【歴史秘話ヒストリア】
「これがスピード出世の真実だ!井伊直政 人生名場面ベスト5」
(NHK総合・2017/2/17放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/
<感想>
井伊直政の立志伝を紹介する今回の番組。昨年は「真田丸」効果でどちらかと言うと西軍推しという内容の番組が多かった感じでしたが、今年は一転して東軍サイドからの歴史推し。15歳で徳川家康の家臣になった井伊直政がどうやって徳川家の重臣となっていったのか、非常によく分かる内容でした。
そしてそのバックボーンにあったのは、やはり直政が井伊直親の子であり、通説によれば井伊直虎が事実上の養母のような存在として、井伊家の繁栄を願って直政を立派な武将になるべく育て上げたということなのでしょうか。その辺りは直虎の特集で取り上げていたので、そちらをご参照いただければ思います。
・おんな城主 直虎のイロハ
・それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~
番組の最後で取り上げられていた、近江牛と直政との関わりというのは非常に興味深いですね。肉食系男子(?)である私としてはぜひ彦根城見物の折には直政に思いを馳せながら近江牛を堪能したいです(笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・去年7月、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主演者発表が行われた。俳優の菅田将暉さんが演じるのは井伊直政という人物。
直政は調べれば調べるほど、いろんな一面がある。部下には厳しく、軍事も内政も外交もできた。有名だからこそ役作りのしがいがある。キレッキレッでかっこいい直政を演じたい(菅田氏)
・井伊直政は僅か15歳で徳川家康の家臣になった。徳川家の家臣として生まれ育ったわけではない、いわば中途入社組。その人生は菅田将暉さんがおっしゃるようにまさにキレッキレッ。家康の下に中途入社した後、僅か1年で給料が10倍に。5年で家康に次ぐナンバー2にまで上り詰めた。
<井伊直政 人生の名場面 第5位【キレッキレッ度75点】>
・新人時代の直政:が家康を喜ばせた、ある夜の大活躍。
・直政が子どもの頃、井伊家は悲惨な状況だった。戦乱や裏切りで一族の男子は直政以外、死に絶えていた。
・その頃、作られたという井伊家に伝わる四神旗。「四方から押し寄せる災難より守ってください」という神頼みの言葉が書かれている。井伊家存続のために直政が受けたプレッシャーは、想像を絶するものだったに違いない。
・そんな直政が家康に仕え始めて1年。「井伊家傅記」にはこう記されている。
権現様殊之外御悦びにて
即ち十倍の御加増にて
三千石に仰せつけらるなり
・家康がたいそう喜んで直政の石高を10倍にしたという。一体何があったのか。史料の続きにはこう記されている。
権現様陣小屋の内に
御休息遊ばされ候所に
夜中忍びの敵を
直政公次之間にて
御討取りなされ候
・この場面をドラマ風に再現してみると、ある夜。家康を暗殺しようと寝室に忍び込んだ敵を直政が討ち取ったというのだ。主君の命を救って給料が10倍に。今のサラリーマンにはなかなかマネのできない、直政10代の頃の大活躍だった。
※命の危険がありますので決してマネをしないでください。
・でも新人が組織の中で目立ってしまうと何かとつらい目に遭うことも多い。直政の場合、こんな心ない噂を立てられたと記録にはある。
万千代(直政)近年家康の御座をなをす(「甲陽軍鑑」より)
・「御座をなをす」とは夜のお相手をつとめるという意味。「おんな城主 直虎」の時代考証を務める静岡大学名誉教授の小和田哲男氏は、この噂の背景をこう読み解く。
中途入社組、直政の異例の出世には何かあるという勘ぐり。しかも直政は結構なイケメンだった(小和田氏)
(噂は本当だったと思いますか?)
家康はどちらかというと衆道(男色)よりも女色なので、男は果たして相手にしたかなというのは私は疑問に思っているので、そういう関係は2人にはなかったのではないかと思っている(同上)
・この噂に対して直政がどんな行動をとったのか。記録は何も伝えていない。
<井伊直政 人生の名場面 第4位【キレッキレッ度88点】>
・家康のライバル、秀吉もほれ込んだ戦場での名台詞。天正12年、大坂では秀吉が巨大な城を築き、朝廷とも距離を縮め信長の後継者としての地位を着々と固めていた。
・これ以上、水をあけられてはまずい。家康は宿敵・秀吉との直接対決を決意した(小牧長久手の戦い)。直政も3000の兵を引き連れ出陣。身につけていたのは家康から貰ったばかりの真っ赤な鎧。絶対に手柄を立てる、固い決意の出陣だったに違いない。
・しかしそんな気持ちが焦りになってしまったのだろうか。直政は兵を率いる大将としてあるまじき行動に出ようとした。愛馬にまたがり、単身敵の真っ只中に打って出ようとした。
・慌てたのは家臣たち。ある家臣は「無理働きはなされるな。ご自重あれ!」と槍に取りつき、ある者は兜を掴み「大将が備えをすてられては(軍勢を離れては)下知(命令)する者なし。我らをいかがなされるご所存か!」と叫んだという。
・「戦場で大将らしく、どんと構えて指示を出して下さい」と部下に諌められた直政は、聞く耳を持たずにこういった。
「我に負けたる士は重ねて男させまじ」(「井伊年譜」より)
・「自分に後れをとる者は今後、男と名乗ることを許さない」。そして言葉通り、単身攻め込んでいってしまった。しかし直政のこの行動「ちょっとやりすぎ?」と思われた方もいるのではないか。見方によっては部下の進言を聞き入れない身勝手な上司のようにも思える。
・実はこの無茶な行動には、若くして異例の出世を続ける直政のしたたかな計算があったのではないかと、直政と縁の深い龍潭寺19代目住職・武藤全裕氏は言う。
三河の生え抜きの武将は直政を「この若造が」と見ていた。直政が威張って大将のように後ろで座っていたら、陰口や場合によっては戦のどさくさで鉄砲で撃たれるかも。真っ先に突進して行った(武藤氏)
・敵を倒すだけでなく、味方のやっかみまでねじ伏せる。直政にとって小牧長久手は、誰もが納得する形で活躍しなければならない戦場だった。その直政の赤い鎧の戦いぶりは、敵方・秀吉の武将たちにも強い印象を残した。
伊井兵部(井伊直政)をあか鬼と上方侍は申せしなり(「甲陽軍鑑」より)
・直政のことを「赤鬼」と呼び恐れたというのだ。
・滋賀県彦根市、直政がその礎を築いた町。駅前には彦根市民の寄付により直政の銅像が建てられている。そしてキャラクター「ひこにゃん」の被っている兜は直政の兜にルーツがある。
・彦根はまだ豊臣方と激しく対立していた頃の家康が戦略上、特に重要だとして直政を配置した場所。豊臣方が関東の家康を攻めようとすると、必ず通る場所が彦根だった。
・町には敵を迎え討つための工夫が、いまだに至る所に残されている。例えば城に向かって延びている道を真っ直ぐ歩いていくと突然行き止まり。「どんつき」と呼ばれる町のつくりだ。彦根市内の古い町並みが残っている地域には、このどんつきがまだあちこちに残っている。
・そして城そのものも鉄壁の守り。町のシンボル、国宝・彦根城。この城は標高139mの山を丸ごと要塞化。攻める側からすると、これほど大変な城も滅多にない。
門が建って通せんぼしていた。両側の石垣もまもりの固めになっていた(奈良大学教授の千田嘉博氏)
・石垣の高さは10.5m。切り立った崖のように見える。天守に攻め上がるにはこの道を駆け上がるしかないが、敵から見下ろされたままかなり遠回りしなければならない。
・やっと天守に辿り着いても、これがまた難攻不落。「破風」と呼ばれる三角形などの飾り屋根が18か所もついているが、この破風こそが防御の要になっている。
・天守を飾るための破風の内側には隠し部屋があった。天守まで攻めてきた敵を鉄砲や弓矢で攻撃するための「狭間」という穴があいている。
この部屋を使うのは最終手段。残っているのは天守だけという緊迫した状態で使う。外からは華麗な天守だが、攻撃力も強いのが彦根城の特徴(同上)
・井伊家に伝わる宝物の数々が保管されている彦根城博物館。400年以上前に作られた直政の鎧。保護のため環境の変化を避け、数年に一度しか展示しない。直政着用と伝えれる鎧「伝井伊直政所用 朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」。手の甲から足、頭まで全てが鮮やかな赤で統一。兜についた「天衝脇立」という飾りは長さ約80cm。戦場のどこにいても直政だと一目で分かる。前に立ってみると、頬当ての奥から直政の鋭い眼光に射すくめられているような威圧感を感じる。
直政本人に会っている印象。赤備えの鎧には徳川の代表という意味もあった。敵に一番に進軍するその決意が鎧から伝わってくる(同上)
<井伊直政 人生の名場面 第3位【キレッキレッ度90点】>
・負け戦で敗走中、やっと見つけた握り飯を食べなかった訳とは。ある史料に珍しい記述があった。戦上手と言われた家康が命からがら逃げ帰っている場面。
家康何れの戦にや、軍破れて
主従五六人にて引く時、皆飢えに疲れたり。
(「名将言行録」より)
・家康を含む5~6人の一行はみな飢え疲れていたとある。古い神社で休憩をとっていたときのこと。一人が握り飯が供えられているのを見つけた。皆、喜んで食べ始めた。しかしふと見ると、直政一人が握り飯に手をつけようとはしなかった。そんな直政を家康は叱ったと史料は続く。
倅なればとて、
時にこそよれ、飢を凌がぬ馬鹿者
(同上)
・「飢えをしのがぬ馬鹿がどこにいる!若者の遠慮も時と場合によるぞ」。家康に珍しく言い返した直政、お供えを食べなかった訳とは。
私は遠慮して食べないわけではありません。
いまに追っ手が参ります。
私はひとりでここに踏みとどまり
討ち死にしますので
どうかその間にお逃げください
死んだ後
家康の一行は飢えに負けて
供え物のにぎりめしまで食べたと言われては
武士として無念です
・戦国時代は、敵に討たれると首をはねられるのが常だった。握り飯を十分に消化できないうちに敵と遭遇し討ち死にした場合、無様な死に様になることを直政は心配したと言われている。
・この逃避行は3日続き、後に家康最大の危機と呼ばれるほど苦難の連続だった。無事に地元である今の愛知県、三河国に帰り着いたとき、家康は直政にある特別な褒美を与えている。孔雀の羽根で作った陣羽織(孔雀尾具足陣羽織)。当時の孔雀の羽根は大変貴重なものだった。逃避行で命を懸けてくれた直政への感謝がいかに深かったかを物語る褒美だ。
<井伊直政 人生の名場面 第2位【キレッキレッ度98点】>
・直政の頭の良さを物語る名台詞。家康が秀吉と直接対決した小牧長久手の戦いは引き分けに終わった。しかしその後の両者の主導権争いは、諜報活動や心理戦へと姿を変え水面下で激しさを増していった。
・そんな中、秀吉が驚くべき裏技を仕掛けてきた。実の母親・大政所を半ば強引に家康のところへ人質として差し出してきた。自分はここまでしたのだから家康も誠意を見せろという、弱みを相手に握らせることで逆に心理的に有利に立とうという秀吉捨て身の作戦だった。
・家康はさぞかし困ったに違いない。大政所は人質というにはあまりにも大物すぎる人物だった。その身に何かあったらただでは済まないからだ。
・このとき家康から大政所を世話するよう命じられたのが直政だった。直政はお菓子や美味しい食べ物を持って頻繁にご機嫌を伺った。記録にはこう記されている。
大政所はじめ女中たちも
皆 井伊殿 井伊殿と奔走す
(「三河後風土記」より)
・大政所も女中たちもみんな直政の名を呼びながら後を追いかけ回したという。
・一方いつまでも大政所を預かるわけにもいかない家康は、今後のことを話し合いに京に向かった。そこでの秀吉と家康の会話が記録に残っている。
そなたの留守中
母・大政所の面倒は誰が見ているのか?
井伊直政という者です
その名は聞いたことがある
あの赤鬼ではないか
(「名将言行録」より)
・秀吉は感激して続ける。
そなたが京にいる間は
我が母になにかあれば そなたの命もない
つまり直政は我が母ではなく
そなたの命を番しているようなものよ
・このときの感激もあってか、後に秀吉は家康に対し直政の領地を増やしてやってくれと口添えした(6万石から12万石へ)。そして直政を招き、恩着せがましくこう言った。
おまえの領地が増えたのは
わしが徳川殿に勧めてやったからだぞ
・直政は感謝の言葉を述べた。
殿下の御厚意
身を終るまで忘るべからず
(秀吉様の御恩は一生忘れません)
・しかし会話はこれで終わらない。秀吉は意地の悪い質問を始めた。
恩を忘れないというなら直政
もしわしが徳川殿と
再び戦をすることになったら
おまえはどちらに忠義を尽くすのか?
・周りは秀吉の家臣ばかり。下手な答えは命取り。どちらに付くのかと問われた直政はこう答えた。
臣命を擲ち死を誓て
両家の御和睦を成さん
(私の命に代えましても両家の仲直りを果たしてみせましょう)
<井伊直政 人生の名場面 第1位>
・強敵にかけた優しい言葉。慶長5年(1600年)9月15日、関ヶ原。家康率いる東軍と豊臣家の重臣・石田三成を中心とした西軍。この天下分け目の戦いは僅か6時間で決着がついた。豊臣家に仕えていた武将が次々と寝返ったためだ。しかし直政は戦の趨勢がはっきりした後も、敵が残っていると聞けばどこまでも追いかけていった。
・鹿児島県にある尚古集成館。ここには今も一丁の火縄銃が大切に保管されている。銃は直政が最後に追った西軍・島津義弘の家来の持ち物。迫ってくる直政に、その家来は狙いを定めた。井伊家の史料にはこう記されている。
弾は赤鎧の右脇に当たったが、頑丈だったため貫通せずはね返り右腕に当たった(「井伊家慶長記」より)
・命は助かったが重傷だった。しかし残された史料は意外な事実も伝えている。関ヶ原の戦いの後、重傷を負ったはずの直政の書いた手紙がたくさん見つかっている。その多くは負けた西軍の武将の処遇についてだった。
関ヶ原の戦後処理は負傷した体で直政がやった。島津の処置、毛利の処置あるいは長宗我部の処置、全部直政がやったんです。関ヶ原の後は直政の屋敷に行列ができたほど。直政には大局を把握する能力があった(長年、井伊家の歴史を研究している京都井伊美術館館長の井伊達夫氏)
・家康は直政を使って敗れた大名たちに過酷な条件を次々とのませていった。毛利家(中国地方)は120万石から37万石に、長宗我部家(四国地方)は22万石から取り潰しに。
・一連の交渉の中で最も難航したのが、直政に重傷を負わせた島津家(57万石)との交渉だった。家康は島津に対し上京して西軍に付いたことを詫びるよう求めたが、島津は本拠地・鹿児島から動こうとしなかった。
・一旦、上京してしまえば何をされるか分からない。島津はそんな不安と不信でいっぱいだったに違いなかった。そんな島津は直政はこう書き送っている。
ご上洛くだされば
私が手を尽くして
島津のために奔走しましょう
・自分たちが大怪我をさせた相手からの思いがけない言葉。罠か、それとも信じてもよい心からの言葉なのか。島津は迷った。そして迷える島津に送った直政の更なる言葉。自分に重傷を負わせた相手にこう言ったのだ。
関ヶ原からの退却は
比べるもののないくらい
見事でした
・たとえ勝者の立場になっても相手の誇りを大切にする。名将の風格さえ出てきた直政41歳の時の言葉だ。
・直政の尽力もあってか、島津は関ヶ原で敗れた大大名の中で唯一、本領安堵を許された。
<近江牛と戦国武将の意外な関係>
・日本屈指の黒毛和牛・近江牛。実はこれは直政が残したものだ。彦根藩では赤備えの鎧など武具を作るため、牛を加工することが特別に認められていたため、牛肉を食べる習慣が広まった
・地元の近江牛を扱う人たちの間では直政は特別な存在。近江牛肉専門店専務取締役の上田勝之さんも本業のかたわら、直政に扮してボランティアで観光案内をしているという。
(2017/2/18視聴・2017/2/18記)
※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)
![]()
![]()
新装版 井伊直政 逆境から這い上がった勇将 (PHP文庫)![]()
![]()
![]()
主君 井伊の赤鬼・直政伝![]()
![]()
![]()
戦国武将甲冑フィギュア A-10戦国武将Aタイプ・井伊直政(刀・ケース有り)![]()
![]()
![]()
歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック![]()
![]()
![]()
歴史秘話ヒストリア オリジナルサウンドトラック2![]()
![]()
![]()
歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック3![]()
※関連ページ
新発見!ヒーローはこんな人だった?!歴史NEWS一挙公開
スクープ!1500年封印された感動メッセージ
選・コーフン!古墳のミステリー
きもの 千年のトキメキ
おんな城主 直虎のイロハ
SP 古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎
それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~
真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城
マイベスト内蔵助 忠臣蔵ラバーズ
戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔
決着!80日間世界一周
挑戦!80日間世界一周
すしに恋して
日本人なのに通じナイ!? 明治標準語ことはじめ
京都 まぼろし大仏の旅
妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子
秀吉 天下人のマネー術
ザ・ヤング始皇帝 少年が乗り越えた3つの試練
1970 熱いぜ!祭りだ!万博だ!
女王はいずこに眠る クレオパトラの墓の謎
そうだ!天空の城へ行こう
コーフン!古墳のミステリー
新選組 ボクたちの友情と青春
熊本城 400年の愛
京都で旅する地獄と極楽
奈良 ここにシカない奇跡
愛と悲しみの大奥物語
あしたは動物園に行こう
日本でいちばん怖いパパ 信長
あなたが選ぶ○○な人~歴史上の人物ベスト5~
二・二六事件 奇跡の脱出劇
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
ワシはコレで天下をとりました。~徳川家康の読書愛~
偉大なる父・信玄よ!~若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩~
人生 なんてったってサプライズ~天才発明家 からくり儀右衛門~
新常識!歴史NEWS~目からウロコの大発見 2015-2016~
戦のない世を目指して~戦国スーパードクター曲直瀬道三~
徹底解明!これが“真田丸”だ
あの名言にはウラがある!?~ヒストリア書房の迷える人々~
転職忍者ハットリ君の冒険
お菓子が戦地にやってきた~海軍のアイドル・給糧艦「間宮」~
天才か?ドラ息子か?~風神雷神図に挑んだ尾形光琳~
あなたはボクの女神様!~文豪・谷崎潤一郎と女たち~
出雲 縁結びの旅へ!~いにしえの神話の里 物語~
すごいぞ!国宝 松江城
聖なるキツネと神秘の鳥居~伏見稲荷大社の不思議な世界~
満州のプリンセス愛の往復書簡~夫婦の心をつないだ55通~
きっと会える!大好きな人に~渋谷とハチ公 真実の物語~
信長の楽園へようこそ~3つの城のサプライズ~
愛と信念は海を越えて~鑑真と弟子たち7000kmの旅路~
“逃げの小五郎”と呼ばれて~長州のヒーロー・木戸孝允の青春~
やっぱり妻にはかないません!~初代総理大臣・伊藤博文の妻梅子~
天皇のそばにいた男~鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相~
もうひとつの終戦~日本を愛した外交官グルーの闘い~
鳥だ トカゲだ いや恐竜だ!~恐竜を“発見”した男たち~
あなたのココロを一刀両断~日本刀ものがたり~
漱石先生と妻と猫~「吾輩は猫である」誕生秘話~
北の大地に夢を追え~“北海道”誕生の秘密~
あなたの知らない信長の素顔~英雄を記録した男 太田牛一の生涯~
古代日本 愛のチカラ~よみがえる持統天皇の都~
オレは即身仏になる!~“ミイラ仏”の不思議な世界~
師匠、オレは戦国大名になる!“やられ役”今川義元の真実
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
高野山1200年へのいざない ~平安のスーパースター・空海の物語~
幻の巨大潜水艦 伊400~日本海軍極秘プロジェクトの真実
「これがスピード出世の真実だ!井伊直政 人生名場面ベスト5」
(NHK総合・2017/2/17放送)
※公式サイト:http://www4.nhk.or.jp/historia/
<感想>
井伊直政の立志伝を紹介する今回の番組。昨年は「真田丸」効果でどちらかと言うと西軍推しという内容の番組が多かった感じでしたが、今年は一転して東軍サイドからの歴史推し。15歳で徳川家康の家臣になった井伊直政がどうやって徳川家の重臣となっていったのか、非常によく分かる内容でした。
そしてそのバックボーンにあったのは、やはり直政が井伊直親の子であり、通説によれば井伊直虎が事実上の養母のような存在として、井伊家の繁栄を願って直政を立派な武将になるべく育て上げたということなのでしょうか。その辺りは直虎の特集で取り上げていたので、そちらをご参照いただければ思います。
・おんな城主 直虎のイロハ
・それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~
番組の最後で取り上げられていた、近江牛と直政との関わりというのは非常に興味深いですね。肉食系男子(?)である私としてはぜひ彦根城見物の折には直政に思いを馳せながら近江牛を堪能したいです(笑)
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・去年7月、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主演者発表が行われた。俳優の菅田将暉さんが演じるのは井伊直政という人物。
直政は調べれば調べるほど、いろんな一面がある。部下には厳しく、軍事も内政も外交もできた。有名だからこそ役作りのしがいがある。キレッキレッでかっこいい直政を演じたい(菅田氏)
・井伊直政は僅か15歳で徳川家康の家臣になった。徳川家の家臣として生まれ育ったわけではない、いわば中途入社組。その人生は菅田将暉さんがおっしゃるようにまさにキレッキレッ。家康の下に中途入社した後、僅か1年で給料が10倍に。5年で家康に次ぐナンバー2にまで上り詰めた。
<井伊直政 人生の名場面 第5位【キレッキレッ度75点】>
・新人時代の直政:が家康を喜ばせた、ある夜の大活躍。
・直政が子どもの頃、井伊家は悲惨な状況だった。戦乱や裏切りで一族の男子は直政以外、死に絶えていた。
・その頃、作られたという井伊家に伝わる四神旗。「四方から押し寄せる災難より守ってください」という神頼みの言葉が書かれている。井伊家存続のために直政が受けたプレッシャーは、想像を絶するものだったに違いない。
・そんな直政が家康に仕え始めて1年。「井伊家傅記」にはこう記されている。
権現様殊之外御悦びにて
即ち十倍の御加増にて
三千石に仰せつけらるなり
・家康がたいそう喜んで直政の石高を10倍にしたという。一体何があったのか。史料の続きにはこう記されている。
権現様陣小屋の内に
御休息遊ばされ候所に
夜中忍びの敵を
直政公次之間にて
御討取りなされ候
・この場面をドラマ風に再現してみると、ある夜。家康を暗殺しようと寝室に忍び込んだ敵を直政が討ち取ったというのだ。主君の命を救って給料が10倍に。今のサラリーマンにはなかなかマネのできない、直政10代の頃の大活躍だった。
※命の危険がありますので決してマネをしないでください。
・でも新人が組織の中で目立ってしまうと何かとつらい目に遭うことも多い。直政の場合、こんな心ない噂を立てられたと記録にはある。
万千代(直政)近年家康の御座をなをす(「甲陽軍鑑」より)
・「御座をなをす」とは夜のお相手をつとめるという意味。「おんな城主 直虎」の時代考証を務める静岡大学名誉教授の小和田哲男氏は、この噂の背景をこう読み解く。
中途入社組、直政の異例の出世には何かあるという勘ぐり。しかも直政は結構なイケメンだった(小和田氏)
(噂は本当だったと思いますか?)
家康はどちらかというと衆道(男色)よりも女色なので、男は果たして相手にしたかなというのは私は疑問に思っているので、そういう関係は2人にはなかったのではないかと思っている(同上)
・この噂に対して直政がどんな行動をとったのか。記録は何も伝えていない。
<井伊直政 人生の名場面 第4位【キレッキレッ度88点】>
・家康のライバル、秀吉もほれ込んだ戦場での名台詞。天正12年、大坂では秀吉が巨大な城を築き、朝廷とも距離を縮め信長の後継者としての地位を着々と固めていた。
・これ以上、水をあけられてはまずい。家康は宿敵・秀吉との直接対決を決意した(小牧長久手の戦い)。直政も3000の兵を引き連れ出陣。身につけていたのは家康から貰ったばかりの真っ赤な鎧。絶対に手柄を立てる、固い決意の出陣だったに違いない。
・しかしそんな気持ちが焦りになってしまったのだろうか。直政は兵を率いる大将としてあるまじき行動に出ようとした。愛馬にまたがり、単身敵の真っ只中に打って出ようとした。
・慌てたのは家臣たち。ある家臣は「無理働きはなされるな。ご自重あれ!」と槍に取りつき、ある者は兜を掴み「大将が備えをすてられては(軍勢を離れては)下知(命令)する者なし。我らをいかがなされるご所存か!」と叫んだという。
・「戦場で大将らしく、どんと構えて指示を出して下さい」と部下に諌められた直政は、聞く耳を持たずにこういった。
「我に負けたる士は重ねて男させまじ」(「井伊年譜」より)
・「自分に後れをとる者は今後、男と名乗ることを許さない」。そして言葉通り、単身攻め込んでいってしまった。しかし直政のこの行動「ちょっとやりすぎ?」と思われた方もいるのではないか。見方によっては部下の進言を聞き入れない身勝手な上司のようにも思える。
・実はこの無茶な行動には、若くして異例の出世を続ける直政のしたたかな計算があったのではないかと、直政と縁の深い龍潭寺19代目住職・武藤全裕氏は言う。
三河の生え抜きの武将は直政を「この若造が」と見ていた。直政が威張って大将のように後ろで座っていたら、陰口や場合によっては戦のどさくさで鉄砲で撃たれるかも。真っ先に突進して行った(武藤氏)
・敵を倒すだけでなく、味方のやっかみまでねじ伏せる。直政にとって小牧長久手は、誰もが納得する形で活躍しなければならない戦場だった。その直政の赤い鎧の戦いぶりは、敵方・秀吉の武将たちにも強い印象を残した。
伊井兵部(井伊直政)をあか鬼と上方侍は申せしなり(「甲陽軍鑑」より)
・直政のことを「赤鬼」と呼び恐れたというのだ。
・滋賀県彦根市、直政がその礎を築いた町。駅前には彦根市民の寄付により直政の銅像が建てられている。そしてキャラクター「ひこにゃん」の被っている兜は直政の兜にルーツがある。
・彦根はまだ豊臣方と激しく対立していた頃の家康が戦略上、特に重要だとして直政を配置した場所。豊臣方が関東の家康を攻めようとすると、必ず通る場所が彦根だった。
・町には敵を迎え討つための工夫が、いまだに至る所に残されている。例えば城に向かって延びている道を真っ直ぐ歩いていくと突然行き止まり。「どんつき」と呼ばれる町のつくりだ。彦根市内の古い町並みが残っている地域には、このどんつきがまだあちこちに残っている。
・そして城そのものも鉄壁の守り。町のシンボル、国宝・彦根城。この城は標高139mの山を丸ごと要塞化。攻める側からすると、これほど大変な城も滅多にない。
門が建って通せんぼしていた。両側の石垣もまもりの固めになっていた(奈良大学教授の千田嘉博氏)
・石垣の高さは10.5m。切り立った崖のように見える。天守に攻め上がるにはこの道を駆け上がるしかないが、敵から見下ろされたままかなり遠回りしなければならない。
・やっと天守に辿り着いても、これがまた難攻不落。「破風」と呼ばれる三角形などの飾り屋根が18か所もついているが、この破風こそが防御の要になっている。
・天守を飾るための破風の内側には隠し部屋があった。天守まで攻めてきた敵を鉄砲や弓矢で攻撃するための「狭間」という穴があいている。
この部屋を使うのは最終手段。残っているのは天守だけという緊迫した状態で使う。外からは華麗な天守だが、攻撃力も強いのが彦根城の特徴(同上)
・井伊家に伝わる宝物の数々が保管されている彦根城博物館。400年以上前に作られた直政の鎧。保護のため環境の変化を避け、数年に一度しか展示しない。直政着用と伝えれる鎧「伝井伊直政所用 朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」。手の甲から足、頭まで全てが鮮やかな赤で統一。兜についた「天衝脇立」という飾りは長さ約80cm。戦場のどこにいても直政だと一目で分かる。前に立ってみると、頬当ての奥から直政の鋭い眼光に射すくめられているような威圧感を感じる。
直政本人に会っている印象。赤備えの鎧には徳川の代表という意味もあった。敵に一番に進軍するその決意が鎧から伝わってくる(同上)
<井伊直政 人生の名場面 第3位【キレッキレッ度90点】>
・負け戦で敗走中、やっと見つけた握り飯を食べなかった訳とは。ある史料に珍しい記述があった。戦上手と言われた家康が命からがら逃げ帰っている場面。
家康何れの戦にや、軍破れて
主従五六人にて引く時、皆飢えに疲れたり。
(「名将言行録」より)
・家康を含む5~6人の一行はみな飢え疲れていたとある。古い神社で休憩をとっていたときのこと。一人が握り飯が供えられているのを見つけた。皆、喜んで食べ始めた。しかしふと見ると、直政一人が握り飯に手をつけようとはしなかった。そんな直政を家康は叱ったと史料は続く。
倅なればとて、
時にこそよれ、飢を凌がぬ馬鹿者
(同上)
・「飢えをしのがぬ馬鹿がどこにいる!若者の遠慮も時と場合によるぞ」。家康に珍しく言い返した直政、お供えを食べなかった訳とは。
私は遠慮して食べないわけではありません。
いまに追っ手が参ります。
私はひとりでここに踏みとどまり
討ち死にしますので
どうかその間にお逃げください
死んだ後
家康の一行は飢えに負けて
供え物のにぎりめしまで食べたと言われては
武士として無念です
・戦国時代は、敵に討たれると首をはねられるのが常だった。握り飯を十分に消化できないうちに敵と遭遇し討ち死にした場合、無様な死に様になることを直政は心配したと言われている。
・この逃避行は3日続き、後に家康最大の危機と呼ばれるほど苦難の連続だった。無事に地元である今の愛知県、三河国に帰り着いたとき、家康は直政にある特別な褒美を与えている。孔雀の羽根で作った陣羽織(孔雀尾具足陣羽織)。当時の孔雀の羽根は大変貴重なものだった。逃避行で命を懸けてくれた直政への感謝がいかに深かったかを物語る褒美だ。
<井伊直政 人生の名場面 第2位【キレッキレッ度98点】>
・直政の頭の良さを物語る名台詞。家康が秀吉と直接対決した小牧長久手の戦いは引き分けに終わった。しかしその後の両者の主導権争いは、諜報活動や心理戦へと姿を変え水面下で激しさを増していった。
・そんな中、秀吉が驚くべき裏技を仕掛けてきた。実の母親・大政所を半ば強引に家康のところへ人質として差し出してきた。自分はここまでしたのだから家康も誠意を見せろという、弱みを相手に握らせることで逆に心理的に有利に立とうという秀吉捨て身の作戦だった。
・家康はさぞかし困ったに違いない。大政所は人質というにはあまりにも大物すぎる人物だった。その身に何かあったらただでは済まないからだ。
・このとき家康から大政所を世話するよう命じられたのが直政だった。直政はお菓子や美味しい食べ物を持って頻繁にご機嫌を伺った。記録にはこう記されている。
大政所はじめ女中たちも
皆 井伊殿 井伊殿と奔走す
(「三河後風土記」より)
・大政所も女中たちもみんな直政の名を呼びながら後を追いかけ回したという。
・一方いつまでも大政所を預かるわけにもいかない家康は、今後のことを話し合いに京に向かった。そこでの秀吉と家康の会話が記録に残っている。
そなたの留守中
母・大政所の面倒は誰が見ているのか?
井伊直政という者です
その名は聞いたことがある
あの赤鬼ではないか
(「名将言行録」より)
・秀吉は感激して続ける。
そなたが京にいる間は
我が母になにかあれば そなたの命もない
つまり直政は我が母ではなく
そなたの命を番しているようなものよ
・このときの感激もあってか、後に秀吉は家康に対し直政の領地を増やしてやってくれと口添えした(6万石から12万石へ)。そして直政を招き、恩着せがましくこう言った。
おまえの領地が増えたのは
わしが徳川殿に勧めてやったからだぞ
・直政は感謝の言葉を述べた。
殿下の御厚意
身を終るまで忘るべからず
(秀吉様の御恩は一生忘れません)
・しかし会話はこれで終わらない。秀吉は意地の悪い質問を始めた。
恩を忘れないというなら直政
もしわしが徳川殿と
再び戦をすることになったら
おまえはどちらに忠義を尽くすのか?
・周りは秀吉の家臣ばかり。下手な答えは命取り。どちらに付くのかと問われた直政はこう答えた。
臣命を擲ち死を誓て
両家の御和睦を成さん
(私の命に代えましても両家の仲直りを果たしてみせましょう)
<井伊直政 人生の名場面 第1位>
・強敵にかけた優しい言葉。慶長5年(1600年)9月15日、関ヶ原。家康率いる東軍と豊臣家の重臣・石田三成を中心とした西軍。この天下分け目の戦いは僅か6時間で決着がついた。豊臣家に仕えていた武将が次々と寝返ったためだ。しかし直政は戦の趨勢がはっきりした後も、敵が残っていると聞けばどこまでも追いかけていった。
・鹿児島県にある尚古集成館。ここには今も一丁の火縄銃が大切に保管されている。銃は直政が最後に追った西軍・島津義弘の家来の持ち物。迫ってくる直政に、その家来は狙いを定めた。井伊家の史料にはこう記されている。
弾は赤鎧の右脇に当たったが、頑丈だったため貫通せずはね返り右腕に当たった(「井伊家慶長記」より)
・命は助かったが重傷だった。しかし残された史料は意外な事実も伝えている。関ヶ原の戦いの後、重傷を負ったはずの直政の書いた手紙がたくさん見つかっている。その多くは負けた西軍の武将の処遇についてだった。
関ヶ原の戦後処理は負傷した体で直政がやった。島津の処置、毛利の処置あるいは長宗我部の処置、全部直政がやったんです。関ヶ原の後は直政の屋敷に行列ができたほど。直政には大局を把握する能力があった(長年、井伊家の歴史を研究している京都井伊美術館館長の井伊達夫氏)
・家康は直政を使って敗れた大名たちに過酷な条件を次々とのませていった。毛利家(中国地方)は120万石から37万石に、長宗我部家(四国地方)は22万石から取り潰しに。
・一連の交渉の中で最も難航したのが、直政に重傷を負わせた島津家(57万石)との交渉だった。家康は島津に対し上京して西軍に付いたことを詫びるよう求めたが、島津は本拠地・鹿児島から動こうとしなかった。
・一旦、上京してしまえば何をされるか分からない。島津はそんな不安と不信でいっぱいだったに違いなかった。そんな島津は直政はこう書き送っている。
ご上洛くだされば
私が手を尽くして
島津のために奔走しましょう
・自分たちが大怪我をさせた相手からの思いがけない言葉。罠か、それとも信じてもよい心からの言葉なのか。島津は迷った。そして迷える島津に送った直政の更なる言葉。自分に重傷を負わせた相手にこう言ったのだ。
関ヶ原からの退却は
比べるもののないくらい
見事でした
・たとえ勝者の立場になっても相手の誇りを大切にする。名将の風格さえ出てきた直政41歳の時の言葉だ。
・直政の尽力もあってか、島津は関ヶ原で敗れた大大名の中で唯一、本領安堵を許された。
<近江牛と戦国武将の意外な関係>
・日本屈指の黒毛和牛・近江牛。実はこれは直政が残したものだ。彦根藩では赤備えの鎧など武具を作るため、牛を加工することが特別に認められていたため、牛肉を食べる習慣が広まった
・地元の近江牛を扱う人たちの間では直政は特別な存在。近江牛肉専門店専務取締役の上田勝之さんも本業のかたわら、直政に扮してボランティアで観光案内をしているという。
(2017/2/18視聴・2017/2/18記)
※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)
新装版 井伊直政 逆境から這い上がった勇将 (PHP文庫)
主君 井伊の赤鬼・直政伝
戦国武将甲冑フィギュア A-10戦国武将Aタイプ・井伊直政(刀・ケース有り)
歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック
歴史秘話ヒストリア オリジナルサウンドトラック2
歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラック3
※関連ページ
新発見!ヒーローはこんな人だった?!歴史NEWS一挙公開
スクープ!1500年封印された感動メッセージ
選・コーフン!古墳のミステリー
きもの 千年のトキメキ
おんな城主 直虎のイロハ
SP 古代ミステリー 東大寺“七重塔”の謎
それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎~
真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城
マイベスト内蔵助 忠臣蔵ラバーズ
戦国一のワル? 山形・最上兄妹の素顔
決着!80日間世界一周
挑戦!80日間世界一周
すしに恋して
日本人なのに通じナイ!? 明治標準語ことはじめ
京都 まぼろし大仏の旅
妻よ、私がバカだった 石川啄木と妻・節子
秀吉 天下人のマネー術
ザ・ヤング始皇帝 少年が乗り越えた3つの試練
1970 熱いぜ!祭りだ!万博だ!
女王はいずこに眠る クレオパトラの墓の謎
そうだ!天空の城へ行こう
コーフン!古墳のミステリー
新選組 ボクたちの友情と青春
熊本城 400年の愛
京都で旅する地獄と極楽
奈良 ここにシカない奇跡
愛と悲しみの大奥物語
あしたは動物園に行こう
日本でいちばん怖いパパ 信長
あなたが選ぶ○○な人~歴史上の人物ベスト5~
二・二六事件 奇跡の脱出劇
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
ワシはコレで天下をとりました。~徳川家康の読書愛~
偉大なる父・信玄よ!~若きプリンス 武田勝頼の愛と苦悩~
人生 なんてったってサプライズ~天才発明家 からくり儀右衛門~
新常識!歴史NEWS~目からウロコの大発見 2015-2016~
戦のない世を目指して~戦国スーパードクター曲直瀬道三~
徹底解明!これが“真田丸”だ
あの名言にはウラがある!?~ヒストリア書房の迷える人々~
転職忍者ハットリ君の冒険
お菓子が戦地にやってきた~海軍のアイドル・給糧艦「間宮」~
天才か?ドラ息子か?~風神雷神図に挑んだ尾形光琳~
あなたはボクの女神様!~文豪・谷崎潤一郎と女たち~
出雲 縁結びの旅へ!~いにしえの神話の里 物語~
すごいぞ!国宝 松江城
聖なるキツネと神秘の鳥居~伏見稲荷大社の不思議な世界~
満州のプリンセス愛の往復書簡~夫婦の心をつないだ55通~
きっと会える!大好きな人に~渋谷とハチ公 真実の物語~
信長の楽園へようこそ~3つの城のサプライズ~
愛と信念は海を越えて~鑑真と弟子たち7000kmの旅路~
“逃げの小五郎”と呼ばれて~長州のヒーロー・木戸孝允の青春~
やっぱり妻にはかないません!~初代総理大臣・伊藤博文の妻梅子~
天皇のそばにいた男~鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相~
もうひとつの終戦~日本を愛した外交官グルーの闘い~
鳥だ トカゲだ いや恐竜だ!~恐竜を“発見”した男たち~
あなたのココロを一刀両断~日本刀ものがたり~
漱石先生と妻と猫~「吾輩は猫である」誕生秘話~
北の大地に夢を追え~“北海道”誕生の秘密~
あなたの知らない信長の素顔~英雄を記録した男 太田牛一の生涯~
古代日本 愛のチカラ~よみがえる持統天皇の都~
オレは即身仏になる!~“ミイラ仏”の不思議な世界~
師匠、オレは戦国大名になる!“やられ役”今川義元の真実
戦国のプリンス、いざ天下取りへ!~大坂の陣400年 豊臣秀頼の素顔~
高野山1200年へのいざない ~平安のスーパースター・空海の物語~
幻の巨大潜水艦 伊400~日本海軍極秘プロジェクトの真実