【NNNドキュメント’16】
「汚名~放射線を浴びたX年後~」
(日本テレビ系列・2016/6/27放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/
<感想>
以前、東京・夢の島にある第五福竜丸展示館に行ったことがあります。60年前にアメリカやイギリスが行った核実験によってマグロ漁船の乗組員たちが被ばくしたという事件。当時の日本政府はアメリカから慰謝料を受け取りましたが、同様に操業していた漁船で被ばくした可能性があった乗組員たちへは十分な対応をしてこなかった、うやむやにしたということが今回の番組で明らかになりました。
放射線の影響によるガンなど様々な病気で苦しめられ、そして亡くなった人たち。遺族もいわれなき汚名を着せられたということは本当に気の毒で、怒りが湧きます。
真相を究明するには60年という時間は余りにも経ってしまっていますが、それでも現在存命中の方への救済は何とかならないものでしょうか。国の姿勢が問われると思います。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
71年前、明るく雲一つない朝、空から死が降り世界は一変しました。単なる言葉ではそのような苦しみに声を与えることはできません。しかし私たちは歴史を直視する共通の責任をもっています。そして、このような苦しみの再発を防ぐため、やり方をどう変えるべきなのかを問わなければなりません。いつか被ばく者の声が聞けなくなる日が来るでしょう(オバマ大統領)
・アメリカ大統領の演説から48年前の出来事。高知県室戸市の川口美砂さん(60)。48年前に父を亡くした。今、父の死の真相を探している。
懐かしい、涙が落ちそうな。わたし仲が良かったから、涙が落ちそうな。仲良しやったけん。あんたに会ったら涙が落ちそうになった(遠洋マグロ漁船 第五豊丸乗組員・54年当時の戸波英俊さん 81歳)
・36歳で突然亡くなった美砂さんの父・一明さん。1953年、21歳でマグロ船に乗り、腕利きの船頭として漁を指揮してきた。父はなぜ若くして死んだのか。
・支えを失った家族に冷ややかな声が浴びせられた。酒の飲み過ぎで若死した。
・かつてアメリカとイギリスが100回以上の核実験を繰り返した中部太平洋。そこは、父がマグロ漁をしていた海でもあった。
・押入れの奥から見つかった60年前の父の航海日誌。
「体が火の様に燃える。何か肉体に異変があるに相違ない」
・父は放射線を浴びたのではないか。「私のお父ちゃんは酒を飲み過ぎて死んだんじゃない」。父の無念、そして着せられた汚名を背負い、真実を追い求めた。
<父と同じマグロ船の乗組員を探し出して>
・美砂さんは月に1度、ふるさとの高知に帰ってくる。つい2年前、父の死に疑問を持つようになったからだ。太平洋に突き出すように細長く広がる高知県室戸市。その広さを称して「山に手当てたら反対の手が波さわるき」なんて言う人も。かつて捕鯨や遠洋マグロ漁で栄えたこの町が美砂さんのふるさと。
・室戸の男たちは年を取っても漁に出る。86歳の福元資俊さんも元マグロ漁師。
・かつて核実験が行われた海で多くのマグロ船が被ばくしたことを美砂さんは2年前に知った。そこで父と同じ海で働いていた乗組員を探し出すことにした。
・マグロ船の乗組員の多くが亡くなった。この町で生まれ育った美砂さんでさえ、手掛かりを探し出すことは難しくなっている。
福竜丸…あれもそうだけど、こちら(の船)は(被ばくマグロを)棄てにかかった。港に入ったら(放射線)検査するいうたってろくな検査せん。「何マイル(沖に)いって棄ててこい」言われて(第五福丸乗組員・54年当時の武田邦敏さん 86歳)
<アメリカが行った核実験>
・太平洋でアメリカが核実験を始めたのは、広島・長崎への原爆投下から僅か10か月後。それは豊かで美しいマグロ漁場が放射能で汚染され始めた瞬間だった。
・その2年後、1948年に3回、1951年に4回、さらに1952年に人類史上初となる水素爆弾の実験が行われた。
・南海放送が入手したアメリカ原子力委員会の機密文書。このとき放射能汚染が日本列島にまで達していたことが分かった。
・2年後の1954年、第五福竜丸が被ばくしたことが初めて明らかになった。厚生省は全国の港でその他のマグロ船についての放射線測定を指示。すると、乗組員やマグロから次々に放射線が検出された。このとき被ばくしたマグロは日本中を恐怖に陥れた。
・1954年、10か月間に検査を受けた船は延べ2729隻。そのうち放射線が検出された船は延べ992隻に上った。
・ところが日本政府は僅か10か月で放射線測定を中止。アメリカ政府から完全な解決を条件に慰謝料200万ドルを受け取り、事件を幕を引いた。
・アメリカは僅か1年半後に核実験を再開。一方でマグロ漁は普段通り続けられていた。
<キノコ雲を見たという証言も>
・美砂さんは幼なじみを訪ねた。吉野かやさんの父・大黒敬鋭さんはガンのため45歳で亡くなった(第五良栄丸乗組員・54年当時)。
・高知市内。第一徳寿丸乗組員(54年当時)の大西惠五さん(84)は水爆を見たと証言する。火の玉も見たし、キノコ雲も見たと言う。大西さんが見た1958年に行われたアメリカの核実験の映像がある(ハードタック作戦)。
<当時のマグロ漁を映したフィルム>
・この頃の日本のマグロ漁の映像が残されている。1957年、マグロ船の一航海を記録したフィルム映像(荒波に生きる~マグロ漁民の生態~)
この船は4500海里を隔てたクリスマス島裏側の漁場に向かっている。今、クリスマス島の周辺が水爆実験のため危険区域となって…(ナレーション)
・途中、アメリカの核実験場を通過するマグロ船。
おーい、島だ!島が見えたぞ!(男性)
航海11日目、初めて島影を見た。漁夫たちはしきりに上陸したがる。だがこれはビキニ島と平行しているロンゲラップというサンゴ礁で、アメリカの水爆実験のときたっぷり死の灰をかぶった島だと分かる(ナレーション)
・クリスマス島沖に到着したマグロ船・第七幸鵬丸は操業を始める。しかしそこはイギリスの核実験場だった。
昌作はマグロのにぎりでみんなを喜ばせる(ナレーション)
・映像は乗組員たちがその海で取った魚を食べ、海水で体を洗い、そして雨で濡れ続けた様子を映し出している。
<40回もの核実験が行われた年も>
・さらに40回の核実験が行われた1962年(ドミニク作戦)、大西さんは3回目のキノコ雲を目撃した。
そのときも夕方に、お日様が水平線に消えていったら(キノコ雲が)ボコっとまた出てきた。「お日様が割れた」と言った。大騒ぎはしなかった。「言うな」と言われている。「魚が売れんようになるから言うな」と。放射能も何も浴びんかった、浴びていたかどうか分からない。検査をしなかったから(大西さん)
・放射線測定を中止したことで、人も魚も被ばくしているかどうかすら分からなくなっていた。
<当時の乗組員たちから多くの証言が>
・美砂さんは1年半で80人を超える生存者や遺族を探し出した。
バリバリバリバリってわしらの魚が「放射能じゃ」とみんなが言い出して(第七芳丸乗組員・54年当時の武田郁典さん)
雨が降ったら(乗組員は)みんな隠れてた。「放射能が降る」と言って(第七幸丸乗組員・54年当時の高瀬忍さん)
放射線よ、放射線をガーっと調べる。ガガガーッと鳴る(マグロ)は除けて(第一松栄丸乗組員・54年当時の今井基嗣さん)
水揚げしたときにカジキ類で放射能が出たことがある(第七勢旺丸乗組員・54年当時の入野武さん)
トラックに積んですぐに埋めにいった(第三良栄丸乗組員・54年当時の山下幸雄さん)
(放射線を測る)機械をもってきて測ってガーガーと鳴って(第五良栄丸乗組員・54年当時の氏原一昭さん)
僕の同級生は61の同窓会でバタバタと逝ってしまった(まめ丸乗組員・54年当時の堺達男さん)
<父親の航海日誌が見つかった>
・そして父・一明さんの死にまつわる重要な手掛かりが見つかった。自宅の押入奥からダンボール箱に入った船員手帳と航海日誌が見つかった。
水爆実験以来、南方の魚には放射能が多分含有して、その影響で魚の値は暴落し、命懸けで働いても大した儲けにはなりません。
4月30日晴れ。航行中、無線士が電報持って来る。「オンナ デキタ ナマエ シラセ ハハ」とあり、胸のときめきを覚ゆ。電報を手にし、自身父親としての責務この上もなし。左のごとく返電す。「バンザイ ナマエ ミサ ト ツケラレタシ」と。
・船員手帳には一明さんが放射線測定が行われた1954年、第二大鵬丸と第五豊丸の2隻の船に乗り換えていたことが記されていた。この2隻は放射線測定を受けていた。
・美砂さんは厚生労働省に対し、船の放射線記録の公開を求めることにした。
・昨年9月、情報開示の連絡を受けた美砂さんは厚生労働省に向かった。放射線測定が行われた1954年、一明さんが5月まで乗った第二大鵬丸の記録。
・5月23日 しいら120本から廃棄する基準値の5倍にあたる500カウントを超える線量が記録されている。
・さらに7月、第五豊丸に乗り換えた一明さんが12月までに3回の漁に加わっていたことが分かった。その3回全てで魚から放射線が検出されていた。
・見つかった航海日誌には家族にも言えなかった不安が記されていた。
体が火の様に燃える。何か肉体に異変があるに相違ない。
<父は放射線を浴びていたと確信した>
・放射線測定を行った1954年、父と同じ船に乗った乗組員の消息がつかめた。一明さんと同じ船に乗っていた戸波英俊さん(81)。
(魚は)棄てた。トラックに積んで山に持っていった。そのときに1万貫釣っていたが6千貫棄てた。(船の中は)調べた。私は若いからマストの上にあがって洗った。覚えとる、ホース持って。私(の体に線量計が反応して)ガー言うた。安全だと思わんかった、下痢が治らんから。入院もしとったしね。宿毛の県立病院に行ったとき、林先生が「白血球減少病(症)」言うた(戸波さん)
・父はやはり放射線を浴びていたと美砂さんは確信した。
酒だけやないっていうがは確実に思い始めてますね。汚れた海で一生懸命操業して、何度も言うように潮かぶって、汚れた魚食べて。そういうことをもう毎日毎日10年近く、みんな若い青年の時代から続けよる。そんなもう、普通に考えてもええことはないですよ(美砂さん)
・父が亡くなったのは12歳のときだった。家計を支えるため小学6年生でアルバイトを始め、高校を卒業するまで続けた。
授業料も…まあ、あの、奨学金ももらってたんですけど。アルバイトさせていただいたから修学旅行とかも自分のお金で、ちゃんと親に迷惑かけないでできたかなとは思いますけどね(同上)
・「お父ちゃんは酒を飲み過ぎたから死んだ」。父の汚名を背負い、苦労を重ねた青春時代だった。
6年間勤めてお給料を蓄えた中で、お墓の土地と石碑を…。で、仏壇も構えて(同上)
・父が亡くなって48年が過ぎた。
<乗組員の労災申請を勧める活動を>
・マグロ船の乗組員を探し歩く美砂さん。父のように被ばくした可能性がある生存者に何か手助けができないかと、今年に入り新たな活動を始めた。
・美砂さんは数年前、胃がんを患った武田治男さん(第二大鵬丸乗組員・54年当時 84歳)に労災認定の手続を勧めた。操業中に被ばくし、その後がんなどを発症したとして労働上の災害と認め、船員保険の適用を求めるものだ。
今まで人を放ったらかしにしといて「今頃何を言うか」いうて本当に怒りたかった。だけどあんたらがそうなって一生懸命やってくれよる。それを腹が立っとるいうとむげに放るわけにいかんし(武田さん)
・「仲間たちのためになるなら」一方で「何を今更…」武田さんの気持ちは揺れ動く。
・美砂さんはもう1人の乗組員を訪ねた。木村守さん(第二大鵬丸乗組員・55年当時 81歳)は60代で大腸がん、肝臓がん、肺がんを発病。今年、大腸がんが再発、手術をした。
まあ、どっちにしたって…(木村さん)
・数日後、美砂さんは医師とともに武田さんを再び訪ねた。かつて第五福竜丸乗組員の申請支援をした医師の聞間元さん。美砂さんが連絡を取り、手続のアドバイスを依頼した。
胃がおかしいと沖でも言よった。それで市の検査に、今日は(胃がんに)かかると思って自分も承知して(検査に)行った。行ったらやっぱり(胃がんに)かかっとった。それまでは何とも思わず一生懸命に働きよったけんね。がんになる前に遠洋船は引退してた。自分で小釣り船、小さい船で働きよった(武田さん)
・武田さんは認定の難しさの説明は受けたが、仲間たちの救済のきっかけになるならと手続を決めた。
・続いて、がんを再発した木村さんを訪ねた。玄関先で奥さんと思われる声がした。
もうあれ(申請)はええって。もう昔のことやんか。
・昔のことだからそっとしておいてほしい。木村さんは申請を諦めた。
厚労省としては少なくとも船上で操業中に起こった被ばく、その影響が長年経って出てきたということに矛盾がないのであれば、当然救済するという立場で対応してほしいと思いますね(聞間医師)
・そんな中、厚生労働省が今年3月にまとめた報告書。1954年3月の検査記録が残る10隻について、どの程度被ばくしたかを調べたもの。分析の結果「健康影響が現れる程度の被ばくがあったことを示す結果は確認できなかった」と結論づけた。
・高知でもこの報告書の内容が報じられた。
今になって当時の人間はどういう訳で死んだのか分からないまま死んでしまった。それを今になって何もなかったなんて、そんな勝手なことが言えるかの。都合のいいように言ってるということよ。あまりにも酷すぎる。差し障りないように何とか言いたいんだろう、この人らも。幕引いてこれ以上面倒くさいことに関わりたくない(武田治男さん)
どんなふうにしてどういう気持ちで、そんな短い間に、既にもう71年経ったいうても10年間100回以上の放射能実験した中でやりよったことが、素人でも何もなかったなんて信じられんことですからね。どういう根拠をもって全く影響ないということを…。何かしっかり説明してほしいですよね(美砂さん)
<オバマ大統領の広島訪問、そして核実験の犠牲者の遺族は…>
・5月27日、アメリカ大統領が広島へ。そこに美砂さんの姿もあった。
本当に昨日まで、さっきまで考えてた。オバマさんは2009年に「核戦争のない、核兵器を持たない、核兵器を使わない」ということを宣言してくれた唯一の現役のアメリカ大統領だと思うんですね。その彼が果たして戦後すぐ、1946年からのアメリカがこれでもかこれでもか、広島、長崎にあれだけのことをして、もっと威力のある兵器をつくろうとしたあの水爆実験を、果たしてどこまで把握しているのかっていうのは興味がすごくありました(美砂さん)
私の国のように核を保有する国々は恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気をもたなければなりません。私が生きている間にこの目標は実現できないかもしれません。すべての人の下げることのできない価値、すべての命は尊いという主張、私たちは人類の一員なのだと言う根本的で欠かすことのできない考え、それは私たちみんなが伝えていかなければならない物語なのです(オバマ大統領の演説)
・室戸にはある言い伝えが残されている。「死者は海から戻り、そして海に帰って行く」。「お父ちゃん、お父ちゃんの死は決して無駄にはせんきね」
(2016/7/8視聴・2016/7/8記)
※関連ページ(NNNドキュメント)
「激震連鎖 「まさか…」に襲われた熊本」
「あざと生きる~雅治君と「血管」難病の12年~」
「孤独に苦しめられる人たち SOSを出せないあなたへ」
「空き家 どうしますか?」
「託された夢~ダムと柚子と父の遺書~」
「障害プラスα~自閉症スペクトラムと少年事件の間に~」
「能登讃歌 ざいごの情と野の花と」
「生きる伝える “水俣の子”の60年」
「マザーズ 産みの親は誰ですか。」
「かあさんと呼びたい~原爆孤児を支えた心の里親運動~」
「それでも…会いたい~児童養護施設の子どもたち~」
「ロケット職人~打ち上がれ 俺たちのプライド~」
「ひとりじゃない ボクとおばちゃんの5年間」
「傷む心」
「THE放射能 人間vs放射線 科学はどこまで迫れるか?」
「ふるさと」
「はじまりのごはん 3・11 写真と付箋」
「奥底の悲しみ」
「“一歩一歩”が人生 女性登山家・田部井淳子」
「丸山夏鈴~最期までアイドル~」
「我らじじい部隊~中間貯蔵に揺れる故郷(まち)~」
「漂流ポスト…あなたへ」
「スカイツリーに願いを PART2~僕たちの下町商店街~」
「メイドカフェ火災の死角~検証・見過ごされた“違法”ビル~」
「ツルの子 八代の子」
「標高3000mの命~ライチョウからの警告~」
「安倍政治ってなんだ?戦後70年 ニッポンの分岐点」
「彷徨う10代 ~大阪中1男女の死が問いかけるもの~」
「花は咲けども 故郷は…」
「演じる、高校生~ぼくらの町は焼け野原だった~」
「被ばく牛‘たまみ’」
「再稼働元年Ⅱ~原発の“地元”のはずなのに~」
「凍土の記憶~シベリア抑留を伝える女子高校生~」
「妹、和子より」
「島が学校~ある女子高校生の離島留学~」
「堤防決壊」
「南京事件~兵士たちの遺言~」
「火山列島に生きる」
「祈りの絵筆~飢餓地獄を生きのびて~」
「ひろむ先生のまほうの手~ふしぎ!できた!ボクらのアート~」
「能登消滅~9分の8の衝撃~」
「これが最後です さようなら~北のひめゆりへ祈りを~」
「2つの“マル秘”と再稼働 国はなぜ原発事故試算を隠したのか?」
「海の記憶~父からの手紙~」
「極秘裏に中絶すべし~不法妊娠させられて~」
「僕らのミーティング~「話す・聞く・想う」 心の授業~」
「“元少年A”へ~神戸児童連続殺傷事件 手記はなぜ~」
「生きることは、あきらめない。~少年と余命告知~」
「90歳のサッカー記者~日韓 歴史の宿命~」
「コメ サバイバル 密着!ブランド米の攻防」
「ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る」
「KOIに恋して 世界へ売る!“泳ぐ宝石”」
「それでも作り続ける ~福島“原発避難区域”のコメ作り~」
「あいつは、ミナだ 差別と闘い 新潟水俣病50年」
「“おうち”診療所~がんと闘う子どもたちの願い~」
「産みの選択~お腹の赤ちゃん 揺れる命~」
「晩春 認知症の彼女と結婚した理由」
「9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~」