【NNNドキュメント’16】
「あざと生きる~雅治君と「血管」難病の12年~」
(日本テレビ系列・2016/6/13放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/
<感想>
「障害は個性の一つだ」と簡単に言うことはできないと私は思っています。その重度も個人によって違うし、ましてや障害を持っていない者が軽々しく言うべきではないと思うからです。
今回のお話はすごく考えさせられました。顔や体のあざを持つ人が身の回りでいたら…。それを蔑んだりすることは最低の人間のすることだと思うので自分はしないのは当然ですが、やっぱり全く気にしないといえば嘘になるでしょう。私だったら逆に気を遣ったりするかもしれません。それがかえって相手に伝わったら、傷つけてしまうのではないかとか、いろいろ考えてしまうのです。
それでも、番組の最後に笑顔でインタビューに答えた雅治くんの表情をみたら、そんな難しいことを考えなくても「人は中身が何よりも一番」だと思いましたね。どんなに美しい顔形をしていたとしても心が醜い人は醜い人です(そういう人は必ずといっていいほど表情に出ます)。もちろん心が優しい人はそれが表に出るし、(表面上の)違いがあっても人と人は分かり合えると思います。
この世から差別や偏見を全て無くすというのは難しいかもしれません。顔のあざが原因で結婚相手の家族と破談になるようなことが全くゼロにはならないかもしれません。それでも、人が人として生きていくためにはお互いの「違い」を認め合うという社会をつくっていけば、それを無くす方向には確実に向かっていくのではないかと思いましたね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・岩川雅治君。生まれたときから顔の右半分に大きな赤いあざがある。お兄ちゃんにはない。
・痛い治療を我慢してあざが少し無くなったが、初めて見る雅治君のあざに同級生たちからの質問は容赦ない。それからあざのことを気にしない日は1日もなかった。
・あざを背負って生きてきた雅治君の12年。
<原因不明の病気で顔にあざがある男の子>
・蔵王連峰の中腹、雅治君の自宅は山形県上山市にある。両親はそこで山荘を経営している。彼は4人家族の次男、明るくてひょうきんな笑顔の絶えない子。
・たった一つ、他の子と違うのは顔にあざがあること。2004年に生まれた雅治君。血管の異常によってできた腫瘍が皮膚の下にあるため、あざとして赤く見える。この病気はスタージ・ウェーバー症候群。5万人から10万人に1人という原因不明の病、家族であざがあるのは雅治君だけ。遺伝や感染はしないが…。
彼がまだ小さい頃にベビーカーに乗せて行くんですけど、そうすると、まあ見られますよね。すると、全然知らない見知らぬ老夫婦が背中を後ろからボンっと叩かれて「顔にやけどをさせるのは母親として失格だ」「100%母親の責任なんだ」「あんたは母親になる資格はない」と言われた(母・智恵さん)
・母としては、あざを少しでも薄くしてあげたい。生後4か月の頃からあざの原因、皮膚の下の腫瘍をレーザーで取り除く治療を続けていた。泣き叫ぶ雅治君、両親とも治療を見ていられない。
痛み、多少はあるんでしょうけど、あんなに大騒ぎするほどじゃないらしいんですけど。怖いものだという意識が植えついちゃっている(父・耕治さん)
・レーザー治療はこれまでに80回を超えていた。しかし今のレーザー治療の技術では皮膚の奥の腫瘍までは消せず、完全にあざをなくすことはできない。でもなるべく薄くしたい。この先も治療を続けていく。
<小学校入学、学校での生活は>
・2011年2月、雅治君の小学校への入学が迫っていた。母・智恵さんは学校説明会で、あることを話しておきたいと思っていた。
多分、うちの息子はずっと生まれたときから「顔が赤いね」「どうしたの?」とかっていうふうに言われ続けていまして。最近、保育園で同じお友達とトラブルがありまして、お友達をケガをさせてしまったということが起きました。できれば、こういう子がいるんだよということを入学前に皆様のお子様に言っていただければ…(智恵さん)
・小学校で息子につらい思いをできるだけさせたくない。
・2011年4月、小学校の入学式、雅治君のあざを知らない子どもたちと集団生活が始まった。
・雅治君に大きな変化が表れたのは、入学式から7か月後のこと。学芸会の出し物を紹介するクラスごとのポスターの中にそれはあった。そこには一人一人の自画像が。雅治君の頬には、保育園のときには描いたことは無かった顔のあざを初めて描いた。あざをさらに意識するようになっていた。
・学芸会の日の朝、雅治君は初めて全校生と大勢の保護者の前でステージに立つ。岩川家では毎日、家族一緒に朝食をとる。大事な日の朝は必ず白いご飯。蔵王の麓にある学校までは、山を下ってバスで通っている。
・お父さんとお母さんが心配なのはクラスメイトとうまくやれているか、その一点。本番直前、緊張感からか雅治君はあざを気にしていた。いよいよ1年1組の出番、1か月間クラスメイトと練習を重ねてきた。
・雅治君は大きな声でみんなに呼びかける役。落ち着いている様子。あざのあるなしは関係なく、みんなとうまくやれた。蔵王には秋の気配が漂っていた。
・2年生になった。今年も雅治君のあざを知らない新入生が入ってくる。あざを隠してやりたいお母さん、ファンデーションを塗ってあげた。雅治君は思った。ファンデーションは魔法の薬だと。3年生になっても入学式だけは魔法の薬を塗っていった。
<難病認定のため国に働きかける>
・3年生になった6月、雅治君の姿が厚生労働省にあった。難病への指定を求めるためだ。難病に指定されると治療法の開発に道が開ける。さらに患者や家族にとって大きな負担となっている医療費への補助も受けられるようになる。
「ぼつぼつ」と言われたり「何したの?」と言われたくないので、レーザーをしなくてもいいようにしてください。気まぐれに目眩がするときがあって、それも血管奇形が関係しているのだと思います。頭が痛くなるときがあります。検査をしてもよく分からないと言われます。だから分かるようにしてください。よろしくお願いします(厚労省に働きかける雅治君)
・この日はファンデーションを塗って行かなかった。2か月前、お父さんに「あざを一生隠し続けていくのか、それともオープンにしていくのか」と聞かれ「オープンにしていく」と答えた。でも、まだ気持ちは揺れていた。
・母・智恵さんたちが要望活動を始めてから7年後の去年7月に思いが実現し、スタージ・ウェーバー症候群が難病に指定された。
本当に自分の中では、本当に長い長い11年でした。早く難病になって、やっぱりこの世の中にこの病気を知ってもらいたいっていうことはありましたね(雅治君・当時5年生)
<同じようにあざを持つ男性との交流>
・雅治君と同じ思いを持つ人が。ある男性がFacebookで自分のあざの写真を堂々と公開していた。その男性は九州にいた。首藤雄三さん(57)、生まれたときから右側の上半身を中心に大きな赤いあざがある。彼の病気は雅治君と似た病気で、血管やリンパ管の異常によって腫瘍ができ、あざや手足の腫れが起こる。雅治君の病気と同時に難病していされた(クリッペル・トレノネー・ウェーバー症候群)。
・首藤さんは、あざが病気によるものだと知らぬまま人生の殆どを生きてきた。大学時代は相撲部、社会人になってからはスイミングスクールのコーチも務めた。あざを隠さず生きてきたが、偏見や差別も経験してきた。
社会人になったとき、初めて彼女ができた。お互いが結婚の方向に気持ちが向かってたときに、彼女のお母さんから呼び出されて「義理の息子がそんなあざのある人だったら、恥ずかしくて私は近所の人に紹介できない」と言われた(首藤さん)
・この女性との結婚はかなわなかった。しかしその後、首藤さんは別の女性と巡り会い、5人の子どもにも恵まれた。
・転機が訪れたのは去年10月、偶然受診した皮膚科で難病だと診断された。
僕は難病だったんだ。俺に何かできることあるんやないかなっていうのを、ずっと悶々と一晩考えて、もし同じ病気の人で悩んでる人がいるんやったら、出てこようよ、みんなで話し合おうよ(同上)
・難病と知った次の日、首藤さんは体のあざをFacebookで公開した。それを見つけた雅治君の父・耕治さんが早速、連絡を取った。「そう遠くない将来にお会いしたい」。メッセージを送った1か月後、ネットの電話を通して2人は会話した。雅治君たちの活動で実現した難病の指定。それがきっかけで首藤さんと雅治君が繋がった。
僕はみんなに顔のあざを言われて「きもい」とか、そういうひどい言葉を言われます。顔のあざのことを沢山言われて、時々嫌になったこともありました。質問なんですけど、首藤さんは僕くらいのときに、そういうことありませんでしたか?(雅治君)
おじさんは「赤猿」というあだ名が付いていた。みんなから赤猿、赤猿ってばかにされたり、触ったボールは(あざが)うつるから使えないといって、いじめを受けたことはあります。常におじさんは笑顔でかわすようにしてます。今も街を歩いていたら指をさされたりするんだけど、そのときでも笑顔で返すようにしています。ちょっと辛いけどね、辛いけど、笑顔で返したほうが相手が分かってくれると思いますよ(首藤さん)
・11歳と57歳、年の差46歳の友達だ。
悩んだり困ったりしたらこの人に頼って、この人に悩みとかを相談しようと。何でも質問してねって電話の最後に言ってくれて、それが心に響いた。
(あざを)治したいのはやまやまだけど、治らないんだったら治らないでいいや。治るまで待とうみたいな(雅治君)
・首藤さんと出会った雅治君、5年生の終わり頃からはあざを消したいとは思わなくなったという。クラスではちょっぴりおちゃめで、みんなに積極的に声をかけるムードメーカーになっている。
いつも楽しい話してくれるし、いつも声かけてくれたりしてくれます(クラスメイトの男子)
(あざ気になったりする?)
あっ、全然しません。普通にドッジボールとかしたり、いろいろ自慢したりして遊んでます(クラスメイトの女子)
皆(あざを)気にしていないなというのしか感じません。ていうか、自分でも忘れてるときあります(雅治君)
・この春、6年生になった。今日は小学校で入学式がある。今年もあざを知らない1年生が入ってくる。毎年ファンデーションを付けていくか迷ってきた。
(ファンデーション付けていかないの?)
あっ、付けませんよ。もう6年生だし(雅治君)
・最上級生、少し大人に見えた。
(中学で知らない人と一緒になる不安は?)
いや、ないっす。言われても(病気のことを)言えばいいというのと、生活に支障がないからと流す感じになっちゃいました(雅治君)
・大好きな野球ではチームのエースピッチャーを任された。かつてあざのことを言われ友達にケガをさせてしまったり、ファンデーションを魔法の薬と思った雅治君は、もういない。
あざがあるけど、そのおかげで今、自信を持って生きているみたいな、そんな感じ(雅治君)
・あざとともに生きていく。
(2016/6/16視聴・2016/6/16記)
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