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【にっぽん!歴史鑑定】鬼平 長谷川平蔵の真実

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【にっぽん!歴史鑑定】
「鬼平 長谷川平蔵の真実」

(BS-TBS・2017/2/20放送)
※公式サイト:http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/

<感想>

 池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」。年長者の人たちに大変人気がありますね。私の身近なところでも愛読者が多いです。正直言ってその魅力がよく分からなかったのですが、今回の長谷川平蔵の生涯を知って合点がいきました。確かに鬼平こと平蔵は魅力的な人物ですね。

 今でいえば警察署長(兼刑事部長)のようなものなのでしょうか。凶悪犯を次々と捕まえ町の治安を守る頼もしい存在です。さらに裁判所長も兼務して迅速で公平な裁判も行っていました。誤認逮捕した者に補償までしたというのは今でいう国家賠償の先駆的なものとも言えるでしょう。

 さらに人足寄場の責任者まで務めるというのは、自立や更生を促すホームレスの支援施設兼刑務所の所長。この人は一体どこまで職務を兼務していたのかと驚くばかりです。

 そんな平蔵さん。上司からは疎まれて町奉行にはなれなかったのですね。でも私が思うに彼は強く出世を望んでいたのではないかなと思えるのです。出世目的で仕事していたら、ここまで献身的にはならずに何処かで「打算」に走るでしょう。きっと真面目だったに違いありません。若い頃はやんちゃしていたそうですが、それがどう心の変化があったのか。その辺りにも興味がありますね。

 ちなみに現代にもし長谷川平蔵がいたら今、地裁で審理が行われている「小金井市女子大生ストーカー刺傷事件」の裁きをぜひ下してほしい。検察は懲役17年を求刑してますが、鬼平だったら獄門または終生遠島にしてくれたでしょう。無反省で更生不能としか思えない極悪人に正義の裁きをと思います。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

・東京・台東区にある池波正太郎記念文庫。「鬼平犯科帳」の直筆原稿がある。今なお愛され続ける時代小説の金字塔。2017年、誕生50周年を迎えた。
・主人公は悪党たちも震え上がる鬼平こと長谷川平蔵。江戸時代に活躍した実在の人物。平蔵は幕府の特別警察である火付盗賊改。悪を懲らしめる江戸のヒーローだった。お縄にした賊は200人以上、高い検挙率には平蔵の訳ありな過去が関係していた?
・平蔵最大の功績は人足寄場の設立。人々の自立・更生を促す秘策。鍵を握るのは水玉模様?
・出世街道から外された。平蔵の前に立ちはだかった意外な人物とは?鬼平が泣いた?

<長谷川平蔵の生い立ち>
・江戸時代中期の延享3年(1746年)長谷川平蔵は旗本の家の長男として江戸で生まれた。本名は宣以、平蔵は通称だった。
・長谷川家は家禄400石と決して高い石高ではなかったが、三河時代から徳川家に仕える格式の高い家柄。父・宣雄は通称を同じく平蔵といい、京都町奉行にまで出世した優秀な官僚だった。
・本所に屋敷替えを命じられたのは明和元年(1764年)平蔵19歳のときのこと。現在の墨田区菊川駅そば。この辺りもかつては本所と呼ばれていた。
・実は若い頃の平蔵は名うての遊び人、放蕩三昧だったという。しかし28歳のとき父が京都町奉行在職中に急死したことで家督を継ぎ、長谷川家の当主に。生活は一変、心を入れ替えた。
・翌年には将軍を護衛する書院番に就任。旗本の出世の頂点である町奉行を目指し精進することになった。徐々に出世を重ねていった平蔵は41歳で御先手頭になった。戦の際に先鋒を務める弓隊と鉄砲隊の指揮官のこと。平蔵が任されたのは弓隊の頭。

<火付盗賊改となった平蔵>
・天明7年(1787年)後の平蔵の人生に大きく関わる松平定信が幕閣のトップである老中になった。就任3か月後、定信は平蔵を「火付盗賊改」に抜擢した。
・火付盗賊改の仕事とは放火犯や盗賊、博徒の取締り。およそ30人いる御先手頭の中から選ばれ兼任するため、当時は加役と呼ばれていた。
・基本的に定員は2人。1人が通年を担当し、もう1人は火事が多く発生する冬場のみ増員された。平蔵は初め冬場だけの臨時職として任命され7か月間就任したがその後、通年担当となった。火付盗賊改には決まった役所がないため自宅を使用。小さいながらも御白洲を設け、取り調べや裁定を行った。
・江戸には警察司法を司る町奉行がいたが、こちらは非武装の文官。一方、火付盗賊改は武官でいわば軍人。町奉行では手に負えない凶悪犯罪を扱う特別警察のような存在だった。
・他にも火付盗賊改と町奉行では異なる部分があると、江戸の歴史に詳しい東京大学史料編纂所教授の山本博文氏は言う。

管轄が分かれていて、町奉行は江戸の町だけだったが、火付盗賊改は特定の管轄がなかった(山本氏)

・平蔵は火付盗賊改として与力や同心を束ねながら、江戸の治安を守っていくことになった。

<火付盗賊改の一日>
・午前6時(明六つ)に起床。調書に目を通すなど朝のうちに出来る限りの仕事を片づける。
・午前10時(朝四つ)江戸城に登城。調書を老中に提出、打ち合わせなどを行う。
・午後2時(昼八つ)自宅に戻ると再び仕事。書類をチェックしたり作成したりする。
・午後10時(暮四つ)就寝。

・盗賊が出たり火事が起これば、もちろん夜中であっても出動。まさに激務だった。通常は2~3年で任を解かれるが、平蔵は足掛け8年も務めたという。

<真刀徳次郎の逮捕>
・平蔵の凄さはそれだけではなかった。幕府が記した刑事事件の判例集「御仕置例類集」には平蔵の裁判記録が200件以上、検挙率の高さが窺える。中でも平蔵の名を世に知らしめた事件が真刀徳次郎の逮捕だった。
・寛政元年(1789年)4月、東北から関東一円で数百件に及ぶ強盗殺人事件が発生。盗賊一味の頭は真刀徳次郎。一説には800人の手下を従えていたといい、抵抗すれば僧侶でも斬り殺す極悪非道な男だった。しかも公儀御用を装って関所をくぐり抜ける知能犯。平蔵配下の同心たちもまんまと騙されてしまい、捜査は難航した。
・しかし一度目を付けたら蛇のように執念深く追いかけるのが平蔵。しらみ潰しに捜査を行い、遂に徳次郎一味の隠れ家を突き止めた。ただちに平蔵は同心たちを伴って出動。戸田の渡しを越え、江戸から約10里という遠方で徳次郎一味を見事一網打尽にした。
・その徳次郎一味の隠れ家だったとされているのが、さいたま市北大宮駅近くにある四恩寺。境内にある閻魔堂で徳次郎を捕らえたという。

<大松五郎の逮捕>
・この一件で江戸だけでなく関八州にまでその名を轟かせた平蔵。46歳のとき最大の大捕物に挑んだ。
・寛政3年(1791年)大松五郎(別名 葵小僧)は、たった一人で商家ばかりか武家屋敷まで荒らし回る大胆不敵な押し込み強盗。
・一晩で23か所盗みに入り、女子どもをなぶり物に。人殺しも厭わないとはまさに鬼畜の所業。武士たちでさえ畏れ慄き、手をこまねく凶悪犯の出現に夜も眠れず怯える江戸の庶民たち。
・その大松を平蔵が捕らえた。すると今度は非道な行いを自慢気に白状。どこまでも傲岸不遜な大松に平蔵は10日足らずで獄門に処した。これほどのスピード判決は江戸時代を通じても珍しく、鮮やかな逮捕劇と迅速な裁きに人々は大喝采。平蔵は一躍、江戸のヒーローとなった。こうして悪党たちも鬼と恐れる火付盗賊改・長谷川平蔵が誕生した。

<平蔵の悪党捕縛の秘密とは>
・次々と凶悪犯を捕らえていく長谷川平蔵。検挙率の高さの秘密は何だったのか。一つは若い頃の放埒な暮らしにあった。江戸で名うての遊び人だった平蔵は、京都町奉行になった父に付いて京都に赴いても遊里などで遊びほうけ、倹約家だった父の財産を食い潰してしまった。
・そして賭場に出入りする者たちとも付き合い、裏社会に足を踏み入れていった。こうした経験が大いに役立ったというのだが…。

そこに暮らす悪党たちと接点を持つことができたので、犯罪者の心理・心情を読む術を身につけた。それから義理人情から恐喝や詐欺を犯す人間の陥りやすい罠を知ったり、悪党がどういうところに逃げたりなど学びとって、犯罪の嗅覚を養った(山本氏)

・その嗅覚を生かして平蔵は毎日夕方になると江戸市中をパトロール。人々の様子、町の状況を把握し犯罪の火種を目ざとく見つけていった。その際のスタイルは目深に被った編笠に袴を付けない着流し姿。町人たちに紛れるよう目立たない格好をしていた。そして平蔵には捜査に欠かせない男たちがいた。

「目明かし(=岡っ引き)」という裏社会に通じた自分への協力者。あるいは自分が捕まえてその罪が軽いので許してやったりして、自分の配下として平蔵が使っていた存在。平蔵は目明かしを通じて犯罪捜査や犯人逮捕のときの手引きをさせるために働かせていた(同上)

<犯罪激減 平蔵最大の功績とは>
・東京・佃。高層ビルが建ち並ぶリバーシティにも平蔵のゆかりの場所がある(石川島灯台跡)。「人足寄場」とは今でいうホームレスのための自立支援の場であり、犯罪者の更生施設も兼ねていた。
・当時の江戸は治安が悪化。原因となったのは、江戸時代最大の飢饉である天明2年(1782年)の天明の大飢饉。東北地方を中心に悪天候や冷害による凶作が続き、農作物の収穫が激減。
・そこへ追い打ちをかけるかのように天明3年(1783年)浅間山が噴火。田畑は壊滅的な被害を受け、6年にも及ぶ深刻な飢饉に陥ってしまった。死者は数十万人。
・農民たちは職を求めて江戸に流入、しかし多くの者は仕事が見つからずにいわゆる無宿人となった。中には盗みなどの悪事を働く者も現れ、江戸の治安は悪化していった。
・老中・松平定信は何か妙案はないかと幕臣たちに呼びかけた。そこで一人だけ手を挙げたのが長谷川平蔵だった。そのとき平蔵が定信に提出した無宿人対策の上申書が残されている(「評定所寄場起立」)。
・平蔵が目を付けたのは当時、離れ小島だった佃島の隣の石川島。ここなら無宿人を囲い込めると考えた。そして定信から「人足寄場取扱」の兼務を命じれた。
・すると平蔵は着工から僅か2か月という短期間で湿地を埋め立てて施設を建設。広さ1万6000坪という広大な人足寄場で多くの人々の自立・更生に力を注いだ。

【職業訓練】
・仕事がなければ、出所後もまた無宿人になってしまう。何か手に職をつけさせればよいと、平蔵は大工に紙すき、藁細工、裁縫といった施設内で様々な技術を習得できるようにした。それはまさに職業訓練所。さらに平蔵は彼らが退所するときに開業資金を与え、すぐに仕事を始められるようにした。

【ランク付け】
・人足寄場の在所期間は原則として3年だが、成績優秀者はそれより早く退所できた。施設内では水玉模様に染め抜かれた法被を着るのが決まり。もちろんここにも平蔵のアイデアが。成績に応じて水玉の数を減らしていき、水玉が無くなったら退所可能。一人一人の状態、働きぶりを目に見えるようにすることで意欲をかきたて、競争心をあおった。

【心のケア】
・平蔵は人々が自立・更生するには心のケアも大切だと考えた。そこで松平定信を通じて中沢道二という心学者を人足寄場に招き講義を開いた。実践的な道徳を解き、誰にでも分かりやすい言葉で辛抱することや努力することの大切さなどを語り、その教えは荒んだ心を癒した。

・こうして平蔵は短期間で成果を挙げ、定信に称えられた。

人足寄場によって
無宿人たちは減り
犯罪も少なくなった
これも長谷川の功績である


・ようやく平蔵は報われた。実は施設を軌道に乗せるまで資金面でとても苦労した。定信が寛政の改革で質素倹約を旨としたため余り予算を割いてもらえなかった。
・そこで設立翌年の寛政3年(1791年)平蔵は運用資金を捻出するため、公金を使って銭相場に手を出すという荒業に出た。一説には3000両もの大金をつぎ込み、500両(約5千万円)も儲けたという。
・寛政4年(1792年)平蔵47歳。運営が軌道に乗ったところで「人足寄場取扱」の任を解かれた。

<鬼平を町奉行に 庶民に支持された理由とは>
・池波正太郎による人気時代小説「鬼平犯科帳」。その主人公である鬼の平蔵は大悪党も縮み上がる切れ者だが、こんな一面も。

盗賊の子と知って
押上村の喜右衛門は
そのお順という子を
持てあましはじめたそうだ
まあ…………
おれたちがその子を
引き取ってやろうとおもう どうだな
はい おこころのままに
こころよく引きうけてくれるか
そうか
(「鬼平犯科帳」第1巻より)


・小説の中の平蔵は困っている人を見たら放ってはおけない、いなせで人情深い男。実際の長谷川平蔵はどうだったのか。
・江戸の町には町人たちが交代で町の警備にあたる「自身番」というシステムもあった。町方が盗賊を捕らえた場合すぐ奉行所などには連れていかず、自身番の番屋に一晩置くのが決まり。しかし捕縛者の世話や監視のための人件費は町人持ちだったため、大きな負担となっていた。
・そこで平蔵は彼らの負担を減らすため、ただちに自分の屋敷に連行するよう取り計らった。町方が盗賊を連れて行くと蕎麦をご馳走して労をねぎらったり、部下の与力・同心に対してもよく酒や食事を振る舞ったという。
・お裁きもまた情け深いものだった。どんな判決を下すかは老中に伺いを立て、その承認を得なければならなかった。平蔵は凶悪な犯罪者には重い刑を、それ以外には比較的軽い刑を申請。
・また誤認逮捕してしまった者には、謝罪として拘留の日数に応じて銭を与えていた。刑死した者には寺で供養したという。

賞罰正しく
慈悲心深く
頓知の裁き多し


・そんな平蔵ならではのこんな話も伝わっている。ある日、平蔵配下の同心が盗賊を捕まえてきた。しかし目を離した隙に盗賊は縄で縛られたまま逃げてしまった。30日のうちに再び捕らえないと同心はクビ。
・ところが数日後、その盗賊が縛られた縄を大事に持って同心の家に現れた。聞けば一旦逃げてはみたものの慈悲深い平蔵に捕らえられた方がよいと思って戻ってきたというのだ。
・いつしか平蔵は「今の大岡殿」と呼ばれるようになった。平蔵より30年ほど前に活躍した名奉行・大岡越前守の名が引き合いに出されるほど、庶民たちから絶大な信用を得ていた。

<平蔵の出世を阻んだ意外な人物とは>
・厳しくも人情厚く江戸の人々に慕われた火付盗賊改の長谷川平蔵。遂に町奉行出世のチャンスが訪れた。それは火付盗賊改就任2年目の寛政元年(1789年)のことだった。南北2つある町奉行のうち、南町奉行が空席になった。
・過酷な火付盗賊改は2~3年務めると異動させてもらえるのが通例だった。そのため次は自分の番だと内心期待していたのだが、このときは残念ながら見送られた。幕府の理由は「平蔵以上に火付盗賊改の適任者が居ないから」。
・2年後の寛政3年(1791年)再びチャンスが訪れた。北町奉行・初鹿野信興が在職中に急死した。平蔵は火付盗賊改を務めること既に4年。しかも人足寄場を軌道に乗せており、実績は十分過ぎるほどあった。
・しかしこのときも平蔵は町奉行になれなかった。今度の理由は「町奉行は目付を勤めてない者には命じられない」。目付とは老中のもとで旗本の行動を調べたりする役職で、出世の要となるポスト。確かに平蔵は務めていなかった。
・ところがこのとき町奉行に昇進した小田切直年という人物は目付を経験していなかった。つまり平蔵が町奉行になれない理由は他にあったということだった
・このとき平蔵の唯一の支えになったのが「越中殿(松平定信)の言葉」。人足寄場設立の際「平蔵ならば」と言ってくれた一言だった。

平蔵を火付盗賊改に任命した老中・松平定信が(彼の出世を阻んだ)原因だった。実は定信は平蔵のことを嫌っていた。自叙伝「宇下人言」の中でも「山師=よこしま」と書いている(山本氏)

・時は流れ、寛政7年(1795年)火付盗賊改として奮闘すること既に足掛け8年。平蔵の出世を阻んでいた老中・松平定信は2年前に失脚。誰もが平蔵の町奉行昇進を期待していた。
・その矢先、激務が祟ったのか平蔵は遂に倒れてしまった。このとき平蔵は11代将軍・徳川家斉から滋養強壮の秘薬「瓊玉膏」を賜った。検挙率アップや人足寄場設立など多くの功績を残した平蔵を、将軍はきちんと評価してくれていた。
・しかし薬を賜った4日後の寛政7年(1795年)5月10日。平蔵は50年の生涯を静かに終えた。出世は叶わなかったが、平蔵の功績は今にしっかりと伝わっている。
・東京・新宿区にある戒行寺に長谷川平蔵は眠っている。

(2017/2/24視聴・2017/2/24記)

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