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【ETV特集】日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~

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【ETV特集】
「日本で一番住みたい団地~孤独死ゼロ・大山団地の挑戦~」

(Eテレ・2016/11/5放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/

<感想>

 東京都内にある意味「奇跡」のような団地があるのですね。率直にそう思いました。加入率100%で全員参加型の活動を展開している団地の自治会。あらためてその中心的な活動を担っている方々はもちろん、自治会の中できちんと責任を果たして活動している人たちに敬意を表したいと思います。

 と、ここまで書くのも、こうした自治会が全国的にも稀有だと思うからです。「Yahoo!知恵袋」というのがありますが、そこで「自治会」と検索をかけると「関連キーワード」として「自治会 入らない」「自治会 トラブル」「自治会 退会」なんてのがゴロゴロ出てきます。それだけ地域の人と人との繋がりを求めていない人が多い。おそらく大山団地にもそう思っている人もいるのでしょう。それでも加入率100%というのは、自治会そのものにメリットを感じている人が多いからなのでしょう。

 私は自治会や町内会、PTAなどの任意団体ではありませんが、会社の中にある団体(協定があるため全員加入義務がある…と言ったらピンとくる方もいるかもしれません)で、いわば世話役的な活動をした経験がありまして、そのとき一番悩んだのが「とにかく参加する人が少ない」ということでした。ハッキリ言って仕事以外で会社の人間となんか関わりたくないという人の多いこと。就業時間外(とりわけ休日)に何かを取り組んでも人が集まらない。達成感よりも疲労感の方が漂いましたね。中には、たっぷり集まった会費を使って一部の役員が「豪遊」なんていうところもあるらしいですが…私のところは皆無でした(苦笑)

 話を大山団地の方に戻します。そんな自治会活動をしていても「孤独死」が出てしまうという「事件」が番組の収録中に起こります。緊急会議が開かれ、そこの区長さんが経緯を説明していましたが、まるで自分が責められているかのようで、何とも気の毒にとしか見えなかったですね。

 行政からの個人情報の「壁」、引っ越してきた当事者が自らつくる「壁」。2つの「壁」で「困ったときはお互いさま」どころか「けんもほろろ」状態だったという。でもそれが大山団地にとっては「事件」であっても全国各地ではデフォルトなのかもしれません。

 それでも「孤独死」はハッキリ言って迷惑な行為ですからね。誰がその処理をするのかといえば、やっぱり自治会の方が重荷を負うことになります。また賃貸物件であれば「事故物件」として資産価値を下げることにもなりますし、自治会に加入しないどころの自分勝手さと次元が違います。究極の迷惑行為でしょう。本人の自覚もそうだし行政としても防ぐ手立てをきちんと講じるようにすべきです。

 その問題解決のヒントはやっぱりこの団地の活動にあるのではないかと思います。一部の人の重荷ではなく、活動の裾野を広げていく取り組み。それと同時にそこで暮らす人たちがどう自治会と関わるように自発的な変化が生まれてきたのか、その辺りをもっと知りたいと思いましたね。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・東京都立川市の都営住宅。雨が降る中、団地の中で早朝から運動会の呼びかけが行われていた。年に一度開かれるという住民参加の運動会。
・雨も上がり運動会が始まった。駆けつけた住民は1000人以上。年齢や国籍も様々、車椅子の方も。共通点は。みんな自治会のメンバーであること。加入率は100%、立川市の平均50%と比べると驚きの高さだ。
・すごいのは運動会だけではない。都会の団地で問題となっている高齢者の「孤独死」が10年以上にわたって1件も起きていない。今どき珍しい濃密なお付き合い。住んでいる人は煩わしくないのだろうか。

全然さみしくないので、すごい助かっています(女性)

持ちつ持たれつっていうんですか。お互いに助け合っている感じなので、あたたかくて住みやすい団地だと思います(別の女性)

・「日本で一番住みたい」とも言われる大山団地。まるで小さな村のような不思議な団地の今を見つめる。

<立川市にある都営住宅 全員参加が基本の清掃活動>
・都心から電車で1時間余り、立川市にある都営・上砂町一丁目アパート(大山団地)。大小様々な形の29の建物に1600世帯、約4000人が暮らしている。
・日曜日の朝8時半。ぞろぞろと人が集まってきた。手にはホウキ。大山団地恒例、月に一度の住民清掃の日だ。掃除は住民全員参加で点呼まで取る。それどころか参加しないと罰金まであるという(連絡有欠席500円、無断欠席2000円)。こんなに厳しくて不満は出ないのだろうか。実はこの掃除、ご近所同士コミュニケーションを取ってもらうために自治会が考えたもの。
・毎月顔を合わせれば、赤の他人でも自然と親しみが湧いてくるもの。隣近所、顔も見たことないなんてことはない。閉じこもりがちの人も引っ張り出される。3年前に越してきた曽根原隆さんは、それまで近所付き合いは殆ど無かったという。29の建物で一斉に行われる掃除。大山団地ならではの風景だ。
・掃除から近所付き合いが始まることも。お昼どき、山田繁野さんが作り始めたのはサツマイモ入りの手作り大福。他にも里芋の煮物など3品を用意した。手料理を携え向かった先は、下の階で暮らす一人暮らしの男性の部屋。3年前に越してきた山田一彦さん。ずっと自炊をしてきたが去年、持病の糖尿病が悪化。台所に立つこともできなくなった。出来合いの弁当ばかりではと、繁野さんは時々こうして手料理を届けている。糖尿病の山田さんを気遣い、甘さを控えた料理。

<多彩な催しやサークル活動も活発に>
・今では珍しくなったご近所付き合い。大山団地では掃除や運動会の他にも様々なイベントが目白押しだ。芸能発表会やジャズコンサート、住民全員参加の防災訓練など。1年中、何かしらの催しが開かれている。楽しんでもらうのは勿論だが、住民同士の結びつきを深め、孤立させないための工夫でもある。
・趣味や習い事を楽しむサークル活動も活発。合唱やカラオケにフラダンス、囲碁や将棋、若者が参加できるヒップホップサークルだってある。好みに合うものがなければ、自分で始めることもできる。必要な講師の紹介など自治会がサポートしてくれるので気軽に手を挙げればいい。サークルは今や180団体以上、どこかで誰かと繋がることができる。これも団地の大きな魅力となっている。
・もう一つ、大山団地の人々が力を入れて取り組んできたことがある。それは「孤独死」をなくすこと。玄関から新聞が抜いていない住民の男性、昨日から姿が見えないことが気になっていた。ご近所のおせっかいが「見守り」の役割を果たしている。

<自治会が取り組んでいる「孤独死」をなくすための取り組み>
・大山団地に暮らす人たちの密接な繋がり。それを作り出しているのが「大山自治会」だ。団地内の事務所ではスタッフが常駐。近所に何か異変を感じたときの通報から苦情、電球の交換まであらゆる問題を受け付けている。
・さらに真夜中や早朝にも電話が繋がるホットラインも用意。24時間体制で住民の安心を支えている。安否確認を求める通報にも素早く対応する。
・住民だけではなく、企業などとの連携も積極的に進めてきた。電気やガス、水道があまり使われていない場合には、異変が起きている可能性があるとして通報を依頼。新聞が溜まっている部屋についても配達員に情報提供を呼びかけた。こうした取り組みの結果、大山団地では10年以上にわたり「孤独死ゼロ」を達成してきた。
・その立役者は一人の女性だった。去年まで大山自治会の会長を務めていた佐藤良子さん(74)。会長を退いた今も住民たちをこまめに訪問している。団地に越してきたのは40年ほど前。バスガイドをして家計を支えながら、3人の子どもを育てた。15年前、周囲の勧めで自治会長に就任。そこで直面したのが「孤独死」だった。誰にも看取られることなく遺体で発見される人が年に4~5人もいた。

孤独死があったときに、この人が本当にここの住民かどうかっていうのを会長が確認しなきゃいけない。死人に会うわけでしょ?そのときに、もう腐敗してて目とか鼻とかからウジ虫がわいてるようなのも確認しなきゃいけないっての過酷なこと。それを無くすにはどうしたらいいか。みんなで孤独死無くせば誰が会長になっても死人の確認は無くていいわけだから(佐藤さん)

・どうしたら孤独死を無くすことができるか。佐藤さんが考えたのは「向こう三軒両隣」方式の導入だった。日頃から団地の住人全員に両隣を見守る役割を担ってもらった。ポストに新聞やチラシは溜まっていないか?洗濯物は干しっぱなしになっていないか?チェックするポイントを伝えながら、佐藤さん自身、訪問を重ねていった。こうした粘り強い働きかけの結果、5年目にしてようやく孤独死ゼロを実現した。

<子育て支援も行政任せにせず独自で取り組む>
・佐藤さんが次に取り組んだのは、子育てに悩む家庭への支援だった。当時、団地で立て続けに起きたのが「育児放棄」や「児童虐待」。そこで佐藤さんは立川市に「子育て支援センター」を作ってくれないかと働きかけた。しかし財源がないことを理由に受け入れてもらえなかった。
・行政がダメなら自分たちでやるしかない。佐藤さんは子育ての経験がある主婦に声を掛け「ママさんサポートセンター」を設立。最も喜ばれているのが、子どもの一時保育。保育士などの資格を持つボランティアも加わり、無料で子どもの面倒をみる。他にも子育ての悩み相談や虐待の通報など何でも受け付けている。自治会の枠を超えた徹底的なサービスだ。

行政やってないからって見向きもしないで、放っておくことできないじゃないですか。そういうときこそ、やっぱり自治会の底力ってのは必要なので。自立していく自治組織こそ防犯とか防災とか、それから住民が安心して過ごせる町を作るっていうことは、やっぱりね、自立しなきゃいけないんですよ。行政に頼らない町を作るっていうことが一番の私の根本的な考え方だったので。それが自治組織の本当のあり方じゃないかなと。住民に必要とされる町おこしをしたいっていう思いは、すごい強かったです(佐藤さん)

・自治会は頼りになる。そんな考えが若いお母さんたちを中心に広がり、見守りや普段のイベントなどにも積極的に参加してくれるようになった。

<各地からの視察が相次いでいる>
・どうしたら住民同士の結束力を強め、住みやすい環境を作れるのか?今、大山団地には全国からの視察が相次いでいる。

これぐらいの規模の団地で、こういうふうにすごいしっかりまとまって活動できているのって、なかなか聞いたことなくてすごいなって思うんですけど。なんで他の団地だとこういうふうになっていないのか、要因というか…(視察に来た男性)

自治会が「ジジイ会」ではダメ。高齢者の方がなりすぎて、ずっと何年も続いていると若い人たちは入ろうという気持ちにはなりません。だから高齢者の方には「俺が若い時」という言葉を禁句にした。それが若い人が居心地がよくなる会の運営なんですね(佐藤さん)

自治会にある意味サービスしてもらうって話じゃなくて、自治会なんだから自分たちで、やっぱりそういう自治組織を作っていかなくちゃいけないっていう、自分たちの問題ですよね(視察に来た男性)

住民がやっぱり自らこういうことをしたいっていうことを発言できるような場所を作っていかないと、なかなか発言できないと思うんです。待ってるってことも、そこに一人一人に手が届くわけではないので。活性化もあるし、人と人とのコミュニケーションの場所を、数を増やしてあげるっていうところがすごいいいのかな(佐藤さん)

<認知症の家族を介護する人たちの集まりも>
・団地の課題は自分たちで解決する。その動きは今や自治会だけにとどまらない。団地の一室に集まったのは、若年性認知症の家族を持つ介護者たち。お茶を飲みながら、つらい介護の悩みを打ち明けることで少しでも気が晴れればと始まった。
・会を立ち上げたのは、鈴木廣子さん(71)。10年間にわたって認知症の夫の介護を経験した。介護をしていた当時は、誰も相談できる人がいなかったという。夫が変わり果てていく悲しみを一人で受け止めるしかなかった。
・ふさぎ込んでいた鈴木さんをサークルで活動するように誘ってくれたのが、自治会の佐藤さんだった。団地の仲間と一緒に過ごす時間が少しずつ鈴木さんを変えていった。
・介護者のための会を立ち上げて1年半。鈴木さんは今、新たな挑戦を考えている。それは「認知症カフェ」と呼ばれる認知症本人のための居場所を作ること。認知症になると自宅に閉じこもりがち。地域の人たちと交流できる場所を作ろうというのだ。

もうちょっと色んな所から、地域の人に来てもらうためにカフェをやりたいなって。それとあと働くスタッフ、人と人との出会いの中で心地よくいられる。こういう場所がなかったら困るだろうなと(鈴木さん)

・認知症カフェを開くには、場所や費用の確保が必要。社会福祉協議会の職員に助成金をもらえないか相談する。

本当に能力もないでしょ、財源もないでしょ、何もない。ただ熱い思いで始める、始めてしまったことだから。微力だけど頑張るしかない。思いだけが先に行ってる(同上)

<昨年から自治会長を務める男性>
・8月下旬、大山団地の夏祭り。6月の運動会と並ぶ一大行事だ。夜の盆踊りの準備に取り掛かるのは、15年にわたって自治会長を務めてきた佐藤さんの後任である橋本久行さん(57)。自治会の若返りが必要だという佐藤さんの説得に折れて去年、会長を引き受けた。建設会社の社長を務めている。

みんな支えてくれるからできるんであって。大変といえば大変だけど、しょうがないんじゃない。受けた以上はやるしかないから(橋本さん)

・この日は夕方からあいにくの土砂降り。でも中止にはならない。橋本会長は万が一に備え、近くの小学校の協力を得て体育館を押さえていた。さすが経営者、抜かりはない。
・大山団地の活動に対して、今では自治体や学校も協力してくれるようになった。「困った時はお互いさま」大山団地の精神は地域にも広がっている。

<13年ぶりに起きてしまった「孤独死」 解決の糸口がなかなか見えない>
・しかし今、大山団地は大きな変化にさらされている。ここ数年、団地の入居者が様変わりしている。去年、東京都の条例が改正され、障害のある人や難病患者などが優先的に入居できるようになった。しかし病気や障害は個人情報とされ、自治会にすら知らされることがない。このため、今まで通りのやり方では住民同士の見守りが難しくなっている。
・そんな矢先、団地の一角に救急隊員の姿が。自治会の役員もすぐに駆けつけた。既に亡くなっていた。一人暮らし、67歳の男性だった。今年2月に入居したばかり。身体的な障害があり、市の職員とは話しても近所付き合いは無かったという。死後3日は経過しているとみられる、いわゆる「孤独死」だった。
・この一大事を受けて橋本会長は各地区の代表に呼びかけ、緊急会議を招集した。付き合いの難しい新たな入居者をどう受け入れればよいのか。

一番最初、今年の2月頃ですか、私接触したんですけど。そのときは名前も言わないし、何にも言わないから。もう俺は一応ここ決めたけれど病院に行くからっていうんで、名前も何も言わないでタクシーに乗って行っちゃったんですよ。隣近所にも入居したってことを言わないし、本人次第なんじゃないですかね、孤独死って。かっこいいこと言いますけど、隣同士の接触も何もしない人が、こちらから何言ったって対策できない。本人次第ですよ(亡くなった人が住んでいた地区の代表)

最初入居したときに、そういう説明したんですか?(別の男性)

いいえ、だから名前も何にも言わない(区長)

それはだから都へ言わなきゃダメよ。住宅局に言って名前聞かなきゃ。今それでもね個人情報だ何だって、すぐ最初にそういう言葉が出るから、それこそ民生委員で夫婦で行ってくれなきゃ話もできないですよ(別の男性)

今の話は東京都とか市役所なんか、いろんな情報を知ってて個人情報だから私どもに流さなかった。それも原因ですし、その人が周りの人に要は打ち解けてなかったってのも、人それぞれでそれも原因かなっていうふうな気もします。それはそれとして、これからそういう方がどんどん大山団地に増えてくると思うんですよ。いろんな対策を今してきて、それがずっと続いているということで、この辺でちょっともう1回、見直そうかなっていう話もありまして。今、皆さんにこういうふうに聞いてみた次第です(橋本会長)

・13年ぶりに起きた孤独死。解決の糸口はなかなか見い出せない。自治会の役員たちが残り、話し合いは2時間近くに及んだ。

行政と(住宅供給)公社の意見も聞きたいし、案を練っていかないとダメかもしれない(同上)

・翌日、橋本さんは佐藤さんにアドバイスを求めた。難しい時代になってきたと佐藤さんも感じている。

個人情報っていうので、すごいそこら辺が厳しくなっているので、私たちが個人的に訪問してそれでその方を認識しなきゃいけないっていうところが、昔と違って今の方が大変です。これからのこういう社会での私たちの自治組織を運営する意味では、やっぱりもっとしっかりとした行政側とのタイアップでやっていかなかったら無理だと思います(佐藤さん)

・今までのやり方は間違っていない。行政をもっと巻き込めないかと話し合った。

<認知症の患者が集えるカフェを作ろうとする女性の思い>
・認知症の人自身が集えるカフェの開設を目指す鈴木さん。やって来たのは故郷の長野県飯田市。亡き夫もここに眠っている。夫が亡くなって1年。振り返ると鈴木さんは後悔の思いに襲われることがあるという。なぜ自らの病に苛立つ夫を優しく受け止めてあげられなかったのか。居心地のよい場所を作ってあげられなかったのか。その思いが認知症カフェを作りたいという鈴木さんの挑戦に繋がっている。

お父さんのおかげで、いろんな人にいろんな出会いがあって。お父さんが病気にならなければ出会いはなかったというか。いろいろな勉強もしなかっただろうし。かわいそうな病気だったけれども、やっぱり周りの理解とか家族の理解とかね、そういうのがもうちょっとできてきたらいいなと思いますよね。これから実現に向けて頑張っていかなくちゃいけないかなと思っているんだけどね(鈴木さん)

・9月、認知症カフェができたら真っ先に招きたいと思っていた女性が訪ねてきた。団地の行事で知り合った種山佐和子さん(75)。以前、地域で民生委員をしていたという世話好きな女性だ。認知症カフェではスタッフとして手伝ってほしいと声を掛けた。

<仲間の手作りで開いた25歳で亡くなった男性の「偲ぶ会」>
・「向こう三軒両隣。困ったときはお互いさま」。団地をこまめに回って声をかける佐藤さんの日課は、変わらず続いている。この日、訪ねたのは20年来の付き合いがある友人だった。
・5歳からこの団地で育った園部建人さん(享年25)。統合失調症を患っていたが、団地にみんなからいつも気にかけられていた。
・今年6月、運動会の日の映像。この日は親子揃って元気に参加していた。急性すい炎で亡くなったのは、その僅か2か月後のことだった。
・実は園部さんは経済的な理由からお葬式をあげることができなかった。そこで佐藤さんたち団地の仲間が、建人さんを送る会を開こうと提案した。
・1週間後、建人さんが幼い頃よく遊んでいた集会所が「偲ぶ会」の舞台になった。団地の友人たちが会の準備を買って出てくれた。
・祭壇は集会所のテーブルを組み合わせた手作り。花が好きだった建人さんのために、たくさんの花を飾った。食事も仲間の手作り、キュウリの塩もみにゆで卵。そしておにぎりとお菓子。つつましい会の支度が整った。
・さよならも言えなかった仲間が、ようやく建人さんと挨拶を交わした。そして思い出話に花が咲いた。夜遅くまで団地の人たちの弔問が途切れることはなかった。

<今後も活動は続いていく>
・これからの大山団地を担っていく自治会長の橋本さん。佐藤さんとともに立川市との交渉に臨んだ。新しい入居者についての情報をもっと教えてほしいと市の職員に求めた。行政も巻き込んだ、新たな孤独死ゼロへの挑戦が続く。
・大山団地に認知症カフェの開設を目指す鈴木さん。助成金の申請書を完成させていた。来年春のオープンを夢見て準備を進めている。
・そして佐藤さんは今日も団地内を駆け回っている。
・「向こう三軒両隣。困ったときはお互いさま」。おせっかいで、ちょっと面倒くさい。けど、住むと何だか温かい。大山団地の模索は今日も続いている。

(2016/11/8視聴・2016/11/8記)

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