち悪いものをやりたいなら勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。極めてなにか生命に対する侮辱を感じます(宮﨑氏)

これってほとんど実験なので、世の中に見せてどうこうと、そういうものじゃないんです(川上氏)

それは本当によく分かっているつもりですけど(宮﨑氏)

どこへたどり着きたいんですか?(鈴木敏夫氏)

人間が描くのと同じように絵を描く機械(川上氏側スタッフ)

作りたいんだ(鈴木氏)

はい(川上氏側スタッフ)

・プレゼンの後、宮﨑氏はこう言った。

地球最後の日が近いって感じがするね。人間のほうが自信がなくなっているからだよ(宮﨑氏)

・いつの日かアニメーションは人の手を離れるのかもしれない。宮﨑さんはこれからどうしようと思っているのか。

<「長編映画を作りたい」と告白した宮﨑氏>
・それは8月初めのことだった。

ちょっと書いたんだけど(宮﨑氏)

・宮﨑さんがあるものを取り出して、プロデューサーの鈴木さんに見せた。

いま読んでもしょうがないから、後で読んで(同上)

・それは新たな長編映画の企画書だった。

3年っていうのは、こんなにしかないんですよ。オリンピックの前だ。今の瞬間始めて半年でしょう(鈴木氏)

鈴木さんがどういう錬金術使ってもいいですから、この映画作れるだけの金かき集めてください(宮﨑氏)

こういうことが起きるかもしれないですよ。宮さんが絵コンテ描いて死んじゃうと。そうすりゃ映画は大ヒットですよ(鈴木氏)

俺が死ななきゃいけないじゃん(宮﨑氏)

・「長編映画をもう一度作りたい」覚悟の表明だった。

女房にも言ってないですよ。だから言うときは、途中で死んでも十分考えられるから、そういう覚悟でやるから認めてくれって言うしかないですね。だけど、何もやってないで死ぬより、やっている最中に死んだほうがまだましだね。死んではならないと思いながら死ぬほうが(同上)

・2016年10月。

もう聞いたかもしれないけど、ヤッチン死んじゃった。死んじゃった。あっという間に死んじゃった(宮﨑氏)

・宮﨑さんと共に映画を作り続けてきた色彩設計の保田道世さん。77歳だった。

ヤッチンが「もう1本やんなよ」ってさかんに言ってたんだよね。「ヤッチンがやるならやるよ」って言ったら返事しないんだよ。だけど「もうできない」とは言わなかったんだ。いやあ、まったく参った(同上)

・また宮﨑さんが机に向かっている。

あれは新作の絵コンテなんですか?(取材者)

やってみているんです。100(カット)ほど切ったら、やっていいか悪いか分かるだろうと。難しいんですよ(宮﨑氏)


・宮﨑さんの長編映画が本当に動き出すかは、まだ分からない。でも、生きることは映画をつくること。そのことに宮﨑さんは気づいたのだ。

(2016/11/16視聴・2016/11/16記)

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【NNNドキュメント’16】いのちいただくシゴト~元食肉解体作業員の誇りと痛み~

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【NNNドキュメント’16】
「いのちいただくシゴト~元食肉解体作業員の誇りと痛み~」

(日本テレビ系列・2016/11/14放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 食肉解体という仕事に就かれている方々がいるからこそ、私たちの食卓にお肉が並び、それを食べることができる。それは農家の皆さんがお米や野菜を作ってくれたり、漁師の皆さんが魚や貝を獲ってくれるからと同じで、日々感謝の気持ちを持たなければならないと思います。

 つい先日、回転寿司でシャリを残して食べる人がいるという話題がネットニュースで流れましたが、そういう食べ物を意図的に粗末に扱うということは本当に許せないですね。

 今回のドキュメントも食肉解体という仕事をしてきた男性が「いのちをいただく仕事」として講演活動をしているという話。子どもたちにとってとても有意義な活動だと思いました。

 さて、私も西日本で何年か生活をしたときに若干学んだので、このテーマに同和問題が絡んでくるのかなというのは観る前に感じていました。やはりなというのが正直な感想です。

 過去そういう謂れなき差別・偏見を受けてきた人たちがいたことは、歴史的事実として認識しなければなりませんが、現在はどうなんでしょうか。もしあるなら由々しき人権問題として看過できませんが、まだそんなに差別・偏見の解消は進んでいないのでしょうか。少なくとも職業的に食肉加工に携わる人々を見下すという意識が私には全くないので、ことさら強調することがよく分からないのです。違うというならご指摘いただればと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・動物を肉にする話を伝え続ける一人の男性がいる。元食肉解体作業員の坂本義喜さん(59)。知ってほしいのは、私たちがたくさんの命で生かされているということ。動物たちの命をいただき、肉にする仕事をしている人たちの誇りと痛み。

<食肉解体の仕事をしてきた男性のエピソードが絵本に>
・熊本市食肉センター。今年1月に閉鎖されるまで80年近くにわたり熊本市民の食生活を支えてきた。坂本さんは約40年間ここで食肉解体作業員として働き、2年前に退職した。廃止された食肉センターの機能は現在、別の食肉センターに引き継がれている(宇城市の熊本中央食肉センター)。
・坂本さんが携わっていた食肉解体の仕事。それは牛や馬の急所を打ち気絶させるノッキングから始まり、体内の血を出し切る放血、体から皮を取り外す皮はぎ、そして枝肉にするために背中を真ん中で切り分ける背割りまでを担う。
・現在は自動で運ばれて来る動物を、工程ごとに作業員が分かれて行う食肉の解体。一方、坂本さんが勤めていた食肉センターでは一頭ずつ台に寝かせ、作業員たちが3本のナイフだけを使い一気に枝肉まで仕上げていた。
・去年10月、坂本さんが訪れたのは閉鎖を間近に控えたかつての職場。祖父や父も食肉解体作業員だった。坂本さんも15歳で同じ仕事に就いたが、ずっと好きになれなかった。

ここで僕は、みいちゃんと初めて話した(坂本さん)

・それは“みいちゃん”という一頭の牛。30年ほど前にここで出会った。

最初は、目と目が合うた時はもう何かな…その、警戒している目立ったし、ばってんこの子は違うかなと思ってね。あの子がね、まず手を舐めてくれたし(同上)

・この“みいちゃん”との出会いが、坂本さんの人生を大きく変えた。そのエピソードが絵本に収められている(「いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日」)。


絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日 (講談社の創作絵本)
ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが、事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉センターの門をくぐってきました。

「あしたの牛ばいねぇ」と思って見ていると、助手席から10歳ぐらいの女の子が飛び降りてきました。すると女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん。みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん」

そう言いながら一生懸命に牛の腹をさすっていました。坂本さんは見なきゃ良かったと思いました。

次の日、牛舎に入ると坂本は迷いましたが、そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも次第に坂本さんの手をクンクンと嗅ぐようになりました。

それから坂本さんは、女の子がしていたように腹をさすりながら「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所を外すけん。そしたら余計苦しかけん。じっとしとけよ」と言い聞かせました。

みいちゃんのいのちを解くその時がきました。みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。


<絵本のストーリーをもとに各地で講演活動をしている>
・みいちゃんが教えてくれた命をいただくことの意味。それを多くの子どもたちに知ってもらおうと、坂本さんは27年前に講演を始めた。

撫でていたらね、その目のところからみいちゃんが涙をぽろーんと流すのを見たと。そのときに「えー!牛って泣くとや!」。でもよく考えてください。何も変りないでしょう、私たち人間と。同じ赤い血があって鼻も口も歯もあるよ。唇もある心臓もある。何も変わらない、ただしゃべれない。

あの動物たちが人間の言葉をしゃべったら、こう言っていると思う。「なんで僕が死ななんとね?何も悪いことしとらんのに」「じゃあおっちゃん、子どもたちに会ったら伝えてよ。『少しくらい肉がかたくても、脂が多くても食べるように言ってよね』って」。

私たちはあの命をいただいたら命たちが出来なかったこと、お父さんお母さんといっぱいいろんな話をすること、友達にいっぱい楽しいことをしてあげること。このあと給食があるけんが、残さずにいっぱい食べてもらえれば、おっちゃんが来た意味があるかな(講演する坂本さん)


・坂本さんの話を聞いた子どもたちは…。

動物の命をいただきながら暮らしているのが分かった(男子児童)

肉を食べるときは言葉を言ってから食べる。「ありがとう」(女子児童)


<命をいただく仕事 胸の奥にしまっていた思いとは>
・去年4月、熊本市食肉センターで行われた最後の畜霊祭。食肉の仕事に関わる多くの人々が、動物たちに祈りを捧げる。命をいただく仕事、これまで広く語られることはなかった。
・食肉センターの閉鎖を区切りに坂本さんの同僚たちが長い間、胸の奥にしまっていた思いを話してくれた。坂本さんの先輩である杉本浩一さん(63)は、みんなが心掛けていることがあるという。

「殺す」という言葉は絶対使わない。「牛を倒してくれ」とか言わんとですよ(杉本さん)

自分たちの職場の中では命を無駄にしたとき、皮だったり肉だったりを無駄にしたとき「殺してしまった」(と言う)(坂本さん)


・「倒す」の他に使うのが、あの絵本にも出てきた「解く」という言葉。動物を苦しみから解き放つという意味が込められている。

馬でも牛でも落ち着かせること。ハアハア、ゼエゼエ言いながら目をギロギロさせた動物をそのまま倒すと、肉に対して“スポット”が入ってしまう(杉本さん)

筋肉の中に血の斑点が入ってしまう(坂本さん)


(ストレスがかかった場合?)
そうそう、それが“スポット”。最初言うのは、落ち着かせてゆっくり倒しにいく(杉本さん)

・できるだけ苦しませずに命を解く。肉も皮も少しも無駄にはしない。

すごい技術のかっこいい仕事(同僚の男性)

・自信と誇り、けれど語り尽くせぬ思いも。

<食肉の仕事をすることで受けた差別・偏見も>
・元食肉解体作業員の坂本さんが時折訪れる所がある。そこは18年前に病で亡くなった母・綾子さんが眠る場所。坂本さんが育った所では、食肉の解体や加工の仕事をしている人が多くいた。綾子さんも食肉センターで働いていた。

母ちゃんとか父ちゃんたちはね、ここで住んでて、地区外の人からいろんなことを言われたって。「動物ば殺して生計立てている人は良か人じゃなかけん」て。「ばってん、母ちゃんたちにはこの仕事しかなかったい。自分たちは恥ずかしくなかけど周りが分かってくれん」(坂本さん)

・差別や偏見に心を痛めながらも、家族のために身を粉にして働いてきた綾子さん。食肉解体にまつわる講演を始めた息子を誰よりも応援していた。

「お前はね、すげぇばい!すげぇ!母ちゃんたちが出来んかったことば今、しよっとばい。お前たちからいろんな時代が変わるとよかね」(同上)

・その言葉を胸に坂本さんは、自分が受けた差別の話も隠さずに伝える。それは精肉店での修行時代のこと。坂本さんは見知らぬ男性から突然こう言われた。

そのおっちゃんがね「おい!四つ足」って。四つ足って言われたら「俺?」って。「そうや、お前らは人間のクズや。ためにならんから死ね」って(講演する坂本さん)

・浴びせられたのは、食肉の仕事などに携わる人々を蔑む言葉。それを知らなかった坂本さんに、先輩の職人は…。

「けさお前が言ったらやろ、四つ足って(言われたと)。あれはな肉屋をバカにした言葉なんだ。でもな、おいらが一番悔しいのはアイツらバカにしながら(肉を)食ってるやろ!食うんだったらバカにするな!」って。世の中にはこういうこわい言葉があるんだ。社会に出ればこういう人がいるんだ(同上)

・仕事を知られるだけで結婚を断れた人も少なくない。そんな中、坂本さんがたった一人で始めた講演活動。当初は同僚はもちろん、坂本さん自身にも葛藤があった。

一番怖かったのは、やっぱり「食肉センターの人は怖いね」「あの話を聴いたから肉は食べたくない」って言われるのが一番怖い。(食肉解体は)地域でする地場産業みたいな感じ。他の人がやるというのはなかった、昔は(坂本さん)

はっきり言って部落です。そこで育ってきた人間が(坂本さんの講演で)影響を受けるといけない。今は静かにして、あと10年後、20年後はみんな(被差別部落のことを)忘れてしまうんじゃないか。これをわざわざ言って広げる必要があるのかなって(杉本さん)

・それでも坂本さんは…。

そのまま(差別や偏見の)自然消滅を願って言わないでおけば、自分たちのことを知らないじいちゃんばあちゃんたちが間違ったことを今度は子どもと孫たちに教えるんですよね。(差別や偏見は)無くならない。本当のことを今は言える時代(坂本さん)

最初は自分も正直「何の仕事しているの?」と言われたら、ただ「肉屋さん」とか、そういう風にしか言えなかった。坂本さんがそれ(講演)をすることで「堂々としていて良いよね」とか、自分で自信を持てるようになった(杉本洋平さん)

動物にしろ、人間にしろ命は大切ってことを伝えたいと思って(講演)していると思っている。そうじゃないと、俺は義喜に「(講演)するな!」って言うかもしれん(杉本さん)

<業界に新しい風も そして講演活動も続けていく>
牛のみいちゃんの命を解いた数日後、あの女の子のおじいさんが坂本さんを訪ねてきました。

「坂本さん、ありがとうございました。昨日、あの肉ば少しもらって帰ってみんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが、みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ、食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言って食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ」って言うたら、孫は泣きながら「みいちゃん、いただきます。おいしかぁ、おいしかぁ」って言うて食べました。
(絵本「いのちをいただく」から)


・坂本さんがこの日訪ねたのは、友人の畜産農家。子牛を大きくする農家へ送り出そうとしていた。

(毎回こんな感じ?)
こんな感じですね。牛もさみしいんでしょうけどね、つらいんでしょうけど(関係者の男性)

・坂本さんは2年前からある試みを始めた。美味しい肉料理を味わいながら命を語り合うイベント。

かわいい動物たちの命をとってまで肉にしなきゃいけないから、人間の都合で苦しませたらいけない。楽な気持ちで天国に送る。これが自分の仕事かな(坂本さん)

・その会場に一人の若い女性がいた。

(どこに勤めていますか?)
熊本中央食肉センターです(畑田さん)

・畑田吏隼了さん(25)。食肉業界には全く無縁だったが焼肉店のアルバイトで肉に興味を持ち、この仕事に飛び込んだ。食肉の世界に吹いた新しい風。

食肉解体作業の現場は思っている以上に暗くはない。人柄が明るい人が多い。(動物を)倒していくうえで悲しいとかじゃなくて、自分たちを育てる糧になってくれるので、感謝の気持ちを一番伝えられるんじゃないかな(同上)

・食べることは生きること。坂本さんの講演はこれまでに全国で700回を超えた。坂本さんの2人の息子も父と同じ道を自ら選んだ。けれど、世の中から差別や偏見が消えたわけではない。だからこそ…。

自分の希望としては同じ作業を全国でやっている人たちに同じ考えがあると思う。「伝えたくない」とか「知られたくない」とか。そういう人たちが僕の話を聴いて「いいんだ、話しても」って「自分たちは自信持って良いんだ」って、そういう人たちがひとりふたり出てくるのが一番の望み(坂本さん)

(2016/11/17視聴・2016/11/17記)

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【にっぽん!歴史鑑定】出雲神話に隠された真実

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【にっぽん!歴史鑑定】
「出雲神話に隠された真実」

(BS-TBS・2016/11/14放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 再現映像はリーズナブルな作りですが(笑)、内容はそれなりにキッチリと作り込んでいる「にっぽん!歴史鑑定」、今回も歴史検証番組として抜群の安定進行といえるものでした。

 出雲神話の多くがそのルーツとなる出来事があった可能性を指摘し、そしてヤマト政権との関わり、さらには出雲大社で発見された柱から推定される巨大神殿の話。出雲を旅する前の予習教材ともなるようなお話でした。実にいい内容で面白かったです。

 縁結びのパワースポットの効能は私はもう不要ですが、それでも古代の神話のゆかりの地を訪れて、思いを馳せてみたいですね。ちなみに出雲に関連した番組は「歴史秘話ヒストリア」と「ブラタモリ」も視聴していますので、下記にリンクを張っておきます。

【歴史秘話ヒストリア】出雲 縁結びの旅へ!~いにしえの神話の里 物語~
【ブラタモリ】#15 出雲~出雲はなぜ日本有数の観光地となった?~

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・出雲大社(いずもたいしゃ)の名で親しまれる出雲大社(いずもおおやしろ)。縁結びの神様オオクニヌシノミコトを祭るこの神社では、毎年11月に神在祭が行われる。旧暦の神無月は出雲の神在月。日本全国から八百万の神々が出雲に集まってくる。連綿と続けられてきた神々を迎える神聖な儀式は、見る者に古の歴史ロマンを感じさせてくれる。
・そんな出雲を舞台にした物語が、ヤマタノオロチ退治、稲羽のシロウサギなどで知られる出雲神話。日本最古の歴史書「古事記」に登場する神話の3分の1を占める出雲神話は長い間、古代のファンタジーと考えられてきた。
・ところが近年の研究で史実をもとにつくられていることが分かってきた。有名なヤマタノオロチ退治。8つの頭を持つ怪物の正体は洪水をもたらす暴れ川か、それとも製鉄の象徴か。
・稲羽のシロウサギを助けた出雲大社の祭神オオクニヌシノミコト。彼は出雲の国を治める実在の王だった?なぜオオクニヌシは国をヤマト政権に譲ってしまったのか。その代償として建造させた天にも届く巨大神殿とは?

<出雲神話とはどのようなものか>
・神話の里・出雲。8世紀の始めに太安万侶が編纂し元明天皇に献上された日本最古の歴史書「古事記」には、こう記されている。神イザナキとイザナミが国を生み、イザナキの子で暴れ者だったスサノオノミコトが神々の住む高天原から追放され、地上に降り立ったことで出雲の国ができたと。こうして始まる出雲神話は、縄文時代から弥生時代にかけて起きた出来事を物語にしたと言われている。

八雲立つ
出雲八重垣
つまごみに
八重垣つくる
その八重垣を


・スサノオノミコトが和歌に詠んだ八重垣の名を持つ八重垣神社は、スサノオとその妻であるクシナダヒメが暮らしたと言われる場所の一つ。
・そんな二人の出会いを描いた神話が、有名なヤマタノオロチ退治。あまりのやんちゃぶりに高天原を追放されたスサノオは出雲の斐伊川上流に降り立つと、泣いている老夫婦とその娘クシナダヒメに出会った。スサノオは泣いている理由を尋ねた。
・聞けばヤマタノオロチは8つの頭と尾を持ち、谷や山の尾根を8つも越えるほどの巨大な蛇。その目は赤く燃え、腹はいつも血でただれている恐ろしい怪物だという。
・そこでスサノオはクシナダヒメを嫁に貰うことを条件に、出雲の人々を苦しめる怪物退治を約束した。クシナダヒメを櫛に変えて頭に差したスサノオは、ヤマタノオロチを退治するため老夫婦に強い酒を用意させた(八塩折の酒)。そして垣根をつくり8つの門を設けてそこに酒を置いておくよう命じた。
・準備を整え待っていると、いよいよヤマタノオロチがやってきて酒を飲み干し、酔いつぶれて眠ってしまった。すかさずスサノオはその体を剣で切り刻んだ。すると剣の刃が欠けオロチの尾から強靭な太刀が現れた。こうしてヤマタノオロチを退治したスサノオはクシナダヒメと結婚、出雲で暮らした。
・出雲にはこのヤマタノオロチ退治ゆかりの場所が残っている。ヤマタノオロチが住んでいたとされる斐伊川の天が淵。スサノオが落とした枝が成長したと言われる椎の大木もある(佐世神社の佐世の木)。御室山の麓にある釜石と呼ばれる岩は、ヤマタノオロチに飲ませるための酒(八塩折の酒)を作らせた釜跡。さらに斐伊神社の八本杉はスサノオがヤマタノオロチの首を埋めたとされる場所。
・ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトはその後、須我神社に宮を建てて暮らしたとされる。こうした神話にまつわる旧跡がいくつもあることから、ヤマタノオロチの話は何らかの史実をもとにつくられた物語ではないかと推測できる。

【ヤマタノオロチ退治(1)洪水を治めた説】
・その一つの説が出雲平野の暴れ川で幾度となく洪水を起こしていた斐伊川のことを物語にしたと考えられてきた。ヤマタノオロチは稲作にとって最も重要な水を支配する龍神であり、その生贄であるクシナダヒメは稲田の象徴。
・スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したというのは、稲田の収穫を奪ってしまう斐伊川の洪水をなくした。つまり治水によって国を治めたということ。

【ヤマタノオロチ退治(2)製鉄を巡る争い説】
・ところが最近ではヤマタノオロチ神話には全く異なる歴史の真実が隠されているのではないかと主張する研究者が少なからず存在する。その歴史の真実とは、鉄を巡る壮絶な戦いだ。
・ヤマタノオロチ退治の中には確かに製鉄を思わせる記述がある。その一つがヤマタノオロチのただれたような赤い腹で、製鉄の炉を意味しているのではないかと言われている。
・では製鉄を巡る争いとは、どういうものだったのか。もともと中国山地を水源とする斐伊川流域は砂鉄を豊富に産出する地域で、古代出雲でも鉄器作りが行われていた。
・その出雲の鉄を象徴しているとされるのが、スサノオが持っていた剣。古事記ではヤマタノオロチを「高志(こし)のヤマタノオロチ」と記している。高志とは当時の北陸のこと。
・つまりヤマタノオロチとは北陸の方から進出してきた勢力の例えと考えられる。戦いの中、出雲のスサノオの剣はヤマタノオロチの尾にあった太刀によって欠けてしまった。このことから北陸の勢力は出雲より強い刀をつくれる新しい製鉄技術を持っていた可能性がある。
・しかしヤマタノオロチは退治されてしまった。スサノオは尻尾の中から出てきた太刀を姉のアマテラスオオミカミに献上した。すなわち出雲が争いに勝ち、北陸の勢力の新しい製鉄技術を手に入れることができたと読み解けるというのだ。まさにヤマタノオロチ退治は、製鉄を巡る争いを物語ったものだと。
・洪水説、製鉄説どちらなのか、出雲神話に詳しい立正大学教授の三浦佑之氏に伺った。

どちらかと言えば洪水あるいは川に関わっていると考える。川は自然としていい面と洪水のような恐ろしい面を持っている。それを抑えていい面を引き出していく力を持っている象徴的な語り方がスサノオによるオロチ退治ではないか(三浦氏)

<稲羽のシロウサギに隠された真実とは>
・出雲大社はスサノオノミコトの子孫オオナムヂがオオクニヌシノミコトとなって鎮座した場所。日本全国から縁結びの御利益を求め多くの参拝者が集まる。本殿の左右に一棟ずつ建てられた南北に細長い建物は十九社。毎年、神在祭の間、全国から集まった八百万の神々が泊まる、いわば神様の宿だ。
・オオクニヌシが鎮まる本殿は24mの高さを誇り、大社造と呼ばれる日本最古の神社建築様式を留めていることから国宝に指定されている。
・そのオオクニヌシノミコトが主人公となった神話といえば「稲羽(因幡)のシロウサギ」。オオクニヌシノミコトがまだオオナムヂと呼ばれていた頃のこと。兄たちと一緒に女神の一人である稲羽のヤガミヒメのもとに求婚に出掛けた。
・一行が気多の岬まで来たところで、皮を剥がれて倒れているウサギと出会った。兄たちはからかって塩水に浸かり山の上に寝て風に当たればすぐに治ると嘘をついた。それを真に受けたウサギの皮膚はひび割れ、あまりの痛さに泣いていると遅れてきたオオナムヂが通り掛かった。するとウサギは、自分は隠岐島に住んでいで、この地に渡ろうと思い海に住むワニ(サメ)と、どちらの一族が多いか数比べをしようと持ちかけ並べさせ、その上を踏みしめてこちらまでやって来ようとしたが、怒ったワニに皮を剥がれたという。
・これを聞いたオオナムヂは川の水で体を洗って蒲の穂を敷いた上で寝転がればいいと治療法を教えてあげた。するとウサギの傷は癒えて大喜び。ヤガミヒメを妻にできるだろうと予言し、その通りとなった。

単にオオナムヂ(オオクニヌシノミコト)が心が優しいという意味だけでなく、病気を治す力を持つ、王の資格があるという話(三浦氏)

<オオクニヌシノミコトが王になるための試練とは>
・オオクニヌシノミコトがオオナムヂだった頃、スサノオノミコトが治める国を訪ね、出迎えてくれたスサノオの娘スセリヒメと恋に落ちると、スサノオから思わぬ試練が与えられた。

【試練(1)蛇責め】
・蛇が床一面に這い回る部屋に通され、そこで寝ることを命じられた。するとスセリヒメが蛇除けの布を渡してくれて無事に切り抜けることができた。

【試練(2)ムカデとハチ責め】
・ムカデが這い回りハチが飛び回る部屋にも入れられた。このときもスセリヒメから貰った布で難を逃れた。

【試練(1)火責め】
・さらにスサノオが野に放った矢を探せと命じられた。その矢には火が付いていて周囲を炎に囲まれた。もうダメかと思ったときにネズミが現れて身を隠す場所を教えられた。その上、矢まで見つけてくれた。

・間一髪で数々の試練を乗り越えたオオナムヂは、やがてスサノオノミコトに、持っている太刀や弓を使って兄たちを追い払い国を治めよと命じられた。
・試練を克服したことで新たな力を得たオオクニヌシノミコトは、地上世界を治める正統な王と認められ、出雲の国を支配することになった。

<出雲の国が実在したことを証明する世紀の発見とは>
・かつて出雲神話はあくまで物語であり、出雲の国は神話上の国で実際には存在しなかったと思われてきた。ところが今から30年ほど前、古代史の常識を根底から覆す事実が明らかになった。その舞台となったのは、出雲にある荒神谷遺跡。ここから358本もの銅剣が出土した。世紀の大発見だった。
・それまで日本各地で出土した銅剣の総数は300本余り。それを超える大量の銅剣がたった1か所から出土。様々な儀式に用いられる銅剣の存在は、かつてこの場所に大きな勢力があったことを示している。つまり出雲の国が実在したことが証明されたのだ。
・古事記が書かれた20年ほど後に、ヤマト政権が地方に書かせた風土記の一つ「出雲国風土記」。この中に出雲の国の規模を示す記述があった。
・昔、出雲をつくった神ヤツカミズオミヅノミコトは出雲の国を見渡し、この国は細長い布のように小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしようと思い立った。そこで余分な土地がないかと海の向こうを眺めると、朝鮮半島の新羅に余ったところがあった。ヤツカミズオミヅノミコトは鋤を地面に打ち込み土地を切り離した。
・次に現在の島根県中部にある佐比売山(三瓶山)を杭にして三つ編みにした丈夫な綱を掛け、新羅を力一杯引っ張ると、その土地はゆっくり動き出雲の国にくっついた。続いて隠岐島の一部、能登半島の先からも土地を引っ張ってきた。
・つまり出雲は日本の単なる一地方ではなく、北は朝鮮半島、日本海の島々、能登半島から内陸部にまで広がる一大勢力であったとい考えられる。
・さらに遠く離れた信州の諏訪にも出雲の力が及んでいたことを示すものが残っている。御柱祭は7年に一度、諏訪大社に祭られる御柱を山から切り出し運ぶ勇壮な祭り。御柱に象徴される巨木文化は出雲にもあった。諏訪も出雲と同じ文化圏にあったとすると、出雲はヤマト政権に勝るとも劣らない勢力だったと考えられる。

ヤマトと出雲を比べてみると、出雲は直接朝鮮半島から鉄が入ってくる。新しい文化が入ってくる点でいえば断然、出雲の方が有利だった(三浦氏)

<出雲はなぜヤマト政権に支配されたのか>
・「古事記」には地上世界の王となったオオクニヌシノミコトのその後の物語も記されている。そこには神話とは思えない国の支配権を巡る交渉の過程が丁寧に描かれていた。
・オオクニヌシは中つ国と呼ばれた国の整備にとりかかるが、暫くすると姉のアマテラスオオミカミが動き出した。地上を高天原から目にしたアマテラスは「中つ国は我が子アメノオシホミミが治めるべきだ」と、オオクニヌシの追放を宣言。
・アマテラスは八百万の神々と相談し、オオクニヌシのもとに国を譲るよう次々と使者を送り込んだ。しかしオオクニヌシは受け入れようとしなかった。そこでアマテラスは武力に長けた神タケミカヅチを派遣し、中つ国の譲渡を迫った。
・追い込まれたオオクニヌシは、その判断を自分の息子たちに委ねた。すると息子たちは始めは中つ国を譲ることに抵抗したが、結局降伏してしまった。
・降伏の意に間違いはないか、使者はオオクニヌシに再度確認。オオクニヌシは服従を誓ったが、その代わりに高天原に届くほど丈の高い、地底に届くほど深く立派な柱を持った住まいがほしいと告げた。その願いは受け入れられオオクニヌシは隠居、中つ国はアマテラス側に譲られた。中つ国とは出雲を中心とした中国地方と考えられ、この「国譲り」の神話は出雲の国がヤマト政権の支配下に入ったことを示すと言われている。
・神話では話し合いによって出雲の国が譲渡されたように記されているが、実際はそんな生やさしいものではなかったようだ。

大きな武力衝突が起こったのだろうと考えられる。おそらく弥生時代のはじめぐらいにそのような戦いが各地であって、100いくつにも分かれていた国々が覇権を争いながら戦っている。最終的にはヤマトが統一していくが、そこにいくためには大きな犠牲が伴っていただろう。中国の歴史書によれば「倭國大乱」という言い方をされている。ヤマト側にとっては戦いの末に覇権を握ったというのではなく、話し合いで正当に行われたと記述したかったのではないか(三浦氏)

<オオクニヌシノミコトが要求した巨大神殿とは>
・国譲りの神話に記されたもう一つの謎。それは、出雲の国がヤマト政権に譲渡された際、オオクニヌシノミコトが代償として要求した高天原に届くほどの巨大神殿。
・その巨大神殿とは出雲大社だと考えられてきた。しかし1744年(延享元年)江戸時代に建てられた現在の本殿は高さ24m、巨大というほどではない。
・鳥取県の弥生時代の遺跡(稲吉角田遺跡)から出土した土器に巨大神殿と思われる建物が描かれた線描画が見つかっている。このことからオオクニヌシの時代、日本海側には巨木を使った高層の建物が建てられていた可能性が高いと考えられる。
・さらに平安時代にまとめられた「口遊」には、当時の高層建築物のベスト3として「雲太、和二、京三」と記されている。すなわち京都・大極殿が「京三」、大和・大仏殿が「和二」、出雲の大社が「雲太」で一番だというのだ。
・当時の大仏殿の高さは45m、出雲大社はそれ以上の高さがあったとされる。しかし大仏殿以上の高い建物を建てることは古代の建築技術では不可能と考えられ、長い間、巨大神殿は架空のものとされてきた。
・ところが2000年に出雲大社で発掘調査を行ったところ、幻と思われていた巨大神殿が存在していた証拠が発見された。出雲大社本殿の八足門付近で巨大な柱が発掘され、島根県立古代出雲歴史博物館に収蔵されている。
・直径130cmある杉の大木を使用していて、3本束ねて大きな材木としている。柱の根元は大きな石を突き固めて強固な石で固めていた。この柱を「宇豆柱」と呼んでいる。
・出雲大社宮司の千家家に伝わる金輪御造営差図。鎌倉時代の頃に描かれた図には、当時の神殿を支えていた柱の配置が記されている。この図と発掘された柱の配置が酷似していることなどから、見つかった神殿の建造は鎌倉時代と考えられている。
・これが国譲りの代償で建てられた巨大神殿を受け継いでいるものとするなら、柱の大きさから推定される神殿は現在の出雲大社の倍の高さ48m、階段の長さは100m以上。実に壮大なものだったと考えられる。

(2016/11/17視聴・2016/11/17記)

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