【にっぽん!歴史鑑定】
「貴重映像がとらえた関東大震災」
(BS-TBS・2016/9/5放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/
<感想>
関東大震災から93年、このときの流言飛語によって多くの朝鮮人が殺傷された事件については、先日ETV特集で骨太な内容のドキュメンタリー番組がありましたので、こちらをご参照ください(→【ETV特集】関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか)
ちなみに写真は江戸東京博物館に展示してある浅草「凌雲閣」の復元模型です。
番組で紹介していた「貴重映像」。公開していないかなと思って調べてみましたが…ありましたね、さすが京都大学。ちゃんとデジタルアーカイブで一般公開しています。12分35秒、しっかりと視聴しました。リンクをを張っておきますね(→関東大震災の映画フィルム映像が一般公開されました。(2014年7月8日・京都大学))。
関東大震災がどれほどの災害だったのか、一通り知るうえでは中々の出来だったと思います。個人的に感心しあのは、関東に大きな地震が来る可能性を指摘していた今村明恒氏のことを触れていたことですね。ちなみに彼の説からいえば…すでに93年が経っている今、いつ来てもおかしくないですよね。
あとは、やはり生々しい映像を観るのが一番リアリティーがあると思いますね。上にリンクを張った京都大学のデジタルアーカイブ、ぜひご覧いただくことをお勧めします。周囲が燃えているのに、笑っているような人が本当にいました。番組でも触れられた「正常性バイアス」。この言葉は東日本大震災のときも、津波の来る前後の映像などから指摘されたことでしたが、今も昔も人の心理というのは変わらないことを示していると思います。
大きな地震がいつ、どこに来てもおかしくない日本列島。次はどこになるのか、全く予想もできませんが、それでもこれまでの震災を教訓に、防災・減災で被害をできるだけ抑えるように、常日頃からの心掛けが必要だと改めて感じました。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・平成25年、京都大学工学研究科の地下書庫で貴重な映像フィルムが発見された。地震発生30分後から撮影された関東大震災の記録。12分35秒の映像で、寄贈したのは大阪毎日新聞社。
・付けられたタイトルは「魔の手の刻々に延びつつある9月1日の大東京」。映っていたのは、今までにない鮮明な震災直後の映像だった。ここから次々と明らかになった関東大震災の真実。
・死者・行方不明者10万人以上、日本史上最悪の被害をもたらしたのは知らず知らずに忍び寄った魔の手だった。その謎を解く鍵は映像に隠されていた。人々の笑顔の意味とは。
・飛び交うデマに町は大混乱。通信も交通も断絶した中、命懸けで真の情報を伝えた男たちがいた。その方法とは。
・大惨事時に総理大臣不在。そんな中、立ち上がった実業家・渋沢栄一。集めた義援金は現在の価値で400億円。老骨に鞭を打った知られざる救援活動とは。
<関東大震災直後を捉えた映像に映っていたのは>
・関東大震災直後を捉えた12分35秒の東京の記録。映像は中央区京橋から東京駅にかけての様子から始まる。屋根が崩れ落ちた建物は病院。がれきの中を歩く人々、しかし周りの光景を除けば人々はいつもとさほど変わらない足取りで歩いている。
・東京駅を背に皇居方面を捉えた映像。もうもうと立ち上る黒煙を人々はまるで対岸の火事というように眺めている。
・1923年(大正12年)9月1日(土)。官庁や企業は半ドンで正午までの勤務、明日は日曜日と人々の心が緩んでいる日の出来事だった。突如、関東地方を巨大地震が襲った。マグニチュード7.9、震源地は相模湾。
・40秒ほどの揺れの後、僅か2分で再びマグニチュード7.2の余震が襲い、各地で火の手があがった。その数は東京市だけで130か所以上。火は恐ろしい勢いで燃え広がっていった。焼失家屋41万戸以上、東京市の死者・行方不明者は7万人。地震被害全体の9割が火災によるものだった。
【原因(1)発生時刻】
・東京・墨田区にある横網町公園の一角に関東大震災の記憶を今に伝える復興記念館がある。展示されているのは震災の遺品。炎によって溶け形を変えたガラス瓶、熱によって一塊となった鉄など炎を凄まじさを物語っている。
・火災の謎を解く遺品もあった。神田の交差点で被災した市電の時計。その針が止まったのは11時58分、地震が起きた時刻だった。
・地震が関東を襲ったのは土曜日の昼時で、昼食の準備をしている家庭が多く、台所で使っていた火が火災の原因となり燃え広がったと、関東大震災の映像フィルムを研究している東京大学工学系研究科の田中傑客員研究員は言う。
人々は立て続けに起きたマグニチュード7を超える動揺して、火の始末を怠ってしまった。その上、地震発生から家が壊れてしまったこと。これらが大火災となった一つの要因と言われている(田中氏)
【原因(2)気象現象】
・さらに残されたフィルムにもう一つの延焼の原因が映っていた。強風に物が吹き飛ばされている。
・地震発生前日の8月31日の天気図を見てみると、西日本に台風が来ていることが分かる。地震当日9月1日の朝には勢力は弱まりつつあったが、東京地方はその余波を受け正午には風速12.3mを観測。午後11時になると風速20mを超え、その風に火があおられ火災は広がってしまった。
【原因(3)火災旋風】
このとき「火災旋風」という現象が起きたと言われている(田中氏)
・火災旋風とは、地震などにより都市部などで起きた大火事によって発生する炎を伴う竜巻のようなもの。
・その発生の仕組みは、大きな火事が起きると強い上昇気流が起きる。そこに横風が吹きこむと炎を回り込むように風が流れ、ぶつかるところで渦が生じる。この渦が炎を巻き上げ竜巻のようになる。
強風にあおられ、およそ毎分14mという凄まじい速度で燃え広がった火災は、史上最悪の被害を生んでしまった(同上)
・中でも火災の被害が大きかったのが、神田、本所、浅草といった家が密集し多くの人々が暮らす下町だった。当時、浅草にそびえていた高さ60mの凌雲閣(通称 十二階)。日本初のエレベーターが設置され、世界中の特産品を売る店や展望台があった現在の東京スカイツリーのような存在だった。しかしこの近代的な建物も地震で半壊し、8階までしか残らなかった。
・観光客で賑わう浅草の交差点。震災時は家から飛び出し逃げ惑う人々でごった返していた。浅草寺へと続く仲見世通りも焼け落ちてしまった。東京一の観光地・浅草は見渡す限りの焼け野原となってしまった。
<1か所で4万人の犠牲者が出た理由とは>
・現在の墨田区南部は関東大震災が起きた当時、東京市本所区と呼ばれていた。地震直後に撮影された映像には、商店街に避難してきた人々が迫り来る炎を眺める姿が収められていた。実はこの本所の9割が火災で焼失したと言われている。
・中でも最も人的被害が大きかったのが旧陸軍被服廠跡、軍服の調達や製造・管理をしていた施設。現在の両国駅周辺にあり、約2万坪という広大な敷地を有していた。
・ここで東京市の死者・行方不明者の半数に及ぶ約4万人もの人々が亡くなった。なぜ被服廠跡に人々が集中し犠牲となってしまったのか。
被服廠は移転して震災当時、広大な空き地となっていた。残された写真や証言を確認すると、震災後の午後3時には4万人ほどが被服廠跡に避難していた。地震による炎が墨田川の対岸・西側に到達したのは午後4時頃、さらに北、東、南と同時刻に炎が押し寄せてきた。さらに避難者が逃げる際に持ってきた家財道具に炎が燃え移ったことで被害が拡大した(田中氏)
<震災直前に総理大臣が急死して総理不在の状況だった>
・震災発生8日前の8月24日、総理大臣であった加藤友三郎が急死。元海軍大臣の山本権兵衛が次期総理大臣になることが決まっていたが組閣に難航、日本は総理不在の状況が続いていた。
・そんな中、9月1日はようやく内閣の顔ぶれが決まり、それが新聞記事のトップを飾る予定だった。そのため大阪の新聞社は東京と頻繁に連絡を取り合っていた。そして組閣の情報が入ったそのとき、関東大震災が起きた。
・地震発生から間もなく、関東の交通・通信・電気などのライフラインはストップ。ラジオもまだない時代だった。東京で一体何が起きたのか、大阪では最早知る術はなかった。
・その混乱の中、大阪毎日新聞の記者である加藤直士が東京にいた。そのときの様子を後に加藤はこう話している。
東北から帰る列車の中で震災を経験した。上野に到着してその足で丸の内へ向かうと、三越や日本銀行は無事だったが警視庁はまさに焼け落ちようとしていた。そして東京日日新聞社に行ってみると社員総出で消火活動にあたっていたので、それを手伝うことにした。そんな中、不意にある使命感に駆られた。関西と連絡を取らなければと。そこで1日の午後9時、東京を後にした。
<デマに翻弄された人々が起こした事件とは>
・地震発生から丸2日間燃え続け、一向に収まることのない火災。その不安の中、朝鮮人が暴動を起こし放火している、井戸水に毒を入れているなどの噂が飛び交ったことで、町はより一層混乱をきたした。
・そしてこの流言飛語が悲劇を招いた。軍隊や興奮した民衆、各地でつくられた自警団によって罪のない朝鮮の人々が捕らえられ殺害されてしまった。その数は6000人と言われている。
・さらに社会不安を扇動したとして、震災とは無関係の大杉栄ら社会主義者らも殺害された。
・戒厳令が敷かれ軍の統制下に置かれた東京。人々の心の中にはこんな魔の手も忍び寄っていた。迫り来る炎を前に避難もせずに見ている人々。その顔にはまだ余裕と笑顔がみられる。実はこのとき彼らは「正常性バイアス」という心理状態にあったと考えられる。バイアスとは思い込みのこと。想像を絶する事態に遭遇した際、人は危険に対するスイッチが入らず「起きるはずがない」と誤認識し、避難行動が遅れてしまうという。このときも経験したことのない災害に直面し、人々は正常性バイアスで避難が遅れたと考えられる。
<惨状を伝えようと尽力した人々>
・極限状態の人々に次々と襲いかかる恐ろしい魔の手。正しい情報、日本の惨状を伝えなければと使命に駆られた人々がいた。彼らは如何にして震災の情報を伝えたのか。
・横浜で被災した神奈川県警部長の森岡二郎は、迫り来る炎を逃れて海に飛び込み、沖合に停まっていた貨物船まで必死に泳いだ。そして船の無線を使って東京の内務省、大阪府のほか2県の知事宛に救援を求める電報を打った。
「横浜震災に引き続き津波火災のため全滅 飲料水食料なし救援頼む 東京は不明なるも多分動揺ならむ」
・これを千葉の銚子無線局が受信、大阪中央電信局長宛に電報が打たれた。さらに福島県富岡町の磐城国際無線局も受信し、ホノルル経由でサンフランシスコに伝わった。9月1日午後11時、これが国外への第一報となり、日本の窮状を知ったアメリカはヨーロッパへ通報。また北京にも伝わり、中国国内で絶えず報道されたという。
・大阪毎日新聞の記者・加藤もまた強い使命感のもと、東京から大阪に向かっていた。浦和から高崎を経由して3日に長野に到着。
・電信が開通していたので加藤は電報を打った。震災の第一報が大阪毎日新聞に届いた瞬間だった。その後、大阪へ戻り不眠不休で記事をまとめたという。
・加藤の記事は9月3日の号外に載った。
「嗚呼!酸鼻の東京市」「日比谷公園の鯉を追う飢えた罹災民」「あてもなく市街を彷徨する憐れな人々」
・さらにこんな気持ちも綴っている。
「助かった有り難さに悲痛な顔にも嬉しさがあった」「物質的には全滅する自然の惨禍も、人情の美は滅ぼすことができない」
・自分が今ここにあるのは多くの人に助けられたからであり、人々は惨禍の中、ともに助け合いながら生きようとしている。そして翌日の紙面でこう訴えた。
「流言飛語に迷わされるな」
・こうした彼らの活躍により、被災地の実情が全国そして世界へと伝えられていった。
<関東大震災を予測した男がいた>
・関東大震災から遡ること18年前の1905年(明治38年)、地震の発生を予測した男がいた。地震研究に生涯を捧げた学者・今村明恒。
・今村は過去の地震の記録から、次の関東における大地震を予測しようとしていた。関東では江戸時代以降、1605年の慶長地震、1649年の慶安地震、1707年の宝永地震、1855年の安政地震と4度の巨大地震が起きていた。その間隔は50年から150年ほど。早い周期ならば近いうちに大地震が起きてもおかしくないと、今村は予測した。
・そこで当時の人気雑誌である「太陽」に論文を発表、警告した。しかし新聞社が地震の恐ろしさだけを伝えてしまったため、町は大騒ぎとなった。その状況を収めるため、上司である大森房吉が今村の説を否定。これによって今村は学者としての信用を失墜してしまった。
・それでも研究を止めなかった今村は、世界初の近代的地震計を開発。関東大震災の8か月前には全国7か所に設置された。そんな今村の地震計は関東大震災の揺れをしっかりと記録していた。そしてそこから震源地が相模湾沖であることまで計算したのだ。
・今村が警告した関東大震災は首都圏を壊滅状態に陥れ、約150万人もの人々から家を奪った。列車が行き交うことのなくなった線路の上を彷徨う人々、日よけを張り腰を落ち着けようと決めた人もいた。
・上野駅は被害が甚大だった下町から逃げてきた大勢の避難者で溢れかえっていた。駅にほど近い上野公園の石階段も震災当時は寿司詰め状態で身動きが取れなくなっていた。
・避難してきた人々は上野だけで100万人以上。このとき火事で食料は殆ど燃えてしまい、さらに断水により深刻な水不足も起きていた。3日3晩飲まず食わず、人々は激しい飢えに苦しめられた。
・地震直後、避難所では区役所による配給や炊き出しが行われたが、人手が足りなかった。問題は山積みだったと、震災後の救援・救護活動に詳しい東京大学人文社会系研究科の鈴木淳教授は言う。
数日前から見当がつく水害と異なり突然起こった地震にどう対応していいかということは当時誰も経験がなかった(鈴木氏)
・その窮状が知らされると全国の人々から救援の手が差し伸べられた。4日夕方に大阪を出港した大阪商船「あんです丸」は7700万石の米を積み、横浜へと向かった。その後、民間船が次々と食料を運んだという。
<救援・復興に立ち上がった渋沢栄一>
・そして実業家の渋沢栄一。銀行の設立や民間事業に尽力し、近代日本の経済の基礎を築いた人物。渋沢は日本橋にある事務所で被災した。事務所は倒壊したものの奇跡的に助かった渋沢は、東京の惨状を目の当たりにし救援活動を乗り出そうと考えた。このとき83歳、家族は東京を離れ避難するよう止めたという。しかし渋沢はこう言ったという。
「逆境に処しては断じて行え。決して惑うではならない」
・まずは埼玉県から米を取り寄せ食料を確保。北区王子の飛鳥山にあった自らの屋敷を食料配給本部とした。
・次に被災者の収容、炊き出し、災害情報板の設置、臨時病院の確保など行政ではなかなか手が回らない極め細かい対策を練り実行していった。
・さらに渋沢は1000万円(現在の価値で約400億円)を超える巨額の義援金を集めた。期待したのは米国人実業家だった。4度にわたり渡米し全米主要都市を全て訪問したことのある渋沢には各地に多くの友人がいた。さらに「偉大なる老人」と呼ばれ、アメリカ財界では最も有名な日本人実業家として大きな信頼を得ていた。そうした国際的な人脈を活用し、政界・経済界の重要人物に手紙や電報で復興のための義援金を要請したのだ。
・9月3日、救援物資を積んだアメリカ艦隊が日本に向け出航。集まった義援金も525万ドルと当時のレートで1000万円にもなった。その義援金は孤児院の設置や被災外国人への支援など、多くの救済・復興事業に役立てられた。
このとき岩崎、前田など華族の家が開放され、多くの避難民が入ってくる。また被災を免れた一般家庭に受け入れることが行われた。被災者を家に迎え入れ救護することは最も実効性のある活動だった。災害時の助け合い精神は江戸時代から受け継がれてきたものだった(鈴木氏)
<山本内閣成立、災害対処と復興計画を担った後藤新平がとった政策は>
・9月2日夜、ようやく山本権兵衛内閣が発足、親任式が行われた。このとき災害対処と復興計画の責任者として任命されたのが内務大臣の後藤新平。推定被害総額は55億円、当時の国家予算の3倍を上回る額に、誰もが復興は難しいと考えていた。
・そんな中、後藤はこの震災が日本を変える絶好の機会と捉え「帝都復興計画」を立案。道路やガス、上下水道などのインフラ整備はもちろんのこと、被災者のための住宅をつくる計画を実行し、青山の同潤会をはじめとする鉄筋コンクリート造りのアパートを供給した。
・強力なリーダーシップを発揮した後藤は、今につながる首都・東京をつくっていった。
・残された関東大震災の鮮明な映像フィルム、その最後はこんなシーンで終わっている。震災から数日後の浅草・凌雲閣。地震によって半壊していた建物は倒壊の危険性から、陸軍が爆破し取り壊した。
・壊滅的な被害から様々な人々の努力によって成し遂げられた復興。その教訓を今に伝えて…。
(2016/9/9視聴・2016/9/9記)
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