【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「ハドソン川の奇跡 ニューヨーク不時着 世紀の生還劇」
(NHK・BSプレミアム・2016/9/7放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/
<感想>
この時期にUSエアウェイズ1549便不時着水事故の話題を持ってきたのは…2016年9月24日から全国公開される映画の宣伝なのでしょうか。最近(事実上の)国営放送であるNHKもこの手のステマ(というか、あからさま過ぎてステマにもなっていない)をよくやりますね。都内(特に上野で行う)展覧会とタイアップしたNHKスペシャルとかね。
まあそれはさておき「ハドソン川の奇跡」。私も事故当時、本当に「奇跡」だと思いましたね。一歩間違えれば市街地に航空機墜落で「9・11」に匹敵する大惨事になっていてもおかしくない事故でしたから。その点で、本当に運命というのは紙一重なんだなと思います。
やはり飛行機事故というと、どうしても思い出してしまうのが1985年に御巣鷹の尾根に墜落した日本航空123便の事故のことです。両者は事故原因においてレベルが全く異なりますが、全員生還という奇跡は123便には得られず、せめて4名の生存者がいたというのが奇跡だったと言えるでしょう。
「運命の分岐点」がどこにあったのか、圧力隔壁の破損がせめて離陸直後だったらとか、いろんなことが頭をよぎるのですが、それでも操縦不能になった航空機を最後まで立て直そうと闘った高濱機長、佐々木副操縦士、福田機関士の奮闘は、結果がどうあれ全力を尽くしたものとしてリスペクトしなければいけないものだと思っています。
そしてUSエアウェイズ1549便の場合は、着水後にハドソン川を航行していたロンバルディ船長をはじめとするフェリーや民間船舶の迅速な救出作業というものも全員生還の不可欠の要素としてありました。事故や災害でもそうですが、こういう緊急事態が起こったときに自分の果たすべきことを遂行できる人、それを「プロフェッショナル」というのかもしれません。
「アナザーストーリー」の3つ目の視点は正直言って「蛇足」でしたね。ブッシュ政権からオバマ政権へと移行するアメリカを象徴するのにこの事故を利用するというのは、私はあまり好きではない。こじつけのように思えます。7年前の有働アナの映像を観ることができたのは良かったですが(笑)。
それよりも事故究明と再発防止という観点からの「アナザーストーリー」は何処へ行っちゃったのでしょうかね。「良かった良かった」と喜ぶのはいいとしても、二度目の「ハドソン川の奇跡」は起こらない確率の方が高いのですから。そこに踏み込んだ内容を加えないと、飛行機に乗るのにちょっと不安を感じますね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・ニューヨークから南西に約900km、アメリカ南部の町シャーロット。この町の博物館に数奇な運命をたどった一機の飛行機が展示されている。
・今から7年前の2009年1月15日、その飛行機は空の上ではなく、川の上に浮かんでいた。場所はニューヨークのど真ん中、ハドソン川。一体何が起こったのか。
・その日、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸したUSエアウェイズ1549便。しかし予定の進路を外れ、急速に高度を下げながらハドソン川に向かった。
・目前に迫り来る摩天楼、少しでも操作を誤れば大惨事につながる危険な操縦。ベテラン機長がパイロット人生の全てを懸けて下した決断だった。
・今年、その事件がハリウッドで映画化された(「ハドソン川の奇跡」)。監督はクリント・イーストウッド、機長を演じるのはトム・ハンクス。なぜこれだけの大物が映画化を望んだのか。それは乗客乗員155人もの命を救った奇跡のフライトだったからだ。
・一体どうやって、その奇跡は成し遂げられたのか。今回番組では全米の英雄となった男から直接、事故の真相を聞くことができた。
・今回、公式の事故報告書を基に1549便の飛行経路を可能な限り忠実に飛行。事故をリアルタイムで体感できるようにした。世紀の生還劇の一部始終に迫る。
<視点1 機長チェズレイ・サレンバーガー ニューヨーク上空 究極の選択>
・機長と運命の208秒をともにしたクルーの写真がある。全員キャリア20年以上のベテラン揃い。いつもと変わりないフライトを疑うメンバーは誰一人いなかった。
そのフライトはいつも通りに始まり突然、究極の試練に変わったんです。1秒の間にも多くの危機があったことを覚えています(サレンバーガー機長)
・その究極の試練、機長と乗員乗客たちは如何にして乗り越えたのか。
・2009年1月15日、ニューヨーク。この物語はラガーディア空港から始まる。日も暮れ始めた午後3時25分、1549便は離陸した。
その日は朝から降っていた雪もやんで、空も澄んでいました(同上)
・目的地は南部の町シャーロット。150人の乗客で機内はほぼ満席だった。
・ビジネスマンのデイブ・サンダーソンは、少しでも早く家族に会いたいと予約を早めた結果この便に乗り合わせた。
いつも仕事であちこち出張しているので、家に帰れるときは妻と4人の子どもにできるだけ早く会いたいんです。だから予約を変えました(デイブ)
・ダイアン・ヒギンズは、乗客の中で最高齢となる85歳の母・ルーシーを連れていた。
母を連れて娘の所に行くところだったの。その日は私の孫の1歳の誕生日だったんです(ダイアン)
・そんな乗客たちを乗せて、2時間後には目的地へと到着するはずだった。
・ところが離陸から僅か95秒後、突然運命のカウントダウンが始まった。高度840m、まだ地上の建物がはっきりと見えるほどの低空で異変は起こった。
爆発のような大きなドーンという音が聞こえたの。少し揺れたけれど、そのあとは静かだったわ(乗客のエリザベス・マクヒュー)
窓の外を見たら、左の翼の下から火が出ているのが見えたんです。何が起きたのかと驚きました(デイブ)
・一体、機体に何が起こったのか。それを解き明かすやり取りが事故調査報告書に記されている。
・「鳥だ!」という機長の声をきっかけにコックピットが慌ただしくなった。エンジン音がどんどん小さくなっていく。
においがしてきました。鳥が焼けたようなにおいだったので、まずいことになったなと思いました(サレンバーガー機長)
・このとき起こっていたのは、鳥と航空機が衝突する「バードストライク」と呼ばれる事故。バードストライクの様子を捉えた貴重な映像がある。鳥がエンジンに衝突した瞬間、エンジンから大きく火を噴いている様子が分かる。
・本来、飛行機はエンジンが1つでも動いていれば飛び続けられる。ところが1549便のケースは、それまでに全く例がないものだった。機長が管制官に状況を報告する音声が残っている。
機長:鳥と衝突、全エンジン出力喪失。
・全エンジン出力喪失、2つあるエンジンが鳥の衝突によって同時に故障してしまったのだ。今や重量68トンの鉄の塊となった機体は、ゆっくりと落ち始めた。可能な操縦は舵によって方向を変えること。そして機首の上げ下げ、その2つだけだった。どこへ向かって飛ぶか、一度行き先を決めるともう後戻りはできなかった。
血圧が急に上がって脈も速くなり、ストレスで視野が狭くなっていくのを感じました(同上)
・この絶望的な状況にどう対処したのか。その後のやり取りを追うと、まず機長は管制官に…。
機長:空港に引き返す。
・機長は真っ先に「空港へ戻る」という判断を下した。しかし既に1549便はラガーディア空港から8kmの地点まで進んでいた。戻るには一度大きく旋回しなければならない。だが本当に滑空だけで辿り着けるのか。飛行経路の下は市街地、人が住む住宅が連なっている。
空港に辿り着けなかったら飛行機に乗っている人だけでなく、地上の人々も壊滅的な被害を与えてしまいます(同上)
・不安を覚えながらも旋回を始めた機長。そこに管制官から…。
管制官:空港の準備は間もなくだが、滑走路13に着陸でいくか?
機長:できない。
・この時点で初めてあの決断が浮かび上がる。
機長:ハドソン川に下りるかもしれない。
・だが管制官は、まるで聞こえなかったかのように空港での着陸準備を進める。
管制官:滑走路31なら左旋回で下りてくれ。
・管制官が反応できなかったのも無理はない。それはあまりに無謀な案だったからだ。水上着陸の難しさを物語る映像が残されている。ハイジャックされた飛行機が海への着陸を試みたが…翼が水面に接触した瞬間、衝撃によって翼がもげ、機体はバラバラになってしまった(1996年・エチオピア航空機)。ジェット機での水上不時着、それが成功した例は殆ど存在しなかった。
・機長が究極の選択を迫られる中、客室は緊張状態にあった。
なぜか機内はとても静かでした。みんな恐怖を押し殺して耐えていたんだと思います(乗客のダニエル・ヴィントン)
・不気味な静けさの中、窓側にいた乗客は墜落の危機にはっきりと気づいていた。
下を見ると、みんな私たちを仰ぎ見ていました。橋すれすれを飛んでいたんです。ぞっとしました。私を見ている人の目が見えるんですよ(デイブ)
・不時着まで120秒を切った。水上着陸以外の可能性を懸命に探っていた機長。そのとき、あるものが目に入った。
機長:右はどうだ?ニュージャージーのどこか?あれはテターボロ空港?
管制官:了解、右手すぐに見えるのがテターボロ空港だ。
・機長の視界の隅にかろうじて入ったのが小さな地方空港テターボロ空港。滑走路は短いがギリギリ着陸できる規模ではある。しかし機長はすぐその選択を消し去る。テターボロまでも距離はほぼ同じ、辿り着ける保証がない。
・このとき、地上まで僅か350m。そして管制官と機長の最後のやり取りが行われた。
管制官:右旋回280度、テターボロ空港の滑走路1に下りられる。
機長:できない。
管制官:テターボロ空港のどの滑走路にしたい?
機長:ハドソン川に下りる。
管制官:すまない、もう一度言ってくれ。
・交信はこれで途絶える。後に管制官のパトリック・ハーテンがこう振り返っている。
訳が分かりませんでした。川への着陸ではみな死んでしまう。機長の自殺行為のように感じました。あの機体にいる誰かと話すのは自分が最後になると直感しました(ハーテン)
・果たして機長は、どんな思いで水上に向かおうとしていたのか。
それまでに水上着陸の経験や訓練を受けたことは一度もありませんでした。唯一、訓練といえるのは授業で理論を習ったことです。それでもなぜやろうと思ったのか、こう説明させてください。私にはある信念があります。「現実的な楽観主義」であるべきだという考えです(サレンバーガー機長)
・実はサレンバーガー機長は空軍の出身。戦闘機のパイロットとして7年間、勤務した経験があった。何度も死線を乗り越える中で学んだ教訓があった。それは絶望的な状況の中でも決して悲観せず全力で立ち向かうこと。体にすり込まれた教えだった。
・迫り来る水面。機長は機内の乗客に向けてアナウンスを行った。
私の人生で最も重要なアナウンスになるだろうと思い、とても慎重に言葉を選びました(同上)
「こちら機長、衝撃に備えて(Brace for impact)」
余計な説明は一切なかったわ。機長の声に恐怖も感じられなかったし、客室乗務員も落ち着いていたのでみんな冷静でいられたんだと思う(マクヒュー)
難しい着陸になることは分かりました。でも飛行機は全く揺れずに飛んでいたので、それほど危ないとは思いませんでした。機長が冷静だったので、私も冷静でいられました(乗客のマリアン・ブルース)
・しかい客室乗務員だけは「衝撃に備えて」という言葉の本当の意味を分かっていた。
恐怖が体中をさざ波のように頭から爪先まで広がっていきました。本当にそうだったんです。もし機内でその言葉を耳にしたら、もう死ぬ運命しか待っていないからです(客室乗務員のドリーン・ウェルシュ)
・不時着まで残り40秒。1549便の危機的な状況を捉えた1枚の写真が残っている。既に高度はビルよりも低くなっていた。
衝撃に備えながら地平線が低くなっていくのを見て、この飛行機が地上に大きな被害を出さないよう祈りました。そして私は死を受け入れました。この世にさよならを言わなければならないときが来てしまったんだと(ヴィントン)
・コックピットからは、もう水しか見えない。機長に訪れた最大にして最後の試練。それは着水時の機体の角度の調整だった。角度が浅すぎると機体全体に衝撃を受け、バラバラになる可能性があった。一方、角度が深すぎると後方への衝撃が強すぎて機体が折れてしまう。
・検証の結果、着水時の理想的な角度は11度であることが分かっている。では実際はどうだったか。1549便の実際の角度を記録したグラフによれば、不時着の10秒前から次第に機首を上げ始めている。機体が失速しないように慎重に調整しながら角度は次第に11度に向かっていった。
フライトの最後の4秒、高度約30mの所でサイドスティックを引いてさらに機首を上げました(サレンバーガー機長)
・着水する瞬間の機体を偶然捉えた監視カメラの映像が残されている。運命の瞬間、機体は後方から着水。大きな水しぶきを上げながら水面を滑っていった。
・航空史上、類を見ない水上着陸は成功した。
副操縦士と私は同時に同じことを言いました。「思ったより悪くなかった」と。私はすぐにベルトを外し、コックピットのドアを開けて「脱出!」と叫んだのです(同上)
・機体はハドソン川を流れていく。間もなく前方の扉が開き、ラフトと呼ばれるボートが広げられた。次々と飛び出してくる乗客たち。しかしこのとき新たな危機が襲いかかってきていた。
機内はすぐに水浸しになって、膝の辺りまで水が来たの。ショックだったわ。不時着を生き延びたのに溺れ死んでしまうなんて(ダイアン)
・再び始まった命のカウントダウン。この危機を脱するには、次の奇跡を待たなければならなかった。
<視点2 船長ヴィンセント・ロンバルディ 奇跡の救助 24分間の舞台裏>
・この日、ニューヨークの気温はマイナス6度。飛行機が刻々と沈み続ける中、1隻の船が現れた。到着したのは不時着から僅か4分後。この船をきっかけに続々と船が集まり、155人の命を救った。
・不時着の姿を捉えていた監視カメラの映像。最初に救助に駆けつけた船が映っていた。警察や消防の船ではなかった。まるで緊急事態に備えていたかのように現れた船は、一体どこから駆けつけてきたのか。
俺たちはハドソン川の海軍のようなものさ。何か事が起これば、すぐに駆けつけて対処するんだ(ヴィンセント・ロンバルディ船長)
・誰からの命令や要請もなかった。ハドソン川の海軍を名乗る男。一体何者だったのか?
・マンハッタンの西側を流れるハドソン川。1549便が不時着したのはこの地点。大都会のど真ん中にも関わらず、その姿に気づいた人々は意外にも少なかったという。
・なぜならこのとき1549便はエンジン出力を失い、音もなく滑空してきたからだ。偶然、川を見ていた者でなければ飛行機に気づくこともできなかった。その数少ない目撃者の一人がロンバルディ船長だった。
まさにここで突然何かが水面を滑っているのが見えたんだ。「何だあれは!」と叫んだよ(ロンバルディ船長)
・船長がいたのは、機体が着水した場所に程近い船のターミナルだった。ハドソン川には多くの通勤フェリーが頻繁に行き交っている。住宅地が広がる対岸からの通勤客をニューヨークへと運ぶ交通の要衝。実はロンバルディ船長は、この通勤フェリーの船長だった。
・1549便が不時着した午後3時30分は、夕方の通勤ラッシュの直前。乗客を乗せて船を出発させたばかりだった。そしてまさにこの瞬間を目撃したのだ。
大きな船が高速で走っているみたいだった。でも止まったら、すぐに飛行機だと気づいたんだ。いろんなことが頭をよぎったよ。「テロだろうか?いや、煙も炎も見えないし、機体もバラバラじゃない」(同上)
・この事故の8年前に起きたニューヨーク同時多発テロ。その記憶はまだ深く刻まれていた。配管事故がテロと間違われて大きな騒ぎになるなど、人々の恐怖は消えてはいなかった。ロンバルディ船長も頭に不安がかすめた。だが体が先に動いたという。
自分のクルーに「救命用具を用意しろ。すぐに救助に向かう」と指示を出したんだ(同上)
・船長は乗客を乗せたまま事故現場へと向かった。その様子を間近で目撃していた人がいた。着水地点のちょうど真向かいにあるレストランのウェイターだ。
あそこです。たくさんの人たちが水の中で泣き叫んでいました。でもすぐに近くにいた船がやって来ました。まさにここで救助が始まったのです。
・このとき1549便の乗客たちには、刻一刻と危機が迫っていた。
水は上がり続けて、すぐに腰の辺りまでになりました。後ろに立って乗客に「前の出口へ!」と叫びました。後ろの方はもうダメでしたから(客室乗務員のドリーン・ウェルシュ)
・客室はあっという間に水没。ラフトに乗れない乗客は翼の上に避難していた。しかしその場所も決して安全ではなかった。翼から滑って水の中に落ちている乗客、エンジンオイルが流れ出したことで滑りやすくなり、人が立ち続けることも難しくなっていた。
・しかもこのとき川の水温は2度、凍る寸前だった。水に浸かり続ければ数分で心臓が止まってしまう。
・ロンバルディ船長のフェリーは全速力で飛行機へと向かっていった。このとき残り700mほど。救出のためには最短の時間で、しかも飛行機に一切衝撃を与えることなく船をぴたりと寄せなければならない。しかし船にはブレーキがない。
船がすごい速さだったから、ぶつかると思ったの。飛行機事故は助かったのに、救助の船に殺されるなんて笑えないわ(乗客のマリアン・ブルース)
・ロンバルディ船長はここで一気に減速、船を惰性に任せた。飛行機まであと200m。
飛行機は川下に流されていたから、俺は川上に向かって翼に近づいて救出用の梯子を降ろそうとしたんだ(ロンバルディ船長)
・川の上で静止した船は、流されてくる機体を静かに待ち受けた。そして波一つ立てず、ぴたりと接触した。
泣いている人もいたし、励ましている人もいたよ。きっとみんなせっかく飛行機の墜落から助かったのに、結局溺れ死ぬことになると思って、ショックを受けていたんじゃないかな(同上)
・不時着から僅か4分、急速に沈む機体からの救助作業が始まった。梯子を降ろし一人ずつ引き上げていく。時間との闘いとなった。
・そのときロンバルディ船長に援軍が現れた。船から機体に向かって誰かが何かを投げた。動き始めたのは、フェリーに乗り合わせた一般の乗客たち。万が一、川に落ちても大丈夫なように機体の周りにライフジャケットや浮輪を自主的に投げていた。
俺たちのクルー以外に船に乗っていた乗客たちが救命浮輪を投げて救助を手伝ってくれたんだ(同上)
・家に帰る途中だったにも関わらず救助に参加した乗客たち。寒さと恐怖にさらされながら必死で救助を待つ人たちを励まし続けた。
救助の間、ずっと乗客たちに「絶対に助けますよ」とアナウンスし続けたんだ(同上)
・そのアナウンスに嘘はなかった。救助が始まってから4分、ロンバルディ船長の呼びかけに応じたフェリーが続々と集まってきた。
無線でいろいろと指示をしたよ。みんなに「ゆっくりと近づいてくれ」と呼びかけたんだ(同上)
・ダイアンと85歳のルーシーの親子は、ロンバルディ船長の船に助けられた。
船に引き上げられると、ビジネスマンの男性が私たちの方にやって来たの。ダウンジャケットを着て、帽子をかぶってスカーフをしていた。彼はダウンジャケットを脱いで母と私に着せて温めてくれたわ(ダイアン)
・不時着から10分後。救助が進む中、一人の乗客に命の危険が迫っていた。デイブ・サンダーソン、屈強な体で体力に自信のあった彼は機内で他の乗客の脱出を助けていた。そのため自分の脱出が一番最後になってしまった。
亡くなった母の「正しいことをすれば神様が助けてくれる」という言葉が聞こえたような気がしました。だからみんなが外へ出るのを後ろで待っていたんです(デイブ)
・ラフトにしがみついた彼の下半身は水の中に浸かっていた。
機体から出ると、もう私が立てる場所は残っていませんでした。水温2度の水に腰まで浸かって、ラフトの端にしがみついて7分間耐えていたんです(同上)
・みるみる体温を奪われ、これ以上は耐えられないと。
あそこから水に飛び込みました。そして翼の端まで泳いだら梯子が降りてきました。みんな「登って!登って!」と叫んでいましたが、私にはもう無理でした(同上)
・冷たい水に浸かったことで低体温症になったデイブには、もはや体力が残っていなかった。一人の船員が助けようとしたが、体の大きな彼を一人では引き上げることができなかった。絶体絶命のピンチ。
もう1本の手を何とか上げると、なぜか他の男性が掴んでくれました。名前も知りませんが、私のヒーローです。彼がいなかったら絶対に助からなかった(同上)
・この過酷な現場でデイブの命を救った男。それが今回、様々な映像を検証することで初めて特定できた。小さな船からフェリーに乗り移ろうとしている男性、彼こそがデイブを助けたヒーローだった。
・その男は飛行機墜落の緊急無線を聞いて、自分の小さな船で自主的に駆けつけていた。スコット・コーエン。
フェリーの助けになると思ったんだ。全員は無理だけど1人でも2人でもいいので助けたかった。そう考えていたんだ。彼は本当に大きな腕と足だったのをよく覚えているよ。持ち上げるのが大変だったね(スコット)
・スコットは自分の船の小ささを生かした。フェリーと機体の間に距離があることを見て取り、すぐさまそこに船を入れるとスコットはフェリーに飛び移り、梯子を降りてデイブを押し上げたのだ。
梯子に掴まって下から押して、ようやく彼をデッキまで上げることができたんだ。「あなたを助けるよ」と話し掛けたんだけど、彼は話すことすらできなかった。目隠しされて何も分からなくなっているような感じさ(同上)
・重篤な低体温症で病院へ運ばれたデイブ。何とか一命を取り留めた。
本当に感謝しています。あんな状況の中で全ての人が自分がやるべき役目を果たしたおかげです。私は別の飛行機に乗るはずでしたが、これも運命でしょう(当時のデイブ)
・午後3時54分。不時着から僅か24分で全員の救助が終了。この迅速の救助こそ、ハドソン川で起きた2つめの奇跡だった。
もし飛行機が次の日に不時着していたら、全員死んでいたよ。川は氷で覆われていたからね。あの日でも時間が違っていたらダメだった。まさにいい日のいい時間に、いい人たちがいるときに不時着したんだ。本当にたくさんの要素が合わさって、奇跡が生み出されたんだ(スコット)
・155人の殆どをロンバルディ船長らフェリー会社が救助、救助の主役は民間人だった。全てのきっかけを作ったのは、偶然不時着を目撃したロンバルディ船長の迅速で勇気ある判断だった。
あの日、集まってくれた船のクルーたちに本当に感謝しているよ。みんなプロフェッショナルだった(ロンバルディ船長)
<視点3 ジャーナリストのロビン・ロバーツ、有働由美子 “ヒーロー”が変えたアメリカの空気>
・「ハドソン川の奇跡」と名づけられた、まるで映画のような劇的な生還。実は奇しくもこの日はアメリカの大統領がブッシュからオバマに代わろうとしていた日。この奇跡の生還劇によって、アメリカの新しい時代が幕を開けた。
・その女性は語る。ハドソン川の出来事はアメリカ社会全体を変えたと。全米で最も人気がある朝の報道情報番組でアンカーを務めるロビン・ロバーツ。大統領に鋭い切り口で挑む大物。数々の事件を報じてきたロビンにとっても「ハドソン川の奇跡」は特別な記憶として刻まれているという。
2009年はアメリカにとってターニングポイントだったと思います。私たちには良いニュースが必要だったんです(ロビン)
・「ハドソン川の奇跡」、それはアメリカにとって何だったのか。
・事故が起きた1月15日の夜は、ブッシュ大統領の国民へのお別れ演説が行われた日。8年間に及ぶブッシュ時代がまさに終わろうとする日だった。
・思えばその幕開けは、大統領就任の年に勃発した同時多発テロ。以後、在任中、イラク戦争は泥沼化の一途を辿った。そして政権末期に起きたリーマン・ショック。アメリカ経済は、どん底まで落ち込んだ。
・それまで信じていたものが次々と崩壊していった8年間。そのまさしく終わりの日に1549便の事故は起きたのだ。
・ハドソン川沿いにある自宅でその事故を間近に見たロビン・ロバーツ。
窓の外を見ると、飛行機が降りてくるのが見えたので、すぐに立って電話を持ったままバルコニーに出たんです。飛行機が落ちていくのを見ながら「ああ、低い!川にぶつかる」と叫びました(同上)
・ロビンはそのまま自宅から電話で事故の中継を始めた。
私は今自宅です。ハドソン川を低空で飛行機が飛んでいるのを見たんです。高度が低すぎるのが気になりました(ロビン・当時の音声)
・中継をしながら思い出していたのは、やはりあのテロのことだった。
飛行機が川に落ちていくのを見ながら最初に思ったのは9・11のことでした。「なんてこと!また起こったんだわ。飛行機が使われた」。当時は希望が感じられ、気持ちが上向きになるようなニュースを伝えたいと強く願っていたのに…(ロビン)
・そのとき同じくニューヨークにいたNHKの有働由美子アナウンサー。この日、夕方の中継に備えて、希望を持てるニュースを探していた。
手帳を見たんですけど、ちょうどその日ってオバマ就任で不景気なんてぶっ飛ばせという企画で、オバマさんが就任したことによってアフリカ料理店がいろんな工夫をして不景気解消しようとしてるっていう。そしたら夕方、本番直前になって、とりあえずハドソン川に行けと(有働)
・急遽、事故現場に向かうことになった有働アナウンサー。ところが思いがけないことが起こった。
私のアシスタントがニューヨークに住んでるアメリカ人だったんですけど、怖いって。普通、我々報道でアシスタント一緒に現場に行って取材開始するんですけど、怖いから行きたくないみたいなことを言ったんですよ。何かのテロに違いないって言って、車の中に入っちゃったんですよ(同上)
・アシスタントがいないまま、有働アナウンサーが現場に着いたのは不時着から約30分後。
すごく寒い日だったんですよ。もう手袋をしていないと自分が持っているマイクと手がくっついてしまうぐらいの。この状況では何人かは必ず亡くなっているであろうというのはもう、すぐに思いましたね(同上)
今、ここから機体の状況は見えませんが、救援に行きました船舶などに囲まれて、機体がどんどんと川下の方に流されていっているというのが今の状況です(有働・当時の映像)
・中継しながら、乗客の命は絶望的だと思っていた有働アナウンサー。だが現場には乗客が助かったとの情報も入ってきた。混乱しながらの中継だったという。
分かんなかったです。あれだけの飛行機が落ちて、亡くなっている人がいないっていう状況が分からないというか、想像できないというか。「ほんとに?ほんとにほんとに?その情報」っていう感じではありましたね(有働)
・そして不時着から2時間半後、ニューヨーク市長の会見で乗客乗員が奇跡的に全員無事であることが正式に発表された。
(テロの可能性はあるのでしょうか?)
そのような兆候は全くありません(ブルームバーグニューヨーク市長・当時)
・最悪の事故だと思われた出来事が、最高の奇跡に変わった瞬間だった。
・翌日の新聞。退任するブッシュは隅に追いやられ「ハドソン川の奇跡」の大きな文字が1面を飾った。
みんなこう思いました。「ああ、よかった。テロじゃなかった。しかも全員が無事!?」これこそニューヨークが求めていたグッドストーリーでした。いい話になるはずのない飛行機の不時着が素晴らしい話に変わったのです(ロビン)
「テロだ、怖い」って言ったアシスタントが、ものすごい目、涙いっぱいにして「みんな助かった!」とか言ってこっちに抱きついてきて、仕事しろよとは思ったんですけど。なんか「あっ、そのぐらいの喜びなんだな」と思ったし、もし自分の国だったら絶対そうだし(有働)
・事故から5日後、オバマ大統領の就任式に招かれたサレンバーガー機長。大統領と2人、アメリカの新時代の到来を告げる顔となった。
今でも誰かと会うと必ず聞かれるんです。「元気?」とかの後「ところであなた本当に『ハドソン川の奇跡』を見たの?」って。「ええ、確かに見たわ」って答えるわ(ロビン)
・あのとき目撃したのは、一つの奇跡であると同時にアメリカが変わろうとした瞬間。ロビンは今もそう信じている。
・事故の後、救助にあたった市井の男たちは、全米のヒーローになった。
変な形のボートが見えるぞと船員に伝えたら「飛行機だと思います」と言われました(ロンバルディ船長・当時の映像)
・サレンバーガー機長とそのクルー。オバマ大統領の議会初演説に呼ばれ、アメリカの英雄として紹介された。
(今回の出来事のヒーローは誰だと思いますか?)
人々が「ヒーロー」と呼びたい気持ちは分かります。でも全ての関係者が私には誇りです。その一人でいられて光栄です(サレンバーガー機長)
・あの日、命を救われた150人の乗客たちは、その幸せをかみしめて生きている。85歳の母親を連れて孫に会いに行こうとして飛行機に乗り合わせたダイアン・ヒギンズ。母のルーシーは去年、91歳で亡くなった。事故からの6年、孫やひ孫たちに囲まれながら笑顔で過ごしたという。
母と私は事故のあった1月15日を新しい誕生日として祝おうと決めたの。そうしたら近所の人が毎年その日にお祝いのカードを贈ってくれるようになったの。そのカードを貰うのがいつも嬉しいんです。私たちに起きた奇跡と幸運を思い出させてくれるから(ダイアン)
・奇跡の舞台となったハドソン川。今年2月、また一つの命が救われた。救ったのはあの事故でも活躍したスコットだった。橋の近くを船で通っていたところ、身投げした女性を目撃し救出したのだ。
奇遇だね。この上を1549便が飛んでいったんだ。僕はヒーローになりたいんじゃないんだ。助けられる技術があって、その場所にいられたことに感謝しているよ(スコット)
・そんなスコットが大事にしているものがある。
1549便のシートクッションだよ。ハドソン川に浮いていたのを見つけたんだ。あのときの記念だし、これがあると何だか分からないけど、元気を貰える気がするんだ。だから持っているんだ(同上)
・乗客乗員155人の人生をつないだ「ハドソン川の奇跡」。アメリカを絶望の淵から救ったのは、名も無き男たちの決断と勇気。そして、いくつかの幸運だった。
(2016/9/9視聴・2016/9/9記)
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この時期にUSエアウェイズ1549便不時着水事故の話題を持ってきたのは…2016年9月24日から全国公開される映画の宣伝なのでしょうか。最近(事実上の)国営放送であるNHKもこの手のステマ(というか、あからさま過ぎてステマにもなっていない)をよくやりますね。都内(特に上野で行う)展覧会とタイアップしたNHKスペシャルとかね。
まあそれはさておき「ハドソン川の奇跡」。私も事故当時、本当に「奇跡」だと思いましたね。一歩間違えれば市街地に航空機墜落で「9・11」に匹敵する大惨事になっていてもおかしくない事故でしたから。その点で、本当に運命というのは紙一重なんだなと思います。
やはり飛行機事故というと、どうしても思い出してしまうのが1985年に御巣鷹の尾根に墜落した日本航空123便の事故のことです。両者は事故原因においてレベルが全く異なりますが、全員生還という奇跡は123便には得られず、せめて4名の生存者がいたというのが奇跡だったと言えるでしょう。
「運命の分岐点」がどこにあったのか、圧力隔壁の破損がせめて離陸直後だったらとか、いろんなことが頭をよぎるのですが、それでも操縦不能になった航空機を最後まで立て直そうと闘った高濱機長、佐々木副操縦士、福田機関士の奮闘は、結果がどうあれ全力を尽くしたものとしてリスペクトしなければいけないものだと思っています。
そしてUSエアウェイズ1549便の場合は、着水後にハドソン川を航行していたロンバルディ船長をはじめとするフェリーや民間船舶の迅速な救出作業というものも全員生還の不可欠の要素としてありました。事故や災害でもそうですが、こういう緊急事態が起こったときに自分の果たすべきことを遂行できる人、それを「プロフェッショナル」というのかもしれません。
「アナザーストーリー」の3つ目の視点は正直言って「蛇足」でしたね。ブッシュ政権からオバマ政権へと移行するアメリカを象徴するのにこの事故を利用するというのは、私はあまり好きではない。こじつけのように思えます。7年前の有働アナの映像を観ることができたのは良かったですが(笑)。
それよりも事故究明と再発防止という観点からの「アナザーストーリー」は何処へ行っちゃったのでしょうかね。「良かった良かった」と喜ぶのはいいとしても、二度目の「ハドソン川の奇跡」は起こらない確率の方が高いのですから。そこに踏み込んだ内容を加えないと、飛行機に乗るのにちょっと不安を感じますね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・ニューヨークから南西に約900km、アメリカ南部の町シャーロット。この町の博物館に数奇な運命をたどった一機の飛行機が展示されている。
・今から7年前の2009年1月15日、その飛行機は空の上ではなく、川の上に浮かんでいた。場所はニューヨークのど真ん中、ハドソン川。一体何が起こったのか。
・その日、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸したUSエアウェイズ1549便。しかし予定の進路を外れ、急速に高度を下げながらハドソン川に向かった。
・目前に迫り来る摩天楼、少しでも操作を誤れば大惨事につながる危険な操縦。ベテラン機長がパイロット人生の全てを懸けて下した決断だった。
・今年、その事件がハリウッドで映画化された(「ハドソン川の奇跡」)。監督はクリント・イーストウッド、機長を演じるのはトム・ハンクス。なぜこれだけの大物が映画化を望んだのか。それは乗客乗員155人もの命を救った奇跡のフライトだったからだ。
・一体どうやって、その奇跡は成し遂げられたのか。今回番組では全米の英雄となった男から直接、事故の真相を聞くことができた。
・今回、公式の事故報告書を基に1549便の飛行経路を可能な限り忠実に飛行。事故をリアルタイムで体感できるようにした。世紀の生還劇の一部始終に迫る。
<視点1 機長チェズレイ・サレンバーガー ニューヨーク上空 究極の選択>
・機長と運命の208秒をともにしたクルーの写真がある。全員キャリア20年以上のベテラン揃い。いつもと変わりないフライトを疑うメンバーは誰一人いなかった。
そのフライトはいつも通りに始まり突然、究極の試練に変わったんです。1秒の間にも多くの危機があったことを覚えています(サレンバーガー機長)
・その究極の試練、機長と乗員乗客たちは如何にして乗り越えたのか。
・2009年1月15日、ニューヨーク。この物語はラガーディア空港から始まる。日も暮れ始めた午後3時25分、1549便は離陸した。
その日は朝から降っていた雪もやんで、空も澄んでいました(同上)
・目的地は南部の町シャーロット。150人の乗客で機内はほぼ満席だった。
・ビジネスマンのデイブ・サンダーソンは、少しでも早く家族に会いたいと予約を早めた結果この便に乗り合わせた。
いつも仕事であちこち出張しているので、家に帰れるときは妻と4人の子どもにできるだけ早く会いたいんです。だから予約を変えました(デイブ)
・ダイアン・ヒギンズは、乗客の中で最高齢となる85歳の母・ルーシーを連れていた。
母を連れて娘の所に行くところだったの。その日は私の孫の1歳の誕生日だったんです(ダイアン)
・そんな乗客たちを乗せて、2時間後には目的地へと到着するはずだった。
・ところが離陸から僅か95秒後、突然運命のカウントダウンが始まった。高度840m、まだ地上の建物がはっきりと見えるほどの低空で異変は起こった。
爆発のような大きなドーンという音が聞こえたの。少し揺れたけれど、そのあとは静かだったわ(乗客のエリザベス・マクヒュー)
窓の外を見たら、左の翼の下から火が出ているのが見えたんです。何が起きたのかと驚きました(デイブ)
・一体、機体に何が起こったのか。それを解き明かすやり取りが事故調査報告書に記されている。
・「鳥だ!」という機長の声をきっかけにコックピットが慌ただしくなった。エンジン音がどんどん小さくなっていく。
においがしてきました。鳥が焼けたようなにおいだったので、まずいことになったなと思いました(サレンバーガー機長)
・このとき起こっていたのは、鳥と航空機が衝突する「バードストライク」と呼ばれる事故。バードストライクの様子を捉えた貴重な映像がある。鳥がエンジンに衝突した瞬間、エンジンから大きく火を噴いている様子が分かる。
・本来、飛行機はエンジンが1つでも動いていれば飛び続けられる。ところが1549便のケースは、それまでに全く例がないものだった。機長が管制官に状況を報告する音声が残っている。
機長:鳥と衝突、全エンジン出力喪失。
・全エンジン出力喪失、2つあるエンジンが鳥の衝突によって同時に故障してしまったのだ。今や重量68トンの鉄の塊となった機体は、ゆっくりと落ち始めた。可能な操縦は舵によって方向を変えること。そして機首の上げ下げ、その2つだけだった。どこへ向かって飛ぶか、一度行き先を決めるともう後戻りはできなかった。
血圧が急に上がって脈も速くなり、ストレスで視野が狭くなっていくのを感じました(同上)
・この絶望的な状況にどう対処したのか。その後のやり取りを追うと、まず機長は管制官に…。
機長:空港に引き返す。
・機長は真っ先に「空港へ戻る」という判断を下した。しかし既に1549便はラガーディア空港から8kmの地点まで進んでいた。戻るには一度大きく旋回しなければならない。だが本当に滑空だけで辿り着けるのか。飛行経路の下は市街地、人が住む住宅が連なっている。
空港に辿り着けなかったら飛行機に乗っている人だけでなく、地上の人々も壊滅的な被害を与えてしまいます(同上)
・不安を覚えながらも旋回を始めた機長。そこに管制官から…。
管制官:空港の準備は間もなくだが、滑走路13に着陸でいくか?
機長:できない。
・この時点で初めてあの決断が浮かび上がる。
機長:ハドソン川に下りるかもしれない。
・だが管制官は、まるで聞こえなかったかのように空港での着陸準備を進める。
管制官:滑走路31なら左旋回で下りてくれ。
・管制官が反応できなかったのも無理はない。それはあまりに無謀な案だったからだ。水上着陸の難しさを物語る映像が残されている。ハイジャックされた飛行機が海への着陸を試みたが…翼が水面に接触した瞬間、衝撃によって翼がもげ、機体はバラバラになってしまった(1996年・エチオピア航空機)。ジェット機での水上不時着、それが成功した例は殆ど存在しなかった。
・機長が究極の選択を迫られる中、客室は緊張状態にあった。
なぜか機内はとても静かでした。みんな恐怖を押し殺して耐えていたんだと思います(乗客のダニエル・ヴィントン)
・不気味な静けさの中、窓側にいた乗客は墜落の危機にはっきりと気づいていた。
下を見ると、みんな私たちを仰ぎ見ていました。橋すれすれを飛んでいたんです。ぞっとしました。私を見ている人の目が見えるんですよ(デイブ)
・不時着まで120秒を切った。水上着陸以外の可能性を懸命に探っていた機長。そのとき、あるものが目に入った。
機長:右はどうだ?ニュージャージーのどこか?あれはテターボロ空港?
管制官:了解、右手すぐに見えるのがテターボロ空港だ。
・機長の視界の隅にかろうじて入ったのが小さな地方空港テターボロ空港。滑走路は短いがギリギリ着陸できる規模ではある。しかし機長はすぐその選択を消し去る。テターボロまでも距離はほぼ同じ、辿り着ける保証がない。
・このとき、地上まで僅か350m。そして管制官と機長の最後のやり取りが行われた。
管制官:右旋回280度、テターボロ空港の滑走路1に下りられる。
機長:できない。
管制官:テターボロ空港のどの滑走路にしたい?
機長:ハドソン川に下りる。
管制官:すまない、もう一度言ってくれ。
・交信はこれで途絶える。後に管制官のパトリック・ハーテンがこう振り返っている。
訳が分かりませんでした。川への着陸ではみな死んでしまう。機長の自殺行為のように感じました。あの機体にいる誰かと話すのは自分が最後になると直感しました(ハーテン)
・果たして機長は、どんな思いで水上に向かおうとしていたのか。
それまでに水上着陸の経験や訓練を受けたことは一度もありませんでした。唯一、訓練といえるのは授業で理論を習ったことです。それでもなぜやろうと思ったのか、こう説明させてください。私にはある信念があります。「現実的な楽観主義」であるべきだという考えです(サレンバーガー機長)
・実はサレンバーガー機長は空軍の出身。戦闘機のパイロットとして7年間、勤務した経験があった。何度も死線を乗り越える中で学んだ教訓があった。それは絶望的な状況の中でも決して悲観せず全力で立ち向かうこと。体にすり込まれた教えだった。
・迫り来る水面。機長は機内の乗客に向けてアナウンスを行った。
私の人生で最も重要なアナウンスになるだろうと思い、とても慎重に言葉を選びました(同上)
「こちら機長、衝撃に備えて(Brace for impact)」
余計な説明は一切なかったわ。機長の声に恐怖も感じられなかったし、客室乗務員も落ち着いていたのでみんな冷静でいられたんだと思う(マクヒュー)
難しい着陸になることは分かりました。でも飛行機は全く揺れずに飛んでいたので、それほど危ないとは思いませんでした。機長が冷静だったので、私も冷静でいられました(乗客のマリアン・ブルース)
・しかい客室乗務員だけは「衝撃に備えて」という言葉の本当の意味を分かっていた。
恐怖が体中をさざ波のように頭から爪先まで広がっていきました。本当にそうだったんです。もし機内でその言葉を耳にしたら、もう死ぬ運命しか待っていないからです(客室乗務員のドリーン・ウェルシュ)
・不時着まで残り40秒。1549便の危機的な状況を捉えた1枚の写真が残っている。既に高度はビルよりも低くなっていた。
衝撃に備えながら地平線が低くなっていくのを見て、この飛行機が地上に大きな被害を出さないよう祈りました。そして私は死を受け入れました。この世にさよならを言わなければならないときが来てしまったんだと(ヴィントン)
・コックピットからは、もう水しか見えない。機長に訪れた最大にして最後の試練。それは着水時の機体の角度の調整だった。角度が浅すぎると機体全体に衝撃を受け、バラバラになる可能性があった。一方、角度が深すぎると後方への衝撃が強すぎて機体が折れてしまう。
・検証の結果、着水時の理想的な角度は11度であることが分かっている。では実際はどうだったか。1549便の実際の角度を記録したグラフによれば、不時着の10秒前から次第に機首を上げ始めている。機体が失速しないように慎重に調整しながら角度は次第に11度に向かっていった。
フライトの最後の4秒、高度約30mの所でサイドスティックを引いてさらに機首を上げました(サレンバーガー機長)
・着水する瞬間の機体を偶然捉えた監視カメラの映像が残されている。運命の瞬間、機体は後方から着水。大きな水しぶきを上げながら水面を滑っていった。
・航空史上、類を見ない水上着陸は成功した。
副操縦士と私は同時に同じことを言いました。「思ったより悪くなかった」と。私はすぐにベルトを外し、コックピットのドアを開けて「脱出!」と叫んだのです(同上)
・機体はハドソン川を流れていく。間もなく前方の扉が開き、ラフトと呼ばれるボートが広げられた。次々と飛び出してくる乗客たち。しかしこのとき新たな危機が襲いかかってきていた。
機内はすぐに水浸しになって、膝の辺りまで水が来たの。ショックだったわ。不時着を生き延びたのに溺れ死んでしまうなんて(ダイアン)
・再び始まった命のカウントダウン。この危機を脱するには、次の奇跡を待たなければならなかった。
<視点2 船長ヴィンセント・ロンバルディ 奇跡の救助 24分間の舞台裏>
・この日、ニューヨークの気温はマイナス6度。飛行機が刻々と沈み続ける中、1隻の船が現れた。到着したのは不時着から僅か4分後。この船をきっかけに続々と船が集まり、155人の命を救った。
・不時着の姿を捉えていた監視カメラの映像。最初に救助に駆けつけた船が映っていた。警察や消防の船ではなかった。まるで緊急事態に備えていたかのように現れた船は、一体どこから駆けつけてきたのか。
俺たちはハドソン川の海軍のようなものさ。何か事が起これば、すぐに駆けつけて対処するんだ(ヴィンセント・ロンバルディ船長)
・誰からの命令や要請もなかった。ハドソン川の海軍を名乗る男。一体何者だったのか?
・マンハッタンの西側を流れるハドソン川。1549便が不時着したのはこの地点。大都会のど真ん中にも関わらず、その姿に気づいた人々は意外にも少なかったという。
・なぜならこのとき1549便はエンジン出力を失い、音もなく滑空してきたからだ。偶然、川を見ていた者でなければ飛行機に気づくこともできなかった。その数少ない目撃者の一人がロンバルディ船長だった。
まさにここで突然何かが水面を滑っているのが見えたんだ。「何だあれは!」と叫んだよ(ロンバルディ船長)
・船長がいたのは、機体が着水した場所に程近い船のターミナルだった。ハドソン川には多くの通勤フェリーが頻繁に行き交っている。住宅地が広がる対岸からの通勤客をニューヨークへと運ぶ交通の要衝。実はロンバルディ船長は、この通勤フェリーの船長だった。
・1549便が不時着した午後3時30分は、夕方の通勤ラッシュの直前。乗客を乗せて船を出発させたばかりだった。そしてまさにこの瞬間を目撃したのだ。
大きな船が高速で走っているみたいだった。でも止まったら、すぐに飛行機だと気づいたんだ。いろんなことが頭をよぎったよ。「テロだろうか?いや、煙も炎も見えないし、機体もバラバラじゃない」(同上)
・この事故の8年前に起きたニューヨーク同時多発テロ。その記憶はまだ深く刻まれていた。配管事故がテロと間違われて大きな騒ぎになるなど、人々の恐怖は消えてはいなかった。ロンバルディ船長も頭に不安がかすめた。だが体が先に動いたという。
自分のクルーに「救命用具を用意しろ。すぐに救助に向かう」と指示を出したんだ(同上)
・船長は乗客を乗せたまま事故現場へと向かった。その様子を間近で目撃していた人がいた。着水地点のちょうど真向かいにあるレストランのウェイターだ。
あそこです。たくさんの人たちが水の中で泣き叫んでいました。でもすぐに近くにいた船がやって来ました。まさにここで救助が始まったのです。
・このとき1549便の乗客たちには、刻一刻と危機が迫っていた。
水は上がり続けて、すぐに腰の辺りまでになりました。後ろに立って乗客に「前の出口へ!」と叫びました。後ろの方はもうダメでしたから(客室乗務員のドリーン・ウェルシュ)
・客室はあっという間に水没。ラフトに乗れない乗客は翼の上に避難していた。しかしその場所も決して安全ではなかった。翼から滑って水の中に落ちている乗客、エンジンオイルが流れ出したことで滑りやすくなり、人が立ち続けることも難しくなっていた。
・しかもこのとき川の水温は2度、凍る寸前だった。水に浸かり続ければ数分で心臓が止まってしまう。
・ロンバルディ船長のフェリーは全速力で飛行機へと向かっていった。このとき残り700mほど。救出のためには最短の時間で、しかも飛行機に一切衝撃を与えることなく船をぴたりと寄せなければならない。しかし船にはブレーキがない。
船がすごい速さだったから、ぶつかると思ったの。飛行機事故は助かったのに、救助の船に殺されるなんて笑えないわ(乗客のマリアン・ブルース)
・ロンバルディ船長はここで一気に減速、船を惰性に任せた。飛行機まであと200m。
飛行機は川下に流されていたから、俺は川上に向かって翼に近づいて救出用の梯子を降ろそうとしたんだ(ロンバルディ船長)
・川の上で静止した船は、流されてくる機体を静かに待ち受けた。そして波一つ立てず、ぴたりと接触した。
泣いている人もいたし、励ましている人もいたよ。きっとみんなせっかく飛行機の墜落から助かったのに、結局溺れ死ぬことになると思って、ショックを受けていたんじゃないかな(同上)
・不時着から僅か4分、急速に沈む機体からの救助作業が始まった。梯子を降ろし一人ずつ引き上げていく。時間との闘いとなった。
・そのときロンバルディ船長に援軍が現れた。船から機体に向かって誰かが何かを投げた。動き始めたのは、フェリーに乗り合わせた一般の乗客たち。万が一、川に落ちても大丈夫なように機体の周りにライフジャケットや浮輪を自主的に投げていた。
俺たちのクルー以外に船に乗っていた乗客たちが救命浮輪を投げて救助を手伝ってくれたんだ(同上)
・家に帰る途中だったにも関わらず救助に参加した乗客たち。寒さと恐怖にさらされながら必死で救助を待つ人たちを励まし続けた。
救助の間、ずっと乗客たちに「絶対に助けますよ」とアナウンスし続けたんだ(同上)
・そのアナウンスに嘘はなかった。救助が始まってから4分、ロンバルディ船長の呼びかけに応じたフェリーが続々と集まってきた。
無線でいろいろと指示をしたよ。みんなに「ゆっくりと近づいてくれ」と呼びかけたんだ(同上)
・ダイアンと85歳のルーシーの親子は、ロンバルディ船長の船に助けられた。
船に引き上げられると、ビジネスマンの男性が私たちの方にやって来たの。ダウンジャケットを着て、帽子をかぶってスカーフをしていた。彼はダウンジャケットを脱いで母と私に着せて温めてくれたわ(ダイアン)
・不時着から10分後。救助が進む中、一人の乗客に命の危険が迫っていた。デイブ・サンダーソン、屈強な体で体力に自信のあった彼は機内で他の乗客の脱出を助けていた。そのため自分の脱出が一番最後になってしまった。
亡くなった母の「正しいことをすれば神様が助けてくれる」という言葉が聞こえたような気がしました。だからみんなが外へ出るのを後ろで待っていたんです(デイブ)
・ラフトにしがみついた彼の下半身は水の中に浸かっていた。
機体から出ると、もう私が立てる場所は残っていませんでした。水温2度の水に腰まで浸かって、ラフトの端にしがみついて7分間耐えていたんです(同上)
・みるみる体温を奪われ、これ以上は耐えられないと。
あそこから水に飛び込みました。そして翼の端まで泳いだら梯子が降りてきました。みんな「登って!登って!」と叫んでいましたが、私にはもう無理でした(同上)
・冷たい水に浸かったことで低体温症になったデイブには、もはや体力が残っていなかった。一人の船員が助けようとしたが、体の大きな彼を一人では引き上げることができなかった。絶体絶命のピンチ。
もう1本の手を何とか上げると、なぜか他の男性が掴んでくれました。名前も知りませんが、私のヒーローです。彼がいなかったら絶対に助からなかった(同上)
・この過酷な現場でデイブの命を救った男。それが今回、様々な映像を検証することで初めて特定できた。小さな船からフェリーに乗り移ろうとしている男性、彼こそがデイブを助けたヒーローだった。
・その男は飛行機墜落の緊急無線を聞いて、自分の小さな船で自主的に駆けつけていた。スコット・コーエン。
フェリーの助けになると思ったんだ。全員は無理だけど1人でも2人でもいいので助けたかった。そう考えていたんだ。彼は本当に大きな腕と足だったのをよく覚えているよ。持ち上げるのが大変だったね(スコット)
・スコットは自分の船の小ささを生かした。フェリーと機体の間に距離があることを見て取り、すぐさまそこに船を入れるとスコットはフェリーに飛び移り、梯子を降りてデイブを押し上げたのだ。
梯子に掴まって下から押して、ようやく彼をデッキまで上げることができたんだ。「あなたを助けるよ」と話し掛けたんだけど、彼は話すことすらできなかった。目隠しされて何も分からなくなっているような感じさ(同上)
・重篤な低体温症で病院へ運ばれたデイブ。何とか一命を取り留めた。
本当に感謝しています。あんな状況の中で全ての人が自分がやるべき役目を果たしたおかげです。私は別の飛行機に乗るはずでしたが、これも運命でしょう(当時のデイブ)
・午後3時54分。不時着から僅か24分で全員の救助が終了。この迅速の救助こそ、ハドソン川で起きた2つめの奇跡だった。
もし飛行機が次の日に不時着していたら、全員死んでいたよ。川は氷で覆われていたからね。あの日でも時間が違っていたらダメだった。まさにいい日のいい時間に、いい人たちがいるときに不時着したんだ。本当にたくさんの要素が合わさって、奇跡が生み出されたんだ(スコット)
・155人の殆どをロンバルディ船長らフェリー会社が救助、救助の主役は民間人だった。全てのきっかけを作ったのは、偶然不時着を目撃したロンバルディ船長の迅速で勇気ある判断だった。
あの日、集まってくれた船のクルーたちに本当に感謝しているよ。みんなプロフェッショナルだった(ロンバルディ船長)
<視点3 ジャーナリストのロビン・ロバーツ、有働由美子 “ヒーロー”が変えたアメリカの空気>
・「ハドソン川の奇跡」と名づけられた、まるで映画のような劇的な生還。実は奇しくもこの日はアメリカの大統領がブッシュからオバマに代わろうとしていた日。この奇跡の生還劇によって、アメリカの新しい時代が幕を開けた。
・その女性は語る。ハドソン川の出来事はアメリカ社会全体を変えたと。全米で最も人気がある朝の報道情報番組でアンカーを務めるロビン・ロバーツ。大統領に鋭い切り口で挑む大物。数々の事件を報じてきたロビンにとっても「ハドソン川の奇跡」は特別な記憶として刻まれているという。
2009年はアメリカにとってターニングポイントだったと思います。私たちには良いニュースが必要だったんです(ロビン)
・「ハドソン川の奇跡」、それはアメリカにとって何だったのか。
・事故が起きた1月15日の夜は、ブッシュ大統領の国民へのお別れ演説が行われた日。8年間に及ぶブッシュ時代がまさに終わろうとする日だった。
・思えばその幕開けは、大統領就任の年に勃発した同時多発テロ。以後、在任中、イラク戦争は泥沼化の一途を辿った。そして政権末期に起きたリーマン・ショック。アメリカ経済は、どん底まで落ち込んだ。
・それまで信じていたものが次々と崩壊していった8年間。そのまさしく終わりの日に1549便の事故は起きたのだ。
・ハドソン川沿いにある自宅でその事故を間近に見たロビン・ロバーツ。
窓の外を見ると、飛行機が降りてくるのが見えたので、すぐに立って電話を持ったままバルコニーに出たんです。飛行機が落ちていくのを見ながら「ああ、低い!川にぶつかる」と叫びました(同上)
・ロビンはそのまま自宅から電話で事故の中継を始めた。
私は今自宅です。ハドソン川を低空で飛行機が飛んでいるのを見たんです。高度が低すぎるのが気になりました(ロビン・当時の音声)
・中継をしながら思い出していたのは、やはりあのテロのことだった。
飛行機が川に落ちていくのを見ながら最初に思ったのは9・11のことでした。「なんてこと!また起こったんだわ。飛行機が使われた」。当時は希望が感じられ、気持ちが上向きになるようなニュースを伝えたいと強く願っていたのに…(ロビン)
・そのとき同じくニューヨークにいたNHKの有働由美子アナウンサー。この日、夕方の中継に備えて、希望を持てるニュースを探していた。
手帳を見たんですけど、ちょうどその日ってオバマ就任で不景気なんてぶっ飛ばせという企画で、オバマさんが就任したことによってアフリカ料理店がいろんな工夫をして不景気解消しようとしてるっていう。そしたら夕方、本番直前になって、とりあえずハドソン川に行けと(有働)
・急遽、事故現場に向かうことになった有働アナウンサー。ところが思いがけないことが起こった。
私のアシスタントがニューヨークに住んでるアメリカ人だったんですけど、怖いって。普通、我々報道でアシスタント一緒に現場に行って取材開始するんですけど、怖いから行きたくないみたいなことを言ったんですよ。何かのテロに違いないって言って、車の中に入っちゃったんですよ(同上)
・アシスタントがいないまま、有働アナウンサーが現場に着いたのは不時着から約30分後。
すごく寒い日だったんですよ。もう手袋をしていないと自分が持っているマイクと手がくっついてしまうぐらいの。この状況では何人かは必ず亡くなっているであろうというのはもう、すぐに思いましたね(同上)
今、ここから機体の状況は見えませんが、救援に行きました船舶などに囲まれて、機体がどんどんと川下の方に流されていっているというのが今の状況です(有働・当時の映像)
・中継しながら、乗客の命は絶望的だと思っていた有働アナウンサー。だが現場には乗客が助かったとの情報も入ってきた。混乱しながらの中継だったという。
分かんなかったです。あれだけの飛行機が落ちて、亡くなっている人がいないっていう状況が分からないというか、想像できないというか。「ほんとに?ほんとにほんとに?その情報」っていう感じではありましたね(有働)
・そして不時着から2時間半後、ニューヨーク市長の会見で乗客乗員が奇跡的に全員無事であることが正式に発表された。
(テロの可能性はあるのでしょうか?)
そのような兆候は全くありません(ブルームバーグニューヨーク市長・当時)
・最悪の事故だと思われた出来事が、最高の奇跡に変わった瞬間だった。
・翌日の新聞。退任するブッシュは隅に追いやられ「ハドソン川の奇跡」の大きな文字が1面を飾った。
みんなこう思いました。「ああ、よかった。テロじゃなかった。しかも全員が無事!?」これこそニューヨークが求めていたグッドストーリーでした。いい話になるはずのない飛行機の不時着が素晴らしい話に変わったのです(ロビン)
「テロだ、怖い」って言ったアシスタントが、ものすごい目、涙いっぱいにして「みんな助かった!」とか言ってこっちに抱きついてきて、仕事しろよとは思ったんですけど。なんか「あっ、そのぐらいの喜びなんだな」と思ったし、もし自分の国だったら絶対そうだし(有働)
・事故から5日後、オバマ大統領の就任式に招かれたサレンバーガー機長。大統領と2人、アメリカの新時代の到来を告げる顔となった。
今でも誰かと会うと必ず聞かれるんです。「元気?」とかの後「ところであなた本当に『ハドソン川の奇跡』を見たの?」って。「ええ、確かに見たわ」って答えるわ(ロビン)
・あのとき目撃したのは、一つの奇跡であると同時にアメリカが変わろうとした瞬間。ロビンは今もそう信じている。
・事故の後、救助にあたった市井の男たちは、全米のヒーローになった。
変な形のボートが見えるぞと船員に伝えたら「飛行機だと思います」と言われました(ロンバルディ船長・当時の映像)
・サレンバーガー機長とそのクルー。オバマ大統領の議会初演説に呼ばれ、アメリカの英雄として紹介された。
(今回の出来事のヒーローは誰だと思いますか?)
人々が「ヒーロー」と呼びたい気持ちは分かります。でも全ての関係者が私には誇りです。その一人でいられて光栄です(サレンバーガー機長)
・あの日、命を救われた150人の乗客たちは、その幸せをかみしめて生きている。85歳の母親を連れて孫に会いに行こうとして飛行機に乗り合わせたダイアン・ヒギンズ。母のルーシーは去年、91歳で亡くなった。事故からの6年、孫やひ孫たちに囲まれながら笑顔で過ごしたという。
母と私は事故のあった1月15日を新しい誕生日として祝おうと決めたの。そうしたら近所の人が毎年その日にお祝いのカードを贈ってくれるようになったの。そのカードを貰うのがいつも嬉しいんです。私たちに起きた奇跡と幸運を思い出させてくれるから(ダイアン)
・奇跡の舞台となったハドソン川。今年2月、また一つの命が救われた。救ったのはあの事故でも活躍したスコットだった。橋の近くを船で通っていたところ、身投げした女性を目撃し救出したのだ。
奇遇だね。この上を1549便が飛んでいったんだ。僕はヒーローになりたいんじゃないんだ。助けられる技術があって、その場所にいられたことに感謝しているよ(スコット)
・そんなスコットが大事にしているものがある。
1549便のシートクッションだよ。ハドソン川に浮いていたのを見つけたんだ。あのときの記念だし、これがあると何だか分からないけど、元気を貰える気がするんだ。だから持っているんだ(同上)
・乗客乗員155人の人生をつないだ「ハドソン川の奇跡」。アメリカを絶望の淵から救ったのは、名も無き男たちの決断と勇気。そして、いくつかの幸運だった。
(2016/9/9視聴・2016/9/9記)
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機長、究極の決断 (静山社文庫)
※関連ページ(アナザーストーリーズ 運命の分岐点)
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