【アナザーストーリーズ 運命の分岐点】
「そして女たちは伝説になったSP」(NHK・BSプレミアム・2016/9/21放送)
※公式サイト:
http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/<感想> 以前放送された3本を再編集して「3人の女性たち」に焦点を当てたスペシャル。3人とも文字通り「運命の分岐点」に立ち、懸命に生きたという点と既にこの世にいないという共通点があります。それぞれの感想を。
(1)映画「エマニエル夫人」の主演、シルビア・クリステルさん。 本当につくづく思います。若い女性とりわけ貧困のあえぐ女性を食い物にする男がいつの時代もいるのだということを。どんなに取り繕っても、私にはそうとしか見えない。シルビアさんを裸にした男たちの罪は大きい。
今でも騙されてAVに出演して心と身体に深い傷を負っている女性がたくさんいます。そういう女性を食い物にするようなゲスな人間は、この世からとにかく消えてほしい!他にどんなに優れた面があったとしても性を商品にする人間をNHKをはじめ公的機関が是認するんじゃないよと言いたい。怒り心頭です。
(2)ジョン・F。ケネディ大統領夫人のジャクリーン・ケネディさん。 大統領が撃たれたシーンの映像は何度観てもショッキングなものでした。この元になった番組はシークレットサービスの方に焦点を当てた内容だったので、あらためてジャクリーンさんの視点での再構成で観ると、あらためて彼女に対するリスペクトが深まりました。
本当にその場に居合わせ、自ら命の危険に晒されたにも関わらず、血染めのスーツを決して着替えずに気丈に振る舞い、そして暴力には屈しないという姿をみせたジャクリーンさん。決してテロでは歴史は動かないというのは私の持論ですが、それを体現したといっても過言ではないと思います。
(3)ラストステージの美空ひばりさん。 昭和が終わり、平成という時代が訪れ、そして美空ひばりさんという歌謡界の女王がステージを降りた。リアルタイムでその瞬間を経験している私としても、まさに一つの時代が終わったと当時感じました。
そして「川の流れのように」。テレビで流れるとついつい口ずさんでしまうのですね。名曲だと思います。それは、やはり99.9999%の部分で「美空ひばり」の歌だからだと思います。
少なくとも作詞者が良かったとは思いません。作詞は、なんちゃら48のプロデューサーの人物で「私の大嫌いな奴リスト」の登載者ですから(笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>・彼女たちはその笑顔で、その体で、その歌声で世界を魅了した。しかし、大統領の夫を暗殺された妻、スターの座から落ちた女優、病魔と闘った女王。3人が歩いた道はイバラの道だった。
・人は時に運命の分岐点に立つ。世界を震撼させたあの事件、日本中が熱狂したあの日。今回はそんな運命の分岐点に立ち、懸命に生きた3人の女性たちの物語。
<STORY-1 エマニエル夫人という重荷 シルビア・クリステル>・1人目はシルビア・クリステル。彼女が42年前に出演した映画は「エマニエル夫人」。それは全編通してセックスシーンが描かれる過激な内容だった。フランスでは12年間にわたってロングラン上映され、世界では延べ3億人以上が観たと言われている。
・しかしこの映画でいきなり世界的女優となったシルビアは、ある重荷を背負い一生苦しむことになった。
・シルビアの故郷であるオランダ・ユトレヒト。町外れにひっそりと墓はあった。享年60。彼女は晩年がんを患い、最後は脳卒中になり4年前に亡くなった。
・晩年、彼女はこんな姿を撮られていた。一般の人に混じって地下鉄に乗るシルビアが元女優だと気づく人もいない。しかし彼女は確かに頂点を極めたスターだった。
・彼女を一気にスターにした「エマニエル夫人」とは一体どんな物語だったのか。主人公は外交官の夫を持つ若妻エマニエル。異国の地で奔放な性を重ね、自らの欲望を自由に解放させながら大人の女性へと変貌していく。そこに当時女性たちが共感した。
・そんな女性たちで映画館は初日からあふれかえった。フランスでは「今年世の中を変えた人」という雑誌の特集で表紙に大統領とエマニエル夫人の顔が並んだほどだった。
・そもそもなぜこのポルノまがいの映画が作られ、彼女が出演することになったのか。話は映画製作の数年前に遡る。当時フランス・パリは反体制運動が盛り上がり、製作される映画も難解なものばかりになっていた。
・しかしそんな時代だからこそ、一般大衆に向けた娯楽映画を作れば一獲千金を手にできると考える男がいた。当時コマーシャルの世界にいた、若く無鉄砲なプロデューサーのイヴ・ルーセ=ルアール(当時33歳)。
・全ての始まりは仲間と飛行機に乗ったとき、たまたま美しい女性を目にし思い浮かんだ、あるばかばかしい妄想だった。それが映画の中に出てくる機内で…のシーン。人間なら誰しもが時に思い描く、ちょっとエッチで淫らな妄想。それを映画にしたら、意外にみんなが喜ぶのではと思ったのだ。
私は映画業界の常識について何も知らなかったよ。だから先入観を持たずにチャレンジできたんだ。とにかく多くの人たちに観てもらえるような映画を作りたかったんです(イヴ)・しかし原作はさらに過激なものだった。飛行機のシーンばかりでなく全編、赤裸々な性的欲望や妄想が描かれていて、フランスきっての有名プロデューサーでさえ映画化を断念したといういわくつき。
・しかも大統領は超保守派のポンピドゥー。表現への検閲も熾烈を極めた。映画の配給会社を経営するイヴの友人セルジュ・シリツキーは、検閲をくぐり抜ける道は一つしかないと考えていた。
エマニエルという作品は官能的ではあってもワイセツではないと私は思っていました。だからとにかく美的に優れたものを撮ることが最も重要だったのです(シリツキー)・官能かワイセツか、その壁を乗り越えるために何よりも先に探さなければならないのは、魅力ある女優だった。しかしなかなか見つからない。あまりにもセックスシーンが多いため、殆どの女優が出演を断ったのだ。
・しかし奇跡が起こる。監督を任されたジュスト・ジャカンがオランダまでオーディションに出向き、ようやく一人の女優と出会ったのだ。
彼女と初めて会ったときです(ジャカン)・シルビア・クリステル、当時20歳。ジャカンは殆ど女優経験のない彼女に強く惹かれた。
一目でグッときたんです。彼女は純粋でナイーブな女性だったからです。タブーを乗り越え、いろんな経験を積むという役にぴったりでした。他の女優は裸のシーンが多いというだけで、みんな出演を断ってきましたからね。ですからシルビアが勇敢にも出演してくれるとなったときは、心から嬉しかったです(同上)・出演を了承したとき撮影されたヌード。実はこのときシルビアは、ある思いを懸命に押し殺していた。後に自叙伝に綴っている。
私が原作を読んだのは
キャスティングが決まり
出演を了承した後だった
本当は裸になることに
耐えられなかった
撮影のために裸になることが
好きな自分になるしかない
(自叙伝「Nue」より)・しかもシルビアは裸になることを望んではいなかった。断らなかったのは、映画の出演が人生の一発逆転を懸けた挑戦だったからだ。
・シルビアはユトレヒトの駅前で、宿を営む両親のもと3人きょうだいの長女として生まれた。両親は昼間、宿の仕事に追われ、夜はバーにやって来る客の相手でいつもべろべろ。シルビアのことは放ったらかしだった。夜眠れずクズると、コニャックを口に含ませ寝かせられた。複雑な家庭環境から逃れるように修道院の寄宿舎へ。シルビアは眠れなくなると、こう言ってシスターを驚かせたという。
コニャックを1杯いただけませんか?・11歳にして既に壊れかけていたシルビアに、さらに追い打ちをかけたのが両親の離婚。きょうだい3人は貧乏のどん底に追いやられた。
あの当時は本当に貧乏でした(弟のニコ)
ほんとに何もなかった。夕食は焼いたジャガイモ1個と豆の缶詰と小さいソーセージを4人で分けて食べていました(妹のマリアンヌ)・そんな生活から抜け出すためにシルビアは、お金を稼げるスターを夢みるようになった。
シルビアはいつも鏡の前でダンスのステップをしてみたり、バレエのポーズをとってみたりして、どうしたら自分が一番よく見えるかを研究してたわ(マリアンヌ)(あなたたちもシルビアがきれいだと思っていました?)
そんなことないわ(マリアンヌ)いや、きょうだいだからね。本人もそう思ってなかったんじゃない?(ニコ)でも、絶対に何者かになって成功してやるんだって、そんな感じだったわ(マリアンヌ)・だからこそ、たとえ裸であろうと断るわけにはいかなかった。
・そして1973年12月、撮影が始まった。初日からエマニエルと夫が交わる場面。ワイセツではなく、いかに官能的に撮るか、カメラマンは工夫を凝らした。
映画全体のほぼ全てを自然光にし、しかも逆光で撮ることにしたんだ。いつも光は後ろから当てて髪を輝かせた。物語より映像の質を優先したかったんだ(撮影監督のリシャール・スズキ)・もう一つの特徴が、暗さが排除されたカラフルな映像だ。その中で女性たちは自らを解放し、屈託なく微笑み、人生を謳歌している。そうして新たな性に目覚めていくエマニエルを美しく撮る。それが映画の核心部分となっていった。
シルビアはスクリーンを突き抜けるような魅力を持っていました。それと同時に純朴さも併せ持っていたんです(イヴ)・しかしシルビアの挑戦がいかに無謀なものだったか。共演したマリカ・グリーンは、はなから気づいていた。彼女は撮影中の出来事を詳細な日記に綴っていた。
「段取りの悪さとシルビアの集中力のなさで撮影終了」だって(マリカ)・シルビアの演技は稚拙なうえ、実はある弱点を隠したまま現場に臨んでいた。
周りの役者も彼女の弱点に気づいていました。なぜなら彼女はフランス語をあまり話せなかったんです(同上)・実はシルビアのセリフ全てが別の女性による吹き替えだった。現場で追い込まれていたシルビアの様子をプロデューサーのイヴはよく覚えていた。
彼女は撮影が終わっても、スタッフと交わろうとはしませんでした。おそらく静かな環境にいたかったんでしょう(イヴ)・何者かになれることを証明するため、シルビアにできることは一つしかなかった。
私は彼らが
探しているエマニエル。
彼らの欲望の中に溶け込み
違う女性になり演じる。
私はエマニエルになる。
(自叙伝「Nue」より)シルビアは女優として演じているというよりも、エマニエルそのものだったわね。そうすることでしかエマニエルを演じ続けられなかったんだと思うわ(マリカ)・そうしてシルビアが美しきエマニエルになりきったとき、映画は官能とワイセツの壁を乗り越えた。なんと18歳以上という制限付きではあったが、一般映画館での上映が許可されたのだ。
・そして公開されるやいなや劇場は観客であふれかえり、その1年間で400万人を動員。興行成績はぶっちぎりの1位を記録した。
・演技すらまともに学んだことのなかったシルビアが、一夜にして世界的スターになった。そのとき彼女は確かに人生の一発逆転に成功した…はずだった。
・シルビアの私生活を追いかけたドキュメンタリー番組がある。ベッドから起き上がってくるシルビアは、まるでエマニエルのようないでたち。
・恋愛も映画同様、奔放に。年の離れた恋人と不倫にも関わらず、堂々と交際宣言。エマニエルになりきったシルビアは、もはやエマニエルと同化し、そこから逃れられなくなっていた。恋人との間に息子もできたが、母として育てることはできなかった。
だから、おばあちゃんとおばさんが一緒になって僕を育ててくれたんだ。母はお土産を持って時々やって来る人という感じでした(息子のアルチュール)・そしてシルビアは子どもを置いて、単身ハリウッドへ。世界的ヒットを飛ばした実績から幾つかの作品に出演はしたが、認められることはなかった。彼女はどこまでいっても、エマニエルでしかなかったからだ。
・その後はもうボロボロ。映画プロデューサーと結婚するが、金遣いの荒い夫のおかげで自己破産にまで追い込まれる。ゴシップ記事は無一文になったかつてのスターをあざ笑った。当時ふるさとオランダのテレビに出演、心境をこう語っている。
(自分自身をスターだと思ってる?)
スター…。周りを囲んでいた使用人たちもいないし、自分で掃除もしなくちゃならないし、スターではないかな。今は言ってみれば人間らしい人間かな(シルビア)(それでも大物だと思ってるでしょ?)
思ってるわ(シルビア)・プライドは失っていなかった。
・栄光と転落。自らに全てをもたらしたエマニエルとは、シルビアにとってどんな存在だったのか。
・晩年、オランダ・アムステルダムのボートハウスでよく過ごしていたという。最後の恋人ピーター・ブリュル。
ここがシルビアのアトリエでした。いつもここで絵を描いていました。そこの机の上で(ピーター)・部屋の至る所にシルビアが描いた絵が飾られていた。その殆どが若い女性像だった。
そういえば彼女はよくこう言っていました。「2つの人生はもう要らない」とね(同上)・シルビアとエマニエルという2つの人生。どちらを生きたかったのか。恋人ピーターとの暮らしの中で、彼女が最後に描いた絵が残されている。籐の椅子に座る自分だった。
・亡くなる数年前、彼女はインタビューにこう答えている。
エマニエル夫人から逃れようとしましたが、3億人以上がみて愛したものからは逃れられなかった。あれだけ成功したものに対して、どうして嫌悪できるでしょう。今ではとても感謝しています。あの映画こそが私を生かしているのですから(シルビア)・エマニエル夫人を世界中の誰よりも愛していたのは、彼女だったのかもしれない。
・シルビア・クリステル。2012年10月17日没。享年60。
<STORY-2 ファーストレディの愛と決意 ジャクリーン・ケネディ>・世界を揺るがす、その運命の分岐点が訪れたのは53年前の秋だった。暗殺者の銃弾がケネディ大統領の体と頭を貫いた。
・そのとき大統領の傍らにいたのは妻・ジャクリーン。彼女は吹き飛ばれた夫の一部を懸命に拾い集めようとしていた。
国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるか考えようではありませんか(ケネディの演説)・第35代アメリカ大統領ジョン・F。ケネディ。その存在こそがアメリカの希望だった。大統領である夫が暗殺者の凶弾に倒れたとき、妻・ジャクリーンがどれほどの絶望を味わったか想像もつかない。
・しかしその夜、彼女がとった行動は驚くべきものだった。夫の血の付いたスーツを着たまま決して脱ごうとはしなかった。それこそが絶望の中で貫いた夫への愛と、ある決意の証しだったからだ。
・2011年、ある音声テープが初めて公開された。ずっと口を閉ざしてきたジャクリーン、実は事件の数か月後にあるインタビューを受けていた。
私はかつて夫にこう言ったの。「あなたを失うくらいなら、あなたと共に死にたい」(1964年6月2日収録)・悲劇のファーストレディ、ジャクリーン。知られざる真実が50年の時を経て明らかとなる。
・事件の3時間半前、運命の日の朝、大統領歓迎の朝食会。ジャクリーンが現れると会場に歓声が鳴り響いた。彼女が着ているピンクのスーツは、大統領がこの日のために選んだ1着。ジャクリーンの美しさに皆、魅了された。
私が彼女のお供でやって来たようだね。誰も私が着ているものには興味がないでしょう(ケネディ)・当時ジャクリーンは絶大な人気を得ていた。20代の頃、あるパーティーでケネディと出会い恋に落ち結婚。当時34歳、若く美しいファーストレディに人々は魅了され、そのファッションは注目の的だった。2人の子どもにも恵まれたジャクリーン、理想の女性像だった。
・実はジャクリーンは、あの悲劇が起きたテキサスへと出向くことに乗り気ではなかった。今回公開されたインタビューの中でこう語っている。
夫が亡くなる前日、彼に言ったの。「テキサス州知事の口先だけの態度に耐えられないの」。でもそのとき彼は優しく私の背中をさすりながら言ったわ。「テキサスに行くのは政治的逆風を治めるためなんだ。そんなこと言ったら全てがダメになる。嫌っていてはダメだよ」と(1964年3月4日収録)・しかし結局ジャクリーンはケネディに説得され、運命の地・ダラスに舞い降りた。
・パレードは大盛況の中行われ、笑顔で市民に応えるジャクリーン。しかしこの映像の僅か90秒後…。
・愛する夫が撃たれ動転するジャクリーン。突如、何を思ったのか座席から飛び出し、トランクに乗り出す危険な状態となった。
・そのすぐ直後、シークレットサービスのクリントに守られジャクリーンは難を逃れた。車から転落し、彼女までもが命を落としていたかもしれなかった。
・あのときジャクリーンは何をしようとしたのか?
ミセス・ケネディは大統領の頭から飛び出したものをつかもうとしていたんです。彼女と銃弾の距離はこのくらいでした。だから恐ろしいショックを受けたのは当然です。その後、車の中で「あなた 何て事をされたの」「あなた 愛しているわ」と言っていました。彼女はただひたすら打ちのめされていました(元シークレットサービスのクリント・ヒル)・事件から2時間後、大統領専用機に夫・ケネディの棺とともに戻って来たジャクリーン。しかし悲しみに暮れる時間はなかった。機内ではすぐさま次期大統領の宣誓式が行われた。ジャクリーンは夫が死んだばかりだというのに、立ち会わねばならなかった。
・そして大統領専用機でワシントンへ。その日の夜、空港に到着。多くの人々が見守る中、飛行機の中から姿を現したジャクリーン。そのとき彼女の異様ないでたちに人々は息を飲んだ。事件から5時間も経過していたのに、ジャクリーンは夫・ケネディの血が付いたスーツを着続けていたのだ。着替える時間は十分にあった。にも関わらず、なぜ?その理由を側近にこう明かしていた。
この服は決して着替えない。犯人が大統領にいかに残酷なことをしたのか見せつけるの。残酷な犯罪には決して屈しない。・それは気丈なジャクリーンの決意だった。
・その後、ジャクリーンは夫・ケネディの検視解剖を経て翌日の明け方4時、ホワイトハウスに戻って来た。一人の女性がジャクリーンの帰りを待っていた。彼女の私設秘書プロビデンシア・パレデス、悲劇の直後ジャクリーンが心の内を打ち明けた数少ない人物の一人だ。
・去年亡くなったが、当時の様子を遺族が伝え聞いていた。息子のグスタヴォ・パレデスは小さい頃からジャクリーンのそばで育ち、彼女が亡くなるまで交流が続いていた。
ミセス・ケネディは「どうして人はこんなにも残酷になれるのか」と泣き崩れていました。公の場では毅然と振る舞っていましたが、母の前では自分をさらけ出し涙を流して感情的になっていました。そしてミセス・ケネディは「自分も殺されるかもしれない」と言って怯えていました。暗殺は誰かの陰謀で、次は自分と家族が狙われると感じていたのです(グスタヴォ)・しかしジャクリーンには、まだやらねばならぬことがあった。1963年11月24日-25日。暗殺の2日後に行われた夫・ケネディの葬儀を取り仕切ることだった。彼女はここでも決然と振る舞った。群衆の中、夫の棺とともに歩いて見せた。周囲は危険すぎると反対したが、それでもあえて先頭を歩んだ。失われた正義を取り戻すために。
ミセス・ケネディが歩いたのは、大統領がそうであったように国民とつながる機会にしたかったからです。民衆と悲しみを分かち合い、国民一人一人と大統領を追悼するために歩くことが大切だと考えたんです。大統領が殺され恐怖に怯えていましたが、それでも歩きたかったんです。命の危険を恐れないという姿勢を見せたかったんです。彼女の行動は本当に力強く勇敢でした(同上)葬儀全体にわたってミセス・ケネディは気丈でした。「頑固なだけよ」と、あの方なら言うかもしれませんが顔をしっかり上げて堂々としていました。時折泣くことはありましたが、でも本当によく持ちこたえていました。悲劇に直面したとき人はどうしたらいいのかのお手本のようでした。私は彼女を誇りに思いました(クリント)・毅然と前を進むジャクリーンの姿は、アメリカ国民の目に焼き付いた。彼女はケネディの棺と共に歩み、愛する夫との永遠の別れを告げた。
・棺は戦没者が眠るアーリントン国立墓地に埋葬された。墓標にはジャクリーンの願いによって、永遠の炎がともされた。ケネディ大統領の意志は未来永劫、語り継がれていくことになった。
・その後、ジャクリーンは第二の人生を歩み出した。ワシントンを離れ、5年後に再婚。本の編集者として活躍した。64歳で他界、あの悲劇のことを公に語ることはなかった。彼女の遺体は夫が眠る墓の隣に埋葬された。
私はかつて夫にこう言ったの。「もしあなたに何か起きたとしても私は離れないわ。あなたと一緒に居たい。あなたを失うくらいなら、あなたと共に死にたい」(1964年6月2日収録)・ジャクリーン・ケネディ。1994年5月19日没。享年64。
<STORY-3 ラストステージ 緊迫の舞台裏 美空ひばり>・歌謡界の女王・美空ひばり。彼女に訪れた壮絶な運命の分岐点、それは命を懸けて上がった人生最後のステージだった。
皆様、本日はようこそお起しくださいました。ちょっと…後ろに腰掛けがございます。せっかく用意してくれたもんだから、ちょっと座らせてもらいます。20代はこんなことなかったんですけど…(録音音声の美空ひばり)・27年前に録音された美空ひばりのラストステージでの肉声。そのとき女王は、もう立っているのがやっとだった。その日、そこにいた人たちは女王の何を目撃したのか。
・美空ひばりは現れたときからスターだった。大人顔負けの歌唱力。戦後、焼け野原からの復興を目指す日本を励ました。昭和の時代とともに歩み、歌謡界の女王として燦然と輝き続けた。
・しかし時代が平成へと移り変わる2年前の昭和62年(1987年)4月22日、ひばりは体の不調を訴え入院。検査の結果、肝硬変と股関節の骨が壊死する病が見つかった。
・翌日、記者会見が開かれた。「歌謡界の女王が倒れる」。マスコミは「再起不能」と騒ぎ立てた。
・しかし約3か月後の8月3日に退院。
もう一度歌いたいという信念が私の中にはいつも消えないでおりました(美空ひばり・当時)・昭和63年(1988年)4月11日、ひばりは東京ドームで再びステージに返り咲く。完全復活、誰もがそう信じた。だからこそ全国ツアーが始められた。
・そしてこのときは、まだ誰も、ツアー2日目となる福岡・小倉が美空ひばり最後のステージになろうとは考えてもいなかった。そのため平成元年(1989年)2月7日、当日の映像は残されていない。
・しかし、テープを録音した男がいる。チャーリィ脇野、ひばりを長く支えた専属バンドの指揮者だ。脇野は最後のステージを誰よりも近くで見守った。ホールを訪れるのは、あの日以来だった。ここで何が起きていたのか。
・当日、脇野には、ひばりの体調のことは知らされていなかった。ひばりの到着を待っていた脇野のもとに知らせが届いた。
(ひばりさんが)ヘリコプターで来たんだよって。それ聞いただけで「あっ、相当悪いな」と思いますよ(脇野)・1日目の会場となった福岡から小倉までは車で1時間余り。その移動時間を短縮するため、ひばりはヘリコプターでやって来た。
・脇野は楽屋へ急いだ。いつも開演10分前にステージ内容の確認をすることになっていた。しかし、いつもと様子が違った。状況をつかめずにいる脇野に、ベッドに横たわるひばりが口を開いた。
「無法松カットね、今日」と(同上)・「無法松」とはステージの21曲目に予定されていた「無法松の一生」のこと。小倉が舞台の歌で、この日のためにひばりが用意していた。
・「地元のファンが第一」と常日頃、口にしていたひばりからは考えられない変更だった。
・開始直前、ステージ上でも思わぬことが起きた。いつもは無いはずのものが運び込まれた。
あのときだけ、ここに椅子が出た。周りの人がみんな言うわけ。「チャーリィさん、お願いね。何かあったら頼むね」っていうのは、もしも何かあった場合は、やっぱり支えなきゃならないでしょ。だけど僕自身は他の方ほどは重病が分かってないわけですよ(同上)・立っていられなくなったときの椅子。こんなことは今まで一度もなかった。
・この日のステージは昼と夜の2回公演。しかし昼の部の開始時間を過ぎても、楽屋からのゴーサインが出ない。ひばりの身に一体何が起きているのか。バンドメンバーの間に動揺が走った。
・そして予定より遅れること15分、演奏開始の合図が出た。1100人のファンを前に鳴り響くオープニングメドレー。そしていよいよ、ひばりの登場。状態はどうなのか。
・客席のファンは、いつもと変わらぬひばりの歌声に酔いしれた。最前列で見ていたファンがいる。
やっぱりいいですね。一番前でほんと、すぐそこで見えるでしょ。何年経っても同じなんですよね。若い頃からの歌い方というかね(40年来のファンの益田征子さん)・しかし脇野は、ひばりの歌声に異変を感じた。
ひばりさん、必死に声を出してる。意識が遠くなったり、また戻ったり。あれは音響さんと僕ぐらいしか分からないんじゃないかな(脇野)・ひばりの異変に気づいたもう一人、音響スタッフの末松光廣。
普通はスタンドマイクで歌わないんです。いつもは手に持って。(マイクを)スタンドに差したまま歌ってた(末松)・アップテンポの曲では、いつもマイクを手に持ちステージ狭しと歌い踊るひばり。しかしこのときはスタンドに差したままだった。
・そして5曲目を歌い終えたあと…。
本日はようこそお起しくださいました。ちょっと…せっかく用意してくれたもんだから、ちょっと座らせてもらいます。43歳になったら息切れします。これだけ大きいのを作ってくれると、横になりたくなっちゃいますね(録音音声の美空ひばり)・ひばりが43年の歌手人生で初めてステージの椅子に自ら座った。
「座らせてもらうわね、私ももう40いくつだから」(※実際は52歳)って冗談言って。大変悪いなと思いましたよ、僕自身はね。だけど次の公演が今年いっぱい全部なくなるとは想像もしてない(脇野)・ひばりの身に一体何が起きていたのか?昼の公演を終えたひばりの体力は限界だった。楽屋に戻り点滴を受けた。付き添った看護師の平田はるみは、ひばりが息苦しさを訴えていたのを覚えている。
「息ができない」というのと、「声が出ない、伸びない」と言ってました。「前みたいに声が出ないのよね」と先生に言われてました(平田)・緊迫した状況の中、楽屋では夜の部の中止が検討されていた。音響スタッフの末松は、楽屋から漏れる声を聞いた。
当時だいぶ揉められたんじゃないですかね、楽屋で。関係者が「(夜の部は)止めよう」と言っていたけど、ひばりさんが「中止することはダメ」と(末松)・ひばりは夜の部を強行した。楽屋からステージに向かう僅かな段差にカーペットを敷き歩きやすくしたものの、越えるのもやっとだった。それでもひばりはファンの待つ舞台に向かった。
私は初めてね、ヘリコプターっていうのに乗っちゃったの。早く会場へ着きたいなと思ったし、乗ってみたかったんですよ。快適でしたよ。お天気も良くて、風も無くてね。そしたら味しめちゃってね、夜も乗って帰ろうかしら(録音音声の美空ひばり)・ひばりの体調は刻々と悪化していた。2階の音響調整室にいた末松は、音のプロでなければ分からないひばりの異変に気づいた。
美空さんは裏声がきれいなんですけど、僕の中では返らなかったですね、裏声が。声が出なくなったんだと思うんですよ。美空ひばりさんの声がバンドに負けてしまうんですよ(末松)・ステージの続行が危ぶまれる緊急事態、音響スタッフは対応に追われた。末松は状況を把握するため、ひばりが舞台袖に引っ込む早着替えの隙にステージへ急いだ。この状況をどう乗り切るか仲間と話していたとき…。
入ってきたら、もう倒れそうな…さっと抱えられて。引きずられるといったらおかしいですけど、すごいしんどそうというか、痛いのを我慢するような。あの表情は忘れられないですね(同上)・女王が倒れた。もうこれ以上は無理か…。誰もが諦めかけていた、そのときだった。ひばりが再びステージに向かい「愛燦燦」を歌い始めた。歌声はいつもと変わることなく、聴く者たちの心に沁みわたった。
・それが女王最後のステージだった。生涯にレコーディングした楽曲数1500。膨大な曲を残し、美空ひばりは僅か52歳でこの世を去った。
・ひばりがこの世を去った1か月後の平成元年(1989年)7月22日、東京・青山で葬儀が行われた。ファンや関係者、約10万人が参列。歌謡界の女王を万感の思いを込めた。
・会場に流れた「川の流れのように」。誰からともなく口ずさんだ。そして思わぬことが起きた。外で大合唱が起きたのだ。
・この曲の発表から僅か1か月、ひばりはステージを去った。だから人前でこの歌を歌ったことは数えるほどしかない。だがその歌声は、今も私たちとともに生き続けている。川は大海原へと注ぎ込んだ。
ひばりが歌ってる限りは、見守ってくださいますよう、よろしく、よろしくお願いいたします(録音音声の美空ひばり)(2016/9/22視聴・2016/9/22記)
【ブログランキング】
▼▼ワンクリック投票をぜひお願いいたします▼▼
![]()
※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)
![]()
Nue - dans l'ombre du fantasme![]()
![]()
Undressing Emmanuelle: A Life Stripped Bare![]()
![]()
ミセス・ケネディ―私だけが知る大統領夫人の素顔![]()
![]()
JFK<ディレクターズ・カット/日本語吹替完声版> [Blu-ray]![]()
![]()
美空ひばりベスト 1949~1963 (白盤)![]()
![]()
美空ひばりベスト 1964~1989 (紅盤)![]()
※関連ページ
「アメリカ同時多発テロ~ホワイトハウス 知られざる戦い~」「ハドソン川の奇跡 ニューヨーク不時着 世紀の生還劇」「フェルメール盗難事件 史上最大の奪還作戦」「大事件に隠された真実“スクープ”SP」「選・日航機墜落事故 命の重さと向き合った人々」「東大安田講堂事件~学生たち47年目の告白~」「パンダが来た!~日本初公開 知られざる大作戦~」「よど号ハイジャック事件 明かされなかった真実」「ケネディ大統領暗殺 シークレットサービスの後悔」「大韓航空機爆破事件~ナゾの北朝鮮工作員 キム・ヒョンヒ~」「これがリアル“あさ”だ!女傑 広岡浅子」「日航機墜落事故 命の重さと向き合った人々」