【NNNドキュメント’16】
「青い目の人形の涙~子どもたちとあの戦争~」
(日本テレビ系列・2016/11/28放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/
<感想>
昭和初期に日米親善で来日した「青い目の人形」。太平洋戦争の際に“敵”とされ多くが焼かれたり竹槍などで突かれたという話は、ドラマで観たか本で読んだか判然としませんが、知識としては知っていました。当時の関係者の多くが高齢化が進んでいる中、歴史の事実として取り上げる価値のあるドキュメントだったと思います。
資源の乏しい日本がアメリカやイギリスなどの連合国を相手に戦争に突き進んだこと自体、当時の為政者の馬鹿さ加減を如実に現していると私は思っていますが、人形を敵に見立てることなど、およそマトモではないことは明らかです。
戦後、冷静になって考えれば分かるのでしょうけど、当時の人々は分からなかった。それが戦争がもたらす「狂気」というか集団心理というか、人間をそこまで変えてしまう。本当に恐ろしいことだと思います。
そんな中でも人間の良心を持っていた人たちが残っていたことで、戦禍を免れた人形たちもいました。調べてみると全国的には3桁を超える人形が「生き残って」いたということなので、日本人全てが狂っていたわけではなかったようです。ちなみに一般公開されている人形は「横浜人形の家」で観ることができるようなので、機会があったら是非観てみたいと思います。
もうこんな愚かなことを繰り返させてはなりませんが、それでも気になるのはヘイトスピーチにみられるような他国への憎悪を駆り立てるような輩が未だにいるということ。そういう動きに対して警戒しなければなりません。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
※見出しは当方で付けました。
・今年2月、アメリカからある物が届いた。厳重に梱包され一路、静岡へ。89年ぶりの里帰りだ。長旅を終え、姿を現したのは日本人形。名前は富士山三保子。昭和の初めに静岡からアメリカに贈られた人形だ。
・太平洋戦争が始まる10数年前、日本とアメリカは平和の使者として互いに人形を贈り合った。このときアメリカからやって来たのが、青い目の人形。
・しかし、あんなに大切にしていた人形なのに…戦争は子どもたちの無垢な心さえ狂わせてしまったのだろうか。青い目の人形は燃え盛る炎の中で何を見つめていたのだろうか。
<日米の親善大使となった人形たち>
・今年、静岡県内各地で開かれた「富士山三保子里帰り展」。90年も前に作られたとは思えない美しさ。
・会場には同じ頃、アメリカから贈られた青い目の人形も展示された。戦争を知る世代の思いは複雑だ。
青い目の人形というのがグサッと胸に刺さる(見学者の女性)
人形を見ていると戦争中のことを思い出す(別の女性)
・日本に青い目の人形を贈ったのは、アメリカ人宣教師で親日家のギューリック博士。アメリカと戦争を始める10年以上前のことだった。
“日本人は入店するな”
・当時、アメリカでは安い賃金で働く日本からの移民に労働者が仕事を奪われ、日本人を排除する法律が作られた。日本でも対米感情が悪化、これに胸を痛めたギューリック博士は全米から寄付を募って約1万3000もの人形を用意した。
・そして昭和2年のひな祭りに合わせ、親善大使として日本へ贈った。子どもの頃からの交流が将来の日米友好につながると考えたのだ。
・一方、日本側も実業家の渋沢栄一を中心にお礼の人形を贈ろうと、クリスマスに合わせて58体が日本各地からアメリカに旅立った。その一つが静岡県を代表して海を渡った富士山三保子だった。優雅に着飾った日本人形を初めて目にしたアメリカの子どもたちは、胸を躍らせた。
・58体の人形は日本の子どもたちからの募金をもとに人形職人が制作。中でも富士山三保子は、ひときわ優れた作品だった。作者は後に人間国宝となる人形師、若き日の平田郷陽だった。
目力が違いますよ本当に。とにかくこれだけ生き生きとした表情を作り上げているということが見事です。後に人形界最初の人間国宝になる平田郷陽が若く日に作った傑作だと、あらためて思いました(日本人形店 吉徳 林直輝資料室長)
<太平洋戦争によって“敵”とされた人形たち>
・富士山三保子をはじめアメリカへ贈られた人形の多くは、美術館や博物館に収蔵された。そしてその殆どは90年近く経った今も大切に保管されている。
・一方、日本各地に贈られた青い目の人形は、大半が既に失われてしまった。それは一体なぜなのか。青い目の人形がやって来た14年後、平和への願いもむなしく日本とアメリカは戦争に突入した。
・戦況の悪化とともに子どもたちも薙刀や竹槍の訓練を強いられた。敵国となったアメリカへの憎しみが子どもたちにも植えつけられていった。70年前の少女の記憶は鮮明だ。
(敵兵に見立てたわら人形に)竹を突いて遊ぶことはやらされた(小柳津いずみさん)
田んぼの中でわら人形を作ったり農道へ作ったりして、そこに竹槍があってみんなてんでに突いた(山本千鶴子さん)
・そして戦争が始まって1年と2か月が経った頃、新聞に青い目の人形を敵視した文字が躍った。さらに人形の処置について、ある学校が子どもたちに聞いた調査結果も。
「破壊89名、焼いてしまえ133名 送り返せ44名 目のつく所へ置いて毎日いじめる31名 海へ捨てろ33名」
・平和の使者だったはずの青い目の人形を待ち受けていたのは…。
同校では10日の陸軍記念日に全校児童の目の前で憎い親善使節を焼き捨て敵愾心の高揚に努めることとなった。なおその他各国民学校でも叩き壊すか焼き捨てることになった(1943年3月9日 讀賣報知 遠州版)
・別の新聞にも「仮面の使節 皆殺し」の見出し。
静岡の掛川第一国民学校では青い目の人形に厳重なる処断を下すことになった(1943年3月9日 毎日新聞 静岡版)
<目の前で人形が焼かれる姿を見た女性>
・その国民学校に通っていた女性に辿り着くことができた。西東京市に住む坪井照子さん(84)は終戦後に上京、美術大学で油絵を学んだ。
朝から校長の言うこと復唱。校長が壇の上で“米英撃滅!”(坪井さん)
・そんなある日、もともと家にあったキューピー人形なども処分するよう学校から命じられた。
ある日突然ですよ。敵国の人形ということなんでしょうね。“家にある人形を川に捨てなさい”と言われて。橋の上から見ると人形がいっぱい川の中に落ちてる(同上)
・坪井さんに古い写真を見てもらった。アメリカに旅立つ前の富士山三保子。そこには後に坪井さんが目にした青い目の人形も一緒に写っていた。
かわいい顔しているのにね、本当に(同上)
・それは幼い目に焼き付いた校庭での出来事。記憶を頼りに鉛筆を走らせる。
一番大きい校庭に全校生徒、周り集まってその真ん中にわらと竹で小屋を作って中に人形を(入れた)。上級生が火炎瓶を投げて燃やした。私なんかはね、何の憎しみもない人形がどうしてこんなことになるのかなと子ども心に思ったんですけども(同上)
・少女の胸に刻まれた戦争の記憶。70年以上の時を超えて浮かび上がった戦争の爪痕だ。
やっぱり教育でそういうことが行われるのは怖い(同上)
<戦争中、人形を匿った人たちがいた>
・罪のない人形すら葬り去ってしまったあの戦争。そんな中でも必死に人形を守り抜いた人たちがいた。
・静岡県御前崎市の図書館に戦禍をくぐり抜けた青い目の人形が保管されていた。89年前にアメリカから現在の浜岡北小学校に贈られた“マーベル・ワレン”。なぜ無事だったのか。
当時の用務員の山田さんが、とても焼き殺すことはできないと考え、学校にあったヤギ小屋のわらの中にワレンちゃんを隠した。戦争が終わってワレンちゃんを懐かしむ声があがり、山田さんがヤギ小屋の中に隠したことを話し外に出てきた(浜岡北小学校の石谷和親前教頭)
・この小学校では、アメリカから人形が届いた4月16日を「マーベル・ワレンの日」として、子どもたちに平和の尊さを伝えている。
・別の小学校にも青い目の人形が残されている。静岡県小山町の明倫小学校に贈られた“ミルドレッド”。季節ごとに衣装を手作りして世話をしているのは、元教諭で学校ボランティアの冨川雅江さん。
・青い目の人形ミルドレッドは、どうして焼かれたり壊されたりせずに済んだのか。
その当時の校長先生は隠したということを、どこにも知られずにいたようです。ここに勤めていた小林護先生のたぶんお父さん。秘密裏に隠されて昭和27年まで見つからなかった(冨川さん)
・ミルドレッドは終戦から7年後、古い校舎を建て替えるときに校長室の棚から布で包まれた状態で見つかった。戦時中、校長を務めていた小林有悦さんが匿ったのではと言われている。
・息子の護さん(78)によれば、父・有悦さんは筆まめで日誌でも何でも細かく記録を残す人だった。なのに青い目の人形に関してだけ、一切記述がなかった。
命令に反する行為だから人にも話さないし、文章にも載っていない。(父は)剣道や柔道の有段者だった。武士道は情けがある面も含まれている。敵を許すのも武術。厳しい父だったが、人形を通じて優しい気持ちが表れた(護さん)
・戦争中、難を逃れたミルドレッドは今、明倫小学校の入口に飾られている。この日、全校生徒が集まった。みんなで歌ったのは昭和2年、人形を贈るときに作られた歌。あの富士山三保子の里帰り展に参加するため、ミルドレッドがしばらく学校を離れる。
戦争によって友情もなくなってしまうという悲しい歴史もミルドレッドは背負っている。これからも明倫小の誇りとして大切にして、平和のありがたさをかみしめてほしい(明倫小学校の小松孝和前校長)
<戦禍をくぐり抜けた人形たち 再び戦争を繰り返さないために>
・89年ぶりに里帰りした富士山三保子の展示会。会場には、戦禍をくぐり抜けた青い目の人形たちも。静岡県に贈られた青い目の人形は253体。そのうち今も残っているのは僅か6体。展覧会の見学者たちは次々に語る。
よく戦争中もとってあった。もし見つかったらそれこそ大変(男性)
かわいそう。人形には罪はない(女性)
もったいないことをした。人形には心がある(女性)
こういう歴史があったのは知らなかった。戦争はしない方がいい(男性)
戦争は大切なものを破壊して残念(女性)
鬼畜米英の下に叩き壊したとか竹槍で刺したとか非常に無残。昭和史の貴重な実例(男性)
死ぬような苦しみを味わったからこそ、今の平和がすごくありがたい(女性)
・つい昨日まで小さな胸に抱いていた人形を川に捨て、叩き壊し、焼いてしまえとまで言い放った時代の狂気。
せっかく人形が来てくれたのに私たちのせいで壊されてしまったりしたので、すごく人形がかわいそうに思いました(児童)
人形が辿って来た時代の流れがよく分かって、戦争っていけないことだなと…(児童)
けんかをしちゃうと戦争が始まっちゃうので、けんかをしても譲れるようになりたいと思いました(児童)
・あの日、人形の青い瞳に映った過ちを、私たちは二度と繰り返さない。
(2016/11/30視聴・2016/11/30記)
※番組関連の作品(画像クリックでAmazonへ)
青い目の人形物語 (1) 平和への願い アメリカ編
青い目の人形物語 (II) 希望の人形 日本編
青い目の人形―海を渡った親善人形と戦争の物語
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