【歴史秘話ヒストリア】
「SP 古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎」
(NHK総合・2017/1/3放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/
<感想>
2017年最初のヒストリアはなかなか歴史ロマン溢れる内容でした。奈良・東大寺にかつてあったと言われる七重塔の発掘調査とともに、どんな建物だったのか専門家が検討していくところを紹介するというもの。そして案の一つをCGで再現したラストは圧巻の一言でした。
今後、検証が進んで東大寺で復元するというプロジェクトに発展するといいですね。木造建築で高さ100mという建物は世界最大級のものになると思います。調べたらポーランドのグリヴィツェラジオ塔が118mということですが、有人の塔なら間違いなくナンバーワンになるでしょう。クラウドファンディングで資金を集めるなら、ぜひ協力しますよ。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・奈良・東大寺に知られざる歴史のミステリーがある。東大寺・七重塔。1300年前に建てられたものの、歴史からこつ然と姿を消してしまった。
・記録によれば高さ100m。しかし1300年前にそんな高い塔を建てることができたのだろうか。一体どんな姿をしていたのか。発掘や古代建築のスペシャリストが調査チームを結成、この謎に挑んだ。相次ぐ驚きの発見。浮かび上がってきたのは予想を超えた七重塔の姿だった。
<消えた“七重塔”>
・「東大寺縁起」(鎌倉時代)に2つの大きな塔が描かれている。屋根の数を数えると全部で7つ。五重塔ではなく珍しい七重塔。高さは三十三丈(約100m)、もちろん木造だ。建立を命じたのは聖武天皇。約1300年も前のこと。現存する古い塔で最も高いのが東寺の五重塔(高さ55m)で、七重塔がいかに大きいかが分かる。
・しかし七重塔は今は存在しない。塔が建って400年ほど経った治承4年(1180年)の源平合戦で大仏とともに焼失したと言われている。その後、建て直されたが雷が落ち再び炎上。二度と再建されることはなかった。
・以来600年余り、詳しい記録も殆ど無く七重塔は「幻の塔」と呼ばれた。さらに謎を深めたのが明治時代に作られた東大寺の50分の1の想像模型。しかし一つ問題があった。この模型を実物の高さ100mにすると、屋根の軒が長すぎてそれ自体が重くなり壊れてしまうことが分かった。1300年前に本当に100mもの塔を建てることができたのか。七重塔は「古代史のミステリー」となった。
・「七重塔の謎を解き明かせ」と2年前、東大寺の呼びかけで調査チームが作られた。集まったのは発掘のエキスパートから古代建築の研究者、塔の専門家まで約30人。リーダーは古代建築の復元を数多く手がけてきた鈴木嘉吉氏。
高さ100mというのは当時の技術で本当に建つのか、一体どういうことが考えられるのかやってみたい(鈴木氏)
・塔の姿を知るには、まずその土台から。2016年7月、基壇の調査が始まった。実は2年前の事前調査で既に大きな発見があった。
・塔の中心を貫く大きな柱「心柱」、そしてその土台に置かれる石を「心礎」と呼ぶ。東大寺では後に心礎を取り除いたが、その跡つまり抜き取り穴が直径4.5mもあったというから、心礎がいかに大きかったが分かる。
・また塔には心柱以外にもたくさんの柱が必要だが、礎石という石の上に建てられている。だからそれらの石の痕跡を調べれば柱の並び方も分かるし、さらに内部の造りまで分かってくるのだ。
・しかし調査チームの期待はあっさりと裏切られた。
造りかえる際、大規模な掘削が行われているようで、どこに礎石があったか今となっては分からない(奈良文化財研究所の山本祥隆氏)
・後の時代に土が殆ど取り去られていたことが分かった。基壇の上から手がかりを得ることは不可能だった。調査チームの挑戦はスタートからつまずいた。
<日本の古代の塔はどんな造りなのか>
・そもそも日本の古代の塔はどんな造りになっているのか。宮大工の小川三夫氏に、30年前に再建された奈良・薬師寺の西塔を案内してもらった。
・中に入ってまず驚くのは、空間を埋め尽くす木材の量。日本の塔は人を乗せないのが本当だという。中心を貫く巨大な心柱、一般の家の大黒柱と違って建物を支えているわけではない。
心柱は独立して、ただ建っている。(建物は)心柱が腐らないよう覆っているだけ(小川氏)
・お寺の塔とはお釈迦様の遺骨を納めるためのもの。中心を貫く心柱は仏を象徴するともいわれている。大切なのは心柱で、周りの屋根や壁はその心柱を守るいわば「カバー」だという。
<塔の謎を解け!>
・手がかりは他にないか。チームは僅かな望みをかけ別の場所を探ることにした。その場所とは基壇の側面。掘り返されなかったため、奈良時代の痕跡が残っている可能性がある。
・すると基壇の南側で凝灰岩が見つかった。石は横に続いていた。形は独特のL字型、しかも先端が三角形になっている。石は「生きていた」(奈良時代の当時のものだった)。
・検討の結果、基壇の壁と階段斜面の部分と推定された。つまりこの石のすぐ横に階段があったことになる。しかしこの側面の石、さらに大きな意味があった。
一番重要なのは三角形に見えている石。この大体正面に必ず柱がくる(橿原考古学研究所の廣岡孝信氏)
・古代の塔では階段の端と建物の柱が同じ直線上に並ぶのが基本的なパターン。つまり現場で見つかった側面の石の延長線上に七重塔の柱があるということになる。
・発掘開始から1か月、基壇の北側でも大きな動きがあった。階段そのものの発見。しかも表面が真っ黒で、おそらく源平合戦で七重塔が炎上したとき焼け焦げたものと考えられる。当時の様子を生々しく伝える貴重な遺跡だ。
建物構造そのものは、この階段から直接的に得られるものは無いです(東大寺 境内史跡整備計画室の南部裕樹氏)
・出てきたのは階段の一部分。柱の位置の特定には繋がらなかった。
・一方、初めに階段側面の石が見つかった南側、さらなる調査が進んでいた。階段の向かって右側部分が出てきた。ということは、反対の左側にも同じものがあるはず。ところが掘っても階段側面の石は見つからない。
おそらく奈良時代の石が引き抜かれて無くなっている状態(廣岡氏)
・出てきたのは基礎部分らしい石だけ。調査はまたも行き詰まった。
・しかし翌日、大きな発見があった。メンバーが注目したのは、前日に見つかった石の表面。
すごいなと思ったのは、石は無いが痕跡が残っていて、それがこの僅かな色の違い。このラインですね(同上)
・もともと線の内側に階段側面の石が置かれていて、見つけた線はその痕跡らしい。
今、南北方向に見えていたんですが追いかけていくと、ここを境に90度西に曲がり、ここで90度上に乗ってる石が方向転換する(同上)
・さらにその先をたどった結果、線はL字を描いていた。右側の石とまさに対になる形。ようやく階段の両端と柱の位置が判明した。全く謎だった七重塔の姿が少しずつ明らかになってきた。
・2日後(9月30日)チームは階段の幅を計測した。幅はちょうど9m、奈良時代の単位でも30尺になる。ところが、この結果が新たな謎を生んだ。普通、五重塔は正面から見ると柱が4本並び、階段は内側の柱に合わせる形になっている。柱と柱の距離は大体同じ。実は今ある五重塔の殆どがこの形。調査チームも初めは七重塔も同じだろうと予想していた。
・ところが七重塔の基壇は一辺24m。そして今回、階段の幅が9mと出たことで、その外側にさらに9m間隔で柱を置こうとすると基壇からはみ出してしまう。以前、北側で見つかった黒焦げの階段。そのすぐ下にある石に何のためかよく分からない切り込みが見つかった。
ここに切り込みがあって、斜めにくるんですけど、ここで平らなんですよ。おそらくこの切り込みは仕切りの石を乗せるためのレールだろうと(奈良文化財研究所の神野恵氏)
・つまりここに階段を分割する仕切り石があったことになる。見つかった仕切り石の位置を南側の階段に当てはめると、このままではアンバランス。反対側にも同じような仕切り石が置かれていたはずだ。さらに仕切り石があるということは、両端と同様、その延長線上にも柱があったと考えられる。
・ここから解明は一気に進んだ。階段の前には柱が4本、大体3mの間隔で並ぶ。9mではなく3m間隔。これなら外側の柱も基壇の中に収まる。柱は1列に6本、それが6列。柱の数は五重塔の2倍以上。100mの塔を建てるには、柱の数を倍にして一番下を強くする。古代人の優れた知恵だった。
高い塔を建てたい。そうすると下を、第1層を特に大きくして安定を図ったのではないか(調査団長の鈴木嘉吉氏)
・現在残っている塔にはない独特の柱構造。それは超高層の七重塔のため考え抜かれた特別な構造だった。
・この七重塔は何のために建てられたのか。紫色の紙に本物の金でお経を書き写した豪華な経典「金光明最勝王経」。内容は「この経典を大切にすれば、仏教の守護神・四天王が国を守ってくれる」というもの。奈良時代、この教えに感銘を受けた聖武天皇は経典を納めるために特別な建物を用意した。それが七重塔だった。
この経典は塔の一番てっぺんですね。宝珠にあたる丸い玉のようなものがありますけど、そこに納められたということが記録に書かれています。仏教で国を治めようとする聖武天皇の構想の象徴(京都大学准教授・建築史の冨島義幸氏)
<いまよみがえる七重塔>
・発掘も終盤にさしかかった9月末。リーダーの鈴木氏をはじめチームの建築の専門家が顔を揃えた。塔の柱構造は分かった。七重塔がどんな姿をしていたのか、議論が始まった。前もっていくつかの想像図が準備された。
・注目を集めたのは、塔の根元の幅は約15mのもの。軒の長さは基壇をすっぽり覆う5mと推定。高さはもちろん100m、全体的に細長いスタイルとなった。
・一方、意外な案も登場した。高さは100mよりぐっと低い70m。奈良文化財研究所(建築史)の箱崎和久氏は100mの高さは厳しいのではないかと70m案に行き着いたという。その背景には以前から注目していたある塔の存在があった。国宝・元興寺五重小塔(奈良)、高さは5m50cmで奈良時代に造られた小ぶりの五重塔だ。
・実は建てられた年代が七重塔と最も近いもの。箱崎氏はこれをヒントにした。まず正面の柱の数を4本から6本に増やし、さらに屋根を2つ足せば七重塔になる。これを10倍すると高さが約70mに。
・しかし100mだったはずと思いきや、実は別の記録に23丈(70m)という記述もある(「東大寺要録」)。これまで単なる字の書き間違いと考えられてきたが、箱崎氏はこちらの方が正しいと考えた。
・100m案については、別のメンバーも疑問を投げかけた。文化財建造物保存技術協会の濵島正士氏はこう述べる。
この330尺(100m)に及ぶこの図を見てみると、これでは格好が取れないという気にもなりました(濵島氏)
・ひょろっと背が高く安定しないという意見。しかし鈴木氏は100mにこだわる。
でもね、僕は33丈(100m)はあり得るのではと考えている。あり得るならどうしたらいいか逆に考えている(鈴木氏)
・1か月後(10月26日)100mの探るためにメンバーは発掘現場にいた。すると意外なアイデアが飛び出した。
高い塔だから本当はつっかい棒が欲しくて、つっかい棒には“モコシ”が一番だよね(同上)
・モコシとは何か。世界最古の木造建築である法隆寺の五重塔には屋根が6つあり、一番下の塔の根元を取り囲んでいる部分を「裳階(モコシ)」という。塔の根元を雨や風から守っている。
・しかし今回はもう一つ、裳階に大事な役割がある。背が高く不安定な塔を根元でガッチリ押さえ安定させるのだ。
裳階はそれ自体が、いわばつっかい棒みたいなもの。本体を支えるという構造的なプラスは大きいと思う(同上)
・11月、2回目の検討会。鈴木氏のアイデアが盛り込まれた塔の姿が披露された。塔の根元、第1層には全体を安定させる裳階を設置。さらに1層ごとに木組みで囲み補強した。その結果、安定度も増した新たな100m案ができた。
裳階を付けるなんていうのは割とアイデアとしては落ち着かせる方法かもしれないですけどね(東京大学教授・建築学の藤井恵介氏)
・「これなら100mも可能かもしれない」検討会の空気が変わった。さらに鈴木氏から驚きの指摘も。
東大寺の七重塔は本当に登れたんじゃなかと思う。聖武天皇が登りたかったって言って(鈴木氏)
・100mなら各層も広くなり、人が登るスペースの余裕もできる。となると展望タワーとして聖武天皇が使ってかも。ロマンあふれる議論は今後も続く。
<CGで再現してみた七重塔>
・新たな100m案をCGで再現してみる。基壇の四方には3つに仕切られた階段。その階段に合わせて柱が6本ずつ立つ。中心には心柱。七重塔独特の構造だ。さらに第1層には補強のため裳階が付けられた。そこから1層ずつ組み上げていく。そして一番上。ここから聖武天皇が大仏殿と奈良の町を一望したかもしれない。
・幻と言われた七重塔。長らく歴史の闇に埋れていたその姿が今、一つの形を結んだ。鮮やかな彩り、凛とした立ち姿、この塔を実際に見た古代の人々はさぞ目を見張ったことだろう。
・けれども七重塔の謎を解く旅はまだ終わらない。今後、研究が進み、もっと驚くような姿で私たちの前に現れるかもしれない。
(2017/1/6視聴・2017/1/6記)
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