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【NNNドキュメント’17】遠ざかる島影~北方領土と安全保障~

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【NNNドキュメント’17】
「遠ざかる島影~北方領土と安全保障~」

(日本テレビ系列・2017/2/13放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 昨年の日ロ首脳会談後、NHKで放送された北方領土問題の番組を2つ取り上げました。
【ETV特集】北方領土 重い扉を開く ゴルバチョフが明かす日ソ交渉舞台裏
【NHKスペシャル】スクープドキュメント 北方領土交渉

 その感想でも領土問題の解決は非常に困難だということを書きましたが、今回の「NNNドキュメント」を観て、それがもう絶望的に厳しいことを痛感しましたね。

 それはロシアにとって千島列島が東の「防衛線」であり、さらに仮に北方領土を返還して四島が日本領になったとき『日米安保条約』に基づいてアメリカが基地を置きたいと申し出たときに日本がどうするのか。断れるはずがありません。そうなればロシアにとって最大級の「脅威」を与えることにほかならないからです。

 昨年の首脳会談前の下打ち合わせで日米安保が問題視され、日本が手詰まりだったわけです。会談直前にミサイルが配備されたのも、これで合点がいきました。首相がいくらプーチンをファーストネームで呼んで友情アピールしたって1ミリたりとも進むはずもなかったのです。そうした水面下の交渉を掴んだNNN系の方が文字通り「スクープ」でした。それに比べてNHKはあまりにも楽観的過ぎましたね。

 元島民の皆さんにとってはビザなし訪問や墓参などの条件が緩和されるようなところが現状での落とし所かもしれません。非常に厳しいですが海峡の「3.7kmの距離」は思った以上に遠いようです。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・全てはこの一言から始まった。2012年3月、大統領に復帰直前のロシア、ウラジーミル・プーチン首相(当時)。

ヒキワケ!(プーチン氏)

・「ヒキワケ」それは両国が受け入れ可能な解決策への強い意志。北海道根室市と北方領土の間、僅か3.7kmの海峡には事実上の国境線が引かれている。
・海上保安庁の巡視船、そしてロシア国境警備隊の船がにらみ合う。数年前まで日本漁船に向けて容赦のない銃弾が降り注いだ海。この海に平和が取り戻せるかもしれない。去年、そんな期待が高まった。しかし…。

解決にはまだまだ困難な道は続きます。何といっても70年間、解決できなかった問題でありますし…(安倍首相)

・落胆する元島民たち、また期待が裏切られた。日本とロシアの領土交渉の真相。島はなぜ返ってこないのか。

<国後島から強制送還されてきた男性>
・北方領土を望む根室・納沙布岬。日ロ首脳会談直後の去年12月26日、北方領土資料館がオープンした。小学校3年のとき国後島を追われた古林貞夫さん(78)。

昔はこういう茶碗でした。木のしゃもじ、懐かしいな(古林さん)

・古林さんが生まれ育ったのは国後島を代表する火山の一つ、羅臼山の麓にある瀬石という地区。

(写真を見ながら)これ(国後島)瀬石の小学校だからね。非常に自然環境に恵まれた地域で水蒸気が出ている所がありまして、樽をふせて物をふかして食べたりした記憶があります(同上)

・北海道の北東に位置する北方領土。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島。ここに突如、ソ連軍が攻めこんできた。日本が無条件降伏した13日後、1945年8月28日。
・古林さんは2年間ソ連兵などとともに島で暮らしたが、突然行き先の分からない船に乗せられ日本に強制送還された。

(強制送還されたとき)おふくろは2番目の子を、僕は終戦後に生まれた弟をおぶって、本当に着の身着のままで手荷物しか持ってくることができませんでした(同上)

・あれから72年、今もロシアによる実効支配が続いている。以来、古林さんはいつかふるさとで暮らすことを夢見ながら根室で漁業を営んでいる。古林さんはこれまで2回、ビザなし訪問で国後島を訪れた。しかし訳あって家があった場所には行けなかった。

(ビザなし訪問は)本来自分が生まれたふるさとに行って、ここに学校があった、家がこの辺だと散策できる仕組みなんですけど(私の場合は自宅の場所に)軍事施設があり日本人はダメですよと言われた(同上)

・北方領土で日本人が最も多く暮らしていた国後島。終戦時には7512人がいた。今はそれを上回る7817人のロシア人が住んでいる。4年前にロシア政府の活性化対策が出されてから道路や港などの整備が急速に進み、今ではすっかりロシアの風景。

<駐留するロシア軍 仮想敵国は日本だと語る>
・北方領土には今、ロシア軍およそ3500人が駐留し、日々実践的な訓練を繰り返している。司令部で行われていたのは軍事シミュレーション、攻めてくる敵の位置を確認していた。見据える先には北海道知床半島があった。

仮想敵国は隣接する国・日本です。わが部隊は国境の警備にあたり、人々と領土を守るため国後島にいるのです(コシツィン・ヒョードル司令官)

・仮想敵国・日本。なぜロシア軍はこれほどまでに北方領土の防衛に力を入れるのか。日本の専門家は、その位置に意味があると指摘する。

ロシアからするとオホーツク海っていうのは、自分たちが軍事的に確保しておきたい縄張りのような所だと思ってますから。そういう意味においてオホーツク海と太平洋を隔てる千島列島、それから北方領土というのはフェンスの役割をしていると(防衛省防衛研究所の兵藤慎治地域研究部長)

・北方領土周辺の海、特に国後と択捉の間は水深およそ400m。ロシア軍の原子力潜水艦は、この海峡を潜ったまま通り抜けることができる。そして真冬でも凍らない。

仮に国後島と択捉島を日本に引き渡すということになってしまうと、この千島列島、フェンスの中にぽっかりと穴が開いたような形になってしまうという懸念がロシア側にはある(同上)

<北方領土はロシアにとって防衛線となっている>
・ロシアの極東、太平洋艦隊の司令部がある街を訪ねた。およそ61万人が住むウラジオストク。中心部のピョートル大帝湾へ向かうと巨大な軍艦が見えてきた。ここがロシア海軍太平洋艦隊の司令部だ。
・ロシア太平洋艦隊は対アメリカ、対中国の最前線とされる。核兵器を搭載する原子力潜水艦、大型のミサイル巡洋艦など多数の軍艦が配備されている。
・太平洋艦隊のビクトル・セミョノフ元海軍大佐に話を聞くことができた。オホーツク海はアメリカなどを想定した重要な軍事拠点だと語る。

オホーツク海には外国船を入れない。諜報活動を認めない。ロシアの国益に反する行為は認めていません(セミョノフ氏)

・ウラジオストクに所属する艦船の多くは「ロシアの内海」と呼ばれるオホーツク海を活動の拠点とする。太平洋に向かう場合、千島列島と南に連なる北方領土が通り道となる。つまり北方領土は防衛ラインの一角を担う。
・また近年、地球温暖化で北極の氷が溶け始め、北極海航路というヨーロッパへの新たなルートが注目されている。こうした中、北方領土を手放すとオホーツク海に外国船が入り込む危険性が高まる。

北方領土はロシアにとっての防衛線です。ロシアに対して敵意を持っている国から守るという意味では防衛ラインになります(同上)

安全保障の観点から北方領土問題を議論しない限りは、なかなかこの帰属問題っていうのをですね、ロシア側と交渉を進めていくということは難しい部分っていうのがあると(前出の兵藤氏)

<ロシアの態度の硬化に日米安保が>
・北方領土を簡単には手放せないロシア。それでも日本では去年、返還への期待が高まっていった。
・2012年、大統領に復帰する直前のプーチン首相(当時)。領土問題の解決を問われ、日本語でこう答えた。

ヒキワケ!(プーチン氏)

・安倍総理も領土問題の解決に強い意欲を示してきた。

ウラジーミル、私たちの世代が勇気を持って責任を果たしていこうではありませんか(安倍首相・去年9月)

・去年9月、首脳会談の会場となる山口県長門市で今井尚哉首相秘書官とエフゲニー・アファナシエフ駐日ロシア大使が水面下の接触。安倍総理は側近を使い、様々な手立てでロシアとの交渉を繰り返した。
・プーチン大統領との直接会談も来日まで15回にも及んだ。しかし期待通りにはいかなかった。来日1か月前、記者の問いにこう答えた。

大きな一歩を進めることはそう簡単ではない。着実に一歩一歩前進をしていきたい(安倍首相)

・実はこの少し前、国家安全保障局の谷内局長がロシアを訪問。ロシア側から「島が返還された場合、日米安全保障条約は適用されるのか?」と問われ、谷地局長が「guess(たぶんそうだ)」と答えたと、ある政府関係者は語る。政府は公式に認めていないものの、これがプーチン大統領にも伝わり態度を硬化させたとの見方がある。
・1960年に締結された日米安全保障条約。アメリカの守るべき対象地域は「日本国の施政の下にある領域」とされている。つまり北方領土が返還された場合、そこにもアメリカは基地をつくることができる。1960年に結ばれた日米安全保障条約がロシアとの交渉で再び注目された。
・かつて「ヒキワケ」という言葉で領土問題の解決に意欲をみせていたプーチン大統領。首脳会談の直前、我々の取材に領土問題の存在すら否定した。

ロシアには領土問題は全くないと思っています。ロシアとの間に領土問題があると考えているのは日本です(プーチン大統領)

・さらにプーチン大統領が日本に公式訪問する直前、ロシア太平洋艦隊の司令部は国後・択捉の二島に最新鋭の地対艦ミサイルを配備したと発表した。国後に配備されたバルは射程130km、択捉のバスチオンは300km。北方領土周辺の海に入る外国船を狙える。

<日米安保の壁とともにロシア側の事情も>
・去年12月15日、プーチン大統領は11年ぶりに日本を公式訪問した。到着は予定より2時間以上遅れた。2日間で6時間余り、最後は膝を突き合わせ2人だけの会談。しかし、北方領土問題の結論は会談が始まる前に出ていたのかもしれない。

解決にはまだまだ困難な道は続きます(安倍首相)

日米関係、特に安全保障条約を考えたとき、我々はどう関係構築ができるというのか。日本の皆さんにはあらゆる事情、ロシアが抱く懸念を考慮してほしい(プーチン大統領)

・日米安保の壁。共同経済活動の協議開始は決まったが、領土交渉での具体的進展はなかった。

日ロが平和条約を結び友好関係をつくると(アメリカ軍)基地の問題はどうなるだろう?日本政府は北方領土にアメリカの基地を配備することを断れるのだろうか?(前出のセミョノフ氏)

・領土問題解決を阻んだもう一つの理由。ロシアは原油安、そして欧米の経済制裁で不況に。プーチン大統領の力は、日本政府が思っていた以上に弱まっていた。
・実は5年前、大統領選挙の年、返り咲きを狙うプーチン大統領に国民が反発。今回も恐れたのは世論だった。来年3月に再び大統領選挙がある。プーチン大統領にとって領土問題の譲歩は、命取りになりかねない。

<日本政府の交渉姿勢の“揺れ”もあった>
・日ロ首脳会談から1か月後、国後島出身の古林さんはふるさとを見つめていた。

羅臼山の下の方に(国後島)瀬石がある。あの辺ですね、山の北寄りね。殆ど麓に近いんですけど(古林さん)

・かつて北方領土に住んでいた日本人は約1万7000人。既に1万人以上が亡くなり、残された人の平均年齢は81歳を超えた。

とにかく年ですから、ふるさとに行って住んで、生まれた所で命を落としたい(同上)

・再び停滞した領土交渉。遠ざかる、ふるさと。その裏にもう一つ揺れ動いてきた日本政府の交渉姿勢がある。戦争に敗れた日本は1951年、アメリカやイギリスなど48か国とサンフランシスコ平和条約を結び、国交を回復した。
・このとき日本は千島列島の領有権を放棄。手放した島の中には国後と択捉も含まれるというのが当時の日本政府の見解だった。
・さらに5年後、日ソ共同宣言でも「平和条約が締結された後、色丹・歯舞を日本へ引き渡す」と記されているが、国後・択捉の記述は一切ない。
・戦後、一時は二島返還という方針を打ち出した日本。それに異議を唱えたのがアメリカ。当時のトルーマン大統領だった。日本とソビエトの接近を警戒したアメリカは、日本が国後・択捉を放棄するなら沖縄は永久に返さないと脅したという。
・アメリカに屈し、国後・択捉も含む四島一括返還へと方針を転換した日本。これに対しプーチン大統領は、返還交渉はあくまで二島を引き渡す日ソ共同宣言がベースだと強調してきた。

共同宣言には二島について書かれていますが、首相が四島の問題を提起しました。つまり共同宣言の枠をこえています。これは全く別の話で別の問題提起です(プーチン大統領)

<元島民たちに忍び寄る老い 島影は遠のく>
・すれ違いを繰り返してきた日本とロシア。ふるさとを奪われてから、もう72年が過ぎた。2月7日、今年も北方領土の日が訪れた。

北方領土を返せー!(住民大会のシュプレヒコール)

・首脳会談の前は控えていた「島を返せ」という言葉が蘇っていた。その中に古林さんの姿はなかった。先日まで入院していたという。

参加して「返せ!」とやりたかった。毎年ずっとやってきましたから。体調不良で(返還運動に)参加できず、非常に残念に思っています(古林さん)

・元島民に忍び寄る老い。

はっきり言ってロシアは四島を全部返す気は最初からないと思っていますけど、でも何らかの形で我々の希望が少しでも叶えられるように、返還運動を続けていきたい(同上)

・「ヒキワケ」の答えを見い出せる日は来るのか。島を追われた人たちの願いを置き去りに、北方領土の島影は遠ざかっていく。

(2017/2/15視聴・2017/2/15記)

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