【ETV特集】
「アンコール つかさ18歳 人生を取り戻したい~被虐待児2年間の記録~」
(Eテレ・2016/10/15放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
<感想>
継父からの虐待を受け児童養護施設で暮らすようになった少女の2年間を追ったドキュメントのアンコール放送。私は初回放送も観ていましたので2度目の視聴となりました。
最初に観たときも釈然としなかったことが2度目でもモヤモヤとしたものとなっています。というのは、離婚・再婚を繰り返した彼女の母親についてです。
児童相談所に保護されるようになった原因は3番目の継父からの暴力。そのことを司さんは振り返って「母親を守りたかった」と言いましたが、私は逆だろと思いました。母親なら自分の子どもをなぜ守らなかった?虐待する男に対して行政や警察も含めて取るべき対応がいくらでもあったでしょう。
そして娘の進学希望を真っ向から反対し、その上で高校卒業して就職するのなら同居したいと言う。職員の方々が心配したように、娘の給料をあてにしているのではないか?また、再婚相手との子どもの面倒を押しつけるつもりじゃないのか?娘との生活を再開したいのなら何故もっと早い段階で迎えに来なかったのか?他人事ながら、彼女の行く末が凄く心配に思えました。
もし自分が同じ境遇にあったら、絶対に親と袂を分かちます。そして1~2年は住み込みか何かで必死に働き、20歳までにイラストの専門学校の1年分の学費を貯めて独力で進学しようとしますね。
司さんと母親は「友達のような(良好な)関係」と言いますが、親子が友達のようなって意味不明。はっきり言って「けじめがない」「親の自覚がない」の言い間違いではないかと思います。
児童相談所や児童養護施設という社会的セーフティネットは絶対に必要ですが、それと同時にネグレクトや虐待に対して加害者側を矯正する施設も必要だと痛感しました。家庭裁判所等の決定で懲役並みの拘束力をつけてもいい。海外などの事例があるかどうか知りませんが、そうしたものも必要ではないかと思いました。
あともう一つ指摘しておきたいことが。以前「貧困ソムリエ」という異名を持つ、片山さつきとかいう国会議員に相応しくないどころか生きとし生けるものとしての資格も問われかねないゲスが、別のNHKの映像について「ニセ貧困」とか言ったケースがありました。まさか「誕生日ケーキ」や「お寿司」とか観て児童養護施設にクレームを付ける愚か者はいないでしょうね。そんな余計な心配をしなければならないほど、腐っているのは腐っているので、蛇足ながら付け加えておきます。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
サンタさんからプレゼントもらうじゃん。あれが親だってことを知ったのを覚えてる(司さん)
(何歳くらい?)
幼稚園とか保育園くらいだったと思う。まだ小学生には上がってない。寝たふりして(見たら)プレゼント置いていったのが親っていう。びっくりだった(同上)
(何番目のお父さん?)
2番目(同上)
(その後の思い出は?)
どこか水族館に行ったことがある。1回、朝早く(家を)出て(同上)
(誰と?)
3番目のお父さんのときに(同上)
(それが、いつくらいから司ちゃんに対してつらくあたるようになったの?)
小4くらいじゃない。自分の子じゃないのもあるし、私が3番目のお父さんに慣れなくて。お父さんが私のことを気に食わないみたいで、生活で、手を上げるようになっちゃって。
寝る場所もお布団はあるけど「敷くな」って言われていて。畳一畳あるじゃないですか、あそこから動けなかったんですよ。「トイレ以外は動くな」って言われてて。ずっとトイレ以外は正座してたんですよ。
日曜は本当に3食ない感じだったんで。お腹とかもすいちゃうから、つまみ食いとかしちゃって。そういうの気付くじゃないですか、異変。「食っただろ」みたいになって、たたかれたり蹴られたりとか。
学校にいるときだけが自由がきく感じで、家に帰ったら「(継父が)きょうもいるんだ」って感じで、恐怖と不安のごちゃまぜで(同上)
<親からの虐待があり児童養護施設で暮らす少女>
・司さんは小学4年生のとき親からの虐待により児童相談所に保護された。以来、親と離れて児童養護施設「光明童園」(熊本県水俣市)で暮らしている。撮影を始めたのは2014年6月、司さんは高校2年生だった。
(帰るのが)いつも夜遅いんで(職員に)洗ってもらいます。今日はちょっと早いんで、たまには洗います(司さん)
(部活は何時まで?)
今日は外練だったんで6時半すぎくらい(同上)
(遅いときは何時くらい?)
遅いときは電車なんで9時前とかになります(同上)
・この施設で生活するのは2歳から18歳までの約70人。皆、家族と暮らせない事情を抱えている。炊事や洗濯をするのは施設の職員、学校の行事には保護者として来てくれる。
・夕食後、自分の部屋で過ごす司さん。くつろぎのひととき。大好きなイラスト、施設に来てから趣味になった。絵の中では自由になれるのが魅力だという。
・「自慢の一枚は?」と尋ねた。中学1年生のときに描いた母に抱かれる幼い自分(の絵)。しかし司さんには、母との温かな記憶がない。物心が付いたときは母の再婚家庭にいた。生い立ちを聞くことも、幼い頃の写真を見せてもらうことも出来なかった。
・詩が添えられていた。
「母のぬくもり」
すらりとした体
さらさらな髪
細い手
それは私を
抱きしめるための手
お母さんと私の心は
いつも一つ
・母は虐待した3番目の父と数年前に離婚。今は別の男性と再婚し、2人の子をもうけている。自分が施設に残る理由は、引き続き前の父から守るためと聞かされている。司さんは一つの疑問を抱いてきた。
本当に愛情をこめて育ててくれてたのかな。その手前に暴力とかがあったから。それとは別に関係ないけど、ごちゃごちゃしてたから記憶が(ない)。写真もないから、だっこしている写真とかあれば、本当にしてくれていたんだねって見れば伝わってくるけど。言葉だけじゃ本当なのかなって戸惑いがある(司さん)
・施設では心に傷を負った子どもたちにカウンセリングなどの取り組みを行っている。職員たちは司さんについて話し合いを重ねていた。課題は親に愛されたという実感がないこと。職員たちはこのまま司さんが社会に出てしまうことを気にかけていた。
周りを信用できていない。信頼関係のなさ。信じられる人がまだいない。自分しか信じられない(職員)
もう高校2年生で次は3年生。社会に出ていきますよね。ちょっと心配ですよね(別の職員)
・児童養護施設には原則18歳までしかいられない。司さんがこの施設を出るまであと1年半。
ネグレクト(育児放棄)とか虐待を受けてきた子たちは、どうしても大人への不信感とか人との関わり方でうまく自分を出せないという子もいるし。一人で抱え込んでしまって職場でトラブルを起こしてしまったりとか、誰にも相談できずに仕事を辞めてしまうケースもあります(心理療法担当職員)
・2014年7月。この日、職員が司さんを呼び出した。彼女に見せたいものがあるという。数日前、職員たちは離れた町に住む母に会い、生い立ちが分かるものを探してきた。
・初めて見る幼い自分の姿。母は成長の記録を残してくれていた。母に肩車される写真もあった。
お母さんから聞いたお話です。どんな子だったのかっていうのが、すごくごはんを食べていた。元気だった。離乳食を食べる頃からお利口さんで、手のかからない子だった。もの静かで。お母さんはあなたと一緒に過ごす時間を大切にしたいという気持ちがあって、休みの日とかはお弁当を持って公園に行ってみたりとか、いろいろされていたそうです(職員)
<高校卒業後、進学したいという希望はあるが…>
・2015年3月。司さんが施設を出るまで残り1年となった。高校卒業後の進路をどうするのか考えなければならない。この日、担任の先生との進路面談に呼ばれた。
進学、就職、今の気持ちはどっちですか?(担任)
今のところは地元の八代か熊本市内の寮とかが付いてるところで介護の仕事がいいなと思って、一人暮らし(司さん)
じゃあ進学というのは考えてないのかな(担任)
はい(司さん)
・夕食後、司さんはいつものようにイラストに没頭し始めた。職員への誕生日プレゼントだとか。棚にあるものを見つけた。イラストを学ぶ専門学校のパンフレット。
(どうして取り寄せたの?)
行きたいなっていうのがあって。自分絵が好きだから、本当は絵の仕事に就きたいというのがあって、イラストレーターとかCDのジャケットとか制作したいんですよね。でもやっぱり環境が厳しいから、他のみんなと違うっていうのもあるし、そう簡単には行けないというのもあって。安定してる家庭ならお金を出してくれて行けるんだろうけど、それは難しいから。持っているだけみたいな(司さん)
・専門学校に行くには数百万円がかかる。夢の話は母にも施設の職員にもしていなかった。
・進路を決める大切な1年。この日、職員たちは司さんの心の状態を確かめた。自分を客観的に見つめ、心の問題をあぶり出す。気になる回答があった。
「大事なことは誰に一番聞いてほしいですか?」
回答は「自分」。
今から就職先を決めますって大事なことだよね。誰に聞いてほしいの?自分一人じゃ多分決められない話だと思うよ(職員)
いや、学校の先生とかでもいいと…別に親でもいいんだけど。あんまり入ってきてほしくない、自分の領域に(司さん)
・促されて書き加えたのは「親」そして「先生」。
・9歳のとき「ご飯をほしい」と言っても貰えなかった。「布団で寝たい」と言っても寝かせて貰えなかった。食事をしながら司さんは取材者にこう言った。
あまり人には頼らないようにというか、頼っても何もしてくれてなかったからね。昔のこともあるかもしれない。(心を)許せないじゃないけど、うまくいけないんだよ。うまく甘えられないじゃないけど、言えないんだよ。素直じゃないんだよ(司さん)
・2015年6月、司さんが施設を出るまで残り9か月。高校3年生になった彼女はある場所へと向かっていた。大学や専門学校が集まる進学説明会、憧れていたイラストの専門学校があった。
絵を描くの好きなんだね。どんな絵を描いているの?(担当者)
結構個性的な絵を描くねって言われます(司さん)
・諦めていたはずの進学、しかし進路について調べる中で奨学金の存在を知った。
とにかく描いています、暇があれば(司さん)
絵、大好きやね(担当者)
本当に大好きです。「飽きないの?」って言われます。大好きですね(司さん)
ぜひ来てくださいよ(担当者)
行きたいですよ(司さん)
・「誰にも頼らず進学できる」。この日の夜、司さんは施設の職員に専門学校のパンフレットを見せた。
・翌日、司さんが施設の職員と学校にやって来た。進路を話し合う三者面談。
結構今、どんなふうなことを考えてますか?(担任)
進学がいいなと思っているんですけど。就職はないです、頭に。進学がいいなって(司さん)
本人の気持ちはすごく分かるんですけど、現実的なところであてと言いますか(担任)
お金がかかってくるじゃないですか、そこら辺を奨学金なりとは思うんですけど(施設職員)
・司さんが奨学金を受けるには保証人が必要だと分かった。頼る家族は母しかいない。
進学したいと思っているのであれば、お母さんたちを動かして一度話し合いをする場を設けないとだめ(担任)
・母のもとには今の義理の父との間に生まれた5歳と2歳の妹がいる。司さんは自分のことで迷惑をかけるわけにはいかないと思い続けてきた。夜、司さんは思い切って、母に進学を考えていると伝えた。
・翌朝、いつになく元気がない。母に猛反対された。「奨学金を一人で返せるのか。あなたの将来のために考え直しなさい」と言われた。
「それ本気で言ってるの」って。「進学したい」って言ってるのに、絶対ってわけじゃないのに言ってるだけなのに、何か知らん。簡単に言えば「進学するな」って言ってるようなもんじゃん。「就職しとけ」みたいな。あんなに言われたら行きたくないもん。ならもう就職でいいじゃん(司さん)
・今までたくさんのことを我慢してきた。見かねた職員が間に入り、司さんと母が直接話し合うことになった。どうすれば母に分かってもらえるのか。
意欲は分かります。あとは現実(職員)
とにかくあれだよね。「就職しろ」って言ってるんだもんね。もう嫌なんだよ、それが(司さん)
私たちはね、司ちゃん。小学生で来て、いろいろ頑張ってきたじゃない。一番頑張ったのは司ちゃんで、自分の夢に向かって進もうと思っている。それを応援したいと思っている(職員)
もうママさんの言うこと嫌やで。今回ばかりは反抗期だからね。今までは聞いてきたけど。職業に関しては私が選ぶから(司さん)
・司さんは意志を貫く決意を初めて口にした。
・2015年7月、職員とともに司さんは母のもとに向かった。母の前でずっと下を向いていた司さん、職員に促され「イラストを学びたい」と泣きながら話した。
・3時間以上続いた話し合い。結局、まずは就職することになった。しかし「お金を貯めて専門学校を目指す」と母に宣言した。
・将来は働きながら夜間学校などでイラストを学ぶつもりだ。理想の結果ではない。でも夢を諦めない道を自分で選ぶことができた。
<就職先が決まったが、施設を出てからは親と暮らすことに>
・2015年10月、施設を出るまで半年となったこの日。嬉しい知らせが届いた。
合格しました(司さん)
・介護の仕事の採用内定通知。ここには自分のために悩み、喜んでくれる人がいる。
・2015年12月、司さんが施設を出るまで残り3か月。朝から職員たちが話し込んでいた。司さんの母が「施設を出たら一緒に暮らしたい」と希望し、司さんも同意したという。
・この施設では、社会に出る子どもに一人暮らしを勧めることが多い。かつて就職した子どもの収入をあてにする親がいたからだ。しかし司さんの場合、両親には仕事がある。そして何より本人が同意している。施設も同居に賛成した。
・職員が心配しているのは、司さんが母にどんな思いを持っているのか。
今後の親子関係に問題が出てきますかね(職員)
司さんは「そこは触れんでいいよ」って言うかもですね。にしてもやっぱり、何かこだわりが残っていたりすると解決してから送り出さないといけないから(別の職員)
・年末、荷物をまとめる司さんの姿があった。お正月を母のもとで過ごすため一時帰宅するという。
(楽しみ?帰るのは久々?)
そうだね。ゴールデンウィーク帰ってないから。帰ったっけ?記憶がない(司さん)
(何か月ぶり?)
5か月ぶりとかじゃない?(同上)
・施設の事務所に母が迎えに来ていた。進路では対立した2人、だが普段はLINEでやり取りを交わす友だちのような親子。お互い過去の話題を口にしないという。
・2016年2月、司さんが風邪で寝込んでいる間に何やら準備が進む。いつも生活リズムに合わせて、それぞれに夕食を摂る施設の仲間たち。でも今日は都合を合わせてみんな集まった。司さんも風邪を押して部屋から出てきた。
・司さん、18歳の誕生日。「ハッピーバースデー」の歌をみんなが歌う。9歳のときから誕生日はずっとここで迎えてきた。自分と同じように親と離れて暮らす仲間たち。
・友だちがお小遣いを貯めて買ってくれたプレゼント。ずっと欲しいと言っていた時計だった。
・仲間たちと支え合いながら迎えた18歳。母からは「おめでとう」と書かれたLINEのメッセージが送られてきた。
<卒園、そして旅立ち>
・2016年3月8日、施設を出るまであと5日となった。職員と司さんが話し合う最後の機会。間もなく司さんは母と暮らす。職員は「母に対してわだかまりがないのか」と話を切り出した。
いろいろつらい思い出もあったと思う。それに関してはどう?大きくなった自分は、振り返ってみて受け止められたというか(職員)
そのときのお母さんの気持ちというのは?(別の職員)
お母さんは別にね、私のことを助けようとはしてた(司さん)
そのときはお母さんは…(職員)
恨んでないよ全然、誰も恨んではない。他人より自分を恨んでたことが多かった。生まれてきて嫌や嫌やみたいな感じ(司さん)
・「恨んでいない」という言葉の意味、直接問いかけた。
助けられないでしょうなって感じ。お母さんも助けようとはしてたんよ。大きなケガしたら大変だし。助けたいけど助けられない。見とくだけ。(継父に「やめて」と)言ったらお母さんも巻き込まれるから、犠牲になるのは自分だけでいいって感じ。家族を守る意味でお母さんにも助けてほしいんだけど、お母さんには傷ついてほしくないから「自分に当たるなら当たってください」的な感じ(司さん)
(どうしてそこまでお母さんを守りたい?)
お母さんだからだよ。産んでくれたけんね。大事にせなあかんでしょ(同上)
(お母さんとそういう話する?)
しない。過去のことだからね。つらくなるやん、お母さんが(同上)
・2016年3月12日、司さんが施設を出る前日。この春、社会に旅立つ子どもたちのためにお別れ会が開かれた。職員に甘えられる最後の夜。
・今年この施設を出るのは11人。自衛隊や造園業など皆、就職して自立を目指す。
・子どもたちが一人ずつ思いを語った。
私は小学4年生の2学期ぐらいに入ってきて、家と全然違う環境で最初すごい…。入ってきた当初の一番最初の印象はすごい人もいて、やっぱ人と全然関わることが家ではなかったので、すごいちょっと不安も抱えながら入ってきて。やっぱお布団に入れたことが一番思い出で…。家でやっぱ…。布団で寝ることがなかったので、初めて布団で寝たときはすごい…。やっぱ幸せだなって思って。なんか、すごい…もう入ってきてから今まで、すごいあっという間だなって感じで。全然、卒園っていう実感もなくて。まあ正直さみしかったりします。でも明日はもう出るので…さみしいんですけど近くなので、お仕事とかが安定してきたら顔を出したいなって思ってます。八代なので、いつでも先生たちも会いに来て下さい。ありがとうございました(司さん)
・旅立ちの日。母が今の義理の父と娘たちを連れて迎えにきた。9歳で施設にやって来た司さん。18歳の春、もう一度、家族と向き合う道を選んだ。
<その後、社会人となった彼女は…>
・1か月後、予期せぬことが起きた。熊本地震。司さんの暮らす町も震度5強の激しい揺れに襲われ、余震に脅える日々を送っていた。
・司さんは仕事が休みのこの日、母とともに台所に立った。時間を見つけては母に料理を教えてもらっている。9年ぶりに動き出した母と子の時間。
・司さんは施設を出る直前、母に一通の手紙を書いていた。
この18年間、いろいろなことがありました。思い出といっても家族との思い出は少ない気がします。小4から童園に来て時々帰るくらいで、一緒にはいなかったので。
本当は誕生日とか家族のみんなに祝ってほしいと思ったりします。家族と一緒にいるときが一番安心というか、生きていると感じます。
何だかんだいって、お母さん好きなので長生きしてほしいです。仲の良い親子でいましょう。ありがとう。司。
・この春、介護福祉士の国家試験に合格した。毎月5万円をイラストを学ぶ夢のために貯めている。施設には司さんが描いたイラスト飾られていた。
(2016/10/17視聴・2016/10/17記)
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