【ブラタモリ】
「#54 大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~」
(NHK総合・2016/11/12放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/buratamori/
<感想>
大河ドラマが佳境に差し掛かっているのにタイミングを合わせたかのような「大坂城」特集。なお「おおさか」の表記が「大坂」「大阪」とありますが、明治以前は「大坂」、以後は「大阪」となります。よって、現在建てられている城は「大阪城」(昭和6年復元)、秀吉が建てたのは「大坂城」です。
ということで、一番の関心事は難攻不落の大坂城の中で唯一の弱点だった南東部さを補った出城「真田丸」が何処にあったのかということ。この間、幾つかの番組でも検証されてきましたが、ほぼ場所の特定は出来たのではないかというのが私の印象です。
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既に跡地は学校や住宅などが建ち並ぶため、大規模な発掘調査は出来ないかもしれません。でも今後また新たな発見が待たれるところです。真田信繁(幸村)が「日の本一の兵」と呼ばれる所以となった難攻不落の出城「真田丸」。徳川軍の大坂城への直接砲撃に怯まなければ…天下の行方は変わっていたかも。惜しかったですね。
<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>
・今回は「真田丸スペシャル」ということで大阪城の前からスタート。
・お題は「大坂城はなぜ難攻不落?」
・案内人は大阪城天守閣館長の北川央さん。
・1583年、豊臣秀吉が天下統一の拠点として築いた大坂城。大坂城を見た当時の宣教師は「日本中で最も堅固で難攻不落の城だ」と記している。
・大坂の陣とは秀吉の子・秀頼率いる豊臣方と家康率いる徳川方が2度にわたり対決した戦い。そのうち一度目の「大坂冬の陣」こそ、大坂城が難攻不落だと知られるようになった戦い。
・冬の陣は豊臣方10万・徳川方20万の軍勢で戦われたが、ついに一歩たりとも大坂城には徳川軍は侵入できなかった。
・現在の大阪城は江戸時代に徳川がつくったもの。豊臣の大坂城は徳川にすっぽり埋められてしまった。
・豊臣大坂城の痕跡を求めて一行はまず本丸へ。昭和6年に復元した建物。
・地下に通じる場所にカメラで見てみると当時の石垣が残されている。昭和34年、大阪城で学術調査が行われた。そのとき地中から発見されたのがこの石垣。この発見によって豊臣大坂城の本丸は、徳川の大坂城にすっぽりと覆い隠されていることが初めて明らかになった。
・江戸時代に徳川が完全に豊臣大坂城を埋めころしたのだが、そのうち次第に(徳川の)大坂城が秀吉が建てたものだと勘違いするようになったという。
・そのため石垣の発見は専門家も驚く歴史的な出来事だった。ところが、諸般の事情で隠すことになったという。
・豊臣大坂城の本丸が地中深くに眠っている今、いかに難攻不落だったか確かめる方法はないように見える。しかし本丸以外にヒントがあるという。
・次に一行が向かったのは城の北側にあるビルの屋上へ。
・2人目の案内人は、前回に引き続き大阪高低差学会の新之介さん。
・周りを低湿地に囲まれた細長い台地の端にある大坂城。まさに南以外の三方を天然の地形に守られている。
・冬の陣で京都から大坂へと進軍した徳川軍。その一部は台地の北にある低湿地から大坂城に攻め込んだ。
・続いて一行は城の近くにある繁華街へ。3人目の案内人は大阪歴史博物館学芸員の大澤研一さん。古地図や古文書から大坂の陣を研究している。
・現在は埋め立てられ道路となっている鯰江川。その自然堤防だった場所が高くなっている。細長い堤防の上では戦列が長くなり戦いづらくなる。
・一行は大阪城から南へ2kmへ移動。4人目の案内人は大阪文化財研究所学芸員の積山洋さん。発掘調査をもとに20年にわたり豊臣大坂城を研究している。
・冬の陣のとき南側に10万の兵を置いた徳川軍。大坂城を目指す進路の道を辿ると下り坂がある。元々は巨大な空堀があった場所で幅は30~40m、深さは10m以上あったという。さらに土塁もあったので徳川軍はこの先に一歩たりとも進むことは出来なかった。
・台地の南側を切断して掘られた空堀。さらに低湿地が広がる三方にある水堀。本丸と城下町は丸ごと堀や土塁で囲まれていた。これを「惣構」という。
・現在、空堀自体は無いが、その痕跡が残されている。
・大坂城が難攻不落だった2つ目の理由は、台地の南を切断した巨大な空堀だった。
・大坂の陣の配陣図をみると東に直線的にのびる堀の外側に真田信繁が築いた「真田丸」があった。冬の陣の直前、南側で唯一の弱点だったこの場所に真田丸をつくることで、難攻不落の大坂城が完成した。
・大河ドラマでも、いよいよ信繁が徳川方と真田丸で激突。ところが真田丸の本当の姿もよく分かっていない。書いた図もバラバラ。
・というのも冬の陣で大いに徳川軍を苦しめた真田丸は、徹底的に壊されてしまった。その姿を知る数少ないヒントが豊臣方の武士が残した記録。
東八町目之御門の東、一段高き畑御座候を、
(略)
是を眞田が出城と申候、
(「大坂陣山口休庵咄」)
・一行が向かったのは、その「東八町目の門」があった場所。空堀があった場所を歩いていき、ビルの屋上から見てみると学校のグラウンドがある場所が見える。
・真田丸を描いた多くの絵図は直線や円などかなり単純化されている。今年2月に松江で発見された絵図には詳しい地形が描かれている。自然の崖は緑、人工の堀はオレンジで描かれている。黄色の道に寺も手掛かりになる。
・まだ発見されたばかりの絵図で論文も発表されていないが、一行は絵図を手掛かりに検証してみることに。
・出丸の東側には空堀の痕跡がある。さらに絵図に描かれている心眼寺の橋本博住職に案内してもらうと崖の跡が残されていた。
・さらに一行は南側の徳川軍が攻めてきた場所へ来てみたが、痕跡は残念ながら残されていない。徳川方が多くの犠牲が出た場所のため、徹底的に破壊したと思われる。
・最後に一行は真田丸の跡地に立つ学校の屋上へ。
(2016/11/13視聴・2016/11/13記)
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