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Channel: じゅにあのTV視聴録
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【NNNドキュメント’16】移住女子~私がムラを選んだ理由~

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【NNNドキュメント’16】
「移住女子~私がムラを選んだ理由~」

(日本テレビ系列・2016/9/5放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 30分のドキュメント番組でしたが中身が濃く、そして秀逸なものでした。大学を卒業した女性が新潟の限界集落に移住し、米や野菜をつくり酪農も行い、そしてムラの人々に受け入れられていき、結婚・出産。そしてこれからも生きていく…という清々しい内容。

 もちろん困難なこともあるでしょう。でも、困難があるかもしれないと躊躇する人と決定的に違うのは「まずはやってみる!」ことが出来るかどうか。そう思います。

 可奈子さんの生き方に大変勇気を貰ったような気がします。私もどんなに遅くとも4年以内に関東地方を脱出したいと思っています。あれこれと難しい理由を並べるのではなく、失敗を恐れずやってみることが大事だと思いました。

 仕事辞めて、田舎へ移住して、そこでやりたいことをやる。そんなに世の中甘くないよという自分もいますが、やってみたら何とかなるんじゃないかなという自分もいる。そんな今日のこの頃です。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・今から5年前の冬、新潟のある限界集落に東京から一人の大学生が移り住んだ。坂下可奈子さん(当時23)、広告代理店の内定を断っての移住だった。
・自然とともに生きる村の豊かさと温かさ。自然とともに生きる厳しさも。支えてくれた大切な人との別れ。

「それでも私はこのムラで生きていく」

・山あいの集落で暮らすことを選んだ移住女子、5年間の記録。

<東京から移住してきた23歳の“移住女子”>
・新潟県十日町市池谷集落、標高300mの山あいにある小さな村。昭和30年代には37世帯170人以上が暮らしていたが、可奈子さんが移住した5年前は7世帯16人に減っていた。
・可奈子さんが住むことになったのは、30年ほど前に休校となった小学校の分校。今は公民館として使われている建物の管理を可奈子さんは集落から任された。報酬は月5万円。
・村の人たちが飼う鶏や牛の世話、農作業の手伝いをしながら少しずつ池谷の暮らしに馴染んでいった。

“朝”が一番気持ちいいですね。“朝”が一番きれい(可奈子さん)

・全てが輝いて見える池谷の朝。こんなに晴れやかな気持ちで暮らせるようになったのは、この村に来てからだ。
・可奈子さんは香川県高松市生まれ。高校の頃は体形にコンプレックスを持ち、過激なダイエットをすることも。食べることに罪悪感すら持っていた。
・東京での大学生活。海外での人道支援などに興味を持つ一方で、自分にできるのはもっと身近なことではないかと悩んでいた。
・そんな可奈子さんが偶然知った池谷での農業ボランティア。大学3年生のとき初めて訪れた。目をかけてくれたのが、農家の曽根藤一郎さん。集落では「橋場さん」と屋号で呼ばれていた。村で過ごすと心が晴れるような気がした。
・やがて可奈子さんは毎月、池谷に通うようになった。そんな彼女を橋場さんの妻・さき子さんも娘のようにかわいがってくれた。この日教えてくれたのは、集落の夏の保存食・ちまきの作り方。可奈子さんが撮った写真に書かれたメッセージ。

「若い人達といつまでも交流出来ます様、元気で長生きして頑張ります はしば咲子」

・過疎に直面しながらも前向きに生きる池谷の人たち。ここは限界集落ではなく、希望集落だと可奈子さんは思った。

こういう大人になりたいなとか、こういうおばあちゃんになりたいとか、こういう生き方をしたいという憧れるような人たちがいたから、すごく(移住する)決断は早かった(可奈子さん)

・移住して初めての夏。可奈子さんが世話を任されていた母牛が夜のうちに子牛を産んでいた。

(子牛は)だいぶ前に出ていたんだよ(橋場さん)
乳ももう飲んでいましたし(可奈子さん)


・希望集落に生まれた新たな命。可奈子さんは自分の姿と重ね合わせていた。
・池谷での生き方はとてもシンプル。食べ物を育て、それを調理して食べる。食べることに罪悪感すら持っていた可奈子さん、食べることは生きること。

おいしそうに食べている顔が一番いい顔だねと言ってくださったりとか、それでいいんだという“気づき”はすごくありましたね(可奈子さん)

・「かなちゃんは今のままでいいんだよ」。池谷の人たちは、ありのままの自分を受け入れてくれた。
・移住3年目の春のことだった。橋場さんの妻・さき子さんが突然倒れ亡くなった。74歳だった。

十日町のお母さんが亡くなっちゃったみたいに感じますけど…。本当に移住したときからずっと気に掛けてもらってて、これをどうやって恩返ししたらいいんだろうって、ずっと考えていたんです。何かその「ありがとう」をどう伝えていけばいいかって思って(可奈子さん)

・その3か月後、可奈子さん橋場さんから田んぼを借り、本格的に米作りを始めていた。山清水でコシヒカリを育てる。早く一人前になることが私の恩返し。
・まだまだ不慣れな可奈子さん、稲の成長は大幅に遅れていた。

<同じ“移住女子”とフリーペーパーづくりも>
・さらに可奈子さんはこんな取り組みも始めた。この日、打ち合わせに向かったのは長野県栄村。自分と同じように、都会から過疎の村に移住した女性たちと情報誌を作ろうというのだ。
・メンバーは、東京から新潟・長岡の過疎集落に移住した阿部里奈さん(当時27)、大阪から長野・栄村に移り住んだ渡辺加奈子さん(当時31)。可奈子さんたちは情報誌の中で、自らを「移住女子」と呼ぶことに。
・移住女子のフリーペーパー「ChuClu」(ちゅくる)、「中山間地に来る」を略して名づけた。メンバーの暮らしぶりを通して山あいに広がる自然豊かな中山間地の魅力を、同世代の女性たちに伝えたいと思っている。

<米作り、そして大きな節目を迎える出来事も>
・迎えた実りの秋。田んぼは黄金色に染まった。でも可奈子さんの表情は…。米の収穫量が目標の半分ほどに減ってしまった。水の管理に失敗し、肥料も少なかったことが原因だった。一筋縄ではいかない農業の厳しさ、実はこの夏には野菜作りにも失敗していた。
・早く一人前になって橋場さんたちを喜ばせたいと思っていたのに…。可奈子さんのブログには…。

たくさん失敗をした。最近ちょっと、辛くて、せつなくて、疲れちゃった。

・池谷に長い冬が訪れた。さき子さんが亡くなってから可奈子さんは、橋場さんに食事を作ってあげる機会が増えた。テーブルに並ぶのは、さき子さんから教わった手料理。どれも橋場さんの好物。
・この翌年、可奈子さんの暮らしは大きな節目を迎えた。
・移住して4年目の秋、可奈子さんは米農家として独立していた。これまでの苦労のかいあって、この年は豊作。
・そして可奈子さんの傍らには一人の男性が。地元の建築設計士・佐藤幸治さん(当時34)。二人は幸治さんが仕事で池谷を訪れたときに知り合った。

普段いろいろ一人でやっているだろうから、それを考えると自分一人だと辛いなと思って(幸治さん)

・幸治さんは可奈子さんの生き方を受け止めてくれた。
・集落のブナ林で開かれた新米の試食会。ブログなどを通して可奈子さんの米を注文してくれた人たちを招待した。
・手塩にかけたコシヒカリ。移住4年目にして可奈子さんは米農家として一番の喜びに浸っていた。
・2014年11月、花婿は幸治さん。池谷に住む花嫁のお披露目は、約30年ぶりだ。お世話になった人たちに見ていただくことができた。
・披露宴を開いたのは、移住生活の原点となったあの分校。

今回「ありがとう」っていうのを伝えたい人が本当にたくさんいて…。池谷が良くて来て、幸治さんと二人で、池谷、入山も一緒になってつないでいこうよって二人で決めました。まだまだ未熟な二人ですが、これからも同じように怒って、同じように声を掛けてくださればと思います(可奈子さん)

・そこには可奈子さんの両親の姿も。父・且人さんは彼女の移住に反対していた。
・10か月後の2015年9月(移住5年目)。2934グラムの元気な女の子。名前は「あさ」と名づけた。大好きなあの池谷の朝のように、すがすがしく希望にあふれた子どもに育ってほしい。
・出産から3か月、可奈子さんはあさちゃんを抱いて東京へ向かい、あるイベントに参加した。それは「全国移住女子サミット」。北は宮城から南は熊本まで、地方に移り住んだ女性がその魅力を都会で働く女性たちに紹介するイベント。
・可奈子さんが伝えたかったこと。

確かに農業は大変だと思うんですけど、ぶれない生き方がそこにあって、信じているものがあって、世の中がどう変化しても確かな生き方。こういう生き方っていいよなという姿がたくさんあるのが良かったですね(可奈子さん)

・話を聞いた女性たちは…。

輝いているなって思いました。住んでる方が実際にすごく幸せなんだなっていうのが、すごく伝わってきたので(千葉・習志野市に住む女性)

数年後には田舎暮らししようって、ちょっと決意しました(神奈川・相模原市に住む女性)

私は移住女子。過疎の村を選びました。
移り住んで5年、見つけたのは自分らしい生き方。
私は移住女子。これからもこの村とともに生きていく。


(2016/9/7視聴・2016/9/7記)

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