【ETV特集】
「武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~」
(Eテレ・2016/9/10放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
<感想>
アフガニスタンで様々な支援活動を続けている日本人医師のドキュメント。中村医師の話は殆ど知らなかったのを恥ずかしく思いました。彼の活動はノーベル平和賞に値するほどのものでしょう。本来、彼は医療に専念して誰か土木工学の専門家がアフガニスタンで活動すればいいものを、彼自身が独学で用水路を敷いてしまうというという行動力、本当に頭が下がります。
日本人がこういう形で貢献できるのも、日本という国が非軍事分野で世界で貢献しているから信頼を得ていたからだと思います。これが(事実上の)軍隊が乗り込んでいって行えば作業的には効率的かもしれませんが、現地の人たちの信頼は得られないし、自立心も芽生えないのではないかと思います。
そういう意味で、中村さんのような地道な活動を各地で続けていくことが大事なのであって、決して軍事部門で手を出してはいけない。この番組を観て本当に痛感しました。
自衛隊=軍隊の本質は「暴力機関」です。今そういうことを言うと、東日本大震災や熊本地震などの災害救助の姿を引き合いに出して、為政者のプロパガンダにまんまと感化された人たちがヒステリックに騒ぎますよね。でも自衛隊はレッキとした軍隊であり、人を殺傷する道具をもった組織であることは紛れも無い事実です。否定するなら武装解除して災害救助や人道支援に特化した組織に改組すればいいのです。
そうすると他国が攻めてくるとか言ってますね。中国、北朝鮮、ロシア?まともな神経があったらこの時代に単純な侵略行為をする国があるとでも。万万が一そんなことがあったときは、私は祖国を守るために徹底してレジスタンス運動に身を投じてやりますよ。そんな世迷い事を信じる方がどうかしていると思いますね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
9月11日の朝、
ジャララバードから
緊急の電話があり、
米国でのテロ事件を伝えられた。
テレビが
未知の国「アフガニスタン」を
騒々しく報道する。
ブッシュ大統領が
「強いアメリカ」を叫んで
報復の雄叫びを上げ、
米国人が喝采する。
みな何かに
とり憑かれているように思えた。
私たちの文明は大地から
足が浮いてしまったのだ。
それが無性に悲しかった。
(中村哲「医者、用水路を拓く」より)
あの状態であの地域で空爆を行うというのは、現場にいる者として考えられない状態だった。目の前で人が死んでるんですよ。そういう人たちを助けに来るとか、それならまだしも。そういう人たちの上に爆弾を落とすなんて信じられないような(中村哲医師)
・このときアフガニスタンは100年に1度と言われる大干ばつに襲われていた。飢えと渇きが既に多くの人々の命を奪っていたのである。
・中村哲は医師として何ができるのか、現地で考え続けていた。
診療所を100個つくるよりも用水路を1本つくった方が、どれだけみんなの健康に役立つのかわからないと医者としては思いつきますよね(同上)
・中村は白衣を脱ぎ、乾いた大地を潤す用水路の建設に乗り出した。
アフガニスタン!
茶褐色の動かぬ大地、
労苦を共にして
水を得て喜び合った村人、
尽きぬ回顧の中で確かなのは、
漠々たる水なし地獄の
修羅場にもかかわらず、
アフガニスタンが私に
動かぬ「人間」を
見せてくれたことである。
(中村哲「医者、用水路を拓く」より)
・あれから15年。干からびた不毛の大地は今、緑の沃野へと姿を変え始めた。戦乱のやまぬアフガニスタンで干ばつと闘い続けてきた医師・中村哲の記録。
<アフガニスタンで長年、医療活動を続けてきた日本人医師>
・(NHK取材班が)中村を撮影し始めたのは1998年。中村はアフガニスタンの山岳地帯に新たな診療所を建てようと考えていた。
あなた方が脈々と守ってきた文化があることは知っています。それを踏みにじるつもりは決してありません(中村)
私たちを気まぐれで助けて、すぐに去ってしまうのではないですか(現地の男性)
私がいつか死んだとしても、この診療所は続けていく覚悟です(中村)
・この地で長年にわたり医療活動を続けてきた医師・中村哲。中村とアフガニスタンの出会いは、今から32年前に遡る。1984年、国際医療NGOの医師としてアフガニスタンの隣国パキスタンに派遣された。そこで出会ったのが、戦乱の続くアフガニスタンから逃れてきた難民たち。ふるさとに戻っても医師も診療所もないと知った。
まあね、この…普通のドクターだとか医療関係者でね、この状態を見てほっといて逃げれるという人は、どうかした人でしょうな。他に誰もいないならね、やっぱり目の前で困っている人を見捨てるわけにはいきませんよね(中村)
・1991年、中村はアフガニスタンに診療所を開設し、医療活動を始めた。拠点としているのは東部のナンガルハル州。しかし活動はやがて一つの壁にぶつかることになる。
・2000年の夏、中村のもとに深刻な症状の子どもが次々に運び込まれた。
いつからですか(中村)
5、6日前からです(患者の親)
突然こうなったのですか(中村)
顔も胸も腰も全身です(患者の親)
接触性皮膚炎ですね(中村)
基礎に栄養状態が良くないというのがあります。それから衛生状態が良くないと。水で洗うだけでかなり良くなるんですが、しかし今それがなかなか言えない状態であるというのは、水そのものが欠乏している。こういうところにも影響が出てきているということでしょうね(中村)
・原因はアフガニスタンを襲った歴史的な大干ばつ。中村が村を回ると、飲み水のための井戸が完全に干上がっていた。水が出る数少ない井戸には人々が殺到し、僅かな水を巡り争いが生じていた。
・干ばつは農業にも壊滅的な打撃を与えた。全国で400万人が飢餓線上を彷徨った。
<3・11テロとアフガニスタン報復戦争>
・そんな中で起きたのがアメリカでのテロ事件だった。アメリカはオサマ・ビン・ラディンの潜伏先とされたアフガニスタンを報復攻撃。中村と日本人スタッフは隣国パキスタンに避難した。中村は当時の胸の内をこう綴っている。
「自由と民主主義」は今、
テロ報復で
大規模な殺戮戦を
展開しようとしている。
おそらく、累々たる罪なき人々の
屍の山を見たとき、
夢見の悪い後悔と痛みを覚えるのは、
報復者その人であろう。
瀕死の小国に
世界中の超大国が束になり、
果たして何を守ろうとするのか、
私の素朴な疑問である。
(中村哲 手記より)
・空爆開始から3か月の2002年1月。タリバン政権が崩壊すると、中村はアフガニスタンへ向かった。パキスタン側の国境付近は、空爆によりふるさとを離れたアフガン難民たちであふれかえっていた。
・難民たちに対し、国連は帰還プロジェクトを開始する。1家族あたり現金100ドルと食糧を配給し、アフガニスタンへの帰還を促した。これにより周辺国にいた380万人のうち約半数の180万人が復興への希望を胸に帰国した。
・しかしアフガニスタンで中村が目にしたのは、途方に暮れる村人たちの姿だった。豊かな穀倉地帯だっったナンガルハル州の田畑には、何一つ実りがなかった。
ここには全く水がない。これでは農業ができない(現地の男性)
生活するためのものが何一つありません。ここでは暮らしていけません(別の男性)
・生きるすべを絶たれ、復興どころではなかった。
この干ばつは長老に聞くと、数世紀なかったと思われるくらいひどい。こういう地域がアフガニスタン全土に散らばっているとすれば、当然食えない人がカブールだとか大きな都市に留まるか、あるいはまた難民化、再難民化するという現象がもうすでに始まりつつあるわけですね。だから160万人帰ったからといって良かったでは済まないと思いますね(中村)
(今、一番必要なことは?)
はっきり言って食うことですね。他のことは語弊がありますが贅沢な部分としか私はこの状態を見れば思えないですね(中村)
<白衣を脱ぎ、用水路の建設を決意した理由は>
・中村は白衣を脱ぐ決意を固めた。食糧と水こそがアフガン復興の礎。用水路の建設に乗り出すことにしたのだ。彼のもとには活動を支えてきた日本のNGO「ペシャワール会」に寄せられた寄付金約3億円があった。
食糧生産が上がらないから栄養失調になる。それから水が汚い。下痢なんかで簡単に子どもが死んでいくわけですね。そういう状態を改善すれば医者を100人連れてくるより、水路を1本つくった方がいいですね。病気の予防という観点からすれば、水路1本が医者何百人分の働きをするわけで、これも医療と命を大切にするという意味では理屈ではなく、直結しているわけですね。もちろん医療が無駄だとは決して言わないけども、背景にあるものを絶たないと決して病気は減らない、悲劇は減らないですね(中村)
・中村が用水路の水源として目をつけたのは、アフガニスタン有数の大河クナール川。7000m級の山々が頂く氷河を源流とするこの川は、干ばつの中でも1年を通じて枯れることがなかった。
・クナール川の水を用水路で荒れた田畑に引き込むことができれば、農業が再開できるのではないか。中村は設計図の制作に取りかかった。しかし土木技術や用水路に関する知識は全くない。日本の専門書を参考に自分で図面を引いた。まずは最初の2年で12kmの用水路を開通させることを目標にした。
完璧な用水路を作ろうとすれば5年から7年かかる。重要なのは早く水を引いて難民たちを故郷に戻すことだ。とにかく早くやろう。無謀な計画だと恥じることはない(中村)
・中村の構想「緑の大地計画」。用水路はクナール川を出発点に干上がった大地を通って、最終目的地ガンベリ砂漠を目指す。完成すれば約3000ヘクタールの田畑を潤すことができ、10万人の生活を支えられる。無謀とも思える計画にスタッフから不安の声があがった。それでも中村の意志が揺らぐことはなかった。
毎日、数百人の子どもが命を落としています。さらに多くの人が水不足のために病気になっているのです。私たちの目的はただひとつ。自分たちで食べていけるようにすること。この用水路建設にアフガニスタンの未来がかかっている(中村)
・2003年3月、ついに緑の大地計画が動き出した。足りない人員を補うため、中村は周辺の農民たちに参加を呼びかけた。
・半信半疑ながらも田畑が蘇ることに一縷の望みをかけた農民たちが協力を申し出た。参加する農民の数は日に日に増えていった。噂は広がり、難民キャンプなどに避難していた人々が遠くからも通い始めた。
・働いた人たちには約240円の日当が支給された。干ばつで農作業ができない彼らにとって、家族を養う唯一の支えとなる。
・中村は用水路の出発点となる取水口の工事に取りかかった。取水口とは川から用水路に水を引き込む入口、失敗すれば用水路に水は流れない。ここで最も重要なのが水を安定して引き込むための仕掛けづくりだ。
・用水路に水を取り込むには、川の中に構造物を造る必要がある。それによって川の水が押し上げられ、用水路に水が流れる。この構造物を「堰」という。
・この日、中村は取水口の上流に堤防を築いていた。堤防で遮ることで川の流れを中州の向こうに押しやり、堰の建設地に水が来ないようにしようというのだ。そうすれば堰の工事をスムーズに行うことができると考えた。
・川に次々と土砂を投入していく。中州まであと20m、ここで予想もしない事態に陥った。これ以上、堤防が延びなくなってしまったのだ。いくら土砂を入れても流され、積み上がらない。中州との距離が縮まり川幅が狭くなると、川の流れは予想を超える激しさとなっていった。
・中村は次の手を打つことにした。重さ800kgのコンクリート資材、これならば流されずに川底に留まるはず。しかしクナール川の急流はそれさえも押し流した。圧倒的な大自然の威力に、中村は設計を見直さざるを得なくなった。
・計画では次の春までに取水口を完成させることになっている。残りあと2か月。
・春になり雪解け水が流れ始めると水の勢いは更に増し、工事は次の冬まで先送りするしかなくなる。
・一方、用水路の入口では護岸工事が進められていた。強い水圧から守るため、中村は「蛇籠」を取り入れた。江戸時代から日本で使われていた伝統的な治水技術だ。鉄線で編んだ籠の中に石を敷き詰めた簡単な構造だが、その強度はコンクリートに劣らない。石と鉄線さえあれば造れるため、壊れてもアフガン人自ら補修できるのが最大の利点だ。
農民全員が石工といってもいいぐらい日常生活の中に石造りのものが溶け込んでいまして、自分たちの家、畑の垣根、そういうのも全部自分たちで石で造るんですね(中村)
・今後、用水路を現地の人たちが維持・管理していけるよう、中村はあえて伝統的な工法を選び取っていた。
・この頃、アフガニスタンではタリバンが再び活動を活発化させ、治安が悪化していた。中村が活動するナンガルハル州でもタリバンと米軍による戦闘が散発していた。建設現場の前をテロ掃討作戦に向かう米軍の装甲車が頻繁に通るようになり、作業員に緊張が広がった。
・中村はあるとき米軍のヘリコプターから突然、機銃掃射を受けた。
私が見たのは5機だった。そのうち2機がプロペラ1つのやつでしたね。攻撃用っていうんですかね。それが旋回してきて、ここを機銃掃射したわけですね、危なかった(中村)
・戦乱の中でも干ばつとの闘いは続いた。中村が頼りにするのは、40度を超える炎天下でも働き続けるアフガニスタンの男たち。
・もともとタリバンの戦闘員だった者や、かつて米軍に協力していた元傭兵たちが、今は武器をツルハシに持ち替え加わっている。
自分たちの手で国を立ち直らせたい。また農業をやりたいんだ(男性)
農業ができるようになれば、子どもに食べさせることができる。出稼ぎに行かずに家族と一緒に暮らせるんだ(別の男性)
極端な話が今、治安が悪いって言ってますけれども、泥棒に入る人だって強盗に入る人だって、別に遊び金が欲しいわけじゃないんですね。家族を食わせるために人のものに手を出したり、米軍の傭兵になったり、あるいはタリバン派、反タリバン派の軍閥の傭兵になったりして食わざるを得ない。やむを得ずそうするけども、決して誰も望んでいない。とにかく平和に家族がみんな一緒にいて、飢饉に出会わずに安心して食べていけること。というのが何よりも大きな願いというか望みじゃないですかね(中村)
<乗り越えた壁はふるさとの堰だった>
・乗り越えなければならない壁がまだ残っていた。クナール川の急流の中で、どうやって取水口の工事を進めていくのか。模索し続けた中村は、ある答えにたどり着いた。
着想は筑後川の山田堰(中村)
・そのヒントは中村のふるさと、福岡県にあった。山田堰。200年以上前に完成し、現在も暴れ川と呼ばれる筑後川で崩れることなく1年を通じて安定した水量を用水路に送り続けている。重機もない時代に、どうやって先人たちはこの堰を築いたのか。
・江戸時代に描かれた建設中の山田堰の絵図、堰の先端部分が取水口から斜めに延びていることが分かる。ここに堤防で川の水を遮断しなくても急流の中に直接、堰をつくれる秘密が隠されていた。
・川の流れに対し直角に堰を築こうとすれば、まともに水圧を受け堰は壊れやすくなる。川の流れに対し斜めに堰を延ばすことで、水の抵抗を分散しながら工事を進めることができるのだ。
・中村は堰の工事に取りかかった。山から巨石が次々と運ばれてくる。この巨石を山田堰に倣い、川の流れに対し斜めに置いていく。巨石が川底に留まり堰となる。急流の中でも堰は順調に延びていった。
・つくり始めて1か月、工事は山場を迎えた。これから川の一番深い地点に堰を延ばさねばならない。選りすぐりの巨石を投入する。石が水面から消えてしまった。水深は優に5mを超える。次々と巨石を投入する。
・16km離れた山から重機に載らないほど大きな石を転がして運んできた。重さ約5トン、ようやく巨石が水面に姿を現した。一番深い部分が巨石で埋まり、ほぼ予定の地点まで到達した。
(一番大変なところは乗り切った?)
一番深いところは越して。やっぱり急がば回れで、江戸時代の技術書に書いてあった通りですね(中村)
・全長220mの斜め堰がクナール川に姿を現した。これで取水口の準備は整った。設計を見直してから2か月、川の水位が増す雪解けの季節にぎりぎり間に合った。果たして、この堰でクナール川の水は無事に用水路へと流れるのか。
・着工から1年の2004年2月、用水路を1.6kmまで掘り進めたところで中村は水を流してみることにした。
・クナール川の水は水門を通って用水路へと注ぎ込んだ。水は順調に流れ、乾いた大地を潤していく。
・中村は荒野を流れる美しい用水路となるよう「真珠」を意味する「マルワリード用水路」と名づけた。
・翌日、思わぬ事態が発生した。取水口から1.2km地点の水路が決壊していた。川沿いだったため埋め立てた地点だった。
蛇籠の隙間から水が入り込んでしまいました。下が岩盤ではなかったので、泥が溶けて蛇籠が倒れたのです(現地スタッフ)
・事態を聞きつけた村人たちが続々と現場に駆けつけた。男たちの動きは素早かった。
私は呆気にとられて見ていた。
彼らは本能的に
地盤の弱点を見抜き、
改修のやり方を知っているのだ。
流水と土石の性質を
幼いときから会得し、
この乾燥地帯で生きる術を
身につけているとしか思えない。
現地農民の驚くべき勘と根気は、
今後の作業を進める上で、
大いなる自信を与えたのである。
(中村哲「医者、用水路を拓く」より)
・その後も用水路を掘り進め、出来た所から水を流していった。
<用水路が完成、多くの人びとに恵みを運んだ>
・着工から7年の2010年、用水路は遂に最終目的地ガンベリ砂漠に到達し、総延長25kmの用水路が完成を迎えた。
・中村は用水路の両岸に柳を植えた。柳の根は蛇籠の石の間を通って根を下ろし、護岸の役割を果たす。せせらぎの傍らに涼しげな緑陰が広がった。
・そして、春。用水路周辺には緑の小麦畑が一面に広がっていた。干ばつにより干上がった大地が広大な緑の畑へと姿を変えた。
・ふるさとを離れていた人たちが続々と戻り始めた。
昔は毎日のどが渇いて死にそうだったけど、水が来て暮らしが180度変わったよ。今は草花がいっぱいで、こんなに美しい自然があふれている(男性)
・実りの秋。かつて不毛の地だったガンベリ砂漠に黄金色の稲穂の波が広がっていた。これまで用水路を掘り続けてきた男たちは今、米の収穫に汗を流す。
稲刈りするには、もっと体力をつけなきゃ(男性)
まさか砂漠で稲刈りができるなんて思ってなかった。このことを人に話しても信じてもらえないんだ(別の男性)
・マルワリード用水路は5つの村落にまたがり、約10万人の人々に恵みを運んだ。
吾々は次の世代に
何を残そうとするのか。
沙漠が緑野に変わろうとする今、
木々が生い茂り、
羊たちが水辺で憩い、
果物がたわわに実り、
生きとし生けるものが
和して暮らせること、
これが確たる恵みの証しである。
世界の片隅ではあっても、
このような事実が
目前で見られることに感謝する。
(中村哲 手記より)
<モスク、学校づくりを進める>
・さらに中村は村人たちのたっての希望を受けて、ある施設の建設に取りかかった。イスラム教の礼拝所、モスクとマドラサと呼ばれるイスラム神学校だ。
・アフガニスタンの人たちにとってモスクは礼拝の場であり、心の拠り所でもある。人々が集い、時に村人同士の揉め事を解決するなど地域コミュニティーの中心的な役割を果たす。
本当に嬉しいです。モスクが出来ればお祈りができるし。本当に素晴らしいことをしてもらって、みんな喜んでいます(男性)
・この頃、米軍などがモスクやマドラサをテロリストの温床と見做し空爆していた。中村がそうした風潮にあらがい、地元の人々の依頼をあえて引き受けたのには理由があった。
水が来た時も勿論喜びましたけど、モスクが建つと聞いてもっと喜んだんですよ。「これで解放された」と言った。どういうことかと言うと、それまで自分たちが営んできた伝統的な生活が全て外国軍の進駐によって否定されてきたわけですね。イスラム教徒であることが悪いことであるかのような一種のコンプレックスが(村を)支配していたんですね。しかも周りがイスラム、イスラムって、何かもう蛇蝎のごとくというムードの中でね、やっぱり地元の人が元気が出るにはというのはありましたよね。一肌脱ぎましょうかと(中村)
・着工から2年、25kmの用水路の中央に位置する集落に収容人数800人の巨大モスクが誕生した。
・マドラサには約600人の子どもたちが通っている。授業料は無料で、イスラム教の他、国語や算数などの一般科目を学ぶことができる。この日行われていたのは、3年生の国語の授業。
「地雷は 人間にとって 隠れた 敵です」
・子どもたちは一語一語、身の回りにある危険について学んでいた。
地雷を見つけたらどうしますか?(先生)
近寄らない!触らない!(子どもたち)
・何の勉強が好きかと聞くと、全部です!と元気よく答える子どもたち。また算数が好きだという子、コーランの勉強が好きだという子もいた。
子どもたちは医者や科学者、技術者になるため頑張って勉強しています。この国の復興に貢献したいと思っているのです(先生)
・この日、用水路とモスクやマドラサの完成を祝う式典が開かれた。
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名においてアフガン国民、そしてナンガルハルの人々のために、みなさん、ありがとう。万歳!(男性)
・中村はモスクとマドラサの運営を地域の人たちに託した。
・2015年。アフガニスタンで用水路の建設を始めて12年、マルワリード用水路は更に延び、総延長27kmとなった。
・かつて死の谷と呼ばれ、草木一本育たなかったガンベリ砂漠は、広大な緑の大地へと生まれ変わった。
<医療活動の延長が平和につながる>
・村では農作物の加工が始まった。工場では畑で穫れたサトウキビから砂糖を精製。長く途絶えていた地域の特産品・黒砂糖が蘇った。
甘くて美味しいよ(男性)
・畜産も再開。チーズなどの乳製品の生産が始まっている。さらに週末には市が立つようになり、再び賑わいを取り戻し始めている。
・この地域の村人の多くが、用水路が出来たことで治安が良くなり平和が戻ったと実感している。
人は忙しく仕事をしていれば、戦争のことなど考えません。仕事がないからお金のために戦争に行くんです。おなかいっぱいになれば、誰も戦争など行きません(男性)
・干ばつの中、母親の胸の中で次々と命を落としていった子どもたち。それから15年、白衣を脱いだ中村が追い求めてきた平和な光景が広がっていた。
これは平和運動ではない。医療の延長なんですよ。医療の延長ということは、どれだけの人間が助かるかということ。その中で結果としてですよ、結果として確かに我々の作業地域60万人前後の地域では争い事が少ない、治安がいい、麻薬が少ないということが言えるわけで、これが平和への一つの道であるという主張は私、したことは少ないと思います。ただ、戦をしている暇はないんですよと。戦をすると、こういう状態がますます悪くなるんですよと。それには、やっぱり平和なんですよ。それは結果として得られた平和であって、平和を目的に我々しているわけではない(中村)
<用水路づくりのシステムは各方面で役立つ一方、新たな脅威も>
・マルワリード用水路をはじめ、これまでに中村が工事や修復を手がけた用水路は計9か所。ナンガルハル州の3つの郡にまたがっている。
・これらの用水路によって潤う田畑の総面積は1万6000ヘクタール。実に60万人の人々の命を支えている。
・中村がつくる用水路のシステムは、東部ナンガルハル州に根づき始めた。国連機関やJICAとの連携も始まっている。
あなた(中村)は本当に真摯に建設をしてくださった。今までこれほど真剣にやってくれた人はいません。本当に感謝しています(男性)
ここには水がなく、お金もなく、食べ物もありません。しかし大事なのは生きることです。命こそ大切なのです。必要なのは武器や軍隊ではありません。ですから、私たちはこれからも支援を続けていきます(中村)
・しかしこの用水路の恩恵を受けているのは、アフガニスタン全体の人口の2%にすぎない。国連は2014年、国民の約3分の1が干ばつによる食糧不足に直面していると警告した。
・さらにアフガニスタンは今、新たな脅威に直面している。イスラム過激派組織IS(イスラミックステート)の台頭だ。中村が活動するナンガルハル州でもISは勢力を拡大している。その影響により、都市部に逃げてくる農民が後を絶たない。
ISの勢力はすぐ近くの村まで来ていて、略奪を行っています(男性)
ISは「話がある」と言って私の弟を外に連れ出し殺しました。村人の多くが殺されたり連れていかれました(別の男性)
・ISが勢力を拡大している地域は、干ばつのひどい地域と重なり合っていると中村は語る。
私たちの作業地で食べ物が十分に取れて自活できるようになった所ではそれほど強くないんで、やっぱり食べられない。そのために傭兵になる、という形で勢力が活発になっていくということはあるんじゃないかと思いますね。これはISだけではなくて、普通いわゆる政治勢力と一般的に言ってもいいですけども、我々は誰も敵にしないというスタンスで対応していきたいと思っています(中村)
・勢力を拡大するISに対し、アメリカを中心とした先進諸国は空爆で対抗しようとしている。今年8月にはアフガニスタンでも空爆が実施された。9・11テロから15年、出口の見えない戦争が続く。
<後継者づくりを進め、これからのアフガニスタンの未来を見据えて>
・中村は今、用水路のノウハウをアフガニスタン全土に広めるため、新たなプロジェクトを立ち上げようとしている。マルワリード用水路沿いに用水路建設の専門家を育てる職業訓練校を設立する計画だ。
・現在、学校で使用する教科書を作成中。アフガニスタン全土から生徒を募り、現地の若い専門家を育てるつもりだ。
これは長いプロセスが必要で、10年、20年、30年、東部だけではくて北部、西部にも広がる可能性はあります。自分はそんなに長生きしないので、それまでに研修体制を整えて、あとは自分たちでつくれるように。文字通り独立していくということですね。それを今、望んでいます(中村)
・干ばつと戦乱が続くアフガニスタンと向き合い続けてきた医師・中村哲、69歳。人々が緑と平和な暮らしを再び取り戻す日を夢みて、この地に立ち続ける。
作業地の上空を盛んに
米軍のヘリコプターが
過ぎてゆく。
彼らは殺すために空を飛び、
我々は生きるために地面を掘る。
彼らはいかめしい重装備、
我々は埃だらけのシャツ一枚だ。
彼らに分からぬ
幸せと喜びが、
地上にはある。
乾いた大地で水を得て、
狂喜する者の気持ちを
我々は知っている。
水辺で遊ぶ
子供たちの笑顔に、
はちきれるような
生命の躍動を
読み取れるのは、
我々の特権だ。
そして、これらが
平和の基礎である。
(中村哲 手記より)
(2016/9/14視聴・2016/9/14記)
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医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む
天、共に在り
医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い
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