【ETV特集】
「その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人」
(Eテレ・2017/2/11放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
<感想>
先週のETV特集の「次週予告」を観たときに「大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎…誰?」「なんだろう、面白いのかな、これ?」という半信半疑の気持ちでで視聴しました(今から考えれば大変失礼でしたが)。
86歳でパーキンソン病を患いながらも、街頭で舞踏をみせるということに執念を傾けるギリヤークさん。正直言ってその芸術的な部分は私のような者が理解するのは難しいほどのものがありますが、それでも一際驚いたのは「10月10日の新宿公演」という目標に向けて、それが近づくにつれて歩くことが覚束なかった彼が徐々に体が仕上がってきていること。それは以前、楽屋でベッドに横たわり点滴を打ちながらもステージに立った美空ひばりのような“プロ”としての魂と同じようなものを感じました。
そして圧巻だった新宿での公演。長年応援してきた人たちもそうだし、たまたま偶然立ち寄った人にとっても心揺さぶられるような公演だったのでしょうね。画面を通しても迫力が伝わってきました。
そんなギリヤークさん。50周年を迎えるあと2年頑張るという決意表明をされていました。私も機会があれば観てみたいです。どうかそれが叶うためにも、お元気でお過ごしいただきたいと切に願います。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
その男
職業・大道芸人
昭和5年生まれ
およそ半世紀
世界の路上で
変わることなく
踊り続けてきた
伝説
投げ銭で生きる
日本最高齢の大道芸人
人を惹きつける狂気
<高齢の大道芸人 原因不明の病気に>
・2016年7月1日
・東京世田谷・都営住宅
・ギリヤーク尼ヶ崎、85歳
もう舞踏家の体っていうもんじゃないですよ。今年になってね、こんなに骨が曲がってるの。そして手の震える病気で、つばが流れるんですよね、唾液が。どこの大学病院に行ってもね病名がね、どうしてこうなるかがね分からないそうです。はっきり言って治療の方法がないって。なんでこんな病気になったのかね。踊りだけやってきた人間だからね。不思議でしょうがないんだけど。去年は調子よかったんですよ、まだ。10月の体育の日に東京の新宿の広場でね、それまでにね踊りたいな。昭和53年から今まで一回も休まないで踊ってきたからね(ギリヤーク尼ヶ崎、以下「ギ」)
(ギリヤークさん、復活できそうでしょうか?)
ちょっと無理だろうなと思うんだけどね…(弟・はるさん)
・3か月後の新宿公演へ
・炎天下で1時間
しなやかに僕が手を振ると風が吹いているね。ギリヤークさんが踊ると風の音がするって。全然そういう動きが消えちゃったわけ。だけどね、人を感動させるには命がけで踊るっていうか、捨て身の踊りっていうか。捨て身の動きをまた取り戻したいんだよ。ギリヤーク尼ヶ崎、今、沈没するわけにはいかない。選挙じゃないけど、まだがんばるよ(ギ)
<海外公演 映画の出演も>
・ギリヤーク尼ヶ崎 伝説の大道芸人
・北海道函館生まれ
白鳥の湖(踊るギリヤーク尼ヶ崎)
街頭で踊って投げ銭もらって生活してきた(ギ)
・ニューヨーク
・フランス
・ブラジル
・中国
・ロシア
・海外でも路上公演
じょんがら!じょんがら!(踊るギリヤーク尼ヶ崎・1982年 パリ)
すばらしい、こんな踊り見たことないよ(見物人の男性)
(映画「さらば箱船」寺山修司監督・1984年に出演)
(映画「マルサの女」伊丹十三監督・1987年に出演)
つまり、秩序の外にいる人だから。ものすごくナイーブで人のよさそうな顔と…同時、何ていうのかな、こちらの秩序の世界に属さない暗黒の外側からやって来たみたいな。何かを讃えてますね、あの人はね。そういうものに惹かれるわけでしょうね、我々は(故・伊丹十三氏)
<兄弟と2人で暮らす>
・2016年7月21日
病院行くんだ(ギ)
・6人兄弟の次男と末っ子
兄貴は昭和5年に生まれてさ。俺は末っ子で生まれたから昭和15年だから(はるさん)
・85歳と75歳の兄弟
この間、日大千葉病院に行ってきたんですけど(病名が)分からなくて(ギ)
今まではね、せいぜい新宿まで連れて行くぐらいで(はるさん)
やっぱり、よだれ出てくるわ(ギ)
踊れるのか踊れないのかはあるんだけど、環境はつくってあげようと思って(はるさん)
・整体院
それ痛い。それです、それです(ギ)
<86歳の誕生日を迎えた>
・2016年8月18日
狛江ますで治療院に行ってきた帰りで、今買い物しながら帰ってきたんだ。もうおなかすいちゃったっちゅうから(はるさん)
今日は僕の誕生日なんですよ(ギ)
(何歳になったんですか?)
86歳になったばかりですけど(ギ)
(今日は何を?)
今日はね味噌汁にね、お刺身とコロッケかな(はるさん)
(今、ギリヤークさんと住まれてどれぐらいなんでしたっけ?)
ここに来て7年ぐらいになるんじゃないかな(同上)
(お仕事はずっと何をされてたんですか?)
タクシーの運転手してたんですよ(同上)
(今、生活はその…)
タクシー時代の年金で(同上)
(細かく切られるんですね)
噛めないからね、細かく切っといてあげないとね(同上)
・好物ばかりの誕生日のメニュー
おいしそうだなあ。僕の大好きな生ハムだ(ギ)
(生ハム好きなんですね)
パリで踊ったときに泊まったホテルでね、生ハムを出してくれたのがやみつき(ギ)
今日はうまいわ(ギ)
今日はうまいって、いつもおいしいんだよ(はるさん)
腰は曲がるし、顔にしわはできるし、激しく動くこともできなくなった場合、それをどう乗り越えていくかはね。死ぬまで(ギ)
猿でも犬でもさ、みんな命があるんだよ。その地球生命体として命として、どういう生き方をするかっちゅうのがさ(はるさん)
年をとって100歳になっても、華のある芸人でいたいなっていう思いだけはあるんですよ。毎日を一期一会を大事にして。人生観に関しては(弟とは)違うねえ(ギ)
(どこが違うんですか?)
考えとか生き方も現実的ですよね。具体的なんだけど、僕はね芸人でしょ。芸人っていうのは、みんな一生懸命働いた人のお金からいくらかいただいて生活してるようなもんだから。結構ロマンチックなんですよ。そうするとね、弟と話してると僕のほうが負けちゃいますね。負けたって一切言わないけど、腹の中でね(ギ)
(…だそうですけど?)
ハハハハ!くそみそ言いやがって(はるさん)
現実的なそういうふうには生きられないかもしれないけどね、ロマンっていうのは絶対、人間に必要なの。そして僕はそのロマンっていうかね、夢を与える人間。それが大道芸人だと思う。僕のできることは“踊り”しかないから(ギ)
<21歳で上京 38歳で大道芸人に>
東京に出てきてから舞踊の研究所へ行って、それ以来、今日まで踊りをやってきたんですけどね。(ギ)
・本名 尼ヶ崎勝見 1930年8月18日生まれ
僕、函館に生まれて、うちお菓子屋でしょ。そうすると映画館の売店からね「お菓子届けて下さい」とかって来るでしょ、お客さんに売る。そうすると配達にね僕も行って、映画見たりなんかしてるとね、僕もああいうふうになりたいなって思う憧れはあってね。東京へ行って俳優さんでもなりたいなとかね(ギ)
・1951年 21歳 上京
・舞踊の研究所へ
だけどね、駄目だ駄目だってね言われてね。僕はアルバイトにね、ビルの掃除夫をやったりなんかして自分の発表の場ないでしょ。だから大道芸人になって、それで食べていこうと(ギ)
・38歳で大道芸人へ
(どういうことから街頭で踊りを始められたんですか?)
私は創作舞踊を長年やってきましたけど、例えば舞台で発表するとしましても1人ですとなかなな大変なんですよ。それでもっと自分の身近なところで多くの人に舞踊というのを見てもらいたいと。で考えついたのは、やっぱり街頭だったんです。私はお客さんにただ楽しんでもらうだけでなく、今の時代で特にみんな不安やいろいろ、あらゆる人間感情を内に込めて爆発できないでいるようなところで、人と人との心のふれあいっていうか、あるいは時には時代に対する抵抗っていうかいろんなものを含めて、見る人と演ずる人との葛藤といいますか、その中で自分を見つめていきたいっていう(1973年・43歳のギリヤーク)
・目が離せぬ“異物”
これだけのエネルギッシュな踊りを、常にほんとに力を抜かないで見せてくれるっていうのはね、すごいなって(観客の女性)
・理解は不能
踊りはよく分かんなかったけどね。別に大道芸人やって生きていけるってことはよく分かりましたんで、また生きるのが楽になりました(観客の男性)
・なぜか揺さぶられる
僕の中にも、もしかしたらそういうものが眠ってんのかもしれないなっと思わされちゃうのね。そうすると、ふだん自分がいかに怠けてるかっていうとさ、逆に突きつけられてる気が(観客の男性)
南無阿弥陀仏!(踊るギリヤーク尼ヶ崎)
こういうのが受け入れられる時代じゃないと思うんですよね、今。それでもやっぱりこういうのを見て惹かれるところがあって、わーって拍手をするっていうのがちょっとびっくりしました(観客の女性)
(拍手しました?)
しました、思わず。よかったと思います(同上)
<10月10日の新宿公演に向けて>
・2016年8月23日
今ちょっとごはん食べてね、またあそこに行って。いつもだと、もう少し早く起きて練習に行ってるんだけど(ギ)
兄貴とケンカなんですよ、もう(はるさん)
(何かあったんですか?)
(在宅)ケアの人が来て話しててさ、食事をちょっと食べてみななんてさ、スプーンで(口に)こうやったらさ、すごく嫌がってさ。人前でそういうふうに動けないようなあれを見せられるのが嫌だったのかどうか知らないけどさ、ガラスの器バーンと投げて壊すしさ、参っちゃったよ、もう(同上)
(ああ…そんなに震えるんですね)
こりゃ大変だ(ギ)
今の僕のね、こういう体調なの。こんなに体調悪くてね、踊りを(10月10日の)発表会やったほうがいいと思う?(ギ)
(どう思ってるんですか?自分では)
なぜ迷いが出てくるかっていうとね、プロとしての意地なの。プロでなければね、今の体調でやればいいんでないの。だめだったらお話でもすればいいんじゃないの。ギリヤークさんだから、あっちこっち外国行って面白いお話たくさんあるからって。やっぱりね、プロとしての意地あるもんだから、かっこいいとこ見せたいの(ギ)
どうしたらいいのかな、なんてさ。まだまだできる自分を追っかけてね。老いることを理解してないんだよ。そこのところが心配(はるさん)
10月の新宿公演までの兄貴の人生の目的に近いものになると思うんだけど。体が動かなくなっても、そういう姿でも踊りたいっちゅうようなさ、何なんですかっちゅう。人は動きには動くだけの、働くには働くだけの願い目的があって働いているわけですよ。人によっては金のためもあれば名誉のためもあれば、いろいろなものもある。そこまでして人生をかけて踊る願いは何ですかっていうのはさ(はるさん)
すぐに出てこないな(ギ)
何でそういう状態で新宿に行って踊りたいのかなって、そこのところをさ(はるさん)
弟の今言った質問っていうのはね、やったことのない人間の言いぐさなの。そういうことを語りきれたら、みんな小説家になって本もどんどん売れてますよ。これやった人間からでなく、やらない人間だったら、いっくらでもかっこうのいいことしゃべるわ(ギ)
ごめん(はるさん)
<母の存在が大きかった>
※仏壇に手を合わせるギリヤーク
母さん、今日も精一杯生きていきます。お守りください(ギ)
(改めてですけど、お母さんの写真こうやって飾ってるのはなぜですか?)
僕をこんなふうにしたのはね、亡くなった母がいたりして、できたあれで。うちの母さんいなかったらね、今のギリヤーク尼ヶ崎の大道芸人、生まれてこなかったかもわかんないね。母さんと一緒にね生活してたのは長いんですよ。東京に出てきたから二人で(ギ)
・30年一緒だった
嫁さんもらってちゃんとしているんなら何の心配ないけど、あの人に向いてる仕事だから諦めているけども。元気でいればいくつになってもね、踊って金も取れるしね。だからいいだろうけども。足がいつどういうふうになるかと思って、それだけね(生前の母・静枝さん)
自由にさせてくれましたよ。僕が「ニューヨーク行きたいけどお金がない」って言ったらね、自分の生命保険をおろしてね。それでニューヨークへ行って踊れたの(ギ)
・1978年 初めてNYで海外公演をした
どこへ踊りに行くにもね「勝見ちゃん、体だけは気をつけて頑張りなさいよ」って。「頑張りなさいよ」って言葉だね。この言葉が一番ね好きだったよ。元気もらってたの(ギ)
・1991年 83歳で亡くなった
(やっぱり、ギリヤークさんにとってお母さんの死っていうのは大きいものでしたか?)
そうですね。あのね、いざ踊りのね、最後の演目なってね、頼りにするのは神様じゃないんですよ。母さんの気持ち。「母さん、これから最後の踊りやるよ。これで投げ銭もらうんだよ。頑張るからね」ってね。「母さん応援して」っていうね。必ずその祈りの気持ちが一瞬だけどね、ちゃんと気持ちの中にね入ってますよ。それでやっていけたの(ギ)
・代表作「念仏じょんがら」
・残されたものの“嘆き”
南無阿弥陀仏!母さん!(踊るギリヤーク尼ヶ崎)
<体調が厳しい中、練習を続ける>
(結局、検査どうだったんですか?10月10日のは、できそうな感じなのか…)
あの、無理でしょ。本人はさ、そのつもりでいるんだけど、もうあちこち立てないんだから(はるさん)
あんまりかまわすな!(ギ)
・2016年8月24日
こんにちは(大道芸人仲間・きのさん)
お疲れさまです。今日はこれから練習に行ってきます(ギ)
(はるさん、練習はノータッチなんですね)
全然ノータッチ。やりたいようにやってくださいって(はるさん)
(きのさん、これお手伝いしたことあるんですか?)
これ最後にきゅって引っ張るぐらいしか手伝ったことない。今まではね全部自分でやってらしたから(きのさん)
立てない。おっかなくて座れないわ。普通に立ちたいんだけど、片方ずつ。痛い(ギ)
<公演の方法を巡って支援者とぶつかる>
腫れてっちゃ(10年来の大道芸人仲間・おちゃっぴいほりこしさん)
足袋はけないわけよ(ギ)
でしょ?それじゃ踊る以前の問題じゃない(ほりこしさん)
それでね10月10日の、いろいろ考えたんだよ。車椅子で(ギ)
車椅子で入る?例えばその場にいる人たちで、まあ俺も行くし、みんなで入場でいいんじゃないですか?(ほりこしさん)
いや、あんまりそういうふうにたくさん…しないほうがいい。それを、きのさんに出てもらう。きのさんに手伝ってもらって。きのさんをデビューさせるならいいチャンスだと。きのさん、でしゃばらなくてもきれいな人だから目立つの。あれでいいの。大道芸っていうのは目立たなかったらだめなの(ギ)
それは分かるんですよ。だから俺が言いたいのは、みんなギリヤークさんを見に来るんで、きのさんを見に来るわけじゃねえから(ほりこしさん)
何、何、何が反対なわけ?だからそれ以外のことは、きのさんには頼んでないの(ギ)
分かりました。いいですよ、ギリヤークさんのいいようにしてもらって。私、帰らせていただきます(ほりこしさん)
行っちゃった(ギ)
※追いかけるはるさん
何とか踊る方向では本人がいるみたいだから、それはそれで構わないんですけどね(ほりこしさん)
だけど踊れるのか踊れないのか(はるさん)
今日はそれをチェックしに来るわけだったんだけど。歩けなくても、やるんだったらやれるように当日みんなで荷物持ってくよ、椅子でも座れるように。例えば歩いて行きたいんだったら両脇抱えてでも、みんなで手伝っていくよって。だけどステージの上っていうか、観客の前に立ったらもう1人なんですよね。今までずっと1人でやってきたわけだから(ほりこしさん)
人生には終わりがあるし、終わりをきちっとするにはさ、病気になったっていいじゃないかとかさ、僕は思うんだけどね(はるさん)
そうなんですよ。だから結局、今の状態の中で自分がどう生きてくかなんですよね(ほりこしさん)
そうそう(はるさん)
<パーキンソン病に罹っていることが判明した>
・2016年9月2日
今ね、公園に行ってるみたいよ(はるさん)
(練習してるんですか)
いや、今ね…(ギ)
(すごい動いてるじゃないですか!)
きのう病名分かりました。パーキンソンだか何とかって病気だって。あんまりいい病気じゃないんだけど(ギ)
※パーキンソン病:脳が出す運動の指令がうまく伝わらず、体が次第に動かなくなる難病。
その薬、割といいですよ。それまでよだれ出てたの。みっともなくていたのね。水飲んだりしても唾も出てこなく、よだれ止まるようになったから。ただね、震えが止まらないんですよ。もうそんなこと、くよくよ言っていられないよ。片足だけでやるの大変だな(ギ)
(打ち鳴らす音)
力出てきたんでない。やればできるんでない。生きているかぎり踊り狂って、踊って踊って死にたい、街頭で。それ以外の生き方はしたくない(ギ)
10日できんのかね、あんなんで。まあ、それは人のことだから分かんないけど(はるさん)
<渾身の新宿公演>
・2016年10月10日 東京 新宿
・昭和53年から休んだことのない新宿公演
1時っていうのはあっという間にくるから(ギ)
(あっという間に来ますね。今12時15分です)
※自分でメイクをするギリヤーク
※車椅子で登場するギリヤーク
待ってました!ギリヤーク!(観客)
・できないことはお客にしてもらう“演出”
念仏!念仏!「念仏じょんがら」だ!(ギ)
・最後に踊ったのは「念仏じゃんがら」
南無阿弥陀仏!(ギ)
ギリヤーク!頑張れ!ギリヤーク最高!(観客)
母さん、今86歳になった。あと87、88歳の2年の50周年公演まで頑張るよ。母さん、応援してね…母さん。母さん、また踊るよ(ギ)
※鳴り止まない拍手
※公演を遠くから眺めるはるさん
不思議なもんだな。自分のやりたいことだけで、そこには人の輪っちゅうものがあってね。それに支えられてるっていうこと(はるさん)
(不思議な兄貴ですか?)
不思議なっちゅうか、自分の生きたいことを貫くっちゅうものを見してもらったね(同上)
まだやれる。まだ僕は大道芸人として投げ銭で生きていきます。投げ銭で生きていく大道芸人の大先端としてこれからも希望の明日を(みなさんも)どんどんどんどん自分の生き方をしてください。どうもありがとうございました(ギ)
※鳴り止まない拍手
<一生懸命踊ってきた そして今後も…>
・2016年10月19日
あの日だけはね、帰ってきてから朝方までね全然疲れなかった。それと皆さんからの励ましのご祝儀とかカンパとかあって嬉しくて、今ぽーっとしてるの(ギ)
だいぶ(おなか)減ってるみたいだからね。筋子もあるでしょ、かぼちゃもあるでしょ、塩引きもあるでしょ。何といっても、やっぱりどさんこだもんね(はるさん)
・生まれ故郷 北海道づくしのメニュー
うまい。それにしても病気はよくなったり悪くなったり…手が震えるね(ギ)
何にもしてないんだよ(はるさん)
ありがたい、それでいいの。それがすごいの、はるさんの。分かってきた。何にもしていないようで、ちゃんとしてくれてたの。ほんと、はるさんいてくれなきゃ今日まで僕、踊れたかどうか分かんなかった(ギ)
やりたいこと一生懸命やってるんだから、いいんじゃないかい(はるさん)
そうだ、今はるさん言ったとおり、僕の芸の特徴は、一生懸命ただ踊ってきただけです(ギ)
(それは何のために踊るとかそういうことじゃなく、ただ一生懸命…)
いや、その中に生きるっていうこと全部含めて(ギ)
一生懸命生きたっちゅうことですよ(はるさん)
(2017/2/16視聴・2017/2/16記)
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「その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人」
(Eテレ・2017/2/11放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
<感想>
先週のETV特集の「次週予告」を観たときに「大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎…誰?」「なんだろう、面白いのかな、これ?」という半信半疑の気持ちでで視聴しました(今から考えれば大変失礼でしたが)。
86歳でパーキンソン病を患いながらも、街頭で舞踏をみせるということに執念を傾けるギリヤークさん。正直言ってその芸術的な部分は私のような者が理解するのは難しいほどのものがありますが、それでも一際驚いたのは「10月10日の新宿公演」という目標に向けて、それが近づくにつれて歩くことが覚束なかった彼が徐々に体が仕上がってきていること。それは以前、楽屋でベッドに横たわり点滴を打ちながらもステージに立った美空ひばりのような“プロ”としての魂と同じようなものを感じました。
そして圧巻だった新宿での公演。長年応援してきた人たちもそうだし、たまたま偶然立ち寄った人にとっても心揺さぶられるような公演だったのでしょうね。画面を通しても迫力が伝わってきました。
そんなギリヤークさん。50周年を迎えるあと2年頑張るという決意表明をされていました。私も機会があれば観てみたいです。どうかそれが叶うためにも、お元気でお過ごしいただきたいと切に願います。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
その男
職業・大道芸人
昭和5年生まれ
およそ半世紀
世界の路上で
変わることなく
踊り続けてきた
伝説
投げ銭で生きる
日本最高齢の大道芸人
人を惹きつける狂気
<高齢の大道芸人 原因不明の病気に>
・2016年7月1日
・東京世田谷・都営住宅
・ギリヤーク尼ヶ崎、85歳
もう舞踏家の体っていうもんじゃないですよ。今年になってね、こんなに骨が曲がってるの。そして手の震える病気で、つばが流れるんですよね、唾液が。どこの大学病院に行ってもね病名がね、どうしてこうなるかがね分からないそうです。はっきり言って治療の方法がないって。なんでこんな病気になったのかね。踊りだけやってきた人間だからね。不思議でしょうがないんだけど。去年は調子よかったんですよ、まだ。10月の体育の日に東京の新宿の広場でね、それまでにね踊りたいな。昭和53年から今まで一回も休まないで踊ってきたからね(ギリヤーク尼ヶ崎、以下「ギ」)
(ギリヤークさん、復活できそうでしょうか?)
ちょっと無理だろうなと思うんだけどね…(弟・はるさん)
・3か月後の新宿公演へ
・炎天下で1時間
しなやかに僕が手を振ると風が吹いているね。ギリヤークさんが踊ると風の音がするって。全然そういう動きが消えちゃったわけ。だけどね、人を感動させるには命がけで踊るっていうか、捨て身の踊りっていうか。捨て身の動きをまた取り戻したいんだよ。ギリヤーク尼ヶ崎、今、沈没するわけにはいかない。選挙じゃないけど、まだがんばるよ(ギ)
<海外公演 映画の出演も>
・ギリヤーク尼ヶ崎 伝説の大道芸人
・北海道函館生まれ
白鳥の湖(踊るギリヤーク尼ヶ崎)
街頭で踊って投げ銭もらって生活してきた(ギ)
・ニューヨーク
・フランス
・ブラジル
・中国
・ロシア
・海外でも路上公演
じょんがら!じょんがら!(踊るギリヤーク尼ヶ崎・1982年 パリ)
すばらしい、こんな踊り見たことないよ(見物人の男性)
(映画「さらば箱船」寺山修司監督・1984年に出演)
(映画「マルサの女」伊丹十三監督・1987年に出演)
つまり、秩序の外にいる人だから。ものすごくナイーブで人のよさそうな顔と…同時、何ていうのかな、こちらの秩序の世界に属さない暗黒の外側からやって来たみたいな。何かを讃えてますね、あの人はね。そういうものに惹かれるわけでしょうね、我々は(故・伊丹十三氏)
<兄弟と2人で暮らす>
・2016年7月21日
病院行くんだ(ギ)
・6人兄弟の次男と末っ子
兄貴は昭和5年に生まれてさ。俺は末っ子で生まれたから昭和15年だから(はるさん)
・85歳と75歳の兄弟
この間、日大千葉病院に行ってきたんですけど(病名が)分からなくて(ギ)
今まではね、せいぜい新宿まで連れて行くぐらいで(はるさん)
やっぱり、よだれ出てくるわ(ギ)
踊れるのか踊れないのかはあるんだけど、環境はつくってあげようと思って(はるさん)
・整体院
それ痛い。それです、それです(ギ)
<86歳の誕生日を迎えた>
・2016年8月18日
狛江ますで治療院に行ってきた帰りで、今買い物しながら帰ってきたんだ。もうおなかすいちゃったっちゅうから(はるさん)
今日は僕の誕生日なんですよ(ギ)
(何歳になったんですか?)
86歳になったばかりですけど(ギ)
(今日は何を?)
今日はね味噌汁にね、お刺身とコロッケかな(はるさん)
(今、ギリヤークさんと住まれてどれぐらいなんでしたっけ?)
ここに来て7年ぐらいになるんじゃないかな(同上)
(お仕事はずっと何をされてたんですか?)
タクシーの運転手してたんですよ(同上)
(今、生活はその…)
タクシー時代の年金で(同上)
(細かく切られるんですね)
噛めないからね、細かく切っといてあげないとね(同上)
・好物ばかりの誕生日のメニュー
おいしそうだなあ。僕の大好きな生ハムだ(ギ)
(生ハム好きなんですね)
パリで踊ったときに泊まったホテルでね、生ハムを出してくれたのがやみつき(ギ)
今日はうまいわ(ギ)
今日はうまいって、いつもおいしいんだよ(はるさん)
腰は曲がるし、顔にしわはできるし、激しく動くこともできなくなった場合、それをどう乗り越えていくかはね。死ぬまで(ギ)
猿でも犬でもさ、みんな命があるんだよ。その地球生命体として命として、どういう生き方をするかっちゅうのがさ(はるさん)
年をとって100歳になっても、華のある芸人でいたいなっていう思いだけはあるんですよ。毎日を一期一会を大事にして。人生観に関しては(弟とは)違うねえ(ギ)
(どこが違うんですか?)
考えとか生き方も現実的ですよね。具体的なんだけど、僕はね芸人でしょ。芸人っていうのは、みんな一生懸命働いた人のお金からいくらかいただいて生活してるようなもんだから。結構ロマンチックなんですよ。そうするとね、弟と話してると僕のほうが負けちゃいますね。負けたって一切言わないけど、腹の中でね(ギ)
(…だそうですけど?)
ハハハハ!くそみそ言いやがって(はるさん)
現実的なそういうふうには生きられないかもしれないけどね、ロマンっていうのは絶対、人間に必要なの。そして僕はそのロマンっていうかね、夢を与える人間。それが大道芸人だと思う。僕のできることは“踊り”しかないから(ギ)
<21歳で上京 38歳で大道芸人に>
東京に出てきてから舞踊の研究所へ行って、それ以来、今日まで踊りをやってきたんですけどね。(ギ)
・本名 尼ヶ崎勝見 1930年8月18日生まれ
僕、函館に生まれて、うちお菓子屋でしょ。そうすると映画館の売店からね「お菓子届けて下さい」とかって来るでしょ、お客さんに売る。そうすると配達にね僕も行って、映画見たりなんかしてるとね、僕もああいうふうになりたいなって思う憧れはあってね。東京へ行って俳優さんでもなりたいなとかね(ギ)
・1951年 21歳 上京
・舞踊の研究所へ
だけどね、駄目だ駄目だってね言われてね。僕はアルバイトにね、ビルの掃除夫をやったりなんかして自分の発表の場ないでしょ。だから大道芸人になって、それで食べていこうと(ギ)
・38歳で大道芸人へ
(どういうことから街頭で踊りを始められたんですか?)
私は創作舞踊を長年やってきましたけど、例えば舞台で発表するとしましても1人ですとなかなな大変なんですよ。それでもっと自分の身近なところで多くの人に舞踊というのを見てもらいたいと。で考えついたのは、やっぱり街頭だったんです。私はお客さんにただ楽しんでもらうだけでなく、今の時代で特にみんな不安やいろいろ、あらゆる人間感情を内に込めて爆発できないでいるようなところで、人と人との心のふれあいっていうか、あるいは時には時代に対する抵抗っていうかいろんなものを含めて、見る人と演ずる人との葛藤といいますか、その中で自分を見つめていきたいっていう(1973年・43歳のギリヤーク)
・目が離せぬ“異物”
これだけのエネルギッシュな踊りを、常にほんとに力を抜かないで見せてくれるっていうのはね、すごいなって(観客の女性)
・理解は不能
踊りはよく分かんなかったけどね。別に大道芸人やって生きていけるってことはよく分かりましたんで、また生きるのが楽になりました(観客の男性)
・なぜか揺さぶられる
僕の中にも、もしかしたらそういうものが眠ってんのかもしれないなっと思わされちゃうのね。そうすると、ふだん自分がいかに怠けてるかっていうとさ、逆に突きつけられてる気が(観客の男性)
南無阿弥陀仏!(踊るギリヤーク尼ヶ崎)
こういうのが受け入れられる時代じゃないと思うんですよね、今。それでもやっぱりこういうのを見て惹かれるところがあって、わーって拍手をするっていうのがちょっとびっくりしました(観客の女性)
(拍手しました?)
しました、思わず。よかったと思います(同上)
<10月10日の新宿公演に向けて>
・2016年8月23日
今ちょっとごはん食べてね、またあそこに行って。いつもだと、もう少し早く起きて練習に行ってるんだけど(ギ)
兄貴とケンカなんですよ、もう(はるさん)
(何かあったんですか?)
(在宅)ケアの人が来て話しててさ、食事をちょっと食べてみななんてさ、スプーンで(口に)こうやったらさ、すごく嫌がってさ。人前でそういうふうに動けないようなあれを見せられるのが嫌だったのかどうか知らないけどさ、ガラスの器バーンと投げて壊すしさ、参っちゃったよ、もう(同上)
(ああ…そんなに震えるんですね)
こりゃ大変だ(ギ)
今の僕のね、こういう体調なの。こんなに体調悪くてね、踊りを(10月10日の)発表会やったほうがいいと思う?(ギ)
(どう思ってるんですか?自分では)
なぜ迷いが出てくるかっていうとね、プロとしての意地なの。プロでなければね、今の体調でやればいいんでないの。だめだったらお話でもすればいいんじゃないの。ギリヤークさんだから、あっちこっち外国行って面白いお話たくさんあるからって。やっぱりね、プロとしての意地あるもんだから、かっこいいとこ見せたいの(ギ)
どうしたらいいのかな、なんてさ。まだまだできる自分を追っかけてね。老いることを理解してないんだよ。そこのところが心配(はるさん)
10月の新宿公演までの兄貴の人生の目的に近いものになると思うんだけど。体が動かなくなっても、そういう姿でも踊りたいっちゅうようなさ、何なんですかっちゅう。人は動きには動くだけの、働くには働くだけの願い目的があって働いているわけですよ。人によっては金のためもあれば名誉のためもあれば、いろいろなものもある。そこまでして人生をかけて踊る願いは何ですかっていうのはさ(はるさん)
すぐに出てこないな(ギ)
何でそういう状態で新宿に行って踊りたいのかなって、そこのところをさ(はるさん)
弟の今言った質問っていうのはね、やったことのない人間の言いぐさなの。そういうことを語りきれたら、みんな小説家になって本もどんどん売れてますよ。これやった人間からでなく、やらない人間だったら、いっくらでもかっこうのいいことしゃべるわ(ギ)
ごめん(はるさん)
<母の存在が大きかった>
※仏壇に手を合わせるギリヤーク
母さん、今日も精一杯生きていきます。お守りください(ギ)
(改めてですけど、お母さんの写真こうやって飾ってるのはなぜですか?)
僕をこんなふうにしたのはね、亡くなった母がいたりして、できたあれで。うちの母さんいなかったらね、今のギリヤーク尼ヶ崎の大道芸人、生まれてこなかったかもわかんないね。母さんと一緒にね生活してたのは長いんですよ。東京に出てきたから二人で(ギ)
・30年一緒だった
嫁さんもらってちゃんとしているんなら何の心配ないけど、あの人に向いてる仕事だから諦めているけども。元気でいればいくつになってもね、踊って金も取れるしね。だからいいだろうけども。足がいつどういうふうになるかと思って、それだけね(生前の母・静枝さん)
自由にさせてくれましたよ。僕が「ニューヨーク行きたいけどお金がない」って言ったらね、自分の生命保険をおろしてね。それでニューヨークへ行って踊れたの(ギ)
・1978年 初めてNYで海外公演をした
どこへ踊りに行くにもね「勝見ちゃん、体だけは気をつけて頑張りなさいよ」って。「頑張りなさいよ」って言葉だね。この言葉が一番ね好きだったよ。元気もらってたの(ギ)
・1991年 83歳で亡くなった
(やっぱり、ギリヤークさんにとってお母さんの死っていうのは大きいものでしたか?)
そうですね。あのね、いざ踊りのね、最後の演目なってね、頼りにするのは神様じゃないんですよ。母さんの気持ち。「母さん、これから最後の踊りやるよ。これで投げ銭もらうんだよ。頑張るからね」ってね。「母さん応援して」っていうね。必ずその祈りの気持ちが一瞬だけどね、ちゃんと気持ちの中にね入ってますよ。それでやっていけたの(ギ)
・代表作「念仏じょんがら」
・残されたものの“嘆き”
南無阿弥陀仏!母さん!(踊るギリヤーク尼ヶ崎)
<体調が厳しい中、練習を続ける>
(結局、検査どうだったんですか?10月10日のは、できそうな感じなのか…)
あの、無理でしょ。本人はさ、そのつもりでいるんだけど、もうあちこち立てないんだから(はるさん)
あんまりかまわすな!(ギ)
・2016年8月24日
こんにちは(大道芸人仲間・きのさん)
お疲れさまです。今日はこれから練習に行ってきます(ギ)
(はるさん、練習はノータッチなんですね)
全然ノータッチ。やりたいようにやってくださいって(はるさん)
(きのさん、これお手伝いしたことあるんですか?)
これ最後にきゅって引っ張るぐらいしか手伝ったことない。今まではね全部自分でやってらしたから(きのさん)
立てない。おっかなくて座れないわ。普通に立ちたいんだけど、片方ずつ。痛い(ギ)
<公演の方法を巡って支援者とぶつかる>
腫れてっちゃ(10年来の大道芸人仲間・おちゃっぴいほりこしさん)
足袋はけないわけよ(ギ)
でしょ?それじゃ踊る以前の問題じゃない(ほりこしさん)
それでね10月10日の、いろいろ考えたんだよ。車椅子で(ギ)
車椅子で入る?例えばその場にいる人たちで、まあ俺も行くし、みんなで入場でいいんじゃないですか?(ほりこしさん)
いや、あんまりそういうふうにたくさん…しないほうがいい。それを、きのさんに出てもらう。きのさんに手伝ってもらって。きのさんをデビューさせるならいいチャンスだと。きのさん、でしゃばらなくてもきれいな人だから目立つの。あれでいいの。大道芸っていうのは目立たなかったらだめなの(ギ)
それは分かるんですよ。だから俺が言いたいのは、みんなギリヤークさんを見に来るんで、きのさんを見に来るわけじゃねえから(ほりこしさん)
何、何、何が反対なわけ?だからそれ以外のことは、きのさんには頼んでないの(ギ)
分かりました。いいですよ、ギリヤークさんのいいようにしてもらって。私、帰らせていただきます(ほりこしさん)
行っちゃった(ギ)
※追いかけるはるさん
何とか踊る方向では本人がいるみたいだから、それはそれで構わないんですけどね(ほりこしさん)
だけど踊れるのか踊れないのか(はるさん)
今日はそれをチェックしに来るわけだったんだけど。歩けなくても、やるんだったらやれるように当日みんなで荷物持ってくよ、椅子でも座れるように。例えば歩いて行きたいんだったら両脇抱えてでも、みんなで手伝っていくよって。だけどステージの上っていうか、観客の前に立ったらもう1人なんですよね。今までずっと1人でやってきたわけだから(ほりこしさん)
人生には終わりがあるし、終わりをきちっとするにはさ、病気になったっていいじゃないかとかさ、僕は思うんだけどね(はるさん)
そうなんですよ。だから結局、今の状態の中で自分がどう生きてくかなんですよね(ほりこしさん)
そうそう(はるさん)
<パーキンソン病に罹っていることが判明した>
・2016年9月2日
今ね、公園に行ってるみたいよ(はるさん)
(練習してるんですか)
いや、今ね…(ギ)
(すごい動いてるじゃないですか!)
きのう病名分かりました。パーキンソンだか何とかって病気だって。あんまりいい病気じゃないんだけど(ギ)
※パーキンソン病:脳が出す運動の指令がうまく伝わらず、体が次第に動かなくなる難病。
その薬、割といいですよ。それまでよだれ出てたの。みっともなくていたのね。水飲んだりしても唾も出てこなく、よだれ止まるようになったから。ただね、震えが止まらないんですよ。もうそんなこと、くよくよ言っていられないよ。片足だけでやるの大変だな(ギ)
(打ち鳴らす音)
力出てきたんでない。やればできるんでない。生きているかぎり踊り狂って、踊って踊って死にたい、街頭で。それ以外の生き方はしたくない(ギ)
10日できんのかね、あんなんで。まあ、それは人のことだから分かんないけど(はるさん)
<渾身の新宿公演>
・2016年10月10日 東京 新宿
・昭和53年から休んだことのない新宿公演
1時っていうのはあっという間にくるから(ギ)
(あっという間に来ますね。今12時15分です)
※自分でメイクをするギリヤーク
※車椅子で登場するギリヤーク
待ってました!ギリヤーク!(観客)
・できないことはお客にしてもらう“演出”
念仏!念仏!「念仏じょんがら」だ!(ギ)
・最後に踊ったのは「念仏じゃんがら」
南無阿弥陀仏!(ギ)
ギリヤーク!頑張れ!ギリヤーク最高!(観客)
母さん、今86歳になった。あと87、88歳の2年の50周年公演まで頑張るよ。母さん、応援してね…母さん。母さん、また踊るよ(ギ)
※鳴り止まない拍手
※公演を遠くから眺めるはるさん
不思議なもんだな。自分のやりたいことだけで、そこには人の輪っちゅうものがあってね。それに支えられてるっていうこと(はるさん)
(不思議な兄貴ですか?)
不思議なっちゅうか、自分の生きたいことを貫くっちゅうものを見してもらったね(同上)
まだやれる。まだ僕は大道芸人として投げ銭で生きていきます。投げ銭で生きていく大道芸人の大先端としてこれからも希望の明日を(みなさんも)どんどんどんどん自分の生き方をしてください。どうもありがとうございました(ギ)
※鳴り止まない拍手
<一生懸命踊ってきた そして今後も…>
・2016年10月19日
あの日だけはね、帰ってきてから朝方までね全然疲れなかった。それと皆さんからの励ましのご祝儀とかカンパとかあって嬉しくて、今ぽーっとしてるの(ギ)
だいぶ(おなか)減ってるみたいだからね。筋子もあるでしょ、かぼちゃもあるでしょ、塩引きもあるでしょ。何といっても、やっぱりどさんこだもんね(はるさん)
・生まれ故郷 北海道づくしのメニュー
うまい。それにしても病気はよくなったり悪くなったり…手が震えるね(ギ)
何にもしてないんだよ(はるさん)
ありがたい、それでいいの。それがすごいの、はるさんの。分かってきた。何にもしていないようで、ちゃんとしてくれてたの。ほんと、はるさんいてくれなきゃ今日まで僕、踊れたかどうか分かんなかった(ギ)
やりたいこと一生懸命やってるんだから、いいんじゃないかい(はるさん)
そうだ、今はるさん言ったとおり、僕の芸の特徴は、一生懸命ただ踊ってきただけです(ギ)
(それは何のために踊るとかそういうことじゃなく、ただ一生懸命…)
いや、その中に生きるっていうこと全部含めて(ギ)
一生懸命生きたっちゅうことですよ(はるさん)
(2017/2/16視聴・2017/2/16記)
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