【ブラタモリ】
「#53 大阪~大阪はなぜ日本一の商都に?~」
(NHK総合・2016/11/5放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/
<感想>
大阪は2度ほど行ったことがありますが、もう20年近く行っていないですね。印象に残っているのが実は食べ物ぐらいしかないもので(笑)、あらためて町を散策しに行ってみたいと思いましたね。
「太閤下水」が今なお現役だという話はどこかで聞いたことがありますが、独特の町割りの話はちょっと驚きのものでしたね。でもすごく合理的な感じがするし面白いですね。
次回の「ブラタモリ」も引き続き大阪が舞台。今度は大河ドラマとタイアップのようです。ちょうどドラマは大坂城籠城戦、真田丸築造の辺りですからね。楽しみです。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・今日のスタート地点はJR天王寺駅前。
・旅のお題は「大阪はなぜ日本一の商都に?」
・案内人は歴史を地形に着目し大阪の町を歩き回っている大阪高低差学会の新之介さん。
・大阪といえば商人の町というイメージがある。江戸時代の大阪の町を描いた絵図。武士の住む武家地と商人や職人が住む「町人地」の広さを比べると大きな差がある。
・後に「天下の台所」とも言われた大阪。まさしく日本の商業の中心だった。
・日本一高いビルと言われている、あべのハルカスに向かった一行。60階の展望台から大阪城方向を眺める。
・大阪の地形を立体化した地図を見てみると、市街地の真ん中に「上町台地」という台地が南北にのびている。その先端に大阪城がある。
・5500年前の地図を見てみると、今の大阪は殆どが海だった。上町台地だけが半島のように突き出ていた。
・織田信長が「大坂は凡そ日本一の境地なり」と言っていた。その頃、大阪は台地の周りの海だった場所に淀川などが運ぶ土砂が溜まり始め、湿地帯ができていた。
・あべのハルカスから上町台地を北に5kmほどの場所へ移動。上町台地の北の端っこが大きな段差になっている。西の方を見てみるとやはり高低差があり、北西のヘリになっている。
・台地のヘリを降りて先に進む一行。上町台地のすぐ北を流れる大川の川べりには1000年以上前から船着場があった。京都や奈良と川で繋がり、都への玄関口となっていた大阪。さらに西側には、中国や東南アジアからの船も来ていた瀬戸内海が広がっている。
・信長が目を付けたのはこの立地。大阪が日本の商業の中心地になると考えた。
・しかし信長は大阪を手に入れた2年後、天下統一を目前にして亡くなってしまう。信長の遺志を継いで大阪に日本一の城下町を築いたのが豊臣秀吉。
・秀吉は信長の「商都をつくる」という構想を実現するため、様々なアイデアで町づくりに挑んだ。その結果、大阪に経済活動の主役・商人たちが集まってきた。
・2人目の案内人は考古学が専門の大阪歴史博物館研究主幹の松尾信裕さん。40年発掘を続け、地中に眠る昔の大阪の姿を調べている。
・当時、上町台地の周りは人も住みにくい湿地帯だった。そこで城下町の整備も台地の上から始まった。
・中でも大阪城の西側の台地の上を歩くと、たくさんの町人を集めるため秀吉が工夫したことが分かるという。
・ビルとビルの間にある町の境目。東西にのびた通りの両側が同じ町になっている。秀吉は町を通りで区切らず通りを挟んだ両側が同じ町になるように区切った。
・秀吉は両側町(通りを挟んだ両側を単位とする町組)にすることで、住民同士の顔が見え安心して経済活動ができる町をつくろうとしていたのかもしれない。
・さらに秀吉は町の境目を利用し、町民が暮らしやすくなる仕組みをつくった。町境の隙間にはかつて排水溝があった。今もこの姿を直接見ることができる場所がある。
・日本一の商都を目指し、商人をはじめとするたくさんの町人を集めた大阪。衛生管理上、下水道の整備が必要だった。背中合わせの町境全てに下水道を通した(太閤下水)。人が歩く通りの邪魔にもならず、暮らしやすい衛生的な町にした。
・西に向かってたくさん流れていた太閤下水。下水が曲がっているところがある。谷底にあった川の流れを利用してつくられていた。
・谷だけでなく台地の傾斜など、地形をうまく利用して町の中に太閤下水をくまなく張り巡らせた。
・一行は秀吉が開発した新たな城下町である船場に向かう。当時の様子は屏風絵をみるとよくわかる。たくさんの行商人や両替商、さらには魚屋やうどん屋など様々な商店が軒を連ね、とても賑わっていた。
・船場の町割りも台地の上と同様、東西にまっすぐ引かれている。まさしく秀吉は“直線マニア”。大阪でもその手腕が存分に発揮されていた。
・さらに西に進んでいくと、道が斜めになっている。西横堀という堀があった場所。堀の東と西で道を引く基準が変わっている。東西方向にも江戸堀という別の堀があった。
・堀から西側は江戸時代に入り、町人の手によってつくられた町だった。慶長20年(1615年)大坂夏の陣で豊臣政権が滅亡、焼け野原となった大阪の町の復興、そしてさらなる拡大のため町人たちは湿地帯だった場所に堀を掘っては土を盛り、西へ西へと少しずつ町を広げていった。
・豊臣時代は強引にまっすぐ土地が造成されていたのに対し、町人たちは川の流れに沿って効率的に堀をつくっていった。
・町人たちがつくった堀の殆どは今では埋められてしまった。でもかつて堀があった場所をよく探してみると、痕跡が残っている。
・江戸時代、町人たちがつくった沢山の堀。これによって町中まで船が入れるようになった。そのおかげで日本各地の特産物が大阪に集まった。大阪はまさに日本の物流の拠点となった。
・さらに町人がつくった町の北側にある施設が建ち並んだ。一行は中之島へ。
・江戸時代の絵図を見ると、蔵屋敷(各藩の大名が年貢米や領内の特産物を売るために置いた倉庫兼邸宅)があった。広島藩のものは12の蔵と屋敷があったという。
・中之島周辺には広島藩以外にも全国各地、130余りの藩の蔵屋敷があった。まさに大阪は日本一の商都。「天下の台所」となった。
・かつて海の中にあった大阪の町。そんな悪条件の場所を豊臣秀吉や町人たちが切り開き、日本一の商都が誕生した。大阪は今も商いの町として発展を続けている。
(2016/11/6視聴・2016/11/6記)
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